【現代
4 世界恐慌とファシズムの台頭】
1.世界恐慌 2.米英仏の恐慌への対応 3.ファシズムの台頭 1.世界恐慌 恐慌の背景 A) WW1 後,アメリカで,また,ヨーロッパではアメリカの援助で産業が回復→生産力 UP B) しかし,次の現象が生じる 関税障壁,賠償,戦債支払いが国際貿易の流れを妨げたこと 後進国の工業発展により貿易はふるわなくなり,生産過剰 合衆国に集中した資金が土地の株式への投機に使われたこと 世界的な農業不況。農民や労働者の購買力は伸びない(アメリカ…工業生産力に対して,農 産物価格は下落) 恐慌の発生 C) ニューヨーク株式取引所(ウォール街)で株価大暴落 (1929.10 月) 恐慌は全産業に広がり,失業者増大・倒産激増 1932-33 失業者数 1200 万人 全労働力人口の 1/4→さらに全世界へ 国民の生活水準が大きく低下 ・米大統領フーヴァー:フーバー・モラトリアムを宣言(1931) ドイツの賠償,英仏の対米債務支払いを一年間停止する。だが効果なし D) 世界恐慌へと拡大 ・当時の合衆国=世界経済・金融の中心→ヨーロッパからの米国資本引きあげにより, 恐慌はヨーロッパにも波及→世界恐慌に発展(破壊的規模・期間の長さ) ・恐慌下の資本主義諸国…国内対策に追われ,国際問題を後まわし→国際協調の気運 減退 1932~ジュネーヴ軍縮会議は成果なく閉会。国際連盟の活動も低迷 ・ドイツ・日本…軍備拡大,自国の要求を押しとおす国が出現。今一度「ファシズム」 が注目されるようになる。 2.米英仏の恐慌への対応 アメリカ ・共和党 フーヴァー大統領…あくまでも直接的な経済介入をさける方針をとる。 32 年 復興金融公社を設立するなどしたが,より全面的な政策ではなかった。国家権 力の肥大化 をさけるものだった。 ニューディー ル政策 ・民主党 フランクリン・ルーズヴェルト大統領(1933~) ニューディール(経済復興政策)(1932)…国家による産業統制→自由放任主義経済から 脱し,政府が強い権限をもって経済に介入,社会対立の拡大阻止を図る。 A) 生活が困難な人々,とくに都市労働者の救済 ・全国産業復興法(NIRA)…政府と企業の協力 工業生産の促進と労働者の賃金引き上げを図る。団結権・団体交渉権が認められた。 さまざまの連邦機関が設立され,直接的な救済給付,各州への資金交付,雇用提供 などが実施された。 ・労働者よりの税制 資本家よりの姿勢との批判に,所得税の累進率,相続税の大幅引き上げ ・ワグナー法法(1935) 労働組合が法的に承認されて…労働者の団結権,団体交渉権を認め,法的・社会 的地位を明確化 → (産業別組織組合(CIO)が結成されるB) 経済のたてなおし,軌道にのせること ・連邦政府の通貨・金融・財政面での機能拡大 銀行債権,金本位制の停止(ドル経済圏を守るため),証券取引委員会の設置 ・NIRA にもとづく,公正な企業競争 ・農業調整法 (AAA)…農業生産の制限と過剰農産物の買い上げ。実行農民には補償を与 える…農民の生活向上をめざす。 ・テネシー河域開発公社(TVA)設立…これに代表されるさまざまな公共事業により失業 対策とした。 ※経済界の混乱は次第に収束していったが,完全雇用を含む経済復活は第二次世界大戦 での軍事化の過程を待たねばならなかった。 ・対外政策 西ヨーロッパ諸国を支持しつつも,ソ連を承認(1933)…中立政策。 ラテンアメリカに対してはカリブ海政策(高圧的政策)を改め,新大陸全体の共同の福祉 をはかる善隣外交政策に転換。キューバの完全独立承認 イギリスのブ ロック経済 A) マクドナルドⅡ労働党内閣成立(1929) 失業保険の削減など国費の節約を図る→労働党は反対し,党首マクドナルドを除名→ 倒閣 B) マクドナルドⅢ挙国一致内閣(1931) 金本位制の停止,国費節約断行。 オタワ英連邦会議(1932) ブロック経済政策を決定…各自治領間の関税を低くし,他国 に対しては高関税をかける(スターリング・ブロック) C) 国際情勢の悪化にともない,保守党内閣へ(1935~)…ナチス=ドイツとの対決をさ け,宥和政策を展開 ボールドウィン内閣(1935),ネヴィル・チェンバレン内閣(1937) フランスのフ ランブロック ・左右両勢力の対立が激しく,政情不安 ↓恐慌の影響が顕在化に対し, ・右派の連立内閣 1932 年,恐慌の影響あらわれる→当時の右派内閣 植民地経済会議(1934)…フラン経済ブロックで経済の立て直しを図る ↓ドイツにナチス政権が成立(1933) ・危機感を持った中道・左翼勢力が結集 左派内閣成立。仏ソ相互援助条約(1935)…ナチスへの対抗。 ブルム人民戦線内閣内閣成立(1936)…反ファシズム唱える。コミンテルンの指導によ り,社会党と急進社会党に共産党が協力し連合(スペインでも)。しかし,小党分立は続き, 政局は不安定。 3.ファシズムの台頭 全体主義 ・ 国粋主義,社会政策を強調して,議会主義・民主主義を否定し,人権を軽視し,国益優 先をはかる極端な国家主義。 ・ 第1 次世界大戦後,後進的な資本主義国の一部で見られた政治体制 ・ 政党の一党独裁によるファシスト・イタリアとナチス・ドイツが典型 ・ 軍部の政権収奪による上からの全体主義とみられる日本 イタリアの ファシズム A) 領土関係 フィウメ併合(1924),アルバニアの保護国化(1926) 恐慌の波及(1931)⇒経済悪化により対外侵略へ エチオピア侵略(1935~36)…国際連盟が経済制裁を決議するが,効果なし→国際連盟の 威信は大きく傷つく。この間,ドイツに接近→ベルリン=ローマ枢軸=同盟関係成立(1936) B) 国際連盟脱退(1937)
ナチス・ドイ ツ ・世界恐慌,ドイツ深刻な影響→国民生活の破壊→ナチスと共産党が急速に台頭 A) ナチ党(国家 or 国民 社会主義ドイツ労働者党)創設(1920)…ナチスという呼称はナチ 関連組織や党員をさす 綱領:ドイツ民族の優秀性,ユダヤ人排斥,ヴェルサイユ条約の破棄,植民地の再分配。 また,一見社会主義的な政策で国民生活の安定を約束するとかかげる。 アドルフ・ヒトラーも加入 ↓過激な言動のため,人々の支持は受けられなかった。 ミュンヘン一揆(1923) 失敗 ↓世界恐慌が波及すると,左右勢力が増大 ナチスへの支持が拡大…生活不安に悩む中産階級,資本家,軍部が支持 ↓勢力拡大 大衆宣伝も奏功 B) ナチス 第一党へ(1932)…ドイツ第三帝国 ヒトラーが 首相に任命される(1933.1) 全権委任法成立…4 年間政府に独裁権を付与(国会の立法権を政府に移した) 国会議事堂放火事件を利用し,共産党を弾圧,社会民主党などを解体⇒一党独裁へ ↓大統領の死去 総統(最高主権者)に就任(1934) 民主主義を否定し,大規模な土木工事や,軍需工業を興して,失業者を救った。 言論・出版の自由を無視し,労働組合を禁止。教育を国家の支配化に。 秘密警察(ゲシュタポ),SS(親衛隊),SA(突撃隊)による厳重な統制。 ユダヤ人迫害 ⇒多くの社会主義者・民主主義者・ユダヤ人など,国外に亡命 C) 国力をたくわえ,ヴェルサイユ体制の破壊に乗り出す。 ・国際連盟脱退(1933 秋) 軍備平等を主張したが認められず。 ・ザール地方編入(1935) ヴェルサイユ条約の規定による人民投票 ・再軍備宣言 徴兵制復活→英仏伊は対抗する 英独海軍協定(イギリスの 35%の海軍力保有)でイギリスは追認するが,ドイツのイタ リア接近で崩壊 ・仏ソ相互援助条約調印を理由に,ロカルノ条約を破棄し,ラインラント進駐(1936) ス ペ イ ン 内 戦 A) スペイン革命(1931)…王政から共和政へ ⇒ しかし 政情不安定 ファシズムの台頭に対抗して,コミンテルンが人民戦線の結成を提唱 人民戦線内閣 (1936)アサーニャ大統領 ↓右派が フランコ将軍のもとに結集して反乱 B) スペイン内戦の始まり 人民戦線政府…ソ連,欧米の自由主義,社会主義者の義勇軍が支援 フランコ軍:ドイツ,イタリアが支援 ⇒ ベルリン・ローマ枢軸成立 英仏は不干渉 ↓ ゲルニカ爆撃(1936)…ドイツ空軍が新型爆弾の実験として空爆した。ピカソはこれを猛烈 に批判し,名作『ゲルニカ』を描く。 ・フランコ軍 首都マドリードを手中に(1939)→勝利。以後 75 年まで フランコ政権
日 本 の 中 国 侵攻 A) 恐慌の波及…WW1 直後に恐慌,さらに世界恐慌も波及し経済混乱→社会不安拡大 政党は政権争いを継続,国民の信頼喪失 B) 軍部台頭,大陸侵攻を画策 関東軍,柳条湖で鉄道爆破事件(1931)→中国東北地方の大半占領=満州事変 ↓満州国建国(1932)…清朝最後の皇帝溥儀を擁立 リットン調査団報告にもとづき,国際連盟は日本軍の行動を非難 日本は国際連盟脱退(1933) C) 中国の抵抗 ・国共の対立 国民政府:1928~30 関税自主権回復に力を得て,日本への抵抗より共産党との戦いを優 先 共産党 共産党勢力の中心地,瑞金陥落(1934)→長征を実行し,延安方面に移動 ・英米の援助により通貨統一(1935) ・八・一宣言(1935.8)…中国共産党による内戦停止,民族統一戦線の結成のよびかけ →共鳴した張学良は蒋介石をとらえ,抗日,内戦の停止を訴える(西安事件)→蒋介石はこ れをうけ入れて釈放すると,国共が再接近する。 ・盧溝橋事件(1937.7)→日中戦争開始 とともに第2次国共合作 日本軍,華北の要地と南京占領→南京虐殺事件→日本軍の攻勢続くが,点と線のみの支配 中国…米・英・ソの援助→政府を重慶に移し,抵抗継続(重慶政府) 日本…東亜新秩序の建設を提唱→南京に親日政権(汪兆銘)が立つが中国民衆の支持えられ ず,戦争長期化。 日 独 伊 の 接 近 ・コミンテルンの人民戦線結成の提唱に対抗(1935)⇒ベルリン・ローマ枢軸成立(1936) フ ランコを支援したことで接近 ドイツ:ラインラント進駐 イタリア:エチオピア侵略 相互に承認 ・日独防共協定(1936)→イタリアの参加で 日独伊三国防共協定(1937) 同年,イタリアも国際連盟脱退→三国の結束さらに強化 →三国枢軸の結成 ヴェルサイユ・ワシントン体制への挑戦 ソ連 ・計画経済により社会主義の基礎固める…恐慌の影響少ない。 ・スターリン体制…粛清と個人崇拝強化 第二次五ヵ年計画(1933~) 国民生活の向上に配慮 スターリン憲法(1936) 形だけの自由,平等 対外的には国際社会への参加進める ★
【現代④ 世界恐慌とファシズムの台頭】
1.世界恐慌 2.米英仏の恐慌への対応 3.ファシズムの台頭 1.世界恐慌 恐慌の背景 A) WW1 後,アメリカで,また,ヨーロッパではアメリカの援助で産業が回復→生産力 UP B) しかし,次の現象が生じる 関税障壁,賠償,戦債支払いが国際貿易の流れを妨げたこと 後進国の工業発展により貿易はふるわなくなり,生産過剰 合衆国に集中した資金が土地の株式への投機に使われたこと 世界的な農業不況。農民や労働者の購買力は伸びない(アメリカ…工業生産力に対して,農 産物価格は下落) 恐慌の発生 C) [ ]株式取引所(ウォール街)で株価[ ] (1929.10 月) 恐慌は全産業に広がり,失業者増大・倒産激増 1932-33 失業者数 1200 万人 全労働力人口の 1/4→さらに全世界へ 国民の生活水準が大きく低下 ・米大統領フーヴァー:[ ] を宣言(1931) ドイツの賠償,英仏の対米債務支払いを一年間停止する。だが効果なし D) [ ]へと拡大 ・当時の合衆国=世界経済・金融の中心→ヨーロッパからの米国資本引きあげにより, 恐慌はヨーロッパにも波及→世界恐慌に発展(破壊的規模・期間の長さ) ・恐慌下の資本主義諸国…国内対策に追われ,国際問題を後まわし→国際協調の気運 減退 1932~ジュネーヴ軍縮会議は成果なく閉会。国際連盟の活動も低迷 ・ドイツ・日本…軍備拡大,自国の要求を押しとおす国が出現。今一度「ファシズム」 が注目されるようになる。 2.米英仏の恐慌への対応 アメリカ ・共和党 フーヴァー大統領…あくまでも直接的な経済介入をさける方針をとる。 32 年 復興金融公社を設立するなどしたが,より全面的な政策ではなかった。国家権 力の肥大化 をさけるものだった。 ニューディー ル政策 ・民主党 [ ] 大統領(1933~) ニューディール(経済復興政策)(1932)…国家による産業統制→自由放任主義経済から 脱し,政府が強い権限をもって経済に介入,社会対立の拡大阻止を図る。 A) 生活が困難な人々,とくに都市労働者の救済 ・全国産業復興法([ ])…政府と企業の協力 工業生産の促進と労働者の賃金引き上げを図る。団結権・団体交渉権が認められた。 さまざまの連邦機関が設立され,直接的な救済給付,各州への資金交付,雇用提供 などが実施された。 ・労働者よりの税制 資本家よりの姿勢との批判に,所得税の累進率,相続税の大幅引き上げ ・[ ]法(1935) 労働組合が法的に承認されて…労働者の団結権,団体交渉権を認め,法的・社会 的地位を明確化 → (産業別組織組合([ ])が結成されるB) 経済のたてなおし,軌道にのせること ・連邦政府の通貨・金融・財政面での機能拡大 銀行債権,金本位制の停止(ドル経済圏を守るため),証券取引委員会の設置 ・NIRA にもとづく,公正な企業競争 ・[ ] (AAA)…農業生産の制限と過剰農産物の買い上げ。実行農民に は補償を与える…農民の生活向上をめざす。 ・テネシー河域開発公社(TVA)設立…これに代表されるさまざまな[ ]に より失業対策とした。 ※経済界の混乱は次第に収束していったが,完全雇用を含む経済復活は第二次世界大戦 での軍事化の過程を待たねばならなかった。 ・対外政策 西ヨーロッパ諸国を支持しつつも,ソ連を承認(1933)…中立政策。 ラテンアメリカに対してはカリブ海政策(高圧的政策)を改め,新大陸全体の共同の福祉 をはかる[ ]政策に転換。キューバの完全独立承認 イギリスのブ ロック経済 A) マクドナルドⅡ労働党内閣成立(1929) 失業保険の削減など国費の節約を図る→労働党は反対し,党首マクドナルドを除名→ 倒閣 B) マクドナルドⅢ挙国一致内閣(1931) 金本位制の停止,国費節約断行。 オタワ英連邦会議(1932) ブロック経済政策を決定…各自治領間の関税を低くし,他国 に対しては高関税をかける(スターリング・ブロック) C) 国際情勢の悪化にともない,保守党内閣へ(1935~)…ナチス=ドイツとの対決をさ け,宥和政策を展開 ボールドウィン内閣(1935),[ ]内閣(1937) フランスのフ ランブロック ・左右両勢力の対立が激しく,政情不安 ↓恐慌の影響が顕在化に対し, ・右派の連立内閣 1932 年,恐慌の影響あらわれる→当時の右派内閣 植民地経済会議(1934)…[ ]経済ブロックで経済の立て直しを図る ↓ドイツにナチス政権が成立(1933) ・危機感を持った中道・左翼勢力が結集 左派内閣成立。仏ソ相互援助条約(1935)…ナチスへの対抗。 ブルム[ ]内閣成立(1936)…反ファシズム唱える。コミンテルンの指 導により,社会党と急進社会党に共産党が協力し連合(スペインでも)。しかし,小党分立 は続き,政局は不安定。 3.ファシズムの台頭 全体主義 ・ 国粋主義,社会政策を強調して,議会主義・民主主義を否定し,人権を軽視し,国益優 先をはかる極端な[ ]。 ・ 第1 次世界大戦後,後進的な資本主義国の一部で見られた政治体制 ・ 政党の一党独裁によるファシスト・イタリアとナチス・ドイツが典型 ・ 軍部の政権収奪による上からの全体主義とみられる日本 イタリアの ファシズム A) 領土関係 フィウメ併合(1924),[ ]の保護国化(1926) 恐慌の波及(1931)⇒経済悪化により対外侵略へ エチオピア侵略(1935~36)…国際連盟が経済制裁を決議するが,効果なし→国際連盟の 威信は大きく傷つく。この間,ドイツに接近→[ ]枢軸=同盟関係成立 (1936) B) 国際連盟脱退(1937)
ナチス・ドイ ツ ・世界恐慌,ドイツ深刻な影響→国民生活の破壊→ナチスと共産党が急速に台頭 A) [ ]党(国家 or 国民 社会主義ドイツ労働者党)創設(1920)…ナチスという呼 称はナチ関連組織や党員をさす 綱領:ドイツ民族の優秀性,ユダヤ人排斥,ヴェルサイユ条約の破棄,植民地の再分配。 また,一見社会主義的な政策で国民生活の安定を約束するとかかげる。 アドルフ[ ]も加入 ↓過激な言動のため,人々の支持は受けられなかった。 [ ]一揆(1923) 失敗 ↓世界恐慌が波及すると,左右勢力が増大 ナチスへの支持が拡大…生活不安に悩む中産階級,資本家,軍部が支持 ↓勢力拡大 大衆宣伝も奏功 B) ナチス 第一党へ(1932)…ドイツ第三帝国 ヒトラーが [ ]に任命される(1933.1) 全権委任法成立…4 年間政府に独裁権を付与(国会の立法権を政府に移した) 国会議事堂放火事件を利用し,[ ]党を弾圧,社会民主党などを解体⇒一党独裁へ ↓大統領の死去 [ ] (最高主権者)に就任(1934) 民主主義を否定し,大規模な土木工事や,軍需工業を興して,失業者を救った。 言論・出版の自由を無視し,労働組合を禁止。教育を国家の支配化に。 秘密警察(ゲシュタポ),SS(親衛隊),SA(突撃隊)による厳重な統制。 ユダヤ人迫害 ⇒多くの社会主義者・民主主義者・ユダヤ人など,国外に亡命 C) 国力をたくわえ,[ ]体制の破壊に乗り出す。 ・国際連盟脱退(1933 秋) 軍備平等を主張したが認められず。 ・ザール地方編入(1935) ヴェルサイユ条約の規定による人民投票 ・[ ]宣言 徴兵制復活→英仏伊は対抗する 英独海軍協定(イギリスの 35%の海軍力保有)でイギリスは追認するが,ドイツのイタ リア接近で崩壊 ・仏ソ相互援助条約調印を理由に,ロカルノ条約を破棄し,[ ]進駐(1936) ス ペ イ ン 内 戦 A) スペイン革命(1931)…王政から共和政へ ⇒ しかし 政情不安定 ファシズムの台頭に対抗して,コミンテルンが[ ]の結成を提唱 人民戦線内閣 (1936)アサーニャ大統領 ↓右派が [ ]将軍のもとに結集して反乱 B) スペイン内戦の始まり 人民戦線政府…[ ],欧米の自由主義,社会主義者の義勇軍が支援 フランコ軍:[ ],イタリアが支援 ⇒ ベルリン・ローマ枢軸成立 英仏は不干渉 ↓ [ ]爆撃(1936)…ドイツ空軍が新型爆弾の実験として空爆した。ピカソは これを猛烈に批判し,名作『ゲルニカ』を描く。 ・フランコ軍 首都マドリードを手中に(1939)→勝利。以後 75 年まで フランコ政権
日 本 の 中 国 侵攻 A) 恐慌の波及…WW1 直後に恐慌,さらに世界恐慌も波及し経済混乱→社会不安拡大 政党は政権争いを継続,国民の信頼喪失 B) 軍部台頭,大陸侵攻を画策 関東軍,柳条湖で鉄道爆破事件(1931)→中国東北地方の大半占領=満州事変 ↓[ ]建国(1932)…清朝最後の皇帝溥儀を擁立 リットン調査団報告にもとづき,国際連盟は日本軍の行動を非難 日本は[ ]脱退(1933) C) 中国の抵抗 ・国共の対立 国民政府:1928~30 関税自主権回復に力を得て,日本への抵抗より共産党との戦いを優 先 共産党 共産党勢力の中心地,瑞金陥落(1934)→[ ]を実行し,延安方面に移動 ・英米の援助により通貨統一(1935) ・八・一宣言(1935.8)…中国共産党による内戦停止,民族統一戦線の結成のよびかけ →共鳴した張学良は蒋介石をとらえ,抗日,内戦の停止を訴える([ ]事件)→ 蒋介石はこれをうけ入れて釈放すると,国共が再接近する。 ・盧溝橋事件(1937.7)→日中戦争開始 とともに第2次[ ] 日本軍,華北の要地と南京占領→南京虐殺事件→日本軍の攻勢続くが,点と線のみの支配 中国…米・英・ソの援助→政府を重慶に移し,抵抗継続(重慶政府) 日本…東亜新秩序の建設を提唱→南京に親日政権(汪兆銘)が立つが中国民衆の支持えられ ず,戦争長期化。 日 独 伊 の 接 近 ・コミンテルンの人民戦線結成の提唱に対抗(1935)⇒[ ]枢軸成立(1936) フランコを支援したことで接近 ドイツ:ラインラント進駐 イタリア:エチオピア侵略 相互に承認 ・日独防共協定(1936)→イタリアの参加で 日独伊三国防共協定(1937) 同年,イタリアも国際連盟脱退→三国の結束さらに強化 →三国枢軸の結成 ヴェルサイユ・ワシントン体制への挑戦 ソ連 ・計画経済により社会主義の基礎固める…恐慌の影響少ない。 ・スターリン体制…粛清と個人崇拝強化 第二次五ヵ年計画(1933~) 国民生活の向上に配慮 スターリン憲法(1936) 形だけの自由,平等 対外的には国際社会への参加進める ★