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あ と が  き

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Academic year: 2021

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あ と が  き

古田先生は,昭和54年3月をもってめでたく定年退官された。先生の年譜を拝見すると昭和23年に茨 城大学の前身である茨城青年師範学校に赴任されているので,水戸での生活は三十余年を数えることに

なる。

この間,その温厚な人格と深い学識によって,私たち後進の指導にあたられるとともに,多数の卒業 生を社会に送り出され,また定年間近い昭和52年度には茨城大学教職員組合委員長として活躍されるな

ど,茨城大学の研究教育の発展に尽力されてきた。

私が先生と研究室を同じくするようになったのは昭和39年4月からであるが,当時は第1文科研究

室(現在の学生サークル室)の1室で向い合せに座っていた。社会学教室という看板を掲げてはいた が,スタッフは先生と2人だけで,カリキュラム上では経済学科の 添え物 といった状態であった。

その後,文理学部の改組や社会科学科の設置などがすすめられ,社会学教室の研究教育の充実のため に先生は大変力を尽された。

文理学部の改組といえば,先生の人柄を示す思い出がある。当時,文理改組にあたり私たちは新しく できる人文学部の経済学科に所属することにしていたが,何かの手違いで打合せのないまま文学科に移 され,おまけに社会学と人文地理学とが合せて1学科目になるということがあった。このとき先生は,

その運び方の不明朗さにいたく立腹され,教授会の席上大いにその非を論じられた。日頃先生は穏かな 方であるが,本質的には正義派の硬骨漢であると私は思っている。

先生は,私ども若い世代にたいしては自由な雰囲気の中で研究教育できるよう気を配っておられた。

現在の社会学教室の特徴の一つがそうした自由な雰囲気にあるとすれば,それは先生によって創り出さ

れたものというべきであろう。

先生は,昭和56年4月から新たに開学される八戸大学商学部に教授として迎えられ,引き続き後進の 教育にあたられるとうかがっている。今後ともますますご壮健に過ごされ,機会をみて私どもをご指導

くださるようお願い申しあげたい。

最後に今回の退官記念号の編集にあたり,かねてから先生と親しいご関係にある名古屋大学北川隆吉

教授からもご寄稿いただいたことに感謝したい。      (佐藤記)

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