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中井正一再考 -集団的思惟の機構について-

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(1)

中 井 正 一 再 考

―― 集 団的思惟 の機構 について一―

士 Vビユヽ

Iasakazu Nakai Reconsidered

【asashiヽ

IOWIBE

中井 エ ー の生 涯 中井正一 (一九〇〇∼一九五二

)は ,周

知の ように

,論

文「 委員会の論理―一 一 つの草稿 と して」(以下,「委員会の論理」 と略記

)に

よって知 られる美学者である。 日本ファシズムの台頭 した一九二〇年代において

,中

井は

,集

団的主体性の論理を探究 しつつ

,隔

週刊の新聞『土曜 日』 や同人雑誌『世界文化』を通 じた反ファシズム文化運動に参加 した。 中井は美学者を自認 していたが

,し

かし特異な美学者であった。既存の芸術観が芸術 と機械を 対立させていたのに対 し

,中

井は機械の もつ美を論 じてみせた。そして映画の価値が今 日のよう には確立 されてはお らず

,よ

うや く芸術 として認知 されつつあった時代

,彼

は色彩映画の実験に 関わ り

,映

画を積極的に論 じている。中井はまた

,ス

ポーッや探偵小説

,さ

らには新聞 も美的観 点か ら論 じている。極めて多彩な彼の研究で共通するのは

,芸

術か ら逸脱するものを排除せず, む しろそれ らを挺子 にして独 自の美学を模索する姿勢である。「 ジャズ

,レ

ビュー

,ス

ターシス テムのキネマ等は拙 きその過渡現象である。それが未だ拙劣であるか らとて

,未

束の美に悲 しみ を持つ必要はない」注1。 彼は芸術 と非芸術の境界線 に固執するのではな く

,現

在の非芸術が未来 に芸術へ と移行する可能性に気がついていた。なかでも

,映

画には

,集

団性

,利

潤性

,レ

ンズな ど当時の芸術観 とは異質な要素が含まれてお り

,中

井が新 しい美学を創出する契機 となった。そ れはまた集団的主体性の論理を構想する際のモデルの一つ となった。 新たな美学に関する中井の探求は

,一

九三〇年代の危機的状況のなかで政治的性格を露にして ゆ く。一九二〇年代半ば,「カン ト判断力批判の研究」(卒業論文

)か

ら出発 した中井は

,そ

の後, カッシーラー とハ

/デ

ガー

,そ

してヘーゲルやマルクス らの思想を批判的に摂取 しつつ

,一

九二 六年

,独

創的な論文「委員会の論理」を『世界文化』で発表 した。一九二〇年 に中井はカッシー ラーの機能概念を手がか りにして関係論的思考 を受容 した。それはさらに

,主

観 と客観を対立 し た もの と看枚す形而上学的な二分法を批判 し

,二

頂が相互に転換する動的な思考へ と発展 した。 しかし

,次

第に中井はこの機能の論理が抽象的なものへ と転化 した と考 えるようにな り

,機

能主 義の論理を超克する地点に到達する。そ して

,自

己関係的な否定によって分裂 し

,非

実体性を特 徴 とする過程 としての弁証法的主体性を集団的主体性へ と展開 した「委員会の論理」を中井は執 筆する。 三〇年代の中井による探求は個人的主体への批判か ら集団的主体性へ と向かうものであった。 この知的探求は種 々の実践によって媒介されていた。水平社 と繋が りのあった消費組合運動への 参加をは じめ,『美 。批評』や『世界文化』 といった同人雑誌や隔週刊の新聞『土曜 日』等を通 日 日 部 日 J

(2)

じた反ファシズム文化運動 に中井は関わっていたのである。『美 ・批評』を創刊する一九三〇年 か ら治安維持法の嫌疑によって検挙 される一九二七年までの間

,同

人雑誌や新聞な どのメデ ィア を通 じた中井の活動は

,美

学的なものか ら政治的なものへ

,そ

して高踏的な ものから大衆性を含 む ものへ と重層化 してい くかのようである。一九二〇年

,中

井を含む京大の美学研究者グループ は,「美学・芸術学・芸術史の理論的研究誌」,『美・批評』を創刊する。 しか し

,一

九二三年四 月

,瀧

川事件によって同人雑誌『 美・批評』の刊行は中断を余儀な くされる。その後

,事

件の際 に法学部支持の運動 を展開 した新たな同人たちを加え,『美・批評』は学問的 自由の擁護を標榜 しつつ再出発することとなる。一九二五年二月

,よ

り政治化 された第二次『美・批評』は改組 ・ 改題を経て

,反

戦 ・反ファシズムを志向する同人雑誌『世界文化』へ と発展する。 この『世界文 化』では

,中

井の「委員会の論理」

,あ

るいは久野収によるホルクハ イマーの訳述 (「現代哲學に おける合理主義論争」

)な

ど理論的な論考の他

,世

界文化情報 も掲載 されてお り

,フ

ランスやス ペインにおける人民戦線の動向が紹介されていた。この『世界文化』は読者が限 られていたため, 世界文化グループは一層大衆的な運動が必要である との見解に達 した。 こうしたなか,『京都ス タデオ通信』を発行 していた庶民的な俳優

,斎

藤雷太郎 と世界文化グループが協力することによ り隔週刊の新聞『土llE日』が刊行される。中井正一は

,巻

頭言を精力的に執筆するな ど,『土曜 日』に積極的に関わっている。一九二〇年代における同人雑誌を通 じた集団的な研究活動は

,一

方では集団的主体性 に関する中井の探求を深化させ

,他

方ではそれを反戦 ・反ファシズム文化運 動へ と導いた。 しか し

,一

九三七年十一月,『世界文化』 と『 土曜 日』に関与 した中井は治安維持法違反の疑 いか ら検挙 される。そ して一九四〇年十二月には懲役二年,執行猶予二年の判決が言い渡される。 京都で録護観察下の生活を送 りなが ら

,中

井は転向 と解釈 しうる文章を書 き綴 っている。 その後

,中

井は

,疎

開のため郷里

,広

島に移 ることになる。彼は尾道市立図書館長に就任 し, 敗戦を迎 える。終戦直後

,地

方では

,良

書は貨幣の代わ りとなって闇的物資の交換の方に流れて いた。農村の文化欲は飢渇のままに放任されていたのである。書物不足 という状況に直面 した中 井は自ら移動パソフレットと称 して農閑期に文化講座を開 く。 さらには羽仁五郎 らの講師を招い て夏期大学を組織するなど

,地

方文化運動を精力的に展開 した。 この ような活動を続けるうちに

,人

々の信頼を得た中井はやがて周囲から広島県知事の候補者 に推 され

,立

候補するに至る。 しかし

,結

,知

事選挙には落選・し

,地

方文化運動 も停頓期が訪 れる。その後

,羽

仁五郎の招 きに応 じて中井は広島を離れ

,一

九四八年

,国

立国会図書館の副館 長に就任する。その激務の傍 ら

,中

井はインフ ガメーシ ョン・センター としての図書館

,あ

るい は機能 としての図書館を論 じている。そして副館長就任から四年後の一九五二年五月

,胃

癌のた めこの世を去 る。 手短に中井正一の軌跡をた どってきた。かつて鶴見俊輔は

,中

井正一の思想全体を「抵抗

,転

,抵

抗 という三つの部分」に整理 した。それによれば

,一

九二〇年代の中井は「公人 として軍 国化に対 してたたかって言論の 自由をうばわれた」。 しかし

,一

九四〇年代の前半

,中

井は「私 人 としては戦争政策に組みする立場」へ と転 じてゆ く。いわゆる転向の時期である。そして一九 四五年の敗戦以後

,中

井は「大衆 とのむすびつきの中で民主化のための知識人の役割を果たそう とふたたび公人 として努力」した注2。 したがって

,思

想全体を把握するには

,中

井正一の「抵抗, 転向

,抵

抗」について議論する必要がある。 しかし

,本

稿では課題を限定 し

,転

向期以前の一九 二〇年代における中井正一を中心に論 じてゆ くことにしたい。 とりわけ

,本

稿では

,三

〇年代に 中井が発表 したテクス トを中心に彼の思想を再構成 している。その際

,メ

デ ィア と思惟形態に関

(3)

門部 昌志:中 井 正 一 再 考 わる問題系

,ま

た中井 における機能概念の受容及びその理論的諸帰結に注 目している。ただ し, テクス トが世界内的な存在だ とすれば

,テ

クス トの解釈はテクス トが書かれた時代情況 と結びつ くはずである。本稿では

,中

井のテクス トか ら理論的エ ッセンスを抽出するのみな らず

,三

〇年 代 というコンテクス トに中井のテクス ト及び実践を位置づけることにも留意 した。 ニ

メデ ィア と思惟 形 態 一九二七年か ら一九二八年注3にかけて『哲学研究』に発表 された初期の論文「言語」に見出せ るのは中井におけるメデ ィアヘの関心である。そこで彼は道具的言語観を否定 した後

,言

語媒体 の歴史 と思惟形態の変容

,

とりわけデ ィアレクティクの変容について論 じている。中井 自身がメ ディア という術語を明示的に用いているわけではない。 しかし

,中

井における言語それ 自体への 関心は

,知

覚に対するコミュニケーシ ョン媒体の効果を開 う

,今

日のメディア論的思考を想起さ せるものである。 論文「言語」の前半部分で中井は,「言語の概念的

,意

味志向的」研究のみな らず,「言語の芸 術的意味」の研究に注 目している。言語における芸術的意味の研究は概念的意味の研究か ら切 り 離 された ものではな く

,両

者は「交錯」 して成立する。中井正一は言語を伝達器 として見 る立場 を否定する。それによると

,従

,言

語は「単なる伝達器Vehikel」 とされていたが,「それが 単なる壷であったのではな くして

,酒

でもあった」のである。中井 に とって

,言

語は単に概念的 内容を伝達するだけの

,い

わば透粥なもの として考えられていたのではない。む しろ

,言

語その ものが「感覚的意味」を持ち うることが認め られているのである。一九二〇年代後半に発表 され た中井のテクス トか ら我 々が見出せるのは

,透

明な伝達器 としての言語

,あ

るいは意味の地平に 従属 した思考 といった ものではない。む しろ

,伝

達器 としての言語 という規定によっては隠蔽 さ れるほかはない

,言

語それ 自体への注 目である。中井 によって書かれた数多 くの文章が詩的な表 現に満ちてお り

,ア

フォリズム的な簡潔 さと深みによって読者を困惑させるのは

,中

井の言語観 が背景にあるもの と思われる注4。 道具的言語観 とは異なる地平において現れた言語 に対する関心は

,言

語媒体の歴史をめ ぐる議 論へ と展開する。論文「言語」のなかで

,中

井は,「話 されたる言葉」か ら「書かれた言葉」ヘ の移行 とその革命的な結果に注意を喚起 している。その際

,中

井が手がか りとしたのはギ リシア に関するS・H・プチャーの著作であった。 我 衆は

,近

代の世界で最 も遠 く及が影響を興へた妻明が印刷の妻明だ といふことを

,営

然のや うに考へてゐる。然 し我 々は

,古

代の世界が更にもつ と大 きい護見を一―書 くと い基術の妻見をしたことを

,時

として忘れる。 日言葉から字言葉への移 りゆ きは

,宇

言 葉か ら印刷された頁への移 りゆきよりも

,想

像力にとつて一層驚 くべ きことであ り

,そ

の結果に於て一層革命的であつた注5。 ブチャーによれば,「話 されたる言葉」か ら「書かれた言葉」への移行は革命的な結果をもた らした。彼の議論 を参照 しつつ中井が述べているのは,「書かれた言棄」によって生 じた「 思惟 の領域の変容」 として「問答」んゝら「説話」への移行が生 じた ということである。「問答」は, 言 うことと聞 くことか らなってお り

,二

者間における「 思惟の交易」である。 これに対 して, 「 説話」は

,一

つのこころの「 自己生産」であ り,「自己消費」である。「問答」 と「説話」 とい う対比は

,他

人に語 られる「外なる言葉」 と自らに語 りかける「 内なる言葉」 という対比で もあ る。要するに

,書

くことが要求 した思惟の領域の変容は

,中

井において

,二

者間における「思惟

(4)

の交易」 としての「 聞答」か ら「 自己生産」 としての「説話」へ

,他

人 に語 られ る「外 な る言葉」 か ら自己に語 りかける「 内な る言葉」への変容 として定式化 され る注6。 日承文化 か ら文字文化への移行 に並行す る「外 な る言棄」か ら「 内なる言葉」への変化 を指摘 した中井 は

,更

に「 印刷 された る言葉」への移行 と思惟形態の変化 について論 じてい る。 この段 階 ではデ ィア レクテ ィクに焦′くが絞 られ る。「 いわれた る言葉」 よ り「 書 かれた る言葉」

,さ

らに 「 印刷 された る言葉」への移行 と

,哲

学的問答法 としてのデ ィア レクテ ィクか ら汎論理主義的な デ ィア レクテ ィクヘの移行 とを中井 は重ね合 わせている。 もっ とも

,こ

こで確認 したいのは

,メ

デ ィア史的な図式 ではな く

,言

語媒 体の変容 と思惟 の変容 を関連づける発想が

,二

〇年代 におけ る中井 の著作 に見 出せ る とい うこ とであ る。 論文「 言語」 におけるメデ ィア と思惟形態 の問題系は

,論

文「 委員会 の論理」 で幾 つかの修正 を経 て再 び定式化 され る。 それによれば「 いわれ る論理」「 書かれる論理」「 印刷 される論理」は 古代

,中

,近

代 の文化 に対応 している。それ を実践のなかで再編成 す るのが「委員会の論理」 であ る。「 いわれ る論理」,「 書 かれ る論理」「 印刷 され る論理」 とい う言葉は

,中

井 の他の論考 に 散見 され るメデ ィア論的思考 と同様

,あ

る時代の思惟領域 が支配的な言語媒体 に よって決定 され るかの ような印象を与 える。 しか し

,仔

細 に検討す るな らば

,論

文「 委員会 の論理」 には単純 な 技術決定論 か ら逸脱 しうる箇所 も含 まれている。各時代の論理 と並行 して各時代の社会制度が記 述 されてい る こ とに注 目すれば

,各

時代の思惟 に対 す るメデ ィアの効果のみな らず

,社

会制度 の 効果 が考慮 されてい るこ とが感得 で きよう。 したが って

,論

文「 委員会の論理」では

,思

惟 に対 す る言語媒体の効果 とい う視点は単純 な形 での技術決定論的枠組みの中に位置づけ られてはいな いのであ る。他方,「 委員会 の論理」 における文化史的な図式 は

,上

部構造論 を思わせ る側面 も あ る ものの

,経

済決定論 や社会決定論 とも異な っている。 そ こでは

,社

会制度の転換期 において 特定 の観念 が果 たす媒介的役割が重視 されてい るか らであ る。 道具的言語観 を否定 し

,意

味 の地平 に従属 す るこ とを拒 む中井の言語論 は

,言

語媒体 の歴史ヘ と展 開 され,「 委員会 の論理」 では単純 な形 での技術決定論や経済決定論 とは異なる形 で定式化 された。私見では

,中

井正一 が素描 した メデ ィア史的図式 はあ くまで も図式 に とどまってお り, その妥 当性 については疑間の余地 があ る。 しか し

,中

井 の思考 がメデ ィア論的発想

,さ

らには メ デ ィア史的発想 を含み込 む ものであ ることは忘却 され るべ きではない。 この点 に関 して

,近

年 で は中井 の現代性 を強調す る議論 が存在 してい る。例 えば

,現

代 フランスの思想家

,レ

ジス ・ ドブ レによるメデ ィォ ロジーの発想 が既 に中井 によって先取 られていた とす る議論がそれである注7。 メデ ィォ ロジー との比較 によって中井 の問題提起の現代性 を再検討するには

,お

そ ら く

,別

の論 考 が必要 とな るはずであ り

,本

稿 の課題 を超 える。第二節 において我 々が確認 したのは よ り限定 された事柄 であ る。すなわち

,二

o年

代 か ら三〇年代 に至 る中井 のテ クス トには今 日の メデ ィア 論 的思考 が含 まれてお り

,中

井 の著作 は二〇世紀前半 におけ るメデ ィア論的思考の先駆的形態, あ るいは古典 として位置づけ られ うる, とい うことであ る。 三

中井エ ー にお け る機 能概 念 の受容 次に

,一

九三〇年前後における中井のテクス トに見 られる

,機

能概念の受容 とその論理的帰結 に注 目することにしたい。その帰結は

,第

一に

,関

係論的思考への移行であ り

,第

二に

,こ

れ と 結びついた形而上学的区別の批判注8でぁる。 この批判に伴 っているのは

,筆

者が相互転換の論理 とよが動態的な思考である。第二は

,技

術 と芸術の領域に対する関係論的思考 と三分法批判の適 用である。 この ような中井の思考は

,実

体 としての意識の否定へ と発展 し

,集

団的思惟機構の模

(5)

門部 昌志:中 井 正 一 再 考 索が開始 される。機能概念をめ ぐる問題系は,第二節で検討 したメデ ィア論的問題系の後 に現れ, 独立 して展開された もの とはいえ

,集

団的思惟機構の構想のなかで両者は交差することになる。 『実体概念 と関数概念』におけるカッシーラーによると

,実

体概念では

,記

1臆 表象か ら共通の 要素が抽象され

,そ

れを一つの類に結合することによって概念が生 じる注9。 この手続 きをより高 い水準 にまで繰 り返す ことによ り,「概念 ピラミッ ド」が現れる。そ こでは

,概

念の意味内容 (内包

)が

少な くなるにつれ

,概

念の適用範囲 (外延

)は

拡大する。 この操作を徹底化すると, 「 もっとも普遍的な概念は特筆すべ き特徴や規定性をもたない ということになる」。 ここで実体 概念は空虚で抽象的なもの となる。 この実体概念に対置されるのが関数概念 (Funktionsbegri■) である。それは概念対象間の

<関

>か

ら出発する思考を前提 とする。 この思考において

,個

々 の部分は分離されるのではな く

,体

系における関係構造で把握 される。事物はあ らゆる関連に先 行する自立的実在 として措定 されるのではな く

,観

念的な相互性における「関係頂」 となる。 今 日では関数概念 と訳 されている

,カ

ッシーラーのFunktionsbegriffは

,中

井の論考では「函 数」や「機能」 という術語で表 されている注10。 例えば,「互いに規定 し合ふ関聯的組織 に融合す る函敷形」等の表現 にそれはあ らわれてい る注11。 中井のカ ッシー ラー受容 における特徴 は , Funktionsbegriffを「機能」 とい う言葉に翻訳することで

,事

物を相互に依存する諸機能の複合 として定義 した点である。例えば

,窓

の概念は,円や四角などの記憶表象に基づ くものではな く, 通風

,展

,採

光の三機能の複合 として把握 される。本稿では詳述 しないが

,カ

ッシーラーから 関係論的思考を摂取 した中井は

,カ

ッシーラー とは独立に

,技

術や美学の領域に機能概念を適用 し

,独

自の議論を展開する。 カ ッシーラーの『実体概念 と関数概念』に中井が見出した論点は

,関

係論的思考のみではない。 中井はこの著作から

,形

而上学的区別の批判について も学んでいるのである。カッシーラーによ ると「形而上学 に特有の手続 き」は

,認

識の領域において相互的にのみ規定 される一対の観点を 分離 させること

,論

理的に相関するものを事物的に対立するものへ と解釈 し直すことである。形 而上学的区別に対 して

,カ

ッシーラーは分離 された「不動の境界」ではな く「不断に移 りゆ く可 動の境界」を問題 にすべ きだ と主張する。例えば

,認

識の現在の段階は,「過去の もの と較べて みれば『客観的』 と見えるの と同様 に

,将

来の ものに較べれば『主観的』である」。確かに

,こ

こでは客観

/主

観を分かつ境界線は不動の もの とは考えられてはいない。 形 而上学 的区別 に対す る批判 は中井 の著作 に も記 されてい る。 中井 に よれば,「 形而上學 は俸 統 的 に屡 々

,思

惟 と貸在

,主

観 と客観

,物

と精神等 を各 々分離封立 した『 もの』 として論 じす ぎ た」のであ り,「 現代 に於 け る唯物論的考 へ方 に も

,又

この形而上的解繹 を見 出さ しめ るものが 残 って ゐる」注毘。 ここで中井 は

,カ

ッシー ラー譲 りの形而上学 的区別 に封 す る批判 を独 自に唯物 論批判 にまで拡張 してみせてい る。 そ して

,主

/客

観 とい う対立概 念 について中井 は

,機

能概 念 よ りすれば

,む

しろ消滅 し解体 さるべ きとす る。両者 は 自立 した実体的存在 ではな く

,観

念的 な相互性 において与 え られ うる関係項 なのであ る。 カ ッシラー に とっては「 現在 の状態 は過去の それ に当 して客観 的 と考 へ られ る と同時 に

,現

在 の状態 は未茶 のそれ に比 して主観的 と考 へ られ る」注13。 主客 は分離すべか らざ る函数的関係 にあ り

,論

理 的関係点 との相違 に よって一 つの事柄 が主観的 とも客観的 とも考 え られ るのであ る。 ただ し

,あ

る法則 がさ らに進歩せ る広 い領域 に妥 当す る法則 に よってお きかえ られ る場合

,以

前 に客観 的 と考 え られた ものが ま った く主観 的 な ものへ と変化 して

,総

ての客観性 を失 うのでは ない。以前 に無制約的 に妥 当であ った ものは

,一

定条件 の範 囲に制限 された もの として把握 され

(6)

るのであ る。 中井 は これを「妥 当の階段性」 と呼が。 比較 され る他の もの との関係 に よって対立物 に相互的転換 を生 み出す思考

,筆

者 は これを相互 転換 の論理 と呼んでいる。興味深 いのは中井 が この相互転換 の思考 を他の問題 に転用 している点 であ る。例 えば

,注

意深 い読者 であれば

,中

井 の文章 か ら

,現

実 と非現実の相互転換

,あ

るいは 芸術//)F芸 術の相互転換 な どとい った

,現

代的 な論 点を見 出す ことが可能であろ う。近年

,メ

デ ィア研究 において三分汝批判 の意味 におけ る「 収蝕」 の問題 が提起 されているが注

M,中

井 にお け る相互転換 の思考 は

,対

立 が収微 す る側面のみな らず

,収

敏 した状態 か らさ らに分裂 が生 じる 側面 に注 目している点で際立 っている。 四

集 団的 思惟 機 構

:新

聞 と映 画 すでに見たように

,実

体概念か ら機能概念への移行は関係論の導入や形而上学的区別の批判な どの理論的移動を中井に要請 した。次に注 目したいのは

,機

能概念の導入による模写概念の変化 であ り,そ れによって導かれた実体 としての意識の否定,さ らには集団的思惟機構の構想である。 中井によれば

,外

界の物が意識に鏡のように映される という従来の模写概念は

,機

能概念の見 地では放郵 される。物は実体ではな く機能的関係において とらえられ

,諸

要素を全体的体系にお いて把握する「思惟的配置」が新たな意味での模写 となるのである。模写は

,外

界にある関係以 前の物を意識に映すことではな く

,機

能的関係 としての物 と思惟的配置 との対応関係 と考えられ る。 この意味で理解された模写は

,今

,し

ば しば紋切型の批判がなされる単純化された反映論 と異なるのは言 うまで もない。 実体概念の否定は

,実

体 としての物を映 し出す実体 としての意識を否定することでもある。意 識は もはや実体 としてではな く,「行為において発見されたる関係の構造」 としての射影

,あ

いイよ「 行動の射影的関係」 として把握される。射影 とは意識体験そのものではな く, リアルな事 物がパースペクティヴにカットされて現出する仕方である。意識は「全世界系列を射影 しうる可 能構造」であ り,「行動の射影的関係」である。 この時

,意

識の射影構造 を媒介するのが 自然構 成 としての身体であ り

,そ

の身体の機能を拡大するのが道具 と機械である。 ここで知覚はもはや 身体のみな らず

,道

具 と機械を含めて考慮 されている。論文「芸術における媒介の問題」(一 四七年

)一

―戦前に中井が行 った講演をもとにした論考――では

,機

械時代における射影機構の 姿が次の ように描かれている。「今や

,歴

史的段階は

,個

人的意識段階を乗 り越 えて

,集

団的意 識段階に向かいつつある。………機械的技術を中に含めて

,レ

ンズ

,フ

ィルム

,電

,真

空管

,印

刷な どの機構を貫いて

,物

質的感覚 ともいうべ きものが

,集

団人間の感覚 として

,表

,観

照の 要素 とな り始めた。それ らの感覚要素を素材 として委員会 という近代的集団的思惟の機構は

,個

性単位の意識 を越 えたる新たなる性格を

,人

間社会 に導入するにいたった」。中井は

,個

人を実 体的に把握 し

,個

人的意識の集合体 として委員会を位置づけたのではない。彼は

,実

体 としての 意識を否定 した上で

,メ

デ ィアに媒介された集団的思惟の機構を構想 していたのである。また , ここでは身体のみな らず機械を含めて知覚が捉えられてお り

,し

かも

,知

覚は集団の次元におい て考察 されている。 メディアに媒介された集団的思惟機構 という視点から中井のテクス トとそのコンテクス トを再 検討する際に気が付 くのは

,新

聞『土躍 日』における実践

,そ

して映画の受容をめ ぐる理論が集 団的思惟機構 と密接な関連をもつ ということである。隔週刊の新聞『土曜 日』における実践は, 従来は

,反

ファシズム文化運動 という政治的文脈で語 られてきた主題であるが

,そ

れはまた集団 的思惟機構の実践 としての理論的意味を持ちうるのである。次に

,繋

辞の欠如に関する中井によ る映画の受容理論 もまた集団的思惟機構の一構想 と考えられる。新聞をめぐる実践 と映画の受容

(7)

門部 昌志:中 井 正 一 再 考 をめ ぐるこれ らの問題は

,一

見 した ところ異なる次元の問題の ように思われ

,実

,従

来は両者 を関連づける試みはなされてこなかった。 しかし

,こ

こでは

,異

なる領域を横断 しつつ理論 と実 践の往還を通 じて発展する思考の運動 に注 目し

,こ

となる問題の接点を探 ることにしたい。 まず注 目したいのは新聞『土曜 日』である。美学の理論研究をめざす同人雑誌『美・批評』は, 瀧川事件の影響 によって

,学

問的 自由の擁護 を掲げる第二次『美 ・批評』 となる。 この第二次 『美・批評』はさらに反ファシズム文化運動である『世界文化』へ と発展する。いわば文芸的な 議論の空間は政治的な色彩を帯びることとなった。政治化されてはいたが高踏的な限界をもって いた『世界文化』に加えて創刊されたのが大衆的な新聞『土曜 日』である。軍国主義的風潮に共 感する民衆 と批判的知識人の分裂 とい う時代状況にあって,『土曜 日』は送 り手 と受け手

,又

は 執筆者 と読者を交叉させることで

,知

識人 と大衆の分裂を乗 り越 えようと試みた。ただ し

,執

筆 者 と読者がそれぞれ知識人 と大衆に対応するのではない。執筆者 と読者の双方は一枚岩ではなか ったか らである。狭義の執筆陣は

,唯

物論者 と自由主義者を含む世界文化グループ と『京都スタ デオ通信』を発行 していた庶民的な映画俳優

,斎

藤雷太郎の合流か らなっていた。他方

,読

者, 及び投稿 という形式における広義の執筆陣にも

,学

生や勤労者

,女

性が含まれていた。 さらに大 阪や京都の喫茶店 に置かれ

,時

には読者 によって遠方 に運ばれることもあった とい う意味で, 『 土曜 日』が生み出す議論の空間は

,都

市のみな らず地方への広が りをもっていた ことになる。 女性や労働者をもまきこんだ議論の空間であ り

,地

方への広が りをもっていた とい う点で,『上 曜 日』を多元的公共圏 という視点か ら検討することは興味深い課題である。 もっとも

,女

性によ る投稿の数は次第 に減少 し,『土曜 日』それ 自体が学生 とインテ リの遊び として椰楡 される事態 も生 じている。複数性をは らんだ議論の空間を創出する『土曜 日』の試みを過度に理想化するこ とは避けるべ きである。 ここで確認 したいのは

,第

一に

,多

元的な議論の空間を創出する『土曜 日』の試みは

,単

に実 体 としての個人の集合 としてではな く

,集

合的思惟の形態 として捉えるべ きだ, ということであ る。『土l12日』は

,単

に政治的な実践であるばか りではな く

,メ

デ ィアに媒介された集団的思考 の形態なのである。第二に,『土曜 日』 における政治的実践は

,中

井に とって集団的芸術をも意 味 していた。『土曜 日』に参加する以前

,中

井は

,新

=芸

術論を展開 していた注る。それによれ ば

,ま

,新

聞は文学 として把握 される。当時の新聞は企業的利潤に制約されているとは言え, リア リズムを重視する立場か ら中井は新聞をルポルタージュとして

,文

学 として把握するのであ る。次に

,新

聞において複数の記事が酉己列されていることか ら中井はフ ィルムのモンタージ ュを 想起 し

,そ

こに新たな リア リズムの企画性を見出している。 このように

,中

井 にとって

,新

聞は 集団的芸術であった。新聞における記事の配列が映画におけるフィルムのモンタージュに比較 さ れていることは重要である。ここで,中井 による映画の受容理論 について確認することにしたい。 論文「思想的危機 における芸術な らびにその動向」(一九三二年

)で

中井は

,専

門化過程の徹 底によって逆説的に生 じた大衆化

,さ

らに芸術の領域で進行する商品化 といった三〇年代の思想 的危機を分析 している。 この思想的危機においては個人主義機構か ら集団主義機構への転換が進 行 してお り

,そ

れに追いつき追い抜 く美学を構築する手がか りとして中井が注 目したものが映画 である。 しかし

,中

井は映画を無批判 に肯定 したわけではない。「 コンティニ ュイティーの論理 性」(一九三六年

)で

,タ

イア ップした産業による大衆の動員 と周‖致を中井は批判 した。フラ ンクフル ト学派の文化産業論 と関連する主題である。しかし,中井はペシミズムに陥ることな く, 観客による映画の受容に小さな可能性を見いだそうとする。 この問題は

,戦

後の『 美学入門』に 継承 される。 中井によれば「遠近法の空間」は

,確

立 された個人の視点を前提 とし

,そ

れによって全世界の

(8)

体系が構成 される近代の空間である。そこでは

,世

界の観察者 としての主観が確立 されている。 これに対応する表現が絵画である。次に「図式空間」は

,絵

画の危機以降に現れたものであ り, レンズの見方によって構成 される世界像に対応する。個人の視点を軸 として構成される「遠近法 の空間」 とは異な り,「図式空間」で世界を構成するのはレンズの見方

,い

わば物質的視覚であ る。カン トは感覚を主観的なものだ としたが

,こ

の物質的視覚は主観的な ものではあ りえず

,物

質の制約をうけるのである。物質的視覚は映画の特徴の一つでもあるが

,映

画の場合

,フ

ィルム が編集 される点が異なっている。換言すれば

,映

画では表象の結合において客体の制約をうける のである。 ここで問題 となるのが「切断空間」である。映画では

,カ

ットとカットが結合される 際

,文

学の ような「 である」「 でない」 といった繋辞が欠けている。 レンズの見方か ら構成 され る世界像 としての「 図式空間」は

,映

画の場合

,繋

辞なしの「切断」によって結合されているの である。制作者が意図をこめてカ ットとカットを繋 ぐこと

,あ

るいは トーキーや字幕が繋辞の役 割を果たす可能性 もある。 これ らを前提 としつつも

,中

井は

,繋

辞なきフィルムの切断を連続す るのは大衆の歴史的意欲であ り

,歴

史的主体性だ と主張する。 中井による映画理論の場合,創 作の仕上げを観客が行 うという意味での相互性や集団的「製作」 が言及 されている。 これは映像テクス トの受容における相互性であると言えよう。 ここで

,新

聞 『土曜 日』において積極的に導入された読者投稿 と映画理論 において構想された繋辞の欠如をめ ぐる問題の相違を整理することにしたい。新聞『土曜 日』における読者投稿は

,テ

クス ト生産の 局面における執筆者 と読者の相互性を実践 した ものであ り

,そ

れはテクス トの集団的な生産 とし て考 えられる。他方

,映

画理論の場合

,映

像テクス トの集団的生産 という論点に加えて

,受

容 と いう局面 における観客のテクス ト構築が言語化されていたことになると16。『土 l12日』の実践 と映 画理論を比較 した場合

,後

者では受容 という論点が新たに付加されているもの と考えられる。 中井の映画論では

,テ

クス トの生産 と受容 という重層的な集団的過程が語 られていた。注意す べきなのは

,そ

れが単に個人の集合ではな く

,主

観の崩壊を前提 としていることである。個人の 主観によって構成 される近代的世界像 としての「遠近法の空間」の後に現れ

,レ

ンズによって構 成される世界像が「 図式空間」であった。繋辞なき映画の「切断空間」では

,カ

ットとカットが 観客によって結合される。 これはメデ ィアのもた らす物質的感覚 と人間的判断の結合からなる集 団的知覚である。それは単に個人的主観の集合体であるのではな く

,主

観の崩壊以後に模索 され た集団的な知覚の形式なのである。 ここに中井における集団の一つのモデルを見出すことが出来 るであろう。委員会 という言葉か ら我 々が想像するのは

,対

面的なコミュニケーシ ョンを行 う小 集団である。 しかし

,中

井による『土曜 日』の実践や映画の受容理論を考慮に入れるな ら

,対

面 的相互作用を行 う文字通 りの委員会のみな らず

,空

間的には隔たっているものの

,メ

ディアによ って媒介された集団的思惟機構へ とイメージを拡張することができる。 ここは

,主

観の解体

,及

び集団的知覚 というメディア論的問題 と集団的相互行為 というコミュニケーシ ョン論的問題が交 差する地′くである。 集団や委員会について考慮する際

,機

能概念に対する評価の変化についても触れなければな ら ない。既 に確認 したように

,論

文「委員会の論理」以前

,中

井は関係論的思考を導入 していた。 したがって

,中

井における集団や委員会は単に実体的な ものの集合や部分の総和 としての全体 と してではな く

,相

互 に規定 しあう関係論的な組織 と看徴す必要がある。 しかしなが ら

,中

井の委 員会は個が全体に規定される一枚岩の構造ではないのである。戦後の文章において

,機

械時代に 適応 した理論では主観が解体 し「意識のない関係構造」に全体が溶解するのだ と中井は述べる。 他方,「委員会の論理」 に含まれた弁証法的発想を

,後

,中

井は機械時代に抵抗するもの と位

(9)

門部 昌志:中 井 正 一 再 考 置づけている。論文「委員会の論理」において機能の論理が持つ価値は限定的なもの となってい るのである。そして重要なのは

,委

員会は全体のなかに個が溶解する一元的な関係構造 とは考え られてはいない, という点である。 ここで注 目されるのが主体性に合まれる分裂の契機である。 中井において弁証法的主体性は自己関係的な否定によって分裂する過程であった。それを組織 に適用 した ものが集団的主体性である。無限に回帰する分裂の過程 という発想は「委員会の論理」 にも含まれてお り

,そ

れは集団的コミュニケーシ ョンの次元における提案

,計

,報

,批

判 と いう循環的な過程に対応する。委員会の集団的コミュニケーシ ョンにおける分裂は静態的な関係 構造 に抵抗するものである。『土曜 日』における読者投稿の試みは この分裂の契機 に対応するも の と考えられることであろう。 注

(1)中

井正一「集国美の意義」『大阪朝 日新聞』一九二〇年七月六 日。

(2)鶴

見俊輔,「解説」久野収編『 中井正一全集4』 美術出版社

,一

九八一年

,二

五七頁を参照。 なお

,公

人 と私人を区別する点については批半Jもある。

(3)一

九二八年はソシュール『一般言語学講義』の小林英夫による翻訳が刊行 された年で もあっ た。 これ以降

,中

井の論考 にソシ ュールの名が散見 されるようになる。例えば,「発言形態 と聴取形態な らびにその芸術的展望」(一九二九年),「意味の拡延方向な らびにその悲劇性」 (一九三〇年

)な

どである。

(4)本

稿では

,中

井による詩的記述を詩的記述によって語 るという方法を回避 した。確かに

,道

具的言語観を否定する立場か ら詩的実践 に赴 くことは遂行的矛盾を避ける一方策である。け れ ども

,詩

的実践への耽溺はある種の貧 しさを生み出す危険性がある。 (5)S・H・プチ ャー著

,田

中秀央 ・和辻哲郎他訳『ギ リシア精神の様相』岩波文庫

,一

九四〇年, 一五八頁。なお

,初

版は一九二三年。

(6)「

外なる言葉」 と「 内なる言葉」の「溶融」をア リス トテレスに見 出している とは言 え, 「外なる言葉」 と「 内なる言葉」 という三分法的対比はやは り図式的である。 しかし

,こ

の 主題は

,論

文「委員会の論理」においてより精緻化 されて回帰する。そ こでは,「討論」 と 「思惟」へ と術語が変更されるのみではない。両者の区別のみな らず

,連

続性が析出されて いるのである。

(7)こ

の議論は

,

ドブ レの著作への書評 において上野俊哉が中井 に言及 した ことに端 を発する (上野俊哉「 レジス・ ドブレの『 メデ ィオロジ ック宣言』を読む」『Inter cOmmunication』, 十二号

,一

九九五年)。 その後

,佐

藤晋―は

,中

井を主題 とした二番 目の著作のなかで

,中

井 とドブレの一致点を強調 している。「両者 とも期せず してメデ ィアの技術的な進展を論 じ るのではな くして

,そ

の進展 ・革命が社会的 ・歴史的な影響力を持ち

,人

間の生存の仕方に まで

,従

って思考それ 自体の変革にまでそれが及が ということに焦点を定めて論 じているの である」(佐藤晋一『 中井正一 。「立法主体」の論理学』郁朋社

,二

〇〇一年)。 もっとも, 新 しい思想 との関連か ら中井の現代性を指摘する試みはこれ以前にも繰 り返 されてお り

,流

行思想に結びつけて中井を再評価する試みは中井の思想にはそ ぐわない との批判 もある。私 見では

,新

たな思想 との比較検討か ら中井研究に新視点を導入 し

,従

,見

落 とされていた 点を浮 き彫 りにする試み自体は全否定 されるべきもの とは思われない。 しかし

,両

者の同一 性のみが強調され

,微

細な差異性が隠蔽されることは深刻な問題を生み出す。 ドプレと中井 の同一性のみが指摘 されるのであれば

,中

井を研究することの意義は雲散霧消 しかねないの であ り

,両

者の差異があってこそ中井を研究する意義が生まれるもの と思われる。今後の課

(10)

題 としては

,

ドプ レ と中井 の類似性 を指摘 す る段階 を超 え

,両

者 の微細 な差異 を問題 にす る 必 要 が あ る。 な お

,

ドプ レの主 著 として次 を参 照 。

Debray,R.,Cθ

%熔 冴ι″ ″ ケο′οξケι Gケ%彦紹鬼 ЁditiOns Galhmard,1991.

(8)二

元的対立への批判 という点では

,中

井が「機能概念の美学への寄与」を書 く二年前の一九 二八年

,す

でにジンメルの『カン トとゲエテ』の翻訳書を刊行していた谷川徹三の仕事が想 起される。

(9)エ

ルンス ト・カッシーラー

,山

本義隆訳『実体概念 と関数概念』みすず書房

,一

九七九年。

CO

山本義隆が「関数」 という語を採用 した後 も,「機能」 という術語を選が

,馬

原潤二のよう なカッシーラー研究者が存在していることを付記しておく。 1つ 中井正一「機能概念の美學への寄異」『哲学研究』

,一

九二〇年

,四

三頁。 こ

D

同上

,四

四頁。 こ

9

同上

,四

六頁。

こゆ Livingstone,S.M.,“ The Rise and Fall of Audience Research:An 01d Story With a New

Ending", inヽ Iark R.Lew and ttlichael Gurevitch(ed),Dゲ ケ%ケη▼〕抱′ケαS励′ぢ偽f Rttπttοηs

θ

%励

ιF%励

%げ

励ιF'ιOxford universiサ PreSS,1994,pp.247-254.

t9

中井正一「藝術の集国性 『壇』の解機について (その四)」『大阪朝 日新聞』一九三二年一 月二十二 日。

tO

新聞における記事の配列がモンタージュのメタファーで語られていたことを想起したい。中 井 自身は明示的に述べてはいない とはいえ,『土曜 日』においてもまた受容の局面における 記事の結合 という問題を考えることが出来るのである。 参考文献 中井正一

,久

野収編『美 と集団の論理』中央公論社

,一

九六二年。 一―――

,辻

郡政太郎編『生 きている空間―主体的映画芸術論―』てんびん社

,一

九七一年よ ――一―

,中

井浩編『論理 とその実践―組織論から図書館像ヘー』てんびん社

,一

九七二年。 一―――

,富

岡益五郎編『 アフ ォリズム』てんびん社

,一

九七三年。 ――一―,『美学入門』朝 日新聞社

,一

九七五年。 一―――

,久

野収編『 中井正一全集

1

哲学 と美学の接点』美術出版社

,一

九八一年。 一―――

,久

野収編『 中井正一全集

2

転換期の美学的課題』美術出版社

,一

九八一年。 一一――

,久

野収編『 中井正一全集

3

現代芸術の空間』美術出版社

,一

九八一年。 一―――

,久

野収編『 中井正一全集

4

文化 と集団の論理』美術出版社

,一

九八一年。 一―――

,鈴

木正編『増補 美学的空間』新泉社

,一

九八二年。 ――一―

,長

田弘編『 中井正一評論集』岩波文庫

,一

九九二年。

参照

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