Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 駒澤大學佛教學 部論集第
25
號平 成
6
年10
月 (63
) 在 外 研 究 報 告私
の
ア
メ
リ カ
留
学
見
聞
考
池
田
魯
参
は じめ に私
は, 平 成4 年
(1992)4
月1
日か ら平 成6
年 (1994)3
月31
日 ま で の2
年 間, 駒沢
大 学 在 外 研究員
と して , ア メ リカ合衆
国 ヴァ ー ジ ニ ア州
シ ャ ー ロ ッ ツ ヴ ィ ル市
に ある (charlottesville .V
.A
U
.S
.A
22903
)
ヴ ァ ージニ ア 大 学の宗
教 学 部(
Depertment
ofReligious
Studies
,University
of
Virginia
・UVA
と略称) に 留 学し, 仏 教 研 究に 従 事 した。
第
1
年 目の 研究
課題
は, 「U
.S
.A
に お ける東
ア ジア 仏 教の 研 究 動向
に つ い て の 実 態 調査
」 で あ り,第
2
年
目は, 「日本 中古天台
本 覚 法 門に関 す る共同 研 究 」 (共 同研 究 者Paul
S
.Groner
)で あっ た。UVA
に は , 日本 天 台の 研 究 者で あ り, 『最 澄』 ( “SAICHO
−The
Establish
−ment of
the
Japanese
Tendai
School
−”Berkeley
Buddhist
Studies
Series
1984
)の著
者 とし て 高名な ポ ール ・グ ロ ーナ ー教 授 (Paul
,S
.Groner
)が お られ る。 私が参 照し た い 研 究 図書は すべ て グ ロ ーナ ー氏の書 斎
に そ ろ っ て お り, 私は 体一つ 運べ ば すむ とい う願 っ て もない研
究 環境
に め ぐまれた の で あっ た。ま た , 私の 留 学 先の 選 定に当っ て , 私が敬 愛 する友人であ る ,
吉津
宜英 教 授の助
言を 頂い た の で あるが,吉津
氏 が7
年 前に (私の渡 米決 定の 時点で)は , 同よ う に駒沢 大 学 の 在 外 研 究 員 として1 年
間 ,UVA
で 研 究 され 1) て 以来
の気
の おけな い 仲 とい うこ とで , グ ロ ーナ ー氏がお られ るUVA
を熱心 に お勧め 頂い た御
縁に よ る とこ ろ も大 きい 。さ らに幸運 な こ とに , 学 部 教 授
会
で私の在 外研
究が承 認された , その 年の秋
, ち ょ う ど東京 大学
の末木文
美士 教 授がUVA
に4
ケ 月 問 留 学 し て お られ, 渡 米に あた っ て準 備 し なけれ ばな ら ない 種々 の こ とを助
言して 頂い た。末木
氏 の 紹介
で お近づ き頂い た都立大 学 法 学部
の 浅倉
むつ 子教
授か らは子供
の こ とや ら, 住 居の こ とな ど, 細 々 と した身の 回 りの御
心 配を頂い た の で ある。 私の 渡 米 時に 入れ 交 わ り御 帰国に な られ た 日本大 学 (山 形)工 学 部の 菅 又 信 教 授の御
家 族 が 住んで お ら 一376
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
64
)私の ア メ リカ留 学見聞考 (池田) れ た ア パ ー ト (
Ivy
Gerden
)の 一室
を そっ く り, 家 具や調度
品 の 一切を含め て 譲っ て頂 くとい うよ うな交渉 まで し て い た だ い た 。 折角
の こ の アパ ー トも, 下 の 階の 部 屋に い た子 持ち の 住 人 が深 夜 まで 騒が し く, 私た ち の睡 眠 さ え妨げ られ る ほ どで あ っ たの で , と うと う6
月まで の3
ケ 月 間を過 し た だけで 終 り , グ ロ ーナ ー氏
の お世話
で一軒
屋 を 借 り る こ とに し て , す ぐに 引 越 す こ とになっ て しまっ た の で ある。 顧みれば, 渡 米 早 々 ,右
も左 もわ か らぬ異 邦人 が, 落ち着
き先の 心 配 もせ ずに , 家 族と 一 緒に 安心 して 日本か らア メ リ カ に移
住する こ とが でき
た の は , 一 重に これ らの諸
先 生 方 の お蔭で あっ た と, し み じ み想 うこ とで ある。末木
氏に は ,2
年
目の11
月にAAR
の学 会
に出
席 する ため に渡 米 された折, お 会 い し , シ ャ ー ロ ッ ツ ヴ ィ ル に も立 ち寄
られた の で , 同行
された 山 形 大 学の松
尾 剛 次 氏 と, グ ロ ーナ ー氏 と一緒に私の 家に おい で頂い て, 夕食を共に しなが ら夜 更ま で 歓談
するこ とがで きた 。 忘れ得
ぬ 楽しい 夜の 一齣
となっ た。ま た, 浅 倉 氏には ,
渡
米した直
後か ら, 教授
が1
年 間の留学
を終
えて8
月に帰国
さ れ る ま で の5
ケ 月ほ どの 間, 家 族 全 員でそ れ こ そ筆
舌に尽 くせ ぬほ どお世 話 に なり, 種々御
心配を頂い た こ とで あっ た。 家族共々 , 心 か ら感 謝 申し上 げる次 第で ある。 浅 倉氏 の 物 静か な 立居 振舞i
い には 英 国仕
込み か と思わせ ら れ る とこ ろ が あっ たが, 氏は男女 雇 用 機 会 均 等 法に 関 するEll
究の 権 威で, 山川菊
江賞
も受賞
された気 鋭の 学 者で ある。 氏の 益々 の 御活 躍 を 心か ら期 待 して い る。 シ ャ ー ロ ッ ツヴ ィ ル界 隈私が
2
年 間 住 んだ シ ャ ー ロ ッ ツ ヴィ ル は,UVA
を中心 に し て 出来た 学 園都 市 で あ る。 街 全 体が し っ と り した落ち着 きがあ り, 普 通の 街の 喧 噪さか らは ほ ど遠 い 。大抵
の 市 民は大 学 になん らか の 関 係があ り , 学 生で なけれ ば, これ らの 人々 を対
象 とした , サ ー ビス機 関
に勤
め てい る人か, 商 売を し てい る 人た ちで ある。グ ロ ーナ ー氏の 話だ と , ア メ リカ 人が
退職
し た 後,余
生を送るた め に住ん で み た い 所 として選
ぶ い い 土 地 の なか に , 必 ずシ ャ ー 巨 ッ ツ ヴィ ル が数え 上げ
られる との こ とで あっ た。 その 理 由は, 緑が多 く静
か で人 情が い い こ と,大 学の 医 学部
が充実
して い て病 気に な っ た らす ぐい い 医者
に か か れ る こ と, 大学
で種
々 の 催 し物があっ て 教養
や知 的な刺 激が 満 た さ れ , た い くつ す るこ とがない こ とだ とい う。 この意
見に は私 も同 感で ある。上 り下 りの 坂 が多い 丘陵 地 の 地形を 生 か し て,
赤
レ ン ガ と白壁の 美し く調和
し 一375
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 私の ア メ リ カ留学見 聞 考 (池田) (
65
) た大 学の 建 造 物が街 全 体に配 置 され て い る よ うな感
が あ り, これ らの 建 築 群が濃
い木
立の 中に包 まれ てい る。 構 内の ,手入れ が い きと どい た 芝 生の 庭は 誰れ で も 入 れる よ うに なっ て お り,休
日 ともな れば子 供連 れの 市 民がの どか に 集い , 日が な 学園
の雰 囲気
を楽
し ん で い る光 景
は なん とも
い い 。 ドッグ ウツ ドヴァ ー ジ ニ ア 州 の 州花は花水木, 州
鳥
は カ ージ ナ ル であ り,車の ナ ン パ ー ・プ レ イ ト に まで 形 ど られ てい る。 私 が 住ん で い た家
の庭
の 周囲に も早春
に 花 水木
が咲
き乱れ, 朝 夕につ が い の カ ー ジナ ル が飛 来 して し き りに さえず
っ て い た。裏庭
の デ ッ キ に は毎
朝, 決まっ た よ うに 数 匹の リス が群 れ, 雪の 朝 も餌 をね だ りに 来 た し, 野 う さぎまで が 木立 ち の 下を徘 徊 し, そ の 問 に はけ た た ま しい声
を上 げる ブル ー ・ ジ ェ イズ外
の名
も知 れぬ め ず らし い 鳥た ち が群 れ 飛ん で い た。 また, 市 街地 か ら車で30
分も西 に 出る と, ア メ リ カ東 部を南 北に縦 断し て い る ア パ ラ チ ア ン 山系に 含ま れ る, シ ェ ナ ン ドー国立 公 園の 連山 があ り, 一度 山 中に 足を踏み 入 れ れぽ , 鹿の 群な どめ ず らし くな く,熊
の 姿まで が2
,30
メ ー トル ほ どの 至 近距離に 現わ れ るの で ある。 到 る処に キ ャ ン プ場や尾 根 歩 きを楽し め る よ うな遊
歩道
が整 備 され て お り, 私も隔 週 ぐらい の ペ ース で週 末に 家 族 と共に シ ェ ナ ソ ドー山中
を散策
し た 。 こ ん な世界 も
あっ た の か , と驚嘆す
る こ とぼか りの 別 天地 で ,私は ア メ リカ の 広大 な気宇
を存
分に 味わ うこ とが で ぎた の で ある。ま た, シ ャ ー ロ ッ ツ ヴ ィ ル の 名が
有
名なの は, ア メ リカ 第3
代の 大統 領
ト ーマ ス ・ ジ ェ フ ァ ー ソ ソ が 選ん だ 土 地とい うこ とで , こ こは い わ ばア メ リカ精 神
の故
郷の よ うな所で ある。街
か ら 西南に ち ょ っ と出る と ,郊外
に ジ ェ フ ァ ー ソ ソ大 統 領が息
をひ き とっ た 私邸が大 切に 保存
さ れ て い て , 丘 の 上 に あ る私 邸を含
む 丘陵
全 体を モ ン テ ィ チ ェ ロ と呼 んで , さ な が らア メ リカ 国 民の 聖 地 の よ う な 感 が あ り, 今 日で も遠 く各地 か ら大 型の 観光 バ ス を何 台 も連 ら ねて こ こ を訪ね る 人 々 は ひ き も きら ない ほ どである。 私の留学1
年 目の 秋, ビル ・ク リン トン 大統 領が 第42
代 ア メ リカ大統領
に就任
す る式 典
の祝 賀
パ レ ー ドに当
っ て , ア ー カ ン ソ ー州 知
事
を し てい た ロ ッ ク ・ ビル 市を発 っ て , シ ャ ー ロ ッ ツ ヴィ ル 市に 入 り, モ ソ テ ィ チ ェ ロ を就任
式に臨
む ため の 出発地点に 選ん だ こ とは 記憶
に 新しい と こ ろ で あ る。当
日の モ ン テ ィ チ ェ ロ の式
典 に は, 現地 の高
校に 通 っ て い た 私 の 末の 子 供 も抽
選に当
っ た とい うこ とで ,未
明か ら家
を 出て こ の式
典に参
列す
る栄に浴
し た こ とで あっ た。周 知の よ うに , トーマ ス ・ ジ ェ フ ァ ー ソ ン は , 「ア メ リ カ 独 立 宣 言 」 の 起 草 者 一
374
〜Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (66 ) 私の ア メ リ カ留学 見聞考 (池 田) で あ り, 「ア メ リ カ
民
主主義
の 父 」と して高
い 評価
が与
えられ ,第 16代
大統領
の ア ブ ラハ ム ・ リン カー ン に 次い で , ジ ョ ー ジ ・ワ シ ン トン初
代 大統
領と並ぶ国 民的
な 人気
の ある大統
領で ある。 ワ シ ン トンD
・C
の モ ール街
の 広大
な広 場 を隔
て て リン カ ー ン ・メ モ リ ア ム の リン カー ン座 像
は国会議事堂
に向 き合
うが , ジ ェ フ ァ ー ソ ン ・ メ モ リア ム の ジ ェ フ ァ ー ソ ン 立像
は , 大統領
が住む ホ ワ イ ト ・ ハ ウス と向 き合
っ て 建て られて お り, 私に は象徴的
な風 景に 思わ れた。こ の ジ ェ フ ァ ー ソ ン こ そ が
UVA
の創
設 者で あ り, 初 代の 理事
長で ある。 ジ ェ フ ァ ー ソ ン は大統
領職を辞
め て か ら, ア メ リ カ国 家の建
設の礎
は大 学 教 育に ある とい う信 念を秘め て , みず
か らUVA
の 学 園を設 計 (1819
年)し, そ の 高い 志を実 現 させ た (1825年)の であ
る。 大 学の 中心部 を なす ロ タ ン ダの 一群の建 物
は ジ ェ ブ ァ ー ソ ン みずか ら が設 型 し た が ,今
もそ の 当時の原 型を と どめ て い る。 今で も大 学 関 係 者は ジ ェ フ ァ ー ソ ン が建
て た 大 学で ある こ とを誉
りに し, ミ ス タ ー ・ ジ ェ フ ァ ー ソ ン と呼ん で , こ の高邁
な創 設
者を敬 愛 してい る。今年 (
1994
)の6
月中 旬
, 天皇皇
后両 陛 下が 訪 米 された ときも,15
日 (日本 時間 で は 16日) の1
日, モ ソ テ ィ チ ェ ロ を 訪 ね られ,UVA
で 大 学関係
者 との 昼食
会 に 臨まれ た こ と が報 じ られた。 ち ょ う ど6
月 上旬
2
週 間ほ ど 日本に来
られた グ ロ ーナ ー氏 も , 日本 仏 教の 研 究 者 とい う資
格で 当 日の 昼食
会に 出席 す るこ とに な っ た とい うこ とで , 日程 を くりあ げて 帰 国さ れ た。 グ P 一ナ ー氏は その こ とを , 大変
名誉
な こ とだ, と興奮気味
に話 して お られ た が, はた して ど うだ っ たで あろ う か 。8
月下旬
に は ア メ リ カ で 再会
で きるの で そんなこ ともお尋ね し て み た い と思 う。ま た, シ ャ ー ロ ッ ツ ヴィ ル か ら東 北 方に
2 時
間 も車
で 走 れば ワ シ ソ トンDC
に 行き着
ける し, 途 中に は シ ビル ・ ウ ォ ー (南 北 戦争)の 有 名なマ ナ サ ス の 古 戦揚跡
もあ
り,東
南 方に同 じ ぐらい 行 くと, ア メ リカ 最初 の コ ロ ニ ー が造 られ た ウa リ ア ム ズ ・パ ー ク に着
き, その 途 中1
時
間ほ どの とこ ろ に 州都
の リッ チ モ ン ド市が あっ て , 紹 介し た い こ とは山ほ どあるが 省 略す る。UVA
の学 園 生 活UVA
の 宗 教 学 部は , グ P 一ナ ー教 授の お 話だ と , 現 在 (1994
年3
月)24
名の 専任
教授
がい て , そ の内訳
は キ リス ト教
が12
名, 仏 教が4
名, ユ ダヤ教 が2
名, イ ス ラ ム教
が1
名, ヒ ン ドゥ ー教が1
名, ア フ リカ の宗
教 が1 名
, その他
に倫
理学 一373
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
私の ア メ リカ留学見 聞 考 (池田)
(
67
) が2
名,宗
教 と文学
が1 名
とい う構
成である とい うこ とで ある。 なか で も仏
教 の専任
Pt
4
名 もい る大 学は 全 米で も他に 例 がない そ うで, そ れ だ け ヴ ァ ージニ ア大 学に お ける仏 教 研 究の動 向は ア メ リカ の 宗 教 学会
で も注
目されて い る。仏 教
を研
究 して お られ る4
名の 方は , チ ベ ッ ト仏 教の ジ ェ フ リー ・ ホ プ キ ン ス教 授 (
P
.Jeffrey
Hopkins
,
ph
.D
.(University
ofWisconsin
),Professor
Indo
−Tibetan
Buddhist
Studies
lgg3
−1994
ヴ ァ ージ ニ ァ大学大 学 案 内に よ る。 以下 同
じ), 日本仏 教の ポ
ール ・ グ ロ ーナ ー教 授
(
Paul
S
.Groner
,
ph
.D
.(
Yale
Uni
−versity
)
,Associate
Professor
Japanese
andChinese
Buddhism
), イ ソ ド仏 教の カ レ ン ・ ラ ソ グ教 授 (Karen
C
.Lang
,
ph
.D
.(University
ofWa
− shington ),
Associate
Professor
History
ofReligions
:Buddhist
Studies
),チ ベ ッ ト
仏
教の デ ィ ヴ ィ ド ・ ジェ マ ー ノ 教 授 (
David
F
.Germano
,ph
.D
.(Uni
.versity of
Wisconsin
)Assistant
Professor
History
ofReligions
:Bud
.dhist
Studies
)
で ある 。 ホ プキ ン ス 氏は い つ も笑 味
をた や さず温
顔で 人を迎 え られ, そ れ こそ敬虔
なチ ベ ッ ト仏
教主義 老で, 政 府に も顔
がき
く大物
で あるた め に , 氏 の 研 究 室に は毎年 潤沢 な 予 算が計上 される との こ とで あっ た。 ホ プ キ ン ス 氏 の 力で , 南 ア ジア の 仏教研 究が 盛ん なばか りで な く,南
ア ジ ア研究所
で は毎
月 定 期 的に 各 地 の大
学か ら高
名な講 師を招い て 講 演 会や シ ン ポ ジ ウム を開 催す るな ど活動 も盛ん で あっ た。これに対 し て,
東
ア ジア の 仏教
研究
は グ ロ ーナ ー氏
た だ1
人 とい うこ と もある の か , 外 見的に は い ま 一つ とい う感 じがしない で もない の で あるが , む しろ その ほ うが グ ロ ーナ ー氏に は 好ま しい と感 じ られて い る風で あっ た。 本 当にい い もの は誰
れで も理解
でき
る よ うな もの で は な い とい うふ うに 達 観 し て お られる よ うな とこ ろが あ り, 氏 に とっ て そ うい うこ とは ど うで もい い こ となの か も知 れない。 グ P 一ナ 氏の 主催
で は ,1 年
目の4
月10
日に イエ ール 大 学の ワイ ン ス タ イ ン教 授
の 講 演会
が あり,2
年
目の4
刀16
日にイ リノ イ大学
の ピ ータ ー ・ グ レ ゴ リ ー教 授 の 講 演 会2) があっ た。 た だ講 義の 方は ど う して も中 国 ・日本に ま た がっ て広 範 な 問題を概観
す る よ うな一般
的な講義 内容
に な らざる を え ない よ うで, ア メ リカ の 歴史
とは 異 なる東 ア ジア の 仏 教 文 化一般 を 学 生たち に 理 解 し て も らお うとい う意
図が グ ロ ーナ ー教 授の 講 義で も明確に知 られた 。ア メ リカの 大 学 は, 秋 期 と
春
期の 半年毎 に単 位を認定
す る, い わ ゆ る セ メ ス タ ー (Semester
)と呼 ば れ る制度
を と っ て い て (ス タ ン フ ォ ー ド大などで は3
学 期 制 一372
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
68
) 私の ア メ リ カ留学 見 聞 考 (池田)Trimester
とい う), したが っ て各 講座
は 日を 変 えて週 に2
時 限 ずつ 割 り 当 て ら れ 半 年で終 る こ とに な る。 日本の 大学で は , 同 じ講義を1 年
間 通 して受講 し,学
期 末
試 験で 単 位を 認 定す る形 式であるが , ア メ リカ の 大 学の セ メ ス タ ー 制 だ と,半年 毎
に新
しい講義
に変
わるか ら, 短期
間の うちに 一 つ の 講 座を集中
的に学ぶ こ と がで きるわ けで ある。 日本で もこ の よ うなセ メ ス タ ー制を採 用 し て い る大 学 や 学 部 も2
,3
ある よ うで あるが , 回転が早 く講義
内容が更新
す るの で , 案 外,今
の 学 生たち の 性急
な学 習意
欲を満足 させ る こ とに な る好い 一面 もあるで あろ う。し た が っ て ,私は週
2
日 (火曜と木 曜)昼食
をは さん で2
講 座 相 当の , 東 ア ジ ア仏 教
関係
の グ P 一ナ ー氏の 講義
を聴
講 する こ とに し, ア メ リカ の 大 学 教 育で 行な われて い る仏 教 研 究 とい う もの が どの よ うな もの であるの か, その 実態
をつ ぶ さ に知 るこ とが で き たの で あ る。授
業風景
そ の もの は 日本の 大 学 と大 差は ない の で あるが , 一 番違
う点は , ア メ リ カの 学 生は よ く勉強
し,教 授
の話
を熱
心に 聴 くとい う点で あ る。 特 に, 講 義 中, 学生た ち が 一 こ と も私 語を しない の に は 驚か された 。2
年 目の グロ ーナ ー 氏 の秋期
の 学 部の 講 義は ,150
名ほ どの 受 講 生が あっ て盛況であっ た 。 「三 宝 」 と か , 「三 乗 」 と かの 話か ら始
ま り, 中 国の禅
の 話 までを 含 む 講 義で あっ た が,階
段 教場 の 最後 列に 坐 っ て い る 私 の 視野 に は , 真 剣 に学ぶ学生た ちの 姿が あっ た。 よ く日本の 若 者た ちにみ られ る,2
,3
人 が 頭を寄
せ て お しゃ べ りし て い る よ う な光
景は皆 無な の で ある。 私は ア メ リ カの 大 学生 の 姿に わ け もな く感激
し た こ と で あ る。 どこ でだ っ て 青 年は こ うで な けれ ばお か しい と思 う。 やは り, 現 代の 日 本は どこか が お か しい の で はなか ろ うか。こ うい えばきっ と, ア メ リカ の 学生 た ち は足は組 む し, コ ーラ は 飲む し , 日本 の 学生 の よ うに行 儀が よ くない よ, と反 論 す る人もい る だ ろ う。 私は , コ ー ラを
飲
ん で も, 足を組んで も構わ ない と思 う。 ア メ リ カ で は種々 の民
族が 入 り混
じっ てい るか ら, 服 装だ っ て , ヘ ア ース タ イル だ っ て, 人そ れぞれ に違
っ て い て当
り 前 なの で ある。 そ れ よ り も何 よ りも, 人の 話に ち ゃ ん と耳 を傾け る学生 た ち の 姿 こそが素 晴 らしい と私は 思 う。 ア メ リ カ人 は 大 人 も子供 も人の 話 を よ く聞 き, 自分の 意 見を よ くい う。 ち ょ っ とで も疑 問が あれ ば 講義
の 途 中で もす ぐ挙 手 し て教 授に質
問 する。 私は頭 初は こ の光
景に 異 和 感 を感 じた。 しか し, 見 慣 れ る うちに こ の方
が 自然
なの だ と思
うよ うにな っ た。 人の 話を よく
聞い た分
, わ か ら ない とこ ろ や納 得
の い か ない とこ ろ 一371
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 私の ア メ リ カ留学見 聞考 (池田) (
69
) が あれば, そ れを質
すの は当 然であろ う。話
の 腰を折 られた とばか り,権威
ぶ る方
が む しろお か しい の で ある。 こ ん な 場 合, グ 卩 一ナ ー磯は ど うするだ ろ う と見 て い る と, 学生の質
問の内
容を確 認 し な が ら実に 丁寧に その 学 生が納 得 する まで説
明し て お られた。 こ うい うち ょ っ とした こ とも人の 話を よ く聞 く とい う原
則 を 通 じて両 者の 間に 確 固 とし た 信頼 関係
があ
るか ら出来
る こ と なの であ
ろ うと思
っ た。 質 問 一つ 出な い で終る よ うな 日本の 大 学の 講義
の あ り方は大い に 反省
すべ き で あろ う。 講 義 の 最 終 授 業で は , 毎 回, 学 生た ちに 受 講 生の 立場か らそ の 講 義が どれほ ど の もの で あ っ た か評 価 す る授 業 評 価 表が配布
され ,学生 た ち が 教授の 講 義の 内容 か ら教え方
まで を総合的
に 評 価 する こ とが行
な わ れ て い た S〕。日本で も相 当の 大 学で こ の
方 式
が採 用 され てい る よ うで ある が , これ も考えて み れ ば当然
な こ とか も知れ ない 。 学生 た ちは 自分 が受 講 し た議 義 内 容を こ うや っ て改め て評 価 する機 会を得
て , 間接
的に学
生自身
の受講
態 度や理 解 度 まで を 反 省 す る こ とに もな るわ けで , 大 学の講義
に お け る相 方
の責任
や役 割を認め て , こ うい う授業
評価
の 様式
を積 極 的に と り入れ てい こ う とす る, ア メ リカ の解放 的 な精 神
風 土 は, 私に は む しろすがすが しい もの に感 じ られた。 こ れ ぐらい の こ とは駒 沢大学
で もや ろ う と 思え ば今 す ぐに で もで きる の で はなか ろ うか。UVA
の 附 属 図 書 館 ア ル ダ ーマ ン ・ ラ イ ブ ラ リーは , 大学に 出た 火 ・木 曜を 中 心に利
用 した。 私が見
る こ との で きた ハ ーバ ー ド大 学, ス タ ン フ ォ ー ド大 学 など の 有 名 私立大 学の 図書館
と比べ る と規 模 も小さ く , 閲 覧 室や 書庫
な どの 諸 施 設 も小
じん ま り とし て い たが , 公 立の 大 学 図 書 館に し か ない 開 放 性が あり, 図書館業
務の あ り方に つ い て 考 えさせ られ た 。UVA
の 図書館
は誰れ で も 自由に書 庫 に出入 りで きるの である。子供連
れ の 一 般 市 民まで が 書 庫に 入 っ て書 架か ら自分の 探し て い る本を手に取 っ て み て い る 光 景は, まず 日本で は 考 え られ ない こ とで ある。 そ れで い て館 内は実
に静 粛
そ の も の で あ る。 これ で 本 が な くな っ た り破損
し た りす る こ と が ない な ら, ア メ リカ人 は よ ほ ど公共の 財 産 に対 する マ ナ ー がで きて い る とい うこ とで あろ う 。 開 館 時 間 も,朝
8
時か ら夜11
時 半 まで とい うこ とで ,UVA
の学
生だけで な く, 小 中 高 生 や一般 市 民まで が幅広 く利 用 で きる よ うな体 制
が整
っ て い るの で ある。 私の 家 族 も, 子 供の 学 校の宿
題の 資 料を探 し に よ くこ の 図 書 館を利
用 した。 また, モ ール 街に ある市 立 図 書 館 や, 家の近
くの ア ル バ マ ール ・ス ク ニ ア に ある児 童 図 書館
な 一370
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
70
) 私の ア メ リ カ留学 見 聞考 (池 田) ども簡 便に利 用で きる よ うに な っ て い る。 図 書 館の よ うな公 共の 場に お け る ア メ リ カ人の 態度
は実
に 立派
で , 大 人 も子 供 もお し なべ て人の邪魔
に な る よ うな振 舞
い は一切ない 。静
か に読 書
を楽
しん で い る光
景は 私に は 信じ られ ない ほ どで あっ た 。 社 会全 体に 公共 の マ ナ ー が浸 透 し て い るの で なけ れば , こ うは い くまい と思 わ れる こ とで あっ た 。 また , 土 地が広 大 だか らで きる こ とである とい っ て しま えぽそれま で で あ る が , ど こ の 大 学 の 図 書館 も書 庫の なか に 閲 覧 室を 設 けて お り, そ れ がで きなけれ ばUVA
の 図書
館の よ うに机
と椅
子 が あち こ ち に用意
され て い て, 必要
が あれ ば 一 日中で も その 場所 で本を読ん だ り文章
を書
い た りす るこ とがで きるの で 便 利 こ の 上 もな い 。 私 も随
分 こ こを利 用 させ て も らっ た が, こ うい うこ とも駒 沢 大 学の 図書
館で は想像
す るこ ともで きなか っ た こ とで ある。東
ア ジ ア の仏教
関係
の図書
は , 主 に グ ロ ーナ ー氏が購 入する よ う注 文 を 出し て い る とい うこ とで あっ た が,基
本 的 な研 究 図 書は, 辞 書や全 集な ど, 私が利用 し て不自
由を感
じ ない 程 度 に は揃
っ て い た。 た まに は , 予算
が 充 分で ない とい うこ とら し くr
浄
土宗全書
』やr
真宗
全書
』の よ うな諸 宗
の全書
はあ っ た が, 例 えぽ 『曹 洞 宗 全書
』な どは ま だ購入 されてい なか っ た。 ま た, 日本の 大 学の 研 究紀
要 な ど研 究雑誌
の 類は, 残念な が ら ほ とん ど なか っ た 。 東 部で は , ハ ーバ ー ド , プ リソ ス トン , イエ ール 大 学な どの有名 私
大, 西 部で は , カ リフ ォ ル ニ ア 大 学バ ー ク レ ー校な どで , 研 究 雑 誌は すべ て揃 っ て い る とい うこ とであっ た。 ど うし て も み たい 雑 誌があ れば , 図 書 館に 申し出る と,1
週 間ほ どで コ ピ ー を手に 入 れ る こ とがで きる とい う。 大 学 図 書 館 相 互の連
系が コ ン ピ ュ ータ ーで つ な がっ て い て , こ の 方 面の サ ー ビ ス は 想 像 以上 に 発 達 し て い る。 ま た,探
して い る研 究雑誌
が全 米の どこ の 大 学 図 書 館に ある か, 検 索の ため の雑
誌 目録
が最
近出版 された とい う こ とを,2
年 目の3
月上 旬に ス タ ン レ ー ・ ワ イ ソ ス タ イ ン教授
の御
自宅をお訪ね し た折
に教
えて頂い た。 こ の 目録
は , “National
Union
List
ofCurrent
Japanese
Series
in
East
Asian
Libraries
ofNorth
America
”Compiled
by
Yasuko
makinoMihoko
Miki
withthe
assistance ofIsalnu
Miura
Kenji
Niki
(Subcommittee
onJapanese
Materials
Committee
onEast
Asian
Libraries
,Association
for
Asian
Studies
,March
1992
)で ある。ま た, 図
書館
の視聴覚資 料室
の 方は い つ も家 族 連れ の利
用者
で 満員
で あっ た。各 国
の映
画 ビ デオが揃
っ て い て, 図書館
の証
明書
(ソ シ ァ ル・ セ キ
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
私の ア メ リ カ留学見 聞考 (池田)
(
71
) と, 宛 名と住 所が書かれてい る郵 便 封 筒を持参す る だ けで 誰 れで も簡 単に作 れる)を みせ る だけで , その 場で自
分の好
きな ビ デオ映 画がみ られ る よ うに なっ て い て , 日本 映画の ビ デオ も70
本ほ ど 入 っ て い た。 『た ん ぼ ぽ 』 や 『マ ル サ の 女』 な ど, 伊 丹 十三作
品は ア メ リ カ人に も人 気が ある とい うことで あっ た。 大 学の 構内
に も小 さ な 映画館
が あり, 定 期 的に 名作 映 画 が 上 映 さ れ てい た し, 街に も5
,6 軒
の 映 画 館が あっ て , テ レ ビ が普及 し て い る に も関わ らず, ア メ リ カ人は よ く映
画 を みて い た。今
で も洋
画に 話 題 作が多い 秘密
は こ うい うとこ ろか ら始まっ て い るの で あ ろ う。2
年
目に は , 話 題に な っ たr
ラ イ ジ ン グサ ン 』 もモ ール 街 の 映画館
で上 映 され てい た。 ゲ ロ ーナー邸での こ と街の 東 北にあっ た 私の 家か らは , 車で
25 分
ほ どか か っ た が , 街の 西北の ウ ェ ス ト ・ ウ ッ ド地 区パ イ ン デ ール に グ ロ ーナ ー氏
の邸宅
が ある。3
年
ほ ど前に約30
万 ドル (日本 円で3
千2
,3
百万 円 程度で, 夢の よ う) ち ょ っ との 値 段で購
入 され た と い う話で あっ た が , その 名の 通 り樹 令 数 十 年はす る高い 赤松
の林
に か こ まれ た小 高い 丘 の 上 に瀟 灑な屋敷
が 立っ てい る。グP 一ナ ー邸を
舞
台に し た 思 い 出は書
き出す こ と がで きない ほ どで あるが, 前 と後
に 私の歓
送迎会
を含め, 家 族 ぐる みで し ょっ ち ゅ うパ ー テ ィ ーに お 招 き 頂 き,大変
な散財
をおかけし た こ とであ
っ た。 こう
い う各種
の パ ーテ ィ ー で は 大 抵, めず
ら しい お 客さん に ひ きあわせ て頂 き, ア メ リ カ人の 社 交 的な作 法や生 活 様 式を勉強
させ て頂い た 。 思い 出すま ま列 挙し て も,UVA
で グ P 一ナ ー氏が 主催
し た ワイ ン ス タ イ ン氏
の 講 演 会の夜
は , ホ プ キ ン ス 氏 と後
に紹 介す
るチ ャ ッ ク さん , 山 中さんの2
人 の 大 学 院 生 と 一 緒に お 招 きにあ ずか っ た。 ま た , イ ン ドネ シ ア音
楽の ガ ム ラ ン音 楽の 演奏
会 (令 夫人の シ ン デ ィ ー ・グロ ーナ ーさん は, 学 生 時代 に東京 音 楽大 学に留 学され, 故 小泉文夫 教授の 指導を受け られた音楽家で, グ ロ 一一ナ ー邸 はシ ャ ーロ ッ ツ ヴ ィ ル ・ガ ム ラ ン 協会の本 部で もある。 ま た, グ ロ ーナ ー教 授は令夫 人の 弟子で ガ ム ラ ン の 名演奏 家で もあっ た)は西南の 郊 外に ある財 産家 の お屋 敷の 前庭 で開
か れ私 其
も家 族
で招待
にあ
ずか り,渡米
早 々 に異文
化 の音
の洗礼
を受 け
た の で あっ たが, 翌 日に は ジ ョ ー ジス ・フ レ ッ グス 教授
(ス イス 人で チベ ッ トに 8 年お ら れ て,ゲ シ ュ の資 格を 取 得。UVA
で チ ベ ヅ ト仏 教を講じ ら れて い た が, 半 年後に は マ サ チ ェ ーセ ッ ツ州のWlliams
College
をこ移 られた。 末木 教授は教 授の家に下 宿されて い た) 一368
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
72
)私の ア メ リ カ留学見 聞考 (池田) とお
引
き合
わせ 頂い た。 ま た , シ ャ ー ロ ッ ツ ヴィ ル の 西方, 車で1
時間 ち ょ っ と の 距 離にある レ キ シ ソ トン 市 に あ る ワ シ ソ ト ン ・リ ー大 学に 移籍
された ばか りの 日本の新
宗 教の 研 究で 高い 評価を受 けて い るデ ィ ヴ ィ ッ ト ・ウィ ン ス トン教 授 御 夫妻
と もお会い し た。1 年
目の サ ン ク ス ギ ビ ン グデ イに は, 隣州 の メ リー ラ ン ド 大 学で 言語 学 (日本 語)を 研 究して お られ , グ P 一ナ ー教 授 とは イエ ール 大 学 以来
の 親 友とい うラ ム ジ ー教授 御 夫 妻と御 家 族 と もお 会い した。 また, プ リン ス トン 大 学に招かれ 秋 期の 半年
間, 日本
仏 教を講 じて お られ た茨城
大 学の 今 井 雅 晴 教 授 (中世浄土教 研 究)御
夫 妻 と御 家 族に もお会
い し た。 ま た, ガム ラ ソ と影 絵 劇の タ ベ で は, 日系ア メ リ カ人の ジ ャ ネ ッ ト ・池田教 授 (
Janet
Ikeda
・Yuba
プ リン ス ト ン 大学の大 学 院 を終えてす ぐUVA
に就 職が 決 まっ た 秀 才で, 日本 中世 文学 , 特に細 川幽 斎の 研究 者。 夫 君ケ ン サ ク ・ ユ パ 池田氏は ブ ラ ジル の 日系2
世で , 大 谷 大 学の大 学院に 留 学 さ れイ ソ ド仏 教を研 究され, 真 宗の海 外 布教 師。 目下, ア メ リ カ国籍を取得す るため英 語を猛勉中)の御 家
族な ど な ど, 多 くの 方々 と交 友を深
め る こ と がで きた の で あ る。その 他で は, 毎 週 月 曜日の
朝
9
時30
分 〜12
時30
分の3
時 間 , こ の お宅 の書 斎で そ れ こそ 思 うま まに雑 談 を交 じえ な がら読 書
に ふ けっ た の で ある。渡
米 した年
の4
月,5
月の2
ケ 月は , それま で 大 学 院の 授 業で読
ん で い た 『律
宗 綱 要』 の演
習 に 途 中か ら参 加 させ て 頂い た。 ア メ リ カ で は 大 学 院の 講 義を教 授の 自宅で行
う と い うこ とは め ず らし くな く, よ くあ る ら し か っ た 。 こ れ な ど も 形 に と らわれ ぬ実質
本 位の ア メ リ カ な らで は の 講 義 風 景 とい え よ う。r
律 宗綱
要』 の 演 習に は, こ の 学 期で 大 学 院を修 了 す る チ ャ ッ ク さん と 山中修
吾さん の2
人 が出席 し て い て , 私 が 加わ っ ての4
人で あっ た が, こ の 演 習はわ ず か数 回で終っ た。 その 後, 私が滞
在し て い た2
年
間は, グ ロ ーナ ー氏の 下に は指導
を希 望
する大 学 院 生は入学
し て 来なか っ た 。 私が帰国 し た年の秋
期 に は ,4
,5
人の 受 験 生が申
し込 ん で い る とい うこ とで楽 しみ に して お られた が, その 後は ど うなっ た で あろ うか 。チ ャ ッ ク さ ん (
Chuck
Jones
)
は今
は フ ル ブラ イ トの 奨 学 金を受
けて台 湾に留 学 中で , 智 旭 教学 の 研 究 者 として著 名な 張 聖厳 師の 下で現 代 中 国の 仏 教を研 究 し て い る とい うこ とで あ るe 日本 人の 留 学 生 で あ る 山中 修 吾 さ ん は , カ リフ ォ ル ニ ア 大学 バ ー ク レ ー校か らUVA
の 大 学 院に入 っ た秀
才であ
るが, グ ロ ーナ ー氏 も 舌を巻 くほ ど英 語が達 者な好 青 年で あっ た。 顧み て ,私の ア メ リカ生 活が大し た支 障
も な く順 調に 始め られたの は , 前 記の 浅 倉 教 授 と 山中 修 吾 さん の お二 人の お 一 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
私の ア メ リ カ 留学 見 聞考 (池田)
(
73
) 蔭に よ る とこ ろ が 大 きか っ た と感 謝 してい る。 山中 修吾さんの い とこ の 山 中 忠 夫 さんが ポ ス トソ 在 住 とい うこ とで ,6
月の 末には1
週 間お二 人の案 内
で ボス トン観 光
の 旅を し た 。 私 共の 家 族につ き き りで ,2
人で 観光 名 所を手 際 よ く案 内して 頂 い た こ と を昨 日の こ との よ うに 思 い 起 す。 山中 修 吾さん は そ の後
間も な く日本 に帰 られ , 父 君 が天 理 教の幹部
であ
られ る とい うこ とで 天理高校
の英語
の 教 諭に なっ て お られ る とい うこ とである。 こ うい う若い 先 生に英語
を教わ る高校
生は ど ん なに幸せな こ とだろ う とつ くづ く思 う。『律 宗 綱 要』 の 演 習が終っ た 後は, グ ロ ーナ ー氏の 指
導
学生 もい な い とい うこ とで ,2 年
間は それこ そ グ ロ ーナ ー氏 と差 しで 好 き な本が読
め た わ けで 私に と っ て は 幸 運で あっ た。 せ っ か くなの で , グ ロ ーナ ー氏の 専 問で ある 日本 天 台に 焦 点 を しぼ り, 中古 天 台本覚
法 門の 形 成 と その 特 質を究明する こ とを 課 題に して,1
年 目は 『漢 光 類 聚』4
巻5)を ,2 年
目は安
然の 『胎
蔵金 剛菩
提心義 略 問答
抄』5
巻6} を精 読す るこ とがで きた 。 日本中 古天 台の 研 究の 必 要 性 は, 最 近 とみ に , 道 元 研 究や 日蓮 研 究の 領 域か ら 注 目さ れ 出 し て お り, 種々 の議 論
が交
わ さ れ て い て 一 見 活 況を 呈 し てい るが,研
究
の 本質
は どこ まで い っ て も原 著 ・ 原資
料を厳 密に 解 読 する とい うこ とが大 前提
で なければ な らな い 。 そ うい う地 道 な研 究を 軽 視 し た の で は , どんな高 邁な議 論 も所 詮は 研 究 者の 勝 手な議 論で 終る しか ない だ ろ う。 私 が 『道元学の 揺籃』 (1990
年 1 月 大蔵 出版 )を刊行
し た とき大正 大学
の 碩 学 大久保
良 順 教授 に本を献呈 させ て 頂い た の で ある が, そ の とき大 久 保 氏か ら頂い た 返 信に , 「天 台 本 覚 法 門は こ の 本の 中で い わ れ てい る よ うな浅 薄な もの で は な い 。 もっ と 正当な評 価を与
え ない と, 日本仏教 の 本 質は み えて 来な い の で は ない か 」 とい うよ うな批 評が 書かれて い た。 そ れか らず っ と私は こ の よ うな視 点を 気に し てい たわ けであるが , ア メ リ カ 留 学 とい う絶 好の 機 会に , 日本仏 教とは 何か , 中古天 台本 覚法門 とは 何か , と い うこ とを集 中的に考え る機 会を得た こ とは幸い であ っ た。 私は今
, 次 第に , 大 久 保 氏の 御 意 見の よ うに , 中 古天 台に対す るマ イナ ス 評価 一 点張 りの 従 来の 先 入 観は改め る 必要が あ る と考え る よ うに な っ て い る。こ の 読み会 は , グ ロ ーナ ー氏が原
文
の英
訳に 註 釈をつ けたペ ーパ ーを 毎 回 作ら れ ,私が 日本 語で 原 文を読ん だ後
で , そ の ペ ーパ ーに そ っ て グ ロ ーナ ー氏が解読
さ れ , 原 文 中の 問 題 個所 を その つ ど点検 し, 議 論しな が ら原文
の読
み を定め て い くとい う方 法で 進めて い っ た。 不 遜に も,渡
米 前の 私はア メ リカ の仏 教
学 者が こ 一366
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
74
) 私のア メ リ カ留学 見聞考 (池田) れほ ど 日本 仏 教の 文献
が読
め るな ど とは思 っ て もみ なか っ た こ と なの である。 グ ロ ーナ ー氏の 原 典の読 解
力は実に 正確 無比 で , 伝統
的 な漢 文 読み な ども流 暢に こ な され る の に は 私 も舌を巻い た 。 日本 人の 研 究 者が わ か っ たつ も りで 読 む 以 上 に , ア メ リ カ人の 研 究 者は 原文
を英
訳に して考 える分だ け 原 文の 微妙
な呼
吸の違
い がよ く見え る の であ
ろ う。 グ ロ ーナ ー氏か ら教わ っ た こ と も多
か っ た し, 問題
点に 関す る議 論な ど も卒 直に交
わせ て , 日本 に い て は体
験で きない実
に 有 意 義な 共 同 研 究がで ぎた と, 深 く感
謝 して い る。グロ ーナ ー氏は , こ の 共 同 研 究の 成 果の 一端を
後
に記
す ワ シ ン トンD
・C
で開
催さ れ たAAR
の 学会で 発表 さ れた 。 ア メ リカ の 学会で は 『漢光類 聚 』 に 関す る 研 究は これ が最初 で ある。 私の 方 も, で きるだ け 早 い 時期 に , グ ロ ーナー 邸 で の 共 同 研 究の 成 果を ま とめて 公 けに し た い と考
え てい る。 諸学 会に参 加 してア メ リカ留 学 中に , 私は グ P 一ナ ー氏に 伴な っ て
諸
種の 学会
に 参 加す る こ とが で き,第
1
年 目に 掲 げたrUSA
に お ける東ア ジア 仏 教の研
究動 向
に つ い ての実
態
調査
」 とい う課題
は私
な りに満
足でき
る成 果
を得
る こ とがで きた。 直接
, ア メ リカや カ ナ ダの仏
教 研 究 者 と会い , 親 交を深め る こ と がで き, ア メ リ カや カナ ダ に お ける東
ア ジ ア 仏教
の 研 究 の 現 在を知る こ とがで きた の で ある。私 が 参
加
した学会
は,(
1)
ア メ リカ宗
教学 会
(AAR
)で ,1992年
11
月21
日 〜24
日 に サ ン フ ラ ン シ ス コ で開催
され た もの と,(
2)
1993
年
11
月20
日 〜23
日に ワ シ ン トソD
・C
で開催
さ れた もの と ,2
回 , 出 席 し た。 また,(
3
)ア ジア学会
(AAS
)に ,1993
年3
月25
日〜28
日, ロ サ ン ービ ル ス で開催
さ れた もの に参
加 し た。 ま た ,1994
年
3
月16
日〜20
日 , 私の帰 国 真際 の こ とであっ た が, カ ナ ダ国 ト卩 ン ト市 近 郊の ハ ミ ル ト ン 市に あるマ ク マ ス タ ー大 学が主 催 し た 「日本 仏 教の 僧 院生 活 と仏 像」(拙訳)と題 す る学 会に 招 待を受け て参
加し た 。(
1)
先 ず, サ ン フ ラ ン シ ス コ の ヒ ル ト ン ・ ホ テル で開 催 され たAAR
の 学 会 で は , 学 会 前 日 に , ス タ ン フ ォ ー ド大学 を訪ね カ ール ・ ビ ュ ール フ ェ ル ト教 授 や, パ ーナ ー ド ・フ ォ ール 教授と お会 い し, 大 学 院に 在籍
す るマ ー ク ・ 海 野 さん (明 恵 研究 ), ハ ン ク ・ グ ラ ス マ ン さ ん (恵心僧都の 母に 関 する文 学 研究 ), デ ィ ビ ッ ド ’ ガー デ ィ ナ ー さ ん (空海研 究), ジル ・ フ ロ ソ ス ダル さ ん (ゼ ンセ ン タ ーで毎 日坐禅を し てい る実践的 研究 ) が, 入 れ変
わ り立 ち変
わ り交 替
で ,構 内
や市 内観光
に案 内
し 一365
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
私の ア メ リカ留学 見聞考 (池田)
(
75
) て頂い た。 夜は これ らの 諸 先 生 方が 中華 料理 屋に集
い私 1
人の た め に遅
くまで お もてな し して 頂い て 大変, 恐 縮し た こ とで あっ た。 ま た,学会
2
日 目の22
日 (日 曜 日)は,学 会
に参
加 し た イ エ ール 大 大 学 院生 の ジ ャ ッ フ ィ ーさ ん (Richard
Ja
ffee
近 代 日本 仏 教 研 究)がその ため に わ ざわ ざ友 人か ら車を 借 りて 来た とい うこ と で , 私をサ ソ フ ラ ソ シ ス コ禅
セ ン ター
(
300Page
Street
San
Francisco
.CA
94102
) と, ち ょ うどこ の 日再建
され た坐禅
堂の 開 単 式 (Zendo
Opening
Cere
lnony ) と
20
周 年 記 念 式 典 とが行な わ れ たサ ン フ ラ ン シ ス コ 郊 外 の 青 竜 禅寺
(
Green
Dragon
Zen
Temple
Green
Gulch
Farm
1601
Shorline
Highway
Sansalito
CA
.94965
) まで御 案
内頂い た7) 。 ア メ リ カ人の 直 裁 的で 行 動 的な親 切に は 感心 さ せ られる こ とばか りで あっ た。ア メ リカ の 大 きな学
会
は み な, 大 学で は な くホ テ ル を会 場に し て行 な う。 大 会 参加 費
は80
ドル 程 度で ある か ら, その 頃の 日本円に す れば1
万 円ほ どの 感 じで あ る。 ア メ リカ 人 の 金 銭感
覚 (例 え ば, 家 庭 教師代は1
時間20
ドル。 研究 書で もたい て い3
,40
ドル ほ ど。 シ ャ ーロ ッ ツ ヴ ィ ル の銀 行の 自動 支 払機は 引 出し最 高 限 度額が300
ドルで 1 日1
回 し か 引 き出せ ない )か らは , 決し て 安 くは ない の で あるが , 学会
に 参 加 す る研 究 者は事 務 的な こ とに は 一切タ ッ チ しな い か ら,会 員
は存分
に 学 会を満 喫 す る こ と がで きるの で ある。 日本で もこ うい う点は見 習 っ た らど うか。 学会
開催 校
の 負 担が大 きす ぎ
る よ うな こ とは ない で あろ うか 。 学 会 で も なけ れ ぽ, め っ たに 会 う機 会の な い 研 究 者が広い ア メ リカ の 各地 か ら集まっ て来 る わ けで ある か ら, その 賑 い は大変 な もの で , さ な が ら学 者の 運 動 会の 体で , 一緒に お 茶 を 飲 ん だ り, 食 事を し た り, 酒 を 酌み交 わし た りし て , 相互 の 交 流を深め, 情 報の 交 換に余 念
が ない 。なか で もイ ェ ール
大学
の ワイ ン ス タ イ ン 氏は お 元気
で , 氏の泊
まっ て お られる ホ テ ル の 一室
は,毎晩
,門
下 生外
,多数
の仏教
学 者た ちが集
ま り, ス コ ッ チ やバ ー ボ ン の ボ トル を2
,3
本 空にす るまで 歓 談し, その 後で 街に くり出して ,食 卓
を囲み な が ら また一 しきリ談
笑 す る とい うふ うで , ベ ッ ドに 入 るの が1
時,2
時 な ど とい うこ とも再
三 であ
っ た。 こ ういう酒
の飲
み方
は ど うも日本
流の よ うで , (た だ し, 口論に なっ た り, 激 高 する よ うなこ とは決 し てなか っ た 。 ア メ リ カ は 酒の席の こ と な ど とい っ て 済ませ るよ うな社 会で は なく, ア メ リ カの イ ン テ リ は ア ル コ ール に は驚く ほ どぎれい だっ た) ワ イ ン ス タ イ ン 氏 や グ P 一ナ ー 氏に とっ て は , 学 会で会
え る こ と が唯一 の楽
し みに な っ て い て, こ うい う機 会に若 き日の 情 熱を確
認しあい ,新
一364
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
76
) 私の ア メ リ ヵ留学 見 聞考 (池田) た な 研 究 意 欲をか きた て る刺
激 済の よ うな もの なの で あろ う。 ヒ シ と抱 き合っ て 別れ を惜しん で お ら れ る師 資の お二 人の 様 子を傍で 拝 見し て い て, 私は そん な こ とを感 じてい た。ア メ リカ の
学会
に お け る研 究 発表
は, 日本の 宗 教 学 会 や 印度 学 仏 教 学 会の発表
形 式とは大 分趣
きが違
う。 そ れ ぞれ の 部 会が掲 げる1
つ の 課 題 につ い て参 加 者 全員
が考え,討論
す る とい う形
が 一貫 し て い た。 発表
が終る と予 め定め られ てい る 応 答 者が , 発表
者の 見解
を詳 細 に 批 評 し て 問 題 点 を 整 理し, そ の 後で参
加者
の 意 見を求め る とい う発 表 形 式である。 その た め に 大 会 当日 ま で に 発 表 者は 互 い に 自 分の 発 表 原 稿の コ ピ ーを提 出して , 応 答 者を含め て互い の 論 文 を熟 読 して お くわ けであ
る。ま た ,
毎
回試み られ て来た よ うで あるが, 大学で仏
教を講義
して い て気
がつ い た こ とを報告
し合 っ て , よ りよい 仏 教の 授業
法を模索
す る とい う, こ の 種の部
会 は 斬 新な もの で あっ た。 サ ン フ ラン シ ス コ の 学会
で は , 仏 教の 授業
で 『法華
経 』 を どの よ うに 教 材 とし て利 用で きる か , とい う問 題を討 論 し て い た し S) , ワ シ ン トンD
・C
の 学 会で は ,講 義室 で行 な わ れ る禅の 授 業の あり方に つ い て熱心 に議 論が重ね られ て い た9 )。 こ うい うテ ーマ を設 定 し, 研究 者 と して, 大学の 教 員 と して , 仏 教を 学 生 た ちに ど う教え た らい い か , とい う具体
的な問 題を 日頃か ら考 え, よ りよい 解 決の方
向を探
っ て積 極 的に議論
するア メ リ カ の仏
教学 者た ちの 態 度は, 日本の 学 会で も もっ と学ぽ なけれ ばな ら ない 点だろ う。また , 話
題
性の 高い新刊書
を と りあげ
て ,隣接
の 研究
を して い る学者
が 一 同に 会 し て批 評 し合 う とい う部 会 も注 目 され た。著
者は応答
者と して 同 席 し,批 評 老 の すぺ て の 見 解に反 論 し た り, 自分の 意見 を 加 え る こ とが許 され て い るの で , ど こ まで も討論
の 公 平 性は た もた れ るわ けであ
る。 サ ン フ ラ ン シ ス コ の学会
で は , バ ーナ ー ド・ フ ォ ール 教授の評
判が 高か っ た新著
“The
Rhetoric
ofImmedi
− acy ” 1°) が と りあ げ られ, ワ シ ソ トンD
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の 学 会で は , デ イ ビ ッ ド ・ エ ッ ケ ル教 授の “
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See
the
Buddha
”11)が と りあ げ られて い た 。サ ン フ ラ ン シ ス コ の 学会で は , なん とい っ て も ワ イ ン ス タ イ ン 教 授の 還歴 記 念 の 意味 を こ め て (グ ロ ーナ ー氏 談) , 門下 生の 研 究者 が企 画 し た ,