今昔物語集天竺部の引用構造
山口康
子
今昔物語集は釈迦の閻浮提下生から浬架に至る佛伝を日本で
初めて記述し︑天竺震旦本朝三国における佛法の創始・伝播・普
及を物語る壮大な佛教伝来史の構想を持っている︒これは近年諸説ひとしく認めるところであり︑従来看過されがちであった天竺
部を見直し全三十一巻を総合的に把握しようとする試みが様々に ︵1︶なされている︒ところでその構想は一千余の小話の集積の形で
具現化され︑時に例外的に長大な説話・短小な説話もみられるも
のの︑各説話の長さは大むね均等である︒この事実から︑今昔物
語集が単に佛教史料としての︑もしくは文学作品としての全的構
想よりも一話一話の独立性を優先させ︑あくまでも﹁語り﹂の場 ︵2︶を想定した筆作ではないかと考えさせられる︒とすれば︑その
﹁語りトの意識は文章表現上に何らかの影をおとさずにはいない
だろう︒ 説話とはまことに雑多なものである︒今昔物語集を一読すれば
これらの話が一つの﹁集﹂としてまとめられている事実に驚きを
感じる︒そうしてみると﹁今布陣﹂と語り出し︑ ﹁ートナム語
り伝ヘタルトヤ﹂と語り納めることによってすべての説話をひとしく囲いこみ︑これら雑多な内容を一つの形にまとめあげ一体感
を与える方法を案出した今昔物語集の編者︵筆者︶はなみなみな らぬ文才の持主といえる︒春日和男博士の説かれるところの説話 ︵3︶構文は︑平安期の物語の手法でもあったようで実際﹃竹取物語﹄以下に種々散見するが︑ ﹃霊異記﹄ ﹃日本感喜録﹄ ﹃三宝絵詞﹄﹃日本往生極楽記﹄など先行の諸佛教説話集はいずれもこのよう
な宰取りを行なっていない︒この囲いこみの手法を説話集に応用し︑一千余話を一括︑一つの構想のもとにまとめあげてしまうと
いうのは︑まことにユニークな今昔物語集の独創といえよう︒
ところで︑説話冒頭の﹁今ハ昔﹂は末尾の﹁トナム語り伝ヘタ
ルトヤ﹂に係るものであることは春日和男博士の精密なご論考で
明らかである︒従って﹁今ハ昔ートナム語り伝ヘタルトヤ﹂で囲 ︵3︶いこまれた説話本体は構文上一語相当のものであり︑囲いこまれ た各々の説話がいかに複雑長大なものであろうとも︑結局ト助詞
で受ける一語の体言相当のものになってしまう︒今昔物語集の各
説話は構文上基本的には一文相当と考えなければならない︒極あ
つきの長文がそこに出現しているわけである︒
そして囲いこまれた説話本体はいずれも﹁語り伝ヘタ﹂という
形で記載されている︒多くの説話が幾多の語りの場を経てここに
あるという形式で文字化されているのである︒実際に各説話が
﹁語り﹂の場を経ているか否かよりも︑むしろそれらを﹁語り伝
ヘタ﹂ものとして定着させようとする姿勢にこそ注目しなければ
今昔物語集沃竺部の引用構造︵山口︶
養崎太学教育学部人文科学研究報告 第三十二号
ならない︒
一長大な一語相当の説話本体の内部は︑実質的には︑当然一文で ︵4︶さえない︒今昔物語集の文章の特徴を短文とみるのが定説であり︑
確かに短文連続もめだつが︑その中に直接話法会話文あり心中言
あり︑経文・偶文の引用ありで︑種々の引用文がいわば二重の囲い
こみとでもいう形で地の文の中に嵌めこまれている︒天竺部の文
体は震旦部と一括して漢文訓読的な色合いの濃い部分とされ︑本
朝部の和文体と比するのが一般である︒大局的にはそうであるに
せよ︑一説話一文相当の構文的特色のもとにまとあられている各
説話であるから︑各説話の内部の文章構造を︑あたかも一文の構
成要素とその相互の関係を検討するように︑具体的実際的に検討
する必要があろう︒本稿ではその構成要素の一つとして会話文や
心中言の引用の仕方︑引用文の位置づけ方︑ここでいう引用構造
を手がかりにしてその文章構造の一端を検討してみたい︒︑一文相当の各説話の内部の引用構造の︑天竺部における実態を
知る事が本稿の主なる目的である︒実態を承知した上でその根源
を出典文献に求めるか否かという次の問題に逢着する︒天竺部説
話は何らかの形で文献に依拠せざるを得ないが昨今の出典研究の
進歩がその様相をあきらかにしつつある︒天竺部出典として経典
からの直接翻訳ではなくすでに和文化された幻の資料を想定する ︵5︶見方もあるが︑直接にせよ間接にせよ根元的には漢文体の文章が
源になったことであろう︒本稿では今昔物語集という姿で顕現し
ている文章体の内部構造自体の分析を目的とするため︑出曲ハ文献
との文章上の対比は行なわないものとする︒
二
=ハ
訳
内
文 の
用
引エ
表 三皇の引用文の内訳と比率を表1に示す︒巻一から豊里までの総 引用文の中では︑天竺部においては①会話文が圧倒的に多い︒ につきる︒ 合は②とする︒天竺部における引用文はすべてこの①②の二種類 正夢などについても人に語っている場合は①︑心中に想起する場 寵せられるか心中に念じられるかで右の①②のいずれかに入る︒ して紀文の引用や﹁南元佛﹂などの称名があるが︑これも口頭に 引用されていることばは地の文として扱う︒やや異質の会話文と わせて﹁引用文﹂と呼ぶ︒間接話法で地の文の位相に置き換えて 地の文の中に引用されている①直接話法会話文と②心中言とを合
に中数心率文る比回すの引対言
言
中
心 数 話
会
文数
開
弓
11 P4 Q5 P1 X4 11
P1X1720
47 R2 Q6 U4 V1 76
S7 T5 P0 U8
3 9臼 9臼 り0 9臼
23 V9 W1 V4 R9
4凸 2 2 3 3
噌⊥ 2 00 4占 5巻巻巻巻巻
14 15 40
56 2
96 14
16 計
引用文数は計一六九六例を数える
が︑うち心中言計二四〇例︑直接
話法会話文︵以下﹁会話文﹂と略
す︶と心中言との比率は約六対一
である︒ 表1にみるとおり︑引用文の中
に心中言の占める比率は︑巻一・
二が同じくらいで約一割程度︑専
有がやや低く︑巻四・巻五が高い
が︑最も比率の高い巻五でも引用
文の二割程度である︒一体に天竺
部では②心中言が記述されること
が少ない︒この事実も注目すべき
事象であるが他の部と比較しては
じめて意味のあることでもあり︑本稿では深くは触れない︒
これらの引用文が︑﹁文相当の一説話の中にどのようにちりば
あられ︑各説話にどのような表現効果を与えているか︑それは
﹁語り﹂という観点からみるとき何を物語っているか︑以下検討
する︒テキストには﹃日本古典文学大系本﹄ ︵岩波︶eを用い︑
引用文の認定もおおむね底本に従うが若干私見によって読みをか
えた︒ 天竺部一〜五︑計五巻︑一八七話のうち︑巻一第二十語︵一一
20ニ略記する場合がある︒以下同じ︒︶︑巻一第二十四語の計こ話
は題名のみあって本文を欠く︒従って以下の考察は実質的には計
一八五話を対象にすることになる︒
一文相当の一説話の中のどこに引用文が出現するかを示すため
に各説話の冒頭から順次文番号を付した︒ ﹁今ハ昔﹂という冒頭
語は︐形式的には含むね事件の時や場所︑登場人物を紹介する説話
本体の最初の一文として結ばれる︒ ﹁今昔︑釈迦如来︑未ダ佛二
不成給ザリケル時ハ釈迦菩薩ト申テ兜率天ノ内院ト寓所ニゾ住給
ケル︒﹂︵一i1︶︑﹁今昔︑天竺ノ砒舎離城ノ中二浄名居士ト申ス
翁在マシケリ︒﹂︵三i一︶という具合である︒又末尾の﹁トナム
語り伝ヘタルトヤ﹂は︑同じく説話本体の末尾の一文と形式的に
結び合わされている︒ ﹁婆羅門︑大王及ビ夫人ノ施シ給フ所ノ宝
ヲ受畢テ帰去ニケリトナム語り伝ヘタルトヤ﹂︵一一1︶︑﹁法ヲ
聞ムが為詣タル功徳如此キ也トナム語り伝ヘタルト也﹂︵三一一︶
の如くである︒従って本質的には一文相当の一説話の内部に︑形
式的に冒頭から文番号1︑2︑3⁝⁝を付すことが可能である︒
又︑すべての引用文について引用されている順に①直接話法会
話文②心中言の区別をせず①②③⁝⁝と引用番号を付す︒引用文
今昔物語集天竺部の引用構造︵山口︶ の内部に更に引用がなされている場合はそれぞれの内部で④③◎⁝⁝と二重引用番号を︑更にその内部の引用は④◎⑤⁝⁝と三重引用番号を付した︒ 一口に①会話文といっても内容は様々である︒会話の性質によって︑判叙︑疑問︑命令︑詠嘆︑応答ぐらいの区別をたてて引用構造を考えることも必要であろう︒しかしこれは本稿で取り扱う引用文の位置づけ︑出現場所や頻度などの構造がまず明らかになった次の段階の問題であろう︒引用構造一言いかえるならば引用の型とでもいうべきものは現在のところ定式化した尺度が存在するわけではないし︑そもそもそういう構造の型が見出せるものかどうかも明らかでない︒引用構造の型の発見とその定式化をめざす本稿においては会話文の性質上の分析は割愛し︑心中言の引用構造及び二重三重の引用構造の問題とともに別稿を用意したい︒ 以上のような手順で付した文番号及び引用番号を用いて一話中にどのように引用文が出現するかを対照させて図表化し︑これを
﹁引用構造図﹂と呼ぶ︒以下︑各説話毎に作成した引用構造図を
基にして︑引用構造の型が見出せるものかどうか検討しよう︒
三
資料1 巻一 佛ノ夷母︑総屯弥︑出家序題十九
ユ 今昔︑僑翌翌ト云月影迦佛ノ夷母也︑摩耶夫人ノ弟也︒佛︑迦維 ① ④羅衛國常在マス時︑橋曇弥︑佛二白テ言ク︑﹁我レ聞ク︑﹃女人精進
ナレバ沙門ノ四果ヲ可得シ﹄ト︒願クハ我レ︑佛ノ法律ヲ受ケ出家
一七
長崎大学教育学部入文科学研究報告 第三十二号
セムト思フ﹂ト・3佛ノ宣ク酒塗更二出家ヲ願フ事元カレ﹂トぼ ら曇弥v如此ク三度申スニ︑佛三二不煙塵ズ︒畢生弥︑此ヲ聞テ歎キ誌テ去ヌ︒ ④ 其ノ後︑又︑佛︑迦維羅衛國二在マス時︑僑歯釜︑如前ノ﹁出家 クセム﹂ト申スニ︑佛︑又︑不許給ズ︒佛︑諸ノ比丘ト共二此國二在
マス事三月︑終二國ヲ出テ去給ブ時︑晴曇弥︑諸ノ並幅ル女ト共ニ ヒ ヨ尚ヲ出家ノ事ヲ申サムトテ佛ヲ追テ行クニ︑三三二三リ給ヒヌ︒僑曇弥・如前ク詔家セム﹂ト申スニ・佛・又・不許給不バ︑僑曇 弥出テ門ノ外力忌テ鴨穣ノ衣ヲ着ア哲多衰ヘテ締泣ス︒阿 僑曇弥︑難︑此ヲ見テ問テ云ク︑﹁汝ヂ何ノ故二如此ク有ゾ﹂ト︒
答テ云ク・⑥﹁我レ女人ナルが故二出家ヲ不得ズシテ歎キ悲ム也﹂ト︒響∠至⑦﹁汝ヂ暫ラク一一.我レ佛二申サム﹂ト転ア入ヌ. ﹃女人モ精阿難︑佛二白シテ言サク︑ ﹁我レ佛二随ヒ奉テ聞クニ︑
進ナレバ︑沙門ノ即値ヲ可得シ﹄︒今︑橋曇弥ハ至レル心ヲ以一㎡出
家ヲ求メ︑法律ヲ受ケムト思ヘリ︒願クハ佛︑此ヲ許シ給へ﹂ト︒佛
ノ宣バク・⑨﹁此ノ事・願フ事元カレ・女人ハ我が法ノ中ニシテ沙門
ト成ル三元カルベシ︒其ノ故ハ女人出家シテ清浄二梵行ヲ十五バ︑
佛法ヲシテ久ク世二住セム事非ジ︒磐バ人ノ家二多少ノ男子ヲ生ゼ
ルハ此レヲ以テ家ノ榮トス︒此ノ男子二商法ヲ修行セシメテ世心佛
法ヲ久ク持タシムベキ也︒其ソレニ︑女人二出家ヲ許セラバ︑女
人︑男子ヲ生ズル事絶ヌベキが故二出家ヲ不許ル也﹂ト︒鍋阿難又曳ゆ璽年並多ク善ノ心置先ヅ佛虜︑始テ告
給フ.毛馬受取テ養育シ奉テ︑既二長大二至シ奉レリ﹂︒佛ノ言バク︑
咄腎ワ出鉱二善ノ心多シ︑又︑我レニ恩有リ︒今我レ佛ト成テハ又
我レ彼二愚智シ︒彼ハ偏ヘニ我が徳二依ルが故一二二寳二飯依シ四諦
ヲ信ジ五戒ヲ持テリ︒但シ︑女人︑沙門ト成ムト思ハぐ︑八敬ノ法
ヲ學ビ行フベシ︒讐バ水ヲ防ニハ堤ヲ強ク築テ漏シメザル也︒若︑
法律二入ムト思ハ︑・︑能ク精進セヨ﹂ト︒ 一八
㎡南明ラ主唱佛ノ語ヲ受テ礼シテ門ノ外二出テ僑曇弥薄シ ム︑﹁汝︑今ハ歎ゲキ悲シム降旗カレ︒佛︑汝が出家ヲ許給フベシ
﹂ト潔曇弥・此レヲ聞テ大歓喜シテ・即・出家とア戒ヲ受テ比丘
尼卜成リ︑法律ヲ受ケ羅漢果ヲ得ツ︒ ユ ユ 女人ノ出家スル事︑此レニ始レリ︒僑曇弥︑又ハ大愛道トモ云
ヒ︑又波閣波提トモ云ケリトナム語り傳ヘタルトヤ︒
巻一第十九語の全文を文番号︑引用番号を付した形で示した︒
印刷の都合上︑宣命書きは行なわなかった︒この文番号と引用番
号を組み合わせて図示したものが次の引用構造図1である︒
㌦
鵯
彌
号番
開
旨号番文
④
へ
①②
③
⑱④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑭⑫
12345678910111213141516171819
この巻一第十九の説話は全一九文から成るが大半の文が引用文
を持っている︒引用文一二はすべて会話文であるが︑一文に一会
話文という形の文が反復されている︒大方は問答形式になってい
て︑会話1すなわち問いと答えによって話の筋立てが展開されて
いる︒問答形式で事件を進行させる形式の説話は脚本のようにそ
のまま書き直すことができる︒この一一19について試みれば︑ まず題名にもある主人公が文1で紹介された後︑文2で時と場
が示され︑A僑曇弥︵佛の夷母︶︑B佛︑C阿難の三入の間で問
答がかわされる︒
文篁会話の主俊引用至善キ相当地の文
2 1
45 3
6 8 7 10 9
12 11
13 14 15 16 18 17 19
主人公紹介
A﹁①一④﹂ト︒
B﹁②﹂ト︒︵ト書キー去る︶
A﹁③﹂ト申スニ佛又︑不許給ズ︒
︵ト書キーB去る︑A追う︑B留る︶
A﹁④﹂ト申スニ︵B許さずA泣く︶
C﹁⑤﹂ト︒
A﹁⑥﹂ト︒C﹁⑦しト云テ入ヌ︒
C﹁⑧一④﹂ト︒
8﹁⑨﹂ト︒
C﹁⑩﹂︒
B﹁⑪﹂ト︒C﹁︵卜書キC出てBに伝える︶⑫﹂
︵ト書キーB出家する︶
解説
教訓 卜︒ 釈迦佛の夷母・僑曇弥が度々出家を願うが女性なるが故に許されず嘆き悲しんでいたところ阿難の口添えによって遂に本望を遂げ︑女人の出家の始まりとなるというこの説話は︑右に見たとおり︑ト書き程度の地の文を圧倒する大量の問答によって
事件の進展・結
着を説明する︒このような説話展開の方式をとる引用構造を︑
﹁会話進展円しと呼ぶ︒ ﹁問答進行型﹂ともいえるが︑この型の
引用構造を持つ説話において反復される会話は︑必らずしも問答
だけとは限らない︒相互に見聞内容や見解を開陳しあう形で事件
が説明される場合も多々みられる︒単に問答に限定できないとい う意味で﹁会話進展型﹂と呼んでおく︒
会話進展型の引用構造をもつ説話は当然ながら引用文数も多く
なる︒説話の展開の仕方という内部的な観点は一概一盛に数値だ
けでは判断できないが︑今︑目安として各説話の文数に対する引
今昔物語集天竺部の引用構造︵山目︶ 用文数の比率を求めて﹁引用率﹂と呼べば︑この巻一第十九語の引用率は六三・一五である︒ 右と同程度の引用率を示す説話でも引用構造の型が同様になるとは限らない︒三四﹁優婆堀多︑降天魔語第八﹂は引用率六五・二一であり一119と大差ないが︑引用構造は明らかに異なっている︒引用構造図を示すと次のとおりである︒ 本文の引用は省略したが︑文番号に対照して引用文のあらわれ方を引用番号をもって示している点︑引用構造図1と全く同様の方法で作成した︒ 巻四第八話は︑大系本頭注によれば﹃付法蔵因縁尽巻第三﹄を出典とし類話が﹃賢愚経巻第十三㈹優波掬提品﹄ ﹃阿育王経巻第八﹄ ﹃二面笈多因縁篇﹄にみえ︑本邦でも﹃十三抄上巻第一︑可定心操振舞事﹄は高話に基づくもので︑他に﹃宝物集配五﹄にも優婆耀多のことが見えるという︒優婆堀多はわが国にもよく知られた羅漢であったらしい︒
離巻
凱
彌
一番
用引回下文 ①② ⑥ ⑤⑲⑧ ⑬③④⑦⑨⑩⑬⑫ ⑭⑮
1234567891011121314151617181920212223
優心神多が法を説き人々を教化している場所に︑天魔が美麗な
女に変化してあらわれ人々に愛欲の心を起こさせる︒優婆堀多は
天魔であることを見破り︑花齢︵生花の首飾り︶と謀って生臭い
﹁諸ノ不浄ノ人・馬・牛等ノ骨ヲ貫テ﹂首に掛け取りはずせなく
する︒天魔が慌てふためき悔い改めたところで許して取り除き︑
一九
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十二号
天魔が御礼に佛の有様をまねて優婆堀多に﹁長ハ丈六︑頂ハ紺青
7色也.︒身ノ色十島ノ色也︑光ハ日ノ始メテ出が如シ︒﹂という佛の姿を見せ︑優婆過多は天魔の化身したものと分っていながら
思わ・ず礼拝してしまうという話である︒この話では優婆堀多が天
魔を降伏し衆生を利益したという事件の展開そのものは主に地の
文で説明される︒文数二三︑引用文数一五︵会話文一二︑心中言
三︑引用番号①②⑭が心中言︶︒引用文の大半が文番号12から18
の計七文に集中してあらわれる︒場面としてはまさに天魔降伏の
クライマックス︑どうしても取れず天魔の首領大自在天の力でもはずれない不浄の首飾りに慌て恐れた天魔が優竪堀多に懇願し許してもらう中りである︒文78に引かれる①②は心中言で地の文
で説明されてい−る優婆蠣多や天魔の行動の心理的説明であるし︑
文21の⑭は天魔の化身と分っているのだから﹁兼テハ不乱ジト思
ピヅレドモ﹂実際に佛の姿を眼前にしては﹁不覚三涙落テ臥シテ
音ヲ挙テ実ク︒﹂場面で︑﹁ヲガマジ﹂という優婆堀多の決意の説
ぼ 明であるが心中言ともいえないほどに地の文に埋没している︒ち
なみにこの国分はテキストの大系本では引用符を付されていな
い︒事件の背景やあらすじは地の文で説明し︑事の成否のかかっ
ているクライマックス場面を会話文を重ねて活写しようとする表
現姿勢がうかがわれる︒会話文は一119でみたように﹁!ト︒﹂
﹁ート︒﹂ ﹁ート︒﹂とシナリオ風に列挙されているのではな
く﹁ート云ヘバ﹂ ﹁ート云テ﹂というような形で述語をとも
ない文中にしっかりと嵌めこまれている︒説話の山場を会話文多
用によって迫真的に語り臨場感を強めた表現がなされていると思
バ6︶う︒この引用構造の型を﹁山場活写型﹂と名づける︒この型で引
用文を取りこむと︑文番号13のように一文中に多くの引用文をく 二〇
り返し引用し︑接続助詞などで連接して長大な文になっているこ
とが多い︒文13であらわされていることは︑大自在天の力で取れ
なかった首飾りが優喫驚多の許しによりはずれたことである︒
大自在天︑此ヲ見テ云ク﹁④一④﹂ト云ヘバ︑云フニ随テ︑
亦優青堀多ノ許心胆リ下テ手ヲ摺テ云ク﹁⑤﹂ト云ヘバ︑優
婆蠣多︑ ﹁⑥﹂ト宣テ取去ケツ︒
右往左往する天魔を降伏する場面を活写している︒優婆堀多の
偉力が具体的に示され︑天魔の謝礼の申し出と佛の姿を目前に拝
みたいという優婆世態の願いとが自然に曳き出されてくる︒会話
の引用によって場面が活きていることは否めない︒この引用構造
の型においては引用文多用によって迫真的に語るのは中心的な限
られた場面の描写だけであって他の部分は地の文によって事件が
説明されている︒局部的な引用文の使用によってその引用効果が
より高められているといえよう︒
ところで︑一文相当の一説話中の一部分に引用文が集中すると
いっても︑右の四一8のように説話の中心部・事件の山場にあら
われて臨場感を深めているとは限らない︒巻二﹁舎母国金食比丘
語第八﹂をみよう︒
二三
敷
三
番号
用
引矧
番 文
①
②
⑩ ⑲ ⑲③ ④⑤
1234567891011121314151617181920212223
この話は大系本頭注によれば ﹃賢愚経巻第五︑金出品第二十
七﹄を出典とし︑同一説話が﹃法苑珠林巻雲五十六︑富貴篇第⊥ハ
十三︑引証部第二﹄にもみえるとのことである︒舎肇国の長者の
男の子が掴め色金色にて生まれ夏天と名づけられる︒誕生の時︑自然に一つの井ができてその井から﹁飲食・衣服・金銀・位署出
来テ︑願二三テ此ヲ取り用ス︒﹂一方宿遠国の長者のところにも︑
身の色金色の女子が生まれ金光明と名づけられ同様の奇跡があ
る︒二人は夫婦になりともども出家して羅漢果を得る︒この不思
議を佛が︑阿難の問いに応じて説きあかして説話は終る︒金歯夫
妻の奇瑞は文番号1〜21に説明され︑文番号22の引用文④が阿難
の質問︑文番号23の引用文⑤が佛の答えであるが︑この⑤はまこ
とに長大な会話文である︒二i8は大系本の行数で数えて二九行
の説話であるが︑文番号1〜21までで=二行︑文番号23が一四行
である︒文番号22の会話文④阿難の質問は一〜21までの文章で説
明されている事件を二行に要約し︑その由来を問う形式になって
いる︒ ﹁昔︑早々過去ノ九十一却の時︑極貧の中から持物のすべ
てを遊行比丘に供養した夫婦がその功徳によって天上・人中に生
れて夫妻と成り福楽を受けることになった︒﹂と説きあかす佛の
ことばは︑乃往過去九十一却の昔に語られた千人夫妻の会話④⑧
◎もとりこんで複雑な構造をもち︑かつ圧倒的に長い︒又︑他の 会話文と違い﹁ート留意ケリ﹂と﹁説く﹂という述語が用いら
れる︒文番号9の引用文①および文番号14の引用文②は︑それぞ
れ金事および金光明の父母が子どもの配偶者について思案する心
中言であり︑文番号19の引用文③は金運夫妻が両親に出家を求あ
ることばで﹁父母此レヲ許セ﹂という簡単なものであり︑両親の
答えそのものも記載されず地の文で﹁父母即チ許シツ︒﹂と記さ
れる︒実質的に会話文は説話末尾の阿難と佛の会話︑そしてより
一層︑﹁佛のことばの中に二重に引用される貧人夫妻の会話に集中
今昔物語集天竺部の引用構造︵山口︶ する︒不思議な事件が語られ︑その後︑末尾において佛がすべての謎を説明しつくして一件落着する︒佛の説明の後は何人も何事も語り得ない︒佛が口を閉じた段階で言表はすべて終り︑事は明らかに説き尽くされるのである︒このニー8の場合︑末尾の注文さえもなく︑佛の説示によって説話が終っている︒尤もその一切が語り伝えられたものとする囲いこみの形ははっきりしていて︑末尾一文は﹁今我二値テ出家シテ道ヲ得ル也ト説給ケリトナム語り伝ヘタルトヤ︒﹂と結ばれている︒ このように説話末尾で誰か一人が一切を説きあかす型の引用構造すなわち無智な人々をわけ知りの智恵者︵おおむね佛であるが︶が末尾で啓蒙する引用構造を﹁末尾啓蒙型﹂と呼ぼう︒この引用構造は例示したニー8よりも更に単純に︑説話末尾に問いと答えの計二例の引用文しかない場合もある︒その答えにあたる引用文はおおむね説話の三分の一から二分の一をも占める長大なものであるが︑引用文としては末尾一ケ所ということになる︒このような単純な形であっても説話の語り口として会話文の占める役割はこの上もなく大きい︒人々に相対して佛︵あるいはそれと同様な力をもつもの︶が語るというところに大きな意味がある︒又例示の二一8よりも更に複雑な形になる場合もあるが結局末尾におかれた啓蒙的長広舌が説話の核となっている引用構造として一括できる︒又前述の会話進展型や山場活写型と組み合わされているものも少なくない︒例えば先に会話進展型の例として挙げた︑一119にして.も︑文番号13に引用されている佛のことば⑨は︑女人の出家の許し難いゆえんを説く佛の告示ではある︒しかしこの説話の場合︑佛の説明は事件の落着をもたらしてはいず進展の一過程であるから末尾啓蒙型とはいえない︒
二一
︑長崎大学︐教育学部人文科学研究報告 第三十二号
︑天竺部において引用文が比較的多用され︑説話の語り口に何ら
かの積極的な役割を果しているとみられる引用構造の型は︑以上
の三型︑A会話進展型︑B山場活写型︑C末尾啓蒙型の三種であ
る︒
四
天竺部の説話の中には︑引用文があるにはあるが数も少なく︑
説話全体の語り進めにそれほどの意味や役割も持たず︑積極的な
効果も発揮していないと思われる説話も散見する︒巻三﹁践提長
者妻︑樫貧女語第廿三﹂をみてみよう︒
23 一
ヨ図弓
造
構
凋
弓 用号引番周番区用号引番四
番 文
①②
123456789
10 P1 P2 P3 P4 P5 P6
③ ④⑤⑥ ⑦
17 P8 P9 Q0 Q1 Q2 Q3 Q4 Q5 Q6 Q7 Q8 Q9 R0 R1 R2
この樫貧女の話の出典は大系本頭注によれば﹃法苑閃電巻七十
七︑十悪篇第八十四之五︑樫食燈柱十一︑引証部第二﹄所収の一
説話で原拠は﹃増壱阿含経﹄であり︑本邦においても﹃三国伝記
巻第十一㈱一一一事﹄や﹃私一一因縁一巻第三㈲樫貧女事﹄など
に影響を与えているなど︑よく知られた説話であったらしい︒引
用構造図のみを見ると計三二文中に引用文七例で︑引用率一=・
一七であり︑前掲の二i8︑計二三文中引用文五例︑引用率二一 二二
・七三に匹敵するかにみえる︒しかし引用文の内容をみると各引
用文自体も短かく散発的で相互に働きあっていない︒引用番号②
④は樫貧女の行動を説明する心中言である︒他は︑樫貧女と佛弟
子・賓頭盧尊者との間にとりかわされる会話文であるが︑いずれ
も短い単発的な願いや命令などで︑筋の展開にも場面の活写にも
役立・っていない︒この話は︑践提長者の妻︑樫貧女が煎餅を惜し
んで賓頭盧尊者に供養しなかったために苦を受け︑尊者の取次で
佛に遇い教化をうけて樫禽の心を捨てたという話である︒女の受
苦の原因となったことば︑引用番号①﹁讐ヒ立返給トモ我単二不
供養ジ︒﹂とか女の許しを乞うことば︑引用番号⑤﹁此ノ苦ヲ免
シ給へ︒﹂とかは記されているが︑問答も形成せず散在していて
物語を迫真的に語る力はない︒佛の教化も単に﹁為二法ヲ説テ教
化シ給フ︒﹂と記されるだけで︑印象的かつ決定的に佛のことば
自体を引用して説き示すというわけでもない︒
このように引用文がちらほらと散在はするが︑説話の語り口と
して格別の機能を果していない引用構造を﹁随所散在型﹂と呼ぼ
う︒この型では引用率はお.おむね二〇パーセント前後以下であ
る︒ 更に︑引用文の全くない︑あるいは殆んどない説話も存在す
る︒数はきわめて少ないが語り口の型として無視はできない︒例
えば︑巻町﹁天竺比丘即身︑観法性生浄土語第十﹂をみよう︒引
用文が説話中一例のみという例である︒
5 0
響
騰巻引 用図引番長番 文
①
123456789
10 P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8
引用構造図を作るまでもないが比較のたあ一応提示した︒この
説話唯一の引用文は末尾の文18に引用されている﹁様有ラムト思
テ﹂と記される心中言である︒ ﹁様有ラム﹂と思う主体は不特定 一般の人々であり心中言の性格の弱いものである︒ちなみにテキ
ストの大系本本文では引用符を付けていない︒この説話は大系本
頭注によれば出典不明であり︑類話が﹃宝物集巻⊥ハ︑僧多羅不空
三蔵事﹄や﹃私聚百因縁集巻第一⑲恒怠比丘事﹄等にみえるとい
うことであるから︑巷間にかなり知られ語られることも多かった
ことが考えられる︒しかも場面としては︑中天竺の比丘︑僧澤が
惚⁝怠︑愚痴であるため︑衆僧が﹁軽メ蔑テ同座ニモ不座ズ︑梢モ
スレバ寺ヲ追ヒ出ス︒﹂とか︑老年に及んでは﹁週日此ヲ機ナミ
誇ル事元限シ︒﹂とか︑臨終にあたっては﹁多クノ佛・菩薩・僧
澤が所二来リ給テ︑法ヲ説テ僧澤ヲ教化シ給フ︒﹂とか様々な会
話場面が存在する︒それにも拘らず直接話法の形で会話文そのも
のを記載することをしない︒勿論地の文で説明する形でも筋書き
は分る︒しかし︑僧寺が﹁法性を観じて浄土に生まれた事に関し
ては︑いくらその没後に衆僧が己れの行動を悔いて﹁僧澤が所行
ヲ尋ネ聞テゾ行︐ケル︒﹂という程に影響力の強い話であったと語
られても︑−場面としての迫真力には欠ける︒又僧園の臨終の奇
跡︑光が放たれ︑芳香がただようことを二回も繰り返し述べても
眼前にその光景を浮かばせること難しく決まり文句の羅列に終っ
ている︒ 天竺部にこの型の引用構造をもつものは意外に少ないが若干は
見出せるので︑このように︑筋書きを語るにとどまり説話として
の語り口に格別の工夫や興趣の見られない引用構造を﹁素語り
型﹂と名づけておこう︒名称がや\不適切であるが今綴りにそう
今昔物語集天竺部の引用構造︵山口︶ 呼んでおく︒引用文が説話の語り口に何らかの役割を果すこと少ない引用構造の型としては︑以上︑D随所散在型︑E素語り型の二種類がある︒ち
五
以上︑天竺部の引用構造の型として五つの種類を見出した︒即
A会話進展型
B山場活写型
C末尾啓蒙型
D随所散在型E素語り型
C
※それぞれの型における
引用文のあらわれ方を 簡略化し図示してみ
た︒
この五つの型で整理しつくせないものは︑内部を分析すると二
つもしくは三つの型の組み合わせとして把握することができる︒
前半はA型であるが後半は引用文も少なく単純にA型といい切れない説話は︑A型とD型の組み合わせとみてAD型と呼ぶ︒各説
話の引用構造図を作成し︑本文中に果している引用文の役割と照
らし合わせながら分類した結果︑実際上組み合わせ型はそれほど
多くはなく︑黒むね一つの型で整理できた︒引用構造は︑天竺部
においては明瞭にパターン化されているのである︒
この分類については︑引用率などの単純な引用文の多寡だけで
は処理できず︑又︑引用文の出現箇所と回数の相関性だけで判断
することもできず︑説話の語り口として︑説話展開に果している
会話文の機能を考慮に入れなければならな・い︒実際の判断はそれ
二一二
ノ長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十二号
ほど.困難ではないが往々主観も交るかと憂慮されるので︑分類した結果︑各説話の所属を表皿に一覧表として示す︒
計
76 一
2
6
24
8
58
3
3
1
45
13
31
11
t
i ︐ 一
5
6217
03
巻
91825● . 0 6 44 望⊥ 9臼1511 321272025●2
31
32
・ ..●一 31422
7
6F L 一 一− l I−l F− −1 ●II 等
8
11 − − I I 一92
4 7.−ゐ 9臼﹁← り01← つUり0 ワ62 QJ
●
● 魯・ O
4
93241 ● G9臼 09臼 00
巻
32035● O ■2163181839. し71736略⊥ ΩU9臼 9臼●5263819 14
● ●● ら
1
11529一 一 424一 一
一 l I 一
10
一 一 一7282
9 3
21
723
巻
42 18β0 31 31321622517 ・
35
1
●129
5 01 9臼−⊥ −剛⊥ 008 − 1310
i i2 26
918293641
. ● ●
2
52
813273540. ●
巻
42り0 9臼9臼 3
31
512223439 ● の411213338
20
1514 14
O
●
◎ ・ ●
1
7
6 ◎Oi⊥ ワ臼171 ⁝
2
6 1
3 0り 7・ーム 噂⊥ QU
35
31
6
・●
1
1 8 9︼− ¶⊥ 3
38
33
30●
巻
71727● 06152532126388226
1610 63
O ●
O
一 31421
5 1
222344 29
9
A
BC DAA A
B
C
D議設㏄
E
計 二四
表
布
分
の.
型
造の
構
溺開
け
.おに
部
竺 天
皿表 垢.詐るをあ号で番数話話説計
︐合は ︐字は数値の数欄の各欄中の表計 一三をみると︑各引用構造の型の分布状態には︑巻斗に特色があるごとが明瞭に看取できる︒まず注目されるのが巻一におけるA型︵会話進展型︶への︑そして二二におけるC型︵末尾啓蒙型︶への極端な偏りであろう︒今昔物語集の巻頭第一巻はまず会話進展型で語り始められている︒巻一の場合その会話は大むね問答である︒A型の説話は巻一計三六話の四一・六七パーセントを︑A変型型︵A型とそれ以外の型の組み合わせ︶を加えて考えれば実に五二・七七パーセントの説話が︑このいわば問答進行型とでもいうべき引用構造を持っている︒続く巻二は佛が成道して説法を始めているところがらC型︵末尾啓蒙型︶が圧倒的である︒巻二上四一話のうち計二五話までがこのC型であり六〇・九七パーセントを占める︒更に基本的にはA型ながら末尾で長文の説示・告示の
あるAC型の計七例および引用文数
は少なく︑末尾の告示も短かめでは
あるが︑それで事件が解説され落着
しているDC型計三例を含めると︑実に八五・三六パーセントま
でがC型である︒巻二の引用構造は末尾啓蒙型を特色とする︒巻
三では引用構造の型は最もばらつきが大きく︑変型のパターンも
最も多様で︑引用文の少ないD型及びその変型が様々な形で出現
する︒C型は減少しB型︵山場活写型︶があらわれる︒型の分布
状態が多様で特に偏りがみられないのが手下の引用構造の特色で
ある︒巻四ではB型がA型に匹敵するほど増え︑巻の特色をなし
ている︒巻四全四一話のなかで︑A型・B型がともに一四話︑三
四・一四パーセントを占あている︒B型のあらわれる率は天竺部 全五巻の中で最も高
率
回批
忌
騰遡
弓
皿
山 均
平
巻
下 巻
巻
ユ 巻
巻
繊0229
V
46釦
34 14 71
M
25 W
調加217
66
F
41 W
型A変 A
29 62 17 15 34 14
20 oo
87
温 4
B B変 型 11
19調
37
溺 9
97 8
駕 60
C C変 型 13
75 X4 16
T
茄3712
X
24瀞
71 T7 25
W
駕314 7
66
ヨ
16 T
型D変 D
32
ゐ 4
6 31
85 7
調 2
2 77
E 2
い︒巻五は︑巻四の傾
向を保ちつつ︑大よそ︑
巻一と同様なA型への
偏りをみせる︒巻五計
三二話のうちA型は計
一五話︑四六・八七パ
ーセントを占める︒
各巻における各引用
構造の型を百分比で表
皿に示した︒二つ以上
の型の組み合わせによ
る変型は数も多くないので︑例えばAB︑AC︑ADを﹁A変型﹂として一まとめにし
た︒表門と合わせみる
今昔物語集天竺部の引用構造︵山ロ︶ ことにより変型の内容は明らかである︒ ここに顕著にみられる巻毎の引用構造の特徴的なあらわれ方について考え︑説話の内容と相まって﹁語り﹂の意識が引用構造に反映している様相を読みとりたい︒ 巻一には問答体によって話を展開させるという一つの安定した文体があり︑それにのっとって語り始める︒釈迦や佛弟子の事跡は︑人々の問いとそれへの答えとによって語り進められる︒これは﹁語り﹂ということの原点でもあろう︒何事かを聞きたい人がいて誰かに尋ね︑それに応えて知っている人が語るというのが
﹁語り﹂の素朴な姿である︒そして一つの事柄が明らかになると
又新たな疑問が生じ︑会話は事に一応の結着がつくまで繰り返さ
れるだろう︒受皿にみるとおり︑A型がA変型も含め考えればど
の巻でも一応の数値を示すのは︑A会話進展型が﹁語り﹂の基本
であるからだろう︒
しかし巻二では佛自身が語り始める︒佛はすべての最終的な解
決である︒苫田ら語る以上︑他の者は何を語ることがあろう︒不
可思議な事例︑人智を超える奇瑞︑天変地異︑すべて一切一挙に
鮮やかに三世を通して説明されつくし︑佛の教化のことばが加えられて説話は終る︒人々は佛の英知を讃歎渇仰して事は終る︒従
ってC末尾啓蒙型においては原則として末尾で佛が告示する場合
に限って可能であろう︒他の者ではこのように決定的に説話を収
敏することはむずかしい︒事実︑C型全三六話及びC変型計一四
話︑合計五〇話のうち末尾の告示の語り手が佛でない話は︑僅か
に八例をみるのみで八四パーセントまでが佛による告示である︒
佛以外が告示する例外八例のうち︑二例が佛の指示による阿難の
語り︵一126︑三一12︶であるから︑これは機能として佛と同等
二五
長崎大学教育学部入文科学研究報告 第三十二号
とみなしてよい︒他は︑神﹁ニー6︑ニー26︶や天帝釈︵五一23︶
や餓鬼︵二i37︶であり︑人間の告示は般沙羅王の后︵五16︑
母として子等に︶と大臣︵五一12︑五百の皇子の出家について国
王に︶の二例だけである︒末尾啓蒙型の末尾の啓蒙的説示の主体
として佛が圧倒的であることが分る︒
巻三では﹁語り﹂の方式が混乱する︒語りロの中で引用文の位
置づけや役割を明確になし得ず︑巻一・年構にみるような明らか
な方針をもって説話を語ることができなくなり︑引用文を説話の
中で活用しかねている︒文数に対する引用文数の比率一引用率
も︑巻二と並んで低いところに集まる︒引用率の巻別分布図を次
に示す︒ 巻三は巻二と並んで引用率の低いところに︑各説話の引用率を 二六
丸 示 を 率 凋 明図話布各分は別・巻の率中用表引
図 A
●
ーー
示す黒点が集まっているが︑巻二の場合は︑引用率の低さに当然
の理由がある︒末尾啓蒙型は末尾に長大な会話文を持つのが特徴
で︑そこに至る事件は青むね地の文で語られるのが定形である︒
従って引用文の回数は低くなり︑回数を基準に算出する引用率も
低下するのが当然であり︑この図の巻二の状態はそれだけC末尾
啓蒙型への集中を物語るものである︒池場の場合︑六〇パーセントを越す平話がみられはするものの全体的に分布が低い方に寄
り︑巻一・四・五などとは明らかに異なった様相を示す︒全体的
に引用文の利用の少ない語り進め方でこれを説話内容の雑多さに
関連づけて考えたい︒巻三の内部を︑第二十七話まで転法輪諏︑ ︵7︶第二十八以降を佛浬架謳と区別する説もあるように︑巻三は内容
的にも一貫性に欠け︑それが語りの姿勢を混乱させ︑引用構造に
反映したとみる︒
U⁝:
●
●●● ● ●●● ● ● ● ● ● ●:●●
ーー
●
● ● ● ● ● ● ● C ●
● ● ーー
∴
㍑・:U∵: U・U㍑:U⁝●
●
●∵⁝:・●∵:
ラ%oo︵−
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
巻
巻
ヨ巻
巻
ユ巻
巻四ではA会話進展型と
B山場活写型がそれぞれ三
分の一強を占める︒B型が
多いということは︑説話の
クライマックス場面を会話
によって活き活きと語り進
め︑臨場感を強める語り口
が定着しているということ
である︒話柄にもよるだろ
う︒天竺付佛後と題される
巻四は佛浬桀後の佛法の展
開と三宝の霊験を説いて話
題は多岐にわたり巷間の日
常生活に及ぶ︒具体的迫真的に語れる題材が多かったからこそ会
話文を引用して場面を活写することが可能であったともいえる︒
又︑巻四にみるA会話進展型は巻一のA型と同様ではない︒巻四では︑巻一にみた問答型は少なくなり︑会話の継続によって説
話が進行する形式になっている︒同じくA会話進行型には違いな
いが︑文章としての印象も形式も著しく違う︒旦ハ体的にいえば︑ コ巻一のA型引用構造においては︑引用文をト助詞でうけ︑そのま
ま﹁i﹂ト︒という形で文が終る例がめだって多い︒一一19で
例示したとおりである︒ところが巻四にみるA型の引用文は︑ト
イフ︑トイヘバ︑トオモヒテなどの形で述語を伴なって文中に嵌
めこまれていることが多いのである︒この点をもう少し詳しくみ
てみよう︒
天竺部において引用文の下接部分は次の三種に大別される︒
皐蒙一斤準 書画一難め
この三種に巻毎のA型の引用文下接部分を分類して︑素数と百
分比で示したのが表Wである︒述語でうけるものはその述語で文
が切れる場合と接続助詞などを連接して更に文が後に続く場合と
がある︒ ﹁切﹂ ﹁続﹂としてそれを区別した︒又︑述語に連用修
飾語などが上接している場合︑例えば︑ ﹁ ﹂ト実実ク申ケレ
バ︵四一17︶のような場合も︑トに述語が直接する場合と区別し
て示した︒ 巻一では引用文をトでうけ一文一引用である事例が多い︒文字
どおりに一文一引用を繰り返し積み上げることによって説話の筋 書きが説明されている︒巻一A型ではaトどめが高率でb述語う
今昔物語集天竺部の引用構造︵山口︶ 表
類 分
部
接 下
文
開
む
A型
W
表 素 数
ω
計
巻
ヨ 巻
巻
ユ 巻
巻
59 Q4
64 6
T 86
T 99
P
鵬517
W
トテ ト 2
め
どa ト
92 S5
2
幻伽17
V6
944933
30 U9
切続
ト 述 切続 0 5 0 1← ∩δ 0 つσ 0 2 2 8 8
述
修ト
け ッつ 語b述
42 8 3 2 5
24
めど
開文
弓
C
78 10 31
蜘 2
揃
53 螂
計 3 比 分
㈹ 百
13 Q2 61
Q
認1628
Q
45 26
Q 49 U2 61
O 03
テ
65 R 47 61
Q
トテ ト
め
どa トー 茄四82268
Q4 11 T3 94
O
84059 R2
52729 O7
62349 T4
819
切続
ト 述 86 0 0 忽74
M
0 0溺
噌⊥ 0溺
1 0 69
AU nU
41
0 ﹁⊥切続
述
修卜
け ッつ 語b述
89
46 3
57 3 10 1 69 3
湘 0
め 6 序ど 開
弓
C
けが低調であるのに反して巻四A型ではトどめがぐっと減り︑か
わりにb述語うけの﹁続﹂の率が高くなっている︒
至聖では︑このA型引用文下接部分の様相は︑本四の傾向を更 に明瞭に強めている︒トどめは更に減少し︑述語うけの﹁続﹂が
更に増加する︒引用率のちらばりも巻向よりも増大し︑引用文を
二七