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金原省吾の「構想」の研究 作文教育基礎理論研究

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金原省吾の「構想」の研究 作文教育基礎理論研究

大 内 善 一

(1985年11月5日受理)

は じ め に

東洋美学者として著名であった金原省吾が国語教育とかかわりを持っようになったのは,故郷信州 の地での教師時代に西尾実らの仲間と綴方研究・読方研究への関心を深めていったことによるという。1)

そして,金原は,昭和の初めに西尾実の勧めによって垣内松三主宰のr国文教育』の編輯に関係する ことになり,さらに,昭和9年4月に創刊された西原慶一主宰のr実践国語教育』に毎号のように言 葉に関する論考を発表するようになって国語教育とのかかわりを一層深めていくことになる♂)これら 一連の論考はいずれも数多くの著作の中に収められていくことになるが,それらの国語教育関係の著 作としての最初のものが昭和8年7月に古今書院より刊行されたr構想の研究』である。

この書の主要部分は,概ね前記r国文教育』誌に発表されたものである。この中でもさらに中心的 な部分である第五章「構想の展開形式」は,昭和3年のr国文教育』誌1月号と3月号に発表された 垣内松三の「構想の諸相一作文教授研究の一つの試み一」←)口を補い,さらに深く考究したものであ

る。3)

本論考では,金原省吾のこのr構想の研究』をとりあげ,作文教育においてその実態の最もとらえ 難い構想の諸柑を金原が研究対象としてどんな視点からどのような方法をもって分析し考察している かをたどり,今後の作文教育構想論への方途を探っていってみようと思う。

1. 「構想」研究の視点と表現の「真実性」

(1) 「観る働」と「描く働」

金原省吾は,構想展開の中に「観る働」と「描く働」の二つの機能を想定している。これらはその 東洋美学的機能観より胚胎しているものと思われる。

金原はまず「観る働」について,「単に,与えられたものを観るに過ぎないやうな,受身の働では ない」(p3)とし,「rでなくてはならぬ』とする積極的な態度である」として,その働きの「直接性」

を強調している。そして,「直接」とは,「必然であることと,その必然が無限の展開可能を示すこ とである」という。それ故に,「観る働」は,「一目にして行きつまる様な平面ではなくて,観るに 従って深さを増す立体である」(p.4)ということになる。こうした「観る働」の展開性についてさら

に以下のように述べている。

対象は吾等の観る働をまつて存在するものである。換言すれば吾等の解釈をまつて存在するもの

である。吾等の観る働を予想するのである。故に対象は解決として存在するのではなくて,「問題」

(2)

180      茨城大学教育学部教育研究所紀要18号(1986)

として存在するのである。対象を観得たといふのは,これは一つの解釈である。しかも観る働はこれ に止るものではない。更に深さを以つて,再び之を観かへし得るのである。故に一つの観る働は更 にその先に,一層深い観方を要求するものである。観得たといふ解釈は,同時に更に進んだ深い観 方の存することを示すのである。 (p.4)

このような「観る働」は,金原自身も述べているようにもはや「生理的乃至心理的の視覚作用では ない」わけである。それは,「一切の動的統一なる人格の立場によってなす」(p324)ものなのであ る。っまり,観る働きの根底に「創造作用」を認めているのである。金原が考えるこの「創造作用」

とは,「感動の認識」(=全体の認識),「分散の認識」(=知解の認識),「感動の認識によつて,分 散の認識の統一せらるる認識」(=超越の認識)(p.326〜327)の三段階を経てあらわれてくるものと

されている。そして,この「新らしい形体を作り上ぐる発動的の認識」は,「描く働の中を通じて」

深められていくとし,これが「構想に於ける推敲の意義」であるいうのである。ともあれ,「観る働 は,描く働によつてなされ,描く働は観る働によつてなされる」というわけである。

さて,では,「描く働」についてはどのように論究しているであろうか。

描く働には,描かるるものがなくてはならぬ。それは第一内容即ち対象である。第一内容は今存 在の形で与へられてゐる。しかしそれだけでは博物学的形体としては十分であるが,まだ描くべき 形とはなってゐない。それは当然牲の形をとらないからである。即ち形が,その存在の形が更に当 然1性によつて実現された形とならなくてはならぬ。即ち個性化されたものでなくてはならぬ。つま

りその第一内容を貫くに当然牲があつて,はじめて描くべき対象は成り立っのである。これを対象 性といふ。この当然性を此処では第一形式と呼ぶことが出来る。第一内容が,第一形式によつて貫 かれた時に,初めて描かるるものの基礎の形,即ち対象性が定位さるるのである。(p・126)

要するに,第一内容と第一形式とが一致して対象性を定位するというのである。これを金原は「文 意」と呼んでいる。そして,「文意」は「文の成立の最初に於いて先づ成り立ち,しかも文の完成の 最後に於いて,一層完全になるものである」という。つまり,対象性が定位された段階で「観る働」

は一度解決に達し,この解決が更に第二の解決に向かう時に, 「描く働」が始動するのである。 「描 く働」は,「この対象性を内容とし,絵之具或は言葉を形式とした統一作用である」とするのである。

そこで,この対象性を「第二内容」とし,絵具或は言語を「第二形式」とする。要するに,「描く働」

は,意味の形式化であるというわけである。こうして,金原は, 「観る働」と「描く働」とを連続す る一連の展開として,以下のように図式化して示している。

観る働 舞一内嚢×葎一形薯(対象を通して働く)一対象性

描く働    第二内容   第二形式       対象性 × 作  者(言語を用ひて働く)→ 作  品(P・138)

(意味)       (表現面)

さらに,この両者を連続的に示して, 「(対象×作者)x作者→作品」ととらえ, 「作者の必要が重 大なる価値を有つてくる」とし,「作者に作者が重なることが,即ち定位である」と述べている。

ところで,金原は,この定位即ち創作の過程についてマックス・デッソアルの四段階説を援用して いる。これによると,第一段階は「感激」,第二段階は「構想」,第三が「迅速なるスケッチ」,第四が

「完成の段階」ということになる。このうち,「構想」までが「観る働」に属し,第三と第四の段階

が「描く働」に属するという。そして,金原は,この第一と第二段階から第三段階への過程を,

(3)

観る働      描く働

感じたるもの    整へられ秩序を得て    表はされる 一      一一一v−一ノ

警灘}の一致考へられる

(p.152)

のように整序して,この関係の中枢にあるのが,「来るべき文章の最初の形」としての「構想」であ るとしている。

このように,「観る働」と「描く働」とは,構想展開の中で相互に緊密に作用し合っているという のである。要するに,「描く働を,観る働によって展開せしめること」「観る働に集中して,描く働 を深める」ことが「構想」であり,文章はこうした構想展開から作られていくということになるわけ である。金原が構想の展開形式を考究するに際しての視点は以上のような考察によって導き出された のである。

② 表現における「真実性」の問題

金原省吾は,構想展開の過程で「観て真実とし,描いて真実とするもの」がどのようなものである かを「概念」と「写生」との対比の上から考察している。考察に際して,その拠り所としているのは,

島木赤彦の「歌道小見」及び「万葉集の鑑賞及び其批評」中に見られるく写生論〉である。

金原は,まず赤彦の「吾吾の感情は時あつて具象的にのみは働かない。若くは具象的に働いても,

夫れが必ずしも具象的表現法を取ると限らない。」といった考え方を引用し,赤彦の写生道が「写生の 道」と「概念の道」の二つを認め,「写生の価値」を相対的なものととらえていることを指摘している。

そして,金原は,こうした考え方に拠りつつ,さらに「芸術上の真」ということの考察に向かって いる。この「真」には二つあって,その一つを「鏡像の如き真」とし,これを「芸術上の真としては 不完全なるもの」として,そこにあるのは,「博物学的の真」であって,「その写生は博物学的の写 生であつて,芸術としての写生ではない」(p.23)とする。そこで,金原は,もう一つの「真」につ いて考察を進めている。まず,芸術としての写生は,「平面鏡の如き公平を示す鏡でなくて,態度と 要求とによつて轡曲した曲面を有する鏡」(p.26)であるとし,「この曲面の中で,他の面ではみら れぬ作者の真実を見る」ことが出来るものであるとする。そして,芸術上の真は,「自然の真に即く と共に,真以上のものを具へる」ものであり,「自然に即くと共に自然から離れる」(p.30)もので あるというのである。すなわち,芸術の有する現実性と自然の有する現実性とは,その細部において も生彩においても構成においても全く性質を異にするものであり,「芸術の現実性は実行に結合しな い」故に,「芸術の深遠と永遠とが生じて来る」もので,「深くして遠きものほど存在としてたしか であり,且真実である」とするのである。ただ,この芸術の現実性は作品の中に生き生きとして保存 されているものでなければならないとし,それは「実現性」として人に迫ってくる「威力」を持って いなければならないとする。

以上のような考察を通して,金原は,以下のように述べている。

写生とは現れた形でなくて,現れんとする傾向,即ち具体的ならんとする意向にあるのである。

如何に現されたかでなくて,如何に現れ出でんとするかにある。もしこの意向を欠く時は,それが

具体的に書かれてあつても,直に概念となり終る事,2の如くである。然して具体的ならんとする

(4)

182      茨城大学教育学部教育研究所紀要18号(1986)

意向は,感動の姿の中に最もよく保有せられ,感動はその集中の極に於いて,威力の一点に集中す る。威力の一点に集中すれば,既に其の何によりて感動したるかは,説明的には明かでなくても,し かも吾等に迫ってそれを根強く動かす力即ち具体性,現実性がある。かくてその形として現されたる ものが如何に概念的であっても,それは活き活きとして吾等に迫って来るのである。(p.52)

要するに,「概念的形体」を有していても,そこに「具体的意味」が存在し,その意味でここに「写 生」としての力が内在してくるというのである。

以上の考え方は,文章表現における「真実性」「現実性」の問題すなわちくリアリズム〉の問題と 深くかかわっているのはもちろんのこと,今日の作文教育における〈略叙〉〈精叙〉という叙述方法

〈説明〉〈描写〉という表現方法の意義とも通じる面があって,作文教育の表現原理面に極めて大き な示唆を与えていると言えよう。

2.「構想の展開」の研究

これまでみてきた諸論の中で表現の「真実牲」について考究した部分は,金原省吾がつとに大正15 年のr国語と国文学』誌の6月号・7月号に「概念歌」←)⇔として発表しておいたものである。また,

「観る働」「描く働」にっいては,昭和3年のr国文教育』誌3月号に発表した部分であり,金原は この考察を通して「構想」研究への視点を把握していったのである。この後で金原は,同誌の4・6・

8月号に「構想の展開」←)口日を発表している。児童の描く働きの観察から構想の展開を探り,その 形式を設定して各形式の移動について考究したものである。

金原が調査研究の対象とした綴方資料は,東京市下町の某小学校尋常六年の甲乙二組から得たもの である。まず,「雪」という文題で昭和3年1月16日に甲組で第1回を予告なしで書かせ,その後21 日経た2月6日にこれを推敲させ,さらに,その3日後の2月9日に再び推敲させている。乙組の方 は,1月17日,2月4日,2月7日の3回に甲組と同じように作業させている。甲組は女子のみで45 名,乙組は男女混合で39名である。

調査研究の第一の目的は,推敲の間にどのような構想の展開を示すかを知ることである。推敲期間 のとり方には特別な根拠があったわけではないという。第1〜2回は,主として「観る働」の展開,

第2〜3回は,主として「描く働」の展開をみようとしたという。生徒にも教師にも2回まで推敲す ることは予告しておいたが,その目的については知らせていない。なお,直接考察されてはいないが,

副次的目的に,「綴る力と読む力との連絡」ということがあったようである。

調査作業の過程では,第2回の始めに数人の生徒の作品を教師が読んでやり共同研究を行い,第3 回の始めには,他校児童の同一文題と思われる作品を印刷して全員に配布して共同研究を行っている。

これは明らかな欠陥のある作品で他山の石としてとらえられるようなものであったという。

(1)構想展開の基本様式の把握と内面的関係の考察

以上のような調査方法によって,金原は,まず甲組の45名の作品のうち,19名の作品を3回の推敲 過程を比較しながら分析している。ここで金原が考察している構想の展開とは,態度の上からいって

「客観的な態度から,内観的な態度に向ふ傾向」(p213)ということである。このような展開の有無 その状態を分析することを通して構想展開の六つの基本形式,すなわち,展開・反復・変換・附加・

雑集・混合を見出している。これらのうち,混合形式とは,他の五種の基本形式中,反復を除いた他

(5)

の四種の混合ということであり,「展開変換」「展開附加」 「展開雑集」 「変換附加」 「変換雑集」

の諸形式が考えられている。よって,基本形式は実際には五種となるわけで,金原は,後年著した著 書の中で,これらの諸形式の特性について,以下のように説明している。

一展開形式構想が第一回より第二回と,表現を進める毎に,順次に展開するもの。

二 反復形式 構想に展開力なくして,単に前の表現を反復するに過ぎないもの。

三 変換形式 表現を重ねる間に,構想の展開なく,随つて無関係に構想を変換ずるに過ぎないも のo

四 附加形式 前回の表現の末尾に,新部分を附加するに過ぎないもの。

五 雑集形式 構想に系統的なる展開なく,新材料を前の文章の所所に挿入せるに過ぎないものま)

なお,金原は,甲組児童の綴方作品の分析考察の過程で,以下のような問題事象を把握している。

一 綴方の能力の問題一能力の劣等な生徒は経験が経験の形で其の儘にあるから,最初から生彩 がある。しかしこれは内観化の傾向を取り得ないので,推敲による展開がない。然るに能力の優 秀な生徒は経験を思惟化してゐるから,第一回には概念化された筋書の形で出てくる。そして第 二回からその概念を具体的な形に活かして行く。一度思惟化された経験であるだけに,それは具 体的な経験となつても,心の全体の背景を持ち,随つて内観的な深さに達し得る。優秀とは展開 可能性の無限なる意味であるから,能力優秀なる生徒は綴方に於いても亦,その優秀を示し得る のである。

二適応の問題一適応の遅速は展開の深度とは関係がない。第一回の綴方成績は,適応の遅速を 示すことが多いから,これを以つて生徒の綴方の力を査定するのは,不深切である。

三 全体性の問題一最初にあるものは全体であり,その全体は第一句を得た時に結晶をはじめ,

結晶傾向を決定する。

四 推敲の問題一個性は推敲を経て後に達し得るものであるから,推敲は生徒に対しては個性を        ママ

m立せしめ,教師に対しては個性を発見せしめる。そして推性の回数は,その属する展開形式の 性質によって相違がある。(p.218〜219)

以上の考え方は,実際の事象をふまえて設定された仮説に近い性格のものであり,これを検証しっ つ,さらにより確かな構想展開の基本様式を把握していこうとしている。そこで,続いて,乙組(男 女組,39名一引用されている考察事例は24例のみ)の綴方作品の分析考察を行っている。この作業を 通して,金原は39名の児童の中で完全に展開しないものは6名のみで,他は多少ともに展開があるこ

とをつきとめ,「構想の展開可能といふことは,綴方が教育的に指導し得ることの可能なるを示すも のである」(p.219)と述べている。

さて,金原は,各事例の考察の過程で,最初から全体が備わっている作品と,推敲を経て徐々に築 き上げられていく作品とがあることに着目して,構想展開の様式に「系統化する働の強く働く展開」

と「部分化する働の強く働く展開」(p.243)とがあると仮定している。前者は,「文章中に,節即ち 展開の拠点があつて,節を展開の中心とするもの」であり,後者は,文章中に節なく,文章の全体が 展開するもの」(p.251)である。そして,前者の「系統化展開」の中には,「展開力」が主として頭

部の方から尾部に向かって移動していく「移動牲展開形式」というものがあるとみている。

ところで,金原は,「展開形式の頽廃」という現象について考察を進めている。まず,節のある展

開,展開根拠点があってする展開,すなわち「系統化展開」の場合は,系統化の力が弛むと,雑然と

して孤立しやすい面があるとみ,これが統一力にかてば,「雑集形式」を得ると考えるのである。ま

(6)

184      茨城大学教育学部教育研究所紀要18号(1986)

た,一方,「部分化展開」の場合の頽廃現象として「反復形式」を産むと考えている。この形式は,

「主題に集中する力を欠く」とし,この指導にあたっては,主題関係の部分のみを取り出し,他を全 て削除して観る働きを換起させるしかないとしている。さらに, 「一っの文章でも中心の題目にふれ ず不必要な問題の中にぐつぐつしてゐる」ものを「変換形式」として,こうした児童の場合は,「一 度とらへた対象を持続的に深めることが出来ない」のであるから,「先づ中心を定むること,次に中 心に向つて精細なる観察をつづくべきことを,指導しなくてはならぬ。」(p.263)としている。こう した指導を経て,漸次に展開力を回復させていき,「部分化展開」に移行させることが出来るという のである。これに対して,反復形式が尾部で展開を始めたものを「附加形式」と見立てている。この 形式は,「展開形式中の部分化展開が頽廃して,保守性をとると反復形式となり,反復形式が僅かに 展開をはじめると」生じるものであるという。つまり,附加形式は,反復形式から導かれるものであ

るというのである。

金原は,以上のような構想展開の各様式の関係を整序して以下のように示している。

購{繰蝿騨1::::灘_

(p・266)

なお,この考察を通して,金原は,「系統化の展開では,あらかじめ視野の広さが一定し,その中 で精細化するのに,部分化展開では視野の広さが必ずしも一定せず,それが自然に拡がるのであるか ら,その拡がる拡がり方が,系統を背面に持つてゐて,あらはに関係が見えぬ場合には,変換性の展 開をなずのである。」(p・277)として,前述の「混合形式」と見立てていたものを他の五つの基本形 式中の一っの性質と考えるようになっている。

続いて,金原は,甲組と乙組の「雪」と題する綴方作品の推敲過程における構想の展開過程に関す る以上のような考察結果を整序して,さらに構想展開の各形式のもつ内面的性質及びその相互関係を 分析して指導上の問題にまで論及している。まず,金原は,構想の展開が数量的にどのような特徴を 示すかを五っの基本形式ごとに整理している。その結果,「展開の数量的研究」が,「構想は展開す

るといふ消極的事情を証明するに過ぎ」ず,その他の面ではほとんどなんの貢献ももたらさないと結 論づけている。そこで,次に金原は,各展開形式のそれぞれについての特性の考察に移っている。

ここで,金原はまず,展開形式の方向を再び整理して,「部分化展開」の方向のものにも,展開の

「全系統に力点の移動のない場合」と「移動のある場合」とがあって,やはり,前者を「定位性の展 開」,後者を「移動性の展開」とみることが出来るとし,これらがそれぞれ衰頽を起こすと,「反復 形式」と「変換形式」とを生じるととらえている。そして,これらのうち,前者は構想の上でなんら の展開をすることなく反復するだけであり,後者は変換の中でさらに衰頽を重ねるだけであるため,

「系統化展開形式」系に対して,「無展開形式系」と呼ぶべきであるとしている。そこで,この無展 開形式系に対して延長形式系を対置している。これに含まれるものが,「文の形は増大するけれども,

系統がない」ため展開とは言えない「雑集形式」と,もし統一がつけば, 「展開形式系の移動性展開 の一種」とみられるが,統一がっかない場合には,「雑集形式の中の特殊なもの」(P・284)とみられ る「附加形式」とであるという。そして,後者の「附加形式」の場合は,展開形式と雑集形式との中 間に位置するので,他の衰頽形式を展開の形式に進める方法に一つの示唆を得ることができるとしている。

ついで,金原は,これら延長形式系の著しい性質を以下のように整理している。

(7)

〈附加形式〉

1.附加形式は移動性展開形式の衰頽である。 / 2 附加形式は反復形を基部とする。

3.附加形式は雑集形式の有節移動化によつて,雑集形式と接近する。

〈雑集形式〉

1.雑集形式は有節定位性展開の衰頽である。 / 2.雑集形式は有節定位性部を基部として,

その中間に散布する。(p.286)

以上のような考察の結果として,構想形式の系統を以下のように整理している。

        定位性展開∵……∵・雑集形式       ・      ●       o系統化展開形式      1:∵・       延長形式系

       移動性展開華・∴∵…附加形式      ■         .     ・

W開形式系       \ ビ

.●     .o    ●

      ●      o

闊ハ性展開…・・∫・…:反復形式       ●o     ・●

舶ェ化展開形式      ! ㍉     無展開形式系       .      ●

@       移動性展開∴……∴変換形式         (P.287)

② 構想展開の回復方式の考察

金原省吾は,従来の綴方ないし作文教授の欠陥が構想の問題に力点をおかず,語句の問題に力点を 置いたところにあるとしている。まれに,語句中心の立場から一歩をすすめて,構想の問題に取り組 む人がいても,それは,「展開の優秀な,構想能力の健康な生徒のみが対象とせられ,構想力の欠乏 乃至衰頽した生徒,即ち変換雑集等の衰頽形式の生徒に対する指導は考へられずに居る」(p.288)と いうわけである。そこで,綴方ないし作文を教育の対象とする努力は,構想展開に指導の手が入るか どうかの問題であるとする。すなわち,構想の欠乏を回復することが出来れば,綴方ないし作文は教 育の対象になるというわけである。

こうした問題意識に基づいて,金原は,変換・反復・附加・雑集の四種の衰頽形式の回復の可能性 を探り,回復のための方途を探究している。これによって示された展開化のための方式とこれを公式 化したもの,及び指導法について以下にたどっていってみよう。

まず,「変換形式」の場合においては,有節のものも無節のものも概ね,「1変換要素中より基部を 発見する。変換形式の反復形式化。/2.変換形式中にあらはれた基部以外の要素を,基部の中に定 位する。反復形式の雑集形式化。/3.変換形式中に共通する感情性を発見し,之を以つて雑集形式 を展開形式にかへる。」という方向で展開化を図ることが出来るとし,それを以下のように公式化す

る。

有節変換形式→反復形式(基部)→雑集形式←基本感情 素統化展開形式(定雌)

無節変換形式→反復形式(有節・基部)→附加形式←基本感情

素統化展開形式(移動性)(P292−293)

この変換性に属するものの指導法として,「1.二回乃至三回の推敲によつて,変換性の構想組織

による文章二三篇を得る。/2.その変換性が,有節か無節かを鑑別する。/a 有節無節それぞれ

(8)

186      茨城大学教育学部教育研究所紀要18号(1986)

に,之を反復形式とし,次に之を延長形式系にかへ,更に之を展開形式系にかへる。」といった手順 を示している。要するに,変換形式は,延長形式系を通じて展開させることが出来るというのである。

次に,「反復形式」の場合にっいては,まず,有節のものについてその特色が「一度出来た構想の 形が,どうしても破れぬ処にある」として,これを展開させるためには,「1.材料附加によって,

反復形式を雑集形式とする。/2.雑集形式に対し批判による削除を行ふ。/3.純粋に主題に集中 する。」という段階を経させることであるとし,これを以下のように公式化している。

有節反復形式→雑集形式←純粋化

素統化展開形式(定位性) (P.296)

また,無節反復形式の衰頽回復のためには,「1.反復形式を附加形式にかへる。/2.附加形式 を先の反復形式の時に有せる基本感情で浸す。」という段階を経させることであるとし,これを,以下 のように示している。

無節反復形式→附加形式→基本感精

幽分化展開形式(移動性) (P298)

こうして,反復形式の衰頽回復は,「延長形式系化を通じて,展開形式化する」ということを明ら かにしている。無展開形式系の展開形式系化が延長形式系化によって遂げられることを明らかにした のである。つまり,問題は,延長形式の指導法によって構想の衰頽形式の回復を図ることが可能とな

るというところにくるわけである。

そこで,次にその延長形式の一っ「附加形式」の吟味に入っている。「附加形式」は,反復形式の 尾部延長と見られるため,附加部分を削っても反復形式となるだけなので,有節の附加形式では,尾 部延長をそのままにしておいて雑集形式化を図り,その上で中心となるべき節を求めて展開形式化を 得ることができるというのである。この公式を以下のように示している。

有節附加形式→雑集形式←集中化 素統化麟形式(移動性)

また,無節の附加形式は,その反復部分から基本感情となるものを発見し,これによって附加部分 をも統一するとして,以下のように公式化している。

無節附加形式←基本感情

幽分化展開形式(移動性) (P3。1)

よって,附加形式の指導法としては,「中心となる節或は感情を発見し,これによって附加部分を 養ひ統一づける工夫」をもってするという。

続いて,「雑集形式」の場合であるが,これには必ず節があるので,この形式は全て有節の定位性 か移動性かになるので,その衰頽回復のためには,「1.中心の節を定位して,基部とする。/2.

各節に加除を行ふ。/3.中心の節によつて統一をつけ,更に展開する。」の三段階を経させることで

あるとする。その公式は,以下の二種類としている。

(9)

定位性   雑集形式←(基部)←純粋化 系屋化展開形式(定位性)

移動性雑集形式→(基部・基本感情)→有節附加形式

素統化展開形式(移動性)(μ3。2−3。3)

以上の考察の中で,構想の展開系統の一般は,「無展開形式系→延長形式→展開形式系」という方 向であり,逆に展開の衰頽方向は,「展開形式系→延長形式系→無展開形式系」という形で示されて いるということが明らかとなる。

なお,金原は,残された研究課題として,「かかる構想形式が,個人に固有するものかどうかとい ふこと」と「かかる構想形式は各学年によつて如何に差異があるかといふこと」とを明らかにするこ とを掲げている。そして.これらの課題が明らかにされた時,はじめて綴方ないし作文の指導法が確 立し得ると述べている。

とはいえ,以上みてきたような考察内容からもわかるように,金原は,構想展開の中の「観る働」

と「描く働」に着目し,この二つの働きから構想展開の基本様式を探り,それらの内面的系統を明ら かにすることによって展開の衰頽回復の方向を定めて指導法のあるべき方途に言及している点,従前 に類例を見ない極めて意義深い研究であったといえよう。また,「観る働」と「描く働」との相互補 完の関係を指摘している点は,今日の作文教育におけるく認識〉とく表現〉との相互関係にも深い示 唆を与えているものと思われる。金原のこうした独創的な見解や探究方法について滑川道夫は,「そ の意向は垣内形象論系譜に接近しているといえるが,独自な東洋的思念にみちびかれ異色のふかさを 持っている」とし,「着想のするどい直観的探究は,形式的まとまりこそ見られないが,たえずその 内面的空間の統一を目ざしておられるところに特質がある5)」と指摘している。この『構想の研究』

においても,こうした思考方法や探究方法が遺憾なく発揮されて,今日なお十分には明らかにされて いない構想過程の深部に鋭い光を投げかけているといえる。なお,この研究を足場としてさらに構想 と表現との連関について考究し,構想原理をより実践的に整序したものにr綴方表現学』(昭14.9 晃文社刊)という著作がある。この著作については,別途考察した拙稿がある♂)本論考とあわせて 参照せられたい。

      注

P)滑川道夫著「日本作文綴方教育史3唾薩⊃」』(国土社 1983年2月),p.355 2)金原省吾著『解釈の研究』(啓文社 1935年7月)の「序」より。

3)垣内理論とその発展深化としての金原の『構想の研究」との関係については,野地潤家著「綴方教授の理論 的基礎』(教育出版センター 1983年8月)に詳しく論及されている。

4)金原省吾著『綴方表現学』(晃文社 1939年9月),p。1娼

5)滑川道夫「東洋的思念と国語教育一金原省吾の場合(2)」(「月刊国語教育研究』No.143 1984年4月号),

p.45〜46.

6)拙稿「作文教育の表現学的探究一金原省吾著『綴方表現学』を中心に一」(「月刊実践国語教育情報』通巻8

号 1984年7月)

参照

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