本研究の目的は、鶴屋南北作生世話物狂言『東海道四谷怪談』映画化作品において、
原典における多義的表現及び表現の実験がどのように映像化に反映されているかを明ら かにすることにある。そのため本論文では、戦後初の映画化作品である木下惠介監督『新 釋四谷怪談』を取り上げ、近年の鶴屋南北研究における原典の構造的表現に着目する観 点に基づきながら、同映画作品において原典の作品構造がどのように映像化されている かを考察した。その結果、同映画作品の前篇結末と後篇冒頭での「お岩殺し」場面の重 複が、原典初演時における初日最後と後日冒頭での「戸板返し」の二回上演と対応して いるのに加えて、前篇と後篇の主人公を一人二役とする映画化にあたっての独自な構造 的表現により、同映画作品においては、「お岩殺し」の場面を軸として、前近代的女性 像と近代的女性像とが対置される構造となっていることがわかった。
キーワード 歌舞伎狂言、『東海道四谷怪談』、怪談映画、物語構造、近代化
1 なぜ「四谷怪談」か
鶴屋南北作の歌舞伎狂言台本『東海道四谷怪談』(文政八年七月江戸中村座初演)は、日本 映画史の草創期である明治三十四年に横田商会によって初映画化(『お岩稲荷』)されて以降、
今日に至るまで三十一回
1の映画化がなされてきた映画原作である。日本映画において、これ まで映画の題材として高い頻度で用いられてきたものとしては『忠臣蔵』が挙げられるが、こ の場合は必ずしも竹田出雲作の時代物狂言『仮名手本忠臣蔵』(寛永元年初演)が原典とされ ているわけではなく、赤穂四十七士の討入り事件そのものが映画化の材料とされてきた。その ため、『東海道四谷怪談』のように、江戸時代に書かれた古典的原作が、日本映画史を通して 絶えず映画化され続けてきた場合とは事情が異なっていると言ってよい。また、映画化の回数 の多い原作としては川端康成の『伊豆の踊子』が挙げられるが、その映画化の回数にしても六 回であり、この場合と比較しても『東海道四谷怪談』の映画化の頻度がいかに高いものであっ たかがわかる。
しかしながら、このように日本映画史を通じて制作され続けてきた『東海道四谷怪談』の映 画化作品についてのまとまった研究は未だなされていない。確かに、最近の日本映画研究にお いては、戦前期および 1950 年代の、特に新東宝を中心とした「怪談映画」の領域が開拓され、
その枠組においての『東海道四谷怪談』映画の研究は発表され始めている。また、これまでの
映画「四谷怪談」考|木下惠介作品の場合
Ai HIROSE
要 旨
A Study of Yotsuya Kaidan Films | In a Case of Keisuke Kinoshitaʼs Work
廣 瀬 愛 ** 総合人間科学部 表現文化学科
木下惠介、中川信夫、豊田四郎、加藤泰といった作家研究において、あくまでも作家の表現ス タイルを明らかにするために、各作家の制作した『東海道四谷怪談』映画の分析はなされてき た。しかしながら、これまでの映画研究において、それぞれの映画化作品が制作されるにあたっ て、その際、鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』がどのような観点から読まれ、それがどのよう な方法で映像化されているかを明らかにする研究はなされていない。
本研究は、こうした現在までの先行研究の状況に基づき、明治期より今日までに制作された
『東海道四谷怪談』映画化作品からとらえられる、原典である鶴屋南北作『東海道四谷怪談』
の映像化の方法を明らかにするものである。こうした本研究の背景には、近年の鶴屋南北研究 においての『東海道四谷怪談』の新しい解釈方法開拓の状況がある。廣末保は、『四谷怪談─
悪意と笑い』において、 『東海道四谷怪談』を、お岩が亡霊となって伊右衛門に復讐を果たす「物 語」から、聖と俗、ハレとケ、忠義と不義といった様々な要素が対立し、たえずそれぞれの価 値が逆転を繰り返すような「構造」へと読み直しを図ったが、こうした脱「怪談」としての解 釈の方法は、最近の小林恭二による「四谷怪談」研究へと引き継がれている
2。このように、
映画の原作となった原典が、伝統的に踏襲されてきた一義的な解釈から解放され、新たなる解 釈の方法により、その原典そのものの持つ表現の深度が見出される時、映画研究もまた、原典 と映像化との関係を新たなる視点から分析する必要があると考えられる。
しかしながら注意しておきたいのは、この場合の再解釈の方法である。このことは、原作の 筋を深く読み込むといったことではない。例えば、先に映画化の回数の多い原作として川端康 成の『伊豆の踊子』を挙げたが、この映画化作品の中で最も独自な解釈を試みているのが西河 克己監督版の『伊豆の踊子
3』である。この中では、山口百恵の演じる踊子が、あくまでも旅 芸人という下層に生きざるを得ない宿命を背負っている点が強調され、書生と別れた後には、
酌婦あるいは遊女としてしか生きられない未来を暗示して終わっている。こうした西河克己の 表現方法は、原作の世界を山口百恵という女優のキャラクターを通して生々しく現実的に描き 出すという点で、画期的な試みと言えるであろう。しかし、この場合の解釈は、踊子と書生が 出会って、身分違いの恋が成就せず、互いが互いの道を歩み始めると言った本筋を踏まえた上 での、その現実的掘り下げである。廣末保による『東海道四谷怪談』の新たなる解釈は、こう した本筋の理解のしかた、内容の吟味によるものではない。廣末保は、『東海道四谷怪談』を 鶴屋南北による様々な要素の混沌的構造の総体として解釈する。つまり、南北による表現方法 そのものが、この作品の内容となっていると読み解いているのである。こうした廣末保の解釈 においては、もはや『東海道四谷怪談』は「怪談話」というジャンルから脱し、江戸寛政期の 時代状況そのものを、構造によって描き出す狂言へと転換している。
これまで、 『東海道四谷怪談』は単なる怪談話として一義的に解釈され、映画研究においては、
映画作品そのものの表現の特徴は分析されることはあっても、それが『東海道四谷怪談』の映 像化であることの意義には着目されて来なかった。しかしながら、『東海道四谷怪談』は単な る「伊右衛門とお岩のストーリー」ではなく、南北が構造によって描き出した時代の精神であっ たととらえることもできる。そして、こうした表現方法は、廣末保の考えに基づくならば、当 時の歌舞伎狂言においても実験的な方法であったようである。つまり、『東海道四谷怪談』は、
そもそも単一のストーリーを観客に伝えることを意図した起承転結型のドラマツルギーによっ
て書かれたものではなく、あたかもジグソーパズルのように無数のピースが無秩序にばらまか
れ、通しで上演されることによって初めてその全体像が浮かび上がるという革新的な表現方法
によって書かれているのである。本研究が『東海道四谷怪談』に着目するのは、こうしたテク ストの持つ特徴にある。
本研究では、以上のように、これまで制作されてきた『東海道四谷怪談』映画化作品を、鶴 屋南北作の原典の多義的な解釈に基づきながら、原典における表現方法の実験性、革新性が各 作品の映像化にあたってどのように反映されているかという点を明らかにすることを目的とす る。『東海道四谷怪談』の映画化作品のうち、フィルムが現存しているのは、戦後初の映画化 作品である木下惠介監督の『新釋四谷怪談前篇・後篇』 (1949 年松竹)以降の九作品である。従っ て、映像分析を行なうのは戦後の作品についてであり、戦前の作品に関しては、文献資料に基 づいた分析となる。特に戦前の二十二作品について重要であるのは、『東海道四谷怪談』が南 北の原典を離れ、「お化け話」として定着していく過程と映画が娯楽を提供するメディアとし て確立していく過程との相関関係を明らかにすることである。この研究によって、『東海道四 谷怪談』が「四谷怪談」として一義的に広く知られるに至った要因を明らかにすることができ るだろう。
こうした研究の全体像のうち、本稿では映像の現存が確認されている最も古い作品として木 下惠介監督『新釋四谷怪談前篇・後篇
4』(以下、 『新釋四谷怪談』と表記する)を研究対象とし、
近年の鶴屋南北研究における原典の構造的表現に着目する観点に基づきながら、この映画作品 に原典の作品構造がどのような方法で映像化されているかを明らかにする。
2 鶴屋南北作『東海道四谷怪談』の多義性
四世鶴屋南北作の生世話物狂言『東海道四谷怪談』は文政八年七月に江戸中村座で初演され た。当時の歌舞伎狂言の上演形態においては、慣例的に一番目に歴史的題材を描いた時代物が、
ついで二番目に庶民生活を題材とした世話物が上演されており、この『東海道四谷怪談』は、
竹田出雲作の時代物狂言『仮名手本忠臣蔵』に対しての二番目(世話物)として新たに書き下 ろされた。しかし、この時の上演方法は、当時としても異例であったようである。
『仮名手本忠臣蔵』は全十一段からなる長編の狂言である。当時人気の高かったこの狂言を、
まず初日に大序から六段目まで上演し、続けて新作狂言『東海道四谷怪談』の除幕、中幕、三 幕目(十万坪隠亡堀の場)を上演し、翌日(後日)に再び『東海道四谷怪談』の三幕目の上演 に続き同四幕目、『仮名手本忠臣蔵』の七段目〜十段目、『東海道四谷怪談』の五幕目、『仮名 手本忠臣蔵』の終幕(討入り)の順といったように、初演時には『東海道四谷怪談』は、『仮 名手本忠臣蔵』と交互に二日間にわたって上演されたのである。この時の興行は、三世菊五郎 が太宰府天満宮参詣のため江戸を離れることに対してのお名残興行であり、いわば特別興行で あったが、 『東海道四谷怪談』の演目自体は、その後怪談狂言として独立し、上演のたびごとに、
観客の反応や要求に応じて改作が重ねられていった。原典である鶴屋南北作の『東海道四谷怪
談』においては、忠臣蔵の世界観に基づいて、不忠の義士民谷伊右衛門とその妻お岩の筋、お
岩の妹お袖と彼女に横恋慕する直助権兵衛の筋、病のために討入りに加われなかった義士小塩
田又之丞の筋の三つが複雑に絡まり合って描かれているが、初演時以降の改作においては、忠
臣蔵との結び付きが外され、特に亡霊となったお岩の伊右衛門への復讐を中心とした怪談狂言
としての表現が重要視されたため、お岩と伊右衛門の物語が本筋として描かれるようになって
いった。
このように初演時には、『仮名手本忠臣蔵』と対をなす作品であった『東海道四谷怪談』は、
歌舞伎狂言として独立するばかりでなく、その後、講談、落語、演劇、映画、テレビドラマ、
マンガ、小説、アニメーションなどといったように様々なメディアの中で作品化され続けてき た。こうした様々なメディアやジャンルを通して、現在では『東海道四谷怪談』は広く知られ ている物語となっている。しかし、ここでよく知られている『東海道四谷怪談』の物語とは、 「浪 人民谷伊右衛門が私利私欲のために妻お岩の存在が邪魔となったため、お岩を毒薬で謀殺し、
殺されたお岩が深い恨みのために亡霊となり、伊右衛門を祟り、破滅へと追いつめ、復讐を遂 げる」といった内容であるだろう。先にも述べたように、『東海道四谷怪談』は、改作を重ね られるたびごとに、複雑な人物関係や設定の枝葉がそぎ落とされ、お岩の惨死や祟りの場面を 中心的に見せるための「怪談」へと書き換えられてきた。そして、その後、様々な表現領域に おいて、特にこうした「怪談の部分」がクローズアップされ、語り継がれてきたのである。
日本映画史において、『東海道四谷怪談』を題材とした作品が制作されたのは明治四十三年 の『お岩稲荷』(横田商会)が最初である。日本へのシネマトグラフの輸入が 1896 年、国産の 映画の撮影が始まったのが 1899 年であり、牧野省三が筋を持った時代劇映画『本能寺合戦』
を制作したのが 1908 年であったことを踏まえると、日本で映画によってストーリーを語るこ とが可能となった時点で、『東海道四谷怪談』はすぐに映画化されていることがわかる。それ 以降、『東海道四谷怪談』を原作あるいは題材とした映画作品は現在までに三十一本が制作さ れてきた。
このように一つの原作(原典)が、映画史において繰り返し映画化され続けてきた要因は、
この作品の「怪談話」としての認知度の広さであると言える。毒薬を盛られたお岩がどのよう にグロテスクな形相に変貌するのか、お岩は伊右衛門の前に、どのような姿で現われ、どのよ うに伊右衛門を追いつめていくのか、こうした「よく知っている話であっても、今度の映画は、
それをどのように見せてくれるのか」という観客の興味に支えられて、いわゆる「四谷怪談映 画」は、1970 年頃までは各社のお盆興行において安定したヒットが見込めるプログラムとし て製作され続けてきたのである。しかしながら、現在広く知られている「お岩さんと伊右衛門 のストーリー」という先入見を外し、今一度、鶴屋南北が江戸文政期に書き下ろした初演台本 に「四谷怪談」の原典として向き合ってみる時、そこには実に様々な「読み方」が生じて来る のである。例えば、以下に、この原典の読まれ方の二つのタイプを挙げてみる。
1「(『東海道四谷怪談』を初めて読んだ時)映像がともなわないのでこわさはさほどでもなかっ たが、登場する人間たちが複雑にからみ合い、映画とは比較にならない奥深さだった。解説 を読んで私は納得した。この芝居をまともに上演すれば十時間近くかかるという。それを映 画では二時間前後にちぢめているので、どうしてもむりが生じる。ある監督は伊右衛門の母 親に興味をいだき、べつの監督は直助の生き方がおもしろいと思う。その差が、すなわちお なじ原作でありながらこうまでちがう原因となっていたのだ。納得はできたものの、残念に 思った。お岩さんの映画を一本しか見ていない人は、それが南北のすべてであると誤解して しまう。映画では表現されていないところに南北のほんとうのおもしろさがあるのに、それ だけで評価されてしまうのだ。(カッコ内は本稿筆者による補足)」
(高橋克彦『高橋克彦版四谷怪談』講談社文庫、2000 年、272 〜 3 頁)
2−1「初日と後日をつなぐ隠亡堀の場は、戸板の裏表に釘付けされた小仏小平とお岩の死骸 が見せ場の《戸板返し》のリバース・クライマックスで、そこが生と死、男と女、霊と魂、
善と悪の折り返しとなって、二作を裏表に蝶番したという工夫だった。」
(松岡正剛『千夜千冊』九四九夜
5) 2−2「虚と実」、「善と悪」、「表と裏」、これらは戸板一枚でひっくり返る人間世界そのもの
とも言えるのです。些細なことが引き金となって、善良な市民の暮らしの中にも思わぬ事態 は起きるのです。事件は日常から遠く離れた非日常の場所で展開されるのではなく、私たち のすぐ身近な所で待ちかまえていて、何かの拍子に振り返れば、そのすぐ後ろで回転扉が翻 るように、世界もまた一転してしまうのです。」
(太田眞千代「モノとコトのはじまり《世界》の創生
6」)
上記に引用した1、2のうち、1に示したのは、『東海道四谷怪談』をストーリー中心にと らえる読み方である。この原典には、役名上は四十七名の登場人物が登場するが、それぞれの 人物が、互いに利害的な相関を持ちながら、複雑な人間模様を形成している様こそが南北の原 典のおもしろさであるととらえている。一方で、2−1、2に示したのは、この作品を構造的 に解釈する読み方であり、廣末保の方法論がここには反映されている。それでは、原典の一場 面を例に挙げ、この二つの読み方がどのように生まれてくるかとらえてみよう。
ここで具体例として挙げるのは、2−1で取り上げられている「戸板返し」のくだりである。
この部分は原典では初日二番目三幕目十万坪隠亡堀の場の終盤にあたる。伊右衛門が、立身出 世欲のために、妻お岩と、民谷家秘伝の薬を盗み出そうとした中間の小仏小平を謀殺し、杉戸 に打ち付けて川に流した後、すぐに嫁入りに来た武家の娘お梅を、お岩の亡霊の祟りによって 斬り殺してしまった後に続く後日の場面である。
この場面の冒頭で伊右衛門は、母のお熊に出会い、本来であれば仇討ちの相手である主君高 師直への紹介状を渡される。しかし、伊右衛門が自らの罪を子分格の浪人たちになすり付けた ことを知った秋山長兵衛が、そのことをばらされたくなければ、逃亡の路銀をよこすよう伊右 衛門を強請る。そもそもこの秋山長兵衛は、これまで、伊右衛門の屋敷から、秘伝の薬を盗み 出した小仏小平を探し出し拷問したり、お岩と小平の死体の始末に尽力したりといったように、
伊右衛門に対してたとえ悪事のつながりであろうとも結託していた関係として描かれてきた。
しかし、この場面においては、そうした一蓮托生の関係は、弱みを握った相手を強請るという 関係へと逆転している。つまり、ある場面で描かれた人間関係が、次の場面では豹変し、味方 であったものが次の場面では敵になるという複雑さを見せる。このように、登場人物の行動と、
その結果変化していく人間関係に着目し、出来事の連鎖を追っていくのがストーリーに観点を おいた読み方である。
一方で、この場面での「戸板返し」そのものに着目すると、構造を読み解くことができる。
ここでは、隠亡堀を後にしようとした伊右衛門のもとに杉戸が流れ着き、そこに打ち付けられ
ていたお岩の死骸が両目を見開き、恨み言を言う。伊右衛門がそれを裏返すと小平の死骸が目
を見開き、伊右衛門に向かって「お主の難病。薬を下され
7」とつぶやくという展開になって
いる。この場面での仕掛けは、舞台の奥に立っている戸板に三世尾上菊五郎が一人二役の早変
わりを演じながら顔を出すというものであるが、ここで着目すべき点は、一枚の戸板の表裏に
二人の人物の死骸が打ち付けられ、それを文字通り反転させるという表現方法である。表に打
ち付けられているのはお岩の死骸である。ここでのお岩は、「民谷の血筋、伊藤喜兵衛が根葉 を枯らしてこの恨み
8」と恨み言を言うほどに、自らの死に関わった全てを呪っている。この 怒りのエネルギーは極限にまで達しており、同じ幕の前半では、伊藤喜兵衛から血の妙薬とし て持たされた毒薬を民谷家に届けただけの乳母お槙までも川に引きずり込んでしまっている。
つまり、ここでのお岩は、私怨を晴らすことのみが行動の基盤となっているのであり、廣末保 の言葉を借りるならば、殺された被害者から、祟りをなす加害者へと転換を図ることで、伊右 衛門という存在悪に対峙するほどのエネルギーを自らのうちにたたえているのである。一方で 戸板の裏に打ち付けられているのは小仏小平の死骸である。そもそも小平は、お岩の初産に際 して民谷家に雇われた小者であった。しかし、実のところ小平は、伊右衛門と主を同じくする 塩冶の家臣小塩田又之丞をかくまう身であったのだ。
ここで、南北作『東海道四谷怪談』が土台としている世界観を今一度確認しておきたい。こ の狂言の中で背景となっているのは忠臣蔵の人物相関関係である。この点について便宜的に「赤 穂側」と「吉良側」に分けて整理してみたい。この作品の中で、中心的に登場するのは民谷伊 右衛門である。彼はいわば「赤穂側」の浪人である。主君の起こした事件によりお家が断絶し、
浪人として爪に灯をともす生活を送っている。しかしながら、伊右衛門は、そもそもが不忠の 士であった。お家断絶が起きる以前に、国元の御用金を横領し、お岩への結納金を用意するほ ど、忠義とはほど遠い人物であったのだ。お家が断絶し、旧家臣たちが主君の仇討ちを密かに 企てるようになっても、伊右衛門はそれには加担せず、むしろ繁栄する敵方の吉良側への士官 を望むほどであった。一方で、伊右衛門の家に小者として雇われた小平もまた赤穂側の家臣で あった。小平の長屋には、病のため、仇討ちから外されてしまった重臣小塩田又之丞がかくま われているが、小平は、民谷の屋敷に秘伝の妙薬ソウキセイがあることを知り、主君の仇討ち への復帰のためにこれを盗み出そうとするが失敗してしまう。小平がソウキセイを盗み出した 目的が、かつての主君の仇討ちにあったことを知っても、伊右衛門は顔色一つ変えることはな い。むしろ、小平が自分の家から薬を持ち出したこと自体を怒り、責め苛むのである。ここで の小平の取る行動はそれ自体が矛盾をはらんでいる。人の家からものを持ち出すのは、それ自 体が悪事であるが、主君の仇討ちという事情のゆえ許されるべき行為だという免罪符が、彼の 言い分のうちには用意されているのである。このように『東海道四谷怪談』においては、忠臣 蔵の描く忠義に対して、常にそれを別の視点から見る描写が対置されている。この点を踏まえ て、再び「戸板返し」の構造的表現をとらえてみよう。
小平は、民谷家からソウキセイを盗み出した咎で、伊右衛門とその子分たちから私刑を受け、
お岩と不義密通の濡れ衣を着せられた挙げ句殺されてしまったが、このようなひどい目に遭い ながらも、亡霊となって現われるときに彼が口にするのは「お主の難病。薬を下され」という、
主君による仇討ちの成就を願った台詞である。この台詞は、死してなお、小平が「忠義」を精 神の基盤としているものと読み取ることができ、封建的価値観において、滅私の精神がいかに 根付いていたかをとらえることができる。
つまり、この場面においては、戸板という視覚的に観客の前に現われる舞台装置の表と裏に 同じ死霊であっても、片や私怨という個に基づいた存在と、封建的な主従関係を仇討ちという 外的要因に基づいて全うしようとする存在とが表裏一体なものとして構造化されているのであ る。こうした構造は、2−1、2でとらえられているようにあくまでも生を願っていたお岩と、
主従関係の忠義を全うするためなら死をも受け入れる小平、あるいは伊右衛門の台詞にもある
ように「さすがは女、まだ浮かまぬか
9。」というような女性の執念深さと、何よりも忠義を行 動の指針とする男性的な大義名分とが視覚的な戸板一枚の表裏として描き出されているのであ る。
この場面で戸板は、伊右衛門の前に現われて来るのであるが、それではこの場合、戸板と伊 右衛門の関係はどのように構造化されているのだろうか。ここで現われて来る戸板を、「お化 けが現われる」といったことではなく、伊右衛門の前に立ちはだかる、個と封建的価値観とが 表裏一体となったものととらえてみると、この局面において伊右衛門は、個と大義名分という 矛盾と直面することになる。この時、伊右衛門の両者への対立のしかたは異なっている。お岩 の死骸に対して伊右衛門は菰をかけ、「このまゝ川へつき出したら、鳶や烏の。◯
10」と言い ながら戸板をめくる。ここでは人間には持って生まれた業があり、鳶や烏につつかれることで、
業を果たして成仏しろと伊右衛門はお岩に言い放つのである。この時、伊右衛門とお岩との関 係は対人間的な関係であるととらえられる。伊右衛門は、私怨に逆上しながら成仏の気配を見 せないお岩を、本来人間の持つ業の尽きぬ存在として扱い、その複雑さと対峙する。しかし、
伊右衛門が戸板を反転させ、小平の死骸に斬りつけたとき、小平の死骸はバラバラと骨になっ て水中へと落ちてしまうのである。こうした表現のうちにとらえることができるのは、お岩の 死骸が持つ、私という人間存在の複雑さ、奥深さ、しぶとさであり、それに対して、小平の死 骸が表わしている、封建的価値観のもろさである。廣末保は、この小平の死骸の解体を、江戸 末期の価値観の崩壊と読み解いている
11。
ここでの「戸板返し」という表現方法は、ある一つのものが文字通り反転することで別の面 を見せること、あるものには矛盾した二つの面があるのだということを戸板の表裏という構造 によって描き出しているのであるが、こうした本来であれば相容れない矛盾したものが混在す るという表現は、この戸板返しのみならず、この作品の中でたえずとらえることができる。例 えば、同じ三幕の中で、伊右衛門の母お熊が、息子にお岩、小平、伊藤家父娘の殺しの嫌疑が かかっているのをごまかし、伊右衛門が死んだことを噂させるために卒塔婆を立てて立ち去る くだりがあるが、その後、伊右衛門が川で鯰を釣り上げ、跳ね回るそれを居合わせた直助が卒 塔婆で押さえつける描写がある。廣末保は、この描写を、「卒塔婆と鯰が出会って作り出すよ うな〈無秩序空間〉
12」、「異質なものが無媒介・非序列的に雑居しあっている不安定でグロテ スクな空間の深さ
13」ととらえている。鯰は釣られてもなお跳ね回る生命力を表し、卒塔婆は 死のイメージを持つ。また、お岩を殺した直後に、隣家の伊藤家から早速祝言を挙げるために 一行が訪れる場面が中幕にある。このように、生と死、葬礼と婚礼という異質な状況が、一つ の場面のうちに視覚的に混在するのが鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の特徴である。
3 木下惠介作『新釋四谷怪談』における解釈
これまで、木下惠介監督の『新釋四谷怪談』は、原典に登場するお岩の亡霊を、伊右衛門が、
お岩殺しに加担してしまったことへの自責の念にかられた末に見る幻覚と合理的に解釈した点 が、近代合理主義的観点からの「新解釈」であるととらえられてきた。こうした、そもそもこ の作品を「お化け話ではない」とする前提に基づき、佐藤忠男はこの作品の表現を、「恐怖劇」
から「純愛のロマンス」への転換の試みと評価し
14、また石原郁子は、「男が弱々しく泣く姿」
の美しさが描かれていることに、歌舞伎の様式的な表現から、映画の現実的な人間洞察の表現
へのドラマツルギーの書き換えがなされている点を評価している
15。
こうした先行研究においては、『新釋四谷怪談』が、原典をどのように翻案しているかとい う点に基づき論考がなされてきた。つまり、原典とどのような点が書き換えられているかとい うことを探る方法で作品が論じられてきたのである。例えば、最近の研究においては、横山泰 子が、佐藤忠男、石原郁子の論点を引き継ぎつつ、この作品に描かれているお岩の人物像が、 「伊 右衛門のことだけをひたすら愛する女」であり、「歌舞伎にはなかった木下流の新しいお岩で ある」ととらえている
16。こうした論考の観点は、原典である『東海道四谷怪談』をストーリー 展開を軸とした物語の型ととらえ、木下惠介作品『新釋四谷怪談』の物語の型と比較するとい うものであったと言えよう。しかし、『東海道四谷怪談』が物語の叙述ばかりでなく、構造化 による表現も読み取ることのできる多義的なテクスト
17であるとする前提に立つとき、木下惠 介の『新釋四谷怪談』も、「純愛悲劇」とは異なったドラマとして読み解くことができるので ある。この点を明らかにするために、 『新釋四谷怪談』に見られる原典との構造の共通点を探っ てみよう。
まずは、『新釋四谷怪談』の全体構造をとらえてみる。この作品は前篇と後篇の二つに分か れており、封切日もそれぞれ異なっている。上映時間については、前篇が一時間二十五分、後 篇が一時間十三分となっている。この二作のストーリーはつながっており、大きく分けると前 篇で伊右衛門と悪党直助によるお岩殺しが、後篇ではその罪を背負った伊右衛門の精神的苦悩 と、直助への社会的制裁が描かれる。
それでは、この前篇・後篇がどのように上映されたか、全体構造をとらえてみよう。まず、
この作品が前篇(七月五日封切)、後篇(七月十六日封切)に分割して上映された点に着目し たい。この場合、後篇の冒頭部分では、前篇の結末部分(お岩殺しの場面)が再び描かれる
18。 この封切りの形態は、原典の初演時の上演形態と極めて酷似している。初演時の『東海道四谷 怪談』のみの上演順序は、全五幕のうち、初日に序幕、中幕、三幕目が、後日(翌日)の冒頭 に再度三幕目の上演に続き、後日序幕、後日中幕というものであった。全体の構成としては、
初日の二幕(序・中幕)において伊右衛門のお岩・小平殺しとそれを発端とするお岩の復讐の 始まりが描かれ、後日には、小平の亡霊が主君に功をなす顛末(後日序幕)と、お岩の亡霊が 蛇山庵室で伊右衛門を追いつめる物語が描かれるという展開になっている。こうした初日と後 日の展開をつなぐのが三幕目の十万坪隠亡堀の場(一幕一場)であり、この幕は初日の最後と 後日(翌日)の最初に、同じ内容が二回上演されているのである。
この三幕目において、中心となる視覚上の構造的表現が、お岩と小平の亡霊が戸板の表裏か ら現われる「戸板返し」であったことは前節で述べたが、この構造的表現を含む第三幕自体が、
初日と後日にわたって二回上演されることにより、その両日の上演をつなぐ「戸板」の機能を 果たしているのである。郡司正勝の注釈によると、この第三幕目を中心として見た場合、構造 上は「戸板に釘付けされた男女の死霊のうち、初日中幕にはお岩の怪談が、後日序幕では小平 の怪談が語られる
19。」ととらえることができ、初日のお岩の私怨と後日の小平の死してなお 主君への忠義に報いようとする精神の描写とを表裏一体化するものとして機能しているのであ る。
こうした原典の全体構造と比較した場合に、『新釋四谷怪談』において原典の第三幕目と同 じ構造としてとらえられるのは、前篇の結末と後篇の冒頭で繰り返して描かれる「お岩殺し」
の場面である。ここでは、直助の奸計により面相の崩れる毒を盛られたお岩を見て動転した伊
右エ門が、これまで躊躇していた死に至る毒薬を飲ませてしまう。お岩が断末魔の叫びを上げ、
修羅場と化している状況の中へ、お岩に恋焦がれている小平が助けに駆けつける。小平は伊右 エ門から斬り殺されてしまうのだが、手負いの小平はなおもお岩の遺体を抱き抱え、外へ連れ 出そうとして息絶える。原典における戸板返しの場と同じく、ここでも中心となっているのは お岩と小平である。この場面には戸板こそ登場しないものの、ここでのお岩と小平との関係は、
戸板の表裏のように矛盾したもの、相反したものとして描かれている。
ここで、この二人の人物関係を確認しておこう。伊右エ門と夫婦となる以前にお岩は水茶屋 女であった。そこでお岩に入れ揚げ、水茶屋に通いつめた小平は、奉公先の金にまで手をつけ、
使い込んでしまった挙げ句、牢屋にまで入ってしまう。直助とともに脱獄した後もお岩の居場 所を探し歩き、ついには、伊右エ門の留守宅にまで押し掛けるほどである。小平のお岩への愛 は、いわば盲愛ともいうべきほどであり、毒薬で面相の変わったお岩に怯むこともなく駆け寄 り、ひたすら介抱しようとする。ここで対照的であるのは、夫である伊右エ門が、お岩の崩れ た顔を見て恐れおののき、ひと思いに殺してしまおうと震える手でさらに毒薬を飲ませてしま う点である。伊右エ門が、水茶屋女から水揚げした頃の妖艶で美しかったお岩の記憶に固執す る一方で、小平は、存在としてのお岩をひたすら愛し抜いているのである。
しかし、こうした小平の思いは、全くお岩に伝わることはない。伊右エ門の留守宅に足しげ く通って来る小平を、お岩は家から叩き出し、雨戸すら閉めてしまう。お岩はひたすら小平を 拒絶し続けるのであるが、その理由は、自分は夫がある身であり、なおかつ、小平という存在 が、水茶屋勤め時代の後ろ暗い過去を思い出させるためというものである。ここでのお岩は、
旧弊な価値観のもとに生きる女性である。水茶屋女から、身分の差を乗り越えて武士の妻となっ たお岩は、そのことによって確かに地を這うような底辺の生活から浮かび上がることができた。
しかし、それは同時に、武士の妻として生きる型に自分を当てはめることであった。
そのため、お岩は周囲の変化を柔軟に受け入れることができない。浪人となった伊右エ門が 日頃の憂さ晴らしに飲み歩くことについても、早く帰って来るようにと小言を言ってしまうの である。そうした態度は、小平に対しても同じである。お岩は、人間として小平の話を聞いて やることすらしない。小平の気持ちを理解した上で、それでも、それに応えることができない と言った対話すらも拒絶するのである。つまり、この作品でのお岩は、たとえ傘張り浪人であっ ても、夫を立て、付き従い、内助の功によって夫を支えることのみを生きる柱とした女性とし て描かれているのである。
前篇の結末部分と、後篇の冒頭で、二度上映される「お岩殺し」の場面は、こうしたお岩の
生き方の堅苦しさが核となって展開されている。伊右エ門は、毒薬によって醜く変貌したお岩
を殺してしまう。前篇においては、伊右エ門の回想によって、夫婦となった頃のお岩の妖艶な
姿が幾度となく思い出されるが、伊右エ門はお岩に理想の美を投影していたのであり、それが
現実のものでなくなった時、伊右エ門はひと思いにそのイメージとの訣別を図るのである。そ
うした状況の中で、小平は、なおもお岩に駆け寄り、思いを貫き通そうとする。しかし、この
修羅場のような状況の中でも、お岩は、伊右エ門の名を呼び続けるのである。こうした前篇で
の悲劇の中心となっているのは、水茶屋女、武士の妻という外的な状況によってしか個を確立
し得なかったお岩の精神の弱さであったと言える。しかし、ここでのこうしたお岩の持つ、前
近代的な価値観は、「戸板返し」の構造によって後篇で反転され、批判的観点からとらえられ
ることになるのである。
前篇と後篇とをつなぐ「お岩殺し」の場面の最後では、お岩と小平の死体から、二つの人魂 が浮かび上がり、飛び去っていく。そして、与茂七とお袖の長屋の戸が強く叩かれ、玄関先ま で出てみたお袖の目の前で戸がすっと開き、また閉じるという怪事件が起きるところでこの場 面が終わる。この終盤の描写については、これまで特に論評されては来なかったが、この描写 は、原典の中幕でのお岩殺しの場面の最後と酷似しているものであり、映画化にあたって意図 的に映像化されている箇所と言えるだろう。人魂となって飛び去り、お袖の家の戸口に姿なき お岩が現われるという描写は、前篇でのお岩の物語が終わり、後篇でのお袖の物語が始まるこ とを暗示する。ここでは、もはやお岩の姿が映像としては現われないことにも着目しておきた い。
後篇での中心人物であるお袖は、お岩の妹であり、染物屋を営む与茂七と所帯を持っている。
後篇は、お袖が、姉お岩の身に何か起きたのではないかと察して、伊右エ門宅を訪れるところ から始まるが、二人の姿はない。そこで、お袖は、姉の失踪の真相を確かめるべく、目明かし の親分に捜査を依頼する。隠亡堀に、戸板に打ち付けられた男女の死体が上がり、姉に贈った はずの着物が古道具屋に売られているのを見つけ、目明かしとともに伊右エ門宅の空き家で殺 しの痕跡を見つけるに至り、お袖は、姉が伊右エ門によって殺されたことを確信する。一方で 直助は、お袖が目明かしとともにお岩の死の真相を調べていることを警戒し、これ以上の捜査 はやめるよう脅迫するが、お袖はそれに動ずることなく、啖呵をきって直助を追い払ってしま う。さらには、伊右エ門に姉の死の真相を問いつめるべく、お岩に贈った着物を身に着け、伊 右エ門の蟄居する一文字屋別宅の深川寮へと乗り込んでいくのである。
このようにお袖は、自らの信念を持ち、自らの意思によって行動する活動的な女性として描 かれている。旧弊な価値観のもとに、立場に当てはめた自己形成を図ろうとしたお岩とは対照 的に、お袖は男女という性差を超え、人間として良識ある行動をとるべく自ら判断し、事を起 こしていく。
このように後篇では、お袖によってお岩・小平殺しの真相が明らかにされ、それによって伊 右エ門と直助が精神的にも現実的にも追いつめられていく展開が描かれていくが、ここで注意 しておきたいのは、お袖が、それを復讐として行なっているのではない点である。お袖は、旧 弊な価値観のもとにしか生きられなかった姉お岩に同情を寄せるが、姉を殺した伊右エ門を敵 として狙うことはない。彼女が望むのは目明かしによる真相の解明であり、罪を犯した犯人が 社会的制度によって裁きを受けることである。
ここで、この『新釋四谷怪談』の中で、お岩の役、お袖の役の二役を、田中絹代が一人二役 で演じていることに着目してみたい。原典においては、お岩・与茂七・小平は、三世尾上菊五 郎によって三役が演じられたが、お袖は岩井粂三郎が一人で一役を演じており、お岩とお袖を 一人の役者が演じることは上演の慣例とはなっていない。また、これまでとらえてきたように、
『新釋四谷怪談』においては、お岩とお袖は、全く気質の異なる女性像として描かれているため、
一人二役で演じるべき理由は見当たらない。しかし、今一度、この作品の全体の構造を、中間 部分での「戸板返し」を中心にとらえてみる時、お岩とお袖が「同じ顔をしていること」の意 味が浮かび上がってくる。
原典での「戸板返し」は、一枚の戸板に私(個)と封建的精神とが表裏一体となる構造を視 覚的に表わすものであり、かつ、その場面を含む第三幕自体が、お岩の怪談から小平の怪談、
つまり女性の怪談から男性の怪談への転換点として、機能していた。こうした「戸板返し」の
構造に基づいてみると、『新釋四谷怪談』においては、前篇で、旧弊な価値観を持つお岩が与 えられた状況にのみ固執しようとすることから生じた悲劇が描かれ、中盤のお岩殺しの場面に おいてその悲劇が妹のお袖に手渡されることになり、後篇では、その悲劇を、自らの意志によっ て活動する、つまりは主体的な自我を持ったお袖が社会正義に照らして批判し、その真相を明 らかにするのである。このようにとらえてみると、中盤の「戸板返し」にあたる部分で描かれ ているのが、「お岩・小平殺し」という犯罪であることがわかる。つまり、前篇のお岩の生き 方を軸とした場合には、この「お岩殺し」の場面は悲劇的結末としてとらえられるが、後篇の お袖の主体的な行動によって、この「お岩殺し」の場面は、真相を暴かれ、社会的制裁を加え られるべき罪として白日のもとに晒されることになるのである。そして、このような展開にお いてお岩とお袖は、田中絹代によって二役が演じられることになる。この一人二役によって前 篇のお岩と後篇のお袖が、田中絹代という一人の女優を通して表裏一体なものとして示される のである。
4 木下惠介による前近代性の批判
木下惠介の『新釋四谷怪談』においては、前篇で「古い型」の女性であるお岩の前近代的女 性像が、そして後篇では、社会的正義に基づき、自らの意志を持ちつつ主体的に行動する妹お 袖の近代的女性像が、田中絹代という一人の女優によって二役で演じられていた。原典の『東 海道四谷怪談』においては、お岩と小平を三世尾上菊五郎が二役で演じることにより、第三幕 目の「戸板返し」の場面が、女の亡霊(お岩)の物語から男の亡霊(小平)の物語への転換点 として位置付けられていた。それに対して木下惠介の『新釋四谷怪談』においては、前篇の結 末と後篇の冒頭で繰り返して描かれる「お岩殺し」の場面が、旧弊な生き方に固執するお岩の 物語から、主体的な生き方を実践するお袖の物語へと転換するための機能を果たしていた。
この構造化をドラマツルギーとしてとらえてみると、次のように考えることができる。前篇 でのお岩の生き方を軸としてとらえてみると、 「お岩殺し」というのはその悲劇的な結末であり、
お岩を中心とした伊右エ門、小平のそれぞれの思惑が錯綜し、交わることのなかった果ての結 果である。しかし、この「お岩殺し」の場面は、後篇においては、妹のお袖が主体的な行動を 発動するための契機となっているのである。後篇においてお袖は、姉の非業の死に対して、お 岩と同じ観点から挑むのではなく、その死が犯罪の結果であると合理的に解釈し、その犯人を 社会的制裁によって追いつめようと奔走するのである。つまり、この作品においては、「お岩 殺し」の場面が戸板となり、前近代的なお岩の持つ精神性と近代的なお袖の持つ精神性とが対 置される構造となっているのである。
このような、女性の生き方に焦点を当てた対置構造は、木下惠介が、南北の原典と同じ構造 を用いながらも、原典に対して現代的批判を加えている点と言ってよい。南北の原典において は、女性は常に被虐的立場にあるものとして描かれている。廣末保、小林恭二の解釈において は、それゆえお岩が、男性であり強力な悪である伊右衛門と拮抗するほどの力強さを持つため には、か細い幽霊から祟りなす化け物へと転身を図らねばならなかったととらえられている。
原典において、こうした女性の持つ被虐的な無力さが読み取れるのが、お岩とお袖の姉妹が、
父四谷左門、お袖の許嫁与茂七の死体と対面する場面であろう。ここでは、姉妹が互いに生き
る支えを失って絶望してしまい、自害を図ろうとする。しかし、そこに現われた伊右衛門と直
助の仇討ちの申し出に、しぶしぶながらそれぞれが仮の夫婦となって、事の成り行きを見届け ようとするのである。つまり、原典においては、女性が殺人事件に直面した場合には、絶望ゆ えの自害か、あるいは男性への仇討ちの依頼かどちらかの選択を迫られるのである。
こうした原典の女性観を、木下惠介は、お袖を近代的女性として描くことで反転させている。
後篇でのお袖は、姉の死を契機として、自らの力で行動する女性となる。彼女が手を借りるの は男性ではなく、目明かしという社会的制度である。そして、その行動により明らかになって 来るものは、伊右エ門すなわち男性にひたすら頼っていたお岩の生き方が、いかにひ弱なもの であったかという点である。このことにより、お袖の行動は、お岩の旧弊な生き方を映し出す 鏡となるのである。木下惠介の『新釋四谷怪談』は、後篇において、お岩の亡霊が伊右エ門に 祟りをなす物語から伊右エ門が良心の呵責ゆえにノイローゼとなり、お岩の幻覚に苦悩する物 語へと書き換えられた点が、伊右エ門の内面に焦点を当てた原典の近代的解釈であるとこれま ではとらえられてきたが、作品構造に着目してみると、この作品が、原典の戸板返しの構造を 引き継ぎながらも、さらに原典に対しての近代的観点からの批判もまた行なっていることがと らえられるのである。
しかしながら、この『新釋四谷怪談』においては、同作品台本の巻頭に所収されている「製 作意図」に明記されているように、原典の「不必要に誇張されたグロテスク味と惨忍性
20」が 意図的に洗い落とされているという点もとらえることができる。『新釋四谷怪談』においては 伊右エ門が、直助の奸計により口車に乗せられ、お岩殺しに加担していくように、この作品に おいての悪の根源は直助である。そして、その悪事により、後篇において伊右エ門は、良心の 呵責にさいなまれ、直助は目明かしの捜査によって獄門が迫ってくることに脅えるのである。
つまり、この作品においての「悪」とは、社会的秩序によって制圧されるべき存在であり、人 間本来の姿を善としてとらえた場合の歪みとして批判されているのである。
しかし、南北の『東海道四谷怪談』においては、そもそも人間とは善と悪の表裏一体の自己 矛盾を抱える存在であり、それが互いに相関し合うことで常に価値の逆転する複雑なドラマが 描かれている。それでは、南北の描いた「悪」とは四谷怪談映画作品においてはどのように描 かれてきたのか。この問題については、今後の研究の課題である。
付記
本稿での鶴屋南北『東海道四谷怪談』の引用については、郡司正勝校注『新潮日本古典集成』(新潮社、1981 年)版(白藤本)を使用した。また、木下惠介作品『新釋四谷怪談』台本現物(早稲田大学演劇博物館所蔵)
からの引用については、筆記によって書写したものを使用した。
表記については、鶴屋南北作の原典を指す場合には『東海道四谷怪談』とし、一般的認識を指す場合には「四 谷怪談」とした。また、作品ごとに異同のある役名の表記については、各作品ごとの表記を適用した。監督名 の表記については、作品のクレジットタイトルでの表記を適用した。
参考資料 戦後の『東海道四谷怪談』映画化作品一覧
木下惠介『新釋四谷怪談前篇・後篇』(松竹京都撮影所、1949 年)
毛利正樹『四谷怪談』(新東宝、1957 年)
三隅研次『四谷怪談』(大映京都、1959 年)
中川信夫『東海道四谷怪談』(新東宝、1959 年)
加藤泰『怪談お岩の亡霊』(東映京都、1961 年)
豊田四郎『四谷怪談』(東京映画、1965 年)
森一生『四谷怪談 お岩の亡霊』(大映京都、1969 年)
蜷川幸雄『魔性の夏 四谷怪談より』(松竹、1981 年)
深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(松竹、1994 年)
註
1 戦前の作品については、横山泰子「四谷怪談のお岩たち|歌舞伎と別れ、別の女へ」(内山一樹編『怪奇と 幻想の回路』森話社、2008 年、148 〜 149 頁)参照。戦後の作品については本稿参考資料参照。
2 小林恭二『新釈四谷怪談』集英社新書、2008 年。
3 『伊豆の踊子』は西河克己監督で二度映画化されているが、ここでは 1974 年東宝=ホリ企画製作版『伊豆 の踊子』を指す。
4 『新釋四谷怪談前篇』(製作 小倉浩一郎、脚本 久板英二郎、監督 木下惠介、松竹京都撮影所、1949 年 7 月 5 日封切)、『新釋四谷怪談後篇』(製作 小倉浩一郎、脚本 久板英二郎、監督 木下惠介、松竹京都 撮影所、1949 年 7 月 16 日封切)
5 Web 上のブックレビュー(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0949.html)
6 イシス編集学校編『物語編集力』ダイヤモンド社、2008 年、80 頁。
7 郡司正勝校注『新潮日本古典集成』(新潮社、1981 年、223 頁)。
8 同上書、223 頁。
9 同上書、223 頁。
10 同上書、223 頁。なお、伊原本(河竹繁俊校訂岩波文庫版)ではこの後に「業が尽きたら仏になれ」と続く。
11 廣末保『四谷怪談 悪意と笑い』(岩波書店、1993 年、173 頁)。
12 同上書、19 頁。
13 同上書、19 頁。
14 佐藤忠男『木下恵介の映画』芳賀書店、1984 年。
15 石原郁子『異才の人、木下惠介』パンドラ、1999 年。
16 前掲論文、「四谷怪談のお岩たち」、160 頁。
17 廣末保、前掲書、65 頁。「筋はこの場合、その拡散的な断片を、整序化された単一な集合体へと収斂され ていくような筋ではない。むしろ筋は、猥雑・無秩序な絵模様のなかに織り込まれていく。織り込まれる ことによって、物語そのものも、崩壊期の猥雑・無秩序なエネルギーに対応しうるような物語になる。」
18 この後篇の冒頭部分については、前篇のストーリー紹介のために編集されたダイジェストではなく、前篇 の結末部分がそのまま挿入されている点に注意されたい。つまり、前篇を鑑賞した観客が、後日に後篇も 鑑賞した場合、前篇の結末部分を二度見ることになる。
19 前掲書、『新潮日本古典集成』、229 頁、頭注の五。
20 『新釋四谷怪談』台本現物(早稲田大学演劇博物館所蔵)所収の製作意図より。