わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題
13
0
0
全文
(2) No.54. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 1999.12. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題 鹿瀬 健一郎 (北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程). Japanese Trendin and Tasks for the Study of Contemporary Canadian Native Education Ken−ichiro HIROSE にし、課題を導出しておくことば、アラスカ先住民教育 はじめに. 研究、ひいては「環太平洋地域」を射程にいれた比較研 究をすすめる上でも有意義であると考えた。. 北海道教育大学僻地教育研究施設は、1985年、アラス カ大学より客員研究員を受け入れて以後、同学との研究. 近年、専門分野を越えて、カナダ社会の文化的多元性 や「 ̄多文化主義政策」に注目した研究が増えている冊。. 交流を続け、アラスカの僻地教育や先住民教育に関心を 寄せてきた。1993年にはオーストラリア・ジェームズ. 教育学の分野では関口礼子編『カナダ多文化主義教育の. クック大学と『先住・少数民族と教育』と題する共同研. 学際的研究』(東洋館出版社、1988年)がある。これら. 究を刊行し(Loos,N,Osanai,T1993)、1994年にはロ. の研究の多くが先住民政策を視野にいれている。たとえ. シア・マガダン国立教育大学をあらたに加えて、「環太. ば加藤普章は先住民政策の分析を通じて「多民族国家」. 平洋の地域研究と異文化理解教育」をテーマとするシン. の問題をより普遍的に論じようとした(加藤(普). ポジウムを開催した(北海道教育大学1994)。1999年2. 1990:iii)。また西川良夫らは、「多文化主義の問題」. 月にはアラスカ大学よりバンハット,R教授を招いて. を考察するにあたって、「先住民の問題」を「主要な柱. “Alaska Native Knowledge Network’’の実践をめ. の一つ」に据えた(西川・渡辺・マコーマック1997:. ぐるワーク・ショップを開催している。このはか、僻地. 15)。このほか、先住民に関して何らかの言及をする論. 教育研究施設の研究員も、アラスカやオーストラリアの先. 考は多い。 本稿は、わが国でこれまで論じられてきたカナダの先. 住民教育を直接、間接に取り上げる研究を発表してきた (小山内1990、後藤・三浦・金澤・林1995、徳永1996、. 住民政策に関する研究を踏まえつつ、主に1945年以後の 先住民教育についての知見を整理する。1945年以後の時. 玉井1997、高嶋・田辺1997)。. ところで、本稿はアラスカの先住民教育研究を取り上. 期を主たる対象とするのは、連邦政府の先住民教育政策. げるものではない。題目に示した通り、わが国の研究者. や先住民団体の権利要求等の運動が1945年以後の時期に. によるカナダ先住民教育研究の動向を把握し、課題を導. 本格化するといい得るからである(2)。わが国の研究水準. き出そうとするものである。カナダ研究を取り上げるの. を確認するとともに、その問題点を把握し、研究課題を. は、わが国におけるカナダ先住民教育研究の諸課題に、. 提起することを本稿の課題とする。. アラスカ先住民教育を研究する上で共通する点も多いと 考えたからだ。. Ⅰ 新保満のカナダ先住民教育研究. かつて僻地教育研究施設長の門脇正俊は、r【北海道に おけるアイヌ語アイヌ文化教育の推進、そのための研究 活動や教員養成」という課題に対し、「アラスカやマガ. 新保はカナダ連邦政府の依頼によって、1963年から 1966年にかけて、サスカチエワン州の先住民・クリーと. ダンでの最近の事例から学ぶところが大きい」と指摘し. オジブエの居留地(=リザーブ)に赴き、先住民と白人. た(門脇・市川・菅原1994:80)。このような海外の事. の関係が「悪化してきた過程」を調査した(新保1968:. 例に「学ぶ」という問題意識は、カナダ研究者の間にお. いても広く共有されている。問題は、いかに学ぶかとい. 3)。この調査を契機に、研究対象とする部族を広げつ ったびたびリザーブを訪れながら、先住民社会の構造【. う点にある。その意味で、わが国の研究者がカナダ先住. とくに「社会変容_lに関する論考を発表してきた。先住. 民教育をどのように学んできたのか、その動向を明らか. 民社会の動態を考察する際に必ず学校教育を取り上げて. −59−.
(3) 広 瀬 健一郎. いる点に特徴がある。そこでは単に学校教育の現状を紹. ママ によるいかなる差別を排除すること」と「(生徒の)民. 介するだけでなく、学校教育が先住民社会にどのような 影響を及ぼし、具体的にどのように機能しているのかと. 族的集団の権利を認知し、あるいは民族等の生得的な特 質の重要性を認知すること」とあることをあげて、「実. いう点にまで説き及んでいる。新保のカナダ先住民教育. 際にこの両者を同時に実践するのはきわめて困難」であ. 研究は30年以上にわたる。これだけの長期間、カナダ先. ること、また教員の間で先住民の文化を教えるかどうか、. 住民と学校数育との関わりを考察した研究者は、わが国. 教えるとしたらどのように教えるべきかについてのコン. には他にいない。そこでまず新保の研究を取り上げ、彼. センサスが成立していないことを、北西準州の先住民・. が提示した知見を整理・検討してみることとする。. デネーの事例から指摘した(新保1993:180−181)。こ. 新保の研究を通覧すれば、17世紀のカナダ地域への白. の指摘は、多文化主義を国家的政策方針として掲げ、先. 人入植以後、現在に至るまでの先住民教育のあらましを. 住民の権利を認めつつあるカナダにおいても、数多くの. 把握することができる。『カナダ・インディアン』(三省. 問題があることを示唆している。. 堂、1968年)では、17世紀以後1960年代までの学校教育. 今ひとっ、カナダ政府が1944年に導入した「児童手当. を叙述している。『カナダの素顔』(岩波書店、1981年). (the family allowance)」の問題性に言及したこと. では1970年代の動向に触れ、「学校教育の功罪」を検討. も重要である(新保1989:184−188、1990:67−68な. した。『カナダ先住民 デネーの世界』(明石書店、1993. ど)。新保はデネーの事例から、連邦政府が1952年に未. 年)では、1980年代から1990年代にかけての北西準州の. 就学児童の家族への「児童手当」の給付を停止したこと、. デネ一に対する教育政策や動向について叙述している。. そのため当時窮乏化していたデネーは学校に子供を送ら. 「カナダ・インディアンを対象とした学校教育−デネー. ざるを得なくなり、「何万年も移動生活をしていたデ. の事例を中心に(1)」では、主に17世紀以後1970年代まで. ネーが『学校』を媒介に定住生活に入って」いったこと. の先住民教育史を概観し(新保1995)、「カナダ・イン. を指摘した。また定住生活がすすむにつれて商品への依. ディアンを対象とした学校教育≠デネーの事例を中心に. 存が強まり、「児童手当」等の政府の補助金や集落での. (2)」では、1970年代までの北西準州デネ一に対する教育. 賃労働への依存が強まったこと、さらに狩猟道具に「金. 制度の概観を示した(新保1996)。最近ストラザーズと. がかかる」ようになったことで、デネーが「ブッシュに. ともに著した『変貌する先住民社会と学校教育−カナダ. でかけるためには、集落に留まっていなければならない」. 北西準州デネーの事例−』(御茶の水書房、1999年)で. という状況に陥っていたことを指摘している。これらの. は、1990年代の北西準州政府のデネ一に対する教育政策. 指摘は、先住民定住化政策の中に教育政策を位置付けて. を叙述している。. 検討する必要性を示唆しており、重要である。. では、新保は先住民社会と学校の関係をどのように捉. 1989年、新保とストラザーズは、デネ一に対して質問. えてきたのだろうか。『カナダの素顔』では、学校教育. 票による学校教育調査を実施した。これは、デネーの成. によって、先住民が固有の言語と宗教を失いっつあるこ. 人、生徒、デネ一児童・生徒が通学する学校の教員を対. と、年長者の権威が失墜し、伝統的な権威構造がこわれ. 象とした大規模な意識調査であった。この成果は『変貌. つつあること、伝統的な家族が変容しつつあり、さらに. する先住民社会と学校教育▼カナダ先住民デネーの事例. 学校教育を受けても経済水準が向上しないことなどから. ¶』にまとめられている。同書では、この調査をふまえ. 広範な不満を醸成しつつあることを挙げて、先住民は「ア. て、「インディアン社会における伝統的な教育と学校教. イデンティティを失いっつある」と指摘し、学校教育の. 育との接触と代替とが、前者のシステムの文化的側面に. 「罪」を説いた(新保1981:121−124)。とりわけ、学. 『引き返すことの出来ない(inreversible)』ような深. 校教育を受けても、それに見合った生活が保障されない. 刻な変容を引き起こす」こと、「インディアンを対象と. と述べたことは、連邦政府の政策を考察するうえで示唆. する学校数青ば、彼らをカナダ社会の最下層に位置付け、. 的である。. かつその社会的位置付けを正当化する」との結論を導き. また『カナダ先住民デネーの世界』では、学校教育を. 出した(新保・ストラザーズ1999:153−165)。. 一方、新保満は1970年代頃の先住民教育に関して、大. 受けたものとそうでないものとの間に社会的・経済的格. 差が生じ、その結果、先住民社会の中に階層分化が起き. 学に先住民の学生が在籍していること、あらゆる面で先. ていると指摘している(新保1993:128、207【209)。. 住民の専門家(教員や弁護士)が輩出しっっあること、. ここから新保は、学校の「影の部分」として「選別機. 高等学校に進学する先住民が多くいること、小学校にお. 能」を指摘した(3)。. ける白人との共学が「カナダの制度の一部」となってい. マ さらに、連邦政府の教育目標(1988年)の中に「(生. ること、さらに「自分たちで自分たちの教育をコントロー. マ 徒に)均等な機会を与え、民族・人種等の生得的な特質. ルする権利を得ようとしている」ことを挙げて、学校教. −60w.
(4) No.54. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 育の「良い」影響以外の何ものでもない、と断言した(新. 1999.12. 職は皆『南』から来たヨーロッパ系に奪われ、先住民に 回ってこなかった」であるとか、学校を卒業して「大都. 保1981:125)(4)。また『変貌する先住民社会と学校教育』 においては、「現在のカナダ政府も北西準州政府も、日. 会」に出ても「差別が待っている」という現実認識に根. 本では考えられない程寛大な先住民に対する教育援助プ. ざしたものである(同上:169)。. ログラムを用意している」と指摘し、「学校制度そのも. 先住民を近代産業社会に参画させる方針そのものは、 1945年以後、カナダ政府が一貫してとってきたものであ. のが『悪』なのではない」と述べる(新保・ストラザー. ズ1999:165)。. る。「良い職を得るには学校教育が必要だ。学校教育さ え受ければ、良い職が手に入る」との政府の宣伝は、新. しかしながらこれらの見解には、いくつか検討しなけ. ればならない問題がある。まず、先住民の大学生や専門 家が輩出しつつあるという事態が、どのような政策や先. 保も指摘するように、実際にはそうならなかった(162 −163頁)。そうならなかったところに、「近代産業社. 住民の自己認識のもとに生まれた事態なのか、そうした. 会」やカナダ政府が用意してきた「学校制度そのもの」. 事態が先住民社会にどのように機能しているのか丁寧な. が季む問題があるのではなかろうか。この問題を浮き彫. 検討が必要である。「自分たちで自分たちの教育をコン. りにするためにも、「学校制度そのもの」を問い直すこ. トロールする権利を得ようとしている」ことについて、. とが必要である。教育援助プログラムがいかに「寛大」. 単純に学校教育の「功」だと把握してよいとは思えない。. であろうとも、それらはデネーの「不信感」や「敵意」. 先住民が、1970年代に教育面での変革に結び付く要因を. を打ち破る力をもち得ていない。デネーの「やる気」を. どのように生み出して来たのかを検討することなしには、. 論ずる前に、連邦政府や準州政府が用意してきた教育援 助プログラムの全体像や構造、質を明らかにしなければ. 論じることのできない問題だと考えるからだ。. また、「白人との共学はすでにカナダの制度の一部」. ならない。. だとの指摘にも留保が必要である。たしかに白人の通学 する小学校に通う先住民児童は多い(5)。しかしそうした. Ⅱ 多文化教育研究の中の先住民教育研究. 児童の多くが差別を受けているとの指摘がある(Frid−. ers1998:154−−160)。また、中退率が極めて高いこと にも注意する必要がある(6J。「共学」の実態を再検討しな. 比較教育学の研究者の間では、多文化教育という側面 から先住民教育に関心がもたれてきた。カナダの多文化. ければならない。. 教育研究に先鞭を付けたのは、関口礼子である。関口は. いまひとつ「現在のカナダ政府も北西準州政府も、日. 1981年にカナダ教育研究会を組織し、カナダの多文化主 義と多文化教育の理念や実践についての共同研究を進め、 1982年、1985年、1988年と3度にわたってその成果を公. 本では考えられない程寛大な先住民に対する教育援助プ. ログラムを用意している」との指摘も、再検討を要する。. 刊してきた(関口編1982、1985、1988)。1982年と1988. 新保はこの指摘に続けて、次のように述べている。 「上手にこのプログラムを利用するなら、そしてデ. 年の報告では、先住民教育をテーマに1章を設けている。. ネ一にやる気さえあるならば、医者にでも、法律家 にでも、大学教授にでもなれる道が開かれているので. ケベック州の多文化教育を考察した小林順子(小林、 1982、1985)仰、サスカチエワン州の多文化教育を考察し. ある。学校制度そのものが「悪」なのではない(現に. たアール E・ニュートン(ニュートン1988)、マニト. 私共は学校制度から多大な利益を得ている)。デネー. バ、オンクリオ両州の言語政策・言語教育を考察した長. の場合、痛ましい学校教育の歴史を持っているので、. 谷川瑞穂(Hasegawa1990)は、それぞれの州におけ. どうしても学校に対して警戒的になりがちなのである。. る先住民教育に言及している。連邦政府だけでなく州政. それを一歩乗り越えることが必要なのである。……学 校制度をより有効なスプリング・ボードにして、近代. 府の多文化教育行政に先住民教育を位置付けて検討した. 点は、重要な仕事と言ってよい。とくに先住民行政を掌. 産業社会に進出することを期待したいものである。」. る組織や教育機関、教育プログラムの存在を具体的に提 示したことば重要である。. (新保・ストラザーズ1999:165). 「学校制度そのものが『悪』なのではない」とすれば、. しかしながら、多文化教育研究のなかで先住民教育が 語られるとき、その叙述は概ね、多文化教育政策の一事. デネ一に「やる気」のないことが「問題」なのだろうか。. 例として位置付けられ、多文化主義が先住民教育にも積 極的に機能していることを例示するものとなっている。. だが、新保自身も述べているように「デネーは学校に不. 信感を持っている」のである。新保によれば、1989年か ら1996年までの数年間に複数のデネー集落で、学校への. たとえば関口礼子は「先住民による多文化主義的主張」. として1972年に全国インディアン協会(NationalIn−. 放火や破壊活動があったともいう(同上:85)。こうし た「不信感」や「敵意」は、学校教育を受けても「良い. dian Brotherhood)が提出した政策書『インディアン. ー61鵬.
(5) 広 瀬 健一郎. 教育のインディアンによる統制』(Indian Controlof. める多文化主義に反対していると指摘したことに留意し. Indian Education)に言及した(関口1985:165−. なければならない(梶田1992:51)。1997年に立命館大. 168)。そこでは、「この勧告後の先住民教育の実情を見. 学国際言語文化研究所が連続講座「国民国家と多文化社. ると、ほとんどこの線に沿って改正されているのを見る。. 会」を開催した際、主催者たちは「多文化主義・多言語. すなわち、教育管轄権の自治行政組織への実質的移行と、. 主義の主張が、もし旧植民地国家の脱植民地化の試みで. インディアン向けのカリキュラムの開発、初等教育低学. あるならば、彼らが虐殺し、放逐し、あるいは抑圧し続. 年における先住民言語での教育、寄宿舎の廃止、大学に. けてきた先住民たちにいかに対するかが最初の問題であ. おける先住民教員の短期養成コース(TTEPプログラム). ろうし、また先住民に対する対応の仕方を見れば、彼ら. の設置などである」と叙述したに留まっていて(168頁)、. の多文化主義・多言語主義の本質が透けて見えるであろ. この政策書の成立過程や実態の考察を欠いている。. う_」と考え、「先住民の問題を主要な柱の一つにすえ」. 鈴木道子は、カナダにおける先行研究や連邦政府の刊. た(西川・渡辺・マコーマック1997:15)。筆者はこの. 行物を手掛かりに、とくに1950年代以後の先住民教育制. ような問題意識に同意する。多文化教育政策のバリエー. 度や先住民の大学卒業者数、先住民教員数などの統計、 インディアン問題・北方開発省(以下、DIANDと略記). ションとしてのみ先住民教育を位置付けている限り、先. 住民教育の視角から多文化教育をとらえかえし、その本 質を見いだすことはできないと考えるからだ。. の刊行物に掲載された記事の内容等、いくつかの事実を 提示した(鈴木1982)。しかし政策書『インディアン教. 加藤一夫は、1989年の世界先住民会議では、「教育固. 育のインディアンによる統制』に関して、先住民が「自. 有の問題よりも、民族の生活圏の危機に関わる問題」が. ら自分たちの手で、しかも学校という制度化したシステ. 緊要の課題となっていたと指摘した(加藤(一)1990:. ムを用いて子孫を教育しようとするに至ったこと」を「学. 11)。たとえばこの会議の席上でカナダの代表は、「国の. 校教育の成果」だと論じたことには問題がある(前掲鈴. 鉱山プロジェクト、あるいは森林伐採のプロジェクトと. 木:94)。鈴木は、いかにして「学校という制度化した. 称して、わたしたち先住民の土地を取り上げたり、それ. システムを用いようとするに至った」のか、その過程に. を管理しようとしています。そのため漁業権を失うと. ついては検討していないからである。鈴木はまた、「マ. いった結果となっています」と述べている(記録編集委. イノリティーマジョ. 員会1989:38)。スチュアートは、「反先住民的な感情. リティの文化」が「複雑に入り組み. 合っているのが実状」であり、「マイノリティーー. が一九九○年代に入って朗在化している」と指摘する。. 原住民の教育の将来は、紆余曲折を経て増々多くの難問. 1995年に刊行された、「先住権はカナダ憲法の精神に反. や矛盾をかかえることになる」と指摘する(鈴木1982:. しており、先住民に対する『優遇政策』は人種的な逆差. 95)。しかしながら、教育政策の展開過程を踏まえてお. 別である」という主旨の本が「隠れたベストセラー」に. らず、難問や矛盾の内容にも言及していない。. なっているのだという(スチュアート1997a:250)。. ロバー. ト・カーニイの論文(カーニイ1988)は、. このように、カナダにおいても、先住民の権利や生活の. DIANDが政策書『インディアン教育のインディアンに. 保障、民族的なアイデンティティを育む状況は、一方で. よる統制』を受け入れて以後の教育政策に懐疑的な論考. 厳しいものだということにも留意する必要がある。. 1982年のカナダ憲法の改正に際し、先住民の権利を保. である。カーニイは、DIANDが『インディアン教育の インディアンによる統制』を承認して以後の政策に対し. 障する旨の条項が盛り込まれたが、先住権の具体的内容. て、「教育計画とその結果に意味ある改善をもたらした. は明らかではない(加藤(普)1990:144)。スチュアー. だろうか」と問題提起をする(207頁)。カーニイが、「イ. トによれば、「どの裁判でも、先住民の権原は使用権に. ンディアンの子供の学年レベル達成度と全国の達成度と. 限られ、それに連邦政府の権原(Crown title)が優先. の差」が「せばまったという形跡はない」と論じたこと、. するとの判断を示している」という(スチュアート. 「インディアンの間に社会的崩壊と人権はく奪が広まっ. 1998:246)。ラッスル・バーシュ(=手島武雅)は1983. ている」と指摘したことも重要である(207−208頁)。. 年に、「最近承認されたカナダ憲法は、先住民族の共同. DIANDが『インディアン教育のインディアンによる統. 体の究極的消滅を自明の公理として容認している」と指. 制』を承認して以後の教育政策を、批判的に考察する必 要性を示唆している。しかしながら、このような先住民. 摘した(バーシュ1988:160)。先住民の権利保障をめ ぐって、検討しなければならない課題も多い。. 教育政策の問題や矛盾をとらえようとする論考は、わが 国では非常に乏しい。. Ⅲ 個別の地域・学校・教育機関に関する事例研究. 梶田孝通が、カナダの先住民は自分たちを他の少数民 族と同じ地位、すなわちOne of themの地位におとし. いくつかの地域と学校に関する言及や事例研究がある。. 】62−.
(6) Nα54. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 1999.12. もっとも初期の事例研究に、原ひろ子の北西準州の先住 民・ヘヤ一に関する考察がある。原は1961年から1963年. 究も学校紹介に留まらず、学校と地域の経済活動との関. にヘヤー居住地に滞在し、民族誌研究を行った(原. 係、教授内容と地域の生活実態との関係などに説き及ん. ヌイットの学校教育を論じた(岸上1994)。いずれの研. 1989:13)。原(須江)の『極北のインディアン』(朝日. でいる。地域社会の経済や人的動態と関わらせて教育実. 新聞社、1965年)には、1926年に設置された寄宿学校へ の言及がある。ただし、「現在四十歳以下のヘヤー・イ. 践・教授内容を考察している点は、先住民教育の実態を 考察する上で重要な方法である。またいずれの研究も学. ンディアンのなかには、近隣のインディアン諸族やエス. 校が地域社会でどのように機能しているのかを考察し、. キモーといりまじって、アラヴィクで学校時代を過ごし た者が半数以上あって、英語の会話は非常にうまく、よ. 現状の教育体制への批判ないし提言に及んでいる。 このほか、いくつかの学校・教育機関について、断片. み書きもできる」と述べたに留まる(須江(原)1965:. 的な叙述がある。サスカチエワン州の多文化教育を考察. 66)。また1961年から1963年当時の学校制度に対して、. したニュートンがサスカトゥーン・インディアンズ文化. サバイバル学校に言及し、同校の教育理念を紹介してい. 「カナダ政府は、衛生指導とならんでインディアンの教 育にも力を注いでいる」と指摘し、「カリキュラムはア. る(ニュートン1988)。またサスカトゥーン市の先住民. ルバ一夕州の基準に従」って行われ、「満六歳に達した. 教育行政機関やサスカチエワン州の先住民教員養成課程. 子供を通学させるのは両親の義務」であり、「両親が. についても言及した。とくに先住民教員養成課程につい. キャンプへでかけるような場合」には「寄宿学校へ送る」. ては、設置目的や先住民教員を養成するシステムについ. と述べている(同上:67Ⅳ68)。だが、学校教育がヘヤ一. て簡潔に紹介している。このほかアルバ一夕州のプレー. 社会に及ぼす影響等は検討しておらず、評価には立ち. ンズ・インディアンズ文化サバイバル学校については、. 入っていない。. 筆者が同校の設置の経緯、教育内容、授業風景等につい. 原の『子どもの文化人類学』(晶文社、1979年)では、. て簡単な報告を書いた(鹿瀬1991:159−162)。マニト 言語教育を考察した長谷川瑞穂は、両. ヘヤ一社会における子育てや子供たちの狩猟・採集技術. バ州の言語政策・. の学習などを比較文化論的な視角から丁寧に検討してい. 州におけるNative as a Second Languageプログラ. る。学校教育に関しては、ヘヤーの子供達の伝統的な学. ムの概況を紹介した(Hasegawa1990)。いずれもわが. 習スタイルが「自分で観察し、施行し、自分で修正する ことによって、『00を覚える』」というものであること. 国の他の文献では知り得ない事実である。カナダ先住民 への学校教育について具体像を得るためにも、今後事例. を指摘した上で(188頁)、このような学習スタイルをと. 研究を重ねる必要がある。. るヘヤ一児童は、白人の教員にとって「教えにくい」存 在であること、また、ヘヤ一児童は「大勢のクラスの中. Ⅳ わが国のカナダ先住民政策研究の現在. で」は「取り残されがち」であると述べた(198頁)。 原はまた、1959年にカナダ連邦政府がヘヤ一に対し、. カナダの先住民政策そのものを検討する研究が、いく. 狩猟生活による自給自足の生活を希望するものには、こ. つか発表されている。先住民の政治組織の動態に焦点を. れを援助する政策(8)を行ったことに言及している(原. 当てて、連邦政府の多文化主義政策と先住民政策を批判. 1989:416−【422)。この政策に、多くのヘヤーが応じた. 的に検討したものに、カーメン・ランバートの研究があ. という。とりわけ重要なのは、この施策によって、「白. る(ランバート1988)。とりわけ「ネイティブ諸民族に. 人の心ある人々の側に、『教育こそ解決だ』という単眼. 対処するために政府が発達させてきた立法上及び行政上. 的な見方を棄てさせ、遅まきながらインディアンの将来. の枠組みは確かにネイティブ住民を分裂させるのに重要. を考えるに当たって、さまざまな可能性を寛容に受け容 れようとする姿勢や、インディアンの土地を一一方的に収. 連邦政府の関与や政策によって、部族を越えた先住民同. 奪した過去への反省を生む一つの契機となり得た」とい. 士のまとまりが個々の部族や政治的利害を同じくする集. う指摘である。だとすれば、学校教育はヘヤ一社会の中. 団へと分断され、ある場合には敵対する状況を生み出し てきたことを具体的に述べていて興味深い。ただし、. な役割を果たしてきた」との指摘は重要である(163頁)。. でどのような役割を担うようになるのだろうか。原の研 究から窺うことばできないが、学校教育の多様性を考察. 「略述」であるために、幾分概説的な叙述となっており、. 随所に検討すべき点を残している。. する上で興味深い課題である。. 個別の地域・学校に関する研究では、新保 満と岸上. 加藤普章の研究は、カナダの多文化主義政策を先住民 政策という側面から把握した先駆的研究である(加藤 (普)1990)。とくにカナダ社会における先住民の法的. 伸啓の研究が詳細な叙述に及んでいる。新保は北西準州 ・デネーの(新保1993:164−194、207−209、新保・. ・政治的位置を明確にしたことば重要である。加藤は連. ストラザーズ1999)、岸上は極北地域ペリーベイ村のイ ー63−.
(7) 広 瀬 健一郎. 邦政府レベルの先住民政策と州政府レベルの先住民政策. 活動、文化伝承の問題を取り上げている(スチュアート. とを明確に区別してそれぞれを詳細に論じ、各々の特色. 1996、岸上1993、1995、1996)。学校教育は日常の経. を説くに及んでいる。また単に為政者の動向を論じるだ. 済活動と無関係に存在するものではないから、現在の経. けでなく、連邦および州政府の諸政策とカナダ先住民の. 済活動や文化伝承を主題とした研究は、先住民教育を考. 側との措抗状況をも描いて見せた。加藤の研究によって、. 察する上でも示唆的である。. 連邦および州政府における先住民行政の機関・部署、な らびにその位置付けや性格に関する知見が開かれた。. Ⅴ 研究史の総括と課題. 斎藤憲司による「カナダ先住民に関する法制度一権利. の憲法保障化【」も、先住民政策に関する基礎的な事実 を分析し提示した点で大きな意義がある(斎藤1993)。. や学校について比較的詳細な検討があるものの、総じて. カナダ憲法および憲法改正論議における先住権の位置付. 教育制度、先住民諸団体の動向や教育要求などについて、. けを明らかにしつつ、先住民組織や行政機関、先住民を. 基礎的な事実がはとんど蓄積されていない。吉田健正は. めぐる法制度史などを詳細に論じている。また「1867年. 1991年に「先住民族の研究などに一次資料を使った先駆. 憲法法」、「1982年憲法法」の抄訳、「インディアンに関. 的研究があり、また一部の研究者が本格的にカナダと取. わが国における先住民教育研究には、いくつかの地域. する法律」の全文訳といった基礎資料の提示は(斎藤. り組んでいるものの、全般的には未だに『翻訳』の段階. 1993:118仙157)、カナダ先住民政策研究を大きく前進. を超えていない」と述べたが(吉田1991:90)、この指. させるものである。スチュアートヘンリ、トーマス・バー. 摘はカナダ先住民教育政策研究において、一層深刻だと. ジャー(9)は、裁判所の判決を丁寧に分析し、先住権の内. いわねばならない。. 容がどのような性格のものであるかを具体的に論じてい る(スチュアート1998、バージャー. 通史的な研究は、ようやく概説が提示された段階であ. 1997)。このほか. り、深めるべき課題がいくつも残されたままである。先. 先住民の権利に関して、北西準州の広範な土地にイヌ. 住民教育政策、教育実践−ともに断片的に扱った研究が. イットの自治を承認した事例を検討したものがある(北. 多く、カナダの先住民教育についてその全体像あるいは. 畠1997)。これらの研究によって、カナダにおける先住. 具体的像を描くことは困難である。もちろん筆者も、州. 権の意味・内容が明らかになりつつある。. ごとに政策も異なり、法律で認定されている部族だけで. 598を数えるのだから(斎藤1993:104)、先住民教育の. 先述の立命館大学の連続講座「国民国家と多文化社会」 の記録は、西川長夫、渡辺公三、ガバン・マコーマック. 全体像を構築することがいかに困難であるか、十分認識. 編『多文化主義・多言語主義の現在』(人文書院、1997. している。筆者は、全体像を構築する試みとして、まず. 年)にまとめられている。カナダの多文化主義を先住民. はDIANDの政策を把握・検討することが重要だと考え. 政策の視点から批判的に検討した点が重要である(加藤. ている。. (普)1997、スチュアート1997b、バージャー. 個別の地域や学校、教育機関に関する詳細な事例研究. 1997)。. またジェームズ湾沿岸のクリーおよびイヌイットとケ. には、2つの特徴がある。ひとつは、取り上げられてい. ベック州政府とが締結した「ジェームズ湾協定(1りり(ケ. る地域が、北西準州以北の地域であることだ。カナダ先. ベック州北部における州政府の水力発電開発に伴う先住. 住民教育の全体像を眺望しようとするならば、研究対象. 権措置法概要、1975年)や北西準州のイヌイットに自治. とする地域をカナダ南部諸州にも広げていく必要がある。. 権を認めた「ヌナブット協定」(北西準州イヌイット居. 特徴の第2は、連邦政府の政策との関連が明確でないこ. 住域に関する先住権措置および民族自治に関する協定、. とである。取り上げられている事例が、連邦政府のいか. 1993年)、「多文化主義法」(1988年)などといった基礎. なる教育政策のもとで行われたものであるのかを把握す. 的な資料を翻訳したはか、先住民政策に関する年表を作. る必要がある。個別の事例を政策史の中に位置付けるこ. 成しており、いずれも有意義な仕事となっている。. とで、事例の持っ意味、あるいは意義も一層明らかに. 原ひろ子は、ヘヤ一に関する詳細な年表を作成してい. なる。. 今ひとつ、研究方法において、深刻な問題がある。多. る(原1989:455岬470)。聞き取り調査といくつかの文 献をもとに「ヘヤー・インディアン工「 ̄白人」、「カナダ. くの論考が先住民の権利を追及する運動に触れながらも、. 政府・世界」の3つの項目を立てて詳細に記述している。. それらがどのような戦略をもち、いかなる過程を経て現. とくに「白人」の項目からは、ヘヤ一に対するカナダ政 府の施策を知ることができ、有意義な仕事である。. 在に至ったのかについて、十分な考察をしていない。こ れでは、先住民の主体性を正当に位置付けることはでき. スチュアートヘンリと岸上伸啓は、カナダ先住民−と. ないのではなかろうか。既に飯笹佐世子が多文化教育研. くに極北地域のイヌイットを中心に、現在の生業や経済. 究の課題として「多文化教育に関する政策の評価および. ー64−.
(8) N(154. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 政策形成過程(多民族社会において市民や組織のどのよ. 先住民が教育をめぐって、いかなる認識を醸成してきた. うな働きかけのもとにどのような過程を経て政策が形成. のかを明らかにすることが必要である。. されるのか)を考察することも、政策研究の一環として. さらに、実際にどのような教育が展開してきたのかを 明らかにすることも重要である。教育実践にこそ政策や. 非常に有益な研究課題である」と提起しているが(飯笹. 1997:94)、このような課題は、先住民教育研究にとっ. 先住民の教育認識が最も反映するのであり、ここに政策 の諸矛盾も現れるのではないかと考えるからだ。教育実. ても重要である。. そもそも17世紀、イギリスの毛皮貿易の拡大とアメリ カ大陸への植民政策の下に、バッファロ. 1999.12. 践のあり様に為政者の先住民認識や政策意図と先住民が. 求める学校像とがどのように現れているのか、丹念に腑. ー等の食料資源. が乱獲され、多くの先住民が飢餓に追い込まれた(‖)。カ. 分けすることが必要である。たとえば個別の地域・学校. ナダ連邦政府は1871年から1921年の間に、カナダ全土の. に注目した事例研究は有効な方法であろう。. 先住民との間にいわゆる「インディアン条約_」を締結し. て、先住民の土地を取り上げるとともに、彼らをリザー. おわりに. ブと呼ばれる「居留地」に囲い込んだは㌔ この条約は連. 邦政府によって一方的に進められ、先住民側には一切の 反論を許さず、また条約の内容も正確に伝えないままに. 1980年代以後の、カナダ政府の先住民政策には、注目 すべきものが多い。1982年カナダ憲法に先住民の権利保. 締結されたものであった。先住民は、リザーブの中で生. 障を条文化したことをはじめ(第2章第35条)、1988年、. 計を立てることもできず、政府の補助金に頼らざるを得. デネ一に18万平方キロメートルに及ぶ土地を「デネーの. ない生活を余技なくされ、結果としてアルコール中毒の. 私有地」として承認(新保1989:190)、1998年、ブリ. 問題や高い自殺率を見るなど、現在なお深刻な問題と. ティッシュ・コロンビア州の先住民・ニシュガの自治権. なっている(1罰。教育の面では、多くの子供達が1950年代. を承認し(吉田1999:318−319)、1999年4月には、従. までキリスト教諸宗派の運営する寄宿舎学校に送られ、. 前の北西準州のうち35万平方キロメートルにわたる地域. をヌナブット準州として、事実上、イヌイットの自治州. 先住民言語の禁止と白人の生活習慣を強要された(新保. が誕生した(『朝日新聞』1999年3月31日付け夕刊、北. 1968:111−114)。. このような状態にあって、自らの権利を獲得し生活を. 畠1997:103)。. わが国のカナダ研究者の中には、「カナダの事例から. 改善しようとする種々の取り組みが粘り強く続けられ、 現在に至っていることが重要だと筆者は考えている。し. 学ぶ_」という問題意識を持つ者が多い。筆者もまた志を. たがって連邦・州政府と先住民の権利獲得をめぐる種々. 同じくする。ただ、われわれがカナダの事例から何かを. の運動との緊張関係を把握することが必要である。たと. 学ぼうとするなら、獲得された権利や、それを実現する. えば1972年に全国インディアン協会がDIANDに提出し. 政治組織、機構等を確認するだけでは、不十分だと考え. た政策書『インディアン教育のインディアンによる統. る。達成されたものの中にある諸問題・矛盾をも含めて. 制』の成立過程やこの政策書に基づく施策の展開過程 を検討することが必要である。以上をふまえて、現代カ. 理解しなければ、カナダの事例に学ぶことばできないと 考えるからだ。. 筆者はまず、政策を策定するに至った過程を分析する. ナダ先住民教育研究の課題として、以下の3点を提起し. ことが重要だと考える。いかにして先住民が各々の権利. たい。. を獲得しようとし、政府はどのように対応したのか、ど. まず、現在のカナダ連邦政府・州政府の先住民教育政 策の内容とそこに至る政策立案過程、制定後の展開過程 を整理することが必要である。先住民教育政策に関して. のような現実的基盤に基づき、いかなる政治的判断のも とに、政策を策定するに至ったのかを明らかにすること. は基礎的な資料すら十分に検討されていない状態にある。. が必要だ。ここに至ってはじめて、カナダの先住民政策. 法律や条例、制度、統計資料などを丁寧に収集・分析す る必要がある。同時に単に法制度の条文の解釈に留まら. とわが国の先住民政策を比較することも可能になる。. ず、そうした法制度を策定するに至った現実的基盤を明. 教育研究施設の研究者にとっても、緊要な課題である。. らかにしなければならない。. アラスカで現在進められている先住民を対象とする教育. この課題は、アラスカ先住民教育研究をすすめる僻地. 政策や教育実践が、いかなる過程を経て今日に至ったの. 現実的基盤を明らかにするためには、先住民自身の権 たように、先住民の教育意識との緊張関係を把握するこ. か、先住民は現在の教育政策をどのように認識し、また そこにはどのような問題・矛盾を学んでいるのか等、不. とが必要である。先住民の教育認識や将来への展望を無. 明な点が多い。. 利追及の運動や実践に目をむける必要がある。既に述べ. 視しては、先住民教育の実態を把握することばできない。. 門脇正俊は僻地教育研究施設の課題として「アイヌ語. 一65−.
(9) 広 瀬 健一郎. アイヌ文化の推進、そのための研究活動や教員養成は、 北海道教育大学に課せられた重要課題」と指摘した上で、. たとえばケアレス(1978)、マクノート(1978)には、. 先住民政策に殆ど言及されていない。大原裕子(1981). 「そのような視点が、本学僻地教育研究でも欠落してい. においても、1945年以後の先住民政策に関する叙述は. たことを反省しなければならない」と提起した(門脇・. ない。ジョンソン(1984:161)には、「連邦政府の教. 市川・菅原1994:80)。この「反省」をふまえるならば、. 育に関するその他の施策」として「インディアン教育」. アラスカの事例に「学ぶ」方法を確立することが緊要な. の項目がたてられているが、わずか10行の記述がある. 課題となろう。そのためにも、いかにして現在のプログ. にすぎない。. ラムや行政施策を得るようになったか、また現在に至る. (2)新保(1981:117)、カーニイ(1988:202)を参照。. 過程でどのような葛藤や矛盾があり、それをどのように. もちろん1945年以前の歴史を等閑視しているわけでは. 克服してきたのか、あるいは、現在、どのような課題を. ない。とりわけ連邦成立以後の先住民教育に対する近. 残しているのか等を把握・検討することが必要ではなか. 代史認識は、第二次世界大戦以後の先住民教育史認識. ろうか。僻地教育研究施設によるアラスカ先住民教育研. の構築と密接に関わるはずである。ただここでは、近. 究は、北海道教育大学における実践的課題と密接に結び. 代の先住民教育史に関する研究動向については文献を. つくばずのものである(1心。. 掲げるに留め、他日に期したい。文献としては宣教師. 筆者としては、カナダ先住民教育を例に、政策の立案. の活動について竹中(1983)、竹中・白井(1992)、吉. から実施に至る過程と実践内容を精緻に分析し、政策を. 田(1994:99−101)、先住民社会における宣教師の位. 可能とする現実的基盤や政策の矛盾を捉えていきたい。. 置について、煎本(1994:14−15)に若干の考察があ. 近年、カナダ先住民研究の分野では、「インディアンに. る。. 関する法律」や「多文化主義法」、「ジェームズ湾協定」. (3)この指摘は前著にまでは見られない。. といった先住民政策の基礎的な資料の翻訳や詳細な年表. (4)ただし、こうした「功」に関しては、新保(1993). の作成が行われるようになった。また、先住民が自らの. では取り上げられていない。. 権利を求める運動を、1次的な資料をもとに検討する研. (5)1985年現在、白人の通学する学校へ就学する先住民. 究も現われはじめている。筆者は、公文書や学校文書を. 児童は、全体の54%を占め、残りは先住民居住地内の. 徹底的に調査・検討し、教育史・比較教育研究という側. 小学校に通学している(加藤(普)1990:112)。. 面からこのような動向に連なる研究をしたいと強く念じ. (6)カーニイは、1980年の調査をもとに、高等学校卒業. に達する割合が、先住民の場合、20%であることを指. ている。. 摘している(カーニイ1988:207)。 (7)小林順子には他に小林(1998)があり、先住民教育 註. 政策に言及している。. (1)たとえば民族学の分野では綾部恒雄編『カナダ民族. (8)このような政策については、ほかに岸上(1995)が. ある。. 文化の研究一多文化主義とエスニシティ』(歴史書懇. 話会、1988年)、政治学の分野では加藤普章『多元国. (9)バージャー. 家カナダの実験【連邦主義・先住民・憲法改正【−』. は、1971年から1983年にかけてブリ. ティッシュ・コロンビア州最高裁判所の判事をっとめ、. (未来社、1990年)、社会学の分野では新保 満の『カ. 1973年と1981年のいわゆる「ニシュガ裁判」の判決に. ナダの素顔』(1981年、岩波書店)、『カナダ社会の展. 大きな影響を及ぼした人物である。これらの判決には、. 開と構造』(未来社、1989年)等の一連の著作や梶田. 英王詔書などのいかなる立法措置や行政命令、条約と. 孝道編『国際社会学』(名古屋大学出版会、1992年). 無関係に、イギリスのコモン・ローに照らして先住民. がある。最近では総合研究開発機構の『民族に関する. の権限が存在していたと述べられており、先住民の権. 基礎研究』Ⅰ・Ⅱ(1995年・1997年)、初瀬龍平編『エ. 限に関する画期的な判決となった。この件は、スチュ. スニシティと多文化主義』(同文舘、1996年)、西川良. アート(1998)に詳しい。. 夫ほか編『多文化主義・多言語主義の現在』(人文書. (川 この協定によって、教育に関連する事項では、カティ. 院、1997年)といった論文集がある。. ビク教育委員会が発足し、民族語および英語での教育. またカナダ史の叙述を試みた吉田健正の『カナダー. を保障するとともに、州は先住民教員の養成につとめ. 20世紀の歩み』(彩流社、1999年)では、「先住民問題」. ることとなった(西川はか、1997:274−275)。. と題して1章を割いている。これは1980年代までに公. (11)新保(1968:58−64)、斎藤(1993:106)を参照。. 刊されたカナダ史研究の著作・翻訳に、先住民政策に. (12)条約締結の様子は新保 満『カナダ・インディアン. 関する言及が殆どなかったことと比べて対照的である。. ー滅びゆく少数民族−』に詳しい(新保、1968:58− 一66−.
(10) No.54. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 1999.12. 64)。また、新保によると、1967年にデネーの青年が 第11条約(1921年締結)をデネ一語に翻訳するまで、. 加藤普章. 年長者たちは条約の真意を理解していなかったと言う. 1990. 『多元国家カナダの実験』、未来社。. 1997. 「カナダの多文化主義の意味するもの−歴史. (新保、1989:189)。 (13)アルコール中毒の問題に関しては新保(1968、1972). と政治的ダイナミズム」、西川長夫、渡辺. に詳しい叙述がある。自殺に関してはFriders(1998:. 公三、ガバン・マコーマック編『多文化主. 184)を参照した。このほかカーニイ(1988:207】. 義・多言語主義の現在』、109−132頁、人. 208)を参照。. 文書院。. (14)このことば、門脇が北海道教育大学岩見沢校の教官. 加藤一夫. 1990. 8名とともに企画した「先住少数民族教育の再生と発. 「先住民族教育の諸問題」、『レファレンス』. 展に関する基礎的研究川先住少数民族教育に視点をお. 470、5鴫28頁、国立国会図書館調査立法. いたへき地小規模校教育研究の一環として−¶−」という. 考査局。. テーマの研究プロジェクトの課題と響き合うものであ. 門脇正俊・市川雅絵・菅原良子. る。門脇は同プロジェクトの問題意識を「北方圏諸国. 1994. 「僻地教育研究施設40年の歴史と課題∬その. やオセアニア諸国のへき地における先住少数民族学校. 予備的考察−」、『僻地教育研究』第48号、. の歴史や現状から先住少数民族教育の多様な形態や方. 77【91頁、北海道教育大学僻地教育研究施. 法を明らかにしつつ本道におけるアイヌ民族教育の再. aXo. 生や発展を展望する参考に供したい」と述べている(門. 門脇正俊. 脇1996:86−87)。この課題を追求するためにも、先. 1996. 住民族教育政策・実践の過程分析は不可欠であろう。. 「へき地小規模校教育研究の課題」、北海道 教育大学僻地教育研究施設研究報告書『環. 太平洋へき地の諸相(Ⅲ)【へき地教育研. 究を通して21世紀の教育を拓く−』、85−−. 参考・引用文献. 88頁、北海道教育大学僻地教育研究施設。 カーニイ,ロバートJ(=中原葉子). 綾部恒雄編. 1988. 1988. 『カナダ民族文化の研究∼多文化主義とエス. ニシティ』(歴史書懇話会、1988年)。. 化主義教育に関する学際的研究』、195→一 211頁、東洋館出版社。. 飯笹佐代子. 1997. 「教育における多文化主義カナダ・オンク. 記録編集委員会. リオ州の事例から」、NIRA研究報告書. 1989. 『民族に関する基礎研究 Ⅲ』、78−95頁、. 紀・北海道。. 煎本 孝. 岸上伸啓. 「カナダ・インディアンの文化変化」、『カナ. 1993. 報告書『環極北文化の較研究』、41−54頁、 北海道大学文学部。. 大原裕子. 1994. 『現代カナダ史』、山川出版社。. 小山内 胱. 1990. 「カナダ極北地域における先住民教育につい ての文化人類学的研究一叫ペリーベイ村の学. 校教育の事例を中心に−」、『僻地教育研. 「オーストラリアの先住民と教育−“Abo−. riginalEducation”を中心に」、小山内. 究』第48号、25仙39頁、北海道教育大学僻 地教育研究施設。. 胱、鈴木史朗、高嶋幸男、畠山歌子、松本 成美、明神 勲『先住少数民族と教育・文 化』、48−70頁、三友社出版。. 1995. 「カナダ国ケベック州クリーインディアンの. 社会経済変容」、『北海道教育大学紀要 1 部B社会科学編』第46巻第1号、45−57頁、. 梶田孝道. 1992. 「生活時間を通してみるカナダ・イヌイット. 社会の変化について」、文部省科学研究費. ダ研究年報』第14号、1−16頁、日本カナ ダ学会。 1981. 『歴史を担って未来へ向かう世界先住民族会. 議・記録集』、ピープルズ・プラン・21世. 総合研究開発機構。 1994. 「先住民の教育」、関口礼子編『カナダ多文. 北海道教育大学。. 「『多文化主義』のジレンマ∵選択肢は何か. −」、『世界』第572号、48−65頁、岩波書. 1996. 「カナダ極北地域における社会変化の特質に. ついて」、スチュアート・ヘンリ編『狩猟. 店。 −67−.
(11) 広 瀬 健一郎. 採集民の現在−一生業文化の変容と再生』、 13−49頁、言叢社。. 『カナダ社会の展開と構造』、未来社。 「インディアン(カナダ)−デネーの事例. −」、『文化人類学』Vol.6、No.1、62−. 北畠 霞. 1997. 71頁、アカデミア出版会。. 「カナダのイヌイットとヌナブット準州創 設」、『外国学研究』ⅩⅩⅩⅧ、103−120頁、. 『カナダ先住民 デネーの世界』、明石書店。. 神戸市立外国語大学。. 「カナダ・インディアンを対象とした学校教. ケアレス,J・M・S(=清水 詩・大原裕子). 育…デネーの事例を中心に(1)」、『日本女子. 1978. 大学人間社会研究科紀要』第1号、89−. 『カナダの歴史』、山川出版社。. 105頁、日本女子大学人間社会研究科。. 小林順子 1982. 1985. 1996. 「仏系住民とケベック州の教育政策」、関口 礼子編『カナダにおける多文化主義とその. 育−デネーの事例を中心に(2)」、『日本女子. 教育』、97−118頁、カナダ教育研究会。. 大学紀要人間社会』第6号、61−69頁、日. 教育政策−1980年前後の制度と異文化間教. 本女子大学人間社会学部。 新保 満・ストラザーズ,シンサ・アン. 育政策−」、関口礼子編『カナダの多文化. 1999. 「ケベック州における文化の多様性に関する. 『変貌する先住民社会と学校教育−カナダ北. 西準州デネーの事例』、御茶の水書房。. 主義教育に関する学際的研究』、84−102頁、 図書館情報大学。 1998. 「カナダ・インディアンを対象とした学校教. 鈴木道子. 1982. 「多文化社会に対するカナダの教育政策の概. 「カナダ原住民とその教育」、関口礼子編. 観」、平成8年度∼平成9年度文部省科学. 『カナダにおける多文化主義とその教育』、 79−96頁、カナダ教育研究会。. 研究費補助金基盤研究(A)研究課題番号. 08301025研究成果報告書(研究代表者 江. 須江(原)ひろ子. 原武一)『多文化教育に関する総合的比較. 1965. 研究一公教育におけるエスニシティへの対. は助詞などの表現に修正を加えて、1979年、. 応を中心に』、29【45頁。. 玉川大学出版部から刊行された(原1979. 後藤 守・三浦 哲・後藤恵美子・金澤克美・林 蚊玲 1995. b)。 スチュアート ヘンリ. 「環太平洋北部地域の「援助を必要とする子. 1996. ども」に対する教育的統合¶アラスカフェ. 義一民族と民族学者の自己提示言説をめ. 道教育大学僻地教育研究施設研究報告書. ぐって」、スチュアート ヘンリ編『狩猟. 『環太平洋へき地の諸相一口シアマカグン. 採集民の現在一生業文化の変容と再生』、. ・アラスカ・北海道−』、17−60頁、北海. 125−154頁、言叢社。 1997 a. と運動』、230岬255頁、岩波書店。. 「カナダ先住民に関する法制度一権利の憲法. 保障化−」、『外国の立法』第32巻2・3号、. 1997 b. ティーに翻弄されるイヌイットとインディ. 査局。. アン」、西川長夫、渡辺公三、ガバン・マ. コーマック編『多文化主義・多言語主義の. 『カナダ教育史』、学文社。原著はJohnson,. 現在』、109−132頁、人文書院。. F Henry(1968)A月「材ガ盲sとOアワ げ. 1998. の軌跡」、清水昭俊編『周辺民族の現在』、. pany of Canada).. 235¶263頁、世界思想社。 関口礼子編. 『カナダ・インディアンー滅び行く少数民族. 1982. 『カナダにおける多文化主義とその教育』、 カナダ教育研究会。. 〟』、三省堂。. 1981. 「先住民族が成立する条件一理念から現実へ. CbnadianEducation(McGraw−HillCom− 新保 満. 1972. 「北部ケベックの先住民一二つのマジョリ. 104−157頁、国立国会図書館調査立法考 ジョンソン,Fヘンリー (=鹿毛基生). 1968. 「先住民運動−その歴史、展開、現状と展望 −」、岩波講座文化人類学第6巻 『紛争. 斎藤憲司. 1984. 「現在の採集狩猟民にとっての生業活動の意. アバンクスの教育実践を通して−」、北海. 道教育大学僻地教育研究施設。 1993. 『極北のインディアン』、朝日新聞社。同書. 『人種的差別と偏見』、岩波書店。 『カナダの素顔』、岩波書店。. 1985. 『カナダの多文化主義教育に関する学際的研. 究』、図書館情報大学。 ー68−.
(12) No.54. 1988. 館出版社。. 『カナダ多文化主義教育に関する学際的研. 究』、東洋館出版社。. Hasegawa,Mizuho. 1990. 関口礼子. 1985. ttA Study of Language Policy and. IJanguage Educationin Canada”in. 「カナダにおける多文化教育の理念の成立と. 展開」、小林哲也、江淵一公編『多文化教 育の比較研究』、159−180頁、九州大学出. 段αdよes(属b几αdα 属壱花わ′比 Ⅳe叩0),. 版会。. Vol.10,Pp.36−52,TheJapanese As−. 7Ⅵe A花几㍑αJ月euよeuノ q/仇花αdiα几. sociation for Canadian Studies.. 高嶋幸男・田辺恵祥. 1997. バーシュ. 「アラスカ・セントローレンス島ユピック・. エスキモーの教育」、北海道教育大学僻地. ,ラッスル・ローレンス(=手島武雅). 「先住民族の北アメリカと現代国際法」、『法. 1988. 教育研究施設研究報告書『環太平洋へき地. 政論集』第16巻第1号、137…170頁、北九. の諸相(Ⅲ)一地域の教材化とマルチメディ. 州大学法学会。原書は、Barsh,Russel. (1983)ttIndigenous North America. アによるへき地教育の革新』、27−70頁、 北海道教育大学僻地教育研究施設。. and ContemporaryInternationalLaw’’, in Orego乃 エα∽ 月euよe乙〃,pp.73−125,. 竹中 豊・白井洋子. 1992. 「白人植民者の自己認識と『他者』認識」、. University of Oregon.. 歴史学研究会編、南北アメリカの500年1. 原ひろ子. 『「他者」との遭遇』、71鵬102頁、青木書. 1979a 『子どもの文化人類学』、晶文社。本書のう ち、ヘヤ一に関する叙述は、原(1989)の. 店。. 第八章に一部改訂の上、再録されている。 1979b 『極北のインディアン』、玉川大学出版部。. 竹中 豊. 1983. 「歴史の中の異文化接触¶17世紀カナダの場. 合−−」、『カナダ学会年報』第4号、62w77. 1989. 『ヘヤー・インディアンとその世界』、平凡. 頁、日本カナダ学会。. 社。. 玉井康之 1997. 鹿瀬健一郎 1991. 『現代アラスカの学校改革一関かれた学校づ. 「カルガリー市における多文化教育とカナダ. くりと生涯学習岬』、高文堂出版社。. ・インディアンの民族教育鵬海外教育事情. 徳永好治 1996. 短期研修の報告にかえて−」、『年報 いわ. みざわ』第12号、157−163頁、北海道教育. 「アラスカへき地校の教育事情一学校訪問の. 記−」、北海道教育大学僻地教育研究施設. バージャ. 1997. 大学岩見沢分校。. 研究報告書『環太平洋へき地の諸相(Ⅱ). Frideres,James S. 】へき地教育研究を通して21世紀の教育を. 1998. teTTtPOraTT CbTd7ict(Scarboragh:Pen−. 教育研究施設。. ticeHall).. ー,トーマス(=ノア・マコーマック). 北海道教育大学. 1994. 「カナダにおける先住民族と先住民族権」、. 『環太平洋の地域研究と異文化理解教育』 (研究代表者、谷本一之)。. ク編『多文化主義・多言語主義の現在』、. Loose,Noeland Osanai,Takeshied.. 133冊144頁、人文書院。. 1993. 上作dige花0沈S 〟i几Orifies α花d E血cα£ioれ (Tokyo:Sanyusya Publishing).. 西川長夫. 「多文化主義・多言語主義の現在」、西川長. マクノート,ケネス(=馬場伸也). 1978. 夫、渡辺公三、ガバン・マコーマック編『多. 文化主義・多言語主義の現在』、9−23頁、. 『カナダの歴史』、ミネルヴァ書房。. ランバート,カーメン(=益子待也). 人文書院。 ニュートン,アール E(=玉岡賀津雄) 1988. Aわor柳花αヱ Peqp∼esi几 仇れα血…(ゎれ−. 拓く¶』、85−88頁、北海道教育大学僻地. 西川長夫、渡辺公三、ガバン・マコーマッ. 1997. 1999.12. わが国における現代カナダ先住民教育研究の動向と課題. 1988. 「カナダ都市部における先住民のエスニシ ティ」、綾部恒雄編『カナダ民族文化の研. 究¶多文化主義とエスニシティ』、137−. 「サスカチエワン州における多文化主義教. 育」、関口礼子編『カナダ多文化主義教育 に関する学際的研究』、151−167頁、東洋. 169頁、刀水書房。 吉田健正. 一69−.
(13) 広 瀬 健一郎. 1991. 「日本におけるカナダ研究の概況」、『アメリ カ・カナダ研究』No.6 Autumn、89−. 106頁、上智大学アメリカ・カナダ研究所。 1994. 「カナダ・メゾジスト教会はなぜ日本に宣教. 師を派遣したか」、『カナダ研究年報』第14 号、98−121頁、日本カナダ学会。 1999. 『カナダー21世紀の歩み』、彩流社。. ー70−.
(14)
関連したドキュメント
高等教育機関の日本語教育に関しては、まず、その代表となる「ドイツ語圏大学日本語 教育研究会( Japanisch an Hochschulen :以下 JaH ) 」 2 を紹介する。
を見守り支援した大人の組織についても言及した。「地域に生きる」子どもが育っていくという文化に
本稿は、拙稿「海外における待遇表現教育の問題点―台湾での研修会におけ る「事前課題」分析 ―」(
本稿における試み及びその先にある実践開発の試みは、日本の ESD 研究において求められる 喫緊の課題である。例えば
大学で理科教育を研究していたが「現場で子ども
自ら将来の課題を探究し,その課題に対して 幅広い視野から柔軟かつ総合的に判断を下す 能力 (課題探究能力)
専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学
大学教員養成プログラム(PFFP)に関する動向として、名古屋大学では、高等教育研究センターの