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「矢護川小学校文書」について

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(1)

や ご が わ

現在の菊池郡大津町矢護川地区に所在していた小学校に

関する明治中期の文書群、いわゆる﹁矢護川小学校文書﹂が、

熊本県立大学学術情報メディアセンター図書館に所蔵され

ている。これは、別稿で論じた﹁飯田家文書﹂と併せて平

成一九年に購入された史料群であり、古書陣によれば両者

ともに飯田家から引き取った史料群とのことである。

﹁飯田家文書﹂同様に、﹁矢護川小学校文書﹂もこれまで

未整理のまま保管されていたが、平成二二年八月一八日か

ら一九日にかけて、本学日文科学生である浅尾亜弓︵二年︶、

園田彩乃︵二年︶、成田愛実︵二年︶、成富なつみ︵二年︶

{ 2 }

とともに整理および目録作成を行った。

以下、調査成果に基づいて文書群の概要を紹介し、

を稿末に付す。

はじめに

目録

について

﹁矢護川小学校文書﹂の成立とその背景を理解するため

には、明治初・中期における矢護川地区をとりまく行政区

画の変遷に対する正確な把握が求められる。

そもそも矢護川地区が﹁矢護川村﹂となったのは、明治

九年(-八七六︶のことであった。同村は、本誌別稿の主

題である﹁飯田家文書﹂の舞台である下中窪田村、中窪田村、

∼ 又 ︱

ならびに片俣村の三村が合併して誕生した。

明治︱一年(-八七八︶、政府は統一的地方制度の確立

を目指した﹁郡区町村編成法﹂を公布︵翌年施行︶し、そ

の後、明治一七年の改正を経て、同ニ︱年(-八八八︶に

は戸数千戸以下の小規模な町村を独立自治の地方団体とす

るために、﹁市制町村制﹂を公布︵翌年施行︶し、大規模

な町村合併を行った。その際、矢護川村、尾足村、杉水村、

明治初・中期における

矢護川地区の行政区画

(2)

-67--河辺村の近隣四村が合併し、護川村となった。

文書群の理解のために再度行政区画についてまとめると、

矢護川地区が矢護川村であった時期は、明治九年から明治

(

-八

s

一八八九︶であり、護川村を構成

する一地区であった時期は、明治二二年から昭和三一年ま

で(-八八九\一九五六︶である。

文書群の概要

﹁矢護川小学校文書﹂は四七点に整理されたが、その大

半は杉水尋常小学校矢護川分教室に関係する文書であった

稿

1

旧所有者については、前述の古書陣の話を裏付けるよう

に、昭和︱一年度(-九三六︶の雑綴史料に付された表紙

に﹁飯田氏﹂と墨書で打ち付けられている︵矢護川

3 6 )

本史料の対象地が飯田家の所在した矢護川地区であること

も加味すると、やはり飯田家旧蔵史料と見て間違いないだ

文書の内容は、前記矢護川分教室における教員の出勤

簿、日誌、週録、生徒の出席表、日課、教授草案、︵試験︶

成績表などであり、これらはほぼ明治二五年から同三一年

︵一八九二\九八︶の六年間に集中しており、これまで知

られてこなかった当該期における矢護川分教室の営為動向

を詳細まで跡付ける史料群である。

ところで、この史料群の中で﹁護川校巡回授業日課﹂

1 5

)

は特異な位置にある。本史料は明治一八年

︵一八八五︶一月から六月にかけての護川校生徒の出席簿

である。ここに登場する﹁護川校﹂とは、矢護川分教室で

はなく、明治三十年から杉水地区に所在した護川小学校の

tり弓瓢□鳳!(!~

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図1 表紙に墨書「飯田氏」が見える

(3)

また、時折確認できる挟込史料には、生徒名簿や

1 6

1 9

2 0 )

、生徒出欠表︵矢護川

1

5

)

、教本代金のとり

まとめについての覚書︵矢護川

1

0

)

などが認められ、さ

らには村長田代蓑にまつわる文書や書簡までも残されてい

図2

明治廿九年二月廿日第一課長東弘毅

護川村長田代蓑殿

片川瀬の教員による護川校巡回記録

前身と思われるが、少なくとも、明治一八年には表題どお

り、杉水村の北隣に所在する尾足村片川瀬の﹁請持教員﹂

が護川校まで巡回して授業を行っていたようだ。これ以上

の詳細は不明であるが、それにしても、この時期片川瀬に

も小学校が存在していたのだろうか。

る︵矢護川

7

)

。これらは史料群の情報を補足し、当時の

実情をより細やかに伝える役割を果たしている。

一例を挙げると、明治二八年(-八九五︶七月一六日か

ら翌年三月一九日にかけて記された日誌︵矢護川

7

)

四点の挟込史料が存在するが、そのうちの一っ︵挟込②︶は、

﹁唱歌﹂の取り扱いに関する当局から田代蓑を経て矢護川

分教室教員へ通知された文書である。

學校二於ケル唱歌ハ歌舞音曲卜同視スへ

キモノニアラサルハ勿論ノ義二付歌舞音曲停

止ノ節卜雖トモ学校二於テ唱歌教授ヲナスハ

差支無之義二付左様御了知貴部内小

學校二御示二相成度郡長ノ命二依リ此

段及通牒候成

右写シ通リ通牒相成候条左様

御了知有之候成

護川村長

明治廿九年二月廿二日田代蓑

(4)

-69-玉蜘鉱なを, 図3 護川村長田代蓑の通逹と封

おわりに

この通知の日付は、日誌の二月廿二日の記録﹁本校教員

安永氏ヨリ書簡一通来ル﹂とも合致する。

さて、本通達の背景として、﹁歌舞音曲﹂が禁止されて

いることから小学校での﹁唱歌教授﹂に際し、現場で混乱

をきたしていた様子が推察できる。そこで、当局から正式

に﹁唱歌﹂は﹁歌舞音曲﹂と同一視すべきものではないこと、

したがって﹁唱歌教授﹂が﹁差支無﹂いことを改めて確認、

通達したのであろう。

以上、﹁矢護川小学校文書﹂四七点は、主に明治︱︱五年

から同三一年(-八九二\九八︶の六年間における杉水尋

常小学校矢護川分教室教員の出欠、日誌、週録、教授草案、

ならびに生徒の出欠、日課、成績、さらには種々の挟込史

料から構成される史料群であった。

勿論、これまでその存在が知られてこなかった矢護川分

教室の営為動向を詳細まで浮き彫りにする記録として貴重

な史料群であるが、それのみならず、そこから描き出す成

矢護川分教室

教員御中

(5)

果を、明治中期の地方における教育状況のモデル・ケース

として捉え、近代︵地方︶教育史に対する理解を見つめな

おす材料とすることも可能であろう。

また、日誌などにその名が見える学務委員飯田小七郎

4

1 0 )

、ならびに教員安永平馬︵矢護川6、7)は、

後に村長となっており、ここに地方の社会構造の一旦を垣

間見ることもできる。

このように芳醇な内容を含み、示唆に富んでいる﹁矢護

川小学校文書﹂であるが、個人情報と深く関わる史料群で

あるため、一般公開が困難であることをここで断っておく。

(6)

-71-表

1 「矢護川小学校文書」目録

(6) 番号 表題 (所有)作成 年次 法量x横 形態 紙数 内容 備 考 矢 護 出 勤 簿 杉 なし 明治27年4 月•24.0cmx 竪帳 仮綴5矢護川分教室山 /111 水尋常小学 明治28年3月 16.2cm T 邊武雄の出勤簿 校矢護川分 教室 矢 護 教授細則 なし なし 24.1cm x 竪帳 仮綴 算術•読書・習 〇挟込一点 Jll2 【 算 術 讀 16.4cm 14丁 字科の教授細 縦16.0cmx横24.6cm 書 習 字

l

則・試験細則 (計算の覚書) 試験細則 0裏表紙に「護川校奉職之節 葛之 山邊所持」の記載あり 矢 護 第 一 号 日 なし 明治26年5月23.7cmx 竪帳 25丁 杉水分教室生徒 /113 誌 杉 水 分 8仕 明 治26年16.0cm の出欠と教員 教室 10月5日 (山邊武雄)の出 勤 矢 護 日誌 なし 明治26年11 24.4cmx 竪帳 14丁 (杉水分教室)生 〇教職員戸次成則、学務委貝 !114 月27日且月治 16.0cm 徒の出欠と教員 飯田小七郎の名が見える 27年1月138 (山邊武雄)の出 勤 矢 護 日 誌 矢 護 なし 明治27年6月 24.0cmx 竪帳 33丁 矢護川分教室生 08月17日ー 8月30日まで記述 /115 川分教室 25日 期 治28 16.6cm 徒の出欠と教員 なし 年1月8日 (山邊武雄)の出 勤 矢 護 日 誌 矢 護 なし (明治) 28年 23.7cmx 竪帳 35T 矢護川分教室生 03月8日に村長田代蓑と教員 /116 川分教室 1月9日ー(明 16.0cm 徒の出欠と教員 安永平馬の名が見える 治28年) 7月 (山邊武雄)の出 0その他の教貝に芹川九一郎 15日 勤 の名あり 矢 護 日 誌 矢 護 なし 明治28年7 24.2cmx 竪帳 56T 矢護川分教室生 0その他教員に、芹川九一郎 !117 川分教室 月16日. (明 16.2cm 徒の出欠と教員 の名あり 治29年3月19 (山追武雄)の出 08月1日-15日 は 休 業 の た め 日) 勤 記述なし 〇 挟 込の書 簡4点 ①封あり ー 紙 二 枚 安 永 平 馬 →ill邊武雄殿 2月18日 縦24.lcmX横32.4cm (成績表の作成について) 縦24.1X横 32.4cm (出張の際の認印持参願い) ②封あり ー 紙 一 枚 護川村長田代穀→矢護川分 教宅教員 明治29年 2月22日 縦24.4cmx横31.8cm (学校の唱歌について、第 一課長東弘毅から田代村長 への通知の写し) 「合志郡護川村村長之印」の 朱印あり ③封あり ー 紙 一 枚 (護川)村長→山退武碓殷 3月12日 縦16.3cmx横25.0cm (卒業生に関する報告)

(7)

④封あり ー紙一枚 安永平馬→山溢武雄殴 (明治28年 3月) 13B 縦23.6cmx横32.7cm (試験日程について) 矢 設

l

:

l

誌 第 一 なし 明治29年4月 24.4cm x 竪帳 37丁 (矢護川分教室) 0その他教員に、芹川九一郎 )118 琥 1日ー(明治2916.0cm 生徒の出欠と教 の名あり 年) 10月11 員(山遥武雄)の 〇裏表紙に「菊池郡杉水尋常 日 出勤 小 学 校 矢 護 川 文 教 室 」 の 記 載あり 矢 護H誌 第 二 なし 明治29年 10 24.7cmx 竪帳 38丁 矢設川分教室生012月31日 か ら 明 治30年1月 川9 琥 矢 設 川 月12日- (明 16.0cm 徒の出欠と教員 10まで休業のため記述なし 分教室 治29年) 12 (山邊武雄)の出 月15日 勤 矢 設 日 誌 第 壱 なし 明治30年4月 23.6cmx 竪帳 35丁 矢護川分教室生 0その他教員に、安永の名あ

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琥 杉 水 尋 1日・(明治3016.8cm 徒の出欠と教員り 常小學校矢 年) 11月ZB (山過武雄)の出 〇助手有田義(喜)男の名あり 設川分教室 勤 〇学務委員飯田小七郎の名あ り 〇挟込一点 ー紙一枚封なし 差出人なし 縦24.4cmx横31.9cm (教本代金のとりまとめに ついての覚書) 07月22日から 8月20日まで休 業のため記述なし 010月9日「村長田代蓑氏死去 ニ付埋葬式」 矢 設 `一學年週 なし 明治28年4月 27.0cmx 竪帳 46丁 矢護川分教室第 /1111 矢護)

I

I

1日明治29年 20.1cm 一学年授業内容 分教室 2月29日 等記録 矢 護

二學年週 なし 明治28年4月 26.8cmx 竪帳 45丁 矢設川分教室第 川12 矢護川 1日ー明治29年20.1cm 二学年授業内容 分教室 2月29日 等記録 矢 設

三學年週 なし 明治28年4月 26.9cmx 竪帳 45丁 矢護川分教室第 川13 矢設川 1日・明治29年20.0cm 等三学記録年授業内容 分教室 2月29日 矢 護

笏四學年週 なし 明治28年4月 27.0cmX 竪帳 45丁 矢設川分教室第 川14 矢護川 1几明治29年 20.0cm 四学年授業内容 分教室 3月7日 等記録 矢 護 護川校巡回 片川 明治18年1月 30.6cmx 竪帳 12丁 護川校生徒出席 〇奥付に「肥後熊本合志片川」 川15授業日課 瀬請 -6月 23.0cm 簿 〇挟紙一点 持教 縦30.1cmx横 21.6cm 員 「明治十九年一月分」 矢 護 尋常護川小 なし 明治25年4月_31.0cmx 竪帳 49丁 尋常護川小学校 〇挟込の綴り(三丁) Jill6 學 校H課 明治26年3月 22.4cm 生徒出欠表 (7月1日 か ら の 第 一 学 年 か ら第四学年までの名簿) 〇挟込の綴り一丁目の中にさ らに挟込一点 (第一学年から第四学年ま での名) 縦24.4cmx横33.0cm 〇裏表紙なし 矢 護 なし なし 明治26年4月_30.8cmx 竪帳 49丁 (尋常護川小学 〇裏表紙なし 川17 明治27年3月 22.4cm 校)第四学年生 徒出欠表 7 3

(8)

-矢 護 なし なし 明治27年4月 30.9cmx 竪帳 39丁 (尋常護川小学 川18 -(明治28年122.6cm 校)第四学年生 月) 徒出欠表 矢 護 なし なし 明治28年4月.30.6cmx 竪帳 45丁 (尋常設川小学 〇教頭山邊武雄・芹川九一郎 川19 明治29年3月 22.2cm 校)第匹学年生 の記載あり 徒 出 欠 表 〇 別 紙 綴 込 四 丁 (四年生参月分出席表) 〇挟込二点 (第二学年・三学年の生徒 名簿) 縦23.8cmx横32.2cm 縦23.8cmx横32.2cm 矢 護 生徒日ヶ出 なし 明治29年4月.30.Scmx 竪帳 36丁 矢護川分教室生 〇別紙綴込十二丁 )1120席 表 菊 池 明治30年3月 22.4cm 徒 出 欠 表 (明治29年5月 .6月 、 生 徒 郡杉水尋常 日々出席表矢護川分教室) 小 学 校 矢 〇 別 紙 綴 込4T 護川分教室 (壱・ニ・三・匹年生の生 徒名簿) 〇裏表紙なし 矢 護 教授草案 なし 明治29年4月 24.2cmx 竪帳 26―

r

矢護川分教室第 )1121矢護川分教 2日-5月30日 16.2cm 二学年と第三学 室 第 一 号 年の授業草案 矢 護 第 壱 琥 教 (山邊 明治30年4月 24.4cmX 竪帳 16丁 (矢護川分教室) 〇休業Hの記載あり Jll22授 草 案 第 武雄)18-6月12日 16.0cm 第一学年の授業 壱年 草 案 矢 護 第 壱 琥 教 (山邊 明治30年4月 24.5cmx 竪帳 16丁 (矢護川分教室) 〇休業日の記載あり 川23授 草 案 第 武雄) 1日ー6月12日 16.0cm 第二学年の授業 壱 跳 第 弐 草 案 年 矢 護 教授草案 山邊 明治30年6月 24.2cm x 竪帳 25丁 (矢護川分教室) 〇「山邊」朱印(訂正印)あり 川24第 参 年 第 武雄 14日-9月258 15.8cm 第三学年の授業 〇休業日の記載あり 二琥 草 案 矢 護 第 壱 琥 教 山邊 明治30年4月 24.4cmx 竪帳 17丁 矢護川分教室第 〇休業日の記載あり )1125授 ヰ 案 第 武雄 1日-6月1日 16.0cm 四学年の授業草 四年 案 矢 護 教授草案 なし 明治30年9月 24.6cmX 緊帳 15丁 矢護川分教室第 〇「本田」の朱印あり 川26第 参 琥 第 208-12月27 16.0cm 一学年の授業草 壱 年 矢 護 日 案 JI!分教室 矢 護 教授草案 なし 明治30年9月 24.6cmx 竪帳 18丁 矢護川分教室第 〇「本田」の朱印あり 川27第参琥第二 20日-12月29 16.0cm 二学年の授業草 年 矢 護 川 El 案 分教室 矢 護 教授草案 なし 明治30年9月 24.6cmx 竪帳 17丁 矢護川分教室第0「本田」の朱印あり 川28第 参 琥 第 20日-12月26 16.0cm 三学年の授業草012月26日分まで 三 年 矢 護 B 案 川分教室 矢 護 教授草案 なし 明治30年9月 24.6cmx 竪帳 22T 矢護川分教室第0「本田」の朱印あり 川29第 参 琥 第 208-12月26 16.0cm 四学年の授業紅012月26日分まで 四 年 矢 護 日 案 川分教室 矢 護 教授草稿 なし (明治31年) 24.4cm x 竪帳 24T 矢護川分教室第 〇表紙には「明治三十年十二 川30矢護川分教 1月10日-2月716.4cm ―・学から第四学 月」とあり 室 日 年の授業草案 02月13日分まで 矢 護 教授草案 なし (明治29年) 24.4cm x 竪帳 18丁 矢護川分教室第 〇裏表紙に「第二号」とあり 川31矢護川分教 9月13日-10月15.9cm 二学年と第三学0目 録 番 号31-34は21の続き 室 12日 年の授業草案 か

(9)

矢護 教授草案 なし (明治29年) 24.4cmX 竪帳 17丁 矢護川分教室第 0裏表紙に「第三号」とあり Jll32 矢護川分教 10月21日-11 16.0cm 二学年と第三学 室 月30日 年の授業草案 矢護 教授草案 なし (明治29年) 24.lcrnX 竪帳 18丁 矢護川分教室第 〇裏表紙に「第四号」とあり 川33矢護川分教 12月2日ー(明 16.4cm 二学年と第三学 室 治3~)1 月 年の授業草案 24日 矢護 教授草稿 なし (明治3~) 242cmx 竪帳 18T 矢護

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分教室第 〇裏表紙に「第五号」とあり 川34矢護

/

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分教 1月29日。(明 16.2cm 二学年と第三学 室 治叩年) 3月 年の授業草案 14日 矢護案教 なし 7月17日 24.6cmx 竪帳 19丁 矢護川分教室第 〇裏表紙なし 川35 16.0cm 二学年と第三学 室 年の授業草案 矢護 度校校議昭和】録職十育

1

小員一年會學学年 なし 昭和11年度 26.0cmx 竪帳 1冊 会議録並びに地 〇表紙に「飯田氏」あり 川36 17.6cm (ガリ阪 図・校舎見取り 〇裏表紙見返しに「昭和九年 刷と手書 図等 度教授週豫定案尋常科一年」 書頻の雑 とあり 量 ) 〇内容の一部は「菊池那護川 東尋常高等学小校青年学校農 業科経営案」 矢護

i

なし 明治26年3月 26.7cmx 竪帳 19丁 合志那杉水尋常 /1137 (明治25年4 19.7cm 小学校試験成績 月月・)明治26年3 表 矢護 時績【月】表次試験定成 なし 明治26年度 27.0cmx 竪帳 仮綴 合志那杉水尋常 Jll38 2 舷27臼年319.8cm 30丁 小学校試験成績 月) 矢護 試験成績表 なし 明治27年度 27.0crnx 竪帳 仮綴 合志那(杉水)尋 川39 202cm 32丁 常績小表学校試験成 矢護 なし なし 不明 262cmx 竪帳 仮綴 尋常小学校試験 川40 19.6cm 31丁 成績表 矢護請 羹 限 末なし 明治25年(明 24.4cmX 竪帳 4丁 合志那(杉水)尋 〇「杉常校」朱印あり 川41 治26年3月22 16.6cm 常小学校第四学 日) 年の成績表 矢護 修業年限成 なし 不明 24.4cmx 竪帳 仮綴 合志郡尋常小学 /1142 績 表 護 川 16.8cm 26丁 校護

I

l

l

分教室 分教室 (第一学年)の成 績表 矢護 定期試験表 なし 明治27年度 25.0crnx 竪帳 仮綴5(合志那尋常小 川43 壱年生 16.6cm 丁 学校第一学年) の成績表 矢護 試第壱験表回臨時 なし 明治29年度 25.4crnx 竪帳 仮綴4(尋常小学校)第 044-1から 44-5まで合綴

J

I

I

17.0cm (5冊 丁 一学年から第四 44-1 合綴) 学年の成績表 矢護 第二回臨時 なし 明治29年度 25.4cmx 4T (尋常小学校)第

/

I

I

試験表 17.0cm 一学年から第四 44-2 学年の成績表 矢護 第三回臨時 なし 明治29年度 25.4cmx 4丁 (尋常小学校)第

/

I

I

試験表 17.0cm 一学年から第四 44-3 学年の成績表 矢護 第四回臨時 なし 明治29年度 25.4cmx 8丁 (尋常小学校)第 05-8丁は44-5からの続きか

I

l

l

試験表 17.0cm 一学年から第表四 444 学年の成績 7 5

(10)

-矢護 学年末試験 (山邊 明治29年度 25.4cmx 2丁 (尋常小学校)第 0受持教員山邊武雄の記載あ

J

I

I

表 武雄) 17.0cm 一学年の成績表り 44-5 矢護 試験成蹟表 なし 明治31年3月 24.5cmx 竪 帳 仮綴5(尋常小学校)第 045-1から 45-5まで合綴

J

I

I

16.2cm (5冊 丁 一学年から第三 45-1 合綴) 学年の成績表 矢護

品譴:

なし 明治30年度 24.5cmx 4丁 (尋常小学校)第

J

I

I

16.0cm 一学年から第三 45-2 学年の成績表 矢護 第 一 期 『 なし 明治30年度 24.4cm x 4丁 (尋常小学校)第

I

l

l

試 験 成 表 15.8cm 一学年から第三 45-3 学年の成績表 矢護 第二期仇時 なし 明治30年度 24.3cmx 4丁 (尋常小学校)第

J

I

I

試 験 成 表 15.9cm 一学年から第三 45-4 学年の成績表 矢護 第 四 期 『 なし 明治30年度 24.6cmX 5T (尋常小学校)第

J

I

I

試 験 成 表 16.0cm 一学年から第三 45-5 学年の成績表 矢護 なし なし 不明 24.4-cmX 竪帳 仮綴 (尋常小学校)第 〇綴込3丁あり 川46 16.8cm 10丁 一学年から第四 学年までの暗 算・作文・習字・ 読書・書取科の 臨時試験問題 矢護 なし なし 不明 24.0cmx 竪帳 仮綴 (尋常小学校)第 〇対象学年不明の問題あり 川47 16.2cm 18丁 一学年から第三 学年までの暗 算・算術・作文・ 習字・読書・書 取科などの臨時 試験問題

(11)

小七郎は飯田競の息男である可能性が高い。

ることが分かる。また、社会的位置や年齢的なことを考えると、

( 5

)

前掲﹃大津町史﹂﹁付四﹂では、矢護川小学校は明治四

0

年に成立

(

6

)

表の作成にあたっては、できるだけ底本の表記を反映させたが、

現在通用しない異体字についてはこれを改めた。また、割注と

米香典控︵飯田

5 1 )

から、小七郎は飯田家系である尚の父親であ

なお、史料中にその名が見える学務委員飯田小七郎は︵矢護川

4 、

1 0 )

、後に護川村村長︵在任、一八九八ー一九

0

人物であるが、明治四三年︵一九一

0

)

四月二三日に成された仏

家の所有に至ったのかについては不明である。

(

1

)

0

( 2

)

各人の所属は調査当時のものである。

( 3

)

J (

( 4

)

ただし、明治二五年頃に勤めだしたと思われる矢護川分教室専

任教員山邊武雄などが作成した史料が、どのような経緯で飯田

表 1 「矢護川小学校文書」目録 ( 6 ) 番号 表題 (所有)作成 年次 ( 縦 法量 x横 ) 形態 紙数 内容 備 考 矢 護 出 勤 簿 杉 なし 明治27年4 月• 24.0cmx  竪帳 仮綴5矢護川分教室山 / 1 1 1   水尋常小学 明治28 年3 月 1 6

参照

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