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真宗研究55号 012中村 薫「曇鸞の念仏止観」

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一 八 六

曇驚の念仏止観

同朋大学

一、曇鷲の生涯とその教学

曇驚︵四六七

1

五四二︶が、北貌時代の学匠であり、中国浄土教の大成者であることは何人も疑う余地はないで あろう。殊に浄土真宗では、二一国七高僧の師資相承を重んじるが、曇驚は龍樹・世親︵旧訳では天親︶に続いて第 ︵ 2 ︶ 三祖に入っていることは周知の如くである。ところで曇驚の主著﹁無量寿経優婆提舎願生偏註﹂︵以下﹃浄土論註﹂ という︶は、師である世親の﹃無量寿経優婆提金口願生偶﹄︵以下﹃浄土論﹄という、永安二年︵五二九︶菩提流支 訳︶を注釈したものであるが、その﹃浄土論註﹄の中に道教的な丈字や思想が取り入れられていることはすでに先 ︵ 4 ︶ 学によって明らかにされている。故に曇驚の仏教史観の中には、たぶんに道教的色彩も加味せられる。そのことを 踏まえて、曇驚の伝記を見てみると、およそ十七種近くの文献に記されている。今は道宣の﹃続高僧伝﹂を中心に 曇驚の生涯と思想的変遷について確認していくこととする。 先ず﹁続高僧伝﹄巻第六義解篇に、 樗 曇 驚 。 或 為 印 刷 山 0 未詳其氏。雁門人。家近五霊山。神遮霊怪逸子民聴。時未志撃。使往尋罵備観遺院。心神歓

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悦便即出家。内外経籍具陶文理。而於四論併性嫡所窮研。護大集経。恨其詞義深密難以開悟。因而注解。文言 過半便感気疾。権停筆功周行醤療。行至沿州秦陵故嘘。入城東門上望青宵。忽見天門洞開。六欲階位上下重複 歴然斉観。由斯疾様。欲纏前作。 ︵ 大 正 五

0

・ 四 七

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︶ と あ る 。 曇鷲は雁門で誕生したが、俗姓は共に明示されていない。雁門は、霊山五台山の麓でもあった。五台の神遮霊怪 なことを身近に感じて成長したと思われる。その五台山に入って、 つぶさに遺跡を見て、心から歓喜して出家した といわれる。この説話は、逆に五台山の信仰が浄土教の先駆者である曇驚の出家に託して語られたともいえる。 ﹃ 楽 邦 文 類 ﹂ 巻 三 で も 同 じ く 、 得曇鷲雁門人。少瀞五基。因感霊異。誓而出俗。三乗頓漸。具陶文理。 ︵ 大 正 四 七 ・ 一 九 四

a

︶ と出家した動機と所以を述べている。ただ、どこにも出家した寺の名前や、曇驚の師が誰であったのか語られてい

局 、 、 。

φ h d し 何れにしても曇鷲は、龍樹の 論の教義と﹁浬繋経﹂で説かれる仏性の教義を研究し、空観の教えを明らかにする中、その教義の深密にして難解 ﹃ 中 論 ﹂ ・ ﹃ 十 二 門 論 ﹄ ・ ﹁ 大 智 度 論 ﹂ ・ 提 婆 の ﹃ 百 論 ﹄ ︵ 以 上 何 れ も 鳩 摩 羅 什 訳 ︶ の 四 なことを開惜して、﹃大集経﹄の注解に取りかかった。その時、﹁便ち気疾を感じ、しばらく筆功をやむ﹂とあるよ うに、病気によって注解を中止するのである。気疾とは、精神的病と見てよいであろう。あちこちの医者を訪ね治 療していた時、﹁沿州秦陵の故城に行き、東の門より入って上を見上げると、紫微宮の門が聞くのが見られ、六欲 の階位が上下に重複しているのがはっきり見え、これによって気疾は治った﹂とある。これは道教の説く天帝の住 む、紫微宮の描写といってよい。何れにしても、曇鷲は ﹃大集経﹂を註解するには、健康と長寿が欠かせないこと であると、﹃本草経﹄などの医学童日や養生書を研究するのである。その時の様子を﹃続高僧伝﹄ では、曇鷲の言葉 巨 費 量 驚 の 念 仏 止 観 人 七

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曇驚の念仏止観 }\ 人 として次のように述べている。 顧而言日。命惟危脆不定其常。本草諸経具明正治。長年神仙往往間出。心願所指修習斯法。果魁既己方崇悌教 不 亦 善 乎 。 ︵ 大 正 五

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・ 四 七

Oa

︶ もとより曇鷺は、身の不定なことを感じながらも、単に長生きしたいというのではなく、仏教の弘布に精進する ためには先ず不老長寿の法を体得しなければならないと考えたのである。そこで当時河北の方までその名を知られ た道教の士、そして神仙家、仏教徒としての江南句容山の陶弘景を尋ねるのである。ただ、当時河北から遠く江南 の敵地梁固まで旅するのは命がけであることはいうまでもない。故に曇驚は先ず、梁の大通年間︵五二七

1

九︶に 建康に来て梁武帝を表敬訪問し、﹃続高僧伝﹂に、 驚至殿前顧望無承封者。見有施張高座上安凡抑正在殿中傍無絵座。径往昇之竪悌性義。 三 命 帝 日 。 大 檀 越 。 悌性義深。略巳標数。有疑賜問。 ︵ 大 正 五

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・ 四 七

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︶ とあることよりすれば、帝と種々仏性義について問答したと理解できる。そして、更に来訪の目的と、自身のなみ なみならない決意を、曇驚自身﹃続高僧伝﹂ で 、 欲 的 晶 子 働 法 限 年 命 促 滅 。 故 来 遠 造 陶 隠 居 求 諸 仙 術 。 ︵ 大 正 五

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・ 四 七

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︶ と述べている。しかし、それにしても仏法を学ぶために長生不死の法を体得したいのはよく理解できるが、なぜ身 の危険を顧みずして尋ねていったのであろうか。これは後で明らかにしていくが、﹃抱朴子﹄巻十三極言に、 神 農 は 言 っ た 、 ﹁ 百 病 癒 え ざ れ ば 、 いずくんぞ長生を得ん﹂と。この言葉は真実である。 ︵﹁東洋文庫﹄五二了太田済訳注﹁抱朴子﹄内篇二七五頁︶ とある。曇鷺はこの﹃抱朴子﹄に影響され仙道を求めていったと考えられる。そして、﹃抱朴子﹄は、真の法を体 得するには師から直接口訣を得なければならないと説き、それは道教の当然の教えである。そうした理由により、

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わざわざ芽山の隠士陶弘景を尋ねたのであろう。 苦 労 の 末 、 ︵ 叩 ︶ やっとの事で陶弘景に師事して、仙経十巻を得たのである。そこを辞して、北貌へ帰って名山で修行 する決心をしたが、途中洛陽に至った時、偉大な訳経三蔵菩提流支に出会うのである。問答の末、本来のいのちの あり方に気づき、仙経を焼き捨てたという。曇驚、五十歳を過ぎた頃である。 その時の経緯を﹃続高僧伝﹄巻六では、 鷲往敗日。働法中頗有長生不死法勝此土仙経者乎。留支唾地目。是何言歎。非相比也。此方何慮有長生法。縦 得長年少時不死。終更輪、姐三有耳。即以観経授之日。此大仙方。依之修行首得解脱生死。驚尋頂受。所驚仙方 並火焚之。白行化他流廃弘贋。貌主重之競為神鷲罵。下勅令住井州大寺。晩復移住沿州北山石壁玄中寺。時往 介山之陰。緊徒蒸業。今競驚公巌是也。以貌興和四年。因疾卒子平逼山寺。 ︵ 大 正 五

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・ 四 七

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︶ と 述 べ て い る 。 曇驚は、菩提流支に敬意を表しながら、﹁仏法の中に、もし長生不死の法があって、この土︵中国︶ の仙経に勝 るものはあるのか﹂と質問をするのである。菩提流支は唾を吐くようにして﹁あなたはなんということを言うのか。 比 べ も の に な ら な い 。 一体全体、道教の何処に長生の法があるというのか。たとえ長生きしたとしても、あるいは ついには死んでいかなければならない。六道を輪廻しなければならないのが我々の ︵ ロ ︶ いのちなのだ﹂といって、﹁観無量寿経﹂を授けて﹁じつはこれこそが大仙の法である。これによって修行すれば、 まさに生死を解脱して、永遠のいのちを得ることができるであろう﹂というのである。この菩提流支の言葉と﹃観 し ば ら く は 死 な な い と し て も 、 無量寿経﹄受持により、曇驚は陶弘景より手に入れた仙経を焼き捨てて浄土教に帰依したという。ここに曇驚の浄 土教転換への大きな廻心が伺われる。 一方、北貌の天子は曇鷲のことを神驚と号して、井州の大厳寺に住まわせるのである。曇驚は六十七歳で寂する 曇驚の念仏止観 J¥ 九

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曇驚の念仏止観 九

のであるが、自らは玄簡大士と呼んだという。 ま た 、 ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ に は 、 春秋六十有七 c 臨至終日 c 幡花瞳蓋高映院︷子。香気蓬勃音聾繁問。預登寺者並同嘱之。以事上開。勅乃葬子沿 西泰陵文谷。対宮建専塔井為立碑。今並存罵。然驚神宇高遠機饗無方。言悟不思動 名満貌都。用為方軌。因出調気論。又著作王部。随文注之。 輿事舎。調心練気封病識縁。 ︵ 大 正 五

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・ 四 七

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C

︶ とあり、曇鷲の神異的な、道教的な人物であることがよく理解できる。 以上﹃続高僧伝﹄により曇驚の伝記を見る限りでは、一時的であったにせよ道教の道士となり不老長生の仙人に なろうとしたことは確かなことである。元より曇鷲の撰述は、古来より、一﹁浄土論註﹄、二﹁讃阿弥陀仏備で三 ︵ 日 ︶ ﹃略論安楽浄土義﹂の三部とされている。ところが、道蔵の﹁延陵先生集新旧服気経﹂に﹁驚法師服気法﹂が存在 することよりすれば、曇驚は立派な道教の土であったことに間違いはないであろう。ただ先学が指摘しているよう に﹁驚法師服気法﹂は、じつは道教の服気法でなく、あくまでも調気論であり、医学書であり、治療、養生書とい ︵ M m ︶ っ て よ い で あ ろ 、 っ 。 斯くの如く道教的な﹁服気法﹂を取得している曇鷲であるが、今ここではそのようなことに立ち入ることなく、 中国浄土教の流れを汲む、浄土真宗の第三祖曇驚として、奪摩他︵

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山 岳 山 ︶ ・ 毘 婆 舎 那 ︵ ︿

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︶の語句をど のように捉えているのかを明らかにしていきたい。 二、曇驚の念仏止観 浄土真宗で止観の問題を考えた場合、 やはり先ず世親の﹃浄土論﹄ の 奪 摩 他 ・ 見 婆 金 口 那 が 課 題 と な っ て く る 。

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もともと奪摩他は、止、寂止あるいは等観などと意訳されている。それは我々の心が、常に損得、好き嫌い、落 ち着いたり、散乱したりしている有様を止息させて、その心を静寂不動の境地に止住させることをいうのである。 毘婆金口那も同様に、観と意訳されている。観察、観法、観行、あるいは観念などの熟語として用いられている。 斯かる脊摩他・毘婆金口那の訳語については、慧遠の﹁大乗義章﹄にも、 止者外国名者摩他。此翻名止。守心住縁離於散動。故名為止。止心不乱故復名定。観者外国名見婆企口那。此翻 名観。於法推求筒釈名観。観達称慧。 ︵ 大 正 四 四 ・ 六 六 五 C ︶ と述べられである。これらのこ語は、共に実践行であるから、本質的には別々に分離すべきでないことは明らかで ある。定と慧は一応分けられてはいるが、本来定慧として考えるべきである。それは散心や妄念を離れ、心を寂静 の 一 境 に 止 め 、 そ の 寂 静 か ら 生 じ る 真 実 の 智 慧 を 以 て 、 つ ま り 、 止 と 観は、車の両輪のように双方共に運用されるべきものである。 一切諸法を対象として見照することである。 一 応 二 語 を 分 け て は い る が 、 いわゆる両方を合修し てはじめて完全なはたらきを持つのである。斯かる点は、無着の﹁大乗荘厳経論﹄︵波羅頗密多羅訳︶にも、 単修者一分。或汁修或観修。双修者非一分。謂止観合修。 ︵ 大 正 三 一 六 四 五

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︶ とあることにより明らかなことである。 ところで前述した如く、止とは、煩悩に惑わされ、心が散乱して、 柄を如実に観察することである。更にいえば、我々の心は絶えず損得や分別に執らわれているといえる。その認識 一時も寂止することのない意識が、対境の事 こそものの真実を歪める了別作用である。だから本来の物事の実相は、必ず寂止の一境を以て為されるのである。 そこにいたってはじめて散心を捨離して分別を超えて、その上に現れる観察においてのみ直観されるのである。し かも観は、寂止の境に住し、そこに自ら得られる智において直観されるのである。どこまでも正しい智慧において、 己の執着を離れた真の寂静止を体現することになるのである。そこに﹃大乗義章﹄において、止を定とし、観を慧 曇 網 島 の 念 仏 止 観 九

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曇驚の念仏止観 九 とする重要なことが知らされるのである。 今 、 親 驚 の 言 葉 を 借 り れ ば 、 天親菩薩のみことをも 鷲師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 二 ・ 五

O

五 ︶ とあるが如く、世親の深い心は曇驚を待って始めてその全貌を開顕したといえる。 そのことを十分承知した上で、今回は曇驚の﹁浄土論註﹄に焦点を絞って考察を加えていきたいと思う。 先ず﹃浄土論註﹂巻一では、初めに、 謹案龍樹菩薩十住見婆沙云。菩薩求阿昆蹴致有二種道。 と、曇鷲自身が龍樹の教学︵﹃十住見婆沙論﹄︶により、菩薩の不退転の道には難行、易行の二種類があるというこ ﹃浄土論﹄を明らかにしようとしていることがよく読み取 一 者 難 行 道 。 二 者 易 行 道 。 ︵ 大 正 四

0

・ 八 二 六

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︶ とから説き始めている。そして、それを踏まえて世親の れると思う。そこでこれから曇驚の解釈を挙げて、奮摩他、見婆舎那の語義についてみてみたいと思う。今、便宜 的に六点に絞って考察していくこととする。 第一点 曇 驚 は 世 親 の 、 五 何 作 願 、 心 常 作 願 、 一心専念畢寛往生安楽団土。欲如実修行奪摩他修行故。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一・二七二

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と述べられている作願における脊摩他について、次の如く述べている。 訳脊摩他日止。止者、止心一処、不作悪。此訳名乃不葉大意於義未満。何以言之、如止心鼻端、亦名為止。不 浄観止貧、慈悲観止眠、因縁観止痴。如是等亦名為止。如人将行、不行、亦名為止。是知、止語浮漫不正得脊 摩他名也。如椿・柘・捻・柳難皆名木、若但云木、安得検・柳。脊摩他云止者、含有三一義。一者一心専念阿弥 陀如来願生彼士、此如来名号及彼国土名号、能止一切悪。二者彼安楽土過三界道。若人亦生彼困、自然止身口 意悪。二一者阿弥陀如来正覚住持力、自然止求声聞・昨支仏心。此三種止従如来如実功徳生。是故言欲如実修行 奪 摩 他 故 。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 一 一 一 一 五 ︶ ︵ 大 正 四

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・ 八 三 五

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八三六

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︶ 曇驚が者摩他を止とみているのは、世親と変わらない。ただ曇鷲は、止の語だけでは、浮漫不正であるという。 止の語自体は、広く通じる言葉であり奪摩他の正しい翻訳とはいえない。それは椿、柘、検、柳をすべて木と名づ けるようなものである。だから、ただ木というだけならば、どれが椿、柘、検、柳か分からないのと同じであると いう。全くとりとめのない浮漫な名であるというのである。そこで止についても、今あえて三種に分けて述べるの である。ただここで注意を要することは、曇驚は党語を翻訳するのに義において満足できないといいながら、なぜ 今、三義を立てるのかということである。じつは ﹃出三蔵記集﹂巻八の釈道安の﹁摩詞般若経紗﹄ の序に、党丈を 漢文に翻訳するのに﹁五失三不易﹂といって、どうすることもできない失があるという。今その第四失を見てみる シ ﹂ 、 四者胡有義記正似乱齢。尋説向語文無以異。或千五百刈而不存。四失本也。︵大正五五・五二 b ︶ とある。党丈は義が甚だ多合であり、千も五百も義を含んでおり、それを漢訳する時党文の多義がなくなってしま うのである。ここに翻訳すること自体の限界性と、同時に細心の注意を払って翻訳する必要性を述べるのである。 曇驚はそのことを押さえてあえて止の三義について述べるのである。 曇鴛の念仏止観 九

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曇驚の念仏止観 九 四 そ の 三 種 と は 、 ︵ 1 ︶ 止 悪 の 義 、 ︵

2

︶ 四 止 の 義 、 ︵

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︶ 三 止 の 義 で あ る 。 順 次 み て い こ う 。 ︵ 1 ︶止悪の義 曇驚は﹁止とは心を一所に止めて悪を作さず﹂と解釈している。もちろんこれだけでは未だ義を満たしたことに はならないが、大体の意に議離したものではないというのである。これは極めて現実的であって、心を一境に止め て統一し、散乱した心を捨離することが、そのまま悪を止めることであるという。倫理道徳的にもよく理解できる 事柄である。ただ﹃勝天王般若波羅蜜経﹄巻二に、 脊 摩 他 、 見 婆 全 口 那 、 見 婆 舎 那 如 実 見 法 、 審 摩 他 者 一 心 不 乱 。 とある。そのことは、一心に弥陀を念じ、一心に弥陀の浄土を願生する心を、 である。故に心を散らさず、外への思いを乱さず、 ︵ 大 正 八 、 六 九 九

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︶ 一境に止めることが箸摩他の止の義 一心になって悪を止めることが箸摩他の義である。 ︵

2

︶四止の義 曇驚は、警摩他の語が多義に渡っている理由について述べるのである。 第一義として、多くの修行者が修業する数息観が、心鼻端を止めることというのである。これは散乱を止める観 法で、結蜘扶坐して出る息入る息を数えて、心を鼻の先に止めるようになった時、散乱が止まるのである。この ﹁止心鼻端﹂は、不浄観、数息観、仏像観など多種多様の意味を持つものである。 第二義としては、衆生の不浄なことを観じて男女の色を貧愛する貧欲を止める意味において不浄観を説くのであ る。この不浄観は、無常、苦、空、無我の苦諦をもって観察する身そのものである。それは自分自身を一人の衆生

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としてみた時、常住なものと執着することにより、この不浄な身に起こし、その渇愛を除くために我が身は無常な り、空なり、無我なりと観ずるのである。 第三義としては、すべての衆生を我が子のように思って、他人に対して怒り腹立ち蹟圭を止める意味に於いて慈 悲観を説くのである。 第四義としては、衆生の愚痴を止める意味に於いて十二因縁を観じる観である因縁観を説くのである。 以上の如く、総じて不浄観、慈悲観、因縁観は、共に貧欲、眠妻、愚痴の三毒の煩悩に照らして観じ、それを止 むことの現実的な効果を説いたものといえよう。 つまり、春摩他そのものは、呼吸を整えて、三味の境地に入り、 具体的には三毒の煩悩を止むことを意味するのである。それは前述した如く、椿・柘・稔・柳はみな木と名づける が、ただ木というだけでは、検と柳の区別はつかないのと同じである。そこで更に止について一二義あるというので あ る 。 ︵

3

︶三止の義 次に曇鷲は三止の義について説くのである。これは少し教義的に説かれる。 ①一心に専ら阿弥陀如来を憶念して、彼の安楽固に生まれようと願えば、如来の名号と、国土の名号を念ずるこ とによって、その功徳を以て一切の悪を止めるというのである。末世濁乱の衆生は、その自力では悪を止めること はできない。他力の名号の徳として一切の悪を止めるというのである。ただここではまだ廃悪修善の域を出ていな い 念 仏 で あ る 。 ②安楽浄土の徳によって迷いの三界を超え、真実清浄の覚りの世界に生まれたならば、仏国土の優れたはたらき によって自然に衆生の身口意三業の悪を止めるというのである。安楽の土徳は即ち如来如実の功徳であり、その如 曇驚の念仏止観 一 九 五

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曇 樹 高 の 念 仏 止 観 一 九 六 来の功徳より生じた奪摩他の止を顕しているのである。煩悩具足の凡夫が、彼の土に往生すれば、清浄功徳の土徳 としてこれまでの三界の有漏業は消え、氷が溶けて水になるように、煩悩は悉く消滅して浬繋寂静の奪摩他を得る と い う の で あ る 。 ③阿弥陀如来は衆生のために正覚を成じたのである。故に阿弥陀如来の住持力によって、自然に声聞縁覚の二乗 を求める心を止めるというのである。 このうち前の①は此土、後の②・③は彼士と奪摩他の効果を彼此二土の上に分けているのである。そしてこれら の三止は、何れも衆生の力量を認めず、如来如実の功徳とが必然的な関係として捉えられている。これこそ如来の 真実心を以て、衆生の顛倒と虚偽を自覚させるべきものといえよう。 改めて宥摩他の義を見てみると、世親は如実に止観行の止を修行しようとし、しかも自力で修行しようとしてい るのに対して、曇驚は者摩他を止観の止ではなく、﹁止める﹂ことの意により前述の三義を説くのである。しかも この﹁止﹂は自力ではなく如来より賜りたるものとしている。それだからこそ凡夫であっても脊摩他の如実修行を 可能にしていることは全く曇驚の特徴そのものである。 第二点 次 に 見 婆 全 日 那 に つ い て は 、 同 じ く 世 親 の 、 云何観察知恵観察正念観彼欲如実修行毘婆者那故。彼観察有三種。何等三種。 一者観察彼仏国土荘厳功徳、二 者観察阿弥陀仏荘厳功徳、三者観察彼諸菩薩功徳荘厳。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹂ 一・二七二 と述べられている観察の毘婆舎那について、次の如く述べている。

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訳毘婆舎那日観。但汎言観、義亦未満。何以言之、如観身無常・苦・空・無我・九想等、皆名為観。亦如上木 名不得椿・柘也。毘婆舎那云観者、亦有二義。一者在此作想観彼三種荘厳功徳、此功徳如実故、修行者亦得如 実功徳。如実功徳者、決定得生彼土。二者、亦得生彼浄土、即見阿弥陀仏、未証浄心菩薩、畢克得証平等法身。 浄心菩薩輿上地菩薩、畢寛同得寂滅平等。是故言如実欲如実修行毘婆脊那修行故。彼観察得三種。何等三種。 一者観察彼仏国土荘厳功徳二者観察阿弥陀仏荘厳功徳。一二者観察諸菩薩荘厳功徳。心縁其事日観。観心八万明日 察 。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 二 一 一 ム ハ ︶ 曇鷲はここでも、奮摩他と同じく見婆舎那を観と訳すことに関して必ずしも充分でないという。なぜなら、身体 に関して無常、苦、空、無我、九相を観察するものをみな観と名づけるからである。また、前述の者摩他が世間の 衆生の行為として﹁行こう﹂として﹁行かない﹂ことを止というように、今観についても世間において紅葉見物す ることを観楓といい、猟をするのを見ることを観猟というように、今毘婆舎那を単に観と訳しただけではなく、広 い 音 γ 山味に通じるのが観であるというのである。それは前述の木といっても椿や柘の区別がつかないようなものであ る。故に観についても多義に渡り、種々の観法の場合に用いられていることになる。そこで曇驚は、﹁観の二義﹂ ﹁ 観 察 三 種 ﹂ に つ い て 述 べ る の で あ る 。 ︵ 1 ︶観のニ義 ①曇驚は、﹁此にあって想を作し﹂とは、﹁観無量寿経﹄の日想観の﹁云何が想となす。凡そ想となすというは﹂ とあることにより、想即観で、観のことを想というのである。今、曇驚は、毘婆舎那は定に入って定から智慧を発 して、その定中の慧で観ずることである。それは末世錯乱の凡夫の修する観ではなく、凡夫のまま散心でいながら 西方浄土の荘厳を観想することであるという。そして﹁彼の三種荘厳功徳を観じたならば、此の功徳が如実である 曇鴛の念仏止観 九 七

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曇驚の念仏止観 九 J¥ ことにより、修行者もまた如実の功徳を得、而も如実功徳者は決定して彼の土に生まれる﹂というのである。つま り、曇一驚によれば、この人間世界︵此土︶における行者が、如実の功徳を具足する荘厳︵仏国土と仏と菩薩の三種 荘厳︶を観じた時、その所観の功徳が能観の行者の身に得るという。そのような意味からすれば、曇鷲は如実の功 徳を得て決定して彼の土に生まれると主張するのである。それはまた一々の荘厳弥陀因位の本願より起きる本願功 徳を意味するのである。ここでは全く如来より衆生へ賜る功徳力としており、したがって衆生は誰でもこの力によ って修行し、かの浄土に往生することができる法としているのである。 ②曇驚は、﹁また彼の浄土に生ずることを得たならば、その時即ち阿弥陀仏を見、未証浄心の菩薩も畢寛して平 等法身を得て、浄心の菩薩、上地の菩薩と畢寛同じく寂滅平等を得る﹂というのである。つまり、曇驚によれば未 証浄心︵初地以上第七地以前︶ の菩薩も平等法身を得て、土地︵第八地︶ の菩薩と同様の寂滅平等を得るというの である。ここでいう﹁平等法身﹂とは、八地己上において分段生死を離れて変易生死を得て、不生不滅の法性平等 を覚ることを意味するのである。ここでも往生すれば、ただ凡夫であったとしても尊い菩薩と同じ修行位につくこ とができるというのである。 曇驚は、観を此土と彼土の二土の上に分けて理解しており、如実功徳を如来の上に見ている。そのことは﹃浄土 論註﹄巻上に 二者従菩薩智慧清浄業起。荘巌備事。依法性入清浮相。是法不顛倒不虚偽。名為真賓功徳。云何不顛倒。依法 性 順 二 諦 故 。 云 何 不 虚 偽 。 撮 衆 生 入 畢 克 浮 故 。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 二 八 四

1

二 八 五 ︶ とあるが如くである。真実功徳は如実功徳と同義であるから、そのはたらきは衆生をして畢寛浄に入らしめること を明らかにしているといえる。つまり、八地無生忍の法蔵菩薩の智慧より起こり、また無漏清浄業より起こる浄土 の荘厳の仏の所作のことである。そして一々の荘厳は皆浬繋法性より起こる浄土の荘厳である。斯かる荘厳は弥陀

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の一浬般市の清浄相であるが、真俗二諦に順ずるため、、決して虚偽とは成らないという。そして、特にこの﹁畢寛 浄﹂というのは、﹃華厳経﹂に﹁この衆生は畢克浄に住す﹂とあり、それは賢首大師法蔵によれば﹁浬般市の果を得 せ し め る ﹂ ︵ ﹃ 探 玄 記 ﹂ ︶ も の で あ る と い う 。 そ し て 同 じ く ﹃ 浄 土 論 註 ﹄ 巻 下 に 、 感知者。麿知此三種荘巌成就由本四十八願等清浄願心之所荘巌。因浮故呆浮。非無因他国有也。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹂ 二 二 ニ ム ハ ︶ とあるが如く、その畢寛浄に入らしめるはたらきは、阿弥陀仏の願成就にあることが理解できる。そこで曇驚は、 三種荘厳成就について﹁因浄故果浄﹂というのである。つまり、ここで説かれる清浄願は、無量の願を含めて四八 願等といい、これは前述した如く法蔵菩薩の八地巳上の無漏清浄の願心のことである。﹃大無量寿経﹄に﹁その心 寂静にして、志着するところなし﹂と説かれているが如く、寂滅の理を証し、能証の智も所証の理と平等となり、 あらゆる憶想分別を離れた境地をいうのである。弥陀の浄土の荘厳は、弥陀因位の選択の清浄願心を因とするので ﹁無因他国有に非ず﹂というのである。ここに﹁有国無果無因無果﹂の両方を含み、また﹁無固と他国﹂によると いうのである。故に如実功徳そのものは畢寛浄に入らしめるための仏のはたらきであり、それが三種荘厳となって、 仏の名号、国土の名号となって、者摩他・毘婆舎那するものにはたらきかける力用となるのである。 ここでも曇驚は、止と同様に、観も自力ではなく、他力の尊さを主張しており、これこそ曇驚の大きな特徴とい え る 。 ︵

2

︶観察三種 観 察 三 種 と は 、 ①彼の仏国土荘厳功徳を観察すといって、依報十七種の功徳を観ずることである。 曇驚の念仏止観 九 九

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曇驚の念仏止観

②阿弥陀仏荘厳功徳を観察すといって、仏の荘厳八種の功徳を観ずることである。 ③彼の菩薩荘厳功徳を観察すといって、菩薩の荘厳四種を観ずることで、その観察の対象は依報の二十九種荘厳 功 徳 で あ る 。 を い 、 っ 。 斯くの如く曇驚は、仏国士、阿弥陀仏、菩薩の三種の荘厳功徳の観察を説くのである。そして更に曇驚は、観察 の観と察とを区別して、観については﹁心、その事を縁ずるを観と日う﹂と述べている。これはあくまでも理を観 ずることではなくして、心に依正二報荘厳の事相を縁ずることを説いているのである。察についても同じく﹁観心 分明を察と日う﹂と述べて、その観ずる心がどこまでも分明にして、而も明瞭に浄土荘厳を明察することをいうの である。曇驚は観察を熟する意味は、西方浄土の荘厳の事を心に曇りなく明らかにすることであるというのである。 故にこの観察門の観は、理の観ではなく照法の観である。智慧の心所を体として、浄土依正の二報の荘厳を照らし て見る観であるので智慧観察というのである。 第三点 曇驚は還相廻向について述べるに当たり、 還相者、生彼土己、得脊摩他・毘婆舎那、方便力成就、回入生死桐林、教化一切衆生、共向仏道。 ︵ ﹃ 真 聖 人 玉 ﹄ 一 ・ 二 A 一 ム ハ ︶ と 述 べ て い る 。 曇驚は、彼土に生じ己わって脊摩他・毘婆金口那の自利を成就し、そこより更に利他のはたらきの方便力が成就す る と い 、 っ 。 つまり、浄土に生まれるという事実は、奪摩他・毘婆企口那の方便力により成就し、それは柔軟心を成就

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した菩薩による善巧方便の行そのものであるというのである。また、生死の綱林に回入するととは、応化の身を一不 すことであり、菩薩はひたすら穣土の衆生の現実に即して示現するというのである。更にいえば還相廻向というの は、阿弥陀如来の安楽浄土に往生して、者摩他の禅定力や毘婆舎那の観力と方便力とを完成してから、再び引き返 して輪廻の煩悩の林に入り、すべての生きとし生ける衆生を教化して、ともども仏道に向かわせることをいうので あ る 。 第四点 曇驚は善巧摂化における脊摩他・毘婆舎那について次の如く述べている。 善巧摂化者、如是菩薩、者摩他見婆企口那、広略修行、成就柔軟心、柔軟心者、謂広略止観、相順修行成不二心 誓 如 以 水 取 影 、 清 静 相 資 而 成 就 也 。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹂ 一 ・ 三 三 八 ︶ ここは第三点でも少し述べたが、浄土に於ける者摩他・毘婆舎那は、浄土往生の後そこに寂静止を得て、菩薩の 一法句の略を知り、更に観を得て二十九種の広を知り、この広略を修行して柔軟心を成就するというのである。こ の柔軟心というのは、強剛粗悪の心が消えて広略止観相順して一方に偏ることなく平等にして煩悩を捨する境地に なるための修行をして、不二心即柔軟心を成就するというのである。ここに略の止と広の観とが相応じ、相均等し、 止観不二となった心をいうのである。曇鷲は警として、水面にものの影を写す場合、水の清らかさ︵観︶と静けさ ︵止︶が同時に成り立って、濁ることなく波立つことなくして初めて影を写すことができるようなものであると説 く の で あ る 。 曇鷲の念仏止観

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曇驚の念仏止観

第五点 曇驚は、因の五念門中の第三作願門で、 入第三門者、以一心専念作願生彼国、修奪摩他寂静三昧行故得入蓮華蔵世界、是入入第三門。為修寂静止故、 一心願生彼国、是第三功徳相。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 三 四 四

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三 四 五 ︶ と 述 べ て い る 。 曇驚は、第三門において如実に脊摩他を修行するため、その作願門により、果の五門中の第三の宅門において脊 摩他の寂静の果を得るというのである。 一心に専念して彼の安楽園に生まれようと願い、浄土に生まれて から寂静三味の行を修めるから、蓮華蔵世界に入ることができるというのである。これは第三功徳相を明かしたも つ ま り 、 の で あ る 。 第六点 曇驚は因の第四の観察に依って、 入第四門者、以専念観察彼妙荘厳、修見婆金口那故得到彼処受用種々法味楽。是名入第四門。種々法味楽者、毘 婆舎那中、有観仏国土清浄味・摂受衆生大乗味・皐寛住持不虚作味・類事起行願取仏土味。有如是等無量荘厳 仏道味故言種々の是第四門功徳相。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ − 三 四 五 ︶ と 述 べ て い る 。 曇驚は、第四の屋門において、毘婆金口那の果を得るという。 つまり、因相と果相と一応配属し、漸次に果の五門 において因の五念門を成就するのである。これは第四功徳相を明らかにしたものである。

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以上、第五第六は正しく脊摩他・見婆舎那を成就する功徳を明かしたものである。それは宅門において寂静止を 得、その浬繋の楽果を受用するものが、屋門の見婆企口那である。そして更にその見婆舎那は、浄土荘厳功徳を如実 に受用するため、その法味楽を四種に分けて説くのである。その四種とは、次の如くである。 ①知恵の観察力である見婆舎那は、観行者をして仏国の設のうちの清浄という特相︵観仏国土清浄味︶を享受さ せ る こ と 。 ②衆生を救いとって大乗の一味に入らしめる特相︵摂受衆生大乗味︶を享受させること。 ③阿弥陀仏が仏力をもって往生人を住持し続けるという特相︵畢寛住持不虚作味︶を享受させること。 ④浄土の菩薩のなす種々の利他行という特相︵類事起行願取仏土味︶を享受させること、である。 これらの数え切れない覚りの楽味が得られるため、それこそ果の国土の荘厳功徳が法味楽として観察者に体得さ れたこと証明したものといえるのである。 以上、曇鷲の者摩他・毘婆舎那を中心に念仏止観について述べてきた。曇鷲の解釈が主として、現実の我々の行 為、あるいは業果の上に見られていることは明らかである。そこで曇驚の解釈の特徴を藤堂恭俊氏は﹁かく曇鷲は 五念門所説の止観のもつ他力性を強調したが、その止観は、﹁一心専念阿弥陀如来願生浄土﹂︵止︶と言い、﹁作想 ︵ 却 ︶ 観彼三種荘厳﹂︵観︶と言、つように、離念離相でなく、むしろ堅著不捨をもってその特徴としている﹂といわれる のである。そのことを一言でいえば、他力の立場により念仏の止観を捉え、したがって世親どは意を異にしている ことが明らかとなった。そして当時禅の中で実践された離念離相の止観とは一線を画すべきものであったことはい つ ま で も な い 。 なお、稔伽唯識に於ける者摩他・見婆舎那の語義についての検討の必要性を感じたが、紙面の都合によりその課 曇驚の念仏止観

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曇 驚 の 念 仏 止 観 0 四 題は他日に期したい。 註 ︵ 1 ︵ 2 ︶ 今、曇驚の生涯については不明な点も多い。ただ小笠原宣秀の﹁曇驚大師伝歴に関する二三の問題﹂︵真宗学論 叢 I ﹃曇驚教学の研究﹄一九六三一年・永田文昌堂・一七九頁︶によれば、﹁近世に入って、金石文中に、曇驚大 師の生存年代について、北斎天保五年︵五五四︶にまで辿られるものが、学界に紹介せられている﹂とある。 ﹃続高僧伝﹄等では興和四年︵五四一一︶とあることよりすれば、二一年の聞きがある。今筆者は五四二年説を取 る 。 試みに中国浄土教の流れの中において、今善導流については、初祖曇驚、三祖・道縛、三祖・善導、四祖・懐感、 五祖・少康が挙げられるが、その他は﹁嵐山蓮宗宝鑑﹂のみ曇驚は二祖に入っているが、他の列祖伝には曇驚の 名前は一切ない。つまり、中国蓮宗では、曇驚はほとんど注目されていなかったといってよい。 ﹁開元稗教録﹄巻第六︵大正五五・五四一 a ︶参照。なお﹃歴代三宝紀﹄巻第九︵大正四九・四六 a ︶には、普 泰 元 年 ︵ 五 一 一 一 一 ︶ と あ る 。 今 は ﹁ 開 元 緯 教 録 ﹄ に よ る 。 詳しくは道端良秀著﹃中国仏教史全集﹄第六巻︵一九八五年・書苑︶﹁第五章曇驚と道教との関係﹂︵一二五頁 1 一 四 六 頁 ︶ を 参 照 。 今、塚本善隆は﹁蓋し彼の浄土教は一面に於いては道教的信仰を止揚して展開したといってよかろう﹂︵﹃塚本善 隆著作集﹂第四巻﹁中国浄土教史研究﹂三六頁・一九七六年・大東出版社︶と指摘され、曇驚が深く道教に関わ っ て い る こ と を 明 ら か に し て い る 。 詳しくは野上俊静著﹁中国浄土三祖伝﹄︵一九七 O 年・文光堂・六六頁︶参照。 なお、菩提流支との出会いの説話に関しては、﹃蔦松老人評唱天童覚和尚煩古従容庵録﹄巻六﹁宋正覚煩古元 行称評唱﹂を始めとして十九種ほど有るが、内容的には﹃続高僧伝﹄を踏襲したものといってよい。 曇驚の生涯については道宣の﹁続高僧伝﹂に一番詳しく書かれている。最近のものとしては野上俊静の﹁曇驚 伝﹂︵﹁中国浄土三祖伝﹄所収・一九七 O 年・文光堂︶、幡谷明の﹁曇鷲の生涯とその教学﹂︵﹃浄土論註﹄所収・ 一 九 八 O 年・東本願寺︶藤堂恭俊の﹁曇驚の生涯と著作﹂︵﹁浄土仏教の思想:・曇驚道綿﹄所収・一九九七年・講 談社︶、がある。論文としては塚本善隆の﹁曇驚浄土教の母胎﹂﹁曇驚浄土教の歴史的研究﹂﹁長生術を求めた曇 ︵ 3 ︶ 4 5 6 7

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9 8 驚の廻心﹂︵何れも﹁塚本善隆著作集﹄第四巻に所収・一九七六年・大東出版社︶がある。 試みに迦才﹃浄土論﹄には、﹁沙門曇驚法師者。井洲波水人也 o ﹂ ︵ 大 正 四 七 ・ 九 七 C ︶ と あ る 。 同じく迦才﹁浄土論﹄には、漠然とではあるが﹁洞晩衆経。独歩人外﹂︵大正四七・九七 C ︶とある。試みに親 驚 は 和 讃 で 、 四論の講説さしおきて本願他力をときたまい 具 縛 の 凡 衆 を み ち び き て 浬 繋 の か ど に ぞ い ら し め し ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ ︶ 二 ・ 五 O 四 ︶ と一担額している。なお親鷲は、高僧和讃で七高僧の和讃を作成している。龍樹十首、天親十首、曇驚三十四首、 道綜七首、善導二十七首、源信十首、源空三十首の合計百十七首である。そのうち曇驚が圧倒的に多い。﹃続高 僧伝﹄により作成したと思われる和讃については、幡谷明﹃浄土論註﹄︵昭和五五年度安居講本︶に詳しい。 この仙経が、﹁衆際儀﹄十巻なのか、あるいは﹃真詰﹄、﹁抱朴子﹄、﹃本草集注﹄なのか不明である。ただ浄土真 宗の多くの人は﹃衆醗儀﹄十巻としている。 この曇驚の廻心についての説は、他の文献ではほとんど引用されているのに、迦才﹃浄土論﹄では一切記載され て い な い 。 主口提流支より授けられた経論については、﹃大無量寿経﹂﹁浄土論﹄﹁観無量寿経﹄等決定されていないが、今は ﹃続高僧伝﹄に従って﹁観無旦一寿経﹄とする。詳しくは道端良秀著﹁中国仏教史全集﹄第六巻︵一九八五年・童日 苑 ︶ ﹁ 第 五 章 曇 鷲 と 道 教 と の 関 係 ﹂ ︵ 一 一 一 五 頁 1 一 四 六 頁 ︶ を 参 照 。 試みに迦才﹃浄土論﹄には﹁如是告終。即半夜。後遺使者。遍告諸村白衣弟子。及寺出家弟子。可三百除人。一 時雨雲集。法師泳浴著新浄衣。手執香燈。正面西坐。教誠門徒。索西方業。日初出時。大京斉撃。念禰陀備。便 即毒終﹂︵大正四七・九七 C ︶とある。道宣のように霊瑞不思議的ではなく、山西分扮州の近隣の村人の信者や 寺内の弟子たちが三一百人ほど集まり、南無阿弥陀仏の念仏を唱和しながら、曇鷲は静かに命終したという。ここ に名も無き人々と共に念仏の教えに生きた曇驚の人となりが偲ばれる。 例えば、﹃浄土論註﹄巻下に﹁答日。諸法高差不可一概。有名即法。有名異法。名即法者。諸例菩薩名競般若波 羅蜜及陀羅尼章句禁呪音辞等是也。如禁腫辞云。日出東方乍赤乍黄等句。仮使酉亥行禁不闘日出。而腫得差。亦 如行師釘陳。但一切歯中諦臨兵闘者皆陳列在前。行諦此九字。五兵之所不中。抱朴子謂之要道者也。又苦穂筋者 以木瓜封火炭之則念。復有人但呼木瓜名亦愈。五ロ身得其数也。如斯近事世間共知。況不可思議境界者子。滅除薬 10 ︵ 日 ︶ 12 13 14 曇 驚 の 念 仏 止 観 二 O 五

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曇 驚 の 念 仏 止 観 三 O 六 15 塗鼓之。復是一事。此巳彰於前故不重引﹂︵﹁真聖全﹄一・二二四 1 二二五︶とある。ことでも弥陀の名号に即す るものとして、八字・九字の呪文を称えることとして説示している。①はできものを治す呪文。②は敵の鉄砲に 当たらない呪文。③はこむらがえりを治す呪文。④は毒矢に当たった時、滅除薬を塗った太鼓をたたくと毒消し になるという。これらは全く道教的な民間信仰的な呪文と同じである。詳しくは道端良秀著﹃中国仏教史全集﹄ 第六巻︵一九八五年・書苑刊︶﹁第五章曇鷲と道教との関係﹂︵一二五頁 1 一 四 六 頁 ︶ を 参 照 。 ﹁驚法師服気法﹂は、短文であるのでここに全文︵但し、桑捻子日は略︶紹介することとする。 ﹁初寛大座、伸両手置膝上、解衣帯、放縦支体、念法性平等、生死不二。経半食頃、即閉日挙舌奉鰐、除除 長吐気、一息二息傍人間く気出入声。初色漸細。十余息後、乃得自問声。凡覚痛痔処、便想従中而出、但覚 有異、漸漸長吐気、従細至像、十息後還如初。或間日。初調気何意従復而漸細将罷何意従細而入象。驚答日、 凡行動視阿、飲食言語、是食也 0 ・略凡睡寝後、復如前繋念、如虎街子、莫急莫緩、不問寒温、宮中先浄 所住、使心不乱、静其接耳。又日、四大不調何以察之当於唇口察之、令為風増、熱為火増、漉為地増、滑為 水増、不冷不熱、不漉不滑為調和、又声為風増、動為瑞増、庫為熱増、誕為水増、不声不動、不痔不誕為調 和、又心煩為熱結、意乱為風結、憂惇為端結、志蕩為水結、不煩不乱、不惇不蕩、為調和、四大不調有二、 或外或内、寒熱飢虚し、飽妖疲労為外起、名利喜怒、声色滋味、念慮為内起、凡気節量、一任自然、綿綿若 存、用之不動而巳。但能不以生為生、乃賢於養生也 0 ・ ・ : : 以 下 略 ﹂ ︵ ﹁ 中 華 道 蔵 第 二 十 三 冊 ﹄ ﹁ 延 陵 先 生 集 新 旧 服 気 経 ﹂ ﹁ 驚 法 師 服 気 法 ﹂ 一 一 一 一 頁 1 一 一 一 一 一 頁 ︶ これを見る限り、曇驚は本格的に道教の静坐観を体得していたといってよい。また、禅的止観の実践も修行して いたといってよいであろう。なおこの他、﹃正史例教資料類編﹄︵社斗城輯編清鶴山︶には、﹃療百病雑丸方﹄ 三巻︵緯曇驚撰︶、﹃論集治療方﹂一巻︵稗曇驚撰︶の二冊が挙げられている。 詳しくは道端良秀著﹃中国仏教史全集﹄第六巻二九八五年・書苑︶﹁第四章曇驚の長寿法﹂︵一 O 三 頁 1 一 二 三 頁 ︶ を 参 照 。 特に曇驚の止観を明らかにする上において、その背景となる天親教学一般﹁浄土論﹄﹃浄土論註﹄への教理的一 貫の道を稔伽行派の特性として脊摩他・毘婆金口那の究明を試みたものに、山田亮賢﹁曇驚の止観とその背景﹂ ︵﹃宗学研究﹄第十八号・一九三九年︶の論文がある。今本論では、斯かる論文を参考にして考察を加えていくこ と と す る 。 16 17

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18 今 試 み に ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄ で は 、 全日利弗、若有益口男子・善女人、聞説阿嫡陀側、執持名競、若一目、若二日、若三日、若四日、若五日、若六 日、若七日、一心不乱其人、臨命終時、阿嫡陀悌、輿諸聖衆、現在其前。是人、終時、心不顛倒、即得往生 阿 南 湖 陀 例 極 楽 園 士 。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 九 ︶ とあるが如く、南無阿弥陀仏の名号を執持することを強調している。名号とはとりもなおさず、仏の名そのもの である。了心に心を乱さず、念仏すれば命終の時阿弥陀仏が来迎して、その人の心が顛倒することなく阿弥陀仏 の極楽国土に往生できると説くのである。ここでは願生往生が強調されている。 ま た ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ に は 、 仏 告 阿 難 、 汝 好 持 是 語 。 持 是 語 者 、 即 是 持 無 量 寿 仏 名 。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 六 ︶ とある。ここでも同様にどこまでも阿弥陀仏、無量寿仏の名を執持することを説くのである。憶念し念仏し続け る こ と が 大 切 で あ る 。 ﹁無常苦空無我﹂は、四諦の中の苦諦の行相である。有情の身を不浄と観ずることである。九相とは九想と同義 である。﹁大智度論﹄巻四四には﹁九相、脹相、血相、壊相、膿湖相、主円相、服相、散相、骨相、焼相﹂︵大正二 五 ・ 三 八 一 a ︶ と あ る 。 藤堂恭俊﹁曇驚の奪摩他・毘婆舎那観﹂︵﹁福井博士領寿記念・東洋文化論集﹄・一九六九年︶六九三頁参照。 19 20 曇 驚 の 念 仏 止 観

参照

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