Title
戦前沖縄における無産運動
Author(s)
安仁屋, 政昭
Citation
沖縄史料編集所紀要(8): 1-37
Issue Date
1983-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7241
Rights
沖縄県沖縄史料編集所
戦
前
沖
縄
にお
け
る無
産
運
動
第 〓 即 沖 縄 の 無 産 運 動安
仁
屋
政
昭
本 稿 は 、 大 正 ・ 昭 和 期 に お け る 沖 縄 の 無 産 運 動 の 主 要 な 事 例 と 人 物 に つ い て 研 究 を 深 め る こ と を 目 的 と す る 。 あ わ せ て 、 資 料 と 参 考 文 献 を 示 し 若 干 の 解 説 を し た い と 思 う 。 第 1 節 に お い て 無 産 運 動 の 概 要 を の べ 、 第 二 節 で 、 ① 赤 琉 会 と 関 西 沖 縄 県 人 会 、 ② 沖 縄 青 年 同 盟 、 ③ 普 選 と 労 農 党 、 を と り あ げ る 。 第 三 節 で は 、 沖 縄 の 無 産 運 動 史 の 上 で 重 要 な 役 割 り を 果 た し た 山 田 有 幹 、 井 之 口 政 雄 、 真 栄 田 1 郎 、 松 本 三 益 ら の 活 動 を 事 典 的 に 記 録 す る 。 第 四 節 で 文 献 目 録 を 作 成 し 研 究 の 現 状 を 示 す こ と と す る 。 沖 縄 に お け る 社 会 主 義 思 想 の 普 及 は 、 一 九 10
年 代 後 半 か ら 活 発 に な る . 明 治 末 期 か ら 大 正 初 期 に か け て 、 多 く の 若 い 知 識 層 は 、 中 央 政 府 の 沖 縄 差 別 に 対 し て 矛 盾 と 屈 辱 を お ぼ え 、 な ん ら か の 解 決 の 方 策 を 摸 索 し て 苦 悩 し て い た 。 師 範 学 校 や 中 学 校 の 生 徒 、 若 い 教 員 た ち の 中 に は 、 神 の 福 音 に 共 鳴 し て 教 会 に 通 う 者 も 多 く 、 さ ら に は こ れ に あ き た ら ず 、 社 会 主 義 思 想 と の 出 会 い に よ っ て 現 実 社 会 の 科 学 的 究 明 と 改 革 へ と 進 む 人 々 も 出 て き た 。 大 正 期 に 入 る と 、 ﹃中 央 公 論 ﹄ 、 ﹃太 陽 ﹄ 、 ﹃新 思 想 ﹄ 、 ﹃東 洋 時 論 ﹄ な ど の 雑 誌 が 持 ち こ ま れ 、 西 洋 の 社 会 思 想 や 進 歩的 な 政 論 が 紹 介 さ れ 、 まず これ ら の 雑 誌 を 通 し て 幸 徳 秋 水 。 堺 利 彦 ・ 片 山 潜 。 大 杉 栄 ら の 思 想 に ふ れ て い っ た 。 沖 縄 の 四 方 八 方 壁 だ ら け の 社 会 に あ っ て 息 の つ ま る 思 い を し て い た 青 年 た ち にと っ て、 これ ら の 新 思 想 は清 新 な も のと う け と め ら れ 、 琴 線 に ふ れ る も の が あ っ た 。 と く に 本 土 の 高 等 学 校 。 専 門 学 校 ・ 大 学 へ の 進 学 者 や出 稼 労 働 者 の 増 大 は 、本 土 と 沖 縄 の 交 流 を 緊 密 に し 、 都 市 の 労 働 者 、 小 学 校 教 員 、 新 聞 記 者 な ど の 間 に 急 速 に 社 会 主 義 思 想 を 普 及 し て い っ た 。 ロ シ ア 革 命 後 の 社 会 主 義 思 想 の 流 入 は め ざ ま し か っ た 。 と り わ け革 命 以 後 の 革 命 理 論 を め ぐ る 理 論 的 対 立 は沖 縄 で も あ ら わ れ 、 大 杉 栄 の影 響 を う け た ア ナ ー キ ス ト 。 グ ル ー プ と 山 川 均 。 堺 利 彦 ら の 影 響 下 に あ る ポ ル シ ェ ヴ ィ キ 。 グ ルー プ に 分 か れ て 対 立 し て い た 。 ア ナ ー キ ス ト 。 グ ルー プ は 糸 満 と 壷 屋 を 拠 点 に 城 田 徳 隆 。 徳 明 ︰ 宮 城 不 泣 ら が 指 導 し 、 ク ロ ボ ト キ ン 、 ブ ル ー ド ン 、 バ ク
ー
ニ ン の 著 書 を テ キ ス ト に 学 習 し 、 演 説 会 を 開 い た り 新 聞 へ の 投 書 な ど を 活 発 に 展 開 し た 。 ポ ルシ ェ ヴ ィ キ 。 グ ル ー プ は 、 山 田有 幹 の 「社 会 問 題 研 究 会 」 、 比 嘉 春 潮 の 「社 会 思 想 研 究 会 」 な ど を 拠 点 に し た 資 本 論 研 究 グ ルー プ で 、 山 田 有 幹 、 比 嘉 春 潮 、 泉 正 量 、 渡 久 地 政 漕 、 東 恩 納 寛 敷 、 照 屋 喜 1 ' 比 嘉 狂 児 、 玉 城 オ ト 、浦 崎 康 華 、 屋 部 憲 な ど が 主 な メ ン バ ー で あ っ た 。 し か し 、 こ の 両 グ ル ー プ と も 実 践 活 動 よ り も 理 論 学 習 を 主 に し て い た の で 対 立 は そ れ ほ ど 深 刻 な も の では な く 、 と き に は両 派 合 同 の 研 究 会 や 宴 会 を 開 い て い る 。 ま た 、 一 九 二 一 年 に は 浦 崎 康 華 ら に よ っ て 社 会 主 義 団 体 「庶 民会 」 が 結 成 さ れ た が 、 大 衆 活 動 のま え に 弾 圧 さ れ た 。 一 方 、 都 市 の 労 働 者 や農 民 も 現 状 打 開 に 立 ち あ が り つ つ あ っ た 。 一 九 一 七 年 に は 沖 縄 電 気 会 社 の 従 業 員 が ス ト ラ イ キ を や 明 1 七 人 が 解 雇 さ れ て いる 。 一 九 一 八 年 に は 台 南 製 糖 会 社 の 小 作 農 民 が 二〇
町歩 に わ た る 砂 糖 キ 'ri J不 売 闘 争 を お こな い l、 一 九 一 九 年 に は東 洋 製 糖 大 東 島 製 糖 所 の 労 働 者 四〇
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人 が賃 上 げ ス ト を 決 行 し そ いる 。 一 九二
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年 か ら 二 三 年 に か け て は 名 護 、 中 城 、 北 谷 で 小 作 争 議 が 続 発 し て い る 。 し か し 、 こ れ ら の 争 議 は 自 然 発 生 的 な ス ト ラ イ キ や 個 人 的 な 抵 抗 が 多 く 孤 立 分 散 的 で あ っ た 。 労 働 者 ・ 農 民 の 組 織 化 は 困 難 な 条 件 を か か え て い た の で あ る 。 大 正 。 昭 和 期 を 通 し て 沖 縄 の 工 業 は 中 小 零 細 企 業 と 農 民 的 小 営 業 が 主 体 で あ っ た 。 工 場 労 働 者 の 数 は 昭 和 期 に 入 っ て も 二〇
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人 前 後 に す ぎ ず 、 こ れ に 鉱 山 労 働 者 ・ 運 輸 労 働 者 。 港 湾 労 働 者 ・ 日 雇 労 働 者 そ の 他 の 職 人 を 加 え て も 二 万 五 千 人 程 度 で あ っ た 。 こ れ ら の 労 働 者 も 工 場 や 鉱 山 の 立 地 に 応 じ て 地 域 分 散 的 で 、 労 働 者 の 階 級 的 団 結 を つ よ め る の に 菌 難 で あ っ た 。 農 民 層 も 同 様 に 孤 立 分 散 的 で あ っ た 。 こ の よ う な 状 況 の も と で 、 一 九 二 1 年 (大 正 一〇
)
五 月 一 日 、 沖 縄 最 初 の メ ー デ ー が お こ な わ れ た 。 ア ナ 。 ボ ル 両 派 合 同 の 集 会 で 、 デ モ 行 進 の あ と 奥 武 山 公 園 で 演 説 会 を 開 い て い る 。 渡 久 地 改 暦 は 演 説 の な か で 、 「 メ ー デ ー ′ -/ は 労 働 者 の 資 本 家 に 対 す る 示 威 壌 動 で あ か ◎ 例 え て い え ば 西 と 東 の 綱 引 き の よ う な も の だ . シ ケ -ヌ ア ガ チ ャ ー ヽり タ ー ケ ー ナ ク ミ (万 国 の 労 働 竜 野 結 せ よ )」 と 方 言 で 訴 え て い る 。 ▼′′ 一 九 二〇
年 代 に 入 る fJ 実 践 的 活 動 が 全 面 的 に 展 開 し て く る 。 第 1 次 大 戦 後 の 経 済 界 の 変 動 は 、 農 業 を 基 礎 と す 1I る 沖 縄 の 社 会 を 構 造 取 に 変 え て い っ た 。 大 戦 に よ る 好 況 か ら 一 転 し て 戦 後 恐 慌 、 そ し て 1 九 三〇
年 代 ま で 続 く 慢 ヽ 性 的 不 況 は 、 県 民 の 生 活 を 「 ソ テ ツ 地 獄 」 と 呼 ば れ る ほ ど 悲 惨 な 状 態 に お と し い れ た 。 こ の 間 、 県 経 済 は 移 出 超 過 か ら 移 入 超 過 へ と 逆 転 し 、 財 政 が ゆ ら ぎ 、 日 本 経 済 の 大 き な 流 れ の な か で 沖 縄 の 農 村 経 済 は 壊 滅 的 な 打 撃 を う け た 。 荒 廃 し た 農 村 か ら 移 民 や 出 稼 が 急 増 し た 。 と く に 京 浜 と 阪 神 へ の 出 稼 は 圧 倒 的 で 、 出 稼 労 働 者 た ち は 差 別 と 偏 見 の な か で 最 下 層 の 労 働 条 件 を 強 い ら れ 合 理 化 の 犠 牲 と な っ た 。 こ の 現 実 の な か か ら 労 働 者 た ち は 階 級 的 自 覚 に め ざ め て い っ た 。 と く に 関 西 で は 共 産 党 員 井 之 口 政 雄 の 指 導 に よ っ て 青 年 労 働 者 た ち の 社 会 主 義 研 究 グ ル ー プ 赤 琉 会 が つ く ら れ 、 こ の 赤 琉 会 か ら 沖 縄 の 運 動 へ の 働 き か け が な さ れ て い っ た 。 井 之 口 政 雄 の 指 導 の も と に 松 -3-本 三 益 や 真 栄 田 山 郎 ら が 関 西 と 沖 縄 を 結 ぶ 役 割 り を 果 た し た 。 全 日 本 無 産 青 年 同 盟 大 阪 府 委 員 長 と な っ た 松 本 三 益 が 山 九 二 六 年 に 帰 郷 、 地 元 の 山 田 有 幹 ら と 協 議 し て 沖 縄 青 年 同 盟 が 結 成 さ れ た .・ 以 後 、 沖 縄 青 年 同 盟 は 沖 縄 の 無 産 運 動 の 中 核 と し て 労 働 組 合 の 結 成 、 ス ト ラ イ キ の 指 導 に あ た っ た 。 京 浜 や 大 阪 と の 交 流 も 一 段 と 活 発 に な り 、 ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ 、 ﹃無 産 青 年 ﹄ 、 ﹃ マ ル ク ス 主 義 ﹄ 、 ﹃戦 旗 ﹄ 、 ﹃農 民 闘 争 ﹄ 、 ﹃新 興 教 育 ﹄ な ど の 新 聞 雑 誌 が ど ん ど ん 持 ち こ ま れ 、 労 働 者 ・ 農 民 の 政 治 的 自 覚 を 高 め て い っ た 。 1 九 二 八 年 (昭 和 三 ) 二 月 の 第 山 回 普 選 に は 、 井 之 口 政 雄 を 労 農 党 公 認 で 沖 縄 か ら 立 候 補 さ せ て 選 挙 戦 を た た か い 、 労 農 党 那 覇 支 部 を 設 立 す る と と も に 、 那 覇 に 共 産 党 細 胞 も 組 織 さ れ た 。 学 生 運 動 も 高 揚 し た 。 学 生 運 動 の 中 心 は 東 京 で 、 喜 屋 武 保 昌 (東 大 )、 仲 井 間 一 郎 (東 大 )、 安 里 源 秀 (東 京 高 師 ) ら が 沖 縄 県 学 生 会 の 指 導 者 で 、 オ ル グ と し て た び た び 帰 郷 し た 。 鹿 児 島 の 第 七 高 等 学 校 に 入 学 し た 頼 長 亀 次 郎 は 社 会 科 学 研 究 会 に 加 入 し た 理 由 で 放 校 処 分 に な り 、 法 政 大 学 の 夜 学 に 通 っ て い た 平 良 良 松 は 、 勤 務 先 の 近 衛 師 団 の 機 密 資 料 を 持 ち だ し た か ど で 軍 法 会 議 に か け ら れ 放 校 と な っ て い る 。 そ の 後 、 頼 長 と 平 良 は 京 浜 地 区 の 労 働 運 動 で 活 動 す る こ と に な る 。沖 縄 で は 1 九 二 八 年 に 師 範 学 校 生 徒 と 小 学 校 教 員 を 中 心 に 社 会 科 学 研 究 会 が つ く ら れ 、 そ の 影 響 は 全 県 下 に 及 ん で い っ た 。 1 九 三
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年 か ら 三 1 年 に か け て 八 重 山 と 沖 縄 に 教 育 労 働 者 組 合 が 組 織 さ れ た 。 こ の 間 に 労 働 組 合 も 那 覇 、 首 里 、 糸 満 、 平 良 、 石 垣 な ど に 結 成 さ れ 、 労 農 提 携 も 進 ん だ 。 県 道 工 事 ス ト ラ イ キ 、 牧 原 争 議 、 大 宜 味 村 政 革 新 運 動 、 嵐 山 療 養 所 設 置 反 対 闘 争 な ど 労 働 者 と 農 民 の 共 同 闘 争 が 展 開 さ れ た 、0 し か し 、 運 動 の 高 揚 に 対 す る 官 憲 の 弾 圧 も 峻 烈 を き わ め た . 一 九 二 八 年 九 月 に は 沖 縄 県 警 察 に も 特 別 高 等 課 が 設 置 さ れ た 。 沖 縄 青 年 同 盟 と 労 農 党 那 覇 支 部 の 解 散 、 社 会 科 学 研 究 会 。 沖 縄 教 育 労 働 者 組 合 ・ 日 本 教 育 労 働 者 組 合 八 重 山 支 部 の 弾 圧 な ど 、 と く に 運 動 の 指 導 部 へ の 弾 圧 は 徹 底 的 で あ っ た q 労 働 組 合 の 活 動 は 一 九 三〇
年 代 中 期以 降 は ほ と ん ど 圧 殺 さ れ '活 動 家 の 大 部 分 は 牢 獄 に つ な が れ る か 、南 洋 や 中 南 米 移 民 地 へ 脱 出 せ ざ る を 得 な く な っ た . 統 計 の 上 で 労 働 争 議 が 確 認 で き る の は 7 九 四
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年 へ昭 和 1 五 ) ま で で あ り 、 以 後 は 暗 い 戦 争 の 時 代 で あ っ た 。 第 二 節 連 動 の 展 開 7 、 赤 琉 会 と 関 西 沖 縄 県 人 会 沖 縄 の 無 産 運 動 は 、 県 外 出 稼 労 働 者 の 運 動 と 不 可 分 に 結 び つ い て 展 開 さ れ た 。 こ こ で は 沖 縄 と 関 西 の 関 係 に つ い て 考 え て み よ う 。 沖 縄 か ら 本 土 へ の 出 稼 は 明 治 三〇
年 代 に は じ ま り 、 大 正 中 期 以 降 に 本 格 化 す る 。 そ の 出 先 地 は 東 北 。 北 陸 を 除 く 三 府 三 五 県 に 及 ん で い る が 、 わ け て も 京 浜 、 中 京 、 阪 神 の 工 業 地 帯 に 集 中 し て い る 。 大 正 末 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て は 年 間 二 万 人 以 上 も の 出 稼 労 働 者 が 流 出 し 、 関 西 地 方 だ け で も 常 時 五 万 人 以 上 の 労 働 者 が 滞 在 し て い た 。 こ れ は 当 時 の 県 人 口 の 1 割 近 く が 関 西 出 稼 に 出 た 計 算 に な る 。 本 土 出 稼 は 、 流 出 と 還 流 を く り 返 す 短 期 出 稼 型 の 工 場 労 働 者 が 多 く 、 男 女 の 比 率 で は 女 性 の 占 め る 比 率 の 高 い こ と が 注 目 さ れ 、 製 糸 。 紡 績 工 業 に 女 子 若 年 労 働 者 の 大 部 分 が 吸 収 さ れ て い た こ と を 示 し て い る 。 出 稼 労 働 者 は 1 椴 に 農 村 出 の 末 熟 練 の 若 年 労 働 者 が 多 く 、 郷 里 沖 縄 の 窮 状 を 深 刻 に 背 負 っ て い た う え に 沖 縄 県 民 に 対 す る 差 別 的 な 待 遇 も あ っ て 非 常 な 困 苦 を 強 い ら れ た 。 「金 銭 に 対 す る 執 着 心 が 強 い 」 と か 「定 着 性 が な く 非 社 交 的 」 な ど と さ げ す ま れ 、 差 別 と 偏 見 が 増 幅 さ れ る 環 境 に た え て 、 ソ テ ツ 地 獄 の 郷 里 へ 送 金 し 続 け た 。 松 本 三 益 は 次 の よ う に の べ て い る 。「沖 縄 か ら 出 て き た 出 稼 ぎ 者 は あ ち こ ち 会 社 を 直 接 訪 問 し た り 、 (職 工 求 む ) の 張 り 紙 を 見 て と び こ ん で い く ん で す 。 と こ ろ が (琉 球 人 ) だ と わ か る と 断 ら れ る 場 合 が 多 い の で す 。 と く に 大 工 場 な ど で は 、 な か に は 名 前 を 変 え 出 身 地 を 詐 称 し て 、 や っ と 職 に あ り つ け た 労 働 者 も す く な く あ り ま せ ん で し た 。 し か し ∵ 詐 称 し て 就 職 し て も す ぐ ば れ て し ま う 場 合 が 多 い ん で す ね 。 し ば し ば 警 察 が 各 工 場 に 見 回 り に き て 、 働 い て い る 労 働 者 の 思 想 や 身 元 調 査 を す る の で す 。 と こ ろ が 身 元 を か く し て い る 沖 縄 出 身 者 の 多 く は 労 働 争 議 な ど で 解 雇 さ れ た 人 た ち で す 。 そ う な る と ク ビ に な る だ け で は す ま な い 。 警 察 に 呼 び だ さ れ て ひ ど い 目 に あ わ さ れ た う え 、 な か に は 裁 判 所 の 略 式 命 令 で 科 料 や 罰 金 を 課 さ れ た ん で す 。」 こ の よ う な こ と が 各 地 で 起 き て い た 。 青 年 労 働 者 た ち は 、 こ の 窮 状 を 労 働 組 合 や 県 人 会 の 組 織 の 力 で な ん と か 打 開 し な け れ ば な ら な い と 考 え る よ う に な っ た 。 こ の よ う な 苦 境 に 立 っ て 模 索 し て い る 労 働 者 た ち を 指 導 し た の が 井 之 口 政 雄 で あ っ た 。 井 之 口 は 関 東 大 震 災 に お け る 共 産 党 弾 圧 を の が れ て 大 阪 へ 来 て い た 。 井 之 口 は 阪 神 電 鉄 労 組 の 活 動 を し て い た 松 本 三 益 に 連 絡 、 大 阪 に お け る 県 人 出 稼 労 働 者 の 状 態 を 松 本 か ら 具 体 的 に 報 告 を う け 、 組 織 の 手 順 を 話 し あ っ た 。 「赤 琉 会 」 と 「総 同 盟 予 備 軍 倶 楽 部 」 の 組 織 化 に 着 手 し た の で あ る 。 赤 琉 会 は 、 県 人 出 稼 労 働 者 の 苦 難 を 打 開 す る 闘 い に 忍 耐 づ よ く 挺 身 す る 若 者 を つ く る こ と を 目 的 と し て 発 足 し た も の で あ る が 、 そ の た め に は マ ル ク ス 。 レ ー ニ ン 主 義 を 身 に つ け な け れ ば な ら な い と い う こ と で 1 週 間 に 1 回 の 学 習 会 を 開 い た 。 井 之 口 を 最 高 指 導 者 に し て 、 井 之 口 と 交 流 の あ っ た 七 高 出 身 の 東 大 新 人 会 の 村 尾 薩 男 、 星 枝 恭 二 、 喜 入 虎 太 郎 ら が 指 導 に あ た っ た 。 井 之 口 や 松 本 ら の 呼 び か け に 応 じ て 赤 琉 会 に 参 加 し た の は 、 松 堂 恵 賢 、 比 嘉 盛 広 、 浦 崎 康 華 、 浦 崎 康 慶 、 志 多 伯 克 進 、 志 多 伯 永 保 、 富 田 幸 太 郎 、 名 城 春 永 、 宜 保 為 貞 な ど で 、 I の ち に 真 栄 田 一 郎 、 古 堅 元 雄 、 阿 波 連 之 智 、 上 里 春 生 ら が 加 わ っ た 。 阪 神 電 鉄 労 組 の 小 山 宗 や 田 中 茂 な ど も 参 加 し て い る 。 赤 琉 会 の 結 成 は 、 沖
縄 出 身 の 青 年 労 働 者 に よ る 初 の 共 産 主 義 者 グ ル ー プ と い う だ け で な く 、 関 西 沖 縄 県 人 会 、 大 阪 青 年 同 盟 、 沖 縄 青 年 同 盟 の 結 成 な ど に む 重 要 な 役 割 り を 果 た す こ と に な る 。 赤 琉 会 の メ ン バ ー は 学 習 と 組 合 活 動 の 実 践 に ふ み 出 す 1 方 、 ま わ り の 失 業 者 や 解 雇 さ れ た 人 び と を 中 心 に 「総 同 盟 予 備 軍 倶 楽 部 」 を つ く り 、労 働 者 の 結 集 を は か っ て い っ た 。 県 人 労 働 者 の 生 活 と 権 利 を 守 る た め の 活 動 と し て 工 場 側 と の 団 体 交 渉 に も の ぞ む よ う に な っ た 。 赤 琉 会 は ま た 県 人 会 結 成 の 準 備 を す す め 、 1 九 二 四 年 二 月 、 関 西 沖 縄 県 人 会 を 発 足 さ せ た 。 こ れ も 井 之 口 の 指 導 に よ る と こ ろ が 大 き か っ た 。 県 人 会 の 組 織 は 、 出 稼 労 働 者 の 差 別 待 遇 に 反 対 し 県 人 の 生 活 と 権 利 を 守 る こ と を 目 的 と し て い た 。 会 員 は か な ら ず L も 無 産 者 の み で は な か っ た が 、 結 成 当 初 か ら 親 睦 団 体 の ワ ク を こ え た 労 働 組 合 的 な 性 格 を 持 っ て い た 。 そ れ は 東 京 と ち が っ て 大 阪 の 場 合 イ ン テ リ ゲ ン チ ャ や 学 生 は 比 較 的 に 少 な く 、 ほ と ん ど が 出 稼 労 働 者 に よ っ て 占 め ら れ て い た こ と に も よ る だ ろ う 。 未 組 織 の 若 年 労 働 者 を 糾 合 す る に は 県 人 会 活 動 が も っ と も 適 切 な 方 法 と 考 え ら れ た 。 松 本 三 益 は 、 「大 阪 ・ 沖 縄 の 無 産 青 年 同 盟 の 活 動 」 の な か で 次 の よ う に の べ て い る 。 「当 時 の 紡 績 労 働 者 は 刑 務 所 の よ う な 寄 宿 舎 制 度 の な か で 働 か さ れ て い た の で 工 作 は 非 常 に 困 難 で し た 。 女 工 さ ん た ち は ( か ご の 鳥 よ り 監 獄 よ り も 、 寄 宿 舎 住 ま い は な お つ ら い 、 寄 宿 舎 流 れ て 工 場 焼 け て 、 門 番 コ レ ラ で 死 ね ば よ い ) と 歌 っ た ほ ど で す 。 外 出 の と き は 部 屋 長 、 世 話 婦 、 舎 監 の 許 可 を 得 な け れ ば な ら ず 、 し か も 制 限 さ れ た 時 間 し か 外 出 で き ま せ ん 。 十 二 時 間 も 働 い て 夜 部 屋 へ 帰 っ て か ら は 、 氷 水 1 ぱ い の み に 外 出 す る 自 由 も な い 状 態 で し た 。 こ う し た 状 態 の な か で 、 組 織 活 動 の 糸 口 を 紡 績 工 場 で 公 然 と み と め ら れ て い る 県 人 会 や 郷 友 会 な ど の 運 動 の な か に も と め ま し た 。 会 社 側 は 地 方 か ら 募 集 し て き た 女 工 さ ん た ち を 郷 里 の 家 族 と 結 び つ け て 労 働 組 合 運 動 に 参 加 さ せ な い よ う に 県 人 会 を 利 用 し て い ま し た 。 わ た し た ち は 逆 に .rJ れ を 運 用 し た わ け で す 。」 県 人 会 は 配 布 す る ビ ラ も 沖 縄 の 方 言 で 、 県 人 会 の 大 会 に お け る 演 説 な ど も 方 言 演 説 が 主 で あ っ た 。 こ れ は 井 之
口 と 松 本 の 発 案 と い わ れ て い る 。 県 人 会 は 出 稼 労 働 者 の 権 利 を 守 る た め に 、 た び た び 会 社 側 と 団 体 交 渉 を 行 い 機 関 紙 ﹃同 胞 ﹄ を 通 じ て 郷 里 沖 縄 の 現 状 と 会 員 相 互 の 情 報 を 提 供 し た 。 大 阪 ・ 兵 庫 。 和 歌 山 二 景 都 な ど の 紡 績 工 場 に も そ の 支 部 が つ く ら れ 、 そ れ を 母 体 に 労 働 組 合 の 組 織 活 動 も 活 発 に 行 わ れ た 。 ま た 、 県 人 会 活 動 を 通 じ て 関 西 の 労 働 運 動 、 社 会 主 義 運 動 と の 連 携 を 強 め 、 活 動 家 が 育 っ て い っ た 。 関 西 沖 縄 県 人 会 の い ま ひ と つ の 重 要 な 役 割 り は 、 郷 里 沖 縄 と ひ ん ぽ ん に 交 流 を 行 い 、 沖 縄 で 成 長 発 展 し っ つ あ っ た 労 働 農 民 運 動 を 全 国 的 な 運 動 に 結 び つ け て い っ た 点 に あ る 。 沖 縄 青 年 同 盟 の 結 成 、 労 農 党 那 覇 支 部 の 設 立 、 普 選 の た た か い な ど 、 関 西 沖 縄 県 人 会 の 活 動 と 沖 縄 の 運 動 が 結 合 し て す す め ら れ た も の で あ る 。 二 、 沖 縄 青 年 同 盟 本 土 に お け る 運 動 と 呼 応 し て 沖 縄 の 運 動 の 中 核 と な っ た の は 沖 縄 青 年 同 盟 で あ っ た 。 沖 耗 青 年 同 盟 は 全 日 本 無 産 青 年 同 盟 の 地 方 組 織 と し て 結 成 さ れ た も の で あ る 。 i 九 二 三 年 1 1 月 、 井 之 口 政 雄 の 指 示 で 大 阪 の 赤 琉 会 の 活 動 家 松 本 三 益 が 帰 郷 し 、 山 田 有 幹 。 渡 久 地 政 悉 ・ 東 恩 納 寛 敷 ら と 会 談 、 赤 琉 会 と 沖 縄 の 活 動 家 た ち と の 交 流 が は じ め ら れ て い た 。 1 九 二 六 年 三 月 、 松 本 三 益 、 桑 江 常 格 、 志 多 伯 克 進 ら が 同 盟 結 成 の オ ル グ と し て 帰 郷 、 山 田 有 幹 ら と 協 議 し た 。 そ の 結 果 、 新 聞 記 者 、 教 員 、 印 刷 工 、 樽 工 、 大 工 ' 左 官 、 会 社 員 な ど 二
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余 名 を 集 め て 三 月 一 四 日 、 那 覇 市 公 会 堂 で 結 成 大 会 を 開 い た . 結 成 大 会 に お い て は 、 青 年 の i 椴 的 要 求 の ほ か に 、 沖 縄 の 経 済 疲 弊 調 査 会 の 設 置 、 電 灯 料 値 下 げ 運 動 の 提 起 、 本 土 に お け る 出 稼 労 働 者 の 差 別 待 遇 問 題 な ど が と り あ げ ら れ た 。 大 会 に お い て 電 灯 料 三 割 値 下 げ 運 動 の 推 進 を 決 定 し た も の の 、 大 衆 運 動 化 で き ず 、 の ち に 小 田 栄 ら が こ れ を と り あ げて 発 展 さ せ 、 小 田 を 県 議 。 衆 議 院 議 員 に 当 選 さ せ る 道 を ひ ら い た 。 出 稼 労 働 者 の 差 別 待 遇 問 題 は 大 き な 論 議 の ま と と な っ た 。 「職 工 求 ム 、 但 シ 朝 鮮 人 、 琉 球 人 オ コ ト ワ リ 」 の は り 紙 に 見 ら れ る よ う に 沖 縄 出 身 で あ る と い う だ け で 、 就 職 の 道 を ふ さ が れ る こ と に 対 す る 青 年 労 働 者 た ち の い き ど お り は 想 像 以 上 の も の が あ っ た 。 そ の あ ら わ れ の 1 つ を 、 広 津 和 郎 の 小 説 「 さ ま よ へ る 琉 球 人 」 (﹃ 中 央 公 論 ﹄ 1 九 二 六 年 三 月 号 ) に 対 す る 抗 議 書 に 見 る こ と が で き る 。 沖 縄 青 年 同 盟 結 成 大 会 は 、 こ の 小 説 が 出 稼 青 年 労 働 者 の 就 職 に お よ ぽ す 悪 影 響 を 指 摘 し て 広 津 和 郎 に 抗 議 文 を お く っ た の で あ る 。 こ の 間 題 を 最 初 に 提 起 し た の は 琉 球 新 報 記 者 の 屋 部 憲 で ' 青 年 同 盟 準 備 会 で 検 討 し た 結 果 、 大 会 の 名 で 抗 議 す る こ と に な っ た も の で あ る 。 抗 議 文 の 原 案 は 東 恩 納 寛 敷 が 執 筆 、 起 草 委 員 と な っ た 山 田 有 幹 、 渡 久 地 政 漕 、 松 本 三 益 、 字 良 唯 盛 、 神 里 常 松 ら が 熟 議 し 在 京 の 琉 球 新 報 通 信 員 の 上 原 永 盛 を 通 じ て 送 っ た ・0 広 津 和 郎 は こ の 抗 議 文 の 全 文 と 沖 縄 青 年 同 盟 に 対 す る 回 答 を 同 年 五 月 号 の ﹃中 央 公 論 ﹄ に 発 表 し 、 以 後 こ の 作 品 を 絶 版 に す る こ と を 声 明 し た 。 と こ ろ で 、 青 年 同 盟 に 参 加 し た の は 当 初 1
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人 内 外 と い わ れ て い る が 、 い ま 関 係 者 か ら の 証 言 で 確 認 で き た l 名 前 を あ げ る と 、 山 田 有 幹 、 東 恩 納 寛 敷 、 渡 久 地 政 悪 、 字 良 唯 盛 へ銀 行 員 )、 神 里 常 松 、 新 垣 壁 也 ・ ( 商 船 組 )、 古 波 蔵 恵 文 へ 屋 部 憲 、 比 嘉 良 児 、 玉 城 三 郎 、 山 田 英 盛 、 平 良 永 昌 、 当 銘 嘉 保 、 当 銘 加 那 '・ 又 吉 永 達 、 比 嘉 清 福 、 豊 里 善 次 、 川 上 親 通 、 大 嶺 経 達 、 新 垣 壮 永 、 字 座 信 春 、 呉 我 春 信 、 久 高 将 憲 、 な ど で あ っ た 。 表 に は 出 な い が 物 心 両 面 で 援 助 し た 文 化 人 に 山 城 正 忠 、 国 吉 真 哲 、 真 栄 城 守 康 (弁 護 士 )、 国 吉 真 方 (医 師 ) な ど が い た 。 青 年 同 盟 に 参 加 し た 活 動 家 た ち は 、 そ の 後 の 沖 縄 の あ ら ゆ る 大 衆 闘 争 の 組 織 者 と し て 急 速 に 成 長 し て い っ た 。 ま た 、 大 阪 で 活 動 し て い た 真 栄 田 1 郎 や 無 産 者 新 聞 社 に つ と め て い た 桑 江 常 格 ら も 帰 郷 し て 青 年 同 盟 の 活 動 に 参 加 し た 。 同 盟 結 成 後 、 無 産 青 年 同 盟 機 関 誌 ﹃無 産 青 年 ﹄ と 共 産 党 の 合 法 機 関 紙 ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ の 支 局 が 開 設 さ れ本 土 と の 交 流 も こ れ ま で 以 上 に 活 発 と な り 、 い よ い よ 実 践 の 段 階 に 入 っ て い く の で あ る 。 山 田 有 幹 は 当 時 の 状 況 を 次 の よ う に の べ て い る 。 「 そ の と き 私 は 共 産 党 の 新 聞 無 産 者 新 聞 の 沖 縄 で の 取 次 ぎ を し て い た の で 、 そ の 配 布 網 を 通 し て 同 志 を 集 め た わ け だ 。 そ の と き 参 加 し た の は 百 人 ぐ ら い だ っ た な 。 職 業 も 労 働 者 、 銀 行 員 、 農 民 、 会 社 員 な ど 教 師 は 表 に は で て い な い 。 ・・ ・-一 方 那 覇 の 東 町 l 帯 に は 樽 工 が い て 製 糖 期 に 入 る と 深 夜 ま で 働 か さ れ る が 賃 金 が 安 く 、 賃 金 値 上 げ 、 待 遇 改 善 を 要 求 し て た た か っ て い た 。 こ こ は 当 時 、 組 織 は な い が 元 気 が あ り 、 伝 統 が あ っ た な 。 そ の 樽 工 労 働 者 に 無 産 新 聞 を く ぼ っ て い る う ち に 沖 縄 青 年 同 盟 に 集 ま っ て き た わ け だ 。 そ れ か ら 目 覚 め て 労 働 組 合 を 結 成 す る よ う に な っ て い っ た が 、 あ の 樽 工 組 合 は 青 年 同 盟 の 影 響 と そ の 同 志 が 母 体 に な っ て い る 。」 (﹃ 人 民 ﹄ 1 九 七 1 年 1
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月 三〇
日 号 ) こ の よ う に 沖 縄 青 年 同 盟 に 結 集 さ れ た 労 働 者 の 活 動 に よ っ て 大 工 。 左 官 。 石 工 ・ 樽 工 な ど の 組 合 が つ ぎ つ ぎ と 組 織 さ れ て い っ た 。 こ の 時 期 の 労 働 争 議 、 農 民 運 動 、 社 会 科 学 研 究 会 等 の 教 員 運 動 の ほ と ん ど す べ て が 青 年 同 盟 の 指 導 に よ る も の で あ っ た 。 ま た 、 1 九 二 八 年 二 月 に 結 成 さ れ た 労 農 党 那 覇 支 部 も 青 年 同 盟 の 影 響 下 に あ る 労 働 者 が 母 体 と な っ て お り 、 第 一 回 普 選 に お い て 労 農 党 公 認 の 井 之 口 政 雄 を 前 面 に 押 し 出 し て た た か っ た の も 青 年 同 盟 の 活 動 家 た ち で あ っ た 。 1, 九 二 六 年 三 月 に 組 織 を 結 成 し て 以 来 、 沖 縄 青 年 同 盟 は 、 「未 来 は 青 年 の も の 」 、 「青 年 が 動 く と き す で に 勝 利 の 光 あ り 」 と い う ス ロ ー ガ ン を か か げ て 県 下 に そ の 影 響 力 を お よ ぼ し て い っ た 。 未 来 の に な い 手 で あ る 青 年 の 無 限 の 力 、 可 能 性 を 表 現 し た こ の ス ロ ー ガ ン に 青 年 た ち は ふ る い た っ た 。 各 地 域 、 す べ て の 職 域 に 青 年 同 盟 の 活 動 が 浸 透 し て い き つ つ あ っ た 。 1 九 二 八 年 二 月 は そ の 頂 点 で あ っ た 。 し か し 、 ま さ に こ の 時 期 を 境 に し て 運 動 に 対す る 弾 圧 は 矢 つ ぎ ぼ や に 行 わ れ て い く 。 普 選 直 後 の 三 ・ 一 五 事 件 の 全 国 的 な 弾 圧 の あ と を う け て 四 月 1
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日 、 政 府 は 、 労 農 党 、 労 働 組 合 評 議 会 、 無 産 青 年 同 盟 を 解 散 、 沖 縄 青 年 同 盟 も 労 農 党 那 覇 支 部 と と も に 解 散 を 余 儀 な く さ れ た 。 三 、 普 選 と 労 農 党 1 九 二 八 年 (昭 和 三 ) 二 月 に 行 わ れ た 第 一 回 普 通 選 挙 を 中 心 に 運 動 の 展 開 を み て い こ う 。 こ の 選 挙 に は 定 員 五 人 に 対 し 、 民 政 党 か ら 漢 那 憲 和 、 伊 礼 肇 の 二 人 、 政 友 会 か ら 亀 割 安 蔵 、 竹 下 文 隆 、 花 城 永 渡 、 田 辺 勝 邪 、 新 城 朝 功 、 真 栄 城 守 康 の 六 人 、 中 立 系 と し て 亀 川 哲 也 、 そ し て 労 農 党 か ら 井 之 口 政 雄 と 一〇
人 が 立 候 補 し た 。 沖 縄 青 年 同 盟 と し て は 、 徳 田 球 1 か 井 之 口 政 雄 の い ず れ か の 立 候 補 を 要 請 し た が 、 井 之 口 は こ れ に 対 し 、 「徳 田 は 党 の 創 立 そ の も の で 、 そ の 同 志 を 沖 縄 か ら 出 せ ば せ ま く な る し 、 党 の 候 補 と し て の 立 場 も せ ま く な る 」 と し て 徳 田 が 沖 縄 か ら 出 る こ と に 反 対 し 、 み ず か ら 沖 縄 か ら の 立 候 補 を か っ て 出 た も の で あ る 。 井 之 口 は 関 西 に お け る 沖 縄 県 人 の 指 導 者 と し て 信 望 が あ つ く 、 当 時 ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ 記 者 と し て 東 京 に あ り な が ら も 、 関 西 と 沖 縄 の 事 情 に つ い て は 知 悉 し て い た 。 一 九 二 八 年 二 月 五 日 付 の ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ は 次 の よ う に 書 い て い る 。 「勇 敢 な 沖 縄 青 年 同 盟 は ほ と ん ど 毎 日 の よ う に 本 社 に 打 電 し て 、 井 之 口 の 立 候 補 を す す め て き た の で 、 本 社 従 業 員 総 会 は 井 之 口 君 を 立 候 補 せ し む る こ と を 決 議 し た 。 -東 京 、 京 浜 、 京 阪 地 方 の 沖 縄 出 身 労 働 者 、 学 生 諸 君 が 極 力 1 致 し て 沖 縄 の 選 挙 闘 争 を 支 持 し 、 応 援 せ ら れ ん こ と を 希 望 し ま す 」労 農 党 は 共 産 党 の 政 策 を 合 法 場 面 で 実 践 す る と い う 性 格 の 大 衆 政 党 で あ り 、 普 選 に お い て も 共 産 党 員 の 井 之 口 政 雄 を 労 農 党 公 認 と し て 沖 縄 か ら 立 候 補 さ せ た も の で あ る 。 共 産 党 は こ の 選 挙 で 井 之 口 や 徳 田 球 1 、 山 本 懸 蔵 な ど 二 人 の 党 員 を 労 農 党 公 認 で 立 候 補 さ せ 、 労 農 党 全 体 と し て は 四
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人 が 立 候 補 し た が 、 沖 縄 の た た か い を 重 視 し て い た も の と 思 わ れ る 。 選 挙 戦 に は 大 阪 の 赤 琉 会 、 予 備 軍 倶 楽 部 の 活 動 家 を は じ め 、 東 京 沖 縄 県 学 生 会 、 そ の 他 大 勢 の 出 稼 労 働 者 が 支 援 に か け つ け 活 発 な 言 論 戦 が 展 開 さ れ た 。 井 之 口 自 身 も 沖 縄 方 言 に よ る 演 説 が た く み で 、 労 農 党 の 政 策 と と も に 沖 縄 独 自 の 諸 問 題 を 精 力 的 に 訴 え た 。 こ の 選 挙 に お い て 、 供 托 金 二 千 円 を つ く る の が 最 大 の 難 関 で あ っ た 。 二 月 二〇
日 の 投 票 日 の 一 週 間 前 、 し め き り 日 の 二 月 二 二 日 に よ う や く 供 托 金 を 納 入 す る と い う き わ ど い も の で あ っ た 。 こ の た め 支 持 者 の 預 貯 金 ま で か き あ つ め る と い う 状 態 で 、 活 動 家 た ち は 、 「内 地 か ら の 輸 入 候 補 が 金 を 積 ん で い る が ' あ の 包 み が i つ で も あ れ ば な あ 」 と い っ て な げ い た と い う 。 選 挙 活 動 の な か で 特 筆 さ れ る こ と が 二 つ あ っ た . そ の 一 つ は 、 沖 縄 青 年 同 盟 の 活 動 家 を 中 心 に 労 農 党 那 覇 支 部 を 設 立 し た こ と で あ る 。 同 支 部 が 選 挙 活 動 の 母 体 と な っ た の で あ る 。 も う 1 つ は 、蓮 挙 活 動 の な か で 那 覇 市 に 共 産 党 細 胞 (支 部 ) を 組 織 し 、 毎 日 細 胞 会 議 を 開 い て 共 産 党 の 独 自 の 活 動 と 労 農 党 の 公 然 活 動 を 結 合 し て 選 挙 戦 を た た か っ た こ と で あ る 。 (官 憲 資 料 「沖 縄 県 小 作 二 関 ス ル 調 査 」 の 中 に ' 一 九 二 六 年 台 商 社 牧 原 農 場 の 小 作 人 中 に 共 産 党 細 胞 を 組 織 、 と 報 告 し て い る の は 事 実 誤 認 で あ る ) 那 覇 市 に お け る 労 農 党 の 人 気 は 上 々 で あ っ た 。 l 般 市 民 は む ろ ん の こ と 、 知 識 層 か ら も 好 意 的 に む か え ら れ た . 東 大 生 の 喜 屋 武 保 昌 と 仲 井 間 } 郎 が 連 名 で 井 之 口 政 雄 の 推 せ ん 広 告 を 掲 載 す る に つ い て 、 ﹃沖 縄 朝 日 ﹄ の 当 真 嗣 合 社 長 が 無 料 で 掲 載 し て く れ た り 、 記 者 の 豊 平 良 顕 、 比 嘉 栄 松 な ど も 好 意 的 な 報 道 を し た 。 こ の よ う に し て 井 之口 は 那 覇 市 に お い て 漠 那 憲 和 に つ い で 第 二 位 の 得 票 を か ち え た の で あ る 。 し か し 、・ 井 之 口 の 得 票 は 全 体 と し て は ふ る わ ず 最 下 位 で 落 選 し た 。 ち な み に 開 票 の 結 果 を 示 せ ば 次 の と お り で あ る 。 漢 那 憲 礼
刺
竹 下 文 花 城 永 田 辺 勝 新 城 朝 真 栄 城 守 亀川
哲 井 之 口 政 和 (民 政 党 ) 肇 (民 政 党 ) 蔵 (政 友 会 ) 隆 (政 友 会 ) 渡 (政 友 会 ) 那 (政 友 会 ) 功 (政 友 会 ) 康 (政 友 会 ) 也 (中 立 ) 雄 (労 農 党 ) 当 選 1 九 、 七 五〇
当 選 一 四 、 七 三 二 当 選 〓 「 七 八 七 当 選 八 、 三 三 七 当 選 六 、 五 八 三 六 、 四 六 二 六 、 二 一〇
二 、 八 1 六 二 、 二 六 五 1 、 六 四 四 な お 、 井 之 口 の 得 票 は 内 務 省 の 調 査 で は 1 六 七 三 示 と な っ て い る 。 そ れ は と も か く 福 岡 四 区 に お け る 徳 田 球 一 の 得 票 一 四 四 六 票 を 上 ま わ っ て い る こ と に 、 む し ろ 注 目 す べ き で あ ろ う . 第 三 節 無 産 運 動 史 の 人 び と 山 田 有 幹 二 八 八 八 ∼ 一 九 七 五 )「無 産 者 の 父 」 と し て 敬 慕 さ れ た 指 導 者 で あ っ た 。 大 正 。 昭 和 初 期 に お け る 沖 縄 の 無 産 運 動 は 、 山 田 有 幹 を 中 心 に 展 開 し た と い っ て も よ い で あ ろ う 。 一 八 八 八 年 (明 治 一 二 一 一 月 二
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日 、 那 覇 市 東 町 に 生 れ た 。 家 業 は 菓 子 屋 で 生 活 に 苦 労 は な か っ た 。 少 年 の 頃 、 自 由 民 権 運 動 の 謝 花 昇 ら の 南 陽 社 に 出 入 り し た こ と が 政 治 的 開 眼 の 第 1 歩 で あ っ た と い う 説 も あ る が 、 真 偽 の ほ ど は 定 か で な い 。 少 年 時 代 か ら 文 学 に 関 心 を 持 ち 、 の ち に 義 手 用 量 利 、 山 城 正 忠 、 仲 吉 良 光 、 末 吉 麦 門 冬 ら と 同 人 雑 誌 を 出 し た こ と も あ っ た (﹃ ア ソ ビ ﹄ 、 ﹃五 人 ﹄ な ど ) 。 一 九〇
七 年 (明 治 四 〇 ) 、 沖 縄 県 立 中 学 校 を 卒 業 、 代 用 教 員 を 一 年 間 つ と め た の ち 、 沖 縄 新 聞 、 沖 縄 毎 日 新 聞 、 沖 縄 日 日 新 聞 な ど の 記 者 を 経 て 那 覇 区 役 所 勤 務 、 庶 務 課 長 と な っ た 。 時 は 一 九 二〇
年 代 初 頭 で 、 第 1 次 大 戦 後 の 戦 後 恐 慌 に 突 入 し て い た 。 社 会 的 に は 一 九 一 七 年 の ロ シ ア 革 命 、 1 九 一 八 年 の 米 騒 動 な ど 青 年 の 魂 を ゆ さ ぶ る 事 件 が あ い つ い で い た 。 全 国 的 な 労 働 運 動 も 、 第 一 次 大 戦 お よ び そ の 直 後 に お い て 基 礎 を 確 立 し 、 そ の 後 の 日 本 経 済 の 慢 性 的 不 況 の 過 程 を 通 じ て 発 展 を 続 け て い た 。 ロ シ ア 革 命 後 の 社 会 主 義 思 想 の 流 入 は め ざ ま し く 、 山 田 は 泉 正 量 、 渡 久 地 政 漕 、 東 恩 納 寛 敷 、 比 嘉 春 潮 、 浦 崎 康 華 ら と と も に 資 本 論 研 究 会 を つ く り 、 沖 縄 に お け る ポ ル シ ェ ヴ ィ キ 。 グ ル ー プ と し て 社 会 主 義 思 想 の 普 及 に つ と め た 。 実 践 的 な 面 で は 樽 工 、 左 官 、 沖 仲 仕 、 印 刷 工 、 人 力 車 夫 、 大 工 、 な ど の 組 織 化 に 努 力 し 、 と く に 左 官 の 山 田 英 盛 、 印 刷 工 の 宜 保 為 貞 、 阿 波 連 之 智 、 幸 喜 連 道 、 豊 里 善 次 、 大 工 の 当 銘 喜 保 、 大 嶺 経 達 、 指 物 工 の 屋 比 久 輝 ら が 山 田 の 呼 び か け に 応 じ 、 現 状 分 析 と 具 体 的 な 組 織 づ く り を 検 討 し て い っ た 。 一 九 二 1 年 (大 正 1 0 ) 八 月 、 那 覇 市 制 施 行 第 一 回 の 市 会 議 員 選 挙 に 立 候 補 し て 当 選 、 以 後 、 七 期 連 続 当 選 し て 無 産 派 議 員 の 名 を あ げ た 。 1 九 二 三 年 (大 正 〓 こ 、 関 西 出 稼 労 働 者 の 活 動 家 松 本 三 益 が 帰 郷 し 、 大 阪 の 赤 琉 会と 沖 縄 の 運 動 と の 連 絡 が つ け ら れ た 。 こ れ は 大 阪 に お け る 県 人 出 稼 労 働 者 の 指 導 者 井 之 口 政 雄 か ら 強 い 要 請 を う け た も の で あ っ た 。 一 九 二 六 年 (大 正 i 五 ) 三 月 、 松 本 三 益 が 再 び 帰 郷 、 松 本 は 日 本 無 産 青 年 同 盟 大 阪 府 委 員 長 を つ と め て い た 。 山 田 は 松 本 を む か え て 渡 久 地 政 漕 、 東 恩 納 寛 敷 ら 活 動 家 を 集 め て 協 議 し た 。 沖 縄 に も 無 産 青 年 同 盟 の 地 方 組 織 を つ く る こ と で 意 見 が 一 致 、 名 称 は 沖 縄 青 年 同 盟 と し た 。 沖 縄 青 年 同 盟 に 参 加 し た の は 、 樽 工 、 大 工 、 左 官 、 沖 仲 仕 、 人 力 車 夫 、 小 学 校 教 員 、 新 聞 記 者 な ど で 、 山 田 は 青 年 同 盟 の 責 任 者 と な っ た 。 青 年 同 盟 の 結 成 に よ っ て 労 働 組 合 の 組 織 化 も 急 速 に 進 ん だ が 、 1 万 、 警 察 の 弾 圧 は 山 田 に 集 中 し 月 の な か ば は 留 置 場 入 り で あ っ た と い う 。 1 九 二 八 年 (昭 和 三 ) 二 月 、 第 一 回 普 選 の 衆 議 院 議 員 選 挙 に あ た っ て 沖 縄 か ら 労 農 党 公 認 と し て 井 之 口 政 雄 が 立 候 補 、 山 田 は 井 之 口 や 松 本 三 益 ら の 助 言 を 得 て 地 元 の 活 動 家 と 協 議 し て 労 農 党 那 覇 支 部 を 設 立 、 選 挙 戦 に 労 働 者 を 糾 合 し た 。 選 挙 戦 の さ な か に 共 産 党 細 胞 が 那 覇 に 出 来 て い る が 、 山 田 が ど の よ う に 関 与 し た か 明 ら か で な い 。 井 之 口 は 一 六 七 三 示 を 獲 得 し た も の の 最 下 位 で 落 選 し た が 、 那 覇 市 に お け る 労 農 党 の 影 響 は 大 き く 、 婦 人 解 放 大 会 の 開 催 な ど 労 働 者 の 気 勢 は 高 潮 し た 。 こ の 直 後 、 全 国 的 に は 三 二 五 事 件 の 大 弾 圧 が あ っ た が 沖 縄 は 除 外 さ れ て 難 を の が れ た が 、 四 月 一
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日 、 労 農 党 那 覇 支 部 と 沖 縄 青 年 同 盟 が 解 散 さ せ ら れ 、 山 田 は 逮 捕 さ れ た 。 こ の 解 散 は 全 国 的 な も の で あ っ た が 、 沖 縄 の 運 動 の こ う む っ た 打 撃 は 甚 大 で あ っ た 。 一 九 二 九 年 (昭 和 四 ) 四 月 、 運 動 の 再 建 と 広 報 の た め ﹃沖 縄 労 農 タ イ ム ス ﹄ を 創 刊 、 松 本 三 益 、 真 栄 田 一 郎 、 渡 久 地 改 暦 、 東 恩 納 寛 敷 ら と 苦 闘 し た が 、 弾 圧 と 資 金 難 の た め 一 年 と 続 け ら れ な か っ た 。 こ の 年 五 月 、 県 会 議 員 選 挙 に 無 産 派 の 代 表 と し て 立 候 補 し た が 最 下 位 で 落 選 し た 。 こ の 選 挙 で は 、 寄 留 商 人 の 利 益 代 表 で あ っ た 小 田 栄 が 電 灯 料 値 下 げ 運 動 や 人 力 車 夫 組 合 の 組 織 な ど で 無 産 者 を た く み に 掌 握 し 山 田 を 押 し ま く っ た の が 特 筆 さ れ る 。l 九 三
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年 (昭 和 五 ) 二 月 、 普 選 第 二 回 の 衆 議 院 議 員 選 挙 に あ た り 、 山 田 は 獄 中 に あ っ た が 、 日 本 共 産 党 推 せ ん 、 選 挙 闘 争 同 盟 の 候 補 者 と し て 選 挙 戦 に の ぞ ん だ 。 東 京 や 大 阪 の 出 稼 労 働 者 の 支 援 も あ っ た が 、 地 元 で の 十 分 な 選 挙 準 備 も で き な い ま ま に 敗 れ た 。 警 察 は 山 間 の 得 票 を 開 票 中 途 に お い て 公 表 を さ し と め た と い う 。 山 田 は 大 正 中 期 か ら 1 九 三〇
年 代 初 頭 ま で 、 つ ね に 沖 縄 の 無 産 運 動 の 先 頭 に 立 っ て き た が 、打 ち 続 く 弾 圧 に よ っ て 県 内 の 組 織 再 建 は 次 第 に 昂 難 に な っ て い っ た 。 1 九 三〇
年 代 後 半 に な る と 山 田 は 運 動 と の か か わ り で は 身 動 き も で き な い 状 態 と な っ た 。 沖 縄 戦 中 は 羽 地 相 に 疎 開 し 、 戦 後 は 沖 縄 民 政 府 社 会 事 業 部 長 、 軍 関 係 労 働 委 員 な ど を つ と め た 。 戦 後 の 山 田 の 社 会 的 な 活 動 は 、 む し ろ 戦 前 の 活 動 と は 絶 縁 し た か た ち で 示 さ れ 、 ア メ リ カ 占 領 軍 に 対 し て も 協 調 的 で あ っ た 。 米 軍 占 領 下 の 困 難 な 労 働 運 動 に 同 情 を 寄 せ る よ り も 、 「 ニ ヒ ル な 対 応 で あ っ た 」 と 評 す る 労 働 者 も い る 。 つ ね づ ね 口 に し て い た と い う 「沖 縄 の 左 翼 は 学 校 を た て た ほ う が よ い 、 学 問 が 先 だ 」 と い う 言 葉 の 真 意 は ど こ に あ っ た の だ ろ う か 。 晩 年 は 視 力 を 失 い 自 宅 で 療 養 す る 日 が 多 か っ た 。 i 九 七 五 年 一〇
月 一 一 日 残 O 井 之 口 政 雄 二 八 九 五 ∼ 一 九 六 七 ) 山 田 有 幹 が 沖 縄 に お け る 運 動 の 指 導 者 で あ っ た の に 対 し 、 井 之 口 政 雄 は 関 西 在 住 五 万 人 の 県 人 出 稼 労 働 者 の 組 織 者 と し て 、 沖 縄 の 運 動 を 全 国 的 な 運 動 の 1 環 と し て 位 置 づ け て い っ た 理 論 的 な 指 導 者 と い え よ う 。 ま た 、 日 本 共 産 党 員 と し て は 、 戦 前 戦 後 を 通 じ て 「沖 縄 人 の 気 概 と 誇 り 」 を 堅 持 し 非 転 向 を 貫 い た 闘 士 で あ っ た 。 1 八 九 五 年 (明 治 二 八 ) 四 月 二 八 日 、 那 覇 仲 毛 (東 町 ) に 生 れ た 。 父 は 材 木 と 黒 糖 を 商 う 鹿 児 島 系 の 寄 留 商 人で 母 は 沖 縄 。 名 護 の 出 身 で あ っ た 。 1 三 歳 ま で 沖 縄 に 育 ち 、 鹿 児 島 の 伯 父 の も と で 鹿 児 島 県 立 第 1 中 学 校 を 卒 業 、 慶 応 義 塾 大 学 予 科 を 経 て 同 大 学 理 財 科 (経 済 学 ) へ 進 ん だ が 二 年 で 中 退 し た 。 在 学 中 か ら 社 会 主 義 運 動 に 傾 倒 し 学 業 よ り も 実 践 活 動 を 選 ん だ の で あ る 。 一 九 二
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年 (大 正 九 )、 日 本 社 会 主 義 同 盟 に 参 加 、 翌 年 、 同 盟 解 散 後 、 山 川 均 、 荒 畑 寒 村 を 中 心 と す る 「水 曜 会 」 に 徳 田 球 一 、 西 雅 雄 ら と と も に 加 わ っ た 。 水 曜 会 は そ の 翌 年 一 九 二 二 年 に 創 立 さ れ る 日 本 共 産 党 の 母 体 で あ っ た 。 兵 役 を 終 え て '・ 1 九 二 三 年 (大 正 〓 1) 日 本 共 産 党 に 入 党 、 山 川 均 の 指 示 で 東 京 。 亀 戸 の 川 合 義 虎 ら の 南 葛 労 働 組 合 に 配 属 さ れ た 。 と こ ろ が 、 川 合 と の 連 絡 を 待 っ て い る 間 に 関 東 大 震 災 が 発 生 、 危 う く 川 合 ら の 虐 殺 さ れ た 亀 戸 事 件 の 難 を の が れ た 。 井 之 口 は 、 「 (連 絡 が ) 一 週 間 の び た の が 川 合 義 虎 ら の 運 命 と 私 の 運 命 を 分 ち 」 と 書 い て い る (還 ハ産 主 義 者 の こ こ ろ ﹄ 八 二 頁 )。 井 之 口 は 弾 圧 を の が れ 妻 を と も な い 、 「中 仙 道 を 大 阪 に つ っ ぱ し り 、 震 災 後 急 速 に も え 上 っ た 関 西 の 労 働 者 運 動 に 参 加 」 す る こ と に な る (前 掲 書 八 三 頁 )。 関 西 に 移 っ た 井 之 口 は 社 会 主 義 関 係 文 献 の 翻 訳 を 表 向 き の 仕 事 と し て い た が 、 那 覇 出 身 の 青 年 活 動 家 松 本 三 益 と 連 絡 、 沖 縄 出 身 労 働 者 を 中 心 に 関 西 の 青 年 活 動 家 を も 加 え て 赤 琉 会 を 組 織 し た 。 赤 琉 会 は 青 年 労 働 者 た ち の 社 会 主 義 研 究 グ ル 上 フ と も い う べ き も の だ が 、 社 会 主 義 文 献 の 学 習 の ほ か に 労 働 組 合 運 動 の 実 践 に 直 結 す み 理 論 学 習 も 熱 心 で あ っ た 。 井 之 口 は 赤 琉 会 の 指 導 者 と し て 、 実 践 に た め ら い が ち な 青 年 た ち に 対 し て 「完 全 は 期 す べ か ら ず 」 と い っ て 激 励 し た 。 つ い で 井 之 口 は 、 解 雇 さ れ た 活 動 家 や 末 組 織 労 働 者 を 結 集 し て 総 同 盟 予 備 軍 倶 楽 部 を 組 織 、 各 地 の ス ー ラ イ キ の 支 援 に も 予 備 軍 倶 楽 部 の 旗 を か か げ て 参 加 し た 。 大 阪 へ 移 っ た の が 一 九 二 三 年 九 月 、 わ ず か 二 ケ 月 以 内 の 活 動 の 成 果 で あ っ た 。 同 年 二 月 に は 松 本 三 益 を 沖 縄 へ 派 遣 、 山 田 有 幹 、 東 恩 納 寛 敷 、 渡 久 地 政 懲 ら と 運 動 の 連 携 を 協 議 さ せ た 。 以 後 、 松 本 三 益 を 連 絡 係 り と し て 関 西 と 沖 縄 の 運 動 に 理 論 的 な 指 導 を 与 える こ と に な る 。 一 九 二 四 年 (大 正 二 二 一 二 月 、 赤 琉 会 の 活 動 家 た ち が 準 備 を す す め て き た 沖 縄 県 人 の 親 睦 団 体 「関 西 沖 縄 県 人 会 」 が 発 足 し た . 県 人 会 結 成 に あ た っ て 井 之 口 は 、 共 産 党 中 央 委 員 で あ っ た 徳 田 球 一 に 相 談 し た と こ ろ 、 徳 田 は 「ブ ル ジ ョ ア の 巣 く つ に な る 」 と い っ て 警 戒 し た と い う 。 井 之 口 ら は 徳 田 の 指 摘 も 配 慮 し な が ら 、 「県 人 会 は お 互 い に た す け あ い 、 手 を と り あ っ て す す む 後 楯 で あ る 」 と い う ス ロ ー ガ ン を か か げ 、 実 質 的 に プ ロ レ タ リ ア ー ト の 運 動 の 一 環 と し て 県 人 会 活 動 を 推 進 し た 。 井 之 口 自 身 も 県 人 会 の 本 部 幹 事 と な り 松 本 三 益 が 機 関 紙 ﹃同 胞 ﹄ の 編 集 発 行 人 と な っ た 。 県 人 会 活 動 の な か で 、 沖 縄 方 言 を 駆 使 し た 演 説 等 も 井 之 口 と 松 本 の 発 案 と い わ れ て い る 。 井 之 口 は 1 方 、 一 九 二 四 年 に は 大 阪 日 刊 新 聞 関 酉 日 報 社 に 勤 務 し て い る が 、 こ れ は 若 い 活 動 家 を 経 済 的 に 支 え る た め の も の で あ っ た 。 一 九 二 五 年 (大 正 一 四 ) 九 月 、 ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ が 創 刊 さ れ 上 京 し て そ の 記 者 と な る 。 東 京 に あ っ て も 関 西 の 運 動 と の 連 絡 は つ ね に 保 っ て い た と い う 。 一 九 二 八 年 (昭 和 三 ) 二 月 、 第 一 回 普 選 に 労 農 党 公 認 と し て 沖 縄 か ら 立 候 補 、 那 覇 市 で 第 二 位 と な っ た も の の 、 全 体 と し て は ふ る わ ず 最 下 位 で 落 選 し た 。 選 挙 活 動 の な か で 、 労 農 党 那 覇 支 部 結 成 を 指 導 、 ま た 、 那 覇 市 に 共 産 党 細 胞 を つ く っ た 。 選 挙 戦 は 共 産 党 の 独 自 の 活 動 と 労 農 党 の 公 然 活 動 を 結 合 し て た た か っ た 。 井 之 口 は 選 挙 活 動 の 総 括 な ど あ と し ま つ を し て 三 月 1 五 日 に 帰 京 し た が 、 ち ょ う ど そ の 日 が 三 二 五 事 件 の 全 国 的 な 共 産 党 弾 圧 の 日 で あ っ た 。 共 産 党 弾 圧 の 情 報 を 直 前 に キ ャ ッ チ し た 活 動 家 た ち は 関 係 書 類 を 焼 却 、 選 挙 中 の 共 産 党 細 胞 の 組 織 や 党 活 動 の 秘 密 は 完 全 に 守 ら れ 、 井 之 口 は 三 二 五 事 件 の 検 挙 を ま ぬ が れ た 。 帰 京 後 、 ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ の 刊 行 を 続 け た が 、 同 年 一
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月 治 安 維 持 法 違 反 で 検 挙 さ れ 、 懲 役 八 年 の 刑 を 受 け 札 幌刑 務 所 に 入 獄 し た 。 井 之 口 は 札 幌 刑 務 所 時 代 を 次 の よ う に 回 想 し て い る 。 「 三 二 五 、 四 二 六 の 公 判 が 最 終 的 に 大 審 院 の 判 定 で 終 る や 、 徳 田 と 市 川 正 1 は 網 走 、 国 領 と 志 賀 は 函 館 、 秒 間 と 橋 本 は 釧 路 、 私 と 上 野 堅 吉 は 札 幌 へ 送 ら れ た 。 す こ し 北 海 道 で ひ や し て や っ た ら 、 共 産 党 熱 が 冷 め る だ ろ う と い う の が 、 天 皇 の 司 法 官 連 の 唯 物 論 で あ っ た 。 ま た 実 際 、 こ の 唯 物 論 に は ま い っ た 。 私 は 徳 球 と お な じ よ う に 、 沖 縄 の 暖 国 生 れ 、 人 一 倍 の 寒 が り 屋 だ . そ こ へ も っ て き て 、 寒 さ と い う も の に た い す る 知 識 が 全 然 な い 。 札 幌 着 以 来 、 何 の 考 え も な く 、 入 浴 場 へ の ゆ き 帰 り 、 胸 を あ け ひ ろ げ 、 腕 を の び ほ う だ い に し て 潤 歩 し て い っ た ら 、 監 房 に 帰 っ た 後 、 な ん と 胸 か ら 腕 の 奥 ま で 霜 や け に な っ て し ま っ た 。 下 駄 ば き で 氷 の 上 を 歩 い た ら 、 す べ っ て う し ろ に ひ っ く り 返 り 、 後 頭 部 を し た た か う っ て 、 人 事 不 省 に お ち い る と い う 騒 ぎ だ っ た 」 (前 掲 書 1 五 1 頁 )。 世 界 に 類 を み な い 苦 し い 獄 中 生 活 を お く り な が ら も 、 井 之 口 は 、 「雪 の は ら ひ と や の 屋 根 に 烏 の と ま り け り 」 と 、 ゆ う ゆ う 詩 情 を た の し む 楽 天 的 な と こ ろ も あ っ た 。 1 九 四
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年 (昭 和 1 五 )、 再 び 治 安 維 持 法 違 反 で 検 挙 さ れ た が 、 病 気 の た め 刑 の 執 行 停 止 と な っ た 。 戦 後 、 共 産 党 兵 庫 県 委 員 会 の 再 建 に 参 加 、 機 関 紙 ﹃赤 旗 ﹄ の 関 西 総 局 責 任 者 と な っ た 。 ま た 、 阪 神 間 の 労 働 組 合 、 農 民 組 合 、 借 家 人 組 合 、 民 主 商 工 会 な ど の 育 成 の た め に も 大 き な 貢 献 を し た 。 沖 縄 に 関 し て は 、 沖 縄 人 連 盟 関 西 地 区 委 員 、 沖 縄 ・ 小 笠 原 返 還 同 盟 の 活 動 を 通 し て 沖 縄 返 還 闘 争 に 力 を つ く し た 。 1 九 四 九 年 (昭 二 四 )、 衆 議 院 議 員 選 挙 に 兵 庫 二 区 か ら 立 候 補 し て 当 選 、 同 年 共 産 党 国 会 議 員 団 長 を つ と め た 。 1 九 六 七 年 (昭 和 四 二 ) 六 月 三〇
日 残 。 沖 縄 返 還 の 日 を 自 身 で 確 認 し て か ら 死 に た か っ た と 語 っ た と い う 。 真 栄 田 一 郎 二 九〇
五 ∼ l 九 三 三 )短 か い 生 涯 を 無 産 運 動 に さ さ げ た 悲 劇 的 な 活 動 家 で あ る 。 本 名 は 之 環 (し ぼ く )、 の ち に 改 名 し て 1 郡 。 一 九
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五 年 (明 治 三 八 ) 五 月 二 四 日 、 那 覇 市 久 釆 町 に 生 れ る 。 勝 朗 、 篤 顕 、 冬 子 、 三 郎 の 末 弟 で あ る . 長 兄 の 勝 朗 は 新 聞 記 者 、 姉 の 冬 子 は 歌 人 で 伊 波 普 猷 夫 人 。 沖 縄 県 立 二 中 を 中 退 し 、 一 九 二 二 年 (大 正 〓 )、 勝 朗 、 篤 顕 を 頼 っ て 大 阪 へ 出 た 。 大 阪 で は 友 人 の 松 本 三 益 と 交 流 、 真 栄 田 一 郎 は 当 初 ア ナ ー キ ス ト の 活 動 に 同 調 的 で あ っ た が ( 赤 琉 会 に 参 加 す る よ う に な っ て か ら 共 産 主 義 に 共 鳴 、 一 九 二 四 年 に 結 成 さ れ た 関 西 沖 縄 県 人 会 の 中 心 的 な 活 動 家 と な る 。 こ の 間 、 井 之 口 政 雄 の 指 導 に よ っ て 社 会 主 義 の 理 論 学 習 を 探 頻 、 松 本 三 益 と と も に 大 阪 と 沖 縄 の 連 携 に つ い て 具 体 的 な 検 討 を す す め て い っ た 。 松 本 三 益 が 沖 縄 と の 往 来 を か さ ね て 大 阪 の 赤 琉 会 と 沖 縄 の 活 動 家 た ち と の 間 に 一 定 の 協 力 関 係 が 確 立 さ れ 、 1 九 二 六 年 三 月 に は 沖 縄 青 年 同 盟 が 結 成 さ れ た 。 そ の あ と を う け て 真 栄 田 一 路 は 沖 縄 へ 派 遣 さ れ る こ と と な り 、 一 九 二 七 年 (昭 和 二 ) 二 月 帰 郷 し た 。 沖 縄 青 年 同 盟 が 実 践 活 動 を 展 開 し 、 小 学 校 教 員 を 中 心 と し た 社 会 科 学 研 究 会 も 発 足 し た 時 期 で 、 沖 縄 に お け る 運 動 の 高 揚 期 で あ っ た 。 山 九 二 八 年 二 月 、 第 一 回 普 選 に 井 之 口 政 雄 が 労 農 党 公 認 で 沖 縄 か ら 立 候 補 、. 真 栄 田 は 山 田 有 幹 ら と と も に 選 挙 戦 の う け い れ に あ た っ た 。 労 農 党 那 覇 支 部 の 設 立 、 共 産 党 細 胞 の 組 織 な ど 真 栄 田 は 地 元 の 活 動 家 の 根 ま わ し の 先 頭 に 立 っ た 。 選 挙 運 動 の た め 真 栄 田 は 久 米 島 へ 派 遣 さ れ た 。 そ の 留 守 中 に 那 覇 署 は 真 栄 田 に 対 し 出 頭 命 令 を 出 し 令 書 を 留 守 宅 の 者 に 渡 し た が 出 頭 し な か っ た と し て 、 警 審 犯 処 罰 令 に よ る 略 式 命 令 で 科 料 五 円 を 言 い 渡 し た 。 活 動 家 た ち は こ れ を 不 当 と し て 正 式 裁 判 を 要 求 、 仲 井 間 宗 1 弁 護 士 を 立 て て 公 判 闘 争 を 展 開 し 無 罪 を か ち と っ て い る 。 普 選 に 敗 れ た あ と 沖 縄 青 年 同 盟 と 労 農 党 那 覇 支 部 が 解 散 さ せ ら れ 活 動 家 た ち は 警 察 の 追 及 を う け る こ と と な っ た 。 真 栄 田 は 上 京 し て 活 動 し て い た が 、 同 年 八 月 に 帰 郷 、 本 格 的 な 活 動 に入
っ た 社 会 科 学 研 究 会 の 育 成 に 力 を 注い だ ? と こ ろ が 、 こ の 社 会 科 学 研 究 会 も 翌 年 1 月 に は 大 弾 圧 を う け 潰 滅 し た 。 運 動 の 再 建 の た め に ﹃沖 縄 労 農 タ イ ム ス ﹄ を 創 刊 す る こ と に な り 松 本 三 益 を 編 集 発 行 人 と し て 苦 闘 し た が 発 禁 処 分 と 資 金 難 の た め 月 三 回 発 行 も 困 難 で あ っ た 。 松 本 三 益 が 上 京 し た 後 、 新 聞 の 発 行 を ひ き つ い だ が 、 1 カ 月 後 、 松 本 を 追 っ て 上 京 。 運 動 全 体 の 総 括 と 方 針 を 協 議 す る た め 、 松 本 三 益 、 志 多 伯 蒐 進 ら と 「労 農 同 盟 沖 縄 対 策 協 議 会 」 に 参 加 し た 。 1 九 三
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年 (昭 和 五 ) 五 月 帰 郷 、 志 多 伯 克 進 の 帰 郷 を ま っ て 大 域 永 繁 (昌 夫 )、 安 里 成 忠 ら と 協 議 し 、 社 会 科 学 研 究 会 事 件 で 弾 圧 さ れ た 平 良 文 吉 ら と 連 絡 を と っ て 読 書 会 を 再 建 し た 。 こ の 年 二 一月 に は 松 本 三 益 が 帰 郷 し 、 農 村 青 年 と 小 学 校 教 員 の 組 織 化 に つ い て 再 度 協 議 し て い る . 真 栄 田 は こ の 間 に 「沖 縄 県 1 般 方 針 に 関 す る テー
ゼ 」 を 作 成 し 、 農 村 青 年 の 左 翼 化 、・ 小 学 校 教 員 の 組 合 組 織 な ど を 計 画 し 分 担 事 務 を 定 め て い る 。 こ の よ う な 準 備 の も と に 、 1 丸 字 1. 年 (昭 和 六 二 月 、 沖 縄 教 育 労 働 者 組 合 (略 称 オ イ ル ) が 結 成 さ れ た 。 真 栄 EE は 、 志 多 伯 克 進 、 大 域 永 繁 、 安 里 成 忠 と と も に オ イ ル の 中 央 指 導 部 を 構 成 し 、 島 尻 、 那 覇 、 中 頭 、 国 頭 に 地 区 委 員 会 を お き 、 地 区 ご と に 雑 誌 ﹃新 興 教 育 ﹄ の 読 書 会 を 組 織 す る こ と に な っ て い た 。 し か し 、 沖 縄 教 育 労 働 者 組 合 は 、 ほ と ん ど 実 践 活 動 に 入 る い と ま も な く 弾 圧 に 見 舞 わ れ た 。 二 月 五 日 の 真 栄 田 一 郎 の 逮 捕 に は じ ま り 中 心 メ シ バ ー の す べ て が 逮 捕 さ れ た 。 中 央 指 導 部 の 四 人 は 治 安 推 持 法 違 反 で 起 訴 さ れ 、 小 学 校 教 員 二 二 人 が 懲 戒 免 職 と な っ て い る 。 真 栄 田 は 予 審 を 終 わ っ て 拘 置 所 の 中 で 精 神 に 異 常 を き た し 、 身 柄 を 家 族 に 引 き 渡 さ れ た . 実 家 は 年 老 い た 祖 母 一 人 で あ っ た の で 、 身 柄 引 き 取 り に 出 向 い た の は 松 本 三 戒 (三 益 の 弟 ) と 国 吉 真 腎 で あ っ た 。 真 栄 田 は 脳 天 に 10
セ ン チ ほ ど の 生 庇 を 三 本 も つ け ら れ 半 死 の 状 態 で あ っ た 。 同 志 L jち の 献 身 的 な 看 護 が 半 年 も 続 い た が 、 一 九 三 三 年 (昭 和 八 ) 三 月 一 四 日 、 二 八 歳 の 生 涯 を と じ た 。松 本 三 益 二 九
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四 ∼ ) 沖 縄 の 無 産 運 動 の 主 要 な 場 面 に 登 場 し て 決 定 的 な 役 割 り を 果 た し 、 ま た 、 本 土 と 沖 縄 の 運 動 の 連 携 を 具 体 化 し た 活 動 家 で あ る 。 戦 前 だ け で は な く 、 戦 後 の 沖 縄 人 連 盟 の 活 動 や 沖 縄 返 還 闘 争 に お い て も 、 沖 縄 県 出 身 の 共 産 党 員 と し て 、 そ の 理 論 と 実 践 力 は 大 き な 影 響 力 を 発 揮 し た 。 旧 姓 は 真 栄 田 。 一 九〇
四 年 (明 治 三 七 ) 二 月 二〇
日 、 那 覇 市 松 山 町 に 生 れ た 。 家 業 は 小 作 農 で 貧 し く 、 高 等 科 一 年 を 修 了 し 百 貨 店 円 山 号 で 働 い た 。 1 九 二 二 年 (大 正 〓 ) 年 三 月 、 大 阪 へ 出 て 阪 神 電 鉄 入 社 、 こ れ は 同 じ 円 山 号 で 働 い て い た 比 嘉 盛 弘 ( の ち 労 農 党 中 央 委 員 )、 松 堂 恵 賢 の 後 を 追 っ て 出 奔 し た も の で あ っ た 。 入 社 四 ケ 月 め に 阪 神 電 鉄 の ス ー ラ イ キ が 起 こ り 、 こ れ に 参 加 し た 経 験 が 松 本 の 階 級 的 自 覚 の 第 一 歩 と な っ た 。 こ の 争 議 で 賃 上 げ 要 求 は 実 現 し た も の の 組 合 は 会 社 側 と 組 合 幹 部 の 取 り 引 き で 解 散 さ れ て し ま っ た 。 松 本 は 争 議 で 解 散 し た 阪 神 電 鉄 労 組 の 再 建 の た め に 活 動 し 、 1 九 二 三 年 l〇
月 、 組 合 再 建 運 動 の 首 謀 者 と し て 解 雇 さ れ た 。 こ の 時 期 に 井 之 口 政 雄 、 浦 崎 康 華 を 知 る 。 井 之 口 は 関 東 大 震 災 に お け る 共 産 党 弾 圧 を の が れ て 大 阪 へ 来 て い た も の で 、 井 之 口 か ら 松 本 へ 呼 び か け て 関 西 に お け る 県 出 身 労 働 者 の 組 織 化 の 話 が 具 体 化 し て い っ た 。 こ の 両 者 の 相 談 の 結 果 、赤 琉 会 の 結 成 、総 同 盟 予 備 軍 倶 楽 部 の 手 順 が き め ら れ た 。 赤 琉 会 に 参 加 し た の は 沖 縄 出 身 の 青 年 労 働 者 、 阪 神 電 鉄 の 解 雇 者 と 従 業 員 で あ っ た 。 赤 琉 会 の メ ン バ ー は 井 之 口 の 指 導 と 援 助 に よ っ て 、 水 を え た 魚 の よ う に 、 八 方 に 活 動 を 展 開 し て い っ た 。 松 本 ら は 井 之 口 の 指 導 と 助 言 に も と づ い て 、 県 出 身 の 未 組 織 労 働 者 、 失 業 者 を 中 心 に 労 働 総 同 盟 予 備 軍 倶 楽 部 を 結 成 、 メ ー デ ー 、 労 働 争 議 に も 予 備 軍 倶 楽 部 の 旗 を も っ て 参 加 し た 。一 九 二 三 年 (大 正 〓 〓 一 一 月 、 井 之 口 政 雄 の 指 示 で 帰 郷 、 山 田 有 幹 、 渡 久 地 政 悪 、 東 恩 納 寛 敷 ら と 会 合 、 共 産 主 義 者 グ ル ー プ と し て 大 阪 の 赤 琉 会 と 連 絡 を と り あ う こ と を 打 ち 合 せ た 。 こ れ が 沖 縄 と 大 阪 の 運 動 の 結 び つ き の 糸 口 と な り 、 の ち に は 東 京 、 沖 縄 、 大 阪 を 結 ぶ 全 国 的 な 運 動 へ と 展 開 し て い く 。 以 後 、 松 本 は 大 阪 と 沖 縄 の 運 動 の 連 絡 調 整 係 り と し て 往 来 す る こ と に な る 。 1 九 二 四 年 (大 正 二 二 ) 二 月 、 関 西 沖 縄 県 人 会 の 結 成 大 会 が 開 か れ た 。 県 人 会 結 成 の 準 備 は 赤 琉 会 の メ ン バ ー が 中 心 と な っ て す す め て き た も の で 、 表 向 き は 親 睦 団 体 と し な が ら も 事 実 上 は 労 働 組 合 的 な 性 格 の も の を め ざ し て い た 。 井 之 口 政 雄 、 浦 崎 康 華 と と も に 医 師 の 渡 口 精 鴻 を 訪 ね て 会 長 就 任 を 要 請 す る な ど 各 方 面 に 配 慮 を し な が ら も 実 質 的 に 無 産 者 の 組 織 と し て 推 進 し よ う と し た 。 沖 縄 方 言 で 演 説 や ビ ラ で 呼 び か け る と い う 考 え 方 も 、 出 稼 労 働 者 の 実 態 を 十 分 に 掌 握 し て い た か ら こ そ 浮 か ん で き た ア イ デ ア で あ っ た 。 松 本 は ま た 県 人 会 の 機 関 紙 ﹃同 胞 ﹄ の 編 集 発 行 人 と な り 、 県 人 会 を 基 に し て 大 阪 の 地 域 の 無 産 運 動 と 深 く か か わ っ て い く こ と に な る 。 松 本 は 一 方 、 総 同 盟 傘 下 の 大 阪 合 同 労 組 の 常 任 と な り 、 県 人 会 の 手 づ る な ど で 末 組 織 労 働 者 の 組 織 化 の た め に 全 力 を あ げ て い っ た 。 松 本 は 自 ら も 語 っ て い る よ う に 、 井 之 口 の 指 導 を 受 け る よ う に な っ て 以 来 、 「魚 が 水 を え た よ う に 」 活 動 の テ ン ポ を 急 速 に 幅 広 く 展 開 し て い っ た 。 一 九 二 四 年 五 月 に は 、 井 之 口 に つ れ ら れ て 、 兵 庫 県 西 垂 水 に 住 ん で い た 山 川 均 を 訪 問 、 労 働 問 題 や 沖 縄 県 人 間 題 な ど で 懇 談 し て い る 。 若 い 松 本 に と っ て 感 激 と 緊 張 の 一 場 面 で あ っ た 。 同 年 七 月 、 県 人 会 の 基 金 募 集 の た め 、 渡 嘉 敷 周 子 ら 五 人 の 代 表 団 の 一 人 と し て 帰 郷 、 照 屋 寛 範 牧 師 の バ プ テ ス ト 教 会 を 拠 点 に 各 地 で 講 演 会 を 開 催 し 出 稼 労 働 者 の 窮 状 を 訴 え た 。 こ の 基 金 募 集 に 対 し ﹃沖 縄 タ イ ム ス ﹄ は 一 九 二 五 年 四 月 三
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日 の 紙 上 で 「在 阪 県 人 会 幹 部 の 不 始 末 」 と 題 す る 中 傷 記 事 を 掲 載 、 県 人 会 で は こ の 記 事 の 取 消 糾 弾 の 派 遣 委 員 と し て 松 本 を 五 月 に 帰 郷 さ せ 、 再 び 那 覇 市 で 講 演 会 を 開 い て い る 。一 九 二 五 年 (大 正 1 四 ) 1
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月 、 無 産 青 年 同 盟 大 阪 府 委 員 長 と な っ た 。 山 辺 健 太 郎 は 次 の よ う に 書 い て い る 。 「 は じ め 中 心 に な っ た の は 沖 縄 の 連 中 で し た 。 大 阪 に 沖 縄 県 人 会 と い う の が あ り ま し た が 、 こ れ は 1 種 の 労 働 組 合 の よ う な も の で 、 そ こ に み ん な 集 ま っ て い ま し た 。 働 き に 来 て い る 人 は み な 劣 悪 な 条 件 の 下 で 働 い て い ま し た か ら 、ご く 自 然 に 組 合 み た い な 雰 囲 気 に な っ て い た ん で す ね 。 こ れ が 大 阪 で は 中 心 に な っ て 、青 年 同 盟 を つ く り 、 初 期 の 委 員 長 は い ま の 松 本 三 益 、 当 時 は 真 栄 田 と い っ て い ま し た 」 (「 反 軍 闘 争 と 青 年 同 盟 」 ﹃季 刊 現 代 史 ﹄ 通 巻 四 号 )0 こ の よ う に 大 阪 の 無 産 青 年 同 盟 は 沖 縄 県 人 会 の 先 進 的 な 青 年 労 働 者 を 中 心 に 、 日 本 労 働 組 合 評 議 会 の 青 年 労 働 者 と 水 平 社 青 年 同 盟 、 日 農 左 翼 な ど が 参 加 し て 結 成 さ れ た も の で あ っ た 。 こ の こ ろ 井 之 口 政 雄 は ﹃無 産 者 新 聞 ﹄ 記 者 と し て 上 京 し 、 大 阪 を ひ き は ら っ て い た 。 た ま た ま 、 渡 久 地 政 暦 が 沖 縄 の 情 勢 報 告 に き て い た の で 、 松 本 は つ れ だ っ て 上 京 、 無 産 者 新 聞 社 で 井 之 口 に 面 会 報 告 し た の ち 、 日 本 共 産 党 再 建 中 央 ビ ュ ー ロー
の 責 任 者 徳 田 球 1 を 自 宅 に 訪 問 、 情 勢 に つ い て 懇 談 し て い る 。 沖 縄 の 運 動 が 全 国 的 な 運 動 の 1 環 と し て 位 置 づ け ら れ て い っ た 時 期 と み て よ い だ ろ う 。 一 九 二 六 年 (大 正 1 五 ) 三 月 帰 郷 し て 沖 縄 青 年 同 盟 結 成 を 指 導 、 三 月 1 四 日 那 覇 市 公 会 堂 で 結 成 大 会 を 開 く 。 青 年 同 盟 の 結 成 に よ っ て 、 沖 縄 の 運 動 が 組 織 的 に も 全 国 の 運 動 と 結 び つ い て い っ た 。 同 年 六 月 、 関 西 紡 織 染 物 労 働 組 合 常 任 委 員 、 争 議 部 長 と な り 、 東 洋 紡 績 三 軒 家 工 場 三〇
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人 の 争 議 を 指 導 、 ● 九 月 騒 擾 罪 で 逮 捕 起 訴 さ れ 、 1 九 二 七 年 ま で 大 阪 刑 務 所 に 入 獄 し た 。 一 九 二 八 年 (昭 和 三 ) 二 月 、 保 釈 出 獄 中 で あ っ た が 、 第 1 回 普 選 に 労 農 党 公 認 と し て 沖 縄 か ら 立 候 補 し た 井 之 口 政 雄 の 選 挙 オ ル グ 、 政 治 秘 書 を か ね て 帰 郷 。 那 覇 市 に 共 産 党 細 胞 を 組 織 す る と と も に 、 労 農 党 那 覇 支 部 結 成 を 井 之 口 と と も に 指 導 し た 。 井 之 口 は 最 下 位 で 落 選 し た が 、 那 覇 市 に お け る 労 農 党 の 影 響 は 大 き く 、 普 選 直 後 の 三月 八 日 、 松 本 ら は 国 際 婦 人 デ