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こぺる No.115(2002)

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25日(毎月l回25日発行)ISSN凹194制3

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N0.115

部落のいまを考える⑬

者と健

常者

の関係を

東谷修一 読書ノート⑥

「日本人

」になることの

こぺる刊行会

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全国水平社創立からちょうど八十周年。この三月末で、「法」が期限切れを迎えました。 各地とも思いの外、「静かな」移行であったようです。「既定の事実」視されていたことも あ る の で し ょ う が 、 「 法 と 制 度 」 が も た ら し た 、 部 落 問 題 を め ぐ る 状 況 の 変 化 の 大 き さ を 忠わざるを待ません。 と は い え 、 「 同 和 問 題 解 決 を 目 標 に し た 特 別 措 置 」 が 終 了 し た に も か か わ ら ず 、 「 達 成 感 ・ 成 就 感 」 を 表 明 す る 人 が ほ と ん ど い な い の は ど う し た わ け か 。 や は り 問 題 は 、 入 十 年 を 費 や し て な お 、 「 宣 言 」 を 超 え る よ う な 、 人 間 の 結 び つ き 、 関 係 、 そ れ を 表 現 す る 言 葉 をわたしたちはっくりえていないということに帰着するのではないでしょうか。 この交流会では、「自分以外の何者をも代表しない」ということを前提に、「部落とは何 か」「郁子高民とは何か」をめぐる議論と思索が重ねられてきました。「人間と差別」につい て関心を寄せるみなさんの参加をお待ちしております。 全体討論のテーマ:「部落のいま一転換か終震か」 話 題 提 供 者 : 山 本 尚 友 石 元1育英 パ ネ ラ ー : 山 城 弘 敬 山 下 力 司 会 : 住 凹 一 郎 日程/10月5日(i:,) 14時 開 会 18時 夕 食 191時 再 開 21時 懇 親 会 10月6日(日) 91時 再 開 121時 解 散

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疋 塁 王 国 ム 仁 川 玄

一人間と差別をめぐって−

日 時 /10月 5日(土)午後2時 ∼6日(日)正午 場 所 / 大 谷 婦 人 会 館 〔 大 谷 ホ ー ル 〕 ( 京 都 ・ 束 本 願 寺 の 北 側 ) 京都市下京区諏訪町通り六条下ル上柳町215 TEL (075) 371-6181 交 通 /JR京 都 駅 か ら 徒 歩 8分 、 地 下 鉄 烏 丸 線 五 条 駅 か ら 徒 歩 2分 、 市 バ ス 烏 丸 六 条 か ら 徒 歩 2分 賞 用 /A 8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) B 4,000円(夕食・参加費込み) ご注意/※会場にはなるべく公共の交通機関をご利用のうえ、お越しください。 ※術泊の方は洗面用具をご用意ください。 ※参加費は当日受付にてお支払いください。 申込み/ハガキ・FAXま た は イ ン タ ー ネ ッ ト で 、 住 所 ・ 氏 名 ( ふ り が な ) ・ 宿 泊 の 方 は性別・電話番号・参加l形 式 (A・ Bの い ず れ か ) を 書 い て 下 記 あ て に お 申 込 みください。 llirfll午社 干6020017 京 都 市 上 京 区 上 水 ノ 下 町739

TEL(075)414一8951 FAX(075)414一'8952 E-mail: [email protected] .j

締 切 り / 9月30日低司 五条通 N

+ +

烏 丸 通 七条通 .第1日目の夜には恒例の懇親 会を開きます。各地の名産・ 特産の持ち込み大歓迎ですの で、よろしく。 京都タワー0

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部落のいまを考え る ⑮ ︵ 尼 崎 在 住 ︶

障害者と健常者の関係を考える

東谷修

はじめに 皆さんは障害者といえばどのようなイメージを抱くの だ ろ う か 。 ある人は障害者はからだが自分の思いどおりにはなら ない可哀想な人と言、っかもしれない。ある人は障害者は 人に迷惑をかける邪魔者と言、っかもしれない。ある人は 障害者は障害や差別に苦しんでいる人と言うかもしれな しミ

おそらく、前述した以外にも様々なイメージがあるだ ろう。それらのイメージが一人一人の心の中で複雑に絡 んでいるのではなかろうか。 しかし、それらのイメージは一人一人が障害者と出会 ぃ、関わり合いながら、築き上げてきたものというより は、すでに社会の中で作り出されたイメージを元にして いる場合が多いのではないか。 私たちは社会によって与えられたイメージをあまり疑 いもせず、受け入れてきたのではないだろうか。その結 果、私たちはその社会的イメージをいつの間にか前提に して生身の障害者にそのイメージによる関わり方や考え 方の型をはめているのではないだろうか。例えば、障害 者は人並みの能力がない可哀想な人だから、保護しなけ ればいけない。障害者は人に迷惑をかけている厄介者だ こぺる 1

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から排除をしてもかまわない。障害者は障害に苦しんで いるから、障害を軽減していくことだけが幸福だ。 そのような型をはめて生身の障害者と関わっていくと、 どうなるのだろうか。もちろん、型どおりの障害者であ れば問題はないのかもしれない。だが、型どおりとはい かないのが生身の障害者である。それにもかかわらず、 型をはめて関わってきた結果、障害者と周りの健常者や 社会との聞で札離や亀裂を生み出し、葛藤してきたので はないか。そのような障害者と健常者との関係に言及を しながら、障害者と健常者がよりよい関係を作っていく ためにはどうすればいいのかを考えていきたい。

ある中途障害者

いつだったか、私は年配の女性障害者と知り合いとな り、話をしたことがある。以前、彼女は健常者で障害者 という特別扱いを知らず、会社にも勤めていた。だが、 彼女は交通事故に巻き込まれ、片足が麻痔し、障害者に なった。事故後、彼女は職場に復帰した。周りの同僚は 事故前と同様に仕事をこなす彼女を障害者扱いせず、 ﹁ただ、足の悪い人﹂という認識で関わってきたという。 それからしばらくして、彼女はその会社を辞め、現在勤 めている会社に入った。彼女が勤めている現在の会社で は障害者を特別枠で採用していた。つまり、彼女は障害 者として採用された。だが、彼女はそのことに気を止め ず、﹁今まで通り仕事をこなしていったら、良いのだわ﹂ と軽く考えて働き始めた。 見習いを終え、彼女は一つの仕事を任された。ある日、 彼女は仕事量が多かったので、残業をしようとした。だ が、定刻が過ぎ、居残っている彼女に上司から﹁あれ? 障害者は残業できないはず。後は皆でやっておくから、 安心して帰ってくれ﹂と言われたという。彼女は後ろ髪 を引かれるような思いで帰った。そのとき、彼女は﹁皆 ︵周りの同僚︶にも迷惑をかけたし、せっかく仕事の段 取りを考えて、あれをして、これをして、さあ、そろそ ろ仕事を仕上げようとしたときに:::﹂と話し、手をぐ っと握り、会社命令とはいえ、同僚に迷惑をかけたとい う自責の念と仕事を中途半端で放棄せざるを得ない悔し さを渉ませていた。また、彼女はこれから先、会社の中 で自分がどう扱われるかわからないと話し、不安感をも

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露 に し た 。 彼女は片足が麻痔していること以外、障害はない。残 業できる体力は十分にある。残業をしようとする意志も ある。それにもかかわらず、会社は彼女に残業をさせな かった。それはなぜだろうか。 障害者は体が弱いというイメージから、会社は彼女に 無理させぬようにと配慮があったのだろうか。或いは、 体力がないと思われている障害者に残業をさせ、無理さ せているという非難を社会から浴びるのを恐れているか らだろうか。もちろん、心臓病のように内部障害者など の中には残業など無理が利かない障害者もいる。だが、 その障害者の状態をすべての障害者に安易に当てはめて いいのだろうか。障害者それぞれの能力や状態を確認も せず、障害者を一律に残業をさせてはいけないという会 杜の方針にまでしていいのだろうか。 もし、会社がそのような方針を立でなければ、上司は 彼女に何もいわず、残業をさせていただろう。心配性の 上司であっても、せいぜい彼女に残業できるかと尋ねる ぐらいであろう。もちろん、上司によっては障害者に無 理な残業を強いることがあるかもしれない。それを避け るための配慮と会社は主張するかもしれない。 だが、障害者を残業させないという会社方針はたとえ 善意であっても残業できる能力や意思がある障害者から 仕事の達成感を奪いかねない。しかも、同僚に迷惑をか けているという思いから卑屈になり、同僚に心を閉じて しまう危険性がある。一方、周りの同僚は障害者を特別 扱いするのは会社の命令だから仕方がないと諦め、その 障害者を会社組織の中で一人前の成員として認めず、時 には仕事の仲間外しをする可能性がある。また、障害者 が会社方針だから残業しないのは当然として、その方針 あ ︿ ら に胡座をかき、同僚との共同作業で時間がかかる仕事が 残っていてもそのことを心に留めず、自分だけ特別と思 って帰るというように同僚との不公平を無批判に認めて しまう危険性もあるのではないか。 もし、体が弱い、体力がない障害者の社会的イメージ を会社が何も疑わず前提にしてそれぞれの障害者の能力 や意欲を調べず、障害者には残業は無理と決めつけたな ら、予断と偏見としか言い様がない。だが、会社は次の ように反論してくるかもしれない。残業できる体力があ ると判断した障害者が、もし残業をしたため病気になっ こベる 3

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たら、だれが責任を取るのかと。 このような考え方は一見、無責任なことはできないと いう責任感のある主張のように思える。だが、健常者も 残業の疲れから病気をすることがあれば事故を起こすこ ともある。だからといって、会社は残業の疲れから病気 になったら責任をもてないと言って、全社員の残業は認 めないというだろうか。むしろ、会社は病気になるかど うかは自分で判断して、自分の体は自分で管理しなさい と言うだろう。障害者だけを殊更に取り上げて、責任 云々言うのは、障害者を自己管理能力のない、自己判断 のできない半人前の人間としか扱わないという考え方が 見え隠れしているのではないだろうか。 私は残業そのものを問題にしているのではない。ただ、 たとえ、障害者への配慮であっても障害者は体が弱いと いう社会的イメージを何の疑いもせず受入れ、会社が 個々の障害者の能力や意欲を確認もせず、障害者は残業 できないという方針を立てたなら、その考え方が問題で はないか。では、どのような考え方で障害者と係われば よ い の だ ろ う か 。 ある同僚が﹁盲人と一緒に会を催すのだが、盲人とど う係わったらよいのか教えてほしい﹂と私に尋ねた。そ こで、私は次のように話した。﹁普段通り係わってくだ さいよ。もし問題が起きれば、その時、素直に話し合え ばよいのではないでしょうか﹂と。 私は会社が障害者に残業させないという方針を立てる よりも、残業を含めた問題を職場の中で互いに素直に話 し合える環境を作っていった方が良いのではないかと思

今まで話してきたように一つのイメージがひとり歩き して硬直した人間関係を作り出しているのは健常者が障 害者に係わるときだけの問題なのだろうか。障害者が健 常者と係わるときはどうなのだろうか。

健常者幻想

私は十数年前、以前の職場で、ある女性障害者と知り 合い、何度か障害者問題について話し合ったことがある。 彼女は今の仕事が自分に合わず、自分のやりたい仕事が したいと悩みを打ち明け、私に相談してきた。話し合っ ていく中、彼女は﹁自分のやりたい仕事を選べないのは

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障害者特有の悩みだよね﹂と語った。私は安易に﹁健常 者も自分のやりたい仕事をしているわけではないよ﹂と 言った。だが、彼女は﹁証拠は?﹂と言い返してきた。 私は戸惑った。というのも、きっと彼女なら分かってく れると思っていたからだ。むろん、証拠になるものを持 っていなかったし、自分で調べたわけでもないから、私 は﹁ない﹂と答えた。彼女は﹁やっぱりね﹂と言って、 鼻を鳴らした。それでも、証拠資料はないが、私が健常 者と関わり続けた中で生まれた実感だと思い直した。そ こで、私は﹁私の周りの同僚と話していると、彼らが自 分のやりたい仕事を選んでいるとは思えない﹂と反論し た。すると、彼女は﹁男は生活があるからでしょう。女 は違う﹂ときっぱりと言い切った。私は彼女の頑なな態 度に言葉を続けることができず、話を変えた。後で、な ぜ彼女は頑なな態度をとったのだろうかと考えた。彼女 は自分の意見に余程の自信があるのだろうか。それなら 私の実感は間違いだというのだろうか。私は俄かに自信 がなくなり、彼女が違うと言った女性社員を調べてみる ことにした。私は身近にいる同僚を含めた十数人の女性 やりたい仕事があって会社に入ったのかと尋ね に 何 か 、 てみた。自分のやりたい仕事があるから、今働いている 会社に入ったという人は一人だけだった。そのひとりも 自分がやりたい職業を明確にして選んだのではなく、 ﹁

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のような室内に閉じこもって、細々とする仕事が 性に合わないから、外の仕事もできる今の会社を選ん だ﹂と大ざっぱな選び方をしていた。中には﹁仕事を選 ぶなんて、とんでもない﹂と自分のやりたい仕事を選ぶ のさえ、強く打ち消した人がいた。私が調べた十数人の 女性たちは強弱があるとはいえ、自分がやりたい仕事を することをほとんどが諦めていたのではないだろうか。 私はこれ以上調べても、音叫味がない気がして、十数人 を調べて打ち切った。というのも、たとえ、わたしの実 感を証明する証拠を集められたところで、私と彼女の実 感の違いの背後にあるものを明らかにしていく方が問題 の解決につながっていくと思ったからだ。 私は幼いころから、今の実感をもっていたわけではな く、ある時期には彼女の実感に近い考え方をしていた。 私は中学生のころ、障害者が一人で暮らすにはとても足 りない超低賃金で働いていた実態を知って、生きていく ためには健常者と同様な能力を身に付けなければいけな こぺる 5

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いと考え、遊ぶことをやめ、必死に勉強をした。その甲 斐あって、健常者が多く通う地域の高校に合格した。だ が、いくら努力しても工夫しても健常な同級生の能力に は近づく事すらできなかった。私は絶望した。周りの同 級生を見ると、ふざけ合ったりして楽しそうにしている。 彼らはあまり苦労しなくても一人前の給料をもらえるの だろうと羨望とルサンテイマン︵怨念︶をもった。私は そんな想いで悶々としていた。そんなとき、担任の教師 から障害者問題について訴える機会が与えられ、クラス の中で私の悩みや苦しみを話していった。卒業後、しば らくぶりに私は二人の同窓生に出会った。そのうちの一 人の家に上がり込んで、私たちは彼の部屋の中で雑談を 楽しんでいた。そんな中、不意に、一人が私に﹁ありが とう﹂と言った。私が黙っていると、彼は言葉を続けた。 ﹁実は、俺たち片耳が聞こえないんだ。だから、聞こえ ない耳に話しかけられでも聞き取れず、友達に片耳が聞 こえないことを悟らせないため、誤魔化そうとしてふざ けてしまうこともあるんだ。君が自分のこと︵障害者と しての悩みや苦しみ︶を話してくれたおかげで、片耳が 聞こえないことからくる悩みや苦しみから逃げずに生き ていけるようになった﹂と言った。すると、もう一人が ﹁僕も同じ気持ちだ﹂といった。私は彼らが片耳が聞こ えないことで悩み、苦しんでいることをその当時、知ら なかったので、びっくりした。 一人は獣医として開業し ている親の資産、顧客、名声を引き継ぐことができるた め、その道をあまり苦労せず、進んでいるんだなあと私 は羨ましく思っていた。もう一人は、高校のころ、楽し そうに友達とふざけ合っていて私を羨ましがらせた一人 だった。だが、それは片耳が聞こえないことがばれるの を恐れ、隠すための彼の演技だった。 私は彼らが健常者として楽に生きている、或いは、生 きていける人だと思いこんでいた。だが、彼らは片耳が 聞こえないことからくる障害者差別に苦しみ、悩んでい た。彼らは私に健常者観を見つめ直すきっかけを与えて くれた。その後、私は健常者と係わっていく中で、口に 出すか出さないかの違いだけで、健常者たちもそれぞれ の条件の中で苦しみゃ悩みを抱えながら生きている。ご く当たり前のことに気がついた。私は人が健常者である ことだけで羨ましいとは思わなくなった。 そのような視点から、自分のやりたい仕事を選べない

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のは障害者特有の悩みという彼女の発言を私は詩しく思 い、ひっかかった。もちろん、能力もないのに障害者が 自分のやりたい仕事を選ぶなんて許さないと、自分のや りたい仕事よりできる仕事を障害者に強制する社会の雰 囲気がある。確かに、それは自分のやりたい仕事を妨げ る大きな壁である。だから、私は彼女の気持ちが痛い程 よくわかる。だが、それは壁の一つである。私たちの杜 会の中には自分のやりたい仕事を妨げる壁は色々ある。 人は多かれ少なかれ、なんらかの壁にぶつかり、その壁 を克服しようと努力したり、克服できないと思って諦め たりしているのではないか。たとえ、障害者への就職差 別の壁がなくなっても彼女は就職のとき別の壁にぶつか る か も し れ な い 。 そんなことを彼女が知らないわけがないと思っていた。 というのも、私が小学校、中学校と障害児だけを集めて 教育する養護学校にいたのに比べて彼女は健常児がいる 地域の学校に通っていた。私より彼女の方が健常者との 付き合いが長いから、その分、彼女の方が健常者の苦し みゃ悩みがわかっていると思っていた。だが、彼女はそ う で は な か っ た 。 そ れ は な ぜ 、 だ ろ う か 。 そこで、私が自分の健常者観を変えるきっかけになっ た事を思い出してみたとき、もしかするとという思いで、 彼女に健常者に自分の悩みや苦しみを話してみたことが あるのかと聞いてみた。すると、彼女は﹁そんなことを お客様扱いされてきたから したことないよ。今まで、 ね ﹂ と 答 え た 。 教師も含めた大人とその影響を受けた子供たちが障害 者はかわいそうな人間だから、優しくしなければいけな いと彼女を傷つけまいとして気を遣い、遠巻きにしてい ったのではないだろうか。そんな彼らに彼女も気を遣い、 本心をぶつけようとせず、自分の悩みや苦しみを身近な 友人たちに話すこともしなかったのではないだろうか。 彼女は本心をぶつける友達が見つからず、孤立していつ たのかもしれない。そんな中で、彼女は自分の苦しみゃ 悩みをだれにも言えず、健常者への羨望と怨念を増幅さ せ、いつのまにか、健常者の苦しみゃ悩みを障害者より 軽いと考えたり、無いものと見なしてきたのではないか。 それが仕事を選べないのは障害者特有という発言に結び つき、健常者も仕事を選んでいるわけないよという私の 発言にも頑なに拒絶するかのような発言をした要因の一 こぺる 7

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っ か も し れ な い 。 以前、私は障害者と健常者が幼いころから、共に学び、 共に遊んで行けば、自然に分かり合えるようになると思 っていた。それは子供が互いに本心をぶつけ、時には傷 つけ合いながらも理解し合い、対等な関係を作っていけ ると思えたから。だから、私は障害者が地域の学校に行 けば、それだけで、すべてが達成したかのような気分に なった。だが、彼女の場合を考えたとき、それはゴ

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ル ではなく、理解し合うまでに苦難と試練が待ち受ける長 い道程の出発点にすぎなかった。 次に、障害者と健常者が関わり合う中で本当に出会い、 理解し合う方向にいくためにどうすればいいのかを考え て み よ う と 思 う 。 障害者と健常者との関係を新たに築くために 私が学んでいた大学で記念行事があり、その当時の学 長が挨拶に立った。その中で障害者の自立を菩蔽色に捉 えているが、それでいいのかどうかと聞いながら、次の ような話をしていたのを覚えている。 学内には車椅子の障害者がいて、入学した当初、彼の 周りには健常な友人がすぐに寄ってきて、取り巻いてい たという。しばらくして大学内の設備が車椅子の障害者 が自由に移動できるように整えられ、彼の車椅子も電動 車椅子に替えた。彼は学内を一人で自由に移動できるよ うになった。だが、その時から、彼の周りにいた友人た ちは彼のそばから離れていった。彼は車椅子に来 J っ た ま 士 山 品 一人ぽつんとしていたという。 これは自立ではなく、孤立ではないか。なぜ、彼は孤 立したのだろうかと私は不思議に思った。というのも、 通常ならつき合っていくうちに関係が深まり、よほどの 事情がない限り関係が簡単に切れるとは思えない。しか も、彼を取り巻いていた友人たちは車椅子の障害者のハ ンディキャップや苦しみを支えようとして集まり、その 苦しみを車椅子の障害者とともに抱えてきたのではない だろうか。私の今までの経験から照らし合わせても苦し みをともに抱えた方が互いの関係が深まり、信頼関係は で き や す い 。 それにもかかわらず、車椅子の障害者が自立したとた ん、あっさりと関係が切れたのはなぜだろうか。私は彼

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らの事情がよく分からないから何とも言えない。ただ、 今までの私の話を踏まえたとき、次のようなことが言え るのではないだろうか。恐らく、彼らは友達として係わ るよりも介護者、被介護者の役割関係で係わり続けたか らではないだろうか。そうだとすれば、車椅子の障害者 が自立したとき、彼の周りにいた健常者たちが介護とい う役割が終わったのだから、彼との関係が切れたという のなら、納得できる。もちろん、友達の関係なら、介護 を通して信頼関係ができやすい。だが、彼らは介護のこ とだけを考えて、互いの趣味を語り合うなどの日ごろ目 にする当たり前の友人関係を築いてこなかったのではな いだろうか。それはなぜだろう。彼らが障害者は介護さ れる特別な存在であると特殊視して、遇し続けてきたか らではないだろうか。つまり、健常者は障害者を介護し、 優しく接しなければいけないという思いから、障害者の 心を傷つけることを恐れ、障害者に自分の心根をぶつけ ることができなかったのではないだろうか。 一 方 、 障 害 者は介護という迷惑をかけっぱなしという思いから、卑 屈になってしまい、周りの健常な友達の心を聞こうとし なかったのではないだろうか。だが、このような関係は 彼らだけであろうか。 以前、障害者や被差別部落民や在日朝鮮人など被差別 者に差別問題が起きたとき、共に戦うという被差別統一 戦線という運動があった。その考え方のもと、お互いに 支援しあった。その中で、運動以外のお互いの意見や思 いや悩みを語り合う機会は沢山あったはず。だが、それ らのことについて素直に語り合えたのだろうかと、私は その運動家達の話を聞くたびに疑問に思った。どうやら、 運動家も含めた私たちは障害者と健常者との関係が社会 の中で創られたイメージに縛られていることに無自覚で あったのではないだろうか。そのことは健常者と障害者 が介護者、被介護者というイメージによる立場でしか介 せず、理解し合うどころか関係の存立すら危うくしてい’ る の で は な い だ ろ 、 っ か 。 さて、私たちの社会では人並みや常識から外れたもの を特殊視する傾向がある。その特殊視が実態を肥大化す る幻想を呼び、実態とは違うものを作りあげていく。た とえば、人は出来るところと出来ないところがある。多 こぺる くの人は出来ないところを引き受けながら他人や道具な どの手助けも含めて出来るところで工夫する。その出来 9

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なさが社会常識の範囲内なら、だれも問題にしない。だ が、常識を超えたとき、人はどう思い、どう係わり合う のだろうか。常識を超えた出来なさを特殊なものと考え、 その人を特殊な存在とじて係わり合っていくあり方が社 会の中にある。そのうちの一つに保護がある。協力や援 助をして個人を守るという意味の限り保護は悪いとはい えない。だが、それが特別な援助と協力を必要とする弱 者という特殊視と結びつき一人歩きすればどうなるだろ う。先日、私はパスの中で座席にすわっていたら、年配 の女性が杖をついて乗ってきた。すぐに、年配の男性が 立ち上がって席を譲った。すると、その女性は﹁もっ

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若い人がいるのに﹂と私の顔を脱みながらその席に座っ た。その後、その女性は、降りるまで私を脱み続けた。 その時、私は歩き疲れたせいか足が棒になってしまい、 席を譲れる状態ではなかった。 ところで、若い人は元気だから席を譲って当たり前、 高齢者は疲れやすいから座っていても構わないという構 図がある。その女性は私の事情も尋ねず、その構図を無 批判に当てはめたのではないだろうか。つまり、その女 性は高齢者が若い人に席を譲ってもらうなど特別に優し くしてもらう存在として特殊視したのではないだろうか。 それはその女性だけ、だろうか。パスや電車内で障害者や 高齢者に席を譲りましょうと車内放送が十年以上流され ているところがある。また、ところによっては障害者と 老人の優先座席がある。その中で、人々の意識が変わっ てきたのではないだろうか。恐らく、その車内放送や優 先座席は若く、健康な人が体が弱いと思われる高齢者や 障害者に席を譲ろうという善意の輪を広げようとしたの. だろう。その呼びかけは悪いことではない。だが、長年 の善意の呼びかけが高齢者や障害者は弱者という特殊視 と結びつき、一人歩きしてきたのではないか。それが 個々人の自主性や判断力を奪い、若く、元気な人は高齢 者や障害者に席を譲らなければいけないという一方的関 係を個々人に強いることになったのではないだろうか。 しかも、善意はその問題点になかなか、気づかないし、 気づいても注意しづらいものがあるのではないか。とい うのも、人は良いことをしていると思えば思うほどその ことを絶対化しやすく、独り善がりになっていても気づ きにくい。たとえ、問題点に気づいていても良いことを しているのだからと大目に見ょうとする社会の中の雰囲

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気がある。だから、善意とは裏腹の方向に行つでもなか なか、気づかず、気づいても大目に見てしまい、とんで もない方向に行く危険性も苧んでいるのではないか。で は、どうすればいいのだろうか。 一つ目は障害者と健常者が互いの立場にこだわらず、 心のうちを明らかにして積極的に話し合ってみてはどう だろうか。いつだったか、私は母校の高校でインタビ ューを受けたことがある。最後に後輩に何か言っておく ことはないかと尋ねられたので、私は次のように答えた。 ﹁障害者には迷惑をかけることを恐れるな。健常者には 障害者の心を傷つけることを恐れるなと言いたい﹂と。 もちろん、人に迷惑をかけることも心を傷つけることも いけないと思う。もし、迷惑をかけられた、傷つけられ たというのなら、指摘したらいいと思う。だが、問題は その後である。指摘した側はなぜ指摘したのかを明らか にし、指摘された側はなぜそのような言動をしたのかを 明らかにして話し合っていくことが大切ではないだろう か ところで、私がそのような話をある通信に載せたら、 次のような具体的な話を書いてくれた人がいた。﹁もし 車椅子を押していて車椅子に乗っている障害者は進みた いと思い、車椅子を押している健常者は止まりたいと思 った。その時、障害者は進みたいと話し、健常者は止ま りたいと素直に言うべきだろう。それを出発点にして話 し合っていけばいいのではないか﹂と。障害者と健常者 が互いの立場のこだわりを捨て、心根を包み隠す事なく 語り合っていくことが障害者と健常者が理解し合える新 たな関係を築いていく出発点ではないかと思う。 二つ目は善意であろうとなかろうと弱者保護という美 名の特殊視に委ねるのではなく、その特殊視に向き合つ ていくことではないだろうか。とりわけ、現在の社会で は、障害者は保護される人、健常者は保護する人という イメージに縛られ、私たちは相手を特殊視するだけでな く、自分をも特殊視しているのではないだろうか。障害 者は他者から特別な協力と援助を受けないと生きていけ ないという思いから、自らを特殊視して卑屈になり、健 常者には心を聞かないのではないだろうか。或いは、障 害者は介護を受ける特別な存在として自らを特殊視して 人々の協力と援助を当然のことと受け止め、時には弱者 保護を求めてきたのでないだろうか。健常者も障害者と こベる 11

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の関係では介護をする特別な存在として自分を特殊視し て友達として障害者に係わるより介護者として接してき たのでないだろうか。 確かに、障害者と健常者の関係だけにスポットを当て れば障害者は援助される側、健常者は援助する側という ケ

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スもある。だが、援助している健常者も他の人やも のに生かされ、支えられている。人は助けることより助 けられることのほうが多い。或いは人は自分一人ででき ることより他者の協力でできることのほうが多い。人々 の行動や言動を見れば、そのことを自覚して生きている 人の数が少ないように思う。それならば、他者から援助 と協力を受けていることを人並み以上に自覚している障 害者は自らを特殊視するのではなく、生かされ、支えら れていることとはどういうことかを先頭を切って考えて みてはどうだろうか。障害者は自分ができることを精一 杯行いながら、助けてもらうことに後ろめたさを感じて 卑屈になるのではなく、障害者だから援助されて当然と 開き直るのでもなく、生かされ、支えられていることを 謙虚に受け止めてみてはどうか。障害者も健常者も生か された生を積極的に生きてみてはどうだろうか。 また、人は助け合って生きている。助けてもらうこと があれば、助けることもする。だが、特別な保護が必要 と思われる障害者の中には助けてもらうだけの特別な存 在と自分を特殊視して人を助けることができないと諦め てきた人がかなりいるのではないだろうか。そのような 障害者は自分の仕事を見つけ出してほしい。或いは見つ け出す努力をしてほしい。その仕事は商品を作る仕事だ けでなく、いろんな意味で社会に役立つ何か。障害者も 積極的に社会の中で自分の役割を見つけ出し、その役割 を自分なりに果たしていくことが大切ではないだろうか。 それは障害者に助けてあげるから、何もしなくていいよ という弱者保護と向き合い、障害者が責任のある社会の 一員︵社会人︶になる近道かもしれない。確かに、障害 者の中には仕事をすることが難しい人がいるかもしれな い。だが、障害者にとってどのような障害を持とうとも 障害は一部である。出来るところを見つけ出し、それで 工夫してみてはどうだろうか。周りの人も初めからでき ないと諦めるのではなく、障害者が納得した社会の中で 役立つ何かを見つけ出すことに協力してほしい。 ところで、三十数年前の、私の子供時代と比べると、

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障害者を目に見える形で排除するということは少なくな った。むしろ、社会は障害者を受け入れようと努力して いる。街を歩けば道の段差は緩やかな坂に替わり、駅や 建物の中にはエレベーターかエスカレーター或いはス ロープがあり、車椅子用トイレもあり、点字案内板や点 字ブロックもある。信号機から音が聞こえるところもあ る。確かに、障害者を排除する目に見える障壁はかなり 減少してきた。だが、受入れの内実はどうなっているの だろうか。とりわけ、目に見えない人と人との関係はど うなっているのだろうか。私たちの社会は障害者が健常 者には助けてもらうだけという特殊な存在として一方的 で硬直した関係を作ってきたのではないだろうか。それ は助け合うという社会の基本の関係からの障害者の排除 であり、障害者が自分で考え、工夫しながら生きていく ことを奪うことになるのではないだろうか。 つまり、社 会は障害者を一方的にもてなすお客様として受け入れ工 うとしているのではないだろうか。善意のもてなしをう ければ、大抵の人は気持ちよく、居心地がいい。たとえ、 問題点に気づいても大抵の人はそこから抜け出す気には ならないだろう。弱者保護は障害者を居心地のいい安全 地帯に聞い込み、障害者の自立と社会化を難しくしてい るのではないだろうか。障害者問題に関心を寄せる私た ちは目に見える障害者排除の問題を優先させ、弱者保護 などの目に見えない関係の問題を後回しにし、あまり取 り組んでこなかったのではないだろうか。それが弱者保 護をひとり歩きさせてきた要因の一つであろう。それな らぱ、弱者保護という特殊視にしっかりと向き合ってい くことがこれからの障害者問題の課題のひとつであろう。 そのためには、障害者と健常者との関係を杜会人である 個人と個人の関係として聞い直していく必要があるので はないだろうか。それが障害者と健常者との新たな関係 を作り出すきっかけになるかもしれない。また、障害者 と健常者の関係を聞い直すことを通して社会の中の人と 人との関係を問い直してみてはどうだろうか。 こベる 13

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読 書 ノ l ト⑥

是非

になることの

吉 田 智 弥 ︵ イ ー ジ ー ラ イ タ ー ︶ 杉本良夫﹃日本人をやめる方法﹂︵ちくま文庫︶を読 んだ。単行本としての初版が九

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年 と い う こ と だ か ら 、 ﹁失われた十年﹂の以前、ということはご﹀司﹀

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Z0 ・こなどの日本礼賛論がまだ余韻を残している頃で あ る 。 新 し い 本 で は な い 。 内容的にも、私がこの著者を初めて知った、七三年発 行 の ﹃ 超 管 理 列 島 ニ ッ ポ ン ﹄ ︵ カ ツ パ ブ ッ ク ス ・ 光 文 社 ︶ と本質的にはほとんど変わらない主張が展開されている ので、その意味でも、お世辞にもアップ・トゥ・デイト な 本 と は 言 い に く い 。 けれども、字義通りの意味では﹁日本人をやめる﹂と いうことがカゲキな主張であることには変りはなく、そ の﹁方法﹂が単なるハウ・トゥの方式で語ることができ るものでないぐらいの見当は、読む前からついていた。 いかに格闘してもそこから逃れることの難しい﹁国家﹂ をいかに相対化するか、ということを思索し、模索しつ づけた︵﹁闘争﹂ではなく﹁逃走﹂と著者はいうが︶そ の 杉 本 氏 に よ る 実 践 的 な 試 論 な の で あ る 。 ﹁ 日 本 人 を や め る ﹂ と は ︵ と 著 者 は 説 明 す る ︶ 。 ﹁ 日 本 国籍を放棄するということを直接意味しているのではな い。むしろ、日本社会を息苦しくさせている構造、日本 文化のなかで自由や自発性を奪いがちな仕組み、日本人 の習慣の中の望ましくない要素などをゴメンだとする行 為 全 般 を 指 し て い る ﹂ ︵ 二 五 頁 ︶ 。 私を含めての﹃こぺる﹄誌読者の関心に引き寄せてい えば、ここで語られているのは﹁日本﹂への﹁同化 H 同 和 ﹂ に 反 対 す る 、 と い う 意 思 表 示 で あ る 。 かつて柴谷篤弘氏は、﹁同和﹂を拒否して﹁異叛のす すめ﹂をテ

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マ に 掲 げ た こ と が あ っ た が ︵ ﹃ 反 差 別 論 ﹄ 明石書店︶、オーストラリアで大学の先生をするという 同じような経歴をもっ人は、似たような問題意識をもつ よ う に な る ら し い 。 かどうかは別として、私が本屋でこの本の表題にひか れて手に取ったのも、次のような﹁聞い﹂を持てあまし ていたからである。すなわち、障害者は﹁障害者﹂差別 がなくなった後も︿障害者﹀でありつづける。在日朝鮮 人は﹁朝鮮人﹂に対する差別がなくなった後にも︵﹁国 籍﹂選択の如何にかかわらず︶︿朝鮮人﹀でありつづけ

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る。女性への差別がなくなっても女性が女性であること に変りはない。そんなことはすべて自明である。 と こ ろ が ﹁ 部 落 差 別 ﹂ が な く な っ た 後 に は 、 ﹁ 部 落 民 ﹂ は何になるのか? 日本人﹁一般﹂になる? ﹁ 異 叛 ﹂ の 道 を 選 ば ず に ﹁ 同 和 ﹂ を 志 向 し た 場 合 に は 、 結果としてそうした選択につながるのではないか。同対 審 答 申 が ﹁ 同 和 地 区 の 住 民 は : : : 疑 い も な く 日 本 民 族 、 日本国民である﹂と担保したのであれば、そのように考 え る の が ﹁ 自 然 ﹂ で あ る 。 これに対して、明確に﹁そうではないだろう﹂という 主張を、自ら部落出身であることをカムアウトした上で 展開したのは栗林輝夫氏であった。いわく﹁部落の解放 はたんに一般なみの日本人となって、アジアの他の諸国 民の利害と対立することを目ざすことでも、日本の国家 に組み入れられて融合していくことで満足するものでも ない﹂。そういう﹁一般なみの日本人へと経済的・社会 的に等しくするだけのことであれば、それは水平社以来 の長い伝統を裏切ることになる﹂と︵﹃荊冠の神学﹂新 教 出 版 社 ︶ 。 が、その栗林も、では﹁一般なみの日本人﹂でないと すれば、解放された後の﹁部落民﹂は何になるのか、と いう最も素朴な︵或いは、卑俗な︶疑問に対する﹁答 え﹂を用意しているようには見えない。それに対しては ﹁それは全世界の被抑圧者との連帯と自由へと突き進む ヴイジョンをもっ﹂と、どちらかといえば主観的願望を そこに映した方向性を示すにとどまっている。 それに対して、直裁に﹁日本人をやめる﹂ことをテー マにして本書を著した杉本氏は、そうした人たちは﹁日 本からの難民﹂︵棄国越境人間︶を選択するのでなけれ ば、﹁在郷越境人間﹂と名付けられるのがふさわしいと 主 張 す る 。 ﹁ ザ イ ゴ

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エ ツ キ ョ

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﹂人間とはまた苦肉の 策の見本のような造語だが、日本国内に定住する﹁マー ジナル・マン﹂というのがその意味するところである。 ここで杉本の念頭にあるのは﹁差別によって作られた 境界線の両側を行き来しなければならないことが多いと い う 意 味 で 、 ﹃ マ

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ジ ナ リ テ イ ﹄ を 背 負 っ て い る ﹂ ﹁ 在 日 韓国・朝鮮人や被差別部落に暮らす人びとなど、不当な 差別の犠牲となっているマイノリティ・グループの構成 員 ﹂ た ち で あ る ︵ 九 三 頁 ︶ 。 したがって、論理的にも実際的にも﹁国家への所属意 識や国家擁護の意識から解放された、ある種の﹃無国籍 人﹄の地点が越境人間の目指す場所である﹂︵九六頁︶ と い う こ と に な る 。 こぺる 15

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むろん実際には、﹁国民﹂が﹁国籍﹂から自由になる こ と は 口 で 言 う ほ ど 簡 単 で は な い 。 日本国憲法は﹁納税﹂﹁教育﹂﹁勤労﹂の三つの﹁義 務﹂しか﹁国民﹂に課してはいないが、実際には、それ よりもなお強制力を伴って、私たちは自分と家族にかか わる基本的な情報を国家に届け出することを﹁義務﹂づ けられている︵住民基本台帳法、戸籍法のそれぞれ第四 章︶。しかも、圧倒的多数の﹁国民﹂は、それをまるで 自然現象のように受け入れている。何かの折りに︵例え ば、全国民に十一桁の番号がつけられると聞いて︶疑問 に感じることがあったとしても、多くの場合、それに抵 抗する意思を持続させたり、凝集させて運動にまで結実 さ せ る こ と は か な り 難 し い 。 その意味では、杉本のいう﹁越境的人間﹂がその﹁目 指す場所﹂にたどり着くことはまずは不可能だと言って も い い く ら い で あ る 。 とすれば、﹁無国籍人﹂とはインターナシヨナリスト のことだろうか。杉本の口吻にはそれよりもどこかア ナーキストの匂いさえして、私などはその辺りにむしろ 魅力を感じるけれど、しかし、そうであれば、なお﹁現 実的な﹂運動論から遠のくわけであり、まして行政との 交渉のテーブルに乗せられないテ

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マ で あ る こ と は 断 る ま で も な い 。 し か し マ

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ジナル・マンである︿部落の人たち﹀が差 別されてきたのは、﹁一般﹂の日本人に信じられてきた ように、本質的には、その生活が貧しく、環境が劣悪だ ったからでないことは今日ではすでに明らかになってい る。彼らは﹁既存の確立された枠組みのなかで安定感を もって生活している人々に、心理的脅威を与える﹂存在 ︵九一頁︶であることによって、差別されてきたのであ る 。 政府が主導した同和対策は、そうした﹁心理的脅威﹂ を薄め、﹁既存の確立された枠組み﹂を補強するために こそ組み立てられたのであった。﹁日本人をやめる﹂即 ち﹁越境する﹂ことを許さず、広く固い込んで、ネオ・

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ポラテイズムのメンバーに加えることがそこで公約 さ れ 、 実 行 さ れ た 。 最後に補足すれば、いまどき、このように、幾らかイ デオロギー臭のする見方がはやらないことは、むろん評 者も承知している。しかし、如上のように解釈しなけれ ば、同和関係法がすべて失効した時点で、なお狭山事件 が再審棄却されつづける﹁合理的﹂理由を考えることが できないではないか、という思いが私の中で儒っている。

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鴨水記 マいかに活字中毒のわたしでも手に とるのがおっくうな本があります。 最近では﹃同和利権の真相

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マ ス メ ディアが黙殺してきた、戦後史最後 のタブ

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﹄︵別冊宝島却、宝島杜、 回 ・ 4 ︶がそれです。﹁暴力団との 癒着、裏金、脱税、公金喰らい、部 落解放同盟の謀略﹂つ人権 μ の ウ ラ に嚢いた ρ 暴力ぶグカネ九アンダー ワールド関西、暗黒の裏面史!﹂ ﹁ 2002 年 3 月﹁同特法﹂完全消 滅。弱者の運動はいかにして権力と なったかっ﹂。表紙におどる文字が 意欲を減退させる。しかし、いま評 判の本を読まぬわけにはいかないだ ろうと考えて一気に読了。 マ戦後部落解放運動を﹁利権・タカ リ・暴力・謀略﹂の歴史としてのみ 描くことには同意できないし、取材 のかたよりによって明らかに公正さ が失われている部分もある。部落解 放同盟と日本共産党との対立、抗争 の原因について﹁自治体に過大な同 和対策事業を押しつけ、それを独占、 利権漁りの対象にしていた解放同盟 を、共産党が唯一、批判していたか らである﹂と述べるところ︵一五二 頁︶からは、共産党 H 正・善、部落 解放同盟 H 邪・悪という不毛で生硬 な図式しかでてこない。にもかかわ らず、本書には運動、行政、教育、 企業、メディア、宗教界などの分野 で部落問題の解決を求めて努力して きた人びとがこれからもその志を持 続しようとするなら無視できない、 無視してはならない事態の一端が示 されていることはまちがいない。 マわたしは八十年代初頭のこととし て﹃こわい考﹂にこう書きました。 ﹁各地には少数ながらも志を同じく する人びとがいて大いに元気づけら れもしたが、次第にわたしは自分の 非力を思い知らされる。壁は厚かっ た。運動における同和対策事業の比 重の大きさが、わたしの予測をこえ ていたこともあるよこの﹁少数な がらも志を同じくする人びと﹂の何 人かが本書に実名や肩書きで登場す る。すべてが事実だとは信じたくな いけれど、わたしが気づかないとこ ろで事業をめぐって大きな何かが起 こっていたことは確かなようです。 マ部落問題解決のための経済的社会 的文化的条件の確立が事業、施策の 目的のはずでした。しかし、それら はあくまで条件なのであって、条件 をいかすのは人間であるという視点 が見失われ、しかも自主制御力がき かなくなったのではないか。その背 後に例の二つのテ 1 ゼがひそんでい たことは本書も指摘しているとおり です。わたしにとってはみずからを 振り返り、運動と事業、施策の関係 をあらためて考えなおすいい機会に な り ま し た 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下Jレ上木/下町73-9 阿昨社 Tel. 075 414 8951 Fax. 075 414 8952 E mail: [email protected] 定価300門(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第115号 2002年10月25日発行

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− 四 六 判 ・ 一 八四賀 ・ 定 価 ︵ 本体 一 九六

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円+税 ︶

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一 . い ま の 日 本 の 子 ど も は 、 どんな に 育 っ て い る か − 二 ・ い ま の 日本の 大 人は 、 どんな生 き 方を し て い る か ∼ 三 . い まの学 校 同 和教 育は 、 どんな 状況にな っ て い る か \ 四 い ま 、 な ぜ共 生 教 育が必 要 な の か \ \

京都市上京区衣棚通上御宮 前 下 ル 土木 ノ 下 町七 三 | 九 TEL ︵ O 七 五 ︶ 四 一 四 | 八 丸 五 一 F A X ︵ O 七 五 ︶ 四一四八九五 二 小 豆 E 7 2 2 Z @ 司 R o a コ

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− 司

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一 九 九 三 年 五 月 二 十七日第 三 種 郵便物 認 可 定価 三 百 円 ︵ 本 体 二 八 六 円 ︶ 一 一 五 ロ 守 二 OO 二 年十月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎 月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 〆 , /

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