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110
一反枢袖再加州と戦略椴想の開始
二中立法改正後の新型航空機対外供与諭争
三レィンポー︒Ⅳと対英司非交戦国﹄武器援助
四六・二二﹁陸海軍共同評価﹂より九・二五可軍需品生産問題L報告︵以上﹁金沢法学L六巻一号︶
五米英兵器の規格統一と米英スタフ会議ABC開催決定
六米英スタフ会議ABCとABC協定
七レィンポ−.VⅡ西大西洋パトロールと西半球内荻地の戦斗叩側︵以上可金沢法学﹂六巻二号︶
に焼き︹八︺・︹九︺・︹あとがき︺となる袴のものであった︒
水悩は︑もともと既発褒の拙樋可参戦刑のアメリカの戦略柵想の発展I陸虹参雛本部を中心として㈲・㈲﹄︵﹁金沢法学L六巻一号・二号︶に統き目として発表する予定でノートしておいたものを︑本誌編集者の御厚意により︑ここに掲載させて頂くことになったものである︒本穂が本誌において独立の證椅ともなるように︑もともと準備してあったノートに若干の説明的補足を加えはした︒しかし本稿の︹ご・︹二︺・︹あとがき︺は本来は前稿すなわち②八・三○・ルーズヴュルト指令と﹃勝利計画Lく胃◎昌卑畠圖ヨ
ニ太平洋Ⅱ対日戦略椛想llフィリピンとハワイ 一可勝利計画﹂く胃︒q勺3胃艶冒L側七・九・ルーズヴルェルト書簡
まえがき 参戦直前のアメリカの戦略構想
く胃︒q勺3胃艶冒と妓終的戦略概恕 l陸軍参謀本部を中心としてI
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111
一﹁勝利計画﹂ぐ旨8昌弔8胃四目と般終的戦略榊想
一九四○年八月十三日に開始されたナチ空乖の猛烈なイギリス本土攻撃︑その最只中の八月二○三一日にロン
ドンでもたれた米英予伽スタフ会般︑そして九月七日にナチ空耶の攻唯目標が︑それまでのイギリス空耶・航空飛地
破砕よりロンドンその他の都市の無差別燃駐に転換︑lこうした現実とプロセスの中で︑それまではルーズヴェル
ト個人の強い期待・確信にすぎないともいえ︑爪部の判断は悲観的であった︑イギリスの存続はルーズヴェルト政府
の全体が砿腿する事実とされた︒この事実を前提としてアメリカは︑それまでの専ら防衛的な対独西半球防衛戦酪椛
想Ⅱレインポー︒Ⅳ︑したがって︑それは当時のアメリカ国内の強力な孤立主義的政治勢力およびドイツの値軍な対
米政雄よりしてW和的平和の可能性も全くは否定し切れない対独対決より︑九・二五﹁叩柵品生産問題﹂報告の中に.
書かれていたように︑場合によってはイギリスと協定してダカールおよびアゾレス諸島・ケープヴェルデ諸島という
西半球外の地域に進出し︑その結果としてヨーロッパ戦争に蔽極的に叩邪介入することになる危険をも敢て側そうと
︵●且︶する新しい段階へと︑すなわち将来の対独軍事対決を予定する段階へと︑その戦略構想の基本軸を転換させた︒
こうした戦略柵想の雑本柚娠換の上にたってアメリカは︑十十一月のルーズヴェルト三選川後に︑対英武器援助
とアメリカ自身の急速な軍拡という競合・矛盾する束諦品生産要求を︑これまでのような混乱した非能率的な応急対
策によってではなく︑米英兵器の規格統一すなわちイギリスの特定の十コ師団を完全にアメリカ型兵器だけで装備す
るという形で︑生産の合理化Ⅱスピード・アップをはかりながら体系的に︑しかし当面は寧ろ対英供給に優位を髄い
て︑解決していく政策を決定した︒そして四一年三月十一日には武器貸与法序且︲庸易①シ鼻を成立させて︑イギ
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陸水のハワイ防衛任務とがき フィリピン防衛体制の強化
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113
こうしたルーズヴェルトのヨーロッパ戦争・第二次大戦に対する熟瞳した態皮は︑武器貸与法成立いらい陸取が繰
返えし強調してきた︑逓終的勝利にいたるまでの系統的戦略決定に韮づく耶弼品生産計面Ⅱ﹁勝利計画﹂富◎8暑
犀︒喝色目確定に明白なサジェストやコメントを与えなかったことにも示された︒勝利計画なしにはABC協定も物
質的奥付を欠き︑したがって実際には単なる戦略方向の決定にとどまり︑また断片的にしか実行出来ないのであった︒
その勝利計画にルーズヴェルトが乗り出したのは独ソ開職後︑とくにソ同盟の冬季持久確認後のことであり︒そして︑
それによってアメリカの戦略描想は︑物質的裏付をもって︑簸終的に系統的に確定されたのであった︒
仙拙棚﹁参戦前のアメリカの戦略描想の発展㈲﹄︵金沢法学・六の一︶︑とくに︑︾一あ︹四︺六・一三﹁陸海軍共同評価﹄
より九・二五﹁軍需品生産問題L報告︒
②拙稿﹁参戦前のアメリカの戦略椛想の発展目﹂︵金沢法学・六の二︶︒ 当時にあっては︑もしドイツが東方に向うのならば︑それが実行されるまではドイツに過大な刺戟を与えて︑その結果としてドイツが西方に向わざるをえないようになることを避けるという現実政漿的考忠から︑より憧亜な方法を選んだ︒そのために西大西洋パトロールは︑枢軸艦船のパトロール地域侵入を必要とあれば武力攻撃を加えて阻止する半球防衛計側第一号によってではなく︑パトロール地域内で発見した枢軸艦船を追跡・攻雛はせず単にイギリスに通報するにとどめる半球防衛計両第二号によ三﹂︑そして西半球内飛地の戦斗準備と同じく︑公然たる宣言によってではなく秘密命令によって実行させ︑またドイツ西進の予想の下で五月二四日に出した六月二二日アゾレス占領準伽命
へ○今︶令も祓後に取消した︒
︵1︶七・九・ルーズヴェルト書簡
七月九日にルーズヴェルトは陸海軍長官に次の書簡を送った︒
﹁陸海耶長官または代理が協力してやアメリカの潜在的敵国打倒に必要な束需品生産の全面的調査を直ちに行う
1
114
これはルーズヴェルトが与えた妓初の勝利計而作成の術令であった︒しかし︑さきにもふれたように勝利計画は︑
このルーズヴェルト書簡を始点として論鍍が開始されたものではなかった︒
すなわち︑もともとアメリカの派拡と鐘合・予盾する大並の対外武器援助に反対な陸派が一月六日の武器疵与法案議
会提川に賛成したのは︑ルーズヴェルトの希望・圧力によってだけではなく︑その成立と関連して長年の主張である
︽う﹄︶軍濡品のバランスした増産が実現されるとも期行したからであった︒その陸軍は一月一西日に参縦本部Gl4関係会
︵句︾︶識で︑参謀総茂に提案する対外武器援助による軍拡阻害の危険と耶拡問題を討議し︑その論議を韮礎としてGl4担
当参諜総長補佐ムーァ︵霞︒冒乱p富︒◎吋①︶は二月三日にマーシャルに﹁四○年十二月二日の米型兵器によるイギ
リス特定十コ師団装備協定の再検討と班拡目標の正式の再主張﹂をサジエストし︑そして改訂軍拡目標プランを二月
土茎百に提出した︒その内容は︑なお一四○万のPMP︵甲◎穂◎号⑦言c巨冒汁−..勺一興巳兵力実現を第一目標とし ことを望む︒その調壷報告は予期される味方と敵同および必要になると考えられる作戦活動方面についての適切な想定と関述させられたものと了解する︒軍諦品および総ての型の機械兵器ば︑貴下たちの判断で︑滞在的敵国が使川しうるよりも適切に多批となるよう凋在されることを鋤む︒その凋在報告によって爪諦生巌目概を砿立し︑要求される工業能力を叶算することが可能になる︒もちろん排細な報告をサジエストしているのではなく︑全般的兇迦しの上にたってアメリカの防衛に蛾も飛要な品目を含み︑また生施局6雪8具申◎合go冒冨§農のI目の胃IOPM︶によって現実の生産能力と結びつけられうるものをサジエストしているのである︒後に修正されるにしても︑プログラムが全休的に把握されていることが必婆である︒貴下たちに求めている侭頼しうる畑盃棚作は︑剛にアメリカの雌雄能力の有効な活川に大きく役立つだけではなく︑アメリカの防衛計師に関巡して必嬰な対外供給の大きなスピード・アップ叶両にも適切に役立つものになると怖じる︒吋鍍にはホプキンズを参加
︽︒Ⅱ︶させることを求める︒また討鵡のイニシアティヴは陸耶災官がとるのが適当だと思う﹂︒
1 一F
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115
はするが蛎二段階には二八○万・第三段階には四○○万に潮大することを企図したものであり︑しかも︑ただ一○○万・
二○○万・三○○万とラフに総数だけを挙げた四○年プランとは異なり︑蝋強される兵力の具体的編成をも段階的に
明示したものであった︒このプランをマーシャルは︑対英援助との関係を考慮する条件づきで十四日に承認した︒ま
︵q︾たマーシャルは︑ムーアが二五日に提示したイギリス十コ師団米型兵照装備協定再検肘の具体案をも承認したcしか
︵民︾︾し武器庇与法成立・武器疫与予算決定までは︑こうした隙耶の主張・要求は討瀧の直接の対象とはならなかった︒
︽P回︶さてスチムソン陸軍長官が﹁アメリカを戦争に導く﹂と語った武器食与法が成立し︑またABC協定も報告されて
いた四〃七日に︑GI4部︑オーランド︵塁曾昌い少目色且︶は﹁勝利を保証する供給計画を作成しうる陸海飛・
海上委典会・イギリス代我の合側機側没脱を隙那災宙に要諦﹂をムーアに提案し︑その承認をえてスチムソンに伝え︑
︵β︾また提案内容は十八日にGl4部内で回覧された︒その同じ十八日に爪術担当の雌耶次官パターソンもスチムソンに
次のメモランダムを提出した︒
間級当肋の敵・味方・職場を想定した明白な戦争政簸・戦略決定に雑ずく勝利にいたるまでの必要双浦品の長期的・
妓終的図式化と生産プランⅡ勝利計画の権威ある確定を主張・要諦する︑こうした提案・メモランダムは︑単なる軍
拡をではなく︑明らかに参戦・勝利を正式に前提としようとするものであった︒つまり陸軍は︑すでに武器食与法成
立・ABC協定段階において︑たとえば米英兵器規格統一協定にみられたような体系的生産・供給の部分的・析定的 ﹁②⁝⁝予期される敵岡と味方および作戦活動方向についての適切な想定に韮ずく︑勝利達成に必要な生産に関する決定が川来るだけ早くなされるべきである︒アメリカと味方に利川可能な双術生巌戯は敵剛のそれよりも多並でなければならない︒⑧適切な勧告をなす陸耶・海耶・海上委貝会・生旅局代表の合同委側会没侭︒③何れにしても︑適切なプランがスタートしうるように︑陸軍省の要望する最終的束需品生産に関し決定が必要であ
︵︵己︶
ヲ︵︾﹂︒
−
サ
116
方向決定とは異なる勝利計画を︑それなくしてはABC協定も単なる方向決定にとどまるアメリカ戦略椛想の物質的.
裏付という問題を明白に提起したのであった︒さきに提出されていたムーアの系統的・具体的編成を明示した砿拡プ
ランも︑こうした勝利計画との関連においてのみ実際に討議の対象となりうるのであった︒
ところで︑こうしたメモランダム・提案の処澄はスチムソンより︑すでに二月に武器岱与関係担当を命ぜられ常に
ルーズヴェルトと密接な述絡をとっていたバーンズ国務次官代理に託されたのであるが︑そのパーンズは意識的に︑
椛限をもって勝利計測を作成しうる合川蚕︑会没慨問題は無視して︑剛にメモランダム・提案に晦じたプランの勧告
のみを四〃二九日に統合参謀本部︵冒貝少吋目里色目zご野︺︒且︶に求めた︒雌耶では戦争計両部︵雪自里昌
pg⑦毘目の胃IWPD︶を中心として参謀本部で問題が吋識されたが︑このサジェストだけでは確信あるプランニ
ングは川来るものではなかった︒そういう状況においてパターソンは再び稜極的に動き︑五月十七日にマーシャル以
下の参砿本部メンバーを招いた帥で︑生産局のビガーズCO目ロ.里関①園︶をして﹁ホワイト・ハウスは生産局に
墹廉対蛾を強く要求しており︑ルーズヴェルトは生産工場は佑墹されるべきだと考えている︒しかし陸氷のための生
産休制仙火は︑その注文が拡大を光分にジャスティフアイするとの保弧がなければ蹄路される︒全粉要目棟がわかっ
ているのなら︑注文はチョピチョビなされるよりも︑もっとスムースに川されうるのではないか﹂とデリケートな意
味をもつ発高をさせた︒この発言にもかかわらずwPDは︑なおも二○日に﹁全戦端プランに雑ずく政策形成の機関
設侭がなければ米・英・中の双滞品要求の競合・矛盾・混乱は解決されえない﹂との態度を表明していたが︑しかし
マーシャルは︑もはや高級当局の決定をまつことなく自分の麦任において陸娠の勝利計画Ⅱ戦略・砿拡・軍蒜品のプ
ランニングを進めることを決意し一二日に次のことをwPDに指令した︒﹁飛術の蛎強・変更について色々なサジェ
ストが絶えず示されてくるが︑われわれは現状についての更に明白な戦略的採価をもつことによってのみ術に提起さ
れる細織的・技術的・戦略的術洲題に適確な回韓を与えうる︒参媒本部の他の部局とも述絡して私に提川する押価を
缶
117
︵q︺︶作成されたい﹂︒
すでにWPD部内で勝利戦略作成にあたっていたウェデマィャーがばちに担当蛍任者に任命され︑その原案笠ハ〃
三日に﹁未完成案﹂として参雛本部各部に回覧された︒それは︑
﹁アメリカ陸軍兵力が広汎な作戦活動のために勤貝・訓練・装伽されうる駁も早い時期は一九四三年七月.一日︒
アメリカはレインボー.Vプランの下で参戦﹂
と想定し︑そして﹁交戦附側の能力・迩図・限界およびアメリカの兵力・輸送力・必要耶滿品・加術狼厳力に関して
は梢報概括中﹂と述べるものであった︒また︑その舸日にはwPD災代理マローニィ&.︺・冨画さご︶がマーシャ
ルに﹁枢軸国と味方諸国の行勁の可能な想定しうるライン判定が研究されている﹂と伝えていた︒そして︑この勝利
︽︑︾戦略草案は七月初︑おそらくは七月一日に完成されたと思われる.
このように七凡九日にルーズヴェルトが始めて勝利計伽作成を指令する前に︑すでに陸耶部内では勝利汁阿硴定の
必要が揃感・強調され︑そして独自の黄任において陸迩としてのプランニングが進められていたのであった︒それで
は︑こうした陸耶の要望・助向をバーンズなどを通じて知り︑またビガーズ発言などから推定されるように間接的に
は雌耶に独自武任のプランニングをほのめかしながらも︑なおルーズヴェルトが︑それまでは正式のサジェスト・コ
メントを与えず︑そして七月九日になって敵・味方・戦場を想定した勝利計画の即時作成Ⅱ勝利計測の最尚政治決定
にのりだした理由は何処に求められるべきであろうか︒その回答は︑さきにみた陸乖での勝利戦略プランニングに際
して敵・味方の力と行勁コースの判定が群易にはなされえなかったことと関巡して川されねばならないであろう︒
すなわち︑さきにみたように︑すでに四〃十八一二日の西大西洋パトロール実施に際してルーズヴェルト政府部
内で即時対独参戦の主張が強く出され︑また五月二四日にはアゾレス占航準備命令が出されていたが︑それはドイツ
西進の予想に韮ずくものであった︒しかしルーズヴェルトはドイツの東進を強く予測する現実政策的考腫から使耐な
、
踊側f
119
︽M︾あろう︒この戯金の機会にアメリカは海耶による完全な准送その他の大西洋での行勁を行うべきである﹂と述べ︑ま
た二四日にはスタークもノックスの了解をえて﹁西大西洋を広汎に保謹する遡送を戒ちに宣言・州始すべきだ︒それ
は明らかにアメリカを参戦させるが︑しかし参戦を遅らせるのは危険でありイギリスの存続にとって致命的である﹂
︽鳩︺と勧告した︒その何れもソ同盟の短期敗北を予想し︑そのようなソ同盟を援助Ⅱ軍蒲品分散することなく︑与えられ
た休思期間を利川して参戦を辞さない大西洋作戦の強力な巡行を主狼するものであった︒
またルーズヴェルトの独ソ戦に対する雌初の態度も侠亜なものであった︒六″三一百にはウェルズ国務災官代理を
して単に﹁反ヒトラー主義勢力の結集は勢力の源が何であれ現在のドイツ指導者打倒とアメリカの安全に役立つ﹂と
の外交辞令的態度のみを新聞発表させ︑二四脚に在米ソヴェト溢施凍結解除・二六日にソヴェトに中立法不適川宜言
はしたが︑しかし二四日にもった記者会兇では﹁対ソ援助川怠﹂を述べながらも﹁現在はロシアに要求鮒会中﹂と典
︵鴉︶体的態度表明を避け︑そして七月一日にカナダ首相キングに送った書簡の巾で﹁もしロシアが夏を持ち耐えないなら
対英援助とくに大西洋支配のための努力が強化されるだろう﹂と低え︑また一時は耶部が主張する強力な大西洋進送
︽耐︶を七〃十一日に実施するプラン起草に刷窓を与えてさえいたのであった︒しかし六〃三○日にソM脱が促川した九現
目の扱助要求リストは工場施没に亜点が慨かれており︑その焚期抗戦決意を示していると受けとられるものであり︑
また駐ソ大使スタインハートは七月一・二・三日に﹁スターリンは急には和平をしないであろうしロシアはウラル以東
︵咽︶に後退させられても抗戦を続けるであろう﹂と報告してきた︒そして七月七側には前駐ソ大使で圃務災宮特別補佐の
デーヴィズQo銅①嘗画ロ豊gからホプキンズに﹁ロシア雌姫の抵抗は一般に予想されていたよりも通かに効果的
だった︒そこでヒトラーが講和を策謀しスターリンが再びだまされることも不可能ではない︒アメリカがイデオロギ
ーを越えて誠実に対ソ援助するとの何等かの保証をスターリンに与えるならヒトラーの策謀は或る程度は妨害される
︵鯛︶であろう﹂とのメモランダムが送られていた︒こうした邪実・報告とくにデーヴィズの押価と主張などによってルー
一 下一
121
予算妓終案七○低ドルは︑三月十三日にマーシャルから陸・海・圃務廷官に提出され検討された︒
@号昼..弓函鵠I︒このことをスチムソンは三月十七日に陸軍省に連絡に来たGl4部員たちに語った︒またマーシ垂︲ルも三
月二○日にスチムソンに﹁現在の航空機生産計画は︑アメリカは攻撃的な対外飲空戦斗を準備している︑と述べなければ︑ア
メリカ爪に必盤とは処鯉されないものだ﹂と苫いた︒
⑩子冨・等弓函さl畠.
⑪しかも﹁ホプキンズがワシントンを出発するまえから︑ルーズヴェルトがモスクワ旅行の可能性を総じていたということは︑
ちょっと考えられないが︑でもまるきりなかったとはいえない︒だがそんなことがあったにしても︑ホプキンズがロンドンに
行くさいに桃えていったどの覚特にも︑それに関する簡及はぜんぜんない︒チャーチル︑ワィナント︑ハリマンが同想してい
るところでは︑この旅行の思いつきはホプキンズ︑身がごく突然考えだして︑即座にそのための行勁をしたのであるし︒◎言鼻
画豐の﹃箸︒a︾詞8開く畏画己困◎吾旨罷委己言冒曽①要巽︒qゞ忌邑も.臼印井上光彦訳﹁ルーズヴェルトとホプキンズ・
IL三四八頁︒
⑨ ③ ⑦⑰ ⑯ ⑮ ⑫毎日新川翻択委員会訳﹁ウィンストン・チャーチル第二次大戦回顧録L十巻・二五九六○頁︒ェの﹃冨目恩鼠
1両︒◎器ご里?望昌冒﹃ゴの一曼鼬﹃司回の望一壱也晒の邑曾己号の勺函g弓彦①埋め◎巨砲言・岳雪・でP9K劃
⑬望曾君︒&︾8.昌・︐弓.g甲上.邦沢普︑三三四五頁︒
⑭乏三冨目F︐侭晶の﹃画邑ぃ閃く①愚寓Q①勝︒︒ゞ司胃ご息g冒呂言胃忌さl呂含.后$も.認P
⑮塁g﹃旨鴇冨き﹃①芸の冒具︒g昌己言82号⑦旨く$身昌◎己︒胃胃思量爵﹃言﹃ど冨景×言も.曾酬. 琴冨・管亨幽隠.その②は︑そのまま七・九ルIズヴェルト書簡にみられる︒ご蚕..弓&鼠I︒もちろんマーシャルも勝利計画について確信ある見通しを持っていたのではなく︑そのことは十七日にピガーズ発言に巻えて可もちろん数十億ドルにおよぶ砿要軍禰品を注文して将来のためにストックしておいてもいい︒しかし問題は生瀧の優先序列にある︒蝿峡機汁側をどうするか︒大統賊は巡洋艦汁間の促進をも光芯しているLと述べたことでもわか
ろ
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ぎざ..弓.斡置I蝉
塁の胃旨鴇守亀︒恩讐の
司凰夢︒?grP﹄P
F圏.歯の﹃画冒律⑦意画の︒︒⑦意画の︒︒.8.昌・・P圏pその後にノッックは逆送に必聾な大西洋艦隊強化のために大平洋艦隊の大西洋移肋 ○言一周言二
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︵2︶八・三○・ルーズヴェルト指令と﹁勝利計画﹂冨鼻◎望甲◎胃色目
それではルーズヴェルトがソ同盟の抗戦決意と能力の裁極的評価を明白に決定し︑なお評価の消極的な軍部その他
をリードして︑対ソ軍糒品援助Ⅱそれを計算に入れた勝利計町の確定に具体的に乗り出した始点は何処に求められる
べきであろうか︒それについてファィスは︑シャーウッドがホプキンズの七〃三○日八月一日の訪ソを﹁米英とソ
︽も&︾同脱との戦時関係における掘換点﹂と杏いているのを批判して︑﹁それは寧ろ非脈挽点であると恩う︒スターリンの問
い決迩を反映し︑ルーズヴェルトとアメリカ国民に対するスタiリンの熱烈な識辞を伝えたホプキンズの報告は︑す
︵今全︶でに強く存在していた傾向の基礎を間めた﹂だけであったと主張している︒たしかにファイスのいうように︑ホプキ
ンズの訪ソの結果としてルーズヴェルトがソ同盟の抗戦決怠と能力の祇極的評価Ⅱ対ソ耶蒜品援助を決定したとはい
えず︑ホプキンズ訪ソが堀挽点であったといえるのは︑八月二日の米ソ﹁対ソ掻助交換ノート﹂に示されたような政
府間の公的側際関係の而においてだけである︒しかし側時に﹁すでに強く存在していた傾向﹂という時︑それを恥純
に独ソ開戦前にチャーチルとルーズヴェルトの間で交換されていた対ソ援助メッセージと直結させることも間違いで
あり︑その間には︑さきにみたようにルーズヴェルトの助揺Ⅱ慎重な態度の時期がある︒したがってルーズヴェルト
の対ソ援助決怠の始点は︑そうした動揺Ⅱ使亜な態度の時期をふまえた上で︑すなわち反枢軸弗力の無条件的援助と を要諦するが︑それはルーズヴェルトに拒否され︑そのために捜送実施は九月十一日の可発見次鋪発砲し命写8︽◎ョの一函言︶命令まで延期される︒ところでファィスはソ同盟抗戦力拝価とともに日本の南進Ⅱ南仏印進駐の危険をルーズヴエルトの悦亜な態度全般と関迎させているが急①量◎己.鼻&弓.や﹄e︑ランガーⅡグリーソンは日本の南進危険を倣隊移動拒否とのみ関
係させている︵侭目銅男四目go儲︒︒︾・で.骨.ゞ弓.9℃1台︶.ランガーⅡグリーソンの見解の方が正硴であろう︒
⑱冨晶男色且臼の勝︒︒︾8.号.︸弓面践IC
⑲馨のうきa・管8.島.﹈弓出SI騨邦択書︑三三七九頁︒
⑳r畠の﹃画員93.目.8.畠.︾己.紐︒.そこでは︑とくにデーヴィズの強い影響が指摘されている︒
J・﹄Ⅱ凸・I︒.・r︐11︲I︲Ⅱ111J︒.JIr︲︲F.I.11狸frI︐課IⅡJ・11P
1
1
123
ところでルーズヴェルトがホプキンズに訪英を指令したのは七月十一日であるが︑その時に与えられた任務は︑さ
きにもふれたように戦略・供給問題の全般的誠縦であり︑その中でソ同盟の職種的押価が特に明示されていたとは恩
︽●色﹀われない︒しかし七月十三日に出発したホプキンズがロンドンでチャーチルと会った時には︑ロシアにおける戦争は
第四週に入っており︑それは米英で予測されていた雌少限抗戦期間を越えていただけでなく︑すでに恐らくはロシア
︵心令︶国腿は冬が始まるまで持ち耐えおおすであろうという希望の光が倣かにさしはじめていた︒そうした状況の中でもた
れたロンドン会搬においてホプキンスが︑いよいよソ伺盟の冬季持久を確鮒していくのと併行して︑ルーズヴェルト
は対ソ援助のための戟桶的動きを明確に示したのであった︒すなわちルーズヴェルトは七月二一日に︑なおルーズヴ
ェルト政府の対外援助機関において支配的であった対ソ援助についての消極的態度を切り換えさせる手段としてウェ
ルズが提出したサジェストを面ちに受け入れて︑陛海氷災官・クヌドセン︵葛舅・ョぃ六コ且の属︶脚防会縦勧告委
貝会代我およびパーンズに対し
﹁対ソ援助の全問題を検討し︑十月一日までに準側し船職しうる品目の報告を四八時間以内に提出すること﹂
を要求する書簡を出した︒そこで十月一日という日附が挙げられたのは︑それまで持ち耐えればソ同盟は冬季持久す
︵F団︶ると計算されていたからであった︒
こうしたプロセスからしてルーズヴェルトによるソ同盟の抗戦決意と能力Ⅱ冬季持久の秋極的評価は︑すでに七・
九・指令に際して個人的には持たれてもいたのであるが︑それがホプキンズ訪英の直後に確認され︑そしてホプキンズ
からも対英討議の過涯で確恕を報告してきたと思われる評価を︑なおも評価の消極的な軍部その他を納得させる材料
とした上で︑七・二一・対ソ耶糊品扱助緊急命令において政莱としてオフィシャルに明示された︑すなわち対ソ耶赫 してではなく︑ソ側盟︽求められねばならない︒ ソ側盟の抗戦決迩と能力の冷脈な緋価の上にたったアメリカとしてのリアルな政策決定の間巡として
『』 1
124
一間にモスー
ズヴェル卜樫
令を与えた︒ 品援助のルーズヴェルトの政策としての姶点はホプキンズ訪英直後より七・二一命令の間にあるということが剛来るであろう︒したがって七月二五日に訪英中のホプキンズが提案し︑ルーズヴェルトの同意をえて七月三○日八月一日に行われたホプキンズの訪ソは︑このようにして既に決定されていた政策に膿ずき︑スターリンにアメリカの援助意図を蚊も侭頼しうる人物が伝え︑それによってデーヴィズなどが危険を主張していたソ側盟の対独和平の叫能性を
︽今︒︾排除することを中心目的とするものであった︒
もちろんソ同盟の対独非誠和Ⅱ十月一日までの抗戦Ⅱ冬季持久は︑まだ確定した事実ではない.したがってホプキ
ンズが訪英中に具体化し八〃九十二日に実現された大西洋会淡において︑ルーズヴェルトとチャーチルは﹁災川供
給計画の大綱と利川可能蜜材の剖当プランをたてるための米英ソ三川モスコー会鍍の川棚﹂を決定するが︑それはス
ターリンの﹁早期側催﹂希望にもかかわらず︑ソ川棚の冬季持久が碓定した邪実となる十月一日に川伽することとさ
︵f︶れた︒つまりルーズヴェルトは︑すでにソ同盟の冬季持久を確信してはいたが︑しかし︑それが確定した事実となる
十月一日までは︑とりあえず抗戦力強化のためというよりも寧ろ激励の意味しかもちえない狸度の戯の援助物資をソ
︵︽B︾川川に送り︑それを一つの材料としながらホプキンズ坊ソなどによって叩独挑和阻止のための対莱を行い︑それと併
行して冬季持久するソ川盟をアメリカの戦略描想の中に位慨づける凱伽を進めたのではあるが︑しかし共休的実施は︑
なお恢亜にソ同盟の冬季持久が確定した事実となった後としたのであった︒
しかし冬季持久するソ同盟への乖需品供給Ⅱソ同盟のアメリカ戦蹄描想の中への哉極的位近づけ︑そのために十月
一間にモスコー三脚会縦を側催することは︑すでにルーズヴェルトの政災としては決定されていたJしたがってルー
ズヴェルトは八月三○日にマーシャルに対し︑対ソ耶赫品援助を明白に計算に入れた勝利計画の作成を求める次の指
﹁米英の対ソ叩備品援助プログラムを決定的に作成するための米英ソ三国会鍍が十月一日にモスコーで開催され
125
それはソ同盟の冬季持久Ⅱ対ソ爪滞品援助の明示︑したがって独ソ戦を単に大西洋戦線強化のみに利用しようとい
う軍部の主強を否定している点で︑ソ同盟の位侭Ⅱ抗戦能力の明確な課価したがって戦場ラインの明示をしていなか
った七・九・将簡におけるよりも︑プランニングされるべきアメリカ戦略柵想の方向を明砿に示すものであった︒し
かし︑そこでなされているソ同盟抗戦力の賊極的評価は︑あくまでも冬季排久までであって︑それ以上のものではな
い︒そのことは︑ここで明示された対ソ軍語品援助は七・二・ルーズヴェルト緊急命令の場合のように当面十月一日
までの主として激励・対独講和阻止のためのものではないが︑しかし供給がプランニングされるべき期間を一まずは
四二年六〃三○日までとし︑その後は﹁明かに︑その時の状況にてらして決定﹂とされていること︑そして当時の米 るじ叩に当面だけでなくロシアが枢柚附刷と有効に戦い続ける限りロシアに適切な耶描品扱助を与えることはアメリカの安全にとって極めて斌要であると思う︒米英は会談において実際的で包括的なコミットをロシアに与えなければならない︒当面の援助は明らかに主として既製軍需品より与えられねばならない︒陸軍が海軍と協力して︑現在より一九四二年六月三○日にいたる期間に行われるアメリカ加猫生産物の米・英・ロシア・その他の要援助川間での分配の予想を汲要品目・趾・時期・価絡にわたって神いた勧告を︑九月一○日までに私に提川する
またアメリカと味方に利用可能な軍砺品の訴職が枢軸図打倒を保証するに充分なほどに敵側に利用可能な戯よ
りも多いという一般的Ⅲ提の上にたって︑勝利に必要な総ての販要品目の生箙についての全般的結捕をも慨告す
ることを部むc一九四二年六〃三○日以降における在脈耶諦品の分配および勝利のための生産目標の配分は︑明
かに︑その時の状況にてらして決定されねばならないであろう︒
提出された勧告と報告は米英商級耶邪スタフ会談の討砿にかけることにするが︑その会縦の結論はモスコー三
︵︒︺︾川全般のⅡ取りよりして︑九〃二○日までに私に報侍されることが必要である﹂︒ ことを望む︒
− ■ ■ −
126
︒︵叩︾英の対ソ援助プランが単に軍需品供給に限られており軍事協力は全く考慮されていなかったことで示されている︒こ
うした戦略配慨を示した上でルーズヴェルトは勝利計画作成を期限を切って指令したのであった︒それは陸邪が長年
にわたって希瓠してきた︑アメリカの溌終的戦略栂想確定を可能にする︑蛭間政府当局からの明確なヨーロッパ戦争︐
第二次大戦に臨むアメリカの具体的・最終的政策の明示であった︒
ところで隙氷部内では︑さきにみたように︑すでに七月初おそらくは七月一日にウェデマイャー原案による勝利計
而草案が作成されていた︒しかし︑それは七月十六日にジロー参諜次災がマーシャルに述べたように﹁飛礎に拙いて
︵皿︶いる国策は暖昧なものであり︑またアメリカがコミットする瀧度が明確に規定されていない﹂もので︑七・九・ルー
ズヴェルト諜簡が要求する味方・敵・戦場の適切な想定に基ずく勝利計画となりうるものではなかったcしかも七・
九・ルーズヴェルト禅簡そのものも︑さきにみたように確胴たる想定を可能にさせるものではなかった︒したがって
ジローとウェデマィャーが作成して七月三一日にスチムソンに提出した七・九・ルーズヴェルト脊簡に秤える調充報
告の草案は︑なお﹁第一に如何にしてアメリカの潜在的敵国を敗北させるかの戦略が明確にされねばならない﹂とし
︿嘘︶ていた︒もちろん陸軍部内では勝利計画のための具体的諭縦が災に進められてはいた︒すなわち七月三○日にはGI
1.Gl2・GI3で﹁淋在敵川打倒戦略饗悦﹂︵厚璽具鴎﹃胃①哩・p旨8買具○蔦﹃昌呂切爵各弓且8口里⑦具
○月3急胃菖同国の昌恩︶が討議され︑それは勤貝完了日を︑すでに六月三日のウェデマイャー原案で提起されてい
たように四三年七月一日と予定した上で︑アメリカのコミットを︑二月十三日のムーア乖拡プランを発展させた形で︑
三段階に分けて
﹁鰯一段階Ⅱ勤風完了または参戦時までの目棟は︑対英供給の保陣および枢軸岡と戦っている潴国への爪紛品供
給によって︑これら諸国の戦斗力減退を阻止すると同時に秋極的参戦のためのアメリカ派那力の準術︒
第二段階Ⅱ動員完了日までの目標は︑イギリスその他の枢軸国と破っている諸国の連合国として職極的に参戦
−
I
1
してドイツの蛾終的敗北への途を準術︒
妓終段階の目標は︑ドイツの完全敗北﹂
としていた︒それは勝利にいたるまでの戦略コースⅡ勝利計画を︑これまでよりも更に明碓にするものではあったが︑
しかし﹁イギリス以外の反枢杣刷への援助﹂については蝋に﹁米英の要求によって制限される﹂とのみ述べ︑したが
︵羽︾ってソ刷盟の評価Ⅱ位慨づけは︑まだ明確にはしていないものであった︒
陸堆部内での勝利計画プラン一ングが︑こうした状態である処へ八・三○・ルーズヴェルト指令が与えられたので
あった︒しかしルーズヴェルトが提出を要求していた九月十日までには陸海派の意見が一致せず︑そのため十日には
一まず雌氷と海耶のプランが別々にルーズヴェルトに提出された︒そして隙海爪の一致した勝利計而が附屈文神をつ
けてスチムソンとノックスよりルーズヴェルトに提出されたのは九月二五日のことであった︒その附属文杵として捉
肌された雌耶の評価﹁究極必冊品ステートメント﹂︵鱒覺の昌①胃旦ご寓目鼻⑦詞2厘弓の冒呂己は次のように述べて
いた︒
﹁ドイツとドイツ衛展脚は現在三百師団・一千一百万の装備され訓練された兵力をもっており︑それは一九四三
年にはヨーロッパ戦場で四百師阿になると汁算した上で︑アメリカはドイツと面接に戦ってドイツを敗る準伽を
しなければならない︒ということは辿合脚の空双優位と強力な海耶力を碓保し︑またアメリカ自身が︑︵a︶西
半球防衛に適切な双那力︑︵b︶主としてヨーロッパ戦場で作戦活動する実戦兵力︑︵c︶友好諦図への供給力
をもちうる生産能力をアメリカが作り出さねばならないことを意味している︒
アメリカは︑その手段が何処で︵署胃﹃①︶如何に︵宮電︶何時︵君胃邑︶用いられるかを考えねばならない︒
何処でl中央ヨーロッパが決定的となるであろうが︑またアフリカ・近東・イベリア半烏・スカンジナヴィ
ァ術側・極東にも可能性がある︒
1
I
1魂
それは雌本的には︑とくに﹁何処で﹂および﹁如何に﹂の点で︑ABC協定に示されたアメリカの戦略柵想を砿鯉
するものであり︑ただタイム・テーブルⅡ﹁何時﹂の点で︑ルーズヴェルトが示したソ同側の抗戦力押価Ⅱ冬季持久
を計算に入れたものである︒もちろん︑ルーズヴェルトもサジェストしていたように︑そこでなされているソ同盟抗
戦力の評価は決して恒久的持久ではなく︑あくまでも冬季持久までである︒しかもソ同班には対独抗戦を続ける限り
は軍滿品供給をしはするが︑しかし主たる目的はソ同盟がドイツに与える出血を利用しつつ米・英の前進韮地狸得と
飛滿品耕枇を進めること︑すなわちABC協定プランを実現していくことであり︑その間にソ側盟との併行・連絡し
た耶躯行助を行うことなどは全く老幽されていないのであるcこうした対ソ態度は︑側じく附屈神としてルーズヴェ 如何にl枢軸海軍の一掃︑圧倒的な空乖優位の確保︑ドイツの経済力と工業力︵輸送ライン・港・工場︶の
破壊︑ドイツ虹の機能削減・不足と混乱によるドイツ卿氏の志気低下︑イギリス本土と近東の安全と飛地化およ
び史にⅡ逃した飛地の独押︑ヨーロッパで攻蠣作戦・太平洋防衛︒
何時l第一にプランニングしている現在と動︑完了Ⅱ攻蟠作戦実行との間に一年半ないし二年の期間がある
ことが勘定に入れられ︑第二に一九四二年七月までにロシアが白海・モスコー・ボルガのライン以西で敗北して
ロシア耶躯力が無能化する可能性と︑そうした場合にドイツが秩序を回復するのに一年間が必要なことが考腫さ
れておらねばならない︒連合側のタイム・テーブルはロシアの邪態によって影稗されるであろう︒ロシアがドイ
ツ叩を東〃に引きつけておく限りは︑ドイツは叩邪力投入を災期化させて拙将を大きくし︑迎合剛のロシア戦線
への援助は強化され拡大されうる︒もし︑その間に︑迎合脚が将来の空・地上攻堆および部分的即時空耶活勁の
ための耶珊蕪地を新しく准将するに充分な服滞力を州ええたならば︑そうした独得が望ましいことは明かである?
しかしアメリカ軍が大規桃な攻嬢をタイムリーに行う準備を直ちに雛えることは出来ないし︑また対英供給およ
︵M︶ぴ一九明三年七月一日予定のアメリカ班の簸終攻蝋のための大赴の取締品は椿讃されておらねばならない﹂︒
T
1
ルトに提出された統合参謀本部報告の中で更に明白に示されていた︒すなわち︑そこでは設定されるべき国家目的と
して︑西半球の統一・イギリス帝国の維持・日本の拡大阻止・ヨーロッパとアジアにおける勢力均衡の恨久的抑確立
︵略︶とともに﹁繩済的目山と澱兆的脚川に好懲的な地域の川来うる限りの確立﹂が主砿されていた︒
こうした勝利計測がルーズヴェルトに提出されたことによって参戦肋におけるアメリカの戦略椛想は最終的に確定
︵肥︶されたということが出来る︒もちろんルーズヴェルトは提出された勝利計画を受収っただけで︑それに対するコミッ
ト・コメントは何も与えはしなかった︒しかし︑すでに九月十一川には独ソ戦を利川して大西洋戦線を充実・強化す
る完全な大西洋逆送Ⅱ﹁発見次第発砲︵馨og8盟警己命令﹂が肌されており︑そして十月一日には︑もはや冬季
持久を辨実として確認されたソ同盟との間で︑この勝利計画を艦とする米英ソ三国モスコー会議が開催された︒その
︵︶後には独ソ戦Ⅱドイツの東方専念の災期化に応じて︑大西洋砺烏の防衛力強化のテンポが遅らされ︑アメリカ雌耶兵
︵油︾力の早期珊強規棋が削減されたこと︑そして日本が妓終提案を川した十一月二○個以後に米英の間で若干の戦略対縦
が行われたことなどの技術的・部分的なものを除いては︑もはや全般的戦略についての基本的討議は行われなかった︒
①等男署︒且.具︾・畠.︑軍置騨郎般件︑三七四画︒
②昂①厨.8.鼻..?届.
③翌月君◎8︐8.骨.︑軍g麗旨邦択番︑三四○︑三四八頁︒
④夢昼・ゞ亨曽P邦沢脊︑三四一頁︒
⑤厘局①﹃色目Q園ゅ︒目.8.号..弓.︑認1G房瀞厨.8.農・も.筐.この指令に答えて約六千万ドルの対ソ供給総弧が勧告
されたが︑その中で十〃一Nまでに供給可能なのは機械僻具・航空用ガソリン・タイヤ製迩没側・石汕梢製没伽を主とする約
三分の一とされ︑航空機・派誘品供給は後の研究拠魎として残された︒
⑤ソ同盟の対独和平の可能性をめぐるアメリカの政策については︑なお拙稿﹁米英戦略洽争と第二戦線lトーチ決定をめぐっ
て﹂︵﹁国際政治﹂一九五八年冬季号所収︶九七一○一頁参照︒
⑦三同モスコー金淡のサジエストは︑まず同務術を通じて駐ソ大使に十三日に送られ︑十五側にスターリンの可出来るだけ早
⑤ ④ ③ ② ①
軍置騨郎般件︑三七四画︒
完 ■ 一
130
かつた︒
︑○三異gmg電.弓.鮭の1画
⑨アメリカ参戦後の四一年十二月二二日四二年一月十二日に︑チャーチルの訪米をまって︑迎合国戦略会議Ⅱアーケーディ
ア会議がもたれるが︵その間の一月一日に米英ソ中四カ国が連合国宣言に署名︶︑この会議における対ソ協力関係の論議は︑
連合国宣言にもかかわらず︑軍邪的協力にはふれないで物資援助に限られており︑したがって︑それは米英とソ同盟との凧事
的協力関係の韮木型を耶那的非協力関係として投定したものであった︒乏篁旨日塁肖号冨ozg二戸目§8.国﹃冒冒且
宮脇旨.呂騒.P旨Pなお削掲︑拙稿司米英戦略強争と節二戦線L九三四頁︑参照︒
⑪︑冨黒具望画震︑p段崇
⑫ぎご..p望騨
⑬号苞●・己?認lPまた八月五日にG・4が提出した﹁潜在敵圃打倒のための全生産要求﹂︵○ぐの﹃昌嗣3号島8両g昌思︲ ③厨員自画且臼畠②︒臣↑8.鼻・も.駅︒.ルーズヴェルトの七・二一命令によって送られた対ソ供給物資は︑七月中には六五
○万ドル︑そして十月一日までに二千九百万ドルと少量であるだけでなく輸送も遅れ︑ソ同盟戦斗力強化には殆んど役立たな く開仙Lとの希望をⅢいた上で︑十六日にルーズヴェルト・チャーチル﹁共同メッセージLとして正式に伝えられた︒ところで大西洋会淡はルーズヴェルトの般初の愈図では両首脳だけの会見と予定されていたのであるが︑ホプキンズの訪英巾に国務省代避および陸・海・空派艮も参加することとされた︵層昌男且93函8.8..毒..gふgIら︒しかしイギリス邪首脳とマーシャル・スターク・アーノルドとの会談では︑ただ可謹送協力しが約束されただけで︑主としてはイギリスの戦略とくに七月三一日附のイギリス幕僚長会議﹁戦略概観L○の︒⑦﹃里望35喝胃く篇亀が質疑され︑アメリカ側は︑それを帰国後に研究する態度をとっていた︵︒巨呉g習画電︑︒P骨.︑弓.き﹄l巴︒こうした軍首脳会談を含めて大西洋会談でなされたことは主としては雌なる意見交換であり︑具体的成果として現われたものは新川発褒という形で公我された︑大西洋迦乖Lおよび﹁対日併行警告約束Lと可モスコー会議開催Lだけである︒そうした点から大西洋会談の性枯Ⅱ位殴づけが問題となり︑たとえば真珠湾攻撃問題上下両院合同調査委員会公聴会では対日併行答告約束と参戦約束との関迎が鋭く追求されている︒その追求からは明白な指證は出されていないが︑しかし︑これまでからのルーズヴェルトの政策・戦略構想発展のプロセスとくに独ソ開戦後という椛態からみて︑やはり大西洋会膜でルーズヴェルトはチャーチルに述合園としての参戦を明白に了解させたと
思われる︒
号苞・軍弓出認IPまた八月五日にG・4が提出した﹁潜在敵圃打倒のための全生産要求﹂︵○爵﹃昌男◎号昌8両2畠﹃毎1
131
二大平洋Ⅱ対日戦略構想lフィリピンとハワイ
すでに繰返し述べてきたように︑アメリカの鰯二次大戦に臨む戦略柵想は︑グローバルな反枢軸戦略栂想Ⅱレィン
ポー・プラン柵想以来︑とくに四○年五月のドイツの西方攻撃開始以来︑一賀してヨーロッパ第一・大平洋防衛主我
を徹底化させる形で発展させられていた︒そのために︑その中で大平洋Ⅱ対日戦場が占める位置は次第に従属なもの
となり︑とくに陸軍の戦略櫛想の具体的発展は充分には行われなかった︒したがって︑ここでは︑ただアメリカの大平
洋Ⅱ対間戦略配慨の拠点フィリピンの防術プランのグローバルな戦略柵想の発展Ⅱ硴定に即した改定Ⅱ拡大およびハ
︵●且︶ワイに対する陸軍の防衛任務についてだけ簡単にふれておくことでとどめたい︒
①いうまでもなくアメリカの参戦は日本のパール・ハーパー攻撃を契機として︑すなわち正式には大平洋Ⅱ対日戦場において
開始されたのであり︑しかも︑そのパール・ハーパー攻撃がピアード・タンシル・シオポールド以下の孤立派または改訂派の
調者が主弧するように﹃ルーズヴェルトが木来の目的である対独参戦を朋始する手段として敢て日本を誘い込んだものであるし
⑭ご己●・弓.認1画 ⑮ご崖・︾pmg.
⑮勝利計画が提出された九月二五日に参謀総長・軍令部長はイギリス幕僚会議に対し︑大西洋会談の際に示されたイギリス戦略櫛想を検肘した結勘として﹁ABC協定プラゾの再硴腿Lを︑アメリカ陸海耶当局がイギリスに示す戦略吋鍍のための岐終
行為︵密画里画昌◎己︶として発侭した︒冒号弓.g甲l鱒
⑰吾己・奪弓と弓l葛.|豆トファウンドランド・パーミュダ・トリニダート・ジャマイカその他の大西洋諦島およびグリーン
ランドの強化は︑明白に独ソ開戦後に著しくテン領を遅くさせた︒
⑱このことは︑すでに九月二○日に︑ルーズヴェルトの意図として︑マーシャルより参蝶木部員に伝えられていた︒ご己・・?
§. 目の皀厨8己里の騨○匡円勺︒冨邑霊堅両冒のヨ忌舟︶ 援助にはふられていない︒等屋・・苧鼠︒
ご己・宮弓.認1画
メモランダムにおいても︑単に輸送力強化の優位が主張されているだけど︑対ソ132
可能性があるとすれば︑大平洋Ⅱ対日戦場に対するアメリカ妓高政府当局Ⅱルーズヴェルトの真意を追求することは一段と亜
要であり︑本稿の本来の目的も︑第二次大戦期におけるアメリカの世界政策体系の究明を進めるとともに︑そのことを追求す
ることにあった︒しかし︑それを確実な盗料を準げながら追求することは︑なお貴科的に極めて困難なのであり︑いまは本欄
も︑そうした追求を光分に意識して杏かれてはいるが︑しかし更なる追求は今後の研究にてという他はない︒
しかし︑すでにみてきたようにアメリカは四一年十月一日には︑そして更に遡れば独ソ開戦以後には完全に参戦体制Ⅱ戦略
を確定していたのであり︑したがって具体的コースについての如何なる選択をも自由になしうる条件をもっていたのであった︒
そうしたことを対︑関係についてみると︑まず︑いわゆる川米交渉に対するアメリカの初期の態度が︑一方では四・一六・ハ
ル四原則のように雑木的態皮を示しながらも︑他方では四○年末以来のウオルシュⅡドラウトの妥協的プランを内容とする対
日私的工作︑そして︑このウォルシュⅡドラゥトエ作を前提とした日本の五月十二日提案を非公式会談開始の契機としたルー
ズヴェルトⅡハルの態度と二面性をもっていたのが︑独ソ開戦前日の六月一二日のアメリカ提案で原則オンリーとなり︑それ
以後Ⅱいわゆる日米交渉後期にはアメリカは日本に屈服か戦妙かの選択を強制する強硬態度を一画させていることが術摘され
うるであろう︒次に大西洋会淡より雑ったルーズヴェルトは日本に司戦袖驚告Lを与えるとともに﹁非公式公淡継統の一三ア
ンスを念む発言Lをなし︑那爽それによって︑いわゆる日米交渉の後期が開始された︒そのルーズヴェルト発言と後期日米交
渉について︑通説的には乖部と近衛グループとの対立とも関連させてアメリカ側の乖備充実のための時間稼ぎがいわれている︒
しかし︑このルーズヴニルト発意は本来は対日戦執密告が日本に与える挑発的刺戟を柔げるために︑すなちわ側戦壷任をアメ
リカ側が負わないためになされたものであった︒また時間椋ぎという点についていうならば︑それは叩なる那愉充実のためで
はなく︑すでにソ同盟の冬季持久を前提としていたアメリカが︑ドイツの早川ソ同盟打倒を前提としていた日本に対し︑その
前提の誤りを自覚して屈服するための機会を与えたものだということも考えられねばならないであろう︒それを口本が自覚し
なければ日本による第一攻撃穿鷺島︒gである︒このように主張できるとすれば孤立派ないし改言派の主張を妥当としてい
るよう思われるかも知れない︒しかし︑その主張が光分に妥当なものとなるためには更に次の問題が適切に答えられねばなら.
ない︒すなわち独ソ冊戦に際して当時上院磯貝であったトルーマンは討った︒﹃もしドイツが勝利しつつあることをわれわれ
がみたならば︑われわれはロシアを援助しなければならないし︑もしロシアが勝利しつつあるならば︑われわれはドイソを援
助しなければならない︒私はいかなる条件のもとでもヒトラーが勝利することをみたいとは思わないが︑そのようにして双方
互いにできるだけ沢山殺させるのがいい︒﹂もし︑このトルーマン発言が当時にルーズヴェルト政府の支配的思想であったと
i ; i ; ; 鰐 ) f '1 ;
〕『l;
』 ..』
1 . 『 〆
I
1鍵
ピン人部隊の建設であった︒すなわちグルナートは九月一日にマーシャルに送った個人書簡の中で︑すでに八月六日
にケソンがルーズヴェルトに提出していた﹁フィリピン人部隊の動員・訓練﹂要請を支持しつつ﹁フィリピンには
アメリカはフィリピン全諸島を防衛しないとみて敗北主義が充満している︒それを克服するためには強力な航空・潜
︽一画︶水艦基地の建設と派遮陸耶の増強およびアメリカ躯将校によるフィリピン人部隊の訓練が必要である﹂と主張した︒
そのブイリピン防衛プラン再検討の点については︑WPDも十月十日にマーシャルにメモランダムを提出し﹁三四
三六三九年のフィリピン防衛プランⅡ予算ではマニラ港湾は適切に防衛しうるが終局的持久のための根本的強化を
なしえない︒三国条約締結以来の世界情勢は大きく変化している﹂と主張した︒しかし防衛力の部分的・量的増強を
︵毎︒︶越えた根本方針は︑まだ検討されるにはいたらなかった︒またフィリピン人部隊の動員・訓練についても︑すでに十
月に陸海耶省では︑一九四六年Ⅱ独立予定年に雌設されるフィリピン辿邦皿亀冨言凰月9日目目君2−号シ旬日己
に関するフィリピン取耶噸間マッカーサーのプランを背蛾として︑それが検討され︑そのためのフィリピン非附蛎態
宣言案をルーズヴェルトに提出する準倫が両長官承認の下で進めれていた︒しかし︑そうした非常事態宣言は︑すで
に述べた当時の﹁日本を参戦させない﹂対日政策と矛盾し︑また大量の訓練将校派逮は増強兵力Ⅱ徴集兵の大西洋第
一主義に基ずく訓練を阻害することであった︒したがって十一月二日にグルナートが要求してきた訓練将校派遣数五
︵句︶○○名を検討したwPDが︑十一月二○日にマーシャルに回答しえた派適可能数は七五名にすぎなかった︒もちろん
wPDとしてはフィリピン防衛力の部分的・斌的な強化Ⅱ派近兵力の墹大のための努力はしており︑十二月二六日に
マーシャルに﹁他に必要な防衛準備を阻害せずに現在なしうる強化﹂を主張し︑二七八日にはグルナートに緊急必
要数を照会していた︒そうした派遣兵力の増大は四一年一月二一日にマ−シャルによって︑そして二七日にはルーズ
﹄︵含む︶
ヴェルトからさえも原則的には承認された︒しかし︑それはマーシャルが四一年政策の公式リポートの中で﹁西半球防衛に必要な兵器・装伽の不足が極めて著しいのでフィリピンの適切な補強を現在行えばアメリカは極めて危織な立 rl
』 マ
『 I
一 一一一 一
r・JII
. . $ ノ ノ
135
このようにフィリピン防衛プラン再検討・防衛力強化は︑フランス降伏・日本の北部仏印進駐・三個条約締結とい
う邪態を帥にしながら︑そしてグルナートの要求・陸加部内からの希望意見にもかかわらず︑大西洋第一主誰の立賜
よりして︑なお殆んど行われなかった︒そして︑そうしたアメリカの極東に対する消極政策は︑四一年二月一日に元
参謀総長・現フィリピン軍事顧問マッカーサiがマーシャルに書簡を送り
﹁蚊も強力な潜在的敵側が行いうる蚊大の節一攻繋と考えられる一○万の兵力による上陸作戦を海岸で適切に防
衛しうる防衛力の破立︒ここで雌終的に愈図されているのはマニラ湾地冊あるいは全ルソン島だけの防衛ではな
くて︑ルソン島とヴィサャス紺島とを諸脇間海峡を封鎖して海峡を友好猫圃船舶の自由航行水域とするための統
︵駒︾一単位として防衛することである︒このプランを承認した上で陸虹長官と大続航に提出されたい﹂
とフィリピン防衛プランの改定・拡大を強調したにもかかわらず︑すでにみたように四一年一月十六日のルーズヴェ
ルト・コメントによって大西洋節一・大平洋防衛主義がABC開催を前にして肢終的に徹底した形で確定されていた
のに対応して︑更に続けられ︑それは四一年群に極東でもたれたイギリス・オランダとの叩邪会磯を通じて一慨して ど実行されなかった︒ ︽︒︾︶場に通かれることになる﹂と述べた状態での承認なのであり︑したがってフィリピン派遣兵力の増大も実際には殆ん
すなわち一月十一四日にジャヴァでオランダ大平洋艦隊司令長官と会談した米アジア艦隊参謀長プルネル︵言.
罰国昌の三は︑アメリカの極東防衛プランについては個人的見解として﹁日本の英・オランダ領攻撃に際しては全
︵肌︶力を挙げてフィリピンの中立を保障する﹂と発言しただけであった︒それは︑まだ英・オランダとの極東耶鞭会談の
予州段階でのことであったが︑ABC後の四月二日にはマーシャルがグルナートにABC猫協定の写しを送り︑アジ
ア艦隊司令長官およびマニラ鰯六海耶区司令官と協織してアメリカの極東防衛戦略を即時プラン一ングすることを命 ルト・コメントによっ子のに対応して︑更に統吟明示されたのであった︒