はじめに
バブルのピークから始まった平成の日本経済は、1990年代に入るとバブ ルが崩壊し、その後「失われた10年」、「失われた20年」といわれる長期的 な経済の低迷が続くことになった。本稿では、とくに日本経済がバブル崩 壊後の平成不況を経て大手銀行の不良債権問題が一段落したといわれた 2004年頃以降、すなわち平成期の後半に入っても本格的な景気回復・持続 的な成長軌道に乗ることに成功せず、低成長が続いてきた背景について、 需要面、供給面から考察する。すなわち平成期後半は、リーマンショック が起こるまで景気循環的には長い景気拡大局面が続いたが、消費の低迷な どから成長率としては欧米先進国に比べても低成長が続き、リーマンショッ研究ノート
平成期後半の日本経済
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その特徴と令和に残された課題
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The Japanese Economy in the Latter Half of Heisei Era: The Characteristics and Unsolved Issues
YOSHIKAWA Kaoru
ク後も景気回復局面が続いているとされているにもかかわらず、景気回復 の実感に乏しく、成長率も低迷している。その背景・原因を検討するとと もに、日本経済の再活性化のために令和の時代にどのような課題が残され たのかについて考察する。
第1章 平成期の日本経済の概観
バブルの絶頂に始まり、すぐにバブル崩壊により不況に陥った平成期の 日本経済は不良債権問題などで経済の低迷が続き、1997年秋からの金融シ ステム不安もあり、1998年にはマイナス成長となった。その後21世紀に入 り、都市銀行の不良債権問題は概ね終息に向かい、ゆるやかながらも小泉 景気(いざなみ景気)といわれる景気拡張局面(2002.1(谷)〜2008.2(山)、 いざなぎ景気を上回る73か月)が続いた。この景気拡張期の特徴は円高傾 向が一服するなかで輸出の伸びに支えられた景気回復であり、実質賃金が 低下傾向になるなかで消費を中心とする内需の伸びは低く、実感なき景 気回復であった。金融政策では量的緩和(2001.3〜2006.3)が行われたが、 内需は弱く、ゆるやかなデフレ状況が続くことになった。その後、2006、 07年ごろには世界経済の好調もあって、日本経済も本格的な景気回復につ ながることが期待された。しかし、2008年9月に米国のサブプライムロー ン問題をきっかけとしたリーマンショックが発生し、日本経済は米国を上 回る大きな落ち込みを示した。これは2007年で日本の輸出の17%を占めて いた自動車の輸出がアメリカ向けを中心に約5割減となり、それにとも ない2009年2月には日本の鉱工業生産指数が前年比37.2%減と急減するな ど大きく減少したためである。この結果、2009年1−3月のGDP(実質) でみると、前年比8.8%の減(季節調整済前期比(年率)では17.8%減)と 大幅なマイナス成長となった。この急激な落ち込みは2009年4- 6月期に は回復に向かったものの、リーマンショックによる世界的な金融危機によ り、世界同時不況の様相となり、各国とも世界大恐慌に陥らないよう金融緩和、財政拡大という拡張的なマクロ経済政策をとることになった。金融 政策については政策金利が引き下げられゼロ金利となったため、欧米先進 国では日本がバブル崩壊後採用した量的金融緩和政策を参考にしたとみら れる信用緩和政策がとられ、経済大国になった中国は4兆元にのぼる内需 拡大策を行った。こうした各国の経済対策、とりわけ、中国など新興工業 国が経済対策等の効果もあって経済成長を続け、世界経済の成長を支える ことで、世界経済は底割れを免れ、回復に向かうこととなった。なお、先 進国の中ではアメリカが最も早く回復をはじめ、2015年1月からは金融政 策の正常化(伝統的な金利を中心とした金融政策)に戻ったが、EUや日 本は回復がゆるやかで、量的金融政策に加えてさらにマイナス金利政策が 導入されるなど、金融政策の正常化は現在に至るまで進んでいない。 日本経済は2009年度以降も民間需要の増加による自律的回復が順調には 進まず、輸出と経済対策等に支えられた緩やかな回復となった。ようやく 景気回復の足取りが確かなものとなりかけた2011年3月、東日本大震災と その後の福島第一原子力発電所の事故が勃発した。原発事故後は供給ネッ トワーク破壊、電力供給の低下といった供給面の制約からの影響に加え、 消費マインドの悪化もあって消費が低迷し、景気は一時的に悪化したが、 その後は建設需要を中心とした復興需要で、景気後退局面入りは免れた。 震災後の日本経済の大きな変化の一つは、経常収支は黒字を維持したもの の、貿易収支が赤字に転じたことである。これは原発事故による原子力発 電の代替として石油、LNGの輸入が増えたこと、震災によるサプライチェー ンの断絶により、日本の輸出が物理的に制約されたこと、エネルギー価格 の上昇などにより輸入価格の上昇率が高まったこと、のためである。 大震災後の2012年秋から登場した第2次安倍政権は、デフレからの脱却 を掲げ、いわゆる「アベノミックス」の3本の矢、「大胆な金融政策」「機 動的な財政運営」「民間投資を喚起する成長戦略」を発表した。この発表 前から始まっていた為替レートの円安、株価の上昇がいっそう進み、景気 は回復に向かった。2013年4月には、日銀黒田総裁はインフレ目標2%を
設定し、その達成に向け、大胆な「量的質的金融緩和策」を発表した。こ うして、2013年度の日本経済は、円安と財政拡大の効果、株価上昇による 資産効果、2014年4月の消費税引き上げ前の駆込み需要等もあり、2.6%(実 質)の成長を達成した。一方、消費者物価の上昇率はプラスにはなったも のの、0.4%と低い伸びにとどまった。2014年度になると、3月の駆け込 み需要の反動と4月の消費税率引上げ(5%から8%)の影響で家計の消 費が大きく落ち込み、さらに夏の異常気象の影響も加わって、消費低迷が 続いた。これにより2014年度は -0.4%(実質)とマイナス成長、とくに民 間消費支出は前年比1.5%の減少となった。2015年度以降もGDP成長率(実 質)は2015年度1.3%、2016年度0.9%、2017年度1.9%、2018年度0.3%と2% 成長は達成できておらず、なかでも民間消費支出は前年比で2015年度 0.4% 増、2016年度0.0%(横ばい)、2017年度0.6%増、2018年度0.0%(横ばい) と前年比1%未満の低い伸びが続いた。 ちなみに、経済成長率(実質GDP成長率)について主要先進国(G7) と比較してみると、毎年(暦年)の成長率を平均した成長率では、平成期
(備考)IMF world economic outlook のデータより筆者作成 図表1 G7の成長率(年平均:%)
前半(1989〜2003年)は1.7%、平成期後半(2004〜2018年)は0.9%となっ ている。平成期前半はイタリア、カナダを除くG5(米、日、英、独、仏) のなかでは最も低く、イタリア、カナダよりやや高い程度であったが、平 成期後半はG7のなかで成長率が1%未満だったのはイタリアと日本だけ でG5の中では最も低い成長率であった(図表1)
第2章 需要面からみた低成長の原因とその背景
2-1 消費の伸びの鈍化とその背景 低成長の原因を需要面からみると、第1章でふれたように、まず最大の 需要項目である消費の伸びの鈍化が影響している。民間最終消費支出(実 質)の対前年度増加率の平均をみると、1981-88年には4.0%の増加であっ たが、平成期前半(1989-2003年)に1.8%増に低下、平成期後半(2004-2018 年)には0.6%増とさらに低下している(図表2)。 こうした消費の伸びの鈍化の第一の要因は、賃金の伸びの鈍化・減少と (備考)内閣府「国民経済計算」のデータより筆者作成。 図表2 民間消費支出(実質)の増加率(年平均:%)考えられる。賃金の伸びを現金給与総額でみると、平成期後半(2004〜 2018年)で名目賃金の伸び率は年平均0.2%の減少、実質賃金は年平均0.5% の減少となっており、景気回復局面が続いていたなかで賃金は減少して いた(図表3)。一方、民間法人企業所得は円安で海外の収益の円換算額 が膨らんだこともあり、2004年以降では、2008年、2011年、2016年以外は 前年比で増加した。この結果、労働分配率はリーマンショックの影響で急 上昇した2008-09年を除き、平成期は前半も後半も低下傾向が続いている。 この背景には、グローバル化の進展にともなう競争の激化や少子高齢化・ 人口減少という流れに加え規制緩和の進展もあって、企業が需要の変動へ の対応として正社員を絞り込み、賃金水準の低い非正規雇用者の比率が増 加したことがある。日本の場合、欧州諸国と比べて正社員と非正規雇用者 の間で賃金格差や労働条件格差が大きく、その比率の上昇は雇用者一人当 たりの平均賃金を低下させることとなった。このほか、高齢化の進展によ る企業の社会保障負担の増加が正社員の抑制や中高年を中心に賃金引上げ の抑制にもつながった可能性もある。 (備考)賃金は現金給与総額。筆者作成。 図表3 賃金の伸び率(年平均:%)
消費低迷の第2の要因は、消費者の将来の生活に対する不安である。す なわち少子高齢化の進展で社会保障財政の悪化が予想され、定年等で働け なくなったときに公的年金等で十分な所得が得られないのではないか、十 分な医療や介護が受けられないのではないかという不安があり、そのため 少しでも蓄えを増やそうとして消費を抑制する動きが考えられる。「ライ フサイクル仮説」等によれば、合理的な家計は生涯所得を考慮して現在の 消費を決定すると考えるが、社会保障制度の持続性に対する懸念の高まり が老後の年金所得の予想を低下させ、現在の消費の抑制につながっている 可能性がある。 第3の要因は、若者等を中心に地球温暖化問題の深刻化などのなかで、 エネルギー多消費型の消費(ガソリン自動車の購入等)は敬遠されるほか、 所得の伸びが小さいなか、特定のこだわりのあるものの消費は惜しまない ものの、日常の消費、通常のモノの消費では低価格志向で価格に敏感になっ ていること、ICT技術の進歩もあって、モノの所有よりシェアサービスな どのサービス消費の拡大といった、消費者の意識やライフスタイルの変化、 消費態度の変化もマクロの消費低迷に影響している可能性がある。 2-2 国内投資の伸びの鈍化とその背景 前述のように雇用者平均の賃金水準が低下する一方で、企業収益は大企 業を中心に円安(円高修正)による輸出の増加と海外収益の円ベースでの 増加で増大し、労働分配率は低下傾向となっている。このように企業収益 は増加しているが、それが国内投資の増加に必ずしもつながっていない。 リーマンショックによる大幅な落ち込みもあり、平成期後半(2004年度か ら2018年度までの15年間)の国内設備投資は17%増(年率1.1%増)にと どまっている。これは企業が資金を国内投資よりは海外への投資やM&A などに向けたほか、全体としては内部留保を増大させたためである。その 結果、部門別にみると、近年企業部門が低下傾向にある家計部門の貯蓄超 過を上回って、日本経済で最大の貯蓄超過部門となってきている。こうし
た国内の設備投資の鈍化の背景としては、グローバル化の進展と人口減少 等による今後の内需の伸びに対する悲観的な見通し、すなわち、今後、人 口減少の進む日本の期待成長率が低いことが影響しているとみられる。ま た、企業収益の増加も円安の影響が大きく、企業自体の競争力向上による ものとの自信をもてず、為替レートが円高にふれたときの輸出の落ち込み やリーマンショックのような大きな世界経済の落ち込みがあれば、企業収 益が大きく減少するため積極的な事業拡大よりもそれに備えて内部留保し ておくという選択をとっている企業が多いためとみられる。 2-3 国内の消費、設備投資の伸びの鈍化の影響 2−1、2−2でみた国内の消費や設備投資の伸びの鈍化や減少は国内 需要の伸びを抑え、経済全体の低成長につながるとともに、所得分配面に おいて、格差の拡大にもつながっているとみられる。すなわち、企業収益 の増加が株価の上昇傾向となり、高所得層の収入の増加率を高める一方、 消費の伸びの低迷の背景にある賃金の伸びの鈍化・減少、非正規雇用の増 加は、低所得層の所得の増加率の鈍化・減少につながった。また、企業で いえば、輸出を中心とする大企業が所得を増加させた一方、消費の低迷が 内需型の小売業、製造業等の中小企業の所得の伸びを抑えたとみられる。
第3章 供給サイドからみた低成長の要因
この章では平成期に入り、経済成長が鈍化し、低成長が続いた要因につ いて、供給サイドからみる。供給サイドからの分析では、通常、成長会計 といわれる方法で、潜在経済成長率を労働投入量および資本投入量の増加 率と全要素生産性上昇率から推計し、どの要因が成長に貢献しているかを みる。1980年代以降、10年ごとに各要因の寄与度の推移を内閣府の潜在 成長率推計からみると、平成前の1981〜88年は潜在成長率が4.3%と4% を超えており、内訳は労働投入の寄与度が0.7%、資本投入の寄与度が1.5、全要素生産性(TFP)上昇率が2.1%であった。平成期になると、平成期 前半(1989〜2003年度)は潜在成長率が2.2%に低下し、内訳は労働投入 量の寄与度が0.0%、資本投入量の寄与度が1.0%、TFP上昇率が1.2%となっ ている。さらに平成期後半になると、潜在成長率は0.7%に低下、労働投 入量は0.1%の減少、資本投入量は0.1%、TFP上昇率が0.7%にまで低下し ている(図表4)。 (備考)内閣府「潜在成長率推計」2019.12をもとに筆者作成 こうした各要素の寄与度の低下の原因をみると、労働投入量の寄与度の 低下は、1990年代後半頃からの雇用者数の減少、および1980年代後半以降 の一人当たりの労働時間の減少によるものとみられる。また、別途、「労 働の質」を考慮すると、鶴・前田・村田(2019)1によれば、「労働の質」ディ ヴィジア指数の伸び率も低下傾向が続いている。 こうした労働投入量の量的、質的な減少の背景には、1980年代の週休2 1 鶴・前田・村田(2019)p32、図表1-6 -1.0 0.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 81-88 89-2003 2004-2018 労働投入量 資本投入量 全要素生産性上昇率 図表4 潜在成長率の内訳の推移(%) 81-88 89-2003 2004-2018 労働投入量 0.7 0.0 -0.1 資本投入量 1.5 1.0 0.1 全要素生産性上昇率 2.1 1.2 0.7 潜在成長率 4.3 2.2 0.7
日制の普及など時短政策の影響もあるが、1990年代以降は女性や高齢者を 中心に、パートなど短時間労働の非正規労働者の増加があるとみられる。 多くの場合、短時間の労働のため、非正規労働者は正規労働者に比べ教育 訓練を受ける機会が少なく、企業側、労働者側とも能力・スキルを向上さ せるインセンティブが少ない。日本全体でみて人材投資が製造業、サービ ス業とも2000年代以降減少を続けているとの推計結果もある2。 資本投入量については、バブル崩壊後急速に伸びが鈍化している。これ は、国内で資本を増加させたときの資本の限界生産性が低下し、国内で設 備投資を行うことのインセンティブが低下したことを反映しているとみら れる。資本の限界生産性の低下の背景には設備投資の伸びの鈍化による設 備のヴィンテージの上昇があるとみられる。 また、近年、ICT革命の進展もあり、情報化資産などの無形資産の重要 性が高まっているが、宮川・細野・細谷・川上(2017)3によれば、日本で は2000年代以降、IT投資も減少傾向になっている。 全要素生産性(TFP)上昇率の低下については、①生産性の伸びの高かっ た産業・企業の生産効率の低下が産業全体の生産性を低下させる、②生産 性の上昇率の高い産業・企業のシェアが低下し、生産性上昇率の低い産業・ 企業のシェアが高まる、といったことから生じる。鶴・前田・村田(2019)4 によれば、日本では、1980年代まで製造業は3% を超える TFP 上昇率を 示していたが、1990年代以降年率1%程度に低下し、2000年代以降もその 程度の伸びが続いており、非製造業は1990年代、2000〜2010年と TFP 上 昇率がマイナスとなっている。産業別にみると1980年代にくらべ2000年代 は電気・精密機械を除き、主要な製造業は TFP 上昇率が年率2%以上の かなり大きな低下を示しており、非製造業でも多くの産業で年率2%の低 下を示している。 2 宮川・細野・細谷・川上(2017)p104、図表6-8 3 同上の図表6-8 4 鶴・前田・村田(2019)p43、図表1-12、図表1-13