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私の社会科体験史一 中 川 浩 一*

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(1)

学習者,教育者・研究者としての40年(8)

私の社会科体験史一

中 川 浩 一*

(1996年10月14日受理)

My 40 year of Experienses as a Student,Teacher and Researcher of Social Studies

Koichi NAKAGAwA

(Received October 14,1996)

1994年度に教育学研究科修士課程を修了する現職教員派遣留学生としての修士論文題目を,ユネ スコ教育実験を中核におく国際理解教育の歴史と定めた小学校教諭から,中川先生は日本における 初期の国際理解教育,とくに他国・他地域の理解にかかわる教育実践の生き証人だといわれ,聞き とり調査の対象にされた経験を,私は持っている。幸い,手元にr昭和34年度ユネスコ実験研究報 告書 アフリカについての理解一未開発地域についての理解の一例として』,r昭和34〜35年度ユネ スコ実験のための資料集』が保管されていたのに加え,昭和35年度に実験学級とした第2学年4組

(学級担任も筆者)の生徒が,毎時間交代で板書を書き写し,さらに授業内容にかかわる感想を書き とめたノートr学習の記録』が残っていたので,インタビューに応じることは容易であった。

私が,昭和34・35の両年度にわたって,ユネスコ教育実験に従事したのは,ユネスコが1953年 に設定した「世界共同社会に生活するための教育における協同実験活動計画」を,日本ユネスコ国 内委員会がいち早く受け入れ,実務にかかわる実験学校の1校となることを,東京教育大学附属中学 校に委嘱した実状に由来する(1)。

こうして始まるユネスコ教育実験は,社会科所属の教官が授業担当者となり,校内に特設したユ ネスコ委員会がそれを支える方式で実施された。昭和29〜31年度は梶哲夫教官によるr人権意識向 上に関する実験的研究」が実施され,昭和32・33年度は横山十四男教官が「女性の権利にたいする 中学生の態度」をサブタイトルにかかげ,同一主題の研究を継続したのである。

私がユネスコ教育実験の担当者になったのは,5年間継続した主題にもとつく成果は,それなりの 実績を収めたから,主題を変更してはどうかが議論され,今度は「他国・他地域の理解」を題材に するのがよかろうと決まったこと,さらに大学,大学院を通じての専攻が地理学で,授業担当者た りうる唯一の存在と想定されたからであろう。とはいえ,専任教員としての教職歴は僅かに3年,20 代後半のこわいもの知らずが実験授業担当者になったのは,今日の眼で見れば,無謀の業であった。

*茨城大学教育学部社会科教育講座(〒310,水戸市文京2−1−1)

(2)

社会科の枠内で行った第三次ユネスコ教育実験

昭和34・35両年度のユネスコ教育実験は,前年度までのそれに比べると,性格が非常に異なるも のとなった。前年度までは,教科の枠を離れ,実験学級は特別の時間割を組み,実験期間も長期に わたっていた。それに対して,今回の教育実験は,社会科地理的分野の枠内にとどまり,昭和34年 度には,第1学年に週当たり4時間が配当された社会科の授業時間内で,事を処理すると定められた のである。実験対象学級は第1学年1・2組とし,3〜5組は次年度の実験対象学級と規定したのは,

昭和33年に告示された学習指導要領が,「指導上の留意事項」として示した 充分な準備がある場 合には,たとえば,第1学年および第2学年を通して地理的分野および歴史的分野の内容を学習させ るなどの指導計画を作成し,実施することもできる と示唆した方法も,あわせ施行してみようと 考えたからにほかならない。

そのことは,第1学年と第2学年では,社会事象にかかわる理解力に大きな差があると考えざるを 得ない事態とも対応した。第1学年で地理的分野の授業を終了させれば,理解してもらいえない内容

についても,第2学年で扱えば,支障なく学習させ得るメリットがあると,考えてみた。さらに加え て,地理的事象は静態的にとらえるべきではなく,歴史の流れに即して理解しなければならないけ れど,地理的分野の学習が歴史的分野に先行すると,小学校第6学年で日本史にかかわる学習を済ま せた事実に対応できる日本の諸地域学習はともかくとして,世界の諸地域については,世界史にか かわる理解を全く欠く状態で,地理的分野の学習を進めなければならないデメリットが生じること を,なんとか回避したいと考えたからである。学習指導要領での規定にも勇気づけられながら,や がて「π型」と呼ばれることになる社会科の学習構造を組みたてるそれは契機となった。こうした 考え方には,歴史的分野の授業を担当される横山十四男先生も賛成して下さった。

社会科の枠内で,ユネスコ教育実験を行うことがきまったことへの背景には,昭和33年度に告示 された学習指導要領が,文部省によって法的拘束力があると規定され,その完全実施が求められた という事情も介在する。完全実施に向けて,中学校としての教育課程をどの様に構成するかは,全 校あげて取り組むべき重要な課題であると,東京教育大学附属中学校でも,意識されていた。

さらに加えて,東京教育大学附属中学校には,学習指導要領の完全実施を指向しなければな.らな い,もうひとつの「お家の事情」があった。このことについては,東京教育大学附属中学校に勤務

した教官のOB, OGで組織される親睦団体としての桐鳳会が発行する機関誌で記述したのに加えて,

文章化して部外者に読まれることは,はばかりたい内容でもあるので,具体的な言及はさけること にした(2)。東京教育大学附属中学校から東京教育大学附属高等学校への進学方式が,昭和34年度か

ら大幅に変更されると予想されていたことが,その要因とだけ書いておこう。

昭和34年度の実験授業は,11月28日に実験学級,比較学級にそれぞれ事前調査のプリテスト(作 文併用)を課したうえで,11月30日から12月11日まで実施され,12月12日にこれも作文を併用

したボステストを実施して,実験授業の効果判定に資している(3)。

昭和35年度については,実験報告書が未刊に終わったけれど,幸いに前記の授業ノートが残って おり,その中に個々の授業に対する生徒の意見と,それへの教師の答えが詳しく記されているので,

授業の展開過程を,具体的に追うことができるのである。

(3)

教科書の内容不備是正を策してアフリカの理解を選ぶ

私がユネスコ教育実験を担当し,他国・他地域の理解を指導する様にいま求められたのなら,必 ず「近くて遠い国」と評される韓国を,ちゅうちょすることなく選ぶだろう。しかし,当時の私は,

李承晩独裁体制下の大韓民国を,地上最悪の国と思いこんでいたから,韓国植民地化のプロセスを 明らかにし,それを授業に組みいれること以外に,関心は抱いていなかった。それに対して,アブ リカ,とりわけサハラ以南のアフリカの歴史と現状については,ことのほか強い関心を持っていた。

実験報告書は,その第1章を「研究の目的と方法」と題して,その冒頭に アフリカを選んだ理由 を掲げている。そうして最初に引用したのが,第1回全アフリカ会議(1958年)でのガーナ首相工

ンクルーマの発言,「1960年はアフリカにおいて植民地主義がくずれる最初の年になるだろう」が かかげられている。

この引用に続く本文を,次に掲載してみよう。

アフリカと言うと,すぐ 暗黒大陸 ということばを耳にするし, ターザン 映画や 少年王者 物語によって,その印象は生徒の頭の中ではますます強固なものとなろうとしている。そうして,ア

フリカといえば,野蛮人と猛獣の住み家と考えているものが,今でも非常に多いはずである。

アフリカは未開野蛮の地域 という印象は今の状態では,そう簡単に消滅するとは思われない,

その具体的な一つの現れとして,ある中学生の作文を取り上げてみよう。

そうして,次に引用したのが,プレテストで書かせた生徒の作文の一部分であった。それは,「こ れがアフリカです」と題されている。

……Aフリカの中央には,おく深い大密林が続き,中には数多くの野生の動物が住んでいる。ま た,人々がはいっていけないさまざまな密林もある。さらに,アフリカの開発がおくれ,野蛮な 土人や,人などを平気で食べる人食い土人などもいる。

開発がおくれた理由は,海岸近くまで山がせまっていたり,密林などでさえぎられ,中に入れな かったり,川が急流で船などで,おくまで入れなかったからだ。

今日の眼でみれば,まさに偏見と差別の塊であり,「文明化」がおくれたのを,自然条件の不利か らだけとらえる典型的な「自然決定論」にほかならない。しかしこの様な生徒の認識を,不勉強の 結果と非難するのは酷であろう。当時の中学校社会科地理的分野の教科書は,偏見と差別にもとづ く記述はしなかったものの,「文明化」,本当は植民地化の度合いが,東南アジアやインドに比して 低位な原因を,もっぱら地形的側面と苛酷な熱帯気候や乾燥気候に求めていたからである。

作文紹介の次に,実験報告書は,次の様に書いている。

だが,土人の首狩りや食人種などは,今日のアフリカでは,もう伝説にすぎない。また, 最後 の植民地大陸 といわれたアフリカにも,民族独立運動の夜あけが急速におとずれようとしてい るのが実状である。

1958年のガーナの独立以来,1959年にギニア,1960年に入るとカメルーン,トーゴランド,

ソマリヤ,コンゴ,マリ連邦,マダガスカルと,植民地支配のきずなを断ち切って独立する国が あいつぎ,さらにナイジェリアを始あ,フランス領赤道アフリカの諸地域も独立をかちとろうと

している。

(4)

だが,教科書を使って学習する限り,検定制度に伴う制約もからんで,アフリカの胎動は,生徒 になかなか伝わらない。教科書にかわる新しい教材を提示し,新しい事態を的確に認識させ様とし たのが,アフリカを実験授業の対象地域に選んだ理由の一つであった。

西欧中心史観からの脱却をはかる

実験報告書は,アフリカを対象地域にしたいま一つの理由を,次の様に述べている。

社会,経済,文化の面で,アフリカが 低開発 の状態にあることは,確かに否定できないこ とがらである。だがアフリカは,歴史の流れの中にあって,常におくれた立場にのみたっている 地域であろうか。この問題について考察を進めていくと,われわれはアフリカ=昔からの低開発 地域という結論を危くさせる資料をいくつも発見することができるし,同じ様なことは,アジア

についてもいえるはずである。

ヨーロッパにおいて史上最初の産業革命が成立するまで,東西双方の文化の段階は,今日いとも 気軽に 後進 先進 ときめつけることが出来ない要素を,多分に持っていた。また,いわゆる 地理上の発見 がおこなわれた当初,始めてアジアの地を踏んだヨーロッパの探検家たちが,ヨー ロッパに比して先進地域であることに,驚きの目をみはった事例も記されている。

しかし過去の歴史的事実はともあれ,現在のアジア・アフリカ地域が低開発地域であることは厳 然たる事実である。とはいってもそれは先天的にそなわった条件一生徒の作文にある様な密林と か急流或いは気候という様な自然条件一によって規定されたものではく,ヨーロッパの国々に よる植民地支配の黒い手がのびてきた後におこった現象と,考える必要がある部門が少なくない ことを,正しく認識する必要もあるはずである。

要するに植民地化の歴史を無視して,アフリカの現状を説明することは,全くナンセンスであり,

自然の条件と静態的にとらえた現況の記述だけから,アフリカの地理を認識してはならないのだと,

当時の私は解していたことになる。

いま,報告書の文章を書き写し,立論の根拠として章末に注記された文献名に眼を通してみると,

当時の私が,東京大学教授として東洋文化研究所に勤務されていた飯塚浩二(1906−1970)先生 の著作から強い影響を受けていたことが読みとれる。実験授業実施中に中央公論社から刊行された rアジアの中の日本』(1960年)の巻末に記載された著書目録をみると,1951年に福村書店から刊 行された『東洋の文化』の読了による感銘が,とくに深かった様に思われる。

『現代日本朝日人物事典』(1990年・朝日新聞社)に,西川治教授が書かれた解題を抜葦すると,

飯塚先生は 近代地理学史の研究を踏まえて,社会科学の一部門としての人文地理学を提唱し,地 理学界に新風を吹き込んだ。かたわら西欧中心史観の影響を受けた東洋史研究を厳しく批判された

との評価がなされているω。

なお,私事ではあるが,飯塚浩二先生は息女沢子さん(昭和40年3月卒業)の保護者として,桐 陰向上会(PTA)の会長を勤められ,たびたび来校され,親しくお話をうかがった思い出に加えて,

逝去後にあまれ,平凡社から刊行されたr飯塚浩二著作集』1比較文化論・東洋への視角と西洋へ の視角(1974年)を沢子さんから頂いて,いまも書棚に収め,愛蔵している。

(5)

植民地支配と民族運動を中核にしたカリキュラムを組む

教科書の記述に即したカリキュラムでは,アフリカにかかわる正しい理解がなされないとなれば,

当然教育実験のためには,新規のカリキュラムを組みたてねばならない。そのアウトラインは,実 験報告書に,次の様に記載され,さらに日本ユネスコ国内委員会が,昭和35年3月に刊行している

r学校における国際理解教育の手びき』にも字句を多少変えて記載された(5)。

指導要項 指  導  内  容 留意事項

(1) 自然のすがた *自然についてはあり

○地 形 世界第2の大陸 台地と高原の大陸 急流 のままの状態を説明

○気 候 の存在 熱帯雨林 サバンナ 砂漠 ステ するにとどめ,不用

ップ 地中海性気候 意に因果関係を追求

することはさけるよ うに努力する。

② 民族・人種 人口の大半は黒人 黒入・アラブ人・白人 とその居住地

(3)植民地大陸から 独立国は10か国 大半は植民地 *(3)では 1960年は

独立国へ アフリカの年 とい

(4)植民地大陸とし 黒人の地表における分布 奴隷貿易の状況 われることばの意味 てのアフリカ その破壊的影響 アフリカの分割 ふえ を事実として認める 一なぜ暗黒大陸 なかった人口・ゆがんだ社会

だったのか一

㈲ 植民地主義と民 代表的な四つの地域(ケニア,ベルギー領 *各地域の性格は生産 族運動一その地域 コンゴ,ガーナ,南アフリカ連邦) 活動に重点をおき,

差を中心として それを説明するため

サハラ砂漠 石油の宝庫に対するフランスの立場 に必要な自然的・社

1.熱帯アフリカ 会的・歴史的条件を

加味する。

*ケニア 白人による大土地所有 労働力としてのみ *さらに生産活動の地 扱われる黒人(原住民居住指定地)民族 域による特色をえが

運動とその背景 いていく中で民族運

*ベルギー領 黒人優遇策とその背景(鉱産資源の開発) 動の地域性を把握す コンゴ 政治上の発言権のない世界 るようにつとめる

*西アフリカ 立上る黒人(カカオ栽培・販売のしくみ)

ナショナリズムの拾頭を助けた自然環境

2.南アフリカ 白人本位の土地 人種差別とその背景(鉱 *白人中心の社会を生 産資源の存在と貧しい白人の登場)南ア連 産活動面から把握す

邦の社会構造

(6)

いまになって読み返すと,中学校1年生には,少々むずかしすぎる内容であった様に思われる。生 徒の具体的な反応は,翌年度に第2学年で実施したものが残るだけなので,いまとなっては,判然と しない。北アフリカについての記載がないのは,西アフリカと北アフリカを一つの単元として扱い,

アラブ民族主義と石油資源を中心に,授業を進めたからである。

生活と文化にかかわる分析を全く欠いているけれども,当時は「資本と労働」をキーワードに,生 産活動の地域的特性を究明するのが,動態的な地理学習であると,思いこんでいた。

新聞記事と書籍からの抜葦で「資料集」を作って主用する

実験授業に際して,教科書はあまり使用しなかった。教科書の使用は,「学校教育法」第21条で 義務づけられているから,教科書展示会にでむき,当時は14種類も発行されていた社会科教科書の 中から,実教出版刊行のr日本と世界』改訂版を選定していたが,これにあまり頼らなかった理由 を,報告書は次の様に書いている。

現行教科書の中には信頼性の面において欠けるものが少なくないが,「日本と世界改訂版」は,

14種類の教科書の内容を検討した結果,望ましいと思われるカリキュラムの線に最も近いものと 判定されたので,これを使用することにした。

けれども,教科書に記載されている内容がやや古く,事実一とくに独立国の数や民族運動の実状 についての解説に若干の時間的ずれが生じているので,それを補う必要を感じて,「資料集」を作成 し,これを主用した。そのことは,教科書の記述はとかく抽象的で,具体的な記述に乏しかったか らでもある。視聴覚教材を全く用いなかったのは,海外旅行が極度に制限されていた当時ゆえ,適 切なものを「発見」しえなかったからにほかならない。

「資料集」を編集することには,困難を感じなかった。その理由は,昭和30年2月以来,主として

「朝日」から,社会科学習に役立ちうる新聞記事を切り抜き,スクラップブックにはりこむ作業を克 明に行ってきたし,また昭和34年度当初から,1時限の授業に1枚の割合で,ガリ版印刷の方式に よる,新聞記事や書籍の抜葦を主体とした教材(資料集)を,作り続けてきたからである。

「資料集黒いアフリカ」と名付け19ページに達した教材については,次にその章節だてと見出 し,さらにその出典を記載してみよう。生徒に読んでもらわなければ,全く意味をなさないから,見 出しの語句については,特に苦心した。今日的にいえば,キャッチコピーの選定に頭を悩ましたわ けである。こうして培ったコピーライター的感覚は,今日でも役立っている。

*資料集 黒いアフリカ 1.アフリカの自然

地理学者は,アフリカの地図をつくるとき,野蛮人をえがいて空白をうめ,また人の住めない 荒野の上には,町のかわりに,ゾウの絵をつける  一スウイフトー

イ.暗黒大陸? (入江敏夫編「新しい世界の地理」3)

ロ.密林と豪雨の土地一熱帯雨林の土地と気候(早稲田大学赤道アフリカ遠征隊編「アフリカ横 断1万キロ」)

ハ.神にみすてられた土地一サバンナの気候(ピエール・ロチ「アフリカ騎兵」,山内大介「黒い

(7)

大陸一アフリカからの報告」)

2.未開の大陸 アフリカ

イ.  未開の面は確かにある!(山内大介「黒い大陸」)

ロ.だが,反対の例もあった!(入江敏夫編「新しい世界の地理」3,山内大介「黒い大陸」)

3.奴隷貿易のいたで

イ.笑いがとまらないほどもうかった!(入江敏夫編「新しい世界の地理」3)

ロ.恐ろしい奴隷狩り (山内大介「黒い大陸」,朝日「アフリカの夜明け」昭34・1・4)

ハ.奴隷船の悲劇一(一英人船長の日記 朝日新聞社編「黒人一迫害と忍従を越えて」)

二.奴隷の運命一統計的にみた一 (入江敏夫編「新しい世界の地理」3)

ホ.アフリカの人口の移り変り (西野照太郎「鎖を断つアフリカ」)

4.動物の天国

イ.動物が人間を見物する?一ナイロビ自然動物園のはなし (朝日「アフリカー周」昭33・3・

29,早稲田大学赤道アフリカ遠征隊編「アフリカ横断1万キロ」)

ロ.美しき土地 ケニア  (朝日「アフリカー周」昭33・3・29)

ハ.虫けら同様に扱われた黒人(ジョン・ガンサー「アフリカの内幕」)

二.  ケニア その土地と人(ジョン・ガンサー「アフリカの内幕」)

ホ.  マウマウ団 の暴動 (山内大介「黒い大陸」)

5.黒人の楽園一ベルギー領コンゴ

イ.生活程度は確かに高い(朝日「アフリカー周」昭32・1・15,早稲田大学赤道アフリカ遠 征隊編「アフリカ横断1万キロ」)

ロ.完全な植民地一見ざる,聞かざる,言わざる (山内大介「黒い大陸」,早稲田大学赤道ア フリカ遠征隊編「アフリカ横断1万キロ」)

ハ.原爆のふるさと (朝日新聞社編「黒人一迫害と忍従を越えて」)

二.戦争が最大のお得意様(A・ロス「幻想の終焉」世界 昭34年3月号)

ホ.泰平の眠りをさます大事件(朝日 昭34・1・6,昭34・1・14)

6.夜明けを迎える西アフリカ

イ.白人の墓場 (朝日新聞社編「黒人一迫害と忍従を越えて」)

ロ.緑の金 カカオ  (山内大介「黒い大陸」, 「日本国勢図会」昭和34年)

ハ.独立へのあゆみ (朝日新聞社編「黒人一迫害と忍従を越えて」)

二.私たちは独立した!一黒人の独立国のたん生(「世界の子ども」5西アジア・アフリカ篇)

ホ.誇りをもって堂々と歩め!(山内大介「黒いアフリカ」,朝日「アフリカの夜明け」昭34・

1・4)

へ。新しいアフリカの中心になろう! (朝日 昭33・11・24=ロイター電)

ト,黒人のためのアフリカへ!(朝日 昭33・12・9AP電)

7.自由の国? リベリア

イ.合衆国の落し子 (山内大介「黒い大陸」)

ロ.猿まね主義の国 (山内大介「黒い大陸」)

8.真昼の暗黒 アフリカ版 一南アフリカ連邦一

(8)

イ.白人にあらずば人にあらず(朝日新聞社編「黒人一迫害と忍従を越えて」,モニカ・フエル ト「あたり前の女たち」)

ロ.法律は差別を認めている!(朝日 昭32・5・3)

ハ.国連の批判にも反抗しよう! (朝日 昭33・10・23)

二。なぜ差別するのか(「爆発寸前のアフリカ」リーダーズ・ダイジェスト1959年8月号)

ホ.差別は金もうけに通じている(「爆発寸前のアフリカ」リーダーズ・ダイジェスト1959年 8月号)

へ.統計は教える (「日本国勢図会」昭和34年,「世界」昭32年5月号)

ト.掘っても掘っても大丈夫 (山内大介「黒い大陸」,西野照太郎「鎖を断つアフリカ」)

チ.白人でさえ逃げだしている!(A・ロス「白人は静かにアフリカを去る」世界 昭34年10

月号)

リ.爆発の前ぶれ? (朝日 昭34・6・19=共同電)

9.暴動事件録一1959年一 (朝日,東京から作製)

いま,「資料集」の内容に眼を移すと,中学1年生用としては明らかに程度が高すぎて,大多数の 生徒の理解をこえていた様に思われる。それにしても,実験授業のために,大げさに言えば,不眠 不休の読書と資料集めを行ったものだと,われながら感心せざるを得ない。若さと馬力のしからし めた「成果」であったろう。

個別のカリキュラムで授業して比較検討を行う

ここで筆をとめてしまえば,単純な実践記録にほかならない。そうして,ユネスコ教育実験の真 骨頂は,二つのカリキュラムを作成し,同時並行的に別個の学級で授業を行い,結果を比較検討し た処に求められる。また,二つの学級での成果をただ見比べたのではなく,知能指数が同じで家庭 環境が類似する生徒を各41人の学級から31組選び,比較検討に資する対象として,各人がそれぞ れのカリキュラムにもとずく授業に,どの様に対応したかを分析した点に特色を有していた。

適切と想定するカリキュラムに基く授業を課す実験学級と,在来型のカリキュラムに基く授業を 課した比較学級を設けたのが,ユネスコ教育実験の大きな特色であった。「アフリカについての理解」

では,比較学級には,一般的な教科書を教材として生徒に供与し,教師用指導書に記載されるカリ キュラムに基いて授業を行った。次に,比較学級に課したカリキュラムを提示しておこうφ(6)。

使用教科書:「世界の国々」中教出版刊行

指導要項 指  導  内  容 留意事項

(1) 位置と歴史 暗黒大陸→探検 植民地大陸→領土分割 *アフリカがヨーロッ

(2) 自然と生活 開発を妨げた自然と植民地政策,気候と パ諸国の植民地であり 原住民の生活 ながら,長く未開発に

㈲ 中部アフリカ ギネア地方,東部アフリカ,日本との貿 おかれた理由を考え

る。

(4) 南アフリカ 金とダイヤモンド

(9)

指導要項 指  導  内  容 留意事項

(5) アフリカと世界 熱帯アフリカの開発計画 アフリカの民 *ヨーロッパ人の植民

族運動 地政策で成功した南

*実験学級で使用する「資料集」につい

@ては,「アフリカの自然」「未開の大陸 アフリカ,資源にめ アフリカ 」を利用し,奴隷貿易につ ぐまれた中部・東部 いては,その実態だけを示し,それが アフリカの今後の開 人口の推移,ひいては生産活動にどの

lな影響を及ぼしたかについての指摘 発について理解させ

は行わなかった。 る。

授業実施後の結果について,実験報告書では,その第4章を「予備実験の結果とその考察」と題し,

知識思考力の両面について分析を行った。予備実験と題したのは,望ましいと想定したカリキュ ラムにも不備があるかも知れないので,分析結果に基づいて補正を行い,次年度にもう一度,実験 授業を行う構想であったことに由来する。

報告書は,地理的知識の定着度について,歴史的,社会的,経済的条件を考えた上で明らかにさ れた「地理的諸事象に織りこまれた地名の方が,個々に教えられた地名よりも強く記憶に残ってい る」と結論づけている。静態地誌に比して,動態地誌の方が,地理的知識の獲得においても有効と

したわけである。

思考力についての項は,二つの異なったカリキュラムに基づいた授業を受けた生徒が,アフリカ の未開はなにに由来するかを考えた結論について言及する。授業前の状況では,実験学級,比較学 級の双方とも,自然条件の不利を原因と考えた生徒が多数を占めていたのだが,授業後には大きな 相違が生じた事実が報告されている。

実験学級でも依然として自然条件の不利を原因と考えている者がいたけれども,授業前には奴隷 貿易の影響を指摘した者は皆無であった状況が大きく変化し,自然条件の不利を原因と考える者と ほぼ同数になったのである。これらの生徒の多くは,かつては住民の能力が低くて高い文化を受容 できないためと考えていたと判断されている。

一方,比較学級では,授業前には植民地化が低開発の原因と考えていた生徒が,全て不利な自然 条件に基くと思考するという結果が生じ,全く対照的な結果となったわけである。

学習図鑑・学習参考書でも新しい視点でアフリカを書く

児童・生徒のアフリカに対する誤った認識を是正しようとする意欲は,授業以外の執筆活動でも 発揮された。附属中学校に着任するとまもなく,学部,大学院に在学中に指導を受けた先生がたか ら,教科書,一般図書,参考書などの執筆に加わる様にとの勧誘がいくつもまいこんだ。その最初 は,青野壽郎先生から持ちこまれたr社会科グラフ 特集さまざまな土地とくらし』3巻1号(通巻 25号)の原稿を書く様にとの指示であった。茨城県立水戸第一高等学校から僅か1年で転出して,当 時はエリート学校の頂点に位置すると意識されていた東京教育大学附属中学校に着任しえたのは,青

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野先生の強力な働きかけによるのだから,断れる理由が見当たらない。

東雲堂を刊行者とするA4判46ページのグラフ雑誌は,毎号主題を変えて刊行されており,第24 号はアフリカ・南極・オセアニア,第23号は日本のあゆみ(6)を,それぞれ特集した。青野先生 は監修者として表紙裏の目次ページに「監修のことば」を書かれただけ,巻末の名簿に編集指導 中川浩一とのみ名前がでている様に,編集者が用意した写真やさし絵に解説文をつけたのは,全て 私であった。刊行は,昭和34年4月となっている。

この仕事を終えるとすぐ,今度は浅香幸雄先生から,小学館の学習図鑑シリーズの1冊となる予定 のr世界地理の図鑑』編集を手伝ってくれとの依頼があった。指定された日時に小学館にでむいて みると,執筆担当者はみな東京教育大学附属の教官で,附属小学校の小山保郎先生,附属高等学校 の榊原康雄先生とそれに私であった。小山,榊原の両先生はお二人とも大正8(1919)年の生まれ だから,昭和6(1931)年誕生の私からみれば,大先輩である。

浅香先生は内容構成に意見を述べられただけで,原稿執筆は「まえがき」以外されなかった様に 記憶する。3人の附属学校教官が,章節のどの部分を担当したかが明示されていないし,記憶もあや ふやになってしまったけれども,アフリカは私が書くと申し出て,了承されたのは確かである。

さし絵主体のページが112ページ分で巻末に文章主体の解説が36ページあり,さらに統計表,索 引がつく構成であった。このうち,アフリカについては,さし絵部分が8ページ,解説部分が4ペー ジとなっている。アフリカの自然北部アフリカ,南部・東部アフリカ,中部アフリカに分かれた さし絵部分では, 黒人は白人から差別され,政治上の発言権は勿論,住居や職業まで,きびしく区 別され とアパルトヘイトについて記述した後に,民族運動への言及を行った。

1ページ1主題の解説は,「なぜ未開だったか」「高まる独立の動き」「白人と黒人」「スエズ運河」

をとりあげ,奴隷貿易とアパルトヘイトを詳しく説明した。r世界地理の図鑑』は,昭和34年12月 の刊行であった。そうして次ページ上半分に示した図版がr世界地理の図鑑』の解説ページに収載 された内容の一部である。下半分は前回にも言及したr学年別テーブル式 中学1年生の社会』に収 めたアフリカにかかわる内容に相当する。

この年は,9月に町田貞先生との共著名義だがσ),実際には町田先生に「はしがき」だけを書いて 頂き,左ページをテーブル(表解),右ページを解説にあてた124ページ(うち6ページ索引)の学 習参考書r学年別テーブル式 中学1年生の社会』地理編を刊行したのに加わえ,翌年刊行された文 書資料を中核にすえるユニークな学習参考書r中学社会学習の友』の原稿を書きあげて大修館に手 渡しているのだから,八面六腎の活躍であった。系統式板書システムに乗っとる前者については,前 回に言及したが,後者は,r週刊読書人』が書評らんに採りあげる異例の存在となった。学習参考書 は,通常「学参」と蔑称され,出版界では低い評価しか受けてこなかったからである(8)。

実験授業の成果は,日本ユネスコ国内委員会編r学校における国際理解教育の手びき』(1960年)

の第4章(中学校における指導)の第3節社会科における指導 と題して収められ,公刊されるこ とになった。

(11)

齢淵・ 13rくより北のアラブの住民をはじめ.サハラさ種 ど二嚇

黶@一  亀 ハ  層 覧

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E 「      詫耀物〃〜 ㌧㌧Ar 高まる独立の動き くより殉の黒人にも, 勇気と霜望をあたλるでき イとでした.

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X・F國:, 重・ア フ リ

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ヘ瀕惣萎≧1…  ふえる独立邑 第二次世界大戦後,世昇の国ぐ ノは,民主主競の精稗のもとに膠図臼由と平等 フ世界をつくろうと,力強いあゆみをみせました。

サの時アフリカ大陸にはじ独立国がいくつあった

 目ざめゆくア7リカ 1957年3月に,ガーナは

Cギリスの手をはなれ,四銘年IL月には,フラン      屍Aげ嶋

Xの手をはなれたばかりのギニアと連邦をつくり ワした。これは7フリカの住民の4分の3を」め しました。      でしょうカ㌔ エジプト・ヱチオビア。リ       <77リカの敵治の勧き>r刷3嘱躍,にょ

なぜ未開だったのか ヨーロ7バ人がア7リカからつれさった黒人の     ベリア。肖アフリカ逓邦の4か国だけで       hゐ咀勺偏らψ■

故は,範0∫印伽二5.000万人にたっしたといわれて     した・しかも南ア71」力連邦は,移住者 一    σ きびしい自然 アフリカ大陸の北部には,世界        くとれいの運◎〉      である白人中心の国でしたから,じっさ アラブ艮族主脇 でもっともはばの広いサハラさばくが,横た      いは3か国だったといってよいはずで†。

縺C         臼^ 二よる黒人胴耽の・ξら晒 ・た       だが,今職立国脚姻凸こ以(66人聞の交通をさまたげていました.      乱oooへとマれば 置勝のえいセよう  また,アフリカの海彫にはでいりが少なく,

謔「港が,なかなかみあたbません。そのう

離 蹴墾騰;偽

え,台地や山地が海塔近くまでせまって7大

ォな川でも,下流にたきや急流があって,船 「..除.マ呈;奪摺二譲綴嚇 綴,ぺ♪     . エチオしア .

を内陸に進めることができませんでした。そ 途中、いろいろ苫    たアフリカに㌦住民がみずからの運命 一ナ 『多ぞ物

      二,齢ムρ:し,

フうえ,熱帯の高温多湿な気候は健康に悪く, しい二とがあつて    を,みずからの乎で切り開いていこうと       ゜ぎ ,

驚鼠も;三二1蝦花醍轟;無1噛

髣bたいへんお・ら耽・といわれ…  繍1.ますo       労働に従りて. ア7リカは牽闘埴ではなかった しかし,  いる禰人・

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k年榔・辛て       弓いねときには375人      ノ野一

滑Cして,やっと厨大随に f強8∂ {

する 民放主義 の運動が,高まってい ワす.しかし,この動9は,植民地を本 曹フ利益のためにほうしさせようという lえとの聞に,これまで数多くの争いを

、んできました。

 −.卜 r 金アフリカ

@人畏金曝 P携i望)

歴史の欝物に書いてあることから,アフリカがむ   います。だが,モの全部がアメ リカ大陸に送1, アラブのめざめ 名まえのうえでは独

       7職ム

j.罐

人もいます◎「街絡は手いれがゆきとどき,並木ボ    ひどいたいぐうと長い苦しい航海のために,途     ブトはレじっさいはイギリスの植民地で,       P,いuA両側をふちどっていた.田畑はみごとにたがやし  中で命をおとしたものが,10人中で7人にまでな    国王をはじめ、大臣たちはイギリスの耶

敵油的な ゥ糞が高まる     P噂トあった。絹やビロードをきたたくさんの人びと,  ったといわれるほど.どれい貿易はひどいもめで    隊のカの蔚には,かかしも同じで,思う     じ■ら8物事に正しい順序のある大国,強力な團王たち,   したが,もうけがひじょうに大きかったので,ヨ     ままに動かされていました。しかし,岡 曇駒が健雀

?P959奪1月

        人種置別政験

「:・・こ《

豊かな巌叢がみられ,その人たちは2ったく文明   一ロ,パ人による黒人がりは,あとをたちません     王や大臣たちは悶内では広い土地をもち.

、・弓響L・幽4二

化されていた。」と,,一ロッパがまだ中世瞳無町   でした。こうして,臓きざかりの人たちは,アフ     国民からは高いぜい金をとりあげ,ぜいたくな生   る烈人が,長く超んていた臼由と独立の第一歩を 代とよばれていた当時の商人のおどろきを,轡物   リカからどんどんつれさられていったのです。     活を続けていました。      なしたのです。

「r勝」4

は二う伝えています6       そのため,アフリカでは,産業の発違はさまた      高い小作斜をとりあげられ,悪い政治に苦しん    しかし, ガーナとギニアに続こう/ という どれい貰易のいたで ユ650年のア7リカの人口  げられ,文化の面でもたちおくれが目だったので    でいた展民には,麗かなナイルのみのりも,まっ  黒人の願いと,鍛後の櫛民地六随を失うまいとす.

は約1偉で,モの時代の世昇の人ロの18%であ   す.      たくえんのないものでした。       る白人の希望とはいっちしません.

と5,8も      巳ド」h ったとされています・ところが,田50年には9,,OO   植民馳化のえいきょう 力の弱ったア7リカは喜     しかし,1952年7月,のちの大統領ナセルにひ    1959年の籾めにこれコて,ひどい差別たいぐう 万人で,世昇人口のに8%にすぎませんでした。  :9世紀の後半から20世妃の聞に,急にヨー07パ    きいられたエジプト軍は,国王の勢力を国外に遺   に苦しんできた東ア7リカの澱人が,あいついで

岨引急.馬

したがってこの200年間には,人ロはへっている   の強国の檀民地に変わっていきました。そのため,    いはらい,新しい国家をつくるために立ちあがり   暴動をおこしました。また黒人労働者のたいぐう

6 ,ぐ【 , 1ひレ・曙ら

ので†.      不媛則な境昇線がつくられ,近くの土地と結ぷよ     ました.      をよくしながら,植民地をもち綬けていこうとし

岬馬き

アメリカ大陸への航路が開かれてから,ヨーロ   りは.遺くの本国との交通が第一とされ,本国の     いくたびもの交しょうのすえ,モれまでエジブ   たベルギー領コンゴにも,暴動がおこりました。

ッバの強国の,アメリカ大陸への関心は,急にた   利益がいっも第一とされていました。         トにいすわっていたイギリス軍は,たちのかされ,   二のように各地で挫立を顧う戸が高まっていま        ごし し脚        曜卜,・・含監       , 脚・≡、

ゥまりました。しかし,この土馳では,農産鞠を    二うして,アフリカ独自の発展はおさえられ,     国内では,働く農民に土地をあたえる 土地融革   す。植民地ぽすでに時Rおくれのものて,双方の

いらじ? :8,亀L・

作り,虹山を開くために必要な労力が不足してい   ばらばらの貧弱な状感におかれたことが,アプリ     もλ行されました。       目由と平等のうえに,新しい世界をつくってゆく ましたので,雪一冒7パ人は武力によってアフリ   カ大陸を.よりたちおくれた土地にしてしまらた      ニジプトが自由を手にいれたことは,サハラさ   ことが零これからのあり方でなければなりません。

カの黒人をヵ吻集め,どれいとして働かせようと   と考えられまず.       (!3εノ

(B7)

51, アフリカ(北アフリヵをのぞく) 説  明 31

(1) 地 形  高原と台地の大陸 (A) 自  然

(A) 大陸全体が高原状一海崖よりに急ながけ一急流の存在0 0 急流の存在  大きな川(フンゴ,ニジエル,ナイん川)でも船で内匹艶に遮むことがむず

(2)気 候  大半が熱帯に西する      8」♂ ■  》 かしかったことが,密林の存在などとともに,交遁の発達をさまたげる自然の条件であった.

(右図参無) 第獲難. (B) 植民地大陸

@② 独立匿はわずか10ヵ門だ,た  1959 ①中央蔀をおおう密林(黙帯rn林)

Aはひごoていた晋虫・猛獣 鼕J発を進める上の問題点の一つ

    へ    ㌻4        2

@       1

@      2冒.夙鷹薗郭気俄

試 4 年*まではアラブ連合・リビア・チ3ニジア・

c鴻bコ・エチオピア・ギニア・リベリア・ガ [ナ・スーダン・南アフリカ連邦のうち,黒人の

     ダで・・…

S,1 響懸.瞳刈

(B)

A艮地大

 最後の植民地大陸一1959年まで独立国

@ はわずか10ヵ国●

i1) 原住艮は黒人o  およそ1500万人 i2) 経済上の支配者としての白人  政

@治面はゆずったが経済上の利益は今でも独占0

@白人の独立国が存在一南アフリヵ遷邦

@       武力によ A植民地支配に使,た方法

@       哩亀あつ

@   る押えつけ一独立運動の弾圧 Y業活動を支配一利益を独占

独立国は,ギニア・リベリア。ガーナの三か国.

B 原住民は黒人 黒人は現在,地球上に約

@2偉人が居住するが、アフリカ以外に住むもの

@は,かつてア7リカから強制陶につれだされた z隷の子孫である.

 奴縁賀易とその影響  17世妃から19

「紀にかけてアフリカから連れさられた(途中

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@  一噸

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      黒人の地位の向上を妨害(人種差別)●

i3) しかし,立ち上,た黒人  白人の抵抗もはげしい

@ 1958年 ガーナ独立一⇒他地域の運動をしげき一全アフリカへ拡大

人々であったから、ア7リカの社会・経潤の発 Wは非常にさまたげられ.未開発の状態が艮く アく質大な原因とな,た,

O 経済上の利益を狡占  輪出用の農産物の生産の中で,

(脛而1年柳めのア7りヵの現伏,

@   白人の農恥のしめる割合が大き

(1) 農業にみられる二つの型 いし,その阪売は白人の貿易会祉にまかせられている.採恨に莫六な資金の必要な鉱産物の場

①農園農業(ブランテーシ、ン)一自人本位の畏業 合にはまったく白人の支配にまかされている.

D 人種蓬別  楓人の人権をみとめず.職粟・

(C) 広い土地を狼占●一黒人の土地取上げ J働力として拠われる黒人一安い賃金

く  きな利  白人 搗蛯キる不  黒人)

       翼

?Z地などにきびしい制限をつける.南アフリカ フ旭合が,とくにはなはだしく 謹…律で差別セ公

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Fしている. ・・…剛謹・}娩急 艦魯

桑 活 勤

②(2)①

3民銭狡立運助へ莞展(例 ケニア,中央アフリカ連邦)       ,ん蒐い

エ住民の萄触的な畏業一非能率的な運営(焼畑O 註lコ支i配の二つの型

Rンゴ(1日ペルギー領)一世昇有数の銅とウラニウムの産地 がその一つの型)

(C)産巣活勤の特徴      吟.◎、   .       叫①広い土地を鮎 黒入の駐鞭縦し・,コ,   3・.

u;饗1騰i難欝;ll髭灘、

の特徴

  内陸の土地一交通不便一開発おくれる      1,馬こ,

@ 各国の失敗(一黒人の反抗)を反省 A酪7フリカー世鼻有数の盒・ダイヤモンド・

@ 莫大な利益一独占するために.黒人を圧迫

ュ3) アフリカの新しい助壱  西アフり      58」Bf

     ■,e,

@  一⇒優遇して能寧向上●

@    ウラニウムの産地一

@   (人種差別)

Jの岨合(中心はガーナ)

自人の暮場・ツエツエパイカ唯染させる眠    (7フ・肋の獣)

濤釜騰製坐灘2。晶}一黒人中切経・一劾阯  り病と高湿多濯な気蝶のため,白人の死亡者が多かったためにつけられたよぴ名 S  カカオ   ココア。テgコレートの原料

(12)

生産活動のしくみ究明を核にした日本地理のカリキュラムを作る

昭和33年度の授業は,着任前に設定されていたカリキュラムに基づく学習内容に従ったけれど,

次年度は自分なりに構成した内容で展開しようと,工夫をこらしていた。そうした状況の中で,私 は民間教育研究団体の一員である「地理教育研究会」の会合に,しばしば顔をだす様になっていた。

この研究会に参加する様になったきっかけは,前年度限りで退官されたが,非常勤講師として出 校されていた山本幸雄先生の急逝への補充として,谷口五男先生が教生指導にあたられたよしみで 授業を手伝って下さることになった中村實さん(東京高等師範学校文科四部 昭和27年卒業,後に 開成高等学校教諭)の勧誘によってである。

地理教育研究会は,昭和34年5月3日,明治大学を会場にして,第2回研究集会を開いたが,そ のおり,飯塚浩二東京大学教授の講演を主体にした全体会とは別個に開いた小学校,中学校,高等 学校の各部会が持たれている。その中学校部会で私は,「中学校社会科地理的分野カリキュラムー日 本地理の場合」を発表し,その全文が「歴史地理教育」44号(昭和34年7月)に掲載された。(9)

研究主題がカリキュラムになった理由は,次の二つに由来しようと,鳩貝清太郎は書いている。

第一は,勤評,道徳教育,その他一連の文教政策を背景に,直接的に社会科教育乃至地理教育に影 響を与える指導要領の改訂という昨年来の状況に対応して,カリキュラムをとりあげる必然性があ った うえに, 第二に……本研究会の主体性の確立ということはしばしばいわれていたが,批判だ け行われて,こういうものをという,積極的な具体性が不足していた からであった。

カリキュラムの表示に先だって,私は,なぜ地誌中心のカリキュラムとするのか,中学校社会科 地理的分野の学習では何を生徒に与えようとしているのかについて解説した。学習指導要領が,諸 地域学習を年間総時数の2/3程度と示したのに対し,日本教職員組合講師団が執筆したr日本の教 育課程』が, 地理的分野は全くの地誌に転落した と酷評したにもかかわらず,なぜあえて地誌を 主体とするのかを,生徒の発達段階に即し,かつ思考能力をはぐくむために好適との観点から説明 し,それが学習指導要領への迎合ではないとも述べている。そうして生徒に理解してもらいたいの は,各地域で展開される生活の営みであり,しかも生活を物質的に支えているのは生産活動なので あるから,その仕組みを,社会的,経済的な側面から解明していくべきなのだと主張した。地名,産 物への知識中心に組みたてられた静態地誌ではなく,社会のしくみを具体的な事実に即して究明す る動態地誌を指向したわけである。

この時点では,地誌学習と密接不可分の地域区分は,七地方区分に依拠している。七地方区分は 形式地域にすぎず,地域の実態を生徒に理解させるのには不適であるとして,おりから緒についた 高度経済成長にかかわって,地域開発の度合いを尺度にした地域区分を提唱し,その実践を手がけ たのは,昭和38年度以降であった。

「歴史地理教育」に掲載したカリキュラムは,補訂を加えたうえで,ユネスコ実験報告書の巻末に も資料として収められている。第1学年に配当し,「π型」を前提にしたものであった。

(13)

指導要項 指 導 内 容 備      考

4 1.社会科地理の学習 ω地理ではなにを学ぶのか

準備 (2)ノートの取り方

2.首都東京 (1>権力の集中点一政治・経済の中心一 (1)では政治・経済機構が

② 東京に住む人々一サラリーマンのく 日常の生活と極めて密接

らしを中心に一 な関係を持っていること

㈲ 首都圏と衛星都市の問題一住宅問題 を理解させる

5 を中心に一

3.日本の自然 (1)日本の位置 *自然のありさまについて

② 日本の地形 は地図・統計数値の処理

(3)日本の気候 を通して具体性をもたせ

4,日本の諸地域 地域区分は,行政区画を便宜上採用す ることにつとめ,知識の る。これは,教具,教材,統計などの利 一方的注入をさける。

用を考えるからである。

(1)九州地方 *地誌の内容は覚えなけれ

A.位置と自然のすがた ばならない要素を極力排 B,産業と人口のあらまし 除し(→話法,板書に留 この二つは,②〜(7>まで共通につき 意)具体的な教材を用い

以後は省略 て学習を進める。このた

C.筑豊炭田と北九州工業地帯一帝国 め,新聞,作文,雑誌な 主義の発展と結びついた鉱工業 どの有効利用をはかる。

6 D.農業をめぐる問題点一大土地所有 *地誌の学習内容は,その の下での農業の発展 地方でみうけられる事象 E.災害と社会構造の問題一シラス台 を網羅するのでなしに,

地の災害と出稼ぎの実情 日本の社会構造・経済構 F.李ラインをめぐって一漁業の争い 造が把握できるような題

をどうみるか 材を,七地方の学習の中

② 中国・四国地方 から,進度,論理の展開

7 C.農業をめぐる問題点一多角経営の 法などを考えに入れなが

すがた一 ら,ピックアップするよ

D.製塩業と立地条件 うに心がけ,単なる地域 E.牧畜業の地位一ふん畜としての家 の現象として処理しない

畜一 ようにする

F.瀬戸内工業地域一工業の発展と労 働カー

(14)

9 (3)近畿地方 *未解放部落の問題は3年 C.阪神工業地帯一工業の発展と労働 の学習にゆだねる

D.近郊農業のすがた

E.移民問題一なぜ出稼ぎが必要なの *アメリカ村を題材にし,

移民が人口問題の中に占

F.山林をめぐる問題点一山林の私的 める役割を扱う 所有のすがた

10 (4)中部地方 *東海,中央高地,北陸に

C.農業をめぐる問題点一水田単作地 地域区分せずに扱う 帯成立の条件,商品作農業のすがた

D.山林をめぐる問題点一国有林の成 立過程と山村経済への影響

E.名古屋工業地帯一系列化としわよ *兼業農家の問題を扱う

11 F.新しい工業の立地一電源開発と工 *電力独占資本と電気料金

のかかわりを考える

㈲関東地方

C.京浜工業地帯一企業合理化のうら *おもてではオートメーシ

おもて ヨンと労働者,うらでは

D.農業をめぐる問題点一おき忘れら 下請の悲劇がとらえられ

れている畑作 る様にする

12 E.斜陽にたつ養蚕一無責任な農業政 *海外農産物との競争に直

面する状況を扱う

F.水産業をめぐる問題点一過重労働 のすがた

1 (6)東北地方

C.農業をめぐる問題点一先進,後進 *庄内段階の成立事情をも の二つがいりまじる現実 とにして考える D.山林と山村の社会構造一山林の私 *岩手の山村を題材とし,

的所有のおよぼす影響 炭焼きの仕事を中心にし E.水産業をめぐる問題点一歩合制度 て考えを進める

の影響 *遭難事件の原因とからみ

F.東北の後進性一日本経済の中で占 合せて扱う める地位

2 (7)北海道地方

C.北海道の開発一独占資本の征覇

参照

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