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― そ の 物 語 性 に つ い て ―

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(1)

レンブラントの肖像画 

︱その物語性について︱

 レンブラントの絵画芸術の本質が︑彼の歴史画︵物語画︶にお

いて最もよく表われていることは事実である︒従って彼の絵画芸

術を論ずる時︑多くの場合︑彼の歴史画がその対象となる︒とこ

ろで︑レンブラントのいわゆる歴史画とみなされる作品数は︑油

彩画約一六〇点︑エヅチング約八○点である︒一方︑肖像画とし

て分類され得る油彩画数︵自画像︑ 集団肖像画︑ 人物習作も含

む︶は︑約三八○点で︑レンブラントの現存油彩画総数のおよそ

三分の二を占め︑エッチングは九〇満点を数えることができる︒ このように︑レンブラントの油彩作品では︑人物画H肖像画が

量的に圧倒的に多い︒ これら肖像画的人物画を内容的に検討してみると︑明らかに注

文による肖像画で人物の確定できるもの︵四四点︶︑確定できな

いもの︵一六四点︶︑二人像︵六点︶︑集団肖像画︵四点︶︑そ

れと注文によるとは思えない人物習作︵三二点︶︑家族の像︵六      ︵1︶四点︶︑自画像︵六〇点︶というように分類される︒そしてこの

中で︑注文により描かれた二〇〇余点がいわゆる通常の意味での

肖像画とみなされるであろう︒ レンブラント自身は︑画家としての出発当初から最後まで︑自 律の画業の中心を歴史画に据え︑それをおし通した︒しかし︑被が画家として世間的な名声を得るきっかけとなったのも︑またその名声を保持し続けたのも︑彼の肖像画制作に負うところが大であった︒レンブラントの注文による肖像画の最も初期のものは︑      ︵図1︶一六三一年の﹃ニコラース・ルッツ像﹄ ︵じd同●置α︶である︒ こ

れをきっかけとして一六三二年には注文肖像画の数は爆発的に増

大し︑三三︑三四年とそれは続く︒三六年から︑数的には次第に

減少するが︑それでも最晩年に至るまで年に数点つつコンスタン

トに描き続けている︒

 さて︑レンブラントの時代のオランダ絵画は︑ ﹁黄金時代﹂と

称されるに相応しく︑他のヨーロッパ諸国とは異なった性格の絵

画分野を発展させた︒風景画︑風俗画︑静物画などがそれであ

る︒そしてそれぞれの二種を専門とする多くの優れたスペシャリ

ストたちがいた︒このようなオランダ絵画の全体的情況の中で︑

レンブラントが自身の芸術の中心的課題とみなしていた歴史画

は︑オランダではむしろ例外的な分野であったと言えよう︒それ

では肖像画はどうか︒これは他のヨーロッパ諸国と同じく︑いや

それ以上にオランダでも求められたものであった︒宮廷サークル

レンブラントの肖像画︵兼重︶

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号三四

が肖像注文の大部分を占めるイタリア︑スペイン︑フランス︑イ

ギリスなどとは違って︑ オランダでは市民たちが家族の肖像

︵壁aζ℃魯邑け︶を所有することを望んだので︑注文数は相当な

ものであった︒他方︑ギルド・ハウスや慈善団体の建物など︑公

的な場所のための﹁集団肖像画﹂ ︵σqδ二℃一℃o簿量旨︶といったオ

ランダ独特の肖像画形式も生み出された︒レンブラントはこのよ

うなオランダ肖像画の形成に大いに関わったのである︒

 本稿は︑レンブラントの肖像画についての一考察であるが︑こ

のテーマを設定した理由は︑前述のように︑レンブラントの絵画

という時には大抵の場合物語画であり︑肖像画が取り上げられる

場合には︑自画像や集団肖像画に集中されるようで︑数の上でほ

圧倒的に多いいわゆる注文肖像画についてはあまり関心が払われ

ないように思えたからである︒それと︑レンブラントの若い時期

に特に肖像画家として爆発的人気を得たのは何故だったのだろヶ

か︑ということも日頃考えていた︒そのような折に興味ある論文

に出会った︒一九八二年刊︑ディヴィッド・R・スミス著﹃結婚生活のマスター一七世紀オランダの結婚肖像画﹄がそれであ︵2︶る︒本書におけるレンブラントの肖像画に関する記述は︑彼の二

人肖像画︵匹︒二三①壱霞欝富︶と対肖像画︵窓貯壱︒H卍巴け︶に限ら

れているが︑興味ある考察がなされており︑大いに示唆されると

ころがある︒そこで︑筆者も︑スミスの論に喚起されつつ︑自分

なりにレンブラントの肖像画について考えてみたいと思うに至っ︵3︶た︒      ^

 レンブラントの肖像画を考察するに当って︑本稿では︑具体的

には︑彼の肖像画と伝統的肖像画との関係︑彼の肖像画と同時代 のオランダ肖像画との関係︑そしてレンブラント肖縁画の独自性︑つまり彼の肖像画における物語的要素ということに視点が絞られることになる︒ オランダ肖像画の一般的特色は︑宮廷を中心とする他の諸国の肖像画が︑実物より良く見せる︑威厳︑高貴の表現を重視する︑女性ならば優雅に表現する︑といったことにその特色があったのに対し︑オランダでは︑良く似ていること︑身ぎれいなオランダ市民に相応しく表わされること︑そして少しばかりその人の社会的地位をほのめかす︑ということにあったと言えるであろう︒つまり率直に︑飾り気なく︑その人物に良く似せて描くことであった︒ レンブラントも三〇年代初期の大量の注文肖像画はこの線に沿って描いている︒リアリスティックな顔や衣裳の表現︑それは他の画家たちをはるかに凌駕するもので︑それが彼にアムステルダム最大の人気肖像画家としての栄誉を与えた要因のひとつであった︒しかし︑それも三〇年代までで︑四〇年代に入ってからは︑彼は︑人物の外観だけではなくて︑その内的生命︑その精神的存在を表現することの方へ次第に重点を移していった︒その結果︑平均的肖像画を期待するパトロンは注文を躊躇い︑ある程度レンブラントの自由な表現を許容するバトロソのみが彼の注文主となるに至った︒ ところで︑三〇年代のレンブラントの肖像画全てが右に述べたような平均的肖像画ばかりであるかというと︑決してそうではない◎伝統的に作り上げられてきた肖像画の定型を突き破ろうとする試み︑より活気ある肖像画創作への努力の跡がみられる作品が

(3)

ある︒そのような試みは︑単独像よりも︑対肖像画や二人肖像画

において最もよく理解することができるQ従って︑ここでは︑ま

ずレンブラントの初期における対肖像画と二人肖像画を中心に検

討を加えることにする︒

 プレデイウスのカタログによると︑レンブラントの対肖像画は

二八組︑二人肖像画は六点を数えることができる︒これら対肖像

画︑二人肖像画ともに︑大部分ば夫婦の像であるが︑中には友人

同志︑親子︑あるいは同定されないものも若干含まれる︒対肖像

画や二人肖像画の形式は︑オランダでもすでに定着しており︑古

くはマールテソ・ファン・へームスケルク︑近くはフランス・ハルス︑ニコラース・エリアス︑トーマス・デ・ヶイゼルなどによ      ︵4︶って︑優れた作品が生み出されていた︒

 レンブラントの対肖像画の最も初期のもののひとつに﹃マウリ       ︵図2︶ッツ・ハイヘンス像﹄ ︵切さH①ご一①︒︒N︶と ﹃画家ヤーコプ・       ︵図3︶デ・ヘイン三世像﹄ ︵じuさH①曽H①︒︒b︒︶がある︒ 現在は︑ハンゾ

ルグとロンドンにそれぞれ遠く離れているが︑この二点が一七六

四年まで︑対肖像画としてユトレヒトにあったことは記録上から    ︵5︶確認される︒

 ところで︑この対肖像画は︑夫婦でも親子でもない友人同志の

肖像画︑いわゆる友情肖像画︵︷ユΦ巳ωぼ℃℃︒旨聾︶である︒ こ

の友情肖像画は︑ルネサンス期イタリアにおいてさかんに描かれ ︵6︶ていた︒ルネサンス期には︑古典古代と同様︑友情が最高の人間

関係と考えられていた︒彼らは︑友情によるつながりを︑今日我

々がその言葉で意味するよりもっと高遠な厳しいものと考えてい

た︒まさにその理由︐から︑・真の友情関係には滅多に到達し得ない

レンブラントの肖像画︵兼重︶ し︑一対一以外の関係はあり得ないと考えられていた︒またそのような関係の二人は︑性格︑気質︑徳において基本的に似ているべきである︑とも考えられた︒二人の魂の融合1それは排他性にもつながる一の表現の故に︑イタリアの友情肖像画は︑私的      ︵7︶で親密なムードをもって描かれた︒レンブラントは︑おそらくこのイタリアの伝統を知っていたのであろう︒あるいはマウリッツによって指示されて描いたのかもしれない︒いずれにせよ︑レンブラントはこれを描くに当って︑未だ友情肖像画の本質を理解していない︒それぞれの単独肖像画を描いたにすぎないようにみえる︒つまり︑二人の間の魂の交流を暗示する何の工夫︵物語的要素︶もみられない︒ここでは︑単に形式のみを利用した︑という段階に止っている︒また︑レンブラントのこの対肖像画は︑オランダにおける友情肖像画の稀なる例で︑概してオランダではこの種肖縁画は発展しなかった︒オランダの対肖像画や二人肖像画の形式は︑夫婦像即ち結婚というもののイメージの表現として主として発展する︒他方︑イタリアでは︑一六世紀以来︑友情肖像画の方が重要性を保持し続ける︒ この南と北の相違は何に起因するのであろうか︒肖像画というものは︑一見私的なもののようにみえるが︑本質的には極めて公的な性格を有している︒つまり︑肖像画は︑その像主の対社会的な側面を︵画家も像主自身も︶最も強く意識して描かれる︒イタリアでは宮廷が社会生活の中心であり︑その社会では結婚関係より友情関係の方を重視した︒他方︑オランダでは家族や家庭が社会生活における基本となっていた︒この相違が︑対肖像画や二人肖像画における内容の相違をもたらしたものと考えられる︒

三五

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究鑑告 第三四号

 レンブラントの初期の夫婦対肖像画のひとつに︑ウィーンにあ     ︵図4︶         ︵図5︶る﹃座せる男の像﹄ ︵Ud戸H①ω︶と﹃女の像﹄ ︵しuさωωN︶ があ

る︒黒っぽい服で正装し︑ニュートラルのバヅクに対して膝から

上四分の三正面向きで描かれている︒この形式は︑この種オランダ肖像画の基本的類型を示すもので︑フランス・ ハルスやニコ

ラース・エリアスにその先例をみることができる︒男の姿勢は︑

我々盲者に顔と視線を向け︑右手を女︵妻︶の方に差し出すよう

にして︑積極的に我々に妻を紹介している︒妻は︑安定した静か

な姿勢で夫の方に視線を向けている︒男の積極性︑女の安定性と

いうこの図式は︑他の画家による対肖像画にも多く見出されるも

のであって︑当時のオランダの夫婦のイメージの一般的傾向を反

映したものと考えられる︒ただ︑表現においてレンブラントのこ

の作品は他と異なっている︒表情には活気があり︑身振りはより

明確である︒顔と手に最も強い光を当てる照明法によって︑ドラ

マティックな雰囲気を醸し出し︑人物は今にも動き出すかのよう

である︒このような観者への働きかけの効果は︑レンブラント独

自め工夫によるものである︒夫は我々をみつめ︑手は妻の方に差

し出し︑我々・に紹介している︒妻の視線は夫に向き︑我々は夫の

手の動作により妻の方を注視する︒つまり︑夫←観者←妻←夫と

いう関係が成立する︒夫婦の親密性︵私的︶と対社会︵公的11観

者︶という両側面を巧みに表現し得たと言える︒慣習的な形式を

用いながら︑レンブラントは︑結婚関係の私的側面と公的側面を

みごとに表現した︒

 慣習的という点では︑レンブラントの一六三四年の全身像によ      ︵図6︶る対肖像画﹃マールテン・ソールマンス像﹄︵しdさH㊤Φ︶と﹃妻オ       三六      ︵図7︶1ペン・コッピト像﹄︵uごさQ︒合︶は︑その典型的なものとして挙げられる︒この作品は︑公的社会を意識した︑つまり儀礼的な装いをした夫婦が︑最も正統的な形で表わされている︒ルネサンス期の宮廷的肖像画の形式が︑本来私的である夫婦の肖像画に転用されている︒また︑全身立像のこのタイプは︑レンブラント以前       ︵8︶にアムステルダムにその伝統があった︒ レンブラントの対肖像画の場合︑このように伝統的な形式を用いた作品が大部分である︒特に若い時期︑三〇年代の作品は全てそうである︒これは︑累年と斎主︵注文主︶という関係があってはじめて成立する肖像画のもつ性格上︑必然的にそうならざるを得なかった︒画家が革新的な試みをしょうとしても︑像主の同意がなければ実行することができない︒評者と像主とが一.致した稀なる機会に独創的な肖像画が可能となるのである︒晩年のレンブラントが︑彼の自由な発想によって描くことを許してくれた像主のみを描くようになった時︑彼独自の対肖像画を創造することになる︒ 対肖像画に比べて︑レンブラントは二人肖像画において比較的早い時期から彼独自の創造力を発揮し得たようにみえる︒ポスト       ︵図8︶ソにある﹃流行の衣裳をつけた男女の像﹄︵しdさ心Oα︶は︑一六三三年の年記のある︑レンブラントの二人肖像画の最初の作品である︒これに先立つおよそ一年前に︑レンブラントはすでに﹃トウルプ博士の解剖学講義﹄︵じd目●おQ︒︶において︑集団肖像画形式に対する革新的な試みをなし︑成功を得ていた︒彼のこの成功は︑多分に歴史画家としての彼の才能に負うところ大であったと思われる︒つまり︑この場合︑すでに最初から﹁解剖学講義﹂という

(5)

物語的要素があり︑それを活用することによって︑活気あるバロック的集団肖像画を作り上げることができたのである︒レンブラ

ントは︑今回は︑より制約のあるしかも伝統的形式の定着した︑

夫婦の二人肖像画において︑その慣習的肖像画の壁を打ち破る試

みをすることになった︒

 蝋般に︑二人肖像画や集団肖像画の問題として︑次のことが挙

げられるであろう︒即ち︑二人或いはそれ以上の人物を︑個々の

学徳の完全な肖像性を保ちつつ︑心理的にも形体的にも統一的に

関係づけなければならない︑ ということである︒ 歴史画︵物語

画︶であれば︑主題そのものが多くの人物を関係づける契機とな

るが︑肖像画にあっては個々人が重視されなければならない︒そ

の結果︑人物の動作はできる限り抑えられなければならない︒

 さて︑ボストンの二人肖像画制作におけるレンブラントにとっ

ての問題点を結論的に述べておくと︑伝統的な肖像画形式の枠内

において︑肖像画が宿命的に有するぴ同81巴芽︵儀礼性11対社会

に向けての姿︶とぎ8﹁日p澤団︵非儀礼性11夫婦相互の親密性︑

家庭的な姿︶をどのように調整するか︑ということと活気ある絵

画的表現をいかに解決するか︑ということであった︒

 それでは︑この二人肖像画を観察してみよう︒男は画面やや左

下で正面向きに立ち︑観者をみつめている︒女は右手前で椅子に

座り︑四分の三正面︑視線はあらぬ方に向いている︒そして彼女

は︑肘かけに右手をつき︑立ち上ろうとする動作を示しているよ

うにみえる︒男は真直ぐに我々をみつめ︑身振りも儀礼的で︑明らかに表向き︵対社会的︶の姿をみせているし︑また彼の背後の

壁に掛けられた地図は︑彼の外の世界での活動を暗示する︵一七

世紀オランダの室内肖像画には︑地図や風景画がしぼしぼ描かれ ていて︑それは大抵の場合︑外の世界を暗示する︶︒女の方も︑眼をそむけ︑かすかな立ち上ろうとする動きはあるにせよ︑やはり取り澄した気配が支配的である︒以上は︑この二人像から観察できる儀礼性︵︷自ヨ農な︶の部分である︒ それでは︑二人の間の親密性或いは家庭的な姿︵ぎ玄同B巴ξ︶はどこにみられるのか︒それは︑二人が外出着に正装し︑男の背後には風口があること︑そして女の方は立ち上ろうとする気配を示していること︑などから︑二人がこれから外出しようとしているらしいところにある︒つまり︑二人は散歩に出かける準備をしているのである︒この散歩の準備というテーマ︑それは二人だけの親密な楽しみの暗示であり︑また像主の郊外の地所の所有の暗示でもある︒田舎を散歩中の二人像もしばしば描かれ︑それは所有地の誇示と風景の中の二人というくつろいだ設定において︑二人の親密性をも表わすものであった︒ レンブラントは︑このボストンの二人肖像画において︑外出という慣習的なテーマを用いて夫婦の親密性︑家庭的な︵私的な︶側面を表わしている︒しかしながら︑この最終的な表現に至るまでに︑レンブラントが種々の試みをなしていることが科学的な調査の結果判明した︒ジョン・ウォルシュのX線調査の報告︵一九七六年︶によると︑夫婦の間に男の子がいた︒そしてウォルシュは︑次のような観察と解釈をしている︒子供はむちをもって床の上のコマをまわしている︒そしてこれの意味するところは︑コマをまわし続けるためのむち打ちは︑徳のある生活を導くために必要とされる訓練であると解釈する︒ このウォルシュの解釈に対して︑ス︑ミスは︑X線写真の左下隅

にみえる奇妙な形を犬とみて︑しかも子供の視線がそちらに向け

レンブラントの肖像画︵兼重︶三七

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号

られているところがら︑子供が犬をむち打っている︑とみる︒そ

して︑犬は情欲のシンボルともみなされるので︑これは子供のみ      ︵9︶だらな悪徳の抑制を意味する︑と解釈した︒

 いずれにせよ︑ここで問題とさるべきことは︑レンブラントが

この夫婦を描くにあたって︑子供の姿とそれへの象徴的な意味の

付加によって︑家庭的な雰囲気と物語性を導入しようとした︑と

いうことである︒しかし︑最終的には現在のように子供の姿を除

いた︒何故か︒これは偏に絵画的表現効果の観点からであろう︒

つまり︑両親の表情や姿勢と子供の動作があまりにちぐはぐで不

自然にみえた︒確かに︑一七世紀オランダには︑家族の肖像と抽       ︵10︶象的シンボルを結びつけようとした作例は多く見出される︒そこ

では︑家族関係や子供を育てることについての複雑な理念が表わ

されているものの︑ 絵画的効果が著しく犠牲にされたものが多

い︒レンブラントはそのような慣習に従いながら︑自然な印象を

与える家族肖像画を意図したのであろうが︑結局満足のいく効果

を得るに至らなかった︒そこで︑子供を除き︑夫婦二人だけの像

にしたと思われる︒

 この二人肖像画は︑ 確かに儀礼的︵公的︶という印象は強い

が︑前述のように散歩の準備という設定︵慣習的︶と夫がかすか

に口を開いて話しかけているという暗示によって︑一応は親密な

雰囲気を出している︒しかしレンブラントにとっては満足な結果

を得たとは思えなかった︒つまり︑ここでは二人の心理的統一感

が欠如している︒その決定的要因は︑各人が異なった時間に置か

れていることである︒夫は︑今確かに我々と直接対面した瞬間に

いる︒しかし︑妻は︑視線を我々から逸らし夢想にふける流動的 三八

な時間の中にいる︒この時間的な不一致がこの絵の大いなる欠点

となっているように思える︒

 統一的時間の重要性に気付いたレソ.7ラントは︑前出のウィー

ンの対肖像画やシンシナティのタフト美術館とニュー︐・ヨークの

メトロポリタン美術館に別々にある対肖像画︵じd廿H鳶℃︒︒凸︶において︑夫が妻を紹介する︑という慣習的形式を用いて生々とし

た肖像画を作った︒ウィーンの対肖像画の女の像は︑ボストンの

二人肖像画の女と殆んど同じポーズであるが︑視線は夫の方に向

けられており︑時間的︑心理的統一がなされており︑タフト揺メ

トロポリタンの対肖像画では︑バロック好みの大胆な動きのある

ポーズを用いて活気ある肖像画にした︒

 このような経験をふまえた上で︑同じ年の=ご三六年に︑レンブラントは二人肖像画において︑より親密な︵私的な︶夫婦関係

の表出された肖像画を制作すべく試みた︒ ﹃造船家とその妻i      ︵図10︶ヤン・レイヅグセンと妻フリート︒ヤソスi﹄︵Uu野畑OQ︒︶がそ

れである︒

 これは︑ボストンの絵と同じく︑家庭室内の二人像であるが︑

ボストンの儀礼的な場面設定を避けて︑対肖像画でみたような︑

二人の間でのある行為の瞬間における姿として表わした︒ つま

り︑仕事中の夫に急いで手紙を持って来た妻︑という場面設定で

ある︒何気ない日常生活のひとコマとして描かれた風俗画ともと       ︵11︶られかねないが︑これは明らかに肖像画である︒

 ところで︑一人が手紙を渡すというモティーフをもった肖像画のタイプは︑ルネサンスの宮廷的︑貴族的肖像画に遡るものであ

る︒このタイプのオランダにおける好例は︑トーマス・デ・ヶイ

(7)

       ︵図9︶ゼルの一六二七年の﹃コンスタンティン・ハイヘンス像﹄であ

る︒この作品は︑恐らく像主であるハイヘンスが︑画家にこのタ

イプで描くように指示したものであろう◎ルネサンス型の教養人

であるハイヘンスが︑イタリア旅行で見た一六世紀のこの種タイ

プの肖像画は︑手紙を渡される人物が主で︑渡す人物は従︑つま

り主従の関係として描かれていたはずである︒個人の優越感の強

調︑この有効な手段として手紙を渡す従者︑或いは口述を筆記す

る秘書を伴った肖像画タイプがあったのである︒

 いずれにせよ︑ケイゼルのハイヘンス像は︑イタリアのタイプ

を︵恐らく像主の好みによって︶忠実に反映している︒ハイヘン

スの周りには︑彼の広範な教養を暗示する事物が描かれている︒

本︑筆記具は文筆家としての︑地球儀︑.天球儀は科学者として

の︑楽器や壁の絵は音楽や美術の愛好家としての彼をそれぞれ暗

示するものである︒

 レンブラントとハイヘソスの密接な関係は︑レンブラントの彼       ︵12︶に宛てた七通の手紙から明らかであるので︑レンブラントは確実

にケイゼルのこの肖像画を知っていたに違いない︒そしてこのイ

タリア起源の二人像タイプを夫婦の肖像表現に用いようとした︒

 ケイゼルのハイヘソス像は︑場面設定としては私的︵個人の書

斉︶であるが︑像主自身は十分に対社会を意識して自分を示そう

としている︒しかし︑レンブラントはより私的な親密な夫婦の関

係を表わすことを主眼にした︒類似的なテーマ︑モティーフを用

いながら︑レンブラントがそれらを内容的に或いは表現効果にお

いてどのように変換していったかをケイゼルの絵と比較しながら

検討してみよう︒たとえば︑コンパスを取り上げてみよう︒ケイ ゼルは︑これを知性と勉学を連想させるものとして描いている︒レンブラントは︑単に職業上の必要物︑道具として︑極めてリアリスティックな意味において描いている︒そしてこの喪主が造船家以外の何者でもないということを明示するために︑彼が学者或いは理想的紳士であることを暗示するような事物は一切描いていない︒ それでは﹁手紙を渡す﹂というモティーフはどうか︒ハイヘソ

スは従者から手紙を受け取ろうとしている︒その態度は︑今まで

使用していたであろうコンパスを机上に置き︑威儀を整え︑余裕

をもってふり返った︑という様子である︒つまり儀礼的︑主人としての威厳の保持が前面に出ている︒造船家はどうか︒妻が大急

ぎで入って来︑ドアを閉めるのももどかしいほどに急いで手紙を

渡そうとしているために︑彼は今まで使っていたコンパスを置く

いとまもなく︑コンパスを持ったままの手を差し出している︒従って︑妻も夫も第三者︵公的︑社会的︶の眼を意識するいとまも

ない︒ここに夫婦の間だけの関係が成立している︒

 結局︑両肖像画の基本的な相違は︑ケイゼルの絵では︑ハイヘ

ンス一人に集中するために手紙を渡す人物や他の事物があるのに       対し︑レンブラントの絵では︑夫と妻の親密な関係の表現のため

一にサれらがある︑ということにある︒

 ところで︑手紙そのものは︑コミュニケーションの三聖として

の役割がある︒事実レンブラントは︑最も初期の肖像画﹃ニコ     ︵図1︶ラース・ルッツ像﹄で︑像主が悪者に向けて手紙を差し出すジェ

スチュアによって導者に語りかけさせている︒しかし︑ ﹃造船家

夫妻像﹄では︑手紙は夫妻間のコミュニケーションを意味する役

割を担っている︒それにしても︑ここで描かれている妻が夫に手

レンブラントの肖像画︵兼重︶三九

(8)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号四〇

紙を渡す動作は︑親密な夫妻の間とはいえ︑あまりにも無遠慮す

ぎる表現になっている︒この点について︑スミスは︑このような

表現はヤーコプ・カッツの結婚論..誠8≦①ζ︒吋︑︑の反映である︑      ︵13︶と指摘している︒

勃ッツの説くところによると︑女は教会や国家に対して果すべき役割をもたない︑公的役割がない︒しかし︑それは女を低くみ

るのではなく︑彼女らは家庭︵私的︶において力と責任を有す

る︒家庭は統治すべき王国と同様である︑とする︒このように︑

家庭に国家という新しい次元を与え︑そして家庭の王国において

は夫と妻はパートナーであり︑妻は夫の仕事を助けるべきであ

る︑と説いた︒ レンブラントが造船家夫妻を描くにあたって︑右のような結婚

観を胸中に抱いていたことは容易に想像できる︒従って︑レンブ

ラントは行動的な妻の姿として表わしたのである︒つまり同時代

オランダで支配的であった結婚の理念をひとつの物語的要素とし

て︑活気ある夫婦の肖像画を描いた︑と言えるであろう︒

 これまでに︑レンブラントの一六三三年の二点の二人肖像画と

二組の対肖像画をみてきた︒いずれも発想の源は︑イタリアやオ

ランダ伝統の肖像画に求められる︒しかし︑どこから出発したに

せよ︑レンブラントが究極的に到達しようとしたのは︑像主に似

せる︑という肖像画の絶対的条件を満たしながら︑その人物の生

活︑.環境或いは精神をも表現することであり︑更には個人を超え

た普遍的人間感情の表現であった︒これらの表現のために︑彼は

種々の物語的要素を導入したが︑これまでみたように必ずしも成

功したとは言えない面もある︒  ボストンの二人肖像画では︑子供の教育という寓意︵物語性︶を導入することによって︑家庭的︑親密な雰囲気を表現しようとしたが︑夫妻の儀礼的︑公的な表情・姿勢の故に失敗し︑結局外出の準備という慣習的な設定に留まってしまった︒二組の対肖像画においては︑夫が観者に妻を紹介する︑という設定で二人を描き︑活気ある肖像画となったが︑精神性の表現には未だ至っていない︒そして﹃造船家夫妻﹄において︑ ﹁手紙を渡す﹂という行為1その表現においてカヅツの説く一七世紀オランダの結婚の理念とつながる一それを物語的要素として︑夫婦の親密な関係を生々と表現することに成功した︒ レンブラントの肖像画における物語性という点で︑それが最も有効かつ顕著に表出されたものは︑彼の集団肖像画︵σq8壱壱︒ヤ嘗巴︶である︒一六四二年の﹃夜警﹄ ︵じuさ凸O︶はその好例であるが︑内容についてはここでは触れない︒ただ︑この作品が肖像画である故に生じた問題︵難点︶は︑全ての像主が一様に平等に似せて表わされなかったことにある︒つまり︑物語性が︑肖像性を圧倒してしまったことにある︒しかし︑レンブラントは︑集団肖像画におけるこの問題を︑一六六二年の﹃布地組合の見本調査官たち﹄ ︵bd戸凸α︶において見事に解決した︒ さて︑レンブラントの注文による肖像画の数は︑一六四〇年代から減ってくる︒そして注文による肖像画にしても︑比較的画家の自由を認めてくれるパトロンに限って描いているようである︒しかもレンブラントの自由な想像力をかき立ててくれるようなモデルを描くことが多くなった︒従って︑純粋に注文による肖像画なのか︑単なる人物習作なのか︑或いは聖書上の人物を意図した

ものか単なる老人の習作なのか︑区別をつけかねる人物画が多く

(9)

なる︒.つまり主題の境界が曖昧な作品が目立ってくる︒

 三〇年代のレンブラントの肖像画は︑先にみたように︑最も物語性の強い二人肖像画や対肖像画であっても︑肖像画か物語画か

区別のつかないような暖昧さはなかった︒明らかに肖像画であっ

て︑物語的要素はある瞬間的な行為という設定において取り入れ

られていた︒

 ところで︑レンブラント晩年の肖像画作品のひとつに︑メトロ       ︵図11︶ポリタソ美術館所蔵の対肖像画﹃拡大鏡を持った男の像﹄ ︵¢dさ       ︵図12︶ωま︶と﹃カーネーションを持った婦人の像﹄︵ω封おごμ①①︒︒頃︶

がある︒このカップルは︑ポルトガル系ユダヤ人ミグエル・デ・

バリオスと妻アビグェル・デ・ピーニャとする説もあるが︑断定

するには至っていない︒しかし︑いずれにせよ︑二人の顔のタイ

プやエキゾティックな衣裳から︑レンブラントが親しくしていた

上流階級のユダヤ人であることには間違いない︒このような人物

からこそ︑レンブラントは想像力を刺戟されたのである︒

 この対肖像画は︑一見標準的タイプを示すもののようにみえ

る︒しかし︑夫は観者をみつめ右手で妻を紹介する︑という通常

のタイプを示しているが︑実はその右手は拡大鏡を持っているた

めにこのような身振りになったのであり︑その手も陰の中にあっ

てあまり目立たない︒こちらに向けた眼も︑我々をみつめるとい

うよりも︑むしろ瞑想にふけっている眼である︒妻は︑美を見る

でもなく︑我々を見るでもない︒殆んど横向きに描かれている︒

顔と胸に光が当たり︑周りの豪奢な装身具とピンクの花がわずか

に目立つだけで︑あとは暗部に沈んでいる︒画家が現実の中に見

出した聖書世界の人物を︑対肖像画の形式を借りて表現したかの ようである︒とりたてて際立った動きや表情がないのに︑このような想像をかきたてるのは︑円熟したレンブラントの深い色彩と明暗による雰囲気表現によるものである︒ここでは︑たくまずして物語性が表出されていると言えるであろう︒ ところで︑この対肖像画に先立って︑二人をモデルにしたもう

一点の作品がある︒レンブラント晩年の傑作のひとつ﹃ユダヤの︵図13︶花嫁﹄ ︵︼W5凸①二①9頃︶と称される作品がそれである︒これ

が単なる二人肖像画か︑聖書上の人物︵物語画︶か︑或いは両方

を含んでいるものなのか︑種々論議がある︒ ﹃ユダヤの花嫁﹄と

いう名称は︑一八三三年にこれを所有したアムステルダムの収集

家アドリアーン・ファン・デル・ホープが﹁⁝ユダヤ人の花嫁で

ある︒その父親が彼女の首飾りをつけている﹂と記したことに由

来するものと思われる︒現在これを所有するアムステルダム国立

美術館のカタログには︑ ﹁旧約聖書の人物としての夫妻像︿ユダ

ヤの花嫁﹀として知られる﹂とある︒そして︑これを物語画とみ

る説の中で︑この男女にイサクとリベカ︵創世記第二六章︶をあ

てる説︵ヘルゾン︑パウホ︶が有力である︒ニューヨーク︵個人

蔵︶にあるレンブラントの一枚の素描︵しu①器︒・oげ乞︒・㊤Q︒Q︒︶は︑

ラファエルロの絵画に基く銅版画﹃イサクとリベカを盗視するア

ビメレク﹄を下敷にした作品である︒この素描と︑油彩の﹃ユダ

ヤの花嫁﹄は︑バックと人物の位置において明らかな関係が認め

られる︵ただし︑油彩では素描右上のアビメレク王の姿はな

い︶︒しかも︑レントゲン調査の結果︑油彩の立像の二人は︑初

めは素描の如く座像であった︒このようにみてくると︑少くとも

この絵が最初から単純に失婦の二人像として意図されたものでは

レンブラントの肖像画︵兼重︶四︐一

(10)

長崎大学教育学部人文科学研究報告第三四号

ないことは言える︒恐らく﹁イサクとリベカ﹂の物語を描こうと      ︵14︶したのであろう︒画中に二人を盗視するアビメレクが入っていれ

ば︑問題なく﹃イサクとリベカ﹄とすることができるのである

が︑レンブラントはそれを敢えて入れなかった︒レンブラントの

物語表現の特徴は︑特定物語の図解的表現を徹底的に避けること

である︒この態度は︑若い時期から維持している特色である︒噺

回限りの物語図としてではなく︑そこに普遍的な意味をもたせよ

うとする︒現実の夫婦をモデルとしてこれを制作した意図はまさ

にそこにある︒これは︑イサクとリベカの物語︵宗教画︶である

と同時に︑ ﹁愛﹂を表わすものであり︑また夫婦の肖像ともなり

得るものでもある︒個別性と普遍性の間をさまよう感じ︑これが

レンブラント絵画の本質であろうと思える︒

 ベネッシュは﹃ユダヤの花嫁﹄について次のように述べてい

る︑ ﹁実在の人物像と聖書上の人物像を統一融合するという問題      ︵15︶の最も完全な解決を見出した﹂と︒

 これまで︑レンブラントの肖像画の中における物語的要素を種

々検討してきた︒そして物語性の導入によって彼の意図するところは︑活気ある絵画的効果ということのほかに︑例えば二人像や

対肖像画にあっては︑結婚︑夫婦︑家庭といった一般的理念の表

現ということにあった︒つまり︑肖像画︵個別性︶に物語的要素

を付加することによって︑一定の理念︵普遍性︶の表現にまで高

める︒逆に︑物語画にあっては︑物語︵個別的︶に現実の人物を

あてることにより︑その物語に人間的感情︑情念といった︑より普遍性をもった現実的表現を志向する︒これがレンブラント絵画

の本質と言えるのではないか︒ 四二

 結局︑レンブラントにとって︑肖像画とか物語画︑或いは風景画といった画種の区分は本質的には大した問題でなかった︒全て

はあらゆる感情︑情念をもった人間の表現に向けられていたと言

える︒レンブラントが肖像画を多く描いたのも︑それが最も直接

的な人間表現となり得たからである︒

  付記

 本稿は︑昭和五十九年七月に九州芸術学会︵福岡市美術館︶

おいてロ頭発表した論旨を基礎にして執筆されたものである︒

︵1︶ブレデイウスのカタログ︵﹀.切お山貯の︵No︿駐︒畠び同国・OΦ房§︶軸

  男田≦切回>ZU日日冨8日竺Φ80二重80︷臣︒窟一嘗ぎαqω夢マ侮

  ①餌こド§匹自δ①︒︒●︶により分類︒

︵2︶U9︒︿嵐国・ω日坤汀﹈≦器甑︒︷≦o臼︒爵ωo︿Φ巨8巨げ一OΦ巨ξ団U⊆8ゲ

  嵐碧ほp︒αqo℃o詳目臥εお⁝寓8窪αq§日O︒︒b︒・

︵3︶ ︵2︶の論文の他に次の諸論文を主として参考にした︒

  ・U9︒ぐ凌因・ωヨ坤汀円⑦Bげ§αひ︑︒・国9︒ユ団02窪︒勺︒ほ鎚ぱω碧α昏︒

   U暮︒ゲOo薯①誘98国80⁝↓冨︾誉切集︒江ρお︒︒b︒︿oご①冷

   20・卜○.

  ・冨8び閑︒︒・gび臼αq国国ζ切幻>ZU日ζho碧ユ≦o界⁝︷貯︒︒一〇一瓢呂

   H逡◎︒︵ω誌巴●お①︒︒︶・

  ・冒げ旨℃o℃?出癖⇔o︒・︒︒薯臼冨℃o再話坤ぎ萄︒幻︒§一︒・ω碧8⁝6①①

   ピ︒昌α§・

  ・9ε切①器ω畠鱒≦o吋匡冤9昌像菊Φ冒αqご葛℃o跨円理件巴昌男oBげ§臼.︒︒

   H舞︒︾益↓冨﹀博β琵辞⑦Hぎお℃這累 ︵o巳09巴≦鼻ぎσqω

(11)

   <o一●H因︒ヨび嵩μ鼻所収︶︒

︵4︶たとえば典型的な作品としてへームスケルクの一五二九年作﹃男の

  肖鍛︵ピーター・ヘリッツ・ビッカー︶﹄と﹃女の肖像︵アンナ・

   コッデ︶﹄ ︵アムステルダム 国立美術館︶が挙げられる︒

︵5︶即戸く9︒⇒ΩΦ匡︒ほ幻︒日び冨巳け.ωωヨ呂勺︒旨巴︒︒︒h竃・国β話︒蕊

  鋤pαH・伍ΦΩゲΦ冤口HHH⁝Oβ山出︒嵩90β匹①◎◎ド㊤αQo℃℃・HOS

︵6︶Q︒巳膏臣⑦︾二bd巳①件ぎ琶●①冷℃﹄︒︒♪88︒︒り●

︵7︶ω巳チ寓器訂︒︷≦︒臼︒︒ぎ署︒鼠O山自.

︵8︶ベルリンにあるニコラース・エリアスの作品﹃コルネリス・ド・グ

  ラーフ像﹄と﹃妻カタリーナ・ホーフト像﹄はその好例である︒

︵9︶ω巨音↓冨﹀慧bd亀︒けぎぐ︒ど①♪℃・b︒8●

︵10︶ω﹈B帥臣罎器犀︒︒o︷≦①座ooパ矯も℃Q◎NlQ◎Q◎鳩①刈一①Q◎・

︵11︶U信8ゴ℃ぎけ⊆目oqロ坤︒日仲ゴ︒幻︒冤巴Oo=①o氏︒旨咽μ㊤刈μい︒昌画︒昌︾℃・刈Q◎●

︵12︶国.Oo謎︒昌ωoぐΦ口い︒菖Φ房びく切︒ヨびHpロ伍け嚇Uoロ=鋤餌αqμ㊤①H・

︵13︶の日即げ嵐po︒犀ooo︷≦o臼oo犀嚇℃℃HQ◎OlHQ◎μ・

︵14︶前川・兼重﹁世果美術全集13・レンブラント﹂集英社︑ 一九七七

  年︑図55解説︑および高橋達史﹁レンブラントと図像一主題の選択

  と扱いにおける特質をめぐって一﹂ 三彩 乞︒●四二〇・一九八二

  年唱●七一参照︒

︵15︶︼WΦ昌Φω畠前掲書℃・N8︒

       ︵昭和五十九年十月三十一日受理︶

レンブラントの肖像画︵兼重︶四三

(12)

 ソ ヨ シ ク ラー 一ヨ ス一 ●ク ル︐ ツフ ツリ 像ツ  ク 6コ3ー

ニニ

1

 一 リ ラ ヤ ギ ● ジ

32 b

6レ カ世・皿チソツイィヘウ●レ ノデダ

ヤロ ーソ コド プソ  ク

3

1632

ハ絵 イ画 へ館

マハ ウン リブ ツル ツグ  ウ

2

(13)

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34 16

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(14)

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 6

一ン27 マス︐ スタロ ●ンン デテト ●イン ケン︐ イ・国 ゼハ立 ルイ絵 ︐へ画 ン館

33

16

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つチをス裳︐

衣ソラのトベ行スサ流ボイ

33

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16

妻ソのキそ㍉とμ家障船ソ造ロ

10

(15)

 館 術像美のソ人タ婦りたポつロ持トをメン︐ヨクシ一一ヨネ一

一 ユカニ

12

 館 術 美 ソ タ リ ボ像ロのト男メた︐つク持一をヨ鏡一大ユ拡二

11 13 ユァ ダ晶 やカ のげ 花ら 嫁国  立  美  術  館

図 11 図 13 ユァ ダ晶 やカ のげ 花ら 嫁国  立  美  術  館

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