民 族 ︑ 経 液 及 び 耐 會 の 襲 展 と 人 口 原 理
葬
ー ‑ 人 口 原 理 の 撲 充 に つ い て
!
南亮三郎
ノ
﹁人回原理の構造
こ﹂に人口原理といふのは極く一般的に申して︑一切の生物種属はその生存のために供せらるΣ養分を超え
て増殖せんとする不断の傾向を有丈るといふことであつて︑普通は英人トーマス・ロバート・マルサスの名に
結びつけて﹁マルサス的人口原理﹂と稽せらる﹄ものである︒との原理は本來︑生物界一般に通する普遍原理
の一つであるが︑この原理の重大さに着眼してその作用の肚會的︑経濟的蹄結を詳細に追求した最初の人が経
濟學者であつたといふことは愉快なことである︒ノ
ところで︑マルサスに於ける人口の原理的認識は︑彼れ以前の幾多の入口理論家達の所論と比較してみて︑︑
'民族︑脛濟及び肚會の獲展と入口原理(南)︑'二〇九
一二〇
おほよそ次の三窯で.目立つた特徴を現はしてゐる︒その一つは︑前述のごとき生物界一般の普遍原理を人類に
適用して︑人ロは與へられた生存資料の範園を超えて増殖せんとする不断の傾向をもつことを推論し︑このや
うな増殖の不断の傾向を﹁増殖原理﹂と名付けて彼れの全人ロ理論の脊柱的原理たらしめたことである︒その
二つは︑この増殖原理よりする階俘的原理として︑人ロのか玉る不断の増殖傾向はやがて必す何らかの仕方で︑
與へられた生存資料の範園内に抑止せられねばならぬ旨を指摘したことであつて︑私はこれを増殖原理に封置
せしめて人ロの﹁規制原理﹂乏呼んでゐる︒その三つは︑かの増殖原理とこの規制原理との交互的な作用及び
反作用の關係を読く黙であつて︑増殖原理に促がされて所與の生存資料範園との均衡を破つた人口は間もなく
規制原理の作用によつて元の生存資料範園との均衡をとり戻すが︑この均衡同復はやがてまた増殖原理の不断
の作用によつて次の均衡掩齪を準備するといふ仕方で人ロは周期的に進韓及び逆輻の運動を繰り返すといふこ
とを読く︒私はこれを﹁人口搦動の理論﹂と名付け︑マルサスによつて獲展せしめられた近代的人ロ理論の頂
/窯を成すものと見るのである︒
マルサスの全理論をこのやうな形で理解するときP彼が何故に右の増殖原理をのみ﹁人ロ原理﹂と稻したか
サねが頷かれるであらう︒彼にあつては規制原理もまた﹁の法則であり輔の原理であつたが︑この原理の襲動に
起縁を與へて同じく不断に作用せしむる抑々の原因は増殖原理に外ならなかつた︒増殖原理あることによつ
て規制原理は作用を開始し︑かくて人ロの進韓及び逆輕蓮動が績行されうるのである︒増殖原理は彼れの全理
論の脊柱であるとともに︑それは言葉の最も嚴密なる意義に於ける﹁原理﹂である︒何故ならば原理とは︑輩
に事物相互の間の關係を指すのではなくρ或る事物をしてかくあらしむる原因︑すなはち力そのもの﹂保持者
を含意してゐるから℃ある︒レスター・ウォードが︑﹁マルサスの偉大なる著書﹃人ロの原理﹄は正確に命名
ひされたもので︑原理がこの書中で充分に詮明されてゐる﹂と述べたとき︑彼は初めてこの原理の原理としての
眞實の意義を把握してゐたのである︒.
さて然らば︑かくの如き原因としての一力としての入ロ原︑理すなはち増殖原理は︑他方に於いて規制原理の
ズ 作用を随俘しながら如何なる結果を人間冠會にぴき起すものであらうか︒マルサスに於いてはそれは人ロの進
輻と逆薯︑從つて叉人類の幸幅と不幸との周期的反復であつた︒さうしてマルサス自身はこの周期的反復をも
つて人類の未來に永久の改善歌態を眺めようとした謂ゆる人聞完全化論者の所論に樹する決定的な反駁の根撮
靹
を成すものと見たのである︒蓋しマルサスの時代には︑彼れ自身初版﹃人ロ原理論﹄の初めで述べてをる通り︑
﹁今や一大問題が與へられた︑即ち人類は︑今より出獲して際限もなく︑とれまでは考へられなかつた様な改
善の方向を︑加速度を以て進んで行くのであらうか︒それともまた幸幅と窮乏との間で永久の提動櫛需ぢ2§一
〇ω亀讐δ嵩ぴ2毛︒窪ゲ碧眉貯8ω9a巳幽ω⑦蔓をなすのみであつて︑あらゆる努力の後︑何時までも其の宿望の目標
わには程遠き所に居らなければならぬのが︑人類の蓮命であらうか﹂といふ形でその時代の問題が沸騰してゐた
のであつて︑マルサズの人ロ原理はまさにこの前者を否定し︑後者に読明の根撮を與へるものと㌧て提唱せら
民族︑経濟及び肚會の獲展と入口原理(南)一二一
!一二二
れたのであつた︒マルサスが普通に悲観読の代表者とせらるΣのもこの爲に外ならない︒
しかし一歩退いて彼れの著作をよく研究してみると︑人口原理は軍に人間杜會に不幸な暗黒面のみを現はす
のではなく︑實は反封にこれによつて入間産業を刺戟し︑與へられた生存資料の範團そのものを自から損大し
ながら薪たなる水準に於いて均衡をとり戻すといふ積極的な働きを爲す光明面もまた︑充分にマルサスによつ
て認められてゐたのである︒入間の生來の獺惰に鞭打つて勤勉活動に立ち向はせるのもこの原理であれば︑世
界が今見るやうに人間の佳む所となつたのもこめ原理のお蔭である︒﹁若し饅謹の衝動と︑寒威の墜迫とがなか
サつたならば︑野攣人はいつまでも樹下の惰眠をむさぼつてゐるであらう︑而して食物を漁り︑小屋を建て玉こ
れ等の苦痛を逃れんとする彼等の努力は︑則ち彼等の能力を作り且つこれを活動せしむる所以であつて︑之な
かりせば彼等は途に眞の醇生夢死に絡るのである﹂︒さればまた︑﹁自然力の豊かな從つて自然の生産物に富ん
だ國の佳民は︑必すしもその智力が鋭敏でない︒必要は實に獲明の母である︒人間の最も尊き努力は︑肉盟の
欲求を満さんとする必要にその動機を得た例が少くない︒欲求は︑蕾に屡々詩人には︑その想像力に翼を與へ
たのみではなく︑歴史家には︑その思想に高潮の時代を作り︑學者には︑その研究に鋭敏を加へしめた︑而し
て︑今や知識や融會的同情に封するそめ他︑色々の刺戟によつて︑肉艦的の刺戟がなくとも︑徒らに荘然無爲
に暮すことを好まない程度にまで進歩した人がないではないことは疑ふべからざる事實であるけれども︑猫
ほ︑民衆より之等の刺戟を奪つては︑U般的破滅的嗜眠状態を現出しないとは限らない︑而して,若しそんなζ
帽
みとが起るならば︑人類未來の進歩の胚子は悉く破滅であるoLとマルサスは論じてゐる︒
・かうして見るとマルサスの人ロ原理は︑人聞就會の諸悪の源泉どころか︑人聞を騙つてあらゆる勤勉活動に
向はしむる進歩の動源たる役目を捲はされてゐるのである︒マルサスが自からこれを充分に認めながら︑しか
も全禮としての論調が悲観詮に傾きあらゆる永久的な進歩改善の可能性を噺乎として否定するが如く見えたの
は︑やはり彼れの著作動機がもともと論孚文を草するといふ黙にあつた爲であらう︒彼れ自身は極めて快活な
性質と明るい人生観の持主であつた︒(この窯は近著マルサス傳に於いて明かにせられるであらう︒)が︑それ
はそれとして︑今吾々に課せられた問題はこの人口原理が果して︑また如何なる意味に於いて︑民族︑経濟及び就
會の嚢展原理として構想し得られるかといふこと︑一言にして人口原理の新たなる接充の方途如何といふ問題
ソゆである︒尤も︑何の豫備的読明もなしに突如としてこのやうな問題の立て方をすると︑人或ひは疑ぴをはさん
で︑.獲展原理は必すしも人ロに結びつける必要抵ないではないか︑況んや今どき古いマルサスの學設などを持
ち出す必要はないではないかと問はれるかも知れない︒しかしこれにつ・いては︑私は敢へて云はなければなら
趨
ない︒眞理の稜見はいつれの科學者の任務でもありながら︑さう易々と爲されうるものではないのである︒人
口原理がそのよい例である︒吾々はこれを無雑作にマルサスの人口原理と呼んでゐるけれども︑彼は決してそ
の獲見者ではなかつた︒彼れ以前に蔑多の人ロ理論家が輩出してその眞理の地盤を固め︑さうして彼がこの地
ザへ盤の上に確立したまでのことである︒℃の事業が成されるまでには優に三世紀の長い歳月が流れてゐる︒され
民族︑経濟及び肚舎の護展と入口原理(南).,︑二=二
輔二四
ば前世紀申頃の栄イツ學者ゲルストナーは︑夙にかう云つて科學的眞理の成立事情を読いてゐる︒1﹁マルサス
の宣布した諸命題はもとより彼れから初めて起こつたのではない︒科學と生活とを動韓せしむる偉大なる諸々
の眞理は突如として歴史の水早線にあらはれるのではない︒それは微かなる薄朋をもつて始まり︑そし・て徐々
のに昏迷の夜から太陽のごとく浮び上がるのである︒﹂1と︒人ロ原理はかくて︑科學世界に於ける一つの太陽と
してず長い世紀の準備工作から徐々に水平線上に立ちあらばれたのである︒さてこの太陽は如何にして現實の
世界を光被すべき人類の共有財産となるであらうか︒‑
=︑生物進化と人口原理
こ玉にまつ︑自然淘汰による生物進化の法則を樹立することたよつて近代科學の上に不滅の功績を淺した生
物學者チャールス・ダーウィンがある︒彼はその名著﹃種の起原﹄の中で︑﹁生存闘争はあらゆる有機禮が高
い比率をもつて増加しようとする所から必然的に生じて來る︒その自然的生涯の間に数個の卵または種子を生
するあらゆる生物は︑その生涯の或る時期に︑また或る季節もしくは或る年に破滅を蒙らなければならない︒
でなければ︑幾何級歎増加の原則に基いて︑その激はどんな國でもその所産を支へ得ないほど途方もなく大き
くなる︒そこで生存できるよりも多くの個艘が産出されるのであるから︑どんな場合にも或る個盟と同じ種の
他の個艦と︑或は異ふ種の個艦と︑或はまた物理的生活歌態との生存闘争が起らなければならない︒これはマ