『 徒然草』における漢籍受容の方法 ―『白氏文集』の場合― 黄 コウ 昱
イク
一、はじめに 『 徒 然 草 』 第 十 三 段 に、 「 文 は、 文 選 の あ は れ な る 巻 々、 白 氏 文 集、 老 子 の こ と ば、 南 華 の 篇。 こ の 国 の 博 士 ど も の書ける物も、 いにしへのは、 あはれなる事多かり」 と述べられるように、 兼好法師は 『文選』 『白氏文集』 『老子』 『荘 子 』 を 漢 籍 の 代 表 と し て あ げ て い る。 『 徒 然 草 』 に 見 ら れ る『 白 氏 文 集 』 の 影 響 の 大 き さ に つ い て は す で に い く つ か の先行研究があるが、その受容の実態についてはまだ諸説あり、未だ定説を見ない。 早くに、 久保田淳氏、 川口久雄氏
①は、 『徒然草』に引用された『白氏文集』の詩句の多くは『和漢朗詠集』や『千 載 佳 句 』『 源 氏 物 語 』 な ど の 先 行 古 典 作 品 に 見 ら れ る も の で あ り、 直 接 に 出 典 を『 文 集 』 に 仰 ぐ か ど う か を 疑 問 と し た。 ま た 同 時 に、 久 保 田 氏 は「 兼 好 の 教 養 を 考 え れ ば、 直 接「 文 集 」 か ら 出 た 表 現 が 多 い の で は な い か 」 と、 兼 好 の 漢 学 教 養 を 考 慮 し た 考 え 方 を 示 し て い る が、 戸 谷 三 都 江 氏、 金 文 峰 氏
②は、 久 保 田 氏 の 示 し た 後 者 の 考 え を 進 め、 『徒然草』の『文集』の受容は詩句の引用に止まらず、 章段全体の主題や構想までその影響が見られると、 『白氏文集』 の直接な影響を大いに想定している。 村 上 美 登 志 氏
③は『 徒 然 草 』 の 漢 籍 受 容 に 中 世 の 和 製 類 書 を 中 間 に 置 い た も の が 多 々 見 ら れ る こ と を 指 摘 し た。 こ れ ら 中 世 に 成 立 し た 和 製 類 書 に も『 白 氏 文 集 』 が 取 り 上 げ ら れ て お り、 『 徒 然 草 』 が 受 容 し た『 文 集 』 の 文 章 と 重 な る 部 分 が 三 箇 所 確 認 で き る。 『 徒 然 草 』 の『 白 氏 文 集 』 受 容 を 考 え る 上 に は 重 要 な 指 摘 で あ る が、 後 述 す る よ う に、
『徒然草』には、 明らかに『白氏文集』を受容したと認められる部分が二一箇所あり、 『白氏文集』の受容に関しては、 原典或いは別の受容媒体を考慮に入れて考える必要がある。 こ れ ら の 先 行 研 究 は 『 徒 然 草 』 が 直 接 に 『 白 氏 文 集 』 を 受 容 し た か 否 か に 焦 点 を 当 て た も の で 、 典 拠 を 洗 い 出 し た 基 礎 的 な 研 究 と し て 有 益 で は あ る が 、『 徒 然 草 』 に お け る 『 白 氏 文 集 』 受 容 に 関 し て 、 部 分 的 な 引 用 、 或 い は 全 体 の 構 想 に 関 わ る 引 用 と の 区 別 を 考 え る だ け で は 、『 徒 然 草 』 が 『 白 氏 文 集 』 の 受 容 を 通 し て 獲 得 し た 表 現 効 果 な ど 、 そ の 受 容 の 方 法 を 全 面 的 に 把 握 で き な い 恐 れ が あ る 。 さ ら に 、『 徒 然 草 』 の 『 白 氏 文 集 』 受 容 を 考 え る 時 、『 源 氏 物 語 』 は 重 要 な 中 間 的 媒 体 と な る が 、『 徒 然 草 』 の 『 源 氏 物 語 』 受 容 に つ い て 、 稲 田 利 徳 氏 が 「 自 己 の 関 心 の あ る 体 験 を 、 生 活 次 元 の 生 の ま ま の 描 写 せ ず 、 そ の 対 象 を 一 度 、 自 己 の 美 的 理 念 、 思 想 、 あ る い は 古 典 文 学 の 世 界 を 通 過 さ せ て 、 再 創 造 を 試 み る や り か た で あ る 」
④、「 「 源 氏 」 の 珍 し い 語 句 や 印 象 鮮 明 な 場 面 を 借 用 し な が ら 、 そ れ か ら 少 し 離 陸 し 、 兼 好 な り の 新 し い 美 意 識 や 場 面 状 況 、 人 物 造 形 を 目 論 ん で い た の で は な か ろ う か 」
⑤と 指 摘 さ れ た よ う に 、 兼 好 が 先 行 の 古 典 作 品 を 受 容 す る 時 、 独 自 性 を 持 つ 文 章 表 現 を 目 指 す 意 匠 が 見 ら れ る 。『 徒 然 草 』 の 『 白 氏 文 集 』 受 容 も 、 そ の 典 拠 や 中 間 的 資 料 を 特 定 す る の が 難 し い ほ ど 、 こ な れ た 引 用 方 法 を し て い る 。 そ こ で、 本 発 表 は『 徒 然 草 』 に お け る『 白 氏 文 集 』 の 受 容 例 を 指 摘 し た こ れ ら の 先 行 研 究 の 例 を 改 め て 検 討 し、 その受容の方法と表現効果について考えたい。兼好が『千載佳句』 『和漢朗詠集』の秀句撰や、 『源氏物語』 『枕草子』 などの王朝文学、 「文集百首」など和歌の世界を経由して『白氏文集』を摂取した具体的な方法とその作意を考察し、 『徒然草』はこれらの中間的媒体を通して『白氏文集』を理解している傾向を分析する。
二、先行古典作品を中間媒体としての受容方法 『徒然草』に『白氏文集』を受容したと思われる部分は次の二十一箇所である。 第 七 段、 第 八 段( 二 箇 所 )、 第 十 九 段( 二 箇 所 )、 第 二 十 九 段、 第 三 十 段、 第 三 十 八 段( 三 箇 所 )、 第 四 十 一 段、 第 四 十 三 段、 第 五 十 四 段( 二 箇 所 )、 第 百 五 段、 第 百 三 十 七 段、 第 百 四 十 二 段、 第 百 七 十 二 段、 第 百 七 十 四 段、 第 百八十八段、第二百三十五段の十六章段。 そ の 内 容 を 見 る と、 諷 喩 詩( 巻 一 ~ 巻 四 ) が 九 首、 感 傷 詩( 巻 九 ~ 巻 十 二 ) が 一 首、 律 詩( 巻 十 四 ~ 巻 二 十・ 巻 五十一~巻七十一)が十一首であり、 閑適詩(巻五~巻八)の受容は見られない。これらの例の中には、 第七段「夕 の陽に子孫を愛して」というように、 『白氏文集』の詩句「夕陽愛子孫」を訓読した形で取り入れた場合もあり、 『白 氏 文 集 』 の 中 で も 広 く 親 し ま れ る「 上 陽 白 髪 人 」 の 一 句「 秋 夜 長、 夜 長 無 寐 天 不 明 」 を 第 二 十 九 段「 人 し づ ま り て 後、 長き夜のすさびに」に取り込むように、 一見して『白氏文集』の文章が直接の典拠だとは気づかれないほど『文 集 』 の 漢 詩 文 を 和 文 化 し て 文 章 を 綴 っ た 場 合 も あ る。 こ う し た 例 は、 前 述 す る 久 保 田 淳 氏( 一 九 七 〇 )、 川 口 久 雄 氏 ( 一 九 七 四 ) が『 徒 然 草 』 の『 白 氏 文 集 』 の 直 接 的 な 受 容 を 疑 問 視 す る よ う に、 そ の ほ と ん ど が『 源 氏 物 語 』 や『 和 漢 朗 詠 集 』 な ど の 先 行 古 典 作 品 に 見 え る も の で あ る。 つ ま り、 第 七 段・ 第 二 十 九 段 の 例 は 先 行 す る 古 典 作 品 を 経 由 し て『 文 集 』 を 典 拠 と す る 表 現 を 受 容 し た 可 能 性 が 高 い。 本 章 は ま ず、 前 述 し た 金 文 峰 氏( 二 〇 〇 一 ) の 論 文 を 踏 ま え、 中 間 的 媒 体 と 関 わ ら せ な が ら、 『 徒 然 草 』 が 受 容 し た『 白 氏 文 集 』 の 例 を 考 察 し た い。 そ の 受 容 の 主 な 中 間 的 媒体は 『千載佳句』 『和漢朗詠集』 といった秀句撰 ・『源氏物語』 ・『文集百首』 などの和歌との三つの節に分けて考える。
(一) 『千載佳句』 『和漢朗詠集』などの秀句撰の場合 先に示した 『白氏文集』 の影響が指摘できる二十一箇所のうち、 『千載佳句』 に取られた詩句は九箇所、 『和漢朗詠集』
に取られた詩句は十二箇所見られる。 『徒然草』 の『文集』 受容を考える際には、 こういう秀句撰の影響は看過できない。
⑴ 匂 ひ な ど は 仮 の も の な る に、 し ば ら く 衣 裳 に 薫 物 す と 知 り な が ら 、 え な ら ぬ 匂 ひ に は、 必 ず 心 と き め き す る ものなり。 (『徒然草』第八段) 為
レ君薫
二衣裳
一、君聞
二蘭麝
一不
二馨香
一。為
レ君盛
二容飾
一、君看
二金翠
一無
二顏色
一。( 『白氏文集』巻三 ・ 諷喩三「新 楽府・太行路 0134 」) 為
レ君薫
二衣裳
一、君聞
二蘭麝
一不
二馨─香
一。為
レ君事
二容餝
一、君見
二金翠
一無
二顏色
一。( 『和漢朗詠集』巻下・恋・
778 )
『 徒 然 草 』 第 八 段 は 人 の 心 を 惑 わ す 色 欲 に つ い て 説 い た 章 段 で あ る 。 匂 い は 一 時 的 な も の と 知 り な が ら 、 思 わ ず 魅 力 さ れ る 人 間 の 愚 か さ を 描 く 時 、「 し ば ら く 衣 裳 に 薫 物 す と 知 り な が ら 」 と い う 表 現 を 用 い た 。 こ れ は 『 徒 然 草 』 最 古 の 注 釈 書 『 寿 命 院 抄 』 か ら 指 摘 さ れ て き た よ う に 、『 白 氏 文 集 』「 新 楽 府 ・ 太 行 路 」 の 一 句 「 為
レ君 薫
二衣 裳
一」 を 踏 ま え て い る 。『 文 集 』 の 中 で も 新 楽 府 は 平 安 時 代 か ら と く に 愛 好 さ れ た 部 分 で 、 こ の 詩 句 は 『 和 漢 朗 詠 集 』 に も 採 ら れ て
⑥、 人 口 に 膾 炙 し た も の と 思 わ れ る 。 た だ し 、「 太 行 路 」 は 「 借
二夫 婦
一以 諷
二君 臣 之 不
一レ終 也 」 と 題 目 の 注 に あ る よ う に 、 本 来 的 に は 夫 婦 の こ と 以 て 人 の 定 ま ら な い 心 、 そ し て 君 臣 の 関 係 を 諷 喩 し た 詩 で あ る が 、『 徒 然 草 』 は そ の 中 の 、「 為
レ君 薫
二衣 裳
一、 君 聞
二蘭 麝
一不
二馨 香
一」、 君 の た め に 衣 装 に 香 を た き し め て も 、 愛 情 が 薄 く な っ た 君 が こ の 蘭 麝 の 匂 い を よ い 香 り と し な い と い う 部 分 だ け を 借 用 し 、 白 詩 の 意 味 と は 逆 に 、 衣 服 の よ い 匂 い に 惑 わ さ れ る 愚 か な 人 間 を 描 い て い る 。 こ れ は 、 白 詩 の 本 意 、 さ ら に 、『 和 漢 朗 詠 集 』 の 句 の 意 味 と も か け 離 れ た 使 い 方 で あ る と 言 え よ う 。
⑵「 も の の あ は れ は 秋 こ そ ま さ れ 」 と、 人 ご と に 言 ふ め れ ど、 そ れ も さ る も の に て、 い ま 一 き は 心 も 浮 き た つ ものは、春のけしきにこそあめれ。 (『徒然草』第十九段) 黄 昏 獨 立 佛 堂 前、 満
レ地 槐 花 滿
レ樹 蝉。 大 抵 四 時 心 揔 苦、 就 中 腸 断 是 秋 天 。( 『 白 氏 文 集 』 巻 十 四・ 律 詩「 暮 立 0790 」) 大底四時心惣苦、就中腸断是秋天 。( 『千載佳句』巻上・秋興・ 177 ) 大底四時心惣苦、就中腸断是秋天 。( 『和漢朗詠集』巻上・秋興・ 223 )
『徒然草』第十九段は四季の風物についての随想を述べた章段である。その美意識は和歌や、 『源氏物語』 『枕草子』 な ど の 王 朝 文 学 の 流 れ を 汲 む も の で あ る が
⑦、 傍 線 部 の「 も の の あ は れ は 秋 こ そ ま さ れ 」 と い う 部 分 に つ い て、 『 野 槌』 などの古注は 『白氏文集』 「暮に立つ」 を典故として指摘した。この白詩は 『千載佳句』 『和漢朗詠集』 『源氏物語』 に も 採 ら れ て、 著 名 な 詩 句 で あ る が、 現 代 の『 徒 然 草 』 の 諸 注 に も 指 摘 さ れ る よ う に、 秋 は も の の 哀 れ を 感 じ や す い季節という美意識は、 『古今和歌集』に収められた「いつはとは時はわかねど秋のよぞ物思ふ事のかぎりなりける」 ( 巻 四・ 秋 歌 上 189 ) に 見 ら れ、 和 歌 の 世 界 で も 好 ま れ た 意 趣 で あ る。 注 意 さ れ る の は、 白 詩 は「 苦 」「 腸 断 」 と い う 言 葉 を 用 い て、 秋 の 悲 し い 気 持 ち を 詠 む が、 『 千 載 佳 句 』、 『 和 漢 朗 詠 集 』 は こ の 句 を「 秋 興 」 に 配 置 し て い る。 古 注 で は、 書 陵 部 本『 朗 詠 抄 』( 書 陵 部 本 系 甲 本 ) に「 大 底 四 ―、 此 モ、 遊 覧 ノ 詩 也。 四 季 ニ 随 テ、 心 ヲ 慰 ム ル コ ト、 取 リ〳 〵也。 (中略)取分、 秋ハ興勝リ」と注を付しており、 『和漢朗詠集仮名注』 (書陵部本系乙本)に「惣題
ニ合セ
ハ、 春
ハ花
ニ苦
ロノ心、 夏
ハ郭 公
ヲ待
ノ心、 冬
ハ雪
ニ乗
シテ、 何
レモ面 白
キコ ト ア レ ト モ、 取
リ分、 秋
ノ天
ニ、 秋 風
ノ落 葉
ニ昆
シテ、 管 弦
ヲ