ゲーテの物語詩《コリントの花嫁》について
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(2) . ゲーテの物語詩 《コリントの花嫁》 に つ い て. 東. 谷. 文. 雄. 1. は じめ に ’ , i i T i in wunder ich Ding i l S td te i i d … … Und danni t e n r n t a n s e Ze e s e y , , rse ne Launen ha. icht macht. tein ander Ges undderzu dem, was einersagt und tut,ini rhunde r edem Jah 1 ) l lunszusagennichtnlehranstehen … …( Wr iechenzusagener l ten Gr asdenal aubt war , wi ,. 2 ( )を見せ こ の 言 葉は, 1824 年 2 月 25 日, Goe the が Eckermannに 「極 め て 注 目 す べ き 2編の詩」 iane と の 官 ien》 - - ロ ー マ を 舞 台 と し て Chr is た とき の もの であ る. そ の 1 編 は 《Rbmi t s che E1 eg. 能的な愛を歌った古代調の華麗な艶情詩 -- の÷部であり, いま1編は 《Das Tagebuch》 - - 旅 の 一 夜 ふ と 宿 の Madchen に よ ろ め き か け た 夫 が, 結 局 は 妻 へ の Treu を守っ て家路を急 ぐさまを 歌った艶情詩 で, その最終連はこの詩の趣旨説明と教訓になっている -- であっ た それらは 「ど , ちらも傾向としては高度に道徳的なものであるが, それぞれのモティ ーフは自然で真実なものなの 3 ( ) から 大衆の怒りを買う ことの で,世間の人びとはそういう 作品を不道徳と呼ぶのが常 であった」 , heはこの詩の写しをごく 限られた範囲の人びとに見せただけで 生前印刷に付す t ないように, Goe , る こ と は し なか っ た,. heの没後1世紀半を数えようとし, 私たちは今彼の生きた時代とは全く 「別な顔」をし 既 に Go t e た 時 代 に 生 き て いる, 1810 年 に Jena で執 筆 さ れ た こ の 8 行連 詩 《Das Tagebuch》 は, ワ イ マ ル 版. を初めマイヤー版などのゲーテ全集に収められているのは勿論, 邦訳でも人文書院版ゲ」テ全集第 1 巻 に 収 め ら れ,Thomas Mann がこの詩について,その大胆な倫理性に対して格別な愛着を抱 いて 4 〉 いた 旨 の 注解 も加 え ら れ て い る( 。 艶情詩 《Das Tagebuch》 の最終連が 「なくもがな」 の感を私に与えるこの現在から一 挙に1 80余 in 年 を 遡 っ て, 1797 年6月4 日 か ら 6 日にかけて一気に創作された物語詩 《D i th》 e Braut von Kor 々gs が, 当 時 の 人 びと に どの よ う に 受 け と め ら れ た か を 最 も 端 的 に 示 す も の と し て, 配所倦 め Go z e Poemsの 著 者JamesBo I r yd は2通の手紙を取り上げている, 1通は当時のワイマル高等学校長 Ka August Bo i i l l t t i ichVon Mat ison に あ て th er の 高 い 評 価 を 受 け た 感 傷 的 汗 情 詩 人 Fr edr ger が, Sch. た 1797 年 10 月1 8 日 付 の も の であ る, ‐ indd l Ubernichtss i tera l i e Meinungen getei suber Goethes β’祢”!〃の? e r endd ,Kの方?豹. 訳後h is iea l ieeke lha f l l i i ihung des Chr eine Pa te tes tea r sd r Bordelszenen nennt und e e Entwe ‐ ‐d lendtste a l l l iedasvol l inen Kunstwer stentums ho ch aufnim mt,nennen anderes er k くe e 5 ( ) Goethes .. 35.
(3) . 東. 谷 文. 雄. in の扶育官で い ま 1 通 は, か っ て 若き Goethe の 指 導 者 であ っ た Herder が, ワ イ マ ル 公 子 Kons tant ILudwigvon Knebe lに あ て た 1797 年 8 月 5 日 付 の も の で,Goethe の 物 語 詩 に 文筆家 でもある Kar. 対する彼の激烈な嫌悪が端的に示されている, ′. l i l l Sch i l l hm,zwe,Von t rvier Ba aden des nachsten A1manachs mitgetei erhat mi ,zwe v。ni. ie l iapuse inegroβe Ro l l inma la l Goethe tPr inerBa te t mi i e sGot ader e . lndenletztensp ,e , i indet;daszwe i i la i l i l in He den tetotf t t iung sodaβs ng mi eihn MorgensanihrerSe e Ma se inerch is 1 ichen Braut,diea1S Gespenstzuihm kommt i 1 i t teLe e r eer,eine ka Cheohne ,undd. 6 } ( Herz ind He ldenba l l l rmen Leben priapisiert … …dass aden ,zum wa ま こ と に 直 哉 に 過 ぎ るく ら い の 表 現 で, 私 は, Goethe の 作 品 そ の も の の 表 現 よ り も, む し ろ こ の Herderの 手 紙 の 文 面 に 深く 恐 れ 入 っ て い る 上 の 2 例 は 比 較 的 Goethe に 近 い 人 びと の 批 評 であ る .. が, 次に Goethe から距離を と っ て い た 人 びと の 批 評 を G. Brandes の G解放eの 中から拾い上げて he及び「若 t みよう.Br ande sは,19世紀中葉を牛耳っ た国粋主義的な文芸批評家, 文学史家 で,Goe l fgang Menze lの 評 言 を 引 用 し て, こ の 物 語 詩 《Die Braut き ドイ ツ員辰の鋭い敵対者でも あ っ た Wo inth》 が当時の人びと に と っ て は von Kor den Ausdruch ausschweifender 帆r iesogarnochinden Schauern des Grabes l i l l te us e o ,in ,d 7 ( } der BL l h i mi tschbnen Gespenstern e1nen Hautgout des Genussessucht. 1 ere. に甚 だしく傾斜した好ましからぬ作品 であっ た旨を伝えている. いま 」つ, T. Mann が そ の 作 品 乙所を / 4を“〃〃・の 中 で,Goethe の 息 子 Augus tに 次 の よ う に 語 らせ て い る の も, こ の 物 語 詩 や そ の 7 21. heの 主要な作品に対する当時の人びとの反応を知る上でのよい参考になる であろう t 他の Goe ・ . i in Hur i ien》e insumpfderlaxen ter》e … …Da warder《Me tundd s schen E1 ennes eg e《Romi lund 《Der Go Mora i inth》 PriaPischer t tundd j e Ba adere》 so wohl wie 《Die Brautvon Kor Unf l iden》 derverderb l ichs ther te at… …was Wunderdenn auch, da schon 《des Wer s Le 8 ( } 工mmora l i smus gewesen waren.. iWr ich unterfangen unds i in ten wieder … …Undbe ahrverwandt schaf ee ,auchdahatmans 9 } itel l i l ich 汎′ t… …( eder e rk bet. i t さ き に 引 用 し た Bot 十情詩人でしかも公的立場にある者の眼に映じたワイマルの上 ger の手紙は,才 流 の 人 びと の こ の 作 品 に 対 す る 反 応 を 明 ら か に す る た め に, ま た Herderの 手 紙 に 溢 れ る こ の 物 語 i 詩に対する嫌悪は, 彼の情調の水域には Goethe が 作 品 に 託 した das Lyr sche が 全 く 流 入 し 得 ず, lの攻撃的な評言は, 彼の立場から かえっ て激しい逆流をひき起こした証言として, また W.Menz e heがその誤解を懸念していたところを逆手に取っての意図的な酷評であるこ t 明らかなように,Goe と の, 更に T. Mann が そ の 作 中 に あ げ て い る ワ イ マ ル 上 流 の 人 び と の 態 度 は, 当 然 キ リ ス ト 教 徒 で. あり, それなりに道徳的でもあっ たろう人びとの, この異教的な色彩とかなり開放的な官能描写に 富む物語詩に対する排斥的な態度の証明の一つとして, それ ぞれ援用されている, heの作品に対して周囲の人びとがこのような 当時それ ぞれの環境, 立場, 信条等に基いて, Go t e 36.
(4) . ゲーテの物語詩 《コリントの花嫁》 について. 反応を示していることは, 特に宗教的背景を考慮するとき, まことに当然のことと言わなくてはな in h》の基調音とも言うべき Goethe の 異 教 的 な も の へ の 賛 t r e Braut von Ko るまい, この物語詩《Di 歌は, 青白い鬼火のあかりの中から響いており, 殆んど挽歌の音調さえ私に感じさせはするが, 私 はいまキリスト教からは異教の場に あっ てそれを聞いている. また20世紀後半にあっ て, 官能的な 表現の芸術的巧徴性が高い評価を受けている時代に生きていることも私の視座の礎石の 一つとなっ てい る こ と を, こ こ で予 め 断 っ て お こう. inth》 は Sch i l l e rが 「われらの物語詩の年」 と呼んだ 1797 年の春か e Braut von Kor 物語詩 《Di , heがSch i l l t ら夏にかけて, Go e rの 熱心な勧めと励まし ・を得ながら, 殆ん ど両詩人競作の形 で次 々 e B l i l aber 》 ehr ng》 zgr と創作を続け た時期の一連の作品群 《Der Zauber , 《Der schat , 《Die rau亡 von i inth》 Kor tundd i re》の 中 の 一 つ であ る. こ れ ら の 物 語 詩 は そ の す べ て が Goethe e Ba ade ,《Der Got. の全くの創作という訳ではなくγ その殆んどに素材となった原拠を求め得ることは, 彼の創作の一 面 を 知 る 上 で 興 味 深 い 事 実 で あ る, G.Brandes 及 び E,Trunz の 説 に 従 う な ら ば, 例 え ば 《Der ige》 l l Zauber l ing》 はその素材を Lucian von Samosata の 《Der Lugenf aub r eundoderder Ung ehr i inth》は Ph l l l t tundd に,《Di e egonvon Tra es の 《Buchder wunder》に,《Der Go e Braut von Kor 1 0 ) { indi ina》 に 求 め る こ と が でき る i Ba t iadere》 は Sonnerat の 《Re en und Ch se nach os しかし , l inth》 l Goe the 自身は1 r e Brautvon Ko 82 4年6月 6 日 Kanzler von Mu erに 対 し て, こ の 作 品 《Di 1 1 〉 { l の素 材 は Ph ‐ egon の 作に よ る も の では なく, 他 の も の か ら 得 た 旨 を 語 っ て い る , そ の た め に Lo i k i i hS h i d G W k t ows などの研究者たちは,この物語詩の原拠として他の r や Erc c m tさらに eorg pe 12 ) ま だ確 定 的 な 説 は な い の で こ こ では Ph l 文 献 を 挙 げ て い る が( egon の 作 を 原 拠 と す る 説 を と る , , こ と とす る. l egon 作 の 物 語 の . こ の 物 語 詩 の 創 作態 度 を 明 ら か に し て 行く た め の 一 つ の 前 提 と し て, こ こ に Ph 梗概を紹介しておきたいが,適切な形で原拠を見ることができないの で,J amesBoyd が こ の 作 品 に l egon の 作 品 は 断 片 と し つ い て の 注 解 の 中 で紹 介 し てい る も の を 借 用 す る こ と に し よ う, し か し,Ph て残 っ て い る た め, 導 入 部 分 が 欠 け て い る か ら, そ の 部 分 に つ い て は E.Trunz の 非 常 に 簡 潔 な 原 拠. 紹介から補うことに する. 若 者 Machates が 親 の 代 か ら 親 類 づ き 合 い を し て い る 知 人 を 尋 ね て シ シ リ ア の 町 ト ラ レ ス ヘ i l l inn ion は 既 に 半 年 前に 死 亡 し て い や っ て 来る. Machates と 相 思 の 間 柄 に あ る こ の 家 の 娘 Ph. たが, 彼はそのことを知らない. その夜, 娘が彼の許へやっ て来て彼に胸中の想いを打ち明け, 1 3 ) 二 人は 共 に 一 夜 を 過 ごす( ,. the の 創 意 の あ こ の さ き に つ い て は, Trunz の 紹 介 よ り も James Boyd の そ れ を 借 用 す る 方 が, Goe tは Phl と を 見 る の に 好 都 合 な の で, 英 文 の ま ま 引 用 す る. 文 頭 の l egon の 断 片 を 指 し て い る, ived, wi l inds the boy, Machates, who hasobv i lyjus th hatthe nurse f t relates t tarr ous . i h d h i i d t i f h t d t i h i o b i d i t u r r s e Phi l l inn t n s e r o a e mo ec es wa p n eng n orme , e on n sarms.. ingto be 1 i i tshe can i l . inn i two atdaybr evetha onhasd sappeared eak . Refus . Bythen ph N i i f h i f h t h i l l i t d M h bedea , ac at ex ngh esprom sest athe w normt em, s ereappears, ,atthe h h h d ime she returns same t , urry, to t e room, , and t e parents , sum mone by a servant ,. h f They are aghastt of indthe i rdaughte rand seekto embrace he r ,butshe accusest em o hav ing chea ight tthe gods have granted her,and thherlovertha t edherofthethree n s wi 37.
(5) . 東. 谷 文. 雄. ’ d th ime i t mourn the now they mus s ea a second t r daughter .. Wi l l th these words she f s a. dead ingand gob l tare ar oundto be empty;butini sopened andi sf etshe . Her gravei hadreceivedf i ightofthef i i tv t r om N1 achates onthen r s s . Theincident causesa stirin ided,on the demand of a soothsayer,to throw her body to wi l ti the town,andi d s dec ies idethetown’s boundar t animal s ou s .. 14 ( ) Machatescom mi tssuicide.. l この 梗概から明らかなように,Ph egonの作では,幽明境を異にした娘がなお若者を烈しく 恋い求め る情熱が作り出す妖異の世界が悲劇的に描かれてい ・る, だが上述の原拠では, 幽鬼と化した若者を 直接に墓穴へ引き込むことはない, 一般に民間伝承や説話の中には, 超自然的な要素が印象鮮やかに巧みに用いられていて, 現実の 人間の世界からは大きくかけ離れて いるにも拘らず, 私たちの心を深くとらえるものが多い, こ の in l th》 の素材とされる Ph 物語詩 《Di e Braut von Kor egon の 作 品 も, そ の ま ま 十 分 に 読 者 に 深 い 感 興 を 与 え 得 る 力 を 持 っ て い る こ と を, Goethe は 早く か ら 心 の う ち に 留 め て い た の であ ろ う.. 次い でこの物語詩がわずか2, 3日という短時日のうちに完成した事情と, この妖 異の世界を描 い た 作 品 の 基 流 と な っ て い る キ リ ス ト 教 と 異 教 と の 対 抗 に つ い て, 作 者 Goethe が 後 年 語 っ て い る. ところに耳を傾けてみよう, 先ず宗教間の対立をこの物語詩の基流とした事情に ついては, 1 824年 l l 6月 6 日 の Kanzler von Mu erと の 談 話 の 中 の Die Gegensatze de ischenundderchr =chen Re l ig ionbi l l ingselnereiche idn is t rhe et ena erd 1 5 ( ) Fundgrubefurd ie Poesie.. という言葉からそれ・を知ることができるし, この物語詩の創作に着手した事情については,1 830年 k E 3 月1 0 日 の 談 話 と し て c erman が 私 た ちに 伝 え て い る と こ ろ か ら う か が い 知 る こ と が でき る, ieb wei l erimme ie gr l i l i l … …l o鳥tente ch verdanke s r etwas s sch ern , ,der mich dazu tr Neuesf ine《Ho ie i l l i i l tv urse t ren》brauchte enJahr enim Kopf chhat es ea eschonse e . l ,s .. i ige Bi 1 i 1 der 1 besChaf ta t en meinen Ge e kamen und gingen s sanmut sschdne Traume gt ,a ,di } ichsp i l ie Phantasie n td und womi l e end begluckte… …(16. Goethe は そ の 胸 中 に 抱 き 続 け て き た 幻 影 を, Ph l egon の 作 中 の 一 つ の 妖 異 の 世 界 を 素 材 と し て, 縦. 横に活動させている. こういう創作手法を彼は殆ん ど妙技と言っ てよい程の巧みさを以て駆使して inth》 は殆ん ど独創的な妖異の世界を作り い る の で, そ の 結 果 と し て 完 成 した 《Die Brautron Kor l 出 して い る と 言 っ て よ い,彼 は こ の よ う な 創 作 態 度 に つ いて 1824 年 12 月1 7 日,Kanzlervon Mul er と の 談 話 の 中 で 次 の よ う に 語 っ て い る, Gehbr ichta l l i l i tn twel t es e Vor‐und Mi et s wegen an? ,ge e st , was d ,dem Dichtervon Recht W′arum s l lers ichscheuen, B1umen zu nehmen, wo ersief indet ? Nurdurch Aneignung o 1 ( 7 } s h h i f remder c atze entste t e n Groβes .. l そ の 結 果 と し て, Ph egon の 作 は 殆 ん どそ の 原 形 を 留 め な い ま でに 改 変 さ れ る. 1 ( ) キリス1 ・教の教義が主張する人間的な本能の抑圧,.厳格な禁欲と, 異教の持つおおらかな官 38.
(6) . ゲーテの物語詩 《コリントの 花嫁》 について. 能性, 人間 の情熱を寛大に受け入れる開放的な態度との対立が明らかにこの物語詩の基流とさ れ, そのために物語詩の舞台はコリントに設定される, ( 2 ) 相愛の若い男女は幼時から親同士の 認めた許婚者の間柄にあり, ことに娘は若者に熱い想い を寄 せ て い た,. ) 若者の家は異教徒であり, 娘の家は母の病気平癒を機と してキリスト教徒に改宗し, 娘は母 ( 3 の身勝手な誓いのために, キリストの花嫁として修道女にされ, 若者との結婚の望みを断ち切 ・ られる ,. 4 ( ) 若者が娘の家を尋ねあてて宿とした夜,既に鬼籍に入っ ていた娘が幽鬼 -- それも吸血鬼と なっ て若者の許を訪れ, 想いを遂げると共に若者を死の世界へ誘い入れる, ( 5 ) 吸血鬼と化した娘は, 母に自分と若者の 二つの死体を異教の儀式に従って茶毘に附するよう に乞い, それによって相愛の二人は, 彼女に復讐をすら許した異教の神々の許へ急ぐ. heの創作部分を列挙すると, 既にこの物語詩の 梗概を述べたことになるくらい, t 以上のように Goe theの華麗な創作を入れる素朴な容器としての役割を果しているに過ぎない, 原拠は単に Go e とこ ろ で, 一 体 こ の 物 語 詩 の 基 流の 波 音 と な っ て い る Goethe 自身の宗教観はいかなるもの であ り, 彼はキリスト教に対してどのような態度をとっ ていたのであろうか. 異教徒の若者と, 彼への de rの激 r 燃える想いの故に中有の域に あっ て吸血鬼と化した娘が, 多くの世人のひんしゅくと, He th eが熱く 描いているのは, 必ずしも作者 烈な嫌悪を招く程に, その凄絶な恋を成就させる様を Goe がその詩心の奔騰に任せていたずらに詩行を連ねた訳ではあるまい, 恐らくは単にそれを暗示する だけではおさまらぬ何ものかを示すべく, 敢えて4連を若者と吸血鬼との恋の場面に費やしている l 筈である,Ph egonの作では単 なる幽鬼に過ぎない娘の姿を,救い難く忌まわしい吸血鬼にま で化身 dee は あ IHe inemann は, Goethe の 物 語 詩 の 中 に もl さ せ る 必 要 が果 し て あ っ た の であ ろ う か. Kar. るが, それは詩中に含蓄的に存在しているに過ぎず, いわば 「思いがけない贈物」 のように読者の 1 8 ) ふ と こ ろ へ 落 ち てく る の だ と 述 べ て い る{ ,. それならば私は自分のふ ところに落ちてきた 「思いがけない贈物」 が何 であるのか, その包みを 解いて, その中から現れる 吸血 鬼の姿と, 彼女の創造主 である Goethe がよ っ て 立 つ 宗 教 観 を 明 ら か にする試みを, 或は水をつかむにも似た試みに帰するかも知れないが, この物語詩の基流に手を浸 して私なりに おこなっ てみよう. 2, 吸血鬼のす がた この世に生きている者と, 既に鬼籍に入った者とが, 幽明境をへだてながらなお断ち切れぬ愛恋 の情から, 死者が幽鬼となっ て現世に立ち現れて, そこに妖異の世界を形成し, 美しくはあるが凄 絶な恋物語を生み出していることは, 時の古今, 洋の東西を問わない. 例を遠く ギリシヤ神話の ice の そ れ に 求 め る ま で も なく, 私 た ち はイ ザ ナ ギ とイ ザ ナ ミ の 神 話 を 知 っ て い orpheus と Euryd. るし, 身近な古典としては今昔物語巻27第24及び第25の物語, 更には近世の三遊亭円朝作 「怪談 牡丹燈龍」 の典拠となった明の蟹宗吉の作という 「勢燈新話」 のうちの 「牡丹燈記」 にもその例を 求め る こ と が でき る.. ところ で池田弥三郎氏の説によれば, 特定の人を目指して霊界から来往するのが幽霊であり, 特 1 9 ) とすれば この物語詩 《Die Brautvon Kor inth》 の中の 定の場所にまつわるものが妖径である( , 。 吸血鬼は, その生家と深く結びつきながら, 最初に特定の相手, 即ち彼女の許婚者 である若者を死 の世界に誘い入れた後も, 更に不特定多数の若者に報復しようとするが, 許婚者の 若者への 想いを 39.
(7) . 東. 谷 文. 雄. 遂げた後は, 往くべきところへ往かれぬ恨みを母に告げてその救いを求めもしているので, その性 格は前述の二者の複合体であり, この怪異なものに美しい若い娘という装いを与えていることは, かえっ て凄惨な印象を深重にする効果があるの で, この物語詩中の吸血 鬼はその恐怖性を一層増幅 し て い る と 思 わ れ る, I the の 意 図 は ど こ に あ る の か に つ い て, Kar こ の 物 語 詩 の 主 人 公 を こ の よ う な 吸 血 鬼 と し た・Goe Vi etorは 次 の よ う に 言 っ て い る, Auch 《Di ie Gesch i l inth》 benut l te Sage:d teine a chtevom 《 ebenden e Braut von Kor z i l Le ichnam》, vom Vampyr, der den uber ichins Grab z er zu s ebenden Liebespartn eht . , Goethe ha tder schaurigen Begebenhei ttieferen Sinn gegeben,indem er den Gegensatz. iechen und dem aszet i i i l ismusdes f i tua t der Gr zwi schen Sp schen der Natur r rbmmi gke 20 } ( Chr istentumszum Gr ichte machte. undder Gesch. heは彼の物語詩の t しかし, これだけ では吸血鬼となっ た娘の役割が十分に語られてはいない,Goe 素材が妖異の世界における愛の一つの相を描いていることを決して忘れてはいなかったし, この物 語詩の中 で若者と娘との幽明境を越えての恋を成就させ, そのことによ っ て彼女が最愛の者すら死 の所有とする手法により一層深い恐怖感をこの物語詩に与えている, この物語詩の第23連から最終の第28連に至る6連の詩は, 自分の病気平癒 を動機に改宗して彼 女の娘を修道女, 即ちキリストの花嫁として捧げた身勝手な母 に対する娘の恨みの言葉から始まる が, それに続く言葉を通して, キリスト教への攻撃と古代のおおらかな異教の神々への遥かな1童際 heにとっ て, 修道僧たちは 「生よりの逃避者」 t が語られている. そもそも生をこよなく愛する Goe 2 1 ) { であり,「生きて埋葬された人びと」 であったから, 人間として自然な感情を抑圧し, ひたすら神 G h t に奉仕する生活を思うことは, oe eにとっ て殆ん ど死を思うに等・ しかっ たの であろう. 許婚者の 若者を慕いながら, 母の身勝手な誓いのためにその人身御供となっ たものの, なお消えやらぬ胸の 炎の故に, 悟りからは遠くかけ離れた修道女として死んだ娘は, 勿論, 形式的にはキリスト教徒と して, キリスト教の儀式によ っ て葬られたが, 母の帰依する司祭らの祝福の祈りも賛美歌も, 彼女 の魂を鎮めることは できず, 若者との恋の成就に断ち切れぬ未練を抱いている彼女は中有の域に留 まっ て吸血鬼と化し, 塩を入れた聖水も, 彼女をおさえる冷たく重い墓石も, 大地すらも冷やすこ icht と の でき な い 燃 え 立 つ よ う な 若 者 へ の 慕 情 - - Goethe は こ れ を 詩 句 の 中 でe ln elgenes Ger. という言葉で表しているが, 恐らく 「異教の神々のよしとしたところ」 という意味を含んでいるに l 違いない 一一 に駆られて彼女は夜毎地上の世界をさまよう. Ph egonの作中でも娘の亡霊は, 彼女 が愛人と共に過 ごし得る筈の3夜を母に妨害されて恨みの言葉を言うが, その中で 22 ( ) ト J ichtohne den VV i l l i ini ierher gekor the tb 1 [ ・men. chh en einer Got. と, 彼女の現世への出現が神の意志によるもの であることを述べてい るのはまことに興味深いし, heはまさにこの異教の神の人間臭いとも言える寛大 な態度を彼の創作の基流にとり入れてい Goe t る, 第25連 で娘は母の背信行為を烈しく 非難し, そのよう な恋意的な母の誓いをよしとする神はい ない, 現に彼女の吸血鬼としての中有における存在こそはその証明なのだと宣言する, 哀歓と苦悩 も復讐心も人間同様に, 否それ以上に烈しい古代の神々は, 吸血鬼と化した娘がその想いを遂げ, 更にはこれま でに重なる苦しみの報復として, 次々に若者達をとり 殺すことを許しているのだと解す 40.
(8) . ゲーテの物語詩 《コリントの花嫁》 について. べきか. 第2 6連後半の詩行 l sビsum den geschehen, Muβ nach andem gehn, 2 3 ( ) Unddasiunge Vo lker l iegtder Wut .. は, 日本の幽霊のよう に彼女に恨まれるべき行為を加 えた者, 彼女が断ち難く未練を抱く相手の許 にのみ姿を現わすの ではなく,「牡丹燈記」の麗卿のように彼女の美しい仮の姿に心を奪 われて 誘 , いの 言 葉 を 語る 若 者 は すべ て そ の 胸 の 血 を 吸 い つ く さ れ て い け に え に な る と い う の だ か ら こ の 吸 ,. 血鬼と化した娘は, まさに 彼女が憩うべきところを得ない限りは永久に悪鬼の所業を続けて行くと いう こ と であ る. Goethe は こ の 詩 行に よ ゥ て, ま こ とに 巧み に 恐 怖 感 と 娘 の 恨み の 深 さ を 印 象 づ け. ている, 彼が作中の娘を単な る亡霊とせずに, 忌まわしい吸血鬼とした意図は , ( 1 ) 全く自然な, しかもそれぞれの両親によっ て承認され 祝福された相思の二人の 愛の辞を 悉 , , 意的に断ち切ったのみならず, 娘を生ける屍とも言うべき修道女とした母の仕打ち またそれ , をよしとしたその地の教会, 僧職者, キリスト教徒への深重な恨みを効果的に表現する手段と して, 強烈ではある がまた適切な対象として, 2 ( ) 夜毎に墓を出て生血を吸い 報復しようとする吸血鬼としての彼女の存在と その遂げられ , , ぬ恋の成就を承認する ほどに, 古代の神々はおおらか であり, 人間と地平を同じく して立つ存 在であり, 人間的感情の豊かな発露を喜ぶ神々 であることの証明として , ( ) 相思の二人の間の極めて自然な慕情は, 死によ っ てすら断ち切ることが できず ましてキリ 3 , スト教の戒律等によ っ ては決して消滅させ得るものではないことを強烈に印象づける手段 とし て,. .. ・ ,. Goethe はその効果を十分に計算した上 で. , この娘に吸血鬼の姿を与えたのであろう. 第27連では 二人の恋が既に 成就し, 若者は彼女の所有となっ て死の世界へ伴われて ・行くことが語られる, だが,第28連 で娘は母の救いを求め,これまで奔流となっ て流れて来た彼女 の呪説が ここに至っ , て急によ どみを作っ ている感じである, このよ どみを, 流れの方向を変えることによっ て新たな水. 路としているのが, 恐らくはこの物語詩に 瞳を接して創作された,《De i iadere》 で rGottundd e Ba あろう, 彼女が吸血鬼の姿に留まっ ている限り, 彼女はその所有とした若者と共に来世を楽しむこ とができない,、二人の遺体を茶毘に附することによっ て 初めて彼等は炎の中に憩いを見出し 共 , ,. に 手 を 携 え て 異教 の 神 々 の 許 へ 捌 け 行く こ と が でき る Goethe はこの最終連 でも異教の勝利を歌い . 上げているように思われる. 死体処理の方法は宗教によっ て異なるが キリス、 ト教徒は原則として , 土葬 である. やがて醜悪に腐 敗し朽ち果てて行く 死体の惨状は 烈しい嫌悪感と 死霊への恐怖感と , をひき起こさずにはいない, 聖なる存在ではあるが同時にまた不浄な存在でもある遺体を茶毘に附 することは, 速かにその複合感覚からのがれる一つの方法である が ここ では異教徒の死体処理法 , として描かれている, 物語詩中の娘の母が結局は娘の願いを容れて この方法をとら ざるを得ない , であろうことが暗示さ れているが, このことは改宗した母の敗北を意味していると見る こともでき. る であろう, このように見てくると, 確かにこの物語詩の基流は多く の研究者たちが説くように 「キリスト教 会の偏狭暴慢な僧侶によ る人権及び本能の抑圧に対する攻撃及び反抗」 { 2 4 ) であり 同時に人間の自 , 然な感情に 対しておおらかである古代への郷愁がその主たるもの であることが了解できる さきに . de 挙げた He r rのこの物語詩に対する 嫌悪も, 当時の 「時代の顔」,を見れば理解 できるが 恐らく , ,. 41.
(9) . 束. 谷 文. 雄. heにとっ ては古 t e 0連に至る愛欲の場面も, Go 7連から第2 He de r rが最 も問題視した であろう第1 代の神々のよ しとするところの大胆な表現でもあり, 一面, 亡霊をそのたくましい腕に抱きながら, 恋の魔酒に酔いしれて, なおそれと覚らぬ若者の様子を描くことによ っ て, 無知が生み出す恐怖を 増幅しているとも見るこ とができる, 自分の恋の相手が吸血鬼であっ たと覚ったときの恐怖感は, まさに「牡丹燈記」の喬生のそれ であろう. まことに吸血 鬼との恋は私たちの心を恐怖 で満たすが, この物語詩中の娘は愛する若者との 炎の中での憩を求め, 母に異教の儀式に従っ て二人の遺体を茶 毘に附するように乞う. 母は 二入を中有の域から脱出さ せるために, 娘の最後の願を容れるであろ うことが暗示されているが, 二教間の抗争の物語詩として, 果して最後の勝利 者は誰かと考えると き, 悲しみの陰影を拭い去ることは できないとしても, 改宗した母の姿が最終的に 浮かび上がって くる. 母の助けがなくては, 娘は若者と共に異教の神々の許へ捌けて行くことができないからであ the の信頼を担っ て投入され る, 吸血鬼は確かに忌まわしく はあるが, 二教の対立抗争の中へ, Goe た強力な戦士 であっ た. しかし, 彼女はその恋に殉じて戦線から遠く消え去っ て行く運命をも同時 l f は, 吸 血 鬼は こ の 物 語 詩 の 魅 力 と 同 時 に, そ の 危 険の 担 い 手 でも あ に 担 っ て い た の だ, F.Gundo る と し て 次 の よ う に 語 っ て い る. i t gese- i 1 t aner s。nde iβt p ] ni rhe ike i ind auCh h sch r at ie GespensterS Aberd erant ,das he 2 5 ( } l ickSa i l thi t。r . iCh Tragereines we hene,undzug s s schen sCh e .. さらに l l in.den Mund eines Vampirmadchens … …, t lberwuchtet hier Goethe Prophetengro , di l l l ig ionen t z 建 l osundk ‐ fzwischen zwei Wアe as K dd re h h d G e r am u n e n egt s e s c e p a , gr gel , , ich rein aus dem de ‐ in zu gr isch f l te l i oβes Thema um s tin den Sch sen s uBver s ormu er ,i 26 》 ( i 1 l der iv gesch i rat ten vampirischen Be ko agerzu ergehen.. 従っ て, この物語詩は, その美しさにおいて芸術的に優れた作品 ではあるが, 全体としてはこの作 品に引き 続いて創作された 《Der Gottunddie Baiadere》 には及ばないと彼は評価している. 結局, 前者は情調の描出, 事件の迫真的な 叙述, 人物の彫塑性, 華麗な色彩感という点 で優れているが, 2 7 ) であり 「単純で歌うことのでき { そこから響いて来るものは「自然の音響 ではなく て芸術の言語」 , 2 ( 8 } H i K 批 評 と 同 趣 旨 で あ る. 第 1 の n n e m a n e であるという 巧に富む律格 」 ではなくて技 る民謡調 , 連から含みのある場所の 設定, 若者と娘との関係, 死の世界に住む娘の 正体を暗示する 伏線の配置, 連を追っ て高まっ て行く 二人の恋, 明らかになる娘の 正体等, この物語詩の構成は撒密 であり, 詩 形も流麗で, 詩中に用いられている対照の鮮やかさ, 例えば, 生と死, 愛と憎しみ, キリスト教と 異教, 恋が生み出す喜 びと悲しみな ど, 幾多の対照が集 積 してこの物 語詩に 「強い脈動と深い意 i ( 2 9 )と を 与 え て い る Goethe が素材に加えて行く こ の 手 法 は, 後 者 即 ち《Der Got tund Ba e》 ader 義」 . in は,こ の あ と の 作 品 こ そ は F伽 材 に 通 ず る 救 済 物 語 te に も 十 分に 活 用 さ れ て い る が,F.A.Hohens 3 0 ( } 詩 と して高く 評価 して いる , l egon inth》の 吸 血 鬼 と 化 し た 娘 に 救 済 は な い の であ ろ う か.Ph e Braut von Kor では前者,即ち《Di. の作では娘の遺体は無惨にも市郊外に捨てられて, 野獣の餌食と なり, 若者は悲歎にくれて自ら命 he の吸血鬼はその恋を成就し, 愛する若者を自らの 所有とし, 彼女に愛憎二つ t を 絶 つ. し か し Go e 3 1 { ) の中へ 自然と共にあっ て その顕現なるが故に永 ながらを許した 「古代の神々の華やかな群」 , , 42.
(10) . ゲーテの物語詩 《コリントの花嫁》 について. 遠不滅である古代の神々の許へ, 母の手による火葬によって急ぎ捌け行くという結末は やはり私 ,. i た ちに Kathar s s を 与 え て い る, Goethe は 吸 血 鬼に 救 い の 手 を さ・し の べ た な る ほ ど 《Der Got t , , d d i B iadere》 の中の舞姫は 最終連においてその至純の愛をよみする大地を支 配する神 un e a. ,. Mahadbh に 抱 か れ て 天 空 へ 昇 る し か し こ こ で Herderの 不 機 嫌 を 承 知 の 上 で敢 え て 言 す 及 るなら , , ば, Mahadbh は 地 上 の 女 の 死 を も 恐 れ ぬ 愛 を よ し と し た の で あ り Goethe は こ こ で Eros か ら , Agape へ と 高 揚 し て 行く 愛 の 相 を 描 き 出 し て い る 一 方 《Die Br inth》 aut von Kor ・の 中 の 恐 る べ き , .. 吸血鬼の恋の 姿は どのように見るべき であろうか 幽明境を異に してはいるが いま自己のため の . , 他人への愛を Eros と す る な ら ば, こ の 物 語 詩 の 中に 描 か れ た 吸 血 鬼 の 凄 絶 な 愛 の 相 は や は り Eros , と言うべき であろう. 但し死の世 界に住む彼女 は, その恋の成就に・ よ っ て若者を等しく 死の所有と したのであるから, この地下的な愛の象限は負 であるとしなくてはなるまい しかし今やこの二人 , は火の力によって吸血鬼と いう中有の存在を滅却さ れ, 大地に足をつけて人間という 自然と同一 の 地平に立つ遥かな古 代の神々の許へ捌け去っ て行く 前者は地上から天上への高昇であり 後者は . , 暗黒の地下から太陽と月の輝く地上への高昇である それぞれに高昇して行く次元は異な てはい っ . るが, それは等しく高昇であり, 同時に救済の意味を伴っ ていることに注目したい Go h t , e eは愛と いうものの実にさま ざまな相を描 いているが, どの愛の相にも共通 して見られる一つの特徴は そ , の上方指向性 であろう, 彼が1 l 818年4月 29 日 Kanzlervon Mul erに 語 っ て い る 次 の 談 話 の 中 に, 愛の上方指向性を解きあかす一つの鍵が秘められていると私は思う . Der N 1 ie Erdeanz ieht mi ensch esehrihn auch d tihr en tausend und abertausend Er‐ , wi ick f scheinungen,heb t doch den B1 or schend und sehnend zum Himme l auf,ders ichin 6 1 i h R a unerme c en umen ube lerest hm wd l i bt we iefundk l ri i l t daB er e1n arins ch fuh. ,. ,. Burgerienes ge i igen Re i t s ichtabzulehnen noch aufzu‐ ches sei, woran wi rden G1 auben n. i iegtdas Gehe imn geben vermogen. l nd i eser Ahnungl s des ewigen Fortstrebens nach l einem unbekannten Zi l i h d H b l e e;eslst g ec sam er e e unseres Forschens d Si d un. 2 { 3 } te Band zwischen Poe zar i l ichke i s eund Wi t rk . 3, 異 教 の 徒. nnens , as. Goethe. Emi igerは そ の 3 巻 に 及 ぶ 大 著 作 Go lst r彰 の 中 の 一 章 を 物 語 詩 の 解 釈 に 充 て て い る が そ の 章 a e , ・. の中で. Ganzandersf i l ichis i iden Ba l l tes um d r inth》und《Der Got e e be aden《Di e Brautvon Kor t. ( 3 3 ) l l i te t und Die Ba ader e》 bes . と, こ の 二 つ の 物 語詩 の 特 異 性 に つ い て 説き 起 こ し,1830年 3 月 4 日 付 Eckermann の Goethe と の. 対話中から引用してその成立事情を述べ,Goe heがこれらの物語詩の素材をいっ どのようにして t , 手にしたのかは明確 ではないが, その素材に独創的に加えられた創作の手法は極めて巧み であると inth》 については6ページに亘っ て 作品中の比職的表現の 賛 え て い る, 特に 《D i e Braut von Kor , 注解, 物語を展開する手法の 巧妙さ, 詩行のリ ズム, 連を構成する詩行の長短の組み合わせが生み 出す効果等に ついて詳細な解釈を展開している, 彼がこの二つの物語詩の基流について 43.
(11) . 東. 谷 文. 雄. i ianes durchstrbmt i t n iefs s Diei ten Ruhrunguberd eLi ebe Chr ischeLegende wurdet . l nd l i ichke t t der l i ing ie unwi ie K1 schwundene Fes ch ent ederbr di age d sage aoB d e vampyr h T b ic ern gewahr ‐ iGoethessogarin den age t in unsag l i Ant ike chschwerer Gram,der ,be ,e 3 4 { ) l i b b k a b t A B t r e w l h n n n e e n u n e a n o s e i i i i k u ss g ter schweg . sam et , neem soc en usma l t A. Bier と 述 べ て い る の は ま こ と に 興 味 深 い も の が あ る, 彼 は 他 の 研 究 者, 例 え ば F. Gundo 5 3) こ の 物 語 詩 《Die Brautvon Kor inth》 の 基 流 は, キ リ inemann な ど のよ う に( schowsky, K.He , ,. スト教と異教 との抗争, 或は ギリシヤ精神と教会精神との対立という 峻烈 な形 ではとらえて おら ず, むしろ G andesと同 様に 古 代の神々の没落を悼む汗情的なものこそ がこの物語詩の基流で .Br あ る と し て い る し か し, 前 掲 の Staiger の 言 葉 の 中 に は Goethe 自身の沈黙も含められているの , 3 6 ) 何 か 重 く 不 透 明 な も の の 存 在 を 感 じ さ せ る F,Gundo l f は, Goe the が 既 に そ の 青 年 期 か ら で{ , , ,. h t e e 生気に満ちた大自然, そしてその世界への 敬度な態度を常に抱き続けていたことを理由に, Go 3 7 } こ れ は 多く の 研 究 者 が Goethe の 宗 教 観 を 端 的 に 異 教 徒 と 呼 ん でい い だ ろ う と言 い 切 っ て い る{ ,. に 関 し て と る 立 場 で あ る が, 一 体 Goethe は どのような異教を自らの宗教とし, キリスト教に対して. どのような態度を以て接したの であろうか, う ”esの 中 で, Goethe の,本 質 の 中 か ら 互 いに 両 極 端 を な す よ・ l ius Bab は そ の 著 Dα ef s Lの 鰯 Go Ju. theという現象を規定 す な対立概念をとり出すのはまことに容易 であるが, その一方によ っ て Goe 3 8 } 彼 は そ の 両 極 端 を 示 す い く つ か の 好 例 を Eq婚f る こ と は 極 め て 困 難 で あ る と 言 っ て い る( , , G h て 用 し ‐ G の 中 か ら引 o e と の 話 t E k 対 rmann の oe e WZ ‘ ”β ‘ z セ s gr s ”毎〃〆の知なフ ’ 7 2誰花Z , , さ らに は c e. heという現象はそれ自身が内包する対立概 念を無意味にしてしまう調和の実現なのだと総括して t l ius Bab は Goethe の宗教につ いては い る が, Ju - - さ らに ゲー テ は, 一 生 を 通 じ, キ リ ス ト 教 に 対 し, 酷 い 言 葉 を 使 っ て の 攻 撃 の 手 を ゆ る め な か っ た. と こ ろ が そ の 彼 が, 人 生 の 最 終 段 階 では, あ る 親 し い 人 物 に 向 っ て, 「キ リ ス ト が 望 ん だよ う な クリ ス チ ャ ン は, い ま では わ た し ひ と り し か い な い」 と 言 っ て い る の だ, も ち ろ ん,. これが彼の 「転向」 を意味すると解するのはぜんぜん見当 ちがいである. しかし, この言葉に 39 ) も, や は り あ る 深 い 意 味 が こ も っ て い た{ 。 l iusBa b の言葉にも 「ある深い 意味」 がこめられていそう である. と 言 っ て い る が, こ の Ju !の中に, Goethe の 生 涯 の 体 験 と そ の 全 幅 の Goethe が 60 年 と い う 年 月 を か け た 畢 生 の 大 作 Eα〃s. 思想がきめ細かく 織り込まれていることは 多言を要しないが, 作中の主人公 Faust即 Goethe と い tと対立する 悪魔 う 短 絡は勿 論 十分な慎重 さを以て 避け なく てはなるま い, と いう のは, Faus the の 一 面 を 生 き 生 き と 表 出 し て い る か ら であ る,ま た「舞 台 l Meph i tophe es も ま た 確 か に 人 間 Goe s. の前曲」中 で, 詩への情熱と,若さが生み出す不凝奔放 な衝動と深い悩み, 未来への希望に燃え 溢れ ていたあの再びかえるこ とのない青春への烈しい郷愁を語る 詩人の言葉こそは, まさに Goethe の 4 0 } こ の よ う な 視 座 に 立 つ と き 初 め て 作 品 Fq z研 こ そ は, 胸 中 の 偽 ら ぬ 告 白 の 一 つ に 外 な ら な い( , .. he の他の自伝的作品に 優るとも劣らぬ彼の自伝と言ってよいだろう,彼の宗教観に大きな影響 Goe t α “同舟 6巻 で述べている Spionza γ庇# 第4部第1 ’増 加? ‘ を与えたと彼自 身がその自伝的作品 Dにねれ . f第1部の 「マルテの庭」 における z f s の 「神即自然」 という 汎神論的一元論の傾向を, 私たちは Fα Faus tと Margarete の 教 理 問 答 の 中 に 端 的 に 求 め る こ と が で き る. 4 1 { } ig i l tder Re tdu,s mi Nun sag, wie has onP. 44.
(12) . ゲーテの物語詩 《コリントの花嫁》 について. と い う Marga ret e の 問 い に 対し て Faust は ’i i Ft i i bundB1 i r宜 ChLe l e neLi ebenl eB ut , 42 ) ( lund seine Ki i l ln iemandsein Gefuh 帆′ rche rauben,. と答え, 更に. Margarete の. 4 3 ( ) ? G1 tdu an Go t t aubs. tは次のように説く, という追求に対して, Faus fihn nennen? VVerdar Und werbekennen: ’ihn l l ch g aub . 、Verer inden r lpf , inden i Unds ch unte即J ’ihnn 4 4 { ) l icht ? Zu sagen:ich g aub. 彼は一切を抱き一切を支える大自然の思想を賛えて, in Herz,so gr fu 1 1davon de 亡 Er OB esi s ・ l l ig b i Und wenn du ganzin dem Gefuh t ese s , Nenn es dann, wi l l t s edu wi .. !Her IGot ! !Li Nends G1uck t z ebe l inen Nanlen chhabeke l l Dafur !Gefuh lis ta es; l lund Rauch Namei tScha s , 48 ( ) lnd Him melsglut, Umnebe. 本来, 誰の心にも宗教, 或は信仰と呼ぶべきものはある筈で, それを私たちは自分の流儀に従っ て 名 づ け て い る の だと 彼 は 言 う. l Essagen’sal ten eror. AI 1 i schen Tage, e Herzen unter dem himml Jedesin seiner Sprache; 46 ) ichtichder meinen?( Wr arum n. ここではあらゆる観念的な定義づけや, 概念的な表現がしりぞけられ, あらゆる宗派から自由に, 自らの心に自然に形成される究極的なものへの信仰を, 彼は 「感情こそはすべてだ」 という言葉に tの 説く と こ ろ を, ま さ に 蛇 足 の 感 は あ る が 敢 え て ま と め あ げ, 「そ れ が 収 鰍さ せ て い る, こ の Faus. 生き生きとした実在感を持つ体験として受けとめられ, 科学的に, また合理的には解き あかすこと 45.
(13) . 束. 谷 文. 雄. の できない諸問題が生み出す知的な或は心ゞ情的な緊張感を恒常的に解消して, 生の充実感と幸福感 を与え得る永続的, 普遍的な信念体系」を宗教と定義するならば,Faus tが Ma t r r e eに 説くところ ga は, まさしく 彼の宗教である. さらに, イエス・キリ ストを原点とし, その人格と教えを究極的規 範とする信仰の諸形態をまとめてキリ スト教と定義し, この信仰形態に属さないものを排他的に異 t の 信 仰 の 形 態 は ま さ に 異 教 と 言 わ ざる を 得 な い し, 従 っ て Goethe の抱 い て 教 と 呼 ぶ な ら ば, Faus l ius Bab の 言 う よ う に,Goethe い た 宗 教 観 は 異 教 的 な も の であ っ た と 結 論 せ ざる を 得 な い. 但 し,Ju. という現象はいわば対立概念の大きな調和体. 混合体というべき ではないかという疑念の生ず. ることもあるが -- であるから,一転して彼をキリ スト教徒であるとして立論する余地も十分に残 inth》の 創 作動 機 の 一 つ と し て,Goethe さ れ て い る.Bi er schowsky は こ の 物 語 詩《Die Br autvon Kor. 4 7 } それは別としてもこの物語 が周囲の人びとから異教の徒として非難されたことを挙げているが{ , 詩 創 作に 関 し て は,Goethe を通常の意味でのキリ スト教徒とする視点に立っことは極めて困難であ ると私は考える. Goe heの考え方の基本は, 絶えず生成発展するものは不断に変化しつつ, しかもその多様な変化 t のうちに なお一貫した統一があるというもの である. 彼の青年期に既に書かれていた Fd〃” 第 1 部 にみられるように, 彼の宗教観の根本 である 「感情こそがすべてだ」 というこの彼なりの宗教的態 ienbaderE1 ie》 の中にも確 度は, 74歳にしてその最後の恋に 無惨に敗れた悲しみを託した 《Mar eg 実に 見出される. ln unsers Busens Re ine wogte in St r eben , Sich einem Hbhern,Reinern, Unbekannten Aus Dankbarke i iwi l l inzugeben tf r e gh , l Ent i at r se nd s chden ewig Ungenannten; i Wi Beds :f r he romm seinl. 48 〉 (. 彼にとっ て本質的な両極性を生み出しているものは, 彼の拘束されることのない自由な感情であ ろう,彼はその人生の進路を das Damoni s che の導くままに切り開き,既存のものに彼なりの光をあ て, 彼の理性と感情が受容し得るものを食欲なま でに取り入れて, 絶えず成長して行くことをやめ なかっ た. その感情に他律的な規制が加えられ, 彼の生き方にそ ぐわぬ外圧を加えられることは彼 にとっ てまことに耐え難いものであっ たろう, その彼が無批判にキリスト教に帰依することを拒否 するのは当然のこととしなくてはなるまい.しかし, 彼が彼の流儀 で十分に聖書を尊重したことは, ゑ /物/ 彼の自伝的作品 Dた/ ?”〃 ? ?イー ?〆 その!第 2 部 第 7 巻 の g 〃’ l ie1 ieb und wert:denn faStihra 1 1 in wari i 1 iche chfur meine Person hatte S t 亡 e ch meines Bi l dung schu l d ig ie Begebenhe i ie Lehr ie Symbo l ie G1 ichn i l l ten en,d e s se es e ,und d ,d ,d ,a hatte s iCht iefbe i mi ingedrucktund waraufeine oderd i i re e se wirksa.n e andere Wア 49 ( } gewesen.. という記述からも知 られるし, 彼が彼の流儀でキリ スト教を理解し, また教会と僧職の役割をどの よ う に 認 識 し て い た かに つ い て は, 彼 が 晩 年 Eckermann に 語 っ て い る と こ ろ か ら 十 分 に う か が い 知 る こ と が でき る,. 46.
(14) . ゲーテの物語詩 《コリントの 花嫁》 について Fragt man mi i furchtzu erweisen,sosage ch ,ihm anbetende Ehr ,obesin memer Naturse. fenbarung deshbchs l i ich:dur !--l t t chen of en s der got chaus ch beuge mich vorihm,al 5 0 ( ) Pr inz ips d S i l i h i k t c et er t ‐ .. これはキリストに対する Goethe の か け 値 な し のノム情と 受 け 取 っ て よ い だろ う. し か し, 私 た ち は 彼 の次のような言葉にも十分な注意を払わなくてはならない. Fragt man mi i ie sonne zu verhren,so sagei turse ch abermals: ch ,ob esin meiner Na ,d !Denns durchaus iei l ichf l l ine 。f f i i t tg t s se en rd e macht e a enbarungdesHじChs e gs ,undzwa , 5 1 { 〉 d i e uns Erdenkindern wahrzunehmen verg6nntist.. さらに彼は教会の本来の使命と, その権力的な存在, それに依存して権力をふるう僧団の歪曲され た目標 に つ い て l i l l f ie lzureln und Das Li tv t anzend,a cher of enbarungis sdaB esden cht ungetrubterg6t ‐g l i t ag armen, gar schwachen Menschen ge1naB unde r r e ch war .. i l Di t ta r s e Ki rche aber t. l in ein, um zu dampfen und zu ermaBigen,damit derchr i l ichen l i t t t t at s er woh ge Vermi ichersunde iwohnt iea l lger in Chr i ivon Las l Ki t t mensch r sNachfo s chederG1 aubebe ,daBs ie eine sehr groBe N1 bef ich in d i iese t und d acht reien kbnne,ist s eser Mach l n . Und s. 1 ichen pr i is Ansehn zu erha1ten und s。 das k i 1 iche Gebaude zu Sichern,ist der Chr t - rCh 5 2 ) ( t vo l i esterschaf r zug ches Augenmerk.. と語っ ている. 彼は一つの権力機構, そのための集団組織となった教会及び僧職者たち, そのため に歪曲された, 高圧的な教会精神と, そのような教会を守り立て, 大衆を踏みつけにしている偏狭 暴慢な僧侶たちを徹底的に憎悪していた, Esi i l lher ie IDummesinden Satzungende tgarv rKi rche rs e wi r schen s . Abe ,undda muB ie e ine born ierte Ma ich beherrschen zu ies i i t S sse haben,d ch duckt und d e geneigti s ,s lassen. D l ie Au魚l i ichdot ier l ichke i ichts mehra arung der te Gei t tfur sd e hohere s cht etn. iehatihnenauch d l i llange genug vorenthalten,solange a untern ~lassen. S eBibe si rgend iedvonderfur l i l l inarmeschr i l ichesGeme indeg l l i t t t mog ch asso eauche s s chen Pracht , W7 ier ichdot iend i ten Bisch。f elnesr e esdenken, wenn es dagegenin den Evange1 e Armutund Dur f i i is is ieht t t t Chr t seinen Jungern in Demut zu FuBe ging, wahrend der gke ,der m. 53 { ) fur l i t schofin einer von sechs Pf s che Bi erden gezogenen Karosse einherbrauset!. iedr ich Jakob soretと 更に興味深い事例は, 1 83 0年3月17日付 で ワイマル宮廷顧問官 Fr 5の Goethe の Eckermann が伝 え て い る Goethe とイ ギリ スの 司 祭 Br is l卿 と の 会 見の 模 様 であ る{ to . D彰 Le!吃れ 〆 ?肥れ し陀γ豹のs が 青 年 層 に 及 ぼ した 自 殺 の 流 行 と いう 悪 影 響 を 卿 が 非 難 し た の に sj ‘ ‘ ,de 対 して,Goethe は,一体卿 等司祭は何の権利があっ て作家の自由な創作活動を禁じようとするのか. , 卿等こそは神の御名においてィ i 可層倍もの悪事を敢えて行なっ ている ではないかと,Br t s o岬卸を手ひ 47.
(15) . 東. 谷 文. 雄. どく や り こ め た の であ っ た, i i an sche EPigram‐ 次に教会と僧職者に対する彼の烈しい反感を如実に表現している作品 《Venet 790年3月13 日~ Goethe は ワイマル me》 の中から, そ の代 表的 なもの を 二, 三挙 げてみよう. 1 ia がイ タ リ ヤ 旅 行 か ら も ど る の を ヴ ェ ニ ス で待 ち 受 け る べ く イ ェ ー ナ を 出 発 し, l 大 公 妃 Anna Ama ヴ ェ ニ スに 5 月初めま で滞在した, 再度のイ タリヤ旅行ではあったが, もはや前回のような喜びは. なく, 彼はつれづれなるままに 主としてイタリヤ人の生活や, 教会と僧侶に対する辛らつな批判 と i 1 6年にこれを匿名 で発表する際には, 楓刺に満ちた短詩を, E eg eの詩形で次々と書き綴っ た,197 さすがに教会やキリスト教徒に対する猛烈な皮肉や, ヴェニスの 娼婦に対する無遠慮に過ぎる表現 03編の作品 が集められた, 次の例もかなりその表現を押さえ の短詩は除かれ, 比較的おだやかな1 たもの であることに留意する必要があるだろう, i l igenf inden? l !Und wi l l Ems ig wa rd er He etder Pi ger i Horen und sehen den Mann e Wrundergetan? , welcher d indes i inweg tnur Reste, Nein t tihn h edi eZe ,duf ,es fuhr ine verwahrt. in paarselner Gebe inen schade l Se ,e ien suchen: l l ie wi l l imes ind wi ta Pi rl ra e gr ,d 5 5 } ( ig undfroh. l in ehren wi in zerstreutes Gebe Nure aub rg. こ の 例 は ま だ お だや か な 方 で, 次 の 短 詩 は ま こ と に 手 き び し い, ヴェ ニ ス を 6 5 ’ 糞 土 の な か の 聖 マ ル コ と(. 糞 土の なか の聖 ヨ ハ ネ とはあ の お寺 の名 今 日 ぼく は 安 ん じ て 呼 ぶ. もう一つ, よく引き合いに出されるものを挙 げると, ぼくは何 でも我慢 する方だ いやなこともたいていは 神のみ旨のままに平気な顔して耐えるのだ しかし毒と蛇のようにきらいなものが少しある 四つ 、煙 草 の 煙. 南京 虫. にら. 5 7 ) そ れ か ら 十(. isnacht》と《Gr lpu te Wa oB rg s さ ら に,キ リ ス ト 教 徒 に 対 す る 批 判 と 反 抗 を 含 む 物 語 詩 と し て,《Dieer h G i i E h i D d t tde ana er p eser》 が挙げられるが, いずれも自然の中に神の啓示を見る異教徒 o e eの s. 宗教観がその基流となっている, 2 8 08年1 キリスト教の栄光や聖書の内容を素材とした作品を彼がどんなに嫌悪したかについて,1 l t の 報 告 が 面 白く 伝 え て い る. 古 典 主 義 と ロ マ ン 主 義 の 間 か ら 月 31 日 付の A1 exander von Humbo 生まれて, 宿命論的な立場から運命の不可思議な力をうたい, 観客の興趣に 合わせて恐怖小説の要. i r a s Werner が Goethe 家 の 食 事 に 招 待 さ れた と 素も加味した戯曲, 即ち運命劇の代表的作家 Zacha i iane の 親 切 な 前 以 て の 忠 告 に も 拘 ら ず,ま満月 を 聖母Fに た と え た ソ ネ ッ ト t s き, 彼は Goethe の 妻 Chr igramme》 の中で i ische Ep ヲ Fに つ い て は Goethe が 《Venet を 披 露 し て し ま っ た, 聖食 an カ トリ ッ ク の こ の 国 でウ ェ フ ァ ー ス の う ま い の も 道 理 48.
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問題集については P28 をご参照ください。 (P28 以外は発行されておりませんので、ご了承く ださい。)
父親が入会されることも多くなっています。月に 1 回の頻度で、交流会を SEED テラスに
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