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<研究ノート> ぼろつくろい

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Academic year: 2021

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これは、﹁研究ノート﹂などと呼び得るかどうか知ら ないが、かって発表した卑見に関して、いろいろな方か ら教示を与えられ、それによって当初の見解を修正した り、再考させられたりしたことについての、メモといっ たものである。 能持自相﹁自相を持するから法である﹂という有名な ﹁法﹂の定義は雑心論︵巻一︶や倶舎論︵”且冒旨&.や巴 に見える。その中の﹁自相﹂という語にこそ注意す、へき であって、法の相には自相と共相とがあるのに﹁法を定 義してのぐゅ3日目制︲巨賜農騨立圃H眉副と言わずにmくい︲ 巨肉の四国四邑目昌口弾とした所にはそれだけの意味を認め ねばならぬ﹂と述尋へたものが、活字になって︵﹃倶舎論の 研究﹄七八。ヘージ︶のち、玉井威氏らによって﹁自相・共 四■■■■・■■■■虹。■■”■l・・■■・・日■・ヰ・’ご・・■口哺■■

研究ノート

ぼろつくる

い 相を持するから法である﹂という句がチャンと出典角鼠 壱届怠.旨︶を示して挙げられているのを知って、参って しまった。ヤショーミトラ疏のその箇処を読まなかった 筈はないのに、全くそれに注意を怠っていたのである。 念のためヤシ日−ミトラ疏のチ。ヘット語訳を検して見た が、やはり﹁自・共相﹂となっている。 本論の定義においてただ﹁自相﹂とだけあるのを、な ぜここでヤショーミトラがことさらに﹁自・共相﹂とい っているのか、いまなおそれを明快に説明できないが、 定義の中で用いられている﹁この自相の語は、共相と相 対せしめられる語なのであるが、この場合には、さうい ふ自相・共相をひっくるめて、広い意味でそれを自相と いふのである﹂とかつて述べ︵印度学佛教学研究一T二︶、こ

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の定義は、法がそれ自身の在り方をもって⑳ぐ号厨ぐ騨冨⑳ に存在すること、仮としてでなく実として︵日画ぐ制言い︶ 存在することを、示したものである、と理解した点は、 今も、誤っていないと考えている。 シャマタデーヴァシャマタデーヴァの倶舎論註︵﹁註﹂ というべきかどうか疑問であるが︶ウパーイカの存在を 知ったのは寺本椀雅・山口益﹁西蔵文倶舎論破我品訳﹂ ︵佛教研究二’一、二︶の諸言によってであった。ちょうど その項、法瞳の﹃倶舎論稽古﹄や天海の﹃聡明論至要篇﹄ を読んで︵﹃稽古﹄の﹁題言八則﹂の中で若き天才が揚 げる万丈の気炎に感銘したりして︶いたから、それらよ り遠き以前すでにインドにおいて、同工異曲の疏が、し かも量的にも質的にも遙かに勝るものが、作られていた ことに、また、感激して、いつとき一所懸命になってそ れを読んだ。 しかし、山口先生の記念論集︵昭和三十年︶に﹁シャマ タデーヴァの依用する中阿含について﹂を書いたのみで、 それ以後のほとんどこの疏についての勉強を放棄してい たのに、近年、本庄良文氏があいついで同疏についての 研究成果を発表され、その中で、しばしば私の説の短を 補い、誤りを訂して下されているのを、実にありがたい ことに思一つ。 私が上記の論文に﹁現存漢訳中阿含の組織の上に直ち にその対応を見出し難いものもある﹂として三経を例示 したのは、私の考察の不行届きであって、本庄氏︵佛教 論叢第妬号︶によって、実はその対応経を見出し得るこ とが確認された。また、﹃倶舎論の研究﹄二五五。ヘージ 第一五行の前半は、シャマタデーヴァ疏に基づいて本庄 氏︵佛教論叢第型号︶が注意されたように、﹁また、︹世尊 は比丘らに向って︺﹂と訂正す尋へきものである。同三一 二・ヘージの註︵2︶に挙げる経名も、本庄氏の教示によ って、﹁切凹眉目昌冨経﹂とすべきであり、それは中一 一九擬慧地経に相当する。 如歸餌員冨冨や入阿毘達磨論の著者を塞建地︵陀︶羅I の冨且巨匿とする︵一般に受け入れられている︶説に、 かって疑問を呈した︵缶冒己冒門目習い菌39四画ロロ国①目︲ 津①Q炉口守屋○批zPぐゅz巴四pQp旨四声画く旨四門p詞朋①胃○面もロずぽ︲ ○四丘○口ぐ○].p︺岳g自佛教語の研究﹄一二一’二。ヘージ︶。 陽画目ご訂というような名は他に全く知られていず、そ れはS・ビールの西域記訳に初めて出る︵T・ワッタース 訳もそれを踏襲︶に過ぎない︵南条目録では塞建陀羅Ⅱ 普盟目冨愚とする︶、と考えたからである。入阿毘達磨 45

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論のチベット語訳は著者名を記していないし、﹃光記﹄ や﹃宝疏﹄が塞建地羅に註して﹁唐言悟入﹂としている のも不審を強めるものであった。 ↑・旨.く酋昌ぐの]普①日の入阿毘達磨論フランス語訳︵冒 茸農威Qロ﹄P。①、o①口蔚口四︺扇旨◆己Ho甘口Q①胃gQ①﹄︾シHロ四計 留日ロ&]建四︾刷厘巨旨四武○早口o﹄寓口黒拝冒佇○国①ロ庁巳射蔚。①Fop︲ くぃ冒忌︶↑の序論は、右に記したす零へての事情に言及しな がらへ・論の著者名として曾畠目巨置を採るに蹟路してい ないが、濤踏しないことに別段の理由を挙げているわけ ではない。・︽ ︽百済康義氏の﹁入阿毘達磨論の註釈書について﹂︵印度 学佛教学研究二九’一︶は、ウィグル佛典中に存する入阿 毘達磨論の註釈の断片七葉についての調査研究報告であ るが、それによって、それらの断片中に見える論の著者 名には﹁︹漢訳︺﹃入阿毘達磨論﹄の著者︹名︺塞建地 訓︹陀︺、羅から一・般に推定されているサンスクリット語形 四s目冨旨を支持するもの﹂がある、ということを教え られたやもっとも、インド名をウィグル文字で写したそ れが︵例えば習盟且富国という形よりも︶際P且言函 という形に近いと見られることは、ただちに入阿毘達磨 論の著者名がまさしく堕自且巨旨であったことを証する ものではなかろうから、私の疑問は、百済氏の教示によ っても、すぐさま撤回してしまうわけにはゆかない。 諭書の原形と現形坂本幸男論文集第一﹃阿毘達磨の研 究﹄︵昭和五十六年、大東出版社︶に収められる﹁﹃大毘婆沙 論﹄に引用された﹃品類足論﹄について﹂は、早く昭和 十年﹁宗教研究﹂に発表されたもので、かつて︵今は取 り壊された古い大谷大学佛教学研究室の片隅で︶一読し理 た記憶があるが、ずいぶん綿密な論文である。そこでは、 婆沙諭に見える品類論からの引用がいちいち精査され、 その結果、品類論に種々の異本があったこと、品類論の 本文にはその成立以後に数今の訂正の手が加えられてい ること、その修正がなされたのは婆沙論の編墓よりのち 倶舎論の製作より前であること、などが見事に論証され ている。 一旦成立した論害が、その後の教義学の発達によって 訂正あるいは加筆される結果、幾種かのテクストをある いはH①8易5口を生むということは、稀でなかったと 考えられる。それは、当然、六足論のような初期の諭書 の場合に多かったであろうが、倶舎論のような高度に完 成の域に達した論書の上に、もずいぶん見られるのであっ て麺われわれはその痕を、現存する梵・蔵・漢の四種の 16

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倶舎論本文の上に、あるいは現存する三種の倶舎論註の 中に引用された本文の上に、間々見出すことができる。 そこで諭吉の原形と現形との間の問題が生ずる。それ は諭書の成立の先後を考える場合、当然、はなはだ重要 なこととなる・ゞ現形に重きをおいて論ずるか、想察され る原形の方に重きをおくか、によって見方は大いに異っ て来るであろうからである。 ,田中教照氏の﹁集異門足論における修行の問題﹂︵佛 教学7︶は、集異門足論に説かれる修行道について、 、﹁古い時代から受け継いだ、佛教徒としての基本的な修 行道﹂と﹁新しい解釈から派生した﹂有部独特の﹁見道 論﹂との二つを、弁別し得ることを論ずる。氏はもとよ り﹁諭書が一時に現形を成立させたものでないこと﹂を 認めるが、そこに新、、旧段階を異にする内容が見出され るとき新しい段階のものを﹁後世の者の改編だとか編入 ・附加だとかいって無視する必要性﹂はなく﹁現存の衆 異門足論は現存のままで正当に位置づけられることが必 要﹂であると主張して、集異門論のような﹁後代の発達 ク藍I した概念をとり入れ易い﹂論書に新しい要素が見られて もそれを重要視することはないとする山田竜城博士の見 解と対立する。 説一切有部独特の法の体系である五位の説が品類論に おいて﹁創唱﹂されるのではなく、三世に実有なる法の 観念が識身論において初めて見られるのではなくて、い ずれもすでに集異門論︵や法溌論︶の上に見出される︵﹁倶 舎論の研究﹄五二、六六、一○八・ヘージ︶ところから考えて も、有部独特の見道論が集異門論の中に見出されること は異とするに足らない。それらの︵発達した︶有部学説 を含むものが、論耆の原形としてあったか否かは難しい 問題であるが、たとえそれがいずれであっても︽﹁諸論 書を通観してその上にざ四m目に発達の段階を認める﹂ ところに集異門論を有部の﹁第一期の諭書﹂の一と見る 考え方は、それを改める必要がないと私は思う。 極微説坂本博士の﹃阿毘達磨の研究﹄の巻頭には、極 徴説についての二篇の論文が置かれている。その中で博 士は、説一切有部の極微説の難点に触れて﹁このことに ついては何ら理論的説明が与えられていない﹂﹁さらに 吟味せらるべきである﹂﹁この問題の解決は未だなされ ていない﹂﹁説明はいよいよ困難となる壱免れない﹂な どの言葉を列ねておられる。 実際、極微論のさまざまな問題について、有部の論害 はしばしば答える所がないか、、あるいは極めてあいまい 47

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に答えるかにとどまっている。要するに極微説は、﹁も ともと他の思想体系から借用したものであり、しかもそ れ自体単純未発達なもので、佛教における色法の観念に ほとんど何物をも加えるところが無い。かえって、それ は法の理論とも四大および四大所造という観念とも本来 あい容れない点で、この学派における色法についての考 え方を混乱させたという尋へきであろう﹂︵﹃講座佛教思想﹂ 第一巻、四二。ヘージ︶というのが私の結論である。 念仏と称仏のちの浄土教念佛門の展開を念頭において、 初期佛教経典の中にそれに関連する事項をさぐると、念 佛すなわち佛を随念することと︵g目冒日鯉口屋“の閏鼻身 冒&園ごロの3は︶、称佛すなわち﹁南無佛︵ロ塑昌。︹国朋四 g凹鴨ぐ胃。胃:鼻○の四日目爵騨日︲︺盲目菌の、騨一︶﹂という帰 依表白のウダーナを唱えることと、の二つの要素が見出 されることにかって注意し、その念佛と称佛とが一つに 結びつくことについては﹁なお種々の究明と考察を必要 とする﹂と述令へた︵﹁念佛と三昧﹂、﹃佛教思想論集﹄八九六。ヘ ージ︶。念佛は称佛と本来は関係なく、それが称佛と分 かち難く結ばれるのは、後代東アジアにおいて浄土教が 発展してからのことである、としばしば主張され、ある いはさらにはっきりと、それは唐代の善導以後のことで あると主張されていることに対して、果してそうであろ うかという感をかねて抱いていたからである。 梵文無量寿経において、﹁称名﹂とは、︵諸佛が阿弥 陀︶佛の名をほめ讃える意であって、名を唱える意では ない、ということを詳細に論じた畝部俊英氏の論文︵同 朋佛教第皿号︶を読んでも、右の感じは去らなかった。 冨凰︲く罰詳などの語がそのような意であることは、﹁南 無佛/﹂というゥダーナを唱える︵且習秒白目目の蔀︶こと やそれと﹁念佛﹂が結びつくことと、別な問題であるか らである。 このごろ抜刷の恵送を恭うした奈良康明博士の一論文 ︵﹁餓鬼観変遷の一過程とその意味﹂、﹃大乗佛教から密教へ﹂所 収︶には、罰四目四目留留自習四などのアヴァダーナ文献に おいて﹁世尊に浄信を発す︵g品騨ぐ3.詳冨日号巨冒騨鼠︲ 目冒は︶﹂とか﹁三宝を念ずる︵3日目3着目、日胃島︶﹂と かいう句と﹁南無佛・法・僧と唱える︵目四日○盲目冨冒 号自日葛四m騨冒唱母の陣く昌島︶﹂という句とが結びついて 用いられている例が示されている。奈良博士はそこに、 民間信仰のレヴェルにある要素と、佛教本来の出世間的 悟りのレヴェルにある観念や行法との融合を見ようとし ておられるが、私には、右の浄信や称南無佛︵法僧︶は 48

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本来在家佛教的な実践で、出家僧団の出世間的理念とは むしろ別なものであるように思われる。 出家僧団の佛教と在家信者層の佛教との別は、最も初 期の佛教社会においてすでに明らかに存在しており、在 家佛教の場においては、その初期から﹁南無佛/﹂とウ ダーナする﹁称佛﹂がおこなわれていたことに何の不審 もない。ただ、それと、必ずしも在家佛教的要素とはい えない︵広義の三昧の一形態である︶﹁念佛︵佛随念︶﹂ あいは﹁念三宝﹂と、の明らかな結びつきの跡を、どこ まで遡って確認し得るか、が課題である。 如実修行世親造の釈経論として現存するものの多くは 北魏の菩提流支によって漢訳されたものである。それら を通じて﹁如実修行﹂ということば遣いが三十数回も見 出され、それは﹁やや目につく程度﹂の﹁慣用句﹂とな っているから﹁そこに一定の意味内容を考え、特定原語 を想定することはむしろ自然である﹂と考えた︵﹃佛教語 の研究﹄所収﹁世親の﹁浄土論﹄に見える﹁如実修行﹂の句に ついて﹂︶。そして、チベット語訳の存する﹃文殊師利問 経論﹂﹃十地経論﹄の上で、その原語の探求を試み、そ れが︵e︺胃白山︲︶四目ロ呂胃自画官昇君沙昏であることを確か め得たように思われたので、そのことを小論に纒めて横 超博士編﹃北魏佛教の研究﹄に寄稿したのであったが、 そのときは内心にいささか得意な気持があった。単なる ﹁如実修行﹂という漢語の字面からしては、それの原語 が昌旨目胃冒名目茸冨昏であるというようなことは、多 分、思いもよらないことである、と思い、チ今ヘット語訳 の上にそのような原語を発見し得たことにかなり満足し ていたからである。 近頃、島津現淳氏の﹁﹃深密解脱経﹄の如実修行につ いて﹂︵印度学佛教学研究三○’二︶を読んで驚いたことに、 菩提流支はその訳業の中で﹁如実修行﹂を、実にさまざ まな原語の訳語として、用いているのである。島津氏は それを、留日目白時日○8口四︲の員昌の漢・蔵諸訳を対照し つつ流支訳﹃深密解脱経﹄の上に確かめておられるので あるが、そこで、訳語﹁如実修行﹂は、号胃目圓口号胃目四︲ 買四は冨昌に対応するほか、冒盟﹂冒昌蟹の冒四武冒註︺ 8昌冒どゅご妙。胃薗︾9割巴届く︺胃昌○悪等々の語にも対 応して用いられている。 ﹁如実修行﹂に﹁特定の原語﹂の存在を考え、粗漏な 探索によってそれを見定め得たように思っていた短見を 恥じると共に、いまさらにすぐれた佛典漢訳者の自在な 用語法について細心の注意の必要なことを知らしめられ 49

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た。ここには、かつて鳩摩羅什の用いた﹁功徳﹂という 漢訳語について考察して小論︵﹁功徳という語について﹂大 谷学報五六’四︶に載せたのと同様な事情が見出されるよ うであり、そのときにも記したことであるが﹁なおひろ く諸佛典に亘って精査し、考察して見なければならない﹂。 50

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