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﹄ にあらわれる第十八願観と親驚教学

ドキュメント内 真宗教学研究 第39号(2018) (ページ 52-74)

は じ め に 隆寛︵二四八一二一一八︶と親鷲の思想的交流はしば しば指摘されてきた︒江戸後期には︑妙音院了祥が﹃後 世物語問書講義﹄のなかで︑両者に異なりが少ないこと

を︑次のように述べている︒

先︑ス隆寛ノ所立ハ鎮同西山等ト違ヒ当流ニ多クノ違

ハヌトコロアリ︒サレパ其書ヲモ写︑ンテ与ヘサセラ

レタ

モノ

︒ そのうえで了祥は︑両者の思想的異同について︑﹁十

同十異﹂を挙げ︑﹃後陛物語聞書﹄︑﹃一念多念分別事﹄︑

﹃自力他力事﹄︑﹃滅罪劫数義﹄等の内容を踏まえ︑親驚

要 住

TJ

i

2︶ 教学との合致点と相違点を示している︒

近年でも︑両者の関係についてさらなる研究が行われ ているが︑たとえば︑注目されることの一つに︑隆寛が 七卜三歳のときに著した﹃極楽浄土宗義﹄にあらわれる 第十八願︑第十九願︑第二十願の三願の了解と︑親鷲の それとの田共同がある︒隆寛はその三願に基づいて︑念仏 往生の機には︑三種の別があると次のように述べている︒

間念仏往年機有一幾差別一乎答案一大経心一有一三種別

所謂十八十九廿願是其証也問至誠心相如何答至者真

也誠者実也是即指一弥陀本願名為一真実帰真実願

之心故随一所帰願以一能帰心一為一真実心也問深心

相如何答深信一真実願一︑水不ニ生一疑心名之一為圏心

『弥陀木願義』にあらわれる第卜八願観と親驚教学

也問回向発願心相如何答信一真実願一疑心不生之故

待一聖衆米迎期一順次往生此其第三心也第十八願機

必具一此三心耳卜九願機者発菩提心固諸功徳人遇一

縁発一三心一蒙一来迎得往生是也此圏中有一二一輩一其

相大経井驚師略論固可ニ見一之一矢二十願機者念仏与一

余行兼修信心不決定人忽遇回一株発三心依他力

3

故果以遂往生是也

この論述は︑﹃教行信証﹄﹁化身土巻﹂のいわゆる﹁三

願転入﹂の丈とよく比較され︑三願による三往生を三機 別々に対応するものとしている点︵隆寛︶が︑自己の信 仰プロセスとして三願による三往生を捉えている点︵親 驚︶と相違すると指摘される︒しかし︑反対にそれ以外 の点においては概ね一致しており︑両者の思想的交流を

裏付けるものとして受け止められている︒

もう一つ両者の思想的交流が示唆されるものとして︑

至誠心の了解を例示しておきたい︒﹃具三心義﹄で隆寛

は︑真実と至誠との体が一つであるという理解にたって︑

以下のように述べ︑凡夫に真実心はなく︑真実︵至誠︶

は弥陀の願にあると見定めている︒

1

以凡因心不一為一真実以弥陀願一為一一真実帰白真実

5

願之心故約一所帰之願名真実心

51 

至誠心に関するこうした隆寛の了解は︑﹃後世物語聞 書﹂第凹問答にもあらわれている︒そこで隆寛は︑妄念 を止め内外相応した称名念仏を﹁虚仮はなれたる至誠心

ρ

hu

の念仏﹂と考えるのは︑

EK

誠心を知らない者であると述

べている︒さらに隆寛は︑凡夫が真実心をもって行ずる

ことは弥陀の本願に違えるとまで言う︒法然の教えを聞 き︑凡夫に至誠心を認めないと了解したのは親驚にも通 ずる了解と言えよう︒このように︑降寛の著述を確かめ

ていくことで︑隆寛と親鷲の思想的交流が窺われるので

ある

それでは︑浄土教の伝統のなかでも特に重要な第十八 ︒

願観をめぐって︑両者にどのような交流があったと考え られるだろうか︒本稿では︑﹃後世物語聞書講義﹂では 参照されなかった﹃弥陀本願義﹄を用い︑隆寛の第十八 願観を尋ねたい︒後述するが︑本書は︑降寛が四十八願 の一々について順に述べたものであり︑特に第十八願に ついては︑序にも別して論究している︒それゆえ︑﹃弥

陀本願義﹄には隆寛の本願観が端的に一不されていると考

えられる︒そこに述べられる隆寛の第十八願観を辿りな がら︑親驚の了解との比較検討を行い︑両者の思想的交

流を探究したい︒

52 

一︑

﹃弥

陀本

願義

の概要

﹃弥陀本願義﹄全四巻は︑第一巻︵第−願1

第十

六願

︶︑

第二巻︵第ト七願1

三十

二願

︶︑

第三

巻︵

第三

十一

二願

1第

十八願︶において四十八の一々の願文を釈し︑第四巻で

は四十八願の正機と西方浄土宗義の二問題を扱う書物で

ある

本書は︑金沢文庫に写本が二部所蔵されている︒一つ ︒

は︑第二巻と第三巻の努頭に記された題号の後に︑本文

とは別筆で﹁金沢称名寺﹂とあるもの︵以下︑称名寺本と

記す︶であり︑もう一つは︑第一二巻の同筒所に﹁湛容﹂

とあるもの︵以下︑謀容本と記す︶である︒称名寺本を書

写した者は不詳であるが︑湛容本は︑﹃極楽浄土宗義﹄

の湛容︵一二七一|一一一四六︶の筆致と対照され︑湛容自

身が書写したものと推定されている︒両本とも各所に欠

失や損傷がある︒本書の冒頭や最終箇所はともに欠失し︑

また湛容本では︑奥書全体を含む後段が欠失しているが︑

多くの部分では補い合うことができ︑全容がほほ明らか

とな

って

いる

作者については︑撰号に﹁伽陀婆羅摩述﹂と一不されて

いるものの︑それが誰を指すかは判然としない︒現存す る奥書によると︑隆寛が作者であるとも︑尊念という僧が著したものをもとに隆寛が四十八願を講じたものとも了

解さ

れ得

る︒

ただし︑隆寛の弟子にあたる信瑞︵?|一二七九︶は︑

﹃広疑瑞決集﹄において︑﹁先師律師の本願義﹂の言葉

として︑次のように示している︒

先師律師の本願義に︑料一簡此三願一云︑凡三種往生

願︑

約レ

機約

レ行

︑難

レ有

二不

同↓

正遂

一往

生︑

正蒙

一来

迎一之時︑皆是専念一弥陀仏名一人也︑願往生機︑其

9︶ 

数難

レ多

︑略

而謂

レ之

︑不

レ出

二三

種↓

故発

一此

コ一

これは︑第二十願を講じた﹃弥陀本願義﹄の記述と一

致しており︑信瑞が︑第十八願から第二十願に関する疑

問について︑隆寛の本願論をもって応じている箇所であ

また︑長西︵一一八四二ヱハ六︶の著したと伝えられ る ︒

る﹃浄土依愚経論章疏目録﹂には︑次のような記録が見

られ

る︒

同経四十八願義四巻隆寛山僧

︵﹁

同経

﹂と

は前

段の

記述

から

﹁無

円一

旦寿

経﹄

を意

味す

るこ

とが

分か

る︶

以上のような点を綜合すると︑﹃弥陀本願義﹄の作者

B,j;陀本願義Jにあらわれる第|八願観と親驚教学

は隆寛と推定されよう︒

次に成立について触れておきたい︒奥書には︑﹁欣求

安養愚老天台山首拐厳院住権律師法橋上人位伽婆羅摩﹂

が示元三年二三

O九︶に権中納言の隆衡卿︵二七三

一一五五︶の願いで︑十日の問︑四十八願について講じ

たこと︑その著作が前年の春より製作されたことが記さ

れている︒それが﹁弥陀本願義﹄であろうことから︑撰

述年代は前年の承元二年ご二

O八︶と考えられる︒し

たがってこの書は︑隆寛六十一歳のものとなり︑現存す

る成立年の分かる隆寛の著作のなかで最初のものとなる︒

この年は建永二年︵二一O七︶の専修念仏弾圧︵いわゆる

承元の法難︶の直後にあたり︑当時︑親驚は流罪の地に

いた

こと

にな

る︒

親驚が言及する隆寛の著作は︑﹃一念多念分別事﹄︑

﹃白力他力事﹄︑﹁後世物語聞書﹄であるが︑たとえば

﹃後世物語聞書﹂の成立は︑その記述に﹁故法然上人﹂

とあることから︑早くとも法然滅後であり︑建暦二年

二二一二︶以降と考えられる︒ならば︑流刑に処せさ

れた後も︑親驚には隆寛の著作を目にする機会があった

と考えられ︑﹁弥陀本願義﹄を披閲した可能性も否定で

きな

い︒

また

︑も

し本

幸一

日を

目に

する

機会

がな

くと

も︑

53 

の成立が流罪に処せられた直後という点から見れば︑土日

水において︑両者の聞に︑﹃弥陀本願義﹄にあらわれて

いるような四十八願に関する対話があったと考えること

は妥

当と

言え

よう

二︑序にあわられる第十八願観

すでに述べたように﹁弥陀本願義﹄の冒頭部分は欠失

している︒しかしながら︑現存する最初の箇所は︑四卜

八の各願について述べる前段にあたり︑一々の願を釈す

るに先立って︑本願が総論的に論じられている︒したが

って︑その内容から﹁序﹂と位置づけることができる︒

隆寛は︑その序において次のような本願観を示してい

る ︒ 対末論本一所謂第十八願是能摂是本余四十七願是

所 摂 是 末 也 又 本 即 是 性 義 随 順 法 性 法 性 即 是

為 諸 法 本 一 次 願 者 欲 義 也 平 等 欲 度 一 切 善 悪 衆

生従二百一十億仏土中一選択称名往生行発誓日

﹁設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不

生者一小取正覚﹂指之日願耳

︿末に対して本を論ずるに︑謂うところの第十八願

は︑これ能摂︑これ本なり︒余の四十七願は是れ

ドキュメント内 真宗教学研究 第39号(2018) (ページ 52-74)

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