110 本書は、認知症という病の概念分析を通し て、「家族はなぜ介護してしまうのか」(p. ii) を問うものである。序章「新しい介護、新し い問題」によれば、認知症とは、「脳の障害 によって知的機能が低下し、日常生活に支障 をきたすようになった状態」(p. 4)であるが、 「1960 年代から 90 年代にかけて、認知症患 者は治療不可能な存在として扱われ」、「その 処遇は身体拘束や投薬に偏っていた」(p. 7)。 2000 年代に入り、「その人らしさ(person-hood)」を大事にする「パーソンセンタード ケア」の議論が日本でも盛んになり、社会保 障制度における介護保険制度の創設や、「痴 呆」から「認知症」への名称変更などの動き が生じる。 医療社会学が本格的に認知症を研究対象に 据えるのは 1980 年代以降であるが、当初は 「老化」が「認知症」として医療の管轄下に 置かれる「認知症の医療化」を指摘し、医療 批判モデル―たとえば、「高齢者の幼児化」 や「専門職支配」への批判、「障害をめぐる 予言の自己成就」―を提起し、個人の尊重 を訴えるものだった。しかしながら、医療社 会学が批判してきたはずの医療の論理自体が 2000年代以降に変化したこと―患者を何 もわからなくなった存在とみなすのではな く、医療従事者や介護者の関わり方こそが症 状を作り出していたのではないかという反省 に立ち、患者の尊厳を大事にするコミュニ ケーションを志向する―に従い、社会学上 の論点も、介護者が認知症の高齢者の「その 人らしさ」を最大限尊重しようとすることに よって生じる問題へと移行する。 第 1 章「認知症の概念分析へ―本書が問 うもの」では、本書の中心的問いと方法論が 示される。一つめの問いは、新しい認知症ケ ア時代において介護家族はどのように「代替 不可能な存在」になっていくのかというもの である。本書はこの問いに対して、「知識」 に注目して議論を進めている。新しい認知症 ケア時代において、認知症や介護をめぐる専 門的な議論は、家族介護こそ最良だと主張し ているわけではない。介護は社会化されてい る。しかしながら、「その人らしさ」に寄り添っ た介護をしようとするなら、医療者や介護専 門職では限界がある。家族は、患者のこれま での人生や好みや人柄を知る「代替不可能な 存在」として、持てる知識を総動員する。認 知症という専門的な概念と、患者の人生に関 する日常的な知識が交差する地点が家族介護
木下 衆 著
『家族はなぜ介護してしまうのか
―認知症の社会学―』
〈世界思想社・2019 年〉256 頁・本体 2,300 円+税▼
山田 陽子
フォーラム現代社会学 19(2020) 111 『家族はなぜ介護してしまうのか―認知症の社会学―』 的知や議論が「患者の人生」という日常知を 参照しながら深められていく時、患者の人生 を知っているという事実によって介護家族は 「一種の特権的な立場」(p. 118)に立つこと になる。だが、当然のことながら、患者の人 生さえ参照すれば良い介護になるというわけ ではない。もはや患者本人が人生をどう意味 づけていたのかを明確に語ってくれるわけで はない状況で、家族は介護場面での患者の反 応をどのように解釈すべきかを熟考し、時に は想定外のエピソードを患者の人生の大事な 一部分として再構築することになる。患者の 人生と介護のあり方は、家族によって絶えず 語り直される、可塑性に満ちたものである。 第 4 章「悩みを抱える/相談する―規範 を再構築する」では、認知症患者を尊重する という規範が生み出す新たな「罪」が指摘さ れる。患者が介護者に暴言や暴力をふるう時、 介護者はそれを患者の敵意や悪意のせいにす るのではなく、病気がそうさせるのだという 形で患者を免責する。このような「悪意のな い患者像」(p. 140)は、患者を無垢な者とみ なす見方と、そうした見方を前提とする関わ り方を介護者に要請するが、そのことが「わ かっているのに、つい怒ってしまった」とい う罪悪感を介護者にもたらすことになる。著 者によれば、家族会とはそのような「罪」を 告白する場である。 第 5 章「他の介護者に憤る―介護家族に よる『特権的知識のクレイム』」では、「患者 の本当の姿を知っていたのは、自分だけだっ た」(p. 158)という発言に集約される、介護 家族による「特権的知識としてのクレイム」 の分析が行われる。特権的知識のクレイムが 専門職に対して行われる時、患者が認知症で あるという前提が家族と専門職の間で共有さ れた上で、患者のふるまいの解釈やどのよう な介護保険サービスを提供するのが適切なの かが争点となる。一方、家族内で特権的知識 のクレイムが立ち上がる場合、それは誰に見 の場である。 二つ目の問いは、家族がどのような介護を 「良い介護」、あるいは「悪い介護」ととらえ るのか、介護をめぐる規範が介護者たちに よってどのように再構築されるのかである。 本書は、これら 2 つの問いについて明らかに するために、I. ハッキングならびに酒井泰斗 らの議論を引きながら、認知症の概念分析へ と向かう。認知症という概念が日常生活に入 り込むことで患者のふるまいや病に対する理 解はどのように変化したのか。認知症概念を 介した経験や行為の連鎖はどのようなものな のかについて、13 名の「真面目で、意識の 高い介護家族」(p. 42)へのインタビュー調 査や参与観察から明らかにしている。 第 2 章「認知症に気づく ―何が、なぜ 『おかしい』のか」では、周囲の者が「どの ようにして、この人は認知症だと気づくのか」 (p. 49)が事例研究から明らかにされる。医 師による洗練された認知症の診断には、日常 生活に散りばめられた「その人らしさ」に関 する知が不可欠であり、それは日常を共にし てきた家族や周囲の者しか持っていない。だ が、家族の中で「何かがおかしい」と気付い た人と、家族の中で発言力のある人の判断と が異なる場合、なかなかその「おかしさ」は 承認されない。このような家族の成員間での コンフリクトは、それ自体が介護家族にとっ て負担になる。家族が認知症を疑う時、参照 されるのはその人がどんな生き方をしてきた のかということ、すなわちその人のこれまで の人生である。そして、診断が確定した後、 患者の人生はそれに沿って再構築され、周囲 が感じていた「おかしさ」は認知症を示すエ ピソードとして位置付け直される。 第 3 章「患者にはたらきかける―『より 良い介護』を目指して」では、重度の認知症 患者の家族の事例を通して、家族が患者の反 応を見ながら、より良い介護について試行錯 誤する様子が記述される。介護に関する医療
112 書 評 人の人生や人柄やその人と自分たちとの関係 性を語りなおすことはできない。だがそれで も、遺族は遺品や遺された SNS の記録やそ の他あれこれのエピソードから死者の「その 人らしさ」の痕跡を辿り、死後何年経っても その人生や自分たちとの関係性について思い を巡らし、その意味を考え続ける。 本書は、認知症や死、何らかの不在、もし くはそれまでの「その人」像が大きく揺らぐ 事態に直面した時、周囲の者は否応なくそれ に巻き込まれ、もがき、焦点がぼやけてしまっ た「その人」像のブレを修正し、「その人」 と自らとの紐帯を結び直そうと試み続けるの だということに改めて気付かせてくれる。患 者や死者の人生や人柄や家族との関係性は、 絶えず新たな意味を獲得する可能性に開かれ ている。 また、章と章の間に挟まれるコラムも優れ ているが、「② 気づけなかった後悔を受け止 める」は出色である。介護家族は「もっと早 く認知症に気付ければよかった」と悔いるこ とが多いが、「認知症の発見は、論理的に、 常に遅れざるを得ない」(p. 83)と社会の側 が言うことで救われる家族は多いだろう。 「認知症」の部分を自殺の兆候やうつ病罹患 にアレンジすれば、それらに気付けなかった ことで自責の念に苦しむ自殺遺族にも通じう る言葉であるように思う。 超高齢社会と介護についてはシビアな問題 が山積しており、なかなか明るい展望を持つ ことは難しい。だが、本書のように介護と認 知症について分節化し、枝葉末節まで目を行 き届かせ、言語化して深く考察する社会学的 研究が世に存在するなら、幾分安心して歳を 取れる気がする。そんな読後感をもたらす本 である。 (追手門学院大学社会学部准教授) E-mail: [email protected] せる姿が患者の「本当の姿」なのかをめぐる 意見の衝突や、「誰に見せた姿を基準にして、 介護の体制づくりをするのか」(p. 177)とい う秩序形成に関わる問題として浮かび上が る。患者にとって良い時代をともにした人物 が、必ずしも良い介護者になるというわけで はない。 終章「新しい認知症ケア時代を生きる― 悩みが映し出すもの」では、ここまでの議論 のまとめと、社会学的な研究を踏まえたうえ での介護家族、専門職、認知症の人へのメッ セージが記されている。 本書が指摘する、「新しい認知症ケア時代」 と介護の社会化により、家族のケア責任が強 化されるというパラドクスは大変興味深い。 また、本書は患者の人生を参照点としつつも それがすべてというわけではなく、介護家族 は今ここの患者と家族のコミュニケーション を注意深くモニタリングしながら「良い介護」 とそうでないものを区別していくプロセスを 描き出すことにも成功している。 正直に述べると、編集委員会より本書の書 評依頼があった当初、なぜ評者に依頼いただ いたのか戸惑いを覚えた。評者は介護や認知 症を専門にしておらず、それをテーマに論文 を書いたこともない。適任の方が他にいくら でもいらっしゃるはずだと。恐る恐る読み進 めるうちに、なんとなくではあるが、編集委 員会の意図が少し分かった気がした(まった くの見当違いかも知れないが)。介護する家 族は、評者がここ数年調査していた自殺者の 遺族の姿と重なる部分が少なくない。 認知症患者の家族は介護において、患者の それまでの人生に関する知を参照し、「その 人らしさ」を大切にしたより良い介護を模索 する。その時、遡及的に再構築されるのは患 者の人生のみならず介護家族との関係性であ る。自殺者の遺族の場合、自殺者はすでにこ の世になく、直接の反応を確かめながらその