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大正大学研究紀要 94号(200903) 105阿部貴子「現代の仏教瞑想-マインドフルネス(気づきの瞑想)について-」

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現代の仏教瞑想

現代の仏教瞑想

マインドフルネス(気づきの瞑想)について

阿 

部 

貴 

はじめに

  平成元年に大正大学で「社会教化教育研究会」が発足してから二十年が経過した。これまで当研究会では、釈尊や祖師の教えを支えとする仏 教者が 現代社会のなかでいかに行動するべきかを共通の課題として研究を重ねてきた。また、メンバーは各自個人テーマを設けて検討し、研究会で 議論を行 い、それを踏まえて社会教化者養成講座の講義を展開してきた。これまでのテーマとしては、寺報作成や成道会運営といった具体的に布教教 化に関わ るものから、自殺、脳死・臓器移植問題など社会問題や生命に関わる問題があり、昨今では地域社会と仏教、仏教の社会貢献についても対象 としてい る。講座では、知識を増強するというよりも、むしろ学生自らが現実的な課題に関心をもち、情報収集や状況分析を通して思考し発言するよ う促すこ とに主眼を置く。それによって学生が自分の問題解決の根拠として、生きた教学や仏教理解を身につけることができると考えている。ただし 、研究会 活動に対しては、課題が広範すぎて研究成果が見えにくいとの指摘もある。こうした意見を受け止めつつ、本稿では、研究会の活動報告とし て、個人 テーマの考察の一端を発表したい。 筆者が社会教化演習C「現代における世界の仏教徒」の講義でも取り上げ、特にその動向に注目しているのが、本稿のタイトルでもある「マ インド フ ル ネ ス( 気 づ き の 瞑 想 )」 で あ る。 広 義 で の エ ン ゲ イ ジ ド・ ブ ッ デ ィ ズ ム( 社 会 参 加 仏 教 ) の 活 動 と 理 解 さ れ、 ア メ リ カ で は す で に 仏 教 の 修 行 法 を 代 表 す る も の と し て 定 着 し て い る。 日 本 で も「 マ イ ン ド フ ル ネ ス 」「 気 づ き の 瞑 想 」 と い う 言 葉 を、 一 般 書 物 や 雑 誌 の な か で 目 に す る よ う に な り、 特 定の新宗教や自己啓発に関係するのではという誤解は耳にしなくなった。ようやくベトナム僧で平和運動家として知られるティク・ナット・ ハン師が 提唱する瞑想法、あるいはテーラバーダ仏教の瞑想法などと理解されるようになってきたが、まるでこれが新しい瞑想法であるかのような解 説を目に 一

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大正大學研究紀要   第九十四輯 することもある。 そこで本稿では、まずアメリカにおけるエンゲイジド ・ ブッディズムと瞑想の役割(=一)を概説しておきたい。次にマインドフルネスが特定の修 行 法 と し て 普 及 し た 背 景 に つ い て、 ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 の 流 行、 ス ト レ ス 療 法 と し て の 普 及、 テ ィ ク・ ナ ッ ト・ ハ ン の 活 動 を 確 認 す る( = 二 )。 そ し て日本における社会的関心についても僅かながら言及してみたい。

一、アメリカのエンゲイジド

ブッディズムと瞑想

「 エ ン ゲ イ ジ ド・ ブ ッ デ ィ ズ ム( Engaged Buddhism )」 が 宗 教 ム ー ブ メ ン ト と し て 大 き な 話 題 と な っ て い る こ と は、 か つ て 拙 稿 に 収 め た 通 り で あ る (( ( 。エンゲイジド・ブッディズムとは、周知の通り、六〇年代にベトナム僧ティク・ナット・ハンが使用したタームをもとに、社会貢献や社会 活動を 実践する仏教を総称した用語で、南アジアや東南アジア、欧米に起こった一種の宗教的動向を指す。これまでは、インドのアンベードカルに よる下層 階級解放運動、スリランカのサルボダヤ運動、タイの開発僧によるボランティア運動、ティク・ナット・ハンによる平和運動といった社会変 革的要素 の強い活動ばかりが注目されてきた。しかし今日では、ランジャナ・ムコパディヤーヤが、これを「社会参加仏教」と和訳して、一般社会に おいて活 動する仏教者の対社会的姿勢と定義したよう に (( ( 、仏教者が布教や教化活動にとどまらず広く一般社会のために活動することを特に重視する姿勢と見な されている。 宗教学者のクリストファー・クイーン( Christopher Queen )も、アメリカでの動向を踏まえて、次のように述べている。 「エンゲイジド ・ ブッディズムは、 原始的な対抗文化が下から社会変革にコミットすることとも、 仏教国が政治力をもって上から社会変革にコミッ トすること(アジアではこの数世紀に起こったように)ともいえない。それよりも二〇世紀~二十一世紀のエンゲイジド・ブッディズムは、 地域 的なボランティア活動、 地域的 ・ 国際的なネットワーク、 社会活動や運動としてのグローバルな N GOといった、 新しい対抗文化を形成してい る (( ( 。」 つまり、伝統仏教の寺院であれば伝統的行事や祭りの地域展開、そのほかにも地区の教誨師としての活動やボランティア活動、そうした活動 をする 人々や寺院のネットワークをも、エンゲイジド・ブッディズムと呼ぶことができる。このような広義での活動は、仏教が世間と密接に結びつ き地域に 根づいてきた歴史を持つ日本にとって、特別に目新しいものとは言えないが、アメリカにおいては、これまでの仏教とは異なる新しい潮流で あるとの 見方が強い。 ア メ リ カ で エ ン ゲ イ ジ ド・ ブ ッ デ ィ ズ ム が 興 隆 し た の は、 た だ ア ジ ア の 活 動 か ら 刺 激 を 受 け た と い う 理 由 だ け で は な い (( ( 。 ア メ リ カ の 仏 教 は 概 し て、 二

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現代の仏教瞑想 反キリスト教的、反体制的意識の盛り上がりのなかで流行したブームであった。ビート世代、ヒッピー世代においては、東洋の神秘のなかに 自己の精 神的高揚を求め、社会や地域を構成しているキリスト教的文化や制度に対抗する体質をもっていた。ところが、七〇年代になると、仏教を自 分たちの 文化として捉えなおすようになり、ベトナム戦争が長期化するにつれて、禅センターのなかで自己の恍惚のみを求めるのではなく社会的に活 動してい こうという意識が芽生えるようになる。そして禅センターなどでは、日本人開教師ではなくアメリカ人改宗者や在家修行者が指導的役割を担 うように なっていった。八〇年代には仏教の大衆化がなされるにつれて、これまで明るみにならなかった指導者によるスキャンダルが発覚する。サン フランシ スコ禅センターの指導者リチャード ・ ベイカーや、ロサンジェルス禅センターのタイザン・マエズミや、チベット人在家指導者のチョギャム・トゥル ンパなどの、性的交遊、アルコール中毒、パワーハラスメントが露見し、多くのセンターが信頼を失う。九〇年代になると、その反省からい くつかの センターでは、権威的地位を設けず、多数の指導者が名を連ねる一種のサークルのようになる。アメリカでのエンゲイジド・ブッディズムは 、このよ うな仏教のアメリカ化、 大衆化というプロセスを経て起こってきた。今日エンゲイジド ・ ブッディズムを掲げる最大の団体 「ブッディスト ・ ピース ・ フェ ローシップ (

Buddhist Peace Fellowship

)」 などは、 様々な仏教集団の教師ネットワークを作成し、 クリーンでオープンなセンターの構築に努めている。 このように初期のアメリカ仏教の特徴は、キリスト教が許さないドラッグやセックス、そして瞑想によって個人のエクスタシーを求めること であっ た。ではドラッグ、セックスの排除に取り組んだエンゲイジド ・ブッディズムのリーダーたちは、瞑想修行をどのように捉えているのだろうか。活動 家のなかにはそれを重視しないばかりか、活動の妨げと見るものもいるが、リーダーたちは総じて瞑想修行と社会活動の双方のバランスを取 ることを 理想と見なしている。ティク ・ ナット ・ ハンが、自らの心の平穏が社会全体の平和へと繋がることを主張し、ゴエンカが瞑想を用いてインドの仏教改 宗者たちに慈悲や忍耐などを指導したことは、彼らの活動の手本となっている。こうした活動のなかで、瞑想修行はもはや個人の悟りや解脱 、非日常 的境地へ到達するためだけの手段ではない。アメリカの寺院やセンターでは概して、禅の系統であれば禅、テーラバーダ系統であればヴィパ ッサナー の瞑想指導を行うが、それらをアルコールや薬物中毒の治療として応用したり、刑務所での精神修養、スポーツ選手への集中力強化、企業で のストレ ス緩和の手段としても利用している。こうした活動のなかで最も注目されている瞑想法、それがマインドフルネスである。

二、マインドフルネスの普及の背景

マ イ ン ド フ ル ネ ス( mindfulness ) と は、 仏 教 用 語 の サ テ ィ( sati, smRti , ) の 英 訳 で、 「 い ま 」 と い う 瞬 間 に 気 づ き、 意 識 を 集 中 さ せ る こ と と 言 三

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大正大學研究紀要   第九十四輯 わ れ て い る。 そ も そ も 仏 教 文 献 の な か に 一 般 的 に 使 用 さ れ る「 sati 」 は、 そ の 英 訳 の 通 り、 気 を つ け て お く こ と、 心 に と ど め て お く こ と、 さ ら に は 記 憶すること、思い出すことである。原始経典では修行法として、入出息念、三十七菩提分法のうちの四念住・五根五力の一つ・七覚支の一つ ・八正道 の 一 つ に 挙 げ ら れ て い る。 そ の ほ か に ア ビ ダ ル マ の 十 大 地 法 の 一 つ、 唯 識 学 派 の 別 境 の 一 つ に も 数 え ら れ る。 た だ、 日 本 で 一 般 的 に 用 い ら れ る「 念 」 と同様に、特定の修行方法としてそこの語が単独で文献に述べられることはない。 にもかかわらず、なぜこの語が注目されるようになったのだろうか。 (一)アメリカにおけるテーラバーダ仏教とヴィパッサナー瞑想 〝 マ イ ン ド フ ル ネ ス は テ ー ラ バ ー ダ 仏 教 の ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 で あ る 〟 と い う 解 説 を 見 る こ と が あ る (( ( 。 瑜 伽 行 派 文 献 研 究 に 従 事 す る 筆 者 に は、 そ の 意 味 が よ く 理 解 が で き な か っ た。 イ ン ド 文 献 に お け る「 観( ヴ ィ パ ッ サ ナ ー) 」 は「 止 観 」 と い う 一 連 の 瞑 想 法 と し て 重 視 さ れ て お り、 テ ー ラ バ ー ダ 仏教に限ったものではない。しかも 「念 (マインドフルネス) 」 は 「観」 のみに関係するわけではないからである。これは次のように理解すべきである。 つまりヴィパッサナー瞑想とは、テーラバーダ仏教に伝わる修行法のなかで、近代になってミャンマーにおいて大衆化され、他のテーラバー ダ仏教圏 やインドや西洋諸国にも伝わった瞑想法のことで、西洋的にアレンジされた短期集中型プログラムを含む。この瞑想の典拠は主に「念(マイ ンドフル ネ ス )」 を 説 く『 入 出 息 念 経 』( MN, (( 8 ) と『 念 処 経 』( MN. (0; DN. (( ) で あ る。 そ の た め、 マ イ ン ド フ ル ネ ス こ そ が ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 の エ ッ セ ンスというわけである。 ヴィパッサナー瞑想は、もともとビルマ(ミャンマー)において、僧侶が山林修行の際におこなう瞑想法の一部であり、その原型はレディ・ サヤー ドー( Ledi Sayādaw ) 、 マハーシ・サヤードー( Mahāsi Sayādaw )などによって継承されていた。パーリ語に長けていたレディ長老は、経典等を在家 信者たちに簡潔に教えるなかで、僧侶の行う瞑想法の一つであるヴィパッサナー瞑想をシンプルな形で指導するようになった。ヴィパッサナ ーの大衆 化 と い う 流 れ の 中 で マ ハ ー シ 長 老 は、 一 九 四 八 年 に 樹 立 さ れ た 新 政 府 の も と ヤ ン ゴ ン に 瞑 想 セ ン タ ー( Mahāsi Sāsana Yeiktha ) を 創 設 し た。 さ ら に スリランカ、タイでのセンター開設に携わり、西洋諸国においても数々のセンターを立ち上げた。彼は、テーラバーダ仏教の伝統である儀式 や唱文や 布施行などを重視せず、ヴィパッサナーに焦点を当てた数週間の集中瞑想修行をおこなった。 一方、レディ長老の弟子で農夫だったサヤ ・ テトジ( Saya Thetgyi )は、 初めての 在家出身の教師となり、一般信者向けのプログラムを設定し、十 日間の集中コースを設けて活動をはじめた。彼の弟子のひとりが、サヤジ・ウ・バ・キン (Sayagyi U Ba Khin) である。国家独立後、最初の経済相を 四

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現代の仏教瞑想 務めた政治家でもある。彼は一九五二年にヤンゴンにインターナショナル・メディテーション・センターを創立し、ビルマの在家信者のみな らず、多 くの西洋人も彼のもとを訪れた。この施設は今日でもイギリスを中心に世界六ヵ所で運営されている。 彼の弟子に、 インド系移民のS. N . ゴエンカ ( S.N.Goenka )がいる。 ゴエンカは一九六九年にインドで指導を開始し、 十年後にはインド国外でも行っ た。彼が養成した多くの指導者たちも世界中で活躍し、瞑想センターは日本も含め世界中に設立され た (( ( 。こうした指導者たちは、テーラバーダ仏教自 体の布教や開教に関心をもたず、いかなる宗教に属する人々でも、興味のある人には自由にその瞑想法を指導し た (( ( 。 こうしてイギリスを始めとするヨーロッパ諸国に続き、アメリカにもヴィパッサナーが流行する。社会学者の J . W .コールマンによれば、禅やチ ベット仏教に比べてカリスマ性のある指導者がいるわけではないが、ヴィパッサナー ・ ムーブメントは急速に流行し、今日もなおそれを維持している。 一九八八年版『ブッディスト・アメリカ』の調査ではセンター数七十二箇所とされていたが、十年後の一九九八年版では一五二箇所が記され ていると いう。これほどまで浸透した背景には、身近なリーダーの存在と、教義の簡素さと、伝統的組織仏教でないという要素が挙げられる。日本人 指導者に よって禅が普及し、 チベット人僧侶によって仏教の神秘性が紹介された状況とは異なり、 アメリカ人が海外で得たものを自国で流行させた。一般の人々 にとってはより身近である。教義はブッダの説いた仏教教理を根本とし、宗教的シンボルや儀礼や慣習は排除されている。瞑想に参加する修 行者たち は、僅かな経文や偈頌を携えるものの、仏教的象徴を崇拝したり特別な衣服を身に着けることもなく、自らの心的な問題である劣等感、嫉妬 、怒りな どの抑制に専念する。その姿は修行者というよりも、まるでセラピーを訪れる患者のようだとい う (8 ( 。また、瞑想に参加しても特定の宗教教団と関係す るわけではないため、西洋人は気軽に学習し参加することができる。実際に、西洋人の修行者たちは、テーラバーダ仏教ではなくヴィパッサ ナーの生 徒であることを自覚しているという。 ア メ リ カ で ヴ ィ パ ッ サ ナ ー を 普 及 さ せ た 人 物 に、 J . ゴ ー ル ド ス タ イ ン( Joseph Goldstein )、 J . コ ー ン フ ィ ー ル ド( Jack Kornfield ) が い る (( ( 。 ユダヤ系のゴールドスタインはコロンビア大学を卒業後、タイでボランティア活動をしていた際に初めて仏教と出会い、その後インドに住ん でゴエン カ 等 の 指 導 を 数 年 に 亘 っ て 受 け て い た。 コ ー ン フ ィ ー ル ド も 大 学 卒 業 後 タ イ で 活 動 し、 そ こ に 住 み タ イ の 森 林 僧 ア チ ャ ン・ チ ャ ー( Ajahn Chah ) に 師事し僧侶となる。二人はコロラド州のナーローパ大学にテーラバーダ仏教の瞑想指導者として招かれたことをきっかけに、一九七六年、同 僚ととも にマサチューセッツのバリーにインサイト ・メディテーションソサイアティ(ⅠMS)を創設した。一九八四年にⅠMSを去ったコーンフィールド は、 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 の 郊 外 ウ ッ ド エ ー カ ー に ス ピ リ ッ ト・ ロ ッ ク・ メ デ ィ テ ー シ ョ ン・ セ ン タ ー ( R M C ) を 創 設 し た。 I M S が 伝 統 的 教 理 に 基 づいたヴィパッサナー瞑想に重点をおくのに対し、SRMCはそれを中心にしながらも、環境問題や心理療法などにも取り組んだ総合的なプ ログラム を展開している。 五

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大正大學研究紀要   第九十四輯 こうしたセンターにおける瞑想プログラムは平日の夕方や早朝に数時間行うものもあるが、中心となるのはリトリート(滞在型修行)である 。IM Sの場合を紹介すると、現在主要な指導者は十六人、それ以外にもアジア人僧侶などがおり、それぞれが異なるグループで指導にあたる。期 間は週末 のみのものから一週間、三ヶ月、半年など様々で、参加者はセンターに住んで寝食を共にしながら瞑想や学習に専念する。通常、早朝五時~ 夜十時ま での間に、坐禅瞑想と歩行瞑想を各四十五分ずつ 6 ~ 7 セット行い、朝と夕に菜食の軽食、昼に主食をとり、夕方に教師の法話や意見交換の時間を一 時間もうける。 瞑想プログラムのなかで根幹となるのが、マインドフルネスである。修行者は『入出息念経』と『念処経』に説かれる方法を指導される。こ こで両 経 典 の 概 要 を 述 べ て お く と、 『 入 出 息 念 経 』 で は 最 初 に 十 六 種 の 方 法 で 入 息 出 息 に 念 を と ど め る こ と が 説 か れ る。 そ の う ち 最 初 の 四 種 で は、 身 体 行 為 としての実際の呼吸の動きに気づきながら呼吸する。次の四種では苦楽などの感受作用を意識しながら呼吸をする。次の四種では心の活動を 意識して 呼吸する。最後の四種では無常などの法を意識しながら呼吸をする。このように呼吸をしながら四念処ともいわれる身・受・心・法への念を とどめる のである。 『念処経』においては、呼吸とは別に四念処を修習することが説かれる。 「身念処」については、入出息に念を凝らすこと・行住坐臥や日常 の行為に際してまさにそれに気づきながら行動すること ・ 身体の内部の臓器の観察 ・ 身体を形成する要素の観察 ・ 墓地での不浄観の方法が説明される。 「受念処」は心が苦 ・ 楽 ・ 非苦非楽を感じたときにそれを意識すること、 「心念処」は怒りや貪りなどの心が生じたときにそれを意識すること、 「法念処」 は五蓋、五蘊、六処、七覚支、四諦を観察することである。経典では最後にこの瞑想をたった七日修習しただけでも、阿羅漢や不還果に到達 すると説 いている。このなかで、ヴィパッサナー瞑想が特に重視しているのが、一連の呼吸法と、姿勢や身体の動きに気づきながら動作をすること、 そして瞑 想中に自身へ入ってくる匂いや音、浮かんでくる雑念など、いずれかに意識を止めることなく、現れては消えてゆく対象に意識を向けるとい うことで ある。 (二)ストレス療法としての普及 このようにマインドフルネスは、ヴィパッサナー瞑想の根幹であるが、これが今日のように単独の用語として注目されるようになったのは、 ストレ ス 療 法 と し て そ れ を 利 用 し た ジ ョ ン・ カ バ ッ ト ジ ン( Jon Kabat-Zinn ) の 活 動 に よ る と こ ろ が 大 き い。 ま た 彼 の 影 響 に よ っ て、 ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 のセンターはエンゲイジド・ブッディズムとして社会的役割を担うようにな る ((( ( 。 カ バ ッ ト ジ ン は、 一 九 七 九 年、 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 大 学 医 療 セ ン タ ー に「 マ イ ン ド フ ル ネ ス に 基 づ く ス ト レ ス 低 減 セ ン タ ー( The Center for Mindfulness-Based Stress Reduction; M B S R )」 を 開 設 し た。 彼 は 著 書『 マ イ ン ド フ ル ネ ス  ス ト レ ス 低 減 法 』 の 序 文 で ((( ( 、 日 本 の 読 者 に む け て 自 六

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現代の仏教瞑想 分が日本の禅の影響を受けていることを述べ、訳者である春木豊氏はその復刊によせて、彼の活動の基盤が禅にあることを認めて東洋思想の 技法がア メリカの心理学界で注目されていると述べている。カバットジンは禅の影響ももちろん受けているが、マインドフルネス・プログラムの確立 は明らか にヴィパッサナー瞑想によるものであ る ((( ( 。 では実際のMBSRのプログラムはどのようなものかというと、 対人関係や仕事などでのストレス、 慢性的な痛み、 不安やパニック障害、 睡眠障害、 疲労、高血圧、頭痛などを持つ人々が対象で、八週間で毎週一日二時間半のクラスが用意されている。それ以外の時間でも、クラスで行った 方法を自 主的に実践するように指導される。 八週間プログラムの内容は次の通りである。 第一週~第二週:   十分間の呼吸法と、四十五分間のボディスキャン。ボディスキャンとは、仰向けになって、足先に意識を集中させ徐々に上に向 かい頭頂部へと意識をうつしていくこと。このプロセスのなかで体の各部分が呼吸と共に動いていることを感じていくことである。体の一部 に痛みが あるときは、他の部分へ意識を向けることにより、痛みを緩和することができる。また反対にその部分に集中することにより、痛みがそこか ら生じて いるものかを見定める。 第三週~第四週:   呼吸法は十五分~二〇分。四十五分間のボディスキャンとヨーガを一日ずつ交互に行う。ヨーガとは、特定のポーズを取り、バ ランスをとっている一々の瞬間に集中することである。これによって、集中力と忍耐力を得ることができる。また体の各部分の結びつき、意 識と体の 一体感、自分と外界との一体感を体験する。 第五週~第六週:   四十五分間のヨーガと静座瞑想を一日ずつ交互に行う。静座瞑想とは、呼吸への集中を基本とし、心に浮かぶ様々な事柄に意識 を向けそれが単なる心の創造物だと観じること、またその事柄が瞬時に生滅するのを意識することである。ここでは「自己」という観念や様 々な執着 が出てこないように注意する。 第七週~第八週:   毎日四十五分間、自由な組み合わせで実践する。第八週には、クラスの終了後も実践できるよう独自のプログラムを作成する。 このプログラムを指導するのはクリニックを訪れる患者に対してばかりではない。いまや受刑者、教育者、会社経営者にも及ぶ。特にスポー ツ選手 の 精 神 修 養 と し て も 知 ら れ て い る。 ス ポ ー ツ 心 理 コ ン サ ル タ ン ト の ジ ョ ー ジ・ マ ン フ ォ ー ド は、 数 々 の ヴ ィ パ ッ サ ナ ー セ ン タ ー で 訓 練 を 積 ん だ の ち、 カバットジンのもとで五年勤務し、一九八六年から刑務所や学校や企業での指導に従事してきた。彼を著名にしたのは、 N B A チームのヘッド・コー チ、フィル・ジャクソンに雇用されたことである。一九九三年よりシカゴ・ブルズ、ロサンジェルス・レイカーズで瞑想を指導し、ブルズを 三度、レ 七

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大正大學研究紀要   第九十四輯 イカーズを三度、ワールドチャンピオンシップでの優勝に貢献した。今日でもボストン ・ カレッジでいくつかのスポーツ ・ チームに関わりながら、ヴィ パッサナーセンターでも指導に当たる。スポーツ選手に対する彼のプログラムでは、怒り、不安、恐れ、傲慢を除いて平常心を養うこと、集 中力、忍 耐力を高めることに重点を置く。そして、日常のトレーニングにおいても、動かしている体の各部分に意識を集中させること、余分な感情を 持ち込ま ずに「いま」を意識することを指導し、いかなる環境においても集中できるよう選手たちの精神力を高めてい る ((( ( 。 彼 の よ う に、 カ バ ッ ト ジ ン の 影 響 に よ っ て 多 く の 指 導 者 が 生 ま れ て い る。 カ バ ッ ト ジ ン は 一 九 九 五 年 に 新 し く Center for Mindfulness in

Medicine, Health Care, and Society

も開設し、 患者への対処ばかりでなく、 次世代の指導者養成、 研究者や学者による研究会議の運営、 教育現場で の プ ロ グ ラ ム 作 成 を 始 め た。 ま た、 認 知 療 法 で 著 名 な テ ィ ー ズ デ ー ル( J. D. Teasdale ) が う つ 対 処 法 と し て マ イ ン ド フ ル ネ ス の 有 効 性 を 発 表 し た こ と で ((( ( 、今日ではさらに多くの学問的関心が彼のもとに寄せられている。 (三)ティク・ナット・ハンの活動 マインドフルネスはテーラバーダ仏教のみに伝わるものではなく、禅や止観の根本的な瞑想法として長く受け継がれてきたものでもある。ヴ ィパッ サ ナ ー の 流 行 と 時 を 同 じ く し て、 ま た 別 の 方 向 か ら も そ の 瞑 想 へ の 関 心 が 起 こ る。 そ れ が テ ィ ク ・ ナ ッ ト ・ ハ ン が 提 唱 し た マ イ ン ド フ ル ネ ス で あ る。 彼は、臨済禅僧侶として出家したが、ベトナム戦争を経験し寺院で瞑想に専念しているのではなく、社会で活動していくべきだと主張し、六 〇年代初 頭にサイゴンで社会奉仕青年学校(SYSS)を立ち上げ、爆撃を受けた村の再建、学校、医療センターの建設、家を失った家族の援助活動 などを展 開 し た。 「 エ ン ゲ イ ジ ド ・ ブ ッ デ ィ ズ ム 」 は 彼 の 言 葉 に 由 来 す る が、 彼 が そ の 活 動 の な か で 瞑 想 を 否 定 し た こ と は な く、 積 極 的 に 日 常 の 行 為 に 取 り 入 れようとす る ((( ( 。実践と非実践の間の障壁を取り除き、一瞬一瞬の行為を瞑想的に行うことこそがエンゲイジド ・ ブッディズムであるとも明言す る ((( ( 。 ア メ リ カ で 二 十 五 万 部 以 上 が 売 れ た と い う ((( ( 『 The Miracle of Mindfulness 』( 一 九 七 五 ) で は、 マ イ ン ド フ ル ネ ス と い う 用 語 を 使 用 し、 気 づ き な が ら行う呼吸法や歩行瞑想、身体が五蘊によって成立していることへの気づき、不断に移り変わる心への気づきを紹介した。また、五戒の現代 的解釈と し て「 生 命 に 敬 意 を 払 う 」「 寛 容 に な る 」「 性 的 責 任 を 果 た す 」「 深 く 耳 を 傾 け 愛 を こ め て 話 す 」「 意 識 的 な 消 費 を す る 」 こ と を 提 唱 し て き た が、 最 近 で は そ れ ら を「 五 つ の マ イ ン ド フ ル ネ ス ・ レ ー ニ ン グ 」 と し て、 単 に 戒 め で は な く 日 常 の 瞑 想 法 と し て 紹 介 し て い る。 ま た『 ビ ー イ ン グ・ ピ ー ス 』 ( 一 九 八 七 ) で は、 意・ 口・ 身 に 関 す る 独 自 の 十 四 の 戒 律 を 提 唱 し て い る が、 そ れ も 今 日 で は「 十 四 の マ イ ン ド フ ル ネ ス・ ト レ ー ニ ン グ 」 と 自 ら 解 釈 し直している。 現在ティク・ナット・ハンは、一九八二年に南フランスに創設したプラムビレッジにて、百人以上ともいわれる僧侶・尼僧・在家修行者など の居住 八

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現代の仏教瞑想 者たちとともに生活をしながら、リトリートを設けて世界中から集まった人々を指導する。またアメリカ支部のディア・パーク・モナストリ ーなどへ も出向く。ヴィパッサナーセンターが、 慢性疾患や心理的な問題を抱える人々を対象に個々にマインドフルネスを指導するのとは異なり、 子どもと親、 学生と教員、パートナー同士などをグループで指導するのが特徴的である。プラムビレッジで毎年行われる夏のリトリートは六歳~十五歳の 子どもを 対象としたサマースクール的な役割を果たし、世界の国々から子どもたちが集まる。二〇〇一年夏の二週間のリトリートには数十人のパレス チナ人と イスラエル人を含めた八百人が集まっ た ((( ( 。こうしたリトリートでは、典型的なヴィパッサナーセンターのように四十五分間の瞑想を一日に数回行うと いったトレーニングはなく、スポーツや休憩時間を設けた生活のなかで、穏やかな心と人間関係を育むプログラムを展開する。それは彼の教 えのキー ワード「相互存在 inter-being 」の実践でもある。

まとめにかえて~日本における関心

アメリカでの流行にともない、 日本でも 「マインドフルネス」 「気づきの瞑想」 という言葉を、 一般書物等で目にするようになった。それはティク ・ナッ ト ・ ハンの著作の邦訳が出版されたり、井上ウィマラ、 A .スマナサーラ両氏がヴィパッサナーやテーラバーダ仏教の瞑想法を現代的に解説している ことが大きく影響している。また、これを日本のスピリチュアル文化の要素と捉える見方も現れている。伊藤雅之氏はマインドフルネスをヨ ーガとし て理解しながら「スピリチュアル文化の根底にあるのは、 「いま、 ここ」や「気づき/直感」や「ありのままの自分」を重視する現在志向で表現主義的、 自己肯定的な世界観である」と述べてい る ((( ( 。 また、宗教とは別なところでも多くの関心が寄せられている。アメリカを中心に認知行動療法の技術として研究され、その成果が近年日本に 紹介さ れたことで、行動療法の分野で認知度が急激に高まった。二〇〇五年にはS.C.ヘイズ等による『マインドフルネス & アクセプタンス ― 認知行動療 法の新次元』の和訳が出版された。ここでは、新しい行動療法の一つの要素としてマインドフルネス認知療法を紹介し、カバットジンが作成 した技術 についての理論構築、 各疾患に対する個別の有効性の証明、 新たな可能性を議論している。特にうつ病の再発 ・ 反復防止に有効とされるのが、 「脱中心化」 した視点を身につけること、つまり瞬間瞬間の行為や感情をとらえ、それらが心のなかで創造されて消えていく些細なことにすぎないと気づ くことで あるとい う ((( ( 。また、ストレスや強迫観念から起こる摂食障害、アルコール・薬物障害の治療法としても有効性を証明するデータが揃ってきている。さ らに、今日の科学技術によって、神経伝達物質や神経構造活性や脳血流などの生理機能に及ぼす影響についても検証されてい る ((( ( 。 九

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大正大學研究紀要   第九十四輯 註 (()小 山 典 勇・ 阿 部 貴 子「 現 代 社 会 と 仏 教 学 に 関 す る 一 考 察 」『 大 正 大 学 研究紀要 』 八十九、 二〇〇四年。なお「エンゲイジド・ブッディズム」 の解釈やそれをめぐる諸議論に関しては拙稿「社会参加仏教(エンゲ イジド ・ ブッディズム) をめぐる議論 ― 現代社会にむかう視座 ― 」(『阿 部宏貴、現代密教』第二〇号、二〇〇九年)を参照。 (()ランジャナ・ムコパディヤーヤ著『日本の社会参加仏教 ― 法音寺と立 正佼成会の社会活動と社会倫理』 、東信堂、二〇〇五年、二十八頁。 (()C hr ist op he r Q ue en , " In tro du cti on ", Ac tio n D ha rm a: N ew Stu die s in E ng ag ed B ud dh ism , C hr ist op he r Q ue en , C ha rle s Pr eb ish , a nd

Damien Keown ed., RoutledgeCurzon, NY

, ( 00 (. p. (( . (()アジアでのエンゲイジド ・ ブッディズムは、そもそもアジアの工業化、 近 代 化 を す す め る 欧 米 の 道 具 で あ っ た と い う 見 方 も あ る。 ( 小 山・ 阿 部二〇〇四年、二十一頁) (()井 上 ウ ィ マ ラ「 上 座 仏 教 の ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 」『 大 法 輪 』 平 成 二 〇 年五号、一〇六 ― 一〇九頁。 (()D.C. Ahir ed., VIPASSANA: A Universal Buddhist Technique of Meditation,

Sri Satguru Publications, Delhi

,1999. pp. (-8. (()G il Fr on sd al, "I ns ig ht M ed ita tio n in th e U nit ed S ta te s", T he F ace of Buddhism in America , Charles S. Prebish and Kenneth K. Tanaka, ((( 8. p. ((( . (8)James William Coleman, The New Buddhism: The Western Tradition of An An cien t T rad itio n, O xfo rd U niv er sit y Pr es s, N ew Y or k,2 00 1. p.( (; pp (0 (-((( . (() ibid . pp. (( -8 (. ((0)Richard Hughes Seager , Buddhism in America , Columbia University Press, New Y ork, 1999. pp. ((( -((( . ((()J .カバットジン著 ・ 春木豊訳『マインドフルネス   ストレス低減法』 以上のように、マインドフルネス(念)は仏教の瞑想として古くから実践されてきたものであるが、今日では伝統仏教の解釈とは異なったか たちで 知られるようになった。とはいえ、布教教化という点から私見を言えば、これをただちに寺院での教化活動に導入してはどうかと提案したい わけでは ない。一般の人々のなかには従来の仏教とは異なる目新しいスピリチュアルな身体的活動に関心をもつものもいるだろうが、それが寺院活動 の活性化 にダイレクトに繋がるとは思えない。アメリカでは、現実社会における人々の救済を掲げるエンゲイジド・ブッディズムの一側面としてそれ が機能し て い る が、 そ う し た 活 動 理 念 が 浸 透 し て い な い な か で、 宗 教 性 や 神 秘 性 を 欠 き、 か つ ダ イ エ ッ ト な ど の 健 康 効 果 に も 直 結 し な い マ イ ン ド フ ル ネ ス が、 アメリカ同様に普及するかは疑問である。なによりも、寺院にとっては、伝統的に培われてきた宗教儀礼や修行こそが重要である。しかし、 仏教者と して、このような世界の仏教動向を視野に入れることは決して無意味ではない。たとえ特定の寺院や宗団の利益に直結しなくとも、それを通 して、社 会全体の仏教への関心を少しでも高めることができるのではないか。また、宗派に属するものにとっては、伝統的な儀礼、葬儀、修行など、 無自覚的 であれ意義のある行為に対して、その意義や自らの立場を見つめ直すきっかけをもつことができるのではないだろうか。 一〇

(11)

現代の仏教瞑想 北大路書房、二〇〇七年。 ((()カ バ ッ ト ジ ン が 初 め て ヴ ィ パ ッ サ ナ ー 瞑 想 の 紹 介 を 受 け た の は、 ロ シ ア 系 ユ ダ ヤ 人 移 民 の Larry Rosenberg で あ っ た。 彼 は シ カ ゴ 大 学 の 心 理 学 者 で、 一 九 八 五 年 に は マ サ チ ュ ー セ ッ ツ の ケ ン ブ リ ッ ジ に C am br id ge In sig ht M ed ita tio n C en te r を 創 設 し 、I M S で 指 導 を 行 っ ていた人物である。カバットジンは決して彼による指導のみに基づい て心理療法プログラムを構築したわけではない。彼も他の指導者たち もテーラバーダ仏教の特定の系統に所属し、その伝統を継承してきた というよりも、様々な指導者のもとを行き来して、すでに流行してい た禅やチベット仏教、ハタヨーガに影響を受けながらも、この瞑想に 落ち着いたという経歴をもつ。 ((() "EYE ON THE BALL", Tricycle : The Buddhist Review , Summer (00 (. pp. (( -(( , ( 0( -( 0( . ((() ら の 業 績 は 二 〇 〇 二 年 に ま と め ら れ 二 〇 〇 七 年 に 翻 訳 が 出 版 さ れ た。 ( 越 川 房 子 監 訳『 マ イ ン ド フ ル ネ ス 認 知 療 法 』 北 大 路 書 房、 二〇〇七年) 、また行動療法の分野からもヘイズ( S. C. Hayes )やリ ネ ハ ン( M. Linehan ) に よ る 研 究 業 績 が 二 〇 〇 四 年 に 発 表 さ れ 翌 年 に 翻 訳 が 出 版 さ れ た。 ( 春 木 豊 監 修『 マ イ ン ド フ ル ネ ス & ア ク セ プ タ ンス : 認知行動療法の新次元』ブレーン出版、二〇〇五年) ((()「瞑想は社会から離れ、社会から逃げだすことではなく、社会への復 帰 の 準 備 を す る こ と で あ る。 こ れ を 私 た ち は、 「 行 動 す る 仏 教 」 と 呼 んでいます。 」ティク ・ ナット ・ ハン著 ・ 棚橋一晃訳『仏の教え   ビー イング・ピース』 、中公文庫、一九九九年、六八頁。 ((()前掲書八十頁。 ((()Coleman (00 (. p. (88. ((8)ティク ・ナットハン著・塩原通緒訳『あなたに平和が訪れる禅的生 活のすすめ』 、アスペクト、二〇〇五年、二五〇頁。 ((()伊藤雅之「スピリチュアル文化風にアレンジされたヨーガ・ブームと その背景」 『宗教と現代がわかる本 (00 ( 』、平凡社。 ((0)S.C. ヘ イ ズ、 V.M. フ ォ レ ッ ト、 M.M. リ ネ ハ ン 編 著、 春 木 豊 監 修、 武藤崇監訳『マインドフルネス & アクセプタンス:認知行動療法の新 次元』 、八三頁。 ((()前掲書三七三頁。 一一

参照

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