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北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1)

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(1)Title. 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). Author(s). 阿部, 二郎(函館); 尾崎, 文彦; 土谷, 敬. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 55(1): 79-94. Issue Date. 2004-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/347. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 平成16年9月. 北海道教育大学紀要(教育科学編)第55巻 第1号. September,2004. JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol・55,No・1. 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1) 阿 部 二 郎. 尾 崎 文 彦. 土 谷. 北海道教育大学函館校技術研究室 前北海道教育大学教育学部附属函館中学校長. 1.はじめに(問題の所在と研究の目的) 平成3年3月に刊行された,北海道教育大学将. 敬. 同副校長. 教育学部を廃止に追い込むこととは違う.〔中略〕 教育学部の使命(ミッション)とは何かを,それ ぞれの大学・学部で再確認することが出発点にな. 来構想委員会『将来構想に関する調査研究活動経. る.」4)と指摘する.そして「理論と実践を一体化. 過報告書』では,北海道教育大学について次のよ. した教育学部,理論の水準や質の高さを,魅力あ. うに述べられている.. ふれる大学数育によって示している学部.それこ. 「本学は,日本で唯一の『本校を持たない分校. 体制』を有する単科大学である.しかも,北海道 という広大な地域に5つのキャンパスが分散して. そが教育学部再構築へのビジョンである.」5)と結 論づけている.. 果たして,菓養の指摘する「理論と実践を一体. おり,それぞれの分校は,それぞれに異なった歴. 化した教育学部」とはどうすれば構築できるので. 史と伝統をもっている.旧師範学校を前身に持っ. あろうか.菜養は,この点には言及していない.. 分校もあれば,戦後新しく新制大学として発足し. 前掲の,北海道教育大学将来構想委貞会報告書. た分校もある.このような特殊事情を持つ本学に. をまとめるに至った背景には,1987(昭和62)年. おいては,常にこの5分校体制に対して様々な評. に設置された大学審議会の動向がある。この大学. 価がなされてきた.しかし,それが大学全体の評. 審議会における一連の審議は,1998(平成10)年. 価としてオーソライズされたことはこれまでにな. 10月の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策に. かった.従って,その評価に基づいて一定の見直. ついて一競争的環境の中で個性が輝く大学−」へ. しをしたり,将来像を措いたりすることもなかっ. と収赦していく.そして2001(平成13)年6月に. た。」 1). は,いわゆる遠山プランと呼ばれる「大学(国立. ところで,菓養正明は国立の教員養成系大学・. 大学)の構造改革の方針 活力に富み国際競争力. 学部が再編統合政策の下に置かれるようになった. のある国公立大学づくりの一環として」が公表さ. 大きなきっかけが,2001年11月の「国立の教員養. れている.前述の大学審議会の流れや各種の答申. 成系大学・学部の在り方に関する懇談会」こ報告書. 内容と遠山プランの相違は,後者の概要的なプラ. であると指摘している2).そして「なぜ教育学部. ン提示において「附属学校」の存在が取り上げら. の転換が相次ぐのか.それは単に教員養成課程の. れいたということにある.同年11月には,文部科. 規模縮小とだけ理解すれば足りるのか.〔中略〕. 学省高等教育局大学改革官室が「大学(国立大学). 教育学部の教職員で,胸を張って自らの研究分野. の構造改革の方針について」を公表しているが,. を『教育学』と称する研究者は,何パーセントい. 前掲の菓養が指摘した報告書である「今後の国立. るのだろうか.〔中略〕教育学部の相次ぐ転換は,. の教員養成系大学学部の在り方について一国立の. 求心力の乏しいこの学部の解体,拡散の動きとも. 教員養成系大学学部の在り方に関する懇談会−」. とれる。」3)と述べつつ,「これまでの教育学部に. も高等教育局専門教育課から公表されている.こ. アイデンティティーの不明確さがあったことと,. の報告書は4つの章で構成されており,第4章が. 79.

(3) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬. 「Ⅳ 附属学校の在り方」となっている.即ち,. 附属学校園が,大学運営上の課題に対して新規提. 教員養成大学学部の再編統合においては,「附属. 案をしようとする時に,それを汲み上げるための. 学校」も重要な課題であることを示しているとい. システムが整えられていないのだろう.. うことである. 北海道教育大学には附属学校園が11校存在して. 2003(平成15)年度に,函館校分校主事の指導 下にある4つの附属学校園が,ある1つのプラン. いる.東京学芸大学や大阪教育大学でも11枚であ. を企画した.本稿では詳細を省略するが,そのプ. り,北海道教育大学は全国でも最大規模の附属学. ラン内容は,従来の附属学校園が使命として課せ. 校園を付設する教育系単科大学なのである.しか. られていた範噂を越え,教員養成学部としての大. も,北海道教育大学には附属高校がなく,他方,. 学の在り方そのものを改革できるような試みが多. 東京学芸大学は1校,大阪教育大学も3校の附属. 数含まれている.ところが,北海道教育大学には,. 高校を持っている.つまり,北海道教育大学の幼. こうしたボトムアップ提案を大学全体のものとし. 稚園から義務教育学校段階までの附属学校囲数は. て検討していくためのシステムが存在していな. 全国で最大なのである.. い.全国最大規模の附属学校園を抱える大学に,. 北海道の総人口は,平成15年5月時点で. 附属学校固からの提案を受け止め,検討して承認. 5,690,493人であり6),市部人亡‖ま4,404,370人に. するための「正式なシステム」が欠如しているの. すぎない.北海道教育大学の附属学校園が,全て. である.. 市部に存在していることを考えると,日本最大の. この事例を契機として,筆者らが北海道教育大. 人口を抱える東京都と,第2位の大阪府よりも多. 学における附属学校園の組織上の位置づけ等を改. 数の附属学校園が4,404,370人に対して配置され. めて検討していくと,実に曖昧なものであること. ていることになる.この特異な実態は,北海道教. が明らかになってきたのである.. 育大学としても看過できないもののはずである.. 2004(平成16)年4月からの独立行政法人化を. 例えば,大学の改編に際して,「地域貢献」の. 在り方を様々な角度から検討し,“地域に開かれ. 控え,全国の大学では組織改編が急速に進められ. た大学”を構築していこうとする動きがある.こ. てきている.そうした改編に際して求められるの. れは確かに,重要な今日的教育課題の1つである.. は,大学としてのアイデンティティの構築である.. けれども,大学組織の一翼を担う附属学校園は,. けれども,教育系単科大学として特異な実態を持. 過去数十年間に渡り「地域社会の子弟の義義教育. つ北海道教育大学が,その改編に際して,どれほ. 機関及びその前教育機関」として,そして「教育. ど多くの時間を「附属学校」問題の検討に充てて. 研究実践学校」として“地域貢献”し続けてきて. きたと言えるのであろうか.. いるのである.ところが,基幹機関である大学本. 否,これまでの北海道教育大学は,附属学校園. 体は,そうした活動成果の累積に日を向けようと. に対してどれほど目を向けてきたと言えるのであ. はしておらず,大学と同様に「地域貢献」を目標. ろうか.附属学校. とすることを求めるばかりであるように思われ. 運用するための方針案の立案や条件・環境整備を. る.以前から“地域貢献’’を大前提とした活動を. どれほど行ってきたと言えるのであろうか.その. 続けてきている附属学校園に対して,ともすれば. 存在を,基幹機関の大学自体が忘れがちであった. 「地域貢献」を軽視しがちであった大学本体と同. のではなかったのだろうか.教育系単科大学とし. じような目標設定を求めることに価値があるとは. て,これほど特異な附属学校園実態がありながら,. 思われない.もし求めるのであるならば,基幹機. 本稿冒頭で引用した将来構想委貞会の説明文に. 関である大学が,附属学校園の‘‘貢献実績’’に対. は,附属学校園の「附」の字も出てこないのが一. する“客観評価’’を行い,その結果をもって“質. つの証であろう.それ故,大学組織の一翼を担う. 的な改善目標を設定するように求める’’べきもの. 80.

(4) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). ではなかろうか.基幹機関が評価することもなく,. うに位置づけられるべきであるのかという問題を. 評価結果に関する検討協議を行うこともなく,た. 論じ,北海道教育大学のアイデンティティの確立. だ第三者機関に一方的な評価活動を委ねるという. に寄与することが目的なのである.. ●●. 姿勢には疑問を持たざるを得ない. 本研究では,こうした様々な組織上の問題や附 属学校囲運営実態上の問題等を具体的に指摘しつ. つ,法人化後の北海道教育大学の組織における附. 2.教育事典等における附属学校の定義 本稿で取り扱う「附属学校園(以下,附属学校. 属学校の存在価値を考察し,その位置づけを検討. と表記する.)」は,国立学校設置法(廃止平成15. することを目的としている.. 年7月16日 法律117号),同施行令,同施行規則. なお,本稿は共同研究論文ではあるが,著者の. によって規定されるものである.本節では,法律. 公職上の立場がそれぞれ異なるため,データ収集. 的な定義とは別に,‘‘教育界’’でその存在がどの. や研究の方法と内容の決定に関しては分担と協議. ように解釈されてきたのかを述べる.. により進めたが,執筆は全て阿部が担当した.従っ. 著者らが教育事典及び事典的文献十数冊(最新. て,本稿における表記上の問題や論述内容上の問. 刊を含む)で「附属学校」項目を検索したところ,. 題(事実誤認)等があるとすれば,阿部がその責. 項目掲載の文献は意外なほど少なく,僅か9冊し. を負うべきものであることを明記しておく.. か確認ができなかった.また,項目表記も「付属. また,第一著者である阿部は,1981(昭和56) 年度から1983(昭和58)年度まで筑波大学附属中. 学校」と「附属学校」が半数づつであった.. 上記9冊の記述内容を比較すると,附属学校設. 学枚の非常勤講師を勤め,1鱒7(昭和62)年度か. 置の根拠である国立学校設置法施行規則第二十七. ら1999(平成11)年度まで,12年間に渡って北海. 条を基にした,①大学または学部における児童,. 道教育大学教育学部附属函館中学校に勤務した.. 生徒または幼児の教育または保育に関する研究に. そして,2000(平成12)年度から北海道教育大学. 協力すること・・・実験学枚としての役割を担っ. 函館校に勤務している.. ている,②大学または学部の計画に従い,学生の. 藤枝静正は,1951(昭和26)年3月31日の「国 立学校設置法一部改正」(法律第84号)と共に,. 教育実習の実施にあたること,以上の2つが共通 した記述内容であることが分かった.また,私立. 文部事務次官名による「大学学部附属学校設置に. 学校の附属学校と,教員養成を主とする国立大学. ついて」「大学学部附属学校設置要項」を取り上げ,. 学部の附属学校を区別して説明しているものが多. 「附属教員に『特別の資格』を要求している点が. 見逃されてはならない.」7)と指摘している.この 「特別の資格」とは,「(3)附属学校の教諭は相当. く,医学部の看護学校のような看護師養成のため. のものもあると記述している例も見られた8). しかし,こうした記述以外に目を転ずると,解. 学枚の教員免許状を有し,将来大学の教官となり,. 説内容に大きな相違が見られた.例えば,1873(明. 又はこれを兼ね得る資格を有する者をもって充て. 治6)年の文部省布達から触れ,「付属学校は師. ることを本体とすること〔傍点は藤枝 阿部〕」. 範学校生徒の教育実習校であり管内の模範枚であ. とされたものだったようである.この意味では,. るとみなされた.〔中略〕それらの多くは教育学. 阿部は附属学校園と大学との関わりを論じる“資. 部の付属枚として,教員養成の目的に奉仕してい. 格?”を有すると考えているが,本稿の目的は大. る.〔傍点 阿部〕」9),「附属学校は,教科に関す. 学批判にあるのではなく,附属学校園をただ肯定. る優れた実践的指導力をもつ教師集団の宝庫であ. することにあるのでもない.附属中学校勤務の体. る.附属実習で峠,自分のめざす教師モデルを見. 験と大学勤務の体験を基に,北海道教育大学にお ける附属学校園はどうあるべきか,租織上どのよ. 出すことができる.得意分野(教科)をもつ個性 豊かな附属学校の教員との出会いによって,教職. 81.

(5) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬. への意欲や実践的指導力を高めてほしいものであ. の段階にある『国立大学付属学校設置基準要項』. る.」10)などという肯定的な解説に終始するもの. の法制定化が望まれる.」16)等があるが,共に,「実. がある一方で,否定的な側面にのみ言及している. 験学校的機能」が強調されていることに注意して. ものも見られた.例えば,「受験エリート校化す. おく必要がある.. ることへの問題が出されている.」11),「大学の附 属学校は,本来は大学と協同しての実験学校とし ての役割をはたすべきであるのに,科学的研究の. 成果を公表することもすくなく,むしろ社会的特. 3.実験学校の定義と種別について 実験学校(LaboratorySchool)とは,狭義には,. 権学校への道を歩んだ学校もある.」12),「戦後の. 新しい教育理論や教授方法を,教育の場で実験的. 国立の付属学校もこの伝統を免れることができ. に試みる目的で設立された学校をいうが17),今. ず,多くの場合,いまも特権学校になっている.」13). 日では「教育についての研究をおしすすめようと. 等である.. する学校や,あるいは教育上の新しい試みを先駆. 記述内容の傾向を見てい′くと,教育制度上の事. 的に実践してみようとする学校を一般的に実験学. 実だけを解説しているもの,肯定的側面だけが解. 校と呼んでいる。」18)と解釈するのが妥当であろ. 説されているもの,否定的側面だけが解説されて. う.こうした実験学校に該当するものとしては,. いるものに大別され,バランス良く述べられてい. 2∼3年間の研究指定を受ける「研究指定枚」,. るものはほとんどなかった.以上を総括すれば,. 現行の教育課程基準によらず,教育課程に関する. 附属学校の果たしてきた役割とその成果は,功罪. 研究を行うように指定を受ける「研究開発学校」,. 相半ばしていると考える必要があるようである.. 大学の研究室や教育研究所などから協力を依頼さ. 敗戦直後の附属学校存廃論,及び昭和40年代前. れた「研究協力校」,そして教員養成大学・学部. 半期の教育職員養成審議会建議「附属学校のあり. 方」,日本教育大学協会特別検討委貞会における 「附属学校のあり方の再検討」,全国附属学校連. の「附属学校」等が考えられる.. 3rl 研究指定校 研究指定校は,文部科学省や地方自治体の教育. 盟と全国国立大学附属学校PTA連合会の結成と. 委員会が,教育課程や指導法など広く学校教育の. いう内容にまでにまで言及したものは2冊(実質. 改善や開発を目的として,研究課題を定めて実践. 的に1冊)しか見あたらなかった14). 的な調査研究を委嘱した学校であり,研究奨励校. 附属学校の今後の改善方向について言及してい. または研究推進校とも呼ばれる.研究の内容は多. る事例としては,例えば「一般の公立幼・小・中・. 岐にわたり,学校教育全体に及ぶ.ただし,現行. 高校に比して,教育研究の観点から比較的自由な. 制度の枠内,教育課程の基準の枠内での充実・改. 実践をすすめることができる条件をもっており,. 善が目指される.研究期間は2年が多く,3年の. 先駆的な実践の展開を試みているところもある.. 場合もある.研究終了後は研究報告がまとめられ,. 付属学校が実験学校としての本来の機能を回復す. 教育行政はもとより,近隣の学校の実践にその成. ることに,その基本的課題がある.」15)「日本教 I. 果が生かされていく.そのためにも,研究ための. 育大学協会の校種別研究会に所属し,大学・学部. 研究ではなく,事実に基づく鋭い改善のねらいを. とのパイロットプラン開発等の先導的・先駆的な. もった研究であること,成功事例のみでなく,困. 共同研究に参画し,その成果の公私立校への提. 難やうまくいかなかった事例や場面の分析も併せ. 供・普及・活用に努めている.公立学校との施設,. て行うことが重要であるとされている19). 設備,待遇面での格差改善が急務であり,本来の. 3−2 研究協力校. あるべき附属学校を実現するためにも1965(昭和 40)年日本教育大学協会により起案された未処理. 82. 研究指定校として,大学研究室や民間の教育研 究団体が委嘱した場合には,研究協力校と呼ぶと.

(6) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). される20).. ということである.. 3−3 研究開発学校. 附属学校は,学校数育法施行規則第八十三条,. 1976(昭和51)年度から設けられた制度で,学. 八十四条により,学校教育法に定める幼稚園,小. 校教育法施行規則第二十六条の二「小学校の教育. 学校,中学校,高校とみなす,‘‘みなし規定’’が. 課程に閲し,その改善に資する研究を行うために. 適用されるが,所轄は文部科学省高等教育局であ. 特に必要があり,. る.ところが,前述の各種「実験学校」の所轄は,. がなされていると文部科学大臣が認める場合にお. 文部科学省初等中等教育局である.この教育行政. いては,文部科学大臣が別に定めるところにより,. 組織における所轄の違いが,各種「実験学枚」制. 第二十四条第一項,第二十四条の二又は第二十五. 度整備の理由であると考えられるのである.. 条の規定によらないことができる.」(中学校と高. 本来なら,この2つの所轄における,目的を異. 校にも準用される.)で規定される学校のことで. にする「実験学枚」は並立するべきものであった.. あり,研究期間は3年間で,次期の学習指導要領. ところが,附属学校は“みなし規定”によって学. の改訂の実証的資料を得るために,現行の学習指. 習指導要領の法的拘束を受けるため,これまでの. 導要領に縛られずに研究開発を行う学校とされ. 附属学校で行われてきた各種の研究活動の多く. る.特に,2000(平成12)年度からは幼稚園教育,. は,学習指導要領を無視することができず,むし. 障害児教育,大学教育,地域一体の生涯学習へと. ろそれに沿ったものが多かった.それは,“地域. 拡大され,研究開発の課題も範囲を広げた.それ. 貢献”を念頭に据えた,地域の公立学校にとって. に伴って研究開発費も増加し,「新しいタイプの. の先導的成果を目指した結果であるとも言える.. 研究開発」として再編成された.実験学枚として. 後述するように,附属学校数貞の能力的・質的. の意義と役割とが,これまでにもまして重視され. 問題,附属学校観とも深く関わっていると考えら. たものであるとされる21). れるが,結果として,公立学校の「研究指定校」 との質的な違いが失われたとも言えそうである.. 4.附属学校と「実験学校」の関わり 今日では,全国の国立大学附属学校の多くが,. また,地方教育行政機関にとっても,公立学校 の「研究指定校」の方が便利な存在である.地域 実態を直接反映した研究成果を期待できるし,直. 自ら応募する形で研究指定校や研究開発学校の指. 接的な‘‘要請や指示”も可能であるため,管轄外. 定を受ける状況が生まれている.けれども,附属. にある‘‘みなし学校’’に頗る必要がなくなるから. 学校はその設置趣旨として,当初から「実験学校」. である.また,そうした“附属学校はずし’’の背. としての性格を付与されている.従って,何故に. 景には,戦前から醸成されてきた,“反附属学校. 改めて「実験学校」の指定を受ける必要があるの. 意識’’が強く作用した時代もあったと思われる.. かを検討する必要がある.同時に,全国に約260. ところで,附属学校の実験学校機能としての研. 枚もの国立附属学校(園)が存在しているにも関. 究活動やその内容が,学習指導要領に傾斜して. わらず,何故に文部省(文部科学省)が各種の「実. いった理由をどのように考えるべきであろうか.. 験学校」制度を予算化してまで整備したのかも検. 筆者らは,その最大の理由として,大学が附属学. 討する必要がある.. 校を単なる教育実習請負機関としてしか認知せ. 筆者らの結論を端的に述べるなら,制度が整備. ず,実験学枚機能面での活用を怠ってきたためで. されたのは‘‘縦割り行政’’が原因であり,附属学. あると考えている.全国的な傾向と思われるが,. 校が「実験学校」指定を希望するのは,附属学校. 附属学校が行う研究活動に対して,基幹機関の大. の主管機関である大学が,附属学校を「実験学校」. 学が“まともな予算計画”を組むことは稀であろ. として扱ってこなかったことと深く関わっている. う.. 83.

(7) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬 “学問の自由’’を保証する立場から,大学には. とではない〔学校長を研究指導者とは言わない.. 自治権が認められており,大学が主導的かつ本気. 阿部〕.困り果てた附属学校が,他大学からわざ. で附属学校の実験学校機能を活用しようとすれ. わざ研究指導者を招聴するという事態も決して珍. ば,相当に柔軟な研究活動が行い得たはずである.. しいことではないのである.. 例え短期間であったものだとしても,シカゴ大学. また,別の問題として,基幹機関である大学か. とデューイ(Dewey,J.)の事例はモデルとなり得. ら「積極的に研究指定校や開発学校の指定を受け. るはずである.ところが,主管の大学自体にはそ. るように努力してほしい.」という旨の要請を受. うした‘‘意識”が希薄である.研究活動のための. けたという各地の附属学校教員の話を聞くことが. 満足な予算がつかないとすれば,附属学校のアイ. ある.これは,誠に驚くべき本末転倒の要請と言. デンティティにおける二大要素の1つである実験. わなければならない.即ち,大学が大学自治権に. 学校機能が不全状態に陥るか,もしくは喪失され. 基づいて活用できるはずの附属教育研究機関に対. ることになる.もう1つの教育実習機能について. する指導権を,主管者である大学自らが積極的に. も,戦後の教員養成制度における_,いわゆる“開. 放棄することと同義だからである.こうした要請. 放制”のために多くの公立学校が担えるように. は,「研究指定校や研究開発学校の指定を得ると. なってきており,教育実習機能だけでは附属学校. いうことと,大学教官が科学研究費補助金を獲得. としてのアイデンティティが確立できにくいと考. するということの意味が全く異なる」という認識. えられる.もし,大学との共同研究的な形での教. が欠落した結果であるとしか思われない.文部科. 育実習機能が発揮できていたのなら,もう少し状. 学省からの指定を受けた場合,研究主体は指定を. 況は変わっていたのかもしれない.けれども,こ. 受けた学校にあるものの,研究方向の軌道修正・. の側面においてすら,多くの大学が附属学校を有. 各種の指導は文部科学省主導で行われるのであ. 効活用してきたとは言い難いのである.. り,求められる研究成果の性格上,学問研究とし. 結局,戦後の附属学校は,高まる‘‘附属学校存. ての側面は損なわれがちとなりやすい.学問研究. 廃論・各種批判’’の中でアイデンティティを確立. の府を自認する大学が,その附属機関に対して「非. する方向として,日本社会の高学歴志向の波に便. 学問性を指向するように働きかける」ことほど愚. 乗しつつ,成績優秀者を育成する進学校・エリー. かしいことはない.本来,学問研究成果の理論と. ト校化していくか,公立学校並に“独自’’に「実. 教育実践の統合的研究を行うのが附属学校という. 験学校」指定を獲得し,管轄外の初等中等教育局. 機関であったはずであるのに,実は主管者たる大. からの予算と研究指導者を獲得するという方向し. 学自体がこの貴重な機関とその機能を放棄もしく. か残されてはいなかったということであろし,指. は放置してきたと言えそうなのである.. 定校になれない場合には,先導的であると自負す. 本節では,附属学校のアイデンティティという. る“独自(時には独善的)”の教育実践研究を行. 問題に触れたが,この附属学校のアイデンティ. うしか方法がなかったと考えられるのである.そ. ティとはいかなるものであるのかについて,もう. の時に,“保険”として「学習指導要領」を据え. 少し検討する必要がある.この場合のアイデン. るのである.「学習指導要領」に沿った研究であ. ティティとは,国立学校設置法施行規則に示され. る限り,他の公立諸学校からの批判をかわしやす. た2つの使命だけでは説明しきれない,地域ごと,. くなるからである・羊の‘‘保険’’が必要とされる. 学校ごとのインフォーマルな要素を多く含むもの. のは,基幹機関の大学が附属学校の研究活動の“擁. でもある.この間題を検討するためには,附属学. 護者’’とはなってくれないからである.事実,附. 校制度の歴史的側面にも目を向ける必要がある.. 属学校が基幹機関である大学から研究指導者を得. 次節では,先行研究を参考にしながら,今日の附. られないという状況は,今日でも決して珍しいこ. 属学校が立脚している“土壌”が如何に“醸成”. 84.

(8) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). されてきたのかを見ていくことにする.. 「今日における附属学校の性格・機能の多面性の. 淵源は,すでにその創設期に認められる.」25)と 指摘する.以下,藤枝の指摘に従って整理すると, 5. 創設期の附属学校の性格は①練習・演習学校,(参 整理. 実験・研究校,③模範学校,が混然としていたの. 国立大学附属学校に関する先行研究文献を検索. だと言う.それが1883(明治16)年の「府県立師. すると,まとまった通史としての研究文献が極端. 範学校通則」(文部省達第12号)以降,③の模範. に少ないことが分かる.まとまりを持った先行研. 機能が強化されるようになり,幾多の混乱を経て,. 究文献の例としては,前掲の藤枝静正の手による. 1891(明治24)年には附属小学校について定めた. 『国立大学附属学校の研究一利度史的考察による. 単独規程の「尋常師範学校附属小学校規程」(文. 「再生」への展望−』(風間書房1996)ぐらい. 部省令第26号)が公布されたが,この規程は,前. しか存在しておらず,個々の研究論文を見ても多. 年度に制定された「小学校令」からの準拠(用). くの場合に藤枝が関わっている.. 規程が極めて多いこと,設備については「/ト学校. 各種の「学校」を対象とする研究論文の数は,. 設備準則」,学級編成についても「学級編成等二. 正に星の数ほど存在するが,そうした教育学研究. 関スル規則」に準拠することになっていたと指摘. を行う教育学部の附属学校そのものについての研. している.この関係は今日の附属学校が‘‘みなし. 究論文が少ないという事実は,附属学校の教育系. 規程’’によって,学校教育法施行規則に定める各. 大学・教育学部における扱われ方を端的に表して. 種の規則が準用され,設備や教員配置も各種規程. いるとも言えそうである.. を不文律的に準用されていることと重なる.. 戦後の附属学校に関しては,「教育実習」研究. 藤枝は,明治30年代噴から附属学校の研究機能. との関わりにおいて取り上げられる場合が多い.. の重視が目立ち,附属小学校がイ府県内小学校の. 特に,前述した1951(昭和26)年の「附属学校設. 模範的研究所たるべきことが強調されたのであ. 置要項」を契機とし,1964(昭和39)年の「国立. る.」26)と述べつつ,1907(明治40年)の「師範. 学校設置施行規則」の一部改正,1965(昭和40年). 学校規程」(文部省令第12号)の制.定により,そ. の教育職員養成審議会建議「教員養成のための教. れまで用いられてきた「実地授業」に代わって「教. 育課程の基準について」以降は,大学が教育実習. 育実習」という用語が用いられるようになったと. に関して附属学校の研究的協力を求める傾向が強. 指摘している.. まったと言えそうである. 本研究は,附属学校制度史研究ではなく,一般. 藤枝の多くの指摘において特に興味深いのは, 「代用附属学校」についてである.藤枝は代用附. 論としての附属学校研究でもない.あくまでも北. 属小学校を次のように定義している.「戦前のわ. 海道教育大学における附属学校の存在意義を検討. が国における代用附属小学校とは,師範学校附属. することにあるため,前掲の藤枝の著作と,『教. 小学校の代わりとして,もしくは補充あるいは補. 育実習指導資料』22),『教師教育の課題』23),『教. 完として用いられた市町村立小学校もしくは国民. 育実習学の基礎理論研究』24)を基本的なテキスト. 学校をいう.〔傍点藤枝 阿部〕」27)そして,この. としつつ,附属学校制度史の概要と,その時々に. 代用附属学校制度の問題事例として「神奈川県師. 指摘されてきた問題点を整理することに留める.. 範学校は,当時無名の半農半漁村地区にある腰越. 我が国の附属学校(附属小学校)は,1987(明. 津村の正修小学校を代用附属とした.校長以下職. 治6)年の文部省布達番外に端を発するというの. 員の大更迭を断行し,教育の向上に努力した結果,. が一般的な見解とされているようである.以来,. 1925(大正14)年ごろには,あらゆる面で本校の. 130年余の歴史を持つ附属学校であるが,藤枝は. 附属と対等の学校となり,県下教育の一権威と 85.

(9) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬. なった.しかし『其の榎本校附属と対立競争の形』. 附属は管内の一般小学校に対する絶大な影響力を. となって,結局は代用附属としての存在意義を失. 行使し得たのである.」31). うことになり,ついに1929(昭和4)年に廃止さ. そして附属小学枚の問題点を5つに要約してい. れるに至っている.これは附属と代用附属の機能. る32).以下,項目的に概要を示す.. の混乱に根本的原因があったためと思われる.〔傍. ① 多様な役割・機能相互間における矛盾.特に,. 点藤枝 阿部〕」28)と述べているが,この事例は, 前述した今日の附属学校と研究指定校の逆説的な. 関係事例と見えなくもない.同様に,藤枝が示し た石川県師範学校の事例では「教育は都市と農村. 教育実習機能と模範学校機能の対立と矛盾. ② 模範学校機能の肥大化・突出化傾向によるエ リート学校化. (彰 エリート校化による管内一般小学校からの遊. 漁村とによってその目標も異なり,また方法も異. 離傾向が顕著となり,師範学校との一体性が稀. なっているとの認識に基づいて『師範の附属校で. 薄化乃至欠如し,附属にまつわる一種の独善性. 基礎的実習を終えた教生は,代用附属校で応用的. が生じた.. 実際的な教育実習をする』という機能分担方式の. ④ 模範機能の排除,模範機能と教育実習機能の. 上に立って,両附属が相接摸して師範教育の効果. 分割,研究機能の強化,通学区の設定と入学考. を上げている.〔傍点藤枝 阿部〕」29)とされてい. 査の廃止などが提示されたがほとんどが実現し. るが,この機能分担の考え方は,現在の函館校に. なかった.. おける教育実習計画の基本概念と相通ずるものが. ⑤ 師範学校と付属学校を結ぶ唯一のパイプは,. あるように思われる.同様に,今日に通ずる「師. 教育実習校としての機能であったが,事実上,. 範学校と附属学校の関係上の問題」として,師範. 教育実習は附属学校に一任されていた.. 学校と附属学校が一体化されないことに対する林. 健一の論文を事例として示している.その例示に. 藤枝は,こうした戦前の附国学校の問題点を解. おいて,「〔林は〕師範学校教員が,あまりに小学. 消するための戦後の根本的な変草は,3つの側面. 校の事情を知らなすぎる点を指摘し,本校と附属. において理解されると述べている33).即ち,①. の緊密化. 消極的な側面として,「模範学校」「特権学校」と. による共同研究の必要性を力説している.彼はま. しての附属学校の否定,②消極的な側面として,. た『本校教員が教生の授業を終始見にゆき,一つ. 大学とその附属の緊密な連携と協力によって遺骨. にはそれによって己の授業の反省に資し,又学問. されるべき「教育研究・実験学校」として附属学. 上から気のついた助言を,場合によっては指導訓. 校を理解していこうとするもの,③変革指向の背. 導にも与え,又教生をも指導するということなど. 景には,教育実習観そのものの変化,つまり,こ. は当然なさるべき』ことを主張している.〔中略〕. れまでの「師範教育の総仕上げの場」としてみる. 今日なお傾時に催する要素を含んでいることは否. 立場から,あくまで「研究」と「実習」とを二元. 定できない.〔中略〕林と同趣旨の意見が,大学. 論的にではなく,統一的に考える立場への移行が,. と附属の両者から,かなり強く出されている事実. 少なくとも原理的には明確になっている.. を指摘しておきたい.〔傍点藤枝 阿部〕」30)とも. 藤枝の指摘を待つまでもなく,戦後には附属学. 指摘している.これもまた,函館校のFDにおけ. 校論議が断続的に繰り返されてきている.. る新任者研修において「附属学枚の授業参観」を. 指摘した③は,今日においても附属学校の重要な. 位置づけていることと無縁ではない.. 機能の1つとされる教育実習機能である.この間. 藤枝は,戦前の附属小学校について次のように. 総括する.「この附属の特徴は,多様な役割・機 能を付与されていたことであり,これらを通じて,. 86. 題を焦点化して,もう少し戟後の動きについて見 ていくことにする. 1969(昭和44)年に,文部省教職員養成課長の.

(10) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). 手塚晃は,『教育実習指導資料』の発行に際して,. 点阿部〕」36)と述べられている.この見解が述べ. 推薦文で次のように述べている.. られたのは,今から20年前である.すでに戦後40. 「戟後,教員養成制度が大学で開放制により行 われるものとなった際,教員養成課程においては, 『教育実習』は必修の科目であることが法令上規. 年を経過していることを確認しておきたい.. 2001(平成13)年に刊行された,藤枝の別著『教 育実習学の基礎理論研究』の「あとがき」で藤枝. 程され,実施されてきた.しかし,その意義,目. は次のようにも指摘する.「教育実習の歴史は,. 標,内容,方法等についての具体的な規程はなく,. わが国教師教育の歴史の最も重要な部分を構成す. すべては自明なものとして大学の教育計画に委さ. るといっても過言ではなかろう.それにもかかわ. れていた.その実態はどうであったろうか.残念. らず,これまで教育実習が本格的な学問的研究の. ながら医学部などの臨床実習にくらべるべきもの. 対象となった形跡はほとんどみられない.〔中略〕. でありながら,多くの大学においてまま子扱いを. 戦後,教師教育改革が行われるたびに,教育実習. され,あるべき本来の姿で実施されてきたとは言. 論や教育実習学の必要性が叫ばれたが,それはほ. い難い.また,教育実習についての掘り下げた研 究はほとんど行われず,教育実習そのものが附属. とんど掛け声だけに終わっている.」そして,こ のことは「(1)教育実習は,大学における教養教育. 学校や協力学校の教官達に委せられっばなしとい. の一部なのか,あるいはまた大学における教師教. うのが実情であった.〔傍点阿部〕」34). 育全体のコア(core)としてインテグレーション. 手塚の文章からは,戦後25年が経過した時点で. 機能を持つものなのか,それらのいずれでもなく. も,藤枝が戦前の附属学校の問題点として整理し. て単なるアネックス(annex),つまり附加物に. た5項目の内の⑤の内容,「事実上,教育実習は. すぎないのか,こうした基本的な点について国民. 附属学校に一任されていた.」が何ら変わること. の間で,また専門家の間で十分なコンセンサスが. なく引き継がれていた事が分かる.. 必ずしも得られていないこと,(2)これらの諸問題. 前掲の手塚晃の文章から14年が経過した,1983 (昭和58)年に,日本教育学会が設置した教師教. 育に関する研究委貞会(1978−1982)の4次にわ たる研究報告書の全体を整理したものとして『教 師教育の課題』が刊行されている.本書において. を学問的に論議するだけの基礎的研究がほとんど. 存在していないことなどである.」37)によって証 明されるとも述べている.. 附属学校機能の中で,最も議論されてきている 「教育実習」についてすらこうした状況があると. は,教育実習との関わりという観点から「附属学. するなら,附属学校のその他の嘩能に関するまと. 校」問題がまともに取り上げられている.そして,. もな論議がどの程度なされてきたのかを推測する. 戦後の「附属学校改革」にも触れつつ「結果的に. ことはそれほど困難なことではない。附属学校は. は附属学校は根本的革新を果たすことができな. 大学のAttachedSchoolなのであろうか,それと. かった.」35)と結論づけている.そして,「現在に. もAnnexedSchoolなのであろうか.. おける教育実習と附属学校をめぐる問題」の項で. は,「大学・学部と附属学校の間がが必ずしもス. ムーズにいかず,教育実習の実施やその改善にあ. 6.教大協と国大協における附属学校論. たって障害が生じているとの指摘も多く,附属学. 本研究を行う上で,国立大学附属学校と深く関. 校の基本的性格や任務および役割などについて改. わる教大協(日本教育大学協会)の附属学校に対. めて検討されるべき問題が多々あるものと判断さ. する姿勢と見解を検討していくことは極めて重要. れる.しかるに,従来,附属学校についての十分. である.ただし,本稿においては紙数の関係から. な研究や調査が行われていないのが実情である.. 一つの事例を提示するだ捌ことどめる.. これでは片手落ちといわれても仕方なかろう.〔傍. 1987(昭和62)年度,日本教育大学協会研究集. 87.

(11) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬. 会(秋田大学)では,全体討議として「社会変動. そして,「公立学校との人事交流が学校管理の. に伴う教員養成大学・学部・附属学校の課題と展. 上で意味があることは確かであるが,それはしば. 望」がテーマとして設定されており,目頭挨拶に. しば附属学校園の独自性の喪失をもたらし,/教育. おいて会長の関 四郎〔当時,帝京学芸大学・教. 研究の生産性を低下させることにつながる.また,. 員養成審議会副会長 阿部〕が次のように述べて. 人事交流がスムースに進むということは,附属学. いる.「発表内容からみましても参加者数等から. 校園が地元教育委貞会管轄の機関に近似すること. みましても,ある程度期待しておりました様に,. であり,所属する大学・学部との関係がそれだけ. 附属と学部とが一体となって教育研究ができる,. 稀薄になるということを意味する.」という指摘. そういうふうな状況が出て参りました.〔傍点阿. は白眉である.今日の附属学枚園が抱える根源的. 部〕」38).その後の全体討議では,附属学校から. な問題の本質を鋭く捉えている.. のパネリストが教育実習や現職教育に関わる報告. 「附属学硬園の使命を十分に達成するためには,. の中で「時には大学の指導を受けながら思考整理. 人事交流の方法とルールについて十分に検討し,. していくことを夢見ている.」「なんとしても大. 附属学校園と公立学校の双方にとって有益な成果. 学・附属が団結して進んでいくことが必要であ. る.」と発言している.〔前掲の関も教育実習と附 属学校との関わりについて報告をしている.〕. が得られるような方策をつくり出す必要がある.」 「〔附属学校囲における教育研究の充実と公立. 学校との教育研究,人事の両面における交流をと. この集会報告を検討して分かるのは,わずか16. もに実現するという困難な課題を〕確実に確保す. 年前の,それも最も附属学校と関わりの深い教大. る一般的方策はないが,附属学校園における教育. 協集会においてさえ,附属学校と大学の連携はま. 研究に新生面を開くことがなによりも重要であ. だまだ「課題」にすぎず,その中心課題は「教育. る.そのためには各附属学校園における教育研究. 実習」だけであったということである.. の目的と性格の見直しが必要となるだろう.」 「地元教育界との関係が密接なことはプラス面. 国立大学協会教員養成制度特別委員会が1997 (平成7)年5月に刊行した『大学における教員. 養成一教員需給の変化に対応する教員養成のあり. 方−』では,第1部Ⅲ−2「附属学校の責務と存. として新しい内容と方法を開発することによっ. て,むしろ地元教育界をリードする研究の展開を 図る必要がある.」. 「附属学校園の教育研究の性格は,方法的工夫. 在理由」という項目が設けられ,(1)附属学校の存. を脱して新しい内容や課題に取り組むことが求め. 在理由,(2)附属学校園に向けられた批判,(3)附属. られる.」. 学校園の再生,が論じられている39) このコンパクトなまとめは,的確に的を射たも. 以上の指摘も全て重要な指摘である.ただ問題 なのは,「誰がそれを主導するのか」「活動主体者. のであると著者らは考えている.特に重要と思わ. は誰なのか」という部分が完全に欠落している事. れるのは,附属学校の存在意義を簡潔に3点掲げ. である.附属学校の設置者である大学が主導する. ていることである.即ち,①公教育の場である.. べきものなのか,それとも附属学校が自己の努力. ②所属する大学・学部の教育実習に協力するこ. 目標とするべきなのかが分からないのである.. と,(彰英践的な教育研究の場であること,である. そして,これを公式(建前)に終わらせること なく,実際に意味のあるものとして実現するポイ ントとして「公立学校との人事交流の促進と教育. 後半のまとめ部分では,「附属学校園の使命を. 達成しさらに充実させるためには,その役割期待 に応え得る人的・物的条件の整備が期待される.」 「公立学校の基準以上に人的・物的な面での余裕. 研究の活性化とを両立させる具体的方策である.」. が与えられるということだけではなしに,学校運. を掲げている.これも極めて重要な指摘である.. 営や教育活動上での先駆的な試みが自由に行える. 88.

(12) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). だけの一定程度の自由な裁量を許されることが前. ら,附属学校は決して革新的な教育・研究活動を. 提となる.」という指摘もなされている.ところ. 行おうとはしないだろう.前述のように,附属学. がこれを繋ぐ文章として,「このように附属学枚. 校は公教育の一翼を担っており,「附属学校教員. の存在意義を示すためには,それを可能にする条. である前に,学校の教員である.」という意識が. 件整備もまた軽視することができない.」がある.. 附属学校数貞にはあるからである.新しい試みを. 受け取り方によっては,前半の指摘に対しては附. 行う場合,「失敗したら誰れが責任を取るのか」. 属学校園が努力せよ,後半の指摘に対しては大学. ということは大変に重要な問題である.「附属学. が努力せよとも受け取れる.しかし,附属学校の. 校は,常に新しい試みを行いなさい.ただし,そ. 教員は,附属学校の存在意義を示すために異動し. の全責任は附属学校が負いなさい.」という旧来. てきたのでもなければ,存在意義を示すための仕. の構図を引きずる限り,附属学校に革新を求め,. 事を目的にしているのでもない.従って,あくま. 期待しても何も生まれてはこない.この点につい. でも以上の各指摘に主体者として対応するのは,. ては4節で述べたので繰り返さない。ただし,附. 大学であると解するべきであろう.つまり,大学. 属学校の教員が自己保身のことしか考えないとい. の“意識”が問われているということである.. うことなのではない.そもそも,基本的に「公立. その他の重要な指摘としては,「国立大学附属. 学校の教員」の発想は「保守的」にならざるを得. 学校に,公立学校の範となるという意味で,学校. ないのである.それは,子どもを相手にする仕事. 運営や教育活動について細かい規制が加えられる. であり,失敗が許されない仕事であるためである.. 場合には,それが附属学校として実践的教育研究. その意味では,附属学校数貞の意識は「公立学校. の場としての役割を制約し,ひいては附属学校の. の教員」と完全に同質なのである.. 存在意義を低下させることになっていることは十 分に考慮されなければならない.」がある.. 藤枝は,戦前の附属学校関係者の4例の自己評. “自由’’は大変に重要であるが,“保険”が一. 切無い“自由’’は,“自己規制”を意識させるこ とになり,結果として‘‘保守的な行動”しか生み. 価を示しながら,「ほぼ正確に戦前の附属学校の. 出しはしない.従って,前掲の数々の的を射た指. 果たした機能という▲ものをいい当てている.」40). 摘を受け止め,それを現実のものとしていくため. と述べるが,その4つの例示中の1つに「附属. には,附属学校の努力目標として捉えるだけでは. は‥‥‥全国を同じ型の教育に塗りつぶす使命を. 不足なのである.主管者であり基幹機関としての. 果たした.」がある.これは,附属学校設置以降. 大学が,附属学校をどのように活用していくべき. に次々と発せられた法規制により,附属学校が“が. だと考えるか,大学の“意識”と“意志”こそが. んじがらめ”となり,どこの附属学校にも違いが. 必要なのであり,その“意識’’と“意志”の下で. なくなっていったということと,附属学校の影響. 実現化の努力活動を主導することが重要なのであ. 力の大きさとの関係を言い表した事例である.. る.そうした“意識”と“意志’’があれば,「附. 戟前の附属学校の在り方の反省を活かすために. は,上記の「附属学校園に与えられるべき自由裁. 属学校の運用方針(理念)」を定めたり,「具体的 な運用計画」も立案できるはずである.. 量」は極めて重要なことである.ただしそれは, 主管着であり基幹機関である大学が最終責任を負. うという構図においてのみ意味を待つのである. ‘‘放任・放置”と引き替えの“自由裁量’’であ. 7.北海道教育大学の事例 本節では,本稿の冒頭で引用した,『将来構想. るなら,全く意味を持たないのである.“自由裁量”. に関する調査研究活動経過報告書』の1991(平成. を行使した結果として生ずるあらゆる責任が,行. 3)年から1993(平成5)年までの3冊を事例と. 為主体者であ、る附属学校に帰せられるのであるな. して取り上げ,本学の将来構想調査研究活動にお. 89.

(13) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬 いて附属学校がどれだけ検討対象とされていたの. おける研究活動はどのように行われているか」の. かを検証することにする.. 項には,附属学校関連の項目すら作られていない.. この時期は,新課程問題,大学院設置問題,函. 館枚の分離独立問題,各種センターの設置構想な. Ⅱ.北海道教育大学の将来構想に関する基本的指 針においても,附属学校関連の記述は皆無である.. ど,大学として多くの課題を抱えていた時期であ. 分校の活動報告では,旭川分校の「現在の附属. り,換言すれば大学としての新たなアイデンティ. 幼稚園,小学校,中学校の整備はもとより,附属. ティを構築するチャンスがあった時期である.. 高等学校,特殊教育学級等の設置も含めて,附属. ① 平成3年3月版の調査結果. 園・学校の抜本的な整備構想を持つ.」岩見沢分. 本文が63頁の報告書において,附属学校に関す. 校の「附属小学校の設置については,未だ実現の. る記述はほとんど見られない.北海道中学校長会. 見通しは立っていないが,今後ともねばり強く要. の石和進治の発言「附属学校への学生の出入りを. 求を続けていきたいものである.」で全てである.. 自由にして,実習の日常化を図ることは如何か.」,. ③ 平成5年3月版の調査結果. 岩見沢分校における状況についての説明中の「①. 本文が50頁中,今井憲一による「5分校体制に. 附属小学校設置構想については,小規模,複式教. 関する提言その1」で「教育実地研究の機関とし. 育に資することを考慮している.」という部分の. て設置されている附属学校園と大学院の研究の連. みである.北海道教育大学の将来構想についての. 携体制をどのように確立するか.」.第18回将来構. アンケート結果からは,附属学校での教育実践研. 想委貞会議事要旨において,岩見沢分校から「附. 究が本学の特色であると考えている割合が1.0%. 属学校運営協議会について機能をより充実すべき. であり,本学の充実・改善するべきものは何かと. である,開催回数を増やす等で対応すべきである.. いう設問項目には附属学校関連項目自体が欠落. 苦情を聞くだけでなく,その解決の方途を探る必. し,教員養成の立場からの主張で,附属学校の内. 要がある.教師数育という面でもっと議論すべき. 容や施設・設備の整備充実が4.2%であって,将. である.運営協議会自身の検討が必要である.」,. 来構想に関する自由記述で附属学校の見直しが. 釧路分校から「附属学校運営協議会について分校. 0.8%であったことが読み取れる程度でしかない.. 附属学校運営協議会で以下のまとめをした.所管. 分校における活動報告でも,札幌分校部分では. は,学長としてはどうか.担当は,例えば事務局. 「とくに附属養護学校の設置の遅れは,住民の期. 庶務部としてはどうか.協議会という名称を委員. 待に応えられないばかりでなく,教育研究条件を. 会に変更してはどうか.これに基づき,分校将来. 未達成のまま残す結果となっている.」函館分校. 計画委員会で検討した.機構上の問題として,文. では「附属学校園や付置研究施設のあり方や整備. 部省,本部,分校の流れがスムーズでない.要望. などの諸問題は,将来計画の中の検討項目である. がどう取り扱われたかについて,フィードバック. とともに,常時,その見直しや改善などを求めら. されていない.」,函館分校から「附属学校運営協. れる当面の課題である.」釧路分校では「1.附. 議会について分校内の委員会の見直しを行ってい. 属小学校の設置」で全てである.石井前学長の将. る.委員会の必要性は認める.在り方については. 来展望部分にも,報告書のまとめ部分にも,附属. 内容のある会議にすべきである.」,札幌分校から. 学校に関する記述は見られない.. ② 平成4年3月版の調査結果 本文が68頁中,活動経過報告(2年間のまとめ). 「附属学校運営協議会について分校附属学校運営. 協議会で検討した.附属関係者の意見を直接聞け るように配慮願いたい.」.第3回将来構想委員会. の項での記述は見られない.Ⅰ.現状と課題等で. 議事要旨において「附属学校運営協議会について. は,附属機関の課題として「1.岩見沢の附属学. も,分校に持ち帰り,その性格も含めて検討して. 校設置が緊急課題である.」のみである.「大学に. もらうこととした.」.. 90.

(14) 北海道教育大学における附属学校の存在意義の検討(1). 分校における活動報告では,旭川分校の「附属. たしている附属学校園の関係教官の論文も掲載す. 学校園との研究システム確立についてこれについ. ることができた.」「もちろん函館枚の附属学校に. ては,現在検討中で次年度以降実現すれば,具体. 関しても同様の捉え方ができる.」「教育実習校と. 的成果が期待できる.附属学校囲等の将来構想と. しての機能に関しては,附属学校の教育機能が最. 概算要求システムの確立についてこれについて. 大限に活用される必要があるが,教育実習の在り. も,現在検討中である.」. 方やその改善の方向性についての研究は,当然の. ウム92道東の教育と教員養成を考える」では,短. ことながら大学と附属学校との連携のもと両者の. いが注目するべき記述が見られる.根室市小中学. 共同研究を基盤として進められなければならな. 校長会長の米田孝一の発言「さらに附属小・中学. い.」「研究実験校としての機能に関しては,大学. 校と根室の教育との人事交流をお願いしたい.こ. 側の中・長期的な研究計画の策定,大学と附属学. の20数年間一度も無かった.このことには大学の. 校が対等の立場で協議できる共同研究の場の確保. 閉鎖性を強く感じている.」,当時の柴田附属小学. など,研究体制の確立が大きな課題である.今何. 校長の発言「附属小学校との人事交流について.. より求められているのは,附属学校の存在理由と. 根,釧,網とできるのは有難いことと思う.小学. その機能の活用に関する大学側の理念の明確化か. 校では異動は8∼10年かかっている′.また小学校. もしれない.」. だが専科制を取っており,現在は14人.過去に十 勝から5∼6人長期研修の例はあ挙が,市町村の 予算等により困難とも聞いている.」,小山内附属 中学校長の発言「人事交流は前向きに考えるべき. 8.北海道教育大学における附属学校の価値 前節に示した事例からは,附属学校に関する,. 要請と考える.研究交流はあるが,人事のご相談. 幾つかの知見を得ることができる.. というとどうしても釧路教育局に足を運ぶことに. ① 大学教官における「附属学校」の存在感は大. なる.現在15人の教員は釧路出身12人,十勝出身. 変に低く,附属学校の問題が大学自身の問題と. 3人の実態である.」. は考えてはいないようである. ② 同様に,大学の問題が附属学校の問題にもな. 全学を挙げて,足かけ3年間にも及ぶ調査研究 活動結果としてまとめられた報告書における附属 学校関連記述は,ただこれだけなのである.. るとは考えていないようである.. ③ 附属学校における問題では,施設設備の側面 しか注目されないようである.. そこで,大学カリキュラム上どうしても附属学. (む10年程前に検討された「将来計画」における. 校と関わりを持たざるを得ない「教育実習」関連. 附属学校関連の(案)は,1つも実現化されて. の報告書も調査することにしたのである.. はおらず,画餅と化したようである.. ④ 平成7年度教育実習委員会園山和夫編『北海. ⑤ 附属学校運営協議会は,実効性のある協議会. 道教育大学函館校における教育実習改善の試み. とは捉えられておらず,附属学校からの要望受. (2)』(北海道教育大学函館校 平成8年3月). 付機能しか持っていなかったようである.. この報告書では,大学からの原稿,4つの附属. ⑥ 附属学校と公立学校との人事異動には,主管. 学校からの原稿,2つの代用附属校からの原稿,. の大学は関与せず,地方教育局と附属学校間で. 小・中各校長会会長からの原稿,テキスト改訂・. 交渉・決定されており,交流地も偏向している.. アンケートの分析結果などで構成されている. この報告書中には幾つかの注目するべき記述が. 確認されたので,そのまま転載する. 「また,函館校の教育実習で中核的な役割を果. ⑦ 大学数貞と附属学校教員の連携・協議の必要. 性は理解していても,原稿を集めるという事ま でしか成し得ず,直接協議はできていない.. ⑧ 各地に点在する附属学校が,分校の附属であ. 91.

(15) 阿部 二郎・尾崎 文彦・土谷 敬. るという誤った認識が存在している. ⑨ 附属学校の機能が2つの側面でしか捉えられ. うである.審議対象事項は,(案)によれば,① 附属学校の管理運営の基本に関する事項,②中期. ておらず,公教育機関でもあるという側面が看. 目標・中期計画及び年度計画の実施に関する事. 過されていて,公教育機関として担う附属学枚. 項,③大学と附属学校との連携及び連絡調整に関. の社会的責任には全く目が向けられていない.. する事項,(彰教育実習に関する事項,(9その他必. 以上が,著者なりに捉えた北海道教育大学にお. 要と認められる事項,の5項目が示されている.. ける附属学校の位置づけの一側面である.. 本学の大学教員は,11校の附属学校の規模が大. しかし,この審議項目でいわゆる“在り方懇’’. 報告書の趣旨を反映させられるのであろうか.上. 学全体の“教育資産’’に占める割合をどの程度理. 記の5つの項目では,附属学校の教育実習機能面. 解しているのであろうか.平成15年版職員録を参. への対応は可能だとしても,公教育機能としての. 考にして,北海道教育大学全職員(名誉教授を除. 側面,実験学校機能の側面が無視されているかの. く)に占める人的割合を調べると,11附属学校全. ように見える.それとも,そうしたものは全て⑤. 体で常勤教員は175名に及ぶのである.この数字. に含むということであろうか.だとすれば,大学. は,本学の5分校のどれよりも教員数としては多. は附属学校の実験学校機能を教育実習機能よりも. いのである.5つの分校問題を論じる時に,実は,. 低く設定しているということになるだろう.③の. 潜在的にもう1つの分・校規模の教員が影響を受け るということにどれほど気づいているのであろう. 「連携」という意味も曖昧としており,何につい ての連携なのかが分からないのである.. か.3年間に及ぶ調査研究報告書の累計181頁中,. ①と②については各附属学校の学枚長の集合体. 記述量がA4用紙1枚半にも満たない附属学校に. としての委員会でも機能すると思われる.けれど. はいかなる存在価値があるのであろうか.. も,③・④・⑤に関しては実務レベルでの審議が 求められ,この委員会が実効ある審議を行い得る. 9.大学の新組織と附属学校について 本稿冒頭に述べた,「今後の国立の教員養成系. ものであるのかどうか疑問が残る.なぜなら,現. 行の『北海道教育大学規程集』,北海道教育大学 附属学校運営規程第7条では,23項目もの業務内. 大学学部の在り方について」が公表されたのは. 容を教頭の専決事項として定めており,実質的に. 2001(平成13)年11月であった.それから2年以. 学校長が専決する実務的業務はほとんど無いとい. 上の時間が流れ,独立行政法人化に向けた大学組. うのに等しい状況があるからである.. 織作りは終了段階を迎えている.この間,どれほ. また,2004(平成16)年3月2日には,北海道. ど「附属学校」問題が論じられできたのであろう. 教育大学と岩見沢市の間で「相互協力協定」を締. か.ただ,附属学校としての中期目標設定を求め. 結している.現在,岩見沢市には附属学校は存在. てきただけではなかったか.設定した中期目標を. していないが,附属学校と所在地域社会との関わ. 完遂できるようにするための,附属学校組織の充. りは今後ますます重要になっていくと思われる.. 実化を推し進める実効ある支援組織の形成にどれ. 特に,こうした1都市との協力協定締結という前. だけの知恵を絞ってきたと言えるのやあろうか.. 例が生まれれば,今後,附属学校所在地との協力. 創設予定の,附属学校運営会議は附属学校の管理. 協定締結が求められる可能性が出てくる.大学組. 運営の基本的事項を審議する等,附属学校の円滑. 織が締結するということは,その組織の一部であ. な運営のために設置されることになっている.と. る附属学校もまた役割を担わなければならなくな. ころが,その構成メンバーは,学長が指名する理. るはずである.そうした問題もこの運営委員会が. 事1人,附属学校の長,稔務部長,必要に応じて. 審議するのであろうか.. 副学長を加えることができるということになりそ. 92. さらに,2004(平成16)年3月10日には,北海.

(16) 北海道教育大学における附属学枚の存在意義の検討(1). 道教育委員会・札幌市教委と北海道教育大学が. ること」が「中期目標・中期計画及び年度計画の. 「公立学校と附属学校間の人事交流の実施」に関. 実施に関する事項」にすり替えられているだけで. わる協定と「大学教員との人事交流」に関わる協. ある.つまり,現行の「教育研究」が「計画と実. 定を締結した.後者はともかく,これまで附属学. 施」という意味内容に“媛小イビ’されてしまって. 校人事に関する規程は,規定集には一切存在して. いるのである.しかも,現行の運営委員会では,. いない.従ってその採用に際しては,国家公務員. 各附属学校の長又は教頭であったものが,校長に. 法第三十六条の人事院規則で言う「選考」によっ. 限定されてしまう(代理出席は認められている). て実施されてきていたようであり,「選考」を直. ことになるのである.著者には,教員の立案とは. 接行うのは附属学校長と副校長であったようであ. 思われない極めて事務的な改案に思われる.. る.ようであると表現するのは,内規としても文. この他,「北海道教育大学附属学校長選考基準」. 章化されたものが存在していないからである.本. と「附属学校校則」がある.興味深いのは,『北. 稿では,附属学校における人事交流の問題は極め. 海道教育大学規定集』の「第8編 教育研究施設」. て重要であることを述べてきたつもりである.あ. には附属学校が含まれず,「第10編」として別立. る意味では,附属学校にどのような教員を配置1. てとなっていることである.これは,附属学校が. 配属できるかという問題は,附属学校にとって生. 「教育研究施設」ではないという意味なのであろ. 命線に関わる問題=死活問題だからである.とこ. うか.ところで11校存在する附属学校の校則は,. ろが,前記の運営会議の主要な審議事項としては. 驚くべき事に校種別に定められているのではな. 設定されていない.正式に協定が締結された事項. く,個々別々に定められている.同じ大学の同じ. に関わる内容が,審議対象項目として欠落してい. 校種の学校が規程集に別々な校則を載せるという. るのである.これをどのように解釈すればよいの. こと自体が理解できないものである.附属学校の. であろうか.. 校則は,学校教育目標などのように,学校が個々 別々に定めて良いものではないはずである。また,. 10.現行の北海道教育大学規程の問題点 独立行政法人化を控えた現時点で,現行の規程. 教頭の呼称として「副校長」を用いることを定め ているところとそうではないところが存在してい る.それにもかかわらず,職員録では「教頭・副. 内容を論じることはあまり意味がない.しかし,. 校長・副園長」と一律に表記している.これでは,. 規程案を作り,確定するシステムの質はおそらく. 別々に校則を定める意味はないだろう.. 継承されていくであろう.その意味で現行の規程. また,規程集には組織構造図が含まれてはいな. における問題点を指摘しておくことは,システム. いが,各年度の北海道教育大学概要を見ると,附. の質の問題指摘として重要であると思われる.. 属学校は教育学部直轄であり,「北海道教育大学. 北海道教育大学の各規程は,北海道教育大学学. 附属学校運営規程第5条」によれば,所在する分. 則を‘‘親法”としているが,附属学校関連の規程. 校主事の指導を受けつつも,学長直轄組織と読め. には,「北海道教育大学附属学校運営規程」と「北. るのである.中間に北海道教育大学附属学校運営. 海道教育大学附属学校運営委員会規程」及びそれ. 委員会を位置づけることは可能であるが,学長が. に基づく「北海道教育大学附属学枚運営委員会専. 委員長を務め,開催は委員長が招集することに. 門委貞会要項」がある.この学校運営委員会は,. なっているため,特定の附属学校が提案を持ち,. 前述した運営協議会から“衣替え’’したものと推. 審議を希望する場合には学校長経由で学長に招集. 測されるが(未確認である.),この第5粂は,実. を直訴するしかないのである.これでは事実上,. は次期附属学校運営委員会で示した5つの項目そ. 実効ある審議は望めず,上意下達としての審議で. のものと言える.現行規程の「(2)教育研究に閲す. は有効なシステムであっても,附属学校側からの. 93.

参照

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