Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design北
部
九 州
に
Traditional
textile
design
in
North
Kyushu
井 上 友
子INOUE
Tomoko
九 州 産 業 大 学
Kyushu
Sangyo
Universityお
け る 伝 統 的 織 物
の
パ
タ
ン
・デ
ザ イ
ン
博 多織
を
中心
に
1.
は じ め に一
博多 織
史 の 概 略 今 日のわ が 国 に お け る 織 物 は 絹 織 物、
毛 織 物、
綿 織 物、
麻 織 物 などに 大 別 さ れ、
産 地 も 全 国 に 分布
している。
筆 者
の住 む福
岡では 「博多
織 」 「久 留 米 絣」 「小 倉 織」 な どが よ く知られてお り、
いず れの染
織 も 実 に 魅 力 的 な 地 場 産業
である。
な かでも 「博
多 織」 は、
詩 人 北原 白 秋 (1885
−
1942
)
がそ の詩に詠う ほ ど美
しさ が際
立つ粋
で堅 牢
な伝 統 的織 物
であ
る。博 多 織
は唐織
の技
術を踏 襲
し た と さ れ る絹 織 物
で あ り、
そ の発祥
に は 「唐 船 説 」 「弥
三説
」 「弥
三右衛
門 説」 「帰 化
人 弥三説」 「満
田 弥三右 衛 門 説」 「伽 羅渡 来
説」 「博 多
官 頓 説」 「竹 若 伊 右 衛 門 説」 「折 衷 説」 な ど諸
説 あ る。
こ の こ とは、
3
世 紀
か ら16
世 紀 に 至 る まで 国 際 貿 易 都 市として華 や か な 発 展 を 遂 げ た 「博 多 」 という都 市の機 能 と 「博 多 織 」 史 との間 に複 雑 な 関 係 が あっ たこと を 物 語っ てい る。
今 日の博 多 織 に は き ら び や か な 中 世 史 を 想 起 さ せ る よ う な 活 気 を 感 受 する こと がで き ない。
そ の背 景には、
近 世で は、
「糸割 符 制
度の不平等
」 「特 権
階 級へ の奉
仕」 な どの政治
的要 因
に よ り、
近
・
現代
で は、
「男工絶 対
主義
」 「力 織 機 導
入の遅 れ」 「戦 中 戦 後の緊縮
財 政 」 な ど伝 統
墨守
や 政 治的事 由
があり、
博多
織の成
長、
発 展 を 阻害
する要 因になっ て い た。 明治 中
期の一
時 期 には原 料 調 達の 改 革、
新しい技 術の導 入、
織 機の改 良 や一
部 特 権階
級 の た め の博 多 織
か ら庶
民向
け の博 多 織
へ転 換
す る な ど、
再 生 復 活の シナ リオ が 描かれ、
生 産 量の増 大と販 路の拡 張 がも た らさ れ た。
明 治
27 ・28
年 戦 役 (
日 清 戦
争1894−95
) 終 結
後の好 景 気 が去り、
1900
年 代
に は い る と、
博 多 織は好 調 と不調 を 繰 り返 し なが
ら、
主
要生 産
品を男 帯
から女帯
へ切
り替
え、
ま た 主 力製
品 を 八 寸 単 帯 地へ転 換
し、
今
日に 至っ て い る の である。
2 .
本
研 究
の 目的 と手 法
本
研 究は、
福
岡の地 場 産 業である博 多 織の保 持 伝 承 お よ び 発 展を めざし て九州
産業
大学
、
博 多 織デベ ロ ップ メン トカ レッジ お よ び 博 多 織工業 組 合 な ど がコ ラボ
レー
トす るプロ ジェ ク ト 「博 多 織プロ モー
シ ョ ン計 画」 の一
環と してデザイ ン史研 究の 視 点 から博 多
織の振 興に かかわ る課題 を検 討
する こと を 目 的 と している。本 稿
で は まず
、
最 盛 期
から現 在
に至るまで の規模
の 変遷 や博 多織 業
界 が 置 か れ ている現 状 を 確認する。
さら に製 品 面か ら博多織
を 分 析 するに あたっ て、
博 多 織の特 徴であ る織 柄 (パ タン・
デザ イン)に注目 し、
パ タン・
デザイ ン の変 遷、
種 類 や 生 産 量 な ど か ら、
博多織
の パタン・
デザ イン の現
状 につい て考 察
を加え る。
3 .
産 業
とし
て の規 模
の変 遷
博 多
織 業 界の産 業 規 模の変 化を、
昭 和50
年 (1975
年 )か ら 平成
19
年 (
2007
年 )
ま で の32
年
間 に お け る 「組 合 員数
」 「生
産 本 数」 「生 産 金 額」 で概 観 す ると図2
〜
4
の よ う に な る。
昭 和50
年、
博 多 織 業 界 は 戦 後の最 盛 期 に あっ た。
そ の後、
昭 和52
年 (1977
年
) を 絶 頂 期 に 次第
に 減 少傾
向 を た ど り、
平
成15
年 (2003
年)
か ら は ほ ぼ 横 ばい を保 ち な がら現 在 に 至っ て い る。
た と え ば 組 合 員 数 を 例 に 挙 げ る と、
昭 和52
年
の168
か ら 平 成19
年 に は43
まで減 少 して い る。
これ は、
生 産 本 数 や 生 産 金 額 に おい ても 同 様の傾 向 を 示 して い る。
こ のよ う に 地 場 産 業 とし て の博 多 織は昭 和52
年以降 衰 退 傾 向にあるが、
博 多 織業 界
でも国
や 地 方 自 治体
の支援
を受
け た 施策
や 企業 独 自
の取
り組
み、
博 多織 産業
の人 材育 成
を 目 的と し た博 多 織
デベロ ップメ ン ト カ レッジの設立 な ど博 多
織の振 興に向
けた新しい取り組み が着
手されて い る。4 .
伝 統 と
モダ
ー
ン 博 多 織の代 表 的 技 法に 「献上 」 お よ び 「変 り献上」 が あ る。
「献 上 」 の名 は慶
長5
年(
1600
年 ) 黒 田 長政
が 筑 前 を 領有
し た 後、
博多
織 を 幕 府へ献 上 し たこと に由 来 す る。
織 り柄は仏 具 の 「独 鈷 」 と 「花皿」、
「縞」 が 組み合 わ さ れ、一
つの パ タンを構
成 して い る。
そ れ 以 前 は そ れ ぞ れ 単 独であっ た3
種の パタン が一
つ に融 合し 「献 上 」 柄 と なっ た。
図1
は 「献 上1 の織 り柄 図 案3
種(
縞 柄 は2
パター
ン で1
種 と数 えている ) と 実 際 に 製 品 と なっ た 「献 上」 柄 を 示 している (図1
)。
「献 上 」 と 「変 り献 上」 と の違いは
、
前 者
が 「た て うね織
」(
平
織り を縦に拡 大し て横方向に う ね を 現 し た も の)を採用 し、
紋鼕
蔘
錘
図1
左 か ら 「独 鈷」 「花 皿 」 「縞 (両 子 持)」 「縞 (中子 持)」 「献 上」柄
38
デザイン学研 究 特集 号speclal
issue
otjapanese
society
torthe
sclence
of
desLgn voL16
−
3 no.
63 2DO9Japanese Society for the Science of Design
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Japanese Sooiety for the Soienoe of Designを 浮 け たて であ し ら うのに対 し