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長谷川誠三宛書簡

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(1)

長谷川誠三宛書簡

著者 岡部 一興

雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The

bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University

巻 49

ページ 299‑327

発行年 2017‑02‑09

その他のタイトル Letter to Seizo Hasegawa

URL http://hdl.handle.net/10723/3081

(2)

岡 部 一 興

は に

本稿は, 川 書 を中 に紹介をするの 的で る。

川 とは い で, の を り るの を る とにする。 川 研究は,日本プロテスタンテ ズ の の

の 程において, にキリスト教 容 た の一 を の を して したいとい 出た ので た。

日本のキリスト教 容の研究において, の び り研究 てきた。 にお る研究は,日本のキリスト教会において,

的 に た ,牧師, 学者 に いて 研究 てきた る。また 的教会に する者た は, して た の教会を正 的 のと し,非 的教会と る を

してきたと た。日本のプロテスタント キリスト教 容の 歴史の中で, 的教会は に り, 日本基 教 に

て に協力し,加担してい た。また文部 の代行者として,

キリスト教の教 に し教会の し 社の を い す と を行 たので る。 に し,非 的教会は の教 に所 する

と でき , る と , し 者を出した とを

(3)

し い。筆者は, の論 において非 的教会に し,

に イ スに い, 書を 一の のとして 者の を ととする。 川 (1)は, として教育 として, て た を しているに , たままに ている。 の 由は, 的教会で る スト教会 一 教 る プ ス

ズ ン と した とに由 していると る。

1

に紹介する書 は, 川 書いた資料 紹介する , の と 川 に てた書 で る。 の資料を紹介す るに たり, 的に る 川 の と りを しておきたい。

川 は 1 7( 4)年4月 2 日,定 とタキの第2 と して 藤 に ま る。藤 はリン の で,特に 発 の として有名で る。 川 は,藤田 ( 牧師)と

に の誉 , と藤 の 東本 の 名 の

で教育を ,12 の 藤田 に き を 読した。

を ,14 で 教授に え た。また の書 井 東 に師 した。東 では 1 73(明治 )年 校を で東

校,本 一(2) に , 校の 教師の ン イ ン , と を る のを 出し,7 年 日本基

会 た。し し, 年 日本基 会はイン ス ト教会の牧師で る 教会に所 する とに る。(3)

本 一は 島 の ,本 の 東 藤 に した と 一 し し 藤 に , 川 と本 一 出会 と に る。 にお る 由 は,キリスト教と

行的に行 ,キリスト者 に する 見 た。本

(4)

一 治 社で る 会 を すると,1 0(明 治 13)年 2 月東 に 100 名 し, 会 の に き 協 , の に る 文を , 内に を り,

本 一,中 を代表に 院に 白書を提出する とに た。

の 川 は,藤 委員として し, 会 員,

会 員, 会 員と て 治に した。(4)

において の 由 は,士 に 行

する に見えた , の 由 において中 的 を た してきた 会 1 (明治 1 )年に の き に と, 川 は のより を た。 川は, 治の に きる き ,

として きてい き する中で,1 (明治 1 )年 に び , を 会社 社 るリン を の 藤 と ,当 では しい 7 る 会社による大 で た。 には,本 一, , 者の藤田 12 の発 によ て た。リン ると東京に

,明治 2 年には 20 の 当金を た し,30 年には 30 の 当 を出し, は 1 0 0 の 当, 藤 は 900 の 当金を り, の リン に し え を行 い り の 名を , 的 を たした。( )

より 1 2 年 1 月 , 教会の本 一, , 田 定 的に藤 の で 会を よ に た。

の 会に 加するよ に た い , て定 会 に出 するよ に り,1 7 年 館の . . リーンより い と に を た。 は とはいえ, を し, ,

に , する 会を 会 と り, の を き を 1 0 し 教会の教え を える に いた を見る と できる。また藤 教会の 員と り,日 学校の校 を

(5)

,教会に ては い に てい た。( )

は,教育に , 教育に力を 1 9(明治 22)年 月 2 日 学校を の 島 より を ている。当

においては, 教育の は し , の 学校は明治 34 年 まで た た。 より ,1 2(明治 1 )年

スト 協会は, 館に 学校を 校,第 1 の 学 は 名, の全部 のキリスト教 の で た。 の に した本 一は, 学校の ス ンプトン校 と協 し,

教会内に 学校を 校,寄 したライト の名を りて 学 校とし, 代校 担当者に , 7 年校名 して 館 学校 校の をと た。 年 川 は, と に 学校を た。(7) 学校 書 を発表, は文明を り に まる る文書は,12 より寄 を る とに た。発

には, 藤 , ,本 東 , 原 , 藤 , 内 ,加藤 キリスト者 で , に

て出発した。 川は 学校の校 と りキリスト教教育を す る とに た。

川 は, 治の に ので , として を発 するに た。 のい を見ると,1 90(明治 23)年には の

に る原 を見て,2 千ヘ タール の 田 画を た。

代川の の に を , の に たる別名 の

とよ る に る 原 に を 拓しよ

とする遠大 ので た。当 の を京都 すた に た ( ) 年の 月を して完 ,日本 の 力発 の を る ので た。 は を調査するた , 師藤田

, (の ) と 調査した との り い

, に た。

(6)

1 94(明治 27)年本 一の 館 する 有 に る 牧 に る を , いには を き て に た た。1 97(明治 30)年 1 月藤 行を ,

川 , 内 , 藤 , 査

, 井 , 千代 , 会社 によるの で,資本金

, 2 00 , 73 名で, を中 とする金 に 大 をした。

川 に した に,本 定 の した

る。( ) 井 の岡 院に る と 1 年,1 (明 治 21)年 院で る 院の院 ルス ルトン イ ト ーの により を て, で と ,1 2(明治 2 )

年 4 月 原 ( 島)に 4

の を て 70 名 容する 院 を した。

川は資金の 資金 を て えた ,1 99(明治 32)年 月 1 日 により を , 年 月 19 日 で と

た。 の , と た ,横浜 田 に

の を 容し横浜 院と , の を て は横浜

に た。

藤 教会に 学校に とのでき い を たしてきた で た , に の一大 た。 は 190 (明 治 39)年 9 月の とで, スト教会 一 教 るプ ス

ズ ンに するに た。(9) の教 は,イン ラン 部 港 プリ スにおいて り, の は プリ スの た と

,1 30 年代に ン ル ン ービーとい 牧師 教 会 て,プ ス ズ ン るキリスト者 を した。

日本には,1 (明治 21)年 , ン リ 大学

日した ラン によ て え た。 の の教会は, 的教会のよ

(7)

をと , プロ ラ , 書を読 , を行 い,2,3 の 者 を ,また る を , 書 た とを発表し い,お いの を養 ので る。(10)

川 プ ス ズ ン る一 教 に した に いては, 明 てい い部 る。190 (明治 39)年にお る 川の きを見ると, 年 4 月東京 田 の の の 会に 出 している。また 7 月 藤 1 川の に , に 9 月には 田 川 で 会を いたのを見る と できる。

して 年 9 月 川は スト プリ ス ズ ン に してい た。明治 41 年 9 月の の によると, 明治 年 月 二 日 スト リ 会 イ スキリスト 名

ラ タル 全 学校

ト リ とい い資料 えると, に イ ス キリストの

名に た を い てい の文書 て

るよ に る。

の に いては,本 一 の書 見 る ,本 との り りに いては, の都 の に る 川 本 一書

で る とにする。 川 年に た に一大 の

と の る。藤 はり と の で た。

の , の にお る は 藤 に していた。

は, の に している を て,1909(明 治 43)年 の に力を , の とり り と

の 出 に大き を たし,また の とによ て

の した。

の では,東 の を ,一 に 採 を出 ,大 に 所を に た た。 で す き

(8)

のは, で の 要 に し, ル ー として ので る。日本 の 田 川 の を

た。 は,日本 の大 で,会社を していた。当 内 要の 3 の 2 を に依 していた , を て を して ては いとして, の内 大

に 書 を提出した。 は の と , 大 の一 で る 田 の を ,明治の 年 大正に て,

に名を した大 者 の島 と び , 東 の 川 の島 と た。 

 1913(大正 2)年,東 , 海 大 に見 た。『

(11)では, 年 有の大 にして は 年の二 にして 明年 の に する ので たとい 。 で す き の は, 1 00 , 0 443 に した。

, 当 は を , 資金 100 の を し,

7 の提 を て,一 的 に ま 的 に り出した。し し, とて に で た。 で

を ,日本 スト 教会 教会内に 会 を , に いた。

の た として, 川 の , を見

い。(12) としては, 大 の のと え る で る。横浜 田 の より で 0 ,金 にして 20

, を に た。 の 年2月 とい

き ので, 全 は 論の と, 海 は 館, , 見

, 由仁 , まで を した。プ ス ズ ン の 者 田 講 会を で行い, 加者に2 いし3 の を 料で した。 で 100名 300名の の まり,

で 5月の 会 での講 会には 1000 名の の ま た。

(9)

の は, とキリスト教を び の とい で を えたとい で, とい を る し い

,当 の は社会 ていた 代では ,

したのは,1930( )年で た。 は,た る によ り行 た で た。 名行 は, の と で た。

しをする は, の のする とを の に ては い ( タイ 6 3) る を しての行 で た。 , 日まで

の行 は の ると と てい い。

の した は きり い。190(明治 3 )年 1 月 1 日『東 日 』に に る (13)を掲載,1902 年の と日 に よる は, を一 に 社会 した。 料 き

に し, 川は 料の き は一大 りとして,他の の い りと たのに し, の を見る 料

を し いとして, の に し 料を え

いた。 は て, 校東 の寄 で, 学校

の校 , 一 を する とに た。 10 に し,

は一 たりと いとして したとき, 者の の とに , に し 1 の寄 を ,東 の 校 た た。190 (明治 39)年 9 月藤 教会を プリ ス に た。 に する の は し , 学校は,1910 年 者の名 を本 一に え, 川 の名は え た。

は の とい た。 は , , 学 の 豊 富で た。 は 学で に た。田 4 , 4 ,

日本 の大 ,東京 を所有,藤 行 の

と 当金 た。1920(大正 9)年『 』によると, の 限者の を見ると, 0 で 2 の 2 000 台を き している。

した 大 を よ に たのは, 投資 での

(10)

た りで , して , ,勤 の 的

横た ていたと い。 にと て

を して を る とは, する とと と えていた。

格 , る と た , の は日を て た。 い の大 の たたり, を し,42 の た に たの を し た。 に勤 ,東京の 院で治 した り,大 , の別 に 養した 1924(大正 13)年 10 月 23 日た いま を えた。 年 , 定 と 年 で た。

2

では, ている 川 文書 7 を し,

た のに をして行 ととする。 川 の全 をと える

, に書 とい 資料に読者 当た て読 と 要 と るので,紹介する ととする。た 川 文書 7 す て を紹介するのは 的に ので, の中 要と る 資料を 択して していきたい。(14)

1 本 一より 川 書 20

2 田 より 川 書 3

3 より 川 書 2

4 川 より 川 書 1

5 藤 より 川 書 1

6 本 定 より 川 書 6 (他1 )

本 定 え書( 院 ) 1

伊藤一 の他より 川 書

本 より 川 書 1

10 島 より 川 藤 書 1

(11)

11 治 ス ル スト 一の 名 る 1

12 川 講 文書 5

13 川 より 大 書 び ー 1

14 川 の 稿 1

1 正 より 川 書 1

1 より 川 印刷書 6

17 大 より 川 印刷書 1 1 養 大 正 中より 川 印刷書 1 19 ( 川 本 一 藤田牧師3代) 3

20 藤 書 ( の ) 1

21 ,内容 1   

      

2

本 一より 川 に出 た 20 の書 を ると,は の 明治 3 年 4 月 23 日 書 明治 44 年 12 月 1 日で ている。

明治 33 年より の書 は たと る , てい い。

川 プ ス に した ,本 は 川の学院にお る

に したと る ,明治 43 年 3 月 学校の 者を 川 本 一に ,本 の書 は明治 44 年 と て いる。 して完全に 川の名は, 学校 え る とに るので る。

学校は, 館 学校の 校の をと て出発した とはす でに た ,1 9(明治 22)年 月 学校の 校 えて,

190 (明治 39)年 9 月にプ ス に するまでの 17 年 , 川は学校 を一 に き ていた。 の ,東京にいた本 一と の の り りは り行 ていた のと え る。 て

(12)

いる 20 の の内容を ると, 学校の の とに いて の り り ,またプ ス の に しての書 二 り,

川は本 に会 て の を した。と に本 川に し, いと まるよ に する を見る と できる。

の 1 の書 は, 川 学校の校 として,日常的 学校の を担 ていた ,本 と学校 の で, 一 川と本 は の り りをして していた。 に 藤 教 学校 を る とに た ,本 書 に の ている。

本月二 日二二日 正に 見 にては を に

と る にて イロ と り

容 に決し に 遠 より に一 を 教

師 ( に 日は に る しト り )の を て(イ)を

行する 藤 す る 一 月 は

二 月 金を りて 当と に

して 教師 と を る と 月まて

とて にて り り出

者 中 一 見当り り りとて 藤を る と

と 日 一 して 教 と

しては き に

一, キ ン 月 日に横浜に ス キよしに 月 では るま きよしに の 教師 と

りて決する とを要す 一 教師 を に

校 まで 藤に をし 徐ロに を し て し 藤 を にし校 にて 者 有 に ラズ を見定 る 二 の に  決して り きを

スル所 に委するより し し

に ては き のと り  

(13)

   月二 日 一

           

2

の書 は,明治 39 年 9 月に 川 プリ ス と した の 本 の ので る。(1 ) 川は 年 月 27 日 の書 を本 よ り ている。 より , 川は 京し本 を の

を 明 て し た。 の の で る。本 は の , ストの3 で非常に し た。でき ,

行 てプリ ス の を と した たと る。藤 教会 の資料によると,明治 39 年 1 月にプリ ス の 者 川

で 会を いている。 1 月 よりプリ ス の 藤 , 田

, 川 において 会を き,教会内部に の し

, に 川 治を りに, 川 11 名 に 会し,プリ ス に した。本 は,プ ス の た は,

にして 格に を る とは に する と すると を てはいる ,プ ス は の を , る 教 を , を する と と 評している。 し てプ ス に するのは でき いと ,3 の で リ , の教会を るた ,7 月 12 日東 で横 浜を出発した , の は の に出 た。

  日は 海容

一プ ス よし の

にして 格に を る とは に すると

にして の を る と は 内容を

評を と す の を するは

に して に る教 を する を

(14)

する と 見 は ると に の に して の きは学 き る に の に きて教 の

を す とき き と し 教会の中に りて る 格 る を 他をして し る と に 教

会の て を る と り を を る

に を とする を て に他の

に るの は 当の 治を要する き

と き程 るは り  の より

とを 一 きに

大 を すの に いて る   に

る と る を学 とには を る

る と 要 と を と に社会 大

を し要金 して社会に して

と 力 る教会を有 る と 大 と プ スの の ると し とは し し と に 所 の教会 を するの 要は に て し よし の と

は に り に の は藤 教会は 論

年会の全 に 大 る きの に す

慎に       

一 てより に り り 年 に と と見 る に は に るまで を る る に 年 別して の にして別 一 は り一

当と に と を り 第 にて

都 て にて に 年 にて書 て

有に し 調 に に

調  

一  に り 有 者 に 月 二

(15)

日 テ 月中には に る 中はよ

し は まで 筆  

  月二 日     一      

年 11 1

本 は,明治 39 年 10 月 30 日に , に 川 に を出 した。 リ 出発 に いてはいた ,本 の は 決 ,プ

ス の を いている書 で, 川 に する とは で た し ,本 の える と ている。

の 学校の に いて い,また の の に いて を え, しい で しい を 拓し,教 大に 力して しいと ている。

月 日

教 より り に 会に よし出 に り

によ ま にて る と し し

まで に と 教会に 学校に る

る 大 に て を容 に

たき と に 決行 は と し

第に して 大 を る 学校に 有

き に しては る者に まで

中に委 たる に き全 り

テ に る 要 りし 第にて に り

全 見 第に によりて

に   未 より 明 を す   者に

者に し

一,教会 て に る き

に に 名 に る者 者と

(16)

に て一二 を り に

一 を て 名 に まるとの にして に

に りとの 中に る し し

て を て 一 を る する とを た ロ る所にて キリストに すると 一 りし に キリストに 一 を すに る 要 と

二, プ を するより を る き り

に 名 まりたる欧 に ては は 由 る き る東 に ては に 一 にて 名の に し る と

決に に日本プ に加 リタルを とし を

するに を し 力 ス 大 基 教 に

す大 を す に き

他の教会と り る き には る者 他を し にして 明 中する論 を 大に 中 論を す とを 他教会 を し に る一

として る と し まで

に とを り 一月 日         一     

1 年 2

の書 は明治 39 年 9 月 27 日 で藤 スト教会を し,

プ ス に た とを す文書で,2 年 に書きと た ので,

に イ ス キリストに た教会で る とを書き し,

学校の り,教育に いでいた金 を 講 に る と , 藤 行 と発 してい ので る。

(17)

明治 一年 月二日 の 明 ス スト リ

会セ タル ルト キ 会当 定 大 ル

由リ 豊 ル キ 明治 年 月二 日 ス ト リ 会 イ スキリスト 名 ラ タル

全 学校 ト リタ 本

講中 金 キリスト教 教育 トセ し 他

ヘ テ トス り 講 金ト テ 当

的 り 者 リ出金ス キ トス年

テ 年 定 年 テ リ 年

り キ トス

3

1 97(明治 30)年 1 月,藤 行 川の提 により発 してい る。 の とに たの の 川 講 の文書で る。

川 行を するよ に たの を えると, 川の には,

お金を して しいとい た いた と の原 の一 で た。 , , ( ) の 会社に き のを て

講を し, 出発した。 川のよ に資 , は 金を りに るのは 的 とで た。金を 的に

すのは 出る に るので, 行とい の のを て 的

で行 的に よいとい た のと え

る。 の 行は, 講の規定に ているよ に 的 的 の い ので た。(1 )

2 年 2 10

川 講 大 筆

(18)

明治二 年 二月 日 一 一 テ トい

ビ 会社 金 千 タリ

依頼セント タリ テ タ タル

ラ ル リ 会社 ル 的トスル

リ ル所 金員 全員

セ テ 金員 テ

ル ル リ テ 会社 ルト キ

ル テ リ ラン ト タル 一

出 タリ テ 大 ン ル 正月 リ

行セン リ 会社 キ 金員 テ

講 セン リ 

リ 的トスル リト リ キ テ

ル テ 年 ト タル金員 中

キリスト教 教育 スル 他 ト

ス 年 基ト テ一 行

ル リ 講員 スル リ ス キリ

スト教 教育 スル 基ト テ 二 スル 金

員 内 者 リ ル キ

テ当 教育 スル セ トスル

テ テ ラストスル テ

ル 所 執ル 他ト テ

ラ ル 出 タル ト ス ラ ル

論 リト ス 講員

中 リ 要スル リトスル 中 リ出金 テ

ル 所 リ

講 キ規定 テ 定 ル所 ラント 大 ヘ

所 養 タル 講員タル リ リ

(19)

トス ル ト トス 員 年 金ト テ 出金 本 一 講員 加スル

テ ス テ 者(当 内 リテ

当 ル トス) 定 スル一 所 セ

ル トト 他 タル リ リ 当 リ

一 テ リ他 テ 全 ル

ル ト ル

テ ル ン ト ス

  明治二 年 二月 日 川 講規定

第一 本講 キリスト教 教育 川 ト テ 別 的トス 

第二 本講 年 ト 年二月 定 ル 金 リ講中ヘ スル トス 

第 年二月 養 ヘ 年 金

リ 金 ス 二 年内 養 トス

員 加スル 名 金 ス   金

本 ヘ リタル ビ 別 他 ヘ養 リタル

者 ル トス 

第 本講 金 名 台 書 員 明 載

 表 名者名 ト ス 名者 リ表

中 ト 載ス 名者 員 都 名明 載        

第 第一トス ラ 講

ス キ 常 大 加ヘ 一 員中 者 ルト

キ( 年 金 ト ルトキ 内一 キリス

ト教 教育 ト 別 定 ル出金 ス 金中 二 ル

資金 ス 大 テ

(20)

ラ キ 大 加 テ 行スル スル 執るル ト   講本 的 掲

一 表 タル 者

キ ス スル テ他 リ 力 ン ト

スル タリ 

第 本講金 別 ル ト 年 ト 者

キ一 行 遠 ス

本 タリ 二 年 スルト

由ル トス 

第 由リ ト リ 川当 タル

ラ本講 タル トス

第 中(  )中キリスト教教育 リ

料 講金 金 二 年 テ リ

リ 年 定 明 一年 月二日明 ス         

0 年 12

に 川 た のに社会 の る。1 (明

治 21)年本 定 井 の岡 院に る と 1 年,育 を た。1 3(明治 1 )年 ルス ルトン イ ト ー に 院を ,本 は イ ト の を て,キ リスト教を するよ に り, に を する では た。

の 田中の出 で と , 院 の を て

原 に 4 の を て 院

を した。し し, は を た。 には , 者を えての たので, の大 を養 のに

た。本 定 は と の に り, え イ

ト ーの 院の に た。 ,社会 のた リ

(21)

に き, の寄 金を て , で に た た , に , のた て しを行 た。(17) は の書 に ているよ に, の を行 い, ボン 日 を するた ,東京 田 代 に 部を て の を た。

川 書 に 出る は の た。 の

の に を , の えと た。し し, 年 でいた はよ ,1 99(明治 32)年 月 1 日 , いて 年の 月 19 日に 。 の と の た の と と り,1 99 年 月には横浜 院と , の 横浜 に

て に ている。

育 部

一        一          特

一 ボン         

一 に ,

    他日 に

中に 大 者本 は に

り る の び の を し に

代り養育する に 年 に る の大 大 に

し に る を り の き に由

り 日に り 養育 し者 名に び 名の一 を して に す るに当 し の 非常の を え に の を すに り に の を き の

に いて 一 年 一 に の を明し

(22)

と に の を る きを て しに年 に り 日 の

に るは り は の に を りと して

一は の を 本 の には する と決 り

る   を し の の を

資金 しと と と し て見え

る の に頼りて の て に由て一 る学

を学び の を え 者の を し に を し き を の中に し る とを しと よと に

名を き りて 部を する とと り は の の

る所を て て は ,

は と特 を び大に し に 当部

より は正 る き を て一 には の

を す とを し 文 とを て

資本金 き に 金にて にて

文 は は は

  明治 年 二月

        原大 島       育

       東京 田 代 一           部           本 定    白     育 要則

第一  的  の を し に代りて養育するを 的 とす 第二  院  二 とし を は 名にて

を す 第  教育  に一定の年 に は に

(23)

し て の に は文学 を学 し

第     の と 内 の と 有 者の 金 と

に由り す

2

の書 は,本 川 に てた ので る。本 は大

の 大 の に , 教会にて 岡

牧師より , 岡の で 社に り,『 ン ー 』

を読 で を した。 川と を た 明

,本 (第 師 師)として, の

に た たの 1 9 (明治 31)年 1900 年に てで たので, の り た のと え る。1 99 年 3 月の

学校の に本 出 , を ている。本 は 1902(明治 3 )年に 台に り大 の発 に り,出 年を し, 教育に力を い 。 の 台 川 に てた で

る。 

日は る 書 りは

に ては を たる し に と に

, に 出し にいと き の に り 有 し 東名 中田 の未 より す 大 の

と に き に り に 千 は

中に の る の 養育し りて を るは 千

の の に一行の に り る

に 月二 日 に金一 を は他より

資本を の に頼りて 行 と 未 日 一 の を を に り 代金を するまで 年出 の を えし る と て に

(24)

      二 日           川

4

川 は,1911(明治 44)年に内 大 に 書 を提出している。 川は日本 の大 で, 日本 会社決

書 によると,1914(大正3)年では えて 4 に している。書 , では日本 社 の内藤 中

ており, に 川 日本 会社に ていた の する と できる。(1 )

日本の資本 は日 日 によ て, と 行

し, 的 と してい た。 力資 は依 として で た ,徐 に の 要 出てきたと で た。 書

を ると, 川 は, にと て に る

と えていた。当 は, 内 要の 3 の 2 を に依 , 内の を調査して しで 内の を発 する 要 る とを

していた。し し,資本 ては 的 投資 でき いので,

出 は限定 ,資本 採 でき い 所 る。 で,

は した を 育 する 要 り,資金 社 発行の特 を える と 大 で ると えている。

書  

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大正 年 月 日              内藤

     川

(1)  稿 川 研究 る の と 『 学研究第

9 10 号』,明治学院大学大学院 会,1977 年 3 月。

 他に の の る。 稿 川 の ( )(中)( )『 と 』 734 号 73 号, 社,197 年 月 7 月。また 川 の 内 の

としては, 川 川 『 文第 』東 日 社,大

正1 年 月 る。

 筆者は,1977 年に 川 の論文をまと た。し し, に 7 の 川 て書 ( 筆 )を て 読するに たのは, 川

(28)

の , の 川 を発 して,一 の書 にした とい 要 に基 いている。 で, 川 の をは , した を るた に た て調査をし している。2017 年 川 の 1 0 年, 130 年の年に るので, に てまと よ と えている 第 で る。 お, の書 の 読に た ては,キリ タン史研究 の内藤

にお に た。 に する 第で る。

(2) 本 一の研究に いては,2 の研究書を紹介しておきたい。

『本 一  と 』, 者 学院『本 一』 委員会,

教文館,2012 年 11 月。 一 の本格的 研究では, 名(い き)『本 一   教育  』, 学院出 会,2014 年 3 月 る。

(3)  稿 明治 にお るキリスト教 容の一 教会を中 として 第 34 号  川 文館 1977 年。

(4)  稿 にお る 由 由 とキリスト教の 『

中 学校紀要』第 7 号, 中 学校,2002 年 2 月。

(5)  稿 明治 にお るキリスト教 容 藤 のキリスト教とリン

『 学研究第 7 号』,明治学院大学大学院 会,1972 年 月。

(6) 藤 教会 員会 『 の の として 藤 教会 年 』,19 年 10 月。

( ) 『 校歴史』 40 年を して, 年の 1927 年に したと 内 田 している。他に 学院 年史委員会 『 学院 年史』,1990

年 る。

( )  稿 明治 にお るキリスト教社会 本 定 の育 を中 として 『 学 』第 号, 0 年 , 中 学校,19 年 1 月。 

( )  稿 プリ ス ズ ンの と の 『日本歴史』第 3 3 号, 川 文館,19 0 年 4 月。他にプリ ス ズ ンと文学 の とに いて した のに の の る。 稿 明治二 年代にお るプリ ス ズ

(29)

ンと文学 『 史研究』19 第 3 3 号, 史研究協 会,19 年 月。

(10)  社『 明治 』197 年, の の 者 の に した の ,明治 22 年 4 年に て ている。

(11) 『 』1 2 ,773 7 0 。

(12)  稿 川 の ( )『 と 』73 号, 社,197 年 7 月。

(13)  に る に して 『東 日 』190 (明治 3 )1 月 1 日に 掲載 た。 川 の 稿『 文 第 』 4 年の中に ている。

(14)  に掲 た 7 の資料は,19 2( 7)年に 学院大学名誉教授で

る を して, 川 の に たる 川 学院資

料センターに寄 た のによ ている。

(1 ) 本 一 川 に てた書 おいて,明治 39 年 11 月 19 日書 の 研究に の の るので ておきたい。 本 一書 『 川

』 一 に いて 教会『 年史 ス』 1。 おプ ス

ズ ンの東 にお る に いては, の 社『 明

治 』に掲載 ている。 の中で,プ ス の の に いては,

大 『 の海 者 書』キリスト 社(2000 年 4 月)に 出ているので して きたい。また 川 は, スト教会牧師

と明治 39 年の に している。 は当 岡教会の牧師で た , は 岡教会の と た を した。

    の当 の とに いては,『 岡教会 年史』に しい。 4 名の会員 3 に しているので, に すると 2 名の の に たと え る。 お, の教会は,名 を日本キリスト教 岡 教会と

している。201 年 月,筆者は の教会に出 いて調査をした。

(1 )  の資料は, 川 講 と る 川 筆の文書で る。

(17) 本 定 の育 , に き 横浜 院と

り,横浜 に た に いては,筆者の論文を して きたい。 明

(30)

治 にお るキリスト教社会 本 定 の育 を中 として

『 学 』第 号, 0 年 , 中 学校,19 年 1 月。

(1 ) 1921(大正 10)年 10 月,日本 と 田 し,日本 と て 日まで ている ,日本 の と発 に いては, 川文 『日本

と 協会の 』, 文 社,1999 年 3 月 る。 の論文

川 日本 の大 で る と た。

参照

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