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モントリオールの韓人教会 I 利用統計を見る

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(1)

モントリオールの韓人教会 I

著者

松本 誠一

著者別名

MATSUMOTO Seiichi

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

35

ページ

56(107)-70(93)

発行年

2000

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00009438/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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章 問 題 の 所 在 と 方 法

1.はじめに 本稿では社会人類学的関心から,モントリオー ルの韓人移民社会を対象として,キリスト教の 側面から接近していく。 本稿で用いる現地資料は,筆者が

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年にかけて現地で入手した書籍・新聞・文 書・影像記録のうち,モントリオール韓人連合 教会

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が まとめた教会の20年史(韓国語)を中心とし, それ以外に韓人コミュニティで発行・配布され ている新聞(韓国語)その他の文字資料や,聞 き取り記録などである。新しい日付のものは協 力者が送ってくれた同種の資料に負っている。 本稿で扱わない韓人教会関係資料を基にした報 告は続稿で行いたい。 「モントリオールの韓入社会調査

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という筆 者の課題に対して,

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月マギル大学東ア ジア研究センターに着いてから,井川史子教 授(l),ロビン・イェーツ教授(2)が与えてくれ た当初の助言の内に,韓人のキリスト教会を通 じて接近する方法というのがあった。この方法 の妥当性は,その後,知り合った他の研究者や 韓人協力者たちもほぼ同様に一致して認めるも のであった。筆者自身が 1年間のモントリオー ル滞在調査を通じて経験した内容からも,この 接近法については有効で、あることを追認する。 ただ,いくつかの制約条件に気づいているので, それについて本稿の中で言及することになろう。 筆者にとって,慣れない都市における,しかも 初めてのアメリカ大陵での調査であり,個人的

松 本 誠

な資質に起因する制約に加えて,調査地の環境 条件,および対象属性に起因する制約もある。 エスニシティ調査で目立つ方法として,生活史 の聞き取り,参与観察,エスニック・メディア を初めとする文字資料の分析などがあるが,本 稿では文字資料が主になる。

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モントリオール韓入社会の資料 モントリオールの韓人社会に関する先行研究 者による業績として,参照し得たものに限り挙 げると,オー・キソン博士(3)による『英才は 育つ j (韓国語。

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,チョン・ヒス(4)とイ ム・ソンスク(5)による共著『ケベック移民生 活に必要な情報j (フランス語・韓国語。

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, そして最近の,イム・ソンスク(6)による『ケ ベックの韓国系移民一文化問コミュニケーショ ンの問題j (フランス語。 2000年)などがある。 この3冊の著者はいずれもモントリオールの大 学に籍をおく(おいた)韓人研究者である。 『英才は育つjはソウルの出版社から刊行さ れた本で,表紙のキャッチコピーに「誇らしい 韓人2世たち」と記載されているように,韓人 移民2世に焦点、を当てている。英才教育に強い 関心を持つ韓国の親たちを惹きつける題目であ る。移民動機に「子弟の教育のためjというケー スをしばしば耳にするが,本書では韓人移民2 世

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人のプロフイールと秀でた才能を紹介し, 教育目的の移民をしたいという読者の琴線に触 れながら,移民した親子聞に生じる価値観や言 語の相違などの関係, 2世自身が当面する心理 的葛藤などの問題も指摘して,教育目的の移民 希望者に思慮深さを求める内容となっている。

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モントリオールの韓人教会(1) 『ケベック移民生活に必要な情報

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はモント リオール地区韓入会が発行した非売品の本で, 書名の通り,移民のための生活ガイドブックと して編まれたものであるが,カナダとケベック の各方面の制度を詳しく概説し,末尾にチョン・ ヒス教授が中心となって行なわれた韓人移民の 意識調査(7)結果の抜粋を掲載し,他の移民が どういう思いを抱いているかを知ることが出来 る内容となっている。 『ケベックの韓国系移民一文化問コミュニケー ションの問題』は, 1995年にケベック大学モン トリオール校

(UQAM)

のコミュニケーショ ン学博士の学位請求論文(8)として受理された ものの公刊本である。 1995年という年は,ケベツ ク州のカナダ連邦からの分離・独立を州民に問 う州民投票が行われた年で,フランス語唯一公 用語政策を推し進めるケベックにあって,英語 に親しんでいる場合が多い韓人は,英語を使用 できない環境になった場合を危倶して,オンタ リオ州など他州への転出を強く考えていた時期 である。しかし,他方で韓人の中にはケベック への同化に積極的な考えをもち,ケベック州内 で「韓人は英語派」というラベルが貼られない ように努力する人々もいる。「コミュニケ}ショ ン」研究の意味合いも切実感を伴い,実践的な 意義をもっO 本稿では同書の内容を未消化であるが,同書 は韓人移民を職業によって分けて,彼らの〈同 化ーコミュニケーション〉の状況と,言語面で のハンデイキャップを中心とした問題点を明ら かにしている。 ところで,上の3冊では,本稿で扱うモント リオールの韓人教会に関して,その実態が分か るような内容はとくに掲載されてはいない。し たがって,本稿ではこの 3冊に関してはとくに 立ち入らないが,それぞれの内容については, 別稿で他の側面からモントリオールの韓入社会 に接近する際に詳しく検討したい。 さて,モントリオールの韓人教会に関して入 手した資料の中で,筆者が有益な資料とみなし ているのは, rモントリオール韓人連合教会20 年史

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モントリオール中央連合教会の『週報

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1年分である。 モントリオール韓人連合教会は, 1965年 1月 に創始され,同地の韓人教会の中でもっとも古 い歴史を有する。同教会を「北米で最初の韓人 教会j と言及する例も見えるが,ハワイ,サン フランシスコ,ロサンゼルスなどではもっと早 くから韓人移民教会が発足しているので,この 表現は適当ではない。インタ}ネット上で「カ ナダの韓人プロテスタント教会で最初」という 表現も見えるが,

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モントリオールで最初の韓 人教会」であることは間違いないようだ。 この r20年史』ではまだ、教会がなかった時期 の様子も窺え,また教会分裂の事実もさらりと 記載しており,教会内の組織,他教会との関係 などを知る上で恰好の手がかりを与えてくれる。 後の章で,その記載に基づいて事例を紹介する。 『週報』はどの教会も毎日曜に発行している ようだが,これをもれなく収集するのは難しい ことであった。礼拝に出席しでも,週報の印刷 が通常の配布時刻に間に合わなかったり,すで に品切れとなったりで,直接入手することもま まならない。幸いモントリオール中央連合教会 のユー・キソン牧師(9)の理解と協力によって, 貴重な資料を揃えられた。これの分析は続稿で 報告する予定である。

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韓国人とキリスト教 ところで,韓人移民は,韓国にいたときから キリスト教信者であったか,カナダに来てから キリスト教徒に改宗したのか。この問題に対し ては,両方に「イエス」と回答できょう。 アジア諸国の中でキリスト教の顕著な固とし てはフィリピンや韓国が知られている。フィリ ピンはカトリックが圧倒的な比率を占めるのに 対し,韓国ではプロテスタント信者の方がカト リック信者より相対的に多い,という相違があ る。 東アジアにおいて,韓国でどうしてキリスト 教が広く浸透し,日本ではどうしてそうでない のか,という疑問は日本でよく問われる問題で - 57一(106)

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ある。これまで,これに対する説明がいろいろ 行なわれているようだが,本稿ではこれらにつ いては参照していない。 この問題について個人的な関心の経緯から始 めると,先ず筆者が東洋大学大学院で宗教人類 学者,古野清人先生の講義を何年か受けた折り に初めてこの問題を教わった。その頃,吉野先 生の著作集がちょうど三一書房から刊行中であ り,その中の l冊,

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キリシタニズムの比較研 究j (1973)がテキストとされた年があった。 本書で紹介されている宣教師たちの活動の跡 は,フランシスコ・ザビエルが来日した 1549年 から, 1鎖国」の 1639年までの 90年間に限られ る。歴史の中では1世紀に及ばないこの期間に, 当時の日本人の相当数が受洗,改宗し,キリシ タンとなった。古野先生は,当時のいくつかの 記録の中では比較的信頼のおけるものとして, 1614年頃の日本のキリシタン人口資料として, カルヴァリョ師の 130万の信者」を挙げている。 これは他の数値と比べて少な目である。当時の 日本人口が約2000万人とすると, 130万人」は 1.5%になる(古野, p.92)。今日の日本では, 文化庁『宗教年鑑j (1995)によると,キリス ト教系宗教信者数は 1,519,396人に上り, 17世 紀の3倍の数値となるが,これでも現総人口の 0.7%にしかならない。つまり,明治以降,今 日まで,日本のキリスト教信者の総人口に対す る比率は,ザビエルから「鎖国」までのそれを 上回ったことがない,ということになり,ザビ エル以降の時代におけるキリシタニズムの浸透 は日本史の中で,きわめて大きな文化的事件で あった。 これに対し,韓国の場合, 1983年政府資料に よると,韓国総人口に対して,プロテスタント (改新教) 13.45%,カトリック(天主教) 4.01%という数値がある(表 l参照)。 プロテスタント(改新教諸派)とカトリック (天主教)を合わせて 17%という数値は,キリ シタン禁制に向かった時代の日本のキリシタン 人口比率の 10倍以上になる。さらにこの規模に 止まらず,韓国の最近のキリスト教信者人口に ついて,国民の26.3%(10),あるいは根拠は不 表 1 韓国の宗教別人口 (1983年12月末現在) 宗 対教人口に 総人口に対 教回数 教堂数 教職者数 信徒数 する信徒 (%)比 比率(% 仏 教 18 5,680 12,693 7,507,059 48.16 18.92 改 新 教 69 26,044 40,717 5,337,308 34.24 13.45 天 主 教 2,360 5, 198 1,590,625 10.20 4.01 儒 教 1 231 12,013 786,955 5.05 1. 98 固 仏 教 1 417 4,480 96,333 0.62 0.24 天 道 教 1 272 4,421 52,530 0.34 0.13 大 保 教 l 65 101 216,809 1. 39 0.55 そ の 他 8 ,1583 9,016 言 十 99 36,652 88,639 15,587,619 100.00 39.29 (出典)文化公報部, 1984, p.762。 (原注)総人口は39,669,859 (1983年10月 1日現在)。 信徒数は 11983年10月 1日市・道常住人口調査」で集計された宗教人口を基準とし た。 その他の数値は各宗教団体から提供された資料による。 (訳注)比率の数値は計100%となるよう計算し直した。 58一(105)

(5)

モントリオールの韓人教会(1) 詳であるが, 40%以上というもっと大きい数が 挙げられるのを目にすることもある。 韓国史におけるキリスト教の普及は,このよ うに日本のそれをはるかに上回る規模の文化的 事件ということができる。これが,どうして, どのようにして起きたか,可能で、あったか。 古野がキ1)シタニズムのヨ}ロッパ以外の世 界への拡大に関して指摘していることは明確で, 集団的改宗と儀礼的親族関係(あるいは擬制的 親族関係),シンクレテイズムなどである。吉 野の説明は先行諸研究から博引傍証の上,簡潔 明快になされており,

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集団的改宗は民衆のい わば自発的または積極的な改宗であり,このよ うな事例は必ずしも未開民族の場合もまれでは ないが,多くの場合,伝道を行なう大宗教によ る強制的な集団的改宗である

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(古野, 1973, p.344) と説く。この説は日本史を振り返ると, <キリシタン大名等の号令による集団的改宗> などにうまく符合すると思われ,さらにまた日 本史ではキリシタン禁圧の迫害に会って集団的 に棄教もした。それに対し,

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数世紀にわたる 白人支配の桓桔の下にあり,しかも伝道が多少 とも継続していた中南米」やフィリピンでの民 衆の間では,こうした<集団的改宗一集団的棄 教>という激動はきわめてまれであった,とす る(古野, 1973, p.346)。集団的棄教があった か,なかったかが,その後の日本と中南米やフィ リピンとの違いに結果する。 集団的改宗がどのようになされたかについて, 中南米インデイオの聞にキリスト教が広く普及 したのは社会人類学的な見地からみると,宣教 者がコンパドラスゴ(擬制的親族関係),すな わち代父と彼の仮の(=実の子でない)息子

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の一種の仮親・仮子関係を利用して,白人が上 に立ち,インデイオが庇護される立場となる。 植民者と現地民衆との聞にこういう個別的・直 接的な人間関係が結ばれ,それと共に大量に改 宗が行なわれたとき,支配一被支配の関係を個 別的人間関係の内で覆すことは難しくなる。 しかし,このように短期間に大量に改宗者が 現れたとき,宣教者は教義を教典の教える通り, 改宗者に純粋に伝達し得るのではないから,そ こにシンクレテイズム(カトリシズムと土着信 仰の混滑形態。すなわち,混滑宗教)が生じる。 こういう構図の説明の展開の過程で,古野は 韓国に対し言及をしていないが,これは韓国が 古野の視野の外にあったからではなく,韓国に 関してはまだ研究が足りないと考えていたから と思われる(古野, 1976)。 こういう古野説を前提として,韓国のキリス ト教拡大に適用しうるか否かを考えてみると, 上で参照した古野の構図はカトリックの拡大に 即したものであり,これによっては韓国ではプ ロテスタントの拡大の方をうまく説明できない のではないか,という疑問が生じる。古野の所 説を前提とすると,韓国におけるキリスト教の 拡大に関しては,①大量改宗がどのようにして 行なわれたか,行なわれているか。集団的改宗 の例があるとすれば,どういう形態であるのか。 「民衆の自発的改宗」か,

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強制的な集団改宗」 か。①儀礼的親族関係がその過程に介在してい るか。①シンクレテイズムはあるか,が検討の 課題となる。 このうち,①のシンクレテイズムの様々な具 体的様相に関しては,近年,日本人の韓国研究 者によっても韓国キリスト教と亙俗の混請した 祈祷院の研究などによって調査報告され,明ら かにされてきている(11)。①と②の問題に関し ては,本稿の作業で何らかの手がかりが見出せ るか,という問題関心がある。 筆者はかつて「キリスト教の伝来一日本と朝 鮮の比較

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(松本, 1988, pp.202 -206) という 年表を作成したことがあるが,幅広く奥深いキ リスト教史(12)にはその後,最近まで関心を向 けて来なかったため不案内であるので,本稿で はその問題に答えるところまでには至らないで あろう。 ただ,最近,参照した数少ない文献の中で, ドナルド・クラーク

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(13)による 『近代韓国キリスト教史j(1986)に,韓国では キリスト教は帝国主義と一体のものとは見られ - 59 -(104)

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なかった,と記述している箇所がある(Clark, p.

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。なるほど,その記述を受ければ,日本 ではその両者を一体のものと見て警戒した徳川 時代の歴史がはっきりしている。しかし,韓国 史では中国や日本と異なり,帝国主義は第一に 西洋諸国ではなく,日本と直結する。日本帝国 主義の略語「日帝」の語は1945年 8月15日の 「光復」後,半世紀以上を過ぎた現在もなお, 韓国の日常用語の中に生きている言葉である。 そして,メイド・イン・ジャパンを意味する 「日製」という韓国語のハングル表記は「日帝

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とまったく同じであり,

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日製」が韓国内に氾 濫して,口語の上で「日製」を頻繁に言うほど に,

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日帝」の意味が交錯する。 クラークによると, 1945年の解放によって, 「帝国主義」の重しが外れたらキリスト教は弱 化するという見通しも一部でもたれていたよう だ。しかし, 1945年以降も,韓国ではさらにキ リスト教が広まった。 1945年の解放から以降,連合軍・国連軍の主 力を成す米軍と共にアメリカなどから多数のプ ロテスタント系諸教派が入り,

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解放」および 「近代化」のイメージはキリスト教と一体化し て浸透した。外来宣教に触発されて,韓国内で 韓国人が創始したキリスト教諸教派も数多く創 始された。牧師養成の大学も多く発足して,今 日に及んでいる。韓国でキリスト教は,中国的 でもなく,日本的でもない精神世界を説き,人 間のありょうを人々に説いた。慈善事業,教育 事業,医療・福祉にもキリスト教関係者が熱心 に取り組んだ。農村から都市に移り住んだ多く の人々が,親族関係の内の劣位,兄弟関係の下 位,出身農漁村背景を意識する必要がなく,生 活支援を得られる教会を頼る,という動機が作 用したであろうか。 クラークが挙げているもう一つの理由は,朝 鮮戦争 (1950-1953年)以降,民共の国是を掲 げ続けた韓国では,共産主義に対抗するイデオ ロギ}の基盤として,他にこれという選択肢が なく,キリスト教が支持された,というもので ある (Clark

1986

p.52.)

クラークの本が出た後,韓国は1990年にソ連 と国交樹立, 1992年に中国と国交を樹立し, 「反共」政策の内実を変えてきた。 1992年のソ 連邦解体の後,韓国の地政学的環境は大きく変 わった。 1950年代から1980年代までの40年間, 韓国は「北」およびソ連・中国と国交をもたな い(そして日本とは別の意味で)緊張関係にあっ た。この聞の状況を考えると,集団的改宗の説 明を為しうるように思えてくる。 そして,クラークは,キリスト教は韓国で大 成功を治めたけれど,そのキリスト教は韓国化 されたキリスト教となった,と結論している (Clark, 1986, p.52.)。これは,すなわちシ ンクレテイズム論に通じる。 筆者には,以上のような書籍や理論を介して 抱くようになった問題意識ばかりでなく,以下 のように韓国で暮らした経験の中から生じた問 題意識もある。 1984年,ローマ法王(韓国では「ローマ教皇」 が一般的)が訪韓した頃,

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ソウルの電話帳を 見ると,喫茶庖よりも教会の方が多い

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という 話を耳にして,ソウルの職業別電話帳を調べて みたら,その言の通りであった。韓国では教会 の尖塔が街の景観の中にあちこちと見える。そ ればかりか,同じビルの 2階と 3階に別の小教 会が入っている,という光景すら見える。都会 ばかりではなく,地方都市,農村の景観の中で も必ずといって良いくらいに教会は見つかる。 同じ1984年であったと思う。韓国のテレビで 韓国人の枢機卿に対して,ある青年が質問を投 げかけていた。「韓国では教会がたくさんあっ て,それが互いに競争関係で、あったり,対立関 係であったりという現実がある。キリスト者は 心を合わせるべきであると思うが...

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。そのと きの枢機卿の回答は残念ながら,語学力の不足 で十分意味をくみ取れなかったが,枢機卿はカ トリックの指導者であり,カトリックは体系的 に統合されているので,韓国プロテスタント諸 教派の多くの指導者を批判したり,刺激したり する結果となる表現は,立場上も,キリスト者 がまとまってローマ法王を迎えようという時期 60-(103)

(7)

モントリオールの韓人教会(1) への配慮からも出せなかったであろう。 その青年が示した疑問はそのとき以来,私に とっても韓国キリスト教を理解する上で大きな 問題となっている。セクトが分裂に分裂を重ね ていくというのは,

1

義」を第一に掲げる限り 不可避であるのか。 第

2

モ ン ト リ オ ー ル 韓 人 連 合 教 会 の

事例

1.モントリオールの韓人とキリスト教 「モントリオールの韓人の多くはキリスト教 会に通う」と耳にした情報について,ある韓人 インフォーマントは,韓人のキリスト教信者は 韓人コミュニティ(14)全体の

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パーセント以 上

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,別の韓人インフォーマントは

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パーセ ントくらい」という見積もりを話してくれた。 前者に比べ後者は低めの見積もりであるが,モ ントリオール韓人会会長を経験した人物の言で ある。筆者が彼ら以外の幾人かの韓人に問うた 「キリスト教信者の比率は」という質問に対し ては,むしろ「どれくらいかは分からない」と いう回答がふつうの例であり,

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多いのではな いか」というくらいの認識が韓人の間での常識 的な線のようで、あった。 それでは,実際にモントリオール韓人のどれ くらいがキリスト教徒であるのか。非キリスト 教徒はどれくらいの比率を示すのか。韓人キリ スト教会を通じて,韓人コミュニテイのどれく らいを把握しうるのか。仏教信者もいるであろ うし,無信仰者もいるであろう。 筆者がモントリオールの数人の韓人インフオ} マントから初期に聞きまわったところでは, 「母は仏教信者だ。寺はトロントにはあるが, モントリオールにないので,韓人仏教徒はアパー トに集まる

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キリスト教を信じないので,教 会には通わないJISGI (創価学会インター ナショナル)に出る韓人がいる」などの提報を 受けた。仏教信者の数や, S G 1に通う韓人の 数は確認できていない。 モントリオールの韓国食品屈では食品以外の 雑貨も販売しているが,庖頭の商品構成が一番 多彩な商腐の場合でも,キリスト教関係者が用 いる商品は見られでも,儒教的な祖先祭杷の際 や,仏教者が用いるような道具類は置いていな かった。ここから推すと,キリスト教以外の宗 教信者は多くはないように察せられる。祖先祭 杷等の際に供え物としても使われる食品はあっ た。

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モントリオールの韓人人口 カナダの

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年センサス (20%抽出)による と,表 2の通り,ケベック州の韓人人口は約

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モントリオール市を中心とする 都市圏)の韓人人口は約

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人と推定されてい る。ケベック州内ではモントリオール圏に韓人 の86.7%が集まっている。ケベック州の州都で あるケベック市圏にはわずか 2 %しかいない。 この韓人人口には移民と非移民が含まれてい る。ケベック州の韓人の内,移民人口は 2,

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であり,統 計上,北韓系(北朝鮮系。

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は ケベック州では皆無で、ある。カナダ全体でも北 韓系は 110人に過ぎない。 モントリオ}ルでは韓入社会のキリスト教徒 の比率という人口統計資料は見あたらないので あるが,もしこの比率を算出しようとすると, 表2 カナダの韓人・日系人人口

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年20%抽出) カナダ

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1 ,860 モントリオール圏 2,510 1,680 ケベック圏 60

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(出典)

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- 61一(102)

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困難だが,不可能で、はないだろう。ただし,韓 人キリスト教会が,カトリック,およびプロテ スタント諸教派を合わせて 10教会ほど存立して おり,その全教会の協力を得られることが前提 となる。 ちなみに,モントリオール韓国総領事館が集 計している韓人人口統計も,韓人会が発行して いる住所録の作成も,これら韓人教会の協力が 基礎になっている様である。モントリオール市 中心街に位置する韓国総領事館はケベック州の ほか,そこより東部のカナダ諸州(ニュー・プ ランズウイック州,、ノノf・スコシア州,プリン ス・エドワード島州,ニュー・ファンドランド 州の 4州)も管轄している。 1994年12月末の時 点で,モントリオール韓関総領事館で把握して いるこれらの州に在住する韓人(,同胞

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人口 総数は 2,982人。このうちケベック州で2,801人 (93.9%) が数えられている。 韓人キリスト教教会から提出される信者数を 合計し,またどの教会にも属していないことが 知られている人々を数え上げて,さらに合計し た数値が,モントリオール韓人人口統計として 集成されているものである。ところで,筆者ら は1996・1997年の韓国東海岸の蔚珍郡調査時に 教会が作成する信者戸籍に当たる「教籍簿」が あるのを知った(15)。しかし,本稿でのモント リオール調査は,それ以前に行なっており, 「教籍簿」の有無は尋ねても居なかった。モン トリオ}ルの韓人各教会でも,これに類する信 徒名簿を有していることは十分考えられる。各 教会から提出された資料を,おそらく韓入会で 韓人住所録を作成しているので,韓人会で(ま た,おそらく学生アルバイトによって)集成す る際に,どの教会にも「通わない」人について 補充されているものと思われるが,集成担当者 およびその点検者たちと日頃接触がなかったり, 各教会との関係においてマ}ジナル(境界的) な立場にいる韓人は漏れる場合もあり得ると想 像される。そう考えると,集計された数字は実 際に該当区域に居住する韓人について少な目の 数値でありうる。しかし,一方で他地へ転出し た世帯の全員あるいは世帯員の一部が, ,教籍 簿j に残ったままの扱いにされている可能性も ある。この場合は,実際より多目の数値でなる ことも考えられる。

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モントリオール韓人教会の種類 モントリオールの韓人教会数は 1995-1996年 の調査時点で, 10ないし 11であった。韓人教会 は分裂や解散が比較的頻繁に行なわれるので, その歴史・活動の跡を詳しくたどることは難し い。調査時点で,数人の牧師(天主教会,連合 教会,純福音教会,中央連合教会)に会うこと ができたが,創設以来,神父・牧師であり続け た人は少なく,何代目かに代を重ねており,教 会の歴史がまとめられた文書がヲ

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き継がれてい れば,そうではないのであろうが,教会の歴史 について「昔のことはよく分からないj という 回答を得たり,創設時のことはトロントなど他 へ転出した人に開けば分かるだろう,と追跡調 査を提案されたりした。先述のように,モント リオ}ルの最初の韓人教会である連合教会には

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年史

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があり,その教会史の最初の20年間 について知ることができる。その他の手がかり としては,韓人会会報が1971年から出されてい ると耳にしたが,その古いものは倉庫に保管さ れている由で,参照できなかった。韓人会報に は韓人関係主要機関の一覧表が掲載されている ことが多い。 ここでは作成年度の異なる 3冊の韓人会住所 録を基に,韓人教会の種類と変遷をかいま見る ことにする。モントリオールの韓人会住所録は 1989年から本格的な印刷製本の体を成すように なった。それ以前の住所録も若干入手したが, 簡易印刷で,以下に見るような広告は付いてい ない。 先ず

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9

年度モントリオール韓人住所録

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(モントリオール韓人会, 1989) に掲載されて いる韓人教会広告は次の

7

教会である。掲載順 に挙げる。広告中から英文表記を転記した。 - 62一(101)

(9)

モントリオールの韓人教会(1 ) (1)モントリオール韓人連合教会

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(2)モントリオール聖母昇天韓人天主教会 (3)純福音モントリオール教会

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l) (4)モントリオール韓人長老教会 (5)モントリオール所望長老教会 (6)モントリオール韓人監理教会 (7)モントリオール韓人第一長老教会

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このうち(2)の天主教会がカトリックで,その 他の教会はプロテスタント諸教派に当たる。 r92 -93年度 モントリオール韓人住所録

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(モントリオール地区韓人会, 1992, pp. 156-163)に掲載されている韓人教会の広告は,以 下の8教会(掲載順)である。 (1)モントリオール聖母昇天韓人天主教会 (2)モントリオール韓人連合教会

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(3)純福音モントリオール教会

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l) (4)モントリオール韓人長老教会

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(5)モントリオール所望長老教会 (6)モントリオール韓人第一長老教会

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(7)モントリオ}ル韓人監理教会

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(8)モントリオール中央連合教会

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これを1989年『住所録』と見比べると,新た にモントリオール中央連合教会が加わっている。 r94 -95年度 モントリオール韓人住所録

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(モントリオール地区韓人会, 1994,業所録

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2

-9

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に掲載されている韓人教会の広告 は,以下の8教会(掲載}II貢)である。 (1)モントリオール中央連合教会

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l) (2)モントリオ}ル韓人監理教会

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(3)モントリオール韓人サラン教会

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(4)モントリオール所望長老教会 (5)純福音モントリオール教会

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l) (6)モントリオール韓人連合教会

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(7)モントリオール韓人長老教会

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(8)モントリオール韓人天主教会 r92-93年 住 所 録 』 と r94-95年 住 所 録

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を見比べると,教会広告の掲載I}原は,前号の掲 載順を,後号では前後をほぼ逆転させた掲載順 となっている。ここに教会広告の掲載順に対し て抗議でも寄せられたのか,各教会を序列化し ないような配慮の跡があるように窺える。 また, r94-95年 住 所 録jでは r92-93年 住所録』にあった「第一長老教会」が消えて, 新たに「サラン教会」が加わっている。教会の 著しい分裂と消長は韓国キリスト教界の特般の ように指摘されている点であるが,ここでは以 下に述べるように,

I

第一長老教会」は何らか の理由でこの年度に広告を掲載しなかっただけ である。 r94-95年度住所録』には「公共機関およ び医療機関」の頁(モントリオール地区韓人会, 1994,業所録p.44)に教会リストが掲載され ている。そこには以下の10教会が記載されてい る。 - 63 -(100)

(10)

(1)韓人天主教会 (2)韓人連合教会 (3)中央連合教会 (4)純福音教会 (5),所望長老教会 (6)韓人長老教会 (7)第一長老教会 (8)韓人監理教会 (9)韓人サラン教会

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グランビ教会 ここには r94-95年 度 住 所 録 』 に 広 告 を 載 せていない「第一長老教会」が見え,さらに(9) 「韓人サラン教会

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「グランビ教会」が新 たに見えている。 1995年当時,教会の分裂を耳 にしたが,上の中のどの教会に関わる出来事か, インフォーマントは口をにごして特定できなかっ た。 韓入社会のコミュニティ新開発行者,チャン・ ユンチョン氏(16)による「歴史年表

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(チャン・ ユンチョン. 1993) の記載事項およびその他の 情報を基に,作成した教会の一覧表を以下に示 表3 モントリオール韓人教会一覧(付創立年月日) す。ここからも韓人連合教会がモントリオール でもっとも創設の早い韓人教会であることが窺 える。 表 3では 12教会となるが,五旬節教会のイン・ ヨンテ牧師は教会創設から 3年後の 1989年に亡 くなっており(松本. 2000.p.71). 後が続か なかったように窺える。 さらに「モントリオ}ル韓人聖潔教会」 (Montreal Korean Evangelical Church)が新 出である。前出の「グランビ教会」は表3の 「栄光長老教会」と別の教会の様であるが,確 認できていない。 なお,これらの韓人教会のそれぞれがモント リオールの韓入社会で独自に創設された「独立 教会」であるか,韓国や米国,あるいはカナダ の内にある教会の支部教会であるのかは,調べ が付いていない。 1995年 9月現在では,表 3から五旬節教会を 除いた11教会がモントリオールの韓人教会で、あっ た。 教会名 創立年月日 張允千氏作成「歴史年表」記載事項 規模 韓人連合教会 1965年 1月10日 創立。ノ・イシム牧師ほか 6名が集まり,初めての礼拝 大 韓人天主教会 1965年10月 5日 高チョンオク神父始務 大 韓人長老教会 1981年 3月29日 創立礼拝 大 純福音教会 1981年11月22日 創立礼拝 中 五句節宣教教会 1986年 2月23日 設立。イン・ヨンテ牧師 所望長老教会 1986年12月14日 創立礼拝 小 │ 韓人監理教会 1988年 2月14日 創立 中央連合教会 1990年 9月23日 連合教団加入。担任牧師,キム・ウォンジェン 大 韓人サラン教会 1992年10月 4日 創立。牧師,ファン・ウイヨン 中 韓人聖潔教会 1993 -1995年の間 中 第一長老教会 不 明 栄光長老教会 1995年夏 不明 (注)表中の「規模jは. 1995年にあるインフォーマントから信徒数によって,各教会を大中小に分け てみてもらった区分である。 - 64 -( 99)

(11)

モントリオールの韓人教会(1) 表4 モントリオール韓人連合教会信徒数(1983-1984年) 1983 1984 世 帯 数 55 62 正 信 徒 洗 礼 信 徒 数 235 284 世 帯 数 23 26 出 席 信 徒 信 徒 数 109 110 世 帯 数 78 88 i¥' 言十 信 徒 数 344 402 (注)現表 11984年度モントリオール韓人連合教会現況

J

(モントリオール韓 人連合教会, 1986, p.85) を元に作り直した。

4

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モントリオール韓人連合教会に見る教会組 織 ここで参照するモントリオール韓人連合教会 は前述のように,モントリオールでもっとも歴 史の古い韓人教会であり,しかも『教会20年史』 を編集発行していて,そこに以下に見る教会内 の組織と活動に関する情報がまとめられている。 (1) 信徒の区分と世帯数・人数 表4の「正信徒

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出席信徒

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の概念の別は 教会規定ではどうなっているのか不詳であるが, 表中の用語(正信徒欄の洗礼信徒)から推すと, 「正信徒

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は洗礼を受けた信徒,

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出席信徒

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は洗礼を受けていないが,教会に通う信徒,あ るいは教会に籍を置く信徒と察せられる。後述 のように,日曜に礼拝に参加することはなくて も,教会の 1年間に行なわれる特別行事や,地 区単位での定例集会には出席する人々が居る。 礼拝には留学者・駐在者・一時的訪問者も出席 する場合があり,彼等を区別することはないの で,観察を通じてのみでは誰が正信徒か,そう でないかの区別は付かない。 (2) 教会の機構と役職区分 モントリオール韓人連合教会の機構図(モン トリオ}ル韓人連合教会20年史編集委員会, 1986, p.72)を見ると,根幹は共同議会,堂会, 諸職会の3層から成っている。 共同議会は牧師,信徒の全体総会と思われる。 共同議会は堂会の上に位置し,諸職会は堂会の 下に位置する。 堂会は学生神佑会(17),青年神佑会,女神佑 会,男神佑会,老年神佑会の各神佑会を傘下に 置いている。堂会は,李鼎昇[国語大辞典』 (韓国語辞典)によると「長老教・聖潔教等で, 教会内の牧師と長老が集まる会合。全教人の信 仰行為を総括し,学習・入教・洗礼等の事務 (司務)処理,長老・執事の選出,瓢教[除籍], 解罰[赦免]等を監督する」とある。モントリオー ル韓人連合教会の機構表から見ると,同教会の 堂会は各神佑会の代表者を交えて成っているよ うに見える。 各神佑会は全体としてモントリオール韓人連 合教会信徒の年齢別組織と成っているように見 られ,注目される。学生神佑会の「学生」は韓 国では,たとえば道を聞くために,通りがかり の,名も知らぬ小学生に対して「学生!

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と呼 び止めることが一般的な光景として見られるこ とから推して,ここでの学生神佑会は「児童・ 生徒神佑会」と訳解される。青年神佑会が年齢 層としてはその上に位置する。学生神佑会と青 年神佑会は男女合同の集まりとなっている。女 神佑会と男神佑会は既婚者を中心とする社年層 の集まりであろう。この壮年層のみが男女別に 異なる組織を成している。 諸職会は,李鼎昇『国語大辞典』では「長老 教等である教会のいろいろな職責をもっ人が集 まる会」とある。モントリオール韓人連合教会 の機構図では,諸職会は総務,礼拝,教育,財 政,建築管理,親交,宣教,文化・出版,聖歌 - 65 -( 98)

(12)

表5 モントリオール韓人連合教会の役職種類と担当人数 (1984年) 役 職 種 類 人 長老・執事の分担(人) 牧師 1 長老 3 執事 29 一 、 監事 3 長老 2,執事l 老会代表 1 長老 1 各部署責任者 書記 2 執事 2 総務委員会 4 長老 1,執事 3 礼拝委員会 4 長老 1,執事 3 財務委員会 6 長老 1,執事5 教育委員会 (委員長) 1 長老 1 初等部 1 中高等部 1 執事 1 ハングル学校 2 執事 2 建築・管理委員会 3 長老1,執事 2 親交委員会 7 長老 1,執事 6 文化・出版委員会 3 執事2 宣教委員会 (委員長) 1 長老 1 区域会 1 執事 1 訪問伝道 3 執事 3 録音 2 執事 2 慶弔 2 執事 1 聖歌委員会 2 長老 1,執事 1 学生神佑会 1 執事 1 女神佑会 4 執事 4 青年神佑会 1 執事 1 男神佑会 1 執事 1 老年神佑会 2 執事 2 聖歌隊 隊長 1 執事 1 指揮者 2 伴奏者 2 総務 1 隊員 ソプラノ 12 アルト 7 テナー 5 バス 9 日曜学校 校長 1 長老 1 同 付属ハングル学校 教師 9 執事 1 (出典)184年諸職名簿

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(モントリオール韓人連合教会, 1986, pp.89 -90) - 66 - ( 97)

(13)

モントリオールの韓人教会(1) の各委員会を傘下に置いている。教育委員会の 下に日曜学校・中高等部・ハングル学校が位置 し,聖歌委員会の下に聖歌隊が位置する。 11984年諸職名簿

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(表5)を見ながら,モ ントリオール韓人連合教会内の各役職について 知るところを説明していく。 「牧師」は初代のノ・イシム(在職1965-19 69) から始まり,第 2代チュ・チェヨン (1970 -1972),第 3代ぺ・ハングク (1973-1995以 降)。ノ・イシム牧師は信徒との関係維持が難 しくなりパンクーパーへ。チュ・チェヨン牧師 は神学博士を受けて, 1974年帰国して後,母校 の韓国神学大学教授となっている。ぺ・ハング ク牧師は韓国神学大学出身で,ソウル福音教会, 韓国ルター教で活動経験も積み,米国留学を経 て,マギル神学大学院に来て,この教会の牧師 に迎えられた。 1996年にぺ牧師と面会し,話をうかがえたが, 韓人連合教会の信徒は他の韓人教会に比べ,比 較的早い移民が多い。カナダに来て,研究者・ 教師や医師は人間関係で孤独感を持たないが, 他の職種の移民は孤立的になる。そこに韓人教 会に人間関係を求めてくる移民心理がある,と いう。ベ牧師は長年,同教会で多くの韓人移民 のモントリオール定住化に力を尽くした。 1975 年に事故で子息を失う。 「長老」はキム・ドッポ(在職1965),キム・ オギル (1965-1968),オー・キソン (196 9-1974, 1977 -1980),チョン・セボン (1973以 降),ナム・ヨンオク (1978以降),チェ・ソン オク (1978以降),ノ・ソンボン (1982以降) の7人の名が r20年史

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に見える。 キム・ドッポ長老は仕事の関係で1965年末頃, トロントに移った。 キム・オギル長老も1968年11月に他地方に 移った。 オー・キソン長老はモントリオ}ルに健在, 元コンコルデイア大学教授である(注3参照)。 チョン・セボン長老はノートルダム・デ・ネー ジュ共同墓地にある墓碑銘によると, 1914年 9 月7日生で 1992年 7月20日に没している(松本, 2000, p.72)。オー・キソン博士からうかがっ た話のメモによると,チョン・セボン長老の姉, チョン・メリー女史(18)がモントリオール韓人 歴史上,最初の移民である。チョン・セボン氏 は1972年に東洋食品屈を開業。彼のもっていた 庖の一つを,モントリオールの日本食品庖とし て知られる「宮本」が購入した。 墓碑銘によると,チョン・セボン長老の夫人 はチ・キボン勧士で, 1917年5月11日生, 1991 年7月11日に亡くなっている。チ・キボンの名 は r20年史

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では, 1973年以降,執事欄に見え る。「勧士」は,

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国語大辞典

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によると,

1

教 会教職の一つ。信者を訪問し,信仰心をより人 情深くし,気落ちした人を勤勉にし,不信者に 伝道することを主要な任務とする」とある。こ の任務は表5では宣教委員会の「訪問伝道」 (原語では「尋訪J) に当たる。 「長老」は何か問題が生じたときの場合だけ, 相談に与る顧問ではなく,相当の実務が伴うよ うだ。表5で見るように, 3人の長老が11の役 職を分担している。「長老」は教会の信徒組織 の役職中でもっとも高位に位置し,信徒全体を まとめる役割を担う。「執事」がそれに次ぐ。 「執事」は,

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国語大辞典』によると,

1

基督 教で教会の仕事を分担する人

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1

聖公会の按手 礼を受けた人。有司

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とある。ここでは,前者 の,つまり役員である。執事は日曜学校の初等 部と聖歌隊を除き,長老と共に教会の各部署を 代表し,中心となって担う。 「老会代表」は,

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国語大辞典』によると, 「老会」が「長老教各教区の牧師と長老の代表 が集まる会合。中会j とある。したがって, 「老会代表」はこの説明の通り,本教会の長老 代表として,他教会との会合に出る役割を担う のであろう。 「宣教委員会」に「区域会」というのがある。 これは,ベ・ハングク牧師の説明 (1996年)に よると,韓人連合教会では信徒が居住区域によっ て10区域に分けられている。この区域ごとに月 1回 ぐ ら い 大 体 , 会 場 は 輪 番 で 家 庭 礼 拝

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を行なう。 1区域は 10世帯以 67~(96)

(14)

上で構成される。毘域長は教会で任命する。区 域を共にする世帯に何か異動があれば,教会に 通知する。信徒の30-40%は教会に通わないが, この区域会に参加することで,信徒仲間の紐帯 を維持する。 (次稿に続く) 注 ( 1) Funuko Ikawa-Snuth. マギル大学人類学科 教授。当時,同大学の副学長。ハーバード大 学で人類学博士。考古学・人類学。 ( 2) RobinD.S. Yates. 当時,マギル大学東アジ ア研究センター長および東アジア学科長,歴 史学科教授。中国史。 (3) Oh Ki Song.1917年,旧満州の揮春にて出 生。日本の中央大学法学部卒業。ペンシルパ ニア大学で国際政治学修士および国際政治学 博士。崇実大学,ユニオン大学,ロヨラ大学 などを経て,モントリオールのコンコルデイ ア大学教授で定年を迎えた。僑民生活研究所 を主宰。東京にいた時分,賀川豊彦と関係が あった由。第 2次大戦中,東京で最初の爆撃 に遭遇。夫人のユー・チョンスン女史は梨花 女子大卒, Temple大学でソーシャル・ワーク を学び,教育学修士を取得。教会の月刊誌を フルタイム編集者として編集している。 ( 4) Chung Hee Soo. Joseph H. Chun. 当時,ケ ベァク大学経済学科教授。トロント大学で学 び, 1962年にケベック大学にポストを得た。 ( 5) Yim Seong-Sook.任聖淑。当時,ケベック 大学コミュニケーション学科講師。 1995年に は,モントリオール韓人会副会長でもあり, 韓入社会では珍しくフランス語に填能で,韓 人会の中でフランス話会話のクラスをアレン ジしたり,ケベツク政府と韓人コミュニティ の聞に立って献身的活動を行っていた中心人 物の一人である。 ( 6) 1996年からモントリオール大学東アジア研 究センターに移り,本書の著者紹介では,同 センターの教授,韓国研究プログラム責任者。 ( 7)

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モントリオール地域韓国出身ケベック人の ケベック社会への統合」の題で, 1992年10月, ケベック政府文化共同体移民部とモントリオー ル韓人会により公表されたようだが,この実 物は参照していない。 ( 8) 学位審査の最終段階で,口頭試問がある。 筆者は学位請求者のイム・ソンスクさん本人 からそれを見に来るか,と誘われて,ケベツ ク大学のその会場に出席する機会を得た。数 名の審査関係者と 10名くらいの聴衆を前に, イムさんが立ってフランス語で論文の概要を 20-30分程度説明,その後,審査教授との聞 で質疑応答が交わされた。その後,審査関係 者がしばらく別室に移って協議し,ややあっ て会場に戻ってきて「合格」を宣言する。会 場の椅子・机を並びかえて,用意されてあっ たワインや簡単なつまみが供され,即席の立 食祝賀会が催された。 ( 9) Rev.Ki Sung Yoo. ユー牧師は日本で暮ら された経験もあり,息女が,私が研究室を貸 与されていたマギル大学東アジア学科の学生 で,日本語等を学んで、いた関係もあって,格 別の厚意により, 1年分の週報のコピーが可 能になった。しかし,牧師の手元分にも欠号 があり,全号は揃えられなかった。 (10) 飯田剛史は『韓国統計年鑑.1 1998年版から, プロテスタント876万人,カトリック 295.1万 人という数値を紹介している(飯田, 2000, p.151)

(11)秀村研二,真鍋祐子,淵上恭子らに一連の 調査研究がある。その所在は嶋・朝倉 (2000) の文献目録および秀村 (1995,1999) を参照 されたい。 (12) 朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の朝鮮キリスト 教史については,近年では本研究所研究員で ある鈴木信昭氏(富山大学)による一連の研 究がある。 (13) 同書の著者紹介によると,氏はサン・アン トニオ(米国テキサス州)のトリニティ大学 で歴史を教える準教授。 1978年にハーバード 大学で東アジア史分野で Ph.D.を取得。宣教 師の息子としてソウルで子供時代を過ごし, 韓国への関心を持ち続けることになった。平 和部隊のボランテイア,社会科学調査カウン シル研究員,フルブライト派遣などでも韓国 で暮らす。フルブライト派遣時は延世大学で 大学史に関する本の準備を行なった。アジア 学会韓国研究委員会の元座長,英国王室アジ ア学会韓国支部の元評議員。韓国研究の多彩 な論文を雑誌に発表,

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ケンブリッジ中国史

J

では明・朝鮮関係の章を執筆。 (Clark,p.55) (14) 日本では「コミュニティ」の語で「地域社 会

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を意味することが普通になっているが, モントリオールでは「コミュニティ

J

は「エ スニツク・コミュニティ」の意味であること - 68一(95 )

(15)

モントリオールの韓人教会(I) が多いように思われた。この場合,当事者間 の精神的な一体感が一義的な指標で,居住地 は二義的な扱いとなる。都会のあちらこちら に散在している人々があるエスニシティで集 合し,団体性を示す。モザイク社会の地域で は,エスニック・グループ,エスニック・ネッ トワークごとに様々なイベントの呼びかけを 発し,その情報が地域内に飛び交う。筆者は 1年間,いろいろなイベントを見に出かけた が,人種・民族的背景を異にする人々は「相 Eに干渉しない」ょうだ。韓人はケベック州 内でもモントリオール圏に集中している。モ ントリオール市内では西部に韓国食品底・韓 国ビデオ庖や韓人会本部などが比較的近くに 集まっている地区があるが,コリアタウンと 呼べるように軒を連ねてはいない。モントリ オールでは韓人の地域社会が形成されている とは言えない。 (15)鈴木(1998,pp.57 -58)。鈴木は「教跡」 と漢字を当てている。 (16)張允千,チャン・ユンチョン氏は韓国で小 学校長を勤め上げ,移民してきた。家族の助 けを借りつつ,独自に僑民新聞 (Korea ncom-munity newspaper) rモレアル』を1985年以来, 発行してきた。これは, 1995年に韓人コミュ ニテイで発行されていたコミュニティ新聞の 中で一番古い週間新聞であった。同紙の発行 人の手元に保管されている1995年までのバッ クナンバーをすべてコピーさせてもらった。 その同じコピーの 1セットはマギル大学東ア ジア研究センターに寄贈した。この記事分析 を行なえば,より詳しい情報を参照しうるが, まだ記事分析を終えていない。チャン氏は多 芸多趣味で韓人コミュニテイ内に各種の余暇 サークルを率先して組織し,いろいろな面で 潤いを与えてきた。また,チャン氏は日誌を 書き続けており,それを基に「モントリオー ル韓人歴史年表

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を作成しているO これの直 訳稿はできているが,説明を要する固有名詞 が多く,それらについて調べがついていない。 (17)神佑会は,あるいは漢字では「神友会」と 表記するのかもしれないが,漢字表記例を見 出していない。 (18)チャン・ユンチョン氏の年表によると,チョ ン・メリー女史は1955年11月に韓人最初の移 民として来る。同年表では,

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チョン・セボン の妹」とある。移民経緯は不明だが, 1955年 4月は朝鮮戦争に参戦していたカナダ軍が撤 収している。チョン・メリー女史は1957年4 月に韓人として初めて市民権を獲得, 1967年 5月に韓人初めての貿易を営み, 1986年5月 17日に死去。享年69歳(数え年齢?)。オー・ キソン博士によると,チョン・メリー女史は ミヤ・カンパニーを作り,日本から商品を輸 入した。その下では日本人が働いていた。 参照文献(著者名アルファベット順)

チャン・ユンチョン Chang Yoon Chun 1993

『モントリオール僑民10大ニュース

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(韓国語) チャン・ユンチョン私家版 チョン・ヒス,イム・ソンスク Chung,]oseph H. and Yim, Seong-Sook共著 1993 rケベック移 民生活に必要な情報.1 (韓国語・フランス語)モ ントリオール地区韓人会 Clark, Donald N. 1986. Christianity in Modern Korea, University Press of America, Lanham / NewYork / 1ρndon. 古野清人 Furuno,Kiyoto 1973 rキリシタニズム の比較研究』古野清人著作集第5巻,三一書房 古野清人 Furuno,Kiyoto 1976

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韓国キリスト教 の現在とその理解

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宗教的伝統とキ リスト教の発展一韓日比較の視点、より」小林孝 行編『変貌する現代韓国社会』世界思想社, pp. 141 -1620 モントリオール韓人会TheKorean Community of Greater Montreal lnc.{Communaute Coreenne du grand Montreal) 1989 r1989年 度 モ ン ト リオール韓人住所録.1 (ハングル・英仏漢字混用 ) ,モントリオール韓人会。 (1989年10月序記年) モントリオール地区韓人会 The Korean

Commu-nity of Greater Montreal lnc.(Communaute Coreenne du grand Montreal) 1992 r92 -93年 度 モントリオール韓人住所録.1 (ハングル・英 仏漢字混用),モントリオール地区韓人会発行。 (1992年3月序記年) モントリオール韓人会TheKorean Community of Greater Montreal lnc.(Communaute Coreenne - 69一(94 )

(16)

du grand Montreal) 1994 f94 -95年 度 モ ン トリオール韓人住所録

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征韓論の前j 『東洋大学昭和62年 度 特 別 研 究 報 告 書

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モントリ オールの韓人墓碑銘

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東洋大学アジア・アフリ カ文化研究所研究年報』第34号, pp.59-800 モントリオール韓人連合教会The Montreal Ko -rean United Church 2000

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嬉しい便り.i(2000 年送年特集。韓国語)通巻175号,モントリオー ル韓人連合教会 モ ン ト リ オ ー ル 韓 人 連 合 教 会20年 史 編 集 委 員 会 The Montreal Korean United Church 1986

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韓国宗 教便覧.i (韓国語) (韓国政府)文化公報部 オー・キソン Oh, Ki Song 1988

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慶尚北道蔚珍郡 のキリスト教受容の様態一近代化にみるキリス ト教の役割

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自己像の選択 一五島カクレキリシタンの集団改宗」国際基督 教大学比較文化研究会 - 70一(93 )

表 5 モントリオール韓人連合教会の役職種類と担当人数 ( 1 9 8 4 年) 役 職 種 類 人 長老・執事の分担(人) 牧師 1  長老 3  執事 2 9  一、 監事 3  長老 2 ,執事 l 老会代表 1  長老 1 各部署責任者 書記 2  執事 2 総務委員会 4  長老 1 ,執事 3 礼拝委員会 4  長老 1 ,執事 3 財務委員会 6  長老 1 ,執事 5 教育委員会 (委員長) 1  長老 1 初等部 1  中高等部 1  執事 1 ハングル学校 2  執事 2 建築・管理委員

参照

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