子ども虐待はどのようにして社会問題になったのか
―― 1990 年代の新聞記事の言説分析 ――
井 上 剛 男 *
The Process in Which Child Abuse Is Recognized
as a Social Problem in Modern Japan
―― Discourse Analysis of Newspaper Articles in the 1990s ――
Takeo INOUE
1 は じ め に 本稿の目的は、1990 年から 1999 年の新聞記 事をデータに、子ども虐待1) が社会の関心を集 める問題 (以下、社会問題と表記) となってい く過程を跡づけることである。子ども虐待が新 聞記事でどのように語られることによって、子 ども虐待を社会問題として同定してきたかを考 察することで、目的への接近を試みる。 子ども虐待の言説を分析する研究が、これま で な か っ た わ け で は な い。た と え ば、上 野 (1996) は、社会福祉の専門家が、自らの権限 拡大のために、子ども虐待を社会問題にしよう としてきたことを明らかにする。子ども虐待は 増加しているとか、子ども虐待は深刻化してい るとか、見つかっている虐待の件数は氷山の一 角にすぎないといった語りで、人びとをあおっ てきたというのである。確かに、上野の研究で は、専門家の言説をデータに用いて分析してい る。しかし、そのデータを用いて分析している のは、言説そのものではなく、語り手のイデオ ロギーになっている。たとえば、増加、深刻化、 氷山の一角といった語りが、人びとをどのよう な意味であおることを可能にし、社会問題に作 りだすことにつながったと言えるのか。新聞記 事での語られ方を通して明らかにしようとする のが、本稿の立場である。 当然、新聞記事で語られたことを人びとがど う受け取るのかは分からない。しかし、言説の配 置から、どのような問題として子ども虐待を伝 えようとしている側面があるかを理解すること はできる。言説とは、言うことが許されているの は何で、考えることが許されているのはどんな ことかを指示するものだからである (Foucault 1971=1981)。 2 データについて 本稿が用いるデータは、1990 年 1 月から 1999 年 12 月までの朝日新聞と毎日新聞におけ る子ども虐待の東京本社版の記事である。子ど も虐待の記事とは、見出しか本文に虐待を含む 記事で、保護者 (同居する大人を含む) がその 子どもを虐待している内容の記事を指す。 次に、1990 年から 1999 年の 10 年間の新聞 記事を分析対象にしたのは、以下のような理由 による。1990 年代に入るまでは、日本では、 子ども虐待はアメリカの問題であり、日本とは * 滋賀大学無関係だと信じられていた (井垣 1998)。とこ ろが、1990 年代に入ってから、子ども虐待へ の関心が高まる。そして、2000 年には児童虐 待の防止等に関する法律が成立するまでに至る。 したがって、この 10 年間で何が語られたこと によって、子ども虐待の社会問題化が進んだこ とを解読することにした。 なお、どのようなことが子ども虐待の問題と して語られ出したのかという点に注目しながら、 分析を進めていく。以下の構成は、次のとおり である。従来の子ども虐待言説の内容とは異な る側面から子ども虐待を社会問題として位置づ ける言説を登場順に示す (3〜5 章)。そして、 それらの言説が社会問題化に貢献した意味を読 みとることを目指す2) (6 章)。 3 子どもを虐待する親は気の毒な存在 3-1 子ども虐待の電話相談に関する記事 1990 年以降、初めて朝日新聞と毎日新聞が そろって、虐待という言葉を見出しに用いて取 り上げたのは、子ども虐待の防止に取り組む民 間団体の活動であった。1990 年に大阪で誕生 した児童虐待防止協会が日本で初めてそうした 活動を始め、1991 年には東京でも同様の活動 を行う、子どもの虐待防止センターが発足した。 これらの団体では、子ども虐待の電話相談を 行っており、その詳細が記事になった。 朝日新聞では 1990 年 8 月に、大阪の児童虐 待防止協会が行った電話相談の詳細が報じられ る。相談者の大半がわが子を虐待した母親自身 からで、「自責の念に駆られながら子供への愛 憎をにじませた相談」(『朝日新聞』1990. 8. 18 朝刊) が目立つという。では、なぜ自責の念が あるにもかかわらず、わが子を虐待してしまう のか。それは、「地域から孤立しストレスを 感じながら密室で子育てをするとき、児童虐待 に向かう若い母親が少なくない」(『朝日新聞』 1990. 8. 18 朝刊) からだとされる3) 。この記事 でコメントを出している家族社会学者の落合恵 美子によれば、「兄弟姉妹が少なく、子供を世 話することもなく育った」今の母親は、「地域 でのネットワークづくりに失敗した場合や引っ 越し、退職などちょっとしたきっかけで孤立し て育児不安に陥り、虐待につながりやすい」の だという (『朝日新聞』1990. 8. 18 朝刊)。つま り、子ども虐待は、母親の育児不安が放置され、 深刻化した結果だというのである。そのため記 事の最後には、育児経験者が彼女たちの育児相 談を受けたり、集会所などを乳幼児の遊び場と して開放したりして、母親の育児不安を取り除 こうとする行政の育児支援策を紹介している。 一方、毎日新聞の東京本社版では、児童虐待 防止協会の電話相談の結果は報じていないが、 1991 年 6 月に子どもの虐待防止センターが 行った電話相談の詳細について報じている。こ こでも、「乳幼児や小児を抱えた母親からの相 談」(『毎日新聞』1991. 6. 25 朝刊) が目立ち、 子ども虐待が母親の育児不安と結びついている ことが示される。このセンターの相談員によれ ば、「周囲に話し相手もなく、『自分だけが子供 をうまく育てられないのではないか』という孤 立感や不安にさいなまれて電話してくる母親が 多いようだ。そんな追い詰められた状況から、 子供への虐待が始まることも少なくない」(『毎 日新聞』1991. 6. 25 朝刊) のだという。そこで 記事では、「虐待をなんとかやめたいという親 や心に傷を負った子供たちのために、同じ体験 を持つ人たちとの自助グループのなかで回復を 図れるよう、手助けをしていくほか、虐待を予 防するため、妊娠中の母親や配偶者に対する出 産前教育や広報活動も行う」ことを提案してい る (『毎日新聞』1991. 6. 25 朝刊)。 このように 1991 年 6 月の毎日新聞の記事で も、育児不安による子ども虐待という説明の仕 方も掲載されたが、それだけではなかった。た とえば、「父親の乱暴が子供だけでなく、母親 にも及んでいた事例では、母親と子供を父親か ら離すことはできたものの、しばらくすると、 母親が『私がいないと主人はだめになってしま う』と、子供を連れて父親のいる家に戻ってし まった」 ことを紹介している (『毎日新聞』 1991. 6. 25 朝刊)。母親が、父親による継続的な暴力 の中で、暴力をふるい、ふるわれるという両者 の関係性に過剰に依存する、いわゆる共依存の 関係になり、父親の暴力による支配から抜け出 せない姿が示される。さらに、この事例と一緒 に示されたのが、「子供を虐待する親が『実は、
自分も子供のころに親から虐待を受け (中略) 絶対に親のようにはなるまい、と思っているの に、つい手を挙げてしまう』と、悩み疲れて電 話してくる」(『毎日新聞』1991. 6. 25 朝刊) と いう事例であった。虐待を受けて育った親が自 分の子どもに対して虐待をする、いわゆる虐待 の連鎖と呼ばれているものである。これらの事 例が示しているのは、わが子の虐待を相談して きた親自身が暴力を受けてきたことによって、 子ども虐待が深刻化してしまう可能性である。 1990 年代初頭に報じられた、子ども虐待の 電話相談関連の記事では、育児不安や暴力を受 けた経験など、劣悪な環境でこれまで生きざる を得なかった気の毒な存在として、わが子を虐 待する親を位置づける。だからこそ、親への支 援が必要であることが指摘される。わが子を虐 待する親自身からの相談が多く、自らの不徳を 自覚しているがゆえに、親自身よりも、親の生 活環境が問題視されるのだと推測される。 3-2 「親になれない」のは何のせい 朝日新聞は、1990 年 11 月と 1991 年 3 月と いう、現在、子ども虐待が社会問題と認識さ れるようになったと言われて間もない時期に、 「親になれない」というルポルタージュの連載 を開始した。11 月の連載記事では、日本での 児童虐待の事例や取り組みが紹介され、3 月の 記事では、アメリカでの事例や取り組みが紹介 されている。 11 月の連載記事では、1 回目の報告の冒頭で、 親がわが子を殺した事件が先月の 10 月に 3 件 あったことを列記した上で、次のように提起す る。「都市への人口集中、核家族化、地域社会 の崩壊……。いったい何が、親を凶暴な衝動に 駆りたてているのだろう」(『朝日新聞』1990. 11. 12 朝刊)。この記述からは、親を虐待に向 かわせる何らかの環境要因があることを想定し ていることが理解できる。 では、その要因は何だというのだろうか。こ の後に続く、子ども虐待の事例について簡単に まとめれば、以下のとおりである。既婚者で あった恋人との結婚生活を夢見る女性が、恋人 の子を出産した。けれども、恋人はその子を認 知したものの、今まで通りの不倫関係が続いた。 女性はわが子を虐待するようになり、その子は 寝たきりという重い障害を負う。女性は、毎日 病院に通い、熱心に看病する一方で、その子を つねったりするなどの奇妙なそぶりをときどき 見せた。病院のソシアルワーカーは、できるだ け彼女のそばにいて、彼女の話に耳を傾け、子 どもの父親である恋人との不安定な関係に悩ん でいることを聞きだした。退院後、この子を自 宅へ帰すのは危険と判断し、母子は医療セン ターに入園し、養育の仕方を学ぶことになった。 けれども、わが子に対する母親の接し方は、こ こでも揺れ動いた。そこで、医療センターの ケースワーカーは、子どもの父親である恋人と 話し合い、医療センターに入園していた母親を 彼の元から通わせることにした。母親は、恋人 と一緒に過ごす中で、彼が離婚のために奔走し ていることを目の当たりにして、落ち着きを取 り戻した。そして、難航した彼の離婚が成立し、 彼女は彼と結婚し、子どもとともに 3 人に暮ら すようになってからも、先の病院のソシアル ワーカーは何度か母子を訪ねているという。 記事では、「カスガイになってくれることを 期待してユタカ君を産んだのに、思う通りにな らなかった悔しさ。そのはけぐちをわが子に向 けた母親の子どもっぽさ、身勝手さ。もう大丈 夫と思う一方で、それがまだ少し気にかかる」 (『朝日新聞』1990. 11. 12 朝刊) というように、 母親自身の精神的な未熟さが子ども虐待につな がったことを指摘し、母子がこれから一緒に暮 らしていくことに一抹の不安があることを表明 している。しかし一方で、このような身勝手だ と思う母親が、虐待した子の養育を継続しても、 「もう大丈夫と思う」(『朝日新聞』1990. 11. 12 朝刊) 部分もあるというのである。なぜか。1 つは、母親の精神状態を不安定にさせてきた環 境要因が取り除かれたことが考えられる。出産 後も、子どもの父親である恋人との結婚を果た せず、母親には孤独感や不安感があった。この 状況が、恋人との結婚が実現したことで、解消 されたからである。もう 1 つは、不安定な母親 を支えるソシアルワーカーやケースワーカーの 存在である。彼らは、母親から事情を聞きだし、 孤独や不安を軽減するために奔走した。さらに、 母親が父親と結婚した後も、母子をたびたび訪
ねている。母親に対するこうした断続的な支援 が行われていることが、この母親がユタカ君を 養育することに一抹の不安を感じながらも、大 丈夫だと思うことが可能になったのだと考えら れる。 「親になれない」では、3-1 節の子ども虐待 の電話相談関連の記事と同様、苦悩する親を支 援することが、子ども虐待の軽減や解消につな がることを示している。それに加えて、既婚者 と交際し、その子を出産するなど、苦悩する原 因を、母親自身が作り出したとしても、そうし た親を支援し、救済しようとする、ソシアル ワーカーやケースワーカーの重要性が示唆され る。おそらく、子どもっぽさや身勝手さといっ た、母親本人の未熟さ自体が、本人の力だけで はどうすることもできない部分だと想定されて いるのであろう。だからこそ、「親になれない」 では、わが子を虐待する親自身に問題があるこ とを指摘するものの、第三者による親の支援が 必要であることや、支援が有効であることを例 示し、育児支援を怠ってきた日本社会のあり方 に警鐘を促すことに力点を置くのである。この ように、わが子を虐待する親は、生活環境の劣 悪さであれ、親本人の未熟さであれ、親自身の 力ではどうすることもできない要因によって、 苦悩を強いられ、わが子を虐待するほど追いつ められた気の毒な存在として位置づけられてい ると考えられる。 4 児童虐待問題に対する社会意識の低さ 4-1 電話相談をしない親 子どもの虐待防止センターが行った子ども虐 待の電話相談に関する朝日新聞の記事には、同 じ内容を伝える毎日新聞にはない論点が掲載さ れる。それは、電話相談をしない親への対応の 必要性である。このセンターの相談員によれば、 「電話してくる親は、まだいいんです。子ども に暴力をふるうことに罪悪感のない人は、かけ てきませんから。密室のなかのケースをどう やってみつけるかが課題です」(『朝日新聞』 1991. 5. 27 朝刊) という。さらに、「病院や学 校などで発見されても、児童相談所に持ち込ま れないケースや、どこもつかんでいないものも あり、全体では年に 1 万件は起きているのでは ないか」(『朝日新聞』1991. 5. 27 朝刊) という 都児童相談センター顧問のコメントのように、 児童相談所などが把握している子ども虐待の件 数がすべてではなく、氷山の一角ではないかと いう見方につながっていく。では、どうすべき なのか。養護施設園長の次のような見解が示さ れていた。「児童福祉法で、保護は必要な子ど もを発見したら届け出るよう義務づけているが、 ほとんど知られていない」ので、「実効性を上 げるには、報告義務者を先生や医者など、発見 しやすい立場の人に特定すべきだ。各戸を回っ ている水道やガスの検針員などにも協力を求め るなどの方法を考えては」(『朝日新聞』1991. 5. 27 朝刊)。これまでの電話相談のように、親 からの相談を待つだけではなく、さまざまな人 たちの協力を得て、問題を抱えている親を積極 的に見つけていく必要があることを指摘する。 ただし、この見解の直後に、「親をさばいては いけない」(『朝日新聞』1991. 5. 27 朝刊) と指 摘している。わが子を虐待する親を罰するため ではなく、より早い段階で救済するために、電 話相談をしない親を発見することに主眼が置か れているからだと考えられる。 4-2 救済方法の整備 わが子を虐待していることを相談しない親が いる。こうした親をできるだけ見つけ、支援で きる体制作りが求められる。朝日新聞では、そ うした体制作りの取り組みについて報じている。 「増える児童虐待、子を守るため『親権』制 限も 厚生省が新見解」という記事 (『朝日新 聞』1992. 7. 2 朝刊) では、「児童福祉法を積極 的に運用し、一度施設に保護された子供を親が 引き取りにきても、拒否できる」という新見解 を厚生省が示したことを伝える。また、「子供 への虐待許さぬ 専門の相談員設置 新年度か ら厚生省計画」という記事 (『朝日新聞』1994. 3. 23 朝刊) では、「各地にある民間の養護施設 に二十四時間対応出来る専用の電話を設置、地 域の児童や保護者、住民から虐待の通報を受け 付ける。通報があった場合は、児童福祉アドボ ケーターを派遣し、親と話し合う。親から子供 を引き離した方が良いと判断した場合は、それ
に対応した措置をとる」ことが計画されている ことが報じられる4) 。加えて、「子ども虐待なく そう ネットワーク整備やパンフなど、各地で 取り組み」という記事 (『朝日新聞』1994. 9. 14 朝刊) では、東京都が「虐待防止の手引を今年 度中にまとめる。関係機関の連携や若い親の育 児を助ける手立てなどが柱になる予定」だとい うように、政府だけでなく、自治体や関係機関 による取り組みも示される。 その一方で、自治体や関係機関による取り組 みを紹介する同じ記事で、「虐待でけがをした 子どもが病院などに運び込まれても、担当者に 虐待に関する知識がないと、単なる事故と見な されやすい」ことや、「日本では親の親権を制 限するのが法的に難しいうえ、虐待の発見者の 通報義務が有名無実化している」といった、問 題点も示される (『朝日新聞』1994. 9. 14 朝刊)。 さらに、「児童虐待、実態は深刻 初の国際シ ンポジウムで報告」という記事 (『朝日新聞』 1994. 9. 22 朝刊) では、子ども虐待に関する日 本初の国際シンポジウムで、「医師や教師ら子 どもに関係する職業の人は、虐待と疑われる ケースを見つけたら、子供保護センターに通報 する義務があり、怠ると罰金や懲役刑が科せら れる。センターは、命に危険があるなど緊急事 態と判断した場合は警察と協力して強制的に介 入、裁判所に親権の一時停止を求めることもで きるという」といった米国の取り組みが紹介さ れる。 このように、わが子を虐待していることを相 談しないような親を見つけるための各機関の協 力体制作りと、そうした親を子どもから一度引 き離し、親の更生を支援する体制作りが主に模 索される一方で、子ども虐待に対する日本社会 の問題意識の低さによって、体制づくりがなか なか進まないことが語られる5) 。 4-3 日本人夫婦逮捕の衝撃 1995 年 2 月、米国のロサンゼルスで、日本 人夫婦が子ども虐待の現行犯で逮捕されたこと が、朝日新聞と毎日新聞で報じられる。この事 件の第一報の見出しは、朝日新聞が「車に赤 ちゃん放置は『幼児虐待』 容疑の邦人夫婦を 米警察が逮捕」(『朝日新聞』1995. 2. 16 朝刊) であったのに対して、毎日新聞は「車中に赤 ちゃん放置は『幼児虐待』 買い物の邦人夫婦 逮捕 ―― 米ロサンゼルス」(『毎日新聞』1995. 2. 16 朝刊) であった。これらの記事は、米国 で日本人夫婦が子ども虐待を行った事件があっ たことを報じているのだが、伝えていることは それだけでない。車の中に赤ちゃんを放置する ことが、米国では子ども虐待にあたるというこ とを報じているからである。 では、そのことを報じることで、人びとに何 を伝えようとしたのだろうか。幼児虐待という タイトルの「天声人語」(『朝日新聞』1995. 2. 18 朝刊) では、車の中に赤ちゃんを放置した 日本人夫婦が子ども虐待を行ったと見なされ、 逮捕された米国の事件と日本の現状を対比させ る形で、次のような解説を行う。「日本では、 親がパチンコに熱中していて、駐車中の車の 中にいた赤ちゃんが熱射病で死ぬ事件が、毎年 何件か起きている。(中略) しかし、『親が一番 悲しんでいる』と警察の説諭で終わるものも少 なくない」(『朝日新聞』1995. 2. 18 朝刊)。赤 ちゃんを車の中に放置して死なしてしまうこと は、親にとって気の毒なことであり、虐待とは 言えないのではないか。このような日本人の感 覚を、この記事は俎上に載せようとしている。 一方、毎日新聞では、この事件を解説する朝日 新聞のような記事はなかったが、次のような読 者の投稿が掲載される。「米国ロサンゼルスで、 車の中に赤ちゃんを置いたまま買い物をしてい た日本人夫婦が逮捕された。それだけで逮捕さ れるなんて、日本では考えられないことである。 (中略) 慣習の違いといってしまえば、それま での話だが、わが国でも、パチンコ店の駐車場 で車の中に置き去りにされた幼児が脱水症で命 を落とすといった事件は毎年のように起きてい る。小さい子だけでの留守番中に出火して、焼 死したという話もよく聞く。『可哀そうに』だ けで、済ませてよいのだろうか」(『毎日新聞』 1995. 2. 22 朝刊)。日本人夫婦が逮捕されたこ とに投稿者自身が衝撃を受けながらも、親の不 注意で子どもが命を落とすことを「可哀そう に」だけで済ませてきた、日本人の感覚を問題 にする。 このように、子どもを亡くした親がもつ、悲
しいといった気持ちには配慮するものの、死ん でいった子どもが苦しんだりした気持ちを考え ようとしない日本人の感覚を問題視するように なる。さらに、「日本人夫婦の逮捕 幼児虐待 に敏感な米国」という、米国の子ども虐待事件 を取り上げた記事では、朝日新聞のロサンゼル ス支局長が、子ども虐待に対する米国人の感覚 を以下のように例示する。「米国は子どもの虐 待にことのほか敏感だ。教員が学校で生徒の顔 に傷やあざがあるのを見つけると、警察に一報 するケースが増えているという。(中略) たと え幼児が無事でも、車や家の中に放置するだけ で、『虐待する意図』があるのではないかと疑 われてしまう」(『朝日新聞』1995. 2. 22 朝刊)。 この事例を踏まえ、「文化が異なる日本と米国 を単純に比較はできない。が、子どもの人権に 過敏ともいえる米国から学ぶべき点はないか」 (『朝日新聞』1995. 2. 22 朝刊) と論評する。社 会全体が子ども虐待の兆候を発見することに努 め、ときには逮捕という形で介入することが、 子ども虐待やその深刻化を未然に防ぎ、子ども たちの命を守ることになる。こうしたアメリカ 人の感覚が日本人にはないことを問題視し、学 ぶべきだというのである。 4-2 節では、子ども虐待の専門家が電話相談 をしない親への対応として、問題を抱える親を 発見し、支援する体制作りの必要性を唱えなが らも、それがなかなか進まないことを報じてい ることを示した。そして、子ども虐待で日本人 夫婦が逮捕された事件を報じる記事は、子ども 虐待に対する米国人の感覚を通して、子どもの 立場に立った意識が弱い日本人の感覚を再考さ せるきっかけになった。このことは、子ども虐 待の可能性があれば、社会が家庭に介入する必 要があることを印象づけることにつながる。事 実、毎日新聞に寄せられた主婦の投稿では、 「カリフォルニア州法は、十三歳以下の子供の 身体、生命に危険があるような状態に置くこと を、法律で禁じているのだ。(中略) 子供たち の命を守ってやるには (幼児は、自分たちの身 を守る法律がほしいとは言えない)、日本でも 論議されてもよい問題なのではないか」(『毎日 新聞』1995. 2. 21 朝刊) と語られる。 5 批 判 の 矛 先 5-1 児童相談所の責任 厚生省 (現在の厚生労働省) は、児童相談所 における虐待相談対応件数を 1990 年度以降、 毎年公表している。この件数が朝日新聞で初め て言及されたのは、1993 年 3 月であった。厚 生省が新年度から児童福祉アドボケーターとい う専門職員を新設すると決めたことを伝える記 事の最後に、「九〇年から虐待の相談について 統計をとり始めた時点では千百一件だったのが、 九二年には千三百七十二件になり、特に大都市 で増えているのが目立っている」(『朝日新聞』 1994. 3. 23 朝刊) と触れている。都市部を中心 に虐待相談件数が増えているというデータその ものから読み取れることが簡単に語られる。一 方、毎日新聞で初めて言及されたのは、1995 年 8 月であった。厚生省が子ども虐待対策とし て精神科医などを含めたチームを児童相談所に 設置することを決めたことを伝える記事で、 「各地の児童相談所から厚生省へ報告のあった 件数は、一九九〇年に千百一件だったのが、そ の後は千百七十一件 (九一年)、千三百七十二 件 (九二年)、千六百十一件 (九三年)、千九百 六十一件 (九四年) と急増。病院や保育園など が子供の異状に気付いてやっと発覚するケース がほとんどで、体罰やしつけと虐待との区別が つけにくいことから、実際には報告数の何倍も の虐待が行われているといわれる」(『毎日新 聞』1995. 8. 25 朝刊) と報じている。この記事 では、虐待相談件数が増えている、さらにはそ の件数がすべての虐待数のほんの一部しか表し ていないと指摘することで、子ども虐待がこの 社会にとって問題であり、記事がもともとメイ ンで伝えている内容 (精神科医などを含めた子 ども虐待の対策チーム作り) について早急に対 策をとる必要があることを示唆するものだと考 えられる。 1998 年 10 月、「子 供 へ の 虐 待 相 談 が 急 増 昨年度 5362 件、7 年で 5 倍 厚生省調査」(『朝 日新聞』1998. 10. 26 朝刊) という見出しで、 児童相談所への虐待相談件数そのものを取り上 げる記事が朝日新聞で掲載される。注目すべき
は、虐 待 相 談 件 数 が 7 年 で 5 倍 に な っ た 理由について、「厚生省は『子ども虐待への認 識が広まってきたことの表れ』ともしている」 (『朝日新聞』1998. 10. 26 朝刊) と紹介してい ることである。子ども虐待に対する社会の関心 が高まり、虐待の事実や兆候に関する通報が増 えたことが、虐待相談件数の急増につながる要 因の 1 つだというのである。この要因は、次の ような論点を語ることを可能にする。「逆に今 度は、児童相談所の責任が問われてくる。子ど もたちを保護し、きちんとした対応ができるか どうかだ。外国では、相談が増えすぎて対応し きれないということも起きている。人の配置や 力量など、児童相談所の充実を図る必要があ る」(『朝日新聞』1998. 10. 26 朝刊)。社会が子 ども虐待に関心をもち、子ども虐待を見過ごさ ずに通報するようになると、通報を受けた児童 相談所がそれに対応する責任が生じるので、そ の責任を担えるように児童相談所そのものの充 実を図る必要があるというのである。 さらに、「相談所関与後に死亡 15 件 児童虐 待で厚生省初の調査」(『朝日新聞』1999. 3. 31 朝刊) や「児童虐待死、昨年度 15 人 救済乗 り出したが、対応に遅れ ―― 相談所、初の実 態調査」(『毎日新聞』1999. 3. 31 朝刊) では、 子ども虐待の相談や通報を受け、児童相談所が 関与したにもかかわらず、親の虐待によって子 どもが死亡したケースがあったことを報じる。 そして、「相談所から家庭裁判所への親権喪失 宣告の請求はわずか 2 件、親の同意なしでの施 設入所の申し立ても 61 件で、児童虐待への取 り組みの鈍さが浮き彫りになった」(『毎日新 聞』1999. 3. 31 朝刊) と、子ども虐待に対する 児童相談所の対応のまずさが、データとともに 指摘されるようになる6) 。 5-2 子ども虐待は犯罪 毎日新聞では、「殺さないで 児童虐待とい う犯罪」というタイトルのルポルタージュの連 載が、1998 年 10 月に始まる。この連載の 1 回 目の報告は、以下のようなものであった。わが 子を虐待した妻と内縁の夫の裁判の様子を描き、 「一般の殺人事件に比べ、親が子供を虐待死さ せたケースの判決は軽い。執行猶予も目立つ」 (『毎日新聞』1998. 10. 25 朝刊) 現状に疑問を 呈する。さらに、この子が虐待死する以前に、 虐待を受けている可能性があるという通報が児 童相談所にあったにもかかわらず、「ケース ワーカーが時々ベランダ越しにマンションをの ぞく」(『毎日新聞』1998. 10. 25 朝刊) ことし かしなかった児童相談所の対応も問題視される。 この報告は、裁判所や児童相談所の認識の甘さ など、子ども虐待に対する社会意識の低さを示 すものだと言える。しかし、それだけではない。 裁判で取り上げられた虐待事例や親の供述など を通して、これまでにない、虐待する親のイ メージが描かれるからである。 「殺さないで 児童虐待という犯罪」の連載 1 回目で取り上げられた虐待事件は次のような ものであった。雪の降る夜、内縁の夫が妻の子 を裸のまま、足から胸まで雪をかけ、妻は夫に カメラを渡し、写真を撮った。雪に埋めた子を 家に連れ帰り、今度は乳首などに洗濯はさみを つけ、そのまま夫婦は外出した。こうした行為 を、内縁の夫はしつけや罰ゲームと称し、妻は 「大したことじゃない」(『毎日新聞』1998. 10. 25 朝刊) と言 い切り、最後まで夫をかばい続 けた。また、前夫と別れた妻は、「『貯蓄も減っ てきて焦りがあった』というが、エステティッ クサロンには通っていた」(『毎日新聞』1998. 10. 25 朝刊) と指摘するように、妻が子どもを 虐待するきっかけになった経済的な困難さは、 妻自身の浪費癖によって生じたものだとして位 置づけられた。このように、「殺さないで 児 童虐待という犯罪」では、刑事事件の被告人に なった親の公判での様子を取り上げることで、 わが子を殺してしまったことを反省していない 親が、わが子を虐待していることを想起させる ことにつながった。 2 回目の連載 (『毎日新聞』1998. 10. 26 朝刊) では、実母、知人、知人の夫の 3 人に 2 日間に わたって折檻され、死亡した子どもの裁判の様 子が描写される。離婚した実母は、勤め先の キャバレーでこの知人と知り合う。無断欠席で 店を解雇された実母は、知人のマンションに居 候することになった。知人夫婦はもともと自分 の長男に折檻を加えていたが、次第に実母の子 にも折檻を加えるようになった。その子が死亡
に至る 2 日間の折檻は、トイレットペーパーが 散らかっていたことがきっかけであった。激怒 した知人は実母の子をロープで縛って正座させ、 平手で殴り、腹をけった。知人の夫も蹴飛ばし た。怒りがおさまらない知人は練りワサビを口 の中に押し込み、その夫はそれを目に塗りつけ た。一方、実母は、「いたずらするからこうな るんだよ」と注意するだけであった。翌日も暴 力が続き、たまりかねて実母が包丁を握り、わ が子を守ろうとしたが、知人夫婦は暴力をやめ ず、引きずられるように実母もその子のほほを 殴った。このような折檻の結果、その子の命が 絶えた。なお、実母は公判で、居候としての負 い目や幼少期の虐待経験を虐待した理由として 挙げたが、虐待経験による母親の精神的外傷は 精神鑑定の結果、却下されたことが報じられる。 この回の報告では、裁判所や児童相談所への批 判もない。死に至る虐待を行った知人夫婦と、 わが子の虐待に加担した親という、加害者の残 忍さに焦点があてられる。 この連載には大きな反響があった。このこと が、記事になっている。たとえば、「連載『殺 さないで ―― 児童虐待という犯罪』を教材に ―― 成田国際高校・1 年・倫理」(『毎日新聞』 1998. 11. 4 夕刊) では、高校の授業でこの連載 の 2 回目の報告が教材として取り上げられたこ とを報じる。 取材した日の授業では、担当教諭が家庭の背 景や事件の背景などを説明した上で、生徒に感 想を書かせ、彼らの意見を求めた。そのなかで、 一人の男子生徒は「信じられない。実の母親も あんなことをしたのか。どうして助けなかった のか」(『毎日新聞』1998. 11. 4 夕刊) と述べた。 実母はなぜ虐待に加担し、わが子を守ることが 貫けなかったのか。男子生徒が「信じられな い」のは、そうした実母の言動であり、そうし た言動を行った実母の存在そのものだったと言 えよう。また、授業終了後の休み時間には、女 子生徒が「 (母親自身に虐待された) 過去が あったといっても、子どもには関係ない。私 だ っ た ら 死 ぬ 気 で 子 を 守 る」(『毎 日 新 聞』 1998. 11. 4 夕刊) と取材に来ていた記者に語っ たという。虐待された過去など、母親自身がわ が子を虐待してしまいがちな環境で生きてきた としても、子どもが虐待されるのは仕方がない などとは言えないのであり、親なら「死ぬ気で 子を守る」ことができるというのである。この 指摘は、子ども虐待の要因が、環境ではなく、 親個人にあることを示唆することにつながる。 子どもに激烈な虐待を加えながら、実母たちに 子どもを殺す意図はなかったと見なし、殺人罪 で起訴しなかった検察の姿勢 (さらには検察の 姿勢を追認した判決を下した裁判所の姿勢) を 批判する語りは同時に、子どもを虐待死させた 親を、情状の余地がない殺人者として扱うこと を要望するものだとも言えよう。 6 お わ り に 1990 年代の子ども虐待をめぐる新聞記事の 語りを概観してきた。3 章では、子ども虐待は、 育児不安で生じた、親の問題行動の 1 つとして 報じられる。育児不安は、都市化や核家族化に よる孤立といった社会的要因で生じるため、親 個人を責めるべき問題なのではなく、社会によ る子育て支援の不足がむしろ問題なのだと位置 づけられる。4 章では、2 つの異なる文脈から、 子ども虐待の解消に取り組む責任が社会にある ということも語られるようになったことを示し た。1 つは、子ども虐待は子育て支援の不足で 生じているという考えの延長線上にある見解で ある。育児不安を抱える親の相談を待つのでは なく、育児不安の兆候が見られる親を社会が積 極的に探し出し、子育て支援を受けさせ、親子 関係を健全化させる責任が社会にあるというも のである。この見解は主に、医師や保育士など、 子どもに関わる機会が多い専門家が、子ども虐 待に対する問題意識が低く、その兆候を見逃し、 子育て支援が十分にできないことを訴えるもの であった。もう 1 つは、日本では、親子の問題 は当該家庭の問題だと見なし、社会は干渉しな い傾向にあることへの批判である。この批判を 受け、子ども虐待に関心をもち、虐待の兆候を 見かけたら通報するなど、虐待を受けている子 どもを守る責任が国民一人ひとりにあるという 考えが見られるようになる。そして 5 章では、 子ども虐待の解消を阻害する組織や個人を糾弾 するような語りも見られるようになったことを
示した。糾弾の対象になったのは、1 つは児童 相談所である。子ども虐待の兆候や事実の通報 を受けながら、虐待による大けがや虐待死をな くすことができない。通報を受けた児童相談所 の対応がまずかったからではないかということ である。もう 1 つは、子どもを虐待する親であ る。わが子に虐待という理不尽な行為を行う親 の異常さが取り上げられる。また、親個人が 育ってきた環境などに何らかの事情があったと しても、そのことによってわが子を守る責任が 免除されたり、軽減されたりするわけではない ことが主張される。 この結果から読み取れる、子ども虐待が社会 問題になりえたと考えられる要因を 2 つに整理 することでまとめとしたい。 第一に、子ども虐待に取り組むべき対象とさ れた組織や個人がしだいに増えたこと。3 章で は、子育て支援の不足が問題になったが、行政 の取り組みが紹介されているだけで、この問題 に誰が関わるべきなのか、さらには新聞の読者 に何をすることを求めているのかという点が明 確ではなかった。それに対して、4-1 節では、 先生や医者など、子どもと関わることが多い専 門家に、虐待の痕跡を見つけたら、通報するよ うに指摘する。また、4-3 節では、子ども虐待 を「可哀そうに」だけで済ませてきた、日本人 の感覚を問題にする。子どもの虐待を防ぐため に、虐待の事実や兆候を見かけたら、通報する など、市井の人びとが立ちあがる必要性が示唆 される。こうして子ども虐待は、家庭内の問題 ではなく、日本社会の問題として位置づけられ るようになった側面がある。 第二に、育児不安を抱える親を支援するとか、 わが子を虐待する親と子の関係を修復し、健全 化させるといった「社会福祉的な課題」として、 子ども虐待の問題を位置づけなくてもよくなっ たこと。4-3 節で、米国での子ども虐待の対応 を通して、家庭の問題に社会が干渉しない傾向 を批判する主張が登場し、国民一人ひとりに子 どもを守る責任を意識させることになったこと を示した。この主張は、5-2 節で示したような、 子どもを虐待した親を社会が放置せず、厳罰に 処すべき「治安維持的な課題」として子ども虐 待を捉えることを可能にした。子どもを守る社 会の責任という考えは、社会的弱者である親を 支援し、立ち直らせることを、必ずしも要件と しないからである。こうして、子ども虐待の解 決を阻む個人や組織が特定され、子ども虐待と いう問題が人びとにとって理解しやすい、勧善 懲悪の問題になった。 5-1 節における児童相談所への批判は、親の 意思と関係なく介入し、親子を一時的に分離す ることをためらうのは、親を支援する機会を逃 したり、遅れたりすることになるというように、 「社会福祉的な課題」として捉える立場からも 説明できる。その意味では、児童相談所への批 判は、課題の捉え方が異なっていたとしても、 並存させることが可能であった。それに対して、 5-2 節における子どもを虐待する親自体への批 判は、「社会福祉的な課題」として捉える立場 では容認できるものではない。親を社会的弱者 だと想定するから、支援し、健全化させる責任 が社会にあると主張してきたからである。とこ ろが、「治安維持的な課題」として子ども虐待 を捉える立場からすれば、子どもを守る責任を 果たしていないのに、なぜ処罰しないのかとい うことになるだろう。彼らは確かに社会的弱者 なのかもしれないが、それでも子どもを守る責 任は免除されるわけではないと考えるからであ る。「(母親自身に虐待された) 過去があったと いっても、子どもには関係ない。私だったら 死ぬ気で子を守る」(『毎日新聞』1998. 11. 4 夕 刊) という女子高生の声は、そのことを端的に 表している。 子ども虐待はもともと、社会による子育て支 援の不足の問題として語られた。しかし、子ど もを虐待した親への支援の必要性が十分に理解 されなかったがゆえに社会問題化した。した がって、虐待されている子どもを発見し、保護 する政策を充実させることは容易だが、わが子 を虐待する親と子の関係を修復し、健全化させ る政策を充実させることは容易でないことが予 想される。 注 1 ) ここで表記した子ども虐待の中には、児童虐待、 幼児虐待という表現で示された現象も含まれ
る。 2 ) 言説を読む目的は、すべての解釈可能性を示す ことではない。わずか 10 年で子ども虐待を社 会問題することを可能にした語られ方という 観点から言説を読解できることを示すことに ある。 3 ) 毎日新聞 (1994. 1. 13 朝刊) の「21 世紀のオト ナたち/10 止 虐待 孤独な育児に疲れ」とい う見出し記事では、父親が育児にあまり関心 がないことで、相談相手がいない母親が育児 不安に陥る事例を紹介している。 4 ) 児童福祉アドボケーターとは、この計画に基づ き、新たに新設することになった専門職員の こと。1994 年度に、子育て支援充実の一環と して、人口 100 万以上の 10 都市で始まった。 5 ) 専門家同士の連携の必要性が唱えられるなか、 1996 年には、日本子どもの虐待防止研究会 (JaSPCAN) が誕生し、日本の子ども虐待の 防止活動を牽引するようになる。なお、2004 年には日本子ども虐待防止学会に名称変更を 行っている。 6 ) 「親の同意なしでの施設入所の申し立て」とは、 虐待を行う親から子どもを引き離し、子ども を児童養護施設等の児童福祉施設に入れ、保 護することを、親の同意なく行うための申し 立てのこと。 引 用 文 献 井垣章二 1998 『児童虐待の家族と社会 ―― 児 童問題に見る 20 世紀』ミネルヴァ書房。 Foucault, M. 1971 Lʼordre du discours, Gallimard.
=1981 中村雄二郎訳『言語表現の秩序』河 出書房新社。
上野加代子 1996 『児童虐待の社会学』世界思想 社。