『後奈良院御撰何曽』「ははには……」の謎々はハ行頭子音の証拠たり得るか
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(2) 吉 見 孝 夫. 『後奈良院御撰何曽』「ははには……」の謎々は ハ行頭子音の証拠たり得るか . 二. 亀井孝が「ハ行音がかつて軽唇音(すなわち、両唇摩擦音F) であったことを証明するための“古典的な”資料として専攻の. 一 日本語史の講義でハ行頭子音の変遷を説明するときには、講 師は必ずといってよいほどに『後奈良院御撰何曽』の「母には. 学徒のあいだにこんにちではひろく知られているかの『後奈良. この謎々を音韻史と結びつけたのは新村出であるが、それ以 降言及されることの頻繁さに比べて、この謎々自体の考究は十. うのであるから、受講生を引きつけるには恰好の材料である。. うもない文献が多い中で、謎々で昔の発音の一端がわかるとい. 資料やら古辞書やら一般の学生には余り関心を抱いてもらえそ. に言及する。日本語史の資料といえば、文学作品を除けば訓点. ○半沢幹一他編集『ケーススタディ日本語の歴史』. る。その例を最近のもので挙げておこう。. ないサイトのあちらこちらにもこの謎々が現れる。その知識を. インターネットで検索するならば、専門家が書いたとは思われ. ある。いまではそれを知るのは「専攻の学徒」に留まらない。. 院御撰何曽』のなかのなぞだて」と書いたのは半世紀近く前で. 注一. 二度会うが父には一度も会わない。 答えは唇」 という内容の謎々. 分ではないというのが、多少ともことば遊びを調べてきた筆者. このことから、『後奈良院御撰何曽』が成立した時期以前 には、 「はは(母) 」の発音は、現代のように唇が合わない. 提供しているのは日本語史の教科書や一般向けの新書類であ. の感想である。これがどう解かれるべきなのか、解きようと音 韻史がどう関わるのか、いまだ検討する余地がある。. [ haha ] と い う 発 音 で は な く、 上 唇 と 下 唇 を 触 れ 合 わ せ. - - 1.
(3) Ф. て発音する両唇摩擦音の[ ] aで発音されていた可能性 が高いことがわかる。しかし「はは」は、ハ行転呼音によ Ф. Ф. Ф. り[ 」から[ ] に な っ て い た は ず で あ る。 と a a a w a なると 「母には二たびあひたれど」 にやや疑問がのこるが、. が合う それは「ハ」の発音は両唇摩擦音で、上唇と下唇 注五 が、「チ」の発音では唇が合わないというわけです。. る中で、沖森卓 このようにこの謎々を持ち出すのが定石で注あ 六. 也編著『日本語ライブラリー 日本語史概説』の「第2章 音 韻史」 (肥爪周二執筆)が全く触れていないのは、注目される。. 恐らく執筆者の見識を以て意図的に無視しているものと思われ. Ф る。. ワ行音の[ ] wも[ ]よりも弱いが唇音性が認められる 注二 ことから、唇が2度あうと認めても不当ではないだろう。 ○近藤泰弘他『日本語の歴史』. この謎々が諸書が述べるように音韻の変遷の証拠になるのか どうか検討を加えたいが、その前に初めてこの謎々をハ行頭子 Ф. Ф. a ] a. ○新村出「波行軽唇音沿革考」. 音の変遷と結びつけた新村出の記述を確認しておこう。. 「母には二度会うけれども父には一度も会わない この、 もの(答)唇」というなぞは、 「母」という語を発音する. Ф. ] 」 「フォ[. 注四. ] 」であると考えた時、 謎々. ○沖森卓也『はじめて読む日本語の歴史』. ぞ. ○ ○. ○. ○. ○. 、. 、 、. 、. 、 、. ・. ・. ・. な. ・. 母には二度あひたれども父には一度もあはず くちびる (唇)。. ○. 曽のうちに次のやうなのがある。 . これはハハといふ語を発音するときは、唇が二度はたらく けれども、チチといふ語の発音には唇が一度も相接しない. 嘉永 二年. )に之を釈してかう云うてゐる。. といふ意味であらうと思ふ。本居内遠は『後奈良院御撰何 曽之解』(. - - 2. ときは唇が二回合うが、 「父」と言うときには一度も合わ ないということを示している。 「母」は当時は[. 活きた発音をとらへた好適例だと思はれるのは、同じく 『群書類従』「雑部」に収めてある『後奈良院御撰何曽』. のうちに見える唇音のことである。この書は後奈良天皇が. または [ ](aキリシタン資料には fa u がa多く見られる) a w 注三 であったから、このようななぞなぞが成立したのである。 ○山口仲美『日本語の歴史』. 撰で皇室文学中無比の特色をそなへたものである。その何. ] 」 「フェ[. Фo. 二十一歳まだ即位以前であらせられた永正十三年正月の御. ど う し て そ ん な 子 音 で あ る こ と が 分 か っ た の で し ょ う か。永正一三年(一五一六年)に出来た『後奈良院御撰何. Фi. 曽』に、こんな謎々があることが一つの証拠でした。 (中略) Фa. けれども、室町時代以前のハ行音の子音が江戸時代以後 とはちがって、 唇を合わせて「ファ[ ] 「フィ[ ] 」 「フ [. Фe. の答えが「唇」であることの意味が分かったのです。. Фu.
(4) . ○. ○. 母は歯々の意、父は乳の意にて、上唇と下歯、下唇と上 歯とあふは二度なり、我乳はわが唇のとゞかぬ物なれば 一度もあはぬ意にて唇と解たるなり、是は変じたる体の 何曽にていとおもしろし、. 三. 証拠となるための条件とはどういうことか。この点につき自 覚的であるのは鈴木博である。鈴木は言う。. チ(父)といふ語の発音には、唇は一度も関係しない、と. は fa 又 とa発音するから、唇が第一のハで一度、第 faは fa w 二のハ(又はワ)で一度、都合二度会ふわけであるが、チ. を証明する資料になる」と言うならば、論理的におかしい. だから、このなぞは、ハ(行)音が(軽)唇音だったこと. 唇音だったと仮定すれば、このなぞを解くことができる。. もしかりに、当時のハ行音が軽唇音であったことを、他資 料を用いて論証しておくことなしに、「ハ(行)音が(軽). いふ御実感をおあらはしになつたものに違ひない。御敏感. し、なぞの解き方という点でも、他の解(知り得るところ. この解釈は牽強であつて御真意を誤つてゐる。ハハ(母). さがうかゞはれる次第である。. あろう。卑見では、このなぞを単独で、当時のハ(行)音. では内遠の解だけであるが)と優劣を争う余地を生じるで. 若し右の解釈が当つてゐるとするならば、永正時代にお ける京都、しかも皇室の発音がわかるわけで、即ち波が軽. が唇音であったことを証明する強力な資料として使うこと. は、なぞ解きという観点から言えば、むずかしいのではな. 唇摩擦音であつた証拠になるので、このがはの無二の好資 料だといふのは、この点である。永正より慶長までは百年. いかと思う。. 」の頭子音が両唇摩擦音であると仮定し 要するに「ハ(行) てこの謎々を解き、その解を以て「ハ(行)」の頭子音が両唇. 注八. に足らないが、天正より文禄慶長の南蛮がはの国語資料に. 摩擦音であることの証拠とするのはトートロジーであり、論理. 於ける波行音のFが必ずしも一二史学者の説けるが如く地 方訛りや欧人の写音法の誤りでない所以は、この京都標準. のように理解していること、また後に検討するように『群書類. 本居内遠の解と比較するならば、新村のは見事なほどに鮮や かである。ただ今日から見ると、後奈良院自身の製作であるか. の後変化を異にするのだし、この謎々でわかるのは「ハ」の頭. 弧 を 付 け る の は、 「 ハ 」 の 頭 子 音 と、 「ヒ」「フ」のそれとはそ. 念のために付言するならば、鈴木が「ハ(行)」といちいち括. 注七. 音の立証によつていよいよ明かになると信ずる。. 従』に依拠していることは問題である。なによりも「即ち波が. 子音だけであることを念頭に置いているからである。. として無効だということである。銘記しておくべき発言である。. 軽唇音であった証拠」となるための条件がはっきりしない。. - - 3.
(5) 以上鈴木の言うところを敷衍して、それのみで証拠となる条 件を整理するならば、次のようになろう。. うといえようが、いずれにしろこれではことば遊びとして成立 しないかのようである。. Ф. 度会ひたれども爺には一度も会はず」とも解し得る。一六世紀. ある。対応する「ちゝ」は「ヂヂ(爺) 」となろう。「婆には二. ]. か、声門摩擦音[ ] (両唇破裂音[ ] hかである。 pは予め除 外してよいであろう。 )したがって、この謎々が両唇摩擦音. 初頭は、 「ヂ」の頭子音が破裂音から破擦音へと推移する時期. 天理本『なぞだて』には全編にわたって一切濁点は付されて いない。したがって「はゝ」は「ババ(婆)」の読みも可能で. を前提としたときには成立し、声門摩擦音を前提としたとき. A 「ハ」の頭子音として想定し得るのは、両唇摩擦音[. に成立しないならば、その場合にのみこの謎々は、それ自体. であるが、いずれにしろ唇は合わない。一方、「バ」の頭子音. Ф. 子音は両唇摩擦音であるという結論が導き出されている。しか. 「唇が合う」ということをもう少し考えてみたい。新村出以 下二節に挙げた文献では、 「唇が合う」とあるのだからハ行頭. 以下、この謎々を「母・父」の線で解くことを否定する方向 をどこまで進めることができるか試みてみよう。. 四. ハ行頭子音が[ ] hであったと仮定しても成立し得る。Aの要 件を満たしていない。. は有声破裂音[ ] bであるから唇が合う。つまり、この謎々は. で「ハ」の頭子音が両唇摩擦音であったことの証拠となる。 [ ] [ ]を前提としてこの謎々を解くが、 hを前 新村以降、 提とすることは初めから想定していないか、その前提では謎々 として成立しないことは自明であるとみている。果たしてそう 断定できるのかどうか。以下に検討してみたい。 図 今日では群書類従本の『後奈良院御撰何曽』の祖本が天注理 九 書館所蔵の『なぞだて』であることが明らかになっている。こ 注一〇. れは後奈良天皇の宸筆にかかり、東宮であった永正一三年(一 で、ここではこの天理本『なぞだて』を検討の対象とする。こ. 五一六)正月の奥書を有する。群書類従本は誤りを多く含むの れには当該の謎々は次のように表記されている。. ]に移っていた時期の 既に「ハ」の頭子音が声門摩擦音[ h 資料ではあるが、明和八年(一七七一)の自序を持つ『謳曲英. どうか。. し唇がぴったり合う単音は、両唇の破裂音[ ][ p ] bか鼻音の[ ] m である。狭いすき間を作る摩擦音を「合う」に含んでよいのか 注一一. はゝには二たひあひたれとも ちゝには一ともあはす. くちひる ]と仮定するならば、 「ハハ(母) 」を発音す 声門摩擦音[ h るときに、唇は一度も合わない。 「ハワ(母) 」ならば一度は合. - - 4.
(6) はひふへほの仮名は柔らかに唇を合せて後開くなり 初 より唇を開きて唱へず 唇の内如此ふ文字を . 華抄』には「唇を合はす」という表現が二回出現する。 ○ は ひ ふへ ほ フハ フヒ フヘフホ ナンダク. 心に持て唱ふなり 是を軟濁とも三重濁り共いふ 又唇 つよ 注一二 を剛く合せて開けはぱぴぷぺぽ唇ノ外是を半濁といふ ここには謡曲でのハ行音(それは両唇摩擦音を持つ)を「柔 らかに唇を合せて後開くなり」と説明し、パ行音を「剛く合せ て開けは」と説明している。 「柔らかに」ですき間のある摩擦 音を、「剛く」で密着する破裂音を表現し、両者を区別してい るが、ハ行音を「唇を合はす」と捉えていることは明らかであ る。. ○. ○. . . もう一つ、享保一二年(一七二七)刊の三浦庚妥『音曲玉淵 集』の場合を見よう。この資料には唇に関して「合はす」と記 す箇所が二カ所ある。. . コンパク. セン ピ. . ケン プ. クンペン. センポウ. ふへほ 半濁に唱ふ 唇を急に合せてはづむ ○はサひ ンパイ ケンピン カンプウ ケンペイ エン ポ 三拝 玄賓 寒風 源平 遠浦 . 魂魄 先非 絹布 君辺 尖峯 (中略). 注一三. ふへほ 半濁に唱ふ 唇ヲ急ニ合せてはづむ也 ○はケひ ツパク ハツ ピ シツ プ イツペイ カツ ポ 被 実否 一瓶 合浦 潔テ白 法 ツパツ タツピツ マツプク チツペン マツポウ. 鉄鉢 達筆 末伏 秩辺 末法. 両方ともパ行音に対して使用している。 一方、唇に関して「すぼむ」と表現する箇所がある。. 第三位 一うくすつぬふむゆるう. 此字も能生の文字故軽し 但第二位とは少し替り有. 唇に心を付すぼむべし (中略) 第五位. き音便にたがふ 唇をすぼめ唇にて唱へちいさく軽き 注一三 心尤可也 句切などに成所にて試むへし. 此字も所生の文字也 但第四位とは少し替り有 ちい さくして重き仮名也 或は丸める心なとあれは口内開. 一をこそとのほもよろお . り. 注一三. 合むとて口をふさぐに非す 唇をすほめて是又舌つかひあ. 合の区別を説いたところに次の記述がある。 またス開 ボ . いずれも母音の円唇性を「すぼむ」で表現していると推定さ れる。両唇摩擦音に直接言及しているのではないので隔靴掻痒. の感は否めないが、次のことは確認できる。. ア 両唇がぴったり合うことを「唇を合はす」と表現している こと。. イ 両唇をふさぐのではなく、近づけることを「すぼむ」と表 現していること。. 他の謡曲指南書を博捜すれば、これとは異なる表現法もある かもしれないが、こういった類の資料のこれ以上の穿鑿は無用. - - 5.
(7) だろう。なぜなら、 当該の謎々ではテクニカルタームとして 「合. 書きした文を解き手に示すしかない。. うことになる。 『なぞだて』のように、「はは」「ちち」を仮名. 五. ふ」とか「合はす」を使っているわけではないのだから。日常 語のレベルで考えてよいのだから、現在の私たちの言語感覚を ここに持ち込んで不都合はない。それならば、 両唇摩擦音は 「唇 が合う」とも言い得るし、 「唇が合わない」とも主張し得る。. 『群書類従』の『後奈良院御撰何曽』はこうある。. 「母」「父」と明記するテキ 天理本『なぞだて』とは異なり、 ストがある。その存在はどう考えたらよいのか。. ぴったりとは密着していない点に注意すれば「合わない」とい. 母には二たびあひたれども父には一度もあはず注。 一四 る。. 上唇と下唇が接近することに着目すれば「合う」となろうし、 うことになる。. くちび. Ф. と漢字書きされているのだから、 これには明らかに「母」「父」 「婆・爺」の読みは否定されることになりそうだ。しかし、群. そうすると、この謎々はどのように理解されるべきか。両唇 摩擦音[ ]を前提にしても、次のように反論することが可能 だということである。. 群書類従本に至る過程で、 「はゝには二たひあひたれともちゝ. ]を仮定. このいわば難癖に対してもさらに反論が用意できるのが、こ の謎々である。 〈いや、これは「婆には……、爺には……」と. ことだけである。群書類従本には、写し誤りのために、そのま. も父には一度もあはず」と解釈して書き写した者がいるという Ф. れは、 『なぞだて』よりも四年早い永正九年(一五一二)成立. 小論で問題にしている謎々と同趣旨とされるものは『後奈良 院御撰何曽』以外にもあることが専門家には知られている。そ. 注一五. る点。他の一つは、謎を口頭で提示できない点である。 「母に. の豊原統秋『体源鈔』である。これに言及する場合、この謎々. 書類従本の表記に拘泥しなくてもよい。. には一ともあはす」という文字列を「母には二たびあひたれど. 理解すべきものである〉と言えばよいのである。 [. までは解けないもの、解を誤記しているものが散見される。群. 書類従本の表記が我々に伝えるのは、天理本『なぞだて』から. 」は唇が近づいてはいるが、 ぴったりとは合っ 〈「ハハ(ハワ) ていないではないか。故に謎々としては成立しない〉と。. しても通説とは別の解があり得るということである。. は ……、 父 に は ……」 と 読 ん で は、 「 婆 に は ……、 爺 に は. ついでを以ていえば、この線で考えると、これは二つの点で ユニークな謎々である。一つは、二段構えで解が用意されてい. ……」の読みを予め否定することになるし、 「婆には……、爺. だけを前後と切り離して引用することが専らであるが、筆者は、. 注一六. には……」と読んでは、隠された読みを最初から明かしてしま. - - 6.
(8) 考える。. どのような文脈の中でこれが登場するのかを見る必要があると. いずれにしろ、これを音韻史資料とするには、今はその余裕 がないが、他の写本との校異を調査した上での本文批判が必要. るいはこれが後の補入でないのかどうか。. の謎々は誤りだ」と否定的な意味で引用したとも解し得る。あ. れらを聞き分け適切に答えた。更には彼らの繰り出す難問にも. 専門家にも余り知られていないが、もう一つの資料に同趣旨 の謎々がある。それは聖徳太子の伝記を載せるいくつかの伝本. 六. である。. 一相通事 口 ハヒフヘホ 舌 タチツテト 歯 カキクケコ 牙 サシスセソ 咽 アイウエヲ ノ詞 . ナソタテニ曰 ナイ )内 母ニハ二度アフテ 牙歯口舌唯(○喉. 明解に解答したという、太子の聡明さを証すエピソードがある。. 分類を示すのだとすると、通例とは大きく食い違う。タ行を舌. さらに鈴木博がその意味づけを発表している。. 本『聖徳太子伝』が提示していることを高橋貞一が発見した。. 注一八. である。一一歳の太子が、童子二四人に同時に質問をさせ、そ. 解き方は明示されていないが、発音に関わる箇所に引用され ているので、この謎々をハ行頭子音の音価と結びつけて解いて. 注一七 クチヒルト トク . いることは確かである。ただ、ここの記述は理解に苦しむとこ. その難問の一つとして、小論が問題としている謎々を叡山文庫. 父ニハ一度モアワス. ろを多く含む。 「口」 「舌」等が、その直下のハ行・タ行等の音 音、ア行を咽の音(普通は「喉音」と表記されるが)とするの. 三種の影印、翻刻。. 聖徳太子伝集』 (臨川書店、二〇〇六年三月). 諸種の影印。 ○国文学研究資料館編『真福寺善本叢刊第二期5(史伝部一). ○斯道文庫編『斯道文庫古典叢刊之六 中世聖徳太子伝集成』 全五巻(勉誠出版、二〇〇五年四月). 注一九. は伝統的な分類に一致するが、ハ行を口音、カ行を歯音、サ行. 近年、聖徳太子の伝記の影印、翻刻が次のように陸続と出版 されている。. を牙音とするのは他に類を見ない。 「歯」と「牙」を入れ替え ればよいが、 単に書き誤りと認めてよいのかどうか。ハ行を 「口 音」とするのだけに注目すれば、ハ行頭子音が[ ] hであった 証拠になりかねない。 ア行を除くと清音濁音を持つ行ばかりで、 濁音行を持たないナ・マ・ヤ・ラ・ワ行がないのは何故か。こ ういったことがわからないので、ここにこの謎々を載せた意図 も不明である。 「ハ行は口音なのだから、ハ行を唇音とするこ. - - 7.
(9) ○大東急記念文庫善本叢刊『中古中世篇 聖徳太子伝』 (汲古 書院、二〇〇八年一月) 二種の影印。 ○杉本好伸編『聖徳太子伝』 (国書刊行会、二〇一一年二月). を考え漢字に変えた。). 或童子之申給ニフ母ニハ二度ヒ合テ父ニハ一度モ不 五体 一 者何レノ所ニテ候ヤラント申給フ 具之於 二. 合、所. レ. 二度可 合也其ノ上母ニハ二度合□(虫損)ン事ノ不思議 レ. 太子ノ給フ軈テ不思議也大シ段先親トハ一世之契リニテ今生計 之好ミナリ再会更ニ難 レ 期雖 レ 然 母ニ二度合ナラハ父ニモ. 寛文六年版『聖徳太子伝』の翻刻。 ○渡辺信和『聖徳太子説話の研究』 (新典社、 二〇一二年六月). サヨト打案シ給フ於 二 所具ノ五体 一 何クナルラント思ニ父母 ル. 者天地ノ如ク定恵之二法陰陽之二事世間出世共ニ此之二事. ニ. 二種の影印。 以上の影印、翻刻を調査すると、叡山文庫本を含め、以下の 三種の伝本に問題の謎々があることがわかった。 それぞれ本文、. ス. ニハ. ヒ. フ. ニ. テ. ノ. ソヤ. 注二一. ハ. 被 レ 仰タリ 童子達者不思議之思ヲ成シ給テ勝負ニ又コソ. ト云時再度口脣ヲ合ス父ト云時一度モ不 合 脣ヲ云カト レ. ル. 字ニハ口ヲ開母ヲ象ル吽字ニハ口ヲ塞ク也是ヲ以テ知ヌ母. ヲ不 レ 可 レ 離 左者真言ニハ阿吽之二字ヲ生死之二法ニ立テ 是善悪之二也是ヲ観シテ金剛力士ノ二主モ金剛者口ヲ開テ. ヒ. 内容が多少とも異なる。. ニハ. 阿字ヲ観シ力士者口ヲ閉テ吽字ヲ観スル也故ニ父ヲ象ル阿. ク. ○国立公文書館内閣文庫本『聖徳太子伝拾遺抄』巻第四(江戸 初期写) ニ. 次 問云 父 二 度 行合 母 二 度 行合 六内之篇 付 何 所 太 ク ヒル 注二〇 子答 宣 脣 也. トが付いている。太子は答えを言っただけで、その解き方は示. ものなので、 「六内の篇に付きていづれの所ぞや」というヒン. 奈良院御撰何曽』より難しい。これだけでは雲をつかむような. が二度合うが、「父」と言うときには一度も合わないから、答. も即答はできない。しばらく考えた後に「母」と言うときは唇. づれの所に候ふやらん」とヒントが付いている。さすがの太子. 「母には……」と謎かけをした。 一人の童子が太子に向かって ここでも答えは事前には提示されず「所具の五体においてはい. 負給フ. されていない。. 母を「吽」字と結びつけ、何故に「母」と言うときは唇が合い、. 童子が「父には二たび行き合はず。母には二たび行き合ふ」 という問いかけをした。予め答えが提示されていない点で『後. 次のものは解き方も明示される。 ○四天王寺本『聖徳太子伝』 (室町後期写)第五「聖徳太子十. 「父」と言うときには合わないかの理論的根拠まで持ち出して. えは唇かとおっしゃった。しかも陰陽の説から父を「阿」字、. 一歳之御事」 ( 「阿」 「吽」の二字は原本では梵字。印刷の便. - - 8.
(10) いる。この“高邁”な論理に童子たちは不思議の思いをなした. 見て、太子でも答えられないと童子たちは一旦は自分たちの勝. ここで突飛な珍説を開陳してみよう。 〈これは聖徳太子の実話である。太子一一歳は西暦五八四年に. ある時代の音韻を反映していることは確実である。. 『後奈良院御撰何曽』と異なり、 謎々の検討に戻ろう。これは 「父」 「母」となっている。ハ行頭子音が唇音性の高い子音で. 利を確信している。また末尾の「興覚テアキレテ」に、太子へ. ノ. の感服よりも自分たちの当惑が示されている。. サ. というのである。. ル. ○叡山文庫本『聖徳太子伝』 (享徳三・四年=一四五四・五写) (返り点は現行の形に改める) 合所 レ 子 母 ニ ハ 再 ヒ 合 ヘ ト モ 何 ト ヤ 父 ニ ハ 一 度 モ不 レ 此 童 スル 具 五体六根ノ中ニハ何クソヤト立タリ太子軈テノ御詞ニ. 不思議ヤナ大段不審也親ハ一世ノ契ニテ只今生計ナレハ再 ニ. 当たる。六世紀末ならばハ行頭子音が両唇破裂音[ ] pであっ た蓋然性は低くない。これならば上下の唇はぴったりと合う。〉. これは冗談にしかなるまい。実際は室町期にあったこの謎々 を聖徳太子の聡明さと結びつけて伝記に繰り込んだものである Ф. に違いない。 [ ]を前提にすれば謎々として成立するが、[ ] h を前提にしては成立しない。三節で示したAの条件を満たす。. したがってこれはハ行頭子音の証拠となる。. レ. 二. ヒ難 会期 而父ニ一度モ会ヌハ常ニ云習セシ事也付 其母 二 一 レ ニ再ヒ会ラン事コソ意得難ケレ母ニ合ハヽ父ニモ可 合難 レ. 心得 一 事哉ト打案シ坐テ人ノ身ノ五体六根ノ中ナラハ何処 ソト立ルナト仰ケレハ彼童子達サレハコソ知 食レネ勝ヌ ルヨト悦テ有シニ太子ノ御知恵ノ深サハヤ御前達父母定恵 ノ二法陰陽ノ二門也世間出世此ヲ離レテ諸法ノ当体不 可 レ 父母ヲ離レ陰陽ヲハナレタルサレハ真言ニハ阿吽二字金剛. 立ス委ク云ヘハ長短高下天地昼夜寒熱春秋広狭方円何レカ 力士ノ二王是モ父母ノ二也金剛ハ口ヲ開ク阿一字ヲ顕ス力. 四五四・五年頃の音韻を反映していると見て、事実から大きく. では、ここにはいつ頃の音韻が反映されているのか。三本の うち、古くてしかも書写年のはっきりしている叡山文庫本の一 カタトル. シト. 士ハ口ヲ塞ク吽ノ一字ヲ顕也 象 父阿字ハ口ヲ塞テ謂ント レ. はかけ離れていまい。. 以下、いささかの推定を加えてみたい。室町期書写の叡山文 庫本、四天王寺本の書写者にとって、この謎々は自らの発音に. スレハ不 被 云吽ノ字ハ何カニ口ヲ不 合スレトモ合 是 レ レ レ カ 母 ノ 形 也 爰 ニ 知 ヌ 母 ト 云 時 ハ 二 度 ヒ 合 脣 父ト云時ハ一 レ. も合致して、よく理解できたことであろう。一方、江戸初期書. 注二二. 度モ不 レ 合一定脣ヲ云ナ童子達ト仰ケリ 此時童子達興覚 テアキレテ(傍線部分は書冊のノドにあり、綴じ目で字の. 写の内閣文庫本の書写者にとってはどうか。江戸初期といって. 左半分が見えない). これは四天王寺本とほぼ同じであるが、太子が考え込む様を. - - 9.
(11) も一七世紀の初頭と末期とでは事情が異なるが、ハ行頭子音が. ドはドラキュラのド/レは霊柩車のレ/ミはミイラのミ/ ファは墓場のファ/ソは葬式のソ/ラはお寺のラ/シは死. いる。. 人のシ/サア震えましょう. 注二三. [ ] hへと推移していた蓋然性が高い。その線で推すと、内閣 文庫本の書き手にはこの謎々の解きようは理解できない。それ 故に謎々だけを示して、解き方は削除したという推定も成り立. を重ねなければならない場合には、その資料がこの替え歌の類. 推定するおっちょこちょいが出かねない。限られた資料で推定. つ。 天理本『なぞだて』の当該の謎々の祖型が約六〇年早い『聖 徳太子伝』の写本にある。こちらは「母・父」の線でしか解け. であるかどうか吟味することを忘れるわけにはいかない。. この「ファは墓場のファ」を根拠にして、後世に「二一世紀 初頭においては「ハ」の頭子音は両唇摩擦音でもあり得た」と. ない。だから『なぞだて』も「母・父」の線でのみ解くべきで. Ф. ]であることが十分. 四 山口仲美『日本語の歴史』 (岩波書店、二〇〇六年五月) 一三六、一三七ページ。. 篤執筆。. 〇五年三月) 「 9 室 町 時 代 の 日 本 語 」 一 二 六 ペ ー ジ。 久 保 田. 三 近藤泰弘他『日本語の歴史』(放送大学教育振興会、二〇. 利執筆。. 二 半沢幹一他編集『ケーススタディ日本語の歴史』(おうふう、 二〇〇二年一一月)「ケース4ハ行音」二六ページ。平林一. ジに拠る。. (一)音韻─』 (吉川弘文館、一九八四年一二月)二〇九ペー. 一 亀井孝「ハワからハハへ」 (『言語文化』四、一九六七年一 一月) 。引用は『亀井孝論文集3日本語のすがたとこころ─. 注. ある、とする必要はない。 『なぞだて』は、祖型を「婆・爺」 の線でも解けるようにした改作だと考えればよいのだから。. 七 誤解を避けるために最後に付け加えるならば、小論は「婆・ 爺」の線で解くことを主張しているのではない。この謎々を無 視しても一六世紀初頭のハ行頭子音は[. な証拠力を以て推定されているのであるから、蓋然性の高さか ら言えば「母・父」の線で読み解かれるべきものであろう。た だ、[ ] h を 前 提 と し て も 謎 々 と し て 成 立 す る、 そ れ 故 に 音 韻 の変遷の証拠としての有効性を持たないと言いたいだけである。 筆者は、ことば遊びを日本語史の材料とするには慎重な取扱 いを要すると考える。それは遊戯性を目的とするものには、え てして無理を伴うことがあるからである。阿刀田高の『ことば 遊びの楽しみ』に次のような「ドレミの歌」の替え歌が載って. - - 10.
(12) 五 沖森卓也『はじめて読む日本語の歴史』 (ベレ出版、二〇 一〇年三月)二〇七ページ。 六 沖森卓也編著『日本語ライブラリー 日本語史概説』 (朝 倉書店、二〇一〇年四月) 七 新村出「波行軽唇音沿革考」 ( 『国語国文の研究』一九二八 年一月) 。引用は『新村出全集第四巻』 (筑摩書房、一九七一 年九月)に拠る。 第九号、一九七八年九月). 八 鈴木博「日本書紀抄のハ行音記述」 ( 『国語国文』第四七巻 九 石川広 「 『後奈良院御撰何曽』 溯源考」( 『国文学言語と文芸』 第一九号、一九六一年一一月) 一〇 後奈良院宸筆説には異論もあるが、ここでは注一一文献 の「解題」に従っておく。 一一 『天理図書館善本叢書和書之部第六十四巻 なぞ 狂歌 咄の本』 (八木書店、一九八四年三月)の影印に拠る。 一二 高羽五郎『謳曲英華抄』 (高羽五郎、 一九六六年一〇月) に拠る。 一三 濱田敦編『音曲玉淵集』 (臨川書店、 一九七五年一一月) に拠る。原文では特殊な半濁音符が使われているが、ここで は通常の符号に変える。 一四 『群書類従 第二十八輯』 (続群書類従完成会、一九三 二年一〇月)に拠る。 一五 注九文献に同じ。. 一六 紹介記事としては、筆者の知る限りでは『国語学辞典』 (東京堂出版、一九五五年八月)中の「国語年表」一〇七〇. ページが最も古い。馬淵和夫『国語音韻論』(笠間書院、一. 九七 一年四月)は浅野建二が紹介したとする。. 一七 日本古典全集『体源鈔 四』 (日本古典全集刊行会、一 九三三年一一月)に拠る。. 一八 鈴木博「中世の謎について──国語学的考察のもとに─ ─」 ( 『仏教大学研究紀要』第五二号、一九六八年三月)にそ. の旨の記述があるが、高橋の論文題は明示されていない。. 四月). 一九 注一八文献に同じ。 二〇 『中世聖徳太子伝集成』第五巻(勉誠出版、二〇〇五年. 四月). 二一 『中世聖徳太子伝集成』第四巻(勉誠出版、二〇〇五年. 四月). 二二 『中世聖徳太子伝集成』第四巻(勉誠出版、二〇〇五年. 年五月)一八九ページ。. 二三 阿刀田高『ことば遊びの楽しみ』 (岩波書店、二〇〇六. - - 11.
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