インドにおける政党政治と地域主義 -- テランガー
ナ州創設運動を事例として (特集 インド民主主義
体制のゆくえ -- 挑戦と変容)
著者
三輪 博樹
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
194
ページ
18-21
発行年
2011-11
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004115
︵以下、 ﹁会議派﹂ と略︶ が、 iya Janata P arty 以下、 B て影響力を持ちうる政党の数が増 加したことである。この ﹁多党化﹂ の背景には、各政党の勢力が特定 の州や地域に限定されているとい う、政党勢力の﹁地域化﹂の傾向 がある。これらの変化の結果、現 在のインドでは州レベルの政治が 重要性を持つようになり、州ごと の政治動向が、連邦政権の安定性 や連邦政府の政策決定などに対し て直接的な影響を及ぼすように なっている。 他方、 各州の状況を見てみると、 既存の州を分割して新たな州を創 設したいという﹁サブ・リージョ ナリズム﹂とも呼べる動きが、比 較的多くの州において見られてい る。内務担当国務相の二〇〇八年 の議会答弁によれば、連邦政府は この時点で、新州創設を求める陳 情を少なくとも一三件受け取って いたという。 このようなサブ ・ リ ー ジョナリズムの動きは、前述した 政党政治における変化と何らかの 関係を有しているのだろうか。関 係があるとすれば、それは一方が 他方を規定するというような性質 のものなのだろうか 、それとも 、 両者は相互に関連し合っているの だろうか。本稿ではこれらの点に ついて検討する。
●テランガーナ州創設問題
政党政治とサブ・リージョナリ ズムとの関係について検討するた め、本稿では、アーンドラ・プラ デーシュ州 ︵以下、 ﹁A P 州 ﹂ と略︶ のテランガーナ ︵ T elang ana ︶地 域における新州創設運動の問題を 取り上げる。テランガーナ地域は A P 州の北西部に広がる地域であ り、同州の二三の県のうち、一〇 県 が こ の 地 域 に 含 ま れ て い る ︵図︶ 。テランガーナ州創設運動に は一九五〇年代にまで遡る比較的 長い歴史があり、また、この運動 は政党政治との長期にわたる接点 も有している。複数の政党や政治 家が運動に対して関与しており 、 テランガーナ州創設問題は現在も なお、A P 州政府だけでなく連邦 政 府 に と っ て も 重 要 な 政 治 イ シューとなっている。 テランガーナ州創設運動の背景 については、歴史的な側面と社会 経済的な側面の二つから説明が可 能である。現在のA P 州は、北西 部のテランガーナ 、東部の沿岸 アーンドラ ︵ Coastal Andhra ︶ 、 南 西部のラヤラシーマ ︵ Rayalaseema ︶ の三つの地域から構成されている 。 このうちテランガーナ地域だけは 、 A P 州の創設に至るまでの経緯が 他の二つの地域とは異なっている。 英国による植民地支配の時期 、 沿岸アーンドラとラヤラシーマの 両 地 域 は 英 領 マ ド ラ ス 管 区 ︵ Madras Presidency ︶ の 一 部 で あったが 、テランガーナ地域は 、 一定の自治権を認められていたハ イデラバード ︵ Hyderabad ︶藩王 国の一部であった。独立後の一九 五三年、言語別州再編成への要求 の高まりを受けて、沿岸アーンド ラとラヤラシーマを合わせた地域ゆくえ̶挑戦と変容
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が﹁アーンドラ州﹂として創設さ れた。しかし、テランガーナ地域 は引き続き、旧藩王国を引き継い だハイデラバード州の一部のまま となっていた︵参考文献①︶ 。 アーンドラ州が創設されると 、 こんどは、テランガーナ地域も含 めたテルグ語地域全体を統合しよ うという、 ﹁大アーンドラ︵ V ishal Andhra ︶﹂運動が勢いを増した 。 しかし、この﹁大アーンドラ﹂構 想に対しては、特にテランガーナ 地域の人々の間から懸念が示され ていた。テランガーナ地域と他の 地域との間には社会的・経済的な 面で大きな格差があるため、テラ ンガーナ地域の人々が雇用面など で不利な立場に立たされてしまう かもしれないというのが、懸念の 理由であった︵参考文献①︶ 。 結局 、一九五六年に行われた全 国規模の州再編成によってハイデ ラバード州は分割され、 テランガー ナ地域はアーンドラ州と合併して 、 新たにA P 州が創設されることと なった 。その際 、前述のような懸 念に対処するために 、テランガー ナ地域とアーンドラ州との間で ﹁紳 士 協 定 ︵ Gentleman's A g reement ︶ ﹂ が締結され 、テランガーナ地域に 対する保護措置や 、それを管理す るための ﹁地域委員会 ︵ Reg ional Council ︶﹂の設置などが定められ た 。 しかし現実には 、テランガー ナ地域の人々は 、紳士協定によっ て約束されていた保護措置の恩恵 を十分に受けることができなかっ た 。このことは同地域の人々の不 満を高める結果となり 、新州創設 を求める動きにつながった。 このように、テランガーナ地域 における新州創設運動の背景に は、A P 州創設までの歴史的な経 緯の違いに加えて、同地域とA P 州の他の地域との間の社会的・経 済的な格差があった。この格差の 問題は現在もなお、新州創設運動 の拠り所となっており、その活動 家や支持者たちは、テランガーナ 地域がA P 州の他の地域によって 搾取され続けてきたのだと主張し ている︵参考文献⑤︶ 。 テランガーナ地域が現在もなお ﹁搾取﹂されているのかという点 に関しては、異論も示されている ︵参考文献⑥︶ 。しかしその一方で、 実際の状況はともかく 、﹁テラン ガーナ地域が搾取されてきた﹂と いう言説自体は、現在もなお人々 の間である程度の説得力を持った ものとして認識されているようで ある。政党や活動家などは、この ような言説にもとづいて人々を動 員しているのだとも言えよう。
●二つの時期の新州創設運動
テランガーナ州創設を求める運 動は、これまでに二回大きな動き となっている。最初の大きな動き は、一九六〇年代末から一九七〇 年代前半にかけての時期に見られ た 。きっかけは 、一九六八年末 、 地域委員会の当時の委員長であっ た J ・チョッカ・ラーオ︵州議会 議員︶が、A P 州創設の際に締結 された紳士協定が遵守されていな いとする内容の批判を行ったこと である。このようなラーオ委員長 の批判に刺激されて、州都ハイデ ラバードでは学生を中心に新州創 設運動が活発なものとなり、翌一 九六九年には、運動はテランガー ナの他の地域にも拡大した。 一九六九年三月には、 ﹁運動に対 して目的と指針を与える﹂ために 、 ﹁テランガーナ人民会議 ︵ T elang ana チットゥール チットゥール アナンタプル アナンタプル カダパ カダパ ネロールネロール クルヌール クルヌール プラカサムプラカサム グントゥール グントゥール クリシュナ クリシュナ 西ゴダヴァリ 西ゴダヴァリ 東ゴダヴァリ 東ゴダヴァリ ヴィシャカパトナム ヴィシャカパトナム ヴィジアナガラム ヴィジアナガラム シュリカクラム シュリカクラム カンマン カンマン ナルゴンダ ナルゴンダ マハブブナガル マハブブナガル ランガレッディ ランガレッディ ハイデラバード ハイデラバード ワランガル ワランガル メダック メダック カリムナガル カリムナガル ニザマバード ニザマバード アディラバード アディラバード タミル・ナードゥ州 タミル・ナードゥ州 カルナータカ州 カルナータカ州 オリッサ州 オリッサ州 チャッティースガル州 チャッティースガル州 マハーラーシュトラ州 マハーラーシュトラ州 図 アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナ地域 (注)図中の白抜きの地域が、テランガーナ地域である。 (出所) Wikimedia Commons(http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Blank_map_AP_state_and_districts. png 2011年9月27日アクセス)より入手の白地図をもとに、筆者作成。インドにおける政党政治と地域主義 ―テランガーナ州創設問題を事例として
以 下 、 TPS ︶﹂ が 。 TPS には 、当時の 、これら 。 、資金不足や内 、組織として は人々の支持を集め 、政 。 TPS は一 P 州で会議派 が与党会議派と合併し P 州の分割を認 、 立たないものとなった 。ただし 、 ある活動家の説明によれば、新州 創設を求める動きは確かに表面的 には目立たなかったが、一九八〇 年代以降、様々な活動家や集団の 間で、インフォーマルな形での会 合や議論が続けられていたとい う。そしてこのような動きは、一 九九六年頃から勢いを増していっ た︵参考文献③︶ 。 また、A P 州の政党政治におい ては、一九八〇年代に大きな変化 が見られた。一九八二年三月に地 域 政 党 ﹁ テ ル グ ・ デ ー サ ム 党 ︵ T elugu Desam P arty 以下、 TD P ︶﹂が結成され 、翌一九八三年 の州議会選挙で会議派を破って州 政権の座についた。これ以降、A P 州の政党政治は、会議派による 一党優位の状況から、会議派と T DP が競合する二党制に近い状況 に変化した。テランガーナ州創設 を求める二回目の大きな動きは 、 A P 州におけるこのような政治状 況のもとで始まった。 二〇〇一年四月、 TDP の党員 であった K ・チャンドラシェーカ ル・ラーオが党を脱退し、テラン ガーナ州の創設を目指して﹁テラ ン ガ ー ナ 民 族 会 議 ︵ T elang ana Rashtra Samithi 以下 、 TRS ︶﹂ を結成した。 TRS は結党後まも なく、二〇〇一年後半に行われた 地方選挙に参加し、良好な成果を あげた。続いて二〇〇四年に行わ れた第一四回連邦下院選挙とA P 州の州議会選挙では、 TRS は会 議派と選挙協力を行い、どちらの 選挙でも勢力を拡大させることに 成功した 。 TRS は現在もなお 、 A P 州における主要政党のひとつ であり、テランガーナ州創設を求 める運動も、現在に至るまで活発 に続いている。
●政党政治とのかかわり
テランガーナ州創設を求める二 つの時期の運動の経緯をまとめて みると、いくつかの共通点を見出 すことができる。第一に、どちら の時期の運動も当初は、政治との 直接的な関わりを持たない人々に よって開始された。一九六〇年代 末からの運動は、政治家の発言が きっかけではあったが、初期段階 では学生などによって主導され た。二〇〇〇年代の運動は、 TR S という政党の出現によって盛り 上がる形となっているが 、イン フォーマルな形での運動は一九八 〇年代から続けられていた。 第二に、どちらの時期の運動に おいても、後の段階になってから 政治家が参加し、運動の主導権を 握った。一九六〇年代末からの運 動において主導権を握ったのは 、 会議派を離脱して TPS に加入し た大物政治家たちであった。二〇 〇〇年代の運動において主導権を 握ったのは 、 TRS とその党首 チャンドラシェーカル・ラーオで ある。このように、テランガーナ 州創設運動においてはどちらの時 期にも、政治家や政党による積極 的な関与が見られている。 その一方で 、二つの時期の新州 創設運動の間には相違点も見られ る 。 もっとも重要であるのは 、そ れぞれの運動で主導権を握った政 党が 、その後どのような経緯をた どったかである 。一九六〇年代末 からの運動を主導した TPS は会 議派と合併し 、その結果 、新州創 設は実現されることなく終わった 。 これに対して 、二〇〇一年に結成 された TRS は現在もなお 、 A P 州における重要な政治勢力として の地位を維持しており 、新州創設 運動も現在に至るまで続いている。 運動 を 主 導 し た 政 党 の 運命 に 違 いが 生じた 背 景 に は 、 A P 州の 政 党政治 に お け る 違 い が あ っ た と 考 えられる。 T P S が 活 動 し て い た 一九六 〇年代末∼ 七 〇年代 で は 、 A P州 の政 党 政 治 は 会 議 派に よ る 一 党優位 で あ っ た 。 し か し 、 A P 州 の政 党 政 治 は 一 九 八 〇 年 代 に大 き く変 化 し 、 現 在 で は 、 会 議 派 と T DP が 競 合 す る 二 党 制 に 近 い 状 況 とな っ て い る 。 こ の よ う な 政 党 政 治の 変 化 のお か げ で 、 T R S は 会 議 派 とTDP との 間 で う ま く 立 ち 回る こ と に よ り 、 政 党 と し て生き 延び る こ と が で き て い る 。 す な わ ち、 AP 州 で は 政 党 政 治 の 変 化 に よっ て、 新 興 の 地 域 政 党 で あ る T R S が生 き延 び る 余 地 が生 じ 、 そ の結 果 、 テラ ンガーナ州 創 設 運 動 もあ る程 度 の 勢 い を維 持し たまま 続 いてい る の だ と 考 え ら れ る 。 前述 の よ う に 、 T R S は 二 〇 〇 四 年 の 選 挙 で 会議派 と 選挙協力 を 行っ た 。 そ の 後 、 T R S は 中 央 で の 会議派主 導 の 連立 政権 に 参 加 し た が、 会 議 派 と の 協 力 関 係 は 二 〇 〇 六年 に 崩 壊 し た 。 す る と T R S は 、 二 〇 〇 九 年 の 選 挙 に 向 け て TDP に接 近し 、 二 〇 〇 九 年 一 月 に は 両 党 の 間 で 正 式 に 政 党連合が 結成 さ れた。 こ の よ う に T R S は 、 テ ラ ン ガーナ 州 創 設 と い うア ジ ェ ン ダ を 達成す る こ と を 目 的 と し て 、 会 議 派 と T D P ど ち ら と も 協 力関 係を 構築 す る こ と が 可 能 な の で あ る 。
●おわりに
本稿 の 冒 頭 で は 、 一 九 八 〇 年代 後半 か ら 一 九 九 〇 年代 に か け て の 政 党政治 に お け る 変 化 と し て 、 ⑴ 会 議派 の 勢 力 の 弱体化 、 ⑵ B J P の 勢力 の 拡 大 、 ⑶多党化 と 地 域化 、 と い う 三 つ を 指摘 し た 。 一 九 八 〇年 代 以 降 の A P 州 の 政党政治 に お け る 変 化 ︵会議派 の 一 党 優位 か ら 、 会 議 派 とTDP に よ る 二 党 制 的 な 状 況 へ ︶は 、 こ の よ う な イン ド 全 体 の 政党政治 の 変 化 の な か に 位 置付 け るこ と が で き る 。 そ し て 、 本 稿 で 検 討し た テ ラ ン ガ ー ナ州 創 設 問 題 の 事例 か ら 、 政 党政治 に お け る こ れ らの 変 化 は 、 サ ブ ・ リ ー ジ ョ ナ リ ズ ムの 動 き に 対 し て 有 利 に 働 いてい る と結 論 付 けら れ る 。 ただし、政党政治におけるこの ような変化は、新州創設運動とい うサブ・リージョナリズムの動き を成功に導くための十分条件では ない。新州創設運動が最終的に成 功を収められるかどうかは、その ような政党政治の変化のなかで 、 各政党がどのような戦略を採用 し、どのように行動するかによっ ているからである。二〇〇〇年代 に入って、それまで約三〇年間に わたって注目されてこなかったテ ランガーナ州創設問題が重要な政 治イシューとなったのは、 TRS の働きだけによるものではない 。 より重要であるのは、 TRS の勢 力拡大という状況を受けて、A P 州の二大政党である会議派と TD P が、テランガーナ州創設問題を 重要なイシューであると認識する ようになったことである。 それでは、テランガーナ州創設 運動は最終的に成功を収められる だろうか? 見通しは不透明であ ると言わざるを得ない。 TRS は 二〇〇九年の第一五回連邦下院選 挙とA P 州の州議会選挙でともに 敗北を喫し、政治的な影響力を低 下させた。テランガーナ州創設を 求める人々の声に押されて、連邦 政府は二〇一〇年二月、新州創設 問題について検討するための委員 会を任命し、同年末に委員会の報 告書が提出された。しかし、公開 された報告書の結論は、A P 州 の 分割に対して否定的なものであっ た。現在のところ、テランガーナ 州創設に向けての政治的な動きは さほど活発ではない。 その一方で、 新州創設を求める人々の運動は激 化の一途をたどっており、治安上 の大きな問題となっている。 ︵みわ ひろき/北海道大学スラブ 研究センター︶ ︽参考文献︾ ① 山田桂子 ﹁二〇世紀インドの アーンドラ地方における言語州 要求運動﹂ ︵﹃史学雑誌﹄第九八 編一二号、一九八九年、四八∼ 七〇ページ︶ 。 ② Bernstorff, Dagmar and Hugh G ra y (e d s.) [1 998 ] , New Delhi: Har -Anand P ublicat ions . ③ Ram u lu , B . S . [ 2 0 0 8 ] , H yder aba d : Univ ersity of So cial Philosophy . ④ R ed d y, G . R am a n d B . A . V . S ha rm a (eds.) [1979 ] ,New Delhi: Sterling P
ublishers. ⑤ Simhadri, S. and P. L. V ishweshwer Rao (eds.) [ 1997 ] , Secunderabad: Centre for T elang ana Studies. ⑥ Su ri , K . C . [2 0 0 8 ] " An dhra P rad es h : Moving b eyond Linguist ic Lines," , No. 591, pp. 47-52.