長野大学紀要 第15巻 第1号 1-23頁 1993
農村経済研究の40
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日 次 前 言 (1) 農産物 の流通 ・価格問題 (2)農産物 の流通 と価 格形成 (3)農産物市場体系 (4)む らと農村 (5) 中国農村研究の40年 追 憶 前言
長野大学在職25年 を以て 、この3月31日に定年 退職 す る。一つ の節 目ではある。 いまか ら25年 ま えの1968年3月未のあ る 日、協 同組合経営研究所 (1956年4月就職 )研究員の退職 を思 い立 ち、辞表 を提 出 したの ち、研究所参与の近藤康 男先生 を上 高井戸の ご自宅 に訪 問 して、お礼 を兼ねて退職 の 挨拶 をした。 先生か ら 「勤務経歴の空 白期間 を生ず るのは よ くない。就職 しなさい。た またま本州大学か ら教 員推薦 を求め られてい るので どうか」 との話 を承 った。お薦めに したが って 、前野良先生に会 い、 求め られ るままに招滑 に応 じた04月2日頃であ った と思 う。新宿 の 「紀伊 国屋」3階の喫茶店 「ブ ル ックボン ド」 でのこ とであった。 その翌 日か ら九州大学で開かれた農業経済学会 大会に出席 した。た またま(?
)合 流 した阪本楠彦 (東大農学部 )・古島和雄 (東大社会科学研究所 )・ 菅野俊作(東北大教養部 )の4名で、九州大学経済 学部の馬場 克三先生 を室兄の ご自宅 に訪 問 した。 この4人が顔 を揃 えた ら、 どうい うこ とになるか よ くご存知 の馬場先生 ご夫妻か ら定石通 りの接待 をいただいた。 宴 たけなわの とき、馬場 先生が明 日手術入院の菅
沼
正
久
Masahisa Suganuma
由洩 らされ ると、早々に退散 とい う仕儀 となった。 九州か ら帰 ってのち、た しか4月6日に新学年 第1回の教授会が招集 され、は じめての 出勤 とな った。本州大学助教授任命の辞令 は、 4月 1日発 令 であった。その年か ら数 えて25年 で退職 とな る のであるが、1992年12月25日に65歳 とな り、定年 を迎 えたか らである。 定年退職 は一つの節 目であるが、それは まず在 職25年 の終了 とい う節 目であ る。 また、1952年 に は じめて長崎県北松浦郡御厨村郭公尾部 落の調査 を実施 してか ら、1992年1月に長野県伊那市の農 協調査 を実施す るまでのあいだ を数 える と、あた か も農村調査40年 とい う節 目である。 また、1953 年 に社団法人中国研究所所員 とな り、 日中友好の 事業 に参加 したこ とを起点 とす る と、1993年4月 は 日中友好40年 とい う節 目である。 1992年5月20日には河北大学代表団 を迎 え、長 野大学 ・河北大学の学術交流協定調印式 を開催 し た。同年11月12日には上海の復旦大学 日本研究 中 心か ら、鄭励志 、陳建安 の両夫妻 を迎 えて、同 じ く学術交流協定調印式 を開いた。私の 日中友好40 年 の節 目として、錦上一撃 を得 た感が深 い。 さまざまの意味の節 目ではあるが 、 この文章 は 「農村経済研究40年」としてまとめる。「長 野大学 在 職25年」 とす ると、25歳か ら40年 を経 た農業経済 学研 究の累積 を包含す るのに薙 しい。 日中友好 も し くは 日中交流の40年 を主題 とす るわけ に もいか ない。その方面の仕事 は私の歳 月に とって重 い意 味が あるが、また最近14年 間の中国 との学術交 流 が 、私の農業経済学の研究方法論 に与 えた示唆 は 深い。 しか し、そ うであれば ます ます 、農村経済 研究 の40年 を主題 とす るのが理 に適 うこ とにな る。 私の農業経済学研究は私の同時代人 と共 通 して 、 まず農村調査 に始 ま り、農村調査に回帰す る。近 -1-藤康雄先生か ら得 た教示は大 きい。 (1) 農産 物の流通 ・価 格 問題 私がその解明 を迫 るべ き課題 とした 「農村の価 格流通関係」は、戦後農地改革によって土地所有 制度改革が一応の結着 をみたあ との農村の主題 を なす。1953年 に議員立法によって成立 した 「農産 物価格安定法」はその里程標である。時期 を前後 して、茨城県の山口武秀氏 を指導者 とす る常東農 民組織総協議会の甘藷価格闘争が記録される。農 地改革によって農地所有による農民搾収問題が解 決 された。そのあとは政府-独 占資本家階級 と農民 のあいだの主要矛盾は、農村の流通 ・価格問題で あ り、農民運動の主題は価格闘争に移 った とす る 認識が生 まれた。 そこに卓絶があった。主要矛盾が流通 ・価格問 題であるとす るのは正 しい。 しか し、その価格問 題が一つの郡市、地方 ごとには じまる農民運動の 主題であるとす る認識は外れた.価格問題、つ ま り売 り買い問題は闘争 とい う形式にな じまない。 闘争 とい う手段 を要 しない。公平公正な等価交換 に よって、搾取が成立す るのであるか ら、闘争の 形式は機能 し難い。これは1955年頃になると農民 自身が解答 を準備 した。 昭和年号で云 う昭和30年代の10年 間、私はこの 流通 ・価格問題 を主 として農産物流通 ・価格問題 として、調査研究に従事 した
。(
1
)
方法 としては流通 範囲が広範であ り、価格休系 (生産者価格、産地 価格、消費地市場価格、小売価格な ど)が鮮 明で あ り、多 くの農家-生産者が、 しか も主菜的に関 与す る、その ような大宗品 目の農産物 を選んだ。(
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)
また、生鮮 食料品 としての農産物 、加工用原料 としての農産物、その専用品種な どの角度か らも、 調査研究 を進めた。(
3
)
その調査研究方法の必然の所産が、いわゆる 「主産地」論 である。その概念はまず、商品化率 が 高い農産物がその地域の主品 目の地位 を占め る。 つ ま りおおむね農家の全階層に生産が普 及 した品 目であ り、反面、主要都市の卸売市場 で比較的高 い 占有率 を維持 している産地である。 また、生産 と出荷流通が大量であることの反面 として、農協 共販の軌道に乗 っていて、農協共販事業が生産 ・ 出荷の過程で指導的な役割 を演 じて もいる。の ち に登場す る 「野菜生産 出荷安定法」(1966年公布 ) の 「指定産地」の条件は、主産地概念 と近似す る. 商業的農業 と流通 ・価格問題 ここで、農産物の商品化あるいは商業的経営に 敷桁 してお きたい。小農経営の商 品生産は、ある 程度の 自給用現物生産 と併存す ることを予想 して、 小商品生産 とい う性格規定がある。 しか し、現代 日本の米作農業の商品生産 、商業的農業はかな り 純度の高い、自給分 を脱附 した商 品生産であ り、 その限 りでは小商品生産の城 をは るかに超えてい る。 しか し、やは り特殊 な商品生産 である。それ は農業に不可避 的につ きまとう、特殊な分業、分 業の特殊性 を反映 している。 農業におけ る分業は工業におけ るような部 品生 産 を基礎 とす るものではない。農業では部品生産 を欠 く。播種 、肥培管理 、収穫の各作業種類 ・工 程は、時系列的に継起す るものであって、これ を 部品生産化 し、パ ラレルに同時進行 させ ることは できないo農業では生産の全工程 についての分業 は成立 しない。その種の分業に もとづ く商品生産 も成立 しない。農業の分業は穀物生産 、青果物生 産 、畜産 といった農産物種頬の間の分業 として成 立する。同一農産物種類の内部の品目、読菜の内部 の大根 (根菜 )と白菜 (葉菜 )との問の分業が成立 す る。結球 白菜について長野県、茨城県、群 馬県 の産地が成立す るのは、東京市場 の秋季出荷 と云 った具合に、特定市場の特定期間におけ るもので、 この時期には、いわゆる主産地生産が品質 ・コス ト・数量の面で競争的優位に立 ち、その条件の も とで特定産地が量産 、高い商品化率 という内答の商 業的生産 を展開す るのである。農業における商業 的経営 、商品生産の基礎 に、立地生産が あ り、立地 を基礎 に した品 日間 ・種類間の分業が形成 され る。 私が着手 した農産物価格 ・流通研究は、1950年 代の中期以降であ り、疏菜、肉富 、果実、採卵鶏、 酪農(市乳 )、水稲作 といった種類 において、商業 的経営が発展 した時期である。商業的農業の発展 と相補相成の関係で、価格 ・流通研究が発展 した。 1955年頃においては、研究者の数 は少な く、研究 方法 も未熟な、創成期であった。1960年代 当時に おいて も、そ してある程度の意味において今 日で菅 沼正 久 農 村経 済研究 の40年 もなおそ うであるが、この研究分野は研究水準が 低 く、理論的研究が実務的研究か ら自立す るに至 らず、混然の状態がつづ く。 専 門研究者が実務的研究 を理論的研究 として誤 解す・る傾 向 を否定 できない。反面 、農産物価格論 研究 も地代論 もしくは市場価値論研究の次元 を抜 け出 していない。市場(機構 )研究、市場流通研究 の基礎 を欠 く農産物価格論研究の状況がある。農 産物流通研究 も価格論研究が地代論、価値論の領 域 を脱却 できないため、価格形成の具体的認識に 欠けるものが 多い。食糧管理制皮の もとの米穀流 通や 、系統農協の販売事業品 目の農産物流通にお いては、物的流通 は商的流通 と相対的に 自立 して いる。 農産物流通における物的流通の相対的 自立は、 商的流通にさまざまな問題 を提起 している。例 え ば価格形成機能が売買当事者、需給当事者の手か ら離れて、第3着機関に移 った。 また、価格が需 給均衡価格 として形成 されず、生産費補イ賞価格 も しくは消費者適正 負担価格な どの政策価格 として 形成 され る。いずれにせ よ商的流通機能の退化は 一般的傾向である。 1980年代 を目前にひかえて、政府の農政審議会 は 「80年代の農政の基本方向」 を答 申した (1980 年10月)。その主要な論 旨は、農産物 価格政策の転 換の提唱であって、従来政緬 格がはたしてきた 所得保証機能 を解除 し、需給反映の市場価格 を基 調 とす るとい うものであった。 この提言の前提は、 農業生産 の価格弾性関係であって、市場価格の騰 落 を反映 して、農業生産が伸縮す る図 を予想 した こ とである。 日本農業 、農家経済の現実はその ような素質 を いち じるしく欠 くに至 っている。農産物価格形成 の市場法則 を考察す るとき、マル クスのつ ぎの見 解 は考慮 に低 いす る。「分割地農民にとって搾取の 制限 として現われ るもの」 について、マル クスは つ ぎの ようにのペている。 「小 さな資本家 としての彼に とって絶対的な制 限 として現われるものは、本来の費用 を差 し引い てか ら彼が 自分 自身に支払 う労賃にほかならない。 生産物の価格が彼にこの労賃を保証す るか ぎり、 彼は自分の土地 を耕すであろう。そして、しば し ば、労賃が肉体的最低限に達す るまで、彼はそ う 3 す るであろ う」(『資本論』大 月書店版P.1032)0 私の解釈 を加 えると、ここで云 う分割地農民は 「最劣等地」の耕作者 としての彼であ り、その彼が 農産物価格によって得 る所得、「彼が 自分 自身に支 払 う労賃」が、その社会的水準の家計費 を充足す る額以上でなければな らない。社会の農産物需要 はそ うした最劣等耕作の彼を必要 とするのであ り、 また社会は「彼が 自分 自身に支払 う労賃」が所与の 社会的水準の家計費 を充足す る水準以上であるこ とを保証す るであろう。 もしその水準が保証 され なければ、彼は耕作 を止め るであろ うし、その こと は社会 に とって必要農産物の喪失に至 るのである。 ここに略述 した状況は1960年代には存在 した と 思 う。 この時期は最下層の零細農民は、中上層農 家の雇用による農業労賃 と自家農業所得に よって、 「自分 自身に支払 う労賃」を得ていた。農産物価格 はそ うした水準で形成された。 しか し、1970年代の全般的兼業化の状況の到来 においては、状況は一変 した. とくに一般 的農家 においてその家計費が農産物価格-所得 に よる充 足か ら、農外兼業所得による充足-移行す るにつ れて、「生産物の価格」と 「彼が 自分 自身に支払 う 労賃」が 「土地 を耕す」限界 として相互 に反応す る関係は後退す る。こうした農産物価格 の騰落が 一義的に土地耕作の伸縮、転換 をひき起 こす関係 は消 える。 したが って農政審議会答 申が期待す る ような、農業生産 (ある特定種類、品 目の農産物 生産 )の増減が農産物価格の形成に影響す る状況 は存続す るとしても、逆の関係農産物価格 の形成 が農業生産増減 を刺激す る関係は弱 まる。 とくに農産物価格の上昇が農業生産 を刺激す る 関係は単純ではない。それは農家階層が 異なるに つれて、農産物価格 一 農業所得 一 家計 費充足の 連動 関係が異なるか らである。例 えば第 ⅠⅠ種兼業 農家のばあい、生活水準が高 く、家計費支 出額 も 大 き く、その農業所得依存の度合 いが低 い。この 階層 は農産物価格の騰落の農業生産刺激効果が鈍 い。反面、基幹労働力のある専業農家のばあい、 一般 的に云 って、農産物価格の騰落動向 にたい し 鋭敏 である と云 うことができる。 「新 しい上層農」と農産物価格。1970年 代 を通 じ て農 村の兼業社会化が進行 した。兼業農 家が農村 社会の支配的多数 を占める状況が出現 したが、そ
れは農業の現代化 -機械化 とい う技術革新 を基調 とした。農業機械化に よる省力が 、伝統的な稲作 -耕種農業生産 力 を維持 した ままの状態で、農家 労働力の度外兼業就労 の構造 を可能 とした。反面 、 兼業所得は高い水準の家計費 を充足 し、その うえ で積極的な機械化投資 を促進 した。 農家 戸数 の10%を占め る基幹労働力 を有す る専 業農家 も、機械化の達 成の点 では共通す る。専業 農家は 「新 しい上層農」 あるいは 「企業的農家」 とい う呼称が示す ような、農業経営上の新 しい特 徴 をもっている。それは高度 な技術装備 であ り、 物財費に しめ る機械化 費用が 多 く、いわば下放硬 直的な生産費構 成 とな ってい るこ とである。 この専業農家 の経営上 の戦略、投資決定要 因は 二つある。一つ は農産物価格の動 向であ り、 もう 一つは生活水準 -家計費支 出の動 向である。後者 の生活水準 -家計費支 出の動 向は、その農村社会 の規制力量であ る兼業農家の家計費支 出の影響 を 受 け る ものであ り、専業農家はそれ を一種の 「社 会的強制力」 として受 け とめ る環境にある。兼業 農家が リー ドす る生活水準の向上 、家計費支 出の 増加 とい う圧 力 を受けて、専業農家は新 たな農業 所得の追加 を模 索す る。 農業所得の追求は、農業経営 -土地耕作の規模 拡大 を基調 とす る就労場面の拡大 に至 る。それは 家族労作経営 、夫婦経営 の もとでは必然的に省力 を要求 し、機械化投資 を招 く。その機械化費用の 増嵩 を主 とす る物財費支 出の上 限 を規定す るもの が 、農産物価格 であるo反面 、農産物価格の下 限 はこれ らの専業農家屑 (その最下層 )の物財 費支 出 を充足 し、そ して社会 的水準 としての家計費に 見合 った額 を自家労賃 として保証す るものでな く てはな らない。 この専業農家階層は例 えば水稲作では3ha層以 上 であ る。そのばあい水稲作の兼業農家は3ha以 下屑 にぞ くし、単位面積 当 りの物財費は見な し支 出額 をふ くめて、専業農家層 と比べて高額である。 しか し、 自給肥料、農作業小屋 な どの見な し価格 は、実際の貨幣支 出 を伴 わないので、経験的には 物財費 を構成 しない。資本利子 、地代 も同様 であ って、専業大規模農家においては、それは実際の 借 入れ資本利子 であ り、借地地代 であって、費用 として計上 され る ものであるが、小規模経営 の兼 業農家においては多 くのばあいは見な し支出額に とどまる。か くして、単位面積 当 りの物財費 、資 本利子 、地代な どは専業大規模農家 において高額 であ り、農業小規模農家において低額である。 (2) 農 産 物 の流通 と価 格 形 成 農産物はその流通 と価格形成において、米穀が 典 型的であるが、政府の介入 ・関与が 多 く、政策 価格 もし くは管理価格 として形成 され る品 目が 多 い。そのなかで読菜 、果実 、畜 肉、鶏卵 な どの卸 売市場品 目は、市場経済的な価格形成 ・流通が一 般 的であ り、需給関係 を反映 している。以下 で読 菜 を例 に して、流通 、価格形成の特徴 を略述す る が 、それは現在の農産物の流通 と価格形成が市場 経済の もとで、 どの ような特徴 の ものであるか を しめす。 読菜の市場流通 と価格形成 読菜の市場流通 と価格形成の特徴 はつ ぎの如 く 要約 で きる。 1.小規模零細生産 と小規模零細消費 を媒介す る流通 である。 したが って集荷 と分荷の二つ の流 通段 階があ り、流通 は現代経済社会 の大量流通の 要請に適応 して成立す る。 2.集荷段階 では小規模生産 は大規模集荷商業 資本 に対面 し、分荷段階 では小規模消費は大規模 分荷商業資本の もとに置かれ る。 3.この流通過程 では需給関係が適切 に形成さ れず、均衡価格の形成 も容易 ではない。流通 の過 程 で商業資本の大量需給が 出現 して も、零細農家 の供給適応 、 もし くは遠隔地か ら移送供給 を期待 す るこ とは難 しい。反面 、都市卸 売市場 において 大量供給が発生 し、価格が低落 して も、価格弾性 反応 として、消費購買の大量需要 を刺激す るこ と は難 しい。 4.こうした経常 的な需給不均衡状況では、価 格形成 もつねに供給過剰価格 であ るか 、価給不 足 価格 であって、需給均衡価格の形成 を期待 し難い。 これは基本的には物的流通の不完全に由来す ると 云 うべ きであろ う。 5.品菜は生鮮 食料品であ り、流通過程 におい て も植物的成長がつづ く。流通過 程におけ る商品
菅沼正 久 農村経済研究 の40年 価 値 (使用価値 )の変化 を防 ぐために、保有冷蔵、 予備冷蔵 な どの一種の加工 資本投下 、付加価値 の 形成かつづ く。換 言す る と、本来の輸送機能 、保 管機能 とともに冷蔵 とい う生産的機能が流通過程 に延長 され る。
6.
読菜な どの農産物 の大量流通 には、零細生 産 、出荷者の零細 出荷量 を、単一大量の荷 口とす る手続 きが不可欠 である。その荷 口が単一体 であ るためには、出荷者が価格 、出荷時期 お よび出荷 先 について条件 を付 けない、無条件委託 でなけれ ばな らない。それは通常 、農協共販の方法 で実行 され る。 その場合 、販売価格 (市場卸売価格 )、運 賃、包装 費な どをふ くむ共同計算が不可欠である。 共 同計算 は1
日単位の 日別共計か ら全期共計 まで あるが、共同計算期間が長期 間であればある程 、 出荷時期 におけ る価格変動 の、出荷者の取得価格 に与 える影響が減殺 され安 定 した もの となる。7.
市場 と競争産地。商業的農業の特徴 は、各 産地 (多 くは主産地 )が競争関係の もとで発展す るこ とであ るが 、産地間競争 は一定の卸売市場 を 場 として出現す る。換言す る と、卸売市場 を中心 に競争産地が分布 す る。その産地 は主に主産地で あるが、主産地間競争 の間隙に零細産地が介入す る。例 えば、神 戸市場 には四国、山陽方面の主産 地が分布す るが 、その各主産地の神戸市場 出荷の 間隙、つ ま り供給不 足期 を狙 って、神戸市近郊産 地か ら出荷が介入す る。(3
) 農 産 物 市 場体 系 産地間競争が特定の市場 を介 して形成 され るが 、 各種の市場 も直接 間接 に競争関係にある。生鮮 食 料 品農産物 の流通 ・価格問題の一つの典 型 として、 読菜 とその市場 流通 を例示 したが 、 もちろん読菜 市場 流通 を以て、農産物の流通 ・価格問題のすべ て とす る訳にはいか ない。市場体系 とい う観点か らみ ると、政府市場流通 (米 、葉 たばこ)、独 占資 本市場流通 (飲用乳お よび加工原料乳 )、卸売市場 流通 (青果物お よび畜産物 )、中小加工資本市場流 過 (醸造用原料穀物 、ぴん・缶詰加工原料 ) とい う 区分が適切 である。 1.政府市場 流通。その特徴 は食糧管理法にみ るように、法制的市場 であ り、政府独 占が支配す る。価格 は米価審議会の答 申に もとづ き内閣の決 定 に委ね られ 、物的流通 は食糧庁長官の直接管理 の もとにある。具体的には指定 団体 としての系統 農協 が95%の 占有率 を以て市場 を制圧 し、政府管 理 を実行す る。保管は政府指定倉庫 (大部分が産 地所在の農協農業倉庫 )を充用 し、入出庫すべて 政肝 のオー ダーに よる0 2.独 占資本市場流通。1970年代 を経 て、我が 国の食料 品市場 に基本的な変化が生 じた。食料の 生産部 門 (主 に農業、漁業 ) と最終消費の中間過 程が 、単純 な農林水産物流通か ら、食品産業 (良 品工業 、飲食店 )をようす る加工 、流通 、飲食部 門の過程に変 じたこ とである。1985年の 「産業連 関表」を用いた計算によると、最終消費は57兆9820 億 であ るが 、その内訳は生鮮 食品等14兆6160億、 25%であ る。加工品27兆9120億円、48%であ り、 外食15兆9540億円、27%である(印召手口63年農業 白 書』)。 これは食料品流通のいわゆ る 「川下」 の状 況 を しめす数値 であるが、最終消費者支払い構成 上 、加工 品が半数近 い比重 を しめ るに至 った。乳 業資本 、製菓資本、-ム ・チー ズ加工 な ど大小資 本が直接 に リー ドす る部 門である. これはかつて、養蚕業にたい し製糸資本が支配 した分野 であ り、蚕繭生産者価格が生糸価格か ら 産 出 され原料繭価格 として、いわゆ る 「掛 目」 に よる逆 算 として計算 され る慣行がつづ いた。 この 基本 的事情 は産業独 占の リー ドす る大小加工資本 と農 家のあいだの経済関係 に貫徹 してい る。加工 原料乳 と指定製品の価格関係に代表例 をみ る。 それは 「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法」 (略称 、原料乳価不足払い法、1965年6月公布 )に 依 る もので、まず、乳製品の 「安定指標 価格」が きまる。 これは乳製品の消費の安定に資す るこ と を旨 として定め る乳製品価格 である。 この価格か ら乳 業資本が酪農家に支払 い可能 を乳代 として、 「基準取 引価格」が算 出される。これが乳 業資本が 自己の採算か ら割 り出 した原料乳価格 で ある。 し か し、それは乳業会社の採算 を保証す るが、酪農 経営 としては採算割 れ となる。 そこで政 府は加工 原料乳地域 の再生産 を確保す るのに足 る乳代 とし て 「保証価格」 を定め、乳業 資本の負担 に代替 し て、政府が その価格に よる支払 を負担す る。 いわ ゆる 「不 足払い」 となる所以 である。昭和
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年度の数値 に よると、「安定指標価格」は 例 えばバ ター1kg当 り1080円である。その原料乳 代 は1kg当 り66円51銭 を超えるこ とがで きず 、こ れ を 「基準取 引価格 」 とす る。 この場合留意すべ きこ とは、政府 の政 策価格が乳業資本の原価 を基 礎資料 として算 出され たことである。反面、酪農 経営 としては、その生産費計算上 、原料乳代 は1 kg当 り79円83銭 を下 まわるこ とはで きない。 こ れが 「保証価格」であ る。政府はこの社会的矛盾 を解決 し、両者の存立 を可能にす るための社会的 行為 として、保証価格 と基準取 引価格 の差額(「補 給金単価」)を負担す ることになる。3.
卸売市場 流通 。 前述引用の数値 にみ るよう に、最終消費か らみ る と、生鮮 食品流通 、つ ま り 卸売市場 流通 を経由す る農産物はおおむね25%で ある。 ご く最近 時 まで 、米穀等以外の青果物 、畜 産物の流通 は基本的 に卸売市場経由であったが、 現在は25%にす ぎない。時代の変化 であ る。 農家の側か らみて 、生鮮食料 品流通が加工 、外 食の原料流通 と併存 し、 しか もその比率 が 4分 の1
相当 となった ことは 、卸売市場の価格形成が加 工 原料農産物の価格 (多 くは原料契約価格 )の影 響 を受 けやすい状況 となったこ とをしめす.一部 に加工企業 、外 食企業 の卸売市場売買参加があ るO このこ とは卸売市場価 格が仲買人、小売商 人のせ り価格だけでな く、加 工企業 、外食企業のせ り価 格の直接の影響 を受 け る状況になったこ とをしめ す。 この状況 として と くに畜産市場 におけ る加工 肉原料取 引 を指摘 したい。 その影響 とは、従来 の生鮮 食品取 引においては、 その需要価格は当 日ご との需要 を反映す る もので あったが 、加工 原料取 引が登場す るこ とに よって、 輸入 をふ くむその製 品価格動向、 日ご と需要 を超 えた中 ・長期 の原料需要 を反映す るに至 ったこ と である。 また卸売市場 の売買参加 人に、一般 の零 細小売人 とは資質 を異 に した、資本力で優位 に立 ち、取 引数 量 も大規模 な加工企業原料担 当者が、 価格形成 を リー ドす る というこ とである。最近時、 卸売市場 において、相対 (あいたい)取 引が拡大 す る傾向にある。云 うまで もな く、加工企業や大 型店の大量買付需要 である。 元来、零細生産 と零 細需要 、零細消費の媒体 と して、現代 の大量流通 に適応すべ く、集積機能 を はたすべ く出現 した卸売市場に、それ 自体 が大量 需要 であ る、つ ま り大量需要行為 を以て、零細生 産 に対すべ き加工企業や大型店が 出没す るこ と自 体怠慢 ではないか。 4.中小加工資本市場流通。 もともと大規模加 工 資本市場の周辺 にあ り、加工 資本 として企業間 競争の関係にある。 しか し、そこに単 なる大資本 と中小資本の競争一般 に包含 しえない特異性があ る。例 えば、清酒醸造、味噌正油加工 、果 汁加工 、 ぴん缶詰業 な ど。地方の地場産業 として成立 し、 地方産の原料 を調達 し、地方的需要 に供給す る。 一種の地域独 占に似 た地位 を占め る。(4)
む ら と農 協 農村調査研究の歳月の うちの25年 間は、本州大 学、長野大学 の在職 にぞ くす る。 この時期 は東京 大手町の友 人 との往来が疎遠にな り、旧塩 田町 を は じめ とす る長野県内の基層社会 との交際が密度 を増 した。大学の用務員、事務員の眼に映 じた農 協 は、大手町農協 とは世 界 を異にす るが 、尚かつ 農家か らの距離 も否定 で きない。県連合会や 中央 会 の友人か ら、農家の農協離れ と併行す る農協 の 農家離れの話 を聞 く機会 を多 く得 た。 忘 れ難 いのは上 田財 界の リー ダー の一 人か ら聞 いた話である。市域 の長期展望 を語 る際、商工 会 議所代表 は然 るべ き役割 をはたすが 、農協 の組合 長は県農協 の出先機関の人だか ら、声 をか け るに は及ばず との ことであった。 この点は熟慮 した。 商工会議所の役員は何百万円 もの負担拠 出 をして その ポス トを得ているが 、農協 は逆 に役員報酬 の 取得者である。商工会議所役員は構成企業 の代表 者 であるが、農協組合長 は報酬 を受 け とっている 農協1
企業 を代表す るに過 ぎない。 この話 は恐 ら く、農協組合長 はその区域 の農家 を代表す るが 、 それ以上 に農協企業の経営者の一 人に過 ぎない。 商工会議所会頭 と農協経営者の- だた りを感 じさ せ られ る話 ではあ る。 役場 の隣 りにあ る農協。農協調査 に よって把む こ とが で きる話 と、普通 は話題 にな らない話 とが ある。前者 は役場 との関係 であ る。農協 は役場 の 隣 りにあって、役場 と同 じように上意下達 的であ る。 ちがい もある。役場 は上意下達 の仕事 を税金菅 沼正 久 農村経済研究 の40年 を使 って執行す るが 、農協 はマー ジンや 利鞘 な ど の収益 に頼 る。 話題 にな らない話の最 たるものは、農協 と自民 党の関係である。系統農協が 自民党 の集票組織で あ るこ とは有名 である。生協 は革新系であ り、そ の リー ダーは社会党 、共産党の人たちが 多 く、い わば革新系 であ る。そ して生協 は単 な る無店舗 の ,阻織購買や店舗 購買な どの小売商業活動 に とどま らず、原水爆禁 止運動 、有機農業運動 、安 全食品 普 及な ど多彩 な活動 を展開 している。か ながわ生 協 がその発展の一時期 、勤労者の主婦 を「家庭班」 に組織 したこ とが あるが、組織活動 の典 型 として▼ 注 目を浴びた。一 それ と比べ て農協 は垂直統合 の事業方式 、中央 集権的な組織体系 を特徴 とし、基層では個 々の農 家 を組合員 として組織す る代 りに、伝統的な集落 の農家関係 を一 括 して 「集落農家組合」の網 をか ぶせ るや り方 をとった.1970-80年代 の農村兼業 化 の傾 向の もとで、その空洞化 ない し名有美亡が 指摘 されてい る。その ような官僚主義 、守 旧主義 と関係があるが 、系統農協はその創立以来、 自由 党 、協 同党 、進 歩党か ら自民党に至 る歴代の保守 党 の集票組織 として機能 して きた。 農村調査 をす る うちに、それに もい くつかのパ ター ンのあるこ とに気がつ く。例 えば、長野県は 「信州社会党」とい う特 異事情のためか 、社会党系 も(一部 、 日共系 も), 自民党系 も系統農協 に同居 してい るO 日本農民組合の地区 ・郡協議会の幹部 が農協常務理事 を兼ね る とい う結びつ きも散見す る。隣接の新 潟県は事情が異な り、革新 、保守繭 糸が系統農協 内に同居す る例 は少ない。上越地方 で も三市 中蒲原地方で も、社会党の リー ダーが単 協 の非常勤理事 に選任 される例 はあるが、両系同 居 とい う関係 ではない ように思 う。農村運動 に実 績 のある長野 、新潟両 県において、こ うした相 異 なった傾 向のあるこ とは、立 ち入った考察に低 い す る。私 は新 潟県が普通 であ り、長野県の両系同 居 、 とくに社会党系が系統農協 に座席 を占め る状 況が特異であ り、研究に値 いす る事 柄 だ と考 える。 組合員 自覚 に乏 しい農家。農協 に系統組亀 とい う言葉が あ り、系統利用率 とい う概念が ある。「系 統一体」性 を示唆 している。化学肥料 を例 に とる と、1990年度 の実績は単位農協 の経済連利用率89 %、経済連 の全農利用率74%の数字がある。元卸 売段階 での全農 の 占有率
7
1
%
、小売段階での農協 の 占有率92%であ る。 こうした言葉が正常 に意味す る実態は、おそ ら くい くらか はあ る と思 う。その反面 、全農 の供給 す る品 目に依存 して、独 自な仕 入れ開発 を放棄 し た経済連 、同 じ意味の経済連の供給す る品 目に依 存す る農協 が 多い と思 う。その基本は全農 の供給 事業 であ り供給推進事業である。統計上 、系統利 用率 高位 とい う数字は、全農の供給推進の強力 を 表現す る と思 う。 また、最近 、仝農が しき りと 「自主推進」 を強 調 して いる。 それは経済連仕入れにたいす る供給 推進が メー カー 、デ ィー ラーの手 に握 られ 、事務 処理上 、全農供給 とい う扱いになっている実態の あるこ とを裏書 きしている。全農 はそ うした実態 を改めて 「自主推進」に切 り換 えることを強調 し てい る。切 り換 えは難 しい ようである。 本質 は垂 直的統合 、中央集権 であると考 える。 これ を 「協 同組合原則」に反す る とい う批判 は成 立す るが、協 同組合 ではない とい う非難 は当た ら ない。戦時 、戟後の時期 、農協 (農業会 も含めて) は農業統制 団体 として成立 し、官僚 に よって哨育 され、今 日に至 っている。歴史的伝統はけ っ して 色槌せ てはいない。 農協 の現実の問題は、こ うした中央集権 的な事 業 と機構 を、農村社会 の深層において、如 何に機 能 させ るか にある。歴史的には中央集権農協 は、 農村社 会 において伝統的な地縁団体 であ る「集落」 を基盤 とした。その意味では農協 は明治33年産組 法公布 か ら数 えて も、昭和22年農協法公布 か ら数 えて も、 自前 の組合員組織 をつ くったこ とはなか った。換言す ると法律上の組合員 である農家 (孤 合員農家 )は、集落 を介 して農協 と "関係"す る のであ って、組合員であるとす る自覚 に乏 しい。 その意味では、1930年代 に 「産業組合未設置町村 の解 消」 は成 ったが、それは組織化 とは云 い牡い ものであった。 1970年代∼80年代 に農業集落-農村社 会 は激動 を体験す る。兼業化が進み、集落の大部 分 が農業 生産世帯か ら給料生活の勤労者世 帯- と変化 し、 農協 と事業利用面か ら遊離す る傾 向が強 まった。 更にいわゆる 「非農家」世帯の集落に移 住す るものが増 え、農村は混住化社会- と移行 した。 こ う して如何 ような意味で も、中央集権的農協の基盤 とな る社会 ではな くなった。 農協合併が進行 した。長野県には1990年度未 で 89農協 (正 組合員平均2249戸 )あるが、2000年 に は25農協 とす るべ (、合併 に拍車がかけ られてい る。2000年 には平均8000戸の組合 員の農協 となる。 全国的には同 じ期間に、3574組合が1000組合に統 合 され る。 しか し、この農協合併 は主に 「経営」 対策か ら出発 して、事業推進策や組織対策か ら構 想 された ものではない。つ ま り農協 の規模 を3.5 倍 に した ら、事業が発展す る とか、組織が強化 さ れ るとかいった見通 しに欠け る。 とくに奇怪 なこ とは3.5倍規模 の農協 は、その経営 (財務 と損益 ) が磐石 の安定 を約束 され る ものではないか らであ る。つ ま り、合併 を目的 とした合併が推進 されて い る。 農協経営者の責任感。合併のための合併 とい う 政策に抵抗 もな く、是認が与 えられているところ に 、農協 の経営者の責任状 況が表現 されている。 ただ し、合併 によって農協 経営 の安定が保証 され る とい う筋に疑問がな く、経営者 としての期待 を かけてい るのであれば、それは短見のそ しりは免 れ ないが 、無責任 とい う批判 は当た らない と云 え る。 短見のそ しりはかな り広 く云 えると思 う。1980 年代 を通 じて深 まった農協経営 の危機に さい して、 経営者にたい して 「危機感 な き危機」 とい う批判 が加 えられた。その真相 は経営者 として未熟であ るために、事業の停滞 、市場 占有率 の低下 とい う 経営指標 を危機 として感得 で きなか ったこ とであ る。 この場合 、系統農協 におけ る責任問題につ いて、 二つの点 を指摘 したい。 その一つ は、系統農協 に おいて非常 に特殊な責任体 系が あ り、責任が特定 の個人に集約 され難 いこ とであ る。前述の化学肥 料の取扱 い を例 とす ると、元卸売 り段階の仕入れ か ら農村小売市場 の段階にいた るまで、3段階の 事業組織があ り、それ ぞれが継起 して事業 を遂行 す る関係 にある.要約す る と一つ の事業過程に3 段階 (単位 )の責任単位が あ り、その責任単位が 自立 していないのである。 こうした事業体系が責 任 をす こぶ る授 味な ものに している。 もう一つの点は、農協経営 者の特殊性 である。 一般 的に農協経営者は組合長 、常務理事 、専務理 事 な どの常勤理事 と参事 な どの幹部職 員か ら成 る。 組織選 出の常勤理事が 中核 であ るこ とは云 うまで もない。その組織選 出の理事 は もともと、組合 員 か ら一 人一票方式に よって、組合 員の代表 として また農協 の指導者 として選 出 された ものである。 そ してた また ま農協 の企業的成 熟 とい う状況の も とで、理事 であるがゆえに経営者 の任 を負 うに至 ったのである。換言す る と農協 の理事 -経営者は 代表者素質で選 ばれたのであ って、経営者素質 を 問われた ものではない。それは農協 -協 同組合 に 固有の事情に由来す る。 協 同組合 においては、理事 -経営者が組合員の 代表者 として、その代表 、被代表 の関係が親密 で ある程 に、協 同組合 はその企業経営 の側面におい て も、良 き顧客関係 を期待 で きる。反面、理事 -経営者が経営者 としては優 れてはいるが、代表関 係 で疎遠の関係であ るな らば 、協 同組合はその企 業経営 の側面において 、他企業 との問に さび しい 顧客争奪 の競争 を強い られ るこ とにな るo このこ とは協 同組合 (企業 )が市場 経済の もとで不可避 に直面す る競争 において、その優 れた競争力は理 辛 -経営者の代表性 にあ るこ とをしめ している。 なお、協 同組合 の理事 -経営者 につ いて、株式 会社の取締役 -経営者 と比べ ての特質に論及 した い。経営者 とい う機能体 は もともと株式会社 に由 来 し、「支配株取得 、取締役 、そ して経営者」とい う一体関係の ものか ら、いわゆ る所有 と経営の分 離の うえでの経営者に及ぶ。 しか しここでは古典 的な概 念 として前者 、す なわち支配株取得に よっ て取締役 に選任 され、取締役 であ るこ とに よって 経営者 となる状況 を想定す る。 この ような株式会社 におけ る取 締役 -経営者 と 対比 して、協同組合 におけ る理事 -経営者 は様相 を異にす る。 まず選任の方法 では、取締役が支配 株取得 を基礎 とし、株主の資本本能 -利潤追求本 能 を代表す るのに対 して、協 同組合理事は1人 1 票原則に もとづ き、組合 員の利益 を代表す る指導 者 、代表者 として選任されるOそして理事機能の一 部 をなす経営者あ るいは経営管理 者の地位につ く。 したが って、協同組合理事 は株式会社取締役 と 異 な り、 元来 資本 の 人格 化 で は な い。 自分の株
菅 沼正 久 農 村 経済研 究 の40年 主 -取締役 としての私的利益の追求が、株主総体 の要求 を代表す る もの とはちが う。 また、支配株 取得に表現 されるような、利潤追求の特技者で も ない。協同組合の理事 -経営者は、個別資本-企 業の経営者 としては株式会社企業経営者 と形式上 の近似的関係にあ るが、企業経営の性格は相異す る。つ まり組合員の利益の代表、需要の充足を基 調 とす る経営体 であ り、そのような経営者である。 この特殊な役割 をはたす協同組合企業経営者は 元来難物である。すなわち
、(
1
)
組合員の利益 を代 表す る企業経営は本来、成立が困難であること。 (2)その ような企業体の経営者それ 自体が特殊 であ り尋常 ではないが 、その ような経営者 としての素 質の人材は稀有であるこ と。 また、(3)一般に協同 組合において1人1
票原則に依 って選 出され る理 事 は、大衆性 、代表性 において優れてはいるが、 天は二物 を与 えずの教訓の ように、経営能力者の 素質 を兼ねるこ とは至杜である。更に、(4)協同組 令 (企業)が支払 い可能 な報酬 を以て、その よう な素質の人材 を迎 えるこ とは不可能 に近い と思わ れ る。 単協経済事業の慢性的赤字傾向。各年の 『農協 経営分析調査』(全 国農協 中央会 )が明 らかに して いるように、 その部門別損益計算は金融事業の黒 字 、経済事業の赤字 を記録 している。換言す ると 形式上の計算は金融事業部 門の利益 を以て経済事 業部門の欠損 を補顕す る関係である. もう一つは 経済事業 は全農 と県経済連は黒字、単協経済事業 が赤字 という関係 、つ ま り、形式上の比較 をす る と、単協経済事業の事業収益への配分 を少な くす るこ とに よって、連合会事業収益の取 り分 を確保 し、その黒字 を造成 した とい う関係である。 この二重の損益不均衡 は、その内実はけっして 単純ではない。例 えば、単協の経営計算上、間接 費用 (事業管理費など)の各事業部門への配分方 法は約束事項であって、必ず しも事実その もので はない。費用支出は しば しば各事業部門共通にな され るが 、反面、収益収得は必ず、受取金利、購 買手数料な どの ように各事業部門を経由 し、各事 業部門に帰属す るとい う形式がある。 こうした同 一企業体 におけ る、支出 と取得の方法が、金融事 業の黒字 、経済事業の赤字 とい う関係 をつ くり出 し易 くしている、 とい う指摘がないわけではない。 9 一考に値いす る. しか し、その一考 を避けて経済事業の赤字は、 農協合併 、規模拡大 とい う規模の経済性に よって 解消 されるとい う説が生 まれて、すでに30年 を経 過 した。農協 にはなすべ き一考 を省略す る性急が ある。 もう一つの損益不均衡 につ いて、経済事業手数 料の配分の不均衡に由来す るとい う説がある。こ の点について、連合会の当事者の側の分析作業が ないか、あるいは発表 されていないか ら真相は不 明である。 しか し、そのばあい、連合会の事業機 能-費用支出 と収益取得の特殊な関係は考慮 され るべ きである。 例 えば、前述の化学肥料の事業推進方式にみ る ように、メー カー、デ ィー ラーによる売込み推進 、 連合会は伝票処理な どの事務取扱い と云 った方式 では、その ような推進業務 、記帳業務 は、連合会 が取得する事業収益 と如何なる関係にあるのか。 私は連合会の損益関係において、取扱業務 と費用 支出の間に確実な照応関係に欠けているのではな いか と考 えている。 また、その費用支出 との照応 関係 において、収益取得がなされている とは云え ない と考 えている。 全 国中央会が 「部 門収支の明確化のための 『部 門別損益計算』の実施 に関す る基本方針」(1957年 9月30日)を作成 してか ら、すでに36年 を経過 し た。 これは 「刷新拡充3カ年計画」の事業の一つ として推進 された。そ して、経済事業部 門が計算 上、赤字部 門になったことが1961年度であるか ら、 これ もすでに32年 を経過 した。この ような長期に わたる計算結果の傾向であるか ら、偶然の結果 と みることはできない。事実その ものであ るか、あ るいは計算上の結果であるか。ここでは疑問のあ るところとしてお きたい。 1970年代以降の新問題がある。それは農村の都 市化 の傾向、農村の全般的兼業化の傾向 につれて、 「農家」-組合員の農協利用が信用事業、共済事業 に偏 より、販売事業 と生産資材購買事業が減退す るようになったこ とと関係がある。農協 の金融事 業的蹟行的発展、事実上の信用農協化 とい う新問 題である。事業構成上 、金融事業が卑官 に近 い独 走化 をたどり、損益計算上 も金融事業収益 が経済 事業欠損 を容易に補穎す る関係が成立 したoこの新局面の もとでさまざまの意見が述べ られ、 さまざまの試みが現われた。販売事業、生産資材 購買事業の停滞はそれ として、生活購買事業 を経 済事業の基軸 とす る試みがある。この例は多い。 しか し、 自然成長的に主 な傾向 となったのは信用 農協化、信用事業単骨化である。いずれにせ よ、 農協が 「農業生産力の増進」(「農協法」第
1
条)を 基礎 として事業 を運営す るものでな くなったこと は否定で きない。農協 はその企業体の側面か ら出 発 し、その 「企業それ 自体」の存続の方途 を模索 しは じめた。1000組合 と想定 され る2000年の合併 農協は、ことの成否 とは別に、姿態 をよ り鮮明に して登場す るであろう。(5)
中国農村研 究の4
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年 中国農業問題 との出会い。定かではないが、1952 年のことであった と記憶す る。友人の宇佐実直規 君の紹介で、宇佐美君 と同学の第一高等学校生の 佐藤剛弘君 と知 った。佐藤君は学生中研連合の リ ーダー (他に松本昭、高浜介二の両君)で、私 も 多 くの学生 中研連合の人たち と友人になった。あ る日、佐藤君の紹介で中国研究所理事の尾崎庄太 郎 さん と会 った。場所は本郷東大の生協食堂であ った。その時、ウイ ッ トホ-ゲル とかマ ジャール と云った中国研究家の名前 を知 った。翌1953年 に 私は社団法人中国研究所所員 (非常勤 ) となった。 毎週 2回の定例研究会 で尾崎 さんのほか米沢秀夫、 浅川謙次、野間清、福 島裕 の先輩 ・友 人か ら 「中 国研究」の手ほ どきを受けた。その当時、中研 で は政治分野の研究で岩村三千夫 さんが居て、横浜 国立大学講師 (当時)の本橋渥 さん も巨体 を見せ ていた。 中研では当時、佐藤君が農業問題担当であった が、私が参加 したので農業問題は私が担当す るこ とにな り、佐藤君は貿易間男劉こ移 った。中国農業 問題は尾崎 さんか ら手ほ どきを受け、中国か ら帰 国 したばか りの野間清 さんか ら、かな り専 門的な 教 えを受 けた。中研 での農業問題研究は野間さん が愛知大学教授に赴任す るまで しば らくの期間、 野間さん と私の二人が担当す ることになった。私 は1958年 に 「現代 中国農業論序説」 とい うやや長 大な論文に まとめた。その時、私はす でに財団法 人協同組合経営研究所研究員の籍 を得ていた。当 然、 日本の協同組合研究に専念す る必要が生 じた が、三輪 昌男さん、芙土路達雄 さんか ら、中EI研 究 を断念せずに継続す るように と激励 された。 三輪 さんに連れ られて東大社研 に字高基輔先生 を訪問 し、「人民民主主義経済研究」の視野か ら中 国研究に取 り組むべ く示唆 を受けた。数年 間、字 高 さん を中心に社研か らは藤田勇、古島和雄のお 二人、外部か ら三輪 さん と私、そ して佐藤経明さ んが参加 して、「人民民主主義経済研究会」が続い た。間 もな く字高 さんの紹介で山田盛太郎先生の 主宰す る月例研究会に参加す るようになった。山 田先生は 「再生産構造 と農業問題」 をテーマに研 究会 を主催 していた。私は山田先生か ら戦時中の 著作『中国稲作の根本問題』(農林省農地課復刊 )を 頂戴 した。そこか ら中国農業の生産力的研究の示 唆 を受け、「戸 として 自立す ることの困難な生産力 水準」 とい う中国農業問題の核心 に徐々に接近す るようになる。間 もな く1959年度の土地制度史学 会学術大会の研究報告 を山田先生が編集 した 『再 生産構造 と農民層分解』(1961年 )が出版され る。 私が学会報告 を論文 にまとめた 「中国の社会主義 移行期におけ る農民の階層構成」が同書に収め ら れている。 初見、中国人そ して周恩来。1966年11-12月、 私は九州大学経済学部の馬場克三先生 を団長 とす る 「日本社会科学者代表団」に加 わって、は じめ ての中国訪問の旅に出た。同年8月には じまった プロレタ リア文化大革命の大衆運動 が、造反か ら 奪権闘争に移行す る時期に当った。中国科学院哲 学社会科学部 (郭沫若院長)の招待 を受けた もの で、馬場団長のほか阪本楠彦、古島和雄 、菅野俊 作の3先生、そ して庄司書之助 、天野元之助の 2 長老、魯迅の弟子の増田渉先生 と云 った、普段で はなかなか近づ くこ との難 しい一行 に、最若年 と して参加 した。39歳であった。 1カ月間、北京、 椿陽、撫順 、鞍 山、上海、杭州 、南 昌、井 岡山そ して広州の各地 を歴訪 し、行 った先 々で"大 串連" 運動 の紅衛兵 と接触 した。中国科学 院か らは末寺 礼、挑侃君の両先生が案内役 として選ばれた。 こ の訪 中旅行は初体験 であ り、良 くも悪 くも以後の 私の中国観、 日本友好観に深い影響 を与 えた。少 な くともこの種の激動社会環境において、中国人菅沼正 久 農 村経済研究の40年 が どうい う行動 に出るか。都市の激動 にたい して、 農村 は異質社会 に呼吸す るかの如 くであった、 と い う印象が残 った。1989年 "六 ・四"の北京争乱 と似 た、中国社会 の風貌であった。 私が 中国人社会 に深 く立 ち入 り、中国人が私 に その胸中を比較的に心 を許 して開いて くれ る、そ うしたきっかけは周恩来総理 との会見であった。 1966年訪 中ののち、1968年 と69年の国慶節式典 に 中国の招待 を受 けて、 日中文化交流協会の代表の 一 人 として参加 した。 この とき杉村春子 、村岡久 平 、宮川寅雄 、 白土吾夫 、八木ゆか りの皆 さんの 知遇 を得 た。 1970年11月、"中国"の招 きを受けて、香港、広 州 を経て
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時間の京広縁の旅 ののち、北京に到着 した。宿舎 は北京飯店 であ り、常 山昇 、佐々木博 一 、宮本繁の3人が同行 した。先方の接待責任者 は王 暁雲 (外交部 )、張雨(国際旅行社 )のお二人で あったが 、滞在 中、申健氏(中共 中央対外連絡部 ) とも会 う機会があった。 約1週 間、 日本事情についての基礎 的 ヒア リン グがつづ いた。通訳 として劉徳有、周航 、林箆組 、 そ して濁愛珠 の皆 さんが参加 し、唐家斑 さん (現 外交部次官) とは じめて顔 を合 わせ た。 12月8日。 中食 を済 まして くつ ろいでいる とこ ろへ 、確か李東壁 さん (国際旅行社 )であったか、 「午后 は重要 な 日程が予定 されているので、部屋 で 待機す るように」と云ってきた。ある種の予感が身体 を走 りぬけた。こうして夕方4時か ら人民大会堂の 新痘庁において、周恩来総理 との会見がは じまった。 陪席 は郭抹若先生 、紀宝至政 治局委員候補 、眺文 元政 治局委員 ほか数十人の党 、政府の指導幹部で あった。会談 の主な話題は 日本農村事情 、中国農 村事情 、食糧事情 、農業機械化 、中国農業問題 と 官僚 主義 、化 肥 と有機質肥料 、 日本軍 国主義 問題 、 ア メ リカ穀物 の輸入、東南ア ジア開発輸入、 日本 の人 口問題、工業化 と公害 、水 H農業生産 力水準 、 1970年 の 「総合農政」、そ して 日本の政 治情勢 とし て三 島由起夫事件 、米 ソ両超大国の覇権主義 であ った。 会 見は4時10分か ら10時半 まで 6時間余 りつづ いた。その概要 はのちに 『世 界』1971年5月号 に 発表 した。一部分の話題、会談後の中共中央対外 連絡部責任者 との協議 は省略 し、また当時未公表 ll の国民経済統計 も省略 した。12月9日か ら月末 ま での約20日間、各地農村 を訪 問す る機会 を得 た。 河北省道化 県沙石 崎の山村の水利建 設、湖南省 長沙県の水稲作視察 、同省離 山の毛沢東の故郷訪 問 を経て、広州市に至 る。一夜 、王首道 さん (中 共 中央委員)か ら蛇料理 の もてな しを受 けた。北 京か らわ ざわ ざ足 を運んで王暁雲 さんが同席 した。 年末 ぎ りぎりになって、香港 を経て帰国 したが、 深川 まで李洪林 、王国慶 、そ して任志 (の ち中国 農業科学院副院長 )の3先生 の案 内 を受 け、見送 りを受 けた。 この1
カ月余 りの中国訪 問は、周総理 の知遇 を 得 る機会 とな り、私 に とって生涯忘 れ得ぬ思 い出 となった。そ してこの訪問が きっかけ とな って、 農村青年が まい年20人前後の集団で中国 を訪 問 し、 中国革命の農民運動の経験 を学ぶ事業がは じまっ た。1970年か ら76年 までの期 間に 8回にわた り、 合計124人の農村青年が 中国 を訪 問 した。私 はその 世 話 人 として参画 した。 土地革命 と農 民の「翻身」O中国新民主主義革命 の史的展開において、 もっ とも壮烈な体験 は土地 改革 の ほかにない。1947年 「土地法大綱」、1950年 「中国土地改革法」による土地改革が代表的 である。 前者 は 日本敗北後、中国革命が民族解放か ら、反 帝 、反封建 の人民解放へ移行す る段階での土地改 革 であった。後者は新民主主義革命の遺留 した課 題 としての反封建の土地改革 であった。 土地改革は革命の勝利につれて成立 した、農村 の新 たな権力機構 としての農民協会 によって執行 された。単 なる地主所有土地 の没収 と分配 ではな く、労農同盟 を強化 しての革命権力の基礎 を堅固 な もの とす る革命であ り、土地革命 であ った。 こ の革命 闘争 をつ うじて、農民は土地 を取得 し、社 会の主 人公 として生 まれ変わった。「翻身」とよば れ る変革が進行 した。W.
ヒン トは 『翻身 - ある 中国農村の革命の記録 -』(邦訳 、平凡社刊 )を著 わ して 、 自らが参加 した山西省瀞城 県の土地改革 の体験 を世 に問 うた。叙述 による と、「土地 法大綱」 に もとづ く土地改革の記録である。 文章 のなかに、貧農 - 赤貧、次貧 - が土地改 革 闘争か らよ り多 くの分配 を受 け とるべ く、闘争 、 没収 の対象 を地主に留めず、富農 として階級区分 すべ き もの を敢 えて地主 として区分す る とい う、打撃面 を拡大す る左傾 錯誤がでて くる。中国革命 の全過程 に出没す る左傾錯誤の-局面 である。私 は同 じ1947-49年期 の 、「土地法大綱」に依 る土地 改革の状 況 を、山西 省 昔陽県大寒大隊、河南省新 郷県七里営公社劉庄大 隊で聴 いた。河北省遵化県 連 明公社西舗村 (有名 な王国藩合作社の村)では、 「土地改革法」に よる土 地改革が実行 された。大審 と劉庄 ではやは り 「左 傾錯誤」があった とい う話 を聞いた。 この路線にかかわ る錯誤は どこか ら生 じたのか。 それは中国農村全般 の貧困に由来 し、農業生産力 の低 さに由来す るもの であった。貧農が貧困であ ればある程 に、土地 改 革 その もの、土地 ・財産 の 没収 と分配 その ものに よって多 くを得 ようとす る。 その獲得 の要求 を満 たすに応 しい豊か さが、地主 に欠ければ欠け る程 に 、地主以外の富農や富裕 中 農に対 して、闘争 、没収 の鉾先が向け られ る。 こ うして左傾錯誤が生 ず る。総 じて土地改革は壮 烈 ではあったが、貧農 の 獲得要求 を満 たすのに不充 分であった。 よ り正確 に云 うと、貧農 は土地 とい くらかの生産手段 を手 に入れたが 、その土地の生 産物は彼 らの生活要 求 を充足す るのに足 りなか っ た。つ ま り、貧農の問題 は解決 されなか った。 な かには土地 を手離す もの も生 じた。い くらか余裕 のある中農がその土地 を引き受けた。毛沢東は土 地改革後の、主 に1950-55年 の農村情勢 をつ ぎの ように見た。 「翻身」農民層の分解 。「農村 を封建 的所有制か ら解放す るとい うブル ジ ョア民主主義革命---・」。 しか しこの革命はす で に過 ぎき り、封建 的所有制 はす でに一掃 されて しまった.いま農 村にあるの は、富農 の資本主義 的所有制 と、はて しない大海 原の ような小農 の所 有制 である。す でに見 られ る とお り、最近数年 の あいだに、農村におけ る資本 主義の 自然発生的勢力 は 日一 日と発展 して、新 し い富農 がいた る ところに現われ、多 くの富裕 中農 が富農 になろ うと懸命 に なっている。 多 くの貧農 は、生産手段 がた りないため、依然 として貧 しい 状態にあ り、ある者 は借金 を背負い、ある者は土 地 を売 るか貸すか して い る。 こ うした事態 を発展 す るままに まかせ るな ら、農村におけ る両極分解 の現象が 日一 日とひ ど くなるこ とは必至 である。 土地 を失 った農民や あ い変 らず貧 しい状態にあ る 農民は、われわれが彼 らの困難解決 を援助 しよう とせ ず 、彼 らを見殺 しに してい る と云 って、われ われ を怨むだろ う。資本主義 の方 向に発展す る富 裕 中農 もまた、われわれに不満 を抱 くであろ う」 (毛 沢東 「農業合作化問題につ いて」 1955年7月 31日)。 貧 しい農民。「土地改革のあ と、農民には分化が 生 じている。 もしもわれわれが農 民に与 える新 し い もの をもたず 、農民が生産 力 を高め 、収 入 をふ や し、みんな一 緒に豊か にな るよ う援助す るこ と が で きなければ、貧 しい農民はわれ われ を信 じな くな り、共産党 につ いて行 くのはつ まらない と思 うだろ う。土地 を分けて もらって もや は り貧 しい となれば、 どうしてつ いて くるだ ろ うか」(毛 沢東 「農業協 同化につ いての弁論 と当面 の階 級 闘争 」 1955年10月11日)0 ここに毛 沢東の心情の吐露 を感 じる。土地改革 のの ち、 もらった土地の耕作によっては、貧 困の 問題、衣 食住の問題が解決 されないのであれば、 農民は共産党か ら離反す るだろ う。 この憂 いが毛 沢東の焦 りをもた らした ことは否定 で きないであ ろ う。毛 沢東は土地改革 のの ち も生産 力が低 く、 収入が少な く、貧困であ るこ とは、農業の社会主 義的改造 -農業協 同化に よって解決す るこ とがで き、そ うす るこ とに よって 「資本主義の根 を断 ち 切 るこ と」がで きる と考 えた ようである。 なぜ土地改革が農民の貧困の問題 を解決で きな か ったのか。土地改革 は不可避 であ ったが 、その 土地改革が農民に与 えた ものが、余 りに も少なか った。それは何故か。 中共は1950年代の初期 の時 期 に深 く考 えることが少 なか った。劉少奇 と中共 山西省委員会 との間に、「農業社会主義」論争が交 されたが 、私のみ る ところでは不毛 に終 った。毛 沢東の憂 い と焦 りについて、私の40年 間の中国研 究の過程 で、最近の10年 に気がつ いたことではあ るが 、略述 してお きたい。 まず 、なぜ土地改革が 中国農村 の貧困の問題 を 十分 に解決 できなか ったのか。それは旧時代に地 主階級に収奪 された高率地代が、地代牢 としては 高率 であったが、土地改革に よって我が所得 に し た とき、農民の生活に豊か さをもた らす程の もの ではなか ったこ とである。農民の一部は一旦手 に
菅沼正 久 農 村経済研究 の40年 した土地 を、それがその ままでは貧農 を富裕に変 える手段 ではないことが明 らかになった とき、自 ら手離す ことになった。 次に、これは両極分解 の一つの指標ではあるが、 他の極に 「資本主義の方向に発展す る富裕 中農」 の存在 を予定す るものであったのか。「農村におけ る資本主義の 自然発生的勢力」の発展 を意味す る 現象であったのか。問題の核心は 「農村における る両極分解の現象」 を、農村が 「資本主義の方向 に発展す る」過程の現象 とみ るか否かである. 中国農村の新民主主義革命の全過程は、そのこ と自体が革命の新民主主義的性質 を規定す るので あるが、農業生産力のいち じるしく低い水準、地 主収取 を奪還 し、すべての土地生産物 を所得す る に至 って も、貧 困の問題 を解決す るのに遠か った、 その ような水準 を基調 とした。農民が 「戸 として 独立す る」(山田盛太郎 )に遠 く及ばない、低 い生 産 力水準が特徴 であった。 いわゆる 「農業基礎」論。山田盛太郎先生はそ の著作 『中国稲作の根本命題』で、1941年 当時の 考察によって中国の農家の経済力は 日本農家の18 %の水準にあるこ とを指摘 して、つ ぎの ように論 じた。(p.23)0 「中国農業社会の細胞形態 としての農戸のこの乏 しき、そのことが次の二点 を明瞭な らしめ る。1. この乏 しきを以 っては農戸は 『戸』 として独立す るこ とは困難で、勢 ひ、原生的な血族的紐帯に結び つけ られた宗族関係が農業生活の根帯 をなす こと。