1920 年代における地方財政問題の再検討―地方団体からみた両税委譲問題の一側面―
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(2) 80. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (362). については大変厚い蓄積が存在する.本稿では. 減政策への反対と国庫負担金の増額を求めた運. そのすべてを取り上げることはできないが,池. 動は,全国町村長会の誕生をともないつつ,地方. 上(1986)がこの問題に関する議論をまとめて. 団体から国政を動かす大きなムーヴメントになっ. いる.そこでは,①地方分権の観点から両税委. た.しかし両税委譲案をめぐっては,1929 年にか. 譲案を地方分権的,一方で国庫負担金を中央集. けて国政の場では華々しく論議されたものの,農. 権的とし,両税委譲案の挫折を古典的地方自治. 村部を巻き込む大きな運動には発展しなかった.. 4). の破たんと論じる見解 ,②両税委譲案が社会. なぜ大きく地方団体を巻き込んだ動きが現れ. 政策的効果による中産階級保護を実現するため,. なかったのか.このことを明らかにするために. 1926 年税制改革の効果を拡大するための行政技. 本稿では,これまでの研究で指摘されていたよ. 5). 術であったという見解 ,③政友会の都市財政へ. うな都市と農村の格差だけではなく,農村部の. の接近から社会政策的統合をみて,民政党の. 地域間の格差問題を検討する.両税委譲案をめ. 議会主義的統合との対抗という構図を用いる. ぐる議論を財政が困窮する農村部の地方団体の. 見解6),④政友会と民政党の農村対策が類似化し,. 問題と位置づけ,地租委譲がなされた場合の農. 両者とも農業者の支持を得られなかったとする. 村部に与える影響を検討することで,なぜ 1929. 見解7),⑤両税委譲案の挫折が所得税の停滞,軍. 年では地方団体側の国政に対する制度改革の要. 縮の不徹底のもとで,金解禁を目指すための緊縮. 求が強く現れなかったのかを明らかにしたい.. 政策を要求した 1920 年代の経済政策との衝突が. そこで本稿はまず第 2 節で全国的な中央・地. あったためとする見解 ,が存在すると整理した.. 方の財政状況を確認し,両税委譲案が誕生する. 8). また近年の研究として,佐藤(2014)はこれま. 原因となった社会・経済状況の変化をみたい.. での財政史分野を中心になされてきた両税委譲. 第 3 節では,地租委譲案が議論される前提とし. 案の研究を,政治史の視角から捉えなおし,貴族. て,町村がどのような財政状況であったのかを. 院に強い影響力を持つ床次竹二郎との提携によ. みていく.そして第 4 節で両税委譲案をめぐる. り政権の安定を図ろうとした,田中政友会内閣の. 議論の経緯を把握し,地租委譲案の農村部への. 政治的妥協のもたらしたものであると指摘した.. 影響を検討していきたい.. 両税委譲案についてのこれら先行研究では,こ の問題が中央・地方の政府間財政関係のなかで. 2.1920 年代の地方財政の状況. どのように位置づけられるのかを中心に検討され. 2―1 中央政府と地方政府の財政状況. てきた.そして基本的に中央政府の観点から政府. まず,本項では 1920 年代における中央・地. 間財政関係を検討している研究が多く,地方団体. 方の財政状況を概観する.. について触れているものも,主として地租委譲に. 第 1 次世界大戦によって日本は一定の工業化. よって都市部と農村部における財政力格差が拡. を遂げ,経済成長は同時に中央・地方を通じた. 大することに関する議論を指摘するに留まってい. 政府歳出の大きな拡大をもたらした.表 1 は,. る9).1923 年の原政友会内閣による義務教育費削. 第 1 次世界大戦期であった 1918 年から 1920 年. . 4)藤田(1949),宮本(1961). 5)大内(1929),田中(1976)など. 6)小路田(1982). 7)宮崎(1980). 8)金澤(2010). 9)な か で も 金澤(2010)や 佐藤(2014)が 地 方間の格差について考察している.ただし金澤は. 代の中央・地方(総計),そして町村の歳出の 推移を示したものである. まず,中央政府の歳出の推移を見たい.1920 . 都市部と農村部の格差拡大について,第 1 次世界 大戦後期以降は拡大していないことを明らかにし ている..
(3) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). (363). 81. 表 1 中央,地方政府と町村の歳出の推移. (単位:千円,%). % % % % % % % % % % % %. % % % % % % % % % % % %. % % % % % % % % % % % %. 出所 『明治大正財政詳覧』,『財政経済統計年報』,及び『内務省統計報告』各年版より作成 .. 年代は積極財政を基調とする政友会と,緊縮財. のであったのだろうか.第 1 次世界大戦による. 政を 基調 と す る 憲政会=民政党が交互に政権. 経済発展は国民生活の向上のみならず都市部と. を担っていた政党政治期であった.しかし表 1. 農村部の間での経済格差を拡大させ,小作争議. をみる限り,極端な膨張や緊縮はないことがわ. や労働争議などが発生する状況をもたらしてい. かる.第 1 次世界大戦後の軍縮ムードのなか,. た.このような社会・経済的状況に対応し,地. 1922 年のワシントン軍縮による海軍の軍縮や. 方団体は行政サービスの拡充を図り,公衆衛生. それに呼応するかたちで行われた陸軍の山梨軍. や道路などのインフラを整備し,さらに産業の. 縮,宇垣軍縮 を へ て,1920 年代 の 中央政府 の. 振興に関与し始めていた一方で,中央政府は国. 財政支出は緩やかな変動を示していた.1929. 庫から一定の補助を出すかたちで実施を促して. 年からはじまる浜口民政党内閣による金解禁に. いたにすぎなかった11).. 伴う緊縮政策まで,基本的には積極とも緊縮と. 地方歳出(総計)と町村歳出の推移も見てお. もいえない程度に推移していた10).. き た い12).地方歳出(総計)で は 1918 年 か ら. では一方で,地方財政の状況はどのようなも . 10)原(1981)は,政友会の積極財政と憲政会・ 民政党の緊縮政策はその志向していた政策に明確な 差異があるとしながら,1924 年の憲政会政権では関 東大震災への対処の必要,1927 年の政友会内閣では 財政難の深刻化に制約されるかたちで,ともに緩や かな膨張を基調にした財政政策という大きな差異の ない財政政策を行うことになったとしている.. . 11)1888 年 の 市制町村制 で 中央政府 は 地方団 体に行政事務の一部を任せるようになったが,こ の 国政委任事務 は そ の 後次第 に 規模 を 大 き く し, 地方財政の大きな部分を占めるようになっていっ た.とくに第 1 次世界大戦後はこれが増大し,国 庫補助はそれを推進する手段となっていた.(藤田 (1949: pp. 292─310) ) 12)ここでの地方歳出とは,道府県と市町村の 歳出の総計のことである..
(4) 82. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (364). 140 120 100 80 60 40 20 0 1918. 1919. 1920. 1921. 1922. 1923. 1924. 1925. 1926. 1927. 1928. 1929. 1930. 年平均卸売物価指数(1921年=100) 出所 『明治以降卸売物価指数統計』より作成 .. 3,000. 2,500. 2,000. 図 1 1921 年を 100 とした年平均卸売物価指数の推移. 1,500. 1,000. 500. 昭和恐慌 が 起 こ る 前 の 1928 年 の 10 年間 の う. 増した時期を除き物価は一貫して下落しており,. ち,10% を大きく超える高い伸びを示す年が. 1921 年の 100 と比較して昭和恐慌前の 1928 年は. 6 年ある.町村の歳出は,地方歳出(総計)と. 85 と,物価はおよそ 15% 下落していた.そして. 同様に増加しており,同様の期間で 10% を超. この物価の下落は米価の下落も意味しており14),. える伸びを示す年は,4 年ある.中央政府との. 農村はその主たる作物であった米作から得られ. 比較では,第 1 次世界大戦後の物価騰貴が落ち. る収入を減少させていたことになる.. 着いた 1921 年から昭和恐慌が起こる前の 1928. このように物価が下がるなかで,同時期に町. 年までの伸び率を見ると,中央歳出は 21.8%,. 村は歳出を 44.9% 拡大させている.すなわち町. 地方歳出(総計)は 75.2%,そして町村歳出は. 村財政では,歳出が増加していくにもかかわら. 44.9% であり,中央に対する地方歳出の増加が. ず,経済状態が上向かないという状況が起こっ. 13). 顕著にみられる .. ていた.それゆえこれまで 1920 年代の地方団. ここで,この時期の物価変動を確認したい.. 体,とりわけ町村財政は困窮していったとされ. それは物価の変動が,実質的な行政サービスの. たのであった15).ではこういった状況に対して,. 増加を伴わない,名目的な財政支出の増加を見. 税制など中央・地方の負担構造についてはどの. せているかもしれないからだ.図 1 は,年平均 卸売物価指数の推移を示したものである.第 1 次世界大戦後の物価騰貴は,大戦後不況の始ま りとともに下落に転じ,1923 年と 1924 年に微 . 13)第 1 次世界大戦後 の 工業化,都市化 が 地方 財政の膨張をもたらし,町村財政もこの傾向にあっ た.(坂本(1989: p. 84)). . 14)同じように 1921 年から 1928 年にかけての 米価指数の変動をみると 0.8% の微増となってはい るが,これは米価暴落後の価格をもとにした場合に なる.米価が一定程度回復した翌 1922 年から 1928 年にかけての変動をみると,11.7% の下落となって いる. ( 『明治以降卸売物価指数統計』p. 437) 15)従来の見方としては,藤田(1949: pp. 316 ─ 317)が代表的な見解である.. 0.
(5) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). ような議論がなされていたのだろうか.. (365). 83. じて,膨張する歳出に対応しようとしたのが, 1920 年と 1926 年の税制改革であった18).. 2―2 1920 年代の税制改革・両税委譲案誕生の 経緯. 1920 年の税制改革では,原政友会内閣による 軍備拡張を中心としたいわゆる政友会的積極財. 次に第 1 次世界大戦後の社会・経済構造の変. 政への対応として,税収の増加が要求されてお. 化のなかで,中央・地方の膨張する財政支出に,. り,所得税の整理,増徴と酒税の増徴が主要な. 中央政府が税制改革などを通じてどのように対. 改正の対象とされた19).しかし軍拡に対応する. 応しようとしたのかを確認する.. 増税には成功したものの,地域間格差を是正す. 明治期 に 形成 された租税体系は,周知のよ. る根本的な税制整理という課題は残されたまま. うに地租や多くの個別消費税を主体としてい. であった.. たため,一定の工業化を遂げた日本にとって,. こういった状況のなか,1919 年 7 月に原政友. 時代 の 要請 に 応 え ら れ な い 税制 に なって し. 会内閣のもとに設置された臨時財政経済調査会. まっていた.これらの租税は景気に対する税. は,第 1 次世界大戦後の変動する国際情勢に対. 収弾力性に乏しいため,経済状況に応じて税. 応するという必要からその設立が要請され20),. 収は伸びにくく,さらに工業の発展とともに. 第 5 号諮問において税制整理についての論点を. 都市と農村との経済力格差が拡大している状. 議論した.後述するように,ここで国税の地租. 況では,土地所有者に重課される従来の税制 は逆進性を強める状態となっていた.この経 済力格差 は,直接国税 の 負担額 の 格差 で 確認 できる. 第 1 次世界大戦前後期の一人当たり直接国税 納税額の推移をみると,1914 年の 6 大府県にお けるそれは 4.3 円で全国平均の 2.7 円に対しおよ そ 1.6 倍であったが,1919 年には 13.6 円と大き く伸び,全国の 5.8 円に対し 2.3 倍を超え,格 差は広がっていた.一方,1919 年の市町村税を みると 6 大府県は 4.8 円で全体の 4.1 円に対し約 1.2 倍にすぎず,とりわけ市町村税における農村 部の地方団体の負担が相対的に大きくなってい ることが問題にされるようになる16). 日露戦後の中央政府の税収を増やす試みは, 便宜的 な 増税 や 新税創設17),あ る い は 軍縮 な どの歳出の削減を図る財政整理によっていた が,とくに経済発展に応じた税収入の確保を通 . 16)各数値は『主税局統計年報書』1915 年版お よび 1920 年版による.またこの問題は,1920 年代 の小作争議の増加の原因として指摘されていた問 題でもあった. 17)宮本(1960: p. 170). . 18)つまり地租,営業税,あるいは多数の個別 消費税ではなく,所得税を基幹的な課税対象とし て税制を整理するものであるが,この問題はこの 後,長い間税制をめぐる議論のなかで検討された が,その解決は 1940 年税制改革まで待たなければ ならなかった.同時に地方財政との関連から地方 税を付加税主体から独立税主体に整理する議論も 同様であった. 19)第 1 種所得税(法人)についてはこれまで の会社規模別に課税率を決める方法から配当所得 などの所得を 4 種に分けて課税する方法に,第 2 種所得税(利子)は従来の公債と社債に預金の利 子 を 含 め,第 3 種所得税(個人)は 課税最低限 が 引き上げられ累進性が強められた.これによりの ちに所得税は第 1 種の占める割合が減り,第 2 種 と第 3 種で 3 割程度だったものが 6 割を占めるよ うになる.これらをもってこの改革が資本蓄積を 助長し,かつ社会政策的効果が指摘できるものの, 一方で酒税の増徴を行うなど,その効果を相殺す る も の も 含 ん で い た と さ れ る. (阿部(1933: pp. 352─355) ) 20)第 41 議会衆議院本会議(1919 年 2 月 10 日) に お い て,犬養毅(国民党)は「財政就中最 も 力 を税制の上に向けて行きたい…内務当局に於かれ ては社会政策の研究,其他段々御調になって居る やうでありますが…総てのものが根本から立て直 さなければならぬと云うことが,出来はしないか」 と,税制改革の議論を政府だけではなく,広く人 材を集めて行うべきとした.(『帝国議会衆議院議 事速記録』第 35 巻,p. 150).
(6) 84. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (366). や,営業税を地方税にするため委譲する両税委. かでとくに議論されたのが両税委譲案であった. 譲案がはじめて議論の俎上に載せられた.さら. のだが,次節ではその前提となる当該期の農村. に直接税体系を,所得税を中心としたものとす. の財政状況を概観する.. るためにいかなる補完税をもちいるか,またそ のために間接税,数多ある地方税を整理し国税. 3.義務教育費国庫負担金と農村財政. を含めて階層間の負担の均衡をどのように進め. ここまで地方財政の状況を概観し,それを取. ていくのかが議論された.とりわけ農村部の負. り巻く状況をおもに税制改革をめぐる議論から. 担軽減という意味では,地租を市町村に委譲す. 考察してきた.それでは,困窮していたとされ. ることで戸数割を軽減することが期待されてい. る町村財政とはいかなるもので,かつどのよう. た.. に 1920 年代,町村財政が運営されていたのか. 最終的には両税を委譲した場合の減収補填が. を検討したい.. 期待された財産税の採用をめぐって利害調整が. 表 2 は 1920 代の町村歳出の推移を示したも. できず,最終案ではなく参考案というかたちで. のである.町村の歳出は 1923 年の減少を除き,. 答申がなされた.その後,第 46 回議会でこれ. 1929 年の世界恐慌に端を発する昭和恐慌期ま. をもとに政友会によって建議が行われ,国政の. で一貫して増加した.これは物価騰貴後も児童. 場で議論するきっかけとなったのだ.. 数増加に伴う教員数の増加に対応するため24),. この後の 1926 年に,あらためて加藤憲政会. 教育費が増え続けただけでなく,衛生費,土木. 内閣 の も と で 税制整理が行われた.加藤首相. 費の増加も影響していた25).また表 2 では,歳. の発言にもあるとおり ,この 1926 年の税制. 出に占める教育費の割合を示しているが,依然. 改革は増収を目指したものではなく,負担の均. として電気やガスなどの公営事業の規模は 1%. 21). 22). 衡 ,そして社会政策的効果を期待したもので. に満たない状況であり,町村歳出の構造は都市. あったとされる23).このように 1920 年代の税. 部のそれとは異なっていたことを示している.. 制改革の議論は,臨時財政経済調査会を中心と. さらに表 3 は,物価水準の変動を加味した町. して第 1 次世界大戦後の社会・経済状況の変化. 村歳出と教育費の推移を表している.教育費は. に対し,明治期に構築された税制との不適合な. 1921 年 を 1.0 と し た 時,1928 年 は 名目値 で は. 部分を修正しようとするものであった.そのな. 1.50 であるが実質値では 1.76 と名目値を上回 る規模となっていた.このように,物価の下落. . 21)第 46 議会衆議院本会議(1926 年 1 月 21 日) に お い て,加藤高明(首相)は「…今回 の 税制整 理は殆んど国税全体に亙る大改正であります.… 其の根本の方針は歳入に著しき増減を来さざる程 度に於て租税体系を整へ,国民負担の均衡を図る と共に,社会政策的見地にたちまして,成るべく 多数国民福利を増進せんとする点に在る…」とし た.(『帝国議会衆議院議事速記録』第 47 巻,p. 9) 22)1926 年の税制改革については,池上(1991) がとくにその負担構造の変化について考察してお り,農家の租税負担について,結果的に農村の中 産階級下層部の負担の軽減はなされず,負担軽減 は予想したようには及ばなかったとしている. 23)しかし結果的に税制改革の結果,そのよう な効果はあまりなかったとされる.(阿部(1933: p. 392)). が続くなか 1920 年代後半には,教育費は名目 . 24)市町村立小学校の児童数と教員数は,1922 年 は 8,967 千人,193 千人,1926 年 は 9,215 千人,215 千人,1930 年 は 10,039 千人,233 千人,と増加 し ていた. ( 『文部省年報』各年版. ) 25)物価騰貴の収まった 1921 年から 1928 年ま での町村歳出の増加に対する各歳出の寄与率を示 すと,教育費 48.4%,土木費 5.2%,衛生費 8.7%,公 債費 13.0% となっており,1920 年代において特に衛 生費の支出が伸びていることから,町村財政にお いても社会政策的性格が強まっていったことが確 認できる.しかし,依然として教育費支出は群を 抜いており,町村財政に占めるその地位は変わっ ていなかったといえる..
(7) 山口隆太郎_1920 年代における地方財政問題の再検討 図表. (単位:千円,%) 土木費 衛生費 電気及瓦斯事業費 公債費 15,381 6,796 369 3,241 76,928 40.8% 112,573 20,877 9,831 993 3,773 43.7% 30,524 14,641 1,363 5,201 158,810 44.4% 85 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口) 表 243.8% 町村歳出の推移 169,365 31,675 14,509 1,087 (367) 6,816. 町村歳出(A) 教育費(B) 1918 1919. 188,361 257,397. 1920 1921. 357,879 386,910. (B)/(A). 41,759 18,705 1,382 9,961 455,399 188,664 41.4% 34,265 18,237 1,728 13,471 426,019 197,693 表46.4% 2 町村歳出の推移 (単位:千円,%) 439,286 208,677 39,198 16,258 1,967 12,700 47.5% 町村歳出(A) 教育費(B) (B)/(A) 土木費 衛生費 電気及瓦斯事業費 36,901 18,890 2,089 公債費17,104 1925 451,915 208,734 46.2% 15,381 6,796 369 3,241 1918 188,361 76,928 40.8% 1926 500,280 230,971 38,879 22,769 1,611 21,646 46.2% 1919 257,397 112,573 20,877 9,831 993 3,773 43.7% 39,928 28,550 1,848 34,860 1927 540,778 240,331 44.4% 30,524 14,641 1,363 5,201 1920 357,879 158,810 44.4% 1928 560,822 253,530 40,799 29,658 2,190 29,460 45.2% 1921 386,910 169,365 31,675 14,509 1,087 6,816 43.8% 39,848 25,566 1,910 35,103 1929 529,610 232,834 44.0% 41,759 18,705 1,382 9,961 1922 455,399 188,664 41.4% 35,778 26,176 2,126 34,876 1930 498,146 209,863 42.1% 34,265 18,237 1,728 13,471 1923 426,019 197,693 46.4% 1922 1923 1924. 出所 1924 『内務省統計報告』各年版より作成. 439,286 208,677 47.5% 1925 1926. 451,915 500,280. 208,734 230,971. 1927 1928 1929 1930. 540,778 560,822 529,610 498,146. 240,331 253,530 232,834 209,863. 46.2% 46.2% 44.4% 45.2% 44.0% 42.1%. 39,198 36,901. 16,258 18,890. 1,967 2,089. 12,700 17,104. 38,879 39,928 40,799 39,848 35,778. 22,769 28,550 29,658 25,566 26,176. 1,611 1,848 2,190 1,910 2,126. 21,646 34,860 29,460 35,103 34,876. 出所 『内務省統計報告』各年版より作成.. 出所. 『内務省統計報告』各年版より作成.. 表 3 (1921 年=1.0)とした物価変動を加味した町村歳出と教育費の推移 表 3 (1921 年 =1.0)とした物価変動を加味した町村歳出と教育費の推移 町村歳出(名目) 実数. 指数. 1918. 188,361. 1919 1920 表 1921. 257,397 (1921 357,879 386,910. 3. 町村歳出(実質) 実数 0.49. 教育費(名目) 指数. 196,209. 実数 0.51. (単位:千円). 教育費(実質) 指数. 76,928. 実数 0.45. 指数 80,133. 0.47. 0.67 218,133 0.56 112,573 0.66 95,401 年=1.0)とした物価変動を加味した町村歳出と教育費の推移 0.92 277,426 0.72 158,810 0.94 123,109 1.00 386,910 1.00 169,365 1.00 169,365. 0.56 0.73 1.00. 1922 455,399 1923 426,019 1924 町村歳出(名目) 439,286 1925 実数 451,915 指数 1918 188,361 1926 500,280. 1.18 464,693 1.10 430,322 1.14 町村歳出(実質) 426,491 1.17 実数 447,441 指数 0.49 196,209 1.29 562,112. 1.20 188,664 1.11 197,693 1.10 教育費(名目) 208,677 1.16 実数 208,734 指数 0.51 76,928 1.45 230,971. 1.11 192,514 1.14 (単位:千円) 1.17 199,690 1.18 1.23 教育費(実質) 202,599 1.20 1.23 実数 206,667 指数 1.22 0.45 80,133 0.47 1.36 259,518 1.53. 1919 1927 1920 1928 1921 1929. 0.67 1.40 0.92 1.45 1.00 1.37. 0.56 1.64 0.72 1.71 1.00 1.65. 0.66 1.42 0.94 1.50 1.00 1.37. 257,397 540,778 357,879 560,822 386,910 529,610. 218,133 636,209 277,426 659,791 386,910 638,084. 112,573 240,331 158,810 253,530 169,365 232,834. 1922 455,399 1.18 464,693 1.20 188,664 1.11 1930 498,146 1.29 732,568 1.89 209,863 1.24 1923 426,019 1.10 430,322 1.11 197,693 1.17 出所 『内務省統計報告』各年版,及び『明治以降卸売物価指数統計』より作成. 出所 1924 『内務省統計報告』各年版,及び『明治以降卸売物価指数統計』より作成. 439,286 1.14 426,491 1.10 208,677 1.23 1925 1926. 451,915 500,280. 1.17 1.29. 447,441 562,112. 1.16 1.45. 208,734 230,971. 1.23 1.36. 95,401 282,742 123,109 298,271 169,365 280,523. 0.56 1.67 0.73 1.76 1.00 1.66. 192,514 308,622 199,690 202,599. 1.14 1.82 1.18 1.20. 206,667 259,518. 1.22 1.53. 1927 540,778 1.40 636,209 1928 560,822 1.45 659,791 値を上回っていたことがわかる.これは町村歳 1929 529,610 1.37 638,084. 1.64 240,331 1.42 282,742 1.67 1.71 253,530 1.50 298,271 1.76 とおして大きく伸びていったことがわかる.前 1.65 232,834 1.37 280,523 1.66. 上回る歳出の拡大を続けていたのだ.. 減少させていた状況で町村歳入が昭和恐慌期ま. 一方で,表 4 からは町村歳入も 1920 年代を. で増加基調にあったのは,農村における戸数割. 出も同様であり,1920 1930 498,146 年代の町村は名目値を 1.29 732,568 出所. 節でも指摘したが,米価が下落し農村の収入を 1.89 209,863 1.24 308,622 1.82. 2 『内務省統計報告』各年版,及び『明治以降卸売物価指数統計』より作成..
(8) 山口隆太郎_1920 年代における地方財政問題の再検討 図表. 86. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月) 表 4 町村財政の歳入の推移. (368). 表 4 町村財政の歳入の推移 町村歳入(A) 1918 1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930. 207,957 288,934 400,649 438,612 508,479 492,433 504,625 513,443 571,125 608,747 621,193 585,208 556,476. 税収計 123,671 183,311 264,149 277,916 303,893 269,248 269,110 269,295 279,233 267,255 278,729 277,877 236,614. 戸数割(B) (B)/(A) 87,426 42.0% 123,728 42.8% 181,427 45.3% 176,726 40.3% 190,681 37.5% 158,089 32.1% 156,556 31.0% 152,843 29.8% 160,385 28.1% 145,547 23.9% 151,686 24.4% 149,497 25.5% 119,303 21.4%. 公債金 3,806 12,105 14,878 14,686 24,321 27,651 24,519 30,462 42,279 65,024 56,865 39,895 57,038. (単位:千円,%) 義務教育費 (C)/(A) 国庫負担金(C) 8,721 4.2% 8,744 3.0% 8,783 2.2% 8,844 2.0% 9,166 1.8% 35,879 7.3% 36,525 7.2% 36,027 7.0% 62,997 11.0% 67,528 11.1% 67,080 10.8% 67,102 11.5% 75,896 13.6%. 注 1 戸数割は 1926 年まで戸数割付加税であり,1927 年以降は戸数割である.. 注 1 戸数割は 1926 年まで戸数割付加税であり,1927 年以降は戸数割である. 出所 『内務省統計報告』各年版より作成. 出所. 『内務省統計報告』各年版より作成.. の減収を,国庫負担金と公債の増加が支えると. いで 1923 年に 10,000 千円から 40,000 千円へと. いう構造によるものであった26).. 増額されたが,そのとき配分の方式が変わり,. このように,1920 年代の町村財政は歳出と. 困窮町村への傾斜配分は強まった28).そして,. 歳入ともに増加していたのだが,この増え続け. それ以降配分方式を変えないままで 1926 年に. る歳出に対し,従来のように戸数割による税収. 70,000 千円,1927 年 に 75,000 千円 へ と 増額 さ. ではなく国庫負担金,および公債の増加で対応 していた.そしてこの状況をもって町村財政が 困窮の度合いを深めていき,危機に瀕した地主 層の危機を救済するために,財政調整機能を有 する国庫負担金が増額されていったと先行研究 ではされてきた.そこで,町村財政に対して国 庫負担金が与えた影響を考察したい. 1918 年 に 成立 し た 義務教育費国庫負担制度 は,当初 10,000 千円 が 教育費特定補助金 と し て,市町村 に 交付 さ れ る よ う に なった27).次 . 26)町村債の残高は,1921 年の 39,113 千円から 1928 年の 212,097 千円まで一貫して増加していた. 公債はその目的別の分類として教育費が 30% と最 も大きかった. 27)当初 は 1918 年 の 段階 で は,10,000 千円 の うち 4,500 千円が教員数,4,500 千円が学齢児童数, 残りの 1,000 千円が資力薄弱団体に交付される仕組 みとなっていた.. . 28)配分基準に関する条項は次のとおりであっ た. 第 3 条 国庫支出金は第 5 条の交付金額を除き 其の三分の二は市町村に,三分の一は第 4 条の 交付金額を除き町村に,各其の半額を前年六月 一日 に 於 け る 市町村立尋常小学校 の 教員数 に, 他の半額を前年六月一日に於ける市町村の就学 児童数に比例して交付す 第 4 条 政府は勅命の定る所に従い資力其の他 の事情に依り必要ありと認めたる市に対し前条 の既定に依り当該市の受くる金額の二分の一を 超えさる範囲内に於て特に交付金額を増加する ことを得前項の増加交付金の総額は前条の規定 に依り市に交付する金額の十五分の一を超える ことを得す 第 5 条 政府は勅命の定むる所に従ひ資力其の 他の事情に依り必要ありと認めたる町村に対し 国庫支出金の十分の一を超えさる範囲内に於て 特に交付金額を増加することを得 これにより,1918 年市町村義務教育費国庫負担 法よりも大きく町村に配分される形で負担金は増 額された..
(9) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). (369). 87. れた.ここではとくに,1923 年と 1926 年に行. 入構造の再編に寄与したという点からいえば政. われた増額に注目したい.. 策は当初の目論見どおりのようにみえる.しか. 1923 年の増額は,教員俸給負担のために多く. し同時に歳出にも注目する必要がある.. が支出された 1918 年とは性格が異なるもので. 1925 年から 1927 年にかけての町村財政の変化. あった.1918 年に 49,635 千円であった市町村小. を確認したい.歳入に関してはそれぞれおよそ,. 学校教員俸給は,1923 年には 127,906 千円に激増. 国税地租付加税-3,500 千円,国税営業収益税付. したのだが,国庫負担金の総額は定額であった. 加税-3,000 千円, 国税所得税付加税-7,000 千円,. ために,その教員俸給に占める割合は減じていっ. 戸数割-7,000 千円 が 減額 し,府県税特別地税付. た.30,000 千円増額された国庫負担金は実際の. 加税 5,000 千円,府県税家屋税付加税 17,000 千. ところ,学校営繕費や教員俸給の増俸などに約. 円が増額したが,税収は合計では-2,000 千円. 14,000 千円,市町村税 の 負担軽減 に 約 16,000 千. ほどの減額ですみ,大きな変化はなかった.し. 円が支出された29).1918 年の国庫負担金が教員. かし歳出面は大きく増加した.公債費の 18,000. 俸給に占める割合は,20.1% であった.教員俸給. 千円の増額も考慮する必要があるが,教育費は. の増加が物価騰貴によるものとすれば,1923 年. 32,000 千円増え,さらに衛生費,役場費もそれぞれ. の教員俸給に同様の割合で充てるのであればお. 10,000 千円ほど増えた結果,歳出の合計は 88,000. よそ 25,709 千円が国庫負担金から出ることにな. 千円の大きな増加をもたらした.とうてい国庫負担. る.その意味で教員俸給の増俸などに増額分か. 金の増額だけでは足りず,主に公債の 35,000 千円. ら約 14,000 千円が支出されたことは,おおよそ. 増額で対応することになった.このように,国. 1923 年の増額はインフレ調整の要素があったこ. 庫負担金の増額は町村に新たに歳出を増加させ. とを示しているが,そのほかの部分を市町村税. る結果をもたらしており,特定補助金に負担軽. の軽減に使わしめたのは,全国町村長会など農. 減を担わせることの限界があることに留意する. 村諸団体の要求の影響が大きかった30).. 必要があるといえるだろう.. そして 1926 年の 30,000 千円の増額であるが,. また,国庫負担金が町村財政にとって,財政. これは当初から,税制整理からくる市町村にお. 調整的機能を担う交付金としてどの程度の意義. ける減収を補填するものとして行われた .前. があったのかという点にも言及したい.先述し. 述した加藤首相の発言からもわかるように,中. たように 1923 年改正での配分方式の変更で国. 央政府としては地方団体の負担増加が起こらな. 庫負担金の市と町村に対する配分額に大きな変. いよう配慮していたのだ.. 化が出た.この変化した国庫負担金がどれほど. たしかに,1926 年の増額は税制改革による. の財政調整機能を有していたと評価することが. 戸数割や家屋税の再編に伴う市町村の減収分を. 出来るであろうか.たとえば 1927 年の増額後,. 補填することがうたわれ,国庫負担金がこの歳. 国庫負担金 75,000 千円のうち,市(3 条前段)に. 31). 7,457 千円,町村(3 条前段)に 37,543 千円,町 . 29)田中(1930: pp. 133─134) 30)山口(2014: pp. 275─277) 31)「義務教育費国庫負担金の増額は,主として市 町村における国税整理の結果に基く,国税徴収交付 金の減収,および府県税営業税雑種税の整理による 付加税の減収を補填し,かつ創設する市町村税戸 数割または家屋税付加税の負担軽減の資にあてら れることにする. 」と,大蔵省主税局は説明してい た.(『官報』3920 号雑報(1925: pp. 2─3). 村(3 条後段)に 22,010 千円,特別市(第 4 条) に 490 千円,そして特別町村(第 5 条)に 7,500 千円交付 さ れ た.つ ま り 特定補助金部分 で あ る 比例配分以外 の 財政調整部分 の 町村充当分 は,町村(3 条後段)と 特別町村(第 5 条)の 29,510 千円となり,国庫負担金の 39.3% を占め ていた.両税委譲案が議論されていた 1928 年 を例にとると,町村歳入 621,193 千円のうちこ.
(10) 88. (370). 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). の財政調整機能を果たす部分は,その 5.0% を. 調査会総会が 4 回行われ,1922 年 6 月に特別委. 支えていたことになる.次節で検討するが,同. 員会が税制整理案を決定する33).当初から,第 1. 年町村が納めていた国税地租はおよそ 58,775. 案「地租・営業税の委譲と財産税の導入」 ,第 2. 千円であり,すでに国庫負担金のうち財政調整. 案「地租・営業税の委譲と特別所得税の導入」 ,. 部分だけでもその半分にあたる額を町村は受け. 第 3 案「地租・営業税を存置の上修正し,資本. 取っていたのだ.. 利得税と家屋税の導入」を軸に検討が重ねられ. このように,国庫負担金はすでに単純な教育. たが,税制整理案の概要は,直接国税では一般. 特定補助金という性格のものではなく,町村財. 所得税を中軸として財産税を補完税と位置づけ. 政の負担関係の調整に深く連関するものになっ. 地租及び営業税は地方税に委譲する,といった. ていたのである.こういった経緯をもつ国庫負. ものであった.. 担金は,同時期に議論されていた両税委譲案と. しかし同年 7 月の調査会総会では,財産税を. ともに 1920 年代末に地方財政問題の大要とし. 中心として多くの反対意見が提出され特別委員. て取り上げられたのである.. 会案はそのまま採用されず,最終的に方針は示. 4.両税委譲案と地方団体. されるものの,各案は参考案にとどまるものに なった34).調査会が政策決定機関ではない限界. 両税委譲案は,上述したように臨時財政経済. から,網羅的な参考案を出すことにとどまった. 調査会で議論が始まり,1929 年の第 56 回議会で. が,本格的な政党政治が行われ始めた 1920 年. 衆議院を通過したものの,最終的に貴族院で審. 代初頭の政治状況のもと,論議の舞台は議会に. 議未了となり,廃案となった法案である.本稿で. 移ることになる.. はこれまで,両税委譲案が議論されていた時期の. 以上の背景のもと,1922 年末に開会された. 時代背景を確認しつつ,農村を中心とする地方財. 第 46 回議会ではじめて政友会によって地租委. 政の状況をみてきた.本節では両税委譲案をめぐ. 譲案が建議され,国政の場で議論されるように. る議論の経緯を整理し,貴族院で審議未了のまま. なる.さらに同年の全国町村長会でも両税委譲. その後復活することなく,両税委譲案が放棄され. の要求が総会で決議されるなど35),両税委譲案. た要因を農村財政の観点から考察していく.. は当初,農村の利益団体も巻き込みながら展開. 4―1 両税委譲案をめぐる論議. . 1919 年 7 月 に 設置 さ れ た 臨時財政経済調査 会は ,前述のように,第 1 次世界大戦後の変 32). 動する国際情勢に対応する必要性からその設立 が要請され,1920 年 6 月に第 5 号諮問におい て「税制整理ニ関スル根本方策如何」として税 制改革の問題が調査会に諮られた.調査会では 1920 年から特別委員会 29 回と小委員会 35 回と . 32)臨時財政経済調査会は,総理大臣や蔵相のほ か 三土忠造(政友会)や 浜口雄幸(憲政会)な ど の 有力な政治家,神戸正雄ら学者,ほかに財界人,大 蔵省や内務省の官僚らによって構成されており,各 界の代表者を結集していた.. 33)調査会開始当初,さ ら に 調査項目起草委員 会 が 行 わ れ,大蔵省松本主税局長案 と 内務省添田 地方局長案が出され,松本案を中心に論議するこ とになり,のちに税制整理に関して第 1 案から第 3 案が提示される. 34)『昭和財政史』 (第五巻 : p. 37) .また,臨時財 政経済調査会での議論の詳細については金澤(2010) , 佐藤(2014)の論稿を参照されたいが,こういった 結末を迎えた要因について,金澤は①高橋から加藤 への内閣交代における政治情勢の変化,②緊縮政策 への経済政策の転換,③資本家層・地主層による財 産税への反対,が挙げられるとした.これに対して 佐藤はさらに,国庫負担金の増額による地方財政へ の対応を意図した税制整理の当初の目的を弱めたこ とと,新聞を中心とした輿論の反対も影響を与えた としている. 35) 『斯民』第 18 巻第 3 号(1923: pp. 72─73).
(11) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). (371). 89. されていく.そもそもこの第 46 回議会では約. 地方財政の減税と財源付与という 2 面性を有し. 20,000 千円の国税の減収をもたらす営業税減税. たためその政策目的があいまいになり,憲政会. 案が提出され,農業者=地租負担,営業者=営. と政友本党の協力関係の前に否決されることに. 業税負担という図式のなか,農業者の負担軽減. なった38).. が政治的課題として取り上げられやすい状況に. その後,両税委譲案が本格的に議論されたの. あった.. は,1928 年末開会の第 56 回議会で政友会が両税. これに対して憲政会は地租二分減(4.5% →. 委譲案を議会に提出した時であった.それは 1927. 2.5%)を打ち出していたが,一方で政友会の議. 年 4 月の田中政友会内閣の誕生の後,1928 年 2. 論はなかなかまとまらず,国庫負担金の農村へ. 月の初の普選となった総選挙を経たあとのこと. の優先的な配分などと関連して,議論は錯綜し. であった.田中政友会内閣が提出した両税委譲. ていた.結果的に政友会は党政務調査総会で,. 案による中央・地方の負担関係の変化は表 5 の. 税制整理をもって国民負担の均衡を図るため行. ようになっていた.なぜこのような地方団体の. 政及び税制の整理に関する建議案を提出するこ. 負担が軽減されるかのように見えた両税委譲案. 36). とが決定され ,ここに初めて国会で地租委譲. が成立しえなかったのだろうか.. 案が議論されることになったのだ37).. 表 5 で示したように税源移譲,負担軽減は次. 第 46 回議会では政友会が確たる地租委譲案. のように考えられていた.法案提出時において. を持ちえなかったこともあり,建議まではなさ. 国税では,所得税,地租廃止,営業収益税廃止な. れたものの,大蔵省の税制調査委員会で具体案. どで,差し引き-81,246 千円,府県税は差し引き. が審議されることになった.しかし 9 月に発生. 0,市町村税 で は 地租,戸数割,家屋税軽減 で. した関東大震災の影響で,委譲案の審議はいっ. 差し引き+3,000 千円が予定されていたため国. たんストップすることとなった.政局としては. 民負担は 78,246 千円軽減されることになってい. 震災後の第 2 次護憲運動,普通選挙法の成立を. た.. 経た 1925 年末に開会された第 51 回議会で政友. 田中政友会内閣の両税委譲案が全般的な減税. 会は,政権を握った憲政会や国庫負担金増額な. となったのは,普選実施に規定されたものとい. どで独自色を打ち出そうとする政友本党との対. える. 「普選の実施を前にして,大多数の民衆. 抗軸のなか新たな地租委譲案を提起することに. を相手にしなければならない政府及び政党が,. なる.しかしながらその委譲案は公債発行を前. 其税制整理案に於て社会政策を標榜するのは甚. 提とした「地租と戸数割の軽減」と地方団体の. だ当然」と指摘があったように39),選挙対策と. 歳出増となる「自由裁量」を容認するといった,. してはもはや全階層を対象とした支持獲得を目 指さなければならない状況が背景としてあり,. . 36)『政友』第 271 号(1923: p. 51).し か し こ こでも,まずは地租の委譲を断行し,その結果営 業税も委譲するのかは税制整理の結果をみないと わからない,との言説もあり政友会の委譲案が確 固としたものではなかったことがわかる. 37)政友会が地租軽減ではなく地租委譲を選択 したのは,農村諸団体の要求に規定されたからだ と従来言われてきた.しかし佐藤(2014: p. 184)は, むしろ地租付加税の減少による地方財政の緊縮を まねく地租軽減に高橋総裁が反対しており,こう いった対応が政友会の他の政策に矛盾しない点を 挙げている.. 政友会はそのために減税という手段を選択した のだ40). また財源付与策としてみたときに,仮に予定 通り地租委譲分 38,220 千円が町村に委譲された とした場合,1929 年の町村歳入 585,208 千円に 占める割合は 6.5% である.これは一定程度の歳 . 38)金澤(2010: pp. 44─46) 39)安部(1925: p. 90) 40)金澤(2010: p. 50).
(12) 90. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (372). 表 5 第 56 回議会田中政友会内閣両税委譲案 ( 単位 : 千円 ) 国税 国税及 付加税. 地租系列 営業税系列 所得税系列. △ 67,809 △ 61,420 61,567. 国税. 資本利子税 鉱産税. △ 11,828 △ 1,756. 国税小計 地方税. 府県税 ±0 15,690 ±0. 市町村税 38,220 823 ±0. 合計 △ 29,589 △ 44,907 61,567 △ 11,828 ±0. △ 81,246. 家屋税 雑種税 戸数割. 地方税小計. △ 15,690. △ 9,985 △ 5,218 △ 22,596. △ 25,675 △ 5,218 △ 22,596. ±0. 3,000. ( △ 78,246). 出所 金澤(2010:p. 48)より引用.. 入増加をもたらすようにも見える一方で,物価. 4―2 地方団体からみた両税委譲案. 騰貴の収まった 1921 年から 1928 年までの町村. 農村部の地方団体という観点から両税委譲案. 歳出の年平均増加率は 5.4% であり,1928 年の. をみたとき,いったい何が町村側にとって重要. 歳出が 560,822 千円であったことから,翌年は. であったのか検討しなければならない.まずあ. 30,284 千円の歳出増加が想定されたのである.. げられるのが地租委譲案の目的についてであ. 現実には恐慌の影響により 1929 年以降,高橋. る.これは地方団体に独自財源を提供すること. 財政による時局匡救事業まで町村歳出は減少し. を目的とするものと,地方団体の財政の救済を. 続けたが,両税委譲案が議論された時期におい. 目的とするものに大きく分けられる.前者には,. ては,町村の歳入増加策としてインパクトがあ. 代表的なものとして高橋是清の議論に挙げられ. る政策とも言えず,積極政策を基調とする政友. るような古典的地方自治の議論がある41).地方. 会の政策方針からすれば曖昧なものであった.. 団体の財源拡大の要求がされ続けていた一例と. こういった政友会の両税委譲案は,民政党の. して,全国町村長会も内務省の「地方自治体の. 掲げた義務教育費全額国庫負担と政策的に対抗. 経済団体化」の議論と融合するところがあった.. し つ つ,1929 年 の 衆議院通過後,貴族院 で の 審議未了による不成立を最後に,この問題がふ たたび国政で議論されることはなくなり,以後, 国庫負担金のさらなる増額がなされるようにな るという経過をたどった.次項ではこのような 経過をたどった両税委譲案に対して,農村部を 中心とした地方団体はどういった背景のなか, その対応をしたのかを検討する.. . 41) 東京朝日新聞(1928: pp. 158─161) .高橋 は ここで, 「地方に教育と土木と衛生の三事業は委せ る.之れには独立の財源が必要であるから地方に 地租を委譲すると云ふのであつた.…教育の画一 主義は宜しくないから,之れは地方によりその地 方に相当した教育を施さしむることにあつた…」 と発言した.地方団体に独自財源を委譲しそれを もとに地域の実情に合った教育がなされるべきだ と考えていたといえる.ただし文中の後半部分は 原敬の考えを述べた部分になるが,高橋は原政友 会内閣で大蔵大臣を務めともに教育費削減に取り 組んでいたことを考慮すると,高橋も同様に考え ていたといってよいだろう..
(13) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). (373). 91. 町村長権限の拡大をともなう公営事業を通じた. 対応したことの影響があるのはもちろんだが,. 農村の経済団体化とそれを支える財源充実の要. ここから地方団体の独自財源を減じるかたちで. 求は,多面的に町村住民と関わる町村事業を追. 地方財政負担の緩和が行われていたことがわか. 及していた42).後者は,本稿でも論じてきた,. る.. 第 1 次世界大戦後の都市と農村部の経済力格差. また,3 節で述べたように国庫負担金の地方. より生じた農村部の困窮の解決を目的としたも. 団体の財政における重要性が増したため,相対. のだった.. 的に地租委譲案はその意義を減じていたことも. たしかに両者は完全に分けられるものではな. わかる.もともと教育費が過重なため困窮して. い.だが,特に前者については地方団体の独自. いた地方団体の財政への対応として地租委譲案. 財源ではない国庫負担金が増額されるたびに,. は議論の遡上に載ってきた.しかし実際,1923. そもそも地方団体が困窮する原因であった教育. 年の第 46 回議会でより財政困窮団体への傾斜. 費負担が緩和されてしまうことで独自財源を要. が強くなったうえで増額された国庫負担金がさ. 求する意義は逓減し,相対的に後者である増大. らに 1926 年に増額されたことで,地租委譲案. する地方団体の財政への負担軽減が重要になっ. は財源付与策としての意義を大きく減じていた. ていった.その観点からすれば独自財源の問題. といわざるをえない.. ではなく,どれだけ負担が軽くなるか,つまり. そして地租委譲が地域間での格差拡大をもた. 地租委譲案が本当にその救済に資するもので. らすのではないか,という問題を検討したい.. あったかどうかが焦点となる.. 表 6 で示したように工業化が進展した 6 大府県. ここで地租委譲が行われた場合,農村部の財. を除いた県での 1 人あたり直接国税納税額と 1. 政状況がどうなるか把握するため,1928 年に. 人あたり地租納税額を確認したい.6 大府県を. おける,各府県の町村における現住人口,町村. 除いた県での 1 人あたり直接国税納税額の上位. 税,国税地租,町村教育費,そして国庫負担金. は 富山県,滋賀県,三重県,福岡県,岡山県,. を表 6 に整理した .. 新潟県となっており比較的工業化が進んでいる. 表6には1928年の数値のみを挙げているが,. と思われる福岡県を除くと,農業が主たる産業. 同様の数値を1923年についても算出し比較し. の地域となっている.それに対し,1 人あたり. た.まず,6大府県など都市近郊の町村を除く. 国税地租納税額上位は,滋賀県,富山県,佐賀県,. 43). ,町. 福井県,三重県,岡山県となり 4 つの県が重複. 村税もほとんど同じか,あるいは減少した.一. しており,かつ佐賀県と福井県も平均を超える. 方ですべての府県で町村教育費と国庫負担金は. 直接国税納税額であるのだ.さらに 1 人あたり. 大幅に増加した.先述した通り,1926年の税制. 直接国税納税額の下位 6 県は宮崎県,鹿児島県,. 改革が戸数割負担の減少を国庫負担金の増額で. 徳島県,岩手県,高知県,福島県であり,同様. と税収弾力性の少ない地租のみならず. 44). に 1 人あたり国税地租納税額下位は鹿児島県, . 42)能川(2011: p. 42) 43)表 6 は北海道と沖縄県を除いた各府県統計 書から算出したものであるため,表注で指摘した が,当時の統計書の精度の問題から一部に市部の 数値が含まれるもの,推計値となっているものが 存在する.しかし町村部の全体的な傾向を把握す るために大きな支障はないと考える. 44)6 大府県とは東京府,神奈川県,愛知県,京 都府,大阪府,兵庫県を指す.. 岩手県,長崎県,宮崎県,宮城県,長野県であ り,3 県が重複し長崎県も平均を大きく下回る 2.91 円であり,宮城県と長野県はわずかに平均 に届かない水準である. すでに東北地方や九州地方を中心とした農村 部では国庫負担金が国税地租納税額を上回って おり,地租委譲がなされたときの農村部の地方 団体間の財政力格差の拡大がクローズアップさ.
(14) 92. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (374). 表 6 府県別町村における地租委譲の影響 (単位:千円,人) 町村税 青森県* 岩手県 宮城県* 秋田県* 山形県 福島県 茨城県 栃木県 群馬県* 埼玉県* 千葉県 東京府 神奈川県 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県 岐阜県 静岡県 愛知県 三重県 滋賀県* 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県* 和歌山県 鳥取県 島根県* 岡山県 広島県* 山口県 徳島県 香川県* 愛媛県* 高知県* 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県* 大分県 宮崎県 鹿児島県* 合計(平均). 3,924 4,171 5,865 5,814 5,624 6,734 7,010 4,530 5,199 6,912 6,492 15,134 4,184 9,630 4,524 4,581 3,520 2,349 10,380 5,974 8,599 8,063 5,357 4,723 5,698 4,872 11,278 3,785 3,814 2,833 5,146 7,617 7,025 6,082 3,993 3,215 5,678 2,980 9,801 3,654 4,436 6,925 4,796 3,577 7,366 263,864. 義務教育費 国税地租(A) 国庫負担金(B) 777 804 968 1,200 1,525 1,730 1,984 1,397 1,167 2,045 2,011 939 822 2,805 1,369 1,053 921 689 1,534 1,334 1,505 2,201 1,704 1,702 1,027 1,357 2,490 845 751 606 979 1,783 1,717 966 749 1,017 1,064 726 2,255 1,160 804 1,748 969 621 954 58,774. 教育費. 1,049 1,280 1,277 1,330 1,267 1,825 1,850 1,311 1,323 1,729 1,765 2,389 930 2,407 967 996 882 799 2,441 1,558 2,165 1,847 1,386 872 1,075 1,306 2,288 803 978 639 1,026 1,522 1,822 1,366 965 903 1,529 864 2,005 886 1,289 1,730 1,229 963 2,350 63,182. 2,886 3,709 5,030 4,249 4,626 5,190 6,635 4,797 4,252 6,633 6,402 15,249 3,628 8,782 3,893 3,804 3,353 2,008 9,761 5,017 7,207 7,013 5,242 3,342 4,383 4,493 9,043 3,018 3,513 2,650 3,039 5,665 6,221 5,031 3,177 2,859 4,877 2,748 7,718 3,545 3,502 6,116 3,457 3,142 7,177 228,083. 人口(C) 729,900 906,700 1,014,861 909,400 937,566 1,340,214 1,452,968 943,256 972,800 1,391,300 1,361,495 2,679,900 764,189 1,775,993 701,913 783,662 535,100 598,974 1,535,927 1,109,513 1,449,402 1,677,954 992,087 661,060 745,800 885,369 1,767,023 543,441 693,400 413,200 711,943 1,071,024 1,222,716 943,537 663,103 616,854 961,400 615,491 1,652,490 640,681 895,209 1,189,533 887,214 674,628 1,369,600 46,389,790. (A)/(C) (円) (B)/(C) (円) 1.06 0.89 0.95 1.32 1.63 1.29 1.37 1.48 1.20 1.47 1.48 0.35 1.08 1.58 1.95 1.34 1.72 1.15 1.00 1.20 1.04 1.31 1.72 2.58 1.38 1.53 1.41 1.55 1.08 1.47 1.37 1.67 1.40 1.02 1.13 1.65 1.11 1.18 1.36 1.81 0.90 1.47 1.09 0.92 0.70 1.27. 1.44 1.41 1.26 1.46 1.35 1.36 1.27 1.39 1.36 1.24 1.30 0.89 1.22 1.36 1.38 1.27 1.65 1.33 1.59 1.40 1.49 1.10 1.40 1.32 1.44 1.48 1.29 1.48 1.41 1.55 1.44 1.42 1.49 1.45 1.45 1.46 1.59 1.40 1.21 1.38 1.44 1.45 1.39 1.43 1.72 1.36. 注:北海道と沖縄県を除いている. 注:北海道と沖縄県を除いている. 注:*は統計上の限界から国税地租納税額について市部を除けなかった府県である. 注: 人口に関して,1928 年の人口の統計データがない府県に関して,山形県,栃木県,長野県,奈良県,山口県,熊 注:*は統計上の限界から国税地租納税額について市部を除けなかった府県である. 本県は 1930 年の数値であり,群馬県,埼玉県,東京府,福井県,京都府,和歌山県は推計値である. 注:人口に関して,1928 年の人口の統計データがない府県に関して,山形県,栃木県,長野県,奈良県,山口県, 出所 各府県『府県統計書』 ,各年版より作成.. 熊本県は 1930 年の数値であり,群馬県,埼玉県,東京府,福井県,京都府,和歌山県は推計値とである. 出所. 各府県『府県統計書』,各年版より作成.. 5.
(15) (375) 93 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口) 表 7 全国町村長会と帝国農会における地租委譲と義. れざるを得ないのである.国庫負担金は財政調 整部分を含むものであったが,六大府県を除い. 表 7 全国町村長会と帝国農会における地租委譲と 義務教育費国庫負担に関する要求. た農村部の間でもこういった状況であったの で,地租委譲が農村間での格差拡大に強く影響 することが指摘できるのである.両税委譲案は. 全国町村長会 1922 1923. ○. 1924. ○. 1925. ○. さ ら に 加 え て,農村部 に とって 看過 で き な. 1926. ○. かったと考えられるのは,地租委譲案と国庫負. 1927. 担金の減額を結び付ける議論である.すなわち. 1928. ○. 地方団体の独自財源確保のため国庫負担金の減. 1929. ○. 都市部と農村部の対立だけではなく,農村部間 の対立をも引き起こしかねない要素を持ってい たのである.. 額も検討すべし,という論調である.たしかに 公論を左右する大きな議論にはならなかったも のの,1923 年の第 46 回議会に建議されたとき 45). からあった議論であり ,前述したとおり,国 庫負担金が国税地租納税額を上回っているとこ ろもある状況では,農村部の地域間財政力格差 はさらに大きく拡大することになると懸念され るのである.. 帝国農会. □. ○*. □. ○*. □ □. 1930. □. □. ○*. ○は地租委譲,□は義務教育費国庫負担. ○は地租委譲,□は義務教育費国庫負担.. 出所 『財政経済二十五年誌』第 4 巻政策編上 , 以下『斯 出所 民』第 『財政経済二十五年誌』第 巻政策編上,以下『斯民』 17 巻第 3 号 , 第 18 巻第 3 号4, 第 19 巻第 3 号 , 第 20 巻 第 3 号 , 第 21 巻 第 3 号 , 第 22 巻 第 3 号, 第号 20, 第 巻第 号, 号,第 巻第 23 巻3第 3 号第 , 第21 24巻第 巻 第 33号 , 第 2522 巻第 2 3 号, 第 23 巻 号より作成 . 作成. 注 ○ * は地租軽減の要求である .. 注:○*は地租軽減の要求である.. 全国町村長会や帝国農会といった農村部の諸 団体 は 両税委譲案にどう対応したのか.1926. というものではなかったといわざるを得ない.. 年に国庫負担金が 7 千万円に増額されて以降,. 本項で述べたような財政的な背景があるなかで. 臨時教育会議で示されていた教員俸給の半額国. は,農村諸団体の態度は当然であったといえる. 庫負担は,ほぼ達成された状況になったものの. のではないだろうか.. 全国町村長会を中心にそれ以前から,表 7 のよ. また国政における両税委譲案をめぐる問題の. うに両税委譲を中心とした独自財源の拡大と義. 帰結を,地租委譲の選挙への影響という観点か. 務教育費全額国庫負担の要求をほぼ並行して繰. らも確認したい.負担の軽減ということでは農. り返していた.. 村部も総意としては連携できたとしても,重要. たしかに全国町村長会は総会で決議を行い,. なのはそれが自身の地域の利害にどういう意味. 帝国農会も建議案を提出するものの,漫然と要. を持つかが問題である.周知のように,我田引. 求を繰り返しているきらいもあり,1923 年に国. 鉄,という言葉に象徴されるような特定地域に. 庫負担金増額を要求したときと同様な強い政治. 対する利益誘導が大きく選挙に影響する当該期. 的メッセージを出し政党にその実現を迫る ,. の状況で,とりわけ地租委譲案あるいは義務教. 46). 育費全額国庫負担 と いった 全国的 な 負担軽減 . 45)前田(1923: pp. 45─46)など.ただし実際議 会で国庫負担金減額が現実的に議論されることはな かったが,政策選択としての可能性があったことに は留意したい. 46)山口(2014: pp. 275─277).. は,国政選挙で新たな支持を獲得する関心事に はなりにくかったということが言える.地租委 譲が農村間の財政力格差の拡大につながると認 識されれば,この状況に拍車がかかるのは当然 であると考えられる.地租委譲案を推進した政. 6.
(16) 94. 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). (376). 3,000 2,500 2,000 1,500 1,000 500 0 1920. 1921. 1922. 1923. 1924. 1925. 1926. 1927. 1928. 1929. 1930. 出所 『農地制度資料集成』第 2 巻より作成.. 図 2 小作争議数の推移. 友会は 1928 年 2 月の衆議院総選挙で過半数を. 求が増えるなど,この時期の小作争議は質的に. 獲得することはできず,地租委譲は選挙におい. も変化し49),農村部内での対立構造も複雑化し. て有効な政策とはなりえなかった47).こうして. ていた.. 1929 年 の 貴族院審議未了 の の ち に,政友会 も. このように地方団体の財政問題,都市と農村. この政策を当面延期する方向にかじを切ること. の格差,農村間での格差,さらには農村内の対. になる48).. 立といった複雑かつ重層的に絡みあう農村をめ. 最後に,ここまでの論述により明らかになっ. ぐる利害関係に対して,地租委譲案はもはやそ. た両税委譲案の地方団体,とくに農村部にとっ. の解決策としての魅力を持ちえなかったといわ. ての 意義 を 述 べ たい.第 1 次世界大戦後の都. ざるを得ないのである.. 市と農村の経済力格差による農村の負担過重 への対応として,地方財政問題は議論されて. 5.おわりに. きた.しかし断続的な国庫負担金の増額や弥. 本稿ではこれまで,1920 年代の農村部を中. 縫的 な 税制改革 は,地方団体 の 財政的 な 困窮. 心とした地方財政の状況を整理し,国庫負担金. や,都市と農村の格差拡大だけではなく,結. が農村部にもたらした影響を確認し,地租委譲. 果的に農村間の経済力格差にも対応しきれて. による地方団体への影響について考察してき. おらず,このことは地租委譲案も同様だった. た.. のである.. 地方団体が小学校教育費の過重な負担からそ. 1920 年 の 大戦後不況以来,米価 を 中心 と す. の負担軽減を中央政府に求めていたことは周知. る農産物価格は下落し,それにともない農村で. のとおりである.しかしその方法が,裁量が確. は図 2 のように小作争議が激増していた.さら. 保された地租委譲による独自財源の拡大による. に大正デモクラシー状況のもと,一時的な負担. ものなのか,あるいはそうではない特定補助金. 軽減ではなく地主・小作間の関係性を変える要. である国庫負担金による負担軽減であったのか. . 47)佐藤(2014: p. 197). 48)同上(p. 207).. . 49) 『小作争議の概要』 ,pp. 4─7..
(17) 1920 年代における地方財政問題の再検討(山口). (377). 95. が焦点となる. 後者である国庫負担金に,困. の要求も存在し,当該期はこれらが混在し地方. 窮する農村部の地方団体に対応するための負担. 団体もどちらか一方を強く要求するという状. の平準化という要素が含まれていたことは,地. 況にはなかったのである.こうしたなかで地. 租委譲が農村の格差を拡大させる可能性を有し. 租委譲が都市と農村のみならず,農村部の間で. ていたことと比較して,結果的に地租委譲の農. も地域間格差を拡大させるということは,地域. 村部における意義は減じていたことを本稿は明. 間の負担の平準化に逆行するだけでなく,さら. らかにしてきた.. に財政調整機能を有していた国庫負担金に地方. 全国町村長会などの農村部の団体は 1920 年. 団体に不利なかたちでの変化をもたらす可能性. 代初頭に地方団体への補助を要求して以来,地. があったことを考慮すれば,地方団体が積極的. 方財政の負担軽減を求め,実際には国庫負担金. に推進するインセンティヴは大きくなかったの. 増額と,地租委譲案を中心とした地方団体への. だ.ただし,農村諸団体から地租委譲・軽減の. 税源委譲の要求をし続けていた.これはすなわ. 要求を何度も繰り返して行ってきた経緯や,田. ち,地方団体も独自財源なのかどうかに関して. 中政友会内閣案どおりになれば,実際に地方団. 確固たる基準を持ちえなかったため,両者の政. 体の財政が潤うという想定があったことも事実. 策的意義を峻別することなく,単純な負担軽減. であった.それゆえ地租委譲の要求は続けたも. を要求し続けていたということなのだ.. のの,上記に鑑みれば地方団体の要求が国政に. 1922 年 12 月 に 開催 さ れ た 全国町村長会常任. 影響するほどのものにならなかったのは当然で. 幹事会は, 「義務教育費国庫負担金配当に対する. あったといえる.. 希望」と題する案を決議し,国庫負担金の配当. こうして両税委譲案は地方団体からの強い要. に関して次のような内容の案を提示している50).. 求に支えられるということがなかったこともあ. 就学児童数,学級数(もしくは教員数)に基づ. り,1920 年代末に未成に終わったといえるの. き配分する特定補助金のほかに,資力薄弱町村. である.同時に国庫負担金による困窮団体の救. にとくに配当するべきとし,その基準には一戸. 済は制度的限界を迎えつつあり,池上(1986). 当たり直接国税納税額が全国平均額未満である. の指摘のように 1930 年代にはいると委譲財源. こと,という課税力を基準とするべきとしてい. の不均等による農村財政救済の不十分性から財. た.さらに,戸数が全国平均数以下であること. 政調整制度の議論になっていくのであった.. や,通学距離の関係により一町村二学校(分教. 戦前期農村部の経済的困窮の議論であれば,. 場を含む)以上を経営せざるを得ない環境,と. 昭和恐慌期の農村問題の検討を避けられない. いう基準もあった.これは近似的ではあるが,. ことは言を俟たない.本稿はその問題設定を. 人口数と面積を配分の基準に入れるという,財. 1920 年代における農村部を中心とする地方財. 政需要を加味した基準であるといえ,地域間の. 政問題に限定して議論を進めてきた.そのため,. 負担の平準化の議論である.一方では,4 節 2. 戦前期の農村をめぐる経済・財政的問題に言及. 項で述べたような地域ごとの格差拡大が生じか. できている点は限定的になってしまったところ. ねない「地方自治体の経済団体化」を模索する. がある.昭和恐慌期を含めた検討をすることは. 動きも町村部には存在した.. 筆者の今後の課題である.. すなわち,負担の平準化の議論が起きつつ あったものの,一方で従来の古典的な地方自治 . 50)『斯民』第 18 巻第 1 号(1923: p. 81). 参考文献 阿部勇(1933) 『日本財政論 租税』改造社. 安部磯雄(1925)『中央公論』12 月号,中央公論.
(18) 96. (378). 横浜国際社会科学研究 第 23 巻第 3 号(2019 年 1 月). 社. 池上岳彦(1986)「両税委譲問題の意義をめぐっ て」 『東北大学研究年報経済学』第 47 巻第 4 号. 池上岳彦(1991)「戦間期日本の税制整理」『新潟 大学商学論集』第 23 号. 鵜川多加志(1986) 「市町村義務教育費国庫負担 金の二重性について(二) 」 『立教経済学研究』 第 39 巻第 3 号. 遠藤湘吉(1974)「政府間の財政調整(一)』東京 大学社会科学研究所編『戦後改革 7 』東京大 学出版会. 大内兵衛(1929)「地租委譲と中小地主階級」『大 内兵衛著作集』第 4 巻,岩波書店.(本書の 発行は 1975 年) 金澤史男(2010) 『近代日本地方財政史研究』日 本経済評論社. 小路田泰直(1982) 「『政党政治』の基礎構造」 『日 本史研究』第 235 号. 坂本忠次(1989) 『日本における地方行財政の展開』 御茶の水書房. 佐藤健太郎(2014) 『「平等理念」と政治』吉田書店. 高橋是清(1928)『卓 を 囲 ん で』東京朝日新聞経 済部. 田中広太郎(1930)『地方財政』日本評論社. 田中重博(1976)「明治地方自治 の 変貌及 び 再編 と両税委譲問題」 『茨城大学政経学会雑誌』第 36 号. 能川(尾島)志保(2011) 「1920 年代における全国 町村長会と行政町村」 『日本史研究』第 581 巻. 原朗(1981) 「1920 年代の財政支出と積極・消極両 政策路線」中村隆英編『戦間期の日本経済分析』 山川出版社. 藤田武夫(1949) 『日本地方財政発展史』河出書房. 前田繁一(1923)「時の問題として残された地租 委譲」『農政研究』1923 年 4 月. 宮崎隆次(1980)「大正デモクラシー期の農村と 政党(一)~(三)」『国家学会雑誌』第 93 巻 第 7・8 号,同 9・10 号,同 11・12 号. 宮本憲一(1961)「現代税制形成過程の研究」『金 沢大学法文学部論集 法経編』第 8 巻. 山口隆太郎(2014)「大正期義務教育費国庫負担 制度の形成過程分析」『財政研究』第 10 巻.. <参考資料> 大蔵省(1950) 『財政金融統計月報』第 5 号. 大蔵省主税局『主税局統計年報書』各年版. 大蔵省昭和財政史編集室編(1957) 『昭和財政史』 第 5 巻. 大蔵省・日本銀行編(1948) 『財政経済統計年報』 . 国立国会図書館所蔵(1982)『帝国議会衆議院議 事速記録』第 35 巻,東京大学出版会. 国立国会図書館所蔵(1982)『帝国議会衆議院議 事速記録』第 47 巻,東京大学出版会. 中央報徳会(1923) 『斯民』第 18 編第 1 号,1923 年 1 月 1 日. 中央報徳会(1923) 『斯民』第 18 編第 3 号,1923 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1924) 『斯民』第 19 編第 3 号,1924 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1925) 『斯民』第 20 編第 3 号,1925 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1926) 『斯民』第 21 編第 3 号,1925 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1927) 『斯民』第 22 編第 3 号,1927 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1928) 『斯民』第 23 編第 3 号,1928 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1929) 『斯民』第 24 編第 3 号,1929 年 3 月 1 日. 中央報徳会(1930) 『斯民』第 25 編第 2 号,1930 年 2 月 1 日. 東洋経済新報社編(1926) 『明治大正財政詳覧』 東 洋経済新報社. 東洋経済新報社編(1954) 『昭和財政史』第 5 巻. 内閣印刷局『官報』3920 号,1925 年 9 月 16 日. 内務省編『内務省統計報告』各年版. 日本銀行調査統計局(1987)『明治以降卸売物価 指数統計』 . 農地制度資料集成編纂委員会編(1969)『農地制 度資料集成』第 2 巻,御茶ノ水書房. 農林省農務局編(1930) 『小作争議の概要』 . 文部省大臣官房文書課編『文部省年報』各年版. 立憲政友会会報局(1923) 『政友』第 271 号. 各府県『府県統計書』各年版. [やまぐち りゅうたろう 立教大学経済学部助教].
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