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『日本仏教総合研究』 第12号 004黒田 智「加越能の勝軍地蔵」

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Academic year: 2021

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は じ め に 一 三 世 紀 に 誕 生 し た 和 製 の 地 蔵 菩 薩 = 勝 軍 地 蔵 は 、 日 本 独 自 の 国 家 ・ 国 土 観 念 を 背 景 に 、 中 世 武 家 政 権 か ら 民 衆 に ま で 広 く 信 仰 さ れ 、 そ の 後 の 近 代 戦 争 や 国 民 国 家 の 成 立 ・ 展 開 に も 少 な か ら ぬ 影 響 を 与 え た 軍 神 で あ っ た1 。 全 国 各 地 に 残 る 勝 軍 地 蔵 像 を 四 五 〇 点 あ ま り 確 認 し て お り 、 実 際 に は 一 〇 〇 〇 点 を 越 え る と も い わ れ る 。 こ れ ら 豊 富 な 作 例 と 文 献 史 料 か ら み え て く る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 歴 史 的 道 程 は 、 日 本 人 の 戦 争 観 を 饒 舌 に 物 語 っ て く れ る 格 好 の 素 材 と な る で あ ろ う 。 約 八 〇 〇 年 間 に わ た る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 歴 史 は 、 以 下 の 五 つ の 段 階 に 分 け る こ と が で き る 。 Ⓐ 一 三 世 紀 の 清 水 寺 や 多 武 峯 で 勝 軍 地 蔵 信 仰 が 生 成 さ れ る 。 Ⓑ 一 四 世 紀 に ﹃ 与 願 金 剛 地 蔵 菩 薩 秘 記 ﹄ が 流 布 し 、 西 園 寺 家 に よ る 宋 の 文 物 の 招 来 や 足 利 氏 の 信 仰 な ど 、 京 都 や 鎌 倉 を 中 心 に 信 仰 が 伝 播 し た 。 Ⓒ 一 五 世 紀 末 に 室 町 幕 府 九 代 将 軍 足 利 義 尚 に よ る 甲 冑 像 の 制 作 に よ り 、 軍 神 と し て の 像 容 が 形 成 さ れ た 。 一 六 世 紀 の 戦 国 乱 世 に 入 る と 、 地 蔵 縁 起 の 増 産 を 背 景 に 、 愛 宕 神 と 習 合 を は た し た 勝 軍 地 蔵 信 仰 が し だ い に 地 方 の 、 よ り 広 範 の 大 名 ・ 武 士 層 に 受 容 さ れ て ゆ く よ う に な る 。 Ⓓ 特 に 一 七 世 紀 末 か ら 一 八 世 紀 初 頭 に 都 市 災 害 と し て 火 事 が 社 会 的 な 問 題 と な

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る と 、 勝 軍 地 蔵 は 火 伏 せ の 神 、 防 火 神 と し て あ ら た な 性 格 を 付 与 さ れ て 、 城 下 町 や 町 家 、 村 々 に ま で 広 が っ て ゆ く 。 Ⓔ 日 清 ・ 日 露 戦 争 前 後 か ら ア ジ ア ・ 太 平 洋 戦 争 に か け て 、 ふ た た び 軍 神 と し て の 性 格 を よ び お こ さ れ た 。 近 代 戦 争 に お け る 戦 勝 神 と な っ て 各 地 で 戦 勝 祈 願 が 行 な わ れ 、 少 な か ら ぬ 勝 軍 地 蔵 が 制 作 さ れ た 。 本 論 文 の 目 的 は 、 加 越 能 地 域 に お け る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 歴 史 的 展 開 を 跡 づ け る こ と に あ る 。 北 陸 地 域 、 と り わ け 加 賀 ・ 越 中 ・ 能 登 と い っ た 国 々 は 、 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 痕 跡 を い ち 早 く 、 比 較 的 濃 厚 に と ど め て い る 地 域 で あ っ た 。 た だ し 、 こ の 地 域 を お お う 近 世 加 賀 藩 の 成 立 に よ っ て 生 ま れ た 連 続 と 断 絶 が 、 そ れ ぞ れ の 国 で 相 異 な る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 展 開 を う な が し て い た 。 一 六 世 紀 か ら 一 七 世 紀 初 頭 に か け て 、 こ の 地 で 勝 軍 地 蔵 信 仰 が 急 速 に 、 広 範 に 伝 播 し て ゆ く 様 相 を み て み る こ と に し よ う 。 そ れ は 、 戦 国 乱 世 か ら 天 下 泰 平 へ 移 ろ う な か で 、 勝 軍 地 蔵 が Ⓒ 軍 神 的 性 格 を 一 変 さ せ 、 Ⓓ 防 火 神 と い う ま っ た く 新 し い 役 割 を 帯 び て 再 浮 上 を は た し た 時 期 に あ た る 。 神 仏 の 変 貌 は 、 ど の よ う に な さ れ た の だ ろ う か 。 一 、 能 登 気 多 社 と 石 動 山 奈 良 県 多 武 峯 談 山 神 社 に ﹁ 日 輪 御 影 ﹂ と 称 す る 肖 像 画 が 伝 え ら れ た 。 旧 表 具 裏 書 や 元 文 二 年 ︵ 一 七 三 七 ︶ 成 立 の ﹃ 紅 葉 拾 遺 ﹄ に よ れ ば 、 正 和 元 年 ︵ 一 三 一 二 ︶ 年 に 、 多 武 峯 周 辺 で 突 如 と し て 大 日 輪 が 出 現 し 、 大 織 冠 藤 原 鎌 足 と 八 幡 大 菩 薩 と 気 比 ・ 気 多 大 明 神 の 三 神 が 影 向 し た 伝 説 を 絵 画 化 し た も の だ と い う2 。 こ の 三 つ の 神 は 、 多 武 峯 の 南 に あ る 冬 野 と い う 土 地 に ま つ わ る 。 冬 野 に は 、 波 多 神 社 が あ り 、 慶 長 一 二 年 ︵ 一 六 〇 七 ︶ の ﹃ 御 破 裂 之 覚 ﹄ で は ﹁ 冬 野 八 幡 社 ﹂ と も よ ば れ 、 貞 享 二 年 ︵ 一 六 八 五 ︶ の 湯 釜 に ﹁ 談 山 之 別 所 北 大 明 神 ﹂ と 刻 銘 さ れ 、 享 保 二 一 年 ︵ 一 七 三 六 ︶ 成 立 の ﹃ 大 和 志 ﹄ に は ﹁ 気 多 社 ﹂ と い う 別 称 が 記 さ れ て い た 。 談 山 ・ 八 幡 ・ 気 多 と い う 三 つ の 尊 格 が あ つ ま る 冬 野 波 多 神 社 は 、 三 神 影 向 の 奇 蹟 が 起 こ っ た 舞 台 と し て ふ さ わ し い 。 こ の と き 冬 野 に 隠 棲 し て い た の が 良 助 法 親 王 で あ っ た 。 良 助 法 親 王 は 、 勝 軍 地 蔵 信 仰 宣 揚 の イ デ オ ロ ー グ で あ っ た 。 ﹁ 日 輪 御 影 ﹂ も ま た 、 勝 軍 地 蔵 誕 生 の 記 念 碑 的 作 品 で あ っ た3 。 影 向 し た 三 神 の う ち 、 藤 原 鎌 足 は 勝 軍 地 蔵 の 垂 迹 と さ

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れ 、 八 幡 神 は 勝 軍 地 蔵 と 同 じ 軍 神 と し て 知 ら れ て い る 。 残 る 気 比 ・ 気 多 大 明 神 は 、 な ぜ 登 場 す る の だ ろ う か 。 気 多 社 は 、 能 登 半 島 の 西 側 の 付 け 根 に 日 本 海 に 向 か っ て 鎮 座 す る 能 登 国 一 宮 で あ る 。 気 多 社 に 残 さ れ た 古 縁 起 に よ れ ば 、 大 己 貴 命 が 三 〇 〇 余 の 神 々 を ひ き い て 来 臨 し 、 越 中 北 島 の 化 鳥 と 鹿 島 路 湖 水 の 大 蛇 を 退 治 し て 海 路 を 開 い た と い う 。 あ る い は 、 い わ ゆ る ﹃ 気 多 社 島 廻 縁 起 ﹄ で は 、 従 類 を 率 い て 渡 来 し た 異 国 の 王 子 で 、 能 登 半 島 各 地 を 巡 行 し て 一 帯 の 鬼 神 を 追 放 し た と い う4 。 こ う し た 来 歴 を も つ 能 登 気 多 社 が 、 勝 軍 地 蔵 信 仰 と ど う か か わ っ て い る の だ ろ う か 。 能 登 に 目 を 転 じ て み る と 、 ど う や ら 一 六 世 紀 の 気 多 社 を は じ め と す る 能 登 地 域 に 、 勝 軍 地 蔵 信 仰 が 濃 密 に 伝 播 し て い た 様 子 が み え て く る 。 た と え ば 、 享 禄 四 年 ︵ 一 五 三 一 ︶ の 書 写 奥 書 を も つ ﹃ 気 多 社 祭 儀 録 ﹄ に は 、 ﹁ 南 陽 浦 八 十 隅 気 多 大 明 神 、 大 己 貴 命 、 本 地 勝 軍 地 蔵 菩 薩 也 ﹂ と あ っ て 、 気 多 大 明 神 の 本 地 説 を 説 く 冒 頭 に 勝 軍 地 蔵 本 地 説 が 明 記 さ れ て い る 。 天 正 五 年 ︵ 一 五 七 七 ︶ 一 〇 月 一 五 日 ﹁ 気 多 社 書 上 ﹂ に は 、 ﹁ 正 一 位 く ん 一 と う 気 多 ふ し き ち ま ん 大 ほ さ つ と 申 奉 り 、 せ ん て う に を よ ひ て ハ 八 千 ほ こ の 見 こ と ゝ 申 、 九 万 八 千 の ぐ ん 神 の 惣 つ か さ の 御 神 な り 、 す ひ し や く し や う ぐ ん 地 蔵 に ま し ま す ﹂ と 記 さ れ て い る 。 こ こ で も 九 万 八 千 の 軍 神 の 惣 司 で あ る 気 多 神 の 勝 軍 地 蔵 垂 迹 説 が 提 示 さ れ 、 神 功 皇 后 の 異 国 征 伐 の 歴 史 が 語 り 起 こ さ れ る 筋 立 て に な っ て い る5 。 こ の の ち 、 気 多 神 の 勝 軍 地 蔵 本 地 説 は 、 近 世 気 多 社 の 縁 起 や 周 辺 の 寺 社 の 由 緒 書 に ま で 定 着 し て ゆ く こ と に な る6 。 ま た 能 登 国 府 で あ る 七 尾 に は 気 多 本 宮 が あ っ た 。 ﹃ 気 多 社 祭 儀 録 ﹄ に も 載 る 気 多 社 の 平 国 祭 は 、 気 多 社 か ら 気 多 本 宮 へ 渡 御 ・ 還 御 す る 祭 礼 で 、 中 世 気 多 社 の 重 要 な 祭 儀 の ひ と つ で あ っ た 。 中 世 都 市 七 尾 は 、 こ の 気 多 本 宮 か ら 所 口 湊 に い た る 空 間 を 中 心 に し て 発 展 し て き た こ と が 指 摘 さ れ て い る7 。 こ の 所 口 気 多 本 宮 の 近 く に 愛 宕 山 が あ り 、 七 尾 に お い て も 愛 宕 信 仰 が 濃 密 に 展 開 し て い た こ と を う か が わ せ る 。 さ ら に 、 気 多 社 に ほ ど 近 い 正 覚 院 に は 、 不 動 明 王 像 と と も に 銅 板 打 ち 出 し の 勝 軍 地 蔵 像 が と り つ け ら れ た 懸 仏 が 所 蔵 さ れ て い る 。 桃 山 時 代 末 期 か ら 江 戸 時 代 初 期 の も の と さ れ 、 も と も と 気 多 社 の 御 正 体 で あ っ た と さ れ る 。

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気 多 社 と 勝 軍 地 蔵 と の 関 係 を 伝 え る 貴 重 な 遺 物 と い え る だ ろ う 。 そ も そ も 能 登 気 多 社 と 越 前 気 比 社 の 信 仰 圏 は 、 コ シ の 国 と イ ズ モ の 国 に ま た が っ て 広 く 日 本 海 側 に 展 開 し て い た こ と が 指 摘 さ れ て い る8 。 気 比 ・ 気 多 の 信 仰 圏 は 、 日 本 海 交 通 を 守 護 す る 役 割 と と も に 、 蝦 夷 や 大 陸 と い っ た 辺 境 や 対 外 防 備 の 重 要 拠 点 と し て 位 置 づ け ら れ 、 八 幡 神 と と も に 異 国 征 伐 の 役 割 を も 付 与 さ れ て き た 。 気 多 神 は 、 軍 神 と し て 勝 軍 地 蔵 と よ く 似 た 性 格 を 併 せ も っ て い た の で あ る 。 一 五 、 一 六 世 紀 の あ る 時 期 に 、 相 似 た 軍 事 的 性 格 を も つ 気 多 神 と 勝 軍 地 蔵 と が 結 び つ い た も の と 考 え て よ さ そ う で あ る 。 他 方 、 能 登 半 島 の 付 け 根 に 位 置 す る 石 動 山 に は 、 中 世 に 大 き な 修 験 道 の 勢 力 を ほ こ っ た 天 平 寺 が あ っ た 。 貞 享 二 年 ︵ 一 六 八 五 ︶ 二 月 一 一 日 ﹁ 石 動 山 天 平 寺 由 緒 書 ﹂ に は 、 同 寺 に ま つ ら れ て い る 五 社 大 権 現 に つ い て ﹁ 本 社 者 虚 空 蔵 菩 薩 ・ 十 一 面 観 音 、 火 ノ 宮 者 正 観 音 、 梅 ノ 宮 者 将 軍 地 蔵 、 剱 ノ 宮 者 倶 利 伽 羅 不 動 、 是 又 五 社 権 現 八 十 末 社 之 所 ニ 御 座 候 ﹂ と さ れ 、 梅 の 宮 の 本 地 は 勝 軍 地 蔵 と さ れ て い た 。 こ れ を さ か の ぼ る 史 料 は な い も の の 、 お そ ら く 一 六 世 紀 こ ろ か ら 気 多 社 の 影 響 を 受 け て 、 石 動 山 で も 本 地 説 の な か に 勝 軍 地 蔵 が 採 用 さ れ た も の と 推 測 で き る9 。 ま た ﹃ 越 中 志 徴 ﹄ の ﹁ 今 石 動 ﹂ に よ れ ば 、 ﹃ 三 州 志 ﹄ や ﹁ 貞 享 二 年 愛 宕 寺 由 緒 書 ﹂ を 引 い て 、 天 正 一 〇 年 ︵ 一 五 八 二 ︶ の 石 動 山 合 戦 の 際 、 般 若 院 快 存 な る 僧 が 勝 軍 地 蔵 像 を 奉 じ て 越 中 へ 逃 亡 し 、 葭 原 村 に 住 し た と 伝 え て い る 。 そ の の ち 、 石 動 山 内 の 衆 徒 の 確 執 の 際 に 、 老 僧 の 阿 闍 梨 が 虚 空 蔵 菩 薩 像 を 持 ち 出 し た 。 天 正 一 三 年 ︵ 一 五 八 五 ︶ に は 、 佐 々 成 政 軍 の 攻 城 を 目 前 に し て 今 石 動 城 を 築 い た 前 田 秀 継 ・ 利 秀 親 子 が 、 城 域 の 東 北 に 愛 宕 勝 軍 地 蔵 像 と 虚 空 蔵 菩 薩 像 を 安 置 し て 一 社 と し た と さ れ て い る10 。 現 在 も 小 矢 部 市 八 和 町 に あ る 愛 宕 神 社 で あ る 。 さ ら に 、 石 川 県 七 尾 美 術 館 所 蔵 長 谷 川 信 春 ︵ 等 伯 ︶ 筆 ﹁ 愛 宕 権 現 像 ﹂ が あ る 。 虎 皮 の 鞍 を 負 っ た 葦 毛 の 馬 に 騎 乗 し 、 甲 冑 を 着 し 、 右 手 に 戟 、 左 手 に 宝 珠 を も つ 正 面 向 き の 地 蔵 菩 薩 を 描 い た 仏 画 で あ る11 。 甲 冑 騎 馬 像 と し て は 、 山 梨 市 市 川 清 水 寺 所 蔵 の 七 条 仏 師 康 清 作 ﹁ 木 造 勝 軍 地 蔵 像 ﹂ と な ら ん で 最 古 例 と な る 。 本 図 の 制 作 年 代 に つ い て 、 等 伯 の 七 尾 時 代 の 作 と す る 説 と 上 洛 後 の 三 〇 代 半 ば に 京 都 で 制 作 さ れ た と す る 説 が あ る12 。 気 多 社 周 辺 に 濃 密 に 広

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が っ て い た 信 仰 を 考 え れ ば 、 本 図 が 元 亀 二 年 ︵ 一 五 七 一 ︶ に 等 伯 が 上 洛 す る 以 前 に 、 七 尾 で 制 作 さ れ た 可 能 性 は 高 い だ ろ う 。 な お 、 長 谷 川 派 の 粉 本 に は ﹁ 愛 宕 曼 荼 羅 ﹂ が あ り 、 勝 軍 地 蔵 甲 冑 騎 馬 像 の 絵 画 化 に 等 伯 を は じ め と す る 長 谷 川 派 が は た し た 役 割 を 想 定 す る こ と も で き る だ ろ う 。 こ の 地 域 に お け る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 土 壌 に 、 中 世 後 期 以 来 の 気 多 社 ・ 石 動 山 を は じ め と す る 能 登 の 寺 社 の 信 仰 が あ っ た の で あ る 。 そ の 背 景 に 、 愛 宕 修 験 の 活 発 な 活 動 を 想 定 す る こ と も で き る だ ろ う 。 二 、 加 賀 金 沢 の 勝 軍 地 蔵 近 世 に 入 る と 、 加 賀 藩 主 前 田 家 、 と り わ け 利 家 ・ 利 長 に よ る 愛 宕 社 の 勧 請 ・ 再 興 が 、 こ の 地 域 に お け る 勝 軍 地 蔵 信 仰 の さ ら な る 発 展 を 支 え て ゆ く こ と に な る 。 加 賀 金 沢 に お け る 愛 宕 信 仰 の 様 相 を み て み よ う 。 現 在 、 金 沢 市 尾 山 神 社 に 小 さ な 勝 軍 地 蔵 像 が 伝 わ っ て い る13 。 尾 山 神 社 は 、 明 治 六 年 ︵ 一 八 七 三 ︶ に 金 沢 城 の 鬼 門 に あ た る 卯 辰 山 に あ っ た 卯 辰 八 幡 宮 を 、 あ ら た に 前 田 利 家 を 祭 神 と し て 創 建 し た 神 社 で あ る 。 わ ず か 一 ・ 九 セ ン チ メ ー ト ル の 小 さ な 勝 軍 地 蔵 像 。 同 神 社 に は 、 高 さ 四 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル の 妙 見 菩 薩 像 も 伝 え ら れ て い る 。 い ず れ も 尾 山 神 社 創 設 の 際 に 、 前 田 家 よ り 寄 進 さ れ た も の で 、 卯 辰 八 幡 宮 旧 蔵 の も の と さ れ て い る 。 前 田 利 家 は 、 出 陣 の 際 、 兜 の な か に こ の 勝 軍 地 蔵 を 納 め て お 守 り と し 、 懐 中 に は 妙 見 菩 薩 を 秘 め て 安 全 を 祈 っ た と い う 。 た だ し 、 こ の 念 持 仏 は 、 弓 を か か え た 冠 姿 の 図 様 で 、 勝 軍 地 蔵 像 と し て 類 例 を み な い 。 も と も と 勝 軍 地 蔵 像 と し て 制 作 さ れ た の か 疑 問 が 残 る と こ ろ で あ る 。 と は い え 、 前 田 利 家 の 愛 宕 信 仰 を 垣 間 見 せ る 三 つ の 文 書 を 紹 介 し よ う 。 す な わ ち 、 近 世 金 沢 に は 、 ﹁ 両 愛 宕 ﹂ と 称 す る ふ た つ の 愛 宕 権 現 を ま つ る 寺 院 が あ っ た 。 小 立 野 宝 幢 寺 と 卯 辰 明 王 院 で あ る 。 こ れ に 利 家 の 念 持 仏 が 伝 来 し て い た と さ れ る 卯 辰 八 幡 宮 を あ わ せ て 、 延 宝 二 年 ︵ 一 六 七 四 ︶ の 由 緒 書 を み て み よ う14 。 ︹ 史 料 1 ︺ 延 宝 二 年 ︵ 一 六 七 四 ︶ 七 月 一 七 日 ﹁ 宝 幢 寺 由 来 書 ﹂ ︵ ﹃ 加 越 能 寺 社 来 歴 ﹄ ︶ 一 、 Ⓐ 大 納 言 様 越 前 府 中 被 為 成 御 座 候 時 分 、 宝 幢 寺 開

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山 覚 祝 法 印 御 祈 祷 被 仰 付 、 御 祈 願 寺 ニ 罷 成 、 Ⓒ 松 任 江 被 為 成 御 座 候 剋 、 御 供 仕 罷 越 、 愛 宕 堂 被 仰 付 、 其 以 後   Ⓕ 利 長 様 越 中 富 山 江 被 召 連 、 愛 宕 堂 御 建 立 被 為 成 御 祈 祷 被 仰 付 、 又 Ⓖ 御 当 地 江 被 召 連 、 唯 今 之 御 屋 敷 致 拝 領 、 御 祈 祷 今 以 被 仰 来 り 申 候 事 、 一 、 中 納 言 様 宝 幢 寺 五 代 目 之 住 持 祐 悟 法 印 時 代 、 一 七 日 被 為 成 潔 斎 、 護 身 法 御 請 被 為 成 候 由 候 事 、 一 、 陽 廣 院 様 右 之 趣 被 聞 召 、 宝 幢 寺 六 代 目 之 住 持 祐 慶 法 印 加 州 一 国 之 真 言 頭 寺 仕 候 様 、 横 山 々 城 を 以 被 仰 出 、 今 以 御 祈 祷 并 頭 寺 相 勤 申 候 事 、 右 之 通 相 違 無 御 座 候 、 以 上 、   延 宝 弐 年 七 月 十 七 日         宝 幢 寺 判       篠 原 織 部 殿       永 原 左 京 殿 ︹ 史 料 2 ︺ 延 宝 二 年 ︵ 一 六 七 四 ︶ 七 月 四 日 ﹁ 明 王 院 由 来 書 ﹂ ︵ ﹃ 加 越 能 寺 社 来 歴 ﹄ ︶   今 度 就 御 尋 申 上 候 、 一 、 当 寺 愛 宕   Ⓓ 利 家 様 御 祈 祷 故 、 堂 寺 御 建 立 ニ 而 御 座 候 、 本 之 屋 敷 者 今 安 房 殿 之 居 屋 敷 ニ 而 御 座 候 処 、 Ⓖ 利 長 様 従 越 中 当 御 城 江 被 為 移 、 其 以 後 慶一 六 〇 〇 長 五 年 鬼 門 江 愛 宕 堂 立 可 申 旨 被 仰 出 、 唯 今 之 居 屋 敷 外 之 丸 致 拝 領 、 歩 数 者 知 不 申 候 、 則 本 社 ・ 拝 殿 ・ 石 階 ・ 鳥 居 ・ 門 御 建 立 ニ 而 御 座 候 、 此 所 江 引 越 申 付 而 至 翌 年 八 ヶ 寺 末 寺 付 候 、 御 書 ・ 御 判 致 頂 戴 、 此 外 御 祈 祷 等 被 仰 付 、 御 書 ・ 御 印 数 通 所 持 仕 候 、 一 、 Ⓘ 高 岡   利 長 様 之 従 御 前 様 御 子 孫 御 安 全 之 御 為 と し て 伝 教 大 師 作 坐 像 之 薬 師 并 弘 法 大 師 作 大 黒 天 ・ 幡 四 流 ・ 打 敷 一 ツ ・ 札 箱 、 右 何 茂 御 寄 進 被 遊 、 于 今 所 持 仕 候 、 一 、 寺 之 道 町 通 り は ゞ 九 尺 長 さ 百 弐 拾 間 拝 領 仕 、 則 書 付 所 持 仕 候 、 其 後 筑 前 守 様 御 代 西 尾 隼 人 殿 御 使 ニ 而 、 愛 宕 堂 之 道 筋 は ゞ 三 間 ニ 長 さ 廿 三 間 之 所 拝 領 仕 候 、 以 上 、   延 宝 弐 年 七 月 四 日         卯 辰 山 愛 宕   明 王 院 判       篠 原 織 部 殿       永 原 左 京 殿 ︹ 史 料 3 ︺ 延 宝 二 年 ︵ 一 六 七 四 ︶ 四 月 一 七 日 ﹁ 卯 辰 八 幡 宮 由 緒 書 ﹂ ︵ ﹃ 加 越 能 寺 社 来 歴 ﹄ ︶

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  御 尋 ニ 付 申 上 候 、 一 、 当 八 幡 宮 者 、 先 規 越 中 守 山 御 鎮 座 ニ 而 御 座 候 、 Ⓔ 利 長 様 守 山 江 御 越 被 為 成 候 砌 御 守 護 神 ニ 而 、 御 祈 祷 所 被 仰 付 、 社 頭 御 造 営 被 為 成 候 、 其 後 Ⓖ 金 沢 江 御 引 越 被 為 成 候 剋 、 私 先 祖 御 供 仕 罷 越 、 八 幡 宮 御 城 鬼 門 卯 辰 山 御 勧 請 被 為 成 候 、 御 城 御 普 請 始 之 時 分 茂 、 地 鎮 之 御 祈 祷 被 仰 付 候 、 御 城 下 神 社 之 御 祈 祷 所 、 当 八 幡 宮 ニ 而 御 座 候 御 事 、 ︵ 中 略 ︶   延 宝 弐 年 四 月 十 七 日       八 幡 宮   厚 見 紀 伊 守 判       篠 原 織 部 殿       永 原 左 京 殿 こ れ ら の 寺 社 の 由 緒 は 、 い ず れ も 前 田 利 家 ・ 利 長 の 加 賀 ・ 越 中 入 部 を 契 機 と す る 事 績 か ら な っ て い る 。 す な わ ち 、 以 下 の 事 績 に ま つ わ る 。 Ⓐ 天 正 三 年 ︵ 一 五 七 五 ︶ 、 柴 田 勝 家 の 与 力 と な っ た 前 田 利 家 が 越 前 府 中 城 に 分 封 さ れ た 。 Ⓑ 天 正 九 年 ︵ 一 五 八 一 ︶ 、 利 家 が 能 登 一 国 を 任 さ れ 、 七 尾 小 丸 山 城 主 と な っ た 。 Ⓒ 同 年 、 利 家 の 嫡 男 で あ る 前 田 利 長 が 松 任 城 主 と な っ た 。 Ⓓ 天 正 一 三 年 ︵ 一 五 八 五 ︶ 、 利 家 は 加 賀 金 沢 ︵ 尾 山 ︶ 城 主 と な っ た 。 Ⓔ 同 年 、 利 長 は 越 中 守 山 城 主 と な っ た 。 Ⓕ 慶 長 二 年 ︵ 一 五 九 七 ︶ 、 利 長 は 越 中 富 山 城 に 移 る 。 Ⓖ 慶 長 三 年 ︵ 一 五 九 八 ︶ 、 利 長 は 家 督 を 相 続 し て 、 金 沢 城 主 と な る 。 Ⓗ 慶 長 一 〇 年 ︵ 一 六 〇 五 ︶ 、 利 長 は 弟 利 常 に 藩 主 を ゆ ず っ て 隠 居 し 、 越 中 富 山 城 主 と な る 。 Ⓘ   慶 長 一 四 年 ︵ 一 六 〇 九 ︶ 、 富 山 城 火 災 に よ り 、 利 長 は 高 岡 城 に 移 転 し た 。 小 立 野 の 愛 宕 山 宝 幢 寺 は Ⓐ 利 家 の 越 前 府 中 時 代 の 覚 祝 法 印 に は じ ま り 、 卯 辰 山 の 明 王 院 ︵ 廃 寺 ︶ は Ⓓ 利 家 の 金 沢 入 部 、 卯 辰 八 幡 宮 は Ⓔ 利 長 の 越 中 守 山 入 部 に 端 を 発 す る 。 こ れ 以 後 、 利 家 ・ 利 長 の 本 拠 移 転 、 築 城 の た び ご と に 、 両 愛 宕 に 対 し て 鎮 城 護 国 の 祈 祷 が 期 待 さ れ 、 あ る い は あ ら た な 愛 宕 堂 の 建 立 を 命 じ ら れ て い た こ と が わ か る 。 ﹃ 宝 幢 寺 文 書 ﹄ を み る と 、 利 家 以 来 、 毎 年 正 ・ 五 ・ 九

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月 の 祈 祷 が 恒 例 化 し て い た 。 ま た 、 慶 長 一 八 年 ︵ 一 六 一 三 ︶ に 将 軍 秀 忠 の 息 女 で 前 田 利 常 の 正 室 で あ っ た 珠 姫 が 長 女 亀 鶴 姫 を 懐 胎 し た 際 の 安 産 祈 祷 、 元 和 元 年 ︵ 一 六 一 五 ︶ の 大 坂 の 陣 に お け る 戦 勝 祈 祷 や 落 人 の 穿 鑿 を 命 じ る 文 書 な ど が あ る15 。 明 王 院 と と も に 領 内 の 真 言 宗 寺 院 の 触 頭 を 務 め る な ど 、 幕 末 に い た る ま で 加 賀 藩 と 藩 主 前 田 家 の 崇 敬 篤 い 寺 院 で あ っ た こ と は ま ち が い な い 。 一 六 世 紀 に 気 多 社 や 石 動 山 と い っ た 大 寺 社 を か か え る 能 登 地 域 で め ば え た 勝 軍 地 蔵 信 仰 は 、 一 七 世 紀 初 頭 の 加 賀 藩 祖 利 家 ・ 利 長 の 加 越 能 地 域 へ の 入 部 を 契 機 に 、 鎮 城 護 国 と 軍 神 と し て の 性 格 を も っ て 流 布 し て い っ た の で あ る 。 た だ し 、 近 世 都 市 金 沢 に お い て 、 両 愛 宕 は 火 伏 せ の 神 と し て の 役 割 を は た し て い た 形 跡 が な い 。 か わ っ て 金 沢 城 の 西 北 に あ っ て 防 火 神 と し て 信 仰 を 集 め て い た の が 、 香 林 坊 地 蔵 で あ っ た と 思 わ れ る 。 香 林 坊 地 蔵 は 、 加 賀 藩 の 御 用 薬 種 商 で あ っ た 香 林 坊 家 が 商 売 繁 盛 に 感 謝 し て 香 林 坊 橋 詰 め に 安 置 し た と 言 い 伝 え ら れ て い る 。 ﹃ 香 林 坊 家 記 ﹄ に よ れ ば 、 元 朝 倉 家 家 臣 で あ っ た 向 田 兵 衛 は 、 浪 人 の 末 、 天 正 八 年 ︵ 一 五 八 〇 ︶ に 金 沢 片 町 に 移 り 住 み 、 薬 種 商 を 営 ん で い た 。 そ の 養 子 と な っ た 香 林 坊 の と き 、 前 田 利 家 や 宇 喜 多 秀 家 の 眼 病 を 治 癒 し た こ と か ら 御 用 商 人 と な っ て 財 を な し た と い う 。 寛 永 八 年 ︵ 一 六 三 一 ︶ 、 同 一 三 年 ︵ 一 六 三 六 ︶ の 金 沢 大 火 に 際 し て こ の 地 蔵 像 付 近 だ け が 類 焼 を 免 れ 、 の ち に こ の 周 辺 の 柿 木 畠 一 帯 が 火 除 け 地 と さ れ た こ と な ど か ら ﹁ 香 林 坊 の 火 除 け 地 蔵 ﹂ と し て 親 し ま れ て き た と い う 。 維 新 後 、 長 ら く 香 林 坊 を 離 れ て い た 地 蔵 像 は 、 二 〇 〇 七 年 に 帰 座 を は た し 、 現 在 は 香 林 坊 交 差 点 の お 堂 に 安 置 さ れ て い る16 。 以 上 の よ う に 、 近 世 金 沢 に お け る 勝 軍 地 蔵 信 仰 は 、 前 田 利 家 、 利 長 の 入 部 を 契 機 と す る も の で 、 そ れ 以 前 か ら 能 登 の 寺 社 に あ っ た 信 仰 と は 断 絶 し て い る よ う に み え る 。 ま た 、 勝 軍 地 蔵 が も つ 軍 神 と 防 火 神 と い う ふ た つ の 異 な る 役 割 は 乖 離 し て い る よ う に み え る 。 藩 主 の 息 災 や 藩 の 安 寧 、 軍 事 的 勝 利 の た め に 祈 祷 を 命 じ ら れ 、 あ る い は 藩 の 寺 院 統 制 の た め の 下 達 機 関 で も あ っ た 両 愛 宕 と 、 御 用 商 人 の 商 売 繁 盛 の た め に 造 立 さ れ 、 金 沢 城 下 の 都 市 民 た ち が 火 事 か ら の 除 災 を 期 待 し た 香 林 坊 地 蔵 と で は 、 本 質 的 に そ の 性 格 が 異 な り 、 交 わ る こ と が な い 。

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外 来 の 新 興 勢 力 と し て 進 駐 し て き た 前 田 氏 が も た ら し た 加 賀 の そ れ と は 異 な り 、 越 中 で は よ り 古 層 の 信 仰 を 垣 間 見 る こ と が で き る 。 次 節 で は 、 越 中 富 山 船 橋 愛 宕 社 を 例 に 、 こ の 地 域 に お け る も う ひ と つ の 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 近 世 的 変 容 の 具 体 相 を た ど っ て み る こ と に し よ う 。 三 、 越 中 富 山 船 橋 の 地 蔵 菩 薩 像 越 中 国 富 山 船 橋 の 愛 宕 社 に 、 こ の 地 域 で も っ と も 古 い 勝 軍 地 蔵 像 が 伝 え ら れ た 。 木 造 愛 宕 地 蔵 菩 薩 半 跏 像 。 こ の 地 蔵 半 跏 像 は 、 ﹁ 長一 四 五 七 禄 元 年 夏 ﹂ ﹁ 愛 宕 大 権 現 □ □   越 中 国 婦 負 郡 万 見 郷 五 十 嵐 次 郎 左 衛 門 敬 白 ﹂ の 像 内 墨 書 銘 を も つ 。 そ の 制 作 年 代 を 一 五 世 紀 半 ば に さ か の ぼ り 、 気 多 社 の 勝 軍 地 蔵 本 地 説 の 初 見 よ り も 早 い 。 万 見 郷 は 呉 羽 山 丘 陵 北 部 に 展 開 し て い た 万 見 保 ︵ 近 世 の 駒 見 郷 ︶ の こ と で 、 地 蔵 像 が こ の 地 域 で 造 立 ・ 安 置 さ れ て い た こ と が 確 実 で 、 か つ 愛 宕 地 蔵 と し て 制 作 さ れ た こ と が 明 ら か で あ る 点 で も き わ め て 貴 重 な 作 例 で あ る17 。 と は い え 、 五 十 嵐 次 郎 左 衛 門 な る 人 物 も 、 そ の 造 像 の 理 由 も 不 明 で あ る 。 わ か っ て い る の は 、 近 世 の 船 橋 愛 宕 社 に 伝 え ら れ 、 維 新 後 に 流 失 し た の ち 、 戦 後 に な っ て 芝 園 二 丁 目 公 民 館 に 安 置 さ れ た こ と だ け で あ る18 。 愛 宕 地 蔵 像 は 、 な ぜ こ の 地 で 制 作 さ れ 、 こ の 地 に 伝 存 し た の だ ろ う か 。 船 橋 愛 宕 社 の 創 建 も ま た 、 不 明 と い わ ざ る を え な い 。 ﹃ 肯 構 泉 達 録 ﹄ に よ れ ば 、 越 中 に あ る 四 つ の 名 水 の う ち 花 の 井 は 愛 宕 神 社 の 西 方 に あ っ た と い う 。 弘 長 二 年 ︵ 一 二 六 二 ︶ 、 聖 一 国 師 ︵ 円 爾 弁 円 ︶ が 越 中 に 立 ち 寄 っ た と き 、 石 坂 の 地 に 一 寺 を 建 立 し て 、 愛 宕 権 現 を 鎮 守 と し 、 愛 宕 土 代 寺 と 号 し た と 伝 え て い る19 。 あ る い は 、 大 間 知 清 兵 衞 ﹁ 橋 北 の 神 社 仏 閣 ﹂ に よ る と 、 越 中 国 の 役 人 と し て 任 命 さ れ た 何 某 と い う 公 卿 が 、 託 宣 に よ っ て 京 都 愛 宕 社 の 祭 神 を 万 見 郷 の 鎮 火 の 守 護 神 と し て ま つ っ た 。 の ち に 神 通 川 の 洪 水 で 楓 が 原 に 遷 座 し た と さ れ て い る20 。 一 七 世 紀 に 入 る と 、 他 の 愛 宕 社 と 同 様 に 、 前 田 家 の 崇 敬 を 集 め た こ と で 史 料 上 に 散 見 さ れ る よ う に な る 。 ︹ 史 料 1 ︺ の 傍 線 部 Ⓕ の よ う に 、 慶 長 二 年 ︵ 一 五 九 七 ︶ の 前 田 利 長 の 富 山 入 部 に あ た っ て 、 宝 幢 寺 に 愛 宕 堂 建 立 の 祈 祷 が 命 じ ら れ て い た 。 万 治 元 年 ︵ 一 六 五 八 ︶ 七 月 、 富 山 藩 祖 と な っ た 前 田 利 次 が 富 山 城 へ 入 城 し た 際 、 船 橋 愛 宕

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社 は 火 事 の 多 か っ た 富 山 城 下 の 鎮 火 守 護 の 祈 願 所 に 定 め ら れ て 、 社 殿 が 造 営 さ れ 、 前 田 家 の 紋 所 の 梅 輪 内 紋 を 神 紋 と し た 。 当 時 か ら つ づ く 六 月 二 四 日 の 鎮 火 祭 は 、 富 山 市 内 の 春 祭 の な か で も も っ と も 遅 く 、 ご ち そ う が 腐 敗 し や す い こ と か ら 、 ﹁ に ぐ さ 祭 ﹂ や ﹁ ね ぐ さ 祭 ﹂ と い わ れ る 。 愛 宕 社 の あ る ﹁ 船 橋 ﹂ の 地 名 は 、 神 通 川 に 架 け ら れ て い た 船 橋 に 由 来 す る21 。 ﹁ 船 橋 ﹂ の 初 見 は 、 慶 長 一 一 年 ︵ 一 六 〇 六 ︶ 三 月 五 日 ﹁ 前 田 利 長 書 状 ﹂ で 、 寛 永 八 年 ︵ 一 六 三 一 ︶ に は 舟 数 が 三 二 艘 か ら 五 二 艘 へ 、 寛 文 元 年 ︵ 一 六 六 一 ︶ に は 六 四 艘 も の 舟 を 鉄 鎖 で つ な ぎ と め た 大 橋 に な っ て い た22 。 富 山 船 橋 は 、 江 戸 時 代 を 通 じ て こ の 地 に 架 け つ づ け ら れ 、 幕 末 か ら 明 治 に か け て 詩 歌 や 絵 画 に と り 上 げ ら れ る な ど 、 富 山 の 名 所 と し て 広 く 知 ら れ て い た 。 古 来 、 神 通 川 は 暴 れ 川 で 、 船 橋 は 氾 濫 の 常 習 地 で あ っ た 。 飛 騨 川 上 岳 に 源 流 を 発 し 、 数 々 の 支 川 と 合 流 し な が ら 山 峡 を 北 上 し た 神 通 川 は 、 富 山 平 野 か ら 日 本 海 に 流 れ 出 る 。 明 治 三 四 年 ︵ 一 九 〇 一 ︶ か ら は じ ま る 改 修 工 事 以 前 の 流 路 は 、 河 口 か ら 八 キ ロ メ ー ト ル ほ ど の 地 点 で 大 き く 東 に 屈 曲 し て 流 れ 、 そ の 蛇 行 す る 河 道 に 囲 ま れ る よ う に 富 山 城 下 が 形 成 さ れ て い た 。 神 通 川 は 、 富 山 城 に と っ て 天 然 の 軍 事 的 防 衛 線 と な る 反 面 、 た び た び 氾 濫 し 、 都 市 富 山 に 甚 大 な 被 害 を も た ら す 両 刃 の 剣 で あ っ た 。 鉄 の 鎖 で つ な が れ た 六 四 艘 の 船 橋 は 、 神 通 川 の 増 水 や 流 雪 に た え ら れ ず に 切 れ て 、 流 失 す る こ と が し ば し ば で あ っ た 。 た と え ば 、 承 応 三 年 ︵ 一 六 五 四 ︶ 八 月 二 六 日 の 氾 濫 で は 鉄 鎖 が 切 れ て 五 艘 の 舟 が 流 失 し た 。 延 宝 九 年 ︵ 一 六 八 一 ︶ 一 月 に は 流 雪 に 押 し 流 さ れ 、 天 和 二 年 ︵ 一 六 八 二 ︶ 二 月 に は 洪 水 で も ろ く も 切 断 し た 。 同 三 年 ︵ 一 六 八 三 ︶ 閏 五 月 、 貞 享 四 年 ︵ 一 六 八 七 ︶ 六 月 に は 飛 騨 か ら 流 れ 着 い た 材 木 が 押 し よ せ て 鉄 の 鎖 を 引 き ち ぎ っ た 。 あ い つ ぐ 神 通 川 の 洪 水 に よ る 大 量 の 水 死 者 を ま の あ た り に し た 船 頭 衆 た ち が 、 念 仏 講 の 世 話 人 妙 線 尼 と は か っ て 丈 六 延 命 地 蔵 菩 薩 石 像 を 造 立 し た の は 、 幕 末 の 文 久 年 間 ︵ 一 八 六 一 ∼ 六 三 ︶ こ ろ の こ と で あ っ た 。 ﹁ 船 橋 の 大 地 蔵 ﹂ で あ る 。 船 橋 の 北 側 常 夜 灯 の 横 で 、 水 難 者 の 追 善 と 往 来 者 の 無 事 へ の 祈 り が こ め ら れ た 一 体 の 地 蔵 像 は 、 昭 和 二 〇 年 ︵ 一 九 四 五 ︶ の 富 山 空 襲 で 焼 失 し た 。 神 通 川 の 洪 水 の 恐 怖 に さ ら さ れ つ づ け た 船 橋 の 地 に ま つ ら れ た ふ た つ の 地 蔵 像 。 愛 宕 地 蔵 も ま た 、 船 橋 の 大 地

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蔵 と 同 じ 役 割 、 神 通 川 洪 水 か ら の 除 災 を 期 待 さ れ て 造 立 さ れ た も の で は な か っ た か 。 四 、 神 通 川 の 鰈 退 治 神 通 川 の 洪 水 に よ っ て 橋 の 流 失 と 大 量 の 水 難 者 を 出 し て き た 船 橋 と い う 土 地 は 、 妖 怪 が 夜 行 す る お ど ろ お ど ろ し い 空 気 に つ つ ま れ 、 狐 狸 が 闊 歩 す る 怪 異 の 舞 台 で あ っ た 。 た と え ば 、 ﹃ 肯 構 泉 達 録 ﹄ に よ れ ば 、 正 徳 四 年 ︵ 一 七 一 四 ︶ 二 月 七 日 に 富 山 城 本 丸 が 炎 上 す る 数 日 前 の 夜 更 け 、 船 橋 の 鎖 が 鳴 り ひ び き 、 た く さ ん の 狐 狸 が 橋 を 渡 り 去 っ た と い う23 。 ま た 、 こ の 地 に 伝 わ る 昔 話 ﹁ 舟 橋 の 七 化 け ム ジ ナ ﹂ は 、 目 の 不 自 由 な 余 市 と い う 若 者 が 、 母 の 見 舞 い の た め に 夜 の 船 橋 を 渡 っ た 際 に ﹁ 七 化 け ム ジ ナ ﹂ と 遭 遇 す る 怪 談 で あ っ た24 。 一 八 世 紀 半 ば こ ろ に つ く ら れ た ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ 所 収 の 奇 談 ﹁ 神 通 の 巨 川 ﹂ を 紹 介 し よ う25 。 ︹ 史 料 4 ︺ ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ ﹁ 神 通 の 巨 川 ﹂ 舟 橋 の 上 に 淵 あ り 。 淵 の 主 は 川 鰈 と 云 ひ 、 一 た び 此 鰈 表 を 翻 せ ば 、 水 中 の 白 光 天 日 に 輝 き 、 舟 橋 の 上 の 人 眼 眩 き 、 水 へ 落 ち て 悪 魚 の 為 に 喰 は る 。 此 淵 富 山 の 城 中 本 丸 の 下 迄 廻 り 入 る と 云 ふ 。 曾 て 聞 く 。 富 山 大 内 蔵 卿 は 剛 力 無 双 に し て 、 又 水 練 を 得 給 へ り 。 苗 加 次 郎 右 衛 門 と 云 十 村 は 、 一 日 六 升 の 飯 を 喰 ふ 故 に 、 此 者 を 親 し み 愛 し 給 ひ て 、 常 に 此 川 の 水 中 に 入 り て 、 戸 板 を 水 底 に 突 き 立 て 、 急 流 を 遡 る こ と を な し て 慰 み 給 ふ と 云 ふ 。 或 日 大 内 蔵 卿 、 城 中 本 丸 の 下 の 淵 ま で 探 し 見 給 ふ に 、 水 怪 皆 逃 れ 散 り て 、 只 一 つ の 米 搗 臼 を 残 す の み 。 是 又 水 怪 な る も の な り 。 船 橋 の 下 に は 神 通 川 の 淵 が あ り 、 淵 の 主 は 川 鰈 ︵ ヌ マ ガ レ イ ︶ で あ っ た と い う 。 こ の 鰈 が ひ と た び 身 を ひ る が え せ ば 、 船 橋 の 上 に い た 者 は 目 を 幻 惑 さ れ 、 川 へ 落 ち て 喰 わ れ て し ま う 。 富 山 大 内 蔵 卿 は 、 一 日 六 升 の 米 を 食 う 苗 加 次 郎 右 衛 門 と い う 怪 力 漢 の 十 村 と 親 し く 、 自 身 も 比 類 の な い 怪 力 で 、 急 流 に 戸 板 を 突 き 立 て て 神 通 川 を 遡 上 す る 水 練 を し て い た 。 あ る 日 、 大 内 蔵 卿 は 、 神 通 川 の 淵 に も ぐ っ て 鰈 を さ が し た も の の 、 す べ て 逃 げ 散 り 、 米 搗 き 臼 ひ と つ だ け が 残 っ て い た と い う 。

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こ れ は 、 神 通 川 の 鰈 退 治 譚 で あ る 。 ち な み に 、 瀬 川 安 信 に よ っ て 類 似 の 民 間 伝 承 が 紹 介 さ れ て い る26 。 延 宝 年 間 こ ろ 、 神 通 川 の 磯 部 堤 の 西 に あ っ た ﹁ 五 斗 目 の 張 出 し ﹂ と よ ば れ る あ た り の 水 底 に 、 大 き な 亀 が 棲 ん で 人 の 命 を と る と い う 。 そ の 評 判 を き い た 富 山 藩 二 代 藩 主 前 田 正 甫 が 、 一 振 り の 短 刀 を く わ え て 、 渦 巻 く 深 淵 に 飛 び こ み 、 大 き な 劫 へ た 亀 が か か え て あ ら わ れ た と い う 。 こ こ で は 、 ① 前 田 正 甫 の 武 勇 譚 と さ れ 、 ② 苗 加 次 郎 右 衛 門 に か わ っ て 、 新 川 郡 福 沢 村 小 佐 波 の 怪 力 無 双 の 小 武 羅 な る 人 物 を 登 場 さ せ 、 ③ 鰈 で は な く 大 亀 で あ る な ど 、 ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ の 内 容 と 若 干 の 異 同 が あ る 。 船 橋 の 鰈 退 治 は 、 何 を 意 味 す る の だ ろ う か 。 奇 妙 な こ と に 、 こ こ で は 鰈 が 神 通 川 の 川 の 主 、 水 の 神 と し て 登 場 す る 。 実 は 、 加 越 能 地 域 で は 、 し ば し ば 鰈 が 深 淵 に ひ そ む 川 の 神 と し て 語 り 伝 え ら れ て き た 。 そ も そ も 鰈 の 姿 か た ち は 珍 奇 で あ る 。 石 川 ・ 富 山 ・ 福 井 の 各 県 で は 、 鰈 の 二 つ の 目 が 片 側 に 寄 っ て い る の は 親 を に ら ん だ せ い だ と す る 伝 承 が 言 い 伝 え ら れ て き た27 。 ま た 、 富 山 県 黒 部 市 宇 奈 月 町 に か か る 愛 本 橋 は 、 か つ て 日 本 三 奇 橋 に 数 え ら れ る 刎 橋 で 、 黒 部 川 の 氾 濫 に よ っ て た び た び 流 失 し て き た 。 ﹃ 越 之 下 草 ﹄ に よ れ ば 、 ﹁ 黒 部 川 の な が れ の 上 に し て 、 水 勢 い す る ど く 、 深 渕 千 尋 に も 及 ぶ と い へ り 。 此 橋 下 の 渕 に す め る ぬ し は 王 餘 魚 に て 、 幾 千 歳 を 経 し か も し ら ず 。 儘 人 と 化 し て 近 郷 に 往 来 し て 食 物 を も と め け る と な ん ﹂ と あ る 。 橋 下 の 深 淵 に 棲 む ﹁ 王 餘 魚 ﹂ と は 、 鰈 の 別 称 で あ り 、 橋 近 く の 茶 店 で は 、 三 代 に わ た っ て 淵 の 主 に 娘 を 妻 と し て 遣 わ し て い た と い う 。 さ ら に 、 ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ ﹁ 那 谷 愁 風 ﹂ に よ れ ば 、 石 川 県 小 松 市 の 梯 川 中 流 に 、 ﹁ 鰈 か 淵 ﹂ と よ ば れ る 深 淵 が あ っ て 、 時 折 人 の 首 を 釣 上 げ る こ と が あ る と 伝 え て い る 。 金 沢 市 湯 涌 の 薬 師 寺 で は 、 鰈 を 奉 納 し て 温 泉 の 繁 栄 や 無 病 息 災 を 祈 念 す る ﹁ 鰈 祭 ﹂ が 催 さ れ て い る 。 な お 、 伝 承 で は 、 亀 や 臼 は 鰈 と 交 換 可 能 な 存 在 と し て あ つ か わ れ て い る 。 亀 も ま た 、 龍 宮 伝 承 と 深 い か か わ り を も ち 、 水 の 神 の 使 い と し て 登 場 す る 説 話 や 民 話 も 少 な く な い 。 さ ら に 臼 は 、 豊 穣 の シ ン ボ ル と し て し ば し ば 登 場 す る ほ か 、 龍 宮 の 土 産 や 水 神 の 礼 物 と な っ た り 、 雨 乞 い の 道 具 と さ れ た り す る 例 も 散 見 す る 。 こ れ ら も 水 の 神 に 関 係 す る も の と 考 え て い い だ ろ う 。

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亀 や 臼 は ま た 、 洪 水 の 予 兆 で も あ っ た 。 ﹃ 捜 神 記 ﹄ や ﹃ 述 異 記 ﹄ と い っ た 中 国 の 志 怪 小 説 で は 、 城 門 の 石 亀 の 目 が 赤 く な る と 、 城 は た ち ま ち 陥 没 し て 湖 と な っ た と す る 。 北 条 勝 貴 が 指 摘 す る よ う に 、 こ う し た 言 説 の 源 流 に は 、 ﹃ 准 南 子 ﹄ に 所 載 さ れ る 古 代 中 国 の 都 市 歴 陽 の 水 没 譚 が あ っ た28 。 歴 陽 水 没 譚 は 、 多 様 な バ リ エ ー シ ョ ン を 生 み 出 し な が ら 伝 播 し 、 日 本 で も ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ や ﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ で は 卒 塔 婆 に 血 が つ く 怪 異 譚 に 翻 案 さ れ る な ど 、 民 間 伝 承 の な か で 流 布 し て い っ た 。 こ う し た 歴 陽 水 没 譚 の 変 奏 の な か に あ っ て 、 地 蔵 菩 薩 も ま た 洪 水 の 予 兆 と な っ て い た 。 静 岡 県 小 笠 郡 御 浜 村 の 今 切 伝 説 や 福 島 県 須 賀 川 市 に 残 る 赤 面 地 蔵 の 伝 説 で は 、 地 蔵 の 顔 が 赤 く な る の は ﹁ 泥 の 海 ﹂ と 化 す 大 津 波 の 予 兆 で あ る と 語 り 伝 え ら れ て い た 。 徳 島 県 吉 野 川 の 高 地 蔵 や 京 都 仲 源 寺 の 目 疾 地 蔵 、 栃 木 県 さ く ら 市 の 浮 島 地 蔵 、 神 戸 市 の 北 向 き 地 蔵 な ど 、 洪 水 を ふ せ ぐ 地 蔵 菩 薩 の 民 話 に は 枚 挙 に 暇 が な い 。 鰈 ・ 亀 ・ 臼 ・ 地 蔵 。 船 橋 の 鰈 退 治 譚 は 、 鰈 と 亀 ・ 臼 ・ 地 蔵 と の 交 換 可 能 性 が 示 唆 さ れ る こ と で 、 洪 水 説 話 ・ 伝 承 と し て の 性 格 を き わ だ た せ て い る の で あ る 。 鰈 を 退 治 し た ﹁ 富 山 大 内 蔵 卿 ﹂ は 、 富 山 二 代 藩 主 前 田 正 甫 の こ と と し て ま ち が い あ る ま い29 。 ﹃ 前 田 家 譜 ﹄ に よ れ ば 、 正 甫 は 、 慶 安 二 年 ︵ 一 六 四 九 ︶ に 富 山 藩 祖 前 田 利 次 の 第 二 子 と し て 富 山 に 誕 生 し 、 寛 文 七 年 ︵ 一 六 六 七 ︶ 一 二 月 に 従 四 位 下 に 叙 さ れ 、 大 蔵 大 輔 に 任 ぜ ら れ て い る 。 同 月 近 江 守 と 改 め た も の の 、 寛 文 九 年 ︵ 一 六 六 九 ︶ に 大 蔵 大 輔 に 復 し 、 藩 主 の 座 を 襲 っ て の ち も 大 蔵 大 輔 を 称 し た 。 ﹁ 大 内 蔵 卿 ﹂ は 大 蔵 大 輔 が あ や ま っ て 伝 え ら れ た も の で あ ろ う 。 前 田 正 甫 は 、 文 武 を 奨 励 し て 有 能 な 人 材 を 招 聘 し 、 新 田 開 発 や 製 鉄 業 や 売 薬 に 力 を 入 れ て 産 業 奨 励 を 押 し 進 め る な ど 、 い わ ゆ る 名 君 と し て 知 ら れ る 。 ま た 延 宝 八 年 ︵ 一 六 八 〇 ︶ 二 月 、 婦 負 郡 奥 田 村 山 中 に 狼 が 出 没 し て 村 人 を な や ま せ て い る と 、 正 甫 み ず か ら 槍 を ふ る っ て 狼 狩 り を 行 な っ た と も 記 さ れ 、 そ の 武 勇 は よ く 知 ら れ て い た 。 藩 主 み ず か ら の 怪 力 に よ っ て 害 獣 を 退 治 す る 行 為 は 、 領 主 の 領 国 統 治 能 力 の 高 さ を 端 的 に 示 し 、 武 に よ っ て 泰 平 を も た ら す 戦 国 以 来 の 武 断 政 治 の 遺 風 ・ 余 徳 と も い え る だ ろ う 。 正 甫 の 怪 力 ぶ り を 象 徴 す る ﹁ 苗 加 次 郎 右 衛 門 ﹂ な る 人

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物 に つ い て 、 文 化 八 年 ︵ 一 八 一 一 ︶ 六 月 ﹁ 苗 嶋 村 次 郎 左 衛 門 跡 由 緒 帳 ﹂ に は 、 加 賀 藩 三 代 藩 主 前 田 利 常 が 越 中 砺 波 高 儀 村 へ 来 る 際 に 、 初 代 次 郎 左 衛 門 が 増 水 し た 川 の 流 れ を 六 尺 の 戸 板 で 防 ぎ な が ら 渡 河 し た と 記 さ れ て い る30 。 利 常 の 治 世 ︵ 藩 主 は 慶 長 一 〇 年 ︿ 一 六 〇 五 ﹀ ∼ 寛 永 一 六 年 ︿ 一 六 三 九 年 ﹀ ︶ の 出 来 事 と す れ ば 、 前 田 正 甫 の 活 躍 時 期 と 齟 齬 が 生 じ る こ と に な る 。 苗 加 村 に 伝 わ る 近 世 初 頭 の 怪 力 伝 説 に 仮 託 し た も の で あ ろ う 。 文 武 に 逸 話 の 多 い 前 田 正 甫 の 事 績 の な か で 、 と り わ け 注 目 さ れ る の が 神 通 川 の 治 水 事 業 で あ る 。 元 禄 年 間 こ ろ 、 正 甫 は 、 富 山 城 下 の 西 の は ず れ に あ た る 神 通 川 右 岸 湾 曲 部 に 磯 部 堤 を 築 堤 し 、 磯 部 御 庭 を 作 庭 し た31 。 こ の 磯 部 御 庭 に は 巨 石 が 集 め ら れ 、 磯 部 富 士 や 琵 琶 湖 を か た ど っ た 大 池 が 造 成 さ れ た 。 そ れ は 、 神 通 川 氾 濫 に あ た っ て 防 堤 や 貯 水 槽 の 役 割 を 代 替 す る た め で あ っ た と も い わ れ て い る 。 大 石 を 積 み 重 ね て 造 成 し た ﹁ 五 斗 目 の 張 出 し ﹂ も ま た 、 洪 水 除 け の た め の 重 要 な 突 堤 で あ っ た 。 こ の 磯 部 堤 の 上 に 、 今 も 一 本 の 大 榎 木 が あ る32 。 一 六 世 紀 末 に 富 山 城 主 で あ っ た 佐 々 成 政 は 、 寵 愛 し て い た 側 室 の 早 百 合 が 小 姓 竹 澤 熊 四 郎 と 不 義 密 通 し 、 懐 妊 し て い る こ と を 知 っ て 激 怒 し 、 早 百 合 の 黒 髪 を つ か ん で 神 通 川 岸 の 榎 木 に つ る し て な で 斬 り に し た と い う 。 伝 説 の 初 見 と さ れ る ﹃ 絵 本 太 閤 記 ﹄ 五 編 巻 之 八 ﹁ ぶ ら り 火 ﹂ で は 、 風 雨 の 夜 に あ ら わ れ る 女 の 首 を 釣 り さ げ た よ う な 鬼 火 が 早 百 合 の 怨 念 で あ る と 記 さ れ て い る 。 古 谷 常 蔵 編 ﹃ こ ま さ ら へ ﹄ に よ れ ば 、 磯 部 の 一 本 榎 は 、 か つ て こ の 地 に 鎮 座 し て い た 鹿 島 社 の 神 木 で あ っ た が 、 前 田 正 甫 の 命 に よ る 磯 部 御 庭 の 築 造 計 画 に 際 し て 社 地 を 替 地 と さ れ た の ち も 残 さ れ た も の と 推 測 し て い る 。 早 百 合 の 伝 承 は 、 前 田 家 の 支 配 下 に あ っ た 近 世 に 、 前 領 主 で あ る 佐 々 成 政 を 暗 愚 な 暴 君 に 仕 立 て 上 げ る た め の 作 り 話 で あ っ た 可 能 性 が 高 い 。 と は い え 、 こ の 一 帯 が 氾 濫 の 常 習 地 で あ っ た こ と を 考 え 合 わ せ れ ば 、 船 橋 を 守 護 す る 橋 姫 伝 承 や 、 神 通 川 の 洪 水 被 害 を 防 ぐ た め の 人 柱 伝 説 と し て の 性 格 を も つ と も 解 釈 で き る 。 こ の 地 に 水 上 交 通 を 守 護 す る 水 の 神 た る 鹿 島 社 が 勧 請 さ れ た の も 、 神 通 川 の 洪 水 か ら の 除 災 を 目 的 と し た も の か も し れ な い 。 ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ の 鰈 退 治 譚 と は 、 近 世 富 山 藩 主 = 名 君 の 怪 力 に よ っ て 、 鰈 = 水 の 神 を 退 治 す る 物 語 で あ っ た 。 そ

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れ は 、 水 の 神 を 鎮 め る = 神 通 川 の 治 水 を 進 め る こ と で 、 領 国 内 に 豊 穣 を も た ら す 神 話 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 く り 返 し つ け か え ら れ て き た 船 橋 や 護 岸 の た め に 補 強 さ れ て き た 磯 部 堤 や 磯 部 御 庭 、 五 斗 目 の 張 出 し 。 こ の 地 で 語 り 継 が れ て き た 鰈 退 治 譚 や 早 百 合 の 怨 念 は 、 神 通 川 の 洪 水 を ふ せ ぐ 祈 り の 物 語 で も あ っ た の で あ る 。 五 、 水 の 神 か ら 軍 神 、 火 伏 せ の 神 へ 勝 軍 地 蔵 と い う 軍 神 は 、 水 と 深 い 関 わ り を も つ 土 地 に あ ら わ れ 、 水 の 神 と し て の 性 格 を も っ て い た 。 全 国 各 地 に 残 る 勝 軍 地 蔵 像 の な か に 、 洪 水 や 日 照 り と い っ た 水 難 、 水 争 い ま で を ふ く め て 、 水 と 深 い 関 わ り を も っ て い る 事 例 を 少 な か ら ず 見 い だ す こ と が で き る33 。 た と え ば 、 ﹃ 矢 取 地 蔵 縁 起 絵 巻 ﹄ に よ れ ば 、 近 江 国 安 孫 子 荘 が 隣 郷 の 押 立 保 と 宇 曽 川 を は さ ん で 合 戦 と な り 、 金 臺 寺 の 矢 取 地 蔵 が 矢 を 拾 っ て 安 孫 子 側 を 勝 利 に 導 い た と さ れ て い る 。 そ の 合 戦 の 原 因 は 、 ﹁ 用 水 争 論 の 時 、 合 戦 に 討 ち 勝 つ ﹂ と 書 か れ て い る よ う に 、 宇 曽 川 か ら 引 水 す る 銭 取 湯 と よ ば れ る 用 水 の 水 利 権 で あ っ た 。 ま た 近 世 に 入 っ て か ら も 、 ﹁ 銭 取 湯 と 申 す は 、 地 蔵 菩 薩 の 御 慈 悲 な り ﹂ 、 ﹁ 水 守 の 地 蔵 ﹂ と よ ば れ て い た 。 大 隅 国 国 分 荘 に あ っ た 永 徳 寺 は 、 昔 か ら 洪 水 の 害 が 頻 発 す る 土 地 で 、 多 く の 人 び と は 溺 れ 、 伽 藍 も 傾 い て い た と こ ろ 、 い ず こ か ら か あ ら わ れ た 地 蔵 菩 薩 が 水 難 を 除 い て く れ た 。 慶 長 一 三 年 ︵ 一 六 〇 八 ︶ に な っ て 、 一 人 の 瞽 女 が 勝 軍 地 蔵 を ま つ る 地 蔵 堂 を 再 興 し た と い う 。 肥 後 熊 本 の 愛 宕 社 付 近 は 、 雨 が 降 れ ば 井 芹 川 が 氾 濫 し て 洪 水 を お こ し 、 あ る い は 満 潮 時 に は 有 明 海 の 潮 水 が 逆 流 し て 水 浸 し に な る と い う 低 湿 地 で あ っ た 。 逆 に 、 文 化 元 年 ︵ 一 八 〇 四 ︶ の ﹃ 池 辺 寺 縁 起 絵 巻 ﹄ に は 雨 乞 い の 縁 起 譚 が 載 せ ら れ 、 江 戸 時 代 に 数 度 、 雨 乞 い を し た 記 録 も 確 認 で き る 。 武 田 信 玄 の 念 持 仏 で 、 京 都 七 条 仏 師 康 清 作 の 勝 軍 地 蔵 像 が あ る 甲 斐 清 水 寺 で は 、 江 戸 時 代 に た び た び 雨 乞 い の 祈 祷 が 修 さ れ て い た 。 高 知 県 と 徳 島 県 の 県 境 に あ る 東 洋 町 の 池 山 寺 は 、 こ の 谷 の 奥 の 大 池 の ほ と り に あ っ た が 、 宝 永 五 年 ︵ 一 七 〇 八 ︶ の 洪 水 で 山 崩 れ を 引 き 起 こ し て 谷 が 埋 ま り 、 大 池 を 崩 落 さ せ た た め 、 現 在 の 地 に 移 転 し た も の と い わ れ て い る 。 水 の 神 は 、 水 と と も に 生 き る 日 常 が 水 を め ぐ る 争 い =

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非 日 常 に 発 展 し た と き 、 軍 神 へ と 変 貌 を と げ た の で は な い か と 考 え ら れ る 。 富 山 船 橋 の 愛 宕 地 蔵 像 も ま た 、 こ れ ら の 事 例 と 同 様 に 、 中 世 後 期 に 神 通 川 の 洪 水 か ら の 除 災 を 目 的 と し て 造 像 さ れ た と 考 え ら れ る 。 そ の 後 、 慶 長 二 年 ︵ 一 五 九 七 ︶ の 前 田 利 長 の 入 部 で は 戦 勝 神 と し て 、 あ る い は 富 山 城 の 鬼 門 を 守 護 す る 鎮 城 の 神 と し て ま つ ら れ 、 そ の 性 格 を 大 き く 変 貌 さ せ て い っ た 。 さ ら に 、 万 治 元 年 ︵ 一 六 五 七 ︶ の 前 田 利 次 に よ る 富 山 立 藩 の 際 に は 、 城 下 町 富 山 の 鎮 火 の 祈 願 所 と な っ た の で あ る 。 神 通 川 の 水 の 神 か ら 前 田 家 の 軍 神 へ 、 さ ら に 城 下 町 富 山 の 火 伏 せ の 神 へ 。 こ の 変 貌 は 、 一 種 の 揺 り も ど し と し て 理 解 す べ き で あ ろ う 。 な ぜ な ら 、 ﹁ 火 を 伏 せ る ﹂ と い う 性 格 は 、 勝 軍 地 蔵 が 本 来 も っ て い た 水 の 神 と し て の 性 格 が よ び さ ま さ れ た も の に す ぎ な い の だ か ら 。 中 世 に 誕 生 し た 勝 軍 地 蔵 の 信 仰 は 、 そ の 性 格 を 大 き く 変 貌 さ せ な が ら も な お 、 た し か に 近 世 社 会 へ と 受 け 継 が れ て い っ た の で あ る 。 ︵ 1 ︶ 勝 軍 地 蔵 の 研 究 に つ い て 、 眞 鍋 廣 済 ﹃ 地 蔵 菩 薩 の 研 究 ﹄ 三 密 堂 書 店   一 九 六 〇 年 、 森 末 義 彰 ﹁ 勝 軍 地 蔵 考 ﹂ ︵ ﹃ 美 術 研 究 ﹄ 第 九 一 号   一 九 三 九 年 ︶ 、 ア ン ヌ ・ マ リ ・ ブ ッ シ イ ﹁ 愛 宕 山 の 山 岳 信 仰 ﹂ ︵ ﹃ 近 畿 霊 山 と 修 験 道 ﹄ 山 岳 宗 教 史 研 究 叢 書 一 一   名 著 出 版   一 九 七 八 年 ︶ 、 首 藤 善 樹 ﹁ 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 成 立 と 展 開 ﹂ ︵ ﹃ 龍 谷 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 一 号   一 九 七 九 年 ︶ 、 樋 口 誠 太 郎 ﹁ 中 世 に お け る 武 家 の ﹁ 軍 神 ﹂ 信 仰 ﹂ ︵ ﹃ 千 葉 県 立 中 央 博 物 館 研 究 報 告 ﹄ 人 文 科 学 二   一 九 九 〇 年 ︶ 、 小 林 美 穂 ﹁ 中 世 に お け る 武 士 の 愛 宕 信 仰 ﹂ ︵ ﹃ 三 重 大 史 学 ﹄ 四 号   二 〇 〇 四 年 ︶ 、 大 原 嘉 豊 ﹁ 高 野 山 親 王 院 所 蔵 ﹃ 勝 軍 地 蔵 ﹄ 画 像 に 関 す る 考 察 ﹂ ︵ ﹃ 堯 榮 文 庫 研 究 紀 要 ﹄ 六 号   二 〇 〇 五 年 ︶ 、 安 土 城 考 古 博 物 館 特 別 展 ﹃ 武 将 が 縋 っ た 神 仏 た ち ﹄ ︵ 二 〇 一 一 年 ︶ 、 仏 教 大 学 宗 教 文 化 ミ ュ ー ジ ア ム ﹃ 愛 宕 山 を め ぐ る 神 と 仏 ﹄ ︵ 二 〇 一 一 年 ︶ 、 黒 田 智 ﹁ 勝 軍 地 蔵 の 誕 生 ﹂ ︵ 加 須 屋 誠 編 ﹃ 仏 教 美 術 論 集 ﹄ 四   図 像 解 釈 学   竹 林 舎   二 〇 一 三 年 ︶ 、 近 藤 謙 ﹁ 愛 宕 山 勝 軍 地 蔵 信 仰 の 形 成 ﹂ ︵ ﹃ 日 本 宗 教 文 化 史 研 究 ﹄ 一 七 ︱ 一   二 〇 一 三 年 ︶ な ど が あ る 。 ︵ 2 ︶ 黒 田 智 ﹁ 勝 軍 地 蔵 と ﹁ 日 輪 御 影 ﹂ ﹂ ︵ ﹃ 中 世 肖 像 の 文 化 史 ﹄ ぺ り か ん 社   二 〇 〇 七 年 、 初 出 二 〇 〇 三 年 ︶ 。 ︵ 3 ︶ 良 助 法 親 王 に つ い て は 、 牧 野 和 夫 ・ 杉 山 友 美 ﹁ 翻 刻 ﹃ 與

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願 地 蔵 菩 薩 秘 記 ﹄ ﹂ ︵ ﹃ 実 践 国 文 学 ﹄ 四 九 号   一 九 九 四 年 ︶ 、 水 上 文 義 ﹁ 伝 ・ 良 助 法 親 王 撰 ﹃ 与 願 金 剛 地 蔵 菩 薩 秘 記 ﹄ 小 考 ﹂ ︵ 菅 原 信 海 編 ﹃ 神 仏 習 合 思 想 の 展 開 ﹄ 汲 古 書 院   一 九 九 六 年 ︶ 、 水 上 文 義 ﹁ ﹃ 蓮 華 三 昧 経 ﹄ の 基 礎 的 考 察 ﹂ ︵ ﹃ ﹁ 偽 書 ﹂ の 生 成 ﹄ 森 話 社   二 〇 〇 三 年 ︶ 。 ︵ 4 ︶ 浅 香 年 木 ﹁ 気 多 の 神 と ﹁ 異 国 ﹂ の 王 子 ﹂ ︵ ﹃ 歴 史 手 帖 ﹄ 一 一 ︱ 五   一 九 八 三 年 ︶ 、 同 ﹁ 古 代 の 能 登 国 気 多 神 社 と そ の 縁 起 ﹂ ︵ ﹃ 寺 家 遺 跡 発 掘 調 査 報 告 ﹄ 二   石 川 県 埋 蔵 文 化 セ ン タ ︱   一 九 八 八 年 ︶ 、 由 谷 裕 哉 ﹁ 漂 着 ・ 巡 回 す る 神 格 の 伝 承 と そ の 時 代 性 ﹂ ︵ ﹃ 加 能 民 俗 研 究 ﹄ 二 七   一 九 九 六 年 ︶ 。 ︵ 5 ︶ ﹃ 気 多 神 社 文 書 ﹄ 続 群 書 類 従 刊 行 会   一 九 八 〇 年 、 羽 咋 市 史 編 さ ん 委 員 会 編 ﹃ 羽 咋 市 史 ﹄ 中 世 ・ 社 寺 編   羽 咋 市 役 所   一 九 七 五 年 。 ︵ 6 ︶ 井 上 鋭 夫 ﹃ 加 越 能 寺 社 由 来 ﹄ 石 川 県 図 書 館 協 会   一 九 七 四 年 。 ︵ 7 ︶ 山 村 亜 希 ﹁ 中 近 世 能 登 七 尾 の 湊 町 と 城 下 町 の 景 観 ﹂ ︵ 千 田 嘉 博 ・ 矢 田 俊 文 編 ﹃ 能 登 七 尾 城 ・ 加 賀 金 沢 城 ﹄ 新 人 物 往 来 社   二 〇 〇 六 年 ︶ ︵ 8 ︶ 浅 香 年 木 ﹃ 北 陸 の 風 土 と 歴 史 ﹄ 山 川 出 版 社   一 九 七 七 年 、 門 脇 禎 二 ﹃ 日 本 海 域 の 古 代 史 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会   一 九 八 六 年 、 田 村 克 己 ﹁ 気 多 ・ 気 比 の 神 ﹂ ︵ ﹃ 海 と 列 島 文 化 ﹄ 一   日 本 海 と 北 国 文 化   小 学 館   一 九 九 〇 年 ︶ 。 ︵ 9 ︶ 清 水 宣 英 ﹁ い す る ぎ 法 師 と 石 動 山 信 仰 ﹂ ︵ ﹃ 金 沢 女 子 短 期 大 学 学 葉 ﹄ 五   一 九 六 三 年 ︶ 、 橋 本 芳 雄 ﹁ 能 州 石 動 山 天 平 寺 と 五 社 権 現 ﹂ ︵ 一 志 茂 樹 先 生 喜 寿 記 念 会 編 ﹃ 一 志 茂 樹 博 士 喜 寿 記 念 論 集 ﹄ 東 筑 摩 郡 ・ 松 本 市 ・ 塩 尻 市 郷 土 資 料 編 纂 会   一 九 七 一 年 ︶ 、 氷 見 市 立 博 物 館 ﹃ 石 動 山 信 仰 文 化 展 ﹄ 一 九 八 四 年 、 由 谷 裕 哉 ﹃ 白 山 ・ 石 動 修 験 の 宗 教 民 俗 学 的 研 究 ﹄ 岩 田 書 院   一 九 九 四 年 。 ︵ 10 ︶ ﹃ 越 中 志 徴 ﹄ の ﹁ 今 石 動 阿 党 護 社 ﹂ の 項 で は 、 貞 享 二 年 由 緒 書 ﹂ を 引 用 し て 、 ﹁ 前 田 又 十 郎 ﹂ が ﹁ 当 地 ︵ 今 石 動 ︶ を 城 郭 に 成 し た ﹂ と あ る 。 前 田 秀 継 の 名 前 に ﹁ 又 十 郎 ﹂ は な い も の の 、 子 息 の 利 秀 は ﹁ 又 次 郎 ﹂ を 名 の っ て お り 、 ﹁ 又 十 郎 ﹂ が 秀 継 に あ た る 可 能 性 が 高 い 。 ︵ 11 ︶ ﹁ 愛 宕 権 現 像 ﹂ と ほ ぼ 同 時 期 の 制 作 と 考 え ら れ る 等 伯 の 作 品 に 、 石 川 県 七 尾 美 術 館 所 蔵 ﹁ 善 女 龍 王 像 ﹂ が あ る の も 、 後 述 す る 水 の 神 と し て の 性 格 を 考 え る と 偶 然 と は 思 え な い 。 善 女 龍 王 は 、 五 穀 豊 穣 と 雨 を 降 ら せ る 力 を も つ 神 で あ り 、 祈 雨 の 修 法 と も 関 係 が 深 い か ら で あ る 。 ︵ 12 ︶ 本 図 の 制 作 時 期 に つ い て 、 等 伯 の 七 尾 時 代 の 作 品 で あ る か 、 元 亀 二 年 ︵ 一 五 七 一 ︶ の 上 洛 か ら ま も な い 京 都 で の 制 作 に な る か 議 論 が あ る 。 た と え ば 、 宮 島 新 一 ﹃ 長 谷 川 等 伯 ﹄ ︵ ミ ネ ル ヴ ァ 書 房   二 〇 〇 三 年 ︶ は 七 尾 時 代 説 を

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と り 、 石 川 七 尾 美 術 館 ﹃ 長 谷 川 等 伯 展 ﹄ ︵ 二 〇 〇 四 年 ︶ は 上 洛 後 説 を と る 。 東 京 国 立 博 物 館 ・ 京 都 国 立 博 物 館 特 別 展 ﹃ 長 谷 川 等 伯 ﹄ ︵ 二 〇 一 〇 年 ︶ 、 京 都 市 立 芸 術 大 学 編 ﹃ 仏 教 図 像 聚 成   六 角 堂 能 満 院 仏 画 粉 本 ﹄ ︵ 法 蔵 館   二 〇 〇 六 年 ︶ 。 主 な も の を 挙 げ て お こ う 。 ﹁ 土 居 氏 は 、 信 春 印 の 最 終 使 用 時 期 を 日 堯 上 人 像 と し 、 同 作 品 を 信 春 在 京 初 期 の 作 と 説 い て お ら れ る 。 だ が 画 風 の 点 か ら 考 え る と 、 羽 咋 市 正 覚 院 の 十 二 天 図 と 相 前 後 す る 時 期 の も の の よ う に 考 え ら れ る 。 つ ま り 描 線 や 、 賦 彩 な ど 、 ま こ と に 相 似 た と こ ろ が 多 い 。 三 十 番 神 図 ︵ 三 十 歳 筆 ︶ の よ う な 勁 直 な 描 線 は 少 な く 、 衣 の 文 様 に も 柔 ら か さ が な い の で 、 む し ろ こ れ は 十 二 天 図 と 同 時 期 す な わ ち 二 十 六 歳 の 頃 の 作 品 と み る べ き で は な か ろ う か 。 た だ 十 二 天 図 と は 仏 画 的 な 像 容 の た め の 類 似 と い う こ と が 考 え ら れ る し 、 十 二 天 図 と 日 堯 上 人 像 と の 間 に は 僅 か 八 年 間 の 差 し か な い た め 、 に わ か に 前 後 関 係 を 断 定 す る こ と は 難 し い 。 新 た に 加 わ っ た こ の 信 春 画 が 何 故 早 く 京 都 に あ っ た か に つ い て は い ろ い ろ な 問 題 を 含 ん で い る が 、 い ま に わ か に そ れ を 定 め る こ と は 困 難 で あ る 。 と に か く 、 信 春 は 、 こ の 種 の 仏 画 十 二 天 図 ︵ 正 覚 院 ︶ や 本 地 仏 を 描 く こ と を 能 登 時 代 に 習 練 し て お り 、 い わ ば 仏 画 師 的 教 養 を 身 に つ け て 出 発 し た と 推 察 で き よ う 。 ﹂ ︵ 中 村 溪 男 ﹁ 長 谷 川 信 春 筆   愛 宕 権 現 図 ﹂ ﹃ 國 華 ﹄ 七 五 編 八 冊 ︶ 、 ﹁ 近 年 、 石 川 県 七 尾 美 術 館 の 所 蔵 と な っ た ﹁ 愛 宕 権 現 像 ﹂ は 馬 に 乗 っ た 神 将 形 で あ る 。 愛 宕 権 現 は 京 都 の 西 北 に 鎮 座 し 、 そ の 形 態 か ら 武 将 の 信 仰 を 集 め た 。 そ こ か ら 京 都 で の 制 作 だ と す る 研 究 者 も い る が 、 足 元 の 円 形 の 敷 物 に は 正 覚 院 の ﹁ 十 二 天 像 ﹂ の そ れ に 通 じ る も の が あ る 。 ま た 、 同 院 に 伝 わ る 気 多 神 社 の 摂 社 、 白 山 社 の 御 正 体 と さ れ る 六 角 形 の 懸 仏 に は 、 ﹁ 愛 宕 権 現 像 ﹂ が 不 動 明 王 像 と と も に 脇 侍 と し て と り 付 け ら れ て い る 。 ﹁ 愛 宕 権 現 像 ﹂ の 制 作 地 は 七 尾 と す べ き だ ろ う 。 愛 宕 権 現 は 武 将 間 に 広 く 信 仰 さ れ て お り 、 各 地 で 制 作 さ れ た は ず で あ る 。 ﹂ ︵ 宮 島 新 一 ﹃ 長 谷 川 等 伯 ﹄ ミ ネ ル ヴ ァ 書 房   二 〇 〇 三 年 ︶ 、 ﹁ 制 作 年 代 に つ い て は 、 当 時 七 尾 に も 愛 宕 神 社 が 存 在 し 、 二 六 歳 筆 ﹁ 十 二 天 像 ﹂ ︵ 石 川 ・ 正 覚 院 蔵 ︶ と の 共 通 点 も 多 い こ と か ら 、 二 六 歳 頃 の 制 作 と の 見 方 も あ る 。 し か し 、 細 部 の 表 現 を 比 較 す る と 、 火 焔 だ け 見 て も 明 ら か に 上 達 の 後 が 確 認 さ れ 、 全 体 の バ ラ ン ス も 絶 妙 で あ る 。 さ ら に 手 の 表 現 は 三 三 歳 で 描 い た 妙 伝 寺 本 の ﹁ 鬼 子 母 神 十 羅 刹 女 像 ﹂ に 近 く 、 仏 画 の 場 合 は 一 般 的 な ス タ イ ル が あ る も の の 、 上 洛 し た と 考 え ら れ る 三 〇 歳 代 中 頃 の 制 作 と 推 測 さ れ る 。 ﹂ ︵ ﹃ 別 冊 太 陽   長 谷 川 等 伯 ﹄ 平 凡 社   二 〇 一 〇 年   北 原 洋 子 氏 解 説 ︶ ︵ 13 ︶ 尾 山 神 社 社 務 所 ﹃ 尾 山 神 社 誌 ﹄ 一 九 七 三 年 。

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︵ 14 ︶ 井 上 鋭 夫 校 訂 ﹃ 加 越 能 寺 社 由 来 ﹄ 上   石 川 県 図 書 館 協 会   一 九 七 四 年 。 ︹ 史 料 1 ︺ ・ ︹ 史 料 2 ︺ に つ い て は 、 金 沢 市 立 玉 川 図 書 館 加 越 能 文 庫 所 収 の 延 宝 二 年 ︵ 一 六 七 四 ︶ 七 月 四 日 付 の 由 緒 書 を 参 照 し た 。 ︵ 15 ︶ 金 沢 市 立 玉 川 図 書 館 加 越 能 文 庫 所 収 。 ︵ 16 ︶ ﹃ 香 林 坊 家 記 ﹄ ︵ ﹃ 日 本 生 活 史 料 集 成 ﹄ 五   文 彩 社   一 九 七 六 年 ︶ 、 片 町 商 店 街 ホ ー ム ペ ー ジ の 二 〇 〇 七 年 四 月 二 八 日 記 事 。 ︵ 17 ︶ 愛 宕 神 と 勝 軍 地 蔵 の 習 合 は 、 室 町 期 成 立 の ﹃ 愛 宕 地 蔵 之 物 語 ﹄ を 初 見 と す る 。 勝 軍 地 蔵 と 習 合 す る 以 前 の 愛 宕 地 蔵 の 作 例 に 、 滋 賀 県 大 津 市 聖 衆 来 迎 寺 に 元 徳 二 年 ︵ 一 三 三 〇 ︶ の 墨 書 銘 、 京 都 興 聖 寺 に は 建 治 二 年 ︵ 一 二 七 六 ︶ の ﹁ 愛 宕 護 山 地 蔵 講 ﹂ の 墨 書 銘 を も つ 座 像 が あ る 。 ︵ 18 ︶ ﹁ 舟 橋 地 蔵 殿 の 由 来 ﹂ の 看 板 に よ る と 、 ﹁ 今 か ら 四 百 十 数 年 前 ︵ 一 五 九 〇 ︶ 、 加 賀 太 守 前 田 利 長 公 が 、 北 陸 道 の 要 路 と し て 、 神 通 川 に 六 十 四 艘 の 大 船 を 横 に 繋 ぎ 、 三 枚 の 橋 板 を 上 に 架 け て 日 本 第 一 の 大 船 橋 が で き ま し た 。 し か し 、 大 水 の 時 は こ の 舟 橋 に 水 が 集 中 し 、 大 吹 雪 の 時 は 転 落 水 死 す る 人 が 多 数 あ り ま し た 。 富 山 藩 よ り 船 橋 の 管 理 を 命 ぜ ら れ て い た 船 頭 町 三 十 六 戸 の 船 頭 衆 は こ の 惨 状 を 目 の あ た り に し 、 こ れ を 哀 れ み 、 念 仏 講 の 世 話 人 妙 線 尼 と 計 り 、 一 八 六 一 ∼ 六 四 年 、 船 橋 の 北 側 常 夜 灯 の 横 ︵ 現 森 林 水 産 会 館 の 前 ︶ に 、 丈 六 の 延 命 地 蔵 菩 薩 の 石 像 を 建 て て 水 難 者 の 追 善 、 往 来 者 の 無 事 息 災 延 命 を 祈 念 し ま し た 。 こ れ を 船 橋 の 大 地 蔵 と 称 し 、 大 切 に 奉 祭 し て き ま し た が 、 一 九 四 五 年 の 富 山 空 襲 の 戦 火 で 焼 失 し ま し た 。 か ろ う じ て 防 空 壕 に て そ の 難 を 免 れ た 木 造 の 延 命 地 蔵 菩 薩 ︵ 一 八 七 〇 年 、 廃 仏 毀 釈 の 折 り に 愛 宕 の 宮 よ り 出 ら れ ま し た ︶ と 、 昭 和 の 町 名 変 更 の 折 り に 南 藤 井 町 に 奉 祭 の 石 像 の 地 蔵 菩 薩 を も 合 祀 、 こ の 地 芝 園 町 二 丁 目 公 民 館 内 堂 宇 に 安 置 さ れ て い ま す 。   平 成 十 一 年 十 月   富 山 市 芝 園 町 二 丁 目 町 内 会 ﹂ 。 ︵ 19 ︶ 富 山 県 郷 土 史 会 校 注 ﹃ 肯 構 泉 達 録 ﹄ K N B 興 産   一 九 七 四 年 、 佐 伯 有 義 編 ﹃ 富 山 縣 神 社 祭 神 御 事 歴 ﹄ 富 山 縣 神 職 会   一 九 二 四 年 。 ︵ 20 ︶ 五 十 嵐 正 治 編 ﹃ 橋 北 夜 話 ﹄ 橋 北 文 化 会   一 九 八 七 年 。 ︵ 21 ︶ 水 間 直 二 ﹃ 船 橋 向 か い も の が た り ﹄ 富 山 県 の 民 衆 史 を 掘 り お こ す 会   一 九 八 九 年 。 ︵ 22 ︶ 高 瀬 保 ﹁ 富 山 船 橋 考 ﹂ ︵ 田 中 喜 男 編 ﹃ 歴 史 の 中 の 都 市 と 村 落 社 会 ﹄ 思 文 閣 出 版   一 九 九 四 年 ︶ 。 ︵ 23 ︶ 前 掲 注 ︵ 18 ︶ ﹃ 肯 構 泉 達 録 ﹄ 。 ︵ 24 ︶ 富 山 県 児 童 文 学 研 究 会 編 ﹃ 読 み が た り   富 山 の む か し 話 ﹄ 日 本 標 準   一 九 七 八 年 。 ︵ 25 ︶ ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ 石 川 県 図 書 館 協 会   一 九 三 三 年 。 本 奇 談 の

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読 解 に つ い て 、 金 沢 大 学 学 校 教 育 学 類 二 〇 一 二 年 度 卒 業 論 文 の 若 林 し お り ﹁ 神 通 川 の 鰈 退 治 ﹂ か ら 多 く の ご 教 示 を 受 け て い る 。 ︵ 26 ︶ 瀬 川 安 信 ﹁ 神 通 川 水 練 の 記 ﹂ ︵ ﹃ 富 山 の は な し ﹄ 富 山 市 教 育 委 員 会   一 九 八 二 年 ︶ 。 ︵ 27 ︶ ﹃ 越 之 下 草 ﹄ 富 山 県 郷 土 史 会   一 九 五 一 年 。 前 掲 注 ︵ 24 ︶ ﹃ 三 州 奇 談 ﹄ 。 ﹃ 日 本 昔 話 通 観 ﹄ に よ れ ば 、 石 川 県 羽 咋 郡 志 賀 町 高 浜 で は 、 ﹁ 昔 、 高 浜 か ど う か わ か ら ん が 、 不 幸 な 息 子 が お っ て 、 こ と ご と に 親 が 注 意 す れ ば 、 白 い 目 で に ら ん だ ら し い 、 親 を ね 。 そ し た ら そ の 息 子 が 親 よ り 先 に 死 ん で ね 、 昔 之 こ と や か ら 海 へ 捨 て た ら し い ね 、 お 経 あ げ て 。 そ し た ら 親 が 捨 て た と こ い っ て 見 た ら 、 た く さ ん 魚 が あ が っ と っ た 。 カ レ イ だ け が 、 親 を に た ん だ そ の 罰 で 背 中 に 目 が 二 つ あ る 。 そ れ で 親 を に ら ん だ り 不 孝 し た り し ち ゃ い か ん と ﹂ と あ る 。 ま た 石 川 県 鹿 島 郡 、 富 山 県 射 水 郡 小 杉 町 黒 河 、 福 井 県 鯖 江 市 に も 同 様 の 伝 承 が 確 認 さ れ て い る 。 ︵ 28 ︶ 北 條 勝 貴 ﹁ 環 境 / 言 説 の 問 題 系 ﹂ ︵ ﹃ 人 民 の 歴 史 学 ﹄ 一 九 九   二 〇 一 四 年 ︶ 。 ︵ 29 ︶ 正 甫 が 神 通 川 で 水 練 上 手 だ っ た こ と に つ い て は 、 享 保 一 二 年 ︵ 一 七 二 七 ︶ 成 立 の 森 田 盛 昌 ﹃ 咄 随 筆 ﹄ 中 巻 ﹁ 礫 は 子 熊 の 迷 惑 ﹂ に も 言 及 が あ る 。 ︵ 30 ︶ 文 化 八 年 ︵ 一 八 一 一 ︶ 六 月 ﹁ 苗 嶋 村 次 郎 左 衛 門 跡 由 緒 帳 ﹂ ︵ ﹃ 河 邊 次 郎 左 衛 門 家 文 書 ﹄ 砺 波 郷 土 資 料 館   二 〇 〇 一 年 ︶ は 、 苗 嶋 村 弥 左 衛 門 作 成 の 由 緒 書 で あ る 。 苗 嶋 村 は 、 貞 享 四 年 ︵ 一 六 八 七 ︶ に 苗 加 次 郎 左 右 衞 門 の 新 開 に よ っ て 村 立 て さ れ た 新 村 で 、 弥 左 衛 門 は 、 次 郎 左 右 衛 門 の 分 家 筋 に あ た る 。 同 文 書 に 、 ﹁ 高 儀 村 御 旅 屋 へ 御 入 の 時 分 、 度 々 川 越 仰 付 な さ れ 、 御 馬 の 口 を 取 り 候 、 水 高 く 御 座 候 時 分 は 、 六 尺 の 戸 板 を も っ て 水 を 防 ぎ 越 え 渡 し 仕 り 申 し 候 ﹂ と あ る 。 た だ し 、 こ の 文 書 の 原 本 は 現 存 せ ず 、 昭 和 一 五 年 ︵ 一 九 四 〇 ︶ 一 〇 月 一 七 日 に ﹁ 砺 波 郡 野 尻 村 宮 司 河 合 氏 写 本 ニ 依 リ 写 ス ﹂ と の 注 記 が あ る 。 ︵ 31 ︶ 中 田 広 和 ﹁ 富 山 に あ っ た ま ぼ ろ し の 名 園 ﹁ 磯 部 の 御 庭 ﹂ ﹂ ︵ ﹃ 北 陸 の 庭 園 ﹄ 橋 本 確 文 堂   二 〇 〇 〇 年 ︶ ︵ 32 ︶ 前 掲 注 ︵ 18 ︶ ﹃ 肯 構 泉 達 録 ﹄ 、 古 谷 常 蔵 ﹃ こ ま さ ら へ ﹄ 越 之 中 州 研 究 資 料   一 九 三 六 年 。 遠 藤 和 子 ﹃ 佐 々 成 政 ﹄ サ イ マ ル 出 版 会   一 九 八 六 年 。 ︵ 33 ︶ 黒 田 智 ﹁ 水 の 神 の 変 貌 ﹂ ︵ 説 話 文 学 会 編 ﹃ 説 話 か ら 世 界 を ど う 解 き 明 か す の か ﹄ 笠 間 書 院   二 〇 一 三 年 ︶ 、 黒 田 智 ・ 髙 橋 傑 ﹁ 水 争 い と 矢 取 地 蔵 ﹂ ︵ ﹃ 金 沢 大 学 学 校 教 育 学 類 紀 要 ﹄ 四   二 〇 一 二 年 ︶ 。

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︻ キ ー ワ ー ド ︼ 愛 宕 信 仰 ・ 気 多 社 ・ 前 田 利 家 ・ 富 山 船 橋 ・ 洪 水

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