ミツバチ科学 21(3):97-106 HoneybeeScience(2000)
岩手県遠野市 におけるニホ ンミツパテ養蜂
一東北地方 における一事例
として-宇野 理恵子
筆者がニホンミツバチの養蜂について知 った のは,民俗学を専攻 していた-学生の頃であ っ た.卒論のテーマを決めあ ぐねていた時,
『日本 民俗学』に掲載 された佐治靖氏の 「東 日本にお けるニホンミツバチの伝統的養蜂」 という論文 に出会 った.佐治論文を読んで東北地方でのニ ホ ンミツバチ養蜂の報告例が少 ないことを知 り,生来の生 き物好 きも手伝 って調査を始めた 次第である. 調査地 は東北地方 とし,ゼ ミの民俗調査合宿 等 も利用 しなが ら,岩手県遠野市 9名,宮城県 黒川郡大和 町3名,福島県相馬郡鹿島町,同郡 飯舘村 で 9名 のニホ ン ミツバ チ養蜂 を行 う人 を確認できた.なお,東北地方 はニホンミツバ チ養蜂に関する資料が少ないため, まず第一 に その実態を明 らかにすることに努めた. ここで は岩手県遠野市の事例を中心に,養蜂技術,-チ ミツの利用法,俗信等 について報告 してみた いと思 う. 地域 概 況 と養蜂 活動 の概 要 岩手県遠野市 (図 1) は県東南部,北上山脈 のほぼ中央に位置する北上山地最大の盆地 にそ の中心がある.盆地周辺 には遠野三山と称 され る北上山脈の主峰早池峰 (はやちね)山 (1,914 m), 六角牛(ろっこうし)山 (1,294m), 石上 (い Lがみ)山 (1,038m)をは じめ四方を山や 高原にEEほ れてお り, 林野面積が ,はば 8割を 占める緑豊かな地域である.調査地周辺 は山野 に囲まれ (図 2),一部針葉樹林地帯が見 られる ちのの, クリ, コナラ, ミズナラといった広葉 樹林地帯が広が り,ニホ ンミツパテの野生群が 十分生息可能な環境を整えている. 図1 岩手県市 町村地区 気候 は厳 しく,特 に真冬 は氷点下 10℃ を下 回る日もまれではない.春の訪れは遅 く桜が咲 くのはゴールデ ンウィークの頃になる. 夏は 2 週間はど盆地特有の蒸 し暑 さとなるが,金を過 ぎれば涼 しくなり, はや くも秋が訪れる. このように一年の半分を冷涼な気候が占める 遠野の養蜂活動 は,津田 (1986)の示 した養蜂 の類型 (「ヒト--チ関係の諸類型」で,すべて の養蜂活動 に共通す る3つの要素,巣箱 の構 追,分蜂群の取扱 い,採蜜時の所有群の取扱 い を元 に養蜂活動を3つに類型化 している)にあ てはめるとⅡ型 (所有群か ら出た分蜂群を捕 ら98 ㌧男Ld ■一 白森訂 て こ L/ I L'r ,il志 7 ;.i = f i r ,I . 一 本 掬 山 Tl 土倉 山 l ′二 .i二才 こ ヽ L Jこ・ .A,Jー⊥㌧ー三 土か r
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0 0
④ S.T. 附馬牛町東禅寺 1年未満 ①より 1/10 0
⑤ T・T・ 堅馬牛町上附馬 10年以上 職場の知人より 5/6 3 2 1/5 9月8日 不明 ⑥ A・N・ 野鳥牛町上附馬 約10年 職場の知人より 3/4 ⑦ T・Y・ 賢馬牛nT上附属 約20年 躍 営巣を見て真 2/3 1 1 ⑧ M N・ 瞥騨 町下附馬 10・20年 分蜂群より* 4/不明 不明 /不明 8月 10升 ⑨ H.0. 土淵町栃内 9年 集落内の知人より 13/不明 4 9 0/13 ら採蜜するという共通性を指摘す ることがで きるニホ ンミツバチを飼 った契機 と年数
ミツパ テを飼 って いる人 々にその きっか けを 問 うと様 々な答えが返 って くる. その契機 と年 数 を示 したのが表 1である. これによると,一 番多 いのが近 くに住 む親戚,知人か ら教わ る例 で ある,遠野 では9名 中7名が林業 と関わ って お り,職場 の知人 を通 じての知識 のや りとりが 行 われている.次 に, 自然営巣 の 目撃 や分蜂群 の飛来を捕獲 した ことが挙 げ られ る. このよ う に身近 な人間関係 の中での情報交換 や野生 の ミ ツバ チを観察す る機会があ ることは,養蜂 を始 め る契機 にな っているだけで はな く, 日常 ミツ パ テを管理す る上 で各人の養蜂技術 を養 う重要 な要素 とな って くるのであ る.ミツパテの呼称
ニホ ンミツパテの呼称 と して最 も多 い もの は 「ヤマバチ」 であ る. この他,
「ヤマ ミツパ テ」 と言 った りもす るが,
「ヤマ」と付 く点 は共通 し て いる.では,
「ヤマバ チ」とはどんなハチか と 問 うと,
「山 にいる自然 の蜂 であ る」とい う共通 した答 えが返 って きた.周囲を山林 に囲 まれた 暮 らしの中で,人 々は分蜂群が山か ら飛 んで来 る様子 を度 々目撃 している. しか し逆 に, どこ か ら来 たかわか らない蜂群 に対 して も「山か ら」 来 た と答え る場合が多 い. では 「ヤマバチ」 と い うの は山に生息す る蜂全般 を指すのか とい う とそ うで はな く, ニ ホ ン ミツバ チ ただ一 種 を 「ヤマバチ」 と しているのである. 一方, ニホ ン ミツバチに対 しセイ ヨウ ミツバ チの ことを 「カイバチ」,
「サ トバチ」 と呼 ぶ. この言葉 か ら,
「カイ」 は 「飼 い」,
「サ ト」 は 「ヤマ」に対 す る 「里」を意 味す るもので はない か と推測 され る. なお この二種類 の ミツバチは 外見の特徴か ら明確 に区別 されてお り,南種 を 混同 している例 はま った く見 られなか った.巣箱の形態 と名称
ミツバ チを飼 うための道具 と して唯一用 い ら れ るのが巣箱 である.巣箱 の形態 には, 自然 の 木 を使 う場合 と,板 を張 り合 わせた直方体 の も の との二通 りがある.遠野 ではほとん どが 自然 木 を利用 して作 られてお り (図4),確認 した巣 箱40
例の うち自然木88
%
,板製1
2
%
の使用率 であ った.材質 は ブナ, イ タヤ, カラマツ, カ バ など様 々で,材質 につ いての こだわ りはま っ た く見 られない.実際 ほとん どの人が 「木 は何 で もよい」 とい う.作 り方 はいた って シンプル で,中が腐 って空洞 にな った木 (隣 4右下)や, チ ェー ンソーで内部 を くり抜 いた ものに上下 に 板 を打 ち付 ける.人 によ っては雨 よけのため ト タンや アル ミ製 の屋根 をか ける. そ して入 り口図 4 ニホンミツ/ヾチ用の伝統巣箱 下段中央は電信柱に営巣 した蜂群からの分蜂 を捕獲するために設置されている.下段右は巣箱の材料となる空洞化 した丸太 市附属牛町東禅寺では 「ウ ト」 とい う一例があ と して下部 に穴を設 ける.穴 は 「ミツバチの体 が こすれない程度」で, しか も 「スズメバチが 入 らない くらいの」大 きさが良 いとされ る.栄 箱のサイズはその木本来 の大 きさに もよるが, 高 さは約50-70cm,直径 が25-35cm程度 である. ニホ ンミツパテは巣箱上部か らだいた い7, 8枚の巣をかけるが, これはち ょうど適 した大 きさであ り,経験か らおよそのサイズを 推測 しているよ うである. 一方,板 を利用 した直方体の巣箱 (図5)は 「自然の木 よ り蜂が入 りに くい」とされ,人気が ない. またこの理 由の他 に,遠野では養蜂を行 っている人が林業 に携わ っていることが多 く, 自然木が手 に入 りやすいため, 自然木の巣箱の 方が利用 されていると考 え られ る. 次 に, この巣箱 の名称 で あ るが,遠野 で は 「ハチネッコ」
,
「キノネ ッコ」,
「ミツパテネ ッ コ」 などと呼ばれ る.恩徳春蔵氏 によると,大 正生 まれのお年寄 りがよ くこのよ うに言 うそ う である.「ネ ッコ」とい う共通す る言葉 は,巣箱 の形態か ら付 いた名のよ うである. また,遠野 った.遠野では木の空洞 の ことを 「サ ト」 と言 い,これがそのまま呼び名になったと考え られる所有群の増や し方
Ⅱ型 の養蜂 で は,翌年 まで所有群 が残 るた め,それか らの分蜂群を収容す ることで群数 を 増やす ことがで きる.そ こでまず,巣箱の置 き 場所 を見てゆ くことにす る. 図5遠野では少ない板製巣箱巣箱 は自宅の敷地内に置かれることがほとん どで,山中に設置されることは少ない.そ して 一旦置かれると移動はせず,峰群が入 っていて もいな くて もそのまま放置 してお く. というの は,空巣箱 に,近 くの巣箱や近隣の所有群, ま たは山中か らの分蜂群が入 る可能性があるか ら であり,現にひとりでに ミツバチが入 ったとい う話 もよ く聞いた.そのため人々が設置場所 と して最適 と考える場所 は,蜂が入 りやすい場所 と しての認識 と重なっている場合 もある.その 場所 と設置条件は, (9風の当たらないところ ②西風を止めるようなガケのところ ③暑す ぎないところ ④大木のあるところ ⑤地面 に置 くと木が腐 るので少 し離す (む入 り口は東へ向ける この中で も(丑はほとんどの人が挙げてお り, 背後が壁や林 になっているところが好 まれる. この点では(参も似通 っている.⑤ は皆が心掛け ていることのようで, どこの家で も巣箱を切 り 株や ブロックにのせたり,木の股の部分に くく り付 けたり,二階の軒下 に置いたりしていた. また⑥ もほとんどの人が口を揃えて言 うことで ある.ある人 は
,
「蜂は飛行場 と同 じく飛 び立 ち やすいところを好むのだ」 と言 う. このように 巣箱の設置場所 としての意見は一致 してお り, 経験や相互の情報交換か ら,より最適な場所を 導 き出 しているのである. さて,分蜂 は遠野では5月下旬∼7月にかけ て起 こる.分蜂が起 こるのはきまって 「晴れた 風のない日」で,時間帯 は 「午前中か ら昼 ごろ にかけて」であるとされる.所有群を増やす こ とので きるこの季節 は,巣箱 に最 も気を配 る時 で もあ り,分蜂前の徴候 について人々は次のよ うに考えている. ・分蜂 は,家探 しの蜂が飛ぶのでそろそろだ とわかる. ・黒い蜂が出ると分かれ る (分蜂前 に発生す ることか ら,黒い蜂 とは雄蜂 と考え られる). さて,分蜂が始 まって30
分 はどす ると ミツ バ チは元 の巣箱 の近 くの木 などに固 ま りを作 101 る. これを放 ってお くと ミツバチは飛び去 って しまうため,す ぐに袋を被せて取 り,巣箱 に入 れる.または ミツバチに柄杓で水を掛 けたり霧 を吹 いた りす る.9名中3名が この方法 を と る. これは,蜂の麹を濡 らして遠 くへ飛ばない よ うにする目的で行われる. こうした方法は, 紀伊半島南部の熊野地方で広 く行われてお り, 他 にも中国山地,高知県,愛媛県,大分県,対 馬 で 同 様 の手 順 が 見 られ る と い う (樺 田,1
9
86)
.
この場合の目的 も遠野市の事例 と同 じ である. 分蜂群を収容する際には,
「メバチ (女王バ チ)が入 らなければハチは逃げる」 と言われ, 女王バチを入れることに注意が払われる. しか し数千匹の働 きパテの中に一匹の女王バチを見 つけることは,現実には難 しいようである. こうして新 しい蜂群の入 った巣箱は前述のよ うな場所へ水平 になるように置かれる.そのさ い入 り口は日当たりの良 い東へ向けられる.ニ ホ ンミソバチは巣箱収容後 に逃亡することがよ くあるが,その時は 「蜂が巣箱を気に入 らなか ったせいだ」 と理解 される. 一方,菊池政雄氏(
1
9
36
年生 まれ)は山へ も 巣箱を仕掛 ける.氏 は ミツバチの入 りやすい大 木のあるところへ空巣箱を仕掛 け,分蜂群が入 るまで何度 も足を運び,入 ったのを確認すると 暗いうち (夕方,雨の 日など) にガムテープで 入 り口を塞いで家へ持ち帰 る. この時 もやはり 敷地内の風当たりの少ない場所等-設置す る. 以上,分蜂期の養蜂活動 について述べたが, 積極的に蜂群を増やそうとする人はこの時期蜂 群捕獲のために自身の外出を控えるようにする など,蜂への傾倒ぶ りが うかがえる.また,稲 作を営む家では田植えに出ている間に分蜂群が 飛んでいって しまうこともしば しばであるとい う. こうした 「ミツパテに逃げ られた」経験を ほとんどの人が持 っている.それで もこの養蜂 活動が続いているのは, 自然 に分蜂群が巣箱に 入 る こと もあ る とい う. ミツパ テの習性 を, 人々が知 っているか らこそのことだろう.そ し て この 「入 ったり入 らなか ったり」 というミツ バチとの駆 け引 きに,人々は大 きな関心を寄せ102 ているのである. 採 蜜 ミツバチを飼 う上での楽 しみのひとつはハチ ミツを得 ることである,遠野の養蜂では,-チ ミツは自給用に採取 されてお り,経済的意味合 いはまった くない.また, ミツバチを飼 うこと その ものが面 白く,殺すのがかわいそうなので -チ ミツを採 らない人 もいる. -チ ミツを採 るのは山に花がな くなり,幼虫 の少な くなる秋が最適 とされる. 具体的には9 月中旬か ら
11
月いっぱいである.遠野では2
, 3年置いた蜂群か ら採蜜するが, これは 1年 目 ではハチ ミツをよ くためず,2
,3
年経 った方が ハチ ミツの色 と味がより濃厚になるか らだとい われる.採蜜の時間帯 は, ミツバチが動かない 朝方や夕方がよいと考え る人 と,何時で もよい とす る人がいる.実際,筆者が見せていただい た時 も日中であった. ここで,その一例を再現 してみたい. 立花富夫氏(
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年生 まれ) と新田朝夫氏(
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年生 まれ)は住 まいも近 く,それぞれ自 宅でニホ ンミツバチを飼 っている.9月中旬に 伺 った時,立花氏宅の裏庭の木 に くくりつけて あった巣箱か らお二人が採蜜する様子 を見せて いただいた.服装 は, まずカッパを着用 し, ゴ ム手袋,長靴を履 き,それか ら防蜂用 ネットの 代用 として種籾の袋を被 る. この時,なるべ く 隙間がで きないよ うに手袋 の上 か ら腕抜 きを し,ズボンと長靴の間 も布で巻 く (図6左).吹 に巣箱を木か ら下 ろ し,上板 をバール等ではが し,巣箱の内側 に沿 って包丁で切れ目をいれ, 巣板を取 りだ し竹製のザルにいれてゆ く (図6 右).本来な らこの後,巣板はザルに入れて-チ ミツをた らしたり (立花氏),またはポ リ袋に入 れ, 日光を当てて溶か しザルで漉 したり (新 田 氏) してハチ ミツを採 るところだが, この時は 蜜の溜め具合が悪か ったため,近々仕掛 ける予 定でいたクマ用の ドラム缶の農に餌 として使わ れることになった.両氏 は猟友会に所属 してい て,会員であれば市の許可を受 け害獣駆除のた めクマを毘猟で捕獲す ることがで きる. 採蜜時には,他地域や近代養蜂で採用 されて いる煙で ミツバチをおとな しくさせる方法はほ とんどとられない. また巣箱内の巣板 は,4名 の人 は半分のみ取 り去 って蜂群を保持 しようと 考えているのに対 し, 5名はすべて取 るため, 採蜜する巣箱の ミツバチは全滅を余儀無 くされ る. また,服装や道具は身近にあるものを利用 し,長崎県対馬や島根県で使用 されている ミッ トリ道具等 (宅野1
991
,1
993
)
は見出だせな か った. 巣板か ら-チ ミツを採 るまでの過程 は, ほと ん どが篭 に入れてた らす方法が取 られて いる 図6 丸太巣箱からの採蜜と,採取した巣板をざるに入れたところが,恩徳春蔵氏(1934生 まれ)は巣 ごと鍋で煮 て,溶 けた巣 が ミツ ロウとな って上部 に固 ま り,下部がハチ ミツにな ると ミツロウを取 り除 くよ うにす る.恩徳氏 は
,
「どこで も煮て溶か し た もんだ」 と証言 しているので,以前 はこの方 法が広 い範囲で行われていた とも考え られ る. 次 に,蜜源植物 についてたずねてみると, ク リの花 と答え る人が最 も多か った.現存植生図 でみて もこの地域周辺 にク リが多 いことか ら, ミツバチの飛来を目撃 Lやすいのだろうと思わ れる.実際 ク リの開花が始 まると,山の中でそ の ク リーム色の花 はひときわ鮮やかで目立 って いる.二番 目に挙 げ られ るのが トチだが,最近 は植林や伐採のために減 って きたと聞いた.近 代養蜂 に限 らず,蜜源植物の減少 は養蜂活動の 存続 に関わる問題であると思われる.外敵 とその駆除
ミツバチを飼 う上で一番問題 となるのは,蜂 に大 きな損害を与 える外敵の存在である. その 筆頭 はクマで,次いでスズメバチ,-チノスッ ヅ リガの幼虫 スムシが挙 げ られ る. 遠野 では,1997年 までに4軒 が クマの被害 に遭 っている (図 7).クマは夜 に来 るが,一度 では食べ尽 くさずに何回か通 って くる.当地で はクマはそれほど珍 しい存在ではな く,山菜採 りや茸狩 りの季節 にはよ く話題 にされるが,そ れで もほとんどの人が巣箱 を自宅敷地 内に置 く 中で,家の裏 まで クマが来た という話 は穏やか ではない.昔 はクマといえば奥 山に しかいない 図 7 クマに壊された巣箱 釘で打ちつけてあった上下板が破 られている 103 存在だ ったというが,近年言われ るよ うに山の 食糧不足や,飼料用に栽培 され る トウモロコシ (デ ン トコー ン)の味を覚 えた こともあ って,ク マが里 に下 りて来 た とい う話 はあ とを絶 たな い.事実 クマ被害 にあった 4軒中 3軒 はここ数 年来 の出来事 で民家 が集 中 して い る平地 で あ り,残 る1軒 は遠野で も最奥部 の山中で,以前 来 た クマ は最近 は来 な い と言 う.そ う した中 で,飼養中の ミツバチが襲われ る例 も増加 して いるのである. スズメバチは外敵の中で も ミツパテが襲われ る頻度 が高 く, 日常的 に注意 を払 う昆虫 であ る. その中で も大型 のオオスズメバチ (Vespa mandanaria)と小型 のキイロスズメバチ (V. similimaxanthoptera)の害が聞かれ,前者 は カメバチ,後者 はアカバ チと呼ばれることが多 い.養蜂者 はこの時期二種のスズメバチの加害 を防 ぐため-エタタキや捕虫網で応戦す るが, 始終現れ るスズメバチを防 ぎきれないのが実情 のよ うで,何 日か油断 していたす きに被害 にあ うケース も少 な くない. スムシは-チノスッヅ リガ (Galleriamello -nella)の幼虫で,巣板 に糸を張 り,繭を作 るた め ミツパテの逃去の原EElにな りやすい (図 8). 当地 では 「シカケムシ」,
「スカケムシ」 と呼ば れ る. この害を防 ぐためには定期的に巣箱内の 巣屑などを取 り除 く必要があるが,遠野では上 下板 とも釘で打 ち付 ける形態が多 いため掃除は なされない. しか し近年 にな って, セイ ヨウ ミ ツバチを飼 う人の助言 を受 け,掃除や採蜜時の 図8 スムシに荒らされ, ミツバチが逃亡 した巣箱10・1 便利 さを考慮 して底板を打 ち付 けず,ただ巣箱 を板に載せただけの形 も少数見受 けられるよう になった. この他 にも恩徳氏よりテ ン, トガ リネズ ミの 被害 も聞いた. 冬越 しの管理 秋 に採蜜を しなか った群や,採蜜時に巣を半 分 だけ取 った群 はその まま冬 を越 す ことにな る,冬で も暖かい日はハチが外に出る時 もある が,11月頃か ら翌年の3月 まで,蓄えた蜜を食 糧に して巣箱 にこもり,越冬する.遠野の冬は 時 に氷点下10℃を下回 るほど厳 しいが,巣箱 は特に防寒対策をされることもな く放置 したま まである.遠野で も特に寒 い山間部 に住む山下 正氏 (1930年生れ)は,巣箱 は雪を被 って も大 丈夫だと言 う. また,糖分補給 について聞いた ところ山下氏だけが砂糖水を与えることがわか った.氏によれば,砂糖水が最 も良いと言 う. その理由は,以前市販の-チ ミツを与えた らミ ツバチが死んで しまったとの話を人か ら聞いた か らだそうである. 自然 営巣 か らの採 蜜 さて,今まで述べてきた養蜂活動 とは別に, 山に自然に営巣 したものを採取することもしば しば行われている. これは約半数の人が経験 し ている. 二ホンミツパテは,中が空洞になった 大木によ く営巣 しており, これを見つけるとチ ェーンソーで木の側面 を切り,巣をすべて採 っ て採蜜す る.最近では立花氏が一昨年 (1996 年)採 ってお り,恩徳氏は自然営巣を見つけて いて近々採 る予定だと話 して くれた.また山下 氏の奥 さんの山下 シガさん (1932年生 まれ) によると,私有の山の木でないものや神社の木 など切 ってはな らない場合,巣の入 り口穴の周 りを四角 く切り,内部の巣 を全部採 った後, ち と通 りに木片をはめ込んで気付かれないように したという. これ らはいわば-ニー.ハ ンティン グである.-ニー- ンテ ィングは ミツバチの家 畜化の観点か らすれば養蜂の前段階に当たると されるが (津田, 1986),養蜂を行 っていなが ら自然界か らの採取 もあ ることは注 目に値 す る. しか もこれは決 して過去のことではな く, 現在のことなのである. 養蜂 の産物 とそ の利 用 養蜂の産物 には- チ ミツと ミツロウがある が, ミツロウは遠野では作 った人がない.筆者 の調査で ミツロウについて聞 き出せたのは福島 県内の二例のみであ った. これは, ミツロウが 加工を必要 とすることと,たとえ作 ったとして も利用価値がほとんど無 いか らだろう.比べて -チ ミツは様々に利用されていて,共通 して挙 げ られるのが薬 としての効用である.喉の痛み や風邪,便秘 に効 くとされ,ただなめたり,堤 で薄めて飲用される.大正8年 (1919)生まれ の三浦徳蔵氏は,子供の頃,便秘をすると竹製 の水鉄砲で薄 めた-チ ミツを戻腸 された と言 う. また結核の薬 としてカタク リの澱粉 とハチ ミツを混ぜたものを服用 した.立花氏は農耕馬 や牛に薬を飲 ませる際,-チ ミツを混ぜて与え たそ うである. こうした薬用の他には,食用 として餅に付け たりパ ンに塗 ったりという風に使われている. 料理の味付 けには現在はほとんど利用されない ようだが,明治43年 (1910)生れの白幡 ミヨ シさんは昔作 った多彩な料理方法を話 して くれ た.白幡 さんは現役の語 り部 (民話の語 り手) で,素晴 らしい記憶力の持 ち主で もある.白幡 さんの家では養蜂 はや っていなか ったが,父親 が酒樽を背負 って山へ蜂の巣を探 りに行 った. そ うして得たハチ ミツは部落の中で分 け合い, 砂糖代わ りに使 ったり,マメをす った残 りかす に混ぜてオコシを作 った り,餅や団子 に入れた り,豆腐 に混ぜたり等,様 々に使われた.やは り薬用 としての意味 もあ って,子供や子馬が便 秘になったりすると,- シに水飴のように取 っ てなめさせたそうである.当時,ハチ ミツがか な り貴重品だったことがわかる.また
,
「分 け合 う」 という点では現在 も同 じで,-チ ミツは親 戚に配 られたり,欲 しが る人にあげることが多 い. こうした 「ハチ ミツは売 り買いではない」
という意識 は養蜂を行 う人に共通 したものである. さて,ハチ ミツについて もうーっ付記 してお きたい.それは
,
「-チ ミツによる中毒」とで も いうべ き事柄である.遠野では,山の自然営巣 か ら得た-チ ミツは 「膝 にきて,歩 けな くなる」 ことがあるという,遠野市土淵(っちぶち)町の 人の話 では,岩手県下閉伊 (Lもへ い)郡大槌 (おおづち)町の山中の-チ ミツは特に中毒 にか か りやす く,地元の人は山のものは採 らなか っ たり,あるいは必ず火にかけて煮溶かすそうで ある.以下 は三浦徳蔵氏の話である.
「大正初め 頃の話で,金沢村 ( 覗,大槌町)の人が山に-チ ミツを採 りに行 き,それをなめて中毒 になっ た.痩撃を起 こし,気付 いた時はもう星空にな っていた (夜になるまで何時間 も眠 って しまっ ていたの意)
.
」
また,同 じ土淵町の恩徳春蔵氏によると,
「下 閉伊郡川井村では,山に トリカブ トが自生 して お り,付近 の山の- チ ミツはなめ ると中毒 し た.視界が黄色 くなり,雪が真黄色に見えるよ うになる.」とのことであ った.宮城県では,山 の ものに限 らず-チ ミツは少量で も舷畳が して 歩けな くなると言われ, これは遠野で 「膝にき て歩 けな くなる」 と表現するのと同 じ状態なの ではないか と推測で きる. しか し,なぜ このよ うになるのかは不明である. ハチに関す る俗信 ミツパテのみな らず,蜂全般 に関連 して言い 伝え られて きた,または信 じられてきた事柄が ある.聞 き出せたのはごく少数ではあるが,蜂 と人 との結び付 きを示す一端 としてここに記 し ておきたい. ①蜂が家の中に巣を作 ると縁起が良い. ②峰が家の中に巣を作 ると火災にな らない. ③ ミツバチが分蜂する年 は豊作だ. ④ ミツバチの夢をみると良 くない.ケ ンカや もめ事が起 こるか ら. これ らの事柄 は一見-チとは関連がないよう に思われるが,つなが りを問 うと,(丑は理由と して,良い事が蜂のごとく増えるか ら, と言わ れ,(参は峰 も安心す るほどだか らと説明 され 105 る.③④ は ミツバチについて言われる事で,天 候の良 い年 は活発 に活動するため③のように言 われたのだろうし,④ は ミツパテの生態か ら連 想 された ものではないだろうか. このように,蜂 という,身辺の自然の中で も 小さな位置を占めるに過 ぎない昆虫に対 して, 人々が少なか らぬ関心をよせてきたことが分か る.そ して これ は人間が 自然界 の生物 を観察 し,その結果を自分たちの日々の営みに引 きっ けて考えていたことを示す一例 ともなっている のである. むすびにかえて 岩手県遠野市のニホンミツバチ養蜂について その分布,養蜂活動,産物 と利用法, ミツバチ に関する俗信について見てきた. ここで整理 し てみると,遠野の養蜂は,巣箱 という唯一の道 具を利用 して,分蜂期に蜂群を捕獲 または自然 に入 るのを待 ち,秋 に越冬群 を残 して採蜜 す る,というものであった.特筆すべ きは 「飼 う」 といって もその行 いは極 めて自然の状態に近い ものであり, しか もそれはただ手をかけないと いうのではな く,努めて自然にあるようにと心 を配 っての有 り様だとい うことだ.その方がハ チの気 に入 るとい うことを知 っているのであ る.彼 らは ミツパテを飼 う技術や知識を蜂を観 察することで得,経験を積んで行 く中で養蜂に 関 して独 自の流儀を持っに至 っている.養蜂 は 単 にハチ ミツを得 ることを目的とするだけでは な く,多分 に賭け事 としての楽 しみの要素が含 まれていると考え られる.飼 うこと自体が面 白 いのであって,結果 としてのハチ ミツは副産物 に過 ぎないのである. そ して遠野の養蜂で面 白い点 は, ミツバチを 飼 う一方で自然営巣か らの採蜜を行 うというこ とである. これは積極的に探 して歩 くのではな く,山に入 った折 に偶然発見するなどしたもの だが, こち らはむ しろ採 ることが大 きな楽 しみ となっている.この点で 「山の-チ ミツを採 る」 ことは,いわば春の山菜取 りや秋の茸狩 りと同 じ要素を持 っているといえよう.つまりそこに は等 しく 「山の恵みを受 ける」 といった意味合106 いがある.食糧や甘味が今 はど豊かではなか っ た頃,山菜や茸,山蜜などは 「食」の面か ら見 て必要な ものであ り, また貴重 な ものだ ったに 違 いない.今 日ではそれ らは必要性 よ りはむ し ら,季節を感 じ,野趣 に富 み,採取の楽 しさを 味わ う点で珍重 されている.山の-チ ミツも見 つ ける機会の少なさか ら珍 しが られ,何 よ りも 採 ること自体が大 きな 「面 白さ,楽 しみ」 とな っているのである. また,調査を行 ってみて感 じたことは, この 地の養蜂が決 して特別な例ではないということ だ. ニホ ンミツバチの生息圏の広 さか ら考えれ ば,山沿 いの地域では日常的に養蜂 を行 ってい る, あるいは行 っていた可能性が十分有 り得 る だろう.現 にこの話 を裏付 けるように,三浦徳 蔵氏 は,戦前 まで遠野の奥地で養蜂をや らない 者 はいない ぐらい日常見 られた活動 なのだ, と 話 して くれた. 近年,副業的で とるに足 らないとされてきた こうした活動 に光が当て られつつある. その点 も踏 まえ,民俗学的,科学的な視点 を加 えなが ら東北地方の養蜂活動 を見守 っていきたいと考 えている. (〒028-0515岩手県遠野市東館町3-9 遠野市立博物館) (付記) 本稿は1997年12月に提出した,東北学院 大学文学部史学科民俗学専攻卒業論文の一部に修正 を加えたものである. 参考文献 佐治靖.1995.日本民俗学202:32-68. 荏 田昌人.1986.季刊人類学 17 (2):61-125. 菅 豊.1995.Eg立 歴 史 民 俗 博 物 館 研 究 報 告 61: 215-272. 宅野幸徳.1991.民具研究 96:卜16. 宅野幸徳.1993.民具研究 103:ト13. 宮脇昭.1987.日本植生誌 ・東北.至文堂.
UNO,RIEKO.TraditionalbeekeepingofJapanese honeybee in Te・no city,lwate prefecture. A case study of traditional beekeeping in the Tohoku region.HoneybeeScience(2000)21(3): 97-106. T6noMunicipalMuseum,319Higashi -date-cho,TelnO,Iwate,02810515Japan.
The purposeofthis paperisto reportthe realitiesofthetraditionalbeekeeping ofJ apa-nese honeybee,Apis cerana japonica, in the Tohokudistrict.Theauthoralreadymade缶eld studiesofbeekeepingintheTohokudistrictin hergraduate thesisand found the traditional beekeeping iskeptin threeplaces. Tbnocity in lwateprefectureisoneoftheplaces. This study lSareportOfthetradit10nalbeekeeping skllls,the way ofuse ofhoney and popular believesatTelnOCity.
Japanesehoneybeesarecalled"Yamabachi(
-mountain bees)'.atTelnO City and arekeptin beehives which are handmade. Thebeehives aremadefrom logsandaresetonthepremises or in the forests.Beekeeping is begun when wild Japanese honeybees live in beehives or whenbeekeeperscancatchtheswarminggroup ofwild Japanese honeybees.In Autumn.,bee -keepers can get honey from thelr beehives whichwereleftbetweentwoorthreeyears.In the work ofgetting honey,Selected beehives are remained for passing the winterand for keepingnextyearorahalfofhoneycombsare usedforgettinghoney.Honeyisforprivateuse andisusednotforfoodbutformedicine.
Beekeepers learn knowledge and skills of beekeeping by observing the Japanese honeybee'sbehavlOr. They develop theirown skills through their experlenCe. They enjoy beekeeping by itselfand honey isonly a by-productforthem.
By properunderstanding ofbeekeeping,We can know the mechanismsofexchanging be -tween human beingsand nature. Theauthor thinksthatfolkwaysofthebeekeeplng Ofthe Japanesehoneybeeisimportantbecauseitisa successfulexampleofusing wildcreatures.