福 島原子力発電所事故か らの避難者 の復興 を里山看護学の視点か ら考 える 東 日本大震災か ら
3年
教か月。仮設住宅で最長8年
暮 らす人が出る予想 とのニュース に、あの狭い暮 らしに くい空間であ と5年
近 く生活 しなけれ ばな らない とは と、復興の 遅 さに怒 りがわいて きた。 宮城 、岩手では商店 ができ復興への道へ踏み出 した、とはいえまだ多 くは仮設 の商店 街 でプ レハブの小 さな店 が並んでいる。この よ うな店で買い物 を した り食事 を した りし なが ら、いつになった ら昔の よ うな街 ができるのだろ うか と改 めて被災の大きさを痛感 す る。それで も、 自分たちで何 とか復興 させ たい、「前 向きに考 えな くちゃ」 と商店で 頑 張つてい る方々 と話 を してい る と復興 させ なけれ ば と肩入れ を して しま う。 しか し福 島の原子力発電所 の事故で避難 された方々の話 を聞いてい ると、復興の糸 口 さえ見 えないまま、「これ か ら先 どうしよ うか」 と迷 つてい る方が沢 山いて、私たちに できることはないのか と考 え させ られ る。 ここ長野に来て初 めて里 山看護学 とい う言葉 を聞いた。 里山・里海 とは都会 と山間部 の中間点にあ り、自然 と伴 に生 きている地域 と言われて い る。また、里 山 とはふ るさとの原風景 「ウサギ追い しかの山、小鮒釣 りしかの川」の イ メー ジだ とも言われ てい る。そ こは畑 か ら新鮮 な野菜 を手 に入れ、近 くで とれた新鮮 な魚 が手に入 る、都会 の よ うに現金がな くて も十分豊かな生活ができる地域が多い。そ こには地域の強いきず ながあ り、お互い様の精神が生 きている。 と言われている。吉村 の里 山で生活す る人 々への聞き取 り調査によると「毎 日食べ るものをある程度 自分で作 って食べて、 自分が楽 しんできた」「鍵 をかけな くても近所の人が見ていて くれ るか ら 安心」「長年 にわた る近所付 き合 いの中か ら培 われた もの」 な どの話 りがある。そ して 吉村 は 「地域の 自然、風物 、習俗 、信頼 、規範、ネ ッ トワー クや これ らの要素 とかかわ ることで得 られ る何 らかの力が、暮 らしにお ける生 きがいや幸福感、独居高齢者 の生活 の質な どに影響 を与 える可能性があるとい う事がわか る」 と述べている。 里 山では 自然か らの恵みだけではな く、人 と人のつなが り、地域 の文化があ りそれが 肉体だけでな く社会 的に も、精神 的に も健康 な生活が送 ることができる要因 となってい る と言 える。 そ して、福 島原発事故 か ら避難 を余儀 な くされた双葉郡の方々の話か ら多 くの地域は 里 山。里海 と言 われ る 自然豊かな所 だつた ことがわかる。「散歩す る場所が沢山あつて、 よく散歩 を していた」「畑があって野菜 を作つて、そ こか ら採れた野菜で漬物 を作つて・ や ることが沢 山あつた」「田畑か ら採れた ものを食べていたか ら、お金 なんてそんなに な くて も十分暮せ た。米 を買 つた こ とはなかった」「山に行 けば大 きなキノコが取れ て 。・・。」「自分 で釣 って きた魚 を食べていた」 と楽 しみなが ら食料 を得ていた事がわ か る。 また、近所 との付 き合 い もた くさんあった。「近所 に声 を掛 け合 う人がた くさん いた」「子供たちが近 くに住 んでいたか ら、孫の世話 を した りして、さみ しくなかった。」「祭 りの ときは皆が家に来て、楽 しかった」 とい う語 りが聞かれた。 それ らが、原発事故 によ りある 日突然、すべての山、田畑、海 を簿われ、住み慣れた 我が家 に帰れ るめ どがないまま、地域 のつなが りもな くな りば らば らに暮 らしている。 そ して、多 くの不安 、不満 が聞かれた、ここに来た ら食べ るものまで全部買 うか らお金 がかか る」「今 は畑 もない し、体 を動か さないか らダメになつて しま う」「ここで釣 つた 魚 は食べ られ ない」とこれ までの 自然 の恵みや、体 を動 か して物 を作 る楽 しみ を奪 って しまった。 また、「畑 で作 つた ものを孫 に送 った ら、娘 に『 なんで県外まで避難 したの かわか らな くなって しま う』と怒 られた」と家族のために野菜 を作 る楽 しみ さえな くな つて しまった。 そ して 「近所 に知 ってい る人がいない」「自分で運転す るのが怖いか ら 出ていない」「昼 間か ら出歩いてい ると、遊んでいる と思われ るか ら狭い家でひ っそ り している」と交流の機会 もな くしてい る。社会的にも精神的に も不健康な状態で、体 を 動かす意欲 も機会 もな く過 ご しなが ら、「これでは体が弱 つて しま うと」気 に しなが ら 生活 してい る状況 は健康か らほ ど遠 い と言 つて よいだ ろ う。 吉村の研 究では 「人間関係 の絆」「集落のま とま り」「文化や伝統の継承」「自然 との 共存」のカテ ゴ リーが重要であると述べている。そ して里 山の保健政策・施策の構築に は これ らのカテ ゴ リーに関連す る要素の活用が有用である と提言 してい る。 阪神 。淡 路大震災以降地域 の コ ミュニテ ィー を壊 してはいけない と強調 されて きた。しか し今回 の原発 の被災地では役場が避難せ ざるを得ない中で、集落がま とまって避難す るな ど考 え られ なかっただろ う。そ してみな し仮設住宅で暮 らしている方々は、家の近 くに同郷 の人々がい るのか さえ知 らないまま暮 らしを始めている。いつ双葉郡 に戻れ るかわか ら ない人々には新 たな絆作 りが必要だろ う。そのためには吉村 の提案 にあるよ うに「文化 や伝統の継承」 につ なが るよ うな催 しを開催す ることも有効 か も しれ ない。「自然 との 共存」も少 しずつ福 島県産 の農産物、魚類 が市場 に出始 めてい る。畑の産物が安全 と認 識 されれば、地域 の人 々 と畑仕事 をす る中で新たな「人 間関係 の絆」の再生に貢献でき るか も しれ ない。現在 の居住地は双葉郡 ほ どの里 山 。里海 ではないがそれで も大都会か ら見れ ば多 くの 自然 が残 された地域 の よ うに見える。ここでの暮 らしに落ち着 こ うとし ている人々が、この地域 で新 たな「人間関係 の絆」ができる援助 を考 えることが必要だ ろ う。また住み慣れ た地域 に戻 ろ うとしている人々には若者へ伝 えていける「文化や伝 統の継承」の場 を作 るためのサポー トが必要 なのではないだ ろ うか。 東 日本大震災 に対す る災害看護 は、看護師が復興 に どの よ うにかかわ ることができる のか、手探 りで役割 を考 えてい る時期だが、里山看護学の視点か ら地域の復興への看護 師のかかわ り方 も考 え られ ることを知 った。 参考・引用文献 吉村 隆