• 検索結果がありません。

国王は映画だった——タイ国王による「投影」の統御からアピチャッポンの投影像実践まで

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国王は映画だった——タイ国王による「投影」の統御からアピチャッポンの投影像実践まで"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Eizōgaku, No.105, pp.27-45, 2021 ©2021 The Japan Society of Image Arts and Sciences

国王は映画だった

——タイ国王による「投影」の統御からアピチャッポンの投影像実践まで

中 村 紀 彦 *

1 【要旨】 タイの映画館では、作品上映前にタイ国王のプロパガンダ映像が上映され る。それは国王がイメージの投影を通じて、国民国家を統御する構図に他な らない。映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編映画作品『光りの 墓』(Cemetery of Splendor, 2015)は、こうしたイメージの投影と国王および国 家との親密な関係を暴露し、タイ映画史とそれを取り巻く政治を再構築するよ う要請する。本論文の目的は、アピチャッポンの投影像を用いた実践やタイに おけるイメージの投影史を通じて、タイ映画と国王および国家の関係性を浮か び上がらせることにある。第一節では、タイ映画史におけるイメージの投影が 「国家」や「国王」と緊密に結びつくことを確認する。この節の意義は、従来の タイ映画史を国王と映画の関係性から再構築する試みにある。第二節では、タ イの地域学者トンチャイ・ウィニッチャクンの先行研究を参照しながら、タイ 国家と国王による投影の統御をさらに歴史化する。地図とは国王のスクリーン である。国王はこのスクリーン上に実体のない仮想的な国土を投影するのであ る。第三節では、仮想的な王国を地図に描き出す国家統治の方策と、映画の投 影が政治的に用いられた実例とを『光りの墓』に重ね合わせて分析する。最終 的に、アピチャッポンがタイ映画史および投影の政治的関係性に批判的眼差し を投げかけていること、自らの投影像による諸実践を更新する過程が明らかと なる。 【キーワード】 タイ映画、東南アジア、東北タイ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、投影 *1 神戸市役所/映像・アピチャッポン・ウィーラセタクン研究

(2)

はじめに タイ・バンコクの空港に到着しては じめて Wi-Fi に接続するとき、スマー トフォンの画面を占領するのは他でも なくタイ国王の肖像である(図1)。こ の国に立ち入った者は、ネットワーク を通じてタイ国家と王政の管理下に置 かれる。しかしそれは現代に限ったこ とではない。これまでタイ国王および タイ王政は投影概念と同一化すること で国家の統御と統治を行ってきたから だ。なかでも映画という投影の営為と の関係性はきわめて密接である。 タ イ 国 王 と 映 画 の 歴 史 的 関 係 性 については、タイの映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichat-pong Weerasethakul, 1970-)がさまざまなかたちで批判的に扱ってきた。アピ チャッポンは『ブンミおじさんの森』(Uncle boonmee Who Can Recall His Past

Lives,2010)のカンヌ国際映画祭でのパルムドール獲得を契機に、タイを代表 する映画監督として知られることとなった。その一方で彼は、美術館やギャラ リーで展示するヴィデオ・インスタレーション作品などを制作している。この 両側面は緊密に結びついており、彼の投影像による実践はその蝶番となってい る。同時に、アピチャッポンの投影を用いた戦略は、タイ国王や王族がイメー ジの投影と歴史的に深く関わってきた事実と切り離すことはできない。本論文 の目的は、タイ国王が映画という投影の営為を通じてどのように人々や国家を 統御してきたか、そのことがアピチャッポンの映像戦略にどのような影響を及 ぼしたか、そしてアピチャッポンの投影像実践はいかにしてこの統御を乗り越 えようとしてきたかを明らかにすることだ。 本論文で主に扱うアピチャッポンの長編映画作品『光りの墓』(Cemetery of Splendor,2015)は、国王と東北タイ、あるいは国王と映画を取り巻く緊張関 係を浮かび上がらせている。本作品は、東北タイのコーンケン地方で の眠り 病を患う兵士たちと、彼らの看護をおこなう者たちと、その周囲をさまよう亡 霊や精霊たちとの交流を描いている。なかでも中盤における映画館のシーン は、タイ映画やその観客の無意識に取り憑く国王の存在に焦点が当てられる。 図1 スマートフォンに現れるタイ国王

(3)

タイの映画館では上映前に必ず国王讃歌が流れ、スクリーンには国王を賛美す る映像が数分間提示される。その間、映画館の観客は一斉に立ち上がり、国王 の映像と国王讃歌を享受せねばならない(1)。アピチャッポンが本作品で提示し たのは、映画館の儀礼を忠実に映像で再現するのではなく、国王の表象を画面 外へと排除し、国王讃歌の音声をカットすることで、映画館の観客が呆然と立 ち尽くすだけの状況であった。彼は映画館内の儀礼を間接的に描くことで、結 果的にタイの映画館で鑑賞者が経験してきた、いわば宙吊りの時間を顕在化さ せたのである(2) 当該シーンの重要性は、タイ映画史と国王、ひいてはイメージの投影と国王 との関係性にアピチャッポンが問いを投げかけていることにある。同時にこの シーンは、現勢タイの軍事政権化や国王のプロパガンダやメディア戦略にたい するアピチャッポンの政治的表明として成立してもいる。つまり彼の投影像を 用いる実践とは、タイ国内の政治的衝突とつねに関わるものであり、その衝突 を同時に越えようとするものなのだ。 本論文で用いる投影 projection は、とりわけ映画をスクリーンに映し出す一 連の機構を指している。この投影の機構そのものがタイ国王と王族の実質的な 管理下に置かれてきたが、そのことは同時に、かれらによるタイ映画への経済 的・技術的発展への寄与と、実効的な支配や検閲による抑圧という両義的な 影響を示唆している。また、本論文で用いるタイ国王とは、主に前タイ国王 でありラーマ9 世としてタイ国民に慕われた故プーミポン・アドゥンヤデート (在位1946-2016、以下プーミポン国王と記す)のことである。とりわけ映像メ ディアを巧妙に利用したプーミポン国王は、いまや亡霊のように大衆の日常に 浸透し、突如目に飛び込んでくる存在となっている。街の巨大な肖像写真や肖 像画、国王巡幸を専門とするテレビチャンネル、映画館の上映ごとに再生され る国王讃歌や投影される国王のイメージを享受することは、いまや人々の日常 的行為として慣習化しているのである。 アピチャッポンはこうした国王のプロパガンダに批判的である。だが、タイ における投影そのものが国王や王族と密接な関係を担うとするならば、とりわ けアピチャッポンが投影像を用いる場合、そこにいかなる磁場が生じるのだろ うか。 本論文の議論を先取りすると以下の通りである。第一節では、タイ映画史に おいてイメージを投影する行為そのものが国家や国王と緊密に結びつくことを 確認する。この節の意義は、従来のタイ映画史を国王と映画の関係性から再 構築する試みにある。第二節では、タイの地域学者トンチャイ・ウィニッチャ

(4)

クンの『地図がつくったタイ——国民国家誕生の歴史』を参照しながら、タイ 国王と国家による投影の統御をさらに歴史化して検討する。地図とは国王のス クリーンであり、国王はこのスクリーン上に実体のない仮想的な国土を投影す る。国王が仮想的な王国を地図に描き出すことが国家統治とコントロールの方 策となり、執筆者はそこに映画が国家の共同体を強固に構築してきた事実との 関係性を導き出す。第三節では、さらに『光りの墓』へと焦点を定め、いかに してタイ映画史における投影の政治的意味合いにアピチャッポンが批判的眼差 しを投げかけ、いかにして自らの投影像による諸実践を更新しているかを検討 する。アピチャッポンのこうした諸展開から、タイ映画史と国王によって緻密 に紡がれてきた中央集権的なパースペクティヴを乗り越え、東北タイという周 縁からタイ映画史を再編成する試みが明らかになる。 1. 国王は映画だった——国王(と亡霊)のタイ映画小史 タイ映画史は、そのはじまりからして国家と国王との緊密な関係を構築して いた。19 世紀の終わりごろ、タイを含む東南アジア一帯は西欧帝国主義の広 がりに起因する政治的闘争に巻き込まれていった。そうした中でタイに映画が 伝えられたのは1897 年のことであり、国王と王族たちの前ではじめて上映さ れた。映画は新しく高価な技術革新であり、その使用は主に王族を中心とした 特権階級にはじめから限られていた。映画は国王と王族にとってまずは国家の 近代化を標榜するものとなった。タイ国内にもたらされた映画というテクノ ロジーは、東南アジアにおける西欧帝国主義の広がりへの恐怖と、それにとも なって国民の共同体を強固にする必要性という内外からの圧力にたいする政治 的な舵取りのなかで要請されたのだった(3) 四方田犬彦も指摘する通り、「この国の映画史が他の国と異なっているのは、 王族から映画監督が輩出したり、王女みずからが主演した長編歴史映画が制 作されたりする(4)」ことは、タイ映画史の際立った側面である。1900 年、サン ファサット王は王族の儀礼を題材とした短編記録映画のシリーズを手掛け、映 画監督と興行師の二役でタイに映画を浸透させる役割を担った。映画の上映・ 制作・流通はつねに国王と王族の管理に委ねられた。パットソーン・スンスリ によれば、国王や王族は映画を趣味としていただけではなく、彼らは映画が近 代化の一翼を担い、王政を支えるプロパガンダとして利用可能なメディアであ ることをすでに理解していたのである(5) 1904 年、日本人興行師によってバンコクに初の常設映画館が建設され、映

(5)

画の受容は爆発的に拡大した。その興行師が設立した「タイ王立日本映画社 The Royal Japanese Cinematograph」というタイ初の映画会社は、国王の認可を 得た際に冠する「Royal」を用いて活動せざるをえなかった。これも国王と王族 による戦略のひとつだ。ラーマ7 世(在位1911-1934)は、とりわけ映画を政治 的なツールとして用いることにすぐれていた。1931 年には「映画関係法」とい う映画検閲の基本法が制定され、「王室に対する批判や政治的な主義主張の直 接的表現」が禁止事項に並んだ(6)。翌年の1932 年には絶対君主制がクーデター によって事実上崩壊し、立憲体制へと風向きが変わる中、この映画検閲法は残 り続けた。現在に至るまでタイ映画の検閲は刻々と変化をし続け、映画製作者 の政治的意図や自由な表現を抑圧し続けている(7)。映画は国家権力と王族の繁 栄を「国内において」顕示する強固なメディアとなった(8)。タイ映画とは、国 王と王族のものだったのである。 さらに国王と王族による映画の私物化が決定的になるのは、プーミポン国王 による「陛下の映画」という一連の地方巡幸である。プーミポン国王の公務や 儀礼の記録映像、あるいは彼のプライベートフィルムが織り交ぜられて編集さ れた映画がタイ全国で上映された。それらの映画はすべてプーミポン国王が制 作を指揮し、その上映前には国王讃歌の生演奏も催したという。これらはすべ て国家行事ではなく、プーミポン国王個人の提案で企画・実行された(9)。国王 や王族にたいする規律を民衆に知らしめることを目的とした「陛下の映画」は、 映画そのものをあらためて国王の名のもとに位置付ける試みだった。映画と国 王が親密な関係を取り結ぶことは、すなわち本国におけるイメージの投影行為 そのものが国王や王族に統御されていたことを示している。 ところで、こうした映画と国王の密接な関係が認められるとすれば、それに よって何が映画において周縁におかれたのか。それはタイにおける亡霊の存在 である。タイ映画前史において、イメージを投影することは亡霊や精霊の顕現 と直結していた。たとえば19 世紀半ば頃からタイの南部で主に発展したとさ れるタイの影絵劇ナン・タルンは、猿の神々や悪魔ヤクシャなどが登場する宗 教演劇、地方の口承伝からなる亡霊譚を上演した。とはいえタイの人々にとっ ての亡霊の存在は、1930 年代からはじまるタイ怪奇映画の隆盛に強く印象付 けられることとなる(10)。四方田が端的に述べるように、怪奇映画の亡霊は、 ある権力体制や資本主義体制のありかた、父権性や異性愛中心性といった価 値基準を転覆させる可能性をもつ(11)。だが、タイ映画における亡霊の現出は、 どちらかといえば現行の政治的不安定さや東北タイの貧困などの諸問題を隠 するために用いられた。つまり、映画という投影のテクノロジーは国王と大衆

(6)

の権力的構図を強調する装置であると 同時に、国内に山積する社会的諸問題 や国王によるプロパガンダそのものを 巧妙に忘却させる装置としても機能し ていたのだ。 タイにおける映画は、国王の存在と 亡霊の顕現が入れ替わり立ち替わりそ の覇権を争ってきたメディアだといえ る。この事態を間接的に描いたのが、 アピチャッポンの『光りの墓』における映画館のシーンなのである。本作品で は、スクリーンを埋め尽くすように亡霊が投影されるが、国王が投影されるこ とはない。これはタイにおける投影そのものの特異性を示しており、その特異 性がいつのまにか忘れ去られたという状況そのものを提示している。この映画 館のシーンには少なくとも彼のふたつの狙いがある。第一に、国王と亡霊が同 一のスクリーン上で投影されてきたタイ映画の投影像史を露呈させること、第 二にタイ映画史における国王と亡霊の位置付けを転覆させることである。国王 が干渉するタイ映画史や投影が含みもつ政治的意味合いはかつての透明度を損 ない、亡霊の顕現によって暴かれる。こうした不可視の構造を暴くことがアピ チャッポン作品の投影像による実践によって目論まれていることはたしかであ る。 次節からの分析のために、東北タイが舞台となる『光りの墓』のあらすじを 確認しておく。臨時の病院となった廃学校で、 の眠り病にかかった兵士たち が収容されている。彼らはときおり覚醒するだけで、一日のほとんどは眠って いる。ボランティアとして看護を務める中年女性ジェンは、兵士イットの手当 てを担当する。眠り病を治療する最新機器が導入される中、眠る兵士たちの魂 と対話できる の女性ケンが現れる。ケンが現れてから眠り病の原因がわかっ てくる。ジェンはクメール王朝の王女の精霊と出会い、廃学校の下にはかつて の国王と兵士の墓があると伝えられる。地下では国王の亡霊がいまもなお国境 をめぐる不毛な争いをしており、兵士の亡霊たちは戦うために地上の兵士たち の魂を活力にしているのだという。ジェンもまた睡眠と覚醒の判断がつかなく なる。無作為に地面を掘り返された校庭の前で、彼女はどうしても目を閉じる ことができない。 『光りの墓』は、アピチャッポンの故郷である東北タイのコーンケン(の中の とくにイサーン地方)が舞台である。本作品の原題は Cemetery of Splendor と 図2 『光りの墓』で映画館の予告編を見る観客

(7)

いう英語表記であるが、タイ語のタイトルは「Rak ti Khon Kaen コーンケンよ り愛をこめて」である。悲劇的な歴史をもつ東北タイに捧げられた本作品は、 同時に「墓」という言葉をタイトルに含めている。とはいえ、タイの人々は一 般的に墓をつくらない。火葬されたのちの遺灰は、各地のワット(寺)で集合的 に安置されるからだ。国王や王族のごく一部の遺骨は、金色のワットの本尊の 台座に安置される。そのため本作品で語られる墓とは、シャムや現在のタイに おいてつくられたものではなく、「かつてあった」国々や諸文化の中で生まれ た墓なのである。クメール王朝やラオ、ビルマの諸文化が交通して重なりあう この東北タイの地下に墓が存在すると設定した本作品は、現勢タイやこれまで の中央集権的な王権による統治から見放され逸脱してきたものの存在を浮かび 上がらせる試みだったのだ。 本作品が世界で公開されるうちに、国王の歴史のなかでもっとも影響力を もったプーミポン国王が崩御した。タイ国中が一年間の喪に服す義務を課さ れ、崩御後一年が経過するまでプーミポン国王の遺体は安置された。プーミポ ン国王の崩御を予感させる本作品は、タイがタイである以前の無数の王国で存 在した魂が「墓」の下でいまなお息づいていることを教えてくれる。 2. 平面の王国——「見えない王宮」を見るために 『光りの墓』のオープニングは、画面が暗闇のままショベルカーの不穏な掘 削音だけが鳴り響く。すると、兵士たちが地面を掘削し続けるようすが映し出 される。たびたび挿入される掘り返された地面の映像は、やがて掘削されてい るのか何かを埋めているのか判別がつかなくなっていく。地面を掘削する理由 は結局説明されない。だがそれは明らかに地下の亡霊たちを呼び覚ますきっか けとなっている。地下の亡霊が地上へとかき出され、地上の兵士たちの魂が地 下へと沈み込む循環が生み出されている。それだけでなく、掘削は東北タイの 伝統の崩壊と再開発を想起させる。本作品が示すのは、こうした中央(バンコ ク)からの一方向的な文化的かつ政治的介入による周縁(東北タイ)の動揺で あるとまずはいえる。 以上のことを踏まえて本作品の後半のシーンを見てみよう。本作品は中年女 性のジェン、眠り病の兵士イット、兵士の魂と対話できる若い女性ケンの三人 が主な登場人物である。ケンとジェンが、キャメラに映らない別世界の王宮を 探索するのがこの「見えない王宮」シーンである(図3)。突然眠りについた兵 士イットを前にして、若い女性は寝ている彼の魂を自身の身体へ憑依させる

(8)

ことに成功する。イットの魂が若い女性に憑依したことは、彼女(イット)が 「サワディーカップ(意味:こんにちは)(12)」と男性語でジェンと言葉を交わす ようすからも判断できる。彼女は「俺はいま玉座の間にいる。王宮を案内する よ。」と言い、ジェンを公園へと連れ出す。彼女は画面には現われ出ない金色 の王宮について説明を続け、ジェンは「見えないわ」と述べながらも彼女の話 と帳尻を合わせる。王族たちが入浴する金色のバスタブ、王室の敷居をまたい だ先には、豪華な金色の壁面があるという。ケンには王宮が見えているらし く、ジェンと鑑賞者にはその王宮は見えない。しかし、キャメラは目前に存在 する事物以外にも向けられている(図4)。 しかし、どうしてイットを憑依させたケンだけが王宮を見ることができたの か。なぜキャメラに王宮は映らないのか。そしてこの「見えない王宮」は本作 品でいかなる意味をもつのか。あるいは、このシーンがアピチャッポンの映像 戦略全体の中でいかなる意義をもつか。こうした問いに答えるとき、やはり投 影の概念がかかわってくると執筆者は考える。国王とタイ映画の関係性だけで なく、それ以前の国家統治のプロセスにおいていかに投影の概念が絡んでいた かを検討する必要があるだろう。 東北タイの特異な政治的状況は、バンコクを中心としたシャムの時代から国 家の「周縁」とみなされてきたことに端を発する。東北タイの一部はかつてク メール文化の豊かなカンボジアの一領土であり、ラオ(現在のラオス)の土地 でもあった。そして1970 年代にはメコン川北部のラオスからやってきた移民 とタイ北西部からのミャンマー人が大量に東北タイへやってきた。タイの地域 学者トンチャイ・ウィニッチャクンは、シャム(かつてのタイ・バンコク)に おける国家の形成プロセスに地図作成が密接に絡んでいた点を論じている。ト ンチャイは、当時のシャム国王自身の王権の影響が及ばないタイ東北部や、自 国に隣接する国境不確定な地域さえも、想像的なシャムの地理的空間としてみ 図3 「見えない王宮」を案内するケン(憑依 したイット)、ジェン 図4 「 見 え な い 王 宮 」の 存 在 を 示 唆 す るショット

(9)

なす奇妙な地図作製に着目したのである。その地図上に虚構として表象された シャムをトンチャイはひとまず地理的身体と呼んでいる。彼はつぎのように述 べてもいる。 …地図作成は、もはや単なる空間的表象の概念化手段ではなくなってい る。それは、かくあれかしと地表面上に投影4 4 された願望を具体化するため の、一歩あやまれば死にいたる危険をはらむ道具と化した。地図作成は新 行政機構にとっても軍事目的にとっても——これらはまことに謙虚でしか も単なる手段にすぎなかった——必要な装置であるにとどまらず、[中略] 行政・軍事行為のいずれをも、その投影4 4を実現させるメカニズム、その 「言表」を具象化させるメカニズムヘと変容させたのである。(13)(傍点著者) 「換言すれば、地図はそれが表象しようとするものにとってのモデルであり、 表象しようとするものを模しているのではなかった(14)」というトンチャイの指 摘からもわかるように、当時のシャムの地図作成は権力的かつ政治的中心とし てのバンコクから見た投影法の表象であった。トンチャイはとくに明言してい ないが、彼の用いる投影 projection はあくまで精神分析的な意味での投影=同 一化である。それゆえにこの投影概念は、執筆者が用いてきた意味での映像を 投げかける実践としての投影 projection や投影像 projected image と厳密に同じ ではない。しかし、国王と王族たちが恣意的かつ想像的に拡張された国土を地 図の表象に見たならば、それは国王が地図というスクリーンを通じてまだ見ぬ 自国の領土へと自身の身体を投影=同一化させたといえる。地図は、国王のた めのスクリーンだったのである。 石井米雄と飯島明子が指摘するように、19 世紀後半までは「そもそも王に は、統治の対象として、『はっきりと確定された臣民の全体集合を想定』する すべがなかった(15)」のであった。国王たちが国家の地理的身体を具体的なもの へと変える段階にやがて移行するのは自然なことである。地図の平面上に想像 された地理的身体は、やがて国民が想像すべき地理的身体として理想化されて いく。中央(バンコク)に住む国民は、周縁(東北タイ)もまた国土であるとい う認識をようやく得るに至った。そして地図上の平面の王国に固執してきた国 王たちは、映画のスクリーンという別の平面へと移行する。つまり、国王は地 図上でしか存在しえない仮想的な国土への執着を放棄し、映画という投影装置 に想像上の国家を構築する可能性を見出したのである。国王はタイに映画が到 来した直後から、自らの制御下においたことは先述した通りである。そしてタ

(10)

イ全土で国王や王族の姿を捉えた記録映画が上映され、映画館での国王讃歌の 儀礼が強制され、東北タイという未知の場所がやがて毒抜きされるかたちで映 画の題材となったのだ。こうした側面を踏まえれば、トンチャイの論点はタイ 映画史とアピチャッポンによる投影の実践を考える際にきわめて有益となる。 タイ国王と投影の歴史は、映画の到来以前から準備されていたのだ。 3. じつはそこにいるもの——亡霊、精霊、東北タイ 前節までの分析によれば、地図とは国王のスクリーンであり、このスクリー ン上で想像する仮想的な国土が地理的身体であった。そして国王たちがこの 地理的身体を国民全体によって想像されるものとしてみなすことが国家統治と コントロールの方策でもあり、執筆者はそこに映画という投影のテクノロジー が用いられたのではないかという見解を提示した。さらに「見えない王宮」が 不可視であるのは、国王や王族が東北タイの存在をほとんど見えてこなかった のと同様に、われわれ鑑賞者がひとたびタイの映画館の儀礼に巻き込まれたが ゆえに国王に同一化するパースペクティヴを担ってしまったからであった。 ここで地理的身体と国王を考える極端なシャムの地図を例にあげておこ う。これは1820-1850 年のものとされる地図である(図5)(16)。中央には王冠を 被ったシャム王が立ち、凸型の枠は当時のシャムの国土を示している。もち ろん、これが実際どこまで使用されていたかは疑問が残るが、西洋の賓客や宣 教師たちにこの地図を見せた際の冷ややかな反応をトンチャイは紹介してい る(17)。トンチャイは、この地図がシャ ムの伝統的なトライプームという仏教 宇宙論の三界(欲界、色界、無色界) を統合した独自の宇宙論を形成してい ると分析する。ただ執筆者が注目した いのは、この地図上で想像されるシャ ムの国土は、国王そのものの身体と重 ね合わせられているという点だ。シャ ムの国土は国王の身体そのものである ことを端的に述べているのかもしれな い。だが、実際にシャムの王権が直接 的な影響をもち得たのは、20 世紀に入 るまで、バンコクから直径110 km ほど 図5 1820-1850 年シャムの地図、中央に国王

(11)

の地域にすぎなかった。この地図の同時期には、すでに西洋の知識に基づく地 図も作成されてはいる。しかし東北タイのほとんどの部分が実際に存在しな い「Unknown Dessert」と見なされているものばかりだ——もちろんこの場所は 砂漠ではない(図6)。こうした地図が示唆するのは、『光りの墓』およびアピ チャッポンの諸作品といかにかかわるのか。 地図というスクリーン上で「Unknown Dessert」と表示される東北タイと、画 面内で「見えない王宮」の存在を指し示す『光りの墓』の状況はある点で合致す る。というのも、東北タイとはつねにそこにあるにもかかわらず「画面外」な のだ。先述したように、東北タイを描いた啓蒙的な映画作品(18)もまた、実際 に東北タイが直面する政治的不利益や人々の反抗心を描くことがほぼなかった ことも、アピチャッポンの諸作品がつねに東北タイの土地を舞台として選択し てきたことも、それが理由なのである。その点で、東北タイに存在する亡霊や 精霊たちが、こうした国王たちの一方的な投影法による可視化/不可視化の暴 力に抵抗するのだ。 以上のことは、アピチャッポンの諸作品における亡霊や精霊が画面外から現 れるのではなく、画面内にすでに存在するものとして描かれてきたことと無関 係ではない。たとえば『ブンミおじさんの森』における食卓シーンでは、ブン ミの亡き妻が固定キャメラのロング・テイクで捉えられた画面内でゆっくりと 図6 タイ北部チェンマイの地図に記された「Unknown Dessert」

(12)

浮かび上がって登場する。亡き妻の座る椅子があたかも用意されていたかの ように、画面内に登場する以前から彼女はじつはそこにいたと示唆されるの だ。あるいはブンミの息子が猿の精霊として帰ってきたときの登場も、階段の 闇に身を隠していた彼にゆっくりと光が当たることでその存在が示される。あ るいは『光りの墓』におけるクメール王朝の王女たちの精霊がジェンと会話す るシーンも同様だ。彼女たちは画面外から現れるのだが、ジェンとふたりの女 性は数分間会話した結果、自分たちが祠で祀られていた王女であることを明ら かにする。アピチャッポンの特徴は、こうした異なる時間や空間を生きてきた 存在を並存させることなのだ。なかでも彼が画面内の不可視なものが不可視な ままであり続ける時間を強調し続けることは、『光りの墓』の「見えない王宮」 シーンがもっとも顕著だった。アピチャッポンの『光りの墓』は、国王が東北 タイを不可視のままにしてきたこと、中心地バンコクからの投影法による東北 タイの安易な可視化を拒む。彼は東北タイからタイの文化的地勢図を再編成し ようとしている。 おわりに——『Blue』および《Syncronicity》における国王の火葬 本論文は、まずタイ映画史そのものに国王と王族が取り憑いてきたことを 確認し、アピチャッポンの『光りの墓』における映画館のシーンが、タイにお ける映画と権力の関係性を暴露する狙いがあると示した。つぎにトンチャイ・ ウィニッチャクンの『地図がつくったタイ』を参照しながら、国王が映画とい う投影の営為以前の国家統治のプロセスで仮想的な国土を地図上に「投影」し てきたことを確認した。このことが『光りの墓』における「見えない王宮」シー ンが不可視であることと結びついている。つまり、鑑賞者はタイの映画館の儀 礼を通じて、国王が東北タイの存在を周縁化してほとんど不可視にしてきた パースペクティヴを共有してしまうからだ。こうした映像体験を要請する本作 品は、バンコクからの投影法による東北タイの安易な可視化や形骸的な表現で の提示を戦略的に拒否することで、タイ映画や投影像史に取り憑く国王や王族 を白日に晒す歴史的再編成に挑んでいる。 国王と王族が取り憑くタイ映画史および投影像史を総括するにあたり、つぎ の特殊な文脈を考えてみたい。いわゆるプロジェクション・システムとしての 映画 cinema のことをタイ語では「

หนัง

(ナン)」と呼ぶ。そしてこの語は光の投 射によって生じた影(イメージ)の意味合いをもつと同時に、皮膚や膜という 意味合いを含んでもいる。たとえばアピチャッポンの長編映画作品『ブリスフ

(13)

リー・ユアーズ』(Sud Sanaeha,2002)から『光りの墓』に至るまで、彼の映像 作品で皮膚に塗りたくる白いクリームが登場することは無関係ではない。白い クリームは、登場人物の肌の「肌理」を隠す。そのクリームの効用は判然とせ ず、物語展開に影響を与えないどころか、やがてクリームの存在はうやむやに なる。これと対応するかのように、国王と王族によるタイ映画史および投影像 史は、政治的意図や背後の文脈が立ち上がることを拒むがゆえに、映像の「肌 理」を平板化してきた。アピチャッポンがさりげなく見せる肌理の隠 は、多 層的な意味を具える「

หนัง

(ナン)」と密接に関連しているのである。「

หนัง

(ナ ン)」は、アピチャッポンの投影像による実践が依拠する思想を形成している ことはたしかだ。 以上のことを踏まえれば、アピチャッポンと久門剛史によるヴィデオ・イン スタレーション《Syncronicity》(2018)、および本作で投影される映像を再編集 した『Blue』(2018)における国王の火葬を連想させるいくつもの表現は、スク リーン=皮膚が焼失するという意味で、従来のタイ映画や投影像史に取り憑く 国王の存在を比喩的に葬ることと同義であると考えられる。アピチャッポン は、儀礼の極致ともいえる「国葬」を、どのように再構築して投影像作品とし て結実させたのか。 《Syncronicity》の映像パート(『Blue』)を見ておこう。タイは遺体を焼失させ なければそこに悪霊が宿ってしまい、やがてピー(おばけ)になると言われて いる。これまでのアピチャッポン作品の物語世界で亡霊や精霊と接触してきた 女性であるジェンが、本作品の映像パートで登場する。彼女の寝そべる身体に やがて火がつきはじめる。この女性の身体が燃えるようすは、国王の火葬を連 想させられる。2017 年10 月、国王の崩御から一年経過した日に執り行われた 盛大な火葬からそう遠くない時期に作品が完成しているからだ。女性が燃え る描写から一転、タイの伝統音楽劇で 用いられてきたカラフルな背景幕が映 る。王宮と東北タイの風景が描かれて いる背景幕が「キュルキュル」と音を 立てて巻き上げられたり降ろされたり する。幕の前にはスクリーンを張り出 すフレームが置かれ、その上部には電 球が備え付けられている。その周囲を 炎がすでに取り囲んでおり、いまにも すべて燃えてしまいそうな状況が映し 図7 〈Syncronisity〉(筆者撮影於:森美術館)

(14)

出されている。(図7) 炎はすべてを取り囲んでいるが、彼女の寝ている場所と幕が置かれている場 所の空間的連続性はあいまいだ。炎に包まれながらも目を開閉させるような微 妙な動きをともなう彼女は、この反映された像の不安定さゆえに、その生/死 さえも不確定となる。この生/死の不明瞭さは、アピチャッポン作品における 亡霊の顕現の特徴でもあるだろう。その彼女が、崩御した国王の身体の火葬と して重ね合わせられているのである。いままさに彼女の皮膚が燃えようとする イメージは、同時にそれを映し出すガラスのスクリーンが炎に包み込まれて いるような状況を生み出す。ここで生じる事態は、タイ映画史および投影の歴 史の結節点をかりそめにも表している。つまり、これまでのタイ国王と王族の パースペクティヴから編まれてきたタイ映画史と投影像史をいちど葬り去る儀 礼なのである。アピチャッポンの投影像実践は、「

หนัง

(ナン)」を国王や王族 から取り戻し、周縁化されてきた土地や文脈へと引き渡すことが一貫しておこ なわれている。 注 (1) アピチャッポンは、海外の映画館で自身の映画上映が行われる際、短編映画作品『国 歌』(The Anthem, 2006)を本編上映前に投影することがある。タイの映画館における 儀礼を擬似的に再現することで、その儀礼的な時間を浮かび上がらせるのが彼の狙い だ。本作品の後半は、映画用の撮影機材が置かれた体育館のなかで、バドミントンを する男女やエアロビクスをする人々が自由に時間を過ごすようすをぐるりと館内を 移動する撮影で捉える。映画への讃歌、映画の自由さを希求する姿が描かれる。『世 紀の光』におよぶ過剰な検閲とそれにたいするアピチャッポンの苛烈な応答があった 2006 年に、本作品が生まれたのは偶然ではない。 (2) タイ映画では、タイ国王の表象はタブーであるどころか、国王と国家が人々を制御 する状況を示唆することも許されない。しかし、残念ながら『光りの墓』の映画館 シーンの多くは、アピチャッポンの自主検閲によってソフト販売の際に削除されて いる。『光りの墓』上映版は本シーンを未削除であるため、本作はタイ国内で上映で きていない。「〔アピチャッポンは〕『光りの墓』をタイ国内で上映したくないと言っ た。なぜなら、支配中のタイ軍事クーデターからの反発を恐れるからだ。もしタイ で本作品を上映したいということになったら、アピチャッポンはおそらく強制的に 自己検閲をすることになるだろう。「たとえどんなに私たちが映画を制作しても、タ イ国内の観客に披露できません。現在の状況では、本当の自由を得ていないのです か ら。」」Apichatpong Weerasethakul: I won t censor my work for Thailand, the guardian, 2015.(https://www.theguardian.com/film/2015/oct/16/apichatpong-weerasethakul-cemetery-of-splendour-cannes)(2020 年9 月15 日)「『光りの墓』は検閲されていません。というの

(15)

も、私が検閲委員会に提出するのを拒絶したからです。彼らは本作品を〔まだ〕禁じ てはいませんが、実際にはあらゆる点で禁止されるのです。」Andrew Pulver, Interview Apichatpong Weerasethakul: My country is run by superstition , the guardian, 2016.(https:// www.theguardian.com/film/2016/apr/12/apichatpong-weerasethakul-cemetery-of-splendour-thailand-interview)(2020 年9 月15 日)

(3) Anchalee Chaiworaporn, Royalty Shapes Early Thai Film Culture, Early Cinema in Asia, ed., Nick Deocampo, Indiana: Indiana University Press, 2017, p. 267.

(4) 四方田犬彦、2009『怪奇映画天国アジア』、白水社、79 頁。

(5) Patsorn Sungsri, Thai Cinema as National Cinema: An Evaluative History, PhD thesis, Mur-doch University, 2004, pp. 103-104.

(6) ソムサック・ウォンラートパンヤー、1982「タイ映画小史」、宇戸清治訳、佐藤忠男 編『映画が王様の国』、話の特集、262-263 頁。

(7) 以上のタイ映画史は下記の文献を主に参照した。

หอภาพยนตร์

(

องค์การมหาชน

)

ภาพยนตรานุกรมแห่งชาติฉบับที่

.

.

๒๔๗๐

๒๔๙๙

,

นครปฐม

:

หอภาพยนตร์

(

องค์การมหาชน

), 2557. Anchalee Chaiworaporn, Royalty Shapes Early Thai Film Culture, Early Cinema in

Asia, ed., Nick Deocampo, Indiana: Indiana University Press, 2017, pp. 266-277.

Patsorn Sungsri, Thai Cinema as National Cinema: An Evaluative History, PhD thesis, Mur-doch University, 2004. Scot Barmé, Early Thai Cinema and Filmmaking: 1897-1922, Film

History, 11, 1999, pp. 308-318. Adam Knee, Chiang Mai and the Cinematic Spaces of Thai

Identity, Asian Cinema and the Use of Space: Interdisciplinary Perspectives, eds., Lilian Chee and Edna Lim, New York: Routledge, 2015, pp. 77-92.

(8) ただし、タイ映画が国王による外交的戦略として用いられた例がある。たとえば『白 い象の王』(1941)がある。本作を監督したラーマ8 世(プミポン国王の父親)は、「タ イは中立非戦を守る」という外交方針をこの映画作品で表明し、世界各国にプリント を送り届けた。四方田、前掲書、80 頁。 (9) 櫻田智恵、2017『タイ国王を支えた人々プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』、 風響社、43-56 頁。 (10) ナン・タルンよりも大きな影絵人形を用いるナン・ヤンは、500 年以上の歴史をもつ とされ、王宮の名工によって人形が制作されてきたこともあり、長年国王や王族との 関わりがあると見做されている。他方、タイ南部で発展したナン・タルンは、ジャワ やカンボジアの影絵劇などの影響を多分に受けたとされる異種混淆的側面が認めら れている。階級や国家、身分などを超越して人生の価値を説く物語も存在した。たと えば Sun Tawalwongsri, The Creative Choreography for Nang Yai (Thai traditional shadow puppet theatre) Ramakien, Wat Ban Don, Rayong Province, Fine Arts International Journal, Srinakharinwirot University, 2010, pp. 5-14. Angela O Hara, Mysterious Object of Desire: The Haunted Cinema of Apichatpong Weerasethakul, The Reel Asian Exchange;

Transna-tional Asian Identities in Pan Pacific Cinemas, eds., Philippa Gates, Lisa Funnell, London:

Routledge Advances in Film Studies, 2010, pp. 177-190. (11) 四方田、前掲書、21-54 頁。

(12) タイ語で「こんにちは」を意味するのは「サワディー

สวัสดี

」、男性語は「カップ

ครับ

」 を後ろに付けて「サワディーカップ

สวัสดีครับ

」、女性は「カー

ค่ะ

」を付け加えて「サワ

(16)

ディーカー

สวัสดีค่ะ

」と表記/発音される。本論で取り上げた『光りの墓』のシーンは、 女性ケンにイットという男性の魂が憑依するところを描いている。だが、画面内には 彼女に男性の魂が憑依したと見なすことができる標は出てこない。そのかわりにアピ チャッポンは、女性語から男性語へと切り替わるあいさつの一言で、憑依したことを 認めるように鑑賞者へ要請する。 (13) トンチャイ・ウィニッチャクン、2003『地図がつくったタイ——国民国家誕生の歴 史』、石井米雄訳、明石書店、239 頁。 (14) トンチャイ、前掲書、239-240 頁。 (15) 石井米雄、2012『もうひとつの「王様と私」』、飯島明子(解説)、めこん、155 頁。 (16) トンチャイ、前掲書、77 頁。 (17) トンチャイ、前掲書、75-78 頁。 (18) いわゆる「周縁」とみなされてきた土地を舞台にしたタイ映画作品にも、国王の権威 的な視点から物語が回収される。たとえばバンディット・リッタゴン監督『種』(Duay Klaw, 1987)は、プーミポン国王の生誕60 周年を記念して製作された映画だ。本作 は、プーミポン国王の監修による新たな品種の米の「種」が稲作農家に下付されると ころからはじまる。貧困に苦しむ百姓一家は、国王からの「種」を実らせるべく、数 多くの困難と犠牲をともないながら栽培する。本作のラストシーンにおいて、農民た ちに寄り添ってきたキャメラは唐突に国王の視点ショット(POV)へと切り替わって 幕を閉じる。沿道で膝をついて国王を仰ぎ見る農民たちが静止画像の連続で捉えられ るのだが、そのキャメラの想定する視点が国王のものなのだ。この視点の挿入は、本 作の物語全体が国王の中央集権的なパースペクティヴから語られてきたことをさいご に示唆する。ただし本作は、周縁に住まう人々の国王への献身を描きつつも、さいご にある種の禁忌としての国王のパースペクティヴを露呈してしまう点で、啓蒙の域を 逸脱した作品であると見なすこともできる。この作品については今後検討したい。 文献

หอภาพยนตร์

(

องค์การมหาชน

)

ภาพยนตรานุกรมแห่งชาติฉบับที่

.

.

๒๔๗๐

๒๔๙๙

,

นครปฐม

:

หอภาพยนตร์

(

องค์การมหาชน

), 2557.(タイ・フィルムアーカイブ編、2014『タイ国のフィ ルモグラフィー第1 巻』、タイ・フィルムアーカイブ。) ベネディクト・アンダーソン、2007『定本想像の共同体ナショナリズムの起源と流行』、白 石隆・白石さや訳、書籍工房早山。 ルイ・アルチュセール、2010『再生産について(下)イデオロギーと国家のイデオロギー諸 装置』、西川長夫訳、平凡社ライブラリー。

Barmé, Scot. Early Thai Cinema and Filmmaking: 1897-1922. Film History. 11, 1999, 308-318. Chaiworaporn, Anchalee. Royalty Shapes Early Thai Film Culture, Early Cinema in Asia, ed.,

Nick Deocampo, Indiana: Indiana University Press, 2017, pp. 266-277.

メアリー・ダグラス、2012『儀礼としての消費——財と消費の経済人類学』、浅田彰・佐和 隆光訳、講談社。

石井米雄、2012『もうひとつの「王様と私」』、飯島明子(解説)、めこん。 石井米雄・吉川利治、1987『日・タイ交流六〇〇年史』講談社。

(17)

エルンスト・H・カントーロヴィチ、2003『王の二つの身体——中世政治神学研究(上・ 下)』、小林公訳、ちくま学芸文庫。

Kim, Ji-hoon, Between Film, Video, and the Digital Hybrid Moving Images in the Post-Media Age, New York: Bloomsbury Publishing, 2016.

Knee, Adam. Chiang Mai and the Cinematic Spaces of Thai Identity, Asian Cinema and the Use of

Space: Interdisciplinary Perspectives, eds., Lilian Chee and Edna Lim, New York: Routledge,

2015, pp. 77-92.

Masato, Fukushima. Sick Bodies and the Political body: The Political Theology of Apichatpong Weerasethakul s Cemetery of Splendor, Two or Three Tigers, 2017, pp. 1-10.

O Hara, Angela. Mysterious Object of Desire: The Haunted Cinema of Apichatpong Weeras-ethakul, The Reel Asian Exchange; Transnational Asian Identities in Pan Pacific Cinemas, eds., Philippa Gates, Lisa Funnell, London: Routledge Advances in Film Studies, 2010, pp. 177-190.

Pulver, Andrew. Interview Apichatpong Weerasethakul: My country is run by superstition , The

guardian,

2016.(https://www.theguardian.com/film/2016/apr/12/apichatpong-weerasethakul-cemetery-of-splendour-thailand-interview)(2020 年9 月15 日)

佐々木敦、2016「Ghost in the Machine ——ホラー作家としてのアピチャッポン・ウィーラ セタクン」、東京都写真美術館編『アピチャッポン・ウィーラセタクン:亡霊たち』河 出書房新社、87-95 頁。 櫻田智恵、2017『タイ国王を支えた人々プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』風響 社。 白井佳夫、1982「タイ映画の素朴でさわやかなリアリズム」、佐藤忠男編『映画が王様の国』 話の特集。

Sørensen, Majken. Humour in Political Activism: Creative Nonviolent Resistance, Australia: pal-grave macmillan, 2016.

Somjittranukit, Kornkritch. The Royal Anthem: Shaping Thai Political Views Through Cinema s nationwide, Prachatai, 2016 年 11 月 22 日公開(https://prachatai.com/english/node/6732) (2020 年9 月15 日)

Sungsri, Patsorn. Thai Cinema as National Cinema: An Evaluative History, PhD thesis, Murdoch University, 2004.

多木浩二、2002『天皇の肖像』岩波現代文庫。

Tawalwongsri, Sun. The Creative Choreography for Nang Yai (Thai traditional shadow puppet theatre) Ramakien, Wat Ban Don, Rayong Province, Fine Arts International Journal, Sri-nakharinwirot University, 2010, pp. 5-14.

チャヤーニン・ティアンピッタヤーコーン、2016「『世紀の光タイランド・エディション』: この国で映画が映画でなくなる時」、福冨渉訳、夏目深雪・金子遊編『アピチャッポ ン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』フィルムアート社、225-239 頁。 Tiravanija, Rirkrit. Ghosts in the Projector, Apichatpong Weerasethakul: Primitive, eds., Gary

Carrion-Murayari, Massimilano Gioni, New York: New Museum, 2011, pp. 30-36.

徳山拓一、2017「アピチャッポン・ウィーラセタクン——政治と日常の親密さ」、artscape、 2017 年3 月15 日号。http://artscape.jp/focus/10132997_1635.html(2020 年9 月15 日)

(18)

津村文彦、2015『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』めこん。

Viernes, Noah. The geo-body of contemporary Thai film. South East Asia Research. 21 no. 2, 2013, 237-255.

Wada-Marciano, Mitsuyo. Showing the Unknowable: Uncle Boonmee Who Can Recall His Past

Lives, Cinematic Ghosts: Haunting and Spectrality from Silent Cinema to the Digital Era, ed.,

Murray Leeder, New York: Bloomsbury Publishing, 2015, pp. 271-289.

Weerasethakul, Apichatpong. Apichatpong Weerasethakul: I won t censor my work for Thai-land, The guardian, 2015.(https://www.theguardian.com/film/2015/oct/16/apichatpong- weerasethakul-cemetery-of-splendour-cannes)(2020 年9 月15 日) アピチャッポン・ウィーラセタクン、2016「軍事政権下におけるタイ映画の愚かな現状と その未来」、木本早耶訳、夏目深雪・金子遊編『アピチャッポン・ウィーラセタクン: 光と記憶のアーティスト』、フィルムアート社、218-224 頁。 トンチャイ・ウィニッチャクン、2003『地図がつくったタイ——国民国家誕生の歴史』、石 井米雄訳、明石書店。 ソムサック・ウォンラートパンヤー、1982「タイ映画小史」、宇戸清治訳、佐藤忠男編『映 画が王様の国』話の特集、248-265 頁。 四方田犬彦、2009『怪奇映画天国アジア』白水社。 2020 年9 月15 日受付、2020 年12 月5 日受理

(19)

The King Was Cinema:

From the King of Thailand s Control of Projection to Apichatpong Weerasethakul s Practices of Projected Image

NAKAMURA Norihiko*1

*1 Kobe City Hall

In Thai movie theatre, a propaganda film of the king is shown before the screen-ing of the film. It is a composition of the kscreen-ing controllscreen-ing the nation-state through the projection of images. Filmmaker Apichatpong Weerasethakul s feature film Cemetery of Splendour (Cemetery of Splendour, 2015) exposes this intimate relationship between Thai cinema/projections and the king and the state, and reconstructs the history of Thai cinema and the politics surrounding it. The aim of this paper is to bring to light the relationship between Thai cinema and the king and the state through the technology of projection. The first section reconstructs the conventional history of Thai cinema in terms of the relationship between the king and cinema=projection. The second section further historicizes projection in Thailand, referring to the earlier work of Thai regional scholar Thongchai Winichakul. The map is the king s screen. The king projects a virtual, disembodied land on this screen. The author juxtaposes the political use of projection with the political use of cinema in Tomb of Light. In this article, Apichatpong casts a critical eye on the history of Thai cinema and the political relations of projection, and reveals the process of renewing his own projective practices.

Key words: Thai cinema, South East Asia, Northeast Thailand, Apichatpong

参照

関連したドキュメント

(J ETRO )のデータによると,2017年における日本の中国および米国へのFDI はそれぞれ111億ドルと496億ドルにのぼり 1)

大統領選動向:大統領選挙の投票動向に関して、今月 1 月の時点で第 1 回目の投票が行われ た場合、誰に投票するかという調査が行われた(グラ フ 4 及び

21 世紀は中国の時代になる。投資家のジム・ロジャーズが自著 A Bull in China でこう強調したのは 2007 年のことであった。それから

増えたことである。トルコ政府が 2015 年に国内で拘束した外国人戦闘員は 913 人で あったが、最も多かったのは中国人の 324 人、次いでロシア人の 99 人、 3 番目はパレ スチナ人の

74 Chulalongkorn University Social Research Institute (1978) Khwamsamphan Rawang Thai Kap Chin Nai Thatsana Khong Khon Thai [タイ人から 見たタイ中関係]..

韓米 FTA が競争関係にある第三国に少なからぬ影響を与えることにな るのは本章でみたとおりだが,FTA

アセアン域内の 2017 年の輸出より,対日本のほうが多かったのはフィリピン 16.2 %の 1 ヶ国だけ で,輸入では 1

[r]