症例1
60歳代、女性。身長150cm、体重42kg。近医にて高 血圧症、脂質異常症、左下肢に深部静脈血栓症(DVT)で 加療中です。数カ月ほど前に右下肢に痛みが出現、初回 のABIは右が0.95、左が0.84でした。1週間後に疼痛が 増悪し、足趾のチアノーゼが認められたため、当院に紹 介されました。 本例は、ABIが進行性に低下しています。初回は右が 0.95、左が0.84でしたが、1週後には右が0.62、左に至っ ては脈信号が小さく検出できないところまで下がりまし た(図1)。 ABIが進行性に低下した原因はどこにあり、どのよう な検査を施行しますでしょうか。 質疑応答 【吉川公彦(座長)】DVTの経過観察中に急激にABIが低下 している症例です。DVTの経過についてはどうだった のでしょうか。 【市橋】DVTは何カ月前からあり、近医の血管外科にて抗 凝固療法で様子をみられていました。今回、下肢が変 色し、ABIが急激に下がってきたため、紹介となりました。 【フロアー】下肢の静脈瘤の既往はあったのでしょうか。 【市橋】ありませんでした。 【フロアー】家族歴はあったのでしょうか。 【市橋】こちらもありません。 【フロアー】この波形を見ると、上腕の脈波の立ち上がり がとても早い。大動脈が詰まるなど行き先がないとき にこのような波形になることがあります。 【吉川】上腕の脈の状態から、大動脈、あるいは両側の下 肢の動脈の閉塞が考えられるということでしょうか。 【市橋】来院時のデータは、白血球109×102/μL、血小板 45.6×104/μL、プロトロンビン時間(PT)20.7秒、活性 化部分トロンボプラスチン時間(APTT)36.3秒、血中フィ ブリノゲン濃度(Fbg)62 .4 mg/dL、FDP65 .2μg/mL、 CTでは右側の浅大腿動脈に閉塞があり、左側の浅大 腿動脈には狭窄が少し認められました。また、肝臓に 多発性の肝腫瘍が認められました。画像からは悪性が きわめて高いことからバイオプシーを行ったところ、 原発性の胆管細胞がんと診断されました。 回答としては、ABIの急激な低下は、悪性腫瘍に伴う 凝固異常ということになります。腫瘍がかなり大きく なると組織因子やプロテアーゼなどが分泌され、凝固 亢進が起こります。播種性血管内凝固症候群(DIC)に よって動脈血栓、静脈血栓が同時に起こったというこ とが、本症例のキーとなります。 市橋成夫(奈良県立医科大学放射線医学教室・IVRセンター)ABI、PWV測定により血管機能を評価した症例の検討
第17回 臨床血圧脈波研究会 症例検討会①
図1 ● 症例1−初診から1週後の計測値が詰まっていました。 【吉川】悪性腫瘍がベースにある場合は、症例のように急 激に凝固系が異常になり、血栓が形成されるというこ とですね。 【市橋】そうです。それから、先ほどフロアーから脈の立 ち上がりについての発言がありましたが、それについ て少し補足します。われわれもステントグラフト内挿 術を行っていますが、グラフトを圧着する際にバルー ンで大動脈弓部を膨らませると、上腕血圧がすごく上 がります。「行き場を失った血流が押し合ってシャープ な脈波になる」というのは鋭い指摘だと思いました。
症例2
60 歳代、女性。身長 150 cm、体重 59 kg。高血圧症、 脂質異常症、狭心症の既往歴があります。この患者さん は1986年より末梢動脈疾患(PAD)、バージャー病のため 当科にてフォロー中で、2015年よりABIが低下し、右下 肢の間欠性跛行が出現しました(図2)。 この症例に対し、次はどのような検査、治療を行いま すでしょうか。 質疑応答 【市橋】主訴は右下肢の間欠性跛行です。症例の脈波とABI をみると、右のABIが下がっているため、下肢動脈狭 窄がありそうです。波形もかなりなまっていて低い。 では、左はいかがでしょうか。 【フロアー】左のUTが225msecなので、病変がある可能 性は十分にあると思います。 【市橋】そうですね。ABIの値はボーダーラインですが、 UTがかなり延長しています。解説に入りますが、右の 浅大腿動脈は90%以上の狭窄があったため、ステント を留置し、バルーンで拡張したところ、良好な血流を 得ることができました。一方、左はCTではかなり強い 石灰化が膝下動脈より少し上のレベルに認められまし た。狭窄度は50%強ぐらいでしょうか。 ABIの低下だけみていると、こういう軽度狭窄例を見 落とす可能性が高いので、心血管イベントの予防とい う意味では、積極的にUTや% MAPの異常値から拾い 上げていく必要があると思い、この症例を提示させて いただきました。 【吉川】この症例では左のABIが0.92でしたが、無症状で あっても外来でフォローしていくことが大切ですね。 ABIの低下に伴って症状が出現すれば、治療適応になり ます。特にこうした波形分析は大事だと思います。 図2 ● 症例2−ABI低下時の計測値症例3
87歳、女性。身長143cm、体重41kg。近医にて高血圧、 糖尿病、発作性心房細動で加療中。脳梗塞の既往歴があ ります。喫煙、飲酒ともにありません。 3週間前に突然、背部痛が出現して、近医で胸腹部大動 脈解離と診断され、保存的加療となりました。その後も 背部痛が持続するため、当院への紹介となりました。 この症例では、baPWVが右4,477cm/秒、左5,526cm/秒 とかなり高値になっています(図1)。この原因についてど う考えますでしょうか。 質疑応答 【吉川公彦(座長)】確かにbaPWVが高値です。 【フロアー】これは再来院時のABIですか? 【伊東】そうです。胸腹部大動脈解離を起こしてから3週間 後の入院時のABI、PWVです。 【フロアー】一度保存的に加療された解離が再解離する。 症状的にはそれを疑いますが、baPWVが高値になるか は分かりません。 【フロアー】baPWV の精度にも限界もあるので、値が 2,500cm/秒を超え3,000cm/秒、4,000cm/秒になっ た場合は、もう一度測定を試みると違う数値になって いることもあります。 【伊東】再解離に関しては症状があるので、可能性はあっ たと思われます。 血液検査ではDダイマーと白血球が多少上がってい る以外の要素はなく、胸腹部造影CTでは、胸部下行-胸腹部移行部の大動脈壁に三日月状低吸収域が連続し ていましたが、3週間前のCTと比べて大動脈の拡大傾 向は認めませんでした。心電図では心房細動が、心エ コーでは左室肥大、僧帽弁閉鎖不全、三尖弁閉鎖不全 症が認められました。頸動脈ではプラークスコアが右 4.5mmと左5.4mmでした。 3 週 間 後 に 取 り 直 す と、baPWV は 2 ,475 cm/ 秒 と 2,112cm/秒でした。胸腹部大動脈解離を起こすと一時 的にbaPWVが上がるという報告もあるようですが、異 常高値が出た場合は、もう一度取り直すことが必要だ と考えています。 【フロアー】解離があると、壁が厚く伸展性がなくなる石 灰化と同じ状態になるため、波形の立ち上がりは早く なります。3週間後に戻っていたのは、血栓が吸収され て壁が薄くなっていたからではないでしょうか。再度 CTを撮っていたら確認できたかもしれません。症例4
68歳、男性。身長170cm、体重88kg。近医にて高血圧、 糖尿病(インスリン治療13年)、脂質異常症、高尿酸血症 で加療中です。前立腺がんでホルモン治療の既往があり ます。喫煙は1日40本を38年間、飲酒は缶ビール1本程 度を毎日。両足背動脈触知は良好でした。 今回、立ちくらみとふらつきを繰り返しているとのこ とで、当院を紹介されました。 この症例には、どのような検査を施行しますでしょうか。 質疑応答 【フロアー】下肢の脈波がよく、足背動脈も触れています けれど、baPWVはかなり高値です。血圧を考慮しても 高く、動脈硬化があると考えられます。ふらつきや立 ちくらみがあるので、脳血流のチェック、頸動脈のス クリーニングなどが必要だと思います。 【フロアー】下肢の脈波の立ち上がりはいいですが、高さ 伊東範尚(大阪大学大学院医学系研究科老年・総合内科学助教)ABI、PWV測定により血管機能を評価した症例の検討
第17回 臨床血圧脈波研究会 症例検討会②
図1 ● 症例3−再来院時の測定値位の血圧を測る必要があると思います。 【吉川】脳血流の障害が疑われるということで、MRや頸部 エコーはどうでしょうか。 【伊東】解説ですが、この症例もbaPWVが4,024cm/秒と 3,889cm/秒と高値です(図2)。心電図では第1度房室 ブロックがあり、頸動脈では両側の内頸動脈の高度狭 窄を認めました。とくに左内頸動脈の最狭窄部は全周 性の石灰化で、観察ができませんでした。頭部MRIは 脳室周囲に白質病変があったものの、新規の梗塞病変 は認めませんでした。 頭部MRAでは両側総頸動脈終末から内頸動脈起始部に かけて高度な狭窄があり、頸部エコーと同様の所見でした。 左内頸動脈サイフォン部と右中大脳動脈起始部にも狭窄を 認め、左頭蓋内内頸動脈領域の描出の低下を認めました。 入院した矢先、一過性脳虚血発作を発症したため、 緊急に頸動脈ステント留置術を施行しました。治療後 は左大脳半球の灌流低下は回復しましたが、右大脳半 球は分水嶺領域を中心に低灌流がありました。現在は 投薬治療にてフォローしています。 【吉川】年齢的には若いですが、糖尿病、高血圧などハイ リスクの人のbaPWV高値は、速やかに次の手立てを講 じないと、次々とイベントが起こる危険性があります。 注意をしなければいけない症例でした。
症例5
52歳、女性。身長158cm、体重64kgで少し肥満傾向 があります。 3年前から続く起床時の頭痛、全身倦怠感の訴えにて、 当院を紹介されました。前医からの紹介状では、高血圧、 脂質異常症、糖尿病などは認めないとのことです。喫煙、 飲酒ともにありません。両足背動脈の触知は良好でした。 原因として、どのような疾患を考えますでしょうか。 質疑応答 【伊東】baPWVは1,861cm/秒と1,787cm/秒で、年齢の 割にbaPWVは高値です(図3)。原因として、どのよう な疾患が考えられますでしょうか。 【吉川】主訴は頭痛と倦怠感で、PWVが高値。どうでしょ うか。 【フロアー】これだけで類推するのは難しい。脈波速度が 速いので、睡眠時無呼吸症候群(SAS)の合併を考えます。 ただ、起床時の頭痛とは合いません。 【フロアー】心機能はどうでしたか。 【伊東】心電図や心エコーでは大きな問題点はなく、頸動脈 エコーはプラークスコアが右1.9mm、左1.6mmでした。 実はこの症例はSASの患者さんで、ポリソムノグラフィを 施行したところ、睡眠時の酸素飽和度が90%台後半から 84%、80%ぐらいまで低下し、Arousal Index(微小覚醒) は79.7回/時でした。経鼻的持続陽圧呼吸療法(CPAP)を 行うと症状は改善し、頭痛も消失しました。現在フォロー していますが、baPWVは下がっていません。 一般的にSASの症状は日中の眠気といわれますが、 高齢者では頭痛や夜間の頻尿なども起こります。冨山 先生らの論文1)では、SASの有無がbaPWVの高値に関 連しているという報告されていますし、SASが重症に なるほどbaPWVは上がります。baPWVの高値の原因 として、乖離や全身の動脈硬化以外にも、SASの可能 性があるということで、提示いたしました。 【吉川】SASでbaPWVが高値を示すことがあることを、会場 の皆さんもしっかり頭に入れていただければと思います。1) Shiina K, et al. Concurrent presence of metabolic syndrome in
obstructive sleep apnea syndrome exacerbates the cardiovascular risk: a sleep clinic cohort study. Hypertension Res 2006; 29: 433-41. PMID: 16940706
文献
症例6-1
まずは、心雑音が認められた症例2例を紹介します。 75歳、男性。身長154cm、体重46kg。喫煙歴は1日 10本×50年です。 労作時の胸痛があったため、近医で心雑音と腎機能障 害を指摘され、来院しました。外来受診初日で心エコー は3日後に予約が入っています。この波形、ABI、PWV だけで分かることはありますでしょうか(図1)。 質疑応答 【鈴木洋通(座長)】会場から何か質問はございますか? 【フロアー】心雑音があるということは、大動脈弁狭窄症 か大動脈弁閉鎖不全症があると考えたほうがよいので しょうか。 【冨山】そうですね。 【フロアー】脈圧があまり高くないので、大動脈弁狭窄症 でしょう。 【冨山】その通りです。カラードプラで大動脈弁狭窄症を 認めた症例です。脈振幅が小さいことと、上腕圧脈波 が足首圧脈波と比べて立ち上がりの傾きがかなり寝て いるのが特徴です。 【鈴木】弁口面積はどれくらいですか? 【冨山】0.9cm2ぐらいです。心音計はよほど上手に測らな いと雑音を拾えないことがあるので、注意が必要です。症例6-2
続 い て の 心 雑 音 の 症 例 は、67 歳 の 男 性 で す。 身 長 178cm、体重75kg。喫煙歴はありません。人間ドックで 心雑音を指摘され、そこで測定されたPWV記録をその他 の結果と合わせて持参されました(図2)。 こちらの心雑音の原因疾患はどんなものが考えられま すでしょうか。 質疑応答 【フロアー】脈圧が結構大きいので、大動脈弁閉鎖不全で しょうか。 【冨山】その通りです。症例6-2は6-1の大動脈弁狭窄症と 冨山博史(東京医科大学循環器内科学教授)ABI、PWV測定により血管機能を評価した症例の検討
第17回 臨床血圧脈波研究会 症例検討会③
図1 ● 症例6-1−来院時の測定値 図2 ● 症例6-2−人間ドック時の測定値逆で、圧脈波の立ち上がりの傾きが立っていて振り幅 も大きくなっています。 【鈴木】フロアーから質問はありますか? 【フロアー】学生教育には非常に大事な症例だと感じまし た。学生には脈の感触をなかなか伝えられませんが、 症例6-2は下肢の脈波が急速に立ち上がっています。脈 圧も94と95なので、脈に大きく触れることができます。 また、ABIが右1.30、左1.37でしたが、本来はもっと 大きくてもおかしくありません。というのも、「Hill徴候」 といって、上肢に比べて下肢の脈圧が非常に高いから です。学生は速脈の知識はありますが、実際の脈に触れ る機会がほとんどありません。大動脈弁閉鎖不全の典型 例ということで、学生教育で経験させたい症例です。 【鈴木】貴重なコメントです。ありがとうございました。