最適会計利益概念の探究 上野清貴
Ⅰ まえがき
これまで,会計学の文献において,様々な利益概念が明示的および黙示的 に提唱されてきた。それらの主なものを挙げてみると,リトルトンおよび井 尻教授によって代表される「伝統的利益概念」,スウィーニーによって提唱 された「実質利益概念」,エドワーズ=ベルおよび初期のレヴズィンによっ て主張された「経営利益概念」,シュミットおよびギンザ一によって代表さ れる「取替原価利益概念」,チェンバースおよびスターリングによって提唱 された「実現可能利益概念」などがある。
これらの利益概念はそれぞれの会計思考に基づいて提唱されたものである が,それらの論拠を批判的に検討してみると,それらは必ずしも会計におい て採用すべき最適利益概念ではないことが明らかとなる。というのは,ある 利益概念の論拠は論理的に成り立たず,他の利益概念の論拠は部分的にしか 妥当しないからである。そこで,これまで提唱された利益概念を乗り越えて,
論理的に矛盾しない最適な会計利益概念を,基本的な会計思考に基づいて探 究することが本稿の目的である。
具体的には,まず会計は果たして何を主題とすべきかを,競合する思考学 派を批判的に検討するという形式で解明し,次に,会計の目的と利益概念と の関係を企業の本質と人間の行動原理から明らかにする。これによって,会 計において採用すべき最適利益概念の輪郭が判明するので,最後に,この利 益概念が具体的にどのようなものであるのかを解明し,それによって最適会
計利益概念論を試論として詳細に展開することにしたい。
E 会計の主題
会計が果たして何を対象とし,何を主題とすべきかの問題に関して,従来 から様々な意見があり,激しい論争が繰り広げられてきた。しかし,現在に 至つでもなお,この問題は解決されていないというのが現状である。これは,
会計に対する基本的な考え方の相違が依然として根深く存在しているからに ほかならない。このように,会計思考の異なる中で,何が会計の真の主題で あるかを論理的に解明することが,本節の課題である。そのために,現代の 代表的な思考学派を取り上げ,これらを批判的に検討するという形式で,会 計における真の主題を導き出してみよう。
1 人類学,心理学,数秘学としての会計
現在,学会および実務界において代表的な会計思考は以下の3つであるよ うに思われる。第 lのそして最も普及している思考は,会計の主題を会計人 の会計行動におくものである。すなわちこれは,会計人の会計行動を観察し,
彼らの会計行動を一般化された原則の下に包括することによって,それらを 合理化しようとするものである。そして,その代表的なものは,現在さかん に主張されている「実証的会計理論J(positive accounting theory)である。
この理論は,会計すべき現象についての理論ではなく,会計人についての理 論でありt r人類学」と共通性を有しているので,これを「人類学としての 会計理論」と呼ぶことにしよう。
1 )この命名者は筆者ではなく,スターリングである。彼はこの理論をさらに次のよう に説明している。「……人類学的会計理論のテストは会計人の会計行動の観察である。
例えば,会計人が通常『保守的な』数字を記録することを会計人類学者が観察し,こ れを『保守主義の原則』として一般化するならば,われわれはこの原則を,会計人が
第2の代表的な会計思考は,会計の主題を会計情報の受け手の反応におく ものである。ここでは,財務諸表の受け手たる投資者が何らかの反応をして 株価が動くならば,その財務諸表および会計情報は有用であり,それが有用 な「情報」を含む証拠とみなされる。この思考の代表的なものは, r効率的 市場仮説J(efficient markets hypothesis)に基づく会計理論である。この理 論の重点は人々の反応にあり, r心理学」に通ずるので,これを「心理学と
しての会計理論」と呼ぶことにする。
第3の代表的な会計思考は,現在の会計実務におけるそれであり,会計の 主題を観察可能な財や富の量におくのではなく,観察不能な「数字」におく
ものである。ここでの主題は,現行の棚卸資産会計や固定資産会計において 明確に現れているように,それらをどのように原価配分計算するかであり,
それらをどのように測定するかではない。そこでは,富および利益の測定が 想定されるけれども,実際にはそれは計算活動であり,これらの計算活動の 結果である数字は経験的指示物をもたない。この経験的指示物をもたない「数 字」をこの会計思考は重視するので,これはまさに数占いたる「数秘学」
(numero!ogy )であり,したがって,これを「数秘学としての会計」と呼ぶ ことにしよう。
このように,現代の代表的な会計思考は,人類学,心理学,および数秘学 としての会計であるが,これらはそれぞれ会計の主題として妥当しない固有 の問題点を有している。以下,これをスターリングの所論 [Sterling,1970 b, pp. 449‑454 ; 1988a, pp. 8‑12 ; 1988b, pp. 9‑lOJを参考に述べてみよう。
実際に保守的な数字を記録するか否かを観察することによってテストすることができ
る。会計人類学者が『多様性の原則~ (principle of diversity)を立てるならば,われわ れはこの原則を,会計人が実際に類似の事象を異なった方法で記録するか否かを観察 することによってテストすることができる,等々である。J[Sterling, 1970b, p. 449J なお,次の「心理学としての会計理論」および「数秘学としての会計」も命名者はス ターリングである。
まず, I人類学としての会計理論」には次のような問題点がある。
(1 )会計人は,彼らが行動すべき方法で会計行動するというのは,必ずし も真ではない。 xがそのケースであるので xはあるべきケースである と結論づけることは誤りである。会計人が実際にどのように会計行動し ているかを観察して一般化することから,会計人が行動すべき方法に到 達する可能性はない。したがって,この種の理論化は,会計人がなぜあ る方法で会計行動するのかの説明を提供し,彼らの会計行動を予測する 能力を提供するかもしれないが,それは彼らの会計行動の良さについて の判断をもたらさない。彼らの会計行動の良さを判断するためには,他 の規準が必要である。
(2) この過程は変化を不可能にする。現在の世代の会計人に,一般に認め られた会計原則(これは前の世代の会計人の行動を観察することによっ て引き出された原則である)にしたがって会計行動することを要求する ことによって,変化は禁じられてきた。その要求が厳しく強制されるな らば,各世代は前の世代とまさに同様に会計行動し,これは最初の世代 に遡るであろう。もちろん,会計理論において変化は生じてきたが,こ れらの変化は人類学的解釈によっては説明されないし,提供されない。
(3) 最初の世代に続いて,その過程は循環的である。すなわち,われわれ は教育すべきことを見出すために会計人の会計行動を観察し,次に行動 すべき方法を彼らに教育し,さらに教育すべきことを見出すために会計 人の会計行動を観察する,等々となる。
( 4) 最も重要なことに,物理学の理論が物理現象に関係し,物理実務家に 関係しないのと同様に,会計理論は会計現象に関係すべきであり,会計 実務家に関係すべきではない。
人類学的調査は有用な情報を提供する。会計実務家がどのように行動し,
彼らがなぜそのように行動するのかを知ることは重要である。彼らの行動が
「会計原則」の下に一般化できるならば,それらの知識は有益である。しか
しながら,かかる知識は,会計人の行動の理論とは対比される会計理論のた めの基礎を提供せず,したがって, I実証的会計理論」などによって代表さ れる「人類学としての会計理論」は妥当ではない。)
次に, I心理学としての会計理論」には次のような問題点がある。
(1) それは心理学の刺激・反応学派の方法論にしたがっている。財務諸表 が刺激であり,反応が財務諸表の受け手の意思決定である。刺激の頻度 の影響,刺激の変化と有価証券の変化との相関関係,投資者および経営 者に対する様々な刺激の影響,価格変化および数量変化に及ぼす刺激の 影響等に関して,証拠が集められてきた。これは,例えば人々もしくは 実験動物に及ぼす電気ショックの頻度,強度等の影響を観察することと 全く類似している。その結果生じる理論も全く同じであろう。すなわち,
それは,刺激に対する人々の反応を説明もしくは予測する理論であろう。
会計理論がこの性格をもつべきであるということは,必ずしも明らかで はない。
2 )スターリングはこの人類学としての会計理論の特異性をさらに次のように述べてい る。「かかる研究およびそれに関連する理論は会計学の文献において『科学的なもの』
もしくは『社会科学的なもの』として特質づけられているけれども,ある学問分野に おける実務家の研究は,私の知る限りでは,科学の歴史において独特である。研究者 が熟練した職人を観察することによって始まった例は科学の歴史においであるが,私 の知る限りでは,研究者がかかる観察で終わった例はない。この相違は極めて重大で ある。すなわち,科学者は熟練した職人からのものも含めて知識を獲得できるすべて の場合から知識を得るが,次に彼らは研究過程によってその知識を拡大し,修正し,
洗練することを試み,さらにその改善した知識を彼らはその技能を改菩する目的で職 人に還元する。彼らは熟練した職人の研究を目的とせず,むしろそれを職人が取り扱 っているものについての知識のための手段とする。また彼らは,かかる知識の蓄積は 規範的であるけれども,職人の行動の知識の蓄積は実証的であるという誤った信念で,
職人の知識を拡大し,修正し,洗練しようとすることを禁止しない。J[Sterling, 1988 b, p. 14J
(2) 会計の刺激に対する受け手の反応が,ある種の会計実務が正当化され る証拠とみなされるならば,これらの反応が条件つきであったという可 能性を見逃してはならない。会計報告書は長い間公表されてきたし,そ れらの公表は,それらを公表する経営者や会計人によって行われた印象 的儀式をいくぶん伴っていた。受け手はおそらく彼らが反応すべき印象 を得て,他人が反応することに注目してき,それによって反応に条件づ けられるようになってきた。パブロフの犬がベルの音に反応したという 事実は,ベルの存在に対する正当化を提供しない。
(3) これは語用論的情報内容と意味論的情報内容との重要な区別である。
語用論の研究は記号と記号の使用者との関係に関連している。意味論の 研究は記号と対象ないし事象との関係に関連している。ある人がある記 号に反応するならば,その記号は語用論的情報内容を有している。しか しながら,その反応はその記号の意味論的情報内容とは何の関係もない。
人々は,われわれが「うそ」と呼ぶ記号に反応するかもしれない。「う そ」という用語の意味するものは,それが負の意味論的情報を有してい るということであり,換言すれば,それは「誤報」である。同じことが 会計報告書についても妥当する。それらは人々が反応する記号である。
しかしながら,その記号は現実世界の現象に結びついているかもしれな いし,いなし、かもしれず,受け手はその結びつきもしくは結びつきの欠 如を知っているかもしれないし,知らないかもしれない。受け手はある 現実世界の現象に関心があり,それらの記号が彼らにその現象を識別さ せると正しくもしくは誤って考えるかもしれない。それゆえ,受け手が 会計報告書に反応するという事実は,彼らが反応すべきであるというこ
とを必ずしも意味しない。
( 4) 批判の最後の点はあるアナロジーによって最も良く示すことができ る。ある医師は患者のひざをたたいてその反応に注目するだろう。その 医師はこの反応から,その患者が情報を受けたと結論づけない。むしろ,
反応は医師に対する情報である。医師はそれから,その反応が病的か否 かを決定する。その反応は,医学理論に対する観察可能なインプットで ある。会計人は受け手の反応に対して同じスタンスをとるべきである。
受け手が反応するという事実は会計人に対する情報であり,その反応が 病的か否かを決定するのは彼らの義務である。
すなわち, I効率的市場仮説」などによって代表される「心理学としての 会計理論Jは,意味論的情報よりも語用論的情報を重視した理論であり,現 実世界の現象を表しているか否かは二次的であり,さらに,会計情報の受け 手の反応それ自体を重要視して,会計情報の送り手の真の任務を看過してい
る。したがって,この会計理論も妥当ではないと結論づけざるをえない。
最後に, I数必学としての会計」には次のような問題点がある。
(1 ) この会計の問題点は,監査における検証過程の特殊な性質から生じる。
わずかな例外はあるが,この会計システムのアウトプットのどれもが個 別に検証できない。すなわち,インプットから計算された数字を検証す るために遂行しうる独立的な経験的操作はない。「純利益Jも「純資産」
も観察不能であり,個別的に測定できない。むしろ,それらは勘定残高 の合計である。勘定残高は観察できないし,個別に測定できない。それ らはむしろ仕訳記入の合計である。監査過程はアウトプ、ソトの検証では ない。むしろ,それは本質的にアウトプ、ソトの再計算であり,インプッ トの正確性もしくは真実性をチェックするための基礎である事業記録の
「検査」である。それゆえ,監査過程は,そのシステムに対するインプ ットおよびそれらのインプットが操作される方法に焦点、を当てる。それ はシステムのアウトプットを検証しない。
(2) このことは,会計人と物理人 (physicists)と比較することによってー 層明確となる。会計人は計算することを訓練されるけれども,物理人は 観察することを訓練される。計算は会計の最終製品であるけれども,物 理学では計算は中間製品であり,その数字のアウトプットは観察と比較
されなければならない。会計人はしばしば計算の方法を「コンペンショ ンJと呼び,彼らは書類を調査して再計算することによってそれを「テ スト」する。つまり,彼らは,計算された数字が何かを表しているか否 かについてほとんど関心がない。物理人は計算の方法を「仮説」と呼び,
彼らは計算された数字と直接的な観察とを比較することによってそれを
「テスト」する。つまり,彼らはほとんど常に,数字が何を表している かどうかに関心があり,何も表していない数字には軽蔑的である。反復 的な確証の後で,彼らは名称を「仮説」から「法則」に変更しその場 合にのみ,彼らは観察によってそれらの計算のアウトプットをテストす ることなしにそれらに頼るのである。
(3) システムのアウトプットを検証しないことによって,次のような不条 理が生じうる。すなわち,現在,原価配分に関していくつかの異なった 方法がある。インプットおよび計算の正確性をいかに注意深くチェック しでも,この過程はそれらの一連の方法を確証もしくは反証する手段を 提供しない。結果として,これら一連の方法はすべて容認でき,監査人 はそれらの間で選択する手段をもたない。 2つの異なった方法が(異な った企業において)同じインプットに適用することができつが必然 的に間違いに違いないにもかかわらず,両者のアウトプットが正しく表 示していることを監査人は保証することになる。さらに,異なったアウ
トプットをもっ異なった方法の数は無限となる可能性がある。
( 4) これに関連して,会計人によって報告される額は,ほとんど例外なく 比較的自由な算術的構造物である。これらは会計学の文献では「客観的 なもの」として特質づけられるけれども,それはある周知の学問分野の 独立的に存在する意味において客観的ではない。むしろ,会計数字は,
非常に広い領域内で,ある学問分野の特異な産物以外の何ものでもない。
それは個人的感情もしくは偏見によって影響されることなしに事実に一 致するという意味において客観的ではない。全く逆に,それは個人的感
情によって大いに影響され,報告された額が一致する事実は存在しない。
それは科学的テストとの関係づけに依存するという意味において客観的 ではない。というのは,テストとそれらの額との密接な関係は存在しな いからである。要するに,会計数字は非会計学の文献で通常みられるい かなる意味においても客観的ではない。
これらのことから明らかなように,現行会計実務における「数秘学として の会計Jの最大の問題点は,そこにおける会計数字は真でも偽でもないとい うことである。というのは,会計数字と対応があるか否かを決定するための 検討すべき現象がなく,それらの会計数字は検証できなし、からである。この 意味で,現行会計実務は無意味であり,正当視することはできない。会計人 は会計を最も具体的な現実を取り扱うものとして考える傾向にあるが,彼ら は,数字が現実に対応するもしくは表現するということとは逆に,数字が現 実であるという幻想に苦しんでいるのである。
2 測定論としての会計
以上によって,現代の代表的な会計思考である,人類学,心理学,および 数秘学としての会計のいずれもが,重大な問題点を有していることが明らか となった。そして,その問題点として,これらの会計思考において共通して いえることは,これらは現実の会計現象(会計が取り扱う経済現象)を会計 の主題とせず,別のものを会計の主題としているということである。すなわ
3 )これと同じことを,スターリングは別のところで次のように表現している。「……会 計実務の数字は,分析的でも検証可能でもないという論理実証主義者の意味で,意思 決定には有用ではないというプラグマテイストの意味で,そして操作的に定義されて いないという操作主義者の意味で,無意味である。会計実務の数字は,これらを経験 的に検証可能にしそれらが意思決定に(使用されるのみならず)有用であることを 証明し,そしてそれらを操作的に定義することによって,有意味lこする必要がある。」
[Sterling, 1988b, p. 16J
ち,人類学としての会計理論は会計人の会計行動に焦点を当て,心理学とし ての会計理論は会計情報の受け手の反応に目を向け,そして数秘学としての 会計は原価配分等の数字を重視する。その結果,これらの会計思考では,最 適な会計方法を永久に決定することができないのである。
そこで,会計すべき方法,つまり最適な会計方法を決定するためには,現 実の会計現象を会計の主題としなければならず,さらにいうならば,会計現 象の測定を会計の対象としなければならない。これは,ある方法で計算され た会計数字とその数字が表そうとしている現象の独立的な測定値との間で,
密接な対応関係がなければならないことを意味している。ある計算方法が測 定された額と密接に対応する数字を生み出すことが判明するならば,その方 法は継続的に使用されるべきものとして選択され,かかる対応関係が見出さ れないならば,その計算方法は棄却されることになる。
最適な会計方法を決定するためには,かかる対応概念がきわめて重要であ るが,これは会計特有の問題ではなく,科学論における基本である。ある思 考(もしくは思考の記号)がその対象に対応しているかどうかは,まさに科 学的方法の本質である。対応があるか否かを見出すために対象を独立して観 察することは,科学的言明を検証もしくは反証する過程であり,したがって,
対応概念は科学にとって不可欠である。これを会計に当てはめてみると,会 計が経験科学として成立するためには,会計数字と会計現象の測定値との対 応が不可欠となり,対応概念がきわめて重要な概念となるのである。
このことをさらに明確に理解するために,ここで, r経験科学Jについて 改めて説明しておく必要がある。これに関しても,スターリングが的確に述 べているので,彼の所論[Sterling,1970b, pp. 446‑448Jを参考にしながら,
述べていくことにしよう。まずはじめに,経験科学は,現実世界における事 象の説明と予測をその目的としている。したがって,経験科学の命題は,そ れがある経験的現象を正しく説明もしくは予測する場合にのみ,真であると いわれる。
しかしながら,経験科学の理論は,観察によって検証されうる命題のみか ら構成されるわけではない。むしろ,経験科学における理論は,分析命題と 経験命題の結合から成る。ある理論の構文論的ないし論理的部分は抽象する ことができ,その理論の経験的部分から分離して研究することができる。こ の過程は通常ある理論の「形式化」と呼ばれ,その結果は「形式」システム と呼ばれる。もちろん,形式システムそれ自体は経験理論ではない。形式理 論が経験科学の理論としての機能をもつためには,意味論的規則が加えられ なければならない。
つまり,ある理論が経験的たらんとするならば,原初段階であるインプッ トと最終段階であるアウトプットの検証は不可欠である。上述したように,
経験理論におけるすべての命題が検証可能であるということは要求されては おらず,観察を受けない形式システム内で操作する多くの用語がある。(こ れらは「観察言語」と対比する意味でしばしば「理論言語」と呼ばれる。) しかしながら,経験理論は検証可能ないくつかの命題を原初段階と最終段階 においてもっていかなければならない。これらの個々の命題の検証はその理 論のテストとして行われ,それらの命題が真であることが判明するならば,
その理論は「実証された」もしくは「確証されたJといわれるのである。
要約すると,経験科学の理論は2つの部分に大きく分けることができる。
すなわち,それは(1)抽象的な記号とこれらの記号を操作する一連の構文論 的規則から成る形式システム,および(2)ある記号を意味論的規則による観 察に結びつける形式システムの解釈である。形式システムにおける命題は,
それらが公理もしくは定義から演縛されるという意味で分析的である。解釈 された理論の命題は経験的であることを意図されており,それらは観察によ ってテストされなければならない。
意味論的規則は, (1)インプットと (2)アウトプットという2つの異なった 種類の観察に関係する。ある理論が完全であるためには,それらの種類の観 察が行われなければならず,測定規則が特定化されなければならない。これ
らはその形式システムに対する経験的インプットである。それらのインプッ トは次に構文論的規則にしたがって操作される。そして,その形式システム のアウトプットは意味論的規則を通じて再び観察に結びつけられる。それら の観察がその形式システムによって特定化されるならば,その特定の命題は 検証されたといわれるのである。
そして,以上の関係をスターリングは次のように図示している [Sterling, 1970b, p. 448J。
理論面 │インプットト一一斗構文論的操作ト一一斗アウトプ、ソト│
的 結 合 意 味 論
的 結 合 意 味 論
観察面
図1 経験科学における理論
これを会計との関係で述べると次のようになろう。まず,現実の会計現象 (会計的経済取ヲ1)を観察し,仕訳を通じて会計現象が数字化される。これ が意味論的規則を適用したところのインプ、ソトである。次に,これらの数字 が構文論的規則にしたがって操作され,元帳転記が行われ,アウトプットと しての財務諸表が作成される。さらに,この財務諸表の会計数字が意味論的 規則を通じて独立に観察された会計現象の測定値と対応される。そして,会 計数字と会計現象の測定値との間で密接な対応関係が見出されるならば,こ の会計システムおよび会計理論は確証されたといわれ,経験科学として成立 するのである。
このように見てくると,ある会計理論が経験科学として成立するためには,
少なくともその原初段階と最終段階において,会計数字と現実の会計現象と を対応させるために「測定Jが非常に重要な役割を果たすことが分かる。換
言すれば,会計理論と会計現象の測定とは不可分の関係にあるのである。
理論は,何が測定されるべきであり,測定がどのように操作されるべきで あり,どのような測定可能な結果を期待することができるかを明らかにする。
これは,何が測定できるかということによって理論が拘束されることを示唆 している。それはまた,予測される事象が個別の測定によって検証もしくは 反証されるだろうということにおいて,測定が理論に相互作用することも示 唆している。このように,理論と測定は一体であり, i測定のない理論は単 なる空論であり,……理論のない測定はあてのない放浪である。J[Sterling, 1970b, p. 455J
したがって,会計の主題は,会計人の会計行動でも,会計情報の受け手の 反応でも,原価配分された会計数字でもなく,現実の会計現象の測定である。
会計の主題を測定におくならば,会計の命題は反復して検証でき,すべての 人々によって検証できる。かかる検証は,われわれの直面している問題を議 論し続ける代わりに解決させることができ,われわれの論争を法律や裁判所 に訴える代わりに,科学的テストに訴えることによって解決することができ るのである。
4 )もっとも,測定問題は非常に難しい問題であり,現在において解決されていない多 くの問題が存在することは事実である。しかしながら,これらの問題を解決するため に挑戦することが,今後のわれわれの任務となる。この意味で,スターリングは次の ように述べている。「われわれの現在の測定問題は手に負えないことを認めざるをえな い。物体が静止するまで,古代人が移動距離を測定できなかったのと同様に,償却資 産が売却されるまで,その費用を測定できない(と主張される)。相違点は,われわれ はわれわれ自身の無能力性のために測定を諦めたけれども,科学者は彼らの無能力を 挑戦とみなしたということである。重要な点は,われわれもわれわれの測定問題を解 決できない問題として諦めてしまうのではなしに,挑戦とみなすことができたという
ことである。J[Ster1ing, 1975b, p. 32J
E 会計の目的と利益概念
前節において,会計の主題は現実の会計現象の測定であり,測定可能な属 性を会計しなければならないことを明らかにした。そこで,次に問題となる のは,測定可能な会計属性,つまり資産等の評価基準のうちどの評価基準で 会計現象を測定し,どの利益概念を会計において採用すべきかということに なる。この問題を解決するためには,会計の目的から考察する必要がある。
というのは,測定すべき評価基準および利益概念の決定は会計の目的観に依 存するからである。
一般に,会計の目的は「意思決定」と「業績評価」であるといわれている。
これは次のように説明することができる。企業の目的は経済活動を通じてそ の利益を最大にすることであり,この企業目的を達成するために,経営者は 経済活動の中で様々な意思決定を行うことになる。そして,かかる意思決定 を援助するために何らかの手段が必要となるが,この任務を果たすものが会 計にほかならない。
しかしそればかりではない。会計は,経営者が過去において行った意思 決定を評価する任務をも有している。経営者が行った意思決定の善し悪しは 財務諸表に如実に現れ,とりわけ利益項目に現れるので,これによって,会 計は経営者の業績評価を援助することになる。すなわち,この会計の援助に よって,企業の利害関係者(株主,債権者,従業員等)は企業ならびに経営 者の業績評価を行い,彼ら自身の意思決定を行うのである。
そこで,かかる会計目的を達成するために,会計現象をどのような評価基 準で測定すべきであり,どの利益概念を採用すべきかを検討することが本節 の課題である。まず, i意思決定」から考察してみよう。
1 意思決定と評価基準
会計が経営者の意思決定を援助するという目的を果たす場合,具体的には,
会計人が何らかの評価基準で会計現象を測定し,その測定値を意思決定者に 伝達することになる。ここでは,会計システムのアウトプットは意思決定モ デルに対するインプットとなる。したがって,よく定義された意思決定モデ ルが存在するならば,そのモデルは,どの観察を行うべきであり,どの評価 基準で会計現象を測定すべきかを特定化できることになる。
これは,重要な会計規準である「目的適合性J(relevance)に関する問題 であり,これを次のように定義することができる。すなわち,ある評価基準 がある意思決定モデルによって特定化されるならば,その評価基準はその意 思決定モデルに対して適合的である。ある評価基準がある意思決定モデルに よって特定化されないならば,それはその意思決定モデルに対して適合的で はない。
そして,この意思決定モデルは企業の目的から導き出されることになる。
前述したように,企業の一般的な目的はその利益を最大にすることであり,
この目的から次のような利益性原則の一般原則を導き出すことができる。
利益性原則 :AsiくAeiならば,資産Aはその割引率で投資したAsiより も利益を生むと予測される。
ここで,Asi は時点iにおいて資産Aに要求される犠牲であり ,Aei ~土時点 i における資産Aの割引価値である。
この利益性原則に基づいて,まず割引価値が要求される犠牲と比較され,
その比較は次の差額として表される。
Aei‑Asi=Aの純割引価値 tA ︑ ︑ ︐ r
︐ ︐
•• ︑ ︑
この差額が正ならば,Aはその差額で投資したAsiよりも利益を生むと予測 される。したがって,これが一般的な意思決定モデルである。
この意思決定モデルを新しい資産の獲得のために適用する場合,その割引 価値は,その資産を購入するために犠牲にしなければならない額(購入時価)
と比較される。すなわち,次のようになる。
Aei‑Abi= I未所有資産」の純割引価値 (2)
ここで ,Abiは時点iにおける資産Aの購入時価である。
そして,この値が正ならば,資産 Aの購入は利益を生むことになり,意 思決定者にとって有利となるが,この値が負ならば,その資産を購入しない ことが意思決定者にとって有利となる。換言すれば,この値が正ならば,意 思決定者はその資産を購入すべきであり,負ならば,その資産を購入すべき ではない。
また,この意思決定モデルを現在所有している資産に適用する場合,その 割引価値は,その資産の保有を継続するために犠牲にしなければならない額
(販売時価)と比較される。すなわち,次のようになる。
Aei‑Aai= I所有資産」の純割引価値 EE︐ ︐ ︑ nu毛︑ ︑ ︐ ︐ ︐
ここで ,Aai ~ま時点 i における資産 A の販売時価である。
そして,この値が正ならば,資産 Aの保有の継続は将来より大きな利益 を生むことになり,意思決定者にとって有利となるが,この値が負ならば,
その資産を売却することが意思決定者にとって有利となる。言い換えれば,
この値が正ならば,意思決定者はその資産を継続して保有すべきであるが,
負ならば,その資産の保有を中断し,ただちに売却すべきであるということ になる。
したがって,この一般的な意思決定モデルは,未所有資産の購入もしくは 非購入,および所有資産の保有の継続もしくは売却の意思決定を可能にする が,このモデルは同時に,会計において目的適合的な評価基準も規定してい る。そしてそれは,割引価値,購入時価,および販売時価である。すなわち,
これらがこの一般的な意思決定モデルに関して目的適合的な評価基準である ということになる。
そこで,次に問題となるのが,これらの評価基準のうち,通常の会計シス
テムにおいて測定すべき評価基準はどれかということである。この問題を解 決するためには,各評価基準の機能と性質を個別に考察していく必要がある。
まず,割引価値に関してであるが,上記の意思決定モデルから推測できる ように,これはすべての意思決定モデルに関わることになる。換言すれば,
割引価値はすべての意思決定モデルによって特定化されることになり,目的 適合的な評価基準となる。そして,ここに割引価値の最大の利点があり,存 在意義があるのである。
ただ,ここで注意しなければならないことは,割引価値はあくまでも主観 的な価値であるので,当該意思決定者個人についてしか適合せず,意思決定 者一般について適合するような性質のものではないということである。言い 換えれば,割引価値は「私的」な価値であり, I公的」な価値ではないとい
うことである。
例えば,確実性の場合,割引価値に関してすべての人が将来の確実な知識 を有するならば,そのような情報の公的報告は価値ある情報を提供すること ができない。というのは,この場合,誰も競争の優位性をもたないからであ る。スターリングのいうように,この場合, I明日の価格が公的に確実に分 かるので,人が得ることのできる唯一のものは,リスクのない利子率であろ う。株式を購入することは銀行に貨幣を預金することと同じであろう。それ ゆえ,将来の知識は市場で取引するリスクを除去するだろう。そして,一度 そのリスクが除去されるならば,そのリスクを負担する報酬もなくなるであ ろう。J[Sterling, 1979, p. 129J
これは不確実性の場合にも妥当する。この場合には,多くの割引価値があ り,割引価値は人により,また企業によって異なってくる。この割引価値の 相違は意思決定に対して重大な問題を生ぜしめる。というのは,ある人の割 引価値は他の人の意思決定に適合しないからである。
これに関しでも,スターリングは次のように述べている。 IAの予測ない し割引価値はAの意思決定に適合するけれども, Bの予測ないし割引価値は
Aの意思決定に適合しない。 Bについても同じである。より一般的に,ある 人の私的な予測はその人の意思決定に適合する。他の人の公的な予測は適合 しない。J[Sterling, 1979. p. 135Jしたがって,割引価値が適合的であるの は,この私的なレベルにおいてであるということになり,このことから,割 引価値は通常の会計システムにおいて測定すべき評価基準であるということ はできないのである。
次に,購入時価に関して考察してみよう。上記の意思決定モデルから明ら かなように,購入時価はある資産を購入するかそれとも購入しないかの意思 決定モデルに関わることになる。換言すれば,購入時価は資産の購入または 非購入の意思決定モデルによって特定化されることになり,この意味で,目 的適合的な評価基準である。そして,ここに購入時価の最大の利点があり,
存在意義がある。
ただ,ここで注意する必要があるのは,購入時価はあくまでも未所有資産 の購入または非購入の意思決定のみに使用すべきであり,所有資産の評価基 準として使用すべきではないということである。というのは,購入時価は所 有資産に関係しないからである。すなわち,所有資産の購入時価はそれらの 売却に適合せず(というのは,それらを販売時価で売却しなければならない から),それらの購入にも適合しないのである(というのは,それらはすで
5 )さらに,割引価値は「測定」によって得られたものではないことに注意する必要が ある。というのは,測定操作は常に「現在」において行われるからである。スターリ ングの述べるように,測定操作は「……ある特定の時点で行われる。操作を昨日ある いは明日に行うことはできない。つまり,操作を今しか行うことができない。操作を 将来に行うことを計画することは可能であり,操作を過去に行ったということは可能 であるが,その操作は実際上現在において行われる。もちろん,将来の操作が何を明 らかにし,過去の操作が何を明らかにしたかを予測することはできる。しかし,それ らは予測 (prediction)および遡時予測 (retrodiction)であり,測定ではない。J[Ster1‑ ing, 1970a, p. 90 ;訳書, 81頁]そして,この意味では,歴史的原価も測定の産物では ない。
に所有されているから)。
したがって,購入時価を資産の評価基準として財務諸表に計上してはなら ないということになる。財務諸表の資産はすべて所有資産であるからである。
この意味で,購入時価は通常の会計システムに載ることができず,臨時的な 評価基準であるといわざるをえない。すなわち,購入時価が目的適合的であ るのは,未所有資産の購入または非購入の意思決定の領域に限定されるとい うことになる。
最後に,販売時価に関してであるが,上記の意思決定モデルから明らかな ように,販売時価はある資産を売却するかそれとも継続して保有するかの意 思決定モデルに関わることになる。換言すれば,販売時価は資産の売却また は保有の意思決定モデルによって特定化されることになり,この意味で目的 適合的な評価基準である。そして,ここに販売時価の最大の利点があり,存 在意義がある。しかも,販売時価は所有資産にまさに関係するので,通常の 会計システムに載る評価基準であるということができる。
ただ,ここで注意すべきことは,販売時価は所有資産の保有対売却の意思 決定に適合するとしても,未所有資産の購入対非購入の意思決定に適合しな いので,総合的な意思決定を行うためには,購入時価の助けを借りなければ ならないということである。この意味では,販売時価も意思決定に関して最 適な評価基準ではないが,購入時価は通常の会計システムに載ることができ ないので, r簿外」で援助することになり,通常の財務諸表に計上すべき評 価基準は所有資産を表す販売時価のみであるということになるのである。
以上によって明らかなように,意思決定モデルに関して適合的な評価基準 は販売時価(および購入時価)であるが,これによって,最適な利益概念が 一意的に選択されるわけではない。すなわち,これによって,実現可能利益 概念(および経営利益概念)が最適利益概念であると即断することはできな い。というのは,利益概念は評価基準と測定単位との組み合わせによって決 定されるのであるが,これらの意思決定モデルは利益概念のl構成要素であ
る評価基準の選択のためのものであり,利益概念それ自体の選択のためのも のではないからである。
この意味では,意思決定モデルは評価基準にのみ関係するものであり,利 益概念に関係するものではないといわざるをえない。利益概念それ自体に関 係するのは,むしろ次に考察する「業績評価」である。企業の利害関係者は,
計上された利益を中心として,企業ならびに経営者の業績評価を行うのであ る。
2 業績評価と利益概念
会計が企業利害関係者(株主,債権者,従業員等)の企業および経営者に 対する業績評価を援助するという目的を果たす場合にも,具体的には,会計 人が何らかの利益概念を用いて会計現象の利益額を測定し,その利益測定値 を企業の利害関係者に伝達することになる。ここでも,会計システムのアウ トプットは業績評価モデルに対するインプットとなる。したがって, r適切 な」業績評価モデルが存在するならば,そのモデルはどの利益概念を用いて 会計現象の利益額を測定すべきかを決定できることになる。
したがって,これも「目的適合性」の会計規準に関係する問題であり,こ れを次のように定義することができる。すなわち,ある利益概念がある適切 な業績評価モデルによって特定化されるならば,その利益概念はその業績評 価モデルに対して適合的である。ある利益概念がある適切な業績評価モデル によって特定化されないならば,それはその業績評価モデルに対して適合的 ではない。すなわち,ある利益概念がある適切な業績評価モデルに関係する ならば,その利益概念はその業績評価モデルに対して適合することになる。
逆に,ある利益概念がある適切な業績評価モデルに関係しないならば,それ はその業績評価モデルに適合しないのである。
この場合, r適切な」業績評価モデルは次のように定式化することができ る。
Kui一Kui‑1=Yui (4)
ここで ,Kui ~土 i 期末における企業資本(純資産)の適切な測度であり,
Kui・‑1はi期首における企業資本の適切な測度である。 Yui~土 i 期における 企業の適切な業績評価値である。したがって,この値が大きければ大きいほ
ど,企業ならびに経営者の業績は良いということになる。
業績評価モデルをこのように定式化する場合,すぐに問題となるのは, I企 業資本の適切な測度」とは何かということである。この問題を解明するため には,企業の本質から説明する必要がある。
「企業」はその形態において自然人ではなく,法人であり,擬人である。
この擬人であり,抽象的である企業は,それ自体で原動力をもつことができ ないことは明らかである。企業が存在するのは,もっぱら人々がそれを生み 出したからであり,人間の動機が企業の原動力であることは自明である。し たがって,企業の帰せられるすべての動機は究極的に人聞から生じなければ ならない。そして,この人間の行動原理は一般に「効用」を最大化すること である。それゆえ企業は,人聞が彼らの効用の最大化を確立する手段のため の便宜的な名称以外の何ものでもない。
ところで,この効用に関して2つの関連する源泉がある。すなわち,それ は消費と「財に対する支配権J(command over goods ; COG)である。人間 は消費財を現在消費することによって彼の効用が増加するのみならず,将来 に消費してより大きな満足を得るために,現在消費しないである財に対する 支配権を得ることによっても,彼の効用を増加させることができる。そして,
この支配権が COGにほかならない。したがって, COGは企業の本質と人 間の行動原理から導き出される。
さらに,この COGは企業との関係で次のように理解することができる。
ある人がある企業の持分を投資や貸付けなどによって有しているならば,彼 はそれによって彼のための消費財を企業資産のために漠然と犠牲にしてい
る。それゆえ,この犠牲,すなわち企業資産は企業の利害関係者が消費をひ かえている COGとして表現することができる。消費財は物的対象であるの で, COGは企業の利害関係者に対する物的測度である。
したがって, COGを次のように定義することができる。すなわち,それ は「企業の利害関係者が消費財の購入のために企業資産を現在売却して,そ の収入金を使用したならば,購入できたであろう消費財の量」である。そし て,この COGが企業資本の適切な測度であるということになり,それゆ え, (4)式の業績評価モデルは次のように変形することができる。
COGj‑COGi‑1 =!l COGi 同 町 ︑ ︑ . ︐ ︐ ︐
d
︐ ︐
a︐ ︑
ここで ,!lCOGjはi期における COGの増減であり,損益である。
このように, COGが企業資本の適切な測度であるならば,それは2時点 聞の資本の差額である利益の適切な測度でもある。すなわち,利益は COG の増分である。さらにいうならば,収益は COGの増分であり,費用は COGの減分であり,利益は COGの純増分であるということができる。し たがって,どの利益概念を選択すべきかを判断するに際して,この COGの 増減が業績評価モデルにおいて重要な役割を果たすことになる。すなわち,
COGの増加が大きければ大きいほど,企業および経営者は良く評価される ことになるのである。
それでは,この COGはどのようにして具体的に測定されるのであろうか。
それは,具体的には「販売時価jによって測定されることになる。なぜなら
6)この場合,問題となるのは所有者たる株主であるが,株主が保有していた株式を売 却する場合,たとえ,彼が売却収入を受け取るのは企業からではなく証券市場からで あるとしても,それは,彼がいままで株式投資によって彼のための消費財を企業資産 のために漠然と犠牲にしていたものが解消されたとみるべきである。ここに,所有者 と企業との密接な関係を見出すことができるのであり,また見出さなければならない のである。