奈良教育大学学術リポジトリNEAR
国際理解教育の歴史と「総合的な学習の時間」
著者 田渕 五十生
雑誌名 高円史学
巻 17
ページ 1‑15
発行年 2001‑10‑01
その他のタイトル A History of Education for International Understanding and "Lessons in Integrated Learning" (「総合的な学習の時間」)
URL http://hdl.handle.net/10105/8780
国際理解教育の歴史と ﹁総合的な学習の時間﹂
一 は じ め に
田 渕 五 十生
二〇〇二年の ﹁総合的な学習の時間﹂ の発足に先立ち︑全国各地の小・中学校において国際理解教育のさまざまな取り組
①② みが行なわれている︒一般的なのは︑社会科の授業と連携する形で︑中国やアメリカ合衆国など特定の国を理解の対象に据
えた実践である︒また︑コミュニケーション能力の育成という理由から英会話を導入する小学校も少なくない︒
この英語重視の実践は︑中学校段階では情報教育と連携して︑新たな展開を見せている︒それが︑インターネットを利用
して外国の中学校と交流する実践である︒さらに︑海外修学旅行や英語圏への語学研修旅行を ﹁総合的な学習の時間﹂ の具
体的な実践として位置付ける高等学校も存在している︒その意味で︑﹁総合的な学習の時間﹂ における国際理解教育の先導
的な実践は暗中模索の段階で︑いわば ﹁何でもアリ﹂ の状況である︒
その一方で︑先導的な試行が︑各地で新しい問題を生み出しているのも事実である︒たとえば︑英会話を導入した校区に
小学生相手の英語塾が新たにオープンして︑学習指導要領の意図と反する︑詰込み主義教育に拍車をかけている実態も見受
けられる︒また︑﹁日本文化のアイデンティティの確認﹂ と絡めて︑伝統的な茶道や華道を通して国際理解教育を行なおう
とする学校さえ出はじめている︒
小論の目的は三つある︒一つは︑現在︑取り組まれている国際理解教育の実践を類型化して整理し︑将来へのパースペク
ティブを与えることである︒その二つは︑それらの実践がどのような経緯で取り組まれるようになったのか歴史的に明らか
にすることである︒そのために︑国際理解教育の実践史を振り返り︑それぞれの実践がどのような理由から取り組まれるよ
うになったのか︑社会的文脈に位置付けて考察する︒その三つは︑それぞれの実践の意義を確認すると同時に︑どのような
問題や課題が存したのか指摘する︒そして︑最後に具体的な改善点を提示したい︒以上の考察を通して︑﹁総合的な学習の
時間﹂ における国際理解教育の実践に貢献できれば幸いである︒
戦後五〇年間の国際理解教育を対象化した歴史研究は︑管見する限り非常に少ない︒その中で次の二点が注目に値する︒
一つは︑嶺井明子氏の ﹁国際理解教育の理念に関する一考察 ︵その一︶ −ユネスコ一九七四年勧告と国内教育政策の対比
③
を通してー﹂ である︒今一つは︑中西晃氏を代表とする科学研究報告書﹁国際理解教育の理論的実践的指針の構築に関す
④
る総合的研究﹂ である︒前者は文部省︵現文部科学省︶ の文教政策の︑後者は国際理解教育の教育理論についての歴史的研
究であり︑いずれも実践レベルに踏み込んだ考察は十分に行なわれていない︒小論では実践史に焦点を当てて国際理解教育
の歴史的な考察を行なう︒その際︑拠り所にした実践史料は︑帝塚山学院大学の国際理解研究所の﹃国際理解﹄ 二二号〜
三一号︶ と日教組の﹃日本の教育﹄ ︵一ツ橋書房 第二〇集〜五〇集︶ である︒いずれも︑過去の約三〇年間︑全国的に取
り組まれた優れた実践が報告されている︒
二 国際理解教育における実践の類型化
現在︑さまざまな形で実践されている国際理解教育を︑その目的や取り組み内容に則して大きく類型化すると次の四つに
区 分
で き
る ︒
一つは︑特定の国を理解の対象にした ﹁他国理解﹂ の実践である︒特に︑小学校の高学年や中学校での取り組みが多い︒
理由は︑六年生の社会科の単元に ﹁日本とつながりの深い国々﹂ の学習が︑中学校では社会科の ﹁地理的分野﹂ で ﹁世界と
その諸地域﹂ の学習が学習指導要領によって位置付けられており︑国際理解教育との連携という形で取り組み易いからであ
る︒この ﹁国際理解教育=他国理解﹂ という固定的な考え方は︑教育現場に根強く浸透している︒
二つは︑﹁海外帰国子女﹂教育と連携した形でのコミュニケーション能力の育成を重視する実践である︒海外帰国生の多
い地域にセンター校が設けられ︑海外日本人学校に勤務した教師を中心にして︑﹁海外帰国子女﹂ の円滑な受け入れを図る
ための教育やコミュニケーションに機能する語学教育が行なわれている︒コミユニカティブな外国語重視の実践は︑中・高
校で盛んであったが︑最近では︑小学校段階でも一般化するようになっている︒そこでは︑﹁国際理解教育=コミュニカティ
ブな英語学習し と捉える風潮が強い︒
三つは︑教科から独立した特設授業を設けて取り組む実践である︒﹁南北問題﹂ の理解のために ﹁貿易ゲーム﹂ を組み込
んだり︑﹁世界の環境問題﹂ の理解のためにリサイクル運動に取り組んだりする活動型の実践である︒世界や外国について
の認知的な知識の習得よりは︑現代社会が直面している地球的諸課題への当事者意識や共感的な態度の育成を重視するもの
である︒そこでは︑﹁国際理解教育=当事者意識・態度形成﹂と考えられ︑﹁学校行事﹂ や ﹁特別活動﹂ などから時間を捻出
して︑さまざまな活動主義的な実践が行なわれている︒バリエーションは多様であるが︑共通しているのは︑いわゆる座学
から解放された参加型学習を取り入れていることである︒
四つは︑国内に居住する外国人への理解という人権教育と結びついた実践である︒一九七〇年代︑﹁在日コリアン﹂ 差別
が同和教育の重要な教育課題として自覚されるようになった︒その後︑民族的マイノリティーである ﹁在日コリアン﹂を理
解の対象に据えた︑一種の異文化理解教育として取り組まれてきた︒しかし︑八〇年代になると︑﹁内なる国際化﹂ の観点
から︑﹁外国人児童・生徒の教育問題は周囲の日本人児童・生徒の教育問題である﹂ と受け止められるようになり︑日本人
児童・生徒との関係性の中で ﹁在日コリアン﹂ の教育が論じられるようになった︒九〇年代になると︑単なる ﹁在日コリア
ン﹂ の理解教育から脱却して︑いわゆるニューカマーの児童・生徒をも視野に据えた多文化教育として取り組まれるように
なっている︒したがって︑ここでは ﹁国際理解教育=内なる国際化を推進する多文化教育﹂ と捉えられている︒
三 国際理解教育の実践類型とその歴史的な経緯
前節で類型化した実践を︑①他国理解の実践︑②コミュニカティプな外国語重視の実践︑③参加・活動主義的な実践︑④
多文化共生型の実践と標記するが︑それらの実践は︑①の実践から開始され︑②︑③︑④の順で約一〇年間のタイムラグを
伴いながら教育現場に普及し︑それが未整理なままで実践されている︒以下︑それぞれの実践が取り組まれるようになった
歴史的経緯について略述する︒
︵ 一 ︶ ﹁ 他 国 理 解 ﹂ の 実 践 か ら コ ミ ユ ニ カ テ ィ プ な 外 国 語 重 視 の 実 践 へ
日本の国際理解教育はユネスコの働き掛けに応える形で開始された︒一九五〇年代には︑限定された数であったが実験学
校や研究学校が選ばれ︑後にユネスコ協同学校に発展する︒東京教育大学附属中学・高等学校︑広島大学教育学部附属中学・
高等学校︑私立和光学園中学校︑川崎市立田島中学校などであるが︑その後二〇数校が加わった︒それらの学校では ﹁国際
連 合
﹂ ・
﹁ 他
国 ﹂
・ ﹁
人 権
﹂
の 学
習 が
三 本
柱 で
あ っ
た ︒
その中でも︑広島大学附属中学・高校の実践は︑﹁他国理解﹂ の学習として実践内容と実践方法において意義深いもので
あった︒同校は︑一九七〇年代からインドネシア理解に取り組み︑温かいインドネシア像を学習者に結ばせただけでなく︑
より科学的な研究方法で実践の事実を示した︒まず︑実施クラスと非実施クラスを作り︑実践に先立ち学習者のプレテスト
︵事前認識調査︶ を行った上で︑実践の綿密な経過を示し︑終了後のポストテスト ︵事後認識調査︶ を通して︑統制群と非
⑤
統制群の比較調査を行なうものであった︒また︑川崎市立田島中学校は︑地域に多住する朝鮮人への人権に焦点を当てて︑
彼らへの差別や偏見を除去する教育内容づくりを既にこの段階で開始していた︒いずれも︑ユネスコ協同学校へ参加した具
体的な成果を示すものであった︒
しかし︑このような成果を上げたユネスコ協同学校の実践であるが︑一九七〇年代になると急速に後退する︒国際理解教
育の目標をめぐって︑ユネスコ本部と日本の国内委員会の間に断絶が生じたからである︒一九七四年︑ユネスコ本部は︑加
盟諸国に対して ﹁国際理解︑国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的な自由のための教育﹂ という画
期 的
な 勧
告 を
行 な
っ た
︵
略 称
﹁ 国
際 教
育 勧
告 ﹂
︶ ︒
この勧告は︑従来の国家間の相互理解よりも︑地球的な相互依存関係の認識︑地球的諸課題の問題解決への態度や能力を
育成しようとするもので︑人権︑平和︑開発︑環境という普遍的な価値を重視する内容であった︒ところが︑日本の国内委
員会は︑この ﹁国際教育勧告﹂ を無視したのである︒高度経済成長を達成して︑国家や国民意識を強化しょうとする当時の
文部省や政策立案者にとっては︑人類的な視点から南北間の経済格差を是正し︑地球的規模で人権や平和を浸透させようと
する ﹁国際教育勧告﹂ は︑日本の国際理解教育の目標としては相応しくないと映ったのである︒
ユネスコの ﹁国際教育勧告﹂ が出された一九七四年︑中央教育審議会は ﹁教育︑学術︑文化における国際交流について﹂
と題する答申を行なった︒それは︑﹁国際社会に生きる日本人﹂ を育成する立場から︑異文化理解︑外国語の習得︑海外子
女・帰国子女教育の充実を強調するものであった︒
その後︑文部省によって推奨される国際理解教育は︑この答申の定めた目標に則して展開され︑帰国子女の円滑な受け入
れ政策の一環として取り組まれるようになる︒そして︑その基本的スタンスは︑臨時教育審議会の ﹁新しい国際化の時代に
対応した教育﹂ の答申に受け継がれ︑一九八五年の第一次答申では︑﹁よき国際人はよき日本人であることを深く認識し︑
国を愛する心を育てる教育︑日本文化の個性をしっかりと身につけさせる教育とともに︑諸外国の文化︑伝統などについて
理解を深めるための教育﹂ が必要であると述べられていた︒
八五年の臨教審の第一次答申を受けて教育課程審議会は︑八七年に答申を出し︑﹁教育課程の基準の改善のねらい﹂ とし
て四点を示した︒その第四点目で ﹁国際理解を深め︑我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること﹂ と並列し
て ﹁日本人としての自覚をもって新しい文化の発展に貢献するような教育の充実を図る必要がある﹂ と述べられていた︒
そして︑教育課程審議会の答申を受けて八九年に学習指導要領が改訂され︑入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱の指
導が小・中・高の教育現場で徹底されるようになるのである︒このように︑行政側の推進しようとする国際理解教育は︑地
球的課題や人権に力点を置いたユネスコの ﹁国際教育勧告﹂ からますます離れて︑日本独特のものとなり︑日本文化や日本
⑥人としてのアイデンティティを育む実践を展開する教育現場も表れてくるのである︒
︵二︶ 参加・活動主義的な実践の導入の経緯
一九八〇年代になると︑民間教育団体や各種NGOを通して欧米の新しい教育理論が紹介されるようになった︒それらの
教育理論は参加型の学習手法を伴うもので︑国際理解教育の具体的な学習方法を求めていた日本の教育現場に急速に浸透す
るようになった︒
その一つがグローバル教育である︒その目的は地球を一つのシステムとして考え︑﹁宇宙船地球号﹂ の一員としての ﹁グ
ローバル意識﹂ を育成しようとするものである︒また︑八〇年代前半︑開発教育や英国のワールド・スタディーズなどが紹
介された︒開発教育は︑構造的暴力とも言うべき ﹁南北問題﹂を人類的な視点から教育課題として受け止めようとするもの
である︒当初は青年海外協力隊のOBを中心にした社会教育の分野で実践されていたが︑学習者主体の教育手法が新鮮で︑
高等学校の ﹁現代社会﹂ や特別活動でも採用されるようになった︒
ワールド・スタディーズは﹁英国版グローバル教育﹂とも称すもので︑教育手法に特色がある︒基本テキストである﹃ヮー
ルド・スタディーズ八〜一三﹄は民間の教育組織 ︵国際理解教育・資料情報センター︶ の手で翻訳され︑ロール・プレーや
ランキングなどを組み込んだ参加型学習の手法が︑民間教育団体のワークショップを通して学校教師に浸透した︒開発教育
とワールドスタディーズ︑いずれも環境問題や資源エネルギー問題︑人口問題などの地球的課題 ︵グローバル・イッシュー︶
を日常生活と結びつけて認識し︑その課題解決の考え方や当事者意識を育成するものである︒一↓hink g−Obaロy.Act
ーOC巴−y︒︵地球的な規模で考え地域で行動する︶ という標語が定着し︑大量消費や大量廃棄のライフスタイルを見直す環境
教育と結びついて︑地球環境を守るクリーンキャンペーンやリサイクル運動と一体となり︑教育現場で盛んに取り組まれ現
在に至っている︒
︵三︶多文化共生型教育への移行
一九九〇年代になると︑いわゆるニューカマ1と言われる定住外国人が増加した︒その内訳は︑中国残留孤児や残留婦人
たちの呼び寄せ家族であり︑ブラジルやペルーからの出稼ぎ労働者の家族たちである︒彼らの子どもが学校に急増し︑彼ら
との共生が求められるようになったのである︒
そこで注目されたのが多文化教育である︒言葉や生活習慣の異なるマイノリティー子どもをマジョリティーの学校文化に
同化させるのではなく︑彼らの民族的アイデンティティ1を保障すると同時に︑マジョリティーの子どもたちに︑彼らの
﹁違い﹂を違いとして尊重する寛容な精神を育成しようというのが多文化教育の考えである︒それは︑従来の ﹁在日韓国・
朝鮮人﹂ を理解の対象に据えた異文化理解の教育とは異なり︑マジョリティーである日本人の文化も一つの文化として相対
化し︑それらが交流・融合する中から新しい文化や地域社会を創造しようとする教育運動である︒﹁同化と排除﹂ の磁場が
働く日本社会にあって︑﹁同じことがいい﹂ とする学校文化を変革しようとする多文化教育は︑﹁内なる国際化﹂ の視点から
⑦
人権教育と結びつく形をとって︑国際理解教育の大きな柱となっている︒
四 それぞれの実践の意義と課題
国際理解教育におけるそれぞれの類型が︑どのような経緯で実践されるにいたったか検討してきた︒本節では︑それぞれ
の実践の意義を確認し︑それと同時にそれらの問題点や課題について指摘したい︒
︵ 一
︶
﹁ 他
国 理
解 ﹂
の
教 育
と そ
の 問
題 点
ユネスコ協同学校での学習内容は﹁国際連合﹂︑﹁他国﹂︑﹁人権﹂ であった︒第二次世界大戦の惨禍から立直った当時の人々
の関心事は平和であり︑戦争や紛争を未然に防ぐ国際連合の役割は大きく︑国家や国民の相互理解についての学習はリアリ
ティーを持つものであった︒その意味で︑冷戦体制下で平和を希求する﹁他国理解﹂ の実践は︑学習の切実性を有していた︒
しかし︑果たしてそのような切実性を持って︑現在︑﹁他国理解﹂ の学習が取り組まれているであろうか︒あらためて吟味
す る 必 要 が あ る ︒
筆者は︑切実性の伴わない ﹁他国理解﹂ の実践に対して危惧を抱いている︒国民国家を前提にした ﹁他国理解﹂ や﹁他文
化理解﹂ の発想は︑特定の先入観を固定させるオリエンタリズムやステレオタイプを再生産する危険がある︒多くの場合︑
国家や国民は複数の民族によって構成され︑単一民族国家は例外的な存在である︒むしろ︑地方や階層によって多様な文化
を持つのが一般的である︒そのような多様性において︑民族や地域にサブ=カテゴライズして国家や文化について教材化す
ることが必要であろう︒
もし︑特定の国への理解を深めるのであれば︑クラスで学ぶ外国籍の子どもたちの祖国についての学習を優先させ︑しか
も文化学習を中心に行なうべきである︒彼らの祖国は︑韓国・朝鮮︑中国︑ブラジル︑フィリピンなどである︒残念なこと
に︑彼らの文化はあまり注目されず︑文化への無知が彼らへの蔑視を作り出している︒そのような情報環境に意図的に立ち
向かう実践が求められている︒
︵二︶ コミユニカティブな外国語重視の教育とその問題点
一九七四年︑中央教育審議会は︑ユネスコの ﹁国際教育勧告﹂ とはベクトルの異なる ﹁日本型の国際理解教育﹂ を志向す
る答申を出したが︑その方向転換は当時の日本経済の動向を反映したものであった︒一九七〇年代︑日本経済は高度成長を
達成し︑企業の海外進出が相次いだ︒それに伴い海外勤務や現地駐在員の家族として海外で生活する人々が急速に増加した︒一
そこで要請されたのが︑異文化理解の教育と英語教育の重視であった︒海外生活者が現地の行動様式や文化の違いを尊重し 10
ないことから世界各地で文化摩擦を引き起こしていたからである︒
日本文化を絶対視して相手社会に溶け込もうとしない自文化中心主義︵エスノセントリズム︶ を相対化するために文化や
行動様式について学ぶ異文化理解︑排他的なコミュニティーを形成する閉鎖性を克服するためコミュニケーション能力を育
成する学習が強調されたのである︒けれども︑英語教育の充実に倭小化される傾向が強かったのが実態であった︒何のため
の英語学習なのか︑何故︑隣国の中国語やハングルでなく英語なのか︑そのような吟味を行なった上での語学学習が求めら
れ て
い る
︒
それと同時に︑﹁海外子女﹂ や ﹁帰国子女﹂ の教育にも問題があった︒﹁子女教育﹂という用語に当時の人権意識が表れて
いる︒海外帰国生の場合︑当初は帰国生の日本の学校への円滑な適応が目標とされ︑時には ﹁外国剥がし﹂ という用語さえ
使用された︒いわゆる ﹁適応教育﹂ で︑日本の学校文化への同化が一方的に求められたのである︒
その後︑帰国生が海外で獲得した自己主張や積極性を一つの個性として認め︑それを育成しようとする ﹁個性伸張の教育﹂
に目標は変化したが︑﹁適応教育﹂ も ﹁個性伸張の教育﹂ も︑帰国生の側にのみ変革が求められ︑日本の学校文化そのもの
を相対化する視点が欠落していた︒問題の本質は︑帰国生の側に存するのではなく︑一般生徒の横並び意識や学校文化に存
している︒均質性を絶対視する学校文化や個性的な人格を排斥する教室風土の変革に繋がるような多文化教育の発想に立つ
教育が求められている︒
︵三︶ 参加・活動主義的な実践とその問題点
一九八〇年代になって︑参加型の学習方法とセットになった多様な実践が展開されるようになったと述べた︒シュミレー
ションやロール・プレーやランキングなどの参加型学習は非常に新鮮であった︒疑似体験やアクティビティを通して︑その
振返りから意味を発見する参加型学習は︑授業を単調な座学から解放し︑言語による知識伝達を主体にした従来の授業観を
一変するものであった︒
しかし︑参加型学習は決してオールマイティではない︒アクティビティを対象化して考察する ﹁体験を経験化﹂する学習
過程が欠落すると︑単に楽しいだけの活動主義の授業に堕してしまう︒また︑教育内容と一体になった教育方法であるにも
かかわらず︑手法のみがひとり歩きする技術主義に陥る危険も存在している︒
最近では︑韓国や中国への修学旅行も学校単位で行なわれるようになっている︒親しい友人のいる国への理解は必ず温か
くなる︒したがって︑このような直接交流を組み込んだプログラムは温かい共感的な理解を得させるには有益である︒しか
11
し︑周到な事前学習がなければ︑訪問国のマイナス面のみをあげつらい︑優越感を抱かせる旅になってしまう︒
さらに大切なのは︑そのような直接体験を対象化して一般化したり︑体験の意味を深化させる事後学習である︒直接交流
プログラムを単なる活動主義に陥らせないためには︑体験に意味を付与する事前学習︑﹁体験を経験化﹂ する事後学習がど
うしても必要である︒
︵四︶多文化教育とその問題点
一九九〇年代になると︑国際結婚の配偶者や外国人労働者が増え︑学校にも外国籍児童・生徒が在籍するようになった︒
そのような地域の学校で多文教育の発想に立つ実践が展開されるようになったが︑異文化状況に置かれた児童・生徒は決し
て民族的なマイノリティの児童・生徒だけではない︒日本人児童・生徒であっても︑両親の育て方や価値観の違い︑また障
害の程度から疎外感を抱いたり孤立している場合がある︒その意味で︑多文化教育は︑最終的には個人の違いや個性を尊重
する教育として捉えることが必要である︒現在取り組まれている多文化教育の実践は︑残念ながら民族的背景の異なる児童・
生徒を集団単位で捉える発想から抜け出ていない︒一人ひとりの違いや多様性を尊重する個性教育との結合が求められてい
⑧る︒
12
五 おわ日ソに
前節で検討してきたように︑国際理解教育をめぐる状況は︑内容的にも手法的にもルーツの異なる教育が重層的かつ並列
⑨
的に実践され︑それぞれが持つ問題点が克服されないままで現在に至っている︒そして︑﹁総合的な学習の時間﹂ を目前に
して︑新しい実践が展開されようになり︑混乱状態へさらに拍車がかかっている状況である︒その新しい取り組みの一つが︑
地域の留学生をゲストスピーカーとして迎えての交流活動である︒筆者も︑留学生の紹介や派遣を︑多くの教育現場から幾
度となく要請されてきた︒
しかし︑明確な目的と周到な実施計画を伴った依頼は非常に少なく︑﹁とにかく交流させたい﹂ という場当たり的な要請
が多いのである︒﹁アジアと欧米の留学生をセットにして派遣してほしい﹂ という身勝手な依頼もあった︒また︑﹁できたら
その国の歌を唄ってもらいたい︑民族衣裳を着て踊ってくれればなおさらありがたい﹂ というような︑ステレオタイプの再
生産が予測されるようなケースさえあった︒
固有名詞を持つ具体的な人物を通して︑その国への理解を深めるという意図は理解できる︒しかし︑無責任な留学生任せ
の実践が︑多くの問題を引き起こしている︒ゲストへの紋切型の質問だけで相互交流が成立しない一方向性の問題︑会食と
民 族
衣 裳
と 歌
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テ レ
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タイプの問題︑その場かぎりの交流で終わる一過性の問題などである︒そのようなイベント的な取り組みに対して︑留学生
たちの不満は強く︑大学の留学センターや地域の国際交流センターの関係者の間から︑安易な留学生利用に厳しい批判が寄
せられ始めている︒
それらの問題点を克服するには︑どのような工夫が必要であろうか︒まず︑留学生を単にゲストとしてではなく協同実践
者として位置付けることである︒ホストによってお膳立てされた役割を演じるのがゲストである︒けれども︑留学生たちは
祖国について伝えたいメッセージを持っている︒学習者に乱したい疑問や質問も抱いている︒留学生も主体者︵ホスト︶ に
13
なって︑学習者に働き掛ける場面を組み込むことで︑双方向学習が可能になる︒そのためには︑留学生も準備段階から関わっ
てもらうことである︒
次に︑ステレオタイプに陥らない工夫である︒そのためには︑伝統文化と生活文化を峻別する必要がある︒彼らの民族衣
裳も日本の着物と同じである︒日常生活では普段着が普及しジーンズも愛用されている︒文化を固定的に捉えないで文化変
容の視点から文化紹介をすることが大切である︒また︑交流活動の狙いを留学生の出身国理解からの留学生の個人理解に力
点を移す必要がある︒あくまで留学生は一人の人物に過ぎず︑多様な民族や人格がその国には存在する︒そのような多様性
のメッセージが固定観念の打破に有益である︒
また︑一過性のイベントに終わらせないで︑学習の継続性を保障する工夫が必要である︒その具体的な方法の一つは︑交
流活動を振り返える時間を確保することである︒﹁総合的な学習の時間﹂ では ﹁活動中心﹂ であることが強調されている︒
しかし︑体験や活動は振り返り作業と一体となってはじめて意味を持つ︒﹁われわれは活動から学ぶのではなく︑活動への
振 り 返 り を 通 し て 学 ぶ の で あ る ﹂ ︵ デ ュ ー イ ︶ ︒
以上︑列挙した工夫だけでも交流活動の意義は異なってくる︒これらの指摘は︑筆者が留学生と共に教育現場に出掛け︑
実践者と協同実践して気づかされたものである︒国際理解教育の内容づくりは︑このような実践のフィルタ1を通して豊か
になっていくものである︒
14
︵ 引
用 ・
参 考
文 献
︶
① 文
部
省
﹃
特 色
あ る
教 育
活 動
の 展
開 の
た め
の 実
践 事
例 集
− ﹁
総 合
的 な
学 習
の 時
間 ﹂
の
学 習
活 動
の 展
開 ﹄
︵ 小
学 校
編 ︶
教
育 出
版
一九
九九
年
②文 部 省 同右 ︵中学校・高等学校編︶ 教育出版一九九九年
③嶺井 明子 ﹁国際理解教育の理念に関する一考察︵その1︶−ユネスコ一九七四年勧告と国内教育政策の対比を通して−﹂ 筑波
大学比較・国際教育学研究室﹃比較・国際教育﹄ 二一九九四年
④中西晃代表 ﹃国際理解教育の理論的実践的指針の構築に関する総合的研究﹄ 科学研究費報告書一九九八年
⑤有田嘉伸他 ﹁他国他地域の理解1インドネシアを例にして﹂﹃広島大学附属高等学校研究紀要﹄ 二五一九八〇年
⑥嶺井 明子 前掲書
⑦田渕五十生 ﹁﹃在日コリアン﹄の教育が国際理解教育示唆するもの−﹃異文化理解﹄から多文化教育の発想へ−﹂ 日本国際理解教
育学会 ﹃国際理解教育﹄ 五一九九五年
⑧樋口 信也 ﹃国際理解教育の課顔﹄ 教育開発研究所一九九五年一三〜四頁
⑨佐藤 郡衛 ﹁日本における国際理解教育論の推移とその展開﹂ 中西晃代表 前掲書
︵奈
良教
育大
学教
育学
部︶