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中国魂琴南北勢の修琴文学における
ノ形似表現と玄学表現の分析及び相互関導に関する研究''
課題番号136,10531 平成1 3年卑∼平成1 5年度科学研究費補助金(基盤研究(G) (2))
研究成果報告考J
/平成16年3月
研究代表者 佐 竹.保 子
(東北大学大学院文学研究科助教授)
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研究課題名 中国貌晋南北朝の修辞文学における形似表現と玄学表現の分析及び相互関連に関する 研究(課題番号 13610531) 研究組織 研究代表者:佐竹 保子(東北大学大学院文学研究科助教授) 交付決定額(配分額) (単位:千円) 年 度 直接経費 間接経費 平成1 3年度 平成1 4年度 平成1 5年度 総 計 1 500 0 800 0 1000 0 3300 0 研究発表 (1)学会誌等 佐竹保子「張華楽府の新味」 (『桃の会論集』初集平成1 3年6月) 佐竹保子「二人の辞仙詩人-庚闇と郭瑛-」 (『漢文教室』 188号 平成14年2月) 佐竹保子「陸機「演連珠」の構成上の特質」 (『六朝学術学会報』第4集 平成1 5年3月) 佐竹保子「陸機の天人対-先秦から西晋に至る対偶の-様相-」 (『集刊東洋学』第89号 平成15年5月) 佐竹保子「陸機「演連珠」五十首について-その多元性と叙情性-」 (『日本中国学会報』第55集 平成15年10月) 佐竹保子「郭瑛「客倣」訳注およびその位置づけ」 (『東北大学中国語学文学論集』第8号 平成1 5年1 1月) (2)出版物 槍福海・劉埼・呉噴峰主編 『≪昭明文選≫与中国伝統文化』 (書林文史出版社 200 1年6月) (論文発表)佐竹保子「疾馳之逸民」 佐竹保子『酉晋文学論』 (汲古書院 平成1 4年2月) (3)学会発表 佐竹保子「連珠ジャンルにおける陸機「演連珠」の位置」 日本中国学会第五十三回大会 於福岡大学 平成13年10月7日 (4)その他 佐竹保子「六朝文学の幕開け」 週刊朝日百科世界の文学104 平成13年7月22日
ー1-郭瑛「客倣」訳注およびその位置付け はじめに 佐竹保子 中国三世紀末からEg世紀初め、その数十年前に中原の魂王朝から禅譲を受け南方の呉王 朝を滅ぼして全土統一を成し遂げた西晋王朝は、王族内部の権力闘争と北方民族の進攻で、 四分五裂の惨状を呈していた。有力者を始めとする西晋人たちは、黄河中流域のみやこ洛 陽を棄て、あるいは西へ あるいは南-と移動を開始する。西晋はかくて三一六年に崩壊 するが、南下した有力貴族と王族たちは、長江下流の建康(南京)にみやこを定め、東晋 王朝を開いた。 この西晋滅亡前夜から東晋建国初期までを生きた特異な詩人に、郭瑛がいる。彼の代表 作は、六世紀前半のアンソロジー『文選』に採録される「辞仙詩」七首と「江賦」である が、さらにもうーっ注目すべき作品がある。 『晋書』巻七十二郭瑛伝に収められる「客倣」 という韻文である。 「客倣」は、漠代から六朝にかけて盛行した「設論」というジャンルに属す。 「設論」 は、主と客との問答体をなす。客がまず主の不遇を侮り、主がそれに弁明する。主客の問 答は、対偶と典故を駆使した華やかなスタイルで綴られていく。この「設論」というジャ ンルの特性や、そこに属する作品群、それらの変遷の過程については、かつて記述したこ とがあるので、詳しくはそちらを参照頂ければ幸いである*1。 さてこの「設論」については、五世紀末の劉鹿『文心離龍』 *2にも言及がある。 『文心 離龍』は、従前の文学理論と批評を集大成したと考えられる*3評論の大著である。その 雑文篇第十四に、まず「設論」の源流として紀元前三世紀の宋玉の作とされる「対間」を 挙げ、次いで歴代の「設論」を次のように評す。以下に原文を、対偶の間に「;」、押韻 字の直後に句点を付して提示する。 自対間以後、東方朔効而広之、名為客難、託古慰志、疏而有弁、揚雄解頓、雑以話語、 過環自釈、頗亦為工、 班国賓戯、合致采之華;雀常連旨、吐典言之式*4。 張衡応間、密而兼雅;雀塞*5客蔑、整而微質。 寮監釈海、体奥而文柄;郭瑛*6客倣、情見而采蔚。 錐迭相祖述、然属篇之高者也。 至於陳思客間、辞高而理疏;庚鼓客苔、意栄而文博。
-84-斯類甚衆、無所取裁臭。 「対間」ののちには、東方朔が(「対間」を)真似て敷術し、 「客難」と名づけた。 いにしえの事例に託して自らの思いを慰め、荒っぽいが口達者。揚雄の「解噸」は、 冗談をまじえつつ、念入りに弁明し、これまたみごと。 班国の「賓戯」は、文彩の精華を含み、雀額の「達旨」は、典雅な模範を述べた。 張衝の「応間」は、事細かだが品格があり、雀嘉の「客畿」は、整っているが骨太さ に欠ける*7。 察畠の「釈海」は、内実が深奥なのに文章は光り輝き、郭僕の「客倣」は、情感が分 明なのに文彩が豊かに茂る。 (これらは)前作を手本に襲っているが、文章としてレベルが高い。 (だが)陳思王曹樺の「客間」などは、文辞は立派でも論理が荒く、庚鼓の「客賓」 は、意気は盛んだが表現が衰弱している。 こうしたたぐいはきわめて多く、ここに取り上げる価値もない。 『文心離龍』が「属文の高き者」として評価するのは、前漢の東方朔「客難」、揚雄「解 噸」、後漠の班固 r賓戯」、雀願「達旨」、張衡「応間」、雀塞「客讃」、寮監「釈轟」、晋 代の郭瑛「客倣」の八篇である。 八篇のうち、漢代四百年間の作が七篇までを占め、三国から六朝斉まで三百年間の作は、 郭瑛「客倣」一篇に止まることに、まず着目したい。 続いて「取裁する所無き」 「類」として、晋代の庚鼓「客沓」や魂の曹植の「客間」が 例示される。 上の曹植は、 『文心離龍』とほぼ同時期の詩論・詩評の書である鍾蝶『詩晶』によって、 当代までの最高の詩人と絶賛される人物である*8。 『詩晶』の評は五言詩に関するものだ が、今に残る曹植の作品を見れば、その「洛神の賦」 「七啓」 「王仲宣の諌」などが『文 選』に採録されており、五言詩以外の韻文ジャ′ルにおいても際だった成就を示している ことが分かる。ただ肝心の「客間」は残念ながら現存せず、その優劣をうかがうことはで きないのだが、少なくとも曹桂が韻文のさまざまなジャンルにおいて、当時に群を抜いた 名手であったことは考慮されてよいだろう。ところが『文心離龍』の「設論」評価は、こ の曹植の「客間」よりも郭瑛「客倣」の方を上と見なす。 郭僕は、詩やその他の韻文のジャンルで曹植を凌駕しているわけではない。 『詩晶』の 評価は中晶であり、 『文選』に採録される詩賦や散文も、曹植二十四篇の多量に対し、郭 瑛は二篇に過ぎない。そうした彼の作の中でかくも高く評価される「客倣」とは、郭瑛の 詩文の中に看過できない位置を占めていることになる。
-85-加えて、前引の『文心離龍』を再度眺めれば、 「属文の高き者」八篇の中でも、寮監「釈 義」や郭瑛「客倣」は、雀塞「客畿」などに比して、両立しがたい二つの美点を兼備した 作と認められているように判断される。 「雀塞」二句の後の句「整而微質」の「微」は、 「張衡」二句の後の句「密而兼雅」の 「兼」と対を為している。 「兼」は、量的な具足を合意し、 「微」はその欠如を表そう*9。 「質」は、『論語』薙也貨に「文質 彬彬として、然る後 君子なり」とあるように、 「文」 とともに古来「君子」の要件となっている。 『文心離龍』においても、その頒讃篇第九に ごと 「馬融の『広成(頒)』 『上林(頒)』、雅なれども蹄の似く、何ぞ文を弄び質を失えるか」、 程器篇第四九に「彼の揚(雄) ・ (司)馬(相如)の徒の、文有りて質無きは下位に終わ る所以なり」とあり、文学者たちの「質」の欠如が批判されている。そうとすれば『文心 離龍』雑文篇における「微質」は、雀是「客磯」 -の定辞と見なせよう。 「微質」の直前 の「而」はおそらく両義的であり、 「整而微質」全体は、 「整っているそのために/しか しその美点とはうらはらに残念にも、質に欠ける」との意味と解釈される。 これに対し、 「察畠」二句の後の句「体奥而文柄」は、 「而」に前後する「奥」と「柄」 とが内向と外向という相反する方向性を含みつつも、 「体奥」 「文柄」自体は「雀塞」評 の「微質」のような旺辞-の傾きをほとんど持たない。とすればこの句は、 「而」に前後 する本来なら両立しにくい二つの美質が、ともに成立している、という意味合いになろう。 つまり「体」が「奥」ならばそれに応じて「文」も深奥になりその結果分かりにくくなり がちだが、そうではなく「柄」、すなわちかがやかしいほどに明らかで鮮やかである、と いうのである。 この「察邑」二句と対をなす「郭瑛」二句も、構造は「寮監」二句と同様であるので、 その後の句「情見而采蔚」とは、 「情見」と「采蔚」が両立し得る稀な状態-の賛辞を含 むと見られる。すなわち、 「情」が「見」れやすいのは一般には何の飾りも曲もない直接 的な言い回しであり、それゆえその文章は文飾に乏しいものとなり勝ちだが、 「客倣」の 場合は「情見」であるにもかかわらず、文飾の豊かさも犠牲にされていない、という含意 であろう。 要するに『文心離龍』の筆致からは、 「属文の高き者」八篇に対する、以下のような位 置づけが読み取れるのである。すなわち、東方朔「客難」と揚雄「解噸」はこのジャンル の筆頭に位置する古典、班固「賓戯」と雀額「達旨」は典雅な範例、その後の張衡「応間」 を経て雀塞「客畿」はやや劣り「質」の寡少という欠点を免れないが、続く寮監「釈海」 と郭瑛「客倣」とは、 「体奥」 「情見」であり、それに伴う悪影響をも克服し、複雑なバ ランスを保ち得ている、というニュアンスである。
-86-つまり郭瑛「客倣」とは、西晋から東晋-の移行期を生きた郭僕にとってその本伝に収 められる代表作であるのみならず、 「設論」ジャンルにおいても両湊の古典的な名作に並 ぶ最後の「属文の高き者」であり、また『文心離龍』に「采蔚」と評される修辞文学の傑 作の一つである、とまとめられよう。 ではその「客倣」とは、具体的にどのような文章なのか。先述のように「客倣」は典故 と対偶の駆使を要件とする「設論」のジャンルに属し、しかも同様に典故と対偶で全篇を 彩る『文心離龍』からさえ「采蔚」と評される修辞性の強い作である。たしかに『文心離 龍』が称するとおり「客倣」の「情」の大要は「見」えないわけではないが、しかしその 文章の豊かな文彩の含むニュアンスや、複雑な文脈の展開の仕方、隅々まで神経が伸びて いくような文辞の細やかな工夫などは、決して一見すれば明白、というものではない。 じつは筆者は以前に、 「客倣」のハイライトの部分だけを抜き出して、その表現の徹底 性について言及したことがある*10。祇幅の関係もありそれ以上の記述を為し得なかった のだが、 「客倣」のそうした特性は、 「客倣」の文章全体を読み解いた上で提示するのが 妥当であろう。 かくて「客倣」の文章のわかりにくさを克服し、さらに筆者前稿の叙述の不足を補うた めにも、 「客倣」全体の訳注を提示する必要が要請されてくる。 従前の研究に「客倣」の訳注が皆無なのではない。管見の限りでも、長谷川滋成「六朝 文人伝- 「晋書」郭瑛伝」 (『中国中世文学研究』一六、 -九八三年。のち『東晋の詩 文』三〇四頁∼三三八頁に収録、渓水社、二〇〇二年)と帝恩彦『郭弘農集校注』 (山西 人民出版社、一九九一年)の中に含まれている。長谷川著は『晋書』巻七十二郭瑛伝の訳 注であり、先述のように郭瑛伝は「客倣」を収録している。また斎著は、明の張樽『漢魂 六朝百三名家集』の収める「郭弘農集」 (明末欽刻本)を校勘し、各篇に注釈を施したも のである。 長谷川著の主眼は、郭瑛伝全体の訳注にある。 「客倣」は伝の一部に過ぎないため勢い その訳注はごく簡潔になっており、 「客倣」の文脈が誰にでも分かるように提示されてい るとは必ずしも言い軒いo いっぽう斎著の注には節略が多く、また訳が付されていないた めに、文脈がさらに分かりにくい。加えて両者の注解や説明に、小稿が肯い得ない箇所も ないわけではない。そこで、屋下に屋を重ねることになるかと憤れつつも、以下に敢えて 小稿の訳注を提示し、世に問う次第である。 小稿は以下のような順序で記述される。 最初に、あらかじめ八段落に分けた「客倣」の原文を一段落ずつ掲げ、その訳を添える。
-87-段落内は、換韻ごとに改行する。 次に段落ごとの注釈を記す。先行する長谷川注と舌注とに同じ箇所-の出典の提示があ れば、まずそれを明記する。その際、斎注の中国簡体字は同意の日本漢字に直す。また斎 注は往々出典名を挙げずに、自らの文章によって原文の語句を説明することが多いが、黄 注のそうした説明部分は重要なものでない限り省略する。 長谷川注や斎注を提示した後に、 「O」印を付し小稿の付加した注を記す。 なお、先行する両注が引用する出典のほぼ同じ部分に小稿が着目していても、依拠した テキストが異なっていたり、小稿がその部分の前後やそこに付される注釈を補いたいと考 える場合がある。こうした場合は「O」印の後に改めて原文を引用するが、先行する両注 に重なる部分は「-」で省略する。また郭瑛の作品を努めて注引するようにする。 小稿なりのコメントは、 「O」印の末尾に付す。 「客倣」の原文は、百納本『晋書』を底本とし、評点本『晋書』や『晋香料注』、 『漠 魂六朝百三名家集』所収「郭弘農集」を参照する。ただし逐一の異同の記載は斎著に任せ、 小稿では字を改める場合以外の異同を記さない。 注釈に用いたテキストは、以下の通りである。十三経は芸文印書館印行『重莱宋本十三 経注疏 附校勘記』 (芸文印書館、一九七六年六版)、二十四史は百納本(台湾商務印書 館、一九三七年初版、一九八一年台五版)、 『楚辞』は王逸章句の影明本(芸文印書館、 一九七四年再版)、 『文選』は尤表本(石門図書有限公司、一九七六年)、 『文館詞林』は 影弘仁抄本(古典研究会発行、一九六九年)、 『北堂書紗』は孔広陶校註本(宏業書局、 一九七四年)、 『芸文類衆』は影宋本(中華書局、一九五九年)、 『太平御覧』は影宋本(中 華書局、一九六〇年)、 『出三蔵記集』は『大正新修大蔵経』巻五五、その他は断り書き がない限り四部叢刊本に拠る。 表記はすべて現代仮名遣い・新字体漢字とする。 I 「客」の侮り 客倣郭生日、 玉以兼城為宝① ;士以知名為賢。明月不妄映② ;蘭在豊虚鮮③。今足下既以抜文秀於叢曹 ;蔭弱根於慶雲。陵扶揺④而妹翻;揮清潤以濯鱗。而響不徹於-皐⑤ ;価不登乎千金⑥。 倣岸栄俸之際⑦ ;譲穎龍魚之間⑧。進⑨不為譜隠⑩ ;退⑨不為放言⑪。無沈冥之韻⑫、而 希風乎厳先⑬。徒費思於錬味⑭ ;暮洞林⑮乎連山⑩。尚何名乎!夫肇麗竜之髭⑰ ;撫翠禽
-88-之毛者、而不得絶霞韓⑱ ;跨天津⑲者。未之前聞也。 客が郭さんをあなどって言った。 玉は二つの街ほどの値があってこそ宝①、士人は名が知られてこそ立派。明月珠はむだ に輝かず②、蘭の花がむだに美しいなどということがありましょうか③。今あなたは文章 の才華で草むらから抜きん出、弱い根(-賎しい出自)を瑞雲に庇ってもらっており、つ むじ風④を凌いで翼をそびやかせ、清らかな波に鱗を洗っています。それなのにあなたの 声は谷の一つにも届かず⑤、あなたの値は千金にもならない⑥。栄光と悲惨との中間でお ごり高ぶり⑦、竜と魚との狭間で頭を振り上げるばかり⑧。官界に進んで⑨ (東方朔のよ うに)冗談に鯖晦する⑳こともできなければ、そこから退いて⑨ (いにしえの隠者達のよ うに)口を閉ざす⑪こともできません。 (厳君平のような)奥深い風格⑳も無いくせに、 厳氏⑬を慕っています。研究の悦楽⑭に無益に心を費やし、 「桐林」 ⑬を書いていにしえ の易の書である「連山」 ⑯を真似ております。これではどうして名を挙げられましょう。 そもそも黄帝を昇仙させた黒い竜の告によじのぼり⑰、薪翠鳥の羽をつかんでいながら、 霞のつらなり⑱を捗ることも、銀河⑲を越えることもできないでいるとは、前代未聞です。 注 ①玉以兼城為宝 長谷川注は『史記』巻八一廉頗列伝を引用する。 斎注は出典を記さず同じ話柄を記述する。 ○ 『史記』巻八一廉頗列伝「括恵文王時、得楚和氏壁。秦昭王聞之、使人達冶王書、廟 以十五城請易壁」 ②明月不妄映 ○ 『文選』巻ニー所収郭瑛「遊仙詩」七首其五「珪埠錐特達、明月難闇投」 ③蘭菰豊虚鮮 ○ 『文選』巻ニー所収郭瑛「遊仙詩」七首其三「薪翠戯蘭苔、容色更相鮮」 ④扶揺 春江「≪爾雅・釈天≫ : "扶揺謂之森"。郭瑛≪注≫ : "暴風従下上也"」 ⑤響不徹於-皐 斎注「≪詩小雅・鶴鳴≫ : "鶴鳴千九皐、声聞干天。"鄭≪葺≫ : "沢中水溢出所為炊、 自外数至九、喰深遠也'',陸徳明≪釈文≫ : "九皐、九折之沢''」 ○ 『毛詩』小雅・鶴鳴「鶴鳴千九皐、 -」毛伝「興也。皐、沢也。言身隠而名著也」鄭
-89-葺「皐沢中、水溢出所為吹、 ・・・。鶴在中、鳴蔦。而野間其鳴声、興者、喰賢者錐隠居、 人威知之」陸釈文「韓詩云、九皐、九折之沢」 (参価不登乎千金 ○ 『三国志』巻十三貌志鍾蘇伝襲松之注「魂略日、 -・太子与蘇書目「-晋之垂棟、魯之 瑛播、采之結線、楚之和撲、価越万金、貴重都城」」 (『文選』巻四二所収魂文帝「与鍾 大理書」にも同様の記載あり) ⑦倣岸栄俸之際 ○ 『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「贈温晴」五章其四「子策膜駿、我案飴轡。進不要声、 退不倣位。遺心隠顕、得意栄俸」 ⑧議席龍魚之間 者注は「≪芸文類衆≫六九引≪辛氏三秦記≫」と記すが、同巻九六の誤りのようだ。 ○ 『芸文類衆』巻九六「辛氏三秦記日、河津一名竜門、大魚集竜門下数千、不得上。上 者為竜、不上者、故云曝鯉竜門」。末一句の「故云」と「曝鯉」とが転倒していよう。 ⑨進不為譜隠;退不為放言 たわむれごと 長谷川注はなく、訳に「語 隠をするでもなく、放言をするでもない。」とあり、原文 の「進」 「退」を訳出しない。 黄注「進、指隠居」 「退、指仕官」 ○ 『孟子』公孫丑上「非其君不事、非其民不便、治則進、乱則退、伯夷也。何事非君、 何使非民、治亦進、乱亦進、伊声也」 『後漢書』列伝第四九張衡列伝「乃設客間、作応間以見其志云: -僕進不能参名於二立、 退又不能季彼敦子」 『後漢書』列伝第四二雀額伝「額擬楊雄解噺、作達旨以答鳶.其辞日: ・・・進不党以讃己、 退不頼於庸人」 「進」 「退」は一般に「出仕」と「隠退」を意味する。前掲の『孟子』公孫丑上や万 章下に記されるのが典型的な例であり、 「客倣」と同じ「設論」ジャンルに属する張衡 「応間」や雀願「達旨」などにも*11同様の意味で用いられている。 前前注⑦所引の郭瑛「温晴に贈る」玉章其四も、 -旬日「子は瑛駿に策つ」と三旬日 「進むも声を要めず」と五旬日「顕」および六旬日「栄」とが温晴の状態を表し、二旬 日「我は飴轡を案ず」と四旬日「退くも位に倣らず」と五旬日「隠」および六旬日「俸」 とが書き手自身を指示すると考えられるから、 「進」が栄達、 「退」が不遇を意味しよ う。 ではなぜ斎注は「客倣」の「進」を「隠居」、 「退」を「仕官」として、一般的な意
-90-味の逆に取るのか。 『文選』巻二一郭瑛「辞仙詩」七首其一に「進めば則ち竜兄を保ち、 退けば藩に触るる粒と為る」とある。唐の李善はこれに「進むは仙を求むるを謂い、退 く句は俗に処るを謂う」と付注し、妥当な解釈と考えられる。 「客倣」の「進」 「退」 に対する斎注の解釈は、同じ書き手の「辞仙詩」七首其-の上述二句及びその李善注に ヒントを得ている可能性がある。 確かに郭瑛という詩人のわたくし語りであるならば、 「進」 「退」は逆意に転倒しか ねない。だがこの解釈は、 「設論」ジャンルに属する「客倣」の文脈を無視していよう。 「客倣」のこの部分で語り手に設定されているのは「設論」ジャンルにおける「客」の 側なのである。 「設論」における主旨は「主」の見解に託されており、 「主」の優れた 見解に対置され論破されるのが「客」である。 「設論」ジャンルの「客」は、いつも常 識に足を取られた度し難い俗物としての役割を担っているのだから、彼の語る「進」 「退」 に、その一般的用法を逆転させた郭僕的特殊性を帯びさせることはできない。それでは 「客」の設定に矛盾が生じてしまう。現に郭瑛自身も、注⑦に示したように、温晴とい う高位の貴族に贈る社交詩の詠じ手としてなら、 「進」 「退」の一般的な用法を踏み外 そうとはしない。よって「客」の発言であるこの部分の「進」 「退」は、斎注とは逆に、 「進は、仕官を指し」 「退は、隠居を指す」ものと考えられる。 ⑩語隠 長谷川注「語隠 語諺と隠語。 『文心離龍』語請貨に「語の言は皆なり.辞浅くして俗 に会し、皆な悦笑するなり。請は隠なり。遊辞以って意を隠し、諦誓以って事を指すな り」とある。」 斎注「進、指隠居。譜隠、即隠居之人」 ○ 『漢書』巻六五東方朔伝賛「応譜似優、不窮似智、正諌似直、穣徳似隠、非夷斉而是 柳下恵」。 『史記』巻一二六滑稽列伝東方朔伝「朔日『如朔等、所謂避世於朝廷間者也』」。 注⑪の○も参照されたい。 ⑪放言 斎注「放言、暢所欲言、不受拘束o 指大胆議論世事」 ○ 『論語』微子篇「逸民、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連。子日-虞仲 ・夷逸、隠居放言、身中清、廃中権」。何畳集解「旬日、放、置也。不復言世務」。劉 宝楠『論語正義』 (河北人民出版社、一九八六年) 「後漠孔融伝『鉄蕩放言』、李賢注『放、 縦也』、又苛韓鍾陳伝論『漠自中世以下、閤竪檀窓、故俗遂以遁身矯潔放言為高』、李 賢注『放韓其言、不拘節制也。論語日、隠居放言』、此解似勝包氏」。 「客倣」本文における「語隠」とその対語の「放言」について、長谷川訳は両語に出
ー91-仕や隠遁の意味合いをことさらに絡ませず、その注にも、出仕/隠遁の文脈とは無関係 な『文心離龍』の文章を引く。 一方斎注は、 「譜隠」を「隠居の人」と言明する. 「譜隠」に対する「放言」も、注 ⑨に掲げたように「退は、仕官を指す」と記す以上、仕官者の行為ととーらえていよう。 「客倣」が「設論」ジャンルに属し、 「設論」が元来、栄達と不遇・出仕と隠居をめ ぐる士人の身の処し方を論ずる文章であり、 「客倣」も一貫してこれらの問題に言及し ていることを考慮すれば、姿勢としては斎注の方が妥当性を持つように思われる。 ただ斎注は、注⑨に示したように、 「進」一句を「隠居」、 「退」一句を「仕官」と逆 転させて解釈するが、この解釈が首肯しがたいことは、注⑨に述べておいた。 そこで斎注とは逆に、 「進」一句が「仕官」を表すとするなら、 「進不為譜隠」はど う読むのが妥当なのか。 「譜隠」は、 「譜に応ずること優(わざおぎ)の似(ごと)く」 「徳を積すこと隠の似し」という、東方朔の「朝隠」の処世を表す記述を典故とすると 考えられる。 「朝隠」とは、 「世を朝廷の間に避け」、仕官しつつ明哲保身を心がける生 き方である。とすれば「譜隠」は、 「話語に隠れる」ことと解釈することができるだろ う。同様に「退」一句が「隠居」を表すなら、 「放言」は、 『論語』の「隠居放言」を そのまま襲うと見なせよう。 ただ上に挙げたように『論語』の「放言」には、 「故は置くであり、時世について口 を閉ざすこと」と、 「好き放題に放言すること」という真っ向から対立する二説がある。 前者に与するのは、漠の包威の説やこれを引く魂の何畳『論語集解』である。後者を明 言するのは初唐の李賢だが、彼の付注する劉采の箔嘩『後漢書』列伝第六十孔融伝に「又 た前に白衣の禰衡と鉄蕩放言*12 して、云えらく『父の子におけるや、当に何の親しき ほしいまま か有るべき・・・」、同じく列伝第五二苛韓鍾陳伝論に「漠は中世より以下、閣竪 檀窓に す。故に俗 遂て遁身矯紫放言を以て高きと為す。士に此れを談ぜざる者有れば、則ち くさかりうしかい 芸夫や牧竪すら巳にこれを叫呼せり」とあるから、 『後漢書』本文も、 「放言」を「口 を閉ざす」意ではなく「云」い「談」ずる意で用いていることは明らかである。 では「客倣」の「放言」はどうか。 「放言」を「発言しない」意ととる『論語集解』 は「客倣」の七十年ほど前に、逆に「放言」を「言い放つ」意に用いる『後漢書』は「客 倣」の百年以上後に出ている。 「客倣」の「放言」は、 「客倣」本文の文脈を辿るかぎ りどちらの意味にも取れる。今はかりに『論語集解』の意味に解釈しておくが、なお博 雅の士の教示を待ちたい。 ⑳沈冥之韻 斎注「楊雄≪法言・間明≫ : ``萄荘沈冥''。李軌≪注≫ : "沈冥、猶玄寂、混然無迩之貌
-92-"」 〇着注は自明なので省いたのだろうが、 「客倣」本文の次句との関連から、晋の李軌の 注文は、 「萄荘」を説明する前の部分も引用したい。李軌注「萄人、姓荘、名連、字君 平。沈冥、 -」 ⑬厳先 長谷川注「厳先 伝未詳」。 帝注「厳光、当作厳平、 ≪晋書・郭瑛伝≫正作厳平。厳平、即厳君平、 -」 〇着注は、 『晋書』郭瑛伝は正しく「厳平」に作ると言うが、管見の『晋書』諸本はす べて「厳先」に作る。 注の⑳○に示したように、前の句とのつながりから、 「厳先」が「厳君平」を指すこ とはほぼ間違いない。しかし「厳君平」が「厳君」 「厳平」あるいは「厳遵」と称され ることはあっても、 「厳先」とは言いがたいだろう。 だが一方「希風乎厳光」 「希風乎厳平」に作れば、 「士以知名為賢」から始まり「模 洞林乎連山」まで続く脚韻からこの句のみが外れて押韻できなくなる。押韻するために は「希風乎厳先」でなければならない。 この句にはもう一つ不可解な点がある。全体が対偶仕立てに終始する極めて整序され た「客倣」本文で、 「無沈冥之韻、而希風乎厳先」のみが対偶に整っていないのである。 この点をも考慮に入れれば、おおむね次のように想像できる。 恐らく元来は「無沈冥之韻」二句と対偶をなす二句がこれに続いており、その最後の 字が「賢」や「山」と押韻する字だったのであろう。対偶の前半二句の二旬日である「而 希風乎厳先」は「而希風乎厳平」か「而希風乎厳君」であったと思われる。ところが筆 写される過程で対偶の後半二句が脱落し、押韻字を含む句が無くなってしまった。その ため、前半二句の二旬日の句末字が押韻字に切り替えられ、強引に「先」字に変えられ たのではないだろうか。 ⑭錬味 ○ 『世説新語』文学篇「荘子遭遥遊篇旧是難処、諸名賢所可鋳味、而不能抜理於郭(象) 向(秀)之外」 『世説新語』は「客倣」より百年以上後の資料ではあるが、東晋のころの清談や玄学 にも憤味」の語が用いられていた可能性が考えられるので、敢えて引用した。源流は 『論語』子苧篇の「仰之弥高、鋳之弥堅」に基づく「錬仰」にあろうが、先秦儒家の憤 仰」と六朝玄学の傾味」とでは、厳正で一途な探究から、複雑で微妙な対象の賞味-と、意味合いがシフトしている点が面白い。
-93-⑮洞林 長谷川注「洞林 書名。郭瑛の撰。」 ○ 『晋書』巻七二郭瑛伝「瑛撰前後霊験六十余事、名為洞林」。ただし『階書』巻三四 経籍志三に著録される「洞林」は「梁元帝撰」であり、郭瑛撰『洞林』は早くに失われ ている。 ⑯連山 長谷川注「連山 三易の-0 『周礼』春官・大卜に「三易の法を掌る. -に連山と日ひ、 二に帰蔵と日ひ、三に周易と日ふ」とある。」 ⑰琴感竜之告 責注は出典を記さずに、黄帝昇天伝説を記述する。 ○ 『史記』巻二八封禅書六「黄帝采首山銅、鋳鼎於荊山下。鼎既成、有竜垂胡輩、下迎 黄帝。黄帝上騎、峯臣後宮従上者七十余人、竜乃上去」 ⑩霞韓 ○ 『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「与王使君詩」五章其四「遭蒙之者、在我幽人。絶志 雲韓、如彼拷鱗。霊蔭謬垂、躍我竜津。 -」。 ⑲天津 ○ 『楚辞』離騒「朝発軌於天津今、夕余至乎酉極」王逸注「天津、東極箕斗之間、漠津 也」 Ⅱ 「郭生」の弁明(1) - 「客」の見識の狭さをたしなめる 郭生薬然而笑①日、 飽満②不可与論雲翼③ ;井蛙④難与量海亀⑤、錐然、将蔵子之惑;訊以未悟、其可乎? 郭さんはきらきらと笑って①言った。 みそさざい②とは雲のような翼の大鵬③のことを語ることができません。井戸のカエル ④とは東海の仙山を支えるウミガメ⑤のことを推量することは難しい。そうは言っても、 私はあなたの考え違いを取り去り、考え不足を正そうと思うのですが、宜しいかな?
-94-注 (》索然而笑 ○ 『文選』巻二一郭瑛「遊仙詩」七首其二「霊妃顧我笑、索然啓玉歯」 ②飴烏 長谷川注「『荘子』遭造遊篇に「飽弟は深林に巣くうも、一枝に過ぎず。値鼠は河に飲 むも、腹を満たすに過ぎず」とある。」 ○郭瑛より一世代ほど上の張華に鰻弟を讃美した「鶴熊賦」 (文選巻一三)があるが、 博威「儀鳳賦序」 (『芸文類衆』巻九〇)や雫彪「鵬賦」 (『芸文類衆』巻九二)は「鶴 弟賦」に反対し、 「飴薦」を定めている。 ③雲翼 斎注「雲翼、即≪荘子・避造遊≫中"翼若垂天之雲"的大鵬鳥」 ④井蛙 なづ 長谷川注「『荘子』秋水篇に「井蛙以って海を語るべからざるは虚に拘めばなり」とあ る。」 6)海亀 ○ 『楚辞』天間「龍戴山拝、何以安之」王逸注「毛、大亀也。撃辛目拝.列仙伝日、有 巨霊之在、背負蓬莱之山、而拝舞戯槍海之中、独何以安之乎」 Ⅲ 「郭生」の弁明(2) -東晋の中興による王朝-の人材集中 乃者地維中絶① ;乾光墜采。皇運暫廻;廓詐推海。竜徳②時乗;季才雲骸。 藷若郵林③之会逸翰;欄若漠海④之納奔清。不煩沓嵯之訪⑤ ;不仮蒲烏之招⑥、需九有⑦ 之奇駿;威抱之於一朝。豊惟豊柿⑧之英;南陽⑨之豪。昆吾⑳挺鋒;駿馬⑪軒宅。杷梓⑫ 競敷;蘭黄争勉。嘆声冠於伐木⑬ ;援類繁乎抜茅⑭。 是以水無浪士;巌無幽人。刈蘭不暇;秦桂⑮不給、安事錯薪平。 さきに地を支える綱が切れ①、天の光りが墜落しましたが、大いなる天運がやがてめぐ ってきて、お世継ぎの幸いを推水や海に及ぼすこととなりました。竜である天子の徳②が 時に乗じて昇り行き、群れなす英才がその下に雲のように集まりました。 その盛んさは大いなる林③が速い翼の鳥たちを集めるよう、鮮やかさは大海④が暴れる
-95-波をのみこむよう。賛辞とともに賢者を訪なう⑤手間もいらず、輪を蒲で包んだ車で賢者 を招く⑥必要もなく、世界中⑦の駿馬を、すべて一つの朝廷に繋ぎ寄せることとなりまし た。前漠のように、その高祖の郷里の豊や柿の地⑧の英雄だけ、後漠のように、その光武 帝の郷里の南陽の地⑨の豪傑だけ、などということがありましょうか0 (朝廷では)昆吾 の名剣⑳が切っ先をそびやかし、繍拓の駿馬⑪がたてがみを振り上げています。おうちと あずさ⑫が競って広がり、蘭と黄が争って伸びています。鳥たちの友を呼ぶ声は『詩経』 の「伐木」の歌を上回り⑬、仲間を引きたてるのは『易』の泰卦にある茅を抜くさまより もごっそりと⑭。 このために水辺には流浪の士が、岩間には隠逸の人がいなくなりました。お上は蘭を刈 るのに忙しく、桂を焚く⑮のにせわしないありさま。どうしてわざわざ粗末なたきざをく べたりしましょうか。 注 ①地維中絶 ○ 『推南子』天文訓「昔者、共工氏与歳項争為帝、怒而触不周之山、天柱折、地維絶」 ②竜徳 斎注「≪易・乾≫ : "時乗六竜以御天''」 ③郵林 長谷川注「郡林 『列子』湯間篇に「考父力を量らず、日の影を迫はんと欲す。 (中略) 道に渇して死し、其の杖を棄つ。戸の膏肉の浸す所、郡林を生ず。郵林の弥広、数千里 あり」とある。」 斎注「≪山海経・海外北経≫ :"考父与日逐走、入日、渇欲得飲。飲干河洞、河洞不足 ;北飲大沢、未至、道渇而死、棄其杖、化為郡林"」 ④亨冥海 長谷川注「漠海 『列子』湯間篇に「終髪の北に、漠海といふ者あり。天地なり。魚有 り、其の広さ数千里、其の長さ称ふ。其の名を鮭と為す。鳥有り、其の名を鵬と為す」 とある。」 ○ 『荘子』途造遊「其名為鵬、 -是鳥也、海運則将徒於南冥、南冥者、天池也」 ⑤沓嵯之訪 長谷川注「沓嵯之訪 出典は、 『晋書』巻三六張華伝に「(張)華は性人物を好み、誘 進して倦まずo 窮賎候間の士に至るまで、一介の善き者有れば、便ち沓嵯称詠して、之 が為に延誉す」か。」
-96-○ 『楚辞』天間「何親授発足、周之命以沓嵯」王逸注「百姓沓唾、嘆而美之也」 ⑥蒲烏之招 長谷川注「蒲烏之招 『漢書』巻八八申公伝に「是に於いて上は使ひをして京島して壁 を加-、安車して蒲を以って輪を裏み、駕射して申公を迎-しむ」とある。」 ⑦九有 ○ 『毛詩』商頒・玄鳥「古帝命武湯。正域彼四方。方命蕨后。奄有九有。」毛伝「九有、 九州也」 ⑧豊挿 長谷川注「豊柿 前漠の第-代天子高祖の出身地。」 ○ 『史記』巻八高祖本紀「高祖、挿豊邑中陽里人」 ⑨南陽 長谷川注「南陽 後漠の第-代天子光武帝の出身地。」 ○ 『後漢書』巻一光武帝本紀「世祖光武皇帝、藩秀、字文叔、南陽察陽人」 ⑳昆吾 長谷川注「昆吾 名剣の産地。」 斎注「≪列子・湯間≫日: "周穆王大征西戎、西戎献鏡錆之剣、火涜之布。其剣長尺有 樫、煉鋼赤刃、用之切玉如切泥蔦''」 ○ 『山海経』中山経「又西二百里、日昆吾之山、其上多赤銅」郭瑛注「此山出名銅、色 赤如火、以之作刀、切玉如割泥也」 『芸文類衆』巻八四「晋郭瑛赤銅賛日、昆吾之山、名銅所在、切玉如泥、火炎其采」 (『正 統道蔵』太玄部『山海経』所収本に拠れば、郭瑛「山海経図賛」中山経赤銅の一節であ る) ⑪繍拓 長谷川注「昏環 良馬の名。」 ○ 『左伝』定公三年「唐成公如楚、有両粛爽馬」杜預注「粛爽、駿馬名」 ⑳杷梓 ○ 『左伝』襲公二六年「声子通使於晋、還如楚。令伊子木与之語、間晋故意、且日『晋 大夫与楚執賢』。対日『晋卿不如楚、其大夫則賢、皆卿材也。如杷梓、皮革、自楚往也』」 杜預注「杷梓、皆木名」。 『北堂書紗』巻一二八「郭瑛詩云、杷梓生荊南、奇才応出世」 (孔広陶の校注に拠れば 詩題は「贈播尼詩」。 『芸文類衆』巻六七は「南荊」 「世出」に作る) ⑬嘆声冠於伐木
-97-長谷川注「『毛詩』小雅・伐木に「木を伐ることTTたり、鳥の鳴くこと嘩喫たり」と ある。」 斎注「≪伐木≫、是≪詩経・小雅≫篇名、詩中有"喫共鳴臭、求其友声''的話、 -」 ○ 『毛詩』小雅・伐木「伐木TT。鳥鳴喫喫。出自幽谷。遷干喬木。喫共鳴臭、求其友 声。相彼鳥臭、猶求友声」 ⑭援類繁乎抜茅 とも 長谷川注「『易』秦に「茅を抜くに茄たり。其の嚢と以にす。征きて吉なり」とある。」 章注「抜茅、 ≪易・泰≫ : "抜茅茄以其匪"。王弼注云: "茅之為物、抜其根而相牽引者 也。茄、相牽引貌"」 ○ 『易』泰「初九、茅抜、茄。以其嚢。征、吉」王弼注「・-茄、相牽引之貌也」 ⑮果桂 ○ 『戦国策』楚策・威王「蘇秦之楚、三日乃得見乎王。 -日『楚国之食貴於玉、薪貴於 桂、謁者難得見知鬼、王難得見知天帝。今令臣食玉炊桂因鬼見帝』」 Ⅳ 「郭生」の弁明(3) -出仕者の危機 且夫窟泉之潜、不思雲翠;無水之采、不羨旭暗。 混光耀於挨藷①者、亦竜顔槍浪②之深;秋陽③之映平、 登降紛於九五④ ;倫湧懸乎竜津⑤。矧蛾以不才⑥陸稿⑦ ;塀地⑧以騰鷲暴鱗⑨。 連城之宝⑩、蔵於褐裏;三秀雄艶⑪、磨干麗采⑳。香悪乎芥;菅悪乎在。 だがさて岩屋の泉に潜むものは、雲間を邦けようとは思わず、光る氷の彩りは、朝日に 晒されたいとは望みません。 輝きを塵境にまじえる①者は、槍汲水②の深みや秋の陽射し③をどうして願ったりしま しょう。 (しかし彼らの真情にもおかまいなく、東晋の中興の折りには)上昇と下降とが御門の 前④に入り混じり、沈没と躍進とが登竜門⑤に繰り広げられました。蟻たちは不才⑥ゆえ に陸に干からび⑦、大蛇⑧は飛騰して鱗を曝しました⑨。 数個の都市にも値する宝⑩が、ぼろ服の中に隠され、霊芝は美しいのに⑪、輝く彩りの 中に潰えました⑫。 (霊芝の)香ぐわしさはどこに発揮されましょう、 (宝の値打ちを知
-98-る)商人はどこにいるのでしょう。 注 ①混光耀於挨藷 ○ 『老子』第四章「道、 -和其光、同其塵」 ②槍浪 長谷川注「槍浪 『孟子』離婁上篇に「濡子有り、歌ひて日はく、槍浪の水清まば、 以って我が練を濯ふべし。槍漁の水濁らば、以って我が足を濯ふべし」とある。」 春江「≪水経・朽水注≫ : "武当県西北漢水中有槍浪洲、水日槍汲水''」 ③秋陽 さら 長谷川注「秋陽 『孟子』膿文公上篇に、 「江漢以って之を濯ひ、秋陽以って之を暴す かうかうこくは とも、晴暗平として尚ふべからず」とある。」 ○ 『孟子』腺文公上「昔者孔子没、 -子夏子張子辞、以有若似聖人、欲以所事孔子事之、 強曾子。曾子日『不可、江漢以濯之、 -』」 (庸岐注「曾子不肯、以為聖人之潔白、如 濯之江漢、暴之秋陽」 ④九五 長谷川注「九五 天子の位。」 斎注「≪易乾≫ : ``九五、飛竜在天、利見大人" ⑤竜津 斎注「≪辛氏三秦記≫日: "河津一名竜門、大魚積竜門数千不得上、 -」以下はⅠの注 ⑧を参照。 ○ 『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「与王使君詩」五章其四「霊蔭謬垂、躍我竜津」 ⑥矧蛾以不才 ○ 『太平御覧』巻九四七「郭瑛-地坪讃日、枇蜂壌劣、虫之不才」 ⑦陸稿 長谷川注は無く、訳は「矧や蟻は不才のために死んでしまい」 責注「陸稿、稿同橋、陸稿猶稿壊。 ≪孟子・膿文公≫下: "夫矧、上食稿嘆、下飲黄泉 "。 ≪注≫云: "土枯無沢、故孟子謂之稿壌。 -謂虻矧蛎蟻無才而食枯土」 o 「陸橋」の先行用例は見出せなかったが、 「稿」が「枯」であることは動かないだろ う。 ただし斎注が「陸稿」を『孟子』に出典を持つ「稿壌」とし「客倣」本文には無い動 詞の「食」を填め込んで、 「稿壌」全体を「枯土を食らう」と解釈するのは、無理があ
ー99-ろう。 「陸稿」を単純に「陸にひからびる」意とすれば、何の問題もない。 ⑧蜂地 ○ 『芸文類衆』巻九六「晋郭瑛-蜂地費目、葱義万生、成以類長、惟地之君、是謂巨蜂。 小則数尋、大或百丈」 (勤暴鱗 斎注は竜門伝説を記述する。 ○ Ⅰの注⑧を参照。また『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「贈温晴」玉章其- 「蘭薄有巷、 玉泉産攻。蚕室含風、灼灼猿人。如金之嘆、如壌之津。擢勉秋陽、凌波暴鱗」。 郭瑛「贈温晴」詩では温晴の輝かしさを讃えるのに「秋陽」 「暴鱗」を用いている。 「贈温情」詩の「暴鱗」が賛辞であり、 『辛氏三秦記』の「曝鯉」のような絶命の意で はないことが気になるが、 「客倣」の「暴鱗」はこの二句前に竜門の故事を織り込んで いることから、文脈上「贈温幡」詩の「暴鱗」とは異なり、 「曝鯉」の意に用いられて いると判断される。 ⑩連城之宝 斎注は出典を記さず「和氏の壁」の故事を記す。 ○ Ⅰの注①を参照。 ⑪三秀雄艶 長谷川注「三秀 霊草。」 ○ 『楚辞』九歌・山鬼「采三秀今於山間、石喬露骨葛蔓蔓」王逸注「三秀、謂芝草也」。 『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「答王門子」六章其- 「廉廉王生、基遠俊心。藻艶三秀、 響譜葡音」 ⑫廉干麗采 かゆ 長谷川注はなく、訳は「麗しい采を粥にすれば」 帝注「廉、磨欄」 ○ 『楚辞』王逸九思・傷時「懸貞良今遇害、将天折今砕廉」。 郭瑛より七歳年下の葛洪の『抱朴子』外貨巻二六畿惑に「魚の水を失えば、暫し仮り に息すと錐も、然れども枯磨せんことは必ずや待つべきなり」とあることから見ても、 この「磨」は「砕磨」ないし「枯磨」の方向で解するのが穏当であろう。 「三秀は艶や いろど′つい かなりと錐も、麗しき采りに廉ゆ」という二句の詩想は、劉向「九歎」思古の「甘菜 は豊草に枯れ(甘菓枯於豊草今)」に類似したものと考えられる。
-100-Ⅴ 「郭生」の弁明(4) -隠逸者の危機 是以不塵不冥① ;不腐不辞②。支離③其神;斎俸其形.形廃則神王④ ;跡盛而名生⑤。 体全者為犠;至独者不孤⑥。倣俗者不得以自得;黙覚者不足以渉無。 そこで(人は)世俗に入らず①、黒や赤の立派な駿馬であろうとせず②、わが精神をば らばらにし③、わが肉体を惟俸させるようになります。 (だが)肉体が棄てられると精神 が旺盛になり④、事跡が稀なほど名声が生じます⑤。 (そのため)本質が全うされても犠牲に供せられ、孤独に徹しても孤独ではありえなく なります⑥。俗世におごる者ほど自得できず、隠遁して覚る者ほど無に至れないのです。 注 ①不塵不冥 長谷川注になく、訳は「こういうわけで私は塵界にもおらず高い地位にもおらず」 春江「不塵不冥、謂不受塵累、也不冥寂」 ○ 『文選』巻三〇所収陸機「擬西北有高楼」 「高楼-何唆、若者峻而安。締窓出塵冥、 飛陛撮雲端」。 『文館詞林』巻一五七所収郭瑛「贈温幡」五章其五「爾神余契、我懐子情。携手-整、 安知塵冥」。 「客倣」の「塵」と「冥」とを、長谷川訳は「塵界」と「高い地位」、春江は「塵累」 (世俗)と「冥寂」 (隠逸)として、対立的に解釈する。だがいっぽう上掲した郭瑛「贈 温幡」詩の「塵冥」は「一塾」に対するものであるから、隠遁の場に対する世俗・塵俗 の場を表している。陸機「擬西北有高楼」詩の「塵冥」も同様に解釈できる*13。 そうとすれば「客倣」の「塵」と「冥」も対語ではなく、元来類義の複合語である「塵 冥」が分離したものと見るべきなのではないか。つまり「不塵不冥」は「不塵冥」と同 意であり「世俗に入らない」意であると考えられる。次注も参照されたい。 ②不顧不辞 くろうまあかうま 長谷川注になく、訳は「額でもなく 醇でもなく(どちらかにつくと命が危くなるの でどちらにもつかない)」 斎注r寮、黒色的竜、即潜蔵於九重之淵的壌竜.辞(音幸)赤色的牛、即重要盟会所用 的犠牲」
-101-○ 『毛詩』魯頒・駒第-章「鋼嗣牡馬。在桐之野。薄言嗣者、有島有皇。有療有責。以 車彰彰。思無塩。思馬斯戚」毛伝「駒駒、良馬、腹幹肥張也。桐、遠野也。 -純黒目寵。 -彰彰、有力有容也」。同第二章「駒嗣牡馬、在桐之野。薄言嗣者、有錐有髭、有静有 験、以車任任-」毛伝「赤黄日辞」 「任任、有力也」。 『爾雅』釈畜「留馬白跨薪」郭瑛注「廉、黒色」。 「客倣」の「摩」 「辞」は、おそらく『詩経』魯煩の「駒」を踏まえ、長谷川訳のと おり「くろうま」 「あかうま」を指すであろう。しかし「額」と「鮮」を並立的に対立 させ「どちらにもつかない」とする長谷川訳の解釈には首肯しがたい。 第-に、出典と考えられる魯頒「駒」において、 「駐」も「静」もそれぞれの登場す る章の冒頭で、 「駒嗣たる牡馬、桐の野に在り」と概括されている。 「駒嗣」とは毛伝 によれば「腹幹の肥張せる」立派な馬-の賛辞である。さらに「壌」は「車に以うれば 彰彰たり」と詠われ「彰彰」は「力有り容有るなり」と毛伝に解説される。 「酔」は「車 を以てすれば任任たり」とされ「任任」は同じく毛伝に「力有るなり」と説かれる。つ まり「壌」も「酔」も、少なくとも出典である毛詩「駒」の文脈では「腹幹の肥張せる」 「良馬」で「力有る」馬という共通義を含んでおり、対立的な存在には設定されていな い。 第二に、 「客倣」本文で「不壊不酔」と対句をなす「不塵不冥」において、 「塵」 「冥」 は前注に示したようにほぼ類義の複合語と考えられた。それが分離して「不塵不冥」と いう形を呈したのであり、 「不塵不冥」は「不塵冥」と同意と見られる。そうとすれば 対偶の片方の「不磨不酔」も同様の構造を取るはずであり、 「壌」と「辞」とはほぼ類 義で、 r不額不鮮」は「不壊酔」と同意ととらえられる。 第三に、後述するように「どちらにもつかない」という斉物説が主張されるのは、こ の第Ⅴ段落の直後に位置する第Ⅵ段落に至ってからである。 「不塵不冥、不壊不静」を 含む第Ⅴ段落は、直前の第Ⅳ段落と対をなしている。第Ⅳ段落では出仕とその危険が説 かれており、第Ⅴ段落では前段落とは対照的に隠逸とその危険が語られる。その両者を 克復し止揚するのが、続く第Ⅵ段落の叙述であろうと判断される。 以上のように、 「窮」 「騨」の含意・対偶の構造・ 「客倣」全体の論理構成の三点を総 合しても、 「壌」 「辞」はともに立派な風采や有為の才能の比喰であり、 「不塵不冥、不 壊不辞」は「世俗の有為な人材であろうとはしない」という趣旨であろうと考えられる。 ③支離 長谷川注「『荘子』人間世篇に「夫れ其の形を支離する者すら、猶ほ以って其の身を養 ひて、其の天年を終ふるに足る。又た況んや其の徳を支離する者をや」とある。」
ー102-④神王 長谷川注「『荘子』養生主篇に「天の生むや、是れ独ならしむ。 (中略)沢経は十歩に やしなもと して一啄し、百歩にして一飲す。焚中に畜はるるを斬めず。神は王たりと錐も、善し とせざればなり」とある。」 ⑤名生 ○ 『荘子』造遥遊篇「尭譲天下於許由、 -∴許由日『子治天下、天下既巳治也。而我猶代 子、吾将為名平。名者、実之賓也、吾将為賓乎』」。 同養生主篇「為善、無近名、為悪、無近刑」。 同徳充符篇「無祉語老僻目『孔丘之於至人、其未邪。 -彼且斬以談論幻怪之名聞、不知 至人之以是為己檀枯邪」郭象注「夫順物則名迩斯立、而順物者、非為名也、非為名則至 英、而終不免乎名、則執能解之哉」。 同大宗師篇「行名失己、非士也」郭象注「善為士者、遺名而自得、故名当其実、而福応 其身」。 『荘子』内篇は随所に「名」を排斥する記述を繰り返しており、大宗師箸の郭象注は 「名」を「遺」ててこそ「自得」できるとする。さらに徳充符篇の郭象注は、 「名」の ためではなく「物」に「順」う「至」の状態にあっても、 「名」が「立」ってしまうこ とは「終」に「免」れないとする。 「物」に「順」っても「名の立つ」事態は免れない。この言明は、俗世の栄光を棄て (「不塵不冥、不磨不酔」) 「形を廃し」 「神が王(さか)ん」で「跡が粗」である状態 に至っても、なお「名は生ず」という「客倣」の認識に通じていよう。 またこの段落の末四句で、 「客倣」は次のように言う。 「名が生じ」た「物」は対外 的に価値があるので、尊い対象-の供物となったり(「為犠」)、人々が回りに集まって きたりする(「不孤」)、従って「自得」は「得」られない、と。この「客倣」の表現も、 大宗師篇の郭象注の「名を達てて自得す」を逆向きに説いた形になっていよう。 ⑥至独者不孤 ○郭象『荘子注』 「若乃膚然以独高為至、而不夷平俗者、斯山谷之士、非無待者也」 (逮 造辞篇) この第Ⅴ段落は、出仕の危険を説く先の第Ⅳ段落に対して、隠逸の危険を説く形にな っている。だが同時に、先の第Ⅳ段落は出仕者に安全をもたらし得ない東晋王朝-の批 判ともなっていようし、第Ⅴ段落は、名を求め抜擢されるために隠遁しているように見 える者たちや、第Ⅰ段落で「士は知名を以て賢と為す」 「尚お何ぞ名あらんや」と「郭 生」をあなどった「客」の俗物性-の、痛烈な批判ともなっていよう。
-103-先の第Ⅳ段落で語られた仕官者たちの不幸、及びこの第Ⅴ段落に述べられる隠逸者た ちの不幸、その両者から逃れるために「客倣」が第Ⅵ段落で用いるのが『荘子』の斉物 の論理である。 「客倣」第Ⅵ段落は斉物の論理を、徹底的に否定辞を駆使する文体に戟 せて語り、それによって「もとうた」である『荘子』の表現をも突き抜けてゆく。詳し くは小塙末尾の「むすびにかえて」の章も参照されたい。 Ⅵ 「郭生」の弁明(5) -両危機の克服・現象を無化する「無名」 -の沈潜 故不恢心而形遺① ;不外累②而智喪③。無巌穴而冥寂④ ;無江湖而放浪⑤。玄悟不以応機 ⑥ ;洞鑑不以昭噴⑦。 不物物我我⑧ ;不是是非非⑨。忘意非我意;意得非我懐⑩。寄軍籍⑪乎無象⑳ ;域万殊於 -帰⑬。 不寿蕩子;不天彰洞。不壮秋豪;不小太山⑭o蚊涙与天地⑮斉流⑩ ;蜂蛎⑰与大椿歯年⑩。 だから心を死灰にせずに肉体が忘れられ①、外に煩わされず②に智恵が失われる③よう にするのです。岩屋が無くともひっそりと身を潜め④、江湖が無くともきままにさまよう ⑤ようにするのです。玄妙に悟っても時機に応じたりせず⑥、深く洞察しても辺りを照ら したりしません⑦。 物を物とせず我を我とせず⑧、是を是とせず非を非としないのです⑨。意思を忘れても それは私の意思ではなく⑩、意思が得られても私の心にではありません⑳。多くの音⑪を 形無きもの⑫に託し、万もの差異を一つの帰着点に集める⑬のです。 天折した子を長寿とせず、長寿の彰洞を天折としません。秋の獣の細い毛を太いとせず、 泰山を小さいとしません⑭。蚊の涙は天池⑮と流れを等しくし⑳、カゲロウ⑰は不滅の大 椿⑱と寿命を同じくするのです。 注 ①不恢心而形遺 長谷川注になく、訳は「だから心を無理に大きくしなくても形は忘れられ」 斎注「恢心、即灰心、意志消沈。形遺、形体遺棄」 ○ 『荘子』斉物論篇「南郭子素隠凡而坐、仰天而嘘。塔蔦似喪其柄。顔成子群立侍乎前、
-104-日『何居乎?形固可使如楠木、而心固可使如死灰乎。 -・』子素日『-今者吾喪我。汝知 之乎』」 『史記』巻八四屈原菅生列伝「貫生-乃為賦以自広、其辞日『-釈知遺形今、超然自喪 ;参廓忽荒今、与道潮邦』」葉蘭集解「服度目、絶聖棄知、而忘其身也。 (司馬貞)索 隠日、遺形者、形故可使如楠木也。自喪者、心若死灰也。荘周云、今者吾喪我、汝知之 乎」 (『文選』巻十三に「脇鳥賦」の賦題で採録されている) 「客倣」の「恢心」は『荘子』斉物論篇の「心は固より死灰の如くせしむぺけんや」 を、同じく「形遺」は「形は固より楠木の如くせしむべく」を踏まえていようし、 「形 遺」及びこれと対をなす「智喪」の二語は、雫誼「脇鳥の賦」の「知を釈て形を遣れ」 に始まる一節を想起させる。なおr脇鳥の拭」の一節に対する唐の司馬貞の「索隠」は、 「客倣」よりはるか後世のものだが、東晋以来の玄学の議論を踏まえている可能性も考 えられるので、参考として引用した。 ②不外累 ○ 『啓中散集』巻- 「与院徳如」 「栄名積人身、高位多災患。未若摘外累、韓志養浩然」 ③智喪 ○ 『荘子』養生主篇「書生也有涯、而知也無涯。以有涯、随無涯、殆巳」。注①の菅誼 「脇鳥の賦」の「釈知」、服度注の「棄知」も参照。 ④巌穴 長谷川注「巌穴 『荘子』山木篇に「夫れ豊狐・文豹は、山林に棲み、巌穴に伏す。静 なり」とある。」 ○ 『文選』巻二二左思「招隠詩」二首其- 「杖策招隠士、荒塗横古今。巌穴無結構、丘 中有鳴琴」 同巻ニー郭瑛「辞仙詩」七首其三「緑藻結高林、蒙龍蓋一山。中有冥寂士、静癖撫清弦」 李善注「冥、玄黙也」 ⑤無江湖而放浪 し上そ 長谷川注「江湖 『荘子』山木篇に「飢渇して隠約すと錐も、猶ほ且つ江湖の上を背疏 して食を求む。定なり」とある。」 ○ 『史記』巻一二九貨殖列伝「苑轟-咽然而歎日、 -既巳施於国、吾欲用之家、乃乗扇 舟、浮於江湖」 『晋書』巻八十王義之伝「嘗与同志、宴集於会稽山陰之蘭事、義之自為之序、以中共志 日、 -夫人之相与僻仰一世、或取諸懐抱、悟言一室之内、或因寄所託、放浪形骸之外」。 ただし後者の王義之「蘭亭序」は「客倣」に半世紀ほど遅れる。
-105-⑥玄悟不以応機 ○ 『芸文類衆』巻四五「晋孫緯丞相王導碑文-恵懐之際、運在大過、 -公見機而作、超 然玄悟、遂扶翼蕃王、室協東岳」。ただし孫緯「丞相王導碑文」は「客倣」に数年遅れ る。 『三国志』巻四十二郷正伝「仮文見意、号日釈蔑、 -其辞日、 ・.・身没名滅、君子所恥、 是以-弁者馳説、智者応機-・量時挟宜、用取世資」。郷正「釈蔑」は「設論」のジャン ルに属す*14。 ⑦洞鑑不以昭噴 ○ 『荘子』徳充符篇「仲尼日、 -今哀飴官-是必才全而徳不形者也。哀公日、 -何謂徳 不形。日、平者、水停之盛也、其可以為法也、内保之而外不蕩也」郭瑛注「内保其明、 外無情為、玄鑑洞照、与物無私、故能全其平、而行其法也」 同天地篇「願聞神人。日、上神乗光。与形滅亡。此謂照噴」 「客倣」の「昭噴」の典故とみられる後者『荘子』天地篇の「照噴」は、必ずしも対 外的な働きかけを合意しないが、 「客倣」の「昭噴」はどうか。 「客倣」の対偶「玄悟するも以て機に応ぜず、洞鑑するも以て昭噴せず」において、 各句前半の「玄悟」 「洞鑑」は、 「悟」 「鑑」という主体内部の精神の状態を表す語と見 られる.いっぽう前句後半の「応機」は、前掲の郷正の設論「釈隷」の用例から見ても、 「身没し名滅ぶ」のを防ぎ「世資を取」らんとしてチャンスに乗じ対外的な自己アピー ルに務めることと解される。つまり「客倣」の「玄悟するも以て機に応ぜず、洞鑑する も以て昭噴せず」という対偶において、前句の「玄悟」と「応機」は、 「内」と「外」 はんつい とを相対させる句中反対をなしている。これと同じ構造が後句をも貫いている可能性が ある。すなわち後句の「洞鑑」と「昭噴」も句中反対であり、 「洞鑑」が先述のように 主体内部の精神の状態を表すならば、 「昭噴」も「応機」同様に対外的な働きかけを意 味するものと考えられる。 ⑧不物物我我 ○ 『荘子』斉物論篇「古之人、其知有所至臭。悪乎至。有以為未始有物者、至英、尽臭、 不可以加美(郭象注:此忘天地、遺万物、外不察乎宇宙、内不覚其一身、 -)。其次以 為有物臭、而未始有封也。其次以為有封蔦、而未始有是非也。是非之彰也、道之所以腐 也」。 郭瑛「山海経序」 「物不日異、待我而後異、異果在我、非物異也」。 郭瑛『山海経図賛』海外南経・自此山来、虫為蛇、蛇号為魚「賎無定貢、貴無常珍、物 不白物、自物由人、万事皆然、豊伊蛇鱗」 (道蔵本)。
-106-⑨不是是非非 ○ 『荘子』斉物論篇「道悪乎隠、而有真偽、言悪乎隠、而有是非。 ・・・道隠於′J、成、言隠 於栄華。故有儒墨之是非、 -彼是莫得其偶、謂之道枢」。前注も参照。 ⑩忘意非我意;意得非我懐 ○ 『荘子』外物篇「言者所以在意、得意而忘言、吾安得夫忘言之人、而与之言哉」郭象 注「至於両聖無意、乃都無所言也」 ⑪畢頼 ○ 『荘子』斉物論篇「子遊日、地籍、則衆薮是巳。入籍、則比竹是巳。敢間天頼。子秦 日、夫吹万不同、而使其自己也」。 ⑫無象 ○ 『老子』賛玄第十四「縄縄不可名、復帰於無物。是謂無状之状、無物之象、是謂忽枕」。 ⑬域万殊於一帰 ○ 『易』繋辞伝下「子日、天下何思何慮。天下同帰而殊塗、一致而百慮」。 郭瑛『山海経図賛』南山経・誉石「棄気方殊、件錯理微、誉石殺鼠、蚕食而肥。物性錐 反、斉之一帰」 (道蔵本)0 ⑭不寿蕩子;不天彰洞。不壮秋豪;不′ト太山 長谷川注「『荘子』斉物論篇に「天下に秋豪の末より大なるは莫く、両も大山を小なり と為す。蕩子より寿なるは莫く、而も彰祖を天なりと為す。天地と並び生じて、万物は た 我と-為り」とある.」 ⑮天地 ○ 『荘子』遭造遊篇「其名為鵬、 -是鳥也、海運則将徒於南冥、南冥者、天地也」。本 文「天地」は「天地」の靴字であろう。 ⑱蚊涙与天地斉流 ○ 『芸文類衆』巻七八「晋郭瑛辞仙詩日-又日、四涜流如涙、五岳羅若壁」。 ⑰蜂蛎 ○ 『文選』巻ニー郭瑛「辞仙詩」七首其三「借間蜂蛎輩、寧知亀鶴年」。 同其七「葬栄不終朝、蝉蛎生見夕」。 ⑱大椿 長谷川注「大椿 『荘子』避造遊篇に「上古に大椿なる者有り。八千歳を以って春と為 し、八千歳を秋と為す」とある。」
-107-Ⅶ 「郭生」の弁明(6) -現象(「名」)にとらわれる輩-の批判 然一関一関、両儀之跡; -沖-溢、懸象之節①。換荘期於寒暑;凋蔚要乎春秋、 青陽之翠秀② ;竜豹之委頴③。駿狼之長峰④ ;玄陸之短景⑤。 故皐壌為悲欣之府⑥ ;胡蝶為物化之器⑦臭。 夫欣賓黄⑧之音者、不聾焼蛤⑨之吟;幹雲台⑩之観者、必闘帯索⑪之歓。縦踏⑫而詠採草 ⑬ ;擁壁⑭而歎抱関⑮。戦機心⑩以外物⑰、不能得意於一弦⑱ ;悟往復⑲於嵯歎、安可与 言楽天⑳者平。 しかし閉じたり闘いたりするのは、天地の足跡であり、欠けたり満ちたりするのは、天 文のきまりです①。氷が溶けたり結んだりするのは寒暑に拠り、草木が枯れたり繁ったり するのは、春秋によっています。 青い陽の気が穂先を緑にし②、竜と豹とが勢いを萎ませます③。南の峻狼山では陽射し が長く④、北の黒い地では陽射しが短くなります⑤。 だから(時の推移に心を乱されて)沼のほとりの地が悲しみと喜びの蔵となり⑥、蝶々 が万物変化の表れとなるのです⑦。 (かくて)鷺⑧の鳴き声を喜ぶ者は、夏蝉⑨の歌に眉をひそめることなく、雲つくたか どの⑩の豪華な外観に快哉を叫ぶ人は、縄を帯代わりとする隠者⑪の歓びが理解できない ものです。 (そういう人は)情感に任せたステップで踊っても⑫朝廷の儀礼の曲である「採 膏」の歌を歌う⑬ことになり、玉の美質を有していても⑭賎しい門番の地位にある⑮こと を嘆くことになります。あれこれとたくらみのある心⑱で測り知れない他者⑰と渡り合い、 隠者の孫登のように一弦の琴を弾いて満足する⑱ことができないのです。時の循環⑲を嘆 きのうちに悟るのでは、どうしてともに天命を楽しむ⑳ことを語りあえましょう。 注 ①一間一関、両儀之跡; -沖-溢、懸象之節 とざひら 長谷川注「『易』繋辞上に「是の故に戸を圃す、之を坤と謂ひ、戸を開く、之を乾と謂 ひ、 -蘭一関、之を変と謂ふ。 (中略)是の故に易に大極有り。是れ両儀生ず。 (中略) 懸象の著明なるは、日月より大なるは美し」とある。」 斎注も同様の出典を引く。 ②青陽之翠秀