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晴代満洲の辺彊社会
清朝の流刑政策と辺盛その二I
川久保悌 け
K P 良
はしがき
清代全期を通じ多数の罪徒が遡鎧に発配されたOその軍事的・経済的並びに社会的意義と役割とには辺匪社会の考
察に際し着通し難いものがあるとする立場から'嘗てこの問題を乗り上げ'「清代に於ける辺薩への罪徒配流につい
て」‑清朝の流刑政策と辺彊その一‑と越し本誌第十五号'史学篇
Ⅱ
に一文を発表したことがある。しかしその叙述は'寂幅の都合もあって清朝の流刑制度乃至流刑政策との関連において清代流刑地の年代的分布とそれへの発配
の頻度の変遷を跡づけたにすぎず'当然論及すべくして論及し得ないま
1
に割愛した部分が少くなかった。本稿では前稿の欠を補‑意味で主として流刑地における罪徒の種々相を明らかにすると共に'併せて辺彊社会形成の問題とそ
の実態に触れて見たいと思‑。従って表題は異るが'本稿は前稿の続篇をなすものである。
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F・圭 や.Y.(‑.‑1.二..,,LtlrPP
55
ヽ
さ て 前
稿で
見
来っ
た
如く、
辺 彊 諸 地 域 に 配
流の
身なとっ た 罪
徒は、
発配の事なた由とっ 罪 状が種雑多でばかあ々るり で
なく、
そ の 素 性において凡身分職業等も出自々‑・・‑
ゆる
階
層を
網 羅ておしり、 従てそのっ 適 用 律亦各も
部門・
条
項に
亙てっ
いる。
配 所 に
在てっ
彼 等 罪 徒のけ‑ た 待 遇 や 服
役内
容
がこ
れに
応てじ 差 別 があのはる いでなまもく‑、 同じく 流 滴 生 活はと いな
1
がら
各
罪犯
毎にその 境 遇はさざであて'ままこっ
れを
一 律 に 論
ずる
わけに は ゆ かない。そ こ で 清
律の
分け方に 従い官犯と 黙のざるらも、
即ち
常 犯にと 大
別てし
考えること が 便宜であろ官犯は文と‑。
武の
員 官
で 法を犯し 罪
に問
わ れ たのも、 常犯はと 官 員 に 非ざのそるも
ゝ
れをいのこ‑。 外' 宗
室・
覚
羅・
旗 人なのど 特 殊 身 分者の 罪犯を 一 般
人の
罪犯'
即ち
民犯と 区
別てし
考え出ることも 来少なるともく。 文 献 上 に 現 わ れ た 限では、り
罪犯
発 配 事
例の中'
官 犯 関 係
のも
の は 可
成り
の 分
量に
上ていそのるっ。 事由亦公も
罪私・
罪に
分 た
れる
が、
要 すに、官る
服 吏
務 規 定 違
反類、の
職務上の 怠
慢失・
策、収
賄 及び官
物公・
金の
詐 顧 横 領 等々の 汚 職に関すの'るも 或はた破ま
廉恥
な 背 徳 行 為なで、ど 一 つてとし 尭 大なる 官 僚 機構に巣喰宿弊'官吏階級須廃証左たいいののざのはなてるも‑らとっ 過
言で
はな
いのである。 常犯の 場合同も 様事は多岐にその由 亙が、一る 般的にい強盗殺人強姦致死てっ・・ 等兇悪々 な 犯 罪、
悪
質な
国 禁
侵犯
に 基のもく が 大 部 分をめ'占 更
にま
た 官員と 黙のを問ざるもらと
わず、
特 殊 身
分者と
一 般
と 人
の 別なく' 謀 反罪大逆・
罪・
謀叛罪に問わなど
れた
政治犯、或はた邪教入信宗教犯類、及びれ縁坐者まのののこら
・ 連 累 者 は 数 量 的 に 見
ても
相
当の
割 合
を占
め て い
たと
考
えら
れ何る。 れに同流刑てもじしく
(
讐
舶
㌍
緋JSJn
韻律
に )
処
せら
れ たて律にい「としも‑、 流」「・
(充
) 軍」「発達」軽重艮階にた当該ののよまり・、 罪犯身分に応のじ て 比 較 的 安 易 放 縦 な 状態置かに れたのあたも
1
っ 反 面、一方では奴て終身苦役に坤吟せを得かたなざなものとるっっ も あ′っ′て、
彼 等 流 徒配の 所におけ態る
様は
千差
万 別た。であっ
先 ず 幾多の 流 刑 事 例について 検
すると'
配
所に
至てっ
後の
流
徒の
状
態と
服
役内
容は、と
「 安 挿
」・
「 安 置
」
「 ・
敦
.
‥ . i J i J
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j T ‑ J . 1 ‑ ; 1 , L : . : i p 7
5 6
力
」・
「 敦 力 行 走
」・
「 敦 力 腰 罪
」「自・ 備
斧資
敦力
原 罪
」「・
当 差
」「・
種 地
」「・
充 当 苦 差
」「・
給官
兵 為 奴
・ 」
「
管束
」「・
厳重管束
」「圏禁・
」等に富んのニアス々ンュ だ表現下にの
示さ
れいてるこ。 れ表現にはのの中ら
安 「
挿
」と
か
「 管 束
」と
かの
如く
単な普る 通 用 語てとし 一 般
的な
意
味にも
解さ
れのがあが'るこもる
れのら
字
面の
相 違 1
は
決し
て 無 限拠のでは律に準拠た軽重差等を暗示ていいて㌧かそななのもしるとよししくしっ、 れにてれしもこ' だけでは そ
れら
が 示 す 具 体
的内
容と
差 異がと 分明であはると 必
ずもし
い
1
得な
い。
今比
較
的明
確と
思 わ
れる
表現
上の
差
異に
着目
すなばへるら 服
役内
容に
関てはし
8「
敦力
」、
⑧「当 差
」、
⑪「種 地
」、
抄「給官兵
為奴」'
管束の 度合に
関し
て はi2' q
安挿、
㈱
管束t
S圏
禁の都合七つのル乃至範プグー 噂に大別すが出ること 来か思それよとてこのしら‑‑。
‑ ち 事 例てとし
最も
頻出
度の高いのは 8
⑧ 紺であて'っ
就中
8は
官犯の 場 合に多く 見 受けら れ、
「 購 罪
」 を
伴の‑
通 が
例である。 因 み に 光 緒 大 帝 会
典巻
五 三 刑 部' 五 刑 発 達の条には「官犯則 命
数力
購
罪悪
」あ「ると。
効力
」の内
容に
い つ
ては
後 述す次にぎる。
⑧ 餌は常犯で 流
刑に
処
せら
れ たのも
1
該 当 例
が大
部
分で'
当
然な
がら
事 例
数に
おいても、 犯の 罪 数にお いても 圧 倒 的 に多く'
苛も
辺
薩に
発 配
になっ
た 罪
徒の
境 涯 や 動 静 に 関てし は' 考 察の中 心 対 象なとるも
で の
あ
る。
⑧と
紺のと
別は1見て明しら かでて問題はい.あなっ 律文において「当も 差」「 為 奴
」の別を 設けている。 例えは前引大の 滞会典巻 五 三、条同の 説明のに中も
「 発 往 吉
林・
黒 龍
江・
伊
翠・
辿化
等 処。
酌 量 地方大 小。均句安挿 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
。 分 別当差 為 奴。(下略)
」見えておとり' 皇 朝 文 献 通 考 巻
二〇四
刑考、
徒
流の
条にも
「
乾隆
二 十六年定 発達巴里坤 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
人 犯。
分 別 種 地 当 差 為 奴 之 例。
」あとり'
「 当 差
」
「 為 奴
」の
外に
価
「 種 地
」 を 区 別ていなる.し お
清史稿、
刑法志 0
二 に 見 え「る 発 達
」の
説 明 箇 所に「(も上略) 乾隆年間新 薩閑静例又有発往伊梨烏木里坤境斉巴各回城。分別・・ ヽ ヽ ヽ ヽヽ2
為奴
種 地者。(下
)
略」「種あとる
OV
地」いかには専開墾耕作に従事せめれた場合指を「当差」とらららうししと、 は
その
他の
雑 役 差
侯に
充当さ れのをいろが'「当のであるも‑‑ 差
」場合畑お働含ぬのて田にけ労をなかとるまこと
'一 ・ . ・・:I/T:
1▼.■JJ
ろう。同じく「当差」でも「充当苦差」となると、辛苦の度合の異ること勿論である。
⑧ ⑧ ㈱
何れにしても流犯が配所に在って肉体的重労働を強いられたことには変りないのであって、死一等を免ぜられた重犯や前科を幾度となく重
ねた悪質の罪犯は皆配所に発配された上苦役に服するか、或はまた兵丁に給せられて奴となり、その駆使するところ
となったのである。S圏禁は宗室・覚羅などの特殊身分者の重犯に多くその適用例を見るもので、配所において監禁
生活を余儀なくされたものである。恐らく清朝皇族としての彼等の体面上、他の流犯と一線を劃する頼り扱いをなし
たものと思われる。尤も一般流犯でも、例えは当人が精神錯乱者であったり、狂暴性があって管東上特にその身体的
自由を束縛する必要がある場合の如く特殊事情のある時は、この処置がとられたことい‑までもない。
ニ
さて官犯は前述の如く配所へ発配の上「敦力購罪」せしめ、罪の軽重に応じて三年或は十年の刑期満了後は本籍地畑へ釈回せしめるのが一般通則となっているが
、
それにしても「教力」とは頗る幅のある表現であって、その実際について具体的内容を検討して見なければならない。幾つかの事例を挙げよ‑。前稿でも引用したところだが、薙正四年
十月阿爾泰へ流された楚宗の場合は「発往阿爾泰種地処効力」(需紺帳謂謂Tm.Ei..gTL#)であり、同七年七月同地方
に発配になった御史揚保の場合は「発往阿爾泰駅墓力」(闘謂にの条)であり、また同五年間三月挿漠抱輝に配せら
れた兵部尚書法海の場合は「発往挿漢抱輝。‑‑在水利処。教力行走」(嗣贈乾酪の条)であり、鳶乾隆四十l年
十二月伊型に流された御宗文の場合は「・・・・・・以司官教力購罪」(語調 録巻一〇卯の条)であり、同じく四十九年三月新
%1(送られた広東巡撫尚安の場合は「弁事故力票」(嗣硝監禁)
両准塩政巴寧阿の場合は「‑‑在工程処。白備資斧。敦力頃罪。」 であり、なおまた同五十八年九月熱河に流された
(謂鰯鎧讐完丁なっており、官犯が配所に
・ ・ ,̲ヽ
I. .I̲ [ 'L r.., I.・ F. ・ ‑
・∴∵・.jrJrp.It・JT.十 .‑ 1 .・. 、ヽ 7...I .Y
PI‑
朝耶淵謁潤増鋼川棚LI'7‑.1'ヽL・L
58
ヽノ
在って課せられた役務がさまざまであったことが窺われる。これらの事
例 に 微 す る な ら は '
勿論一概にはいえないが配所所在の駅姑・官街等において事務雑用を弁じ'或はまた水利工事・造営工事などの現場で監督や請負仕事に充
当せしめられたことが明らかであって'「自備資斧」とは所要費用を自弁したものであろ‑0
要するに'官犯は一面その前歴・経験・能力を買われて'いわば知的役務に使役利用され'必ずしも単なる肉体労
働のみを強いられたわけではない。従って名目上は「流刑」及びこれに準ずるものであっても'その実質は僻地への
左遷と何等異るところなかった場合も少なくないのである。但し官犯といえどもその罪状特に重いものはこの限りで4なく'昔差に充当されたのであって、事実その事例も亦決して乏しくない。たゞ官犯の場合は「数力磨罪」の適用事
例が最も多く'その点一般的であったと見供される。
官犯の服役内容が概ね以上の如きものであったとするならは'配所における彼等官犯に対する監督、硬締りの程度
がどのよ‑なものであったかがはゞ推察されるが'恐らく寛に失する向きがなくはなかったであろ‑。殊に清朝官紀
の弛緩が漸く著るしくなった嘉慶以降その弊が愈々認められるよ‑である。同じく官犯でも大員と小員とでは自ら
異るものがあろ‑が'一般的にいって彼等の流講生活には安易放縦に堕するものがあったことは否めない。例えはt..'臣僚に国法の励行を要請するところあった嘉慶十五年七月丙子の上諭を見ると「近来諸臣の中には法を厳格に執行す
る者が少なく'法を廃する者が多い。人の怨みを買ってまでも法を励行しょ‑とする心がなく、ただ恩を売ることの
み知っている。本朝の法度は公平で一切の断罪'論刑も亦厳にすぎ当を失するとい‑ことがなかったと思‑が'若し
仮りにあるとするならばへかたく法を執って論奏すべきである。」との意を述べ'更に語を続けてヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ豊有陽奉陰違。私向罪人眠比之理。即如近日査出潮武布等獲罪之後発往昔林。秀林等尭為之代修住房。快助盤費。ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ.ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ並且為之措轍官項.甚至錬送節礼多次。風聞各処造成官犯。並有与将軍並坐共食者。豊不可骸。朕於臣下所犯罪名。
㌧Pi..IA/∵㌧・・J'.・.,..p二・・)ヽ..ト..f三・.