日本における中国語の教育について①
漏 富榮・杜 英起
はじめに
ここ数年、中国は、目覚しい経済発展を遂げ、GDPが世界の第六位に踊り出た。ファッ クス、テレビ、冷蔵庫などが世界の約半分のシェアを占めるようになり、世界の製造工場 として、その地位が確立されつつある。こうしたことを背景に、中国語の学習ブームが世 界的に起こっている。中日新聞(2002年6月10日)によると、韓国の名門である韓国外 国語大学では、大学が創立して以来の最高の入学競争率を創ったのも、大学全体でのトッ プ成績を出したのも、また今年就職難の中でも最高の就職率を示したのも、大学の26学 科の中での中国語学科であるという。
一方、日本でも、中国の安い労働力を求めると同時に、中国の大きな市場を獲得するた めに、中国に進出する企業がここ数年急増してきている。生産拠点の移動がもっとも困難 だとされている日本の自動車産業も、生産を大幅に中国へ移すようになった。しかも、日 本への逆輸入よりは中国市場での販売を目的とするところが多いようである。巨大な人口 を抱え、巨大な市場を有する中国は、投資家にとってすでに魅力的な存在となってきてい る。こうした情勢の中で、中国語のできる人材を求める企業も当然多くなってきている。
よって、日本でも中国語の学習者は、増加していく傾向にあると予想される。従って、中 国語教育も新たな局面に立ち向かっている。つまり、日本における中国語の教育は、いか にすれば、この新たな局面に順応できるかという議論が必要となってくる。
中国語の教育者として常に問い続けていることは、おそらく「もっとも効果的な中国語 教育とは何であろうか」、「もっともよい中国語の教材とは何であろうか」、また「教育の目 標はどこに設定すればもっとも適切であろうか」といった質問だと思われる。しかし、ど んなに議論を重ねていても、統一した見解を得るのが困難であろう。なぜならば、教育の 対象が違うと回答がもちろん違ってくるし、教育の目的が異なると、回答も当然異なって くるのであろう。また教育の環境が変わると、教育方法も教材も当然変わってくる。とい うよりも、教育方法や教材を変えないといけなくなる。ゆえに、特定の環境に適している 教授法や教材は、必ずしも違った環境にも適するとは限らない。要するに、もっとも効果 的な中国語教育は不変的なものではない。すばらしい教材や教授法は、特定の教育環境、
特定の学習者、特定の教育目標に適してはじめて言えるものである。これは、どんなにす ばらしい種でも、その土地の質にあわないと立派な食物が取れないのと同じことであり、
中国語教育のみならず、すべての第2言語教育に言えることである。
本論では、主として、日本の大学における中国語の教育について考えるが、検討の焦点
は、現在使用されている中国語の教材に置かれる。現在、日本の大学で使われている中国
語のテキストは、およそ2種類に分けられる。ひとつは中国の大陸で開発されたものであ
り、いまひとっは日本の大学の先生や中国語教育の関係者によって開発されたものである。
紙面の関係で、本論では前者についてのみ議論し、後者については別の機会で検討する予 定である。本論を通して、日本の大学生を対象とする中国語の一般教育に使う教材のある べき姿を議論する話題を提供することができればと期待している。
本論
ここ数年、中国の大陸では、中国語を学習 している留学生は年々増えている。中国国家 対外漢語教育弁公室の統計によると、中国大陸で中国語を学習している留学生は1973年 では383名しかいなかったが、今は毎年50000人以上いるという(2002年)。よって、多 くの大学では対外漢語教育に力を入れるようになり、教材の開発も積極的に進められてい る。しかも、語学の学習を目的とする教材、中国文化の紹介を目的とする教材、さらに初 級、中級、上級というように学習者のレベルに合わせて開発されている教材、そして短期 留学生用の教材や大学本科生用の教材など、学習の期間や学習の目的を視野に入れて作ら れている教材がたくさん出回っている。教材の内容もますます精錬され、種類もますます 細分化されてきた。そうした教材を取ってみると分かるように、どれもこれも中国大陸の 対外漢語教育者の長年の経験と努力の結果である。中にはすばらしい教材がたくさんあり、
すばらしい教育の効果が挙がっている。しかし、そうしたすばらしい教材をそのまま日本 で使用したら、どうであろうか。中国の大陸と同じようなすばらしい教育の効果が挙げら れるのであろうか。向こうの教材をそのまま日本の大学で使うと、恐らく、いくっかの問 題点が生じてくると考えられる。以下、本文の内容と文法の説明というふたつの側面から、
中国の教材をそのまま日本で使用するときの問題点を検討していく。
、本文の内容について
本文の内容に関しては主として下記の問題点が感じられる。
①中国で中国語の授業を毎日受けている長期留学生を対象とするものが多いので、難易 度のばらつきは小さい。
たとえば、《漢語系列閲読》第一冊(北京語言文化大学出版社)は、全部20単元から 構成され、1単元には4っの文章が含まれる。各単元の文章の長さは、それぞれ平均で 344文字、474文字、438文字、457文字、374文字、470文字、446文字、411文字、
470文字、327文字、376文字、437文字、391文字、384文字、424文字、443文字、
456文字、481文字、472文字と255文字である。中国では半年分の教材として使われ ているようであるが、日本では同じ教科書を利用する授業が基本的に週に一回しかない ため、2年間使用することになる。しかし、日本の大学で集中して学習できる期間は、
入学してからの3年間しかないので、難易度のばらつきをより大きく開かないと、中国 語をマスターすることが困難である。勿論、文字数だけでは難易度の判断ができないか
もしれないが、しかし同じ学生に中国語を2年間も教えていれば、文章の文字数を徐々
に増やして長文の講読もできるように心がけて教えることが必要である。
②日本の大学生の置かれた環境からかけ離れた内容なので、学習したものを活用するこ とが難しい。
せっかく学習した内容は使えない。っまり教科書の内容は日本の大学生の日常生活か らかけ離れているので、日常会話の場でそれを復習する機会がない。復習する機会がな いので、すぐ忘れてしまう。このようにして悪循環に陥ってしまい、学習の意欲が損な われてしまう。そして学習への動機付けは低下することになる。
上にも述べたように、確かに最近中国では第2言語としての中国語の教材はおおく開 発され、内容も非常に豊富になってきている。中には中国の風俗習慣を紹介するものも あれば、中国の現代社会や中国人の生活の様子、また中国人の価値観などを紹介するも のもある。さらに大学の生活や大学の環境などを紹介するものもある。それは語学の学 習だけでなく、中国の社会文化や中国人の生活様式などを理解するのに非常に役立って いる。中国で第2言語として中国語を学習している学習者にそういった内容を語学の教 材にして教えるのが非常に有益である。なぜなら、かれらがそういった内容を中国です
ぐ活用できるだけでなく、中国の社会に適応するためにも役立つからである。まさに、
一石二鳥である。
しかし、日本で中国語を学習している大学生にそういう内容を語学の教材として教え たら、どうであろうか。向こうと同じような教育効果が期待できるのであろうか。それ を検討するために、まず中国の社会文化などを紹介する教材の内容を見てみよう。たと えば、上にも触れた《漢語系列閲読》第一冊の20単元のそれぞれの本文の内容を紹介 すると、右記の通り:「泣年」(年越し)、「世界人口正在老化」(世界人口の老齢化)、「独 生子女」(一人っ子)、「婚礼的変迂」(結婚式の変遷)、「送礼新吋尚」(贈り物の新しい 風潮)、「服装与色彩」(服装と色彩)、「中国菜」(中華料理)、「換AI工作、換介活法」(仕 事を変え、生活様式を変える)、「教育的年限」(教育の年限)、「光速的測定」(光速の測 定)、「実」(泣く)、「R温升高以后」(気温の上昇後)、「流星」(流れ星)、「奥迄会」(オ リンピック)、「中国的侍統戒居山(中国の伝統劇)、「生志旅游」(自然満喫旅行)、「梅花」
(梅の花)、「小相声」(ミニ漫才)、「太白酒」(太白酒について)、「天『預根」(天気予 報)という内容である。各タイトルの日本語訳から分かるように、日本の大学生にとっ ては、興味の持てる内容とは言いがたい。しかも日本の大学生の生活からかけ離れてい るので、このような内容を習ったとしてもそれを日本で話題にすることは極少ない。話 題にする場がなければ復習する機会が失われることになるので、習った内容をマスター するのが困難だと思われる。
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中国での長期留学生を対象とする教材にはこのような現象がよく見られるが、中国で
の短期留学生を対象とする教材にもこのような現象が見かけられる。たとえば、《説漢
語》短期漢語教材(北京語言文化大学出版社)の本文を見てみる、下記の内容となって
いる。
A:休睡得真香明,我飽歩都ゴ回来了,休迷不起来?
B:弥怠砂醒我,剛オ我迩在倣夢腸。
A・倣的他埜?
B:多蒐我在路上走,忽然又是打雷文是囚屯, 峰峰呼 下起雨来:了。
A:以后呪?
B:以后就是休把我砂醒了。
A:麺三八点工,弥也該醒毎。
B:今天是周末,起来蜜没事几。
A:噌伯去香山聴,pl itt− tu叶蚕紅才。
B:外面天『忽久祥?和昨天≒祥冷咀?
A:今天有太阻,比昨天暖和一点几。
B:薩天『預根鏡,今天多云特明,有小雨。
A:我看不会下雨的,要不弥出去看看,今天可能是寮薙得的好天『。
B:万一下雨,在山上躰都3波地方駅。
A:那亥我伯就帯±雨傘昭。下点几雨,楓叶注雨三淋,那残漂亮呪!
B:那就走ロ巴,我イ1]縛多穿点舞衣服,山上夙大,挺冷的。
A:ボ泣,現在休最好先倣一件事。
B:什久事?
A:弓上起床。
上記した内容から分かるように、中国人にとっては極普通の会話であるが、しかし日 本人の学生に教えようとすると、網線のかけてあるところは、すべて説明する必要のあ るところである。筆者は、毎年学生を引率して短期留学(一ヶ月)に中国へ行くが、留 学先ではこの教科書が使われている。しかし参加者の9割は中国語の学習経験を1年間
しか持っていない1年生であるので、網線のかかっている表現の大部分は、まだ学習し ていないのである。
この教科書は、20課から構成されているので、4週間留学の教科書として一番使い易 いそうである。というのは、一日1課で計算すると、ちょうど一ヶ月で完了できるから である。確かに、一週間は5日間あるので、一ヶ月で一冊の教科書を完成させることは、
非常にうれしいことである。教師としても「教えた!」という充実感と達成感を味わう ことができる。しかし、ここの使い易いというのは、あくまでも教師側の見方であり、
イコール学習し易いということではない。教え易いことと学習しやすいこととは、違う 次元のことである。
このような内容は、学習者側から見ると、どのように映るのであろう。果たして学習
しやすいと思われるものであろうか。いや、恐らく「とても分からない」とか、「なん
で中国語はこんなに難しいのだろう」とか、「なんでひとつの 都 なのに、こんなに いろんな意味があるのだろう」などと思ってしまうのであろう。そう思われても当然で ある。どんなに頭のいい人でも、こんなにたくさんの文法事項を一緒に与えてしまうと、
頭がパンクしてしまい、パニック状態に陥ってしまうと考えられる。その結果、学習へ の自信を喪失してしまい、学習の意欲を失ってしまう。学習者たちに中国語の学習を持 続させるためには、興味を持たせなければならないし、達成感を味わわせなければなら ない。それを可能にする要素はいろいろあるが、中には、特に分かり易さ・学習し易さ と覚え易さが大事だと思う。私たち教育者は、教える内容を考えるとき、そのような工 夫が不可欠だと考えている。たとえば、上記の本文の中の 倣的什久夢? という短文は 学生にとっては非常に理解し難い。なぜなら、その文を 傲 (する;見る)、 的 (の)、
什IA (何;どんな) 夢 (夢)と一単語ずつ分解して理解しようと思っても何の意 味かは分からないからである。しかし、もしその文に 是 (だ)を入れると、 倣的是.
什久夢? (見たのはどんな夢ですか)になるので、かなり理解しやすい文になる。
本文の内容についてまとめて言うと、1)学生が活用しやすいように学生の生活や趣味 などを考慮し、学生にとって身近な材料を内容にすること;2)文章の難易度のばらつき を適切に開くこと;3)同じ文法事項や文型を同じ本文に繰り返して出現させること;4)
初段階では不規則な短文をできるだけ避け、理解し易いような短文にすること;の4点 に留意する必要があると思われる。
もちろん、中国語を学習する以上、中国語だけでなく、中国の文化習慣や中国の社会 事情などを理解する必要もあるし、それを語学の授業で教えられれば、一石二鳥だと思 う。しかし、その効果は、毎日に中国語の授業があり、しかも中国の文化習慣を身近に 触れることのできるという前提が必要である。週に2、3回しか中国語の授業がなく、
普段中国の文化習慣に触れる機会もなく、話題に上ることも少ない日本では、一石二鳥 という効果が期待できるどころか、むしろ生活からかけ離れた内容であるがゆえに、中 国文化の理解も中途半端になる上、大事な中国語の学習もつまらなく感じてしまう恐れ はある。ゆえに、中国の文化習慣や中国の社会事情などは、中国語の授業で教えること を極力避け、「比較文化論」や「中国の社会事情」などの講義で紹介することを薦める。
二、文法の説明について
中国における外国人を対象とする中国語教育に使われている教材は、ほとんど専門の学 者によって開発されたものであるので、長年の教育経験を土台にしてできたものである。
中にはすばらしいものが多く、文法も見事に説明されている。しかし、その文法について の説明を日本での中国語教育にそのまま使用すると、以下の問題点が感じられる。
①教材の製作者は言語学者であるので、文法について言語学の観点から学問的に説明する ものが多い。
中国語の研究者を目指すのではなく、一般教養として中国語を学習している日本の大
学生にとっては、学問的な説明は比較的理解しにくいのではないかと思われる。たとえ ば、ある短期留学用の教材では、中国語の 了 と 泣 について、以下のように説明 している。ただし、訳文は筆者が付け加えたものである。
双悟劫司没有 吋 的分別,只有 志 的分別。功志助河 了 、 泣 放在功洞后 分別表示 完成志 和 経詮志 ,二者是不同的。
訳文:中国語の動詞には「時制」がなく、「態」しかない。動態助詞である 了 と 辻 は、それぞれ動詞の後に置かれ、「完成態」と「経験態」を表すものであるので、
二者は同じではない。
形悉方面・訳文:形態σ面につ込てi
1.対 劫司+了 和 功詞+泣 表示否定都用 没(有) ,但 了 在否定形式中不再 保留, 泣 在否定形式中保留。
訳文: 劫司+了 と 劫司+泣 のいずれも、否定するとき 没 か 没有 を使う。
しかし、否定形のとき、 了 は残らないが、 泣 はそのまま残る。
学了一一没(有)学 学泣一一没(有)学辻
2.劫河重畳吋中同可以加 了 ,不可以加 泣 。
訳文:動詞を重ねるとき、真ん中に 了 を入れられるが、 泣 は入れられない。
学了学(×学辻学) 試了拭(×i式泣試)
意叉嚢面
1. 劫司+了 表示完成,与辻去没有必然的朕系。可以用干泣去,也可以用干現在和將
来。