• 検索結果がありません。

真宗研究48号 021前田惠學「真宗と近代」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "真宗研究48号 021前田惠學「真宗と近代」"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

大 谷 派 斗 則

足立主 -f-一、真宗は仏教である、仏教とは何か 私は、当然のことながら真宗を仏教であると考えている。その仏教について﹁仏教とは、釈尊を開祖とし、浬繋 ないし悟りと救いを最高究極の価値ないし目的として、 その実現を目ざし、世界の諸地域に展開する文化の総合的 な体系である﹂と定義している。 この考えを、私は今まで何度か発表してきた。最初は、昭和六一年二月に出版した﹁現代スリランカの上座仏 教﹄においてであった。これはスリランカを一例として、全仏教を考えたものであった。二度目は、平成一二年九 月﹁仏教学の方法論﹂をテ

1

マに掲げ、広島大学で開催された日本仏教学会の発表においてであった。三度目は、 平成一四年七月韓国ソウル東国大学校で聞かれた日本印度学仏教学会において、 日本側を代表して東国大学校宋錫 球総長と共に記念の特別講演を行った時である。 三度にわたる発表の中で、多少字句の修正を加えたが、 ほとんど変更を加えていない。これによって私は、時に

(2)

は過分の賛辞や好評を得てきたので、大方の理解が得られたと考えている。私の仏教の定義は、 いずれの人にも 常識的にそんなところかなと、納得されるものがあると思っている。言われてみれば、 そ う だ と い う こ と で 、 コ ロ ンブスの卵みたいなものである。 もともと﹁仏教とは何か﹂は、仏教に志す人であれば誰しも考えることである。従来多くの見解が一示されてきた。 思うにその場合、﹁仏教の本質は何か﹂に主眼が置かれてきたように思われる。しかし本質の考え方は人により異 なりがあるし、仏教は本質だけで動いているわけではない。生きた現実がある。それは現代仏教の課題であった。 現代仏教を取りあげてこなかった従来の仏教学では解けなかった。現代仏教を取りあげずして仏教学は完成しない のである。従来の仏教理解は哲学的であったが、私の理解はすべてを含む文化的理解であると言ってもよい。私の 考えている文化とは、衣食住のすべての人間の営みを言う。

二、真宗とは何か

それでは﹁真宗とは何か﹂、仏教に準じて真宗の定義を考えてみたい。 先ず、仏教が﹁釈尊を開祖﹂とするに対して真宗は、﹁親鷺聖人を宗祖﹂とする仏教の一宗派であるとしてよい であろう。次に﹁浬繋ないし悟りと救い﹂を最高究極の価値ないし目的とするのに対して真宗では何をもってくる か。私は﹃浄土和讃﹂などに見られる﹁念仏成仏﹂を当ててはどうかと考える。あとは﹁文化﹂を﹁仏教文化﹂と したい。そこで次のようになる。 ﹁真宗とは、親驚聖人を宗祖とし、︿念仏成仏﹀を最高究極の価値ないし目的として、 界の諸地域に展開する仏教文化の総合的な体系である。﹂ その実現を目ざし、世 真宗と近代

(3)

真宗と近代 O 六 この場合、﹁真宗とは﹂を﹁浮土真宗とは﹂とする時にはどうするか。︿念仏成仏﹀の中に浄土の意味が含まれて いるからして、このままでよいと思われる。 ここで私は、今迄自明の理としていた事柄を敢て聞いたい。恐らくはタブーのように思われていたことである。 それは仏教が先か、真宗が先かという問題である。この両者をどのように位置づけるかを考えることである。 この問題をここで論ずるには余りに問題が大きすぎるとも言える。私はただ私の子供の時のエピソードを紹介し ておきたい。子供の私が、可愛がってくれていた祖母に質問をした。﹁お釈迦様と親鷺聖人とどちらがえらいか。﹂ 祖母は即座に答えてくれた。﹁どちらもえらいが、格が違う。﹂ここに問題解決の鍵があるように思われる。 次に、私の寺の公知板には、 q ホ ス タ ー かつて本山から送られた﹁私たちの真宗﹂という一枚の表示が掲げてある。そこに は﹁おしえ﹂として﹁本願を信じ念仏申さば仏となる﹂としてある。言うまでもなく﹁歎異抄﹄ の こ と ば で あ る 。 私は、ここでは﹁念仏成仏﹂を採った。親鷺聖人の﹃浄土和讃﹄に依る。成仏は大乗仏教各宗共通の目標であり、 念仏に挿土教としての特徴が示されている。このことばは中国以来の伝統に沿っている。南無阿弥陀併の念仏は、 日本だけでなく、中国・韓国・台湾やそれらの地域から海外へ移住した人たちの間で行われている。これによって グローバルな視野が聞けると思う︵ただし、中国、韓国、 ヴェトナム、台湾の漢語闘でひろく見られる四字の名号 についても考えてみるべきである︶ 0 一、歴史学上の用語としての近代 次 に ﹁ 近 代 ﹂ の問題を取りあげたい。

(4)

近代というのは歴史学上の用語である。仏教も長い歴史をもち、仏教の展開を説明するのに、歴史の知識を利用 すると時に便利なことがある。しかし仏教には仏教自体の流れがあり、展開があった。先ずはこの仏教自体の展開 に注意すべきである。二つの流れを混同すべきではない。 歴史学上、近代は古代・中世・近世・近代と歴史の流れを説明してきた西洋史の概念に即応している。西洋の中 世がキリスト教の時代とされるのに合わせて、 日本史の上で鎌倉時代をこれに当てた、 と聞く。しかし日本の仏教 自体の立場からすれば、鎌倉仏教を中世とせねばならぬ理由があるわけではない。歴史学上の概念を仏教の上に適 用する時、二重の原理で見ることになるであろう。これは時に混乱を招くと思われる。 ところで、今ここで真宗と近代を並べる時、近代とは日本の近代であろうし、私の理解では、明治維新から太平 洋戦争の敗戦までを指すと考えてよいであろう。戦後は現代である。明治維新によって、 それまで鎖国していた日 本は開国し、西洋の進歩した姿を見て、西洋を模範とし、近代化への道を歩み始めた。療仏顕釈によって、国策に 組み込まれた神道と挟を分かち、他方西洋文化の流入と共に進出してきたキリスト教を迎えて、仏教は甚だ苦しい 道を歩むこととなる。しかし仏教には、江戸時代以来敗戦まで、 それを支えてきた社会的基盤が存続していた。戦 争によってこの社会的基盤が崩れたのが、現代である。 西 洋 の 近 代 は 、 ルネサンスや新大陸の発見、 また宗教改革や産業革命などに始まる。 そこに近代と言われる実態 し た 時 、 がある。しかし、日本の近代化は当然のことながら、西洋より遅れて始まる。ここで一つ疑問がある。西洋と比較 日本に近代という時代の実態があったと言えるか。あったのは、西洋近代の影響で、近代化を始めたこと で は な い の か 。 日本の場合、あったのは近代ではなくして、近代化の時代というのが正確である。近代 日本にとって西洋を模範とし、西洋を規準にものを考える西洋化であった。日本では、進んだ丙洋の産業 その背後に自然科学のあることを見た。そこで西洋の学問の輸入がはかられる。また西洋の物質的 と す れ ば 、 化 と は 、 を 輸 入 し た 時 、 真宗と近代 0 七

(5)

真宗と近代

}\ 繁栄が植民地によっていることを見て、日本も領土の拡張をはかる富国強兵への道を選んだ。人はどこまでも欲望 を増大させる結果となった。その結末は、明白である。戦争に突入し、悲惨な敗戦を招いたのである。 園、現代の問題について ところで歴史学は、過去の研究にはすぐれた成果をあげてきたのに、現代の問題には、何も出来なかった。すで に昔のことではあるが、私の大学時代、 日本仏教史の講義は古代から鎌倉時代までで終った。西洋史の講義も、ギ リシャ・ロ

i

マの時代からアメリカ大陸の発見までで終った。現在は、今少しく研究が進んでいるとしても、今の ままでは歴史学の講義が、本格的に現代にまで及ぶことはあるまいと思う。現代の問題は、過去の問題を扱う歴史 学とは研究方法が異るからである。歴史学者にとっては、過去の事実を正確に記録したと思われる文献が第一資料 である。しかし現代研究にとって第一資料というのは文献ではなくて、生きた現実である。文献は第二資料である。 実はいつの時代もそうであったのだ。文献を第一資料と見る時は錯覚を招くことがある。しかるに生きた第一資料 を見ることが出来るのは現代のみである。 資料としては、現地調査やアンケート・聞き取り、 また新聞・雑誌の報道など、生きた人間との接触やマスコミ の情報の輯集が必要である。現代を明らかにするには、歴史学的方法ではなく、法律学・経済学・社会学・文化人 類学・宗教学等、生きた現実を研究対象とする学問的方法が参考となる。そしてどこの国の現地調査に入る場合に も、その国の宗教が、憲法上いかに位置づけられているか調べてかかる必要がある。 思うに、古代と言っても古代人にとっては古代は実は現代であった。中世と言っても中世人にとっては中世は実 は現代であった。近世と言っても近世人にとっては近世が実は現代であった。:::歴史学は古代から中世へ、中世

(6)

から近世へ、近世から近代へと歴史の流れを見ている。しかし、現実は、現代・現代・現代:::と積み重なって、 今のこの現代にいたっている。今のこの現代をよく見極めてみると、 その中には近代もあれば、近世もある、中世 もあれば、古代もある。歴史以前もあって積み重なっているのが、現代の現実である。 むしろ社会学者が現代史を扱っている。社会学者は横軸の同時 ところで現代史を扱う歴史学者はあまりいない。 代のみを見ているかというと、必ずしもそうではない。私の友人の社会学者は十年毎に同じ場所の調査をして見な け れ ば な ら な い 、 と言っている。短いスパンではあるが、時間の変化を見ているのである。それ故、社会学者は現 代史が書ける。しかるに歴史学者は、現代を調べる学問的方法をもたないだけでなく、百年以上の長いスパンで時 聞の流れを見ることが少なくない。私共の教わった歴史の先生は、ある程度、時聞が経過したあとでないと歴史が 書けないと言われたものである。今になって思うと、これは歴史学のもつ大きな欠陥ないしは限界である。多くの 人は歴史ということばにまどわされていることが少なくない。 これからの歴史書は、古代から始めるのではなく、 まず現代を説明して、しかるのち、 その由って来る歴史を明 らかにすべきではないかと考える。私の﹁現代スリランカの上座仏教﹄は、 そうした試みをしたものである。 このように見てくると、明治以後の﹁近代﹂と言われる時代は、実は日本では﹁過去の、近代化しようと苦しん だ 時 代 ﹂ で あ っ た 。 五、近代的自我の精神

l

私の場合 1 近代化の時代は、物質面のみでなく、文化から思想・宗教の面にまで及び、 日本人の生活から物の見方・考え方 真宗と近代 0 九

(7)

真宗と近代

の変革を求めてその根抵からゆさぶるものであった。ここにはただ﹁近代的自我の精神﹂にしぼり、 それも、私個 人に即して述べておきたい。私の近代と言ってもよい。 中学時代私は、宗門関係の尾張中学に学んだが、 そこで校是として一不された三か条は、①我は何であるか ② 我は何をなしつつあるか ③我は何によってありうるか、 であった。これによって我を見つめる内省を求められ た。しかしこれは近代的自我の精神からは程遠く、積極的なものは何も残らなかった。自我の精神に目覚めるよう になったのは、旧制高校︵八高︶文科にはいってからであったであろう。文科には徴兵延期の特典はなかった。私 は中学時代すでに日中戦争から太平洋戦争にはいっており、高校では戦争も末期となっていた。当時私は死に直面 しての哲学を求めていた。﹁朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり﹂という気持であった。何故我々は国家のた めに命を捧げなくてはならないか。我々にとって絶対服従を強いる天皇制とは何か、この疑問にいかに答えるか。 八高の講義には、中学と違って自由があった。戦時下に拘らず、皇国史観ではなく、﹁現志倭人伝﹂が取りあげら れた。語学も国語ではなく適性語と言われた英語と独語の授業を聞くよう指導された。校庭に人が集まれば太鼓を 鳴らし、寮歌やデカンショが歌われた。敵汁衣破帽・高下駄や藁草履の学生が、人生を論じ国家・世界から戦争を論 じ た 。 みな多かれ少なかれ哲学青年であった。丙田哲学が流行し、西洋の理性を重んじ、 理性で仏教の理解を企て たりした。しかし青年たちの論ずる哲学は学問としての哲学ではない。有名教授として尊敬されていた哲学の 佐 竹 ︶ 教 授 は 、 その違いをきちんと教えていたことでも伝説的に知られていた。だから、背学青年たちは、誰も大学 は西洋哲学科に進もうとは考えなかった。昭和二

O

年四月、在学中であったが、 すでに満十八歳で徴兵検査を受け ており、私は百集令状を受けた。金沢に入隊したが、八月に敗戦で、開放され復学した。 昭和二二年三月、私は仏教を学ぶつもりで、東大の印度哲学科に入学した。八高から東大印有に進んだ先輩には、 横超慧日・平川彰・久我︵桜部︶順らの諸氏があり、私のあとに原賀氏がいた。大学入学後も私には哲学青年の余

(8)

韻があって、大学の講義の半分は、西洋の哲学・倫理の単位をとった。これはやはり自我の哲学を学んだことにな るであろう。今にして思えば、ギリシャ・ロ l マから、デカルト・カント・ショ l ペンハウエルの近世哲学からさ らに実存官学への伝統が、実は現代日本の我々にまで継続しているという錯覚を抱かされていた。これは科学とは デンケンすることにあるという実践を説いていたからであるかも知れない。近代化の巾でこうした錯覚を抱いてい たのは、私一人ではなかったと思う。 西洋理性の伝統は、日本の近代化の流れの中で、近々百年程の聞に受容されたもので、それ以前の日本は、日本 のまたアジアの伝統の中にあり、西洋自我の哲学は、我々にとって本来異質のものであった。両洋を尺度として生 きる近代化の時代の中にあって、本来の自分をいつの間にか忘れていたのである。その点から言うと近代化の時代 は、︿本来の自己を忘れて近代化しようとしたがために苦しんだ時代﹀であったのである。この苦しみを越える道 は、西洋の自我の理性の立場を捨てて、アジアの仏教本来の立場に帰る必要があった。多くの人はそれが出来、す、 西洋の理性ないし理性哲学の立場で、仏教を割り切り、念仏を理解しようとした。できない無理な相談である。近 代化への道を捨てて仏教本来の道に帰るところに仏教の現代が聞かれるはずである。仏教は仏教独自の理論と方法 をもっているのであるから。 よくよく注意すると、申しわけない言い方であるが、我らの宗門には、 いまだに近代化の苦しみの中に停滞して、 現代に切り換っていない方が、 かなりおられるように思われる。真宗はまだ近代の中にあり、現代をとり戻してい ない。近代というのは、歴史学上の概念であり、歴史学的思考にとらわれている限りは、現代になり切れない。歴 史学者が現代を取り扱かうことができないと同様、現代を前にして足踏みをくり返すほかはない。歴史学では、近 代と現代をそのままでは直結できない。現代に身を置きながら、想念は近代化の中にあると言ってもよい。 それではいかにして現代に立ち帰るか。私の現代仏教研究の方法を見ていただきたい。そこでは現実の生きた仏 真宗と近代

(9)

真宗と近代 教の実態をありのままに実地に調査するところから始まる。その目的は、第一に仏教の存在形態を明らかにするこ と、そこには、寺院・教団の在り方はもちろん、葬式仏教の問題もはいる。第二にそうした形の仏教が、現代に対 し て 、 どのように対応しているか、 またできるかを確認すること、この二つが私の現代仏教研究の柱である。それ 故、現代を取り戻すには、目を外に見すえて、自己の位置をはかる必要がある。それによって現代とは何か、を認 識するところがなくてはならない。しかし本日の主題は﹁近代﹂である。その近代が克服されるべきものであるこ とを述べた。そこでここでは今一度﹁真宗﹂に一民る。現代真宗こそが眼目である。近代の眼を離れて現代の日をも って真宗を見なくてはならない。 六、教義仏教と庶民仏教仏教のニ重構造

l

現代の世界の各地に広がった仏教を見る時、これを大別すれば上座仏教と大乗仏教に分れる。その何れもがまた 地域的性格を有する。地域によって文化の特徴が異なり、地域仏教として展開してきたからである。 この地域仏教をよく見ると、教義を重視する教義仏教

E

R

E

E

E

B

S

E

︶と庶民の信仰に特徴をもっ庶民 仏 教 ︵ ℃ 毛 己

R

E

B

2

5

︶ とに分けることができる。仏教が二つあるわけではないが、 二重構造もしくは重層 構造をなしている。今日葬式仏教と言われたりするのは、庶民仏教の話である。教義仏教の荷い手は主に僧侶であ る が 、 かれらだけでは仏教は生きていくことができないであろう。 よく質問されることであるが、釈尊が業・輪廻の問題を説いたか、 というのも、庶民仏教の側のことである。釈 尊の時代にも庶民仏教があった。釈尊と言えども、庶民の聞に行われていた信仰を無視することはできず、釈尊自 身は浬繋の境涯にあったとしても、 その周辺には庶民信仰を信ずる人たちが取り巻いていた。

(10)

上人の現当二世の利益、 仏教は一元論ではない。釈尊のはじめから仏教は二重構造の中にあった。親驚聖人の釈迦弥陀二尊の信仰や蓮如 また近代真宗の真俗二諦説など、大勢として見れば、色々な形で、二元論が出ている。 しかるに西洋は一元論ないし一神論的思想を好み、日本の近代化は、 それに悩まされてきたのである。

七、宗派としての真宗|

1 選択の問題 現代に身を置いて、日本の仏教を眺める時、特徴的な事実は、多くの宗派に分れていることである。一言うまでも なく真宗もその宗派の一つである。海外の仏教の中にも分派はあって、分派の理由は様々であるが、 日本の分派の 理 由 は 、 ﹁ 選 択 ﹂ に あ る 。 四種相承と言われるような総合性をもっていた比叡山に学んだ祖師たちが、法然・親驚 の二祖は浄土念仏を、道元禅師らは禅を、 日 蓮 上 人 は 法 華 を 、 それぞれ仏教中の最高と考え、選択された結果、 そ れぞれに宗派が聞かれていった。﹁選択﹂は、 そこに仏教の純粋な本質を見出そうとするもので、 日本人の好みに 合致している。それ故に国内にひろく広がるを得た。しかし選択は必然的に﹁療立﹂につながる。 二竺派を形成 すれば、﹁宗派我﹂を生み、療立の意識が働く。 鎌倉以後の歴史的経過の中で、禅が中国大陸と交流の窓口を細々とつないでいたのに対し、浄土念仏では、法 然 ・ 親 鷺 の 二 祖 以 後 、 一人として大陸に渡ることなく、閉ざされた国際環境の中にあって止むを得ないものがあっ , −

z

、 十 人 ・ 刀 しかし大陸の仏教の実態を知らぬまま、 日本国内で純粋培養?されてきたように思われる。真宗が海外との 交流をはじめたのは、明治以後になってからであるが、﹁開教﹂という名目で、宗義の宣布を目ざしたものであっ た。真宗は時に﹁普遍性﹂ のあることを主張したが、 その実閉鎖性をもっていたことは否めない。現代の国際化の 時代をむかえて いまその体質について改めて自己反省をせまられている。 真宗と近代

(11)

真宗と近代 四 一般に選択ないし療立の最大の欠点は、取りあげたものだけを見て、捨てたものを顧みないという点にある。捨 てたものも今一度きちんとすくいあげるのでなければ、 一切衆生のための仏教にならない。戦後の日本に新興宗教 が勃興した原因は、真宗だけでなく、既成の仏教が多くの人を見捨ててきた結果と一言うことができるであろう。 目を海外の仏教に向ける時、宗派の偏見をもって見てはならない。例えば、中国では長い間、禅浄双修をもって 基調としてきた。禅も行われているが、念仏も見られる。双修である、 日本の禅の人はその禅の側面のみに注目し、 念仏の人は念仏の中の、しかもその称名念仏の一面のみを見て いずれも全体を見てそこから仏教を学ぼうとしな ぃ。これでは、選択・療立の欠点から一歩も抜け出ることができないであろう。宗派は自己改革を進める力をもた なければ、将来に希望をもつことができない。 八、結び||自力と他力||| 真宗は他力の教えであるとして、自力を排除してきた。一樹立である。予定の枚数も尽きたので、私はここで 末 時 紗 ﹄ 一七に見られる親鷺聖人の含蓄のある言葉を引用して結びとしたい。 他力のなかには自力とまふすことは候とききさふらひき。他力のなかにまた他力とまふすことはききさふら は ず 。 ここには、真宗の他力の教えの中にも自力のあることを容認し、他力の中の他力、近ごろよく一一一一口われる︿絶対他 力﹀というようなことは、︵師法然上人より︺聞いてはいない、従って容認できない、 と 一 一 一 口 わ れ て い る の で あ る 。 ただ最近は、他力の教えからはみ出して、自力の立場になっていても、 それと気づいていないように思われること t ノ £ ノ \ ぷ 、 A O カ , A / f く f そのために他力念仏の本領が発揮されないのである。

参照

関連したドキュメント

大学は職能人の育成と知の創成を責務とし ている。即ち,教育と研究が大学の両輪であ

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

町の中心にある「田中 さん家」は、自分の家 のように、料理をした り、畑を作ったり、時 にはのんびり寝てみた

人間は科学技術を発達させ、より大きな力を獲得してきました。しかし、現代の科学技術によっても、自然の世界は人間にとって未知なことが

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので

SDGs を学ぶ入り口としてカードゲームでの体験学習を取り入れた。スマ