恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観
−とくに手工業者との関連で−
鎗田英三
目次 1.はじめに 2.党の情宣活動 3.手工業への理論的把握 (1)党綱領
(2)E.グリュンベルクの研究 (イ)手工業概念
(口)「手工業の発展傾向」
(ハ)恐慌期の手工業 (ニ)手工業への対応 (3)小括
4.党内の対応
(1)1931年ライブツイヒ党大会 (イ)党指導部
(口)党内反対派の批判 (2)党内左派の主張 5.『労働』誌上論争 (1)Th.ガイガー (2)E.エツシュマン (3)ガイガーの反批判 (4)それ以降の議論 (5)小括
6.おわりに
1 . は じ め に
ナチスの恐慌WJにおける躍進が,中tm層の支持に依るものであることは,
すでに認められているところである。そしてなぜ中I!I]層がナチスを支持した のかという問題に対しても,多くの研究者によって分析の必要が指摘され,
(1)
研究が進められている。この問題を考えるつえで無視できないのは,中間層 が恐慌の過程で反資本主義的志向を強めていた点であろう。当時の政治的諸 潮流のなかで資本主義に批判を加えていたのは,社会民主党, ドイ、ソ共産党 それにナチスであり,その選択肢から,中fHj層はナチスを選んだのである。
それゆえ,なぜ中間層が,ナチスを支持したのかを解明するためには,な ぜ中間層が社会民主党・ドイツ共産党を支持しなかったのかが問題になろう。
共産党については別の機会に論じたいが,その中間層への実際上の杉響力を
(2)
考慮するならば,さしあたり中間層と社会民主党との関係が明らかにされね ばなるまい。
両者の関連を考察するさいに,次の二点がすでに指摘されている。
1. 中間層の反プロレタリアート的立場
A.シュバイツアーは,恐慌!tJ]の中間層に共通な志向として,反資本家・
(3)
反労働者・反民主主義を挙げる。またH.A・ヴインクラーも,中間層の反 (4)
(組織)労働者的立場を重視するO すなわち,経済的没落(プロレタリア化) につれて社会的威信が低下していくなかで,中間層はプロレタリアートとの 相違を強調し,彼らへの反援を深めていったと看破されるのである。
2. 社会民主党の中間層への無関心
(5) ー
ヴインクラーが,中間層の「社会的孤立化」とよぶように,ゥーァイマル期 には,企業家政党ばかりでなく,社会民主党など労働者政党とも疎隔的状態 にあった。その点に関し大塚久雄氏は次のように社会民主党の態度に言及 する。
i(ナチスは)おおざっぱには,小ブルジョワ,あるいは農民・小市民的層を主体に,
その周辺にプロレタリアートや知的労働者層を同盟軍として結集したというふうに私には みえた。とにかく,レーニンとは追った仕方だけれど,小ブルジョワ的民民なり小ブルジ
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 129 ョワ的手工業者なりをみごとに捌んでしまったわけです。ところが,政権に近しまた学 者ぞろいの社会民主党にはそれができなかった。なぜだろう。あるいは,摘もうともしな
(6) かったんじゃないかという疑問をもつようになったわけです。」
だがこの二つの要因は,次の山口定氏の指摘のように,決して切離して考 察できないことは言うまでもない。
fl'反労働運動』の立場は,すでにふれたような中間層の「身分意識」に規定されたも のであるが,同時に,当時の労働運動やマルクス主義理論の側においても共産党宣言』
における資本と労働の二極分解の予言以来,中間層を歴史的に没落を運命づけられたもの として位置づけ,彼らの利害の擁護や,労働運動の立場との調整という努力が弱かったこ
(7) とも関係していることが注目されねばならないd
本稿では後者の点,すなわち中間層に対する社会民主党の対応を取上げ,
なぜ社会民主党によって中間層の獲得が行なわれえなかったのかを考えてみ fこし可。
現在,ゥーァイマル期の社会民主党への関心が,内外で昂まりをみせている。
ドイツでは, 82年の政治学会で1"大戦聞の社会民主主義の政治的概念」が
(8)
統一論題となり, 日本でも,ナフタリ,ヒルファーデイングなどの翻訳が相
(9)
次いでいる。それは,一つには状況が混迷を深め,社会民主主義への失望と 期待という相反する感情が渦巻くなかで,社会民主主義の典型を,ゥーァイマ ル期のそれに求めようとしているためではないだろうか。まさに本稿のテー マは,そのような現代的関心とも重なり合おう。
具体的な分析に入るまえに,分析対象について幾っか限定を加えておかね
( 10)
ばならない。まず,恐慌期に焦点をあててゆきたい。その理由は次の点によ る。すなわち,①恐慌によって中間層の経済的困窮は著しく,救済を必要と する存在となり,その反資本主義的志向が強まった,②恐慌期におけるナチ スの躍進は,中間層の支持を基礎として可能となったのであり,反ファシズ ムという点から中間層のナチスからの離反の必要に迫られていたという二点 から社会民主党にとって中間層への積極的対応が火急事として恐慌期にあ らためて要請されていた。それにくわえ中間層の社会民主党への敵対的態度 が恐慌の過程で決定的になったという点からも,両者の関係を検討する際に,
恐慌期!の分析がとりわけ重要となってくるのであろう。
第二に,可能な限t)中間層のうち手工業者に注目してゆきたい。なぜなら,
本稿は,手工業者とナチスの関係を考察していこうとする筆者の研究テーマ の一部だからであるc
(1.の註〕
1 ) Reichardt Saage,Antisozialismus, Mittelstand, NSDAP in der Weimarer Republik" in lnternationale Hう;ssensclzaftliche Korrespondenz zur Geschichte der Deutschen Arbeiterbewegung (以降 lWKと略す)Jg. 11 (1975), H. 2. SS. 146‑
177.を参照せよ。 O.パウワー, ト ロ ッ キ ー か ら グ レ ー ピ ン グ ま で 代 表 的 見 解 が き わ め て 要 領 よ く 整 理 さ れ て い る 。 さ ら に , 今 迄 の フ ァ シ ズ ム 研 究 の 総 括 の 書 と いえる山口定『ファシズム,!,有斐 t~l , 1979年, II.運動としてのファシズム,を参 照せよ。
2) Aviva Avin,The SPD and the KPD at the End of the Weimar Republic", in : lWK, Jg. 14 (1978) H. 2, SS. 178‑186.およびK.Flechtheim, Die Kommunist‑
ische Partei Deutschlands in der Weinzarer Republik, 1948. O. K.フレヒトハイム,
足利末男訳ヴァイマル共和国時代のドイツ共産党,!,東邦出版社, 1971年, を参 照せよ。
3 ) Arthur Schweitzer, m旨Businessin the Third Reich, London 1964.
4) H. A. Winkler, Mittelstand, Demokratie und Nationalsozialismus, Koln 1972. 5) ders,Der gewerbliche Mittelstand in der Weimarer Republik," in: Hans Momm‑
sen, Dietmar Petzina, Bernd Weisbrod (Hrsg.), lndustn'elles System und ρolitische Entwicklung in der Weinzarer Republik,' Verhandlungen des lnternationalen Sym‑ ρosium von 12. ‑17. June 1973, Dusseldorf 1974.
6 )大塚久雄く対談〉危機の診断ーくネイション〉を捉えるものは誰か一J, U'大塚久雄 著作集」第6巻,岩波書庖, 1969年, 378‑9頁。
7 )山口,前掲書, 91頁。またこの点に関して,北原敦/木村靖二/福井憲彦/藤本和賞 夫編『ヨーロッパ近代史再考,!, ミネルヴァ書房, 1983年,第5‑ 6章 に み ら れ る 問 題視角は,きわめて示唆に富む。
8) Michael Scholing,Politische Konzeptionen der Sozialdemokratie zwischen den Weltkriegen. Ein. Tagungsbericht", in : IW K, Jg. 19 (1983), H. 1.
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 131 9 )フリッツ・ナフタリ編,山田英生訳「経済民主主義~,御茶の本書房1982年, R ヒル
ファデイング,合田稔・上条勇編訳『現代資本主義論~,新評論, 1983年, E.?ティ アス,安世舟・山田徹訳『なぜヒトラーを阻止できなかったか 社会民主党の政治行 動とイデオロギ一一.1,岩波書庖, 1984年,などがある。
10)す で に 八 林 秀 一 ド イ ツ 『 中 産 層 』 概 念 に つ い てJ,Iî専修大学経済論集~, vol 19 (1975)での,すぐれた分析がある。
2.
党 の 情 宣 活 動
手工業者などの中間層に対し,社会民主党から積極的な対応が示されなか ったとされているのは,すでにふれた通りである。だが,それは恐慌期にも 妥当するのだろうか。恐慌の過程で,対応、の変化はみられなかったのか。ま ず,この点から検討してゆきたい。ここでは,それを知る手だてとして,従 来の通信部・新聞部を再編・強化する形で, 1929年1月に設立された社会民
(1)
主党の広報局の活動に注目してみよっ。
党広報局の情宣活動が,中間層に関心を向ける契機となったのは, 30年9 月選挙におけるナチスの躍進である。従来広報局の活動は["""国家人民党や 右翼政党に対し,ゥーァイマル共和国の与党としての社会民主党の役割を明ら
(2)
か に す る も の で あ っ た 」 た め , ナ チ ス に 対 し て も ハ ー ケ ン ク ロ イ ツ ・ ヒ トラーとその一味J(19万部発行)などのパンフレットが,発行されている ものの,さして重視されてはいなかった。そして,その見方も,ヒトラーを
(3)
「ムッソリーニの猿真似」と捉え,イタリアーファシズムの停迷状況からみ て, ドイツでの成功はありえないという楽観的なものであった。
だが, 1930年9月選挙の結果,このような見方で良しとすることは, もは や許されず,ナチスの内部への突っこんだ分析が必要となった。広報局は,
今や「国民社会主義の反民主主義的な基盤を強力に党員および世間に知らし め,イタリア・ファシズムとドイツの発展との類似性を指摘し,国民をナチ
(4)
スに対抗させる」ことを中心的な課題として掲げるに至ったのである。かく して["""意識的にナチスの対外政策,農業政策,ナチ経営細胞,ナチの選挙
(5)
人の分析に取組まれる」ようになり,反ナチノぐンフレットも大量に発行され
((j)
るようになった。中間層が議論の祖上にのぼったのは,選挙でのナチスの支 持者という点からであることは,留意しておく必要があろう。即ちその支持 層としては,①フ。ロレタリア化した中間層,②プロレタリア化した農民,③ 百貨居等の「組織的大資本」や経済恐慌によって脅かされている手工業・小
(7)
売商などの小営業主,④職員層,⑤学生,⑥婦人層が指摘されている。
そこで rナチス支持者」である中間層に対して,情宣活動が行われるこ とになったのであるが, もっとも積極的な対応がみられたのは,人口比以上 にナチスの支持が多いと看倣された,婦人層・農民層であった。まず,農民
(お)
層への取組みからみてゆこっ。そこでは,社会民主党の農業政策が,ナチの それに対し全面的に対置されている。ナチの農業政策は,その束方援助計画 のように大土地所有者の利害に沿うものでありながら,他の農民層に対して も違った約束をするという矛盾にみちたものである。それに対し,社会民主 党の闘いは大土地所有者にむけられていると,中小農の経済的・社会的利益 を擁護する点が強調される。たとえば,土地の社会化によって農民の土地所 有全般が否定されるのではないかといっ農民層に共通の畏怖に対しては, , 1927年のキール農業綱領のょっに, 750 ha以上の大土地のみを没収し,むし
(9)
ろ自営農の創設や,中小農の私的所有権の確保が目的と主張される。さらに,
ヴ"7イマル期に社会民主党のオットー・ブラウン農相によって行われた農業 政策が,帝政期のそれと比較し,戦前以上に農民移住・協同組合振興に対し,
多額の補助金が供与されていると指摘されている。
このように,農民層に対しては党の政策が提示され,農民層の獲得が積極 的に志向されていた。しかし,そのようなポジティヴな姿勢がみられたのは,
農民層に対してだけであった。それ以外の層への対応を象徴しているのは,
( IO)
農民層とならんで獲得目標とされた婦人層の場合であろう。まずナチスの女 性観が批判される。そこでは,女性を「母親」としての機能に限定し,育児,
宗教,教会の道徳、が強調される結果,現状のカースト制維持の「ドイ、ソ教」
が形成されることになる。さらに好戦思想、により,家庭が破壊される, と。 そのうえ,農民層の場合と異なり,婦人層に対し・て,党の政策が提示される
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 133
ことはなかった。同時に注目しなければならないのは,ナチスを支持した婦 人層自身がネガティブに捉えられていることである。すなわち,婦人層は
「本来的に社会民主党を支持せねばならなかった」のに I多くの女性は,
(女性としての)誇りをもっていないのでナチスに従う」と,その「虚偽意
(I])
識」が問題視されるのである。
手工業への対応も,それと概ね同じと言えよう。まず I農 民 の 状 態 に 対 しては比較的多くの情宣材料があるのに,旧中間層への情宣材料はきわめて
( I2)
少ない」と指摘されているょっに,手工業者への関心に乏しかった。それ は,量的な点だけでなく,情宣内容からも窮い知ることができょう。手工業
( I3)
者,商人に対して次の点が主張されている。1. 親中間層的立場を自称して いるにもかかわらず,ナチの市iJ服・告iJ帽の供給を,手工業者等に委ねていな い。 2. 固定資産税や営業税等の軽減の要求に対して,ナチスが与党につい た邦では,それらは下がるどころか上がっている。 3. 労組と社会民主党に よって支援されている消費組合は,小経営を害するものではない。
そして,婦人層の場合と同様に,積極的な社会民主党の政策提示はみられ なかっただけではなしその存在自身も,きわめてネガティヴなものと捉え
( I4)
られるのである。「上昇志向のある手工業者」も,プロレタリアートに属し,
経済切には,社会民主党を支持しなければならなかったのに I虚偽意識」
にもとづき,ナチスを支持した。それどころか,小冊子『ファシズ、ム反対』
の中では, 日常生活品を扱う商人の過剰や手工業経営での「徒弟酷使,労
( I5)
働時間違反,職人を無制限の就業」などが指摘されている。そこには「これ
( I6)
らの層を獲得する試みより,むしろ残存する職業身分との対立である」との 敵対的態度さえ看取できるのである。
このように,手工業者など旧中間層に対しては,農民層の場合とは対照的 に,自らの方策を明らかにし,積極的に自らの陣営に取組むことよりも,ナ チスから彼らを離反させることに,重点がおかれていたようにみえる。その 結果,その対応、も,きわめて消極的に止まったのである。
では,社会民主党のこのような態度を規定していたものは,一体何だった のか。手工業者等は社会民主党にとりナチスとの関連でしか問題にされて1,)
ないので,ナチスに対する社会民主党の考え方が楽観的である以上,彼らに 対し消極的にならざるをえなかったのである。そしてこの楽観的志向を支え ていたのは,反動的・非合理的な運動は成功しないという党内の合理性信仰 であった。たとえば,ナチスを独占資本の代理人とする見解が党内で支配的な 中で,ナチズムの独自性に注目するといっ柔軟な姿勢を示すブラウンタール ですら,次のような考えから脱け切ることはできなかった。
彼は「第三帝国は神の思百しによる帝制への復帰の望みと手工業的・農民
( 17)
的経済というロマン主義的理想像が結び、ついた」中間層の反動的社会主義の 表現形態とする。また,ヒトラーによるえせ社会主義的な要求の受入れは,
大衆を獲得するための手段にしかすぎず r大衆の困窮を利用し,対立利害
ー ( 18)
へのデマ的な実施不能の約束」をしたものでしかない。たとえば,経済的要 求をみれば,強力な国家への渇望と小・中・大経営の混合体制という経済計 画は,矛盾にみち非合理的で、あるため実現不能で、あり,中間層の期待を裏切
り,離反させるものと看倣す。
またナチスの「似非似」社会主義的な要求は,社会主義の正当性,不可 浸性を証明するものであるという考えも,楽観主義を強めることになっ たO
さらに留意しておかなければならないのは,合理性信仰に基づく楽観主義 が,手工業者などをナチスから離反させてゆこうとする方法にも,反映して いたのである。すなわち,ナチス支持者の中間層をナチスから離反させるた めには,プロレタリア的存在にもかかわらず r虚偽意識」をもっている彼 らに対し,ナチのイデオロギーの体質を暴露することによって r虚偽意識」
を転換させれば,十分と考えられていたからである。その結果専らナチスの
「社会主義的アジテーションの誤りJ,ナチスのイデオロギーと現実との恭
( 19)
離を実証することに,活動の中心がおかれたのである。
(2.の註〕
1 ) Hermann J osef Rupieper,Der Kampf gegen die nationalsozialistische Seuche. Die Werbeabteilung der SPD und die Auseinandersetzung mit .der NSDAP 1929
‑1932.ぺin: IWK, Jg. 19 (1983), H. 1による。
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 135
2) Ibid, S2. 3) Ibid, S. 8. 4) Ibid, S. 4. 5) Ibid, S. 3.
6 )たとえばパンフレットとしては『ファシズムと斗えノ~ 11社会主義賛成・ファシズム反 対~ 11 ファシズム否・社会主義をノ~ 11ヒトラ一社会主義』が出され, 1931年には21の 発刊分のうち10が,報告資料11のうち7がナチスに関するものであった。
7) Ibid, S. 12.
8 )以下 Ibid,SS. 14‑15
9) Protokoll uber die Verhandlungen des SPD‑Parteitags Kiel 1927. Berlin.Bonn‑Bad Godesberg 1974, SS. 273・282.
10)以下 Rupieper,α.a. 0., S. 13. 11) Ibid, S. 12.
12), 13) Ibid, S. 17. 14) Ibid, S. 8. 15), 16) Ibid, S. 17. 17): 18) Ibid, S. 11. 19) Ibid, S. 14.
3.
手工業への理論的把握
前章でみたように,手工業者は「残存する職業身分」と看{故され,同盟の 対象といういわば戦略的存在としてではなしナチズムとの関係でのみ問題 となったのは,何故か。それに答えるためには,手工業者が理論的にどう把 握されていたのかを,明らかにする必要があろう。
(1 ) 党 綱 領
手工業者を含め中間層を,どっ把えているかをみるために,まず党綱領か らみてゆこう。
第一次大戦前の社会民主党の立場は,次の文章から始まる1891年のエルフ ルト綱領に象徴されている。
「ブルジョワ社会の経済発展は,自然必然的に,労働者の生産手段の私有が,その基礎
を構成する小経営を,没落に導く。それは,労働者を生産手段から分離し,無産プロレタ リアートへと転換し,生産手段は,比較的少数の資本家と,大土地所有者の独占となる。
生産手段の独占化とともに進行するのが,没落小経営の巨大経営による駆逐,道具から 機械への移行,人間労働の生産性の巨大な飛躍である。しかし,この転換のすべての利益 は資本家と大地主によって独占される。プロレタリアートや没落中間層一小ブルジョア・
民民 にとって,それは,生存の不安定性,貧困,圧迫,奴隷化,屈従化,搾取の増大を (1)
意味するd
ここは r革命過程,および生産手段における資本家的私有財産の社会主 義的所有への転換という目標設定」と r<<現実主義自ヤ改革, 目標」を統ー した綱領の前者の部分に該当し,手工業は「自然必然的に」没落するものと
(2)
看倣されている。
ウ、、ァイマル期に入り1921年9月のゲルリッツ大会で,新綱領が決定された。
その冒頭の文章は,次の通りである。
「ドイツ社会民主党は,都市と農村の勤労人民の政党である それは,自らの労働の収 益に依存する全ての,中古神的,肉体的創造者の統合と,共通の認識と目的および,民主主 義と社会主義の闘争共同体への結集を求める。資本主義経済は,近代技術によって,強力 的に発展した生産手段の本質的部分を,比較的少数の大有産者の支配下にもたらし,労働 者の広汎な大衆を生産手段から分離し,無産のフ。ロレタリアに転化させた。資本主義経済 は,経済的不平等を増大させ,剰余で生きている少数者に対して,窮迫と貧困のなかに萎
(3)
縮する広汎な段階を対置したJ, さ ら に , 戦 後 の 経 営 と 資 本 の 集 中 の も と で 産 業 な ら びに銀行制度において,また商業や交通において,系列化と合併,カルテル化とトラスト 化の新しい段階が始まった。一方で、,遠慮会釈のない利潤の努力が,軍需商人と投機業者 の新しいブルジョワジーを生み出したのに対して,他方,中・小ブルジョワ,営業主,精神
(4) 労働者,官吏,職員,芸術家,自由業はプロレタリア的存在に転落したd
たしかに,エアフルト綱領と同様に,中間層のプロレタリア的存在への没 落が指摘されているが,その指摘は冒頭から退き r都 市 と 農 村 の 勤 労 人 民の政党」であるとの主張が,前面に押出されてきたのである。そして,ゲ ルリッツ綱領は r構成と内容において,本質和にエアフルト綱領から背離 し,古い修正主義的定理と,あたらしい状況への順応からなる,折衷的な集
(5)
合体であった」と叙べられているように r個々の一見急進的な理論的前書き
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 137 の規定にもかかわらず,社会主義的要求の拒否を規定し,既存のブルジョワ
(6)
国家の公然たる承認を含んでいる」のである。まさに[""国民国家」として の,現在の民主的共和国の維持が,最優先されていた。以上の点から,手工 業者などの中間層との連帯が,志向されていたことがわかろう。
だが, しかし, 1925年ハイデルベルク党大会では,次のような新たな綱領 が,決議された。
「経済的発展は,内的合法則性をもって,資本主義的大経営をもたらした。資本主義的 大経営は,工業・商業および交通において,小経営を一層圧迫し,その社会的意義を減少 させる。(中略)資本は,生産者大衆を生産手段の所有から分離し,労働者と無産のプロ,
(7) レタリアに転化させたd
ここでは,再び、エルフルト綱領と同じように,大経営の発展と小経営の没 落が,冒頭に打出された。「ゲルリッツの,階級を限定しない国民政党概念 から離れ,カウッキーの草案に依頼したハイデルベルク綱領は,基本的な部 分をエルフルト綱領に依存し,社会民主党を,再ぴ社会主義的労働者党とし
(8)
て, 自己主張することを定義する」ものであった。しかし,それは必ずしも 党全体の左傾化を意味するものではなかった。むしろ,党指導部の「統合主 義政策」とは対照的であり,党指導部と先鋭化した党員層との党内の二重状
(9)
況を,反映していた。党員の一定の急進化の結果,中間層は否定されるべき 対象となり,それとの連帯は再び放棄されるに至った。このハイデルベルク綱 領が,それ以降のヴァイマル期の党活動を制約するものであったことは、言
うまでもない。
(2) E.グリュンベルクの研究
このように,ウ、、ァイマル期にも,手工業(中間層)没落論が支配的であっ
( 10)
た。だが,すでに別の稿で検討したょっに,手工業者は戦前と較べると,異 なった状況におかれるようになった。たしかに,ウ、、ァイマル期に開始された 合理化運動によって,資本の集積・集中が進行し,手工業の独立性が脅かさ れるようになったものの,その反面,合理化によって手工業の経営基盤が強 化されるようになった側面も,見過すことはできない。後述するアンケート
(Il)
委員会の『報告書』では,電力の普及にもとづく小型作業機の導入による競
争力の強化,完成品生産から修結・サービスへの移行・販売の兼営,協同化,
新たな活動への転換によって,手工業経営の安定が図られたと,報告されて
( 12)
いる。このょっな変化にもかかわらず,手工業没落論が維持されていたのは なぜなのか。一体,そのょっな変化はどう捉えられていたのか。それらの点
( I3)
を明らかにするために E.グリュンベルク『資本主義社会における中間層』
(1932年)を取上げてみよう。それを,ここで検討する意義は,第一に,手 工業に関する著作の殆どが,手工業関係者,または手工業擁護の立場に立つ,
官僚・アカデミカーによるものであったが,この本は,筆者が知る限り,おそ らく社会民主主義の立場から書カ通れた唯一のものだからである。第二に,内 容的にも, 26~28年のアンケート委員会による調査を対象としている点で,
興味深いのである。グリュンベルク自身も r実際ドイツにとって,報告書
( 14)
は,手工業に関して,始めて基本的な資料を作った」と評価しているように,
それは,手工業史上初の大規模な調査であった。それが,手工業の変化の実 態を解明することに,焦点があてられていたために,ヴァイマル期の手工業 の変化が,社会民主主義によってどう捉えられていたかが明らかとなろう。
第三に,恐慌期の手工業についても,分析の視野に含まれているからである。
(引手工業概念
( I5)
手工業については,その労働様式を重視する見方が一般的だがIi報告書』
でも,それに沿い次のように規定されていた。
まず,一般的規定として,次の三つがが、?指指旨摘されている(l(j
1. 手工業の職種。特定な種類の経済活動であり,通常材料の加工を行う。そしてその活 動は,長年の規則正しい訓練を基礎にしてしか,達成されえないほど多面的か,価値の 高いものである。
2. 手工業の経営状態。1.に掲げた経済活動乞産業的に自営する形態。
3. 手工業の職業身分。経営形態にかかわりなし1.に拍げた経済活動を営む職業身分。
ここでは経営規模,資本金といった,わが国で中小企業を分類する際の経 済的メルクマールは,拒否されている。さらに,注目すべきは3.であろう。
これには,自営手工業者 selbstandigeHandwerker ( =親方 Meister)だ けでなく,職人 Geselle,徒弟 Lehrlinge,そのうえ,手工業以外で働いてい
恐慌期におけるドイツ社会民主党の中間層観 139
る非自営の工場手工業者 Fabrikhandwerker,経営手工業者 Betriebshand‑ werkerも,手工業としての特性・様式を失っていないとして含まれている のである。
それに対し,彼は,次の2点から,経済的概念ではなく,社会学的概念で あると『報告書』を批判する。
1. 手工業のメルクマールを労働様式においたため,手工業以外に就業して
( 17)
いる者まで含まれる結果になる。
2. 機械の利用が,工業と区別するうえで重要視されているが,それは経済 的には固定資本・労働生産性の増大を意味するのであり,経済的メルクマ
( 18)
ールたりえない。
そして,そのような非経済的範ちゅうでは,手工業の把握は不可能で、ある とみる。そこで,彼は経済的には資本の寡多のみが,メルクマールたりえる‑
、(19)
とし,工業化の過程で「旧来の手工業の特徴は有効性を失つ」ため,もはや 手工業対工業でなく,小企業対大企業という対立が決定的となり,手工業を 概念規定することは無意味で、考えるのである。
(20)
(同 「手工業の発展傾向」
彼は資本主義が発展するにつれ,支配的な経営形態でなくなり,手工業
(21)
的特性が解体していく要因として,①機械の利用でなく,資本力の寡多,②
(22)
「資本主義は,経済生活・生活条件をそれに適応させるJ.というような,従 来の手工業の存続基盤の変化,③景気変動の影響等を指摘する。
だが,注目すべき点は,ただ一般的に「発展傾向」を指摘するにとどまら ず,次のように二段階に分けて,細かい分析を加えている点であろう。これ は 報 告 書 』 が 「 手 工 業 経 営 は 工 業 と は 異 な っ た 領 域 で 役 立 つ と い う 見 解
(24)
が,ますます基盤をもつ」というように,工業の発展が手工業に活動領域を 構造的に与えるという変化の側面を強調していることへの対応じ石倣すこと ができょう。
まず,第一段階では,手工業は完全に否定されるか,修理・工業製品の版
(25)
売へと転換を余儀なくされる。だが,そのような転換によって,資本主義社 会のなかでも,存在基盤が確保されると考える。ただし,それは,小売・修
理の領域は特別の費用・組織を要するので,工業にとって 1特 別 利 潤 」 が 存在する聞は,そのょっな領域に拡大しないためであると,留保がつけられ る。
だが 1種々の道を経由して大資本は,絶えざる進展を遂げる。手工業の
(26)
生存領域は,さらに制限される」というように,手工業は,新たな段階を迎 えることになる。工業が,修理・販売に進出しはじめるのである。それは,
工業聞の競争激化により 1特別利潤」が失われる,コンツェルンなどの独 占体形成により経営組織が再編成され 1今迄以上に,製品と関連する利潤
(27)
の機会を強力に利用するようになる」等のためである。たとえば,時計・自 動車・写真・楽器製造工業では 独自の修理工場が相次いで設立されるよう になり,製品・部品の販売が,組織化・系列化されてゆく。「大資本は,小 経営によって開拓された領域を彼らを駆逐することによって,奪う。ここに
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も,自営の小企業家にとってなんの滞留地も存在しない」と,指摘される。
以上 1手工業経済は実際上否定され,資本主義経済の発展傾向のなかで解
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体される」というように,手工業没落論を肯定する。しかし,このような
I{頃向」のなかて 1手工業をもはや統一的概念としてくくることはできな
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い」とし,実際には圧倒的多数の没落する経営と,固定資本を拡大し「小資
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本家」へ発展する少数の経営とに両極分解すると捉えられるのである。
判 恐 慌 期 の 手 工 業
没落傾向にある手工業の現状は,どう捉えられているのか。まず,経営数,
就業者数,販売高,財産,収入に関する『報告書』の分析を検討することに
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よって,相対的安定期の手工業の状態が,確定される。概して「報告書』は 過大評価に陥っていると批判される。たとえば,就業者数に非手工業経営に 就業する者も含まれている。資産に関しても 1自己資産の形成で,今日で も自営手工業者は,身分繁栄・疾病・死・老齢に対して,首尾良く個人的な 安定を確保している」し,さらに収入も,かなりの部分が年収5附 , 000 ~ 10,000
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R Mに達していると報告されている。『報告書』によるこのような安定した 手工業像に対し,グリュンベルクは,手工業のプロレタリア化を対置す る。
恐 慌WJにおけるドイツ社会民主党の中間層観 141
「大多数の子工業経営にとって,経営の改善と適応を行なうための資本形成は,十分で はない。また,このような状況下に存在する,手工業者にとって,いかなる形にせよ,貯
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金をするのは,可能で、ないd また,病気や死亡の場合には,家族を扶養できない状況にあ り 手 工 業 は 存 在 の 不 確 実 性 と い う , プ ロ レ タ リ ア 的 生 活 の 典 型 的 メ ル ク マ ー ル を ,
倒 。 仰
有しているd収入も,平均すると10分の9が3千RM以下の「フロレタリア的収入」であると。
そして rプロレタリア的存在」に没落した手工業が,恐慌で一層甚大な 被害を蒙ったとされる。つまり,生産の縮少,販売減少,失業,資本・信用 不足が生じたため r手工業に作用する発展傾向は,恐慌の過程で激しさを
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増す」と。とくに,資本の蓄積・集中が著しいため,手工業の両極分解の傾 向が,一層促進される,と指摘される。そのさい,合理化が,手工業を淘汰する
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手段と石‑倣され rli手工業自ヲ』大経営への発展傾向が,強まる」と述べられ る。しかしながら,経済全体の合理化によって,大工業・大商業は,新しい 領域を獲得するため,手工業経済への圧迫が進み,たとえ存続できたとして も,大経営との隔差は拡大するのみと,手工業の発展の限界が繰返し述べら れる。
(弓手工業への対応
恐慌期に,手工業者は,次のような形で,自らの存在意義を主張し,その
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保護を求めていた。
1. 工業への専門労働者を供給する。
2. 不況期に,工業の失業を吸収する。
3. 資本家と労働者の結節点として,対立を緩和し,労働平和を維持する。
このような主張に対し,彼は,次のように批判を加え,没落し分解する手
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工業には存在意義は認められない,と右倣す。
1. 熟練工から未熟練工にと,労働力の中心が移るだけでなく,工業での 内部養成が一般的になっている。
2. 好況時にさえ,手工業は過剰で、はないか。
3. 手工業以外で行われている労働の抗争に,手工業が,どう関われるの か。そもそも,手工業の歴史は,親方に対する職人・徒弟の,血のー援 やストで満ちているではないか。