Title
裁判官の勤務評定と出向−裁判官の司法行政機構からの
独立に関する」一考察−
Author(s)
山口, 龍之
Citation
沖大法学 = Okidai Hōgaku(9): 1-22
Issue Date
1990-03-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6546
瞼脱
裁判官の勤務評定と出向
第一章 第二章 第一節 第二節 第三節 第四節 第五筋 第六節 第三章 第一筋 はじめにl裁判官の司法行政機構からの独立に関する」一考察I
裁判官の勤務評定と出向 「裁判官会同・協議会」から 組織内人事 マズローの欲求五段階説 マクレガーのx・Y理論 理論の裁判官人事に対する適用 人事考課の実際 具体的評定における問題点 「裁判所と法務省等との人事交流」について 裁判所と法務省等との人事交流の現状 小括山口龍之
一九八九年二月、日本弁護士連合会・司法問題対策委員会は内外の法律家を招き判・検交流と裁判官の独立につい
てシンポジウムを開催した。裁判官の独立が最高裁によって危機にさらされているとの認識が強まりつつあるようであ
る。例えば、一九八六年二月、日本弁護士連合会は裁判官の人事交流に関して、これが司法に対する国民の信頼を損
なうおそれがあるとの意見書をまとめているし、一九八六年二月のシンポジウムでも、「裁判所と法務省等の人事交
流」及び「裁判官会同・協議会」と題した欧文の資料を用意し、裁判官の独立が危機に瀬していろと、警鐘を鳴らして
いる。しかし、仮に裁判官の独立が危機に瀬しているとの認識が現実のものであるとしても、独立を侵害する方法は
様々であり、独立の敵もまた、外からのものもあれば、裁判官の内側からくるものもある。 (1)そこで、本稿では裁判官の司法行政機構からの独立について、’九八九年一一月に提出された資料をもとに、そこに
記述された客観的内容が事実であるとの前提のもとに、それが果して独立に対する侵害となるものか否かを思弁してみ
たい。 第二節人事交流の問題点 第三筋人事交流と移働率 第四節労働市場としての法曹 第五節その他の問題点 第四章総括 沖大法学第九号 はじめに 二「裁判官会同あるいは裁判官協議会とは、全国または各高裁管内から約一、一一名の裁判官が一同に会して、その時々
(2)に裁判所が当面している問題について意見を交換する会合である」。裁判官会同と裁判官協議〈雪の区別については、そ
の定義が公表されているわけではないので、はっきりしていないが、どうも、次のような使い分けが暗黙のうちになさ
れているようである。前者は、自由な討論の場として運営されてきており、出席する裁判官は、各裁判所の人選に委ね
られており、議題は具体的な事件ではなく、より一般的な項目が選ばれ、協議内容の多くも一般の者が知りうる状態に
あるのに対して、後者は、数人の発言を求めただけで、主催者が意見をまとめてしまうもので、出席者も最高裁ないし
高裁が人選し、議題も具体的事件を題材にとる場合が多く、協議内容も原則として公開されないという。裁判官会同は、
最高裁発足当時からのものであるのに対して、裁判官協議会は、一九七○年ころから出現したもので最近はもっぱら (1)筆者は、このシンポジウムの欧文資料作成に関わっており、本稿の注で「裁判所と法務省等の人事交流」および「裁判官 会同・協議会」というのは、そのときの日本語原稿のことをさしていろ。尚、この問題に関して以下の文献参照。宮本康昭・塩谷国昭「裁判官の処遇についての研究」法学セミナー増刊現代の裁判二九二頁、座談会「現代司法の問題状況」法律時報
五四巻九号五五頁、一一一宅陽「管理社会下の裁判所」法律時報五四巻九号一二頁、全国裁判官懇話会報告「あるべき裁判をも とめて」Ⅲ、判例時報九九三号一四頁、小田中聴樹「司法反動の総過程と裁判官像」法律時報五四巻九号八頁、宮本康昭『危機にたつ司法』(汐文社一九七八)、小田中聰樹『現代司法の構造と思想』(日本評論社一九七三)、同『続現代司法
の構造と思想』(日本評議社一九八一)、浦田賢治『現代憲法の認識と実践』(日本評論社一九七一一)、和田英夫・高柳信
一編『現代の司法」(日本評論社一九七二)。 裁判官の勤務評定と出向 第一章「裁判官会同・協議会」から 一一一これに対して最高裁事務総局は、裁判官の独立は保障されており、憲法第七六条三項によって、最高裁の判断が下級 審を拘束するのは当該事件についてのみとされていろ(裁判所法第四条)から、裁判官協議会や最高裁事務総局の見解 (5) が裁判を統制することはありえないと反論している。 日本弁護士連合会は、最高裁事務総局の権力の肥大化が、こうした反論を反古にしていると再反論する。すなわち、 「事件報告制度等によって、各裁判官の訴訟指揮・裁判の状況を詳細に把握し、その情報に基づき裁判官の昇進・昇格・ 昇給・転任を意のままに左右することの出来る絶大な人事行政権を有していろ」から、各裁判官は、最高裁事務局の意 (6) 向に背く判決をすることは、事実上困難になってきているというのである。また、こうした最高裁事務総局の絶大な人
事権は、個々の裁判官の独立の気概を奪って、下級審裁判官は、最高裁の判例・見解を待望し、自ら進んで最高裁事務
(7) 局に資料・見解の紹介を行うという状況を生んでいろ、と主張する。 思うにこの問題は、裁判官の身分保障は、負の力に対しては保障していても、裁判官個人の上昇指向、出世欲に対し 沖大法学第九号 四 (3) 裁判官屋協議会が裁判官会同ににとってかわっているという。日本弁護士連合会は、裁判官の独立を冒し、裁判統制をめざすものであるとして、これを強く批判している。例えば、
一九八一一一年一一一月に開かれた裁判官協議会は、水害訴訟をテーマに取り上げたが、そこで示された出題裁判所の見解は、
これまでの下級審判決(例えば、一九八一一年一一一月一○曰岐阜地裁判決)とは異質なものであったが、この見解はその
場で最高裁民事局によって支持され、さらに一ケ月後に大東水害訴訟最高裁判決(一九八四年一月一一六日判決)として 言い渡されると、下級審の流れが変わってしまった(例えば、一九八四年五月一一九日岐阜地裁判決)という事実が揚げ急墾
ては保障していないのか、最高裁事務総局は、自己の意のままに裁判官を昇格させることができるのか、という点にも
っとも大きな争点があるように思われろ。下級裁判所の裁判官は、最高裁の用意した名簿によって内閣が任命している
が、内閣が最高裁の用意した名簿に異議を申し立てたことはない以上、問題は最高裁内部で、事務局以外のもの、すな
わち最高裁判所判事ないし長官が、この名簿の作成にどこまでかかわっているのか、誰がどのような規準でその昇格を
決定したらよいか、という問題にいきつく。それはまた、再任拒否とは異なるが、裁判官の昇進について、その人がし
てきた裁判の状況・訴訟指揮に優劣をつけろとするならば、どのような規準で誰がすべきか、という点が争点となろう。
この点に関して日本弁護士連合会の資料は何も論じていないが、最高裁事務局が裁判官協議会で特定の事件に対して、
(8)その見解を明らかにした事を、批判しているところから察して、下級審裁判官が、最高裁事務局の意向に沿うことで、
自己の見解を放棄してしまう危険を危倶しているのであろう。別の言い方をすれば、下級審裁判官は、最高裁事務局見解に従った判決をしない限り、上級審裁判所で判決は覆り、
そういった記録を多くもつ裁判官には昇進・昇格・昇給・転任の見込みが少ないという暗黙の圧力を受けるか、そうで
はなくとも自己の良心に従って裁判するという状況を否定するような裁判官会議の運営方法は改められるべきだと主張
それでは、裁判官の人事は、どのようにしてなされるのだろうか、また、なされるべきであろうか。残念ながら裁判
官の人事については、その規準が明らかにされていない。そこで、ここでは、経営学における行動科学理論(ここでは
裁判官の勤務評定と出向 五 していることになる。 ことになる。これに対して最高裁事務総局は、かような事実を否定するからこそ、裁判官会議の運営に問題はないと主張していろ
行動科学理論の一翼を担う理論に個人の仕事への動機づけ理論というのがある。動機づけ理論は、人間の行動を動機 づける欲求の構造を明確にしようとする内容理論と、どのような仮定で動機づけがされ、反復されるかを解説しようと する過程理論(認知理論)分けられるが、ここでは、主として前者を取り上げろ。 企業内人事を中心とした生産性をあげるための議論をとりあげるが、裁判にあっては正義が生産性に置換えられろ)に ● 関する議論を紹介し、,これとの比較において、裁判所におけるあり方を考える一助としよう。 〆■、〆■、〆■、〆■、/ ̄、〆へ 876543 、-〆、-〆、=ゴ、."、.〆、-〆 (1)前掲注一「裁判官会同・協議会」一頁以下注(3丁(8)同文献 沖大法学第九号 第一節マズローの欲求五段階説 前掲注(1)二頁’一○頁 前掲注(1)’○頁 前掲注(1)一一頁 前掲注(1)四頁’九頁 前掲注(1)九頁’一○頁 前掲注(1)一○頁 第二章組織内人事 六
(、) 第二節マクレガーのx・Y理論 マクレガーは、マズローの◇。が作用するのは、人間が本来仕事が嫌いで、自己の責任で物事を処理するのではなく、 人から命じられたことをすることを好むという、低次の段階にある場合であり、このとき、人を動かしているのは、伝 統的なアメとムチによる理論(これをx理論という)であると主張した。 (9) マズローは、人間欲求を5種類に分類し、これを低次の欲求から高次の欲求へと段階づけた。すなわち、◇生理的欲求 (食べ物・飲物・睡眠・性などへの欲求)、②安全への欲求、安全、安定、社会的に脅かされない欲求)、③愛情と 所属への欲求(愛情・友情にあふれた人間関係、集団への帰属に対する欲求)、④尊敬と自尊心の欲求(人から尊敬さ れたという欲求、人との関係に自由・自立・自信などをもちたいという欲求)、⑤自己実現の欲求(自己の成長、能力 の向上を求める欲求)。マズローによれば、これらの欲求は、低次の欲求が、満たされれば、次の次元の欲求への段階 的に登りつめていくものだという。 裁判官は◇と②については、満たされていると言ってよいであろう。③については、なんとも言えない。④について は、社会的には、裁判官の地位は高く、十分に尊敬を集めていると言えようが、最高裁による統制が強くなれば、自尊 心はくじかれていくといえよう。もっとも、裁判批判もまた、自尊心も、尊敬も裁判官から奪うことにもなりかねない が、それだからこそ、裁判官は、自由・自立・自信を求めて努力していくものといえよう。⑤についても、.なんとも言 えない、結局、裁判官の職業では、①②までは、満たされることが、保障されているが、③④⑤については、制度的な 保障があるわけではない、ということになる。 裁判官の勤務評定と出向 七
第三節理論の裁判官人事に対する適用
これを、裁判官の仕事に当てはめれば、動機づけ理論は、裁判官の正義を行うことを動機づける欲求の構造を明確す
ることができれば、どのような仮定で動機づけがされ、司法機構の目標であるところの正義の実現のための行動がなさ
れるかが明らかになり、正義の実現が保障されることとなろう。裁判官個人が、名誉や尊敬といった外部的なものを求
めて裁判をされては、かなわないが、正義の実現に対する報酬が自己実現のみというのも非現実的ではないだろうか。
裁判と言っても、どれもが判例集に掲載されるような類のものではなく、また、裁判官の仕事も案外に世間の注目を沿
びることの少ない地味な職種であることに鑑みれば、正義の実行の保障のために、なんらかのモチベーション・マネー ジメントが保障されてよいはづである。すなわち、業績に対する正当な評価機構の存在である。この評価機構がアメリカ合衆国の一部の州のように選挙という形をとっているところもあれば(英米では、昇給とい
(、) う考えはとられておらず、業績に対する評価と言ロっても、選任においてのみである。)わが国の最高裁判事のように内ところが、人間もこうした低次の欲求が満たされるようになると、仕事に対して高次の欲求を満たすことを求めるよ
うになる。この高次の欲求を満たそうとしたのがY理論である。Y理論では、仕事はもはや、苦痛ではなく、遊びや休養と同じく人間の本性となり、満足の源泉にもなる。けだし、
人間は、自分が打ち込んだ目標のために働くものだからである。また、達成しうる報酬(金銭に限らず、名誉、尊敬、
地位といったものにも限らず、自己実現もまた報酬に含まれろ)によっては、人は、献身的に目標達成につくすもので
あり、条件次第で、自ら進んで責任をとろうとする。安全第一が人間の本性ではない、という。 沖大法学九号 八第四節人事考課の実際 (吃) 藤田忠はその箸「人事考課と労務管理」において、知識、熟練、理解力、判断力、創造力、表現力、企画力、計画性、 対応力、折衝力、指導力、統率力、処理力、実行力、評価力、協調性、正確性、勤勉性、積極性、をその評定要素とし て揚げ、その範囲と評定の着眼点ならびに注意点を表にしている。 藤田はさらに、職掌別に考課要素を上のなかから、選定すべきことを表にしているが、裁判官職は、このなかでは、 |般事務職のなかの先任高級事務職に近い職種といえよう。ただ、裁判官にあっては、協調性を二重丸としておくこと れの裁判は独立していなければならないからである。それでなければ、一一一審制の意味はなくなってしまうのである。 個人の目的は一致するのであるが、こと、司法機構にあっては、たとえ正義の実現という共通命題はあっても、それぞ もいうべき判決に与えてしまうことには、裁判官の独立という面から問題がある。|般企業なら、企業の目標と企業内 評価ということを、それが上級審判所によって破棄される件数の少なさであるとか、最高裁事務総局の見解の模倣と が存在しない。現行では、人事考課制度による考課が行われていろという。しかし、裁判官の場合、業績による客観的 閣によって任命され、国民によって信任される機構もある。しかし、日本の下級審裁判官については、このような機構 しかし、そうはいっても組織としての司法機構が存在し、何等かの人事がなされなければならない以上、人事管理の ための理論・機構は不可欠であろう。そこで、|般に企業が人事評定の要素としているところのものを紹介し、裁判官 職においてそのうちのどの要素を評定の対象とすべきか、また、評定をするにあたって客観的な考課方法はあるのかに ついて、考察してみよう。 裁判官の勤務評定と出向 九
には、裁判官の独立という視点からは問題があろう。そこで、個々では、とりあえず、協調性を外し、その他の要素で 評定に是非とも必要なものとして一一重九がつけられている知識、熟練、理解力、判断力、積極性の要素について、具体 (旧) 的に客観的な評定が可能なものか、それが裁判官の独立を侵害しないものかどうか、考察してみたい。 <表4.3> 職準別考課要素の選定 沖大法学九号 (注)◎は必要なもの、○は必要となる場合もあることを示す。表4 「2の定義、特に、注釈欄を熟解の上で利用されたい。 ○ 積勤正迅協評実処統指折応企計表創判理熟知 極勉確速調価行理率導衝対画面現造断解 力刀力力カカカ刀力力力力力力力刀力力練識 ◎○○◎◎○ .○○◎。○ 。◎。◎O◎○ ○。◎◎○○○。◎。 ◎。○○○。◎◎。◎ 職職職職職
返練練練鮒
繰熟熟熟級純級級級脇
単初中高先 一般作業職 。◎。◎○○○○◎ 。◎。◎○○○○○◎ 。◎○○○○○。◎。 ◎。○○○○○○。◎。◎ 職職職職務務務郷
事事事級級級級脇
初中高先 一般事務職 。◎○○◎。○◎ 。◎○◎。◎。 ◎。○◎。◎◎。◎ 初級セールスマン 中級セールスマン 高級セールスマン セールスマン 。◎。◎○。◎ 。◎○.○○○。◎。 ◎○○○◎○。◎◎。◎ L- 。◎○○○。○。◎ 。◎○○○◎ ○。◎。◎ 。◎。◎。○。○。◎ 。◎。◎。○◎○。◎ 専門研究補助職 準専門・研究職 専門・研究職 長長長長 組係課部舅
、篝
専門監督職 。◎◎。○○○。◎◎。◎ 。◎。◎○○。◎。◎ 。◎。◎。◎。◎ 。◎。◎。○。◎。◎ 。◎。◎○○◎。○ 守衛 運転手 電話交換手 タイピスト 受付 特殊職ぎのようにまとめて 評定要素の範囲と評定の着眼点ならびに注意点 知識、熟練、理解 裁判官の勤務評定と出向 第五節具体的評定における問題点 力、判 (M) いろ。 断力、積極性の要素について、前出藤田は、評定の範囲、着眼点、注意点、および注釈をつ 祖極性 ギリ断力 理解力 熟練 知識 特別の指示を与えられなくとも、与えられた 場面に必要な行動をとっていく意欲的な態度、 現状に満足しない発展的な研究心をも含めろ。 推測する能力をも含む。 た結鎗を導き出す能力、将来や未知のことを 理解したところにもとづきその場合に適合し 果を応用するまでを含む。 洞察する能力、新しいことを覚え、覚えた結 いう。座い愈味では、部分と全体との関係を ことの相互関係や変化の槻相を見通す能力を その場面または対象のもっている怠味、もの 体得できるもの。 てみることによって、はじめて、その要領を 解しているだけのものではなく、突際にやっ 能または熟練。知識のように宮葉や文字で理 される。会社の仕事の遂行に役立つ経験的技 知識の上に実務経験をつむことによって体得 一般的知識とにわけられる。 っては基鹿的な専門学理的な知識と基優的な 経験によって得られたものも含む。前者にあ 全体正式の教育機関でえられたものも実務の 各人がもっている会社の仕晒に役立つ知鐵の 評定 の 範囲 どの程度自発的に自分の職責を果たそうと思 ったか、自分の仕事をよりよくしようとする 発展的意欲的態度をもっていたかで判定する。 機をえて結鎗を導き出せるかをみる。 どの程度の視野にわたりどの程度確実かつ時 定する。 のどとを覚え解釈し応用できるかによって判 のあるところでどの穏度の確実さと速さでも 化に富んでいる場合や、ものごとの相互関係 どれ位の範囲にわたってどれだけ複雑で、愛 尺をうまく操作できることなどを含めろ。 りをすればやく発見できること、算盤や計算 と、転記、紀根、計算を間違えぬくこと、誤 技能的熟練のみならず、了をきれいにかくこ 考慮して判定する。 各人のもっている技能、熟陳の範囲と深さを 行使しているかをみろ。 にわたり深まりをもった知識を獲得しそれを その後の経験、努力により、どれだけの範囲 て判定する。具体的には学歴を華麗として、 各人のもっている知識の広さと深さをあわせ 岬定の着眼点 与えられた仕瑠を真面目にやることよりは、 改善とか、よりよいものとかを目ざした先取 的な態度をみる。 原因の理諭的追求 る弁別とは区別されなければならない。 知識や理解にもとづく判断であり、感覚によ ぼしい人があることを忘れてはならない。 であるが知識や熟練があっても、理解力のと 理解力は、知識や熟練を騒騒として働くもの 技能熟練は蜜わるからである。 な知識、知能、向上的な意欲の多寡により、 い。同じ期間の経験をもったものでも基礎的・ あるが繰験の長さだけから判定してはならな これらは経験の長さとともに増大する傾向が 定する。 る職務の性質によって、どららでみるかを決 と区別しにくい場合には、その人のついてい 左右されるところが大きいからである。熟練 学歴のものでもその後の経験や努力によって の全体を規定すると考えてはならない。同一 学歴と密接に関連するか学歴そのものが知識 評定 と の注意点 総合、計画的な理解、判断を要する専門研究 的な職務においてはより広い範囲にわたって 体系的論理的に行使される。場合には「組織 的考力」「理鎗的思考力」などという災現が とられるであろう。 m現場の一般作業職においては知識と熟練 を総合して「技彌」というような項目にま とめてもよいであろう。 ②|股事務職においては二股的知識と実 務知識」にわけてその実務知識のなかに熟 練を含めてもよいであろう。 ⑧研究専門識では「専門学理的知識」「実 務的知識」とし、必要があれば「熟練」を 加えてもよいであろう。 注釈
知識および熟練については、たとえば、法学部以外の出身者裁判官の方が、特殊の領域、例えば、医療、工学、金融、
経理の知識、経験は医療過誤や特許、工業所有権関係ないし金融、会社関係の訴訟では、有用であると考えられろ。し
かし現実は、学歴偏重主義の傾向がきぐされると同時に、専門周辺領域の知識、経験に対する評価がなされているのか否
かについて、疑問が残る。司法試験合格者の高齢化とこれを愁える傾向のなかで、法学以外の専門知識の要求など反故
(応)になりつつある。また、裁判官による人事一父流も、この評価の対象となるものと考えられる。しかし問題は、法務
省出向者ではなく、検事として出向した場合である。裁きを求める側にまわったという経験が、知識・経験として考慮
の対象とされてしまうことは、視点をかえることによって、問題のより立体的で総合的な理解を深めることになるかも
しれないが、運用方法によっては、検事よりの裁判官を増長させることにもなりかねないからである。また、知識、熟
練が裁判官にあっては、年功序列の一つの根拠となることも、いなめないであろう。熟練の項に事件処理件数を無批判
に導入すると、和解、訴えの取り下げを正義の実現などそっちのけで強力に訴訟指揮する裁判官を増長させかねない。
次に理解力、判断力であるが、これらの項目を具体的にどのようにして判定するかについては、困難な問題がつきま
とう。ただし、裁判官の理解力や判断力を判定するには、判定者自身に、被判定者を上回る能力を有しているとの前提
に立つか(この理由で、英米では、昇給を決定する立場にあるものの影響を裁判官が受ける恐れがあるとして、昇給制
(胴)を認めていない。)。ざもなくば、なんらかの客観的規準、たとえば上級審において判断が覆っていろといった規準が
登場してくることになる。しかし、前者は、前述の通り、裁判官の独立をおかすことになりかねないし、後者もまた、
同様だからである。 しかし、それだからといって、こういった、項目において、まったく客観的評価が不可能かというと、そうともいえ 沖大法学九号 一一第六節小括 こうしてみろへ、裁判官に対する人事考課はあながち、不可能でも、無意味なものでもない。問題はむしろ、それを どうやって公平で中立的なものとして運用していくかであろう。ひとつの方法として、人事考課を公表する方法が考え られろ。また別な方法として、公平で、中立的な第三者機関に委任する方法も考えられろ。前者は、法制度によっては 選挙によって裁判官を選任するところもあるくらいだから、あながち非現実的なものでもあるまい。後者は、憲法の規 (Ⅳ) 定上問題が残ろうが、憲法の解釈によっては不可能ではあるまい。 おらず、裁判官協議会はこのような雰囲気にないとのことである。 的な評価が与えられてよいのではないだろうか。しかし、日本弁護士連合会資料によれば、裁判官会同は近年開かれて ないであろう。研究熱心な裁判官、裁判官会同(裁判官協議会ではない)において、活発に発言する裁判官等は、積極 積極性については、どうであろうか。外国法を研究する裁判官、会社関係の訴訟のために経理を学んぶ裁判官がこれ にあたろうか。 (Ⅲ)田中英夫『英米法総論下』四三一頁以下(東京大学出版会一九八○)なお、裁判官の棒結については、昇結という考えは (9)澤田善次郎、小島敏彦、本野省三『総比較モチベーションマネジメント百科』一一一一頁以下(日刊工業新聞社一九八九) 中井節雄『新版組織人事論I組織と人間の行動科学』’八五頁以下(中央経済社一九八九新版)。尚、行動科学一般につい ては田中靖政『行動科学』筑摩書房一九六九) (、)前掲注九参照尚、言Oの同の、目巨官淺。〉.円げの西口日目の】』のo由団員のHb厨の》、冨・○日ョ国一]一.Zのョ]・鳥は参照できなかつ 裁判官の勤務評定と出向 た ◎ 一一一
第一節裁判所と法務省等との人事交流の現状 旧憲法下では「裁判所と検察庁は共同の最高目的のために連絡を緊密にしなければならない」され、司法大臣の監督 下、事実上一体化していたのに対して、現憲法では司法権の独立は、基本的人権の保障を担保するためにきわめて重要 (旧) な役割を果たすべきものとして期待されてきた。 ところが最近、当人の自発的意思による中途転官ではなく、当局の出向命令によって裁判官が他の官庁に転官し、| 定期間経過後戻ってきたりすることがおきていろ。一一一年位の出向が多いという。法制上は、検事と裁判官では任用も、 給与体系も異なるため、出向の対象者は、いったん退職、他の官庁に新たに任用という手続きを踏むため、建前上は、復 〆■、グー、〆へ〆 ̄、'白、 1716151413 ~〆、.〆、-ジ、=〆■-〆 ないという点については、四三四頁参照。 (、)藤田忠箸「人事考課と労務管理』二一○頁表四・二(白桃書房一九六一一)尚、学歴と昇進について論じたものに竹内洋 『競争の社会学l学歴と昇進』(世界思想社一九八二がある。 沖大法学九号 前掲藤田二一○頁以下 法務省「司法試験制度改革の基本構想」一九九○年一一月二○日判例タイムズ七二号六頁以下 前掲注(u)田中四三四頁 人事考課については、文献を見いだすことはできなかったが、再任については、多くの憲法の教科書が触れていろ。例え ば、佐藤幸治『憲法』一一三一一一頁(青林書院新社一九八一) 前掲藤田二一八頁 第三章「裁判所と法務省等との人事交流」について 一 四
帰しても元の身分には戻れないはずであるが、最高裁と法務省は、事実上の合意により、人事交流の対象者は、復帰に (四) 際して不利益が及ばないように配慮する扱いになっているという。 このような人事交流は、一九七一年に急増、その後も増え続け、一九八七年には、六一名もの裁判官が人事交流の対 (卯) 象となった。裁判官の出向先は、法務省訟務局と検察庁が主である(他に、法務省民事局、刑事局、国税不服審判所、 公害審査委員会、内閣法制局などがある)。特に、訟務局では、’九八五年には八三名の訟務検事のうち、四八名が裁 (別) 判官出身者であり、訟務局長はじめ、訟務局の主要なポストは、ほとんどが裁判官出身者でしめられていろ。 (犯) 出向経験者もこのため相当数にのぼり、たとえば、東京地方裁判所の民事部の裁判長のほぼ半数は人事交流経験である。 全国的にみても、交流経験者は全裁判官の約一五%にも達している。人事交流経験者は、裁判所に戻ってくると大部分 はエリートコースを歩んでいるため、人事交流の対象となることを歓迎する雰囲気が強いという。 人事交流が増加した背景には、まず第一に、国を当事者とする訴訟の増加があげられよう。一九八五年には一九六○ 年における訴訟の四倍もの訴訟が、国を相手におこされているのである。この事件に対処するために、国は、裁判官に (”) 訟務検事の人材を求めたわけである。第二に、人事交流は裁判官の教育にとって有益であると最高裁当局が考えている と推測される点である。裁判官は、行政の実態を十分知らず、行政に対する偏見をもちがちであるから、これを取り除 く事に、意義があるとか、刑事裁判官が、検察官の実務や捜査の実情を知ることは、刑事裁判官として大成するうえに (別) 有益である、といった発一百が最高裁当局者によってされているという。 裁判官の勤務評定と出向 一 五
第三節人事交流と移動率 人事交流について、経営学の視点から、この問題を考察してみよう。 裁判官を労働者として考えるとき、この裁判官の集団もまた、労働市場を形成している。通常の職種では、この市場 の外部から労働者が流入してくることも、流出していくことも稀有なことではない。この外部からの労働者の流入・流 出は、企業が市場の拡大・縮小に対処する大きな誘引となる。この外部労働者の流入・流出をはかるのに、職種間移動 (妬) といシフ。 第二節人事交流の問題点 (妬) 日本弁護士連合会の資料は、以下の問題点を指摘していろ。 ◇訟務担当検事経験者である判事が国を当事者とした裁判の担当者となることは、国民の不信をまねかないか。 ②人事交流経験判事は、出向中に上命下服を覚えてしまい、独立の気概を失ってしまうのではないか、との危ぐ。 ③出向中に生ずる国の側に対する親和的感情を、出向後も引きずる危険性。日本弁護士連合会資料によれば、新たな 観点から国側を勝訴させた判決のいくつかは、訟務検事経験判事によれば、訟務検事経験判事によって書かれていろ、 ④裁判所が、法務省をはじめとする様々な国家機関に対して法的テクノクラートを供給することは、司法権の独立を 侵害することにならないか、との疑問。 ◇②◇の指摘は、心理的な要因を多く含む問題であるが、④については、事実そのものの問題である。そこにおいて 語られる出向にともなう問題点から論じていこう。 沖大法学九号 一一ハ
(”) 率がある。日本では一九八一年から一九八一一年の期間でそれぞれ一三%、一七%を示している。これを、裁判官に あてはめてみると、一九八七年で出向裁判官総数六一名は、高等裁判所判事、地方裁判所判事、判事補、家庭裁判所判 事、判事補、簡易裁判所判事総数約二○九○名に対して二、九%、出向の大部分をしめる地方裁判所判事に限れば、 (”) 七四%に△らのぼろ。これは職種間移動率や産業間移動率のきわめて大きい英米の移動率に比較してもかなり大きい (英米とも職種間移動率、産業間移動率とも六%に達することはない)。明確な数字は示されていないが、裁判官とし て諸官庁から出向してくることは、ほとんどないかあるいは皆無であることからして、裁判官は、人材供給源となって いるとの日本弁護士連合会指摘は正しい。労働者としての法曹の市場は閉ざされた市場であり、新規参入者を除いて産 業のニーズ(訴訟数の増加)に柔軟に対処できる構造になっていないために、裁判所が供給源となったのであろう。し (卯) かも、新規参入者の総数もまた、過去十数年にわたってほとんど変化がみられないのである。 こうした出向の増加の現象は、日本の終身雇用性のなかで、日本が産業構造の変化に対応するために考え出された一 般企業の出向の現象となんら変わりはないのだろうか。日本的雇用慣行にあっては、超過勤務を含む労働時間の調整お
よび企業グループ内人材移動(いわゆる出向)によって、労働需要の変化に柔軟に対処していろという指摘があ璽超
過勤務はともかくとして、「裁判官の法務省や検察庁への出向や、出向先からの復帰が、一種の産業構造の変化に対処 しようとしている」、「裁判官の人事交流がこの、司法における構造の変化(刑事・民事・行政訴訟の急速な増加) に対応する一つの諸策であることを示唆している」ということはできるのではないだろうか。 そこで、以下、裁判官、検察官、弁護士の三者(いわゆる法曹)を一つの市場と想定したうえで、法曹一元がわが国 で実現していないのは、なぜか、また、検察庁・裁判所間の人事交流にともなう、問題点は何かについて、経営学でい 裁判官の勤務評定と出向 一 七第四節労働市場としての法曹 (躯) 裁判所、検察庁については、これを企業内グループとみることも、中間組織とみることもできる。ここでいう、企業 (調) 内グループや中間組織という一百葉は、出向先の企業との関係とする必要はないからである。企業のグループの形成につ いては、情報クラブとしてこれをみるものと、相互保険機構としてこれをみるものがあるが、前者の説では、資本的提 携は不用とされる。すなわち、前者によれば、企業集団ないし企業グループが形成されるものは、「情報」の共有にあ ると考えられていろ。「情報」は、市場取引に馴染みにくいものでありながら、「財」としての特質を備えていろと考 えられるからである。企業集団は、他のメンバーから情報を得る利益が、他のメンバーに情報を知られる不利益より大 きい企業どうしで形成されるという。クラブに所属する企業は、自己の保有する情報を自発的にクラブ内に伝達すると 同時に、そこで得られた情報は、クラブ外には伝達しないという行動をとることが約束されているという。すなわち、 (鋼) フリーライドを排斥し、同時に他への情報の漏洩の防止が約束されているわけである。 中間組織とは、企業内でも企業外でもないあいまいな領域にある企業グループのことをいい、中間労働市場を構成す るという。おおまかにいえば、市場取引と組織内取引の結合した中間領域による、共同利益の考えが導入されたという ことができよう。市場取引では、情報の不足と、それに付け込む、駆引き的行動の危険が伴い、また「共通な情報の蓄 (弱) 積」によるメリットも生まれにくいが、かといって、企業内取引のように市場を統括する組織もないものをいう。 企業集団および中間組織の議論を法曹テクノラフートの労働市場として裁判所と法務省、検察庁についてみてみる う、人材移動の視点から考察してみたい。 沖大法学九号  ̄ 八
ならば、裁判所、法務省、検察庁が法曹テクノラートの取引を目的として、集会をもち、そこにおいて秘かに人材に関す
る情報を交換し、情報を共有しているかどうかは、筆者にはわかならい。まさか、人事考課評を相手方に提示し、出向
中の業務について、報告を受けているとも考えたくない。しかし、最高裁が出向先に対して事件報告制度を利用して、 その概略を提示したり、履歴や給与についての考課資料として利用させていることは、十分に考えられることである。 また、出向先も、出向中の業務について最高裁に報告していることは、十分に考えられることである。そうでなければ、 これほど、大量の出向が継続的に行われるとは考えにくい。裁判所、法務省、検察庁を企業集団とみることの意義はこ こにある。中間組織の議論と言うのは、企業集団のありかたに関するものであるが、裁判所、法務省、検察庁に、これ を統括する組織があるとは考えられないが、かといって、共通の情報の蓄積がないともいえない。共通の情報の蓄積と は、たとえば組立業者と部品業者の間に情報が蓄積されろと、部品の技術革新による組立や最終製品への変化や影響が (妬) 互いに理解しやすい、といったことをさすのであるが、裁判所、法務省、検察庁に人材に関する蓄積があるだろうか。 あるとすると、それは、まさに弁護士抜きの、人権の保障もない恐ろしい蓄積ということにならないだろうか。 第五筋その他の問題点 第一一一章第二節で日本弁護士連合会が指摘していたの②◇の問題点について、考えてみよう。◇の「訟務担当検事経験 者である判事が国を当事者とした裁判の担当者となることは、国民の不信をまねかないか」との指摘は、裁判官が検察 庁や法務省といった機関と裁判以外の場で交渉をもつことによる情報のリーク、それによって、こうした組織の外にお かれる国民やそれを保護する弁護士に対する差別的扱いに対する危ぐをさしているのではないだろうか。 裁判官の勤務評定と出向 一 九(鋤)
裁判官の人事一父流については、日本弁護士連合会内部においても、見解が分かれたときいているが、これはおそらく、
裁判官の人事交流を、法務省、検察庁といった特定の機関に出向の対象を制限せず、それゆえ、前述のような特定機関
との特殊な関係も前提としなければ、それによる情報の遍在も前提としない、一般的な交流論と、現実の交流の実態に
対する評価との間で見解が分かれたのではないだろうか。人事交流も、法曹一元のもとで、相互交流が保障されている
ような場であるならば、裁判官の独立を根拠に否定的に解さなければならないものでもないであろうからである。
指摘も同様である。また、@の「人事交流経験判事は、出向中に上命下服を覚えてしまい、独立の気概を失ってしまうのではないか、と
の危ぐ」も、裁判所が法務省や検察庁といった機関と経営学でいうところの企業集団を形成したり、あるいは、中間組
織を構成したりすることによって、裁判官が裁判官の使命であるところの、正義の実現による自己実現ではなく、マズ
ローの五段階欲求説でいうところの第二から第四位の欲求…(一一)安全への欲求(危険からのがれたい欲求、安全、安
定、社会的に脅かされない欲求)、(三)愛情と所属への欲求(愛情・友情にあふれた人間関係、集団への帰属に対す
る欲求)、(四)尊敬と自尊心の欲求(人から尊敬されたいという欲求、人との関係に自由・自立・自信などをもちた
いという欲求)の充足のために、最高裁事務局の意向にそった判決をするようになってしまうのではないか、との危ぐ
をさしているのではないだろうか。③の「出向中に生ずる国の側に対する親和的感情を、出向後も引きずる危険性」の
〆■、〆■、グー、 201918 、-〆、-〆、-〆 沖大法学九号 前掲注(1)四頁 前掲注(1)五頁、前掲注(1)日本弁護士連合会資料「裁判所と法務省の人事交流」一一頁以下注(四)l宝)同文献
- 尚最高裁広報室の話によると、平成一一年一月現在検事として出向中の裁判官は九六名であるという・ 一 一 ○最高裁がそれを意図しているかどうかはともかくとして、裁判官の独立が危機にさらされているとの日本弁護士連合
裁判官の勤務評定と出向 一一一 グー、〆へ〆■、〆■、/■、/ ̄、/■、グー、 3736353433323130 ■-〆、 ̄、=〆、 ̄、-〆、=’、=〆、=〆 (班)前掲小野一七一頁 (別)この数字は、最高 〆へグー、〆■、〆■、/ ̄、/白、〆■、 27262524232221 、-〆、‐〆、-〆、‐〆、-〆、-〆、=〆 この数字は、最高裁盤書事務総局編集『日本の裁判」(財団法人法曹会一九七九第一一版)及び、前掲注一「裁判官の人事 交流」をもとに筆者が計算したものである。 前掲注(1)三一頁 前掲注(1)’三頁 前掲注(1)’七頁 永野仁『企業グループ内人材移動の研究』 以下(東洋経済出版一九八九) 前掲注(1)日本弁護士連合会資料「裁判所と法務省等の人事交流」一一○頁 前掲注(Ⅳ)永野二四頁以下 前掲注(〃)永野二四頁以下 前掲注(刀)永野一一一頁以下 もちろん資本関係を前掲とする説もある、前掲注二七永野二一頁 前掲注(刀)永野一九頁以下 前掲注(刀)永野一七頁以下 前掲注(過) 前掲注(1)||頁 前掲注(1)八頁 前掲注(1)七頁 第四章総括 一四頁以下(多賀出版一九八九)小野旭『日本的雇用慣行と労働市場堂七○頁会の指摘は正しいように思われろ。しかしながら、今までこの問題が大きな話題とならなかったのは、裁判官の人事交 流は法曹一元という実は別の理念を隠れ蓑として、批判をかわししてきたのではないだろうか。 裁判官の人事考課についても、人事考課という問題が微妙で場合によっては、個人のプライバシーにも関わりかねな い問題であるがゆえに、これを科学として論じようとする気概にかけていたのであろう。しかし、こうしたことを逆手 にとれば、人事を握ることによって人の行動をまで左右することが可能となるのではないか。ここに最高裁の人事権に よる司法統制のおろしざがあるといえよう。 こうした現状に対して、裁判官の自己啓発にのみ望みをつないでいるわけにも行かないであろう。結局、裁判批判を 通じて国民が司法の番人となっていくしかないものと考える。問題はどのような制度をつくろうと、国民が主体的に 関与していかないかぎり、解決にはいたらないであろう。法の番人たる裁判所もまた、国民に監視されてこそ、はじめ てその機能をはたしうるというのが、真実ではないだろうか。 沖大法学九号 - -- 二