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多人種多民族が混交する国ブラジルの創造の珍食 (世界珍食紀行 第9回)

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(1)

多人種多民族が混交する国ブラジルの創造の珍食 (

世界珍食紀行 第9回)

著者

近田 亮平

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

264

ページ

38-39

発行年

2017-09

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00049461

(2)

ブラジルには、先住民、同国を植民地にしたポルト ガル人、奴隷だったアフリカ系の人々、日本を含む多 様な外国の移民や移住者、それらの子孫たちという多 人種で多民族な人々が住んでいる。そして、異人種異 民族の間で混交が進んだ同国では、異なる人々やもの に対する寛容性が称賛され、ブラジル人の国民性とし て形成されてきた。本稿では、このようなブラジルで 創造された珍食を2つ紹介する。 ●ブラジルを代表する“伝統”料理「フェイジョ アーダ」 1つ目はフェイジョアーダ⑴である。ブラジルでは フェイジョンという豆を煮込み、それを白米(油やニ ンニクで調理)にかけて食べるのが主食の1つであり、 日本の「ご飯とみそ汁」にも似た存在といえる。フェ イジョアーダは、主に黒いフェイジョンを豚の様々な 部位と煮込んだ料理で、それを白米にかけて食する。 その際、ファロッファ(キャッサバ芋を乾燥させた粉) をふりかけたり、コウビという青菜やオレンジを添え たりする(写真1)。休日などは、サトウキビの蒸留酒 にライムと砂糖を入れたカイピリーニャという強いお 酒と一緒に楽しむことも多い。昔のブラジルでは午後 が休みだった水曜と土曜の昼食に脂っこいフェイジョ アーダを食べ、その後は昼寝をする習慣があったとさ れる。そのため、フェイジョアーダは今日でも主に水 曜と土曜のお昼に食されている。 日本人にとって見た目も味も珍食のフェイジョアー ダは、植民地期の大農園で奴隷たちが食べていた料理 が起源だと一般的に言われている。農園主が食用とし ない豚の耳、尻尾、足や内臓などの余った部位を、フェ イジョンと煮込んだものを奴隷たちが食べていたとさ れる。それがのちに、より高価なロースやベーコンな ども加えられ、奴隷以外の人々にも広く食され、今日 のようなブラジルを代表する料理になったという説で ある。 しかし近年、フェイジョアーダの起源は南欧の郷土 料理だとする別の説が有力になっている。その理由に はいくつかあるが、植民地期のブラジルの農園主は数 十人から数百人の奴隷を所有しており、それだけの奴 隷の食をフェイジョアーダのような食材で賄うには、 何頭もの豚を農園主が日常的に消費しなければならず、 それはほぼ不可能だったとされる。一方、宗主国だっ たポルトガルを含む南欧には、豚などの肉と豆を煮込 んだ料理がいくつかある。そのため新説は、ブラジル に渡ったポルトガル人が故郷の料理を新天地の食材を 使って再現し、それが今日のフェイジョアーダに変化 したと考える。 諸説の真偽はさて置き、奴隷料理を起源とする説に は、フェイジョアーダがブラジルの「伝統」料理とし て創造された可能性が匂う。なぜなら、植民地期のブ ラジルではポルトガルの白人、先住民、奴隷だった黒 人の間で人種混交が進んだが、このことや熱帯性の気 候が原因でブラジルの「後進性」がもたらされたとす る見識が、20世紀初頭までの欧米で定着していたから である。これに対し、ブラジルが近代的な国家と国民 の形成に邁進した1930年代以降、ブラジルの後進性は 大土地所有制により生み出されたのであり、黒人の存 在や異人種間の混交は問題ではなく、それはむしろ誇

多人種多民族が混交する国

ブラジルの創造の珍食

近 田 亮 平

連 載

第 9 回

38

アジ研ワールド・トレンド No.264(2017. 10) (写真1)自家製フェイジョアーダ。中央が黒フェイジョンで煮込んだ豚の耳や 足、その左はファロッファ、右が炒めたコウビ、右上の壺は黒フェイジョンの 煮込み、その隣が白米、上がオレンジ

(3)

マーキはボリュームがあるので、小食な人なら1個や2 個で結構満足できる(写真4)。 ブラジルで「日本食」は人気が高いが、創造され過 ぎる傾向も一部にあるため、最低限の基礎を備えた日 本食を普及すべく、2017年5月、日系人などの専門家 により日本美食ブラジル協会が設立された。日本の外 務省も、「日本への深い理解と共感の裾野を広げてい くための海外拠点事業」ジャパンハウス⑵の第1号拠 点をサンパウロで4月30日に開館し、ロンドンとロサ ンゼルスにも設置する予定である。これらの試みがブ ラジルにおける日本の「伝統」の創造となるか否か、 今後に注目である。 (こんた りょうへい/アジア経済研究所 ラテンア メリカ研究グループ) 《注》 ⑴ 岸和田仁「国民食フェイジョアーダの歴史を散歩 する」 ブラジル中央協会会報『ブラジル特報』 2010年3月号などを参照。 ⑵ ジャパンハウスの詳細などは以下のサイト(http:// www.japanhouse.jp/)。 りうる国民的な寛容性だとする主張が展開された。こ の主張に大きな影響力を与えたのが、1933年に出版さ れた『大邸宅と奴隷小屋』だといわれ、奴隷だった黒 人などとの混交で生まれたブラジル人の起源や国民性 を描いている。そして恐らく同書が初めて、植民地期 の奴隷の日常的な料理としてフェイジョアーダを紹介 しているのである。20世紀に入り、ブラジルを代表す る珍食フェイジョアーダは、その起源が黒人奴隷に求 められ、異人種異民族間の混交を称賛する「伝統」料 理として創造されていったとも考えられよう。 ●ブラジルで人気の「日本食」 2つ目はブラジルの日本食である。1908年に日本人 が初めてブラジルに移民し、その子孫である日系ブラ ジル人は国内外で約200万人とされ、世界で最大の日 系人コミュニティである。ブラジルでも日本食は人気 があり、日系人の多いサンパウロではシュラスコ(ブ ラジル風バーベキュー)より日本食店の方が多いとも いわれている。 ブラジルの日本食は移民により持ち込まれ、すでに 100年以上の歴史がある。日本食品の輸入や現地生産 が難しかった頃、日本食は多くが自家製の食材による 手作りであり(豆腐や納豆など)、時には現地の食材 が代替として使われてきた(ピラニアなどの川魚の味 噌汁や刺身)。そのためもあり、写真2のスシや写真3 のヤキソバのように、ブラジルの日本食は独自の発展 を遂げてきた。日本人にとっては珍食といえる「日本 食」もあり、現地の人々により今でも創造され続けて いる。 ブラジルの「日本食」の1つにテマーキ(手巻き寿司) があり、テマケリーアと呼ばれるテマーキ専門のファ ストフード店もある。踊り好きなブラジル人の中には、 夜クラブなどへ出かける前の小腹を満たすため、テマ ケリーアでテマーキを食べる人もいる。ブラジルのテ

近 田 亮 平

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アジ研ワールド・トレンド No.264(2017. 10) (写真2)イチゴ、マンゴー、kaniと呼ばれる蒲鉾などでカラフルに彩られた 「スシ」 (写真3)餡かけうどんのようなシーフード「ヤキソバ」 (写真4)具のサーモンで舎利が見えないテマーキ(左)とツナマヨネーズ味の フライド・テマーキ(右)

参照

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