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130309弘前大学シンポジウム0305.pptx

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北海道南西沖地震を経験した奥尻島の20年

北海道大学大学院理学研究院

附属地震火山研究観測センター 助教

人と防災未来センター リサーチフェロー

定池祐季

北海道奥尻島

人口

3,033

2013

1

月末現在)

主な産業は

漁業と観光業

親族に志向したコミュニティ

プライバシーはほとんどない

⽇日本海中部地震の概要

•  1983年5⽉月26⽇日正午頃発⽣生 •  マグニチュード7.7 •  最⼤大震度5(奥尻震度4程度) •  死者・⾏行行⽅方不明者104名 •  奥尻町⻘青苗地区では、約20分後に第1波 が襲来、30-40分後に第2波が襲来。 •  津波の⾼高さは3-5m •  ⻘青苗地区では2名が犠牲に •  ⻘青苗の岬地区⻄西側では4.5mの防潮堤の新 設 •  東側の既存防潮堤も4.5mにかさ上げ •  漁港背後低地部から⾼高台への避難路整備 •  学校教育で地震避難訓練が始まる •  町⺠民の中に、「地震=津波」という知識 が根付くきっかけになった 『昭和58年(1983年)日本海中部地震災害の記録』 (青森県 1984年)

津波、⽕火災、斜⾯面崩落、

液状化現象などが発⽣生

北海道南⻄西沖地震の概要

発⽣生⽇日時:

  1993年7⽉月12⽇日22時17分

マグニチュード:7.8

最⼤大震度:5(寿都

江差など)

※奥尻島の推定震度は6

死者・⾏行行⽅方不明者:230名

(うち奥尻町:198名)

重軽傷者:323名

(うち奥尻町:143名)

奥尻町の被害総額:約664億円

気象庁資料より

(2)

2

撮影:国際航業株式会社 『蘇る夢の島!』(奥尻町1996)より引用 沿岸部:津波被害 奥尻地区:斜⾯面崩落 ⻘青苗地区:津波と⽕火 災による被害

奥尻町の復旧・復興過程

年⽉月⽇日 主なことがら 1993年7⽉月12⽇日 22:17北海道南⻄西沖地震発⽣生 13⽇日 救援・救助活動の本格化 16⽇日 仮設住宅のニーズ把握開始 奥尻町災害住宅復興資⾦金金貸付受付開始 フェリー運⾏行行再開 ⽔水道全島の2/3再開、電気復旧 17⽇日 航空機運⾏行行再開 18⽇日 第1次仮設住宅建設開始(100⼾戸) 20⽇日 義援⾦金金の第⼀一部配分北海道都市整備課・奥尻町⻑⾧長・奥尻町企画課⻑⾧長:「区画整理の⽅方針」を協議 21⽇日 北海道住宅都市部⻑⾧長視察(瀬棚、北檜⼭山、⼤大成、江差、奥尻)(7/21 22) 北海道都市整備課:建設省区画整理課へ、「区画整理の⽅方針決定」を連絡する 北海道⽴立立寒地住宅都市研究所:⻘青苗地区の整備⽅方針の検討を始める (事業⼿手法の検討は、8⽉月半ばから) 22⽇日 奥尻町:第1次仮設住宅⼊入居説明会、選考会 23⽇日 北海道:「復興区画整理(建設省)」の⽅方針を決定 24⽇日 奥尻町:奥尻町被災者の住宅対策のため住⺠民アンケート調査実施(27⽇日回収) 25⽇日 奥尻町電話全⾯面復旧:第2次仮設住宅建設開始(100⼾戸)

奥尻町の復旧・復興過程②

年⽉月⽇日 主なことがら 1993年7⽉月27⽇日 仮設住宅完成 28⽇日 仮設住宅の⼊入居開始 30⽇日 北海道「奥尻災害復興 ⽀支援プロジェクトチーム」設置 8⽉月6⽇日 義援⾦金金配分 9⽇日 北海道「南⻄西沖地震災害復興対策推進委員会」を設置 20⽇日 北海道庁企画振興部に「南⻄西沖地震災害復興対策室」を設置 28⽇日 島内の避難所すべて閉鎖 29⽇日 奥尻町が⾏行行⽅方不明者の捜索打ち切り 30⽇日 ⼤大学や国⽴立立研究機関の専⾨門家による「北海道南⻄西沖地震津波検討委員会」を設置 9⽉月1⽇日 道の災害弔慰⾦金金第1期2,500万円を5町に配分 11⽇日 合同慰霊祭(奥尻町) 24⽇日「南⻄西沖地震災害復興対策推進委員会」内「まちづくり対策プロジェクトチーム」により、⻘青苗地区の①案:全⼾戸⾼高台移転、②案:⼀一部⾼高台移転(低地に90⼾戸 の漁師町)が⽰示される 30⽇日 上記2案が町議会に⽰示される 10⽉月1⽇日 役場内に災害復興対策室設置 9⽇日 「奥尻の復興を考える会」(以下:「考える会」)結成 19⽇日 ⻘青苗地区で集落移転に関する全体説明会 28⽇日 住区別の懇談会を開催 年⽉月⽇日 主なことがら 1993年11⽉月8-12⽇日 「考える会」:⻘青苗地区住⺠民アンケート実施 21⽇日 「考える会」アンケート結果に基づき、⼀一部⾼高台移転案を決議 22⽇日 ⼀一部⾼高台移転案が町議会で了承 12⽉月3⽇日 奥尻町から北海道へ復興⽅方針について回答 19⽇日 北海道が復興計画素案を策定し、奥尻町へ⽰示す 20⽇日 町議会で上記素案を基本として復興計画を進めることを了承    1994年2⽉月 奥尻島全島にわたる防潮堤の整備事業計画が決定 3⽉月16⽇日 地震で倒壊した⻘青苗岬灯台が再建、点灯 3⽉月30⽇日 津波のため⽴立立て替えになった稲穂⼩小学校落成式 12⽉月20⽇日 斜⾯面崩落をした観⾳音⼭山壁画除幕式(奥尻町) 7⽉月12⽇日 北海道南⻄西沖地震奥尻島2周年追悼式・奥尻島追悼洋上慰霊祭 主催:奥尻町・奥尻島観光協会 1995年8⽉月1⽇日 ウニ漁再開 1996年2⽉月 各地区で防潮堤説明会開催        3⽉月 ⼟土盛⼯工事、防潮堤⼯工事、下⽔水道⼯工事終了      10⽉月       仮設住宅撤去      12⽉月 住宅新築ほぼ終了 1997年3⽉月 防潮堤がほぼ完成 6⽉月22⽇日­23⽇日 奥尻三⼤大祭り「賽の河原祭り」協賛⾏行行事復活、地区慰霊碑建⽴立立

奥尻町の復旧・復興過程③

(3)

3

年⽉月⽇日 主なことがら 1998年3⽉月17⽇日 町⻑⾧長が町議会の中で「完全復興宣⾔言」 観光プロモーションを展開 7⽉月4⽇日 慰霊碑「時空翔」除幕式 7⽉月5⽇日 北海道南⻄西沖地震奥尻島5周年追悼式(奥尻町) 1999年7⽉月12⽇日 7回忌法要(遺族会連合会・2002年まで毎年開催) 住⺠民有志によるキャンドル点灯始まる(毎年7⽉月12⽇日) 2000年10⽉月5⽇日 ⻘青苗漁港⼈人⼯工地盤「望海橋」完成式・祝賀会 11⽉月11⽇日 奥尻島津波館落成式典・祝賀会(本格開館は5⽉月1⽇日) 2001年1⽉月20⽇日 競争⼊入札妨害の疑いで当時の町⻑⾧長が逮捕 2003年7⽉月12⽇日 10周年式典(奥尻町) 2005年7⽉月12⽇日 13回忌法要(遺族会連合会) 10⽉月 島で初めての⼤大型修学旅⾏行行受け⼊入れ(都⽴立立⾼高校) 2008年7⽉月12⽇日 15周年式典(奥尻町観光協会ほか) 2009年7⽉月12⽇日 17回忌法要(遺族会連合会) 2011年3⽉月11⽇日 東⽇日本⼤大震災以降、奥尻町への災害対応・復旧・復興に関する視察・問い合 わせ、調査などが急増 7⽉月12⽇日 各追悼⾏行行事へのマスコミの殺到 2012年4⽉月 北海道檜⼭山総合振興局の補助を受け「津波語りべ隊」結成

奥尻町の復旧・復興過程

1993(平成5年)10月1日 災害復興対策室設置

1994(平成6年)度を復興元年と位置づけた各種事業の実

1997(平成9年)を目標とした「奥尻町災害復興計画」の

策定

その中では、北海道による「まちづくり復興計画(素

案)」の提示、「第3期奥尻町発展計画」に沿った基本方針

と基本計画の策定

雲仙普賢岳被災地の事例を参考に義援金による見舞金の配

分、復興基金の設立

奥尻町の復興計画

基本⽅方針 ⼤大項⽬目

⼩小項⽬目(主なもの)

⽣生活再建 住宅再建

公営住宅建設

個⼈人住宅建設

基幹産業の再建

⽔水産業・農業の再建

観光の再開補助

後継者育成

⽣生活の安定および社会

⽣生活基盤の確保

資⾦金金の利⼦子補助

医療保険施設

⽂文教施設

社会福祉

施設の整備

防災まち

づくり

各地区のまちづくり

避難対策

新しい集落の形成(集団移転など)

避難計画の策定

避難施設の設備

防災体制の構築

防災体制の構築

地域振興 ⽔水産業の振興

漁業協同組合再建

農業の振興

⼟土地利⽤用型農業の振興

観光の振興

観光資源の整備

芸術⽂文化の振興

地域⽂文化としての活性化と保存

被災区域の再建

青苗地区、稲穂地区:漁業集落環境整備事業

(水産庁の補助事業)

松江地区(初松前):まちづくり整備事業

(町の単独事業)

津波高により求められた防潮堤の設置

後背地の

盛り土とインフラの整備

青苗五区:防災集団移転促進事業(国土庁の補助

事業)による高台移転

土盛りによる再建

(4)

4

青苗地区の復興計画

『蘇る夢の島!』より

(5)

5

1993年10月9日撮影 定池家所蔵

被災

3

ヶ⽉月後の⻘青苗地区

2003年10月 定池撮影

(6)

6

撮影日:2010年7月13日

現在の⻘青苗地区

初松前地区

『蘇る夢の島!』より

(7)

7

地域住民の活動

「奥尻の復興を考える会」

:青苗地区住民による既存組

織が災害後に変化し結成

住民の意見をとりまとめ、行政との交渉役を果たす。

特に生活再建支援の獲得に関し、住民運動の高まりが

見られた

「火災保険金を請求する会」

:青苗地区の住民を原告と

し、損害保険会社に火災保険の支払いを求める

・地震保険の説明の有無が問われ、「説明があれば加入

した」と原告が主張

・損保会社は連日地震保険についてCMを流す

→最高裁で敗訴したものの、損保会社が全国の火災保険

加入者で地震保険未加入の全世帯に地震保険加入の案

内を郵送した

復興事業終了後の奥尻町

○奥尻町をめぐる状況

・切り崩し型の復興基金:H19年で運用終了

→復興事業で建設した施設のメンテナンス費用が

不足

・建設業の停滞→若者の島外流出、業者の淘汰、

多角経営化

・不況そのものに加え、フェリー・航空機の減便

による観光客数の減少

・1993年当時の人口約4,300人→2013年1月末

3,033人

(8)

8

○被災者の生活再建状況

(旧青苗5区住民を中心に)

・日本海中部地震(1983年)に続いて

2度目の被災にあた

る住民が多数

→住宅や漁船・漁具の

2重負債

・防災集団移転促進事業の対象となる

・「70代でも自力再建が可能」(役場担当者)な

手厚い援助

→住宅

漁業の再建が可能になったため

人口流出が食い止め

られた側面がある

「家も船もすべて失ったので、漁師をやめて島を出ようと思ったが、 船が新造できると聞いて思いとどまった。島を離れ、⼦子どもの世話 になっていたら、知っている⼈人もなく、仕事をすることもできな かった。⽀支援してもらえたから島に住み続けることができ、80代ま で漁師を続けることができた」(旧⻘青苗5区住⺠民のMさん)

奥尻島の「復興」とは

奥尻の行政・住民にとっての「復興」

=家を再建すること、漁船を再建すること、

商業を再開すること

個人・世帯の生活再建を重視

「復興」像をどのように示すのか、

「復興」の先には何があるのか・・・?

復興はしたさ。

けど、なんも良く

なってない

⼿手厚い⽀支援のおかげで、

80代まで漁師を続け

ることができた

奥尻島の復興過程を振り返って

奥尻町の災害復旧・復興の決断がスピーディ

だったのは、北海道のサポートによるところが

大きい

(「奥尻町はバンザイだった」)

当時は、被災者が災害後に作られた仮設住宅の

入居期限2年を越えて住んだ例がなかった。

そのため、行政は、住民が2年以内に仮設住宅を

出て、持ち家や公営住宅に移ることができるよ

うに、さまざまな期間を逆算して計画を立てた。

復興事業として様々な施設を建設したが、ラン

ニングコストを考えていなかったので、同時期

にメンテナンスが必要になった施設の修繕が難

しくなった。

奥尻島の復興過程を振り返って

住民集会では「声の大きい人」の意見が目立つ傾

向にあり、特に反対意見がない人は声をあげない。

そのため、行政は戸別訪問をするなどして、多く

の声を拾う工夫をする必要があった

災害後にできた住民団体が行政と住民の間をつな

ぐ役割を果たしたが、やがてその役割は町内会へ

と移行していった

行政が担っていた追悼行事行事は、遺族会などに

託されていったが、経済的な事情や高齢化などで

継続が難しくなりつつある

復興特需の間に、特需後の策を講じておくことが

必要(災害前の水準以下に下がる可能性がある)

参照

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