長崎市の気温逆転層とその解消過程
荒生公雄・松崎秀信*1・近藤 功*2・松田真人*3
長崎大学教育学部地学教室
(昭和56年10月31日受理)
Inversion of Air Temperature and Its Decaying process in Nagasaki City
Kimio ARAO, Hidenobu MATSUZAKI, Isao KONDO and Makoto MATSUDA
Department of Earth Sciences,Faculty of Education Nagasaki University,Nagasaki852
(Received Oct.31,1981)
Abstruct
Inversion of air temperature in Nagasaki City has been studied from the
viewpoint of its decaying process in the morning. Temperature measurements were made by the use of the gongdra of Nagasaki Ropeway and meteorological
balloons with a thermocouple or a thermistor. Main results obtained in this investigation are in the following.
(1) Temperature inversions developed in fair and calm nights begin to decay
from the bottom at about 8 o'clock because of heating from the ground
due to insolation.
(2) The inversion layer ordinarily becomes in the state of isothermal at 9
o'clock. In the case of strong inversion, however, it still remains in the
medium layer (150‑200m) at that time.
(3) The lower atmosphere from the ground to 300m almost changes in unsta‑
ble or neutral state until 10 o'clock excepting somewhat stable condition in the medium layer.
(4)T4) The medium layer becomes neutral after 10o′clock in the case of the
strongest inversions.
*1現在 長崎市立北大浦小学校
*2 〝 長崎市立東長崎中学校
*3 〝 神戸市立鷹取中学校
1.はしがき
晴れた日の夜半から早朝にかけて発達する地面付近の気温の逆転は大気汚染物質の拡散 をさまたげ,公害防止上最も深刻な大気状態をつくり出す。長崎県環境部は,長崎市の大 気環境を把握する立場から,長崎市稲佐山斜面に逆転層観測装置を設置し,約3年間にわ たって観測を行なった。その装置の特性および観測結果の一部は既に報告されている(大 気環境保全指針策定協議会,19801荒生・西永・横山,1980)が,それによると,各測定 点の地上高が4〜6勉であるため,日の出後日射により中腹部分が著しく高温となり,逆 転の解消過程を明らかにすることが困難であった。そこで,稲佐山観測装置を補う手立て として,頭上を走るロープウエイに時定数の小さい温度計を搭載する観測と係留気球によ る観測を行なった。ここでは,稲佐山観測装置によるその後の結果について述べたのち,
主として逆転層の解消過程に関する観測結果を報告する。
2.稲佐山逆転層観測装置による結果
稲佐山逆転層観測装置の構成と特性は前報で述べたからここではふれないが,日の出前 の観測記録については十分信頼できる。本装置は1980年7月26日に運転を停止するまで約
3年間にわたって6つの高度で気温を測定した。第1図に1978年1月から1980年7月まで の期間における逆転出現状況を示す。逆転強度は午前4時から6時までの毎正時3回平均 で求めたが,1℃未満のものは除かれている。また,逆転高度は第4高度(171卿)にある 場合が圧倒的に多いから,逆転層の高さについての議論は省略する。1979年12月と1980年
2月に欠測があるものの,この図により年間の出現傾向は十分把握できる。すなわち,逆 転は晩秋(10月一12月)に最も多く発生し,春(3月一5月)がこれに続く。1979年1月 および同年10月の頻度と逆転強度は他の年の場合
350 よりも大きいが,これらはいずれも例年に比べて
好天であったことによるものである。
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第1図 稲佐山逆転層観測装置による月別逆転 出現日数(1978年1月一1980年7月) 1 逆転強度は4・5・6時の平均値
第2図 第4高度に4℃以上の逆転が ある場合の気温鉛直分布(1978 年1月一12月)。γd:乾燥断熱 減率
第2図は第4高度に4。C以上の逆転がある場合の気温鉛直分布を第4高度を基準として 示したものである。ただし,本図の場合は午前6時の記録で,1978年の1年間についての み掲げた。これらのプロファイルは長崎市における代表的な逆転の事例を示すものと考え ることができる。図によれば,逆転層より上空での気温減率は乾燥断熱減率よりやや小さ く平均0.8℃/100窺,逆転層内の気減増加率は平均3.4℃/IOO御となる。
3.温度計の時定数と気温測定値
一つの温度計を用いて鉛直方向の気温測定を短時間のうちに行なう場合には,その温度 計の応答速度の早いことが要請される。いま,実際の気温をT,温度計の示度をθ,温度 計の熱容量をC,時間をtとすると,これらの間には次のような関係がある(たとえば,
気象ハンドブック,1979)。
dθ
C__=k(T一θ)
dt
ただし,kは比例定数である。
ここで,C/k一τとおけば,
dθ 1
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dt 7
(1)
(2)
となるが,−7は温度計の時定数を意味する。
そこで,
1
△θ= (T一θ)△t (3)
7
と書きかえ,Tを時間の関数として与えれば,
微小時問△tにおける示度の増分△θを得るこ とができる。従って,△tを十分小さくとれ ば,与えられたTの時間変化に対するθの変化 を数値的に計算できる。ここでは,ロープウェ
イのゴンドラから気温を観測する場合を考え る。気温鉛直分布のモデルとして,第3図の中 央に示すような,170隅に4℃の逆転がある,
逆くの字形の分布を与える。そして,ロープウ ェイが高さ217nから3197nまでの問を4分20 秒かかって昇降するものとする。実際にはロー プのたわみや傾斜角の違いなどにより高さに対
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第3図 気温鉛直分布測定の数値シミュ レーション。中央が気温分布モデ ル,実線は上昇時,破線は下降時 の測定値,7は時定数。
して定速ではないが,モデル計算としては許されよう。第3図に時定数をパラメーターと して数値シミュレーションの結果を示す。出発の時点でT一θとしてあるが,時定数が大 きくなるにつれて上りと下りとの鉛直分布の差が開き,同時に気温極大となる高度もかな り異ってくる。それ故,この種の観測に用いる温度計の時定数は10秒以下であることが強 く要求される。
4.ロープウェイによる気温測定
日の出後の正確な気温鉛直分布の時間変化を把握する目的で,銅一コンスタンタン熱電 対をセンサーとするディジタルマルチ温度計(横河電機Type2575,以下DM温度計と 略称する)を用いてロープウェィ観測を試みた。室内実験によってDM温度計の時定数を 測定したところ,無風状態では28秒であったが,自作の強制通風装置を取り付けたとこ ろ,7秒まで短縮することができた。実際の測定は平均5m/sの速度で運行するゴンド ラに乗って行なわれるから,時定数はさらに小さくなるものと考えられる。なお,DM 温度計のセンサー部分は,通風装置だけではなく,日射防御のために二重の筒によって保 護された。この観測によるゴンドラからの観測例を第4図と第5図に示す。このような観 測は前日からの天候を監視し,規模の大きい逆転が形成されるような日を選んで行なっ た。第4図の例では,8時35分には下層に2℃の逆転がまだ残っているが,9時40分の測 定では逆転層のあった全領域がほぼ乾燥断熱減率に等しい分布となっている。また,第5 図の例ではそれよりも早く,9時20分には乾燥断熱減率を達成している。
ところで,これらの図では山頂付近の測定値がかなり大きく変動している。この点を考 察するために,ロープウェイで高さを10隅だけ昇降したときの,各高度における気温変化 量の度数分布を求めた。その結果を第6図に示すが,横軸は気温変動量の絶対値で縦軸は 各高度での度数分布である。この図はロープウェイ観測の全測定資料より作成されたか
ら,上りと下りの両方の場合が含まれている。図より,山頂付近で変化量が非常に大きく,
また山麓側でもやや大きいことがわかる。気温が乾燥断熱減率に従う場合の変化量は 10溺当り0.1℃に過ぎず,標高差150郷に4℃の逆転がある場合でもO.3℃にしかならな
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第4図DM温度計による観測例(1)
黒丸:上り,白丸:下り,破線:6時 の稲佐山観測装置の記録。
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第5図 DM温度計による観測例(2)
図中の数値は測定開始時刻。
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第6図各高度で10肌だけ昇降したときの気温変 動量の度数分布;黒丸は変化量の平均値。
い。従って,O.5℃以上の変動はかなり不自 然なものと言える。このような意味から,山 頂付近では山体に接近するために気流の乱れ が激しく,通風装置のモーターの熱が部分的 に影響している可能性が考えられる。また,
山麓側では地上高が割合低い(5〜10卿)こ とが原因しているように思われる。しかし,
80解から220規の高度では地上高が高い(30
〜40解)こともあって,気温変化は比較的穏 やかで早朝6時の稲佐山観測装置の記録との 時間的な連続性も非常によい。
次に,米国Atmospheric Instrumenta。
tion Research社製のエアーゾンデシステム を用いてロープウェイによる観測を行なっ た。本装置はエアーゾンデ(サーミスター温 度計とアネロイド気圧計を内蔵する発振部)
と可搬型地上局(印刷出力機構をもつ受信 部)とで構成されており,それまでの2人が かりの有人ゴンドラ観測から解放された。サ 一ミスター温度計の時定数は10秒であるが,発振部はプロペラ型の構造をもち,大気中を 昇降する際は回転するから実際はもっと小さな値となる。
第7図にエァーゾンデによる逆転層解消過程の観測例を示す。この日の場合9時04分に は高さ250解に逆転が残っていたが,9時23分には等温状態となり,IO時02分には全体と して乾燥断熱減率に近い分布となった。しかし,中層の150解付近に等温層がおそくまで 残っていることもわかる。なお,エアーゾンデの観測が行なわれた1980年秋以降は稲佐山
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第7図 エアーゾンデによるロープ ウェイ観測の例。図中の数値 は観測開始時刻。
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第8図 エアーゾンデによるロープウェイ観測のまとめ。
観測装置が既に停止しており,記録の比較は出来なかった。
第8図にエァーゾンデによるロープウェイ観測の結果を時刻別にまとめる。出発時刻を 用いて8時50分から30分間隔に区切り,山麓駅の気温を基準として鉛直分布を示している から,横軸の温度は相対的な高低のみを表わす。第7図に示した11月6日の場合に逆転 の解消が最もおそく,その他の例ではもっと早く逓減状態となっている。そして,9時50 分から10時20分の時間帯では大体において乾燥断熱減率に至る。しかしながら,中層域で は等温に近い部分を残し,安定状態を脱する時刻がおくれる傾向がみられる。
5.係留気球による気温観測
ロープウェイは特別の場合を除き9時以前の早朝には運行されないから,観測目的の一 つの障害となる。そこで,小型気球(Totex Meteorological Balloon)にエァーゾンデ を取りつけ,長崎大学教育学部屋上(標高35隅)において観測を行なった。充填気体には ヘリウムを用い,気球を釣糸で係留した。釣糸の長さは350彫で,揚球時に約5分,降球 時には約IO分を要して観測を行なった。
第9図に逆転の解消過程を明瞭に把えた観測例を示す。、この日の場合,・8時13分の観測 では最下層にわずかながら地面からの熱供給があるが,高さ170溺に約3℃の逆転がはっ きり残っている。そして,8時36分では日射の強まりによって下層が急速に暖められ,中 層にのみ逆転が残った。さらに9時10分には全層で逓減となり逆転は解消したが,気温減 率は乾燥断熱減率よりも小さい。9時40分では地表付近はさらに暖められ,強い不安定と なるが,IOO獅付近はまだ気温減率が小さく安定である。係留気球観測では,早朝はほと んど無風であるから気球を垂直に高く揚げることが出来たが,時間とともに風が吹き始 め,その風に流されて上昇高度が低下する場合が多かった。
第10図に係留気球による観測結果を時間別にまとめる。8時から9時までの時間帯では 逆転もしくは等温状態となっているが,その後の1時間でほとんど逓減となり,しかも最
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第9図エアーゾンデによる係留 気球観測の例。
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第10図 エアーゾンデによる係留気球観測のまとめ
下層でかなり強い不安定となる。10時以降は乾燥断熱減率を全層で達成するが,やはり中 層に気温減率の小さい部分がみられる。
6.まとめと考察
上に述べた一連の観測結果と,前報および長崎市の調査(1979)などを総合すれば,長 崎市における接地逆転層の解消過程は次のようにまとめられる。
(1)日の出後日射により地面温度が上昇すると,この熱を受けて大気最下層は急速に暖 まるが,その時刻はおよそ8時頃からである。その際の最下層での気温上昇の速度は 約1℃/15分であるから,1時間に4。C程度の昇温となる。
(2) 9時頃には全層にわたりほぼ等温状態となる場合も多いが,規模の大きい逆転層で は中層(150〜200規)に依然として逆転が残る。
(3)10時頃までには全体としては中立状態となるが,中層で安定な気温分布が残る場合 も少なくない。
(4)10時を過ぎると乱流による上方への熱拡散が一層活発になり,大気の安定状態は全 層にわたり完全に解消する。
従って,逆転が消滅したのち約1時間以上も依然として中層で安定状態にあることに注 意する必要がある。このような解消過程の一般的傾向は林・横山・蒲生(1974)や千秋・
西島・赤井(1975)などの研究とよく一致する。しかし,上に述べた逆転層解消過程はか なり概略的なもので,日の出時刻の比較的おそい11月から1月頃までの平均像と考えてお
くべきである。3月から5月にかけて生ずる逆転層の場合は,日の出時刻が早いからおそ らく解消時刻も早まるであろう。
逆転層の解消過程との関連においてNOx濃
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第11図 逆転強度別にとったNOx濃度 平均値の時間変化
度の時間変化について若干の考察を加えること にする。第11図に逆転強度別のNOx濃度の時 間変化を示す。逆転強度は稲佐山観測装置の朝
6時の記録により分類し,NOx濃度は稲佐小 学校測定局の値を逆転強度別に平均したもので ある。稲佐小学校は稲佐山観測装置の基準点か ら3507nの距離であるが,標高約407nの高台に あるため,NOx測定点は幹線道路面よりもか なり高い位置にある。
図によりNOx濃度は逆転強度と密接な関係 にあることがわかる。大気最下層が超安定であ る6時や7時の段階ではあまり逆転強度によら ず,非常に低い濃度であるが,8時頃になると 最下層が不安定となり,いわゆるいぶし型の気 温分布となるから,道路面の排気ガスが上昇し て急速にNOxの濃度が増加する。さらに,9
時にはいずれの場合も濃度が極大となるが,その大きさは逆転強度に強く支配されてい る。そして,10時には全体としては減少に転ずるが,4℃以上逆転では依然として高濃 度を維持し,中層の安定状態を示唆している。このように,NOx濃度の時間変化は上で 述べた逆転層の解消過程と非常によく対応している。
謝 辞
本研究を進めるにあたり,電力中央研究所の西宮昌氏と公害資源研究所の山本晋氏からは観測上の 諸問題について貴重な御助言をいただいた。また,北海道教育大学旭川分校の桜井兼市教授からは係 留気球観測法にっいて実際的な御指導を賜わった。上記の方々に心から感謝の意を表します。
本研究は長崎市域の大気環境基礎調査事業の延長として行なわれたもので,長崎県環境部,長崎市 環境保全部および長崎海洋気象台から多大の御援助をいただいた。これらの機関に深甚なる謝意を表 するとともに,特に御尽力下された,八並誠氏(長崎県),龍田憲一氏(長崎市)および志賀正信 測候課長(長崎海洋気象台)の3氏に厚くお礼申し上げます。
さらに,ロープウェイでの実地観測に際して,長期にわたり各種の御便宜と暖かい御支援をいただ いた長崎ロープウェイの職員御一同に心から感謝の意を表します。
本研究のデータ処理は長崎大学情報処理センターのFACOM−M18011ADを用いて行なった。
参 考 文 献
荒生公雄,西永 優,横山秀敏,1980:長崎における接地逆転層の気象学的特性,長崎大教育自然研 報,No.31,33−47.
気象ハンドブック編集委員会,ユ979:気象ハンドブック,152−155,朝倉書店・
千秋鋭夫,西宮 昌,赤井幸夫,1975:大気下層の気温逆転層にっいて一各種逆転層の特性解析一,
電力中央研究所 研究報告275006.
大気環境保全指針策定協議会(長崎県・長崎市),1980:長崎市における気温鉛直分布調査結果報告 書,36PP.
長崎市,1979=長崎市の気象現況,88pp。
林 正康,横山長之,蒲生 稔,1974:都市域における晴夜逆転層の生成消滅過程,公害,9,208−
217.