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巻頭言 私の中の「近代」を再考する

著者 谷口 隆一郎

雑誌名 聖学院大学総合研究所Newsletter

巻 Vol.24

号 No.1

ページ 1‑1

発行年 2014‑09

URL http://id.nii.ac.jp/1477/00002751/

(2)

Title

巻頭言 私の中の「近代」を再考する

Author(s)

谷口, 隆一郎

Citation

聖学院大学総合研究所 Newsletter, Vol.24-No.1, 2014.9 : 1-1

URL

http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=5153

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE

SEigakuin Repository and academic archiVE

(3)

巻頭言

私の中の「近代」を再考する

 中国の「進歩的」知識人たちの間で最近、トクヴィルの『アンシャン・レジームと革命』が読まれているら しい。彼らの置かれている状況がフランス革命前の状況と酷似していると感じているからだという。

 ハンナ・アーレントによれば、フランス革命は怒りと恨みに衝き動かされた無産階級による財産階級ないし 特権階級への闘争だった。その闘争は近代民主主義を生み出したが、それは本質的に反権力的であり、伝統的 価値や規範を破壊しようとする衝動を伴うが故に、社会に混乱と無秩序をもたらす、とエドマンド・バークは 看破した。

 前近代から伝わる伝統的価値や規範から解放され、それらを打破して、いわば前近代との間に「革命」とい う断層4 4を差し挟む形で(西欧)近代が出現するという「進歩主義」とその歴史観、そしてそれらにまつわる政 治思想上の様々な主義主張の強烈な影響からとことん自分を解き放とうと、私はもがき苦しんでいる。

 私の中の「近代」の再吟味である。

 私の日常的な皮膚感覚による時代認識と私の中の進歩的な思想と良心とのギャップをなんとか埋めようと するのだが、「近代の毒」に占領された秀逸の戦後知識人たちに流通する言説からいつの間にか借りてきて埋 めようとする。その反面、日本で生まれ育ち、その 古いにしえと精神的にも文化的にも連続した繋がりを感じられる私 にとって、「敗戦」という時代の「断層」を隔てた「戦後」の側から、日本の近代全体4 4を戦後の日本人の改悛の 情に裏書きされたモラルや進歩的な価値観で断罪するのは、春秋の筆法以外のなにものでもない。「永遠高尚 の極に眼を着すべし」などといって父祖を一方的に非難するのは、ある種の進歩的知識人ならともかく、日常 的な素直な皮膚感覚による時代認識をもつ普通の人々の肌にも、もはや馴染まなくなっている。

 本当はそんな「断層」などない。「戦前」と「戦後」の間には筋が通っているはずだ。いや、筋を通すこと が、なによりも「私の中の『近代』を再考する」ということなのだ。もはやそのギャップを進歩的な良心や価 値観で埋め合わせることはできない。

 近代進歩主義的な仕方では、「もののあはれ」のような、私の肌身に深く染み込んでいる日本的情緒と私の 中の進歩思想の残滓との乖離を却って大きくするだけである。

 古より東洋には「からごころ」があるではないかといわれるだろう。だが、「からごころ」を持ってきてその ギャップを埋め合わせようとしてもどうにもならない。「やまとごころ」と「からごころ」は深いところでは溶 け合わない。

 これらふたつの「こころ」の間の状況は、現在のアジア情勢における外交の局面において顕著である。現実 の歴史を「あるべき道徳的な歴史」に合わせるべく虚飾していく「からごころ」と、その「からごころ」から

「道徳的な下位者」に一方的に位置づけられている日本人の「やまとごころ」というふたつの対照的な「ここ ろ」は、それぞれ、絶対的な悪の烙印を相手に押すことなく、前大戦への改悛の念から自虐的な自己批判を繰 り返して寛恕を乞うというのではなく、互いにどう折り合いをつけていけるのだろうか。そして、両者の歪な 相関関係から本質的なところで自由であるはずのキリスト教の立場からは、この問題をどう考えればいいので あろうか。

 このような自らの時代の問題をアジアに軸足を置いて考察することによって、「近代の毒」の病魔から寛解 したいのである。倫理学と政治哲学を専門とする者として、ヘーゲルがいうように、そうした問題を通じて「自 らの時代を思想の内に把握すること」は、殊にアジアをめぐる昨今の状況の中で、哲学的に、そしてキリスト 教の立場からしても、軽忽しえない吃緊のテーマだと考えている。

聖学院大学 政治経済学部 コミュニティ政策学科長 谷口 隆一郎

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