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地域づくりの社会教育: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

地域づくりの社会教育

Author(s)

組原, 洋

Citation

沖縄大学地域研究所年報 = The Institute of Regional Study,

The University of Okinawa Annual Report(7): 27-51

Issue Date

1996-03-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/9867

(2)

地 域 づ く りの社 会 教 育

はじめに 本稿は

、1995

12

16

日に、私が沖縄大 学地域研究所

1995

年度第

5

回研究発表会で発表 した内容を もとに している。 研究発表会 の テ ーマ は、 同研究 所年報 第

6

号 (

1995

3

月)に掲載 された拙稿 「南北問題 と 沖縄」に関連するテーマでということだった。 した がって、題名か らすれば南北問題に関連することと いうことになるはずだが、 この拙稿は内容的には私 が社会教育 と関わる中で考えてことをまとめたもの であり、その内容がたまたま南北問題 と重なる内容 のものだったということである。そういうことなの で、研究発表会で も、必ず しも南北問題にこだわ ら ず、この拙稿を脱稿 したあとに私が社会教育 と関連 してやったこと、考えたことをまとめようと決めて いた。こうして発表 した内容を再構成 したものが本 稿である。 研究発表会では、社会教育の専門家である平良研 一氏がコメンテーターを引 き受けて くださった。厚 くお礼申し上げる。また、私の発表をきいて くださ り、意見を述べて くだ さった方 々に もお礼 申 し上 げる。 1 研究発表会のちょっと前に、内容の予告を書 くよ う求められて、以下のような文章を書いた。 「南北問題や平和の問題を解決 してい くうえで、 社会教育の果たす役割 は普通考え られている以上に 大きい。社会教育における地域 との関わ り方を比較 の視点か ら考えてみたい。具体例 として、北アイル ランドの事例を取 り上 げてみる

。」

ー2

7-組 原

そ して、 レジュメは次のように構成 した。

1

、はじめに

2

、 「南北問題 と沖縄」その後 中年曹ない し燃え尽 き症候群 「与える木」 社会教育研究全国集会 (山形市、蔵王温泉) 課題別セ ミナー : 「地域づ くりと協同組合の 学習 ・文化活動」に参加 分科会 : 「地域づ くりをめざす社会教育実践 の展望」に参加 宮古の老人と子どもたち 赤木かん子氏 と さまざまな旅行計画

3

、北アイルラン ドの社会教育 鈴木敏正氏著 「平和への地域づ くり教育 アルスタ一 ・ピー プルズ ・カレッジの挑戦

(筑波書房

・1995

年)をもとに

4

、 まとめ 以下、 この順に述べてい く。

2

まず、中年曹ない し燃え尽き症候群 ということに ついて述べる。 前記 の拙稿 「南北問題 と沖縄」を脱稿 したのが

95

1

22

日である。阪神大震災直後である。 このあと春休みに入 ったが、風邪をこじらせて体調 を崩 し、そのうち

3

月上旬、 「死にたい」病にとり つかれた。ひどいうつ状態だった。 幸い、柴谷篤弘 ・池田清彦編 「差別 ということ

ば」

(3)

(明石書店

・1992

年) という本のメモを作 りに 興味が持てたので、出来るだけその作業をや って時 間をつぶ しているうち、病気を 「忘れて」 しまった。 しか し、個人的にも折れ目の時期かなあと思 ったの である。 こういう状態を体験 して、 うつ ってのは、 マジメ病なんだと思 った。いいかげんな人はかか ら ないん じゃないか。で、マジメ病にとらわれた時、 どういうもんが面白いかというと、 「超マジメ」な もん じゃないのか。私か ら見てふざけたのは読む気 もしなかった。 といって も、力がないので、力がな いにもかかわ らず好奇心をおこして して くれるよう な、何かそんな力がいる。 ところで、その後11月に入ってか らか、横井久 美子 「ただの私に戻る旅」 (労働旬報社

・1995

年)を読んだ。 この本はアイルラン ド自転車旅行記 で、著者は有名な歌手だが、燃え尽き症候群にかか って、それをいやすために旅に出たのだそうだ。著 者へのインタビュー記事が

95

11

29

日の沖 縄タイムスに載 っている。わき日もふ らず一生懸命 生きてきたら、ふ と 「私の人生、 これでよか ったの か」と暗い迷路に入り込み、どんなにあがいて も抜 け出られなくなったのだそうだ。私の陥 った 「病」 がこれだった、 というつ もりはないが、す ごく分か る気が した。

3

次の 「与える木」 というのは、 シェル ・シルヴァ スタイン 「与える木」のことで、邦訳は本田錦一郎 氏の訳で 「おおさな木」 という題で出ている (篠崎 書林

・1976

年)。 この本の読後感想文を私担当 の法人類学講義の

95

年度最初の授業時間に出席者 に書いてもらったが、 これはすでに沖縄大学地域研 究所所報

11

号で活字になっている。 この本を講義 で取 り上げたのは、阪神大震災が大 きく影響 してい る。 感想文を一読 して一番印象に残 ったのは、母 と子、 ないし親 と子の関係のようだというものがびっくり するほど多いことである (父 と子 とす るのは

1

人だ け)。母子、親子の関係 って、 こういうもんなんで すか。それとも、 こうあるべ きなのに、 こんなふう ではないというのか。それ以外の ものを拾 ってみる と、 自然 と人間、おばあちゃん と孫、尽 くす女 と道 楽男、男女関係、地球 と人間等。木は本当にうれし かったのかと問 うもの も多い。肯定、否定どちらも 見 られる。 「与える木」を講義で取 りあげる直接のきっかけ になった、守屋慶子 「子どもとファンタジー」 (節 曜社

・1

994

年)か らのメモを以下に掲げる。 守屋慶子 「子どもとファンタジー 絵本による子ど もの 「自己」の発見」 メモ まえかき *発達心理学の本。材料は 「与える木」に対するイ ギ リス、スウェーデン、韓国、日本の子どもたちの 感想文。子どもの発達の違いや子どもの個性、子ど もの属する社会 ・文化の違いなどに対応 して、感想 の内容は非常に多様である。 第

1

章 ファンタジーの世界の生成過程 *子どもはファンタジーとしてでな く現実 としてと らえる。小学校高学年になると、 「幼稚

「無意味 と批判 し出す。その時期越す と、一転 して意味深い 話 としてとらえ直す。現実を映 したもの。 日本では りん ごの木を母に似ているとするものが多い。イギ リスや韓国ではりん ごの木を神の象徴 とみる子ども が多い。スウェーデ ンの子 どもには、 りん ごの木を 惜 しみな く与える自然、少年を自然を破壊する人間 と見た場合が多か った。 第

2

章 想像と創造がすすめる物語の理解 *子どもたちは登場人物の未来を想像する時、彼ら の願望や期待をそこに込める。 *C・S・ルイスは、 「残酷なこと」を子供に知 ら せてはいけないという意見で子どもの本を書いては いけないという

「創 る」行為が必要 とされる状況 がないと子どもたちは別れない。 この調査で も、 この物語が 「残酷だ」 という理由 -

(4)

28-で協力を断 った人が、イギ リス、スウェーデ ンにい た。逆に日本では、 りんごの木のような優 しさを教 え、少年のわがままを戒めるのにいいという意見が 多い。 *イギ リスやスウェーデンの子どもは結論出すまで が非常に速 く、中心テーマにずばりと入る。 日本は らせん的。個々の細部か ら積み上げるボ トムアップ 方式。 第

3

章 他者の認識 と 「私」の認識 *情緒的評価か ら始まり、やがて第三者的立場の認 識者となる。 *児童期後半にさしかかる子はりんごの木を否定的 に評価、認識す る場合が多 くなる。 *物語の登場人物が子どもたちの理想 自己をっ くる 時のモデルとなり得 るO * 「人間皆同 じ」 ということになると自分の独自性 はどこにあるのか。 第

4

章 感情 と認識の関係 *心理学は研究対象か ら感情を排除する方向で進ん だ

「客観的」 じゃないか ら、 と。そういう心理学 って何なの ? *子どもの感情が表現 される場合、そこに認識内容 が補足されれば大人たちは解 った気になる。感情 と いっても認識 と未分化の段階。やがて分化

「木は かわいそう、なぜかというと-・」 *感情により認識の焦点が決 まる

「かわいそうな のはりんごの木」児童期初期にはりん ごの木にまず 注目するものが多い。同時に並列的に認識す るのは 難しい。感情を持っと能動的な認識に移 るC *やがて少年にも目を向け始める。 りん ごの捕 らえ 方も多面的になる

「かわいそ う」 だけでな く、 「すごい」面 もとらえる。 第

5

章 子どもたちをとお してみた社会 ・文化 *本音を推量する文化

「木は本当は幸せではなか った

「弱者は強者に本心を見せ ることによって一 層不利な立場に追い込 まれることを避けようとする」 (ボ リビアの

10

歳の少女

、156

頁)。矛盾解消 型ではない、二重構造型の推量はイギ リス、スウェ ーデ ン、韓Egの子どもたちには見 られない. 日本の 本音 と建前の使い分けを背景 としているのか。イギ リス、スウェーデ ンの子にはハ ッピーエ ンド。 *物語の厳密な理解、認識の正確さという点か らは 日本の子どもたちはイギ リスやスウェーデンよりか なり大ざっば。

*

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らが大人を対象に親切への報酬 として 何を期待するかについて、中国、韓国、日本を比較。 日本では行為を受けた者の

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精 神的満足)が最 も高い値示す (中国

4%

、韓国

24.

2%

、 日本

45.9

%)。 これに対 して、中国、韓 国では

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(直接的で互恵的な親切に見合 ったお返 し)が高 い 値を示す (中

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g53.

2%

、韓

E

g39.

1

%、日本

13.7

%)。 日本人のこの傾向を

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(親切をする者の期待)に対する倫理的抑制によ るものと説明。お返 しを期待 しない親切が習慣 とさ れてきた。 このような抑制は、 日本の社会集団の情緒的性質 に関連するのでは。女性の方が社会的に劣位なので、 よりその傾向を強 く持っのでは。 *おわびを言えば済むのか。応分のお返 しを期待す る社会、文化では親切が対人関係にあって円滑に機 能 し得 るが、 日本の社会では無償であるべきだと考 え られるため、かえって円滑に機能 しない。他人に 期待 しない自立を求める。 *応分のお返 しは経済的、精神的にゆとりのない場 合は嬉 しいはずだか ら、無償の親切をよしとする美 意識等は社会的に恵まれた方が作 り上げてきたので はないか。

*7、8

歳の頃はまだ親等 とともに行動

「やさし さ

「親切」を相手に期待- りんごの木に注目。

9、10

歳の頃はそろそろ親か ら離れ、友人関係 の中で生活Oルールや約束事が重要になる.対人関 係に基づいた正義感-少年非難。 日本の子 どもの場合、その後 りんごの木に焦点化 する場合が再び増える

。16、7

歳では両方がはば - 29

(5)

-均等.双焦点状態。イギ リスの青年は正邪の観点だ けか ら見るのに日本では強弱の観点 も混 じる。哀れ みとか、判官びいき。あわれみ (情緒)が客観的な 正邪判断を動かすということは、イギ リスやスウェ ーデンでは見 られない。 韓国では

16、7

歳 までの全期間、 りん ごの木に 対する肯定的評価が強い。少年-の焦点交替は起 こ っていない。 とりわけ

11、2

歳でこの傾向が強い 。 少年への倫理的非難が全体的傾向 として現れないの は儒教の影響を受けた倫理的抑制によるのか。 *少年に自己の姿を見るのは (

182

貢参照)日本 だけでなく、イギ リス、スウェーデンで も同 じ。 し か し自己というときその内容が違 う。 イギ リスの子 はあ くまで 「我々」の像 と受け止め自分の鏡像 とは とらえない

。13、4

歳で登場人物を第三者的に認 識。 日本ではW e段階に踏み込むのは高校生になっ てから。神の概念の有無による違いか。 日本では社 会の多 くの構成員に浸透するような形の人間の対立 概念はない。せいぜい対 として出て くるのは動物か。 それ も対立 しているん じゃな く、人間 もその一部 と して。 第6章 子どもにとって感想 とは-感情のバランス 回復 と自己の発見一 「発達心理学」の視角というのは、何歳 ぐらいの 子どもなら一般にこういうふ うだ、 といえるような 共通面を抜 き出す。 この本か らす ると、小学校低学 年、小学校高学年か ら中学生にかけて、そ して更に 成長 した時期 と、だいたい

3

区分できるようである。 ファンタジーの世界 と現実 とが重なっている。 フ ァンタジーの世界は未知の現実

「何で木が しゃべ るの

「この少年の名前は何て言 うの

「お母さん はいないの」 1 経験が増え知識が身につ くと現実の世界か らファ ンタジーの世界が分かれる

「よく聞いていると木 が しゃべるのでやっぱり現実ではなか った。」本当 のことを教えてはしい、作 り物を与える大人への不 信感。植物が葉を全部落 とせば死ん じゃうよ。家を 作 るにはボー ト以上に材料がたくさんいるはずだがo Lか し、作 り事だか らとあ っさり捨 ては しない。 「僕 もあんな木のような友達があればいいのに」期 待や願望に満たされる時期はファンタジーの世界が 現実 (認識 した世界)か ら完全に分離するまでの過 渡期。 t こんな単純な話を、 自らを 「大人」 と思 っている 彼 らがなぜ聞かされなければな らないのか。登場人 物の行動を動機、目的などと共に取 り上げ、物語が 全体 としてどういう 「意味」を持 っているのかを理 解するための道具はまだ手に していない。何かの象 徴 ?「この木はお母 さんみたいだ」現実 とは区別 し なが ら、現実に似たものを発見

「与えることとも らうことについての物語

「関係

l 大人はファンタジーの世界を現実世界のコピーと して把握 しようとする傾向が強い。 したが って、現 実世界で経験 しなかった新 しいものをファンタジー の世界に発見することはあまりない。 なお、子どもたちの自分に対する満足度合いが不 満の度合いを上回 るのは中学生の頃までで、 はばこ の時期を境にこの関係は逆転する。 ところが第

5

章 「子 どもたちをとお してみた社会 ・文化」で述べ られているように、同 じ年頃の子で もEgによってはっきりした違いが出る側面のあるこ とが示されている。 こういう側面が文化人類学 で言 うところの文化 (カルチャー)で しょう。法 も文化の

1

つと考えら れる。なぜ多様になるかといえば、つまりは人間が 「学習」で きる存在だか らである。 こういう多様性 ってのはむ しろますます多様化する方向に向かうん ではないか と思われる。 与えることともらうことについて、 もうちょっと 考えてみたいと思 った。それか らまた、家族っても のについて出席者が抱いているイメー ジがいつごろ - 30

(6)

-形成されたものなのか も考えてみたいと思 った。 与えることともらうことについては、次の本を読 んでみた。 牧口一二 「何が不 自由で、 どちらが自由か」 (河合 ブックレッ ト

・1995

年) メモ

1

「障害」 とは ? 「障害者」 とは ? *牧口氏は松葉杖の 「障害者」。障害者 とは何か。 メガネをつけてる人は障害者か。 メガネと松葉杖 と は、役割でいった らほぼ同 じではないか。人数の問 題なのか。普通感覚の ものは目立 たない。 *質問 「次の五つの障害の うち

1

つを、皆 さんが ど うしてももらわないといけな くな ったとしらO何を もらいた くないか。

1

、両 目が見えな くなること。

2

、両耳が聞 こえな くなること。

3

、口で ものが しゃべれな くなること。

4

、両手が使えな くなること。

5

、両足が動かな くなること。 例えば ピアニス トにな りたいとか (どうして も耳 とか手を残 したいだろう)、 カメラに興味を持 ち一 生続けたい (どうして も目や手足を残 したいだろう) とかは度外視 して、 この障害 もらったらち ょっと生 きていく自信がな くなりそ うとかいう気持 ちのす る ものを選んでほ しい

。」

Ⅱ 人間が社会で生 きる条件 *一番早 く社会参加で きた 「障害」者は全盲の人で ある。室町時代か鎌倉時代の終わ り頃に もう、全盲 の琵琶法師組織がで きている。 *足の動かない人は、 「足萎え

「いざり」 とかい っていた。足が動かな くて困 ることは ? 走れない-が、なぜ走 らないといけないのかO天 災だと逃げ足が早 いため死ぬ とい うこともな くはな い。普段か ら人に助 けて もらうネ ッ トワーク持 って いるので、健全者 よりた くま しく生 きられるか も。 *生きようとしている、その生 きる道を じゃまされ てない人は障害者でないと思 う。

*小

さい頃は友達 も少な く、い じめ られ、 54の会 社を受けて全部だめで、美術学校の友達が助 けて く - 31-れてや っと社会に出 られた。 *人間はひとりで生 きてい く必要が何にもない。 自 立 というけど、何で も

1

人でできる人が一人前とい うのは聞達 いや。 *関係が作 りやすい障害か、作 りに くい障害か。 コ ミュニケーション手段を奪われるのはきついんでは ないか。口とか、耳 とか。筆談では冗談 も言われへ ん し。必要最小限書 くだけで精一杯。手紙の方がち ゃん と交信で きるとい うことがある。 *全盲 とい うのは 「目立っ」障害である。 「目立っ」 というと日本ではマイナスイメージ。 派手 ってことじゃな く、存在感を持っような人間に なりま しょう。影が うすいってのは生命力 もうすい って こと。障害者 は割 りに努力 しな くて も目立 っち ゃう。それでや りたいことやれるな ら健全者よりむ しろ有利ではないか と思 うこともある。 *牧 口氏の生 きやすい条件を整理す

ると-1

、世の中の常識、標準、平均、通念等訳のわ か らん価値観 に惑わされず済む。

2

、 目立つ障害だか ら、常に回 りか ら気にして もらえる。

3

、松葉杖の魔力で他者の力が借 りやすい。

4

、松葉杖があると独 りで も行動できるのでプ ライバ シーが保てる。 もう少 し 「まちづ くり」が進めば車椅子の方が暮 らしやす くなるだろ う。 孤立 と孤独は全然違 う。 牧 口氏の障害が もっと重 くて、一人ではできんと い う状態な らこんなのん きな ことは言えんか もしれ ないが、今の立場を 「軽度だか ら」 と片づけて しま うん じゃな くって、健全者 もどうすれば自分の人生 か ら 「障害」がな くな り生 きやす くなるかの ヒン ト に してはしい。 *全盲が最初に社会参加で きたのは目が見えんとい うだけでいろんな仕事がで きたこと。 「社会参加」 という言い方 は、社会が正 しくて、 障害者がそこに仲間入 りさせて もらえるというイメ ー ジがあって好 きでない。障害者問題 はそんなちっ ぽけな問題ではない。障害者が社会に参加 していく

(7)

ことで世の中が もっと人間味のあるものになってい く問題なのである

「社会進出」と言 っている。全 盲は社会進出可能な障害だったということ。塙保己 一を見よ

「群書類従」 という物事の資料集。い く ら天才でも

1

人ではで きない仕事を している。つま り弟子がたくさんいたんで しょう。だか ら社会進出 してたんで しょう。孤立 した天才ではなかった。 Ⅲ はんとうの自立をや り切 った友 *両手、両足動かない。愛媛に住んでいた。

*

「どんな障害ですか

「どの程度の障害ですか」 「いっか らですか」で障害者の立場はだいたい見え てくる。生まれつ きの 「骨形成不全」簡単な振動で 骨が折れる。左手の指は良 く動 くが、右手は全然だ め。腕 も全然だめ。足は付け根か ら

2

本 とも動かな い。寝たきり。それが

1

人で大阪に来た。 *キャッチボール式歩行法 :ベ ッ ド式車椅子 (所帯 道具一切携帯)を通 りに出 して もらって待 ってると、 通 りがかりの人が リレーで押 して連れて って くれる。 口だけは達者。頼む時相手に考える余地を与えない のかこつ。相手の行 くところまで。それは遠慮では ない。別れて別の人に押 して もらえばより多 くの人 に出会える。押 して くれた人が書いた大学 ノー トの 住所録

03

人に

1

人 ぐらいが書いて くれるO

*

「両手両足が動かな くなった時、人に迷惑かけな いとか、人にものを頼まないとかいうことは、-生 家の中で寝たきりしかない。どうなるか分か らんけ ど、ちょっと人に声かけて、ちょっと人に手伝 って もらうのがそんなに悪いことか

。」

「おれ ら友達 とか、そうでないとかいうけど、同 じ時代に同 じ地 球に生 きた人間なんで、友達増やすというのは出会 っていくことではないか。」 自分でできることは自分でやろうとか、 自分でで きないことは申 し訳ないが手伝 ってもらおうとかい うちっぽけな自立観 とは違 うスケールの大 きさを感 じた。 *大阪か らそのまま東京に出て

、3

年後電話があ っ た。いってみた ら、 「重度健全者 リ- ビリテ-ショ ンセンター」 って看板.最近の大学生はなってない、 飯の作 り方知 らんのが多い し、おかず も何作 るか分 か らん、洗濯 したら洗剤の使い過 ぎ、風呂わかせっ ていったら熱いのぽっか り。それがちゃんとできる ようになったら 「もう社会に出て も大丈夫や」 とい って家か ら追い出すんだとか。 *見ず知 らずの人に何で も頼めるみたいだったのが、 知 らない女性にはお しっこさせて下 さいといえなく て、我慢 した積み重ねで腎臓悪 くして死んだ。 *名前は宇都宮辰範。ペ ンネームは 「ウツのみや」0 漫画描いていた。

*

「心身障害者」 という言葉に引 っかか って、心は どこにあるのやろと考えた時、仲間の精神神経科医 が 「ひょっとした ら人 と人の間」 と。つまり人間、 と。 *今、知識偏重で子供はどうしようもな く画一化 し て来た

「不自由」感 じてるのは、障害者より障害 持たない子である。その うっぷんがい じめになって 現れる。い じめの原因は確かに複合汚染だが、最大 の ものはある種の大人たちの身勝手 さである。自分 のこと、身内のことしか考えない。 *平等だの、 自立だの、共生だの とタテマエぶって おけば誰 も反論で きないが、画一化 しちゃう。 「ちか うことこそぽんざい」と言いたい。 解説 :趨博 (ちょう ぱ く) *阪神大震災で障害者の住宅手当が打ち切 られてい るそうだ。住む家がな くなって、避難所で生活 して るか らと。つまり、障害者が

1

人で生活するのは大 変だろうか ら住宅手当出すけど、家がな くなったん だか ら当然住宅手当はいらんで しょうと。皆 さん平 等に家かな くなった時は平等にゼ ロといこうという ことか。 家族 って ものについて出席者が抱いているイメー ジがいっ ごろ形成 されたものなのか も考えてみたい ということについては、前記の拙稿 「南北問題と沖 縄」の中の 「子どもをめ ぐる文化生態環境 と法」を 読んでみた。 その後5月の連休に入り、その間4月30日から

5

5

日まで旅行 していた。 ー

(8)

32-4

30

日に大阪に出て

、5

2

日まで神戸周辺 を回っていた。 もちろん震災後の状況を見るためで ある。震災後、ボランティア活動 していた人々の話 も聞いた。いろいろな意味で考えさせ られた

。5

3

日から

4

日にかけては、奥能登にいってきた。網 野善彦 「海か ら見た日本史像 奥能登地域 と時国家 を中心として」 (河合ブックレッ ト

・1994

年) で 「時国家」に興味を持ち、それを見に行 った。 こ の近くに塩田村 (資料館)があるのにはびっくりし た。 網野善彦 「海から見た日本史像 奥能登地域 と時国 家を中心として」 メモ *江戸時代末、紀伊半島の先端潮岬の漁民がオース トラリアまでほとんど毎年のように出かけていたと 羽原又吉 「漂海民」 (岩波新書

・1963

年)に報 告されている。それで、最近の歴史研究者は、 「鎖 国」とはいわず 「海禁」 というようになっている。 *律令国家は畿内を中心に放射線状に直線の道をつ くった。陸上の道。軍事的な意味。インカ、ペルシ ャ、ローマ、みんなまっす ぐの道

。8

世紀 も半ば過 ぎるとこの道は維持できなくなった。河川 ・海を通 じての交通体系復活。近代になって、再び陸上交通 に完全に依存。島国観。 *時国家調査のきっかけは

40

年前の日本常民文化 研究所の調査。 阪神大震災に関 しては、沖縄に帰 ってか ら読んだ 次の本を紹介 した。 内積寛人 ・鎌田意 「大震災 後輿への警鐘」 (岩波 書店 (同時代ライブラ リー)

・1995

年) メモ (この本は

、1995

2

19

日に行われた対談 の記録)

1

、開発と復興 ファシズム *山の手は電気がついている。大阪は、何 くわぬ顔 で明るい生活 している。 羅災後の

18

日に中川和雄大坂府知事が 「被災者 - 3 3-は自分でめ Lを炊いて食えばいいじゃないか」 とい ったということが共同通信の記事で流れた。 村山首相 は地震か ら

10

日もたたない頃 (1月

26

日)に、 もう 「私権を制限する」 といった。 同日、貝原俊民兵庫県知事 も 「禍中に福あり」 と いって、今までや りたいと思 って もできなかったの に、震災で

21

世紀都市を作ることが可能になった と語る。

76

10

月の酒田大火の時と同 じ。 神戸の被災地では、 もうすでに建築基準法

84

条 で木造以外の家をつ くらないよう抑えている。 私権制限 と区画整理によって防災都市をつ くろう というのだが、 どういうのが防災なのか誰 もよく分 か らない。 例えば、島原で砂防ダムを

10

20

重につ くる のだが、どこまでが防災の限界でどこまでが過剰設 備なのか。奥尻島で

7

メー トルとか

9

メー トルとか の防波堤をっ くるとかで海が見えなくなって しまう。 酒田では

20%

減歩。大地主ならいいが、零細店 では商売できな くなる。 (K) *神戸は、昭和

13

年に大水害、敗戦の年に大空襲. 戦前は自然 と都市が共存 した町だった。山と海が接 している。元町 というのが神戸の町の始まり。同時 に真 っ先に立ち上がる町。-イカラであり、外国人 がいて、勤労者の町で もあった。 アッというまに人工の箱庭になっていった。宮崎 市政が

1969

年 に始 まってか ら

。20

年続 く。

81

年ボー トピアが転機。以来変わって変わって原 初風景がな くなった。外部の人が市長。現在の笹山 氏 も鹿児島出身。神戸人 というのはコスモポ リタン で、同 じ地域が故郷だか ら一緒に集まりましょうと はな らな

絵葉書的な神戸は表面だけ。 兵庫区、中央区の、 もとは軍需工場の下請けか ら 始まった職住の町を中心に したインナーシティが空 洞化 していた。圧死 した人の うち50%近 くが60 歳以上。 元町、南京町の先には差別を受けてきた地域 もあ る。

(9)

ゴム工場 とかケ ミカル ・シューズの工場。危険な 可燃物を屋内にたくさん持 っていた。 自動車、エ レク トロニクスの下請け。ちょっとし た横械加工工場。 海沿いに工場、山すそに市場や商店街、そ して住 宅地がせ り上が っていく。混清文化。 (U) 長田区には、在 日朝鮮人

2

万人、被差別部落民

2

万人。 (K) *町工場、関西でいう安普請の文化住宅等に被害集 中。 震災前住民に反対 されて着工できなかった道路計 画を火事場どろばう的に行おうとしている。

2/15

臨時市議会で私権制限の極めて強い 「神 戸市震災復興緊急整備条例」可決

。3

年の期限付 き で、 「震災復興促進地域

「重点復興地域」指定。

*

「神戸市株式会社」方式は、長い歴史的経緯 と神 戸都市問題研究所のようなテクノクラー ト集団の強 力な支援の もとで形作 られてきた。 神戸市立中央市民病院がまったく機能 しなかった。 ポー トアイラン ドに移 されたか ら。採算性確保のた め。兵庫県等本部藤島庁舎 も同 じ。対策本部は生田 署内に置かざるを得なかった。 (U) *義援金の問題 : 地票から

1

か月で

800

億円。 だいたい個人が出 している。被災 した人の生活は 全部 この義援金で賄 うしかない。匡lは一切お金を使 っていないOなぜなら私有財産は国の責任権限外で、 私有財産は自分で守るのが資本主義、 と。国がやる のは、道路 とか港湾 とかの社会的基盤整備。私権は 制限するのに。更に問題なのは義援金 も基金 として プールして、本来国がやるべ き仕事に義援金が回 っ ていって しまう。国というのは住民救済機関ではな く、土建の械関。 (K) *日本政府は

NGO

排除、敵視を続けてきて、 リオ の地球サ ミッ トで も国際的批判浴びた。で、官製N

GO

が生まれ始めた。いったんはEgに全部集中 して から配分するという構造体質。 今回は、民間ボランティアのほか、生協の働 きが 大きか った。神戸は生協発祥の地

。 (

U)

2

、公共性 と知識人 *JR新長田駅周辺部を副都心にする計画。それは 超高層 ビルを建てるということ。須磨の住宅街に中 央幹線 と呼ばれる基幹道路を通す。国道

2

号緑を延 長拡幅。南北に須磨一多聞線っ くる。 生活大国にはなり得ない方法をとったか らこそ経 済大国になった。 生産インフラの復興は極めて速い。一般の倒壊、 半壊住宅は-。 今回の災害を大 きくした構造がそのまま復興の手 法にななろうとしている。 老朽住宅はそのまま放置 してきた。 昔の市電 の道 (その北端にダイエーが建 った。

102-3

貢)が広 くて火が止まった。的確な防災 ゾーンがなか った。 その間に薄 っぺ らな観光 ゾーンをっ くり、明石大 橋、ポー トアイラン ド、六甲アイラン ド等のイベン トを続けてきた。何の防災思想 も無か った。裏側の 人間の生活を考えてなか った。で、いきなり防災都 市 といわれて も

。 (

U)

*今回内航海運業界に認め られている船腹調整が問 題だといわれたが言いがか りに過 ぎない。 現在唱えられている規制緩和論は建築基準法をも っと緩めろとか、企業の完全 自由化要求運動である (もともとは、系列の閉鎖性が問題になったのだが

125

頁)。公共 とは何か、 日本の企業や行政は分 かってない。 特別養護老人ホームの人口当たり定員率は全国で 下か ら

3

番 目、沖縄の

3

分の

1

。デイケアの利用率 も低い。福祉専門職が少ない。 市営の牧場やゴルフ場。地価が上がると売 りかえ ていく。バブル経済のモデルで もあった

。 (

U)

3

、復興と公共性 *ケ ミカル ・シューズ産業が神戸で生 き残 ってこれ たのは、安い労働力と港が近いという立地条件。地 場産業の復活は困難。 *建ぺい率を上げたり、容積率上げたり、パー トタ イマーを増やす とか、その場その場の もうけ主義の 積み重ねが、いったん打撃が来 ると全部瓦解する日 ー 3

(10)

4-本をつ くった。今の 日本では、他人の ことに対す る 想像力はものす ごく弱 くな っている。 戦後、西 ドイツでは、勤労者の財産形成のために、

1950

年代、住宅貯蓄割増金法 とい うのを成立 さ せている。国が割増金つけた り、税金免除。その代 わり

、1

戸建てな ら

100

年、集合住宅な ら

200

年もつようなものでないといけない。 マイホームで ありなが らそれを社会的住宅 と呼んだ。 こうい う社 会政策の視点が 日本にはほとん どなか った

。 (

U)

*交通鎮静化を考えた都市づ くり : 「迂回型 システム」で、 目の前の地点 に行 こうと すれば公共のバスとか地下鉄が一番便利で、 自動車 に固執すると一番不便だとい う状況つ くればいい。 放っておけば、人口爆発 と同 じ交通爆発が起 こる。 ドイツのブレーメン、 ミュンヘ ン、スウェーデ ンの イェ-テポ リとかス トソクホルム等. 「ボンネルフ」 (人々が憩 う場、 日常的な生活の 庭という意味) :オランダのデルフ ト市では、街路 を含む住宅地 とかをみんな生活の庭 と考え、庭にふ さわしい範囲でのみ自動車利用を認める。車道 と歩 道の分離を しない。そ うす ると自動車専用道路術を 張りめ ぐらす ことにな り、車優先、交通爆発の引 き 金になる。 「パーク ・ア ン ド・ライ ド・ポイン ト」 :ドイツ のフライブルクが有名。アウ トバ ーンか ら出てす ぐ のところにほとん ど無料の駐車場。車で都市内部 に 行くと駐車場 も少な く、駐車料金 も高 くなる。車に かわって誰で も乗 りやすい路面電車。それか ら自転 車の利用。環境共生型 コミュニティ。公共 とは何か についてのす ごいグラン ドデザイ ンがある。 神戸でやろ うとしているのは車のための道路をっ くるのを復興 と。 公共性よりもマイカー優先。路面電車消滅。国鉄 民営化。 ロサ ンゼルスより半世紀 ほど遅れて

。 (

U)

4

、震災以後の 日本 *量的拡大が行 きづまった時に震災が襲 ったO 新興工業国で も市民社会が力を持っ ようになると、 急速に社会的 コス トを内部化せ ざるを得な くなる。 その時に競争力が急速に衰え る

。 (

U)

- 35 1 *神戸市議会は総与党化。同 じことが これか ら国全 体で起 こる心配がある。住民サイ ドに立つ人がいな くなった

(U) *新幹線 と高速道路が倒壊。 シンボルが崩れる時は 体制 自体の危機である。不安感の広が り

。 (

U)

解説 :岩見良太郎 *私たちにとって大切なのは施設ではなく、場所で ある。多様な場所への欲求を理解せず、い くつかの 単純 な機能に還元 し、その効率的実現のための都市 建設を目指 して きた。施設的豊か さ。立派な施設は ど優れているという信仰。その結果航空母艦のよう な、極度に場所性を奪われた都市に住 まねばな らな くなる。豊かな場所づ くりを心がけた方が、防災上 もはるかに優れているのではないか。 *場所の創造を支える 「場」づ くり。地域の さまざ まな自主的 ・共同的ネ ッ トワークの形成。それによ って初めて公共的な場所への意欲 も育 まれ、まちづ くりへ と向かわせ る。神戸市長田区真野地区。 この メモを作成 していて、た くさんの ことを考え させ られたが、 さまざまな問題の根 にあ るの は、 「公共性」 とは何か、 ということだと思 う。それは、 子どもの問題で もそ うだった。今大 きな問題 という とたいてい、 「公」 と 「私」の領域分担をどうすべ きか という問題に連なるのである。 この問題を、天災 と個人補償の問題を中心に、 も うち ょっと考えてみた。 阿部泰隆 「政策法務からの提言 一やわ らか頭の法戦 略

(日本評論社

・1993

年) メモの一部 第

7

2

天災 (特に雲仙災害) と個人補償の要 約 *天災があ った時、国は当座の援助はす るが、天災 の犠牲者 に個人の財産補償をする公共性 はないとい う前提で、個人には ビター文 も出さないと割 り切 る。 その結果、いち早 く復興す るのは公共物。公共物に 使 う大量の金をなぜ被災住民の住宅や農地の復旧と 一体化で きないのか、金額 は しれているではないか、

(11)

という声が上がる。 *財団法人雲仙岳災害対策基金や阪神の震災復興基 金がある程度 この間のす き間を埋める役割を果た し ている。 *しか し、個人補償制度は理論的にも難 しいのであ る。初めか ら財産を有 しない者 との間の均衡等考え ねばな らない。 *被災者が気の毒で個人補償するというなら、どん な災害で も (雷で家

1

軒焼かれて も)同 じだけの補 償をすべきである。少数な ら無視 というのでは少数 者無視の不合理なシステムである。

*

「公共性」の名 目が 自動的に立っ道路や橋の場合、 その利用者が少数のところでは無駄 と思われる使い 方 もある。雲仙のスーパー砂防ダム造 るプラン等。

*

1

人で転居するなら何の援助 も受けられないが、 地方公共団休が行 う集団移転事業なら国庫補助を受 けられる。 しか し

、10

戸以上、移転対象地域か ら 全戸移転すること、 という要件は疑問。 *急傾斜地災害法による都道府県の行 うがけ崩れ防 止工事 も、公共性があるか疑問だ し

、10

戸以上 と いう要件 も少数者差別である。そ もそも、高 さ

10

メー トル、傾斜

30

度以上の急傾斜地など最初か ら 住宅建設禁止にすべ きである。 日本では一般に土木 工事が中心。土地利用規制が足 りない。 *弔慰金、義援金、災害復興基金などは 「困 ってい る順」に配分すべ きだが、現実には必ず しもそうな っていない。数が多 く声が大 きければ助かり、本当 に困っていて も少数だと無視 されかねない.射」度 t)、 命、体の救済を中途半端に して、財産の救済に傾い ている。 阿部氏の著作を利用す る気になったのは、 「公共 性」 というのは単純な数の問題ではないのだ、 とい うことが主張 されている点に魅力を感 じたか らであ る。 日本の政治や行政は問題が大 きくな らないと対 策を取ろうとしないのが普通であり、その結果少数 犠牲者が無視 される。 これは民主政治の弊害 といえ ばそれまでだが、必ず しもそれだけではない。 日本 の行政には、最初か ら 「少数犠牲者」が出ることを 予想 させるような何かがあると思 う。 ところで

、95

年になってか ら神戸の地震のほか にも、大 きな事件が次々に起 こった。 うつ状態だっ た

3

20

日の地下鉄サ リンの事件の時はちょうど 東京にいた。それか らちょっとしてオウム真理教に 対する捜査が始まった時は意味がよく分か らなかっ た。ず っと微罪での逮捕が続いて、どうするつもり なのかと思 っていた

。4

9

日に、東京都知事に青 島幸男氏が、大坂府知事に横山ノック氏が当選 した のにもびっくりした。特に青島氏は、本当に何の運 動 もしないで当選 したのである。円が80円台にな ったのにもびっくりした。 このオウム真理教の問題では、我々日本の社会に 宗教性がないとい うことを一番感 じた。 これにつき る。オウム真理教の場合、見た目にもこれを感 じる。 建物は事務所のようであり、神域に工場群が林立 し ている。神像は発泡スチロール製で、工場の目隠し に使われていたそうだ (山崎正和 「神殿 と祭典のな い宗教、オウム」朝 日

95・5・19)

。信者の多 くがかぶ っているPSIというヘ ッドギアのような 装置は電流が流れ、麻原代表の脳波と同調する仕組 みになっているという説明だそうだ (「ゆがんだ鏡

2

オウム真理教 と今」朝 日

95・5・9)

。 オウム真理教が伸びてきた社会的背景は明瞭であ る。管理社会化が進む中で、 自然 とも切れ、血縁 ・ 地縁社会 も崩壊 してきた

「よりどころ」がなくな っていっている。 こういう状況の中で 「新 ・新宗教」 というものが 勃興 してきた (島田裕巳 ・梅樟忠夫対談 「脱宗教時 代の新 ・新宗教」 (月刊みんぱ く

89

8

月号)参 照)。入信の理由は、生 きがいだとか個人 レベルの 問題。取 りつかれた霊をいかにコントロールするか とか 「オカル ト的、呪術的で、マ ジカルなもの」を 中心 とする。値段が決 まっている。全財産が取 られ るとかは今の宗教にはないと思いますと島田氏はい っている。それか らするとオウムは宗教を越えちゃ ったんで しょう

「生 きているあいだだけの宗教」 だということも言われる。一代かぎりの信仰である。 「死 とい うものが、かな りとおい ものになってい ー

(12)

36-る。」死と直接であう機会が本当に少ない。例えば イスラームにおける神の絶対性、超越性 と対比する と、新 ・新宗教 というのはいかにも現世的である。 それで、講義で、 「心理学のカウンセ リングみたい なもんで しょうね」 とい った。講義後、河合隼雄 「カウンセ リングを語 る (下)」 (創元社

・198

5

年)の中の 「カウンセ リングと宗教」 という文章 を再読 した。 メモを以下に掲げる。 河合草地 「カウンセ リングを語る (下)

メモ Ⅴ カウンセ リングと宗教 *初めから宗教的な問題を持 って くる人は少ない。 例えば嫁と姑 とか、そういうことで来 る。今は姑の 方が泣いて くることが多い。河合氏は、 「牛に引か れて善光寺参 り」 (-逃げる牛を捕まえようとして 追いかけ追いかけ しているうちに牛が善光寺に入 っ て、お陰で宗教的体験を した) といって、嫁 さん と の問題はそんなに簡単に片づ く訳 ないか ら、悪口い ってるうちに知 らん間に善光寺に行 くん じゃないか と。 普通の人が嫁姑の問題 とか、三角関係 とか、親子 間の暴力問題 とかで考えることをカウンセラーは別 のところか ら見る。だいたいは善光寺参 りは しんど くて別の道を行 きたがるが、この道を行 きなさい、 一緒に行きますか ら、というのがカウンセラーの役 凱 ただしひとつの宗教を絶対にこれだということ はない。 *宗教というのはあんまり理屈で説明できないもの が多い。 「なぜぶどう酒がキ リス トの血になり得 る のか」 「なぜ南無阿弥陀仏なのか」 とか。そ もそ も なぜ生まれてきたのかとか。科学が悪いん じゃな く、 別の説明がほしい。宗教 ってのはそういうわけのわ からんところがありなが らそれに賭けます ってことし そもそも宗教 はいっぱいある。 どれが本物 といわれ ても困るん じゃないか。カウンセラーはどれが本物 とかにせ ものとかいわない。ただ しどう考えてもつ いていきにくいのには 「ついて行けません」 という。 書 「あれさえなか ったら私はうまいこといっていた のに」そういうことが日常生活の中にボンと入って

-3

7-くる。 日常の世界 とは違 う世界、つまり宗教的な世 界。教祖はみんな宗教的回心の体験をもっている。 極楽を見たと。カウンセ リング受けに来る人は悪 と いう入口か ら宗教に入 る人が多い。パ ウロいわ く、 「なぜ自分の欲 している善 は行わずに、欲 していな い悪を行 うんだろう」 *家庭内暴力の子で名言吐 いた子が い る。父親 が 「何が不足や」 といったのに対 して、 「うちに宗教 があるか」つまり、 「金で買えないものを くれたか」 つまり人間 というものは日常的に全部満足 して もだ めである。それが豊かになって分かってきた。本で も車で も、買 う方が子供 と正面か らぶつかるよりは 楽。子供が分かっているのは 「何かがおか しい」 と いうことと親を鍛えねばな らないということ。家庭 禅みたい。親が信仰に入れば子 もよくなるというわ けで もない。信仰が隠れ蓑になることもある。 *日常生活が うまいこといっているけど、そうじゃ ないものがあるんだということで畏れを感 じる。 こ の畏敬の念が宗教体験の根本にある。飛行横が落ち て何百人死んだとか、普段あまりに畏れな しで生 き てるか ら固めて出て くる感 じ。そもそ も生 きてると いうことが本当は畏れおのの くこと。何で生 きてる のか、 しか も今の時代に。植物ひとっ見て も、動物 ひとっ見て も本当に畏れの感情がわ くことがある。 普段そういうの忘れてる。それにフッと取 りつかれ た人がカウンセ リング受けに来る。なぜ眠れないの かとか。 リズムというのは壊れ出すとむちゃくちゃ になる。 *子どもは恐いお話が大好 き。畏れの感情はす ごく 大切。その経験がないと、大 きくなって何かフッと 恐いことがあるとガクンとまいって しまう。 恐い話を してといわれる人は子供か ら信頼受けて いる。やってる本人 もこわが ってたら絶対に子供は ついてこない。そ してや ってる人を嫌いだったら子 供はそんなこといわない。畏れの根本には死に対す る畏れがある。死んでい く人 (ガ ンとか)のカウン セ リングは非常に難 しい。 「同行二人」 (どうぎょうふたり)。一人で行 く と思 うか ら恐いのであって、いっ も観音さんがつい

(13)

て くれ るんだ と思 った ら恐 くない。 カウンセ ラーが クライエ ン トを治すん じゃない。必ず観音様がつい て きているとい う、 そ うい う体験をす るのが治 ると い うこと。 カウンセ ラー とい うのはそ うい う体験 に 至 る仕事を クライエ ン トと一緒 にす る。

4

次 に、社会教育研究全国集会 (山形市、蔵王温泉) に出席 したときの 日記か ら作成 した文章を以下 に掲 げる。 社会教育研究全国集会 (山形蔵王温泉・1995 年

8

月)

26

日 (土曜 日)

、6

時過 ぎに小平の家を出る。 国分寺で

、7

28

分東京発のつば さの指定席が買 えたO間に合 うのか と心配 したが、三鷹で中央特快 が きて、十分余裕があ った。上野 も止 ま らず、福島 までまっす ぐ行 って、あ と終点山形 に

9

時55分 に 着 いたO改札を出た ところにあ る観光案内所 で地図 を もらい、表 口に立 ってみ たが、 レンタカー屋 は見 あた らない。裏 口か と思 い、 そ っちに行 ってみたが、 ない。 さが しなが ら歩 いてい くことに した。地図に 城が出ていて、そ こに郷土館が出ていたので、 まず そ こまで歩いた。入館料

200

円。予想 に反 して こ こは明治時代 に建 て られ た病 院 で、展示 によれば

1880

年 にロー レツとい う医者がオース トリアか ら来て、山形の医学の進展 に貢献 したそ うであ る。

2

年間 しかいなか ったそ うだが、影響が大 きか った のかいろんな資料が展示 してあ る。一般的な郷土資 料 は少 ない。 それか らさ らに歩いて

11

時に県民会 館 に着 いた。途 中、あちこちに駐車場があった。土 地が足 りないとい うことか。県民会館 には もうかな りの人が来ていた。 しば らく待つ と受付が始 まった。 ホテルは手配 して もらえた

。11

時半 に手続 きを終 え、 そば屋を探 しなが ら駅 の ほうに戻 った。 レンタ カー屋 は出て こない。 ラーメ ン屋が先 に見つか った のでそち らに した

。1

時か ら全体会。型通 りの挨拶 のあ と、影法師 とい うグループの コンサー トがあ っ た。 そのあ との課題別セ ミナーは、特 に これ とい う のはなか ったが、 「地域づ くりと協同組合の学習 ・ 文化活動」 とい うのに出た

。5

時 に終わ って、チャ ーター したバ スで蔵王に向か った。 ター ミナルに着 くと、私の泊 まるホテル樹林の迎 えのバ スが待 って いた。割 り当て られた部屋 は、最終的には

5

人が一 緒 にな った。親 しくな ったのは、五 日市青年の家主 事北見靖直氏 と、岡山県後月郡芳井町吉井で ごんば う村農産 とい うのをや っている善横道信氏である。 いずれ も立正大学卒業だそ うだ。温泉 に入 り、夕食 をす ませてか ら、交流会に出た。 ち ょっと会場が狭 す ぎて、す ごい混雑だ った。雑音がひど くてまとも に聞 き取れない。小林文人氏 にだけはとにか く挨拶 を して、早 めにホテルに引 き上げた。 そ して、 もう 一度温泉につか って、真 っ先 に寝 た。 27日 (日曜 日)、 8時前 に起 きて温泉につかり、 朝食をす ませ る。分科会は 「地域づ くりをめざす社 会教育実践の展望 - くらしを守 り、人々の連帯 と育 ち合いをめ ざす」 とい うのに出た。場所 は泊まって いる樹林で、その こともこの分科会に決めた理由の

1

つである。出席 してみると、今年か ら社会教育推 進全国協議会委員長をや ってお られ る島田修一氏が お られた。最初 に この分科会の これまでの活動経緯 が説明 されたが、その関係の資料集によると、実に

1987

年か ら始 まっているのである、 この分科会 は。 まっ、伝統 ある分科会なんで しょう。隣の 「あ すをひ らく女性の学習 ・活動 ・政策」が ほとんど女 性 ばか りなの と比較す るといかに も男が多い。福長 笑子氏がお られた. レポー トは福島県飯館村 という 農村でや った 「若妻の実」 とい う村の嫁 さんをヨー ロッパ に海外研修派遣す る事業 についてである。一 応飯館村公民館長 によって レポー トが

1

時間足 らず でなされて、それか ら参加者 の 自己紹介のあと討議 が

11

時か ら始 まった。私 は、 「若妻の翼」 はあく まで話題提供程度で、討議 はそれ とは別個に勧めら れ るのではと思 った らそ うではな くて、 この レポー トについて延 々と

4

時頃まで論議 されたのである。 最初、何が問題 なのかわか らなか った。別に問題な いん じゃないか。 ところが、 この事業 は、公民館関 係者 にはび っくりす るような事業 らしい。 まあ、こ - 3

(14)

8-んなことやっていいのという含み もな くはないよう で。途中、弁当はホテルの部屋に戻 って

1

人で食べ た。また午後 も、耳が疲れると部屋に戻 って休んだ。 全然戻らなかった皆 さんは大変 タフだ

。 4

時頃、公 民館長は引き上げ、まとめの討議を して

5

時に終わ った。これまでつかっていた温泉が故障 して、 しか しもう

1

つのは温泉 というより普通の風呂の感 じな ので、いったんつかったあと、下駄履 きで出て、共 同場につかりに行 った。 ここの湯はしょっぱい。坂 が急で、そして樹林は一番上の方にあるので、帰 り はきつかった。夕食後、北見氏、善積氏 と9時頃ま で部屋で話 し、そのあと、私は寝た。

28

日 (月曜 日)

、6

時過 ぎに起 きて風呂につか る

。9

時前に全体会の場に行 く。入 り口で本を買 っ た

。9

時に全体会は始まったが、疲れたので引き上 げることにした。バスター ミナルに向か う。途中、 分科会で一緒だった地元の女性か ら挨拶 された。 9 時

40

分のバスに乗 った。駅のそばにレンタカー屋 があるのがわかった。運だな。 レンタカーを借 りる 必要は全くなかった。ただ、車だったら、民宿がた くさんあるのでそのどこかに空室があれば泊まって いたのではないかと思 う

。11

17

分発のつばさ で東京に戻った。

5

次に、宮古に行 って、老人 と子どもたちについて 調べた、というか、 きいたときのメモの一部を

2

つ、 以下に掲げる。 宮古シンポジウム (

1995

9

月)

22

日 (金曜 日)

6

時半に起 きる。沖縄 タイムス を読んでいたら

、23、24

日に宮古で シンポジウ ムがあるそうだ。平良勝保さんが書いている。行け れば行きたいが、台風が接近 している。ス リランカ に行きたいと思 っている。セ ッ トできるかどうか、 まだわからない。

23

日 (土曜 日)

、6

時に起 きる。飛行機 は飛ぶ そうなので、準備 して

、6

時半に出る。空港でチェ ックインして待合室で待 っていると、天候不良の表 示が出たが、結局定刻

(

7

35

分)よりちょっと 遅れただけで出発 した

。8

時半に宮古に着いたが、 仲宗根均 さんはいなか った。小雨が降 っていたので、 タ クシーで平良第-小学校 の ところ まで行 って

(

500

円。なお、初乗 りは

380

円)、仲宗根 さ ん宅に行 こうとしたが、なぜか見つか らないのであ る。あとでわかったところでは、降 りたところが仲 宗根 さん宅か ら

2-3

軒す ぎた場所で、その先の方 向へ捜 し始めて しまったのである。目印の八百屋は、 シャッターをおろ していて、それ と気づかなか った。 先へ先へ と捜す うち、知 っている古本屋に出たが、 そのどっち側だったか もはっきり思い出せな くなっ ていて、時折雨が強 く降るし、時刻はもう

9

20

分になって、 もしか したらシンポジウムは

10

時か ら始まるか もしれないと思 って、タクシーでまず平 良市中央公民館に行 った。車がほとんど見あたらな か ったが、公民館はあいていて、職員の人がいたの で、 きいてみると、 シンポジウムは午後

1

時か らと いうことだった。それで、仲宗根 さん宅に電話す る と、仲宗根 さんが公民館まで迎えに来て くれた。仲 宗根 さんは、まず、彼の職場に連れていって くれた。 彼は今老人保健係長である。本庁舎ではな く一階建 ての独立 した建物の中である。そこで、今彼が手が けている仕事について矢継 ぎ早に説明を受けた

。1

つは

、96

2

月に開催予定の福祉祭についてであ る

。10

周年記念 ということで、何か理念を打ち出 したいと。行政各部署の寄せ集めではな く、業者や NTTにも入って もらいたい。仲宗根 さんの意見で は、沖縄本島と比べ、宮古は情報のネ ッ トワークが 悪いと。それぞれバラバラにやっていると。そうい った状況を変えてい く理念がほしいと。 もう

1

つは 今年

12

月か ら、 コンピュータによる在宅ネ ッ トワ ークを作 る予定だそうである。本土の方で実施 して いる例があり、その場合、 コンピュータ

300

台を 行政 と接続 し、血圧などの情報を送 って もらい、問 題があれば対処す るというシステムである。ハー ド のほうは

100%

補助だが、その後のソフ ト面が大 変なためそんなに利用 されていないそうだ。 これを 導入する前にシンポジウムを開 くそうで、それをど - 39

(15)

-うす るか とい うこと。最後 に

、10

月か らの各 ポイ ン トでの検診予定表を見せ られて、近 くまで行政の 方か ら出かけていかないと応 じて くれないので大変 だ とい うことだ った。 こうい う話をきいて、 これは ち ょうど調べていたコ ミュニケーションの問題では ないか と思 った。で、そ うい う観点か ら福祉の位置 づけについてち ょっと話 してみた。それか ら、車で まず、新 しい橋を渡 って釆間島に行 った。牧場、小 さな ビーチ等を見てか ら、橋の近 くの展望台みたい な建物 に行 った。島は思 っていたよりず っと小 さい。 それか ら宮古本島に戻 って、前浜に行 った。台風

1

4

号で ビーチが削 られて大変だ。前 も削 られて、そ れは補修 したんだそうである。橋がで きたことが影 響 しているのか、あるいは ビーチに建造物を こしら えたことが影響 しているのか、 ともか く以前 はなか ったことなので、つまり人災なんで しょうO平良の 方に戻 ると、ち ょうど トマ リンみたいな ものを建設 中だ った. フェ リーが将来 ここか ら出るのだそ うで ある。ホテルが付属 していて、結構大 きい。それか らそばを食べた。食べていた ら仲宗根 さんの知 り合 いが

3

名入 って きた。商工会議所の人で、離島フェ アーの担当だとい うことだった

。1

時に中央公民館 に行 った。公民館職員が、人が集 まるだろうか と心 配 し、仲宗根 さんは、宮古ではシンポジウム という のは無理だといっていたが、人数 は結構集まった。

6-70

名はいたと思 うO あ とで、たぷん宮古文化 協会の動員だろうとい う話 もきいたが

。2

つ挨拶が あったあと、仲宗根清二氏が基調報告を した。相当 長か った。戦後 「文化立島」でいこうということで 出発 したのに、今や地域 も、環境 も変わ って解体の 危機 に瀕 していると.だか ら、出発の頃の ことを思 い起 こそ うと。だいたい配 られた レジュメに沿 って の話だ ったが、その中で、いろんなイベ ン トが 目白 押 しだが、 「事業主体 はハー ド、 ソフ トともにほと んど同 じであ りなが ら整合性 はさほどみ られず、 ま るで別の機関のように股裂 き状況をみせている」 と あるのはお もしろい。 もとに戻れ るような状況では ない と思 うんだがねえ

。10

分休んで

、2

時半か ら 歴史 ・考古分野の発表で、 まず琉大助教授の豊見山 和行氏が 「宮古 ・島社会への歴史的視点」 という題 で発表 した。島の多様性を捉えるための比較の視座 が必要だということで、アルカイヤ

ーA

l

k

i

r

e

による, アイソレイツ、 クラスター、 コンプレックスという 分類が紹介 されたが、それだけで何かの結論を出す のはちょっと無理 な感 じが した。 この分野のサブ報 告者 は、平良勝保 さんだった。 この分野の報告が終 わ って、平良 さんに挨拶 してか ら、仲宗根 さんと会 場か ら出た。あ と、民俗、文学、音楽 ・芸能 という 順になっていたが、それより池間島にお もしろい人 がいるか ら、その人に会いに行かないか と仲宗根さ んか ら誘われたのである。池間島に着いてまずガソ リンスタン ドによって、それか らいったのか、伊良 波蒲 (ひろ し)氏の家である。お父 さん と、弟さん と

3

人でいた。 ち ょっと上が ってか ら、ガソリンス タン ドに行 って、そこで ビール等を飲みなが ら話 し た。ガ ソリンスタン ド内は雑貨屋 さんに もなってい る。奥にソファが置いてあ り、そこで話 した。伊良 彼氏は名刺によれば、他聞島観光ガイ ドブック (幻 の大陸 ・八重干瀬マ ップ付 き)編集を しているので ある。 自宅ではワープロがついていて、机のまわり に本や書頬が散 らばっていた。何で も池間島-ーリ ーが昨年で

100

周年 を迎えたんだそ うで、その関 係の記念誌づ くりを しているんだそ うである。今晩 7時か らその編集会議 とか。で、彼は地域のために とい うことを うるさくいうのである。その場合、地 域 というのは池間島の ことなのである。何でそんな に熟 し、なの、 ときいてみると、地域に恩返 ししたい んだそ うだ。ひ ぇーっ、す ごいんだね。そんなにも いい島なのかねえ。彼にお土産 として沖大広報を上 げたが、 この号のサザ ンクロス棚に、例の 「与える 木」の ことを書 いたわけである。地域 というのが仮 に母親みたいな ものな ら、どんどん とっていいんじ ゃないか。母親 ってそ うい うもんではないのか。私 が述べたのは、池間島に来 るまでに仲宗根 さんに話 したことだが、地域が主語ではいけない、 というこ とである。 そ うじゃな く、地域 というのは我々みん なで創 ってい く。我々てのは島の人でな くってもい いん じゃないか。実際、移民の多い島だと、外部と -

(16)

40-の賄係というのはむ しろより重要になる可能性があ る。だから、例えば子どもの教育に して も、離島だ からこそいっそう他地域 との交流技術、体験 は重要 だろう。そういうふ うであってこそ、地域 も活性化 できる。島には自然があり、夏休みの間だけで も子 どもたちはすごく変わると伊良波 さんは言 うが、 じ ゃ、子どもたちはずっと島で育 った方が幸せなのだ ろうか。ちょっと達 うんではないか。そういうふ う に考えると、必要なのは 「地域」 というよりは 「コ ミュニケーション」ではないか。だいたいそ ういう ことを私の考えとして述べた。あとか らガソリンス タンドの店主の仲間章郎氏 もちょっと話 しに加わっ た。彼も伊良波 さんたちと一緒に地域のためにいろ いろやってるようである。 7時前に出て、平良に戻 った。 トンカツ屋で定食を食べて、仲宗娘 さん宅に 行った

。2

階に上が って、 シャワーを浴びてか ら、 ・また車で出て、上野村の ドイツ村にできた、ホテル プリーズベイマ リーナにいって、 コーヒーを飲みな がら話した。 このホテルはオ リックスがキャンプ中 泊まっていたんだそうである。本土資本だそうだ。 お客も本土か らだろう。ボーイさん も本土の感 じだ った。そういうことか ら組織の問題を話 した。 ll 時半までいてか ら仲宗根 さん宅に戻 った。す ぐに寝 た。

24

日 (日曜 日)

、8

10

分前に目がさめた。 朝食後出て、まず港の周辺を走 る。伊良部か らは最 短距離になるあたり。あっちこっちで工事 している。

10

時に公民館に行 く。最初は言語分野で、報告者 は琉大教授の名嘉真三成氏。サブ報告者は大平養護 学校教諭の島尻洋一氏。 どちらの発表 も長 く、司会 者が何度時間の注意を して も全然影響 しないようだ った。次は社会 ・経済分野で報告者は沖国大教授の 来問泰男氏。データ中心で非常によくまとめ られて いた。そんなに楽観的な結論が出せるはずないじゃ ないかということが納得できるデータである。サブ 報告者は長凍幸男氏。 この方は平良市の企画室長で、 トライアスロン導入当時の担当だそうであるOたま たま地域活性化 と取 り組んでいるところに トライア スロン話が持ち込まれたか ら成功 したのだというこ ー 41-とだった。 この発表 も長か った。で、次の環境分野 の発表は午後にということになって、昼休みになっ て しまった。各発表の持ち時間が配 られたレジュメ には書かれていない。す ごいなあ。 これ こそ宮古で はないか。仲宗根 さん と相談 して、我々はシンポジ ウムはもう切 り上げることに した。だいたいどうい う人がいて、午後の共同テーマ討議がどうなるか も およそ見当がついたか ら。で、仲宗根 さんは車を東 平安名岬に向かって走 らせた。途中で弁当を買 う。 だんだん コ ミュニケーションとい う概念が仲宗根 さ んに浸透 し始めているようで、つまり、老人問題 と いうの もコ ミュニケーションの問題なんだよ、 と。 老人だって生 きている人間なのである。人形 じゃな い。親切にすればいいって もん じゃないよ、と。東 平安名岬に着いてみると、 ここにも仲宗根さんの知 り合いの課長 さんの家族がいて食事中だった。肉を 分けて くれた。食後グラン ドゴルフをや っていた。 台風が通 り過 ぎたあとのせいか、空気が澄んでいて、 宮古で こんなにきれいな海を見たのははじめてだ。 南岸沿いに戻 ってきて、海岸際の小山に登って、頂 上の東屋で昼寝 した。屋根に牛の彫刻がある。城辺 町がつ くったものだそうだ。ステーキの広告みたい である。起 きてか ら、今度は上野村の宮古パラダイ スという、蝶々のいる植物園に連れていって くれた。 料金

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円)を払 ってみるところはそんなに大 きくない。蝶 と、ラン、ハープなど。その奥が大 き な植物園になっていて、 ここだけなら無料である。 で、 ここがすぼ らしいのである。果樹が植えてある。 特にグアバ (バ ンジロウ)がた くさんあって、食べ なが ら進んだ。食べていいと仲宗根 さんはいうので ある。 さらにお土産にとビニール袋に拾 って集めて くれた。アダンもあった。 ここでは防潮林 として使 われているそうで、実は仲宗根 さんは食べたことが ないそ うだ。 ここに農林省の看板があり、 「山村振 興等農林漁業特別対策事業 (交流推進施設整備事業) 広場、緑地等利用施設」 と記 されていた。そのあと、 そばの野原地区にある小山の展望台に登 って景色を 見た。見た感 じは南大東 と結構似ている。 このそば が自衛隊基地である。 このあとまっす ぐ空港へ行 く。

参照

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